安物買い

僕の悪い癖。

100均で、100円ライターを買った。厳密に言えば、一個28円。税込110円で4個、組んでた。こう言うのを見ると、何も考えずに一番安いのを買ってしまう。条件反射か。昔は100円ライターって言ったけど、今は28円ライターだもんなぁ。

そうしたら・・・

最初の一つは、2割位残っているのに、着火しなくなった。着火だけガスの切れた別のライターで行って、なんとか中身を使い切った。

二つ目。3割位残っているのに、石が飛んだのか、火花が出なくて、やはり着火しなくなった。これも、着火だけ別ので今使ってる。

出歩く時は、三つ目を使い始めた。そうしたら、まだ7割位残っているんだが、火がついた後、炎が周囲に漏れて押している指の方まで回ってくる。着火状態でガスがリークしているんだろう。

四つ目。最初の2〜3回は順調。ただ、炎が異常に大きい。

この、最初のうちだけまともで、何回も擦ってるとだんだんおかしくなる、ってすごいな。今の「日本製」に慣れ切っちゃうと、この状況がなかなか受け入れられない。生産国?たぶん、ご想像の通り。

ここまで安いのも初めてだったけど、ここまで使い切れないのも初めて。こういう時は、毎回、今度は、リフィルできる、少し品質の良さげなのを買おう、とか、思うんだけど、つい条件反射で・・・

でもこれ、ライターの問題じゃない。私の条件反射の方が問題かも。変わらないなぁ。全然学習してない。

価値観

 

生きている意味

今こそ考えるべき。肉体生命が全てではない、なぜ人は肉体を持つのか、考えるべき時だと思う。
絶好の機会だとも思う。こんなことがなければ、こんな話題は考えないでしょ?
私個人としては、トスを上げてもらったら、とにかくスパイクを打つしかない。

この状況で、というか、もし想像できないなら、クルーズ船に閉じ込められた状態を考えてみたらいい。
お金を持っていて、地位が高くて、何ができるか。

ヒトが生き方を間違ってさえいなければ、地球は、とにかく優しい意識体だと僕は思う。というか、感じる。
都会から離れていたら、特にそう感じる。
それが、激しくなり厳しくなるのは、ヒトが、地球から与えられた環境を、与えた側の意識から見て、本来の意味のある受け止め方をしているかどうか、その一点だと僕はおもう。(師匠の受け売りだけれども、僕は、僕の言葉で書いています。もし解釈を間違っていたら、その覚悟はある。)
全てが、与えられていた。空気も水も。生きる糧となる他の生き物も。それをどう感じ、どう扱ったか、だと思う。

死ぬことを恐れて大騒ぎになってる。肉体が滅びたって、ヒトという意識体は、一貫して継続性を保って、意識体だけの世界に戻る。それは、師匠が講演会で話された前にも、イエス様も、ムハンマド様も、お釈迦様も、多くの方々が何度となく肉体を持たれて、言葉を伝えられた。どういう聞き方、受け止め方をしたんだろうか。結局、何?その言葉を伝える人に、金を払えば救われるって?お金を欲しがる神様なんて、いないと僕は思うな。いると思っているヒトが大多数なんだろうか。お金なんて、そもそも、この人間の世界での約束事にしか過ぎないでしょうに。神様相手ですら、お金を払えばなんとかなる、っていうその考え方が、僕にはどうしても理解できない。ほとんどの文化世界で、「神様」っていうのは、肉体を持っている世界を超絶した、意識体の世界での存在であるはずなのに、この物質世界、肉体を持っている世界だけの約束事の価値観を持ち出して、どうするつもりなんだろうか。

死ぬことは、怖いことではないと、これも、本質的にはあらゆる「宗教」で教えていないか?その部分は正しいと思う。
ただ単に、肉体を抜けるだけ。自分の愛車を手放して、車のドライバーではなくて、一歩行者に戻るだけ。この比喩が、おそらくは一番伝わりやすいと思う。

経済活動?手段にしか過ぎないはずなのに、そこにしか「価値観」を見出せないヒトが、あまりにも多すぎる。現代文明では、通貨を手に入れなければ、生存が難しい。それは事実だと思う。誰もが農地を耕し、漁に出る必要もなく、生きる糧を手に入れられる、効率的なメカニズムを人類は発明した。それは否定できないけれども、それは手段に過ぎないと思う。目的がなんだったのか、誰もが忘却している。「忘却」です。上にいた時は、肉体を持つ前は誰もが知っていたはず。なぜ、忘れるか。

わからなくもない、実際にこうして肉体を持てば、うまいものだって食いたいし、セックスだってしたい。肉体は、肉体自身の子孫を残すメカニズも持っているし、肉体自身を生き延びさせようともするし、そのための「指令」は、間違いなく出していると思う。肉体に入ったら、意識体である本来の「ヒト」も、肉体の持つ「意識」に振り回される、ように思う。ヒト以外の動物だったら、それが全てでも構わないとして、ヒトの「意識体」には、その意識体を創造された「創造主の意識」の一部を持たされていた、と、私は理解している。表現がどこまで的確かはわからないけれども、この表現が、今の僕にできる精一杯。

ただ、地球意識は、ヒトには、より上位の「創造主」の意識を継承するものとしての「役割」を期待していたと、私は理解し、考えている。ところが、多くの「人類の指導者」が方向性を誤った。主には政治家であり、宗教指導者が、良くても「経済」のことしか考えない。「経済」と言えば聞こえはいいけれども、要するに一部の人の金儲け。ひどい場合には、自分自身や、自分の周囲の利益のことしか考えない。その最悪の派生効果は、誰もがそれでいいと考えてしまうことだろうか。そうした方々が、人類の「意識」を汚染しているのだと僕は思う。というよりも、地球意識はその「汚染」を気にしているのだと思う。現象としては、確かに「温暖化ガスの排出」なんていうのがあるかも知れないけれども、それは、より目立って、目に見えやすい「行動」だとして、その行為の元となる意識の方が、地球意識にとっては、より、不快でならない、私は、そう理解している。間違っているかも知れないけれども、私はそう確信している。

意識体としてのヒトは、「死んで」も、実際には肉体を抜けるだけ。早いヒトで、2〜3日。どんなに遅くても10日あれば、意識体として覚醒して、いわゆる「霊」になる。要するに誰もが「霊」で、肉体に収まっているだけだと考えるべきだと、私は理解している。僕の親父なんか、葬式の準備をしている僕のそばに来ていたし、自分の葬儀場にも、既に覚醒して、来ていた。おかげで僕は、親父の「遺骨」を葬儀場に置き忘れて帰りかけた。骨よりも本人でしょう、と僕は言いたかったけど、そこは「儀式」だもんなぁ。言われたままに「戒名」の謝礼を払ったけど、高すぎるでしょう。本人がそばにいるのに、なぜ、そんな金を払う必要があったのか。僕の時は、葬式も要りません。墓も入りません。僕は「あ、肉体抜けたか。」とそれで済ます。お寺さんが文句を言うなら、じいちゃん、ばあちゃん、親父、お袋、それに僕自身も含めて、全部の遺骨をまとめて、庭にばらまいて、「お墓」も取っ払ってくれたら、それが一番「処分」に金がかからなくて済むと思う。親父は間違いなく、もう、上に戻ってるもの。お袋はわからないし、意識が拾えない。けど、肉体を抜けちゃったら、遺骨なんて、それこそ、乗り換えた後の車のスクラップだもの。次の「新車」を物色している頃だと思うな。じいちゃんも、ばあちゃんも、みんな。
こう言うことが、「真実」として広まると、あらゆる「宗教家」が、金に困る。ビジネスが成り立たなくなる。詐欺師と一緒なんだから、人の心の弱さにつけ込む「ビジネス」は、やめた方がいいような気がするけど。無論、中には本気で「人類を救済する」つもりの方もいらっしゃるかも知れないけれど、霊体さんの存在を感じられないなら、止めるのが正解だと僕は思う。話が逸れ続けた。やめれ、ってば。

なぜ、大騒ぎする?みんな、いつかは死ぬのに。生きている今、やるべきことをやっていない、それを自覚したから騒ぐのか?違うなぁ。もしかして、みんな、漠然と、自分は永遠に生きると思っていませんかねぇ。だから、「死ぬ」なんて「他人事」だと思ってるでしょ?それを、やっと「自分も死ぬ」と意識し出して、それで怖がってるのかなぁ。いや、違うな。何も考えずに、「新型コロナ」も、訳のわからない「エンガチョ」で、よくわからないけれども、みんなが怖がってるし、たくさん死にそうだから怖い、とそれだけだろうな。「正く怖がってる」ヒトが、どれだけいるか?疑問だけれど、それもどうでもいい。

お金を持つことが「価値」じゃない。自分が今持っている能力で、何ができるか、それを提供しつつ、周囲からは「相手の個性」を感じ取って、自分の経験として蓄積する、そこに「今、肉体を持っている価値」があると思う。話は逸れるけれど、僕はマイクロソフトは嫌い。ただ、ここ10年来、ビル・ゲーツさんは、尊敬に値することをされている気がする。「お金」をどう活かすか。個人だけではなく、それが「国家」だとしても、誰に対して何ができるか。そこに集約される気がする。

やっと今日は、今日の分を書き尽くしたかなぁ。こんなに長いと、誰も最後までは読まんでしょうに。それを承知で、よく書くねぇ。
誰も読みそうもないから、書いておく。
創造の経緯は、「アフリカ豚熱」とほぼ同じだと思う。人類に対しても、致死率ほぼ 100% のウイルスが、既に地球上には存在している。
元となるウイルスは、エボラ出血熱だと理解している。つまり、エボラの流行地域のそばに、住民の死に絶えたムラがあり、いつそこから外に出ていくか、秒読み段階だと、私は理解している。致死率が100%近いウイルスが拡散した場合、ヒトはどういう対応をとるだろうか。

人工呼吸器

どこの国か、気にしなかった。
ニュースを見ていたら、「人工呼吸器の数が、絶対的に足りない」とか言っていた。アメリカ?あ〜。

以前は、日本国内にも人工呼吸器のメーカーがあった。結構いい製品を作っていたらしい。それが倒産した。なぜか。
バブルの際に、銀行から無理やり「貸し付け」をねじ込まれて、お金を借りた。
一旦借りてしまうと、返済計画とか、結構ずさんになるみたいで、当然、借りたままでいられるお金として事業を継続したらしい。
ところが、バブルがはじけた途端に、今度は「貸し剥がし」に遭遇した。とにかく、金を返せと。その「貸し剥がし」で、資金繰りが成り立たなくなって、倒産したらしい。バブル崩壊後の「貸し剥がし」による倒産は、業種・業態を問わずに、至る所にあったらしい。

そんな訳で、今は国産の「人工呼吸器」メーカーはない。
念のため、ググったら25社が作ってると出てきたけど、本当?日本光電って呼吸器作ってたっけか?輸入販売だったらわかるけど。メーカーのリストを見たら、「吸引器」も「人工呼吸器」と同格に扱ってる?認識が違うなぁ。投資家向けのサイトか?わかってサイトを立ててるんだろうか。

なんだか、「中国が人件費が安い」とか言って、国内の製造業が軒並み中国に工場を移転して、今になってみたら、国内で対応できるメーカーがなくなってしまった、なんていう話に似ている気がする。目先の金に動かされて、足元のビジネスが壊れる。壊れたら、もう、簡単には元には戻らない。だいたい、煽りを食うのは、中堅以下だから、政治家の視野には入っていない。
スモール・ビジネス・アウト・オブ・眼中・オブ・政治家。
バブル崩壊の時の、金融機関の凄まじさの後遺症、だと、僕は思う。医療機器メーカーも、ずいぶんと倒産したみたい。

日本もねぇ・・・人工呼吸器、今からでも、補助金出して開発製造させたら?
たぶん、日本でも絶対数が足りなくなる。

医療機器の場合には、もう一つ国内の「学会活動」までおかしくなった要因があった。

「倫理基準」で、あらゆる開発行為が「人体実験」とみなされ、ちょっとでも手順を誤ると、マスコミ(特に、A紙とか、Y紙とか、M紙とか)が、ここぞとばかりにキャンペーンでバッシングにかかる。それで、学会関係も萎縮してしまって、日本生体医工学会なんて、規模がとんでもなく小さくなった。

ヒステリックに叫ぶ人たちがいる。マスコミがそれを煽るから、怯えて何もできなくなる。

僕が以前、所ジョージさんの番組(番組名、忘れた)の制作協力を引き受けたことがあった。「人は熱中すると、時間を短く感じるか」みたいなテーマだったと思う。(目がテン、だったかなぁ。)その実験監修を引き受けた。番組制作側から提案があったのは、「時計のない、窓も閉じたままのホテルの部屋にこもって、ひたすら漫画を読み続けて、正しい時間を(確か、朝から漫画を読み始めて、「お昼」だと思ったら合図する、だったかな、)感じられるか、みたいな「実験」だったと思う。

その「実験監修」の番組協力の、テロップ掲示の是非を大学に打診したら、事務方から、「そうした、人を缶詰状態にして何かをさせるというのは、人体実験とか、拷問だとか言われかねないから、大学名を出すのはやめてくれ」と返事が返ってきた。
え?部屋にこもって、ひたすら好きな漫画を読み続けるのが、拷問?人体実験?倫理違反?嘘でしょ?

いや、普通の人は「別にいいんじゃない」と思うんじゃないか、という気がする。ところが、ごく一部、そういうのを「人体実験」だ、「拷問」だ、と騒ぐ人がいて、マスコミがそれに便乗して、大学関係者や、研究者を叩く、鬼の首でも取ったみたいに、キャンペーンで、「どこそこ大学の研究室が、倫理規定違反の実験をしていたことが判明しました。」と、テレビのニュースで流す、そのバッシングに遭遇した「研究仲間」の話を聞いたり、大学に火の粉が飛んだりするもんだから、もう、萎縮してしまって、「新規の医療機器開発」なんて、怖くてできない風潮になった。それが今の日本、だと思う。

資金面で絞られて、研究の基礎となる「実験」に足掛けをかけられて、こんな面倒なことはなくなった。もう、いいじゃん。人工呼吸器だって、輸入すればいい。製造元の国が「不足」って言ってたら、日本に入ってこなくたって、銀行が目先の金に走って(当時の大蔵省の指導か?)国内メーカーを潰したんだから、諦めたらいいんじゃない?
人工呼吸器さえあったら、助かった命だったのに。でも、人工呼吸器が足りなくて、回ってこなかったんでしょ?だったら、それは「助からない命」だと思う。日本の政治がかつて決断した、その結果の「運命」だとは思いませんか?そういうのを、タラレバという。もしくは、因果応報ともいう。当時、業種業態に拘らず、貸し剥がしの強行を決断をした方々が、今は「高齢者」に該当しているんだろうな。あの頃、何かとヒステリックに「問題視」した方々は、今どうしているんだろうか。当時闇雲に、無差別に新聞でキャンペーンを張って、「人体実験」を吊し上げにかかった方々も、今は「高齢者」か。

「当たり前の日常」が失われた。そうかなぁ。「致死的な要因」なんて、新型コロナウイルス以外に山ほどある。僕らは、そういうのと共存している訳で、みんなが騒いでいるから「新型コロナ」で大騒ぎになってるけれど、他にもあったのに、みんな気にもしていなかっただけじゃないかなぁ、とも思う。

そもそもが、「高齢者」も「持病のある人」も、昔だったら死んでいた。もとい。肉体を抜けていた。
大切なことは、「長く生きること」ではなくて、「今、生きているという時間を、いかに有効に活用し、今回肉体を持った経験を、次につなげることができるか」ではないか、と、僕は思う。僕の場合には、「目的」があった。(こうした文章を、ひたすら書き続けること。)ただ、一般的にはもっと漠然と、多くの人と出会って、他の方の生き様に共鳴し、自分の生き様を見つめ直すこと、かな、と思う。

金持ちになる?金を稼ぐ?なんの意味があるのよ。例えば、今回こうして「新型コロナ」が世界を騒がせている。資産が100億円以上ある人、とか、世界中にかなりいるみたいだけれど、その方々は、「新型コロナ」に拘らず、楽しい日常を過ごせるのかな?大豪邸に篭って、ひたすら一人で楽しむ?当面世界旅行はできないでしょ?「俺には関係ない」とか豪語できるのならいいけど、もし株式資産があるなら、今後どうなるか。その金を、もっと「人の役に立つこと」に向けたら良かったのに。資産が「100億円以上ある方」の所得税を0.1%増やし、それを世界の様々な問題解決に回しただけで、劇的に状況が改善する、なんていうNPOの記事もあった。(細かい数字は覚えていない。)さて、どうするんだろう。人非人になるか?

もっと、本質から考えたら?死んだって、肉体から離れるだけで、それで「終わり」じゃない。そういうことって、キリスト教でも、仏教でも、イスラム教でも教えていなかったっけか?なんだ?敬虔な信者だとか言いつつ、実は、全然信じていないのか?加えて言えば、肉体を抜けた後、普通の人は下に落ちた後、いずれはまた上に戻り、さらには、次に肉体を持つ機会がある。そういうサイクルが存在しているよ、と、僕は理解している。
そこまで細かくなくても、「死んだって終わりじゃない」と、宗教で教えてもらっているのなら、その考え方に身を委ねてみたら、別に新型コロナに感染したって、全然怖くないんじゃない?どんなに歳をとっていようが、持病があろうが。
怖がって騒ぐ、ってことは、要するに、イエス様にせよ、ムハンマド様にせよ、ゴータマ・シッダルーダ様にせよ、全然信じていなかった、ってことか。底が浅いね。

自然の恵みに感謝する。生活の糧が、自然から得られる。それを元に、先人の知恵で、直接生産活動に従事しなくても「生きる糧」が得られる。そうして、平穏な日常がある。それら全てに感謝し、地球の豊かな自然に感謝し、命あるものを殺して生きる糧として食す以上は、その命に感謝し、そうした意識を取り戻せば、案外この危機は乗り越えられるんじゃないか、という気がしている。

無論、今回こうして、この危機を経験させていただいている、なんてことも、「今、生きている」からこその経験で、その「生きている経験」を少しでも活用するためには、人工呼吸器だって、検査器具だって、大切だと思う。(僕は、教職も含めて、今はそのどちらの業界とも関係ありませんが。)言ってることが矛盾してる?してねぇよ、細かい表現を使い分け切れていないだけで。文句があるなら、論争するか?このページ、両極端の話を書いてるけど、一切矛盾のない説明はできる。(面倒くさいから、あちこちで言葉を端折ってるだけ。)

大震災もそう、津波もそう、原発事故もそう、台風もそう、洪水もそう、そして新型コロナもそう、みんな、今の自分の生き様を見つめ直す、いい機会じゃありませんかね?そこのところがわからなかったら、まださらに、次があると思う。まだまだ、スケールアップする余地が、いくつも残ってる。人の意識次第。

医療破綻?

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200325/k10012349681000.html
東京 新たに40人以上の感染確認 新型コロナ

よせばいいのに、ニュース配信を見てしまった・・・

<新型コロナ>PCR検査、日本2万件 なぜ増えない? 高齢者ら受診優先 医療崩壊を回避
https://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/202003/CK2020031802000154.html

Q 日本で件数が増えないのはなぜ?
A 政府の基本方針は、地域の患者が大幅に増えた場合、軽症者は自宅での安静、療養を原則としています。死者や重症者を出さないため、高齢者や基礎疾患がある人の受診を優先するためという理由です。

なんだか変じゃありませんか?

(検査件数は)おおむね一日千件台で推移しています。

高齢者や基礎疾患がある人の受診を優先

それはわかるとして、検査能力の上限にはまだまだ余裕があるのに、検査をしていない、ということだと思う。

日本でもベッド数の不足や、医師や看護師への感染が起きないように

要するに、こういうことか。検査をして感染が確認された人の数が増えると、病院で対応しなきゃならないから、病院で対応しなくてもいいように、検査をなるべくしないようにしている、と。

その結果の、今日一日40件。つまりどういうことか。これまで、全然症状なんか出ていないから、検査を「自制」していた若い(10代から30代くらいの)方々が、元気いっぱいにウイルスを拡散させ、それが十分に拡散して潜伏期間を過ぎたために、一気に数字が増えた、と、そういうことではなかろうか。

高齢者や基礎疾患がある人たちは、そんなに外を出歩かない。若い人たちは、症状が出ていなければ医者にもかからなければ、自分がウイルスを持っているとも思わないから、普通に生活して、どんどんと拡散させる。若かろうが、症状があまり出ていなかろうが、同じように、とにかく早いもの順で検査能力の上限いっぱいまで検査するというのが、正しいアプローチだったんじゃなかろうか。

東京には地方から人が集まり、また地方に戻っていく。ということは、東京を発信源として一気に感染者数が増えてくると思う。

僕の個人的な予想。たぶん、3月中に1日の「新たな感染者」が100人を超えると思う。実際には、おそらく数千人から数万人が感染していて、その大半が検査対象から漏れて、拡散させていたんじゃないかという気がする。

ずいぶん前に、サッカーの試合で、エース・ストライカーを最初から投入せずに、前半に3点とか4点取られた試合を見たような気がする。(そのエース・ストライカーが、誰だったかなぁ、思い出せない、仮に本田だとして)解説者は「本田圭佑選手(仮)を温存して、相手が疲れた頃に投入して、一気に勝負をかけようという采配でしょうか。」なんて言っていたけれど、結局、後半投入したものの、追いつけずに負けた試合があった。確かその時は、深夜のスポーツニュースでも、ネットでも、監督の采配をクソ味噌にケナして、「なぜ、最初から本田(仮)を投入しなかった」と非難の嵐だったのを覚えている。完全に裏目に出た感じ、というか、細かいところは全く覚えていないけれど。

たぶん、それと同じ。医療機関のキャパを温存しようとして、その間に感染者を検査もせずに、ウイルスを拡散させてしまった、ということだと思う。(あまり適切な比喩じゃないなぁ・・・)

もし、僕の読みが当たって、今月中に東京で「1日の新たな感染者が100名を超えた」りなんかしたら、もしかしたら、山手線も、中央線も、埼京線も「運行停止」にせざるを得なくなるんじゃなかろうか。
1月にも、先月も、なぜ検査しないと書いた記憶があるし、WHOも検査、検査、って言ってるのに、日本は我が道を行く。「確認された病人」を増やしたくないから、検査をしないで、病院機能を温存する。

安倍さんの発想だと思う。モリもカケも、サクラも「事実認定」しない、事実を隠蔽してしまえば、なんの問題もなかった。実際、国民なんてチョロいもので、選挙になれば、また安倍自民党に票を入れる。新型コロナについても、同じやり方が通じると思ったんだろうな。検査さえしなければ「感染者数」は増えない。「日本は、こんなにもコロナをコントロールしています。」アホか。誰を騙すつもりだったんだろうか?ウイルスを?世界を?国民を?本当に人間って、愚かなくらいに、同じ行動パターンを繰り返す。

4月中に、一気に1万人の大台に乗ったとしたら、それは完全に政府の失策だと思う。上限いっぱいまで検査して、押さえ込むべきだった。日本は欧米と違って、握手したりハグしたりなんていう文化じゃなく、それが感染拡大の歯止めになっていたと思う。けど、こう野放しじゃ、抑えられるものも抑えられないと思う。

「検査すべきだ」って、同じ話題で3回も書いてしまった。これで最後だろうな。もう遅いと思う。
「医療破綻を回避」するんじゃなくて、アメリカみたいに、「ベッド数を確保するために、イベント会場なども改造する」くらいの覚悟で、とにかく調べて、序盤で、検査能力の限界まで調べるべきだったんだと思う。

未必の故意

未必の故意
https://imidas.jp/judge/detail/G-00-0093-09.html

この話題、たぶん相当に遅れている。ウイルス感染を告げられた人が、「移しまくってやる」とか言って、キャバクラかどこかを訪ね、そこで接客した女性従業員が感染した、というお話。とあるニュースサイトによれば、その女性、泣きじゃくったそうな。

もし、その女性従業員に高齢だったり、持病があるご家族がいて、その高齢のご家族が亡くなられたりしたら、その「移しまくってやる」と言って「飲食店に2軒立ち寄った」方は、「未必の故意」による殺人罪の適用か、あるいは、民事でも殺人に相当する損害賠償請求ができるんじゃないか、と思った。

というのは、「大したことないだろう」とタカを括って、結構な規模のイベントを強行しようとしている方がいらっしゃるみたいで、それが「未必の故意」になるのか、「認識ある過失」になるのかは、なんとも言えないけれども、確かに確率的に低いとは言え、やめた方がいいような気がする。

僕ら、ソフト屋は「マーフィーの法則」が、なぜかわからないけれど、不思議と正しい気がしていて・・・「起きて欲しくないことほど、起きる」みたいな。

この組み合わせの時に、このボタンをクリックすると、「落ちる」みたいな。いや、無意識に「ヤバそうだ」という予感はあるのに、そのパスが読み切れていない。そういう時は、他人に使わせるのが一番。(でも、お客様は、まずいでしょう・・・)最初から分かっていたら、ちゃんとパッチを当てるというか、修正するんだけれど。

漠然とした予感がある時に、その「落ちるパス」を、自分で辿りたい。それなのに、なぜか自分でデータを入れてテストをすると、不思議と「うまくいくパス」だけを通ってしまう。ベータ版ではなんとかしたいが・・・

経済活動

我が家は、どちらかと言えば貧乏だった。今でこそ僕は、「持ち家」に住んでるけれども、それは親父とお袋のおかげ。
僕が子供の頃は、とにかくドケチだった。親父とお袋は、ケチってケチって金を貯めて、僕がBMWを相続させてもらうくらいになった。

学生時代は、学問よりもバイトの方が大事だった。その一方で、「お金」というものを悪いもののようにも考えていた。
物語、小説、ドラマ、あれやこれやで、よくあるテーマ。金持ちがよく描かれていないのは、少なくない。金さえあれば、なんでもできるか、いやそうじゃない、人の心は買えないでしょう?的な、勧善懲悪的な、そういうテーマのドラマとか、小説。よくあるでしょ?僕は、「そういうものか」とも思っていたし、自分が金持ちの生まれじゃなかったから、金持ちが悪役に描かれるものは、小気味良かった。

学生時代は、とにかく情緒不安定だった。だから、宗教勧誘的なものにも、結構首を突っ込んだ。ほとんどの宗教が、「お金」を大切に思ってはいけません、的な感じだった。その部分には、共感した。ただ、結局3回、4回と足を運ぶうちに、それ以外の部分の偽善というか、論理矛盾というか、論理以前に感覚というか、どうにも納得できない部分が増えてきて、結局どこも、3〜4回で足を運ばなくなった。僕の、この疑り深い性格。師匠の講演会ですら、最初のうちは「この人は、一体なんなんだ」みたいな感じだったから、それでも通い続けたのは、根底に別のものがあったからだと思う。

結果から言えば、僕は30代の頃から「僕は、誰かをサポートするのが、一番大切な使命だ」と思うようになった。「使命」というのが間違いだとしたら(いずれ、肉体を抜けてから答え合わせしたらわかる、)それでも、「自分が決めてきたこと」だ、という強い確信はあった。ただ、その「誰か」が誰なのかが、どうにも掴めずに、迷走していた。師匠の講演会に通うようになって、「この人だ」と思えるようになるまでに、2〜3年はかかったと思う。けれど、あらゆる疑問は、全部潰せた。「今はどうなの?」あ、はい。何でも聞いてください。

その師匠の講演会で、「お金は、大切だよ」という話題があった。人類は「貨幣」を発明したから、「生きるための労力」を軽減し、人間が本来持たされている「目的」のために、より多くの時間を費やせるようになったんだよ、と。その人間が本来持たされている「目的」というのは、一人でも多くの人と接して、それらの人々を理解し、それらの人々から自分とは違う生き方を学んで、エッセンスを自分の中に取り込むこと。(この表現は、僕の理解している内容であって、師匠はこの表現は使われていません。)つまり「お金」があるから、「誰もが畑を耕す」ことなく、食糧を得ることができ(中略)価値を交換して、生活を維持し、豊かにできる、そういう結果になっている。このことは、経済学の原則、「通貨」の役割だとかとも、一切矛盾しないし、自分自身の生活感覚からも、違和感はなかった。ほとんどの「宗教」で、「お金は悪だ」みたいに言いつつ、凄いところになると「悪だから、教団が全部預かる」みたいな話になってくる。迷い多き子羊でしたから(僕は、狼じゃありません・・・)あちこちの宗教に首を突っ込みつつ、この気配になると、僕の天邪鬼が頭をもたげて、「誰があんたらに金を預けるか」の方に振れてくる。そうじゃない人、多いみたい。僕は、どうぞご自由に、ってな感じだけれど。他人に迷惑をかけさえしなければ、自分が納得できるようにしていたらいい。

話を戻す。それでも、やはり、これも師匠は講演会で触れられている。お金を持っているから、肩書きが上だから、だから自分が他人より上だ、という目線の方々は、やはり「人として」間違っていると。そうなっちゃいけない、なんていうのは、あまりにも当たり前。だから、このテーマは、そんなにしつこく話題にはされていない。たまに、新しい会員の方が参加されている時に、こうした感じの話題に触れられることもあるけれども、僕はそういう時は、今度の新しい会員さんは、そういう意識を持たれているから、この話題が、また出たのかな、とか、考えたりもしている。実際、そういう方はかなり多いと思う。

さて、本題。
新型コロナウイルス、COVID-19のおかげで、全世界で「経済活動が停滞」しているみたい。いつまで続くの?それはもう、人間次第でしょ?人が、人として「あるべき姿」に戻ろうとしている、と、地球意識が感じたなら、いつの間にか消えてなくなる。
同じことは、中世のヨーロッパでも起きた。「黒死病」はペスト。エボラ出血熱の原型となっているウイルスで、内出血を起こすから死体は内出血した血でどす黒く変色して、だから「黒死病」。ネズミが媒介するから、そのネズミを駆除したので、終焉を迎えた、なんていう都市伝説があるけれども、そもそも、動物がウイルスを媒介するなんていう知識が、当時あったか。ついこの間、Googleのバナーば「手洗い」を推奨した感染症の医師を取り上げていたけれど、ネズミと「黒死病」を結びつけた学者がいたとしても、中世に世間がその対策に協力したとは、とても思えない。「目に見えない病原体を、ネズミが媒介している」などと、学者がそれを見つけたとしても、間違いなく誰も相手にしなかったと思う。ジェンナーの種痘、センメルヴェイス・イグナーツ、パスツールにコッホ、「世間に納得してもらう」のに、どれだけ大変な思いをしたか。ヨーロッパがこぞって、ペスト対策で、ネズミを駆除したおかげで、ペストの流行が収まった?有り得ないと思う。
「迷信」の方が正しいかもしれない。当時は、まだ人々が「信心深かった。」神を畏れた。自らの行動について内省した。個人的に、僕はそっちじゃないかなと思う。

「経済活動」も、人々が、自らが生きるために必要なお金を得るための活動ならば、当然のこととして、上の方の「意識体」の方々が非難されることはないと、私は理解している。それは例えば、漁に出て魚を獲る、狩で動物を仕留める、その際に、生きる糧として、限度をわきまえて、そこに魚や獲物が存在していることに感謝しながら得ているならば、それが命を奪う行為であっても、自らの命を養うためとして認められるものと、私は理解している。あれほど戒律が厳しいイスラム教ですら、ムハンマド様は、「例外」として、自らの命が危うい時は、ハラールを満たさないものでも食して構わないと伝えられたと、私は理解している。問題は「必要かどうか」だと思う。

明らかに問題なのは、「経済」を口にする人々、それを口実に「政治」を行う方々が、とにかく、自分が生きるために必要というスケールを遥かに超えて、貪欲に、闇雲に、ひたすら「金を儲けるため」に地球の「資源」を貪っている、そうした「活動主体」を支援している状況だろうか。
多くの政治家が口にする「経済」は、普通の人々が安心して「生存」し続ける枠組みを提供することが目的ではなく、普通の人々の生存を危うくしてでも、一部の人がより多くの金を儲けることを目的としている、そこが、致命的な誤りではないかと、僕は思う。

地球の意識体は、巨大だ。多くの動物たちがそれを感じ取りながら生きている。単に「巨大」なだけではなく、「緻密」でもあると思う。イエス様、アッラー様、ゼウス様、それらの方々よりも、さらに桁の違うエネルギー量を持つ意識体、だと、私は理解している。「経済活動」に対するスタンスが、前者か後者かなどは、当然把握された上で、今回のウイルスを表に出されたのかもしれない。だとしたら、僕らはどう考えて「今後の生活」を模索するべきなのか。無論、書いている以上、私自身の「答え」は持っているけれども、書けば「反感」しか招かないと思うので、書かない。誰もが自分で考えればいいだけの問題だと思うし、考える人が少なければ、あるいは、考えて答えを出したとしても、それが「場当たり的」だったり見当違いだったりしたなら、ウイルスが消える、なんていうことは起きないと思う。「医学の力」や「政治の力」でねじ伏せられると思いますか?さすがに「政治」の方は、多くの方々が懐疑的になっているかもしれないけれども、じゃぁ、「医学の力」だけでなんとかなると思いますか?

「価値観を改める」、っていうのは、実は「消極的な選択肢」つまり、パンデミックを防げなかった時に、誰もが「諦めて」到達せざるを得ない社会状況で、人々が「考え方」を変える経過を指している、訳じゃない、と僕は理解している。そうした最悪の状況を招いてしまてからの対応ではなく、逆に、ウイルスを自然消滅させるために、人々が持つべき意識、ということではないかと、自分は理解する。

ですけどね、たぶん無理だろうな。例えばトランプ大統領が、「金儲け主義」ではない種類の「経済活動」に目を向ける、とは、到底思えない。それは、日本もオーストラリアも、中国も、どこも同じ。っていうことは、どういうことはは、書かない。適当に考えてみて下さい。

ABC分析

世間でよく言うところの「ABC分析」を、厳密に理解している訳ではないけれど、僕のザックリとした理解では、
A: 6割とか8割くらいをカバーする、基本的な部分
B: 多少「基本」通りでない部分もあるけれども、割とよくある、あくまでも「通常処理」としての、特別な処理を含む部分
C: かなりのレアケースではあるが、稀に発生する可能性のある部分に対処する、例外処理的な部分
と言う感じだろうか。

当初、システムを受注する際にこちらの思惑としては、「AからB程度までをカバーします。Cの部分は、今回はシステム外で対応してください」的な感じだっただろうか。
作り手として、Aだけだったら、それはやはりプロは名乗れないと思う。Aだけなら、チョコチョコっと、それこそ「すぐ」にできるような感じだけれど、Bまで含めるとなると、それなりにスキルや、場合によっては業務経験や生活経験も求められてくる気がする。
営業で動いてくださっている方の思惑も、このBまでだったと思うし、当初は僕自身もそのつもりだったように思う。また、先方もそれは理解して下さっていたように記憶している。

ただ、今後の展開を考えると、Cの「例外処理」的な部分に、一体どんなケースがあるのか、ある程度把握した上で設計しないと、いざ、Cに対応しようとすると、システムの基本設計から見直さなければならない場合が出てくることになる。それが気になったので、打ち合わせの度に、どんなケースがあるのか、把握しようと質問を繰り返した。これが「敗因」だったかもしれない。質問を繰り返すうち、僕自身もそのCの部分を今実装しなければならない感覚になり、先方も、そのCの部分まで作ってもらえるものと、両方で思うようになった。
その結果、多分僕は、営業さんの懐にダメージを与え、無論、僕だって上乗せ分のお金をもらえる訳じゃないから、お客さんには「納期」でしか迷惑をかけてないけれども、作業量が当初の見積もりの3倍以上に膨らんでいる感じがする。

悪いのは、たぶん僕かもしれない。質問をすべきではなかった。もし、次の段階でCを含めるとして、「基本設計」から見直す必要があったなら、それは「別作業」として、工期も、金額も見直すべき、だったのだろうと思う。今のやり方なら、無論「次」の作業量は大幅に圧縮されるから、お客様にはマクロに見て迷惑はかけていないけれども、結果的に「山田うどん」の「かけうどん」=280円に、その料金のままエビの天ぷらと温泉卵を載せて、パンチの小鉢までつけてしまった感じ。(埼玉の県北人でないと通じにくい比喩で、すみません。)

ABC分析は、商品の仕入れから、あらゆるビジネス分野で使われているから、この比喩が一番通じやすいんだろうけれども、いかに自分がビジネスの人間として未熟か思い知った気がする。

医療機器メーカーの組み込み系のプログラムを書いていた時も、まさに、このCのケースとの格闘だった。最初、自分の体でデータ処理を試す。自分の体で完璧にデータが取れるようになって、周囲の人で試してもらうと、だいたい10人のうち一人とか二人は、うまく処理できないケースが出てくるので、そこに対応し、10人全員のデータが完璧に処理できるようにプログラムする。それを、社内全体に協力者を広げてデータ採取に協力してもらうと、50人分のデータから、また数名とか場合によっては想定外の年齢層から10名とか、対応できないデータが出てくる。そこに対応し、めでたく、提携している医療系の研究機関で臨床試験に臨む。そうすると、100人とか200人から、また数名ないし十数名、うまく処理できない。この先、1000人、10000人となったら同じことの繰り返し、だけではなく、例えば、わずかな「加圧」が「痛い」とか、じっとしていられない(体動)とか、もう、この壁を超えられなかったら商品にならない「壁」は分厚い。

トノメトリの開発では、この100人からの壁の突破が、僕にはできなかった。と言うよりも、同じ時期に、バブルの崩壊に派生したアレコレがあり、粉飾決算みたいな話もあり、(実際に、その後「粉飾決算」として問題になった、)なんだかんだで、僕は逃げた。(逃げた、とも思えるけれども、「もういいや、次」みたいな感じで、青年海外協力隊という、全く異なる「人生経験」にステップを進めた。結果から言えば、だけれど。)あの経験を、「肯定的」に捉えるか、「否定的」に捉えるか。いずれにせよ、「トノメトリ」が「新世代の血圧計」として世に出そびれたのは、僕にかなりの責任がある気がする。「壁」を越えられなかった、「壁」を越えることに固執しなかった。そうも考えられる。

生体のデータ処理は、「例外処理」の塊で、教科書に書いてある「正常範囲」なんて参考データ程度にしかならない気がする。個人差が大きすぎる気もする。それよりかは、ビジネスフロウの方が、まだ処しやすい、直感的にそんな気はしている。腐らずに、頑張ろうか。

この例外処理(と言うよりも、「次に何が欲しいか」の方が多い)に対応するために、基本設計を書き直した。その判断は、たぶん正しかったんだろうと僕は思う。ただ、今朝から改めて、組み合わせの派生を辿っていて、「場合分け」の複雑さに、いささか辟易している。人間って、こう言う例外処理を「当たり前」に処理しているんですよね。具体例を書けないけれども。
天ぷらを、醤油がなかったら塩で食べちゃう感じ、と言うか・・・(あんまり、いい比喩じゃないけれど。)

そうなんだよなぁ、卵かけご飯に、醤油がなかったら、塩でもいいし、バジルソースでも、オリーブオイルでも、ニョクマムでもいいし、ガラムマサラでも、メープルシロップでも、そう言うのを一切「例外」としない設計、っていうか、CをBとして扱う基本構造っていうか、それをやってのけるのが、プロなんでしょうねぇ。(→→→自分。)

どうでもいいけど、Python の言語の名称は、ヘビのpython からではなく Monty Pythonから取ったらしい。C言語は、元はB言語で、そこからスケールアップしてCになった、と記憶している。その B言語の名称は、言語設計者のガールフレンドのイニシャルだったらしい。ベティさんか、ベスさんか、確かそのどちらか。いいねぇ。青春の日々。
うっかり、嫁と全然関係ないイニシャルか何かをネーミングしちゃったりしたら、夫婦喧嘩のタネにしかならない。過去に浸る恍惚の人。

朝っぱらから、何を寝ぼけてるんだか。ってか、「知恵の輪」が解けない気分。どうしましょ。

起承転結

物語で言えば、起承転結の「起」が終わり、「承」に差し掛かっている感じだろうか。
「承」の展開次第では、相当に「転」と「結」とが変わってくる。どうなるんだろう。
個人の行動に基づく結果では、「決定事項」なんて極めて限られていて、我々自身の自覚と、判断と行動次第では、結果はいくらでも変わるものだろうと私は思う。それは、集団の行動についても同じなんだろう。

師匠の受け売り。地球にも意識がある。人類があまりにも「あるべき姿」からかけ離れてくれば、あるべき姿を取り戻すように働きかけをする。今の私たちは我欲の塊りみたいなところがあって、環境破壊に始まり、隣人を騙す詐欺に、相手が弱いと見たらとことん搾取したり、目に余る感じになっているんだろうか。科学技術が悪い訳じゃないと思う。昔は、「意識」としては今よりも悪い状況があったかもしれない。ところが、行動半径も限られていたし、できることも限られていた。さらに言えば、今よりも「信心深い」人も多かったのではないかと思う。結果として、顕在化しにくかったのかもしれない。それが、今や、航空機で世界中を「行動範囲」にして、重機であっという間に森を壊し、意識ばかりではなく、その結果が看過できない規模になったのかもしれない。

当初は「警告」程度だった。ところが、そもそもが「地球に意識がある」なんて言ったところで、そんなはずがない、証拠を見せろみたいな感じなんだろうな、「地球温暖化なんて、フェイクだ」なんていう偉い人の発言もあった。
地球の持つ「技」は多彩だと思う。気象現象以外にも、地震があり、津波があり、火山噴火があり、たぶんだいぶ前に、ウイルスを産み出すこともできるらしい、という話題は書いた記憶がある。
もはや「警告」の域を超えて、排除しにかかっているという話も書いた記憶がある。だから、手加減がない。人類の頭数を減らしにかかっている、そんな気もする。
今回みたいな騒動が起きてからこれを書いたら、悪い便乗だけれど、たぶん、去年の10月頃には書いたと思うから、今回の騒ぎに便乗して書いた訳じゃない。探そうと思ったら、バックナンバーから見つかると思う。
今だから書いておきたい。起きてしまってから書くと、「悪い便乗」になる。まだ、致死率が100%に近いウイルスが表面化していない。表面化していない、ということは、既に発生している、と私は理解している。今回のウイルス騒動ですら、まだ序の口というか、「予行演習」のような感じなのかも知れない。
これから一旦、「実力行使」が始まるんだろうか。もう、警告しても意味がない。そう思われているような気もする。

どこがどう悪くて、どう改めたらいいのか、なんていう話も、何度となく、というよりも、数え切れないくらい書いた気がする。
人間の実体は「意識体」。肉体は、古い言い方をすれば「乗り船」、今時だったら「自動車」。自動車が壊れても、運転手は車を降りて、別の車に買い換えることができる。
だから、「死」を恐れる必要はない。余程悪いことをしていない限り、今回が最後じゃない。全世界共通で、死を恐れるその恐れ方が半端ないな。結局、死んだらそれで終わりだと思っている、ということだろうか。

全世界の感染者数が19万人に届く勢いだ。死者が約7800人。こういう言い方をしたら語弊があるが、たったそれだけでしょ?核ミサイルが地方都市に落ちたとしたって、たったの一発でそれを遥かに上回る罹災者、死者が発生すると思う。ところが、その「核ミサイル」の廃絶の合意が成り立たない。病気は怖いけれど、自分たちが持っていて手放そうとしない核兵器は怖くない?どういう発想なんだろうか。どういう思考回路なんだろうか?これも、どこかに「合意」を一方的に破棄した人がいたなぁ。「温暖化ガスの排出」なんていうのは、ある種の「予備テスト」だったような気がする。人類がどういう判断と行動を取るか、値踏みされていたのかも知れない。結論は、「経済活動が何よりも大切」だったのかな?その判断に後悔はないんでしょうね。

「航空機での移動」は、大量の温暖化ガスを排出する。控えようよって言ったって、聞く耳を持つ人はあまりいかったのかも知れない。ところが、いざ実力行使されたら、航空機会社は何社が生き残るんだろうか。僕は、まだ始まったばかりだと思う。

中国では「完全に押さえ込んだ」そうな。そうかな?ちょうど世界で、医療水準が高く、検査も行き届いている国と、検査すらしていないから「感染者がゼロ」という国と、大きな格差があるように、中国の場合には、国内にその格差がある。中国政府当局が、経済活動に力点を置いて、医療資源を集中投下した都市部などでは、「感染を押さえ込んだ」ことになっている。ところが、実際には検査体制どころか、医療水準すらも都市部とは開きがある地方で、ちょうど世界で起きているようなクラスターがいくつも発生している可能性がある。逆に医療の空白が起きてしまった結果、地方では状況の把握すらできていない可能性が高いと思う。例えが適切かどうかわからないけれども、癌の切除治療で癌細胞が全身に散ってしまったような状況が今ではないか、という気がする。もし、そうだとしたら、散った先で定着したクラスターが、顕在化して来たら、中国で第二波が起きると思う。今の世界の状況を見ていたら、起きない方がおかしい。

各国の政府が一番心配しているのは、「経済活動」だろうか。当然ですね。現金収入が得られなくなったら、生活できない人も出てくる。経済活動が停滞したら、社会が崩壊する。まさに、その現実を突きつけられた訳なんだろう。ただ、結局、長期化したら、今現在の「経済最優先」という「価値観」そのものを根底から改めざるを得なくなる気がする。やり方が過激だよな、とは思うけれど、「地球意識」はヒト型の意識体ではないらしいから、情け容赦とかはないし、まさにピンポイントで、そうせざるを得ない状況に我々を追い込んでいるな、という気がした。

地球意識よりも、さらに上位の「創造主」はどうお考えなんだろうか。こういう、人間相手みたいな表現が不適切なのは、百も承知しているが、他に書きようがない気がした。致死率が高いのは、特に高齢者。(僕も、その直前。)意識体を創造された方からしたら、自動車をスクラップにしたって、ドライバを壊している訳じゃない、というよりも、意識体そのものは、創造主が直接消しにかからない限りは、ほぼ永遠の命とも言える訳だから、「肉体が滅びました」とか我々が騒いだって、だからなんなの?くらいの感じのような気がする。
私が思うに、致死率の高いのは「高齢者」なんていうのは、むしろ、可能な限り自然の状況に近づける温情みたいな気がする。ということは、これも実は「警告」なのかなぁ。

むしろ、あれかなぁ。筋肉マッチョの筋トレ談義みたいな感じで、「筋トレが辛いか?筋トレは、二択だ。頑張るか、もっと頑張るか、その二択しかない。」みたいな感じ。「この状況が辛いですか?だったら、二択しかないですね。耐えるか、もっと耐えるか。」耐える、というよりも、ライフスタイル全般を通じての「価値観」を改めて、経済オンリーじゃないよ、と、どういう生き方をしたらいいか、考えて結論を出す、いいきっかけだね、その結論を出すまで、従来の価値観にしがみついて、苦しみ続けるのを「是」としますか?みたいな感じだろうか。

各国が、「国境封鎖」に近いことをやっている。確かに、現在の価値観で言ったら、他に思い当たらないだろうなぁ。最もシンボリックにそれを表現したのは「自国第一主義」だろうか。誰かが口火を切ったら、多くの国がそれを支持し、全世界に「自国第一主義」が広まった。
仕方ないかなぁ。他人を思いやる、なんていう意識を全く持てていない「意識レベル」の霊体さんが、肉体を持っているひとの全体の4割程度は占めている。それが世界を席巻し始めたのだから、実力行使で止めざるを得なかったんじゃないか、という気がする。
発想としては、「高額の関税をかける」のと似ている。どこに行き着くか。第三波くらいで、経済の地盤が沈降する。

最近僕は、パンデミックというよりも、ペネトレーションの方が適切な気がして来ている。

国境を封鎖して、それで国内でピークアウトしたとしても、その頃には、どこの国でも国内経済が限りなく休止に近い状況に追い込まれるだろうと思う。そうなると、究極の「二択」で、「コロナ」か「経済」か、になるんだろうな。
自国第一で、他国での感染拡大を「封鎖」によって排除しようとする。それだと、経済が限りなくチョークしてしまうから、他国からの受け入れをした上で、医療の対象となる相手が、自国民でも他国民でも、差別がない程度にまで、「平準化」してこない限り、本質的な問題解決には至らない、そんな気がする。
経済力の強い国が、経済力の弱い国に対して、自国と同様な医療提供に働きかける。それをしない限り、常に国内での感染拡大に怯えるか、もしくは、経済が致命的に衰退するか、時間の問題で、そこに行き着く気がした。

クラスター

埼玉県内の感染者数が増えているみたいで、気になってググってみた。

都道府県別新型コロナウイルス感染者数マップ

https://gis.jag-japan.com/covid19jp/

越谷とか戸田、川口のような県南は、東武東上線沿線からだと生活圏が違うのであまり気にならないし、行田や入間とかも、あまり接点はない。ただ、川越に感染者がいたのでちょっと資料を辿ってみた。

埼玉県の情報提供の速報ページ

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/documents/yousei0310.pdf

リンクが切れてる。ファイルを何処かに動かしたんだろうか。Topから辿ると

https://www.pref.saitama.lg.jp/kense/shiryo/nyu-su/2020/3gatsu/index.html

18〜21例目、25例目の間が抜けてる。まとめてないんだよなぁ。手が回っていないのか。

厚生労働省の方から辿った。

新型コロナウイルスに関連した患者等の発生について(504~553例目)
(https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_10132.html)

埼玉県1」「埼玉県2」のリンク、なんとWord文書に飛んだ。

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000607074.docx
https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000607075.pdf

プロパティを開くと、ファイル作成者の個人名が載ってる。川越市の職員の方の個人名だろうか。情報公開の方法に、もう少し慣れた方がいいかも知れない。Wordの機能で「公開」用には「プロパティのライセンス情報を削除して出力」しないと。
川越のケースは

2月21日から3月1日 エジプト旅行
そのうちナイル川クルーズ船4泊

とあった。このエジプト旅行だけで、結構な人数になったみたい。行田の感染例は池袋のライブハウスらしく、とりあえず、経路の不明な感染ではないみたい。

エジプトって、そんなに感染者が出てるの?と思って、ググってみた。

新型コロナウイルス感染 世界マップ(日経新聞)
(https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-world-map/)

なんと、エジプトは、これを書いている現時点で、感染者数67。どういうことなんだろうか。クルーズ船の乗員とか、滞在先ホテルの関係者とか、大丈夫だったのかな?

クルーズ船の乗客は、おそらく世界各国から集まっていたんだろう。割と欧米とかが多いイメージだけど、中国からとか、アジア系の旅行者も最近は多いのかも知れない。エジプトのナショナルは、ほとんど接点がなかったんだろうか。もしかして、調べていないだけ?

「確認された感染者数」は、明らかに検査能力の影響を受ける。検査能力が低ければ、当然、感染者がいても「確認」できない。

日本は今、インバウンドとかで観光客相手にビジネスをシフトしようとしているから、仮に日本だけで「封じ込め」に成功しても、感染者数が「多くは確認されていない国」からの入国は、制限する口実がない以上、世界全体での「封じ込め」に成功しなかったら、今後は永続的にリスクに晒されると考えるべきなんだろう。

日経のサイトの「世界全体の新規感染者数」のグラフを見ると、中国はピークアウトしたのに対して、中国以外の数字が急上昇している。これは、観光客などを多く送り出している国が中心、という感じだろうか。実際には、ここに「数字」として出てこない感染者が、相当数いると考えるべきだという気がする。

トランプさんが、欧州からの入国を制限する宣言を出した。ヨーロッパは、検査能力が高いから、数字が顕在化する。顕在化していない国や地域からは、入国制限できない。要するに、日本国内だけとか、アメリカ国内だけの「対策」では、抜け穴だらけっていうことになるような気がする。全ての国で、全ての「外国人」の移動を制限したら、世界経済はどうなっちゃうんだろうか。

僕の仕事は、とにかく、籠もってコンピュータにかじり付くだけだから、現時点ではほとんど心配していないけれども・・・学校が始まったら、やはり気にしないとなぁ。池袋とか歩いていると、かなりの頻度で中国語を話す人たちとすれ違った。今はわからないけれど。

タクアン

やっと一区切りがついた。やったぞ、これでサーバにアップできる。

って思っていたところが、一番面倒な「設計変更対応」に片がついただけで、派生的な、細かい修正が、まだごっそり残っていることに気付いてしまった。あちこちクリックすると、あっちも落ちるし、こっちも落ちるし。やれやれ。ただ、骨格の修正は済んだから、後は多少はペースアップできそうだ。

昔から、クライアントさんの何気ない一言、ってのは、時々爆弾みたいに根本的な設計変更の引き金になることがある。昔は、これでよくキレてた。最近は、もう、何があっても淡々と仕事するだけだけれども、金には困る。

家を建てる場合には、最初2階建で請負ったところが、途中から、やっぱり、3階建て、やっぱり4階建、なんてことは有り得ないと思うし、要求を出す側もそれがおかしいと気づくと思う。

ところが、ソフト開発の場合には、内部構造が作っている人間にしかわからないから、平気でそういう要求を出してきて、しかも、価格に転嫁させられないということが、かなりの頻度で起きていると思う。これはたぶん、僕だけじゃない。殺し文句は「こうしてもらわなかったら、使い物にならない」だろうか。最初からそう言ってよ、ってな感じ。特に、形が見え始めてから、「やっぱりこう」という要求が出てきて、仕方のない部分もある一方で、やっぱり、こういう時には価格転嫁させて欲しいと、思うこともある。ボリュームが、当初の想定の3倍近くになってるもんなぁ。しかも、元々世間の相場よりかなり安めに請けてるからなぁ。

そんなこんなで、冷蔵庫の中に、随分前にぬか床から上げたタクアンを入れっぱなしにしていたのを、完全に忘れていた。「やっちまった」と思った。恐る恐る食べてみたら、なんと、ぬか床のちょっとキツイ刺激臭が綺麗に抜けて、市販のタクアンと大差ないくらいの仕上がりになってるじゃないですか!旨味も出てる気がした。しかも、色合いも市販のタクアンっぽくなってる。これで、クチナシの色付けか何かしたら、もう、完璧だったな、なんて思った。驚いた。「寝かしておく」ってこういうことなのか、と思った。

12月頃に寒風に晒した後の大根を農協で買ってきて、つけては食べて、「匂いがキツイな」なんて時々思いながら、こんなもんかな、と思っていたところが、怪我の功名というか、10本近く漬けて、忘れていた最後の1本が、見事な仕上がりになった。来年は、タクアンの場合には少し寝かしてみようかと思う。次の冬場も、改めて挑戦してみようと思った。

今日、久々に農協に行った。それだけの気持ちの余裕すらなかったんだな、と思った。1本45円のキュウリを4本と、長さ10cmくらいのニンジン(1本10円)を10本買ってきて、そのうち2本ずつをぬか床に漬け込んだ。明日のおやつはこれ。仕事しながら、つい、ダラダラ何かを口に入れたくなる。タバコも吸いすぎは問題だし、糖質もまずい。ほとんど体を動かしていない。そんな訳で、今更遅いかもしれないけど、今日はキャベツの千切りを食べながら、仕事してた。タバコとかポテチよか、ましでしょ?何か、口が寂しいんだよねぇ。

ぬか床を「飼って」から(これって、生き物の飼育と同じだよな、と思ったけれど、)劇的に変わったことが一つある。流し台の排水口の「ゴミ受け」の「ぬめり」が、ほとんどなくなったこと、だろうか。既に何度も書いてる通り、潔癖症の方の「キレイキレイ」があまり好きではないし、かなりズボラでもある。排水口の掃除も、スポンジに洗剤をつけたら、素手でいつもやってた。

排水口のゴミ受けのぬめりが、以前は、かなり黒々とした感じで、掃除しても次にネットを交換する時にはもう、雑菌だらけって感じになってた。直接手で触ってるから感触でわかるけれども、もう、ヌメヌメが凄かった。ところが、ぬか床をかき混ぜた手を洗い、流しの排水口のゴミ受けが目詰まりする程度にぬか床の一部が下水に流れ込むようになってから、排水口がほとんどヌメらなくなった。しかも、黒い「The雑菌」ってな感じのカビのような汚れが、ほとんど広がらない。ぬかで、ゴミ取りネットが目詰まりするから、交換頻度が増えた、つまり交換の間隔が短くなったってことはあるかも知れないけれど、それだけじゃない気がする。以前は、アルコールスプレイで除菌してもほとんど効果が持続しなかったのに。

乳酸菌パワー、なんだろうか。腸内に乳酸菌が多くいてくれたら、なんていう話もあるけれども、実は消化管の中というのは「体の外」と考えるべきだと、僕は理解している。口から肛門に至る「管」は、実は「体の外」を、栄養吸収の都合で、構造として持っているだけ、と理解している。具体的には、大腸内の菌の数と、大腸の粘膜、表面の細胞から入った腸管組織中の菌の数を比べてみたら、違いは歴然で、腸管組織の中にはほとんど雑菌はいないはず、だと理解している。腸の中も口の中も、実は「体の外」だと僕は理解している。血液中に乳酸菌はいない、と私は理解しているが、違っていたらごめんなさい。

そして、肺の中も実は同じことが言えるのかも知れない。肺胞内の空間は、実は「体の外」につながっているだけじゃなくて、体組織から見たら、厳然たる「体の外」だと思う。ウイルスが肺の中に入っただけなら、そこはまだ「体の外」で、肺の中の粘膜から、さらにその中に侵入して、それで初めて「体の中に入った」ことになる、と思う。実際に、体細胞の中に入り込めなかったら、ウイルスは増殖できない。体にとって、どこが「防衛線」になるんだろうか。

僕はヘビー・スモーカー。普段は、結構ヤニとかが肺の中に溜まっているみたいだけれども、20分、30分と走ると、結構肺の奥から痰が上がってくるのを感じることがある。一しきり咳込んだ後、かなり肺がスッキリする感じになる。だからやはり、定期的に走りに出ないと、それこそCOPDっぽくなってしまう。ヤニは肺胞の内側に付着はしても、「体の中」には入り込みませんからね。粘液の分泌が十分なら、結構な勢いで外に排出できてる、と思う。肺癌の検診。とりあえず僕は、セーフです。

で、思った。粘液の分泌が十分だったら、粘膜表面からの検体検査でウイルスが検出されても、それは、必ずしもその人の体の中でウイルスが増殖していることを意味しないんじゃないかな、と。

粘液の分泌を促す食品、ってありましたよね。メカブとか。ググれば結構出てくると思う。(海藻系の食品は、海藻を食べる日本人と、海藻を食べない人たちとでは、効果に差があると思うけれど。)食事でウイルス感染を予防する、とかって、できるんじゃないかな、と、タクアンを齧りながら、ふと思った。

それよりも何よりも、排水口のヌメリを素手で掃除するくらい、普段から体を雑菌に晒していたら、そんなに感染症に怯える必要はないんじゃないか、っていう気もする。個人の見解ですが。
僕は、インフルエンザの予防接種は、少なくとも10年以上、もしかしたら25年以上受けていないけれども、少なくとも過去20年、インフルエンザには罹患していない。多少の切り傷とかは、特に消毒しなくても、カット絆だけ貼っておけば、大体1週間できれいになってる。四六時中舐めてる訳じゃないけど。(犬かよ、猫かよ。)

雑菌だって生き物。その雑菌をあえて受け入れて「異物」扱いしなければ、逆に、雑菌の方が僕を「別の生命体」として認識して、遠慮してくれてる、自分は、なんかそんな気がしている。少なくとも、免疫力を高めようとしたら、雑菌に体を晒すのが一番ですって。個人の見解ですけど。

タクアン、あっという間に終わっちゃった。

パギネーション再び

虫がいた。綴りミス。再定義のつもりが別変数を定義しちゃってた。文法エラーにならなくて、気づかなかった。
見つけられなくて、時間を浪費。こういうのが、一番疲れる。

なんで、パギネーションって読むんだか、ふと思った。ローマ字読みだ。
慣れきっていない英単語は、プログラムで使う時、間違えないように頭の中でローマ字読みをしてる、みたい。

そう言えば、昔、maintenance を、コーディングの時は マインテナンスと音にしていた気がする。指が綴りを覚えたら、メンテナンスになったけど。ページネーションは、当初、しばしば Pagenationと綴って、django君に怒られた。これがあったから、パゲネーション、パゲ (page-)じゃなくてパギ(pagi-)だぞと、意識するようになって、今でもずっと、パギネーションで読んでる。英語読みなら、きっと パジネーションなんだろうけれども。だって、プログラミングの時にしか、こんな単語使わないもの。

git は、ギットか、ジットか。ググったら、いたいた、ジットと読んでた人たち。ギットですよね。
でも、ruby の gemは、ゲムじゃなくて、 ジェム。ややこしい。

そういや、googleは、グーグルだよなぁ。これをジュージュルと読む人には、まだ出会ったことがない。
googleをジュージュルと読んだ場合には、状態を表す名詞で「垂れやまぬ鼻水をすする様」を指します。嘘ですけど。

訛ってるんでしょうかね、俺は?いや、たぶん訛ってねぇ。そうだんべ?

そういや、「だんべ」は、かなり由緒正しい日本語だと、自分は推測している。「であるべし」の「である」が「だ」に変化した。その「だべし」の最後の「し」が落ちただけだから、文脈として意味的には「だべし」と置き換えると、完全に「だんべ」が使われる状況に合致する。助動詞「べし」の意味は、「推量」(そうに違いない)と、「当然」(そのはずだ)が多いと思う。たぶん、もっと北に行くと「だべ」になる。「だ」と「べ」の間に、なぜ「ん」が入るか。それはわからないけれど。

だから、「だんべ」や「だべ」を使ったって、「し」が落ちただけだと、胸を張るべきなんだ。

江戸の庶民言葉は、いまだに生きてるよなぁ。「アイ」や「オイ」の音が「エー」になる変化。「食いたい」は、「食いてぇ」になるし、「広い」は「ひれぇ」「すごい」は「すげぇ」だし。あれは「汚い言葉」じゃなくて、江戸の庶民言葉、一種の方言だと自分は理解している。

同じネタで、もう20年以上蒸し返しているのは、本郷三丁目のスナック「ちどり」のマスター。常連客の誰かの一言に、「お、ヒオシガリ行ってきたんか。いいなぁ。でかいの取れたか?」(ん?)「ちょっと、マスター、もう一遍言ってみて。」「なんだよ、ヒオシガリ行ってきたんかって聞いてんだよ。」
「マスター、アサシヒンブンって言ってみて?」「朝日新聞だろ、馬鹿にすんじゃねぇ。」
もう20年以上、「マスターのヒオシガリ」を会話のネタにしている。ってか、最近完全にご無沙汰だけれども。

違和感があるのは、若者言葉の「違ゲェよ」(チゲぇよ)だろうか。よくわからんけど、漫画の「銀魂」か何かで、主人公が話したか?

時代劇で、江戸の岡っ引きが、「あいつが下手人にチゲエネェ」っていう、あれは、「違いない」の「アイ」の音が「えー」になっただけだから、純然たる江戸言葉。ところが、これは、ないが後に来る否定形だから、肯定形だったら「違う」なので「ちゲェ」にはならない。「違う」は、もしかしたら「ちごお」と発音すると思う。「違っておる」は「ちごぉておる」か「ちごうとる」の音になるはず。でも「ちごーよ」って叫んでも、たぶん、漫画の読者には通じない。時代劇の「ちゲェねぇ」がインパクトが強すぎたのか。「ちゲェよ」は定着しちゃうんだろうか。

この話、さらにツッコミどころがあって、「違いない」と言うのは、文法的におかしい。「違う」を活用させたら「違わない」になるはずだと思う。「違わねぇ」ではなく、「ちげぇねぇ」で違和感がないのは、何故か。たぶん、「間違いない」の「間」が落ちたんだろうと思う。「あいつが下手人に間違いない」と言っているのが、江戸弁で、「間」が取れて、「ちゲェネェ」になった、と解釈できると思う。

なんてつい、思ってしまうので、若者言葉の「違ゲェよ」を聞くたびに、「変だろ」と思ってしまって、なかなか慣れないでいる。

「間」が取れる、って言えば、人間の「間」が取れたら、どうなるんでしょうかね?
濃厚接触?

いや、そうじゃなくて・・・(すみません、超ローカルネタでした。)

ご推察の通り、頭がもう、ジュージュル状態で、ちょっとプログラムを書く元気がない。今日は、かなり早いけど、上がります。

ゾンビゲーム

ニュース配信の間に、広告のリンクが貼り付けられてる。

そこに、気になるリンクがあった。パズルゲーム。ホームスケープの差し込みパズルだろうか。ピンを抜いていくやつ。解き方がすぐにわからない。気になった。インストールしたら、全然違うゲームが落ちてきた。それはそれで、面白いとは思ったけど。(はまりすぎないうちに、削除しないと。)

ところが、その「無料」のための広告用差し込みCMムービーで、すごいのを見てしまった。タイトルは”Age of Z”だったかな。凄まじい殺戮ゲーム。DLしてないけど、広告の映像を見る限り、火炎放射器みたいなので焼き払ったり、この大量殺戮ぶりが半端ない。

殺す対象がゾンビだったら、やりたい放題やってもいい、ってことなんだろうか。

そう言えば、もう20年近く前に、ドライブシミュレーションのゲームで、ただの運転ゲームじゃないのがあった。左右から人が飛び出したりしてきて、それを跳ね飛ばしてハイスコアを競う。「架空の世界」だから、何をやってもやりたい放題、っていう発想なんだろうけれども、流石にこれは、どこかからかクレームがついたらしく、ネットから消えた。こうした「架空の世界」の行動規範は、そのまま意識に刷り込まれて、現実の世界の行動にも投影されてしまう、はず。あたしゃ、脳科学者じゃないけど、たぶん、そんな感じの話は何かで読んだ。(いい加減だなぁ。)

「たまごっち」が流行った時に、あれは、電源をリセットすればまた最初からやり直せる、死んでも生き返る。ところが、ヨーロッパでは、子供が遊ぶのに親が指導して、「死んだものは生き返らないよ」と、生命の大切さを教えるためとかいうことで、ゲームの進行の中で死んでしまった「たまごっち」を、リセットさせずに、「たまごっちのお墓」に納めさせている、というのを、何かのニュースで見た。架空の世界であっても、命は大切にしないと。何よりも、子供にそれを教える(おそらく、アメリカでも、キリスト教圏は似たようなところがあると思うが、)欧米の親たちの意識の違い。すごいと思った。

ところが、冒頭に書いたゾンビゲーム。気にはなっていたんだけれども、モンハンはモンスターを殺すゲーム。対象が人間でなければ、何をやってもいいのかなぁ。特に、ゾンビということになると、動き方はおかしいけれども、見かけは人間だし、設定としては「元人間」でしょ?こういうゲームが、1000万ダウンロード?世界中で、1000万人が、この設定を楽しんで、遊んでる?「すごい」ことだ。(「すごい」しか出てこない。語彙の貧困。)

私が思うに、人の意識は地球さんとか、さらにその上の方々に、全て筒抜けではなかろうか、と。地球に意識があるだって?神様なんかいるもんかと、そういう方々も少なくなかろうとは思うが、もしかして、実在していたらどうなる、なんてことも、多少は考えてもいいんじゃなかろうか、っていう気もする。

よくある話かどうか、社長の悪口を言っていたら、真後ろに社長が立ってた、なんて感じ。常に真後ろに社長が立ってることを想定していたら、怖くて悪口なんて言えない。社長の場合には、そこまで想定するのは現実的じゃないとしても、それに近い想定が、実は成り立っていたりなんかして。

あ、人類って、こういうのを楽しいと思う種族なんだね、と、それが跳ね返ってくると、どうなるんだろう。ゾンビって、感染するんですよね、確か。感染したら、虐殺しても構わない?もし自分が感染したら、虐殺されても構わない?こういうことを、もう少し、多少はリアルに考える「いいきっかけ」が、なんだか身近にありそうな気もしている。

それにしても、1000万ダウンロードかぁ。人類って、すごいね。作る方も、もっと「すごい」けど。後々どうなるか、あたしゃ、知らん。わからん。関わらないことにする。