走馬灯の如く

納期のある仕事を抱えているから、学校の授業準備はさっさと片付けたい。
来週の教材の準備をしていたら、今週の授業中のシーンが何度となくリフレインされて、どうにも落ち着かなくなった。
瞬間に走馬灯の如く、起きた一連の出来事が意識の中で再生されて、って、違う違う、まだ早いし、お迎えも来なくていいってば。

公衆衛生学の国家試験問題。人口動態統計のところで、一年間の出生数が100万人を切ったとか、「一年間の死亡数は、100万人よりも少ない」という文章があって、○か×か。学生から「わかりません」という返事が返ってきたので、諦めるなと言った。国家試験の本番だったら、とにかく粘れ。「日本の人口は何人?約でいいよ。」「1億2千万人です。」「じゃぁ、平均寿命を80歳として、80年で人口が入れ替わるとしたら、毎年何人ずつ死んでる?」質問の仕方が悪かったかと、思った。「1億2千万人の人口が、80年の間に均等に死んでいくとしたら、毎年何人が死んでるでしょう。小学校の算数の問題。」150万という返事が返ってきた。正解。ということは、「100万人より少ない」は明らかに間違い。

と、言ってしまってから、非常に気になった。こんな問題を、もし小学校の算数で子供に提示したら、ほぼ間違いなくPTAからクレームが来る。だろうなぁ。気分が妙にワサワサした。(ザワザワほどでもないし・・・微妙な気分。)気になって仕方ないから、口に出して言っちゃったよ。「こんな問題、小学校の算数で出題したら、絶対にクレームが来るとは思うけど。」ここで、妙にシニカルな笑いをしてウケてた学生もいて、ブラックな話題に反応しがちな年頃だとしても、ますます気が滅入った。
あくまでも、人口動態統計の話題なんですが。

発した一言が、相手には全く違って伝わることは、よく経験している。
ずいぶん昔、ハードウェア実験で、学生にハンダ付けをさせた時、T君が「先生、こんなことやって、何かの役に立つんですか?」とか言うから、「医療機器だって中身は電気回路だから、壊れた時に修理する場面だってあるでしょうが。」と言ってから、ふと自分でも、そうかなと気になって、「ただ、実際には、今はもう配線が細かすぎて、基板交換で、基板ごとメーカーに送って交換したり、っていうケースがほとんどだとは思うけれど。」と、余計な一言を付け加えた。
この時のハードウェア実験は、大御所のT先生とペアを組んでいた。T先生は、CDとかDVDのフォーマットを決める国際会議の座長を勤めたりされた大御所で、エンジニアとしては尊敬すべき「頂点」にいる方の一人だろうと思っていた。そのT先生が、この後「小林先生、学生になんてことを教えるんですか!」と本気で怒ってきた。「何のことですか?」「半田付けなんか覚える必要はない、とか学生に言ったんでしょう?困りますよ。カリキュラムで・・・」「先生、そんなこと、言った覚えはありません。」「いや、T君がサボっていたから指摘したら『小林先生が、こんなこと役に立たないから覚えなくていいって言ってました。』とか言ってましたけど、困りますから・・・」(以下省略)
「やられた」と思った。あの話が、そういう形に化けて、サボる口実にされちゃうんだ。T先生に私の言い訳を聞き届けて頂けたかどうか、あとで、結構ヘコんでた。
そういうつもりじゃ、なかった。と言っても、誤解されるような言い方をした方が悪い。あるいは、相手を見て伝える内容を選ばなきゃ。

さらに追い討ち。血液浄化療法の問題。「空気送血をしてしまった時、とるべき対処法」。
えらく悠長なことを書いていた選択肢の、次の選択肢の表現が「ポンプを停止する」とあったので、つい、「何だよ、まだ止めてなかったのかよ」とボヤいたら、なんだか結構学生にウケた。ウケ狙いでボヤいたんじゃない。ちょっと、真剣に考えて欲しかった。

前の学校の、卒業生たちがOB会で交わしていた会話を思い出した。医療過誤の保険に、いくら入る、という話。何千万とか、億まで届くような話もしていたなぁ。そういえば、交通事故の対人保険の上限が、「億」になり、いつの間にか「無制限」というクラスが出来た。億まで届いてるのか。
「あのね、空気送血って、致死的な事故になりやすい。過去の事故事例でも、患者が死亡したケースとかがある位だから、君ら、ちょっとしたミスで人を死なせてしまうかも知れない職業に就こうとしてるんだよ。」ここまで口にしたら、怯えたような表情をした女子学生がいた。「だから、絶対にミスはしないっていう覚悟でやらなきゃいけない、そういう場面があるんだよ。」ここで止めときゃよかった。
「以前いた学校で、卒業生たちが、こんな話をしていた。医療過誤の保険で・・・」あぁ、全くもってもう、余計な話を・・・
しかも、話の切り方が不自然だった。保険に入っていれば、医療過誤を起こしてもお金で済ませられる、そんなことは一言も言っていない。言っていないけれど、悪意を持って話題の切り口を拾うと、そう解釈されかねない話題の切り方。
ここから先は、その後の頭の中でのシミュレーション。大切なのは、誠意。心を込めての謝罪でなければ、「誠意のなさ」は相手に伝わる。(いや、ちょっと待て、誰も事故なんて起こしていないでしょうが。)ダメだ、ますますドツボにハマるなぁ。
結論:余計な話はするな。いや、だけど、こういう余計な話をするから、時には、良い方に振れて、「すごく、わかりやすかった」とか「とてもやりがいのある仕事だと思いました」とかいう反応がある、ことも時にはある。全ては、話題の流し方次第。今回のは、悪い展開例の典型だったかも知れない。反射神経が鈍った。

もういいや、良かれ悪しかれ、これが僕のスタイルだ。

と、思いつつ、一番収拾のつかない話題に踏み込んでいないか?
ここ。「心を込めての謝罪でなければ、『誠意のなさ』は相手に伝わる」、ってとこ。ほれ、他ならない韓国。
私、韓国がらみの話は、一切していませんから。なんて言ったって、これまでがこれまでだから、絶対に何かにこじ付けて、難癖つけられるって。(大丈夫、あんたは全然偉くないから。それに、被害妄想じゃねぇか?お前のページなんか、読まれてねぇよ。)僕のこの、ネガティブ・スパイラル、始まっちゃうともう、歯止めが効かない。

だいたい、日本からの謝罪なんて、何度やったって「日本は謝ったことがない」とか言われる。韓国側が覚えてないだけでしょうが、とも思う。僕ら、テレビで偉い人の謝罪を何度もライブで見てるのに。「何度も」なのに。一度も、とか言われる。
最近は、「謝罪したことがない」とは言わなくなった気がするが、「心がこもっていない」って、心がこもってること、なんて証明のしようがない。そこに話を持ってくるか、とも思う。だいたい、事実と異なる主張すらしているのは、どっちだとも思う。それを押して謝罪した挙げ句が、「こんな金は受け取れない」という返事。もはや、謝罪しても無駄、金を出しても無駄、という気がしている。
(やめときゃいいのに、どうして、こうやって、どんどんとドツボの底を掘り進めるんだ?)

書きついで。毒をくらわば皿まで。

徴用工問題で、日本企業が謝罪していない、という主張があるけれども、日本企業が主体的に徴用した訳じゃない。賃金未払いの対象となった半島出身者の大半は、自分の意思で職業として日本に来た人が多かった、と何かで読んだが、まず、その部分で主張が噛み合っていない。(韓国側からは、全員が強制的に徴用されたような主張ばかり。)当時の状況は、「徴兵」で働き盛りの日本人の多くは戦争に駆り出されて、多くの企業で深刻な「働き手」不足に直面していた。ところが、軍需企業は戦争を遂行するために「生産」を厳しく命じられ、それならば朝鮮半島から人をかき集めよう、と決めたのは、おそらく「大本営」であって、個々の企業ではないだろうと思う。「大本営」の意向に逆らうことの出来た日本人なんて、おそらくいない、そういう時代だった。
この話題には直接関係はないけれど、こんなページも見つけた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B5

とにかく、軍需工場での生産を急かしたい軍部が、「働き手不足」を口実にさせないために、人手をかき集めたというのが当時の状況だと思える。加えて「終戦後」に関係が断絶して、直接弁済する手段がなくなったとしたら、「未払い賃金」を精算するためには、日韓請求権協定などを通じて行うしか、方策がなかったんじゃないかとも思うし、軍部に軍需品の生産を命じられていただけの企業側に「謝罪」するべき必然性があるとは、到底思えない。負けて関係が突然断絶したから、混乱の中で払えなくなった。それを意図的に支払っていないとされたら、身も蓋もない。本来、謝罪すべき当事者の大半は、軍事裁判の結果処刑されているんじゃないかとも思う。

パプアニューギニアの、ちょっと奥まったアフアという村に慰霊に行った際、持ち歩いていたラジオから流れたNHK国際放送の中身は、これ。一緒にいたご遺族の方々も、感動されていたよ。
https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
この村山談話。

わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

確かに、人対人で向かい合った際、心のこもっていない「謝罪」などは、見透かされるし、そんな「謝罪」をされても、むしろ一層許せない気持ちになることもある。
ただ、この談話、村山総理という人柄。本当に「心のこもっていない謝罪」なんだろうか。

この談話ばかりでなく、何度となく、これに近いレベルの発言があるにも拘らず、韓国からは「心のこもった謝罪がない」の反応ばかりが返ってくる。もはや、何を言っても、何をしても無駄。だと思う。(個人の感想です。)

さすがに、ここでやめておく。これ以上書くと、話がどこにどう転がっていくか、まったくわからないのが、私の悪い癖で。

言葉を発するのが怖くなりました。
授業中、一言も言葉を発せずに、教壇に立ったままじっとして、1時間半が経ってしまいました。なんてなったら、学校から責められ、学生から責められ、父母から責められ、あぁ、もう、人生の破滅だぁ・・・
なんて、そんな心配ないか。だいたい、僕が、1時間半も黙っていられる訳がない。いいや、もうやめとこ。

発端は、「公衆衛生学」の問題を扱った授業中での一言でした。その同じ日に、「金さえ払えばそれで済む」とでも、受け止められかねない話し方をして、「やっちまった」の大量連発。

いいです、馬鹿です、私は。はい、終わり!