ロンドン橋

「出し惜しみしない」なんていう話題があって、どうしようかと思いつつ。できることは、全力でやる。提供できるものは全て提供する。そのつもりはあるんだけれど。

「余計なことをしない」なんていう話題もある。「余計なこと」僕が書いてるのは、正しくそれかも・・・だから、金輪際「訳のわからないこと」を書くのはやめようとも思っていたんだけれど・・・。確かにそう、宣言したんだけれども、あれだなぁ、僕の禁煙宣言みたいなもんだ。

仕事は、なんとか匍匐前進で進めています。組み合わせが多い分、作っても作っても、例外処理の「見落とし」に気付くことの繰り返し。工期が遅れまくってるけれども、1ヶ月とかではなく、数週間程度の遅れでなんとかする。できる。そう自分に言い聞かせつつ、仕事に集中できないすべての雑音は、遮断したい。と、言いつつ、自治会会計の用事は、湧いてでたら速攻で片付ける。大学のレポートの採点も、どこかで集中して一気に片付けたい。その辺は、なんとかする。

ただ、数日前から、唐突に、「ロンドン橋落ちた」のメロディーが湧いて出てきて、これは一体なんなんだと。抱えきれない。古い歌ですよね。なんで、こんなメロディフレーズが湧いてくるのよ。勘弁して欲しい。

何かテロの予感?いやぁ、違う気がする。テムズ川の氾濫?わからん。季節的にどうなんだろ。「確信が持てないなら、書くべきではない」それは分かってるけれども・・・。何かの暗喩?これが一番近い気がする。もしかしたら、ということはあるけれども、それは書きたくない。スパンは、半年くらいかなぁ。

オーストラリアのモリソン 首相が、大洋州での会議で何か、地球温暖化対策に後ろ向きの発言をした。その時に、大規模な森林火災が見えた気がした。俺、何か書いたっけか?探すのが面倒くさい。確か何か、書いた。因果関係って、あると思いますか?僕は、あると感じている。地球は「意識体」で、地上で生活する全ての生き物や、人間の「意識」を感じ取って、判断を下されている。と、僕は、理解している。

地球意識にできること。地震や、火山の噴火。などの気象現象だけではなく、原始的な生命体の創造や、ウイルスなどの遺伝子構造を組み換えることも「意志」によってできる、と僕は理解している。どこかの土地に住む人の心が、「お互い人間どうし」であるにも拘らず、人間自身の手によって、他者の自由を束縛したり、経済活動を最優先して、他の人たちの生存を脅かしたり、無頓着にそうした行為を繰り返したなら、以前だったら「警鐘」を鳴らしてきたんだろうと思う。ただ、今はもう、「警鐘」の域を通り越して、「排除」にかかっている気がする。僕は、そう感じている。

モリソン首相、温暖化ガスの抜本的な対策として、発端となった「石炭産業」の、大胆な産業シフトを打ち出してみたらどうだろうか。「燃やす」だけが石炭じゃない気がする。100年後とは言わない。せめて、30年後の地球を考えて、動いてみたらどうだろうか。もしかして、それを「地球意識」が「評価」してくれたなら、偏西風や貿易風の流れに、火災による上昇気流が関係して、「雨」による鎮火が起きるかも知れない。断言はしませんが。地球さんの「意識」なんて、僕からみたら、次元が高すぎて、波長が違いすぎて、受け取ることすらできない。せめて、ねぇ、ミカ様とかガブリ様の意識を受け取れるくらいの霊格があったら、もう少しまともなことを書けたんですが。下っ端過ぎて、ろくな話題が書けない。僕の如き下っ端にできることは、師匠のお言葉の解釈だけ。しかも、その解釈が間違っているかも知れないし。手数で攻めるって言ったって、こればっかりは、間違えたら後が怖すぎる。

これが「神の思い」です、なんて看板を掲げて書いてしまって、それが万一間違っていたら、例えば、トランプが「核兵器使用」を決断して、数十万人を殺傷した挙句落ちる地獄の深さよりも、さらに厄介な深さに僕は落ちる、と思う。そればかりは、勘弁願いたいから、できることなら今後は一切沈黙を保ちたい。ですけどね、「出し惜しみしない」って、どうしたらいいんだろうか。僕の書くことなんか、気にしないで下さいね、と枕詞を掲げてから、書く、それだけかも。

新型コロナウィルス。どこの国とは言いませんが、人権問題がなければ深刻化はしない。人権問題があるならば、もうあと、2回くらい、遺伝子の変化が起きそうな気がする。因果関係?そんなもん、証明できる訳がない。一応は、僕も「自然科学」に軸足は置いている。「地球意識」や、さらにその上の話になったなら、その存在を信じるかどうか、問題はその一点だと僕は理解している。

地下資源。大規模な地盤崩落が起きるような気がする。これは、今年とは言わない。でも、地下の空洞が、周辺の構造だけでは支えきれなくなっているかも知れない。どこだと思うか?わからん。日本でないのは確かだから、だったらもう、どこでもいい、というのが僕のスタンス。

そもそも、ね。地球にも「意識」がある、なんて、どなたも信じないでしょうね。ましてや、その上の「創造主」が実在しているなんて、自然科学的には「ありえない」んだろうか。いらっしゃったとしても、どの理論にも、どこにも矛盾はないはずなのに。

表題の「ロンドン橋」。気になって仕方がなかったから、とりあえず書いてみた。すみません、何のことやら、僕にはわかりません。


【追捕】

あんまり、こっちに意識を向けている余裕はないんだけれども・・・

「地球意識」さん、あまり「外科手術」は得意でないみたいな気がする。
一昔前の乳癌の外科手術みたいに、「疑わしい」側の乳房を根こそぎ切除する、みたいなやり方をされる、と理解している。
つまり、「警鐘を鳴らしたい地域」があったなら、どれほどの「善人」がそこに住んでいようが、そのあたり一体を丸ごと壊す。そうしたやり方をされる。細かい切り分けなんて、そもそもお考えになっていない。

なぜ、そんなやり方をされるか。肉体を持つ前は上にいて、「人としてあるべき姿」をある程度は理解していたはずなのに、一旦肉体を持つと、物質欲にどっぷりと染まったり、その「地域」の慣習で、人権を迫害しようが、金儲け最優先で人が死のうが、全く気にならない行動を示す、のが、人類。だったら、その辺一帯で「肉体を持っている状態」を滅ぼすのが、一番確実。肉体を抜けて、まずは地獄に落ちて、そこで「何がおかしかったか」自分で気づいて上に戻ったなら、また次がある。最悪の人権環境に住んでいる方々の肉体を、根こそぎ滅ぼしたとしても、汚れなかった方々には次の機会がある。そうした仕組みに基づいての「意思決定」だから、「人として、こう生きるべき」という意識をもたれている方々は、全然気にする必要はないと思う。

それは、日本でも頻発した大災害とかで亡くなられた方々も、全く同じ。法政大学で教えていた学生の一人が、3.11で亡くなった。ご両親からの「本人が提出したレポートとか、どんな痕跡でもいいから、本人の書いたものを、下さい」という連絡を事務方が受けて、そのメールを受け取って、僕のPC内にあった本人が電子提出したレポートを、事務方に送った。身近な人の生きた痕跡は、欲しいものだと思う。僕自身は、親父が最晩年好きだったBMWをを相続して、維持費が高いし、グレタ・トゥンベリさんに怒られそうなくらい燃費が悪い旧式モデルなのに、親父に甘えたくて、今でも手放せないでいる。気持ちは、すごくわかる。

ただ、心配したり、必要以上に気に病む必要はないんだろうと思う。自分の「宗教」で、こう教えてもらいました、ではなくて、自分自身の「ヒト」としての感性で、いま自分はこれができるから、こうした、と、そうした生き方をしている方々なら、火山灰に埋められようが、森林火災で逃げ遅れて焼け死のうが、津波で濁流に沈められようが、ご本人の意識体は、もう次のステップを見据えられると思うから、全然、心配は要らないとも思う。

だからこそ、「この地域」根こそぎ、という被災の仕方をしたとしても、「個」がしっかりと「ヒトとしてのあるべき姿」を意識できていたなら、どんな自然災害で「不慮の死に方」をしたとしても、全く「心配」すべき理由はないと、僕は理解している。

今はもう、例えばトランプの発言を聞いていたらわかる通りで、多くの政治家が、どれほど自然災害が続いても「経済最優先」から一切離れようとしない。「人権無視」も、看過できない域に達している国がある。覚悟すべきじゃないか、と、僕は思う。ですけどね、「私は、将来世代にも、地球環境にも、責任を負いたいから、こういう行動を起こす」という方々は、巻き込まれたって、すぐまた「次」があるから、全然心配する必要はないし、むやみやたらと、心を痛めて悼まなくても、全然、心配はないと思うよ、と、私なりに「追捕」を書いてみました。

トイレの100W

トイレの電球が切れた。

今僕が、仕事の上では一番頼りにしている方と、よく車の中で移動中に、世間話の雑談をしている。
親父から相続したBMWが、どうしても手離せない。ナンバーが、親父とお袋の結婚記念日だから、ということもあるし、この車に乗っていると、親父を感じることができるから、ということもある。無論、最大の理由は買い換える金がない、というあたりだけれども・・・燃費が悪い。思い切って、軽に買い替えた方が、コスパがいいし、間違いなく2年後には元が取れるかも、とは思うんだが・・・でも、踏み切れないのは、やはり僕は、親父を感じることのできるこの車から、どうしても卒業できていない。反発したまま死に別れたから、「墓に着せる服はない」ってな感じだろうか。

BMWのコスパの悪さ、BMWはホイールがブレーキの粉で汚れるんだよね、なんていう話から、電球や蛍光灯のストックの話に飛んだ。
我が家には、様々なもののストックが、相当量ある。電球も、40Wに、60Wなど、場所によって切れる度に、LED電球を買ってくるのではなく、親父のストックから取り出して付け替えた。蛍光管も、直管でまだ7〜8本、和室用の円形の蛍光管も各部屋これから2回くらい切れても交換できるくらいの分量があって、なかなか、LED蛍光灯への付け替えができない、なんていう話をしていたら、「それは、小林さん、断捨離したら」なんて助言を頂いた。そうだよなぁ、ただ僕は、どうしても、一度は「モノ」としてこの世に姿を持ったモノに、一度も使われることなく「ゴミ」になってもらう、ということが、どうしてもできない。(食い物なんて、もっとそうで、転職して、ゴミ箱から食い物を漁って、それで生計立てようかと思ったくらいで・・・)唐突に、その時の会話を思い出しながらも、仕方ない、ストックから交換するか、と思って納戸を見ていたら、「電球」は既に全部交換してストックが尽きていた。思い出した。万が一に備えて、20Wを2球と、40Wを2球、LEDの電球を買って、僕自身がストックしていた。あったのは、その4球と、あとは、なぜか(エジソンさんの技術を継承したままの)100Wの裸電球。
前にも、疑問に思ったっけ。この100Wの裸電球を、親父は一体どこと交換するつもりで買ったの?もしかして、買ったの俺?

僕自身のポリシーとしては、「まだ使えるモノは、使う。」で、「先にフェードアウトするべきものから順に使う」だから、僕自身のルールに従うなら、当然、40WのLED電球ではなくて、先にこちらの100Wの裸電球を、事務所のトイレで使っちゃおうか、ってな感じになるんだけれども・・・

一体、トイレで100Wの裸電球を使って、何をそんなにも「鮮明」に観察したいのよ。悪趣味だ。
ルールを曲げた。40W君に、先に出番を持ってもらった。

この100Wの裸電球もそうだし、母屋にストックされている蛍光灯もそうだけれども、出番もないまま、「エイや」でもって、捨てるか?ってな話だなぁ。

これも車の中で、お世話になっている営業の方と、よく話をしていた。中小零細の製造業の現場では、「生産設備」を更新するだけの金がないから、未だに「PC-9801」なんてのが必死でサバイバルしている。良くて、DOS-Vあたりで・・・。その辺で使われていた「通信技術」はRS-232Cで、そういうのは、僕が若かった頃最も得意にしていたプログラミングの分野だった。(若いSEの方たち、この辺の単語なんて、理解できないでしょうねぇ。)それが、未だに現役。その本体よりも通信系が先にくたばったら、今時ならとにかくLAN経由で、その先WANにも繋いで、必要最小限度の投資で、設備の延命を図りたい。
なんだかなぁ、日本の「経済産業行政」の「しわ寄せ」というか、ほとんど無視されてきた領域だから、役人だって、こんな現実を理解していないと思う。単価の安さで辛うじて生き延びてきたところが、安さだけならもう、中国、韓国、ベトナム、タイに圧倒されて、「我が社だから」なんていうスペックの高さがあったって、価格の安さには負ける。
安倍総理が何をおっしゃったところで、「シャンパンタワー」の下まで、オコボレは流れてこないって。上の方、大企業のあたりのボーナスとか、せいぜい、中堅レベルの残業時間の低減とか、そんなあたりで消えてしまって、下の方が苦しいのは全く変わらない。
それどころか、第三次産業にシフトするとかで、農林水産業、製造業は二の次なんだろうか。農林水産業は、自民党のコアな支持層も多いから、無視できない、なんてことになると、取り残された製造業は悲惨なことになるのかも・・・

G社のHさんにも、随分とお世話になった。医療系のアプリ開発。

もしまた、医療系に戻れたら、もう一度タッグを組ませていただけたら嬉しいと思いつつ、最近モチベーションが低い。人は「死んでも死なない。」そう確信を持てる域に、辛うじて辿り着いてきた。人の実体は意識体。肉体を持っている時間が、その都度有限だから、いかにその時間を有効活用するか、自分は何をすべきか、「死」という絶好の機会が与えられているからこそ、生の意味を考える機会になっている、そう考えると、一体「医学」は何を目指しているんだろうか、そこのところの疑問が湧いてしまって、「とにかく、今生きている人が、1日でも長く生きられるように」というアプローチは、間違っているんじゃないか、という疑問が湧いてきた。一家の大黒柱が、心臓発作で突然亡くなった。大変なことになると、僕は思う。それは確かだけれども、殺された訳じゃない。「心臓発作の予知・監視・通報システム」で、東京大学から学位をいただいた。それは嘘じゃない。国会図書館にも、一部納品している。(こういうのは、納品っていうのか?わからんけど。)でもね、それがなんなの?どんな意味があるの、っていう感じになってきた。

親父は、たぶん、この日本で、戦国時代に「城」を守る立場にいた人だったんじゃないか、という気がする。その「城」(我が実家)でのストックの作り方、丘屋根での屋上の作り方、我が実家の骨格(重量鉄骨)、我が実家の車庫の作りなどなど、思うにつけて(一目瞭然だけれども)、親父の来歴が目に見えた気がした。と言いつつ、たぶん僕もその時期に、親父と接点を持っている。この日本で。親父は、師匠と「今回が3回目だよ」と言われたらしい。師匠はなぁ、そんなに頻回には肉体を持たれない方だから、それで3回目って言われたら・・・と、考えては見たけれども、こんな話題書いてみても、他人には通じませんね。僕は、たぶん日本は3回目以上だとは思う。
高校時代、不思議だったのは、古文も、漢文も、ほとんど勉強していなかったのに、見たら意味が取れた部分が少なくなかった。無論、わからない「原典」は、他の真面目な学生以下だったのに、わかる「原典」は、古文も漢文も読んだだけで意味が取れた。これって、昔読んだことがあったかどうか、だけか、なんていう気がした。要するいあれ、今回(今肉体を持っている自分が)必死で(単なる記憶としてではなく、)自分の生活感覚レベルに落とし込んで、「自分自身」の一部として落とし込んだ「記憶」は、次にも引き継げるっていうことではないかと、思った。
僕の高校時代の同級生に聞いて欲しい。理系の僕が、まさかの「国語で偏差値80」を、あの東京学芸大学附属高校で取って、「なんだあいつは」っていう話になったこと。答えは単純で、たまたま、その原典の当時に、出題された古文や漢文の原文を、僕は読んだことがあったっていう、それだけの理由だと思う。この「偏差値80」の話が嘘じゃない、って覚えていてくれてる同級生が、どれだけいるかなぁ。(あのぉ、話は盛ってませんから。)

話を戻して、なんとなく、記憶を遡って、僕が日本に肉体を持ったのはこれで4回目か、なんていう気がしている。最低でも、二連チャン。前回一緒になった親父に声をかけて、父親になってもらって、今の僕を育ててもらった。そんな気がする。同時に、欧州でも、中東でも、記憶があるような気もする。答え合わせは、まだ先。6回?無理かなぁ、どこまで辿れるか。まだ「我欲」が残っている僕には、これが限界かも。(「我欲」と言いつつ、自分が生きるための「仕事」で、関係者に迷惑をかけない部分まで「我欲」に括っては欲しくない気はする。)違っている確率の方が、高いです。僕は、肉体を抜けてから答え合わせをして(いや、僕だけじゃなくて、どなたも同じだと思うけど、)次の計画を立てる。これなんかもたぶん、どこの国に生まれても同じ。

わかっていない人が多いよなぁ、なんて思う。モノは、どれほど生きるために必要だとしても、肉体を抜けたら意味がない。ただ、こうして生きている間には、あれも必要だし、これも必要。親父、戦国時代の残像を、相当に引き摺っていたらしい。家の造りもそうだけれども、篭城のための「備蓄」の思考回路が発動されたら、半端なかった気がする。いや、師匠の講演会に15年以上通って、今感覚的に気づいた。親父の基本的な「思考回路」は、戦国時代人だ。トイレットペーパーは言うに及ばず、ネジ、電池、電球、蛍光灯、フューズ、その他もろもろ、「生命線」に近い、あらゆる消耗品の「備蓄」に、親父は相当に神経をすり減らしていた。昭和人だなぁ、というよりも、戦国人だと思った。コンビニが当たり前になった今を知ったら、親父は何を言いたいんだろうか。でも、コンビニの存在を当たり前に感じられる前までは、僕は、親父の生き方に、なんの疑問も持っていなかった。

再び、思う。「100Wの裸電球」を、捨てるか、出番が来るまで放置するか。