元の生活

「きっと、元の生活に戻れますから、今は我慢して、おうちにいましょう。」

確かにね、普通に仕事に行って、普通に人と会って、普通に仲間と遊んで、そういう生活には、きっと戻れるとは思う。
ただし、「元の状態」に戻してはいけないものがあると、私は思う。

昨年の「経済活動」の延長では、今の若い人たち、さらにその次の世代には、豊かな自然環境も、資源も、残せない状態だった。地球環境を「持続可能」な方法で守ろう、と、いくら声をかけても、「現状維持」から抜け出せない産業界からは、「そんなことをしたら、生活が破綻する」と反対の大合唱で、一切、方向転換ができない状態だったと思う。つまり、我々人類の、次の世代に今の地球を引き継ぐことが、限りなく不可能に近かった。しかも、それを我々人類自身の判断と行動で、改善することは、ほぼ不可能な状態だった。

だから、今の状況を「強制的」に創り出した存在がいらっしゃると、僕は思っています。思っている、というか、感じているという方が正確な表現かも知れない。言ってみれば、あれですね。ゲームばっかりやって遊んでいる子供がいて、その子供自身も「こんなにゲームをやってたら、勉強ができなくなって大変だ」と、頭じゃわかっているのに、全然「やめる」とか、やめないまでも「時間を決めて、限られた時間だけ遊ぶ」なんていう「理性や自制心のある行動」が取れなかった。として、それを見かねた親が、ゲーム機を取りあげたり、壊したりして、子供の行動を改めさせようとした。僕は、そんな気がしています。これって、親の暴力だと思いますか?それとも、親の愛情だと思いますか?

せっかく「ゲーム機を取り上げた」のに、「元の状態に戻そう」として、また、友達に頼み込んで借りてくるとか、同じことを繰り返したら、その親はどうするか。なんだかそんなことを考えている。

人類が帰属している「地球」という意識体にとって、他にも問題がある。例えば核兵器。自分の肉体の上で放射性物質をばら撒かれて、地球の意識自体は「生命体」を育もうとする(細かく言えば、この表現は不適切かも知れないけれど、)そうした意識で全ての(物質的な)生命活動を支えているのに、人類だけはそれを壊すことに、なんの罪悪感も感じていない。日本だって「核兵器禁止」に参加しない。これも、産業行動を「持続可能な方法」に切り替えるのに躊躇しているモラトリアム(債務支払い猶予)と同じで、口先だけで一向に動こうとしない、日本的な表現だけれども「ぬるま湯から出ようとしない」から、思い切った手を打ってきた。核兵器に関しても、新型コロナと同じように、何も変えなければ、現状の延長ではどうしようもない状況に人類を追い込む気がする。

日常生活は、昔のように戻す、それでいいかも知れない。ただ、この機会に「消費行動」のあり方、資源の使い方、「安全保障」の考え方、教育のあり方(途上国の教育水準への配慮)、資本の再分配、ありとあらゆる項目で、大胆な「方針転換」をしなければ生き延びることが困難な状況に置かれていて、これほどの「好機」はないんじゃないかと思うのに、「元に戻す」なんて、無駄な努力だと思う。「無駄」という表現は不適切かも知れない。「無駄」だと、単に「無害」な感じだけれども、「有害」な努力だと思う。

親から、ゲーム機を壊されました。なんとかして、元のようにゲーム三昧で遊ぼうと思うのに、どうやっても取り上げられ、(親自身も我慢して)家中からモニターが撤去されたり、挙げ句の果てに、夜9時になったらブレーカーを落とされたり、どんどんと強硬手段を取られるようになった。頭にきた子供は、「こんな家、家出してやる」と家から出て行きました。
言ってみれば、地球環境を散々破壊して、こんな星には住めないと、「地球外の惑星」に移住を試みた、みたいな話だろうか。

どこの家庭でも、子供がそういう行動を取ったなら、親がある程度強硬な態度を取らざるを得ないことはわかるから、そうやって「家出」してきた子供を見つけたら、親元に戻そうとするだろうな。(DVを除く。)そもそも、「子供」は「親の経済力」から離れたなら、生活できない。誰にも頼るのが嫌なら、家出した子供は、餓死するかも知れない。

「親子関係」というか、地球と地球人のような関係は、地球だけではない。家庭があるのは、我が家(地球)だけではなく、ある程度人類が成長すれば訪問できる距離に多くの「家族」がいる。どこの家庭も、友好的であるらしい。というのは、崩壊した家庭は文字通り「崩壊」して消え去っているから、今社会(宇宙)に存在しているのは、友好的な家庭しかない。
ところが、例えば、スターウォーズなんかみればわかる通り、地球人というのは、「よその家庭は、親が子供を食べたり、うちに泥棒に入ろうとしたり、絶対にそういうことをしたり、考えたりしている。だから、よその家庭の人を見かけたら、敵だと思いなさい」と、そういう発想がまかり通っている。大半のSF映画がそうでしょ?「宇宙人」は敵。地球人類は、まだ十分に成熟していない。だから、「外の家庭」のことがまるでわかっていない。「親」つまり地球は、外の世界のこともわかっている。地球外の「家庭」では、子供が十分に成長して、社会性を持って行き来している。そして、「地球」という「一家」では、「外の世界は、無法地帯だ」という発想がまかり通っていて、逆に外から見たら、万が一にも「地球」に近寄ったら、殺されて解剖されるか、そんな扱いしかされない、と、理解しているから、よほどの物好きでなければ近寄れない。

子供は親元を離れたら生きていけない、という比喩は、子供を地球人、親を地球だとしたなら、実は単なる比喩ではない。僕らは、「地球」という意識体の細胞として、地球の資源を利用しているだけではなく、地球の意識体の中でしか物質的な生命活動を維持できない、生きられない、そういうものだ、と理解している。
この子供の地球人が成長したとする。(ちょっと、比喩を間違えたかな。人として成長しても、「親」(地球)にはなれないから。大人になっても、地球との「親子関係」は変わらない。)成長して大人になると、他の家庭も包括している、もっと広い「社会」が存在していることを知る。多くの家庭が「社会」の中に点在して存在している。その「社会」を構成させている、もっと桁の大きい「意識体」が存在していることを「確信」する。我々人類の立場から言えば、この「多くの家庭を帰属させている、さらに大きな社会」を統括している「意識体」こそ、我々にとっても「造物主」であって、いわゆる「創造の神」ということになるんだろうと思う。
この「創造の神」の存在を確信して、初めて、「地球」という「親子関係」を離れて、もっと大きな肉体、つまり「創造の神」の肉体の中を移動できるようになる。それが、この「親子関係」の比喩で言えば、「大人になる」ということ、なんだろうと思う。地球で生まれた子供も、大人になったら、地球という「家庭」を離れることができる。その絶対条件の一つが、「創造の神」の肉体を意識すること、つまり「創造の神」が存在していると「確信できること」なのだと思う。
表向き「神様なんかいないよ」とボヤいている人でも、実は「神様はいる」と確信している人たちが、相当数(数億人という単位で)存在している。その一方で、本気で「神様なんかいないよ」と思っている人が、圧倒的多数を占めているのが、この地球、ということになるんだろうか。要するに、「子供」が圧倒的多数を占めていて、その「子供」に民主的な投票をさせているから、トランプなんかが大統領になる。それがこの星の現状だと思う。

どこまで、正確に伝わるか、自信がない。もし、正確に伝わらなかったなら、それは僕の責任、ということになるだろうと思う。ただ、それでも、地球の資源をどう使っていくか、日常生活をどう変えれば、「持続可能」になるのか、そこをきちんと考えずに、コロナ禍と向き合っていたなら、たぶん、今の程度じゃ済まない、そういう事態が起きると思う。

「元の生活」に戻っちゃいけない。そういう側面もあるんだと、それだけは伝えておきたい。

ビデオ教材

YouTube の Tutorialを見ながら、作業している。

所々、止めて、ダウンロードしたり、プログラムを修正したり、英語がうまく聞き取れなかった部分で戻ったりしながら、「お勉強」中。

「もうマスターしたぞ」と思っていたモジュールが「進化」してくれていて、(ありがた迷惑、っていうのが本音)その部分の「お勉強」のやり直し。黙ってダウンロードすると最新版が入ってくるから、どうしたって動作が変わる。無論、バージョンを固定にはできるけれども、それをやると、新しい要素を入れる際に、ごっそりと書き直しが必要になったりする。この業界の宿命なんだろうな。新しいものが多すぎて、疲れる。

ふと思った。法政大学から「ビデオ教材」にするか「オンライン授業」にするか、メールの返信を求められた時、僕は躊躇わずに「オンライン授業」を選んだけれど、よくよく考えてみると、「ビデオ教材」なら、何度でも「見直し」ができるし、聞き直しもできるし、止めることもできるし、こっちの方が、学生にとっては便利だったんだろうか、なんていう気がした。唯一違う点は、その場でフィードバックを受け取る部分で、もし、それがないなら、ビデオの方が絶対にいい。

そうなってくるとね、「いつでも」良い訳だから、理解力のある人だったら、数日で、全教材を辿って「単位ください」みたいなことも出来たりするのかも。昔だったら「定期試験」で点数が足りないと「留年」とかもあったけれど、「オンラインテスト」で点数が足りなくても、教材を見直して、何度でも「追再試験」を受けられる気がするから、「留年」なんてのがなくなる、っていうか、そもそも「学期」という区切りが要らないかも知れない。それ以前に、「オンライン授業」だったら、海外からだって受講はできる訳だから、「学校」そのものが要らなくなるかも知れない。必要なのは「制度」だけになる。通信教育では”Schooling”なんていうのがあって、たまに、どこかの「校舎」に出かけていくけれども、「学校」が必要だとしたら、小中学校では「集団行動を学ぶ場所」だけになるのかも知れない。高校スポーツも、大学のスポーツも、学校から切り離されたりするんだろうか。「学習」と「それ以外」で、明確な線引きが必要になるかも知れない。

なんて考えると、この変化を、まともに受け止めたら、教育制度が根底から変わりそうな気がする。少なくとも、発展途上国の地方の村落などで、「学校」の敷地の確保や「教員」の確保に四苦八苦している地域でも、「都会の授業」を受けられる。もしかしたら、「コロナ後」は、必要最小限の投資だけで、低開発国や発展途上国の教育水準は、劇的に向上するかも知れない。日本とか、下から数えた方が早い方のランク入りしたりなんかして。日本の役所って、頭の硬い人たちが多いから・・・

なんて、発想がワープしてしまった。

とにかく、「新しいこと」を覚えるのは「概念」から掴まないといけないから、疲れる。ちょっと一服のつもりが、つい、コーヒー、トイレ、二服目、そしてブログの更新と、脱線中。戻ろう。

ホゲ、モゲ、フガ、ピヨ

今日はもう、仕事になんねぇ。アタマ疲れた。YouTubeのtutorial 動画を見ていても、集中できない。
大した意味のない話題をば。

30代以上のプログラマ以外には、何の話か通じないだろうなぁ。
30代以上と書いたのは、これ。

悲報:プログラムサンプルの「hoge」が通じない時代が来た
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1506/19/news043.html

そうなんだぁ。hoge, moge, fuga, piyoは、とにかく「意味がない」ことをはっきりと示した「変数名」。
Asciiとか、Softbankとか、Interfaceとか、その辺の、プログラミングやマイコンを扱う雑誌が出版されて、15年位経った頃から見かけるようになったと思う。

この脱力系のネーミング。割と神経をすり減らす稼業だから、結構受けたんだろうなと思う。それに、「明らかに意味がない」から、実際にそのサンプルプログラムを使うときには、hoge を customer_nameだとか、debit_totalとか、そんな感じの意味のある変数名に置き換えましょうね、という暗黙の約束事で使われていた、と理解している。
結構、楽しい文化だったと思うんだけどなぁ。

20年ちょっと前、会計ソフトをやってた時、上級SEのKさんがぼやいていた。「新人に、この部分をコーディングしろ」と言ったら、hoge, fuga, piyoが満載のコードを書いてきたので、「お前、何考えてんだ」と問い詰めたそうな。サンプルのまんま、変数を置き換えずにコードレビューに持ち込んだ。そりゃ、上司は面食らうわな。そういう世界でした。

僕らが「初めて物語」に近い年代を「生きた化石」、みたいになっている他の例としては、「オタク」があるかも知れない。

今でこそ、秋葉原はAKB-48の本拠地というか、アイドル系の聖地みたいになってるけど、今ほど通販が普及する前は、秋葉原はなんでも揃う電気・電子部品の聖地だった。ラジオとか無線とか(一緒か・・・、)あるいはラジコンとか、電子工作とか、そう言った電気・電子が大好きな理系少年にとって(少女はまずいなかった、)ここに集まってくる人たちは「同志」というか、仲間だった。例えば、6502のCPUチップを買いに来た同年代の人が隣にいたら、「お宅は、6502系ですか?私は80系の方が使いやすいと思うんだけど、どうでしょうかね?」みたいな感じで、初対面の相手でも臆することなく話しかけて、「同じ興味を持っている仲間」の輪を広げたりしていた、その、話しかける「お宅は」という表現を、何かの雑誌の記者が、「秋葉原には、オタクと、見知らぬ人に話しかける、根暗の異人種集団がいる」みたいな感じで、(何か、Aeraとか、その辺の雑誌だった気がするけど)取り上げられて、以後「オタク」という表現が一人歩きを始めた、と記憶している。Aera系のバックナンバーを調べたら、オタクの最初は、絶対に見つかると思う。

オタク文化それ自体は、もっと古い。井伏鱒二の「ロクタル管の話」という文学作品に、やはり、こうした「根暗の理系男子」の心情を描いた作品があって、その作品の中に「オタクは」という声かけがあったかどうかは覚えていないけれども、今書評を見ると、まさしく「オタク文化」のルーツを見ることができる。

これが、釣り道具屋とか(例えば、ハマちゃんと社長とか)、ゴルフ道具屋とかで、「オタクは、ルアー釣りですか」とか、「オタクが手にされている○×社のスプーンは、癖がありませんかね?」みたいな感じで話しかけても、きっとAeraの記者はスルーしたんだろうな、と思う。電気とか電子とか、ラジオとか、ちょっと「ハードルの高い」理系の趣味にハマっている若者を、多少やっかんで「オタク」と呼んだのに違いない、と私は推測する。

次の話題、ネットに書くのは、過去20年に2回くらいあったと思う。ですが、笑いが欲しいこのご時世ですからねぇ・・・。

血圧計のプログラムを書いていた頃だから、もう27年位前、かなぁ。
当時の主流は、C言語だった。

ただ、C言語に流れた多くの方は、FORTRANという言語で教育を受けていて、FORTRANでは Integer(整数)の頭文字であるIから、Nまでで始まる「変数名」は、省略時解釈で「整数」という約束事があった。つまり、ループ変数は、Iとかが一般的だった。
その流れを引き継いで、C言語でも

int i;

という、整数変数の i を宣言する書き出しのサンプルプログラムが、ほとんどだった。使う時は、

for(i = 0; i < N; i++)....

という書き方で、主にループに使った。
それが、プログラム言語の処理系が構造化文法をサポートし出して、

while(TRUE){
    if(condition) break;
    ......
}

のような、プログラムを読む際に、より条件がわかりやすい while 文とかが現れ始め、こちらの方がより読みやすいとされるようになった。

その頃、同僚の(確か、種子島のご出身だったと思う)I さんに話しかけられ、「このプログラム、なんで動かないんだと思う」みたいな感じで、聞かれて、コードを読みながら、「原因は、これじゃない?」みたいな会話をしていた。その時に、ふと気付いた。

「Iさん、ここで宣言されてる、 int i; の i は、使っていないんじゃない?」
「あ、本当だ」
「これ、アイは要らないよね?削っちゃったら?使ってないもん。」
「でもなぁ、なんか、これを書いておかないと、使うかも知れないし。」

「このアイは要らないと思う。だって、アイがなくたって、ヤリたいことはできてるじゃない。」
(この辺から、Iさんが、ニヤリとして、)
「いや、アイはやっぱり、必要だと思う。アイは欲しいな。」
「アイなんか、要らないよ、だって、ヤリたいことができてるんだから。」

(お互い、完全に別の意味に気づいて、ニヤニヤしながら会話を続けていたら)アナログ系の回路設計をやっているNさんが通りかかった。

「お前ら、真っ昼間っから、なんちゅう会話をしとるんじゃ。」
「いえ、プログラムのデバッグの話で・・・」(だって、本当にそうなんだもん)

それだけですけどね。「別の意味」がわからなかった人は、気にしなくて結構です。
そんなこともあったなぁ、っていう思い出でした。

今時は、もう、昔だったら30行くらい気合を入れてコードを書いていた部分が、たったの1行

file.open(...)

だもの。時代はとにかく変わった。嘘でしょ、ってくらい、楽になった。この後の話題は、ネット初公開。

僕が社会人となった一年目。最初の就職先の住友電工での、電子技術研究所の研究部長から、懇親会で聞いた話。
書いたプログラムを、紙テープに落として、それをアメリカに空輸し、機械語にコンパイルしてもらって、機械語になった紙テープを受け取るまで、約1ヶ月、100万円近くかかったらしい。もし、たった1行でもバグがあったら、それで、1ヶ月+100万円が吹き飛ぶ。そういう時代があったらしい。
それがね、今では、例えばRaspberry Piなら、コンピュータ本体が4千円で、実行して結果を得るまで2〜3秒。コストは1円しないと思う。すさまじい技術の進歩。いい時代なんですよ —>> 若いエンジニアの方々。

当時はまだ、「バグ」という認識というか、「とにかく、人の書いたプログラムには、どうしてもバグが出る」という認識など、社会になかった。この話をしてくれたK部長。警視庁(つまり、東京都の)初期の交通管制システムの、信号機制御のプログラムを担当されていたらしい。
納入の際に、「万が一、動作不良(「バグ」も「不具合」も、今なら通じる言葉だけれど、当時は通じなかった)があった際には、すぐに修正いたします」みたいな(余計な)一言を口にしてしまったら、相手の警視庁の担当者の方、「貴様ら、欠陥品をこの警視庁に納入するのか」と激怒されたらしい。

本当は、いけないんだと思うけれども、どうしたってバグは出る。「不具合」は、ヒューマンエラーで避けがたい。そうした事例が蓄積されたお陰で、世間一般で、プログラムには「バグ」とか「不具合」ってのは、あるもんだ、という認識も広まってくれた。お陰で、この仕事も、ずいぶんと楽になった気はする。だから、このトシになっても、まだ続けていられる。

本当は、あんまりいいことじゃない、とはわかっていますが。(だから、自動テストも、必死で実戦投入を模索している。)

相変わらずの長文ですね。お読みいただいて、ありがとうございました。

今日は、「昭和の日」だったみたいですね。昭和は遠くなりけり。

anaconda 再び

pipだとインストールできるのに、anacondaだとできないモジュールがある。

一旦入れて、後からuninstallすればいいや、なんて安易な考えでpipでインストールしたところが、関連するモジュールを引き連れて入ってきて、 mac のnative環境の pip listが40近くに膨れ上がってしまった。どれと、どれとが関係しているか、今のところ全く把握していないから、消すに消せない。uninstallしても、入れてくれる時は一気に入れてくれるのに、消す時は一つ、本体モジュールだけ。
え〜?な〜に?これ全部、調べろっての?やだよ〜、そんなの。

いや、使いたいのはdjangoからだから、それで調べると hoge を入れたいのに、django-hogeでなければ、ダメだったり、その django-hogeがpipだとインストールできるのに、anacondaだとできなかったりで、一昨日の夜中あたりから試行錯誤している「環境構築」作業が泥沼化してきた。

今ちょっと、こんな感じ

画像出典: https://www.irasutoya.com/2014/03/blog-post_2687.html
「かわいいフリー素材集 いらすとや」さんから

ホゲと、モゲと、フガが、頭の中で渦巻いてる。


ついに、仮想環境 Hoge は、サーバすら立ち上がらなくなった。
よって、削除を決意。 native 環境と、他の仮想環境は、無傷だった。それだけは救い。

考えてみたら、別に anaconda に頼らなくても、virtual-env があったな。そっちでやってみる。virtual-env の時は、pipですからね。

わかってますって。きちんと、tutorialを全部読め、ってんでしょ!?だけど、全部読んでたら、たぶん 合計で 2000ページは越えると思うな。
いやだよ。絶対無理。


め〜っけ! YouTube に Tutorial の動画が上がってた。
但し、英語で50分。結構早口。

でも、これで泥沼を抜け出せそうだ。情報提供者に、多謝、多謝!

訂正しません

昨夜書いたページ。なんとなく、突っ込まれているような気がしたので言葉を補う。

日本語の言語感覚が鋭い方、「琴線に触れた」と書いた部分が「逆鱗に触れた」の間違いじゃないか、と・・・
ここ、これで合ってます。使い分けを間違えてはいません。
もし、逆鱗に触れていたとしたら、こんな生やさしいレベルじゃないと思う。

まず、致死率が低い。しかも、将来のある若い方の致死率は特に低い。
資源、エネルギーを使って移動するということが、どういうことなのか、「不要不急の外出」という言い方があるけれども、何が必要で、何を急ぐのか、考えさせてくれている。どういう形で人と接するべきなのか、考える機会を与えてくれている。

いずれは僕も該当すると思うけれども、高齢とか持病があるとかで、コロナ禍での「致死率が高い」とされる方。感染したら死ぬんじゃないかと怯えている方も多いと思うけれど、死ぬのは誰にとっても時間の問題じゃありませんか。考えることがあるとしたら、「本当に自分は、やるべきことをやって、生きてきたのか」あたりじゃないかと思う。納得する人生だと思ったなら、受け入れたらいい。素直に、自然に受け入れられたなら、すんなりと次へ移れると私は思う。納得できない、「やるべきことをやって来なかった」と思うなら、もしまだ体が動くなら、少しでも「やり残し」を減らせばいいだけだと思うし、もうできないと思うなら、「やり残したまま、死に直面したら、こんな気持ちになるんだ」とシミュレーションしてみて、せめて、次に肉体を持った時は、若い時からテキパキと、「自分はこれをやるんだ」と動けばいい、その思いを自分自身の魂に刻みつければ、それだけだって、とても有意義な経験だと、僕は思う。いつ、どのタイミングで、何ができる時に、それをしなかったか。それを一つ一つ思い出すだけでも、とても有意義な経験になるらしい。私はそう理解している。

経験するべきことは多いですからね。まず、周囲の人との人間関係がうまく構築できるようになったら、次は教師とか、次は医者とか、時代時代によって職業の種類は変化すると思うけれども、次は法律家とか、次は政治家とか、何回かの人生でそうした職業経験を積めば、そうした職業ならではの発想法が魂に染み付いてくる。そして、あらゆる分野での経験を積んできたら、たぶん、そこからさらに上級課題を積むことになるんだろうと思う。何かに執着していると地獄に長逗留するみたいですからね。回数を増やそうと思ったら、地獄にいる期間は、短ければ短いほどいい。「こだわり」なんていうのも一種の執着のようだし、「自分は健康でありたい、健康ならそれでいい」という、それすらも「こだわり」というか、一種の「欲望」であるらしい。「健康」というのは「結果」であって、「目的」ではないのだと、私は理解している。細かすぎて理解が追いついていない部分もあるけれど、そこは書きようがない。

結果において、「地球環境」にとっても、良い結果になっている。
その辺のところを考えてみると、これ程緻密に計画され、温情に溢れた「教育的指導」は、ないんじゃないかという気がしている。「排除にかかっているんじゃないか」と書いたこともあるけれども、やはり僕ら人類は、地球にとって「自分の細胞の一部」として大切にしてもらっているんだなと、そんな気がする。だから、やはり「逆鱗」ではなく「琴線」。本気で「指導」してくれていると、僕は思う。

俺って、頭悪いよなと、何度となく思う。
一つ前のページのAnaconda

確かに、何かで、anaconda環境でのインストールは、pipではなくcondaだと、どこかで読んだ。読んで頭の片隅に知識としては入っていたはずなのに、思うように動作せずに、調べまくって「あ、これか」と気付いてみたら、「この説明、読んだことある」と思い出した。全然、実際に使う場面で、結びついていなかった。
ポケットの中に鍵が入っているのに、「あれ、鍵をどこに置いたっけ」と、家中探し回って、出かける時間が来たのに見つからず、「だめだ、遅刻だ」と諦めて、ふと、ポケットに手を入れたら、そこに鍵があった。みたいな。このポンコツ加減。自分でも嫌気が刺す。

とにかく、私の場合、これが多いんだわ。だから、大学なんかで授業をやっていても、時々、ど素人でも知ってるような「知識」がスコーンと抜け落ちていて、たぶん、学生なんか「え?先生、何を言ってんですか?」みたいに内心思ってるかも知れない、そういう「無知」を曝け出す。知らない訳じゃないんだけれども、その部分の歯車が噛み合っていないというか、自分の行動パターンの中で、「点」と「点」が結びついた「線」になっていない。結局、今回のanacondaみたいに、あーでもない、こーでもないと、剃ったもんだした挙句に、「あ、これだったのね」と、やっと気づく。今は時々、こうやってネットに晒しちゃってるけども、実際にはもっと多い。
転びまくって、コケまくって、40年。その挙句の今だから、全然偉そうなことは言えない。とにかく、「知識」の関連を結び付けて「理解」するまでに、ものすごく時間がかかる。たぶん僕は、他の人よりも「理解力」が劣っていると思う。

教科書を一冊書いた。けれども、いつどんなボロを出すかと思うと、もう、気が気じゃない。

C言語なんかは、もう何十年と使ったから、「枯れて」もうボロの出しようがない感じだけれども、RubyもPythonも、「知らない」ことも多いし、結びついていないことも、もの凄く多い。今はただ、「使う場面」を少しでも増やして、リアルな環境で、1日に何回コケることができるか、なんだろうなぁ。

どうやら、僕にはこういう生き方しかできなさそうだ。間違っていたなら訂正すべきだ。ただ、冒頭の話題には、訂正する余地はないと思ってます。以上。

anaconda

gitの環境が切り替わったのも、しばらく悩まされたけど、またおかしなことが起きた。

gitが切り替わったのは、何かの設定の時に .bash_profile の PATHの追加の際の注意不足、だったんだろうけれども、今回のは anaconda の(う〜ん、俺が使い方を把握しきっていないから、かなぁ) 動作がおかしい気がした。

$ conda activate HogeHoge

で、仮想環境を HogeHoge に切り替えた。その環境下で

$ pip install fuga_module

をインストール。ところが、

import fuga_module

で、

ModuleNotFoundError: No module named 'fuga_module'

が出てしまった。

$ pip show fuga_module

とコマンドを叩くと、

Location: /Library/Frameworks/Python.framework/Versions/3.7/lib/python3.7/site-packages

が表示された。一方、

>>> import sys
>>> import pprint
>>> pprint.pprint(sys.path)
['',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python37.zip',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7/lib-dynload',
 '/Users/kobayashi_ikuo/anaconda3/envs/HogeHoge/lib/python3.7/site-packages'

システム環境のパス変数は、anacondaの管理下で、仮想環境に切り替わってる。

brewでインストールすると、インストール先は

/usr/local/Cellar/git

とかになるんだろうけれども、仮想環境に入っていて、pipのコマンドを叩いたのに、

/Library/Frameworks/Python.framework/Versions/3.7/lib/python3.7/site-packages

にインストールされちゃったら、仮想化の意味が半減する。俺、何か、コマンドを覚え間違えてるのかなぁ・・・何の理由があって、pipコマンドが仮想化環境の外にインストールするんだろうか?わからん。pip使っちゃだめ、なの?

結局、いつもながらの力技。ってか、ワンパターンの対処方法。~/.bash_profile を編集するか?結局ここに、$PYTHONPATH を書き加えて、仮想化環境に入っていても、/Library/Frameworks/…を参照するようにするか?そんなことしたら、仮想化の意味がなくなるよなぁ。暫定的に試したいだけだから、わざわざ仮想化したのに。native環境に入れられちゃったら、意味ないじゃんか。

anacondaで、仮想環境をactivateしても、 pip install を実行する際には、何か別の呪文が必要なんだろうか。たぶん、anaconda の説明をみると、どこかに書いてあるんだろうなぁ。

この「呪文」を調べる作業が、一番疲れる。今日は、もう、あがりま〜す。

ウィンガーディアム・ラビオーサ、なんかだったりして。


後からググったら、ウィンガーディアム・レビオーサ、でした。この類の記憶違いが、絶対に、どこかにあるんだろうなぁ。pipだったと思っていたのが、実はエレキバンだった、とか・・・


めっけた。

Anaconda環境にpipでパッケージをインストールする

https://qiita.com/mckeeeen/items/d4cbe4a16a102157f40c

いや、確かに、最初の頃こんな説明読んだ気がする。そうなんだけど、一旦こうやってコケてみないと、覚えないんだよなぁ。

pip install fuga_module

じゃなくて、

conda install fuga_module

だったんだ。一度はどこかで読んだのに、実際にコケないと覚えられない。

すべての「重要事項」でコケ続けて、一通りマスターするまでに、どれほど時間がかかるか・・・

ただね、プログラミングや、エンジニアリングの場合には、すぐに何度でも試せますからね。まだいいかも。
これが人生かけた勝負だったり、生きるか死ぬかにつながる判断だったりすると、一回の人生でやっと一つ覚えられる、くらいの感じだから(一度で済めばいいけど)、なるべくその都度「身に染みる」ようには、したいなぁと、思いますです。(「したいなぁ」って、「します」じゃないんだよなぁ・・・)

せめて、今回の新型コロナで、多少は「経験」になりますように。喉元過ぎれば、なんて感じになる気もするし、そうしたらたぶん、次が控えているとも思うけど。どんどん、スケールアップしてくるからなぁ・・・

もう、頭がプログラマとか、システム・エンジニアじゃない。師匠の講演会。

一つでも多くの「経験」を積むのに、一番確実な方法は、一回でも多く肉体を持つ(生まれてくる)こと。そのためには、少しでも地獄に落ちている期間を短くすること。そのためには・・・、ここから先は、「うるせぇな、そんなこと言われなくたってわかってるよ」と言い返されるのがオチだから、もう書かない。なんぼ書いても、聞く耳を持ってもらえなかったおかげで、どなたかの琴線に触れてしまったみたいだし。トランプだけじゃないと思うけど。

とにかく、肉体を持った回数が多ければ、山ほど「呪文」を知っていて、きっと、「なんで、あんなことができるんだ」とか、「何で、あんなことを知ってるんだ」みたいな、魔法使いみたいになれるんだろうな、と、僕は思います。目指してはいるけど、なかなかねぇ・・・。この「地獄に落ちる期間を短くする」ってのが、最大のネックだろうなぁ。ただ、僕はそこを目指します。他の人は、どーでもいいと思ってます。すみません。

マスクと熱中症

マスクをしていると熱がこもる。こまめな水分補給も、マスクが邪魔。

朝昼兼用の食事をしながらテレビを見ていたら、その時のマスクの外し方を解説していた。(あんまり、昼日中からコロナの話題は書きたくないんだが、気になったから、すぐに吐き出しておこう。)ポイントは、これだろうか。

「マスクの表面に触れてはいけない」(ウイルスが付着しているから)
「マスクをズラして飲むのは、NG」

この部分について、ちょっと考えてみた。

不織布マスクの性能と使用時の注意
https://www.env.go.jp/air/osen/pm/info/cic/attach/briefing_h25-mat04.pdf

医療従事者が、自分の身を守るために用いるN95のマスクは、0.3μm(300nm)を95%遮断する。民間には流通していない。
花粉症対策のマスクは、約30μmの粒子(大きさ100倍)をカットする。

PM2.5は、文字通り 2.5μm程度の粒子。
飛沫の大きさは、通常は3〜5μm程度らしい。
また、花粉の大きさは、30〜40μm程度らしい。

新型コロナウイルス(SARS-CoV-2)の電子顕微鏡写真(走査電顕写真追加)
http://www.tokyo-eiken.go.jp/lb_virus/kansenshou/virus_gazou/sars-cov-2/

この写真で見ると、SARS-CoV-2の大きさは、90nm〜100nm(0.09〜0.1μm)程度だろうか。

つまり、花粉症対策のマスクは、ウイルスに感染しない目的で使用しても、全く意味がない。
通常のPM2.5対策の不織布のマスクでも、あまり効果が期待できない。
サッカーのゴールネットで、野球のボールをトラップしよう、という感じだろうか。いや、サッカーのゴールネットで、パチンコ玉をトラップするくらいの感じかな。

ウイルス対応: PFE(約0.1㎛)の試験を行い、99%までのフィルタ捕集効率を表記

これって、N95よりも細かい?つけて10分歩いたらどうなるだろうか。臨床工学の卒業生の話では、N95は、つけているだけで息苦しいとか言っていたけれども、それよりも細かい。横からの侵入を防ぐために「目張り」とかしたら、もう、体を動かせないんじゃない?

このマスクならば、前述の「マスクの表面には触れてはいけない」とか、予防効果があるだろうけれども、マスクをつけて通勤したり、買い物したりしても、全然息苦しくないようなマスクならば、サッカーのゴールネットで蚊の侵入を防ごう、という感じで、「予防」には全く意味がないと思う。

「表面にウイルスが付着している」(サッカーのゴールネットに、蚊が付着している)ならば、間違いなく既に大量に吸い込んでいると思う。

ただ、飛沫の拡散を防ぐには、ガーゼのマスクでも意味があるようで、この実験映像は見たことがある。つまり、相手がマスクをしていてくれたなら、相手が仮に感染していても、こちらはかなり安心できる、ということになると思う。(問題は、握手とかの接触か。)

つまり、マスクの着用を「予防」と考えたらあまり意味がなく、「万が一、自分が感染していたとしても、周囲の人に感染させないため」にマスクは着用する、というのが大切なんだろうと、私は思う。
そう考えてみると、「予防効果がある」と思っている人がかなり多く、そうした「解説」も多いのには、すごく違和感を感じる。

でも、それはそれでいいのかな、と思う。
自分のことしか考えない人が少なくない。そういう人は、「自分が感染しない、予防に効果がある」と思っているから、マスクを買い占めたり、マスクをつけたりしているんだろうけれども、自分のためじゃない、周囲のためにマスクをつけるべきだ、なんて言われたら、「そんな面倒なことはしない」とか、なっちゃうかも知れない。「他の人に迷惑がかかるから、マスクをつけましょう」なんて、正しい考え方を広めると、逆にマスクをつける人が減ったりなんかして。「自分の身を守る」だけのためにマスクをつけている人、絶対にいると思うな。
(性格がねじ曲がっていて、すみません。)

予防するなら、やはり手洗いや、ドアノブ、テーブル、パソコンのキーボード、タッチパネルなどの消毒が一番なんだろう。

そして、思う。最前線で奮闘してくれている医療従事者を「守る」ために病院にマスクを送るならば、N95か、PFE(約0.1㎛)で99%カットの水準のマスクでないと、あまり意味がない。

一般論として、医療関係者の基本的な考え方は、「医療従事者側から、患者への感染防止」の視点からの滅菌消毒などが多いと思う。「患者から医療従事者を守る」視点が必要になるのは、感染症病棟などだけだったのではないかと、推測する。だから「Covid-19の患者は、一般の病院では受け入れられない」ことになった。
その「患者への感染防止」のためのマスクも不足している訳だから、受け取っても全く無意味ではないとは思うけれども、「医療従事者の身を守るためにマスクを送る」ならば、スペックは考える必要がある気がする。

正しく恐れる(おしゃべりしない)

東京の平日の朝は、相変わらず、電車が混んでいるらしい。(出掛けてないから、知らないけど。)時間帯によっては、満員に近いようだ。(知人の話による。)
それにもかかわらず、以下のようなグラフ。ある程度混雑した電車は、感染源になっていないのかも知れない。

引用元:日経新聞:東京都、26日の感染確認は72人 13日ぶりに2桁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO58515950W0A420C2CZ8000/

これは、何を意味しているんだろうか。

小池百合子知事は都の配信動画で「まだまだ気を抜くわけにはいかない」と強調した。

そりゃそうだ。確かにそうだけれども、(検査件数が十分ならば、)現状のままでも「収束」に向かうだけの「対策」が、既に効果を上げていることを意味する数字だと思う。また、日本のやり方だと、決してゼロにはならず、下げ止まった状態で散発的に各地でクラスターが発生するんじゃないかと思う。今のままだと「コロナ怖い」で、経済活動の「自粛」や、「気分的な落ち込み」がズルズルと、半年とか一年続くことになる気がする。

案外、若い女性の感染者数が多い。これは何を意味するか。
僕は「おしゃべり」だと思う。新型コロナの感染者数の性別、年齢別のグラフと、「どの年代の人が、どれほど『おしゃべり』しているか」を重ねてみたら、面白いかも知れない。男性でもいるけれども、営業系でなければ、女性ほどではない気がする。営業マンなんて、全年齢層に均等に散っているけれど、グラフはそれに似ている気がする。

今年の1月、松尾くんと営業の方と、食事を一緒にする機会があった。座った位置関係で、松尾くんの口から飛び散る「唾」が、外からの光線の関係で気になるほど鮮明に見えて、(これは僕も、学校で授業をやっていて、結構唾を飛ばしているな、と思ったことがあったけれども、)おしゃべりってのは、こんなにも唾を飛ばすんだと、痛感した記憶がある。光線の関係で、結構見えるもんだなと、その時は思ったけれども。

日本語でも、あれ、なんて言うんでしたっけ?爆発音?カ行、ガ行、タ行、ダ行、パ行、バ行の音、なんかは、口腔で(舌によるのか、口唇によるのか)とにかく唾を飛ばすような「発音」しかできない。空気の流れを一旦遮断して、爆発させるように子音を発声する。それは、ほとんどの自然言語に共通すると思う。おしゃべりしていたら、どうしたって、唾が飛ぶ。それなら、マスクをしたらいい。それができないのが「食事」だと思う。食べ物を口に運ぶ時だけマスクを外し、食べ物を口に入れたらすぐにマスクをして、会話をする。そうして、普通におしゃべりする、そんな人いるか?いないでしょ?それが一番顕著なのが、外食産業、特に、「夜のお店」で、アルコールが入った時の会話であって、そこで、激しく「飛沫感染が起きた」と言う気がする。その「飛沫感染」の一番の根本を、一つ抑え込んだ成果が出ているんじゃないか、と言う気もする。飛沫が飛ばなければ、吊り革だって、手すりだって、大してウイルスは付着しない。
会食の際に、一緒に食事した相手だけが問題なのではなく、客の入れ替えの際に、もしレストランや食堂の方が、ウイルスに効果のある消毒液でテーブルを拭かなければ、ウイルスは付着したままになる。前の客が感染していたら、次の客も、その次の客にも、感染するリスクは高まると思う。数日前のニュース配信の記事で、細菌とウイルスの区別の付かない人が書いた記事が流れてきた。もしかして、ウイルスに効果のない「消毒液」でテーブルを消毒して、「うちは対策してます」と思っているお店があったとしたら、危険だ。

無防備にマスクをつけずに、井戸端会議をしていたら、「無症状の感染者」からの感染が起きる。それが顕著なのが女性ではないか、と言う気がする。あくまでも、数字から(と、僕のこれまでの人生経験から)の判断だけど。案外「感染経路不明」には、それが多かったりしないか、と言う気がする。20代の女性が多いのは、おしゃべりが好きな人が多いから、というのも、理由の一つではなかろうか。(見てるとね、集まるととにかく、おしゃべりしている人たちとか、いますから。)

逆に、朝の満員電車。「おしゃべり」はあまり聞かない。どなたも、黙々とスマホを操作したりしている。飛沫は出なさそうだ。夕方の電車は、ちょっと事情が異なる。職場などで一緒になった人と、おしゃべりしながら乗っている人もそこそこ見かける。今はマスクをしているから、それだけでも効果があるのかも知れない。これだけ「混雑した電車」の環境が改善していないのに、新たな感染者が減少している、ということは、「単なる人の密集」だけでは、リスクは低いということを意味しないか?

話が飛びます。

心臓外科医とか、脳神経外科医。あの方々、「腫瘍が神経細胞や血管に絡みついた、厄介な症例」とかも、日常的に手術で取り除いていらっしゃる。それこそ、神経の張り詰めた現場なんだろう、と思いきや、患部の「一番、面倒な部位」まで、切開したり、手術器具を挿管したりするまでは、手術室にBGMをかけたり、雑談したりしながら、結構リラックスしながら手術をされていて、それが、「ここ一番」で一番面倒で、厄介なところに差し掛かったなら、すごい集中力とか、それこそ、「ゴッドハンド」とか言われるような手技で病巣を摘出したり、されている。らしい。僕は、オペに立ち会ったことは数回しかありませんが、なんか、そう感じました。物凄いストレスか、と思いきや、「見極めて」いらっしゃるんだろうと思う。「ここは、気楽に切っても大丈夫」(無論、経験の裏打ちがあるんだろうと思う)、とか、「ここが、クリティカルだ」と、緊張の度合いを調整されているのかな、と僕は理解した。(もし、例の持ち出し方、表現に問題があったら、ごめんなさい。)

何を言いたいか。コロナも同じだと思う。「この一点に、気をつけるべきだ」と、そのピンポイントを、一刻も早く見極めるべきだ。
確かに「三密」もそうだけれども、おそらく、「密室」ではない解放空間であっても、井戸端会議で、マスクもせずに立ち話をしていたら、飛沫で感染する確率が高かったりするかもしれない。逆に、パチンコなんかでも「会話禁止」にしたら、かなりリスクは下がると思う。でも、「会話禁止の飲み会」とか「会話禁止の会食」とかって、あり得なくありませんか?「発言禁止の会議」とか。

「条件をつけて、経済活動停止」を解除していく、って言っても、実際には、そのための「ルール」を守らない人が少なくないですからね。自分だけなら大丈夫、と考えがち。そう考えると、さすがに今はまだ、時期尚早なんだろう、とは思うけれど、医療崩壊のリスクが低減してきたら、経済活動再開の「条件」などを、細かく調べるべきかも知れない。

別のケースもある。トランプがクロロキン(マラリアの薬)に言及したら、それで死んだ人がいたらしいし、それがあるから、今回の消毒薬の注射についても、トランプを信じてそれで死ぬ人が、出るかも知れない。根底にあるのは、「学者の言うことなんか、信じない」ってのを世間に広めて、そう主張するトランプを信じている人たちがいる、っていう、これは別パターンの脅威かも知れない。日本では、まず、これはないような気がするけれど。

今、統計がないですよね?SARS-CoV-2の感染による直接の死者数と、その「経済的な影響によって、経済的に生活できなくなって死んだ人の数」との統計。さすがに、まだ「餓死」にまでは言っていないにしても、既に手持ちのお金が尽きた人はいると思う。
今、有効な「判断」を下さなかったら、後者が前者を上回ると思う。発展途上国では、時間の問題だという気がする。アメリカや欧州のような、爆発的感染が顕著になっている国では、先進国であっても、対策次第では、後者が前者を上回ると思う。

「こうしたルールを守っていれば、経済活動を維持したままでも、新型コロナを押さえつけられます」と、その指針を国民は求めていると思う。
その「ルール」を、公表して、国民に協力を求めても、一向に理解せず無視する人たちが、1割程度はいると、それも想定してシミュレーションすべきなのかも知れない。それでも、「正しく恐れて」、ピンポイントで、「これと、これは気をつけよう」とクリティカルな部分は「自粛/禁止」だと行動を定めて、それ以外は、「大丈夫ですよ」と、(一定程度のリスクは覚悟の上で)伝える。経済の停滞は、凄まじい状況だと思う。

交通事故死亡者数。2019年が3215人。1日あたり8.8人。
今日が、今年119日目、か。実際の統計は拾ってないけど、統計上、今日までに1000人以上死んでる計算になる。

「交通事故死者」は、事故から24時間以内に死んだ人の数だから、延命措置とかで(それこそ、人工呼吸器、ECMOなどなどで、)25時間生きていたら、それは「交通事故死者」ではなく「重傷者」にカウントされる。それだけ「死者数」が少なめにカウントされているのに、既に1000人死んでる、っていうことだろうか。僕の理解では、これは「ほぼ即死、もしくは、事故の時点で、トリアージで言えば黒」の人だと思う。
※:トリアージの黒:直ちに処置を行っても明らかに救命が不可能なもの、又は、既に死亡しているもの。
1ヶ月以内に枠を広げた統計は、みていないけど。

交通事故を防ぐのに、どうしたらいいでしょう。一番いいのは、”Stay Home”でしたっけ、「おうちにいよう」だろうな。外に出なければ、絶対に交通事故には合わない。(いや、外から車が突っ込んできた、なんて話もあったから、絶対ではないか。)それなのに、こんなに人が死んでるのに、なぜ「おうちにいよう」って叫ばない?
思うに、「交通事故」のリスクは、もう「慣れてしまったから」ではなかろうか。

持病のある方や、高齢の方は、怖いでしょうね。でも、目の見えない方とか、かなりのリスクをおかして「日常生活」をされていたりする。

今、新しい感染者が出ると、「誰と会ったか、どこに行ったか」を、根掘り葉掘り聞かれる、と噂に聞いた。
その方々の、「行動パターン」も聞き取り調査して、ビッグデータというか、分析してみたらどうだろうか。

案外「会話禁止」にするだけで、リスクが下げられたりするかも知れない。

観光地なんか大変みたいだ。「会話禁止の観光」が成り立つのかどうか、私にはなんともわからないけれども、「入域制限」の他に、「会話禁止(もしくは自粛)」の条件をつければ、観光の行為そのものでの感染リスクが下がるとしたなら、観光業の再開も「一定の条件下」で視野に入ってくるかも知れない。(ただ、「会話禁止」で観光してもなぁ・・・いや、だから、3月の連休は、感染者増加の原因になったのかも知れない。)

僕は、そう簡単には「ゼロ」にはならない、ましてや「封じ込め」なんて、海外の途上国まで含めて封じ込めなかったら、不可能で、何年にもわたって「SARS-CoV-2と共存」の状態は続くような気がする。「夜の街」が復活するのは、限りなく不可能に近い気がするけれども、それ以外のビジネスは、なんとか再開の道を模索できるような、データ解析を進めて欲しい気がする。


追補

「自粛」破りのパチンコ店がある。私の考えでは、店側がレバーなどを細かくアルコールで消毒し、客に「マスク着用」と「会話禁止」を求めたなら、クラスターは発生しないと思う。いや、だから黙認しろとは言わないけれども、「実験材料」にはなる気がした。逆効果だったんでしょ?「あの店はやってる」とわかったら、かえってパチンコ中毒の人が押し寄せた、みたいに、(僕は見てないけど)そのニュースを見てた同居人が言ってました。(失礼な表現だな。)

北海道の第二波。行動分析をすべきだ。「ライブハウス」なんかの場合、客が声を出すケースが少なくない、と思う。一緒に歌うみたいな。(行かないから、よくわからないけど。)だから、いくつかのクラスターの原因になった。今回は、なんだったのか。

クラシックのコンサートはどうか。あれはもう、咳一つしただけで、隣の人に睨まれたりしますからね。親父やお袋と、N響コンサートに行ったのは、忘れがたい思い出。マスクをしていたら、案外、クラスターは発生しない気がする。歌舞伎は?「発声禁止」なら案外可能かも。相撲やスポーツ観戦。これはもう、みんな声を出すからなぁ・・・

もし、「コロナが完全に鎮静化するまでは、声を出さずに参加する」ルールで、クラスターが発生しない事例が確立されれば、案外、コンサートなんかもクラスターの原因にならなずに、再開可能かも知れない。どなたか、突破口を開きません?責任は負いませんけど。万が一、クラスターの原因になっちゃったら、もう、ファンあってのビジネスとしては、致命傷でしょうけど。

前述の、自粛破りのパチンコ店。もし万が一、クラスターが発生したら、刑事訴訟は無理でも(未必の故意による殺人罪、は無理だろうな)、民事訴訟(損害賠償請求)の対象にはなるかも。客がリスクを負うだけではなく、もしクラスターが発生したら、(日本社会は「ムラ社会」ですからね、)店側も、相当なリスクを負うと思う。

動作マージン

昔のことになるけれども、1km泳いだり、10km走ったり、それが全然苦でなかった頃、日常動作に必要な筋力が3だとして、10位の体力があった、と思う。
日常動作とは、まだ7のマージンがあり、日常動作が大変なんてカケラも思わなかった。

それが、運動不足なんかで筋力が落ちてきて、5くらいになっても、まだ2のマージンがあるから、「体力が半分に落ちたこと」すら気付かない。
筋力が4くらいに落ちてくると、そろそろ、たかだか日常動作なのに「全力」に近い状況が出てくる。
そして、3まで落ちてくると、日常動作の全てに「全力」が必要になってくる。

今自分がどのへんか。4〜5の間か、と思いたいけれども、少し体力をつけて、6とか7くらいまで戻したいような気はしている。

何が言いたいか。元々10あった体力が5まで落ちても、ほとんどの場合、日常動作だけでは全く気付かない、ということだろうか。

慢性腎不全。指標となるのはGFR(糸球体濾過量)だろうか。正常値は100(mL/分/1.73㎡)近くある、とされている。年齢によっても低下するらしいが、これが低下してきて、軽度~中等度低下(45~59)くらいまで下がっても、ほとんど自覚症状はない、らしい。普通は、気付かない。

これが、中等度~高度低下(30~44)あたりになってくると、疲れやすいとか、はっきりとした自覚症状が出てくる、そうである。(あたしゃ、医療関係者じゃないから、細かいところはわからない。ただ、医療関係者の国家試験の、試験勉強はサポートしていたけど。)この辺になると、透析の一歩手前。もう元には戻らない。実に、腎臓の機能の6割から7割が失われるまで、「異常」を感じない、ということになる。
それで、健康診断などでGFRを調べて、予備軍になる前に、警告を投げて、生活習慣を改善してもらおうという取り組みがある、と理解している。普段から、GFRを調べていなかったら、「つい、この間まで全く問題がなかったのに、突然悪くなった」という認識になるものの、実は、長い時間をかけて、じわりじわりと、低下してきたのに、気付かなかった、ということではないか、と思う。

自宅で療養中のSARS-CoV-2感染者で、Covid-19軽症者の状態が急変する、という話題があるけれども、本当に「急変」なんだろうか。
SpO2(パルスオキシメータで測定した動脈血酸素飽和度)が96%位に落ちるまで、普通は息苦しさも感じないし、日常動作にもほとんど支障がないと思う。動作マージンで余裕がある。
私自身の数字で言えば、30代、血圧計のソフトを書いていた頃は、99%〜100%だった。長年の喫煙の影響なのか、50代、普通に生活している時に測定すると、だいたい98%。振れ幅は、97%(喫煙直後)~99%(階段を下から駆け上がった後、など)の範囲に入っていたと思う。これがもし、96%に落ちたとしても、「やや息苦しい」程度だと思う。
実際、息を思いっ切り吐き出して呼吸を止めてじっとしていても、すぐにはSpO2は下がらない。30秒以上98%以上の数字を示している。それが、ちょっと苦しいかな、と感じるあたりで97%に下がり、そこから先は、じわりじわりと、数秒ごとに96%, 95%と下がり、そこまで落ちると一気に数字が落ちてくる。動脈血中酸素分圧の80mmHgは、個人差があっても、苦しいと感じる前後の数字ではないかと、私は理解している。(こういうのは、現場の呼吸器系の医師に聞いてもらわないと、正しい認識は持てないけれど、私自身の体の数字で言えば、こう思います。)

SARS-CoV-2の増殖で、肺内部のガス交換の有効面積がじわり、じわりと、少しずつ失われても、動作マージンの範囲内でSpO2が97%とか98%なら全く「自覚症状」がない。ただ、私のような喫煙者ではなく、元々99%あたりの数字だった方が98%とか 97%まで落ちていたとしたなら、自覚症状が全くなくても、実は、肺胞の有効ガス交換面積が既に20%とか40%とか、かなり失われているという判断をすべきではないか、と思う。それが、ガス交換面積が60%とか80%とか失われると、SpO2も95%程度まで下がり、ここで初めて「急変した」という判断になる。ということではないかと、私は推測する。実は、「急変」ではなく、じわりじわりと機能が失われても表面化せず、動作マージンを使い潰したところで初めて「苦しい」となる。
仮説です。無責任に書いています。ただ、「軽症患者」でも、入院されている患者さんならSpO2の推移とかを記録しているはずだし(もしかして、点数にならないから、測定してないとか・・・そんなことはないと思うが)、予後や転帰との関連を、統計的に調べるのに足りるデータが取れているとしたなら、自宅療養や、ホテル療養の患者さんのSpO2を測定することは、「数日後の急変」を予測するのに、有効ではないか、という気がする。

下手な鉄砲数撃ちゃ、です。どれだけ正しいか、これはもう、本職に判断してもらうしかない。
私が正しいことを書いているか、否か、ご自身で調べてご確認ください。私は、自分の考えを書いただけであり、全ては「推測」です。


追補です。血圧計の制御プログラムを書いていた頃、「アラーム設定」の動作を確認する都合で、 SpO2のアラームを発生させるのに、息を止める、ということを何度もやっていたのを思い出した。無論、90とかに設定すると、もう、死ぬほど苦しいから、数字は高めに設定するけれど、それでこれらの数字の変化は印象に残っている。

同様に、血圧のアラームも自分の体で「高血圧、低血圧」の数字を「出して」試した。上げるには、バルサルバ反射というか、思いっ切り「胸腔内圧」を上げて循環血液量を下げ、血液を大静脈に溜め込んでおいてから呼吸を解放すると、最初は、一気に血圧が下がるものの、その後、数心拍の間に、一気に上が50mmHg近く跳ね上がる。これで、血圧を「上げた」。下げる方は、腕を上げたり、こちらも色々と工夫はしたけれども、結構色々とやったような記憶がある。トノメトリは、手首の回転に弱く、支えている骨を逃すような捻り方をすると、センサーの当たり方が変わって30mmHgくらいはすぐに下がる。

私には、自分の体の数字しかわからないけれども・・・普通の体をしている、とは思っていますが。

 

情報発信は正確に

あんまり、偉そうなことは書けないんだけど。僕もかなり粗忽だから。

ちょっとひどいなと思ったニュースサイトがあった。
「家の中でウイルスの付着場所5選」のようなタイトル(変えています。)

1. ドアノブ、 2.洗面所の水栓金具、 3. 手を拭くタオル、 4. 冷蔵庫の扉、 5.ダイニングテーブル
これはいいとして。

気になったのは、記事の中で何度も、例えば、「手を拭くタオルは、ウイルスが付着して増殖しやすい場所です」みたいな書き方をしている。
明らかな間違いです。ウイルスは、細胞の中でしか増殖できないから、タオルでも、ドアノブでも、ダイニングテーブルでも、付着はしても増殖はしません。これを書いた方、明らかに専門外。細菌とウイルスを区別できていない。

加えて言えば、例えばマラリアは原虫だから、ウイルスでも細菌でもないし、種類が違えば効果がある薬品の種類も違ってくる、ということになると思う。「殺菌消毒」で、増殖する細菌に対して効果がある医薬品が、ウイルスに対して効果があるとは限らない。たまたま、アルコールはウイルスに効果がある、と考えた方がいいと思う。

この時期、不安から様々なニュースをすがるように読む。正確さには気をつけるべきだろうと思います。(–> 自分)

トランプは天才だ

消毒液注射でコロナ治療? トランプ氏提案、専門家は全否定
https://www.afpbb.com/articles/-/3280263

すごいなぁ、こんなことを思いつくなんて。
トランプ大統領を見直した。あの人は天才だ。

まず、ご自身の体に、確実にウイルスを殺せる量の消毒薬を注射して、実践してみることをお勧めする。いや、絶対に試して欲しい。

きっと、とてつもない効果が現れて、(イスラエル以外の)世界中が大喜びし、トランプ氏の勇気ある行動に、大絶賛することだろう。

経済活動再開

僕や松尾くんは、普通に仕事をしている。
元々、穴倉ごもりの仕事スタイルだから、ほとんど影響ないのだけれど。

トランプの言う経済活動再開なんかは、今やったらすごいことになるだろうな、と思った。あの人が緻密な検証の上で物事を判断しているとは思えない。
政府が経済指標を平気で操作する国が、経済活動を再開しているけれど、実は、今、結構大変なことが進行しているような気もする。

ただ、十把一絡げに「経済活動再開」と言う表現は、なんだか議論が余りにも荒っぽい気がしている。
僕や松尾くんは、ほとんど仕事の上で直接「人と会う」リスクはない。確かに、「打ち合わせ」で出かけることはあるけれど。
例えば、農林業なんかでは、屋外の畑仕事、山での仕事に感染リスクはほぼゼロだと思う。
ビニールハウスなんかだと、空気が籠るから、一緒に作業をしている人が感染していると屋外よりもリスクは高まるかも知れない。
けれども、不特定多数ではない。

医療現場は、感染リスクがどれだけ高くても、クラスターが発生していない限り医療行為を続けるしかないんだろうな。それは除外して。

ニュースを見ていると、夜のお店でのクラスター発生とかが多い気がした。僕は細かいデータは見ていない。ただ、1万人以上の感染者がいて、少なくとも4割程度は「感染経路」が把握されているとしたら、「感染リスクの高いビジネス」はある程度特定できるのだろうと思う。

パチンコ店。クラスターが発生した「事例」はあるんだろうか。確かに、閉じた空間で、隣の台との距離も近い。けれども、居酒屋との決定的な違いは、会話があるかどうか、ではないか、と言う気がする。多くの人が言葉を発さない、としたなら、あとは、(あれ、なんて言うんだろう、呼び名を知らないけど、)レバー(かなぁ?)っていうか、ボタンっていうのか、その辺の手に触れる部分だけ店がきちんと消毒しているなら、結構感染リスクは下げられるかも知れない。「遊興施設」だから、という理由だけで色眼鏡で見るべきではないと思う。観光地についても、同じことを感じている。

確かに「事例」というか、状況証拠としては、3月の連休から2週間後に、感染者数が増加に転じた。不特定多数との距離が近い機会が増えたから、だと思うが、レベルがそれほど高くないから、「爆発的な増加」までは避けられたような気がする。増加率が小さい。その理由が理解し切れていない。

話の枕が長い。何が言いたいか。業種、業態によってレベル分けすべきだ。その業種、業態ごとに、細かく「注意事項」を規定して、「自粛要請」にしても、「エビデンス」に基づいて行うべきだと思う。
例えば、なんの根拠もなく書くけれど、レベルを1〜4に分けるとして

レベル1: 屋外仕事の農家、作家、プログラマ、家内制手工業の個人事業主、など「出勤」する必要のない仕事、屋外の道路工事や、建築作業
レベル2: ビニールハウスなどでの農作業、道路に面して内部に飲食スペースを持たない対面販売の小売店舗、(視野に、十数人しかいない)観光地
レベル3: レストランや食堂(閉じた空間)、入域制限のない観光地(視野に、百人はいる程度)、スーパーマーケット、高齢者・障害者の介護施設、パチンコ店
レベル4: ライブハウス、居酒屋、屋形船、ナイトクラブ、観光バスによるツアー旅行、医療現場

だめだ、具体例の「例」すら思いつかない。ただ、「会話が多い」とか、「換気の程度」とか、平均的な人と人との間隔、など、細かく条件を抽出し、ビジネスの業種、業態、現場の種類ごとに感染リスクを区分けし、感染事例に基づいて、感染リスクのレベルを分けるべきだ。(エビデンスに基づいて。)

次に、「社会機能維持」の必要性に基づいて、「活動継続」の必要性もランク分けすべきだ。例えば、医療現場など、どれほど感染リスクが高くても「営業自粛」にはすべきではないと思うし、事業継続の「必要性」も、ランク分けすべきだ。無論業界団体などから意見は出るだろうけれども、その「必要性」には「雇用の維持」など、純粋な「感染リスク」などから切り離された、業種業態ごとの状況が反映されるべきだと思う。例えば、「大企業」とか「公務員」などは、「出勤」を抑制しても母体の資産規模のおかげで、すぐには「無給」にはならない。ただ、規模が小さくなればなるほど、「事業を継続」しなければ、生活できない。

「一匹狼の協同組合」なんて表現があって、「協同組合」を作った時点で、「どこが一匹狼だ!」なんて話もあるけれど・・・乳幼児と同じ。体が小さいほど、今回のリスクには弱い。協同組合の代表に、立場を主張してもらうしかない。

NHKのニュースで流れていた。大手元請が工事を軒並み止めた。元々、下請けの都合など考えないのが通例だと思うけれども、その結果として下請け企業の倒産が連鎖的に起きれば、今後はどんな工事も「下請けが見つからない」事態に陥ると思う。結果的に大手元請も、仕事を受注できなくなる。むやみやたらと「コロナが怖い」ではなく、感染リスクの程度を見極めて、事業継続を判断すべきだ。そのためにこそ、「感染リスク」の業種業態ごとのレベル分けや、「リスクを下げるための条件」を、きめ細かく提示すべきだと思う。それをしなかったなら、致命的に、経済活動の構造そのものが破壊されると思う。

今は、観光業も、宿泊業も、ファーストフードのチェーン店も、百貨店も、「不特定多数」を相手にするほとんどのビジネスで、「どのお客様も、感染者かも知れない」想定で動かざるを得ないのだろうと思う。
日本経済が生き延びるためには、「客が感染者であったとしても、必要最低限のリスクでビジネスを継続するために、対策すべきこと」を見極めて、とにかく、全面自粛ではない方策を考えるべきではないか、と私は思う。「正しく怖れよ」という原点に返って、冷静に考えるべきだ。業種・業態・「営業方法」によって、リスクはかなり違う。

不謹慎かも知れないけれども、弱い生き物の捕食行動を思い浮かべた。普段は巣穴の中で生活している。それでも、食べ物を得るためには、巣穴から出なければならない。その際に、自分自身が他の生き物に捕食されてしまう、そうしたケースは、数え切れないほどある。
自分が、他の生き物のエサになるのが嫌ならば、穴倉に籠もって、出なければいい。だけれども、出なければ、餓死する。
今、人類が置かれている立場が、正しくそれだと思う。

「経済活動を再開」する以上は、一定以上の確率で自分が感染し、なおかつ、自分自身や周囲の人間が死ぬことも覚悟すべきだ。動物はその上で「捕食行動」を行う。
大丈夫!その動物も、人間も、「意識体」としては存在し続けて、次にまた肉体を持つ機会があるから。しつこいくらい、書いているけれど。そもそもが、「死んだらそれで終わり」みたいに考えて、「死ぬまでに、稼げるだけ稼いでやる」みたいな、金しか考えない人が増えたから、「誰か」がこの事態を引き起こしたと、僕は思っている、けれど、話題がそれた。元に戻す。

安倍総理には期待できない気がする。利害の調整しかできない人だもの。台湾の蔡総統とか、ドイツのメルケル首相とか、あるいは、ニューヨークのクモオ州知事とか、その辺の方々に、是非、この「レベル分け」とか「ランク分け」とか、さらに、その「レベルとランクの組み合わせ」による「経済活動再開」のための、「注意事項」とか、指標とか、そう言ったものを打ち出してもらって、日本はそれを真似すればいいだけのような、「お手本」を示して欲しい、そんな気がする。
(だったら、日本語で書くな、英語で書けって?いや、そんなことしたら、3倍は書くのに時間がかかるから、いやです。)

自民党の誰かが「(緊急事態宣言を解除するための)出口戦略」とかホザいていた。あの政党の危機感のなさ。頼むから、1年先、2年先の話を持ち出すのはやめて、「今」のことを考えて欲しい。

俺は、もう20年以上、自民党や自民党議員には投票してない。でも、あの人たちがこの国を仕切っている。多数決ですからね。だったら、この国の経済が壊滅しても、そこに僕の責任は一切ないと断言できる。安倍一味に投票した人たちは、責任を感じてください。責任を感じたなら、できることをやってください。

宿泊業

旅行業界の地崩れ的な危機は、もう、避けがたい気がする。なんだか、僕も旅行は好きだし(一緒に行く相手によるけど・・・)是非多くの海外の方に、日本に来てもらいたかったから、残念。

ただ、宿泊業界は「観光客」から、「一時受け入れ施設」としての業態の転換が可能なのかな?行政のバックアップが必要。新型コロナの「軽症」の感染者の滞在先。

これ、英語の語源の話題として結構出てくると思う。HotelとHostel, Hospitalは同じ語源。滞在者を受け入れて、もてなす。人の移動が頭打ちになったのなら、「感染者の受け入れ」のために、何をすべきか、何ができるかを考えて、業態を転換するなり、あるいは、行政側が「軽症感染者の受入施設」を探しているなら、それに応募して、「滞在先」としてのメタモルフォーゼができないのか、とも思う。(すみません、カタカナ語使っちゃった。でも、これが一番しっくりくる。「サナギからの脱皮」みたいなニュアンスも、確かあったと思う。)

コロナだけじゃない。ここから先、都会で仕事が得られない人は数百万人単位で出てくると思う。「実家」があるならともかく、「とにかく、仕事にありつきたい、ネットで見ていたら、この仕事、全然求人が埋まっていないじゃないか」なんていうのを、ネットで見つけて、その土地に移住したいと思う人も出てくるかも知れない。

感染者に移住されたら、怖いですよね。だったら、「我が県に移住したいなら、とりあえず、ここに2週間滞在してください。」ってな、受け入れ先を、(コストがどの程度かかるかわからないけれど、)行政で提供して、その受け入れ先として、観光客が来なくなって閑古鳥が鳴いている「宿泊施設」を斡旋する、なんてことはできないものか。無論、コストは「県民負担」だけれど、その「宿泊施設」には収入がある。その2週間が過ぎた後、どこに住むか。空き家というか、「空洞化」している地区というのは、日本全国、かなりありませんか?このマッチングも、基本的には行政でないとやりにくい気がするけれども、行政が何もしないなら、法律の抜け穴を探して、民間のNGOやNPOがやったらいいと思う。ってか、行政が「財源がないから何もできない」と思うなら、いわゆる「規制緩和」というか、条例を改正したり、法律の抜け穴を公認する「条例」を作ったりして、受入枠を広げるようにして、地方にもっと「人を移す」ことはできないかな?

旅行業。致命的な打撃を受けてると思う。最低でも、一年は覚悟すべきだ。東京オリンピックを計画通り開催したいがために、初動が遅れに遅れた。その最初の2ヶ月の判断だけで、1年以上の影響は出ると思う。(検証する気はないけれど。面倒だから。)だったら、もういっそのこと旅行業とか、観光業には(一時的に)見切りをつけて、東京などの大都市から、受入意志のある地方への、人の移動の斡旋に、業種、業態を転換する、なんてことは、できないものか、と思った。

ただ、それだけ。


どうでもいいけど、タビックスのT さん、ツアーのアテンドをやめて、会社も辞めたって聞いたのは、21年前?かなぁ。パプア・ニューギニアで、ツアーのお客さんから「日本語、お上手ですね。」とか、言われてましたよね。日本人なのに。

パルスオキシメータ・追補

なんだか、専門学校での授業をやってるような気分になって来た。一つ前の話題の追補。

パルスオキシメータは、生体組織の吸光特性を利用しているから、その吸光特性を変化させるようなものがあると、正確な測定ができない。入院した経験のある方はご存知だと思うけれども、医療現場では指先に装着するタイプが多いと思う。その場合、マニキュアなんかを塗っていると、全く正確な数字は出ない。

他にも、鎌形赤血球とか、色々と条件はあるけれども、マニキュアは絶対ダメだと、そこだけ追加します。ここから先は、専門家の意見を聞いてください。

パルスオキシメータ

軽症・無症状者は原則宿泊施設で療養 自宅で急変相次ぎ厚労省
https://mainichi.jp/articles/20200423/k00/00m/040/226000c

自宅療養の場合、保健所が1日1、2回、患者に電話などで体温、せきなどの症状の有無を聞き取り、悪化したらすぐに入院してもらう流れになっている。だが、厚労省が宿泊施設には置くよう求めている血中酸素濃度を測る機器「パルスオキシメーター」を使えないなどの課題がある。

何をコイてんだべ。

「パルスオキシメータ 価格」でググればすぐに出てくる。
https://www.google.com/search?q=%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%82%B7%E3%83%A1%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E4%BE%A1%E6%A0%BC

安いのは、2700円台。高くても5000円しない。
一昨年だったか、専門学校の学生が、文化祭の発表にパルスオキシメータを自作したい、とかいうので、作り方とか説明して、とにかく波形を出すところまではこぎつけた。そこから先は、血中濃度を実測しての結果と係数計算で対比しながら校正テーブルを作らないと数字は出せないから、医療現場とタイアップしないと難しいかも知れない、と伝えた。その時の回路パーツの値段は、400円くらい、だった。ただし、他に、Arduino と パソコンを使ったけれど。組み込み用チップでプログラムしたら、電気・電子部品の価格は全部合わせても500円に届かないと思う。量産品なら、ケーシングとかを除いて(型代が高いだろうな)100円、200円の世界だと思う。だから、民生品として2700円とかで売りに出せる。
それが、「自宅では使えない」?って、何を言っているんだ?買って、貸し出せよ!

っていうか、これだけコロナが蔓延したなら、体温計と同じく、買ったって大したことない。個人で持っていたって、全然贅沢ではない値段だと思う。

「自宅で測ったら、SpO2(血中酸素飽和度)が95%でした」と医者に伝えたなら、間違いなく「即入院」の判断をしてくれると思う。大慌てだと思う。

思えば、オシロメトリックの血圧計が安くなった。2000円台がある。血圧計はエアポンプが必要だけど、パルスオキシは電気部品だけで作れる。需要さえあるなら、パルスオキシメータは1000円台でも売りに出せると思う。

僕は、タバコをやめて安静にしていると、滅茶苦茶血圧が下がる。(昔は、だな。今はかなり高めになってる。運動不足が著しい。)上が70mmHgとか80mmHgとかに下がるもの。さすがに、最高血圧が80mmHgを切ってくると、立ってもふらふらするというか、それでも無頓着な私は、夏場に脱水して、年に1〜2回とか、こういう血圧になってる。で、医療現場で「上が70mmHgを切りました」とか言ったら、やはり主治医が大慌てで飛んでくると思うな。パルスオキシの数字が95%を切ったら、かなりヤバイと思う。普通なら、苦しくて意識が朦朧とするレベルじゃなかろうか。持続的にそうなったことはないから、よくわからないけれども、学生に「喫煙者なんかは、息を止めていると割とすぐにSpO2が下がるよ」と、実演して見せた。今はもう、1分息を止めていたら、すぐに下がるね。(タバコ、止めりゃいいのに。)95%を切ってくると、そこから先は下がるのが速い。7〜8秒くらいで90%を切り、パルスオキシが出す数字は、実際の血中酸素飽和度の数字から5秒くらい遅延があるから、もう限界、っていうところまで息を止めて、それから呼吸を再開すると、90%を切ってからさらに5秒くらいの間に、一気に80%を切り、70%を切り、60%台にまで落ちて、その辺で、5秒前には呼吸を再開しているから、(一応健康なんで)一気に100%近くまで回復する。

なぜ、そうなるか。ニュース報道とか、パルスオキシメータの販売サイトの表現を見ると、「血中酸素飽和度」ではなくて「血中酸素濃度」と書かれているのもあるけど、それは、とんでもなく大きな間違い。
その二つの指標は全く比例しない。医者に、その二つの用語を混同して伝えたら、全く状況が伝わらない、と思う。

健常者の血中酸素分圧が100mmHg程度だとして、その時の酸素飽和度が100%だとすると、酸素飽和度が90%まで下がった時には、酸素分圧は60mmHgくらいにまで下がっている。95%を切ったあたりで、血中酸素分圧(濃度)は80mmHg前後まで落ちているから、「苦しさ」を実感するレベルになっていて、この「濃度(分圧)」と、パルスオキシの出してくる「酸素飽和度」は、比例関係にはなっていなくて、S字カーブになっている。酸素分圧60mmHgは、もう、完全に「呼吸不全」の状態。(でも、飽和度は90%程度)だから、パルスオキシの表示が90%を切った、っていうことは、手当てをしなければ一日以内に死んでもおかしくない(その前に、脳死になるかも知れない)レベルだ、ということになるかも知れない。

「自宅では使えない」どころか、ネット通販で3000円出せば買える。
コロナの蔓延がここまで来たら、パルスオキシも増産してもいいかも知れない。

 

gitの言語設定、顛末記

作ったプロジェクトのrootで、git initのコマンドを叩いたら、こんなメッセージが出て来た。ベトナム語らしい。

Khởi tạo trống rỗng kho Git trong /Users/kobayashi_ikuo/PycharmProjects/HogeMoge/.git/

ベトナム語なんて設定した覚えは全くない。 printenvで環境変数を見ても、それらしき記述がない。ってか、これは git の吐いてるメッセージだ。ならば、gitの言語設定か?

と思って、ググるんだけど、git と「言語」を組み合わせると、言語の方は、javaだのrubyだのpythonだの、プログラミング言語の話題ばかり出て来て、自然言語の設定が探せない。「日本語化」だと、Windows環境の話ばかり。

set LANG=ja_JP.UTF-8
効果なし。

gitにメッセージを組み合わせたら、commitメッセージの設定の話ばかり。メゲた。解決策も、検索方法も思いつかない。どう対処するか。

案1: git からの表示言語の設定方法を探す。一晩でも1週間でも。
案2: 僕がベトナム語を覚える。
案3: 見なかったことにする。

さて、どうしましょ。


$ git –version
git version 1.8.2.3

案4: gitを更新する。

$ brew upgrade git
–> 変わらん。

ググったら、こちらは出て来た。

[Mac] HomebrewでGitアップデートできないエラー => Error: The `brew link` step did not complete successfully The formula built, but is not symlinked
副題: HomebrewでGitのバージョンをアップグレードしたのに git –version で確認するとバージョンが変わらない件

これだ!と思ったら、やっぱり変わらん。

$ which git
/opt/local/bin/git

あれ、/usr/local/bin/gitじゃない。

$ PATH

optが先。usrが後。 /opt/local/binを見る。これがいた。

-rwxr-xr-x 1 root admin 1612160 6 6 2013 git*

/usrを見る。

lrwxr-xr-x 1 kobayashi_ikuo admin 14 4 23 18:16 git@ -> ../git/bin/git

結論。

$ sudo rm /opt/local/bin/git*

を決行!(怖いね、このコマンド)

$ git –version
git version 2.7.1

通った。でも、最新のgitじゃない。半歩前進。 brewしたのは 2.26.2 とかなってる。

でも、とにかく変わったはず。再度挑戦

$ git init .
Initialized empty Git repository in /Users/kobayashi_ikuo/PycharmProjects/HogeFuga/.git/

英語だ。当面、これなら問題ない。でも、明らかに

$ brew link --overwrite git

この結果が正しくない。どうしましょう。

ここで最後に、案3を決行!

案3: 見なかったことにする。

もう、そんなに暇じゃないもの。でも、Qiitaがなかったら生きていけない。

Qiitaのあまたの執筆者様に、深謝。

m(_ _)m

コロナシフト

昼日中からコロナの話題を書くなんて。

3時間目の授業が終わった。オンライン授業初体験。終わってから画像配信を止めて、チャットを開いてもらっていたのをそのままにして、一服してトイレに行って戻ったら、5分経っても「チャット」に質問を投げて、返事を待っている学生が2人いた。「返事が遅れてごめんなさい」と前置きしてから、返事を書いた。

振り返ってみて、明らかに違うのは、普通なら僕が学生の顔を見ながら話をして、自分の話している姿は見ない。けれども、オンラインでは、学生側はミュートにして「挙手」したり「手を叩く」アイコンの表示はできるけれども、顔画像を配信しないから(プライベートな空間が出てしまうから、だと思うけれど)自分の話す顔と、学生の顔の代わりに学籍番号が表示されている分割窓を見ながら、1コマ分話した。ここは、慣れるまでかなり違和感があった。でも、それ以外は、普通の授業とどこが違うのか、なんて思ってしまった。

通常だったら、片道2時間弱かかるから、1コマの授業でもほぼ一日潰れるのが、授業時間だけの拘束、というのも、かなりありがたいかも知れない。そうは言っても、初めての経験で、しばらく惚けていた。すぐに仕事には切り替わらなかった。

木曜日の3限。内村先生とお会いできないのも、ちょっと寂しい。と思っていたら、内村先生がFacebookでシェアしたというメッセージが、メールから流れた。

http://blog.tatsuru.com/2020/04/22_1114.html
コロナ後の世界 – 内田樹の研究室

一気に読んでしまった。それで、こんな昼日中からのコロナの話題のアップロード。

次の一節は、全く笑える話ではないけれど、笑うしかなかった。

一つには、東京オリンピックを予定通り開催したいという願望に取り憑かれていたからです。そのために「日本では感染は広がっていない。防疫体制も完璧で、すべてはアンダーコントロールだ」と言い続ける必要があった。だから、検査もしなかったし、感染拡大に備えた医療資源の確保も病床の増設もしなかった。最悪の事態に備えてしまうと最悪の事態を招待するかも知れないから、何もしないことによって最悪の事態の到来を防ごうとしたのです。これは日本人に固有な民族誌的奇習です。気持ちはわからないでもありませんが、そういう呪術的な思考をする人間が近代国家の危機管理に当るべきではない。

次の一節は、非常に共感。なんとか、「中産階級の没落」だけは防いで欲しい。

コロナ禍がもたらした最大の社会的影響は「中間層の没落」が決定づけられたということでしょう。民主主義の土台になるのは「分厚い中産階級」です。しかし、新自由主義的な経済政策によって、世界的に階級の二極化が進み、中産階級がどんどん痩せ細って、貧困化している。
コロナ禍のもたらす消費の冷え込みで、基礎体力のある大企業は何とか生き残れても、中小企業や自営業の多くは倒産や廃業に追い込まれるでしょう。ささやかながら自立した資本家であった市民たちが、労働以外に売るものを持たない無産階級に没落する。このままゆくと、日本社会は「一握りの富裕層」と「圧倒的多数の貧困層」に二極化する。それは亡国のシナリオです。食い止めようと思うならば、政策的に中産階級を保護するしかありません。

政治に期待できないとしたなら、この「中産階級の保護」を「一握りの富裕層」や「基礎体力のある大企業」に手助けしてもらうしかない、と私は思う。YOSHIKIさんの「寄付」を売名行為だと責める人がいたらしいけれど、結果が全てだ。今考えるべきは、「目的」と「手段」と「効果」だけだと思う。

コロナ禍で、消費が落ち込む一方で、極めて限られた(ごく狭い)医療関係を中心に膨大な需要が膨れている分野がある。マスクの生産もそうだろうし、防具服も、人工呼吸器も、ECMOも。あるいは、通販が多くなれば物流にも人手が足りなくなるし、スーパーマーケットもスタッフの数が限られて悲鳴を上げているらしい。「配達」が増えてくるなら、配送関係への人手も必要になる。

そうかと言って、恒久的な雇用は難しい。だとしたら、例えば(暴論だけど)スーパーマーケットと、パチンコ屋とが「事業提携」して、パチンコ屋は、スタッフをスーパーに「派遣」して「雇用」を守り、スーパーマーケットは、保育園が子供を預かれないことで足りなくなっているパートさんの数を補う。コロナ禍が収束したら、提携解消してそれぞれがまた、元の状態に戻ればいい。こういう乗り切り方は、できないものかと思った。もっと大胆に、「居酒屋」から、「後継者のいない田畑を持つ農家」に人を派遣するとか(その地域で閉じている形でないと、今は難しいかも知れないけれど、)とにかく、今まで「人が集まらない」と言われていた業種、業態に、「この状態が1年も続いたら、廃業だ」という業種、業態から、「時限付き」で人を斡旋して、とにかく雇用を確保する。何か、こうした方策は取れないものかと思った。

下手な鉄砲です。乱射してます。乱暴な議論ばかりだけれども、僕は、アイディアの「質」ではなく「手数の多さ」でやってます。

引用元の冒頭の一節。

「コロナ以前」と「コロナ以後」では世界の政治体制や経済体制は別のものになるでしょう。

僕は、僕自身の立ち位置でしか言葉にできない。「環境負荷」を可能な限り抑えたシステムの構築が必要だと思う。資源の浪費ではない、としたら、生産と消費が可能な限り物理的に近い状態が望ましいに違いない。

可能であるならば、「コロナ禍」への対策が、同時に、「コロナ後」の世界への移行プロセスを兼ねられて、経済活動の萎縮を可能な限り防ぐ、そうした議論がそろそろ出て来てもいい頃ではないかと、僕は思う。僕は「コロナ後」の「あるべき姿」についても、書き続けたい。新型コロナは「目的」があって我々にもたらされたものだ、と思うから。

同時に、忘れてはならないのは、「独裁」を防ぎ「民主主義」を守るためには、一人一人の行動と発言が何よりも大切だ、ということだと思う。引用元の文章にも、その話題があった。そして、「一人一人の行動」で、今現在最も大切なことの一つが、”Stay home”なのかも知れない。

人間関係

新型コロナ 軽症で自宅待機の50代男性死亡 埼玉
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200422/k10012401031000.html

自室で死んでるのが見つかるケース、なんて、昨日書いたばっかりの気がする。展開が速すぎる。
このケース、増える気がする。同居する家族がいると、感染させまいと苦慮するにしても、気付いたら死んでたなんてなる前に、たぶん、救急車を呼んでもらえる。(日頃のDVの逆襲で、放置されたりなんかして。)ただ、一人暮らしだと、とにかく病気は心細い。

ただ、一番心配なのはこちら。

年間8万人も! 行方不明者どこに消えるのか
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/152005

30代以下が半数以上。住民票から辿れないのか、とも思うけれど、転出先に届け出ない、いわゆる「住所不定」だろうか。
ということは、「住民基本台帳」に名前がないはずだから、10万円は受け取れない。何らかの理由で、実家に戻りたくない、なんてことがあるんだろうか。こういう人たち、案外、夜の仕事なんかも多い気がする。(先入観ですが。)その夜の仕事は、申し訳ないけど、感染拡大防止には協力してもらいたいし、そうなると、行き場もない、逃げ場もない、収入もない、となる。

サラ金は、それなりに身元確認をしていると思う。闇金については、知らない。牛島くんシリーズみたけど、細かいところは忘れた。
生き延びるために、サラ金、闇金から金を借りても、長引くから返済は難しいと思う。ハローワークなんかは、住民票なんかの確認をするんだろうか?した方がいい?しない方がいい?それすらも、よくわからなくなってくる。
生き延びるために、オレオレ詐欺のような闇バイトに流れる、そこまで開き直れずに、気力をなくしたら、感染していなくても家で餓死するしかなくなる。この日本で、このケースが激増するとしたら、やはり、日本ってどういう国なのかと思ってしまう。
詐欺でもなんでも、とにかく生き延びろとは思う。

今は、地方でも、とても都会からの人口の流入は受け入れがたい。
感染のリスクさえ考えないのならば、一次産業でも、配送の仕事でも、地方で受入可能な職業は結構あると思うし、住居にしても「空き家」は日本全国に相当な数あるはずで、行政が、何らかの形で(法的根拠を持って、)空き家の「住」と、「職」を斡旋できればいいのに、と思うのだが、今は動けないだろうなぁ。というよりも、今動けないなら、おそらく1年近くは今に近い状況が続くような気もする。

このコロナ禍で、「都会にさえ出ていけば、何とか適当に一人で暮らせる」という理由で、安易に「失踪」するケースは減るかも知れない。どれくらい減るか、来年、失踪者の統計をみてみたい。ただ、既に出て来ちゃって、大都市(たぶん、東京、大阪だけではなく、福岡とか、仙台とか、新潟とか、そのレベルまで含めて)に流れ着いて、住民票を移さずに生活していたような人が、毎年8万人分×数十年分、いるような気がする。全員が大都市とは限らないけれど。

こうした方々の孤立死、洒落にならない数で増えそうな気がしてならない。

しつこい位書いているけれど、「人生は一度きり」じゃない。確かに、今回の人生は今回限りで、2度と同じような人間関係も持てなければ、2度と全く同じ経験はできないんだろうと思う。今回の人生で知り合った人で、今回が最初で最後、なんていう人も、結構いるかも知れない。そう考えると、「一度きり」のような気もするけれど、自分という人間は、普通は、また何百年後かに肉体を持つ。

周囲の人と人間関係を持つのは、面倒臭い。もういいや、死のう。そうやって死んだら全てが終わりだと思ったら大間違いで、おそらく、今生きている多くの方々が、今回のコロナ禍なんてチョロいくらいの経験をされて来ているはずだと思う。それなのに、前回も逃げた。今回も逃げる。それだと、全く進歩がないとは思いませんか?せめて、「もしかしたら、次もあるかも知れない」くらいの可能性は考えてもらえないものか、と思う。

行政は冷たいかも知れないけれど(地方に来ると、なんとかしたくても財源がなくて何もできない、感じかも知れないから、冷たい訳じゃないかも知れないけれど、(僕には、広島県知事を責められない気がする。))NGOとかNPOとか、救いの手を差し伸べようとしてくれる方々は、たぶんいる。この際だから、闇バイトでもいい、とにかく、新たに「人間関係」を模索して、生き延びて欲しい気がしてならない。

無題

イスラエル・ネタニヤフ首相、続投へ 与野党が連立合意
https://www.asahi.com/articles/ASN4P2SHNN4PUHBI001.html

政権合意は、中東和平をめぐって、パレスチナ自治区の一部であるヨルダン川西岸のユダヤ人入植地などについて、イスラエルへの併合に向けた法改正の議論を容認する内容となった。パレスチナ自治政府のシュタイエ首相は「2国家解決の終わりを意味する。国際法に基づいたパレスチナ人の権利を奪うものだ」と反発している。

これ、ヤバイんじゃないかと思った。
同じニュースが、時事通信や日経の記事で、Googleの検索トップに出ていたけれども、パレスチナ問題に触れたのは、NHKと朝日だけだったかな。

日経や、時事通信の視点は、イスラエルの動向そのものなのかも知れない。
僕の視点は、日経とも、時事通信とも、朝日とも、NHKとも違う。
いいじゃない、「多様性」ということで、こういう訳のわからんことを書く奴が一人くらいいたって。

去年の10月あたりから、地球そのものが「人類排除」にかかっているような気がした。厳密に言えば、人類を滅ぼすということではなく、限りなく「警鐘」に近い実力行使のような気がする。

その気があったなら、とっくに地球は「人類のいない星」になっていたと思う。過去に何度となく、「文明なるもの」を消滅させる騒ぎはあって、その都度文明の足場を奪われて、知の継承すらできなくなり、原始的な生活から再生せざるを得なくなった、その何度目かが我々なんだろうと、私は思う。例えば、今、通信媒体も、紙も、何らかの理由で一気に失われたら、親は子供にどうやって「知の継承」を行うか。それが、何世代か続いたら、原始生活が人類のスタンダードになると思う。そうなって欲しくないから、書いている。
今でも、色々と「伝承」は残っていると思う。「摩訶不思議な痕跡」は、いくらだってある。エジプトのピラミッドにしても、ナスカの地上絵にしても、それらについての「師匠の解説」を、僕は書かない。書いたって、「何言ってるんだ、こいつ、変な宗教にハマりやがって」がオチだと思うから、書かない。けれども、時系列に並べての辻褄はきっちりと合っている。プログラマ的な判断ですが。

いいですよ、世の中論理じゃない。サラリーマン時代、社長に「こうやれ」と言われたもんだから、思わず社長に「社長、それは物理的に無理です」と答えたら、「そんなもん、言い訳にならんがや」と一蹴されたことがあった。確かにね、発明とか、発見とか、そういうブレイクスルーを簡単に作り出せれば「絶対に不可能」とは言いませんが・・・。「物理的に無理」にも、色々とあって、・・・って、私、何の話を書いていましたっけか?
いいや、私なりの「論理的整合性」とか「緻密さ」とかで判断して、それを他人に伝えても、結構「一蹴される」ことは多かったから(伝え方の問題か、枕が長すぎるとか、)人類史の話は忘れてください。(ってか、もっと訳のわからない話題に突入する。)

地球がどういう意識体か、師匠の講演会で色々と伺っている。ただ、この段落に書くのは、私個人の見解。師匠の講演会に参加している我々自身の「意識」は、何かと上からも見られているようで、要するに、僕らが考えていることは、ほぼ全て上に漏れているんだろうな、と、そんな気がしている。相当に、色んなことがバレてる。ということは、僕らが日常見聞きしている多くの出来事も、僕らが意識した時点で、上に伝わっている、ということかな、と思う。
要するに、僕らは、師匠の講演会に参加し、上の方の意識がどんな思いなのか、そんな感じの話題を聞きながら、実は、かなり詳細を明確に伝達するアンテナというか、プローブの役目を果たしているのかな、なんてことを、昨年辺りから考え始めた。加えて言えば、今はもう、テレビのニュースに、You Tubeに、膨大な量の「詳細情報」が世界規模で伝わって来ている。それら全てが、おそらくは、地球意識にも伝わっているんだろうか、なんてことを思った。

平和に共存する生き方を模索しろ、と、それはある意味で「至上命題」だと思う。殺し合うなんて、論外。要するに「武力」に頼る発想を人類が持ち続け、それが、やれ、宇宙戦争だの、宇宙軍創設だの、そこまで来たら、もはや「我慢の限界」ということだと、僕は思う。

地球と我々の関係は、私たち自身の意識と、私たちの体の細胞の関係に似ていると、私は理解している。私が私の体の細胞に、感謝の思いを伝え、「間違った意識」を持たない(かなり細かいから、具体的説明は割愛)限りは、少なくとも「原発性」の病気にはならない。他人の意識をほとんど読んでしまう人は、他人の意識のおかげで病気になるみたいですが。ところが、体の細胞が勝手に、僕らの意識を無視して、リンパ液を勝手に燃やすわ、カルシウムは勝手にあちこちで結晶化させるわ、イスラエルみたいに浸潤性の増殖を果てしなく続けるわ、それを僕ら自身が自覚した時に、僕らは自分の体にどんな措置を施すだろうか?今、その「措置」に取り掛かられている、という自覚を、どうか持って欲しい、と思う。私は私自身の責任で、私自身の言葉として、これを書きたい。万が一、表現に誤りがあったとしても、それは師匠の講演内容を「解釈」した私の誤りで合って、全て私の責任。

安倍総理が、「武器輸出三原則」を閣議決定だけで破棄した時に、僕は、猛烈に反発した。相当な勢いで言葉を書いて投げつけた。たぶん、届いていなかったんだろうと思う。結局、なし崩し。それ以来、一貫して「武器輸出、アメリカの軍事支援」の立場で動いている。もういい。今、蒸し返したけれど、そういう安倍総理を選んだのは日本人だから、日本人全体がそれなりの責任を負うべきなんだと思う。これ以上、蒸し返すのはやめよう。

ロシアのプーチンさん、あの人、習近平とはかなり「色」が違う気がする。(なぜ、一方を呼び捨て?)微妙だからなぁ。ロシア人の責任、中国人の責任。民主主義国家でなければ、国民に責任はないはずなのに、なぜ?そんなもん、あたしにゃわからん。どういう意図があるかはわからないけれど、極めて「合目的的」であることだけは、間違いないと僕は思う。なんてことを書いても、「宇宙軍」の軍拡競争は、このコロナ禍の下でも着々と進められるんだろうか。できることならば、僕は、その状況を極力正確に、全部、上の意識体に伝えたい。(できることならば、ね。たぶん、できないけど。勝手に見られる分には、どうしようもないけれど。)

上から下まで、全ての人が同じ責任を負っている、とは思うけれども、影響が大きいのはやはり、地位が上の人か。やはり、いちばんわかりやすいのは、トランプだろうと思う。アレが何かをいう度に、共鳴して「アマゾンを焼き払って、何が悪い」とか、「石炭輸出にギャーギャー騒ぐなら、援助を止めるぞ」とか、そういうことを言い出す国家元首が現れる。そして、最後に、そうした国家元首を選んだ国民が、その責任を負う。わかりやすくて、いいじゃない。「いいね」を一つ。

じわりじわりと、周辺に「植民地」を広げていく「浸潤性」。世界中のユダヤ教徒が、イスラエルを支持しているんだろうか。「全身転移しやすい。」軍事力があって、「浸潤の速度が速い。」

毎年、臨床工学技士国家試験の直前、ポイント整理をやっていた。
「悪性腫瘍」と「良性腫瘍」の違いは、なんでしょうか。「膨張性ではなく浸潤性」「速度が速い」「全身転移しやすい」イスラエルじゃん。地球全体がイスラエル化したら、人類は滅びるね。

ここのところ、ずっと、コロナにトラップされてる。その割には、この話題は、コロナから離れたな。今後1ヶ月、とにかく重点的に「守る」ことが必要なのは、一般の医療機関と、高齢者福祉施設か。これって、書きましたっけか?僕はそう思う、っていうだけですが。
これ以上、コロナを拡散させないためにも、産業界も総力を上げて、消毒薬、防護具を末端まで(小さなクリニックまで含めた)医療機関に送り届けるべきだ。全世帯にマスク2枚なんかよりも、遥かに効果があると思う。(ついでに言えば、体温計の電池。LR41が絶望的に、どこにもない。僕は近所の店の店頭で見ただけ、ネットで検索しても「在庫切れ」ばかり。実態はどうなんだろうか、これ以上調べる気はないけど。国内生産していないのか?医療現場で使われている体温計の電池、あるいは、パルスオキシメータの電池(こちらは、単3とかか?)。現場で、体温を測れなくなったら、結構大変だと思う。ある程度寿命があるものだから、急には必要ないとしても、増産すべきだと僕は思う。長期間にわたっての需要が大きい。)

漏れがちなのが、高齢者福祉施設。予算が少ない、ギリギリの人数でやっているところが多いから、受け入れるために、スタッフ一人当たりが担当する高齢者の数が多いところもあると思う。ここにも、重点的に、消毒薬やマスクなどを届けるべきだと思う。

外れて欲しい予想だけれども、小規模な医療機関や、高齢者福祉施設が7割以上を占める形で、全国で、クラスターが数十〜百近く、1ヶ月以内に発生すると思う。そこを感染源として、クラスターが発生した医療機関、高齢者福祉施設を中心に、その地域で二次感染、三次感染が起きる。

もう一つ、既に、感染したり、あるいはしていなくても「孤独死」している/しかけている若年層や、高齢者の「独居者」が、結構な人数いると思う。「生活保護を申請する」とか、「行政に頼る」とか、そういう発想を持たない、地域との繋がりも持ちたくない、そういう「独居者」(中年でもいるか)が、大都市ほど、少なくない気がする。何を求めて都会に出たのか。
地方でもいると思う。なんてことを書くと、民生委員のIさんなんかには、「やめてよ、そんな話を振るのは!」なんて怒られそうだ。

よく言う、ネットカフェ難民とか、路上生活者とか、必ずしも教育水準が低い訳じゃないと、僕は思う。要するに、周囲と噛み合わないんだわ。だから逃げる。逃げた結果の、ネットカフェとか、路上生活だと思う。
「仕事がない!」と、死にかけてる人たちに、仕事を与えたら?きちんと防護服を提供し、1日程度の簡単な教育を施して、「PCR検査の検査員」とかに雇ったらどうでしょうか?医療職でなければできない?それは法律の問題でしょ?員数が確保できない、一方で仕事がない人がいる。「再教育」して、1日で「臨時PCR検査員認定講習修了証」とかを発行して、手伝ってもらう。そういう方策って取れないものか?要するに、ミスマッチング、なんだ。

あれこれ、思うことが再現なく湧いて出て来て、止まらない。とりあえず、昼間は仕事になってる。
どうせ、また夜になると、このコロナの話題にトラップされる。いいです。とことん、付き合う。
もちろん、読み手の皆さんは、僕に付き合う必要はありません。

僕と付き合ってください。「あなたには、もっといい人がいると思います。」そう思って読まないとか、「馬鹿いってんじゃねぇよ」って、一言で、ぶった切るか。
あ、読まなかったら、この段落まで、来なかったか。
どうも、お付き合いさせてしまって、大変申し訳ございませんでした。

ってか、僕のはWEBサイトだから、マスコミと違って、読んでるのは僕のページに訪ねて来て、開いた人だけじゃない?僕の責任じゃない。

何てことを書いてるんだ。ごめんなさい、郵便ポストが赤いのも、みんな私が悪いんです。

本当に、毎度毎度、長文だねぇ。この文章全体の主題を、1文字でまとめられなかったものか。

あ!

Gem::ConfigMap is deprecated

なんか知らないけれども、atomをインストール後、

rails new sample

で、突然VMwareが固まった。仕方なくて VMwareの強制終了。

一旦、Mac自体を再起動して、VMwareを再起動。そうしたら、ログインできなくなった。パスワードエラー。こんなことって、あるの?

念のための、途中までセットアップ済みの仮想マシンから、作業をやり直し。

今度は

sudo gem update –system

をやめた。これを実行すると、2.7.6 –> 3.1.2になる。これをヤメて、gemは 2.7.6のまま。他の作業は通常通りにやったら、Warning が全部消えた。やれやれ。

良かった・・・問題は、 rails new がうまく動くか、だ。
gem自身 のバージョン情報が、何かおかしいみたい。ruby を 2.5.0に戻そうとしたら、そんなのないって蹴られちゃったし。これで行くか。

pythonは一切問題なし。pyenv はいいとして、最初、gemではなくて rbenvを疑ったので、rbenvはなし、でセットアップノートを書いた。

いいか、これで。


>> そうしたら、ログインできなくなった。パスワードエラー。こんなことって、あるの?

わかった。キーボードレイアウトを日本語に切り替えるために、日本語環境をセットアップした。そうしたら、フォントも、フロントエンドも一緒に入って来た。もしかしたら、パスワード入力の場面で、カナ漢字変換モードになってしまっていたかも知れない。

あ〜、せっかちで、短気だから、「ダメだ、壊れた」と思って、削除しちゃったよ。

でも、どっち道、Warningは山のように出ていて、updateは簡単なのに、downgradeは面倒だから、これで良かったのかも。


追補の追補

同じところで、再び固まった。

Installing sassc 2.3.0 with native extensions

と、思ったら、3分位固まった後、再開。何なんだろう。念のためググったら、 Qiitaに書き込みがあった。

Rails new したらこんなメッセージが表示されたので、調べてみた
1.【chromedriver-helper is deprecated after 2019-03-31.】
2.【Ruby Sass has reached end-of-life and should no longer be used.】

長いタイトルだ。そぉか。わかりました。

tzinfo-dataの記述をコメントアウトしたら、Warningも全部消えた。

本当に、4月と9月は、obsolete と deprecatedに振り回されてます。

もう本当に、ネットに情報を上げてくださる方々、深謝いたします。

m(_ _)m

ちょっと見ない間に・・・

恒例の授業教材更新。rails 2の時から、毎年やって来て、現在rails 6。

昨年9月、秋学期の時はすんなりと準備できた。ただ、僕が用意したVMwareの仮想LinuxマシンをUSBでコピーしてもらう、という「緊急退避」ができたので、まだ「困る」ことはなかった。今回USB配布はできない。ただ、3.89GBですからねぇ・・・USBで配れない、としたら、Google Driveに上げちゃっていいものか

念のため、setup note.txtを用意することにした。ところが、

gem install rails

で入って来たのはRails の 4.X。何だ?

gem install rails -v ‘5.2.1’

で、強引に5を入れようとしたら、出るわ出るわ、deprecatedのメッセージに、とどめは懐かしいnokogiriのエラー。

擦ったもんだして、ググりまくって、ruby-devを追加インストールし、なんとか入ったら

Rails 6.0.2.2

秋学期の時は、すごく楽に入ったのに。しかも

/usr/lib/ruby/vendor_ruby/rubygems/defaults/operating_system.rb:10: warning: constant Gem::ConfigMap is deprecated

これが大量発生。Warningだ、Errorじゃない。でもなぁ・・・この画面を学生に見せる?

今年から、二刀流。 ruby on rails と python / django。どんな展開になるか。欲張りすぎて、要点が伝わらないことは避けないと、と思うが・・・ python /djangoだけにしようか。

自分がセットアップするのなら、まだいいとして、学生にこれをやらせる。その場で画面を見れば、コマンド一つで解決できる問題でも、スクリーンショットをメールで送ってもらって、とか、やはり、教室でないとやりにくい作業が多いからなぁ。

いきなり憂鬱になった。Python / djangoのsetup noteも、英語に書き換えないと、っていうか、バージョンが上がってるから、全部チェックし直さないと・・・

スッゲェ、やること多いじゃんか。何のんびりしてたんだろう。

拒絶

今日もNHKのニュースでやっていた。
看護師の子 保育園が拒否 医療関係者への差別や偏見 各地で
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200418/k10012393931000.html

私の理解では、これこそが新型コロナの本質的な原因だと思う。

私はトランプを非難しているけれども、一番影響が大きいから真っ先に非難しているだけで、私自身も含めて人類のこうした「拒絶」の意識が、不快でならない方が、再三にわたって警告を投げて、ついには、警告から排除に移った、と私は理解している。

僕も、医療関係者じゃない。医療機器は関係したことがあるし、その立場で医療関係者の卵を教えたことはあるけど。
ただ、あの人たち医療従事者の「清潔」とか「不潔」の概念は、一般人とは全く異なる、ということは知っている。「清潔」は医療現場でのイロハの「イ」だと思う。手術の前には、手術に使う機材はもちろん、滅菌された手袋の下の手まで、念入りに時間をかけて(それも、十数分というレベルで、手を洗い続けて)消毒する。

臨床工学の学生は、病院実習で人工心肺装置を扱うオペを見学する。初めて生身の体を切るオペを見ると、貧血を起こしたり、失神する学生もたまにいるようだ。ある臨床工学の技士長さんに言われた。「倒れてもいいけど、前に倒れて『清潔』(滅菌済み)のものに触れられると、滅菌のやり直しになるから、後ろに倒れるように突き飛ばすからね。」冗談かと思っていたけれども、どうやら冗談じゃないらしい。それくらい、「清潔」には神経を使っている。
こういう部分は、テレビのドラマなんかじゃ扱われない。地道な作業だ。

無論、感染症となったら今度は自分自身が危険に晒される訳だから、さらに神経をすり減らして仕事をされているに違いないと思う。自分が感染しない、ということは、自分が感染することによって他のスタッフや患者に感染させる、そのリスクを回避する訳で、ただ単に自分自身を守るだけではなく、やはり最後は患者のために、相当に神経を使って頑張ってる。と私は理解している。

そういう苦労を、全然察することもしないで、感染もしていない看護師の子供を「拒否」っていうのは、あちこちで非難は出ているけれど、やはり、人間としてどうかな、と思った。

冒頭に書いた。トランプは、「アメリカ・ファースト」を口にしたけれども、「ファースト」ということは、二番目に相手のことを考えるのか、と言えば、全然そんなことはなくて、あくまで「交渉」を成立させるために必要最低限の譲歩をするだけであって、実は相手のことなど全く考えていない。だから、本音は「アメリカ・ファースト」ではなく「アメリカ・オンリー」だと、私は感じている。アメリカ以外の利益の全てを拒絶している。加えて、金のためなら自然環境をどれだけ汚そうが一切気にしないと、そう解釈できる言動を繰り返していた。
真に「アメリカ・ファースト」であって、次には相手のことを考えるという姿勢ならば、それは国家元首の姿勢として至極当然でもあるし、なんら非難されるべきことではない。私はそう考えている。ただ、トランプの場合には「アメリカ・オンリー」が本音だと思う。

ただ、どうやらそうした発想の人間は、トランプだけではないようだ。この保育園の関係者も、トランプと大差ない。念のために書いておけば、「アメリカ合衆国の大統領と大差ない」と言ってるんだから、決して悪口を書いている訳ではなく、褒められていると思っておいて下さいな。

あたしゃ下賤の民ですから、上位の意識体の考えることなど、とうてい理解が及ばない。ただ、我々人類などよりも遥かに合理的で合目的的な判断をされているように感じる。大震災も、ハリケーンや台風も、そしてこの新型コロナの感染も、「目的」があって起きた、と私は理解している。

しばしば、「この新型コロナとの闘いに人類が打ち勝ったなら」なんていう表現を聞くけれど、戦って勝てる相手じゃないと思う。火山の噴火と喧嘩しようってのに似ている。仮にその「目的」が理解できたとしても、僕らにできることは、被害を最小限に食い止めるだけ。防災が無理でも減災なら可能かも知れない。それだけだと思う。その「被害を最小限に食い止める」ために、必死で働いているのが医療関係者だから、サポートするために、「自分に何ができるか」を考えたなら、医療関係者の子供をむしろ積極的に預かる気がする。

誰かのために、自分のできることをする。それは、第一義的には、「自分の心」を守ることになるんだろうと理解している。そして、副産物として、例えば、医療関係者の子供を預かることで、医療関係者の方々が社会全体への感染拡大を食い止め、翻ってそれが自分自身の感染から自分の身を守ることにもつながる。第一義的の方は、別に信じてもらえなくても構わないけれど、この「副産物」の方は、ちょっと考えたらすぐに合点がいくんじゃなかろうか。それすらも、理解できない。ただ目先だけ、「自分オンリー」に走る。それが結果的には自分の首を締める。何かと言えば他人を拒絶する。その「人類の意識」が、どれ程上位の意識体にとって不快か。想像できないかなぁ。

こうして新型コロナに「解説」を加えることが、師匠の言葉に接している自分にできること、かなと、思っている。大地震も、コロナも、全部「解説付き」ですからね。
「目的」があって生み出されたものだとしたなら、その「目的」が果たされたら、早晩に収束するかも知れない。では、その「目的」はなんなんだ、ということになるんだろうか。
自分のことしか考えられない生き方の人が、普通に生活していて、実は他人の立場を考えることで自分の人生すら豊かになる、ということに気付いて腑に落ちるまで、何千回も輪廻転生を繰り返すらしい。今回、コロナ禍に「解説」をつけることで、多少なりとも、「目的」が達成されて、早晩にコロナ禍が収束してくれたらいい、とは思うんだが。

ぶっちゃけ、モーゼ様に、イエス様、ムハンマド様、ああした歴々たる方々が教えを説かれても、その挙句の現状だから、私なんかが何を書いたって、きっと通じない、そんな気はしている。ってか、私が今やってることに意味がある、なんて、どんな自惚れだよとも思う。
それでも、今自分にできることをやる、としたら、この程度の「解説」の伝え書きが、精一杯かな、と思った。そう思ったから、書き続けている。
加えて、もし間違っていたら・・・。

早く、自分の「仕事」100%に戻りたい。

LR41

こういうご時世なので、一応自分の平熱を知っておこう、と思って体温計を探し、引っ張り出したら、電池が切れていた。

仕方ないので買いに出た。コンビニに・・・ない。ヤオコーに・・・ない。100均でもない。3カ所回って諦めた。明日、別のところも回ってみようか。でも、念のためだからなぁ。不要不急っていう訳じゃないし。

おそらく、電子体温計、どこのメーカーも似たようなスペックで、同じようなボタン電池を使っているから、もしかしたら、どこへ行ってもLR41が切れていた、っていうのは、この「電子体温計需要」なんだろうか。だとしたら日本人って、真面目っていうか、なんというか・・・。マスクの入手は、もう諦めてる。とりあえず、2枚をずっと洗って使い回し。消毒薬も手に入らない。体温計は電池切れ。
よく分かったよ。自分の体力を信じて、体温は計らんし、手は石鹸で洗う。マスクもずっと使う。仕方ないでしょ。そう言えば、アトピーと花粉症で、マスクを箱単位で持ってる人が身近にいるけど。学校で授業が始まったら、頭を下げて、新品をいただくか・・・。

アメリカがすごいみたいだ。「仕事をさせろ」ってか。ニューヨーク以外でも感染爆発が起きるのは時間の問題だろうなぁ。特に共和党の州知事のところ。1ヶ月後にどうなるか。

究極の2択なんだろう。「仕事にならないから、金がなくて食うに困って死ぬ」か、「それなりに経済活動を続け、その結果感染者数が減少せず、医療崩壊から感染しても高度医療を受けられず、死ぬ」か。後者はすぐには訪れない。前者の方が直近の問題として切実だから、デモが起きた。国民性の違いか。
今日のNHKニュースで、23歳、仕事がなくてネットカフェ寝泊まり、という人と、連絡が取れなくなった、と言っていた。多分、闇バイトで、詐欺の受け子とか、そういう方に流れたんだろう。表立って騒がずに、そっちに走る(たぶん)。日本的だなぁ。あの手の詐欺が多いのも、国民性か?

韓国や台湾で、封じ込みに成功しつつあるみたいだ。新規の感染者が確認されない状態が2〜3週間続き、あるいは1ヶ月続いたら、経済活動の完全解禁が可能になるに違いない。ただ、緊急事態の解除が早過ぎれば、すぐに再燃する。どうなるか、注視したい。成功のモデルケースとなって欲しい。手本があれば真似ることができる。

同じように「新規感染者がゼロになった」と主張している国もあるけど、国が情報操作しているとしたなら、あまり信用できない。武漢の封鎖解除が早過ぎたのか、適切だったのか、これも2ヶ月後にははっきりした結果が出るんだろうと思う。同時に、数字の操作があったなら、それも結果として暴かれる。

リーダーシップは異なるけれども、トランプの場合には独断専行で、安倍総理の場合には優柔不断で、結果的にどちらも「経済優先」の選択肢を取っている。日本では「外出禁止」ではなく、「自粛の要請」に留めているから、経済活動の「息の根」は断たれていない、けれども、その結果として感染の抑え込みは不完全になり、結果的にこの「停滞状況」が1年とか2年続くことになるんだろうか。日本はある意味で、「仕事がなくて金に困って、死ぬかも」知れない状況が、じわりじわりと長期化しつつ、「医療崩壊も防げずに、高度医療は受けられない人が多く出てくる」ような、「両方取り」の状況を作りつつあるような気もする。
状況によっては、動きを封じるならば、罰金を伴うなどして、一気にやるしかないかも知れない。フランス方式というか、「外出の理由」を記入した書類を携帯し、それが適正でなければ罰金、みたいな厳しい措置を取らなければ、V字回復に転じる「底」に到達するまでにかなり長い時間がかかる気がする。中途半端な気がしてならない。真綿で首を絞めるように、じわりじわりと、医療崩壊のレベルが高まって来る。「短期決戦」は徹底しなければ、「長期化」すると思う。結果的に、「両方怖い」ために「両方」のリスクが高まっている気がする。

ただ、東京都の「新たな感染確認」の人数の推移が、思ったより低水準に抑えられている。2週間前に僕は、今日の新規感染者数が850人から1000人位、と書いたように記憶している。今のところ、かろうじて200人を超えた日があった程度、というのは、「想定外」に持ち堪えている気がする。日本全体でも「前日比+177」というのは、かなり「結果の出ている数字」かも知れない。これが、「日本人の生真面目さ」によるものだったら、今のような「自粛要請」だけでもいいのかも知れないけれど、気を許せば増加に転じるかも知れない。

このサイトから

https://gis.jag-japan.com/covid19jp/

日別増加数は、明らかに減少に転じてはいる。この数字「頑張って、今の自粛を続けましょうよ、きっと良くなる」という読み方は、確かにできる。ただ、アメリカに見られるような「我慢の限界を超えた」騒ぎになったら、元の木阿弥かも知れない。

今週、法政大学の大学院で今年最初の授業。最初の1回は大学で行う(のかなぁ)として、オンライン授業になるかも知れない。現時点での予定では、5月11日には、池袋の専門学校で、今年最初の授業。5月頭からの「緩やかな、規制解除」が、裏目に出ないか、かなり心配は心配だ。

この先、「正しく怖れよ」という姿勢で、「経済も、命も」という模索が必要になるのかも知れない。綱渡りだ。「大多数」が自覚して行動できるなら、両立はできるのかも知れない、その一方で、「一定水準」以上が無自覚に行動するならば、かなり強権的な「禁止」的な措置を取る必要があるとも思う。結果次第か。

いずれにせよ、あれですね、日本人の「国民性」がダメダメなら、「自粛」ではなく「罰金を伴う外出禁止」くらいやらないと、封じ込めはできない。「体温計」を用意して、自分の健康に留意しよう、くらいの意識の高さがあれば、もしかしたら、イケるかも知れない。

昨今、「都道府県を超えての移動を自粛してください」となっている。ただ、頑張って、もし今月中に日本全国の「新規感染者数」が二桁に落ちたら、地方で都心からの「移住」の受け入れも考えるべきではないか、という気がする。確率的には、かなり低下した数字だと思う。

若い人も、都会とか、繁華街なんかでの接客業、大都市でのオフィスワーク、などばかりに目を向けずに、地方での一次産業、二次産業に目を向ける人が、一人でも出て欲しい。都道府県を超えてのハローワークなんかの連携、というのは、考えられないものだろうか。行政がやらないから、NGOとかNPOが頑張らざるを得ない。日本全国の経済活動を均衡させるべきだ。同時に、うちの町でも結構見られるけれど、「空き家」対策。なんとか斡旋して、移住者の受け入れを、どこかの段階で企画できないものか。心配なら、体温検査でも、ウイルス検査でもしたらいい。なんだか、そんなことを思う。林業での受け入れもあると思うな。きっと、大都市の「花粉症」の方々からは感謝される(かも?)。

NHKのこのサイト

医療崩壊の危機迫る
新型コロナ対応のベッド数と入院患者数データ

https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/medical/?utm_int=detail_contents_news-link_001

新型コロナ対応のベッド数が、三重県、香川県、佐賀県で24。今後長期的にどうしていくのか、というのは、今言っても仕方ない。日本全国、どこに行っても同じような医療サービスが受けられる「均衡の取れた」施策というのが求められる気がする。やっぱり、都道府県ごとの「財政規模」に依存するんだろうかなぁ。その根幹にあるのは、やはり人口分布の不均衡だろうか。

日本人の悪い癖。喉元過ぎれば熱さを忘れる。大都市一極集中の弊害、今のところ、首都封鎖には至っていないけれども、(言わせて貰えば、3.11に台風、新型コロナ、さらにまだ次も想定すべきだけれど、)うちの会社はここ、と、地方に転出して「企業城下町」を作ったらどうなんだろうか。雇用も均衡させる。

過去、1ヶ月、重点的に絞ったのはおそらく「夜の接客を伴う飲食店」だったと思うし、その効果が出てきている、という気がする。これは気を許せば、再燃すると思うから、日本全体での「新規感染者ゼロ」が1ヶ月とか続けば別として、そうでないなら、やはり半年くらいは続けざるを得ないんじゃないだろうか。

さすがに3月の連休での「気の緩み」に懲りて5月のゴールデンウィークでも、きっちり「自粛」できるとしたなら、今後1ヶ月、最も警戒すべきは、「中核ではない医療機関、自営業的な病院やクリニック」からのクラスター発生、あるいは、「高齢者福祉施設からのクラスター発生」だろうと思う。この辺に重点を置いた対策ができれば、抑え込みはかなり「成功」に近づくかも知れない。

あくまでも、日本人が生真面目なら、という前提だけれども、「経済も、命も」の「両方取り」が、良い方(どちらも、そこそこ)に留まるか、悪い方(どちらも、最悪)に転ぶか、「禁止」ではなく「自粛」に留めていることが、どちらに転ぶか。

僕ら次第、ということなんだろうか。

トランプ

トランプ大統領 米国内死者の予測を大幅に下方修正 成果と強調
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200418/k10012394231000.html

楽観的に考えたいよねぇ。誰の差し金だろ。

アメリカ国内での死者が6万5000人を上回ったら、それはトランプの責任だ、っていうことかな?それを言いたかった訳ね?
何を根拠に、何を主張したいのか、そこがよくわからないのが、この人かも知れない。
この発言、よく覚えておくべきだな。どうなるか、見てみよう。

極めて個人的に、地球意識を限界まで刺激した主導的な役割をしたのがこの人だと思う。
トランプに迎合した多くの国家指導者がいて、だから、トランプ一人の責任ではないと思うけれど。
もし僕が、地球意識の立場だったら、そんな気がする。

地球意識も、さらにそれよりも上の神様とか、何もカードを持っていないと思ってるんだろうなぁ。
人類が最高の存在で、核爆弾が最高の兵器で・・・発想としては、そんなところかな?どうぞ、ご自由に。
本気でカードを切られたら、こんなもんじゃ済まないと僕は思う。

ビートルナッツ

ビンロウ樹の実。パプアニューギニアでは、嗜好品として噛んでいる人も少なくない。

パプアニューギニアでの感染者数が2、という数字を見て、思わず、「調べていないんじゃないか」と思ったけれど、そういう「先入観」は良くない。もし、そこそこ調べていて(PCR検査件数の、分母がわからないから、「感染者数」だけ見ても実態がわからない、けど)調べていてこの数字だったら、やはりちょっと驚くべき数字かも知れない。

僕も、ニューギニアにいた頃は、TPOで使っていた。ビートルナッツを出して、これに、ダッカに、カンバンをつけて噛むと真っ赤に変色する。主には、戦時中の遺骨情報収集の関係だったけれど、初対面の人と会ったりする際に、ブアイを噛んでいると、「お前はニューギニア人か」とばかりに、一気に打ち解けてくれる。加えて、ピジン語を話すから、ハフカス(半分現地人)扱いで、どこのコミュニティにも入っていけた。

注釈が多すぎて、文章が読みにくいので、解説を分けた。
ビートルナッツ:ピジン語では、ブアイ、英語でビートルナッツ、日本語では「ビンロウ樹の実」
ダッカ:ピジン語、英語ではマスタード、辛子の実の一種か
カンバン:ピジン語、英語ではライム(綴りがわからん)、日本語では石灰?;貝殻を砕いて焼いた粉?

このビンロウの実、台湾にもあるはずで、嗜好品として使われているかは別にして、その台湾で、「新型コロナの新たに確認された感染者」が、ついにゼロになった日があったと、ニュース配信で流れていた。これはすごい。SARSの経験が活きた、とか、武漢初の情報を中国語で読んで、対策の際に参考にできたとか、色々と書かれていたけれども、ニューギニアの2人という数字が妙に引っかかっていて、唐突に、台湾でもビートルナッツがあったな、と思い出した。

このビートルナッツ、たぶん、強烈なアルカロイドだと思うけれども、彼らも噛んで出てきた真っ赤な(ライムやダッカと反応して真っ赤に変色した)唾液を飲み込みはせずに、街中どこにでも吐き出す。ところが、僕ら「素人」は、ついつい、一部を飲み込んでしまうんだわ。そうすると、ちょうど初めてタバコを吸った時みたいな感じで、顔面からまず血の気が失せて、次にカーッとなる、というか、なんなんだろうか、僕の場合には「気分がいい」という訳ではなく、とにかく、(お酒に近いかも)交感神経刺激みたいな感覚になり、それが10分とか15分続く。そんな感じだった。2回か、3回、調子に乗って噛みすぎて(「あぁ、お前もブアイをやるんだ」と、現地の人が喜んでくれるもんだから、つい、一緒になって噛んでいて、)後になって、たぶん、激しい低血糖・低血圧のような感じに襲われて、30分くらい動けなくなったこともあった。どんな薬理作用があるかは知らないけれども、強烈なアルカロイドだな、という印象は残っている。
僕は、お酒を飲んでも、そんなにメンタルが変わる訳ではなくて、ただ、酔っ払って「現実逃避」したいだけ、みたいな感じから「習慣化」した感じで、ビートルナッツも、ほとんどメンタルには影響されなかったけれども、この感じ方は個人差があるかも知れない。ハッピーな気分になれる、と言っていた人もいたけれど、それはお酒もそうかも知れない。(実を言えば、僕は、お酒を飲んでも全然気分は変わらない。ただ、細かいことがどうでも良くなる気分で、ストレスがすごく楽になる、それだけかも知れない。)いずれにせよローカルな「嗜好品」で、日常的に使っている人も少なくない。当時の僕の直属の上司(州政府教育局の、事務次官)は、「禁断症状」を訴えていた。(IWさん、まだ生きてるかなぁ。生きていたら会いたいなぁ。当時の同僚、みんな、再会したい。)
余談ながら、お酒っていうのはエタノールで、濃度が濃ければウイルスに対して効果がありますからね。ただ、血中濃度は、とても滅菌なんかできる濃度じゃないけど。

ニューギニアで感染者数が少ない、というのを見て、可能性を三つ考えた。
1)  PCRの検査設備がなくて、そもそも、大した人数を調べていない。
2)  高温多湿:(でも、一番人口が多いPort Moresbyはサバンナ気候だし、ニューギニアで人口が集中しているハイランド地方は、おそらく、エチオピアなんかに近い、一年中「過ごしやすい気温」で、それほど「多湿」でもないから、該当するのは僕のいた任地、北側の海岸部だけだろうと思うので、あまり該当しないかも。)
3)  ビートルナッツを思い付いたけれど、何か「特異的な原因」がある。

ビートルナッツがあるのは、台湾もそうだけれども、東南アジア全域で結構「植生」はあるみたいだ。ただ、その実を「嗜好品」にしているかどうかは、その土地の文化次第。で、それではと思って、タイやベトナムに(結構工業化が進展しているから、もしかしたらPCR検査の設備も十分かも、と思って)注目して、数字を見てみたら、タイが感染者数2700で、死者数47、ベトナムで感染者数268で、死者数0。台湾の場合には、感染者数395、死者数6。
統計的な見方として、もしここに、「ビートルナッツ」を習慣的に使っている可能性があるか、どうか、という視点で「有意差」を見たら、どうなるか。何か、あるかなぁ、なんて思ってみた。

念のために書いておく。品質管理なんかでよくやる KJ法の考え方です。あらゆる「思いつき」を全て明示的に言葉にして、書き留めておく。最初から、一切除外はしない。その延長で、とりあえず、可能性として書いてみた。

もし、突破口を開く可能性があるなら、台湾、ベトナム、タイとかで、感染者で「ビートルナッツ」を嗜好品として使っていたかどうか、なんていうのを、統計的に調べてみたら、「無関係」となるか、感染、発病率に「有意差がある」か、現時点での数字で、研究結果は出せるような気がした。
ですが、単なる思いつきです。下手な鉄砲、数撃ちゃ当たる、かも知れないノリで書いてみました。

その延長で考えてみると、東洋医学の、いわゆる「漢方」の医薬品は、なんで治験から除外されているんだろうか。前にも書いたダスモック、漢方薬としては清肺湯という名前なんだろうか。気道の粘液の分泌を促すらしい。だとしたら、感染初期の段階の陽性患者に投与して(というか、そもそもが、市販の医薬品だから、自分で試せる)粘液の分泌が促されるなら、ウイルスが肺の奥や、呼吸器の気道で「細胞内」に入り込んで定着し、増殖するのを抑える効果も期待できる気がするんだけれども、漢方はナシなんですかね?市販医薬品なんて、問題外?
そういう先入観を捨てて、試せるものは全部試すくらいの勢いで調べてみたらどうなんだろうか。
これも、前にも書いた、3年位前、僕は激しく肺炎の状況になって、ヘビースモーカーだと告知したら、医者からやめろ、と、「レントゲンを見たら、肺癌の一歩手前だ」と言われたけれども、それはだって、あまりにも肺の炎症が酷くて、だからやっと思い腰を上げて医者に診てもらった状況だっただから、当然でしょ!と思った。その2年後で、去年の癌検診の間接レントゲンは、「異常なし」ですからね。僕には、龍角散で十分。僕の場合には、龍角散を思いっきり吸い込むだけで、肺の奥から痰が出てくる感じで、割とすぐに、走っても息が上がらない感じになってくる。なんで、こういう「市販品」の薬効を、医者は除外するのかなぁ。ってか、一般に売られている薬っていうのは、点数になりませんからね。だからでしょ?この状況でも。

データを見ていると面白い。そう言えば、「感染者数ゼロ」の国があった。北朝鮮。どんな「特異性」があるか、調べてみる価値が・・・。僕は、ノーコメントですけど。

三毛以上

ToDoのリストを見ていたら、メモ書きで

「三毛以上の処理がまだ」

と書いてあった。ナンジャラホイ?って、そうか、すぐわかるよな、こりゃ。
売上処理のところです。

だからなんだ?いや、もう他に、特に書くネタがないもんで、つい・・・

究極の二択

経済活動を再開しないと、食っていけない。だから動く。あるいは、トランプなんて、すぐにでも「経済活動の再開」を宣言したいに違いない。
ただ、そうやって人が動き出すと、まだ、全然減少には転じていない感染者数が、一気に増加する。
要するに、あれですね、病気で死ぬか、仕事がなくなって飢え死にするか、その二択を迫られている訳だ。

その実感がない人って、多いんだろうなぁ。いや、中小か、大企業かを問わず、上の方にいる方々は、もう、切実な問題で、(業種によっては)これが1年続くなら首をくくろうか、っていうぐらいの状況だと思う。今のままなら、間違いなく1年以上は続くと、僕は思う。でも、雇われている側は、自分が金を稼ぎ出すっていう実感がなくて、仕事にありついて、貰える金で生活するだけだから、実感できないのは仕方ないのか。年金生活?何も手を打たなければ、(っていうか、打つ手があるのかが問題だけど、)企業年金も危ないと思うな。かなりの大企業でも、業種業態によっては、母体が危ないと思う。その実感がないから、動きまくるんだろうと思う。いずれ、嫌でもわかる、と思う。

嫌なことを書く奴だな、とお思いでしょうね。お前はどうなんだ。いや、僕はもう、今死んだって、思い残すことがないもの。執着したいものなんか、何も持っていない。ただ、今生きている以上は、生き続ける意志は無論持っている。そして、仕事も続けて、関係先に迷惑をかけないことだけは、考えている。ただ、死んじゃったら、やっぱり、ごめんなさい、なのかな?でしょ?どうしようもないもの。だったら、受け入れるだけじゃないかな、と、そう思っているだけ。それができない人、相当に多そうですね。

別に、新型コロナに限った話じゃない。「あぁ、だめだ、もう死ぬんだ」と自覚し、そして死ぬ瞬間というのが、誰にも訪れる。その意識を持つ余裕もないのが、仏教でいわゆるところの「無念」なんだろうと思う。(原爆なんかで、突然肉体が消えた、みたいな。)「残念」とは違う、と理解している。「残念無念」は慣用句ですけどね。どちらも仏教用語だと私は理解している。他の宗教については、同じ概念があるか、よくわからない。ただ「その時」のことを、考えたこともないなら、一度は考えてみたらいいと思う。「後悔」したくないなら、今、納得のいくように、できることは全てやり、全力で生きるだけ、だと思う。「死にたい」人については、何も言いません。自殺したら楽になると思ったら大間違いで、肉体を抜けても死ぬ直前の意識のまま「意識体」として行動を繰り返すから、例えば、電車に飛び込むなら、何度でも、同じ場所で「意識体」だけになっても電車に飛び込み続ける。私はそう理解している。あえて言います。自分の判断で、自己責任だから、やめろとは言いません。あくまでも、自分で考えて「どうすべきか」答えを出すだけ、なんだと思う。私はそう理解している。
いずれにせよ、「死ぬ直前の意識」なんて、私だけではなく全ての方が、思い出せないだけで、もう、何千回、何万回も経験しているはず、なんだけど、思い出せないんだろうな。それは、「今、生きていること」の意味を考えても、同じだという気がする。だからあえて書く。新型コロナウイルスなんて、何が怖いの?

「正しく怖がれ」という言い方があった、と思う。あれ?「正しく怖れよ」だったかな?どうでもいいけど。
東京都内だって、夜の繁華街とかを除けば、日中、普通に生活しているなら、見知らぬ人といきなり抱き合う訳じゃないでしょ?よく言われる「三密」を避ける、それだけで、感染確率はおそらく十万分の1程度だと思う。今回、ピンポイントで指摘されている夜の居酒屋とか、イベント会場、なんかだと、その確率が上がるけれども、それでも、数千から数百分の一、程度の確率だと思う。(でも、確率が3桁違う、っていうことかな?)ただ、数百分の一、っていうのは、当たって欲しいと思っているときには低い確率だけど、当たって欲しくない時には、結構高く感じるかも知れない。その意味では「怖れる」べきなんだけれども、でもやっぱり、確率自体は同じ。数百分の一、っていったら、このど田舎の僕のいる自治会でも、一人は「当たる」っていう確率ですからね。都心のマンションだったら、二人か三人はビンゴ、っていう確率だから、当たって欲しくない時には、結構高い。だから「三密」は避けるべきなんだ、と思う。でも、それ以外だったら、方法次第ではかなり確率は下げられる。宝くじの、下から2番目が当たるくらいの確率かな?

誰が触ったかわからないものを触らざる得ない場合には、使い捨ての手袋をして、外す時には、絶対に表面に触れないようにして必ず捨てる。(今だったら、ゴム製でも、リサイクルプラスチックじゃなくて、燃えるゴミにすべきだと思う。)ペンキ塗りなんかのために、100枚入数百円で売られてます。それだけで、確率を二桁か三桁は下げられると思う。それだけで、宝くじで言えば、1000万円程度が当たる確率に近くなる。(当たって欲しいなら、とてつもなく低い確率。)しつこいようだけれども、当たって欲しいか、当たって欲しくないかで、感じ方は真逆になると思うけれども。

本当に、気分次第なのになぁ。外出するな?うちの町の人口密度なら、普通に外食するくらいなら、ほぼ大丈夫だと僕は思うんだけれども。都会は別にして。

しつこいようだけれども、僕は感染したかなと思っても、家に籠もって医者にはかからない。それで死んだらそれでいいかなと思っている。そういう人間の書いていることだから、そういう尺度で読んでもらえたらいいかな、と思いますが、もう、「医療崩壊」も「受け入れたら」いいんじゃないかな、と思います。

私は死にたくない!そう思っている方、いらっしゃいます?そんなこと、可能だと思っているの?(肉体生命の話ですが。)「私は、自分のやるべきことは、これまでにきっちりと、やって来た。周囲の人とも十分に意思疎通してきた。だから思い残すことはない。」と、そういう方は、死を受け入れて、仮に感染したかなと思っても、病院の手を煩わさないのが「正解」かもしれない。(けど、案外、そんな人っていないかなぁ。)
大丈夫ですって。間違いなく、肉体を抜けても「意識体」は、状況によっては、自分の肉体の火葬/土葬の瞬間すら見ていて、「あぁ、死んだんだ」と思ったなら、次のステップに進める。今生き残っている人は、全然気にする必要はない。私は、そう理解している。この機会だから、若い人も含めて、「自分は、どう生きたいか、生きたかったか」を真剣に考えてみる、ていうのは、意味があるんじゃないでしょうか。

最後に主題。
もう、人工呼吸器は、まだ子供が社会人になっていないとか、そういう若い人たちに譲って、年寄りは自分が新型コロナに感染しても、医療には頼らず、自力で回復したならそれで良し、回復せずに肉体を抜けたとしても、「あぁ、これで良かったんだ」と思えるように、これまでの人生を見つめ直し、覚悟を決めて生きる、と、そういう発想も大切じゃないでしょうかね?そうしないと、まだ先のある若い人の命を犠牲にするかも知れませんよ?

「俺は、まだ俺の人生に納得していない!」そのセリフ、30代の人が言うなら、私なら許す。けど、50代以上の人が口にしたら、「テメェ、何をわがまま言っってんだ!」と、状況によっては、相当な勢いで食ってかかると思う。(直近では、トランプ、安倍以外には食ってかかっていないと思いますが。)

最低限の経済活動を続けるために、「正しく怖れよ」ということがあると思うけれど、もう一つ、言いたい。「静かに、受け入れましょうよ。」

手袋

雨の日に、スーパーマーケットに入店する際に、傘が濡れていると店内のフロアが水で滑りやすくなる、っていう理由だと思うけれど、スーパーマーケットの入り口にビニール(素材は知らない)の傘袋がよく置かれていた。あれ、一枚あたりの単価は、相当に安いんだろうな、と思った。レジ袋と比べて、どうなんだろう。
あれと同じような素材の手袋が、水漏れボンドとかの、ホームセンターで売られている家庭用の補修剤の「オマケ」で付いていた。単価は、かなり安いと思う、けれども、多分中国製だろうなぁ・・・日本国内で作れませんかね?

「正しく恐れよ」という話題があった。新型コロナ。ポイントさえ抑えていれば、感染するリスクはかなり下がる。そのポイントを抑えることが大切だとしたら、傘以上に、(これは、適当に書いているだけ)スーパーの入り口に、あの手袋を取れるようにしておいて、「買い物の際には、使い捨ての手袋をご使用ください」なんて感じでやる。傘でできるなら、手袋でできないはずがない、と思った。

考えないから、漠然と怖がって、萎縮して経済活動が停滞するんだよ。ポイントを押さえて、「ここさえ気をつければ大丈夫」っていう、その「安心材料」を一つでも多く流す、っていうことは、マスコミにお願いしたいんかささ。

以上。ただそれだけ。

飽和

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200414/k10012385701000.html

クオモ知事は今月11日までの6日間、700人台で推移してきた1日当たりの死者が、12日には671人に減少し、「最悪の状況は終わった」と述べました。

直感的に言えば、医療崩壊が起きて、病院が飽和状態なんだろうと思う。飽和している、ということは、入院患者はそれ以上増えようがない、ということだと思う。病院での死者の数も一定の水準で頭打ちになる。この死者の数が、病院での死者の数なのか、それとも、医療機関に受診する機会がなくて亡くなられた方も含めての数なのかで、意味は変わってくるような気がする。「原因不明の肺炎」で自宅で亡くなられた方、新型コロナにカウントされていないという配信ニュースもあった。

病院が飽和している、ということは、病院以外に、行政などで把握されていない感染者が存在していることを意味すると思うし、そうした社会全体での死者数の推移がどうなっているか、データがなければ「好転」は判断できないような気がする。そもそも、厳戒態勢では把握の方法が限られるかも知れない。数字の読み方が問題だ。

日経の世界感染者マップで見ると、パプアニューギニアの感染者数は2名。死者はゼロ。どうなんだろうかなぁ・・・。ニューギニアにPCRの検査設備はあるんだろうか?オーストラリアの感染者数で6440人。シンガポールで3252人。ということは、それらの地域とはそこそこ人の移動もあるし(あったし)、この2名という数字をどう読むかが問題だ。検査できなければ、感染者数はゼロだし。

欧米の感染者数が多いんじゃない。欧米の検査件数や、病院での受け入れのキャパが大きいから、飽和レベルが大きい。仮に、PCRの機械が1台しかないとして、その1台で1日に5人の検査がやっと、だとすると、国全体の感染者数が一桁とか二桁、ということだってあり得ると思えた。問題となるのは「把握率」かも知れない。把握されていない、っていうことは把握されていない訳だから、把握率は弾き出せない?って、俺、何を書いてるんだろう。意味、通じてます?どうでもいいけど。

そう考えてみると、連日のように報道されている「今日新たに確認された感染者の数」というのは、検査能力のキャパで一定の水準で飽和するかも知れない。飽和した上でなおかつ上昇を続けるとしたら、水面下の感染率の拡大を意味するんだろうと思う。まだそこには至っていない、ように思えるけれど。上昇のペースが鈍る原因には、この検査キャパの飽和もあるかも知れない。「感染ルートのわからないケース」は、「わからない」んじゃなくて、受診したのに検査してもらえなかったケースが、把握されなかったため「不明」になったり、「感染者ゼロの地域」になったんじゃないか、と思えてきた。

日経の世界感染者マップで、あちこちの国の数字を見ていると、「感染者数」はGDPに比例しているような気がした。検査能力に比例した数字になっているんだろうと思う。ってことはだ。世界全体の感染者数が201万人。この数字に意味があるのかよ、って思えてきた。感染者数のマップ、だけではなくて、PCR検査のキャパシティ・マップがないと、数字が読めない。

希望的観測

「5月上旬までには、緊急事態宣言を解除できる」ように、「外出を8割削減しましょう」という流れなのかな。

法政大学で知り合った内村先生が、「新型コロナ感染拡大を抑える科学コミュニケーション有志のグループ」への「いいね」を求めるリクエストを投げて来た。
そのタイムラインからの転載。

「外出規制」を解除したら、その解除から「数週間後」には、再び感染者数が増加に転じる。アメリカでも、ジョンホプキンス大学の関係者が同様の警告を投げている。

少し前のページにも書いた、Washington Postの記事から転載させていただいた図。

日本は、この一番右のモデルを模索し、「緩やかな外出規制」をかけているけれども、多くの人が怯えて、経済活動が致命的に萎縮している。その結果、観光ビジネスや、イベント関係、飲酒を伴う飲食業などには致命的な状況が続いていると思う。一刻も早い「解除」を求める気持ちは、痛いほどわかる。
あたしゃ、もう、20年も会社の「超低空飛行」を続けているけれど、それは、松尾くんと二人だけの会社だからできていることで・・・、もう後一人社員がいたら、とっくに潰れていた。いや、めちゃくちゃ優秀な奴だったら、話は別だけれど、そういう優秀な人を、うちみたいな零細に引き摺り込みたくないからなぁ。

話を戻す。1日も早い「解除」や、「新型コロナ禍からの脱出」を求める気持ちは、とてもよくわかる、けれども、現状がどんなに短く見積もっても、最低でも1年は、現状よりもさらに悪化した状況が続くと思う。この一番右の「一見、コロナを抑え、感染者の拡大を抑え込んでいる状況」が成功すればするほど、長期に亘ってこの「慢性症状」が続くと思う。順当に見積もれば、10年は続く。ワクチンが開発され、効果的な治療薬が開発されれば、別のシナリオが成り立つと思うけれども、それは「れば、たら」だと思う。「れば、たら」に頼って、政治を行うのか? –> 安倍政権

危惧するのは、安倍総理が金融機関の関係者を集めて、「無利子、無担保での融資を拡大して、困窮する産業界を助けて欲しい」という要請。楽観的なシナリオで、数ヶ月でこのコロナ禍が収束するという前提で「無利子、無担保での貸し出し」を行うと、何が起きるか。
「数ヶ月でコロナ禍が収束するなら、とにかくその間凌ぎたい。」と、融資を受ける。数ヶ月経っても収束しない。また追加融資を受ける。結局、現状が悪化する一方で、一向に好転しない。その挙句に、廃業や、倒産を決意した。その時に融資はどうなるんだろうか。借りた側からしたら、廃業と同時に「自己破産申請」を出すしかないだろうと思う。この自己破産が大量に発生したら、融資をした側はどうなるんだろうか。「金融機関」だからなぁ。その融資の補償を国が行うんだろうけれども、「事業継続」のために多くの会社が「無利子無担保」で金を借りたとしたら、その総額はおそらく、数百兆か、もしかしたら、数千兆の桁に届くと思う。安倍総理は「短期間でなんとかなる」という楽観的観測で、金融機関に「無利子・無担保」での貸し出しを要請したんだろうけれども、その「楽観的観測」が成り立たないとしたら、国は「金融崩壊」に責任を取れるんだろうか。
業種、業態に依るだろうけれども、相当数の事業者が廃業か倒産に追い込まれると思う。そこに「事業継続」のための「融資」を要請したら、挙句にどうなるだろうか。私だったら、どれほど非難されようが、業種、業態によっては、支援を拒むと思う。そのために、業種、業態を選別するための「専門家」を召集し、「コロナ禍」が10年続き、現状以上の「外出規制」が10年続いた場合に、生き残れない業種、業態と、生き残れる業種、業態との線引きを行って、暗殺されようが、「救済するな」という選択肢を取ると思う。
近いことは実際に、やりましたよ。学生のレポートの、不正行為。可能な限り「警告」に留めたけれども、2回目をやったなら知らない。不正があったなら、とにかく本人に通告するところまではやった。もし僕が専任教員だったなら、2回目があった学生の「停学」処分に結びつこうが、冷淡に、突き放したと思う。

ドラ息子が、仕事もできずに家に引き篭もった。それでも「会社ごっこ」は続けていた。支払いがあるから、どうしようもなくなると、親に無心した。優しい親父は、その都度、用立ててくれた。その恩も返せず、いいところも見せられないうちに、親父もお袋も亡くなった。そのドラ息子は私です。もし、あの時、「お前が、生き方を変えない限り、金は出せない」という対応をされたなら、どうなっていたかなぁ。結局、親父が死ぬ間際に、「今、話としてきている大学の専任教員の求人を、受けろ」という至上命題に応えて、(応えざるを得なくて)僕は大学教員になった。優柔不断の私。
その大学も、直属の上司からの3回の「准教授推薦」を、大学の上層部に蹴られ、「科学技術研究費」の申請のための「コンプライアンス」のために、「自営業の兼業届」を出したところが、「悪いことをするに決まっている」という理由で、「コンプライアンスのための申請書類」を「不受理」とされた。この時点で、もう、この大学には居られない、どうしても勝負をかけたい研究テーマ(心臓発作の予知・監視・通報システム)があるなら、自分で稼ぐさ、と、大学を辞めた。その決断に後悔はない。見切りをつけた。
そして、結果的に、プログラムを書いても、書いても、営業に結びつかない状況が8ヶ月続いて、完全に手持ち資金が底をついて、税金の滞納が慢性的に続いているけれども、それでも僕は、後悔していない。今現在は、とにかく、営業には結びついているもの。それだけだって、明らかに好転している。この低空飛行でも、「好転」は「好転」だと自分に言い聞かせている。

「見切り」をつけるのは、大切だと思う。特に、結果的に「見切り」の時期が早ければ早いほどいいとしたなら、もう、初期の段階で決断する方が、傷が少なくて済む。新しい場面での、転換後の展開が、早くスムーズに進む。僕の場合には、あの大学に長く居過ぎた気がした。2回目に「准教授推薦」を蹴られた段階で、さっさと辞めていたらよかったと思う。経営体質はそう簡単に変わるもんじゃない。同様に、僕自身の性格も、そう簡単には変われない。相性の問題だから、世間でよく言う「離婚へは走れ」と同じで、見切りはとにかく大切だと思う。
ところが、「楽観的観測」が幅を効かせると、判断ミスが悪化に拍車をかける。

国民一人に10万円をばらまく?いかにも公明党的な発想だと思うけれども、一年間現状が続いたとして、一体何回ばら撒いたら間に合うんでしょうかね?母体となる団体が「自力でなんとかしなさい」という思想じゃない。「念仏さえ唱えていれば、助けてもらえる」という思想だから、「公明党さえ支持してくれたら、ずっと、この状況が10年続いても、困ったらすぐに、国民一人に10万円を出しますよ」ってな感じだろうか。やれるもんなら、やってみろ、ってば。
確かに、最初の1回は、必要とする方々が少なくないから、やっても支障はない、というか、なんらかの支援は必要だと思う。但し、条件をつけるべきだ。現状が10年は続くという想定で、「なりわい」を変える覚悟で、決断するための資金にしなさい、というのが理想型かもしれない。

とにかく、「希望的観測」を捨てて、「今のままだと、ジリ貧だ」と思ったなら、最初に「事業立ち上げ」を決めたのと同じ以上覚悟で、「事業からの撤退」を決断すべきだと思う。

それなら、どこへ行く?

テレビのニュースでやっていた。「旅行業」の会社の社員が、社長が「副業」を認めてくれたので、副業としての漁業でシラスの選別をやって凌いでいる、と。第一次産業、第二次産業は、慢性的な人手不足。地方に目を向ければ、求人はいくらだってある。なんだったら、耕作放棄された農地を耕す権利を全面的に手に入れて、農業に転身する、なんていう選択肢も、いくらだってあると思うし、それは、林業も漁業も同じだと思う。「生きるための必要なもの」の生産は、決して、需要が絶えないと思う。柔軟に、転身先を探すべきだ。無論、「現状にしがみ付く」のも、自己責任、自分の判断だと思うけれど。もちろん、それが良かったという人だって、10年後に出てくるかもしれない。どちらに転ぶかなんて、誰にもわからない。社会は、人と人との関わりで形成されてくる。「占い」とは無縁の世界だと思う。

大企業、三菱系のどこかの会社だったかな?本社機能を、都心から近郊に移したらしい。今くらい通信インフラが整備され、さらに、災害があってもメンテナンスしてそれなりに「復旧」する能力も維持できているのなら、地方都市なら地価も安いし、都心から出ていくのも価値の大きい選択肢だと思う。大企業だったら、一つの都市を「企業城下町」にしたらいい。雇用の確保で頭を抱えている「地方」はいくらだってあるし、おそらく歓迎される。

コンビニ袋の削減、なんていう「環境負荷」の低減は、ここに来て一つの流れになっている。森林伐採なんてのを平然と奨励しているところ/あるいは、地球環境汚染なんて、フェイクニュースだと豪語する大統領を抱えている国なんかは、大規模火災に、コロナ禍、それに加えた、第三段、第四段が控えていると思うけれども、日本はそこまでひどくない。レジ袋削減にしても、資源のリサイクルにしても、頑張っていると思う。(処理しきれない産業廃棄物の海外輸出、は、なんとかして欲しいけれど。)

思惑としての次の一手(誰の一手かは、このページでは蒸し返さないけれど)。「人の移動」というエネルギーの浪費、環境負荷の低減を今こそ実現すべきじゃないか、と、私は考えている。
「いずれ、元どおりになるさ」という楽観的観測が、通用しないと気がつくまでに、3ヶ月で済むか、1年かかるか、それは個人差があると思う。ただ、コロナ禍は、フェイクニュースでもないし、たちの悪い白昼夢でもない、現実だということは、直視すべきだと思う。

ついに、オンライン授業か・・・

法政大学、情報科学部からのメール。

こんなタイトル
【法政大学 情報科学部・情報科学研究科】オンライン授業の進め方について

今年の 「WEBシステム開発」の授業の題材、「オンライン授業システムの開発」にしようかな。と、言いつつ、WEB系については予備知識がほとんどない履修者もいるから、一足飛びは無理にしても・・・

なんてメールを、ポップアップから慌てて拾って読んで、ついでに他のメールも開いていたら、元同僚のU先生のFacebookにこんな投稿があった。

最初にお断りしておきます。コメント欄に、こんな方がいらっしゃった。

Hと申します。風刺動画として優れたものと存じます。が、ヒトラーを風刺するのは止められたほうが良いです。ドイツ人、ユダヤ人の方が見たとき、大変不快に思われることが一般的ですし、世界的にみて「品がない」と判断されます。
外国人の方でコメントをあげていますが、変にシェアで広がらないうちに投稿を落とされた方が良いと思います。差し出がましいことを申し上げているとは思いますが、ご容赦ください。

それは確かにそうなんですが、やはり、この「笑い」の毒には敵わない。(1分55秒)私も爆笑しました。

To German people and Jewish people, first, the following short movie may be very offensive and may stroke your nerve.  However, Japanese subtitles are criticizing our government, and widely make our laugh (as many viewers responded,) and greatly de-stress ourselves.  We really need this kind of stress relief in this severely suppressed time.  So, please forgive me to share this movie.

https://video-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t42.9040-2/91224165_551631208823522_8759954454414884864_n.mp4?_nc_cat=102&_nc_sid=985c63&efg=eyJ2ZW5jb2RlX3RhZyI6ImxlZ2FjeV9zZCJ9&_nc_oc=AQkG3-l2FIaFE4t8OxWB-n25UJhe8ao7GR4XwdPwMssPghScZAoYMrA47prHK73zMj8&_nc_ht=video-nrt1-1.xx&oh=0d991814864611367a6fea698788012f&oe=5E96D4EE

https://video-nrt1-1.xx.fbcdn.net/v/t42.9040-2/91224165_551631208823522_8759954454414884864_n.mp4?_nc_cat=102&_nc_sid=985c63&efg=eyJ2ZW5jb2RlX3RhZyI6ImxlZ2FjeV9zZCJ9&_nc_oc=AQkG3-l2FIaFE4t8OxWB-n25UJhe8ao7GR4XwdPwMssPghScZAoYMrA47prHK73zMj8&_nc_ht=video-nrt1-1.xx&oh=0d991814864611367a6fea698788012f&oe=5E96D4EE

シミュレーション <-- Washington Post記事から

この説明がわかりやすいと、書き込みがあった。

https://www.washingtonpost.com/graphics/2020/health/corona-simulation-japanese/

コロナウイルスなどのアウトブレイクは、なぜ急速に拡大し、どのように「曲線を平らにする」ことができるのか

以下のような書き出し。ご厚意に甘えます。

ご理解ください。
ワシントン・ポストでは、全ての読者がコロナウイルスに関する重要な情報へアクセスすることができるよう、この情報を無料で提供しています。無料講読を希望される方は、当社のデイリーコロナウイルスアップデートニュースレターへご登録ください

端的に言えば、こういうことだろう。

日本はこのグラフの右端を目指している。医療崩壊を避けたい。実際には、右から2番目のような推移になるかも知れない。
中国の武漢封鎖のモデルは、左から2番目のような形になるか。そして、全世界で大都市のスラム街や、発展途上国などは、実質的に一番左のような推移となるのか。ピークまで半年とか1年かかるかも知れないけれど、相当な感染者が出るように思う。低栄養状態の子供たち、食糧不足が深刻な地域などは、死亡率がかなり高くなるような気がする。それで、全世界の死者が「億」に届くと思う、と書いた。

詳細を端折って、乱暴な議論をすれば、2年後の世界、一定数の死者を出した後、世界の低開発国は一番左のグラフの右端までの状態となる。つまり、生き残った全員が「回復者」か、もしくは、免疫獲得者。欧州などの「集団免疫」の場合では、右から2番目のグラフの、一番右端の状態、すなわち、感染者数はかなり低い水準に抑えられているが、全人口の3分の2程度は「回復者」か、もしくは、「免疫獲得者」で、3分の1の「未感染者」は、「免疫獲得者」や「回復者」によって感染のリスクを下げた状態で守られることになる。日本で、「封じ込め」に成功したとして、2年後は一番右のグラフの、右端の状態。ざっくりと、国民の5%程度が「感染者」で、8%程度が「回復者」もしくは、「免疫獲得者」、人口の大半は「ウイルス未感染者」であり、かつ、海外のような「アウトブレイク後」の「免疫者数」が国内にいないため、その後数十年にわたって、自国を世界から隔離しなければ守れない、そんな状態になるかな?と思った。

だからと言って、どれほど私が馬鹿でも「感染爆発を防ぐな」などという結論を出す気はない。医療従事者の模索する「最適解」は、ワクチンの開発を急ぎ、可能な限り、全人口にワクチン接種をすること、なんだろうと思うが、これほどの規模の拡大をしたら、どこでウイルスが変異をするかわからない。(それでも、可能性があるなら、模索すべきなんだろう。)

と、ニュースを聞いていたら、このニュースが入って来た。

トランプ米大統領、WHOへの拠出を停止 新型コロナ対応で批判
https://www.cnn.co.jp/usa/35152387.html

トランプには、つける薬がない。トランプはアメリカだけ考えていたら済むが、誰が全世界の「感染状況」に対して対策を講じるんだ?WHOが機能停止したら、おそらく半年後には「全世界で、原因不明の肺炎(調べればおそらく新型コロナ)による死者が急増」という事態になるんだろうし、トランプがその「戦犯」になると思う。

ニュース配信を読んでいると、昨年12月に、アメリカ国内で「新型インフルエンザと思われるが、激しい肺炎を伴う症状の患者」が何例か確認されていたらしい。同じく昨年12月頃から、イタリア北部でも「原因不明の肺炎」の発症が確認されていたらしい。原因がわからないため、ニュースでも大きな扱いにならなかった。

それが中国の武漢では「新型のコロナウイルス」ということで原因が特定され、そのウイルスのサンプルを使っての検査が、全世界で、アメリカでも欧州でも可能になった。そうして、そのサンプルを用いて「アメリカで初めての感染者が確認された」わけだが、その「新型のコロナウイルス」として確認された時点で、既に、欧米でも「原因不明の肺炎」は、現場の医師が首をひねりながら、何例も確認されていた、ということではないか、という気がする。そう考えれば、感染の急激な拡大も説明しやすい。「確認されていなかった」だけで、既に拡散し、発症しても「原因不明の肺炎」という扱いだった、だけではないか、という気がする。

だから、中国の責任だとか、WHOが中国寄りだと責める前に、「新型ウイルス」の可能性を模索しなかった自国の責任も、多少は考えるべきなんだろうと思う。

また、模索して、新型ウイルスとして危険性を指摘していたとしても、トランプ自身が「そんなのはフェイクだ」とか、「1ヶ月もあれば収束する」と、素早い対策など取らなかった可能性の方が高いと思う。WHO以上に、トランプの方が能天気だったと、私は思う。完全なる責任転嫁だ。

以上、昼休み終わり。

環境負荷

一体何のフラッシュバックだとは思うけれど、昔の盗聴と盗撮に苛まれた頃のことを思い出している。
あの頃、どれだけ「やめてくれ」と言っても、事態は一向に変わらなかった。マスコミなのか、公安なのか、しつこいくらい、もう何百回書いたか、口にしたかわからない。けれども変わらなかった。そして、一旦心が壊れて、その後はどうでも良くなって、結局受け入れたのか。

どう、ジタバタしても変わらないのなら、現状をそのまま受け入れてしまったらいい。すごく楽になると思う。特に、生きるか死ぬかという話題だったら、人間いつかは死ぬんだから、そう思ったら受け入れるのは楽じゃなかろうか。盗聴だの盗撮だのと、僕も騒いだけれど、結局「上」の意識体の方々には、何をしているか、どころか、心の中まで筒抜けなのだから、隠すだけ無駄。何かを恥ずかしいと思うのなら、自分の心だけ、なのかも知れない。

見えない敵なんていう表現があるけれども、あの頃の僕の気分を多くの人が味わってるんだろうか。こういうのは、フラッシュバックとは言わないかも知れないけれど。「上」の意識体も、見えない。見えないけれども、少なくとも「敵」ではない。

去年の10月頃にも書いた話題を蒸し返すなら、地球という意識体にとって、人間の経済活動による「環境負荷」はもう、限界を超えている。何度となく警告を投げても、理屈で因果関係を考えるから、全く通じない。もはや「警告」ではなく、「排除」にかかっている、と書いたと思う。地球意識による「実力行使」だと思う。

こうやって、訳のわからんことを、30年以上にわたって書き続けてきたからなぁ。

環境負荷の話も、何度も書いた気がする。そして、地球環境。大都市への一極集中のリスクも。
東京には、人が集まりすぎている。首都機能は、分散すべきだったんだ。多くの人が東京に集まり、帰っていく。通勤通学もそうだし、業務出張もそうだと思うけれど、人の移動にはエネルギーがかかる。

グレタ・トゥーンベリさんが、国際会議への出席に飛行機を使わずにヨットを使った際に、「グレタさん一人が船を使うために、多くの人が動いて、その方が余計にエネルギーを消費し、二酸化炭素を排出している」と指摘されていた。確かにそうかも知れない。けれども、基本的に環境負荷のかからない方法を模索すべきだという認識は、持つべきだったと思う。そこへ来て、この「実力行使」で、飛行機による移動はギリギリ、限界まで抑制されているような気がする。「実力行使」の結果が出たんだろうな、と思う。

そればかりか、東京への通勤通学まで「控えろ」という騒ぎになっている。これ、二酸化炭素の排出は、控えてくれ、これ以上地球環境に負荷をかけないでくれ、という「意識体」からの実力行使だとしたら、みごとに「目的」を達成していることになる。地球にとってのタイムスパンは人類とは桁が違うから、人類の増殖さえ抑えてしまえば、環境の回復には大した時間はかからない。(大した時間とは、数千年、数万年のことで、地球にとっては「すぐ」に回復できる、タイムスパンだと思う。)問題は人類の増殖だったのだろうと思う。

地球など上位の意識は、あらゆる生命体が、お互いを尊重しながら、命を奪って食すならばその命に敬意を払い、他者も自分と同じように尊重し、つまり、自分が感染しないことで、他人への感染を防ぐ、自分と他人を同じように尊重して生活しなさい、という「指導目的」があるとしたなら、それすらも、「目的」に合致した行動を、人類が取らざるを得ない状況に追い込んでいる。状況と経過だけ見るならば、すごいカードを切ってきたなと思った。
この辺の話題、「因果関係」を自然科学的に証明することはほぼ不可能だから、「フェイクだ」と言われたら反論できないけれども、もう、認識していようがしていまいが、強制的に追い込んで来ている訳だから、「そんなはずあるか、経済最優先だ」ということなら、「やれるものならやってみろ」という結果が出ると思う。
テレビのニュースで、「私の仕事は営業職ですから、動かない訳にはいかない」という人が報道されていた。その結果、どうなるか。一定の確率で、その会社内でクラスターが発生し、社員やその家族に死者が出る、という結果になるんだろうと思う。

30年前から少しずつ実現しようとしたなら、たぶん、均衡の取れた国内分散が出来たに違いないけれども、人は、群れるのが好きなんでしょうね。書いたことを拾い直しはしないけれど、同じことを繰り返し書いてきたし、この点については全くブレていない自信はある。

環境負荷の少ない生き方。地産地消というか、徒歩や自転車などで移動できる範囲で生産された食料で生活でき、他の地域でなければ生産できないものについては、可能な限り「輸送コスト」を抑えた形での「流通」だけで生活でき、仕事についても、わざわざ遠くまで行かなくても、近場に「地方の雇用」を賄うのに十分な職場がある、そうした「国土の均衡」を模索すべきだったのだろうと思う。この話題、30年前から書いてる。そんなもん、できっこないというのが大方のリアクションだったろうと思う。できっこないと反論され続けて来た「大都市崇拝」が終焉を迎える気がする。

長丁場ですからね。

「新型コロナに打ち勝つ」って、無駄な抵抗だと思う。諦めて、肉体生命への執着を捨てたらいい、と思う。そうして、着々と、行政機能も、高度医療体制も、全国的に均衡を取るように、拡散させていったらいい、と僕は考える。

僕自身の生活の、盗聴と盗撮が、どの程度の期間続いたんだろうか。あの「出口の見えない」感。「そんなもんは、お前の被害妄想だ、錯覚だ」とも言われた。そう言われたって、現実問題として僕は、という部分を、どうしても、わかって欲しかった。今なら、あの時の「出口の見えない」感を、共有してくれる人がすごく増えた。こういう言い方をしたら申し訳ないけれども、本音で書けば、すごく嬉しい。やっとわかってもらえる。

本当に、どの程度の間、続いたんだろうかなぁ。非常に申し訳ないけれども、僕の時と同じ程度の期間、状況は好転しない。僕はそう思っている。

大切なことは、肉体を持っている今、可能な限り「他者」の思いを理解し、一つでも多くの「経験」積み上げること、なのだろうと思う。そうして、全力を尽くして、自分がやるべきことをやって、生き抜いたと、実感できるまで生きたとしたなら、後は静かに(肉体の)死を受け入れたらいい。たったそれだけの簡単なことで、新型コロナは怖くなくなると思う。

地球意識の存在、なんて、自然科学的には証明できない。僕のこのページ、「お前の書いていることは、フェイクだ」と主張されても、反論できない。ただもう、僕自身は自分の主張が通らないこと自体、とっくに受け入れてはいる。

希望的観測

朝昼兼用を食べながら、テレビを見ていたら「休業協力金」の話題で、バトルトークを展開していた。

「希望的観測」っていう奴だろうか、1ヶ月で「事態を好転させられれば」とか、「この事態は、じきに収束する」とか、結構ご都合というか、希望的観測がまかり通っているな、と思った。

外出を8割抑制「できれば」、シミュレーションの結果では、一気に収束に向かう。実際、そのシミュレーションは、ある程度の精度はあるだろう、けれども、ここでも「れば」とか、「できたら」とか、レバタラ炒めの世界で・・・。

昔、麻雀をやってた頃、負けが込んで来ると「冷静な判断」ができなくなって、「ラスト1枚の、この嵌張(カンチャン)をツモれれば」とか、「次にこれが来て、その次にあれが来て、」と兎角自分に都合の良いシナリオで考えがちになって、ますますドツボにハマった。堅実に平和(ピンフ)で上がれば良いものを、やれ、三色をつけるとか、なんだかんだと、無謀で都合の良いシナリオに走って、どんどんと泥沼化する。

50万円とか、100万円とか、結構な額に見えるもの、従業員を5人、10人と抱えているだけで、焼け石に水じゃないかという気がする。

実質的に8割抑制は不可能だと、その現実も直視すべきかも知れない。これが不可能ならば、4割程度の外出抑制だとしたなら、最低でも来年頃まで、もしかしたら、2〜3年くらいまで今以上に高止まった「新たな感染者」の水準が続くと思う。

既に引用したどなたかが書かれていた。既に我々は「高度医療」なるものを手にしてしまったがために、「間引かれる覚悟」というのを出来なくなっている。その結果、誰もに「最高水準の医療」を提供しようとする結果、数が制約され、医療関係者が疲弊し、犠牲になり、「医療崩壊」が数年にわたって続くかも知れない。その「現実」が、誰もの意識を萎縮させ、実態以上に「新型コロナ」が怖いものに感じられている。負のスパイラルで、経済活動が限界まで萎縮する。

そうなった時、焼け石に水で50万円、100万円をばら撒きました、マスク2枚をばら撒きました。一般国民に直接届く「支援」を小出しにするために、総額では莫大な予算が必要になり、長引いた時に「今こそ、この手を打つ」という対策が打てなくなってくる。東京都の50万円、100万円も、これが半年、1年続くとしたら、もしかしたら、東京都の場合には群馬県に隠してあるという埋蔵金を使って(すみません、ボケました)2回目、3回目と5回目くらいまで給付できるとは思うけれども、東京都といえども、いずれ限界が来る。

だったら、無理して追随せずに、(大阪府は賢明だ)、埼玉県はやらない、とか、決断すべきかも知れない。「あぁ、あの時の支出を、見栄をはらずに、埼玉は東京とは違うと、打ち出しておけば良かった」という状況になるんじゃないか、という気もする。マスク2枚と同様に、費用対効果が低すぎる気がする。

大規模な、産業構造の転換が起きるな、という気がしてならない。当然、多くのビジネスが淘汰されるという現実が出てくると思う。それに付随して、多くの人命(しつこいようだが、肉体生命だけであって、意識体は不滅だと私は考えていますが)も、淘汰されるだろうとも思う。数年後には、全世界の死者数が「億」に届くとも思う。
夜の繁華街とか「我々を潰す気か」とかいう声が聞こえてきそうだ。ただ、人類丸ごと、リセットしようとしているのは小池都知事でも、安倍総理でもないと思う。

先を読むならば、その「産業構造を転換」させる方に税金を投入すべきだと思う。

すみません、我田引水です。
僕は、WEBアプリの開発もやってます。サテライトオフィス向けのアプリも、格安で受けてます。時代は、そっちに来ると思ってます。

持久戦

知り合いの知り合い、医療従事者がこんなことを書いていた。

先ほども投稿した通り、コロナの終息は10年仕事だと思っています。

とりあえず、Facebookでシェアしましたので、僕のFacebookからどなたの投稿か読めると思います。こんな一節もあった。

〇最大の問題
子供の教育では、一番の問題は、心の育ちと体力低下だと思います。感染リスクを封じながら、運動やソーシャルな学びの機会をいかに提供するか、親の知恵が試されます。
いずれにせよ、コロナ後はものすごい格差社会が待っていると思います。学んだものは誰にも奪われません。困難な幼少時代を強いられる子供たちに、心からのエールを送りたいと思います。

持久戦。「緊急事態」とか、数ヶ月しのげば、困難を抜け出せると多くの人が漠然とした期待を抱いている。だから、三十万円とか、百万円とか、「支援」だとか「協力金」だとかをを配布する話が出ているけれど、これがもし、2年続いたら、どうなるか。これは、政治家だけが考える問題ではないかも知れない。遅かれ早かれ、こんなバラマキが出来なくなる。赤字の事業体が続出して、地方自治体が破綻する。生活者の側からしたら、休業なんかしたら、生活できない。とにかく店を開ける、そういうケースが3割、4割はいるだろうな、と思う。滅菌のツールがあればいいけど、そのうち次亜塩素水なんかも不足するかも。この「生活できない」ためにやむを得ず営業を続ける部分が、足を引っ張って、とてつもなく長引かせる気がする。おそらく、現状が極めて超楽観的に見て1年、普通に考えたら2〜3年続くと考えるべきだと思う。「廃業するしかない」という悲鳴は、悲鳴だけではなくて現実になると思う。

書いていて心苦しい。今、Nack 5で松山千春さんのトークを聴きながら書いているけれど、秋にはコンサートを再開できる、そんな期待があるのかも知れない。おそらく、無理だと思う。唯一可能性があるとしたら、「感染する覚悟」や、「感染した時に自分は死ぬ側に回る覚悟」、「自分が周囲の知人に感染させる覚悟」、「感染しても、医療サイドから、優先度が低いとして治療を受けられない覚悟」、などなどを覚悟決めて、感染しても、医療的な措置を受けられることも諦めこと。そうして、咳をして、マスクをしながら高熱を押して「通常営業」を続け、それがどんな結果を招こうが、「生活するため」には他の選択肢がなく、非難されても「普段の生活」を続ける「覚悟」を決める必要があるのかも知れない。

「今、生きているということ」の、根本的な価値観の変化を迫られている気がする。誰が迫っているか?もう既に書いた。くどいから書かない。「死んだ」としたって、それは肉体生命の終わりだというだけで、「私」という意識体が死ぬわけじゃない。その点だけ自覚できていたら、生き方が根本的に変わってくる。

もう、書き尽くしたかな。肉体の死が「自分の終わり」だと思うなら、怯え続けたらいいんじゃなかろうか。どういう生き方を選びますか?今まで通り、という訳にはいかない人が、半数以上を占めると思う。

「私は、貯蓄もあるし、人生の勝ち組だ。」じゃぁ、どんな楽しい「老後」を生きられますかね?旅行?外での飲食?人と会う機会がないのに着飾る?私には想像できないから、今まで通りの価値観にしがみついて、怯えて生きるのも、自分の選択次第だと思う。

医療関係者も大変だ。究極のトリアージかも。まだ元気なのに、見捨てざるを得ない。そんなケースが続出するのが1年後かも知れない

その最初の2〜3年の間の選択肢として、「医療機関」そのものを全国に拡散させ、「人口」も全国に拡散させ、国土全体への適正な「負荷分散」とか「産業構成の再配置」だとか、とてつもなくマクロな対応を行わない限り、ファーストインパクトだけで相当な規模の経済のメルトダウンを起こす気がする。

1千万人

以前、書いちゃった。

Age of Z(ここまでは、書かなかったっけか?)の、あのゾンビを殺して年を防衛するゲームが、1千万ダウンロードだ、と、オンラインの広告が流れていた。感染した奴らは、さっさと焼き払って殺せ。そう言うゲームを、この地球上で1千万人が「楽しんで」いるんでしょ?そうした現状を「不快」に思う意識体も、たぶん、いらっしゃるんじゃないかなと、僕は思う。だとしたら、おそらくは明示的な感染者数が1千万人に届くまで、増え続けると思う。

世界の感染者マップを見ていると、南米も、アフリカも、案外少ない。感染していないのか、そうじゃないと思う。既に、アメリカ国内でも、医療機関のキャパシティが限界に来ていて、検査を断れれた方が、数日後に自宅で死亡し、新型コロナとは無関係な病死として処理されていて、その「死者数」は、新型コロナの死者数として確認された数の数倍だと言う(フェイクかも知れませんが、)そこそこ、信頼できるニュースを流してきた「まとめサイト」からのニュースで読んだ。実際は、そうだろうなぁ。感染者数が数百人と言う単位のアフリカ。検査のキャパシティがそこまでなので、感染確認された数はその程度だけれども、実際の感染者数はその100倍近くいると思う。欧米や日本で、「確認済み」の数の数倍、途上国で十数倍、低開発国(この表現は、使っちゃいけないんでしたっけ?「後進国」は差別語だから使うな、とは知っているけれども、もし、差別語でしたらごめんなさい、そのカテゴリーの国々)では、間違いなく100倍以上の感染者がいると思う。そのうち、顕在化した数が1千万人に届く、と言うことは、感染者の実数は億に届く、と言うことだと、僕は思う。

大丈夫。死んだって、余程悪い「思い」を持っていなかったら、次があるから。ただ、せっかく肉体を持ったのに、早めに「退場」するのは、お気の毒だとは思う。気にしなさんな。「もう会えない」と思っていても、我々が死んだら、意識の上で「コンタクト」する手段は皆無じゃないから。同じ「次元」だったら、直接会話できると思うし、伝言ゲームのように、意識階層の異なる方とも、意思疎通する手段はある。たぶん、大企業で、自分の意見を部長とか事業部長クラスに伝えるような、そんな面倒臭さはあるかも知れないけど。その面倒くささを取っ払うために、みんな肉体を持っているんだと思いますが。

「死者数が減少に転じた」国のニュースがあった。言わせてもらえれば、誰にも看取られずに、自宅でひっそりと、新型コロナにカウントされずに死んだ人の数が、表に出てきていないだけだと思う。「意識が変わった」なんて言うニュースが流れてこないもの。むしろ、奪い合いの暴動の方が多くなっているみたいだ。国家の責任者が「マスクを輸出するな」と発言したり、改善する余地が無い、そんな気がした。

って言うことは、あれか。仮に日本国内では「新型コロナ禍」が克服されたとしても、海外で燃え上がっていたら、観光産業も、運輸業界も、一向に改善する目処が立たない、って言うことになるんだろうか。海外では、長引くと思う。

エイズも地球意識が産み出したウイルスだと聞いている。人口が多すぎる。減らしにかかっている。そのエイズだって、もはや共存するしかない状況ではないか。だとしたら、新型コロナはどうなの、って言うことだと、僕は理解する。

金持ちは、そのお金でどういう生き方をしたいんだろうか。海外の珍しいものも買えない、海外旅行もできない。じゃぁ、どうするの?それはそれで貧乏人として生まれてサバイバルするのに匹敵する課題。むしろ、貧乏人以上に落ちやすい課題だと言う気が、僕はしている。そして、日本は「豊かな国」だとされている。アメリカは「金持ちの国」でしょうかね。「豊かな国」と「金持ちの国」の違いは、なんなんだろうか。他山の石、だけれど。答えの一つは、トランプの発言を読んでいたら、すぐにわかる。

肉体を持ちたい方が多すぎる。それは、今肉体を持っている我々が責任を被るべき話題とは言えない気もするけれど、現実にこうやって生まれてきてしまった以上は、一概に非難できない話題かも知れない。桁外れに、マクロな調整が動き始めている。

確認されただけで一千万人以上、直接確認された死者数が数十万人。そうした事態になった時に、我々に自身のサバイバルと合わせて、「日本だけ大丈夫ならば、それで日本のビジネスの将来展望が成り立つか。」そこまで考えるべき。

スタンダード・プリコーション

高校時代の陸上部の友人Fが、神奈川県医師会のサイトのリンクをFacebookに貼っていた。

https://kanagawa-med.or.jp/images/about_coronavirus.pdf?fbclid=IwAR16j8hXSVgG-MxCp-2-BrhPqrFxq6v_cSQx7Z6dIJsyYrFyJzc3Fqb1dZs

医療関係者が「無責任なマスコミ出演者」の発言に、結構イライラしながら「素人は黙っててくれ」ってな空気は、なんとなくわからんでもない。結構的外れな部分があったり、それが拡散したり、「放映時間の枠を埋める」ために「誰かが何かを話さないといけない」って言うのも、時には実害があるのかも知れない。

私なんかも、結構無責任に(だって、誰に対しても、責任ある立場じゃないもの)書きたい放題書いている。
と言うよりも、意識的に誰に対しても責任を持たない立場を選んだ、と言うのが正解かも知れない。どんなに偉い人に喧嘩を売っても、「あいつを首にしろ」と圧力をかけることのできる「上」がいないし(大学教員のまま、トランプをクソ味噌に貶したら、大学に圧力が行ったりしたかも知れないけど)、それに、大学教員が「人間の実体は霊体だ」なんて、繰り返し書いていたら、文部科学省から大学に何か言ってくるかも知れないし。とりあえず、非常勤講師については、大目に見てもらうとして・・・
要するに、何を書こうが、気楽っちゃ気楽な立場を選んで書いている、と思っていただけたら。

そうは言いつつ、やはり、それなりに「意味があって」それなりに「正しい」ことを書き続けないと、いつかは底が割れたり、もし影響力があるとしたなら、それなりの「社会的責任」は降りかかってくる、と言う自覚はある、つもりだけど。

気になったのは、PCR検査の数をこなせない理由についての、この箇所。

さっさとドライブスルー方式の検査をすればよいという人がいます。その手技の途中で、手袋や保護服を一つひとつ交換しているのでしょうか。もし複数の患者さんへ対応すると、二次感染の可能性も考えなければなりません。正確で次の検査の人に二次感染の危険性が及ばないようにするには、一人の患者さんの検査が終わったら、すべてのマスク・ゴーグル・保護服などを、検査した本人も慎重に外側を触れないように脱いで、破棄処分しなければなりません。マスク・保護服など必須装備が絶対的に不足する中、どうすればよいのでしょうか。次の患者さんに感染させないようにするために、消毒や交換のため、30分以上1時間近く必要となります。テレビなどのメディアに登場する人は、本当のPCR検査の実情を知っているのでしょうか。そして、専門家という人は実際にやったことがあるのでしょうか。

念のために書いておけば、僕は「専門家」として書いている訳じゃありませんから。医療機器の開発、については、一応実務経験者だけれど、生身の人間に触れる方は専門外なので、検査手法については知らなかった。

過去、1週間以内、ネット配信のニュースを読んでいたら、ニューヨークでは、「感染したくなかったら検査を受けるな」と言う話題も出ているらしい。確かに、ドライブスルー検査で感染したケースもあるのかも知れない。

臨床工学技士の国家試験の直前、学生に聞かれたら何でも調べて、答える方針でいた。スダンダードプリコーションも、教え始めて4年目、5年目あたりから教科書的な内容は頭に入れて学生に話をした。ただ、確かに、細かい、細かい。ドライブスルー検査って言うのは「医療行為」ではないと、だから、スダンダードプリコーションの枠外だ、という扱いをしているんだろうな、と思えた。既に、「野戦病院」の発想なのだろうと思う。アメリカでも、韓国でも、「戦争」や「野戦病院」を、リアルに記憶にある範囲で経験していると思う。だからあの検査方法が出たのだろう。過去、1週間以内に読んだ記事によれば、ドライブスルー検査による感染の可能性も、考えられるな、とは思った。一人一人に対して、検査する方が防護服を着替えていたら、ドライブスルーのメリットがない。

別に、非難している訳じゃない。オール・オア・ナッシングで、「完全な防護服」が手に入らない、だから、検査件数を増やせない、そうではないアプローチもあるのではないのか、と言いたくて、このページを書いた。

「完全な防護服」が圧倒的に不足しているのだったら、「使い捨てのものを使い捨てにせず、既にどれだけ汚染しているかわからない完全な防護服」を着続けるよりも、「完全ではないけれど、そこそこ効果のある防護服」を開発して、この「準野戦病院」的な環境に投入したらどうか、近い将来、それが必要になる、そんな気がした。

随分昔、深夜のバラエティ番組を見ていたら、「エセ貴族」の演出で、前から見ると見事な衣装を着た貴婦人なのに、後ろから見たら下着で、前の方だけきちんとしたハリボテだった、と言うのがあった。この話題自体は、完全にエロの世界ですけど、言いたいことはエロの方じゃなくて、患者などに接する前面については「完全に近い」状況を作って、医療行為を継続できる、かつ、すぐに量産可能で、安心して使い捨てできる「前だけ防護服」のようなものを作って、こうしたPCR検査のような場面で使う、とか、できないか。
無論、「完璧」じゃないけれど、目や口の周囲は別の防護具を使うとして、手から肩、頭まで全面をすっぽり隙間なしにカバーできるけれど、後ろは開いている、だから、装着時間/着替えの時間が短い、フリーサイズは難しいとしても、S/M/L/LLなどの数種類を用意して、「準プリコーション」のような形で提供できないか、と思えた。

パプアニューギニアで、遺骨収集を手伝っていた際に、戦友会の方に、こんな話を伺った。「病人に点滴/輸液をするのに、椰子の実の水を使った。汚染されていないし、他に代替手段がなかった。」ヤシの実の水、と言うか、ジュース。植物の体内だし、そこに生息する雑菌があると言う話はなかったようだ。平時じゃ考えられないと思う。戦争中の南方だから取り得た選択肢だと思うけれども、あらゆる手段を使って目の前の「病人」を生かす、従軍医の執念だったのかも知れない。

スタンダードプリコーションに使う「防護服」は、おそらく、出荷前に滅菌されているに違いない。紫外線?よくわからんけど。(エチレンオキサイドガス、じゃぁなさそうだけど・・・現場経験がありませんからね、おそらく、僕よりも知識のない学生に、国家試験合格させるために、必死で仕入れた「知識」であって、実務経験のない「知識」。)ただ、思う。出荷前に完璧に「滅菌」された防護服であったとしても、前の患者から「ドライブスルー」で検体を採取した、その防護服のまま、次の患者の検体を採取するのと、出荷前の「滅菌」をしてはいないけれども、患者の検体を採取する都度使い捨てにできるのと、どちらがより「安全」だろうか。ここは、プロの判断にお任せしたいけれども、より完璧な防護服の量産が難しい現状があるならば、「ベター」な防護服を量産して間に合わせる、という選択肢はないだろうか。言うまでもなく、「検査件数を増やす」ことで、「社会から、一定の距離を置いてもらうべき、感染者を一人でも多く隔離するために、検査件数を増やす」ことが目的である。

我が家は、雨漏りしている。何かと、水中ボンドとか、充填剤とか、あれこれホームセンターで買ってきて、補修を試している。そんな中に、1回分の手袋が添付されていたのがあった。箱で売っている「使い捨てのビニールの手袋」があって、これは、100枚入り数百円の、ペンキ塗装とか、そう言う作業用のビニール手袋だけれども、それよりも、さらにぺらぺらの、言ってみればコンビニ袋の素材で手袋を作ったような、そんな代物だった。
ところが、夏場作業をしていると、手袋の中が汗で水浸しになる。水を通さない。
と言うことは、こんなにも安っぽい素材でも、おそらくウイルスをブロックできている。

滅菌などが、完璧である必要はない。おそらく、使い捨てのものを使い捨てにできない、その時点で、「スタンダードプリコーション」の前提は崩れていると、僕は考える。(僕は、素人ですから、本職の方のご意見を優先して欲しい。)だったら、出荷前に紫外線滅菌などのプロセスを経ていない「一般品」の「安価な使い捨て防護服」を使うか、滅菌が完璧な「防護服」を、使い捨てせずに使うか、どちらを選ぶか。その選択肢は現場の判断だと思うけれども、工業界からは、選択肢を提供することは可能なんじゃないかと、僕はおもう。

ニューヨークは2週間後の東京?

NHKのニュースでやってた。今のニューヨークは、2週間後の東京の姿だ、と。どうかわからないけど、一つ、気になったことが。

スーパーの買い物カゴ。ネットのニュース配信でもやってたけど、スーパーの買い物カゴの取っ手、結構多くの人が素手で触れている。未確認の感染者が1万人いるとしても、東京でも、まだ0.1%以下か。確率的には低いけれど、でも、1000人が買い物すれば、中の一人はビンゴ、っていう確率だから、東京の場合には、ちょっとシャレにならない。

うちの町は、幸い、今のところ確認された感染者はゼロ。周辺の、嵐山も寄居もゼロ。東松山とときがわ町は、数人出たみたいだけれど、少なくとも東京よりは確率は、(まだ)相当に低い気がする。

東京の場合には、未会計の商品をいれる買い物カゴ、一旦使ったものは、取手の部分やフチとかを、次亜塩素水か何かで消毒してから入り口に戻す、とかした方がいいかも知れない。時間の問題で、うちの街、なんかでもそんな感じになってくると思うけれど。

ニューヨークの場合には、商品にも使い捨ての手袋で触れて、買って家に帰ったら、捨てられるパケージは全部捨てて、捨てられないものは煮沸するとか、そう言うネットニュースの配信も見た。日本より確率的に一桁以上高いから、そうした措置はもはや不可欠になっているんだろう。

夜の繁華街を「強く」自粛してもらったとしたら、次は、スーパーの買い物カゴとか気をつけた方がいいかも知れない。食料品の買い出しとかは、日常的に避けて通れない。と言うことは、感染していても未発症の方とかが触れたカゴを使う、そうしたケースも出てくる気がする。

臨床工学の学生に、「付け焼き刃」で、国家試験直前の補講で、かなり無理のあるフレーズを伝えた。「ウイル・スミスが、謝辞で吠えた。」ウイル・スミスと、謝辞と、吠える組み合わせ、ちょっとあり得ないけれど・・・

ウイル・スミス=(ウイルスには)、しゃ=「煮沸」、じ=「次亜塩素酸(ナトリウム)」、で、ほ=「ホルマリン」、えた=「エタノール」

ホルマリンはちょっと普通使わないとして、エタノール(品不足で手に入らない)、次亜塩素酸は、漂白剤なんかにも含まれているか?希釈して使う使い方が、ネットに出ていた。剥き出しのレトルトカレーのパック、とか、熱湯で(家庭では、5分程度、ってなってるけど、病院関係では「98度以上、15分以上」とかなってた、)煮沸すれば、素手で触れても大丈夫、って言うことになるんだが、さて、どこまで神経質になるべきか。

一度手にとった商品は、陳列棚に戻さない、なんて言うのも、新たな「マナー」になるかも。

あたしゃ、ヘビースモーカーですからね。とっくに覚悟はできてますが。他人を巻き込みたくはないからなぁ。

カレーとラーメン

国民食だよなぁ・・・

袋麺(ラーメン)、5個入りが、ヤオコーブランドと、TopValuブランド、それぞれ出てきた。サッポロ一番とか、チャルメラよりも結構安い。

なんとなく一通り試した。

無難な味、っていうのかなぁ。個人的にやっぱり、サッポロ一番の味が(たぶん、長年の習慣で)一番、ラーメンを食った、あ、この味だ、っていう感じか。チャルメラも、チキンラーメンも、それぞれ懐かしい、「あ、この味」なんだけれど、(チャルメラと、サッポロ一番だったら、たぶん、効きラーメンできます、って、これは結構みんなできるか・・・)ヤオコーブランドも、TopValuブランドも、今一つ、たぶん、慣れていないせいか、味がピンとこない。いや、もちろん、まずくはないんだけれど、個性っていんだろうか・・・

レトルトカレーもね、ヤオコー、TopValuそれぞれ出ていて、やっぱり結構使うようになった。カレーは、ラーメンほどじゃなくて、ずっとこれでもいいかも、っていう感じ。もしかしたら、味覚音痴なのかもと思って、思い切り単価の高いレトルトカレーと比べてみた。けれども、僕の舌だと、そんなに違いがわからない。僕にはたぶん、「効きカレー」はできないなぁ。

普段から、事務所にはそれぞれ4〜5食「常備」してる。小腹が減った時、袋麺は半分だけ、カレーも、ご飯少なめに具は1人前で、「お昼」に食べる。以前は1日2食にしていたんだけど、2食よりも、少なめの昼食を食べた方が太りにくいことに気付いてしまった。我慢するのをやめました。

で、ラーメンのスープも、色々と調合を変えて試してみるものの、やっぱり、袋麺のスープには勝てないっていうか、真似できない。外のお店で食べるラーメンには遠く及ばないことは、言うまでもない。

研究する気はありませんが。そんな暇ない。
チャチャっと作って、パッパと食べる。食事って言うよりも、車の給油作業って言う感じだから・・・でも、ラーメンは結局袋麺に落ち着きそうだ。うどんとか、蕎麦の麺汁は、結構しっかりした味のものを、チャチャっと作れるようになったんだけど。

ラーメンは、元は中国?カレーは言うまでもなくインド。どちらも日本に来て、独自の進化を遂げて、「日本の」ラーメン、「日本の」カレーになった。国民食ですよねぇ。

ヤオコーさんの袋麺、なんか、惜しいなぁ。ちょっと何か味付けを工夫して、常備したいところなんだけど・・・(勝手言って、すみません。)だけど、袋麺の味付けって、きっと、業界でも相当に熾烈な競争を展開してきたんだろうから、なかなか難しいんだろうな、と推測している。

人の間

 

考え続ければ、答えは出るよ、と師匠には伺っている。
当たり前、って言えば、当たり前だけど。

その当たり前。例えば、モーゼの十戒。「唯一の神」の部分は、とりあえずは越権行為になるから言及は避けるけれども、どれも当たり前すぎる気がしてならない。殺すな、姦淫するな、盗むな、嘘をつくな、他人の物を欲しがるな。当たり前すぎると思う。その当たり前が全く出来ていないから、何千年経っても人類は進化しない。
モーゼの時から、一体何年経った?
実を言えば、師匠の講演会の話題も、半数近くはその「当たり前」を説かれている。全然大したことないじゃん。そう思う人がいても、不思議じゃない気はする。ただ、そうではない、全然「当たり前」じゃない話題も時々されているから、そこは、僕は個人的に心待ちにしている。(ただ「当たり前」だと、自分なりに考えても、実際には出来ていないことがあまりにも多くて、あまり偉そうなことは言えない。)

今日思った大切なことは、たった一つ。「相手の立場でものを考えなさい。」という辺りだろうか。もし自分が感染者だったら、相手はどう思うか。だったら、自分はどうしたらいいか。求められているのは、誰もがこうして「相手の立場でモノを考えること」だと思う。

そうやって、常に「相手の立場」でモノを考える習慣ができると、相手との「間」がなくなる。人と人との「間」がなくなる。日本語だけの話になるとは思うけれど、「人間」が「人」になる。それが、最も求められていること、だと私は考える。

「間違いない」の「間」が取れたら、なんていう話題を書いた。伏線を張りました。早くも伏線回収。人間の「間」が取れたら、「ヒト」になる。他人のことを自分のことのように考えることができる、それが「ヒト」であって、他人のことなどどうでもいい、それは「人間」かも知れない。僕はそう理解している。師匠の講演内容の解釈。

この話題は、「人の意識」を問題にしているのであって、肉体については言及しない。新型コロナで、「他人との間を取りなさい」=「濃厚接触を避けなさい」それとは話題が違う。
何度も書いている「例え」で言えば、ヒトの意識は「自動車の運転手」であり、肉体は「自動車」。車と車の車間距離をあけましょう、それは肉体の話。車間距離をあければ、事故は軽減できる。その一方で、自分の周囲のドライバさんが、どうしたがっているか、常に意識しながら運転しましょう、それは「間」を取り払うことにつながると思う。周囲のドライバさんとの、意識の「間」を取り払って、相手の思いで自分の運転を見れば、自ずと安全は確保できる。それが、「ヒトとヒト」との「間」を取り払うことだと、僕は理解している。

同じことが、コロナ対策でも言える気がした。「もし、自分が感染者だったら」という、その想像ができるかどうか、そこに全てがかかっているかも知れない。2ヶ月後には収束させられるか、1年続くか。

この話題、「単語」の表現と意味からして、日本人以外には通じにくい。それでもいいと思って書いている。まずは、日本が「新型コロナ」に対して、軟着陸を可能にした唯一の国でなれるなら、それは誇りにできる。他国には求めない。「求めていない」だけであって、失敗しろと思っている訳ではない。

意識には「階層性」がある。既に何度も書いた。「意識」を持っているのは、「ヒト」だけではなく、犬も、猫も、魚も、おそらくその辺りに共感してくれる方は、少なくないと思う。それがさらに下に降りて、ゴキブリ、アリ、ゾウリムシ、みじんこ、となったあたりで、「単細胞生物にも意識がある」かどうか、議論になるかも知れないけれども、「魚」から見たら、プランクトンは「意識のある相手」だろうし、その先、「単細胞生物」にも意識がある、ところまで演繹できる。それが「正解」だと僕は理解している。そこからさらに、分子、原子、電子、素粒子に至るまで、全て、人間とは異なる形での「意識」を持っていると、僕は理解している。その「物質的」な意識体が複数集まった時に、集合体としての意識も形成され、集合体としての意識のエネルギー量と、統合する意識のエネルギー量が一致する、という状況になる、と私は理解する。例えば、細胞が集まって、「肝臓」になった。その機能的に集まった細胞の集合体には、「肝臓」としての意識ができる。多種類の臓器が集まって、ヒトを形成した、その「ヒト」の意識体は、いうまでもなく私たちの意識だけれども、個々の臓器も臓器としての「意識」を持っている。「階層」が違うから、同じ形での意思疎通は難しいけれども、お互いが意識体だという感覚を持てれば、多少は意思疎通が可能なんだろうか。ミクロには、ヒトと細胞の関係があるとして、マクロには、同じようにヒトと地球の関係があると、僕は理解している。ヒトなのに、地球のことなど全く考えない「偉い人」がどこかの国のトップになった。それだけなら、まだ、猶予されていたかも知れないけれども、同調して、「他国のことなど知るか、自国さえ良ければそれでいい」そうした風潮が、全世界に広まって、同調する国が増えた。言ってみれば、ヒスタミンが全身に回った感じ。何が起きても、不思議ではない気がした。
「地球」意識が、本気になって、「警告」ではなくて、「排除」しに、取り掛かっていると私は理解する。

適当なことを書いていると思って欲しくない。全く同じ内容の話題を、僕は既に何度も書いている。(バックアップまでは削除していないから、「既に消した内容」も、必要があれば復元できるけれども、世の中変化が激しいですからね。昔書いたこと持ち出す趣味はない。)

「他者へのリスペクトを持つこと」、それだけは強調したい。そして、「地球」という誰もにとって「当たり前」の場所が、実は全ての動植物の「意識」の総体として存在している、そのことに思いを及ぼせる、そうした人が一人でも増えてくれるなら、新型コロナも「不思議な消え方」をしてくれる、そうした場合もあり得ると、付記したい。

ヒスタミンと同じ。何かと「フェイク」を口にする誰かが口火を切ったのは、間違いない気がするけれど、さすがにこの国で60年も生きていると、案外日本だって、いくところまで行くしか、ないんじゃないか、そんな気もする。欲の塊みたいな「責任者」は、ゴロゴロしてますし。でも、できれば、変わって欲しい、そんな気もする。

休業補償

NHKのニュースを見ていて、安倍総理の発言に???
クラブとかバーなんかの休業補償はすごい額になる、と。

安倍総理とか、麻生財務大臣とか、あの辺の方が行かれるお店ってのは、あれでしょ?ビール1本が3万円とか5万円とか、一晩の売上が軽く数百万円とかになる、そういうお店でしょ?そういうお店にはお友達も多そうだし。でも、さすがに、国民の税金からそういうお店の機会損失に対する損害賠償を支払ったら、支持率が10%以上は楽に下がると思うな。だから、損失補填しなくていいように、営業自粛にしない。そういうことでしょうかね?

それでは、もしそうしたお店でクラスターが発生し、派生的に感染した方の高齢のご家族なんかで死者が出た、と。あるいは、そのクラスターの対応で医療従事者が過労死したとか、そういう事態になったら、その感染者の家族とか、医療従事者とかは、敢えて営業自粛せずに営業したお店に対して、「損害賠償請求」できるんでしょうかね?「自粛」っていうのが、判断が難しい。

日本の「車検制度」は、ものすごく細かい。アメリカなんかの場合には、「自己責任」で、多少の整備不良でも事故さえ起こさなければ、「違反」にはならない。その代わり、事故が起きた際に整備不良が原因だったら、重罪になる、らしい。よくは知らないけれど。
「営業自粛」したら、開いているお店に客が流れる?それじゃぁ、「自粛損」じゃないか、って思ってしまう。だったら、あえて「自粛」せずに営業しても、感染者さえ出さなければセーフ、但し、もし感染者が出たら、医療費とか、無症状の感染者に滞在してもらうホテルを借り上げた費用とか、一連の「感染症対策経費」を、そうしたクラスターの原因となった飲食店なんかに転嫁したらいいんじゃないか?(相変わらず、私のは暴論。)

一晩の売り上げが一千万円、休業なんかできるか、と。だったらご自由に営業を続けてください。その代わり、クラスターが発生して、三次感染とか四次感染の高齢者が亡くなられた、トータルでそのクラスターから数十人の感染者が出た、その死亡に対する賠償、感染した人の休業補償、慰謝料、医療費、行政の対応コストなどなど、ガッツリと請求してもいい、とか、そこまで法律に書いちゃったらよかったんじゃない?

小池都知事がカリカリ来ているのは、東京都で感染が確認された方、結構、夜の繁華街経由の人が多いんじゃないかと、詳細の追跡は不能であっても、「疑わしい」レベルで、ある程度状況を把握されているから、じゃないかと思う。

苦しんでるのは、一日の粗利が数千円とか、数万円とか、そういうレベルの商売が干上がって、収入が途絶している方々で、とにかく「早期収束」にならなかったら、生活保護申請、破産申請で自治体財政も破綻するかも。「自粛」なんかしてられるか、と、そういう人が多ければ、事態の収束までに半年とか、もしかしたら一年とかかかると思う。そうした方々のためにも、とにかく「早期収束」を目指すなら、文句を言うな、営業をやめろと、それができるのは国レベルじゃないかという気がする。

逆の選択肢もある。コロナをあえて無視する。医療機関が破綻したら、通常ならちょっと入院したらすぐに治る病気でも、ベッドが空かずに亡くなる方が出てくる。そうやって、一通り死ぬ人が死ねば、一年、二年と経つうちに、「集団免疫」ができて、なんとか「正常」な社会に戻れる、と、そういうシナリオもあるかも。

この状況ですからねぇ。でもまだ、実感が掴めていない人が少なくないんだろうなぁ。日本国内にご遺体の山が出来なきゃ、事態の深刻さを想像できないのかも。

それにしても、安倍総理、本当にお友達思いだからなぁ。

モリにカケ、桜にコロナ、お友達。総理のことが、よく見えてきた。

訂正:前言撤回

面倒なので、引用はしませんが、安倍総理の「一世帯あたり、ガーゼマスク2枚」を、「何の冗談だよ」と書いた。この発言、というか、書き込み。訂正し、撤回します。

ガーゼマスク2枚も、意味はある。但し、条件として、スーパーでも、コンビニでも、とにかくB to Cの、不特定多数向けのビジネスを展開しているお店で、「マスクを着用していない方の入店は、ご遠慮ください」と張り紙を出すこと。そこに尽きるかも知れない。感染者であっても、マスクをしていれば、周囲に飛沫を拡散させたりするリスクがかなり下がる。感染確率をかなり下げられる。感染経路不明の場合の感染リスクを、下げられる気がする。

加えて言えば、今のところ全く見かけていないけれど、スーパーとか、ドラッグストア程度の規模ならば、入り口に一人職員を貼り付けて、お店に入ろうとする客の手に、「ご協力ください」と声をかけて、手に、消毒液をスプレイする。これだけでも、相当にリスクを下げられると思う。今は、誰が感染しているかわからない。それでも、経済活動は続けなければならない。だとしたら、これで感染リスクを下げて、ビジネスを継続できるんじゃないか、と思えた。僕も、スーパーでの買い物では、一旦商品を手に持って、添加物とか見てから、陳列棚に戻す行為はしている。もし僕が感染していたら、これで、感染を拡散するけれども、お店の入り口で手を消毒していたら、100%でなくても、他の方に感染させるリスクはかなり下げられると思う。

今はもう、B to Cの中小零細は、社員の雇用維持など不可能に近いところまで来ているかも知れない。それでも、この2点を徹底すれば、客も、ビジネスの提供側も、そこそこ納得できる水準で、社会全体のビジネスを継続できる可能性があると思う。

B to C

仕事が全然捗らない。細かい要求が多過ぎて、コツコツと実装は続けているんだけれども、中には「爆弾」みたいに、冗談みたいなコードの修正量が必要なものも紛れていて(つい「わかりました」と言ってしまって、その場で断ることが苦手な私・・・。この流れで、自治会の会計も引き受けてしまって、既に5年が経過した・・・。学習してねぇ。しかも、こうやって「断れない」性格を公言しちゃってるし・・・、)いい加減に、疲れてはいるんだが・・・効率が悪い。

うちなんか、超低空飛行だし、「名前が通った大会社」じゃないから、安いから仕事を頼むお客様がいらっしゃるだけ、ありがたい。こうした生き方を選んだのは自分だ。別に後悔はしていない。生きて、経験を積み上げることが、たぶん、それなりに次(に肉体を持った時)につながる、と信じてはいるから、「まぁ、いいか」で、このまま続けるけれど・・・でも、お金の支払いは、キツい。

テレビで、理髪店とか、「緊急事態宣言」でも、仕事を続けざるを得ない人たちの話題をやっていた。ビジネス対ビジネス、いわゆるB to Bならば、まだ、影響は少ないけれど、飛び込み客も含めた「不特定多数」相手のビジネスは、大変だろうと思う。

移されない、ためだとしたら、マスクはあまり意味がない、とは思うけれども、今肝心なのは、「もしかしたら、自分が既に感染していて、他人に移すかも知れない」という意識を、誰もが持つことなんだろう。だとしたら、ガーゼマスクでも十分で、飛沫やエアロゾル化を防ぐには、かなりの効果があるようだ。ガーゼマスクの流通量を増やすことならば、不織布のマスクよりも容易じゃないか、という気がした。そもそも、不織布であっても、ウイルスのブロックには不十分で、ガーゼであっても「相手に移さない」ためには十分な効果がある。だとしたら、ガーゼマスクで十分だ、っていうことでしょ?

もう一つ、今、ドラッグストアでも「アルコール消毒液」は、なかなか手に入らない。ただ、「次亜塩素酸」は、漂白剤なんかで手に入るみたいだ。

目黒区のホームページから。

https://www.city.meguro.tokyo.jp/smph/kurashi/hoken_eisei/shinryo/yobo/jiaensosannatoriumuekinotukurika.html

次亜塩素酸水の作り方を掲載していた。

テレビのニュースを見ていたら、理髪店だけではなく、都内のバーでも「やめたら、家賃が払えない」とかで、「営業継続する」お店が取材されていた。気持ちはわかる。「超低空飛行」で、1ヶ月何かが滞ったら、生活が成り立たない状況は、痛いほどよくわかる。

だとしたら、せめて、2項目、そうした営業を続ける方々に「緊急事態宣言」に協力してもらえないか、と思う。

※ 「マスク」をしていないお客様は、入店をご遠慮下さい。とする。

※ 入店時に、必ず消毒液で手を消毒してください。とする。

消毒液は、アルコールが手に入るならアルコールで、でも、石鹸でのたった30秒でも、コロナウイルスを落とすにはある程度の効果がある、みたいだ。

「理想的な滅菌」、いわゆる「キレイキレイ」の基準で考えたら、面倒臭くてなかなか協力してもらえない。そうではなくて、7割か8割程度の簡単な方法でも、そこそこの、あるいは、かなりの効果が出る方法っていうのはあると思う。アルコールが手に入らない時に、石鹸での2分は、さすがに「客商売」で客に求められないにしても、30秒なら「お願い」をできるんじゃないか?ゲームにしちゃったりして。「30秒経ったと思ったら、30!と叫んでください。」

加えて、「次亜塩素酸水」での消毒は、もっと推奨して広めるべきかも知れない。ニュースなどでは何も言っていないけれど、ネットで検索すると、そこそこ出てくる。

次亜塩素酸ナトリウムは、手指の消毒に使うな、とあった。ドアノブとか手が触れるところの消毒には使えると。ダメなのかなぁ・・・金属を腐食させるのはわかるけれど。とにかく、アルコールに代替できる消毒液を、流通させて欲しい。買おうと思ったら、ドラッグストアにないんだもの。ただ、石鹸で十分みたいな話もあるから、それならいいか、と思ったけど。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57823120Y0A400C2000000/
二階氏、接触8割減「できるわけない」

あのさぁ・・・。だから、オール・オア・ナッシング的な発想は、やめてよ。国が所得補償をする、とか言っても、頼ってられるか、俺は営業を強行する、っていう人たちは、絶対にいると思う。次善の策、「どうしても、っていう場合でも、この程度は協力してもらえますか?」というのを考えて欲しい。次亜塩素酸水とか、(石鹸は、いくらでもあるか?)東京都で、個別に「営業している店」に声をかけて、無償で配布して、「どうしても、営業を続けるなら、この程度は協力してください」と、声をかけてみたらどうだろうか。

一方で肩を持ちつつ、他方で貶して、申し訳ない。こういう「自粛破り」がいると、その分、事態の収束は長引く。マクロに見たら、自分で自分の首を締めることになる。今を誤ったら、おそらく1年は現状が続く。あぁ、あの国は1年以上続くな、っていう国もある。(でもね、日本は国民性が違う。)だからこそ、せめて「業務継続する」なら、こうして欲しいという「次善の策」の提示も欲しいと思った。

訂正、など

本当に、ちょっと何かを書くと、すぐに「訂正」のネタが出てくる。
今回気付いたのは、「過越の祭」の部分だろうか。

イスラエルの方、ユダヤ教徒の方、僕の理解が間違っていたらごめんなさい。師匠の講演会で、何度となく、モーゼが人々を導いた時の話をされている。そのお話を伺う前の僕の理解では、「過越の祭」は、出エジプト記で災い(黒い霧)がエジプトを覆い、モーゼを信じ、戸口に羊の血で印をつけた家には災いが及ばなかった、災いを過越した、それが由来だと理解していた。そして、師匠が講演会でこの「過越」の話をされた際に、「その黒い霧の正体は、なんだと思う?」と話されて、「中世でも同じことが起きたよ、さあ、なんでしょう。」と問われた。答えはペスト。ペストが蔓延して多くの人命が奪われた、それが伝承では「黒い霧」となったものらしい、と僕は理解した。

その部分を思い出して、「過ぎ越しでは、人々が家に閉じこもったから」と書いた。正しく今、新型コロナで、この災いを「過ぎ越す」には、家に閉じこもるのが一番だと理解しているのだけれど、師匠はこうおっしゃった。「モーゼを信じた者には、感染しなかった。」
おそらく、僕が伝えるべきは、「家に閉じこもった」という僕の「解釈」ではなく、師匠が言葉にされたそのまま、「モーゼを信じた」ことが何よりも大切だった、というその部分なのだろうと思う。だから、訂正します。

たぶん、10人中9人までには通じない説明だと思うけれども、「だから」、という文脈で書くなら、神の実在を信じ切ってみたら、いかがでしょうかね?今回のこの新型コロナにも感染しないかも知れない。創造主が無理だとしても、地球という意識体が作ったものならば(そもそも、まず、この説明が10人中9人までは、もしかしたら100人中99人から、否定されるかも知れないけれど、)地球という意識体の存在をまず信じ、この、いわゆる「母なる地球」に対して敬意を表し、地球環境に対するリスペクトで心を武装したら、新型コロナには感染しない、万が一、粘膜にウイルスが付着しても、それが体内にまで入ってこないかも知れない。ダメ元で書いてみた。(僕は信じる側、ですが。)同じ理屈で、実際僕は過去10年以上(たぶん20年近く)、インフルエンザの予防接種とか全く受けていないし、その状況で、大学などで学生と接していても、全く感染はしなかった。(予防接種は受けた記憶がない。覚えていないだけかも知れないけれど。)一度も感染しなかったのは事実。

日本人の感染者数が、案外少ない。検査の絶対数が少ないのか、とも思いつつ、そればかりでもないかも知れない。上記の文脈で考えるなら、「初詣」のような「おすがり」も含めて、神様を信じている日本人は、案外多いような気もする。欧米からは「アニミズム」とカテゴライズされているみたいだけれども、山とか自然を「御神体」とする宗教観も日本にはある。前述の文脈から言えば、感染しない日本人も少なくない、はずだとも思うけれど・・・そうでもないか。

悪い癖で、ちょっと「自然科学」的に考えてみると、前にも書いた「粘液」の分泌が盛んならば、鼻や喉、肺に至るまで異物が侵入しても、体組織内に入るのをブロックして、感染しにくくなる。海藻食の多い日本では、フコイダンのような、ウイルスから細胞を守る物質の摂取も多い可能性があって、だから感染しにくい、なんていう説明も可能だったりするかも知れない。
悪ノリするならば、いっそのこと、例えば「ダスモック」でしたっけか?「気道液」の分泌を促して、なんていうのを、ダメ元で治療に使ってみる、なんてのは、ナシですかね?高齢者の重症化率が高い、基本的に免疫力が若い人よりも低下している、なんていうこともあるかも知れないけれど、もう、歳をとるとパサパサですから、こうした「気道液」の分泌も相当に低下していて、それが「若い人」と「年寄り」の違いだったりするかも知れない。その「ダスモック」を、僕はまだ試していないけれど。(龍角散で十分。)

ここが僕の、一番の欠点でもあるし、持ち味でもあるのかも知れない。
師匠の場合には、情報源が上にある。僕らの行動をつぶさに見ている上の方々、しかも、彼らは僕らの「意識」の方をメインに「見て」いられるから、悪いことをする前、悪いことを思った段階で、そのことを把握されてしまう。(そんなこと、あるはずないと思ってる方が大半でしょう?この部分は、たぶん、肉体を抜けたらすぐにわかるかも知れない。)師匠の場合には、そのギャラリーと意思疎通できるから、どんな悪事をしたか、以前に、どんなことを思ったかまで、バレバレだったりする。かつ、直接その情報源とコンタクトされるから、確信を持って「こうだよ」と、どんな昔の話も、今現在の誰かの心の中の話でも、普通にされる。僕らは、そうした話を聞かされても、場合によっては意表を突き過ぎていて、にわかには受け入れ難かったりする。

そんな時に、僕の「悪い癖」が発動されて、そうした、様々な師匠のお話を「自然科学的」に解釈して、理解しようと考えて、アプローチしてしまう。その結果、今回のこの話題のように、第三者に話しやすいように、話の内容のすり替えを起こしてしまう。どうも、そういうことなのか、という気がしている。師匠のお話の内容をすり替えて他人に伝えたなら、これはテロ行為に近い。だからこうして、気付いたら修正をかける、それしかない。

僕は「誰かのサポートに入る」ことを、もう30代の頃から漠然と考えて、その「誰か」が「誰」なのかをずっと模索していた。その相手を、ようやっと探し当てて、師匠の勉強会に通い始めて、もう16年が経った。

さて、改めてそれ以前を考えた時、気付いたことが一つある。僕は「軸足」を絶対に「自然科学」からは離したくないと、たぶん、過去にも何度か書いた。そして、現代社会においては、「自然科学」こそ「絶対的な真実」のような立場を与えられている。「神」よりも「自然科学」の方が優位なのが、現代社会だと思う。現代社会で、「主張」を浸透させるためには、「自然科学的」に否定されるべき要素が皆無であるか、もしくは、「自然科学的」に合理的な説明が可能か、そのいずれかであることが、必要条件になっているような気がした。
僕の人生の軌跡は、その「軸足」の正当性を証明するためのもの、だったのかも知れない。念のために書いておくならば、(どさくさ紛れ感はあるけれど、)一応私も、東京大学から博士号(工学)をいただいています。主張における、客観的な「自然科学性」の傍証ではあると、思う。
それがなかったら、ね、あれ、「私は食事は摂りません」とか言ってた、どこかの宗教指導者みたいに、逮捕されて留置場に入ったら、カツ丼を食ってた、みたいな話があったけれど、それらの詐欺的な「宗教」と大差がなくなる。

たぶん、僕は、肉体を持つ前に、この時代は「自然科学的」な調味料を使って「主張」に味付けをしなければ、誰にも食べてもらえない、そのことを予期していたのかも知れない。

僕は、師匠のお言葉に「自然科学的」な調味料を振りかけて、万人に食していただけるような形にして、それからこうして、ネットに書くようになった。前にも書いたけれど、「霊体の存在」すら、一通り自然科学的な「説明」を試みている。今回の「モーゼを信じた」とか、「神を信じよ」とか、そうした「素材」に、大量の香辛料を振りかけて、読み手の方々に食わせようとしているんじゃないか、どの程度まで「許される」んだろうかと、そこがとても気になった。

師匠は、一人でも多くの「地球人」に「知って」おいて欲しくて、言葉を伝えられていると思う。(そうじゃないよ、というお話も、再三伺っているから、一つ前の文は、僕の推量です、と付記する。)その「地球人」に口あたりがいいように、「自然科学」の調味料を僕は持ち出して、提供しているつもりになっていたかも知れない。単に伝えるだけならば、師匠のお言葉をそのままで良かったのだと思う。
聞く耳を持って欲しい、がために、僕は「自然科学」の調味料を取り出した。料理の味付けで、素材の味を表に出すことに失敗したなら、それは料理じゃないんだろう。僕は、それをやって来た気がした。

タラの芽が美味しい季節になった。(ってか、まだ終わりじゃないよね?)タラの芽。あの「苦味」がいい。苦味を含む香りを、「美味しい」と感じるのは、ある程度成長した証、なんだろうと思う。(僕は、この話題は、比喩として持ち出しました。何を言いたいかは、適当にお考えください。)
タラの芽を美味しくいただくには、例えば、衣だけつけた天ぷらとか、そんな感じだろう。僕は、そこに大量の香辛料を振りかけて、「これがタラの芽」、みたいな、ガラムマサラの味しかわからない、そんな料理にしていないだろうか、それで「自己満足」していないか、それがどうにも気になってしまった。

それでも、僕は書き続けます。(落ちるのは覚悟済み。)僕が香辛料だらけにした「タラの芽」から、どうかその「タラの芽」本来の「苦味」を感じ取って欲しい。読み手の皆様には、そう願ってやまない。


書いた内容を、意識の中で反芻した後の付記です。岩手や、島根、鳥取での海藻消費量は、どんな感じなのかな?

訂正

いい加減に、書かなきゃいいのに、とも思うが・・・

訂正が必要なことを書いてしまった。師匠の講演内容で、イエス様が実際に話されたお言葉と、誤って伝わっている内容の部分。

現在伝わっているのは、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」だったか。日本語ではこう伝わっている。僕が書いた内容は、「右の頬を打たれたら、相手の左手の痛みを知れ」だったと、記憶している。(読み返していない。)ここが間違い。念のため聞き直したら、やはり間違っていた。

「右の頬を打たれたら、左の頬を打ったと思いなさい。」と、おっしゃっていた。その解説として、なぜ相手が自分の右の頬を打とうと思ったのか、打てば左手にだって痛みがある。手が痛いだけではない、心が痛い。心を痛めながら、なぜ、自分の頬を相手は打ったのか。何かをわかって欲しかったから、手を出したのではないのか。自分が手を出して相手を打ったとしたら、その時に自分はどう考え、どう感じるだろうか、そこに思いを及ぼしなさい、ということだと、私は理解した。とても切ない思いについての表現だよ、ともおっしゃっていた。

その「意味解釈」の部分を、相手の左手の痛みを知りなさい、と書いてしまった。僕が聞いていて想起したのは、親が子供の頬を叩く、何かをわかって欲しくて、叩かれる痛みを知った上で、なおかつ、叩く、どんな思いなのか、ということだった。そこで表現が化けた。

また、やっちまった・・・

ここ、書くべきではなかったのか、どうなのか。もう書いちゃったから、後悔しても遅い。いや、覚悟して書いてる。
ただ、「他の人に伝えてはならない」という制約のかかっている部分でないことだけは、確かだと思う。問題があるとしたなら、私がその「言葉の意味」を掴み取ってから、第三者に伝えようとしているかどうか、そこなんだろうと思う。ただなぁ・・・イエス様のお言葉だから、ほとんど「神の思い」に近いものかも知れないし、間違って伝えたなら相当に怖いことになる。覚悟している、とは言っても・・・

こういうお話もあったなぁ。「後悔」する前に、何かをする前に考えなさい、と。言葉を発し続けることの怖さは、十分に理解している。学校の授業の比じゃない。(わかっててやってるなら、確信犯だな・・・)

それよりも、もっとはるかに「上から責められるべき内容」も書いてしまっていたと思う。「言霊」という表現を、知らないのか。知らないはずはない。知っているなら、不安に感じているだけならまだしも、なぜ、言葉にしてしまうんだ、と。
いや、限られた時間でどれだけ前に進めるか。「まだ5年も、10年も、20年も、きっとあるだろう、時間はたっぷりある」と感じてしまっていた時に、なぜ「限られた時間」を意識せずに、必死で前に進もうとしなかったのか。後悔するとしたら、この部分かも知れない。
だったら、これでいい。とにかく言葉にしてみる。その結果を必死で考え抜く。間違っていたなら、訂正する。とにかく、手数を出し続ける。以上。

どこへ行っても、満開の桜

こんなに桜が植わっていたんだ、っていうくらい、あちこちで咲いていた。

ウルトラ・スーパー・運動不足
せめて、移動くらいは自転車にしないと・・・

写真?僕のスマホ、なぜか写真のピントが合わなくて、うまく取れない。買い替えは・・・いつになるかなぁ・・・(仕事、頑張ろ)

師匠のお言葉

今日の講演会でも、宿題をいただいた。(「自粛」を叫ばれるこの状況下でも、講演会は強行させていただいた。あえて言わせていただくなら、師匠はヒーリング(病気の治療)もできる方で、手を当てるだけで埼玉県の秩父地方で万の桁に届く方々の病気を治療され、体内のウイルスを消すくらいは朝飯前の方だから、一般的には「無謀」なのだけれど、決してこの集まりは世間に迷惑をかけたりしないと信じて、僕は参加した。)

本題に戻して、宿題とは、わかりやすく書くなら、「何を考え続けるべきか」という課題をいただいた。
今の段階で出した、その一つの答え。

もし、僕の指導霊さんが8次元以上の方ならば(「次元」については、師匠の著書を参照していただくとして)、その方は、たった一人で、地球上の全ての出来事を解決できるだけの力量をお持ちの方だと僕は理解する。僕個人に、そんな能力がないとしても(つまり、僕自身が、もっとずっと低次元であっても、)僕の指導霊さんの意識を(かすかにでも)受け取れたなら、きっと、その意識から編み出した言葉は、地球上の問題を解決するのに役に立つに違いない。
僕自身がそう判断し、言葉を発し続けるならば、それはおそらく、僕自身が、今回肉体を持つ前に決めてきた「今回の人生」の僕自身の課題なのだから、こうやって言葉を発し続けるべきなのだと、改めて考えた。
8次元の方々。以前、あやふやな数字を書いた記憶があるけれど、10年前の講演会で246体という数字を伺ったのを見つけた。すべての方が、肉体を持つたびに、進化したり、退化したりを繰り返している。当然この数字は今現在は変わっていると思うけれど、地球系霊団の550億体という「人格霊」の集団の中で、たったの246体しかいらっしゃらない次元の方に、もし、直接指導していただいているとしたなら、こんな恵まれた環境はないとも思うけれど、その「恵まれた環境」が「結果を出すべき任務」にくくりついているならば、全く安閑とはしていられない。今回のコロナウイルスに対してだって、あらゆる側面から、言葉を発し続けるべきなのだろう。

それでも、やはり仲間からの指摘は欲しい。僕と同じく、師匠の講演会に参加され、師匠の言葉を聞かれている多くの仲間と、講演会の都度、意見交換をさせていただいている。
できることならば、僕がこうして言葉にしている内容に対して、師匠のお言葉を同じように聞いている仲間からの徹底的なツッコミをもらえたなら、とても安心できるのに、今は自分を信じて、自分だけを頼って書くしかない。その部分を、次のステップにつなげられたなら、それは、いつかきっと、多くの方々の役にたつ「情報」につながる気がしてならない。けれど、今は現状のまま、とにかく進み続けるしかない。

約1億2千万年前、数カ所の星系から地球に移住した「人格霊」を元に、イエス様、アッラー様、モーゼ様、ゼウス様など、地球系霊団を指導される9次元の方々の合議で、移住した数十億体からコピーを作成し、現在の約550億体につながる大規模な「地球系霊団」の誕生が起きた。その時に生まれて間もない霊体の多くは、意識体としての教育が不十分なまま「物質世界」での存在こそが全てだと錯覚を始めて、あまりにも物欲に走り始め、意識体の住む世界とのリンクを遮断せざるを得なくなった。その時に生まれた4次元の霊体の方々も、中には5次元から6次元にまで「進化」された方もいらっしゃるものの、移住してきた最低でも6次元以上だった方々とは意識レベルの差が埋まらない現状が続いている。と聞いている。(師匠の著書にも書かれています。)

地球系霊団の指導層は、最低でも6次元、できれば7次元以上の方であって欲しい。ネルソン・マンデラ氏は、7次元の方だったと聞いている。坂本龍馬氏も7次元。その一方で、8次元と9次元の間にいたルシフェル様は、その能力や人間的魅力をフルに活用して物欲に走り、モンゲール・アウル・サウタンとして肉体を持たれた際に大虐殺を行われた。(なぜかはわからないけれど、僕にはやはり、ルシフェル様には「様」をつけたくなる。落ちる前は偉大な方だったという意識が、どうしても拭えない。)低次元の意識が高次元を凌駕し始めた象徴なのかも知れない。
その流れで、僕の見立てでは、どれほど甘く見ても5次元の程度の方が大統領になってしまった国があるから、ここ数年で、一気に相当におかしなことになった。その方の地元では、ピンポイントで混乱が起きている。地球意識が見落とさなかったんだろう、とも思う。
地球で圧倒的多数を占める4次元の方々から見たら、5次元も7次元も、どちらも「すごい人」なんだろうけれども、比べたら5次元の方がより自分たちに身近に感じるに違いない。だから、低次元の方を選ぼうとする。それが民主主義の盲点なのかも知れない。それはいいけれども、「地球」という人格霊を超越した10次元意識体から、人類全体への「警鐘」を既に超えた「外科治療」が始まってしまったのが、僕は、今回のCOVID-19の問題の本質だと思う。
あらゆる「次元」の「人格霊」に、「肉体」という3次元世界での「投影空間」で交流の場を与えて、人類全体をより高次元の側に寄せようとする「創造主」の思惑が、裏目に出てしまって、より次元の高い方々が低次元の「生活感情」に引きずり込まれるという現象が起きてしまっている。
人類自身が、「自浄作用」を働かせられなくなっているから、地球意識が強制的な手段のカードを切り始めた。僕は、そういうことだと理解している。

どなたも、ご自身がどの次元なのか、考えられたらいかがかと思う。6次元以上の方は、表向きはともかく内心では神の実在を確信していると思う。そして、自分自身の能力を高めることに目覚めて、専門性の追求に走る。あらゆる分野における6次元での経験を重ねると、7次元へと進化する。5次元の方は、神の実在なんて気にもしないけれども、多少は周囲の「ヒト」の動向に気をかけて、日本語でいわゆる「周囲への気配り」が自然にできている方々だと、私は理解している。これ以上の詳細は、師匠の著書をご参照ください。(いつか、ディジタル再販をすべきなんだろうな。)

あえて、師匠の講演会や、著書の内容から多くを引っ張ってきた。なぜか。
もしかしたら、当面の間、講演会で師匠と会うことができなくなるかも知れない。公共施設に頼らざるを得ないから、施設が閉鎖されたら、場所がない。そうこうしている間に、もし、師匠が肉体を去られたら、上に帰られたら、もう師匠に会えないし、直接師匠のお言葉を聞く機会は、もうなくなってしまう。そんな不安があって、もし、間違いがあったなら、必ず講演会で、それとなく「指摘」してもらえる今、この話題を言葉にしてみた。

霊格が違いすぎる。肉体を抜けたら(この投影空間を離れたら)、絶対に直接師匠と会うことはできない。(もちろん、同じことは4次元と5次元の間、さらには、細かく何段階かに分かれているその段階の違いでも、起きるけれど、)意識体としてのエネルギー量が違うから、たまたま、何百年かに一度、こうして肉体を持っている間に、肉体を持っている師匠に出会った機会というのは、もう2度とない機会だと思う。まだ、「だった」と過去形にはしたくない。まだ、この「機会」は継続している。

このページ。僕は、こうして、「あらゆる話題」について、書き続けます、という決意表明なのかも知れない。(僕は、僕自身がよくわかっていない。)今後は、もっと踏み込んで書くかも知れない。師匠が、人々に伝えたかったこと。僕にはそれを「代弁」することはできない。ただ、学術論文のやり方と同様で、「師匠のお言葉」を引用して、そこの自分の経験を被せた私の考えを書くことはできる。これは、「私の考え」でしかないけれども、結果において師匠が望んでいられる「ヒト」の世界の「人としての生き方」への助言に近づけられたなら、もう、思い残すことはない。

怖い。

一歩間違えたら、大きな過ちを残す。訂正は難しい。
例えば、「右の頬を打たれたら・・・」(この後のフレーズ、ご存知の方も多いと思う。)イエス様は、指導する側の思いを、指導される側に伝えられた、らしい。あなたの右の頬を打った相手が、その左手の痛みと共に、「どうして、こんなことがわからないの」と耐えかねて左手を出した、その相手の「左手」の痛みと、手を出さざるを得なかった心の痛みを知りなさい、と、そうしたフレーズだったらしい。それがいつの間にか、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出しなさい」に化けた。意味が取れない。その教えを聞いた方が、うろ覚えで、こんな感じだったと「再生」した結果が、あの有名なフレーズになったらしい。確か、「右の頬を打たれたら、相手の左手の痛みを知りなさい」、だったか。伝言ゲームだ。怖い。
この話題、本当か嘘か、疑う方も多いだろうけれども、師匠が直接イエス様と意識を交わされて、この「訂正」を講演会で話された。子供を持つ親の方々、「どうしてこんなことがわからないの」と、子供の頬を手で叩く。その時の思いが、なぜ子供に伝わらないのか、子供の側に「親だって、手だけじゃなく、心が痛いんだよ」と、その部分に重ねていただいたなら、きっと、なるほどと思っていただく部分があるんじゃないかと。
昔だったら、教師も同じことをやってた。ところが、今はそんなことをしたら「暴力」扱いされてしまって、下手すりゃ教師をクビになる。今だったら、「右の頬を打たれたら、訴えなさい」が実情でしょうね。どうでもいいけど。ただ、イエス様は、誰もに理解できる内容を話されたのに、伝言ゲームで、化けたものばかりが「金科玉条」として残っている。ご本人としても、全部消したい思いみたいだけど、イエス様の思いに背いて、キリスト教の権威団体がそれをさせないだろうな。それがイタリアの現状だ、とは言わないけれど。(きっと、師匠も、関係ないとおっしゃるだろうし、僕も、無理やりこじつけているだけ。)
いや、後で上に戻った時に、「お前があの時書いただろ、」と文句を言われるミスはしたくない。その例として書いた。

ボチボチ、暴走を始めた。やめる。(僕の場合には、この暴走が怖い。)

強い措置を!

最初に、お詫びと前言撤回をします。
感染者数の少ない地域まで「休校措置」をとったのは、やり過ぎじゃないかと書いたけれども、その認識は間違いだった気がするので、撤回し、この部分について安倍総理を責めるような内容を書いた点について、お詫びします。申し訳ありませんでした。

結果論だ。「休校措置」を取ったからこそ、2週間前の三連休頃までは感染者数の急増を抑えられていた、ような気がする。どこかのメディアで「自粛疲れ」という表現があった。今表面化している東京都の「一日100人超」は、逆算すれば二週間前に感染し、症状が出ないまま過去2週間、少ない場合でも一人か二人、多い場合には10人とか周囲に感染させ、若い方々で症状が出ていない方々が、水面下にその3倍とか4倍いるとすると、今現在、どんなに少なく見積もってもざっと2500人とか5000人が自覚症状のないまま周囲に感染させているのが現状かも知れない。「自粛疲れ」の結果か。
特に、夜遊びとか全く控えていない方々のようなケースでは、二次感染、三次感染、四次感染まで含めると、下手をすると、今現在で、東京を中心に1万人を超える感染者が「感染確認」されないまま動いている、と考えるのが数字の上からは自然だろうと思う。東京の昼間人口は1.5千万人とか言われているから、全昼間人口の0.07%。既に「感染爆発」が起きているんじゃないか、という気がする。

ということは、(あくまでも、私のザックリとした数字の読みですが)東京都内で1週間後に新たに感染確認される人は250人から400人、2週間後に新たに感染確認される人は800人から1100人程度になり、2週間以内に日本全体で感染者数が1万人を超える、ここまではもう「確定」していると思う。

昨日だったか、NHKで、どこかのシミュレーション結果が流れて、8割の方の外出を止めてもらった場合には、1日あたりの感染確認の人数は2週間後をピークにして一気に収束する、というのがあった。人が外に出なければ感染は頭打ちになるから、ある程度強制力のある措置が取られれば、その2週間後にピークが来るというシミュレーションは常に成り立つんだろうと思う。

ただ、問題は、どの程度の期間その「外出禁止」を続けられるか、経済活動がどこまでダメージを受けるか、なんだろうな。もう既に、手持ちが底をついている方とかも、結構いるんじゃなかろうか。商店とか、大変ですよね。そこはもう、生命の安全を取るか、自分の肉体の「生きる力」を信じて経済を取るか、究極の二択なんだろうか。この質問をされたら、みなさん、どちらを取るか。
年金生活とか、大企業のサラリーマンなど、収入にあまり不安のない方なら、前者。その一方で、自営業者や中小零細、水商売なんかの場合だと、多少命に危険があって、感染爆発しても、経済活動を制約しないでくれ、ということなんだろうか。でも、後者を選んだら、高齢者や持病のある方を中心に、今年一年での日本のコロナによる死者数が数千人とかいう規模に膨らむことは、覚悟が必要かも知れない。

小池都知事、既に10日くらい前から「夜の繁華街」の「自粛」を再三言葉にされていた。おそらく、把握できている感染ルートがそこに集中していて、ゾーンも、おそらく3カ所か4カ所、把握されているに違いない。余程公開したかったに違いない。「自粛」しかお願いできなかった辺りに、なんだか恨み節が感じられた気がした。

誰への「恨み節」か?決断の遅い人、「まだ、ギリギリ感染爆発は起きていない」と主張し続けている方に決まってる。

コンセンサスが必要だとしたら、どこかで誰か、「アンケート」サイトでも立てませんかね?
より強い「外出禁止」に近い措置を行政に出してもらうか、それとも、経済優先であくまで「自粛」で続けるか。

私?どっちでもいい。

ただ、「強い措置」が一体どのくらいの期間続くのか、が問題なんだろうか。イタリアなんかを見ていると、2ヶ月で済むとは到底思えない。最低でも3〜4ヶ月、もしかして1年続くとしたら、どうなるんだろうか。その間に、一体何人の人が「経済的困窮」で追い詰められて、生活が成り立たなくなるか・・・一年続いたら、一人当たりの給付額30万円が100万円だって足りないかも。どうするんだろうか。
一世帯マスク2枚、って、なんの冗談?布製のマスクなんて、ほとんど予防効果がないって、初期のころ散々やってたのに。無駄な金だと思うなぁ。効果がないものなんて、使わないよ。

余談ながら、こんな話があった。過去のコレラやペストの蔓延。爆発的に死者を増やしながら、ある時突然消えたらしい。感染症に対する医学的な知識もなく、自然科学に対する知識も乏しかった時代に。何が起きたんだろうか。
仮に、だけれども、どなたかが(と言いつつ、ヒトでないことだけは確かだけれど、)目的を持って創り出したものだとしたら、「目的」を達成したら消し去る、という可能性はある気がする。何が「目的」なのかを考えたほうが早いかも知れない。なんせ、「アマゾンを焼き払って何が悪い」とか、「地球温暖化なんてフェイクだ」とか、「核兵器の削減などしない」だとか、さんざん、そういう話題が持ち上がった訳で、私なりの「解答案」はあるけれど、原因を作った人が改まった行動を取らない限り「目的」は達したことにならないような気もする。だとしたら、こんな「仮説」は当然却下されるだろうし、このアプローチは、ほぼ絶望的かも知れない。自然科学的アプローチしか取る気がないだろうし。

それに、なんせ、全世界で一千万人を超える方々が、「殺戮ゲーム」をダウンロードして楽しんでいるらしく、私自身も含めて、「主犯」が何千万人いるか、見当もつかない。それだけの人数が「意識を改める」なんて、無理だろうなぁ。むしろ、神様を恨んだりなんかして。火に油を注ぐ。

なおかつ、この「仮説」が正しいとしたら、「目的」があって生まれたウイルスだから、ワクチンの開発が完了した途端に変異して別の形質を帯びるかも知れない。バンコマイシンとかメチシリンなんかと同じ。人間のやることには、限界があると思う。

こういう考え方もあるかも、という話題を書いてみた。

ゾーニング

日本全国を、最低でも都道府県単位、できれば、市区町村単位で分けて、COVID-19の危険度のゾーニングを行うべきじゃないかという気がする。
十把一絡げで「緊急事態」か、そうでないか、あまりにも雑だと思う。

最新の情報は確認していないけれど、岩手県や、鳥取県、島根県は(外からの感染者の移動がない限りは)かなり安全な地域じゃないかと思う。そうした意味では、その三県では、企業活動も学校の授業も、ほとんど制約する必要はないような気がする。

埼玉の県北も、感染者がいるにはいるとしても、自宅に留まっていてもらえるなら、あるいは入院されているなら、社会活動の制約の必要はほとんどないような気がする。無論、予防措置として「三密」は避けるとしても、学校にしたって、僕らが小学生、中学生の頃は一学年6クラス編成だったのが、今は2クラスだと聞いている。教室にだって余裕があるはずで、机の間隔を空けるとか難しくはないし、出て歩いたって人とすれ違うことがあるかないかという感じ。僕の仕事の場合には、場所を問わないから、ここでも十分。そのおかげで、仕事の作業自体にはコロナの影響は全く受けていない。ただ、お客様の側が、ということはあるけれど。

そうしたゾーニングを行って、最新の感染者情報を見ながら、(まだ、変化そのものが顕著になる前、気配が合った段階で、)数日単位でゾーンごとの「危険度情報」を出せるように、情報分析の専門家に動いてもらうべきではなかろうか。さもないと、日本全国一律で「学校の閉鎖/出社の自粛をお願い」なんてやっていたら、企業活動も含めて、経済が破綻する。医者の使う言葉で言えば、「体力が維持できないから、食べてください」みたいな感じで、危険度の少ない地域の経済活動まで、一律に自粛させることは、「体力を奪う」結果になると思う。逆に言えば、今すぐにでも封鎖すべき(人の出入りを厳しく制限すべき)地域がある一方で、その、ごく一部を除いた「日本全国」を一律に扱って、「緊急事態宣言」を出すか出さないかを考える、なんて、議論が荒っぽすぎる。

どうして、こういう細かい設定をしようとしないんだろうか。危険度も「自粛」か「緊急事態」かの二択、対象の範囲は日本全国なんて、自分的には信じられない。総理がよく口にする「スピード感をもって取り組む」その、「スピード感」ってなんなんでしょうね。自分はじっとしていても、目の前のスクリーンに、新幹線の車窓とか、時速300km/h の世界が展開すれば、かなり「スピード感」はある。加えて、4D映画館でしたっけ?座席をユサユサ動かすとかしたら、もう、「スピード感」満点だと思うけれども、実際には全然動いていない。総理の「スピード感」には、どうしてもそっちのイメージが強くて。スピード感の「感」がよくない。「スピードを出して取り組んで」欲しい。

邪推すれば、細かいことを何もしない、っていうのは、実はバレないように「集団免疫戦略」をとっているんじゃないか、という気もする。高齢者や持病のある方々が大量に亡くなられたなら、どうなるか。山場を超えた後で、国家の「医療費負担」が大幅に軽減する。現実問題として、高齢者の医療費や透析などの特定医療費の国家負担が今後は国家財政を圧迫するという予測がある。ということは、この新型コロナに対して対策を打たないことは、2年後、10年後を見通した際には、財政面での「最適解」に導ける可能性がある、ということだと思う。イギリスのジョンソン首相みたいにそれを公言するか、黙っているか、それだけの違いなんじゃないか、という気がしてきた。だから、ゾーニングだとか、危険度のランク分けだとか、そうした細かい施策を行わず、「全国一律の緊急事態を出すと、経済活動が悪影響を受けるから、まだギリギリ、緊急事態宣言は出さない」なんていう説明が出てくる。なんか、そんな気がしてならない。

誤解して欲しくない。それが本当に「悪いことなのか」という考え方もある。「もう十分に生きた」ならば、もう次の人生(生まれ変わった後)のことを考えてもいい時期かも知れないし、持病がある場合でも、病気になる経過について十分に考察できたなら(生活習慣病の場合には、やっぱり原因は「生活習慣」っていうことかなぁ、)次は同じ病気にかからないようにしようと、意識にしっかりと刷り込んで、やり直した後のことを考える、っていう選択肢もあるかも知れない。

僕は、「ヒトの実体は意識体」だと感じている。全ての人が肉体を抜けても、今と大差ない「意識」のまま意識体として覚醒し、大半の人は「あ、自分、死んだのか」と気付いて次のステップへと進むらしい。中には、自分が死んだことに全く気付けない方もいるらしく、人間は死んだらそれで全て終わりだと信じている方々は、意識がある=肉体が生きていることだと思っているために、全く次のステップへと進めないでこの世界に留まっているらしい、けれど。話しかけても、誰も気付いて返事してくれない、それを当たり前に感じてしまうっていうことは、生きている間もそういう人生だったのかなぁ。ただ、大半の方は、ローテーションで肉体を持つ。それを実感できたなら、実は新型コロナも全然怖くない。天災で財産を失うことも、自分の「肉体生命」を失うことも、全然怖くなくなる。僕自身はその前提で書いているので、その辺の認識が僕と違う方は、読んでいて不快に感じる部分があるかも知れないけれど。最初に謝っておきます。ごめんなさい。でもね、僕もボチボチ、「淘汰」される側になってきた。いつエンディングノートを書こうかっていうくらいで。

肉体を抜ける前に、某パソコンに格納してある「動画」データは、削除したいなぁ。あんまり他人に見られたくない。俗に言う「見られたくないディジタル遺産」って奴ね。あ、そうか。こういう動画データが、もう要らない、使い道がないってなった時が、エンディングノートの書きどき、っていうことか。ということは、まだエンディングノートは書かなくてもいい、ってことかなぁ。

いや、その判断の余裕を与えてくれないのが、新型コロナか。削除せずに肉体を抜けちゃったら、それが原因でこの世界に留まっちゃったりして。××ビデオが原因で成仏できない。なんか、ありがちな気がしてきた。

訂正、など

読み返してはいないけれど、なんかこんなことを書いた気がする。

「リスクは地価に反比例している」って、逆でしたね。リスクは地価に比例している、と言いたかった。「安全性は地価に反比例」を考えていた。どうでもいいけど。
貧乏人のひがみ。田舎者のやっかみ。

ME学会から、こんなメールの配信があった。

コロナウィルス対策, MEDTRONIC社の人工呼吸器製造データ

日本生体医工学会 会員の皆様

国際医用工学連盟(IFMBE)より、MEDTRONIC社が公開した人工呼吸器の製造データに対するリンクが送られて参りましたので、会員の皆様に転送致します。

MEDTRONIC社では、他社がこの人工呼吸器を製造することを求めているとのことです。

https://mailchi.mp/aeaf15a436a9/zkxb5bne1e-3863597?e=fdc7f1d860

佐久間 一郎, IFMBE理事, 東京大学
木村 裕一, 理事長, 近畿大学

木村さん、というか木村くん、早稲田の内山研で、研究室に入った時は僕の一年後輩で、卒業した時は同級でした。(細かいことは、気にしないように・・・)独断で、URLもそのまま貼り付けます。文句があるなら、あの時の話をバラすぞ、って・・・、嘘です。

冒頭に、こんな一文があった。

May I suggest to circulate through our network/mails to our friends and colleagues around the world to mobilize and facilitate production of ventilators that are in high demand

こうも書かれていた。

in case you know factories and/or students that want a COVID related project, they can download the plans for this Ventilator and produce them.

心が広い。これが今、一番求められていることなのかも。なんだか、「人類の危機」としての認識が感じられて、すごいことになってるんだなと、改めて実感。

医用機器の制御プログラムは、とにかく「猫のヒゲ」じゃないけれども、ほんのわずかなパラメータの違いで体感が全然違ってくる。「融資の引き上げ」だかなんだか知らないけれど、蓄積されたノウハウが一度失われたら、挽回はほぼ不可能だと思う。今から改めて蓄積するにしても、時間がなすぎる。ただ、絶対数の不足に対応するには作り続けるしかないんだろうか、とも思う。

どこかの馬鹿な大統領が、「値段が高すぎる」と叫んだらしい。当たり前でしょうが。医療機器は、自動車と違って数が出ないから、価格に占める開発費の割合が高い。ノウハウの蓄積にも、臨床での使用時間がモノを言ってくる。高いのが嫌なら、買うなよと思った。アメリカが買わないなら、日本が全部買うと思う。いや、他の国でも欲しがるかも知れない。(高くて買えない国も、少なくないと思うけど。)作り上げる苦労を知らない人の発言だ。その部分を考えたなら、MEDTRONIC社の判断には、自己犠牲に近いものを感じる。崇敬の念を持ちます。

追捕:どうでもいいけど、ステルス戦闘機100機を配備する金で、人工呼吸器を何台買えますかね?どこかの大統領さんと、どこかの総理大臣に言いたい、と思った。さらに言えば、何かと暇さえあればミサイルの発射実験をやってる国もあったな。どうでもいいけど。

アメリカ・ファーストで、アメリカだけの感染症対策をしたところで、人は世界を動く。途上国にウイルスが残れば、いずれは先進国に再流入する。それが嫌なら、鎖国するしかない。結果として経済封鎖になったなら、いずれは自国の主要産業が軒並み傾く。

師匠がいるから、言葉や意識を仲介することはできるけれども、言葉にしたところで通じるとは限らない。言葉で伝えてもわからない相手には、どうしたらいいのか。すごいカードを切ってきたなと、つくづく思う。
しつこいようだけれども、(こんな事態が起きる前から、何度も何度も書いたけれども、)「人の実体」は、意識を持ったエネルギー体であって、肉体はこの世界で経験を積むための道具、乗り物に過ぎない。その部分を本質的に理解できたなら、何も怖いことではないと、僕は思う。でもね。やっぱり肉体にこだわっちゃう方が99%以上でしょうね。
日本では、地震も津波も、一部の例外を除いて人が協力することで危機を乗り越えようとした。今回も、その延長でいいのだろうと、僕は思う。むしろ、そこが目的なのかも知れない。
そして、改めて思う。これでもわからなければ、まだ次があるとも思う。

「打ち勝つ」?

毎度、安倍総理の一言一言が気になってならない。今回は、桁が違うからなぁ・・・
要点は2点。

まず、わかりやすい方から。
「緊急事態宣言」を出すとか、出さないとか、すったもんだしている。医師会とかからは「早く出せ」なんていう話があったのか。産業界からは「出さないでくれ」なんだろうか。どうして、こう、オール・オア・ナッシング的な発想なんだろうか。

外務省の海外安全情報は「注意喚起」から始まり、「渡航自粛」とか「中止勧告」「退避勧告」まで、4段階だと思う。火山噴火とか、他にも何段階かに分かれているのがあると思うけれども、新型コロナに関しても、地域によって、レベルが違うと思う。それを一律に、オール・オア・ナッシングの議論をしていたら、まとまるはずがない。

地域に感染者がいるか、いないかも要因だと思うけれども、感染者がいたとしても、その感染源となった施設がその地域にあるか、外で感染した人がその地域に居住しているだけなのかで、かなり違うと思うし、移動のために公共交通機関に依存する程度によっても地域の安全性は違ってくる。公共交通機関が頼れないから、誰もが車に乗っているような地域では、リスクは低いはずだと僕は思う。だから、同じ埼玉県でも、県南と県北ではかなり事情が違う。人口密度による差もある。学校が閉校するんじゃないかというくらい人数が減少している土地は、逆に、安全性が高いはずだとも思うし。
新型コロナで、地方の「マイナス要因」が全て逆転して「プラス要因」になっていると思う。
それら、個々の要因を分析して、スコアリングは難しいとしても、地域ごとに要因ごとにA、B、C3段階位の「目安」は算出できるんじゃなかろうか。その総合スコアとして、その地域で新型コロナ対策による「学校閉鎖」が必要かどうかの指針とか、活動自粛の指針とかいうのが出されるべきだとも思う。そうやって区分けしてみたら、東京には地域によっては既に封鎖すべき地域があると、個人的には僕は思う。

思い切り乱暴な議論をすれば、感染爆発のリスクは、地価に反比例している気がする。都内の昼間人口が少ない地域でも、日中に大勢の人が集まっている地域ならば、正直な話買い物にすらリスクが伴うのに対して、地方では「警戒」のレベルが激減する。細かく見れば、リスクが10段階くらいに分けられて、下の方の3段階くらいは、「適切な配慮のもとで、通常の学業、ビジネスを継続しても支障がない」というレベルにとどまっている地域が、日本中に少なくないと思う。それなのに、全国一律での「休校措置」は、あまりにも乱暴だった気がする。
「東京に行くな」は、とても理にかなっていると思うけれど。緻密さがないよなぁ。専門家の意見なんて、耳を傾ける気がないんだろうか。産業界の要望だけに耳を傾けていたら、産業界を最悪の事態に追い込むと思うな。

第2点。安倍総理の「人類が新型コロナに打ち勝った証として、東京オリンピックを云々」の、これまでに3回は聞いた覚えがある、この「打ち勝つ」という表現。そもそも、勝ったり負けたりの対象なのかな、というのが疑問だった。

新型コロナも「自然界」から人間に届けられたものだし、それは台風とか、地震、津波、森林火災と同じ。都合が悪ければ「戦って勝つ」という発想になるんだろうけれども、スケールが違いすぎるから、勝負になっていない気がする。逆の現象、虹が出たとか、暖かい日が続いたとか、全ては人間にとっての都合で「いい天気」「悪い天気」、(まぁ、いい病気っていうのはないけど、)「いい生き物」とか「悪い生き物」とか、決めつけたがる。

その根底にあるのは、「人類こそ、地球上で最も進化した優れた生き物だ」という奢りだろうか。人間が知覚できる「意識体」は、人類どうしまで。要するに、それより上はわからないから、「自分たちが一番上だ」と思っているだけだと、私は理解している。
例えばゴキブリ。悪役の代名詞か。テレビCMでも見つけたら殺せ、っていう感じ。今時の日本で、ゴキブリがそんなに病原体を媒介しているとは思えない。むしろ、不衛生にしている犬とか猫の方が、よほど、人間にとって都合の悪い病原体を体に持っているかも知れない。(そういう飼い主は、少ないとは思うけれど・・・どうかなぁ。)ゴキブリも、ハエも、蚊も同じだけれど、それじゃぁ、カブトムシやクワガタ、トンボとか蝶が家の中に入ってきたときに、いきなり「殺虫スプレイ」をかける人がどれくらいいるだろうか。なぜ、その「待遇の違い」が出てくるか。ゴキブリなんて、根拠がない気がする。彼らは、人間の「食べかす」を狙っているだけ。もともと、森林などで朽ちた木や植物を土に戻す役割を持っていたものが、「都市化」に伴って、人類と共存することを選んだのだと思う。それはネズミも同じかも知れない。「この家は、俺が住んでる家だ。誰がお前らに入っていいと言った!」みたいに、ゴキブリやネズミに激怒したり、毛嫌いしたりする。しつこいようだけれども、カブトムシやトンボに同じ反応を示すか?「珍しい訪問者だ」とか言って、歓迎したりして。人間のご都合だと思う。

人類は、ここ十数年、二十数年、加速度的に地球環境を破壊、汚染してきている。地球に「意識」があるとしたら、というよりも、私は「意識がある」という前提で書いているけれど、「地球」さんから見たら、「こんな住み方をするなら、この地球上に住むな」と言いたくなるような状態だと思う。このテーマ、既に数回書いている。随分前にも書いた。我々から見て、イエス様だとか、モーゼ様だとか、あの辺の方々は、かなり格上の方だとしても「人間型の意識体」であるには違いない。ただ、「地球意識」となると、「ヒト型」ではないから、何をどう考えているのか(そもそも、「考える」という表現そのものが不適切かも知れないけれども、)何を原因としてどう判断されるのか、考えることも、やられることも、人類から見たら桁が違いすぎて、想像の範囲を超越している。マグニチュード7クラスの地震が、年に何回も、世界のあちこちで起きている。台風やサイクロンの規模、もう、どんどんエスカレートしている気がするけれども、責任ある方々で、その原因が人類にあると考える方は、少数派かも知れない。
上に対してもそうだし、下に対しても同じだと思う。ゴキブリでも、ハエでも蚊でも、みな生き物としての「役割」を持って生きている。哺乳類以下、渡り鳥、回遊魚、昆虫から、バクテリア、ウイルスに至るまで、あらゆる「生命」が目的を持って「創造」され、地球が全体としてそのバランスを保って来たのだと私は理解している。そうした多くの生命(人類から見て下?)に対しても、地球という大きな意識体(上だという認識があるのかなぁ)に対しても、一定の敬意を持っている限りは、人類を排除するような「自然現象」は、それほどは起きなかった。と理解している。

特に、ここ十数年、冷戦構造が壊れて、人類が一つになろうかという流れが出来つつあった頃は、まだ、かなり地球環境が汚染されて来ても、じっと看過されて来たんだろうか。ところが、反動が出たんだろうか。この新型コロナの騒動の中でも、アメリカの軍事的脅威だとか、中国の軍事的脅威、ロシアがどうこう、などというニュースが流れる。世界が差別や排他の真逆の流れに触れて来て、一気に分断と排他という動きが出たような気がする。これでブレーキが壊れたような気がしてならない。

こんな深くは考えずに「新型コロナに打ち勝つ」なんていう表現が出て来たのは、安倍総理は「私の政治的采配で、打ち勝って見せる」という自信があるから、なんでしょうね。「打ち勝てる」相手じゃないと思う。そもそもが、「自然発生」したものではなく、どこかが生物兵器として作ったものでもなく、より上位の意識体が人類をターゲットとして「変化」させたものだから、考えるべきはその大元だと思う。相手が地球だとしたら、喧嘩して勝てる相手じゃない。「温暖化なんてフェイクだ」というのと同じレベルの発想だと、僕は思っています。さらに言えば、これが「最後」じゃない。「まだわからないのか」と思われてしまったら、(そもそも、この「思う」という表現が適切かどうかは別にして、)まだ次があるとも思う。

逆にいえば、意識のあり方を変えたならば、少なくとも、日本人だけでも、自然とか、創造主とか、そうした相手への気持ちの持ち方を変えたなら、新型コロナもそんなにも「猛威」は振るわないと思う。そう願うばかりだけれど。ただ、大地震にしても、やっぱり、日本人は他の国の方々と、ちょっと違う「素地」を持っているような気がしてならない。若い方々に代が移っても、失わせて欲しくない気がする。ってか、もうどうでもいいけど。

とにかく、安倍総理の「新型コロナに打ち勝つ」という表現が、気になっちゃって、気になっちゃって。改めるべきところを改めずに、敵対することだけを考えていたなら、きっと「打ち負かされる」と思います。「神」とか「自然」とかに対する「姿勢」っていうのは、広げて考えると、「自分以外の人」に対する基本的な「姿勢」にも、同じ要素が含まれてくると思う。前者を蔑ろにする方々は、後者に対しても同じ。そう考えていただければ、伝わりやすいかも知れない。