「きっと、元の生活に戻れますから、今は我慢して、おうちにいましょう。」
確かにね、普通に仕事に行って、普通に人と会って、普通に仲間と遊んで、そういう生活には、きっと戻れるとは思う。
ただし、「元の状態」に戻してはいけないものがあると、私は思う。
昨年の「経済活動」の延長では、今の若い人たち、さらにその次の世代には、豊かな自然環境も、資源も、残せない状態だった。地球環境を「持続可能」な方法で守ろう、と、いくら声をかけても、「現状維持」から抜け出せない産業界からは、「そんなことをしたら、生活が破綻する」と反対の大合唱で、一切、方向転換ができない状態だったと思う。つまり、我々人類の、次の世代に今の地球を引き継ぐことが、限りなく不可能に近かった。しかも、それを我々人類自身の判断と行動で、改善することは、ほぼ不可能な状態だった。
だから、今の状況を「強制的」に創り出した存在がいらっしゃると、僕は思っています。思っている、というか、感じているという方が正確な表現かも知れない。言ってみれば、あれですね。ゲームばっかりやって遊んでいる子供がいて、その子供自身も「こんなにゲームをやってたら、勉強ができなくなって大変だ」と、頭じゃわかっているのに、全然「やめる」とか、やめないまでも「時間を決めて、限られた時間だけ遊ぶ」なんていう「理性や自制心のある行動」が取れなかった。として、それを見かねた親が、ゲーム機を取りあげたり、壊したりして、子供の行動を改めさせようとした。僕は、そんな気がしています。これって、親の暴力だと思いますか?それとも、親の愛情だと思いますか?
せっかく「ゲーム機を取り上げた」のに、「元の状態に戻そう」として、また、友達に頼み込んで借りてくるとか、同じことを繰り返したら、その親はどうするか。なんだかそんなことを考えている。
人類が帰属している「地球」という意識体にとって、他にも問題がある。例えば核兵器。自分の肉体の上で放射性物質をばら撒かれて、地球の意識自体は「生命体」を育もうとする(細かく言えば、この表現は不適切かも知れないけれど、)そうした意識で全ての(物質的な)生命活動を支えているのに、人類だけはそれを壊すことに、なんの罪悪感も感じていない。日本だって「核兵器禁止」に参加しない。これも、産業行動を「持続可能な方法」に切り替えるのに躊躇しているモラトリアム(債務支払い猶予)と同じで、口先だけで一向に動こうとしない、日本的な表現だけれども「ぬるま湯から出ようとしない」から、思い切った手を打ってきた。核兵器に関しても、新型コロナと同じように、何も変えなければ、現状の延長ではどうしようもない状況に人類を追い込む気がする。
日常生活は、昔のように戻す、それでいいかも知れない。ただ、この機会に「消費行動」のあり方、資源の使い方、「安全保障」の考え方、教育のあり方(途上国の教育水準への配慮)、資本の再分配、ありとあらゆる項目で、大胆な「方針転換」をしなければ生き延びることが困難な状況に置かれていて、これほどの「好機」はないんじゃないかと思うのに、「元に戻す」なんて、無駄な努力だと思う。「無駄」という表現は不適切かも知れない。「無駄」だと、単に「無害」な感じだけれども、「有害」な努力だと思う。
親から、ゲーム機を壊されました。なんとかして、元のようにゲーム三昧で遊ぼうと思うのに、どうやっても取り上げられ、(親自身も我慢して)家中からモニターが撤去されたり、挙げ句の果てに、夜9時になったらブレーカーを落とされたり、どんどんと強硬手段を取られるようになった。頭にきた子供は、「こんな家、家出してやる」と家から出て行きました。
言ってみれば、地球環境を散々破壊して、こんな星には住めないと、「地球外の惑星」に移住を試みた、みたいな話だろうか。
どこの家庭でも、子供がそういう行動を取ったなら、親がある程度強硬な態度を取らざるを得ないことはわかるから、そうやって「家出」してきた子供を見つけたら、親元に戻そうとするだろうな。(DVを除く。)そもそも、「子供」は「親の経済力」から離れたなら、生活できない。誰にも頼るのが嫌なら、家出した子供は、餓死するかも知れない。
「親子関係」というか、地球と地球人のような関係は、地球だけではない。家庭があるのは、我が家(地球)だけではなく、ある程度人類が成長すれば訪問できる距離に多くの「家族」がいる。どこの家庭も、友好的であるらしい。というのは、崩壊した家庭は文字通り「崩壊」して消え去っているから、今社会(宇宙)に存在しているのは、友好的な家庭しかない。
ところが、例えば、スターウォーズなんかみればわかる通り、地球人というのは、「よその家庭は、親が子供を食べたり、うちに泥棒に入ろうとしたり、絶対にそういうことをしたり、考えたりしている。だから、よその家庭の人を見かけたら、敵だと思いなさい」と、そういう発想がまかり通っている。大半のSF映画がそうでしょ?「宇宙人」は敵。地球人類は、まだ十分に成熟していない。だから、「外の家庭」のことがまるでわかっていない。「親」つまり地球は、外の世界のこともわかっている。地球外の「家庭」では、子供が十分に成長して、社会性を持って行き来している。そして、「地球」という「一家」では、「外の世界は、無法地帯だ」という発想がまかり通っていて、逆に外から見たら、万が一にも「地球」に近寄ったら、殺されて解剖されるか、そんな扱いしかされない、と、理解しているから、よほどの物好きでなければ近寄れない。
子供は親元を離れたら生きていけない、という比喩は、子供を地球人、親を地球だとしたなら、実は単なる比喩ではない。僕らは、「地球」という意識体の細胞として、地球の資源を利用しているだけではなく、地球の意識体の中でしか物質的な生命活動を維持できない、生きられない、そういうものだ、と理解している。
この子供の地球人が成長したとする。(ちょっと、比喩を間違えたかな。人として成長しても、「親」(地球)にはなれないから。大人になっても、地球との「親子関係」は変わらない。)成長して大人になると、他の家庭も包括している、もっと広い「社会」が存在していることを知る。多くの家庭が「社会」の中に点在して存在している。その「社会」を構成させている、もっと桁の大きい「意識体」が存在していることを「確信」する。我々人類の立場から言えば、この「多くの家庭を帰属させている、さらに大きな社会」を統括している「意識体」こそ、我々にとっても「造物主」であって、いわゆる「創造の神」ということになるんだろうと思う。
この「創造の神」の存在を確信して、初めて、「地球」という「親子関係」を離れて、もっと大きな肉体、つまり「創造の神」の肉体の中を移動できるようになる。それが、この「親子関係」の比喩で言えば、「大人になる」ということ、なんだろうと思う。地球で生まれた子供も、大人になったら、地球という「家庭」を離れることができる。その絶対条件の一つが、「創造の神」の肉体を意識すること、つまり「創造の神」が存在していると「確信できること」なのだと思う。
表向き「神様なんかいないよ」とボヤいている人でも、実は「神様はいる」と確信している人たちが、相当数(数億人という単位で)存在している。その一方で、本気で「神様なんかいないよ」と思っている人が、圧倒的多数を占めているのが、この地球、ということになるんだろうか。要するに、「子供」が圧倒的多数を占めていて、その「子供」に民主的な投票をさせているから、トランプなんかが大統領になる。それがこの星の現状だと思う。
どこまで、正確に伝わるか、自信がない。もし、正確に伝わらなかったなら、それは僕の責任、ということになるだろうと思う。ただ、それでも、地球の資源をどう使っていくか、日常生活をどう変えれば、「持続可能」になるのか、そこをきちんと考えずに、コロナ禍と向き合っていたなら、たぶん、今の程度じゃ済まない、そういう事態が起きると思う。
「元の生活」に戻っちゃいけない。そういう側面もあるんだと、それだけは伝えておきたい。