ファクターX

https://news.yahoo.co.jp/articles/3d4fe34fa5d956e9bfe8767dbe01ca6f49c6b14b
ファクターXとは?山中伸弥教授がサイトで仮説立て話題に。大阪府の吉村知事も「あるのでは」と言及【新型コロナ】

日曜日の僕は、「自然科学アタマ」じゃないので、悪しからず。

モーゼ様の時に、モーゼ様を信じた方たちは、ペストに感染しなかった、らしい。
同様に、神の実在を信じ、自分の感情を抑える術を知っていて、その他、etc. etc.(この「その他」を緻密に書けない状況だから、あまり大きな声では言えないけれども、って、ブログに大きな声も、小さな声もあるのかどうなのか・・・)

少なくとも僕は、師匠の講演会に参加するようになってから、インフルエンザのワクチン摂取は一度も受けていないし、感染もしていない。

人間の肉体の細胞は、その人の意識体の「意識」の影響を強く受けている。ウイルスは細胞の中に入り込んで増殖するけれど、(ここのところ、小さい声で・・・、)神の実在を信じ・・・etc.という意識でいるならば、私というヒトも実体は意識体。細胞にも「意識」があり、ウイルスにも「意識」があり、(それぞれの「意識」には、エネルギー量とか、波長とか、違いはあって、包括関係とかもある、にしても、)全てが神の大きな「意識」の中での動きになるから、「神が、そのヒトを望ましくない」と思われない限りは、少なくとも「ウイルス」には感染しないんだろうか、と解釈してはいるけれども、この表現は、間違ってるかなぁ。大筋は、多分、こんな感じに理解しているのだけれども。

こうやって書くと、じゃぁ、志村さんとか岡江さんは、そういうヒトじゃなかったの?なんていう話題になると思うけれど、あの方たちが亡くなられたおかげで、多くの人が自発的に「自粛」した。(自発的に自粛、って、なんか変だな。お腹の腹痛みたい・・・)おそらく、その影響もあって、爆発的感染を抑えられたのだとしたら、物凄い貢献をされたことになる。

上にいる頃の私たちは、(次元、というか、エネルギー量の違いに応じて、)いつ頃どんなことが起きるか、多少の将来は見透せているらしい。その中で、この時にこんなことをしようということも、決めて肉体を持ちに来ている、と、僕は理解しています。もしかして、あの方々は、あの死に方を決めて来ていらっしゃったのかも知れない、そんな気もする。そして、その目的を果たされて、日本社会に絶大な貢献をされた。という気がする。

他人に迷惑をかけたくない、日本人にはそうした意識が強い。「自分が、コロナに感染したら嫌だな」という意識ではなく、「万が一、自分がコロナに感染したとしても、他人には迷惑をかけたくない」という意識、おそらく、それだけではないと思うけれど、僕自身は、感染したとしても発症しないと宣言していますが、同様に、ある程度、師匠が講演会でお話しされた「モーゼを信じ切っていた者は、ペストに感染しなかった(というか、ウイルスが体内に入っても発症しない、という言い方になるのか)という、その「信じていた」条件を満たして、総体的にそうした方々が集団免疫を形成している可能性は、あるのかな、と、僕は思った。

しつこいようですが、今日の僕は、「自然科学アタマ」じゃありませんので、悪しからず。

人獣共通感染症

自業自得なのか? 実は私たち人間のせいで新型コロナウイルスの感染は拡大した?
https://news.yahoo.co.jp/articles/122c5b451c1dcc74de0cb93edee33306fe10eecf

この記事の内容に共感。

人間以外の野生生物は人類の食糧となるために存在している訳じゃない。ヒト以外の野生生物がほとんど見られないような国では、また新たな大規模感染症が発生する、と思う。ジャングルは、経済活動に邪魔なものではなく、多種多様な生命を育む貴重な場所だ、とも思う。

そうした「発想」が全く通じない方々に、発想を改めて欲しい気がする。

専門家会議

専門家会議の議事録が残っていないらしい。
こんな、何百年に一度の経験を、「情報が十分に得られない状態」から、何を判断基準に決断し、それらの決断のうち、(無論あと知恵だから、ある程度情報が豊富になってからの判断として、)何が無効だったか、初期段階でよりベターな判断をするためには、どういう対策をすべきだったか、などなど、「経験」として蓄積するためにも、議事録は克明に残すべきだったんじゃないか、と僕は思うし、そう主張している配信の記事もあった。

なんでなんだろうなぁ、と思うにつけ、要するに、常日頃から「行政」は、記録を残して、後日検証されても支障がない、ような行政判断を行っていない、だから、記録を残す習慣がない。というのが理由じゃないだろうか。だからつい、普段の癖というか、普段の会議のつもりで議事録を作成しなかったんじゃないかと思う。そうでないならば、野党なんかは、理由を追及すべきだね。

で、なんで、記録を残す習慣がない、いや、むしろ、積極的に記録を廃棄するような行政をして来たんだろうか。

推測するに、おそらくは、恣意的に、時には政府から、時には、官僚OBなどが天下りした産業界などからの「要請」に基づいて行政を行っていて、まともに記録を残せるような行政をしていなかったのではないか?100%とは言わないにしても、「大型予算」なんていうのは、大体外部委員会とか、外部の執行組織などに大企業などの関連団体からの人材が集まったりして、それで執行され、「国民一般」(中小零細など、産業構造の底辺も含めて)の声、なんていうのは届きにくい行政だったんじゃなかろうか。

典型的なのが、モリ、カケ、サクラに関する行政判断じゃなかろうか。あれなんか、まともな記録が出て来たと思っている国民の方、ほとんどいないんじゃなかろうか。一部の、SNSに盛んに安倍総理擁護での、誹謗中傷を書き込んでいる方々を除いて。芸能人を責めたって、なんの意味もないじゃない。

全廃しろ、なんて極論は叫ばない。大企業が中心となって動くことにより、効率化を図ったり、確かに、シャンパンタワーのように、下請けまで潤うような仕組みは確立されているのかも知れないけれども、それは大企業が「公益」を考えて動いた場合に限られ、そもそも「私企業」も「フィランソロピー」なんてのを掲げて行動することもある、っていうことは、本質的にはその真逆、自分の会社の利益を追及するために存在している訳であって、公益のために私企業が存在している訳じゃない。日本の場合には、割と「横並び」で、周囲への配慮を欠くと袋叩きに合うような文化が底流にあるから、まだそれでもなんとかなっていたかも知れないけれども、そうした「暗黙の了解」だけに頼って行政をするのは、どうなんだろうか、という気もする。

この時代、行政プロセスも、全て明らかにするようにして、最低でも20年位は保存すべきじゃなかろうか。紙媒体を電子化したらいい。そもそもが、WordとかExcelとかで文書を作成しているんでしょ?(LibreOfficeにすれば、経費削減になるものを。)だったら、電子化して保存するなんて、「余計なコストがかかる」どころか、紙媒体にして保存する方がよほど余計なコストがかかるような気もする。わざわざ印刷して、マジックで塗りつぶしてから、またスキャンする?いや、そもそも、塗りつぶすなよ、なんて思う。公的な金が流れている以上、私企業の名前、個人の名前が出たって、仕方ないんじゃない?議論するとしたら、プライバシーをどうやって守るか、っていうあたりで、「公開」そのものは原則「全部公開」じゃないかと、個人的には私は思う。

行政のあり方にも、突っ込みどころ満載の気がするんだけれども、野党がなぁ・・・。
与党でも、石破さんは主流じゃないから、なんて話があるし。「防衛」に関する主張、以外は、石破さんには共感する部分も多いけれど。
枝野さんとか、長妻さんとか、結構息が長い気がする。野党が決定的に欠けているのは、「具体策」を出すことかなぁ。

その「具体策」で、呆れてしまったのは「日本全国の高速道路料金を、一律千円」なんて奴。あの時のマニフェストなんて、なんの冗談かっていうのが少なくなかった。蜂蜜のシロップ漬けみたいな公約は要らない。国民を馬鹿にしないで欲しい。あの時は、トップが、そういう発想しかできない方だったような気もするけれど。

ブラックリスト

なかなか、PostfixAdminとPostgresデータベースの接続がうまくいかない。結局、Apacheは使わなかった。NginxでダイレクトにPostfixAdminに繋いだ。そこはうまくいった。あと最後の詰め。メールフォルダの設定で、コケてる。

で、ログをみたら、なんと、IMAPへの接続要求が、延々と繰り返されていた。

185.143.74.0/24 のイランから。IMAPデーモンへのアクセス専用みたいだ。元々、松尾くんがロシアからのポートを限定しないログイン要求が、気になってならないと言っていた分も、 /var/log/ufw.logに残っていた。194.26.29.0/24 から。

自分の設定エラーを確認しようと思っても、私が作業をしてから、ログファイルを開くまでの十数秒の間に、もう、大量のログが記録されて、自分の作業ができない。tailでファイルを開くと、あっという間に不正アクセスの記録で流されてしまっていて、自分の作業ができない。

以前、山のように中国から来ていたIP、ごっそりとWhoIs情報が削除された、正体不明のIPアドレスになって、相変わらず結構来ている。どこの国かはわからないけれど。

プッツン。頭に来ました。コマンドを叩いて、両者をブロック。

### tuple ### deny any any 0.0.0.0/0 any 185.143.74.0/24 in
-A ufw-user-input -s 185.143.74.0/24 -j DROP

### tuple ### deny any any 0.0.0.0/0 any 194.26.29.0/24 in
-A ufw-user-input -s 194.26.29.0/24 -j DROP

悪いけれども、/etc/ufw/user.rulesの ルール定義の冒頭に上記の設定を入れて、ロシアからとイランからのこの一連のIPアドレスは、全部ブロックすることにしました。もしかしたら、0/24はやりすぎかも知れないけれども・・・どうせ同じ穴のムジナだと思うから、まとめてブロック。

明らかに、ハッカーからの不正アクセスなので、このまま永続的にブロックし続けます。私は。

いずれ、時期を見て「WhoIs情報をわざわざ削除してあるIPアドレス」も、そのWhoIs情報がない、という理由だけで十分だと思うから、まとめてブロックします。(結構幅広く分散しているので、マスクも、0.0/16くらいになるかも知れない。)たぶん、国家規模でやってる。分析ソフトを書かないと、ブロックする範囲を絞り込めない。

もしかして、まさか、一般のプロバイダがWhoIs情報を削除するとは思えないけれど、もしかしたら、中国からのメールは、うちのサーバでは受け取れないなんていう事態が起きるかも知れない。ただ、メールを受け取る可能性のある人は今のところいない、はずなので、私はこの設定でやります。そういう国からのアクセスは、一切取れなくても構わない。

医学的根拠を

取引先から、問合せに関するメールの転送があって、その確認の電話があり、メールソフトを立ち上げた。昨日、オンライン授業があって、その時にメールソフトを落としたままになっていた。

余裕のある時なら、必要な処理はすぐにしているつもりなんだけれども、ソフトウェアの設定とか、プログラムのコアをいじっている時には、どうしてもメールの応対もできにくくなる。編集仕掛けのソフトは、ToDoファイルに作業内容を書き込んで、中断再開がしやすいように。ただ、メールの場合は、ちょっとカレンダーを見たり、内容を調べたりがあると、ついつい、後回しに。
今朝は、自治会、老人会の「回覧」の督促のお電話をいただくし・・・
その挙げ句、最悪な場合は、返信を忘れる。 —> 最近、「付箋ソフト」ではなく、物理的な付箋を画面の周囲に貼るようにした。そうしたらなんだか、僕のモニター、子供のかいたお日様みたいになってる。)

そうしたら、内村先生のFacebook投稿の通知メールが・・・。ニュースと同じで、つい読んでしまう。これは、割り込み処理。(誘惑に弱いなぁ。)で、何か考えちゃったりすると、今度はそれが気になって・・・(集中力もないなぁ。)

気になるくらいなら、すぐに吐き出して、忘れる。ということで、もう、速攻アップ。
この話題は、付箋にしない。

https://note.com/fujita244/n/ned7d60c55163?fbclid=IwAR2eUpu83_KAR4HWmKyty0KG_m8HObsOK_AClvY0GEvLpsu-fGy3sVx4j8I
京大・藤井教授、岩田健太郎医師、峰宗太郎医師の話を見比べてみた

以下、引用。

申し上げたように、「何が危なくて何が安全か」というのも、科学者がエビデンスを以て語れる範囲ってとても狭いんですよ。分かっていることははっきり発信、分からないことはもう「分からない」にして、今後、一生懸命探す。そして、みんなが当事者としてうにゃうにゃいろいろ試す、そういうことをしていかなきゃだめですよね。

正解はわからないです。

でも、絶対やってはダメなことがあるようです。

空間除菌です。

加湿器などを使ったりして、ミスト状にした次亜塩素酸水などの消毒薬を噴霧する、というものですが、これは本当にいただけません。

というのは、「空間」を消毒してウイルスを有効に不活化することができるという証拠はまずないんです。そして、さらに、こういった消毒薬はいずれも化学物質であって、人体に有害である可能性がある。

さて、ウイルスが空気中をただようこともあることから、「空間除菌」というのは、一見魅力的な発想であることは確かなのですが、何ひとつ有効性が証明されたものはありません。

次亜塩素酸水、二酸化塩素、オゾン、置き型や首からかけるカードのようなものまでありますね。いろいろ出てきますが、人がいるときにできるような「空間除菌」は意味がないですし、スプレーやミストで人や空間に吹きかける行為は絶対にやめなくてはなりません。被害が出てからでは遅いですから。

専門家がここまで指摘するのに最近、あちこちで見かけますね。

私は、消毒液吸ったら害があるだろうと思うので、避けるようにしていたのですが、それは良かったようです。

言葉を選ばず言わせていただけば、首からこの手の「空間除菌カード」とやらを提げている人は医師からは「あ、リテラシーの低い人が来た、注意しよう」と思われる目安になっていますし、ミストで消毒薬を噴霧しているお店は逆に感染対策が不安になります。

こうした最短の正解に見えるようなもの、しかも、科学的裏付けがありそうなものに、現代人は弱い。多くのニセ科学がそうした人間の心につけ込んで商業化されています。

専門家が皆で認識してしっかりと広報していることを、あえて逆張りしたり、それ以外の「ミラクル」な方法、つまり「神風」を、業者やメディアの宣伝で信じてしまっている。何か状況を改善したい、という思いが逆に働いてしまう。そういうところが我々の国、というか、おそらく人間には、どうしてもあるのですよね。

エビデンスを重視するあまりに、エビデンスの達成だけが正義になり、それを超えても緊急事態宣言が解除されなかったのは「罪だ」とまで指摘する科学者がいたり、普通の市民なのに集団ヒステリーに陥って自粛警察を始めたり、空気中に消毒液をばら撒いて安心してみたり、人間は、ある単一の価値に囚われると、極端に走りがちです。

是々非々、心に余裕を持って、一つ一つ解決していくしかないと思います。

危うく、僕も「空間除菌」は思いついた。ただ、調べる時間がなくて躊躇していただけ。書かなくてよかった。直感に頼りっぱなしなら、書いていたかも。

日本の場合には、まだ救われるのは、どこかの国に大統領と違って、科学的な根拠がない思いつきをツイートし、それを鵜呑みにした人が信じて亡くなったりする、なんていう事故が起きていないことだろうか。あの国では、全然懲りてないみたいだし。あれに比べたら、日本は遥かにマシだ。

マスコミにも、慎重になって欲しい気がする(数ヶ月前は、あれ?という内容も時々見かけた、)し、何よりも、誰もが「解説」を読むだけではなく、「オリジナル」の(さすがに、学術論文は難しいかも知れないけれど)根拠のしっかりしたものを複数箇所で確認してから行動するようにしないと、消毒液を吸いました、重症の中毒になって、一生障害が残りました、では「遅い」と思う。

アカウント削除

Twitterにラベルを付けられたトランプ大統領、SNS標的の大統領令に署名
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2005/29/news062.html

しばしば思う。Twitterにしても、Facebookにしても、よくサーバが持ち堪えているよな、なんて。随分昔、「天空の城ラピュタ」が日本でテレビ放映されると、「バルス」と叫ぶシーンで、見ている人たちが一斉に「バルス」とツイートしたもんだから、Twitterのサーバが落ちた(落ちたか、輻輳して繋がらなくなったのか、忘れたけど)なんて話を聞いた。以来、あの日テレ系のテレビ放映の「バルス」は、「バルス起きしメータ」と呼ばれて、サーバ性能の指標になってるとか、なってないとか。(滅茶苦茶、適当に書いてます。)

虚偽の自分を登録して、適当な話題を拡散する人も少なくない。そういう人たちに「警告」を投げないならば、訴訟リスクを抱える。

だとしたら、事実を自分に都合よく曲げてツイートする人たちに対して、SNSの運営会社は、アカウント削除する権限を行使するしかないんだろうな。

それが大統領であっても。だって、他に訴訟リスクを回避できないとしたら、それしかない、はず。

アカウント削除に対して、不当だという訴訟が起こされたなら、大統領令がアカウント削除の正当性を主張する法的根拠になると思う。

戯曲

これって、禁じ手だよなぁ、なんていう気もする。

20年以上前だと思う、学校現場で君が代の斉唱を「義務化」するとか、なんだとかで揉めた時、口を動かしていないと指摘されて、教員が懲戒処分になったなんていうニュースが流れていた。(記憶が正確ではない。騒がれて処分が取り消されたか、覚えていない。)

要するに、口を動かして、そっくり歌えばいいんでしょ、ということで、こんな話題を書いた。正確には再現できないけれど、確かこんな感じ、というお話を再現する。(内容的には、相当に無理があるんだけれど。)

これを書いた後、当時入り浸っていたスナックに、右系統の方が見えた。マスターとは馴染みみたいだったけれども、その方に、やんわりと「ざれごとも、ほどほどにしときな」的に言われて、以来、程々にはしていましたが。
けれど・・・今回は目的がちょっと違うので・・・


戯曲

(女が舞台の中央に走り込んで、止まる。すぐに、男が追いかけて、女の後ろに距離を置いて立ち止まる)

女: 「君が、弱っちぃように・・・」

(男、「違う」と叫びかけて、言葉を飲み込む)

男: 「ぃや、ち・・・」

(間)
(男、女の前に回り、何かを差し出して、女に見せ、これこれ、と無言で指さす)

男: 「ように、さ」

(女、男が見せた紙切れを、ひったくるように奪い取り、床に投げつける)
(男。しばらくして、女を抱き寄せ、さらにしばらくして、手で女の体をまさぐる)

男: 「戯れいいし、のぉ」

(女、しばらくして目を閉じ、小さく呟く)

女: 「いいわ」

(女、少しして、目を見開き、鼻をひくつかせる)

女: 「お隣って、骨鶏のムースまで」

(女、男を腕で押し離し、男の顔を睨みつけてから、退場)
(男、女を追いかけるように、退場)


えぇと、あえて説明はしません。まるで芝居にはなっていないかも知れませんが。わからなかった方は、セリフの部分だけをつなげてお読みください。

要するに、歌うことを強制され、声を出さなきゃ懲戒処分だ、なんて騒ぎになるくらいなら、「君が弱っちぃように」とか「戯れいいし、のぉ」とか「いいわ」とか、その辺のセリフや舞台を思い浮かべながら、思いっきり声を出して歌えばいいじゃんかさ、というつもりで書いたパロディでした。
(20年も前に書いた話題を、わざわざ記憶の片隅から引っ張り出して来て、しかも解説を加える、なんて、老けたね。俺も。)

日本語の場合には、漢字が使われている。漢字には、音が同じでも全く意味の異なる文字がいくつもあり、全く同じ音でありながら真逆の意味を持つ言葉を創り出すことは、簡単ではないかも知れないけれども、できないことはないんじゃないかなぁ、なんて思う。
(ってか、やっちゃったけど。)

歌うことを強制される。本人の思想信条に背く行動を強要される。僕は、そうやって自由を奪おうとする権力が大嫌い。
大嫌いだけれども、権力が権力剥き出しに、やれ懲戒処分だの、逮捕だの、拷問だのとしてくるとしても、心だけは自由であって欲しい。心の中では真逆のことを考えながら、音だけは「形式」に沿った音を出して歌を歌う。それでいいんじゃないのかなぁ。

暴力はよくない。無駄に逆らって、命を落とす必要だってない。心は自由だから、無論、こうした「替え歌」を作るだけで、15日以内の勾留なんていう国もあるみたいだけれども、もちろん、公にはせずに、ひっそりと裏で回し読みしながら、表向き「歌え、敬え」って言われたら、真逆の意味を思い浮かべながら、思いっきり大きな声で歌ったらいい。
僕はそう思う。

そうやって、大きな声で歌えるような、真逆の意味を持つ「歌詞」を考えるのって、楽しいと思いませんか?
どんな逆境だって、楽しまなきゃ。
言葉を発する以外に、僕には何もできませんが、応援しています。

えぇと、どこを応援しているかって、もちろん、「日本を」です。
僕がこのページに書いた話題は、日本以外のどこの国のことでもありませんので、そのようにお読みください。

緩和

神奈川)「長かった」 休業要請、神奈川は27日解除
https://www.asahi.com/articles/ASN5T7SKLN5TULOB00S.html

昼のNHKニュースで、全国知事会での黒岩さんの発言が流れていて、一部引用して突っ込みたかった場所があるんだけれど、記事を見失った。
「混乱が起きていない」ってな表現が気になった。起きて欲しくないのは「混乱」ではなくて「感染」でしょ?感染が起きていないかどうかは、まだ3〜4週間経たないとわからないでしょ、と言いたかったのだけれども、元記事を見失って、突っ込みどころがわからなくなった。

でも、基本姿勢は慎重みたいだから、いいのかな、なんて。(すぐに折れる、いい加減な私。)

大阪府の吉村知事に続き、神奈川県も、勇気があるなと思った。
誰かが突破口を開かなけりゃならない、としても、もし時期尚早とかだったら、「やっぱりな」と袋叩きにあうのが日本の社会。
どうか、大阪モデル、神奈川モデルで「成功事例」を出して欲しい気がする。

僕の個人的な見解。マスクをしているだけで、相当に感染の抑止になると思う。誰かが対策をサボって、それでも何も起きなくて、みんながそれを真似してサボるようになっても何も起きなかったなら、たぶん、その「サボった」対策は、あまり効果がなかった、ということになるんだろう。

医療現場の「対策」は、基本的に体力の弱っている患者を相手に「ちょっとでもリスクがあるなら全部排除する」発想がベースにあるから、一般の感覚からは「やりすぎだろう」的な部分もあるかも知れない。ただ、「感染爆発」が懸念された時の判断で言えば、結果オーライとしか言いようがない。
ここから先も、「こうでなければならない」というよりも、「結果オーライ」に収束すればいいんじゃないか、なんて思う。賭けですからね。結果が出てから、「あれは無駄だった」ってなったとしたって、わかっていない時点での判断としては、「仕方ないでしょ」と思う。

だけど、こうして、都道府県によって、独特の「個性」が行政なんかでも出てくると、本当に地方によって「住みやすい」とか、「魅力がある」とか、色々と分かれてくるんだろうな。中長期的に、東京以外の「地方」(神奈川も埼玉も、地方じゃないよな。僕も、出身地を聞かれると東京って答えるし)が、どんどんと、若者にとって「住みたい場所」「仕事しやすい場所」「魅力のある場所」になって来たら、いいな、なんて思う。

国旗・国歌

随分昔、もう20年とか30年前だろうか。
文部省が教育現場で、国旗の掲揚や、国歌の斉唱など、国旗・国歌を半ば「強制」するという騒ぎがあって、現場や、主に左系の方々から猛反発があった。僕も反発したクチだった。

ただ、僕の主張は一つ。「尊敬しろ、と強制されて『尊敬してます』なんて、嘘くさい。国旗や国歌が、誰からも大切にされるような国にする方が先だろうに。それをせずに、『尊敬』を強制する、なんてのは、いかにその国の中身がスカスカか、如実に物語っている。」

念のために書いておくならば、これは僕が、日本政府に対してかつて書いた文章で、僕自身の持っているハードディスクかフロッピー(もう読めなかったりして・・・)のどこかに、記録が残っていると思う。他のどこの国のことでも、ありません。日本の話です。

それが今では、サッカーでもラグビーでも、ワールドカップで、多くの日本人が感動しながら、日の丸を見て、君が代を一緒に口ずさむ。これが理想形でしょ?誰からも強制されていない。

同じことは、きっと、新型コロナの「自粛」でも言える。全員でなくたっていい。自覚のある人間が、自発的に考えて行動して、結果を出せれば、それが理想形だと僕は思う。

強制される、なんていうのは、要するに「強制されなきゃならない現状」があるから、だと思う。
例えば、街中でも平気でウン×や小便をしたり、痰を吐いたりする人間が多いから、「街中で、ウン×や小便、痰を吐くと罰金」なんていう法律ができる。そうした法律があるならば、そういうことをする人間が多い、という証拠だと思う。

もし、「国旗・国歌を尊重しろ」という法律ができたならば、その法律の存在そのものが、国民の大多数がその国旗も国家も尊重していないか、あるいは、その国家そのものに尊重されるべき実態がないことを、証明していることになると、僕は思う。

しつこいようですが、日本の話です。

軽犯罪法第1条第26項   (<==間違ってたので、後から訂正しました。)
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=323AC0000000039

PCR検査件数

別に、収束した訳ではないと思うのに、なぜか、収束したかのような風潮。

これまでデータを見ていたサイトが、全く繋がらなくなった。Facebookのシェアが2万で、Tweetが9271。完全に、サーバのキャパシティをオーバーしたみたいだ。

代わりに、これを見つけた。東洋経済か。東洋経済の記事は、比較的よく調べられていて、立場も明確だと思っていたけど、グラフもわかりやすい。(こうやって、書いちゃうと、さすがの東洋経済のサーバも、オーバロードを起こすか?)

https://toyokeizai.net/sp/visual/tko/covid19/

で、PCR検査の件数が微妙に減っている。医療現場から「調べて欲しい」という要請が減った、ということなんだろうか。グラフだけ抜き出すと、これ。

経済活動や企業活動を、社会的な重要性や、感染リスクなどでレーティングして、段階的に再開する方針は、良いと思う。

PCR検査も、緊急性や重要性でレーティングしたなら、今だからこそ調べられる対象もいると思うのだが・・・。具体的には、医療従事者や、高齢者福祉施設などの「全員」。クラスターが発生した場合に、病人も、高齢者も、重症化リスクが大きい。「たまたま、今のところクラスターの発生は確認されていない」としても、若い医療従事者の方やスタッフの方、あるいは若い介護士さんたちが、感染していないとは言い切れない。マスクをして、十分に配慮しているから、周囲の誰かが「発症」するような感染の仕方をしていないだけ、という考え方は、できないものだろうか。

検査件数に余裕が出てきているならば、今こそ、医療現場、介護現場のスタッフ全員のPCR検査を実施し、現場に「安心感」を提供する、あるいは、万が一、無症状もしくは、極めて軽症な「感染者」がいたとしても、クラスターになったり、誰かの発症で顕在化する前に、検査のキャパシティの許す限り検査を実施する、という発想はないものだろうか。

営業再開の優先度と同様に、PCR検査の優先度もつけて、(検査の現場の方は大変だろうけれども、)無理のない範囲で、検査のキャパシティの許す限り、検査をすべきだと思う。おそらく、優先度をつけるとしたら、こんな感じになるんじゃないか?

1. 症状の出ている患者
2. 症状の出た人の、濃厚接触者や家族
3. 濃厚接触者や、家族などから辿れる人たち。—> クラスターの追跡
4. 発症した患者を受け入れている病院の、担当スタッフ(この辺までは、既に定期的に調べているんだろうな)
5. 発症した患者を受け入れている病院の、その患者を担当していない他のスタッフ全員
6. 大手術を受ける予定の患者(万が一感染していた場合に、執刀医など医療従事者に感染させるリスクが高い)
7. 高齢者福祉施設のスタッフ全員(誰かが感染していた場合、クラスターとなり、高齢者は重症化しやすい)
8. 一般の医療機関のスタッフ全員(誰が感染しているかわからない、としたら、診察する医師や、病院スタッフは、高リスク群になると思う。)
9. 学校、保育園、幼稚園などの専任教員(三密を避けたとしても、閉じた空間で長時間至近距離にいるから、感染リスクはある程度高い気がする。)
10. 不特定多数の来客を、店頭などで接客する仕事。

10あたりから下は、際限がないし、適当に書いているだけだけれど、余力がある時こそ、検査の枠を広げて、摘める感染の芽は片っ端から摘んでおくのがいいような気がする。余裕があるなら、今こそ、このPCR検査の対象もランク付けして、検査件数は減らさない、という発想はいかがでしょうか。

数ヶ月、かなりの過労だったのだろうから、多少は「お休み」があってもいいかもしれないけれども、第二波を防ぐとしたなら、いきなり「不特定多数の全数検査」ではなく、段階的に、感染リスクなどの高い群から、継続的に段階的に「検査の範囲」を広げていくべきじゃないか、という気がする。

医療機関から上がってくる要請の件数が減りました。じゃぁ、検査しません、っていうのは、あまり賢明ではないような気がする。

誹謗中傷

この話題、僕自身は全く偉そうなことは書けない。何か書けば、そっくり自分に跳ね返ってくる。それは自覚しつつ。書く。
このページ、のっけから師匠の講演会からの僕の理解の話題。

「あんな奴死んじゃえ。」と思ってしまったこと。僕は、かなりあります。数え切れないほどではないけれども、まだ数え切れていない。特に、十代前半から三十代にかけて。思ってしまった結果、誰がどうなったか、かなり鮮明に記憶している話題もあるけれど、書きたくないので書かないし、思い出せてすらいない相手もいると自覚。
で、この「あんな奴死んじゃえ」は、思ってしまっただけで自分自身の意識を相当に汚している、と理解している。自分自身に対するその結果が明らかになるのは、肉体を抜けてから、だと理解している。極論すれば、思ってしまったこと、全てを自覚できるまで、いわゆる(本物の)地獄から出られない、ということだと、僕は理解している。念のために加筆するなら、この「地獄」というのは、意識の汚れた方々が、本人が自分の汚れに気付いて、自分で汚れを落として、上に戻ってくるまでの「隔離空間」のようなものだと理解している。今時の話題に便乗すれば、感染症に感染した方々が隔離されている空間のようなものだと、僕は理解している。

思ってしまっただけでも、これだけの結果になる。さらに、それを言葉にして、相手に突き付けたなら、結果がどうであれ、もしかしたら、実際に相手に対して殺傷行為を行った以上に、汚染されたものとして、汚れた魂として、深いところに隔離される、ということは、知っておいた方がいいような気がする。要するに、肉体を傷つけたとした、その肉体は、その方の「乗り船」というか、「仮の姿」でしかない。一方で、その方ご自身というヒトの実体は「意識」そのものなのだから、肉体を経由せずにいきなり相手の「意識」を攻撃しているのが、「お前なんか死んじゃえ」という「言葉」だ、ということは知っておいた方がいいような気がする。言葉を発した自分が、「不特定多数の一部」だから、バレない、とでも思っているのか、思った時点で既に、上にはバレていて、反省できない限りその後が確定していると理解しておいた方がいい。

なんて話題を、とりあえず僕も言葉にしてみた。それを、面と向かって直接伝えたとしたって、全然聞く耳を持たない相手がどれだけ多いか、このトシまで生きてくると、よく理解してはいるけれども、それでも、一応は書いておきたかった。

僕が、安倍総理を攻撃し始めたのは、「武器輸出三原則」を閣議決定だけで取り消してから。その時点から猛攻撃を始めている。世界が平和になるための一つの「方策」として、ヒトを殺傷する「武器」は、自衛のためにのみに使うけれども、攻撃のためには使わないし、輸出もしない。それを、あの人は、閣議だけで一気に覆した。それ以来、あの「武器輸出三原則」が復活するか、従来以上に海外移転を厳しくすることがない限り、僕は、安倍総理への攻撃を止める気はない。モリ、カケ、サクラ以前の問題。僕は、あの「武器輸出三原則」の時から、全く同じテンションで書いている。(反論があるならば、過去に書いて消したページも、復元はできる。)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%99%A8%E8%BC%B8%E5%87%BA%E4%B8%89%E5%8E%9F%E5%89%87

きゃりーぱみゅぱみゅさんが、いわゆる「検察庁法」への意見を書いたところに、いわゆるネトウヨの攻撃が集中した。その後の「芸能人だって人間だよ」という感じの発言にまで、非難が集まった。
曰く、なんだっけ「芸能人だけじゃなく、政治家だって、人間だよ」だったかな?

一言書かせてもらうならば、きゃりーさんが何を書いたって、株価は変わらないし、失業者が増えることはないけれど、政治家が馬鹿なことをやれば、場合によったら、連日何百人もの人が死に続けたりする。その、芸能人と政治家の違いが理解できない方々が、あまりにも多すぎる。場合によったら、政治家は、自国民や他国民を、数十万人殺すことができる立場にある。そうした方々の言動を、非難するということは、国民としては「自衛」のために不可欠の行為でもあるし、中国のように「政府への非難」を一切認めていない国ならば、国民が国によって殺されても全く文句は言えない結果になるけれども、日本は違うでしょうと言いたい。
決して、きゃりーさんを見下している訳ではなく、「政治家」の責任は、ずっと重いはずだし、政治家の暴走に対して「非難」を浴びせるのは、国民の義務だと僕は思う。

そりゃ、聞く耳を持たない安倍総理みたいな人なら、場合によったら、「非難」を通り越して、誹謗中傷、罵詈雑言に近い域までいくさ。言葉が通じないんだもの。はい、僕が書いているのは、「非難」ではなく「誹謗中傷」です、と開き直ってそれを公言した上で、僕は顔も住所も晒して、同じテンションで続ける。

つるの剛士さんが、安倍総理を擁護して、#安倍総理お疲れさまです。だったかな、そんな感じのハッシュタグをつけたツイートをされたとか。新型コロナ対策に関して言えば、こればっかりは、「先がわからない」話題だから、安倍総理の対応は、100点満点で、75点とか80点とか、そこそこの点数を、僕だったらつける。是は是だと思う。ただ、問題は、どさくさ紛れの検察庁の法案だろうか。あれだけで、僕の中では、コロナ対策の「お疲れさま」なんて全部吹き飛んでる。僕の中では、50点は減点している。満点の答案を落第させることのできる「減点」の幅。

賭け麻雀。僕もやったことはありますよ。「賭博」らしいから、お店で「徹夜」でやったりした時は、お店の方が玄関に鍵をかけて、外から人が入れないようにしてたな。学生時代、高田馬場界隈。でも、見つかったら、結構な処分があったみたいだな。
それが、同じことをやっていても「訓告」だけなら、車を運転していた時のスピード違反も、一時停止義務違反も、駐車違反も、(駐車違反は、場合によっては結構迷惑だったりするから、ちょっと別にして、)スピード違反だって、一時停止義務違反だって、全然、誰にも迷惑をかけていない、安全だって確保できているケースが少なくないんだから、全部「訓告」にしてよ、と思う。変でしょ、おかしいでしょ。検察の、ほとんどトップの方なら、訓告で済む、って。

それが、安倍総理の差し金ではなくて、検察庁本体の判断だったのならば、もう、当然のことながら、一般の国民には、あの「訓告」よりもはるかに軽い処分を全面的に適用すべきだ。「断罪する側の頂点」にいる人と違って、僕ら、生きるために必死で「スピード」出したりしてるんだから。
安倍総理、「あれは、内閣の判断じゃなくて、検察側の判断だ」っていうんでしょ!?だったら、その検察に、「国民にも、同様の判断をしなさい」と厳命すべきだ。できないの?だったら、嘘をついているんじゃない?

なんてことを、僕は思うもんだから、つい、安倍総理のあれこれには、食ってかかる。
(きゃりーさん、ごめんなさい、決してあなたを貶している訳ではないけれども、)芸能人と政治家が「同じ人間」って、確かに、ヒトとしては同じだけれど、責任とか、影響範囲は全然違うと、僕は思う。

話が、非常に逸れている。(安部の名前を出しちゃったから・・・)

誰かを非難するにせよ、誹謗中傷するにせよ、自分の顔と名前は晒せ。それができないなら、黙れ、と僕は思う。

Certbot

Certbot の設定も通った。とりあえず、今日試したかったことの一つが解決した。やった〜。って、なんだかNack5 で、大野さんが夕方のニュースを読んでるなぁ・・・

思えば、海外の認証局に申し込んだら「会社の実在証明」のところでえらく手こずって、その挙げ句、間違った鍵を送られた影響でサーバのhttpsが動作せず、さらに、PHPのバージョン更新で、ついにアプリが動かなくなった、という三重苦。別に、片手間にやってた訳じゃないんだけれど、抜本的に、「全部自分でサーバの設定をやる」と決めて、なんとかここまで来た。(次は、国家試験アプリの移植だ・・・。他にもやることあるけど。)

本当にありがたい。認証局の役割、してくれてるんですね。5回設定を失敗したら、1時間の利用制限がかかっちゃって、それで気がついた。「自己認証」ではなくて、コマンドを叩くだけで、認証局の設定をやってくれていたんですね。感謝。

https://certbot.eff.org/
Certbot

本当なら、寄付したいところなんだけれども・・・。もう、ピーピー言ってるもんで。私自身は何も出来ませんが、寄付サイトへのリンクを貼らせていただきます。このページをお読みになった方は、是非、ご寄付を。(無責任な奴め・・・)

 Donating to ISRG / Let's Encrypt: https://letsencrypt.org/donate
 Donating to EFF: https://eff.org/donate-le

Let’s Encrypt

EFF

松尾くんにも感謝だなぁ。彼がググりまくって調べまくって、見つけてくれた。感謝。

彼の住む家の方には、足を向けて寝られない。北枕になるから・・・ そんなことしたら、申し訳なくて。

ラッパー

昨夜、どうしても動かなかった部分が、今朝見直したらすぐに解決した。
ファイアウォールの設定で、”Nginx HTTPS”の、Sが落ちていた。
この見落としで、2時間は悩み、最後は疲れて寝た。こんなもんだよなぁ。さっさと寝りゃ良かったんだ。今更ながら。

Django の WSGI のデプロイで、gunicornを立てた。それを socket で Nginx につないで、さらに最終段階で Certbot を被せた。
(松尾くんが調べ上げて、組み上げてくれた。僕はトレースするだけで済んだ。)

ここに、 PHP を走らせて apache のデプロイを同時に立てる作業。Nginx をフロントに立て、Nginx に apache と gunicorn を 切り分けさせる形になる、はず。論理的には出来そうだと、一応目処は立てたんだけど、まだまだ、悩みそうだ。

加えて、 Django の ASGI も同時に走らせる。 ASGIのデプロイは、daphneを使う予定。結局、処理系 三系統を同時に走らせながら、フロントでは、「一つの窓口です」的な顔をさせたい。道のりが遠い。

昨夜悩んだのは、 gunicorn 単体では動いていたのが、ソケットにつないで、ソケット経由でポートの8000番につないだら、curlではソケットから取れたのに、どうしても、外からのアクセスが繋がらないことだった。
一旦、単体での動作確認を諦めて、松尾くんがパイプを通してくれた gunicorn / ソケット / nginx / Certbot という全部のラッパーを被せた段階での動作確認だったのだけれど、一度は動いていたはずなのに、動かないので頭を抱え込んでいた。今朝、とにかく動いたけど。

ファイアウォールの設定ミス。そして、gunicorn.socket での接続テストがうまくいかない理由もわかった。
たぶん、certbot が動きっぱなし、だったから、なんだろう。テストのやり方も難しい。単に certbot を止めるだけではなく、nginx の設定ファイルも、443番を使うか、80番を使うか、切り替えないといけないし。つながったことを試せたんだから、もう、ラッパーを剥がして下の層の出口で動作確認する必要はないんじゃないか、って、そういう訳にもいかないだろうなぁ。フロントに Certbotがいる、っていうことは、そこから nginx 、今度は gunicornじゃなくて、 daphne につながってる事を確認しなきゃならない。apacheも走ってくる。つなぐところの問題なのか、そもそも、socket に流れてきていないのか、それも試さないといけないし。
やらなきゃならないんだろうなぁ。やっぱり。

必要最小限の編集操作の記録だけ残したつもりが、都度調べた「解説」まで書き込んで行ったら、「設定手順」の手順書のテキストファイルがついに1000行を超えた。まだ半分も来ていない。やれやれ。

体の方は、体脂肪がついちゃって、走り込みどころか、ちょっと歩くと筋肉痛っていう感じになってしまったけれど、サーバエンジニアとしては、かなり「走り込み」が出来てきた気がする。もう一息。

かなりの長丁場なことはわかった。「区切りがついたら、走りに行こう」と思っていたけれど、区切りがつかなくても、走りに行こうと思います。このままだと、「過去最高体重」を更新するのは時間の問題。

貧乏学生の皆さんへ

仕事に入り込めないなぁ・・・。「脱線」する以前に、本線を走れていない。いいや。書いちゃおう。ってな訳で・・・

「コロナ休学・退学」に怯える大学生の困窮実態
https://toyokeizai.net/articles/-/348520

テレビのニュースで、手持ちがあと数千円。2合のお米で、薄〜いお茶漬けにして連日それを食べている、みたいな学生の談話が流れていた。

お勧めは、「乾燥芽ひじき」。100均でも売られているかも知れない。ご飯を炊く際にこれを入れるだけで、栄養価は随分と違う。100円で10回、20回と「栄養価の上乗せ」ができる。特に女子には「ひじき」はお勧め。
なかなか手に入らないかも知れないけれど、「ふすま(グラノーラ)」の粉末があれば、ご飯を炊く際に加えると、不足している栄養価が補える。「ひじき」を加えると炊き込みご飯風になるから、ふすまとかがちょい足しされていても、あまり目立たない。

生卵は、安いのを探すと4個で100円とかで買える。卵を3日一度くらい食べるだけでも、随分と体力維持には違うと思う。(パプアニューギニアでも、生卵は流通していたので、とても助かった。)葉物野菜も、季節によって安いのはある。

どうか、本職の管理栄養士とかの方々に、「週300〜400円の追加」程度で、健康を維持できる「ちょい足し」テクニックを広めて欲しい、気がする。以上

#きゃりーぱみゅぱみゅさんを応援します

俺、Twitterのアカウント、持っていたっけ?アカウント名が社名なので、暴れにくい。(別アカ、立てようか・・・)一応、会社の公式アカウントにするつもりだったので・・・

Facebookにも、書いているけれど、卒業生との繋がりも多くて・・・あまりプライベートな意見で暴れたくない。で、結局、こっちのブログ。

なぜ、これが「誹謗中傷」になるんだ?

誰かの意見を引用して、なんて思いつつ、Twitterの書き込みが激しくて、あっという間に更新されてしまう。大半の意見に僕も同感ですが、印象に残った一言、二言を、自分の言葉で書き換えます。内容的には「引用」ですが、

「批判」は「誹謗中傷」ではない。きゃりーさん(ひらがな、だったのね)の発言は「誹謗中傷」ではない。「非難」ですらないかもしれない。どう見ても。それを「非難」する人たちの書き込みは、本人は「非難」だと主張しつつ中身は「誹謗中傷」がほとんど。(引用したくないなぁ。)

この書き込みを「誹謗中傷」だと騒ぐ人たちは、安倍総理支持者、と言うか「日本、大好き」な人が圧倒的に多いようだ。なぜだ?こんな書き込みが続くと、俺、日本を嫌いになりそうだ。

テラハ・木村花さん急逝、現場に問う不幸の元凶
https://toyokeizai.net/articles/-/352379

言いたいことの大半は、既に多くの方が書かれている。同じことは書かない。

誰かを責める発言をするなら、実名を晒せ。僕は実名/社名どころか、住所までこのサイトから辿れる。こそこそと隠れて書かないで欲しい。本気の喧嘩をするつもりがあるなら、いつでも受けます。

そして、多くの「誹謗中傷」に晒されている方々に思う。どうか、お願いだから強くなって欲しい。耐えていれば、きっと流れが変わるから。

きゃりーちゃんも、頑張れ!どうか、みんな、頑張って。

医療体制

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200524/k10012443061000.html
緊急事態宣言 あす全面解除を諮問へ 政府 新型コロナ

まずは、良かった。ただ、気になったのは、ここ

医療提供体制も改善しているなどとして

受け入れキャパシティに対して、現在入院している人の数の数字、昨日だったかテレビで見たけれど、半分以下だったかな。

上げたり下げたりで、節操がないけれども、これが国公立病院ならば問題ないとして(ない訳じゃないけれども、いきなり経営難にはならないとして、)私立大学の附属病院とか、市町村立病院とかだと、「設備投資」に対する「回転率」が下げれば、当然経営には影響するんじゃないか、という気がした。

「回転率」ってさ、回転寿司じゃないんだから、できる限り入院患者で病室を埋めていたい(いや、きっと、経営サイドの本音でこれはあると思うけれど)という思いがあったとしたって、なかなか、声を大にして「患者さん、ウェルカム!」とは言えないんじゃないか、とも思った。
行列のできるラーメン屋。ラーメン一杯を1時間かけて食うやつは稀だろうし、早い人だと10分くらいで食べて席を開けたりするだろうし、「回転率」がよければ経営にはいい影響があるはず、だと、素人の私は考える。(素人、って、あんた一応、会社の社長だろうに。って、あたしゃ請負開発のエンジニアで、BtoCじゃないから。でも、請負にだって「回転率」はあるんじゃないか?・・・この話題は、ちょっと脇に退けませんか・・・話が前に進まないから。)

「医は仁術」とか言う。それをパロって、「医は算術」なんて言う言い方も、聞いたことがある。
どっちもどっちじゃないか?

「仁術」の「仁」とは、簡単に言えば「愛」だろうか。愛をもって医術を行って欲しい。とは、確かに思うけれども、医学とは「愛」です、って言われると、へそ曲がりな私は思う。医術は、医学的な知識に基づく「技術」(=スキル)とか「診断」(=判断能力)じゃないんですか?そこに「愛」を全面に出されても、ちょっと困る気がする。確かに、「愛をもって」医術を行って欲しい、とは思うけれども。医術=愛ではないでしょ、と思う。確かに、愛を全面に出されると聞こえはいいけれど、聞こえがいいから、単なる病院のキャッチフレーズに聞こえなくもないし・・・。貫く思い(バックボーン=背骨)に「愛」を持っていて欲しい、とは間違いなく思うけれど、医術は歴然としたスキルと知識の塊、だと思う。

「算術」の「算」とは、いわゆる算盤(ソロバン計算)(若い方、あまりこの表現は聞かないか。)で、採算とか、悪い言い方をすれば「金儲け」主義を皮肉った言い方、かなと思う。(若い方への解説でした。)
だけど、「病院経営が成り立たなくなって、廃業しました。結果として、この市には総合病院はなくなりました。」なんて話は、結構ないかなとは思う。地方に行けば、医者はいない、病院はない、設備を購入する金もない、年寄りばっかり多いから「金になる患者」が入ってこない。それでも「医者のいる病院が欲しい」って言うのは、「我がまま」になってしまう。算術は算術で、やっぱり必要じゃないですかね、とも思う。

コロナで話題になった人工呼吸器。現場でよく使われている機種がいくつかあるみたいだけれども、一昔前で、ちょっとした機械だと500万円した。今、どれくらい安くなっているんだろうか。数十万円まで下がっているんだろうか。これだけ「需要」が膨らんで、量産体制に入ったなら、あるいは、中国で量産をしているなら、たぶん、数十万円台にまで下がっているんだろうか。
本体がそれでも、いわゆる「呼吸回路」(合成高分子製の空気の通り道)は、ディスポ(使い捨て)ですからね。保険点数の設定計算がどうなってるのか知らないけれども、人工呼吸器一台買うにしたって、市中のクリニックには、かなりの決断が必要になる。安い買い物じゃない。加えて、ディスポの器具を使い回して、院内感染なんか起こしたら、マスコミの袋叩きの餌食になる。
だから、「医は算術」とか揶揄する声を聞くと、しっかりした「経営のバックボーン」がなければ、安定した医療行為は提供できないんじゃないですか?なんて言いたい気分も、ちょっとある。コロナ後、経済学部なんかに「病院経営学科」ができたって、おかしくない気がする。(って、俺が知らないだけで、既にあるか?)

ただねぇ・・・簡単な話題じゃない。
まず、医者を育てるのに金がかかる。医療設備を整えるのに金がかかる。陰圧の設備を整えるのだって金がかかるし、冒頭に書いた、「空きベッド」を一定比率確保しつつ、経営を維持するにも、それなりの資金力は必要になる。日本には、「分野ごとに最適な経済のプロ」を配置する、という発想がないから、仮に「病院経営士」なんていう資格を作ったって、年寄りは「そんな資格必要ない」とか言うだろうし、就職活動にもあまり役立たないに違いないのが現状だと思う。

長丁場、ですからねぇ。インバウンドの観光業を支える、なんて話になったら、「感染検査がきちんとできていない国」からの観光客だって、受け入れざるをえないんじゃないでしょうか。そうなると、地域医療の拡充は不可欠になるんだろうし、今はもう、悠長なことを言ってられない、待ったなしの問題になるのかもしれない。

きっと、例えば、東京以北で言えば、北海道は札幌、東北地方は仙台あたりにある程度の資源を集中させて、例えば東北だったら「重症患者は、とにかく仙台に集める」みたいな形で、東京一極集中からの「分散」を図るしかないんじゃないか、なんてことを、私は思う。(きっと、他にもまだたくさん、「解」はあるんだろうけれど。)

PCR検査体制を整えろと、さんざん僕も書いてきた。ただ、すぐに明快な答えが表に出てこないのは、この問題が根深いからだと思う。どこまで根深いか。日本の「医療体制」をどうしたいのか、そこまで遡る気がする。

医療は教育などと同じで、そもそも、すぐに目先の「経済的な利益」には結びつかない。当然、税金として集めた中から還流させて、医療機関とか教育機関などを「実装」する必要が出てくるし、その「実装」する主体が、日本では「私立」も少なくない。いわゆる「規制緩和」も関係するんだろうか。

ここから先は、「まだ、30年〜40年は、生きて社会生活を営む」つもりの人たちに、真剣に考えて欲しい問題かもしれない。

これまでの日本は、「公共事業」といえば道路建設とか、ダムだとか、新幹線だとか、そんなのばかりだった。少なくとも、それで雇用が確保された。国立病院なんかは、「赤字」のお荷物だった。だけど、そもそも、病院というのは「利益」を上げるのが容易な組織であってはならないとも思う。どう言う形で「地域医療」を充実させるのか。いわゆる「北欧型」の成功例は、よく引き合いに出されるけれども、そう言う「全て税金で賄う」ためには、徴収される税金の額も、日本に比べて遥かに大きい。
結構、テレビ番組なんかでも特集で組まれてたりしたから、調べようと思えば簡単だと思う。

そうして、本来的には若い世代の方々が「日本の医療体制はこうあるべきだ」と言う声を上げる。そうして、「実装可能」な具体的な日本の将来像の一部として、「日本の医療体制」の改革プランを出す。
それを、国会議員に働きかけて、法律として制定してもらい、官僚機構に、その改革プランを実行してもらう。

これが、本来的な「民主主義の流れ」に沿った医療改革なんだろうと思う。

ところが、「一般的な国民」は、「政治にお任せ」で、具体的な声を出さない。それをいいことに、日本の場合には、何かと官僚機構が「将来像」を(だいたい、ほとんどの国民が官僚集団と同じような「安定した生活」のもとに生きていることを前提として)描いて、それを内閣に裏で進言し、内閣はそれを受けて都合の良い「専門家集団」を集めて、さも「民主的な手続きのもとに進めました」的に立法し、実行する、と言うのが、これまでの流れだったと思う。

学生団体や、学生の支援団体が声を出す。数日前、水商売の団体がテレビで声を出していた。水商売でしか生活を成り立たせられない人たちだって、立派な国民だと思う。こうやって、誰もが声を出すことが当たり前になったなら、学問の現場でそれを「具体的なもの」として整理して、政治を動かす「声」に集約させていく流れが作れないものか、と思う。
この間、Twitterのメールでキャリーパミュパミュちゃんが(あの子の名前、口にしにくいだけじゃなくて、キーボードを叩いていても指を動かしにくい名前だなぁ・・・)検察庁法改正に関連して声を出していた。ファンが揉めるのは嫌だと、書き込みを削除されたのは、理解できるけれど、こうやってみんなが声を出すというのは、なんだか、嬉しい。
そうして、そうした「声」を国会や議会に送り出して「政治」を成り立たせていくっていうことが「当たり前」の流れだとしていくことが、何よりも大切だと思う。

そのためにも、若い方々には、もっと世の中のニュースを見て、聞いて、周囲の人の声を聞いて、「日本では、こういう医療体制であって欲しい」という具体的な形をまとめるところまで、勉強して、自分たちの「希望」をまとめていって欲しいな、と思う。

地方の観光業に従事していた方、インバウンド拡大で、観光業が「日本の主力産業」になるんじゃないかというところまで来ていたのに、いきなりの99.9%の減少。「安心感をもって」海外からの観光客を受け入れる、そのために何が必要なのか、是非、考え抜いて政府を動かして欲しいと思う。

長くなった。主題は、なんでしたっけ?
忘れた。あたしゃ、適当に書いているので、あんまりそういうのは、気にしないでください。

どうでもいいけど、ヤオコーで売られていた5食148円の醤油ラーメンは、案外うまかった。(調味料とかは、あれこれ入れたりしましたけどね。)

ApacheとPHPの熱い関係!

引越し先のサーバ、今、メインのwebフロントは、Nginx(エンジンX)が動いてる。後ろに、gunicorn と django。ただ、PHPも処理できないと、PostfixAdminが走らないようだ。そうなると、PHPを入れるのに、Apacheも入れる?

PHPを入れたら、設定ファイルが /etc/php/7.4/cli/php.ini と /etc/php/7.4/apache2/php.iniの2つに分かれていた。そっちの設定完了はいいんだけど、なるほどなぁ、って、apacheとnginxって、共存できるの?

いや、きっと、どこかで誰かが試して、やり方をネットに上げてくれているに違いない。信じて、Google先生に、お伺いを立てまくる。

一難去って・・・。
ホゲェ・・・

地域医療

自社サーバの、新規URLの設定中。
(客先のサーバにも転用可能な技術、だけれど。)

ググりながら、レファレンスを必死で読みながら、設定ファイルの書き換え、なんだけれども、最終確認はファイアウォールに穴を開けないとできない。(穴を開ける、っていうか、正規の設定、っていうか。)結局、動作確認ができない。実戦サーバだから、全部の作業に記録を残しながらの匍匐前進。疲れた。もう、無理、っていう感じ。ちょっと気分を切り替えて、寝る。

って言いつつ、昼間、突っ込みたかった話題を思い出した。

ICU等の病床に関する国際比較についての見解
https://www.jsicm.org/news/news200510.html

重症患者へ十分な医療を提供するためには「マンパワーのリソースが大きな問題」であることは間違いありません。

各都道府県別 ICUならびにハイケアユニット等のベッド数
https://www.jsicm.org/news/upload/icu_hcu_beds.pdf

論理を体系的に整えるだけの気力が残ってない。(それでいて、指先だけは動く、って、最悪の作文パターンだな。あれね、真夜中にラブレターを書いて、それを朝読み返した時の、「なんだこりゃ」感。)
誤解を生じたとしても、適当に、読み手の方でつなげていただくことを、期待します。

厚生労働省の基本方針は、「医療費削減」。
なぜ、医療費が野放図に膨れ上がっているか。それは、技術が進歩しているから。生かそうと思ったら、もう廃人状態でも「多臓器不全」のギリギリまで、相当な日数生かせると思う。

某X病院の医療関係者から聞いた話。(オフレコ話を書いてる。)
とある大企業の方で、会社に多大な貢献をしたので、「生きている限りは、毎月200万円を支払う」という終身契約を交わして会社を引退された方がいたらしい。その方、その某X病院に入院された。お金はあるから、無論個室の「いい部屋」(僕には想像できないけど、適当にご想像ください。)に入院。ところが、経過が悪く「ほぼ、植物状態」になった。ただ、ご家族の方が「終身契約」をご存知なので、「毎月、いくらまではかかってもいいから、とにかくこの人を生かしておいてください」と、その某X病院に頼み込んだらしい。結果、ECMOみたいな生命維持装置は無論、輸液管理から、何から何まで、使える機材を総動員し、体位を変えて褥瘡を防ぎ、とにかく「延命」したらしい。何年だか知らないけれど、随分長いこと生きていたらしい。病院にとっても金蔓。家族にとっても金蔓。その大企業にとっては「はした金」なんだろうかなぁ。本人にとってはどうなんかなぁ、とは思うけど、金さえかければ、そこまで生かせるのか、という感想は持った。

保険で、日本国民全員がこの真似をしたら、きっと、数年で国庫が破綻するだろうな。自販機に万札を何枚も入れないと、缶コーヒーが飲めない。

もっと、誰もが「どういう死に方をしようか」と考えないと、医療そのものも成り立たなくなりつつある気がする。

よく言われる「ポックリ死にたい」だけれども、だって、「意識はあります、周囲の会話も聞こえます、だけど体が動かせない、シモの世話から食事の世話から、全部他人任せ、全身丸裸にされて体を拭いてもらわないと、身体中痒くてたまらない、自分では何もできない、」その状況がいつまで続くのか、特定の病気と違って、老化は「回復」しない。だったら、「ポックリ」がいいな、という思いを持たれている方が結構いらっしゃるみたいだし、僕自身もその点には共感する。
だから、たぶん僕は、死期を悟って受け入れたなら、病院には行かないと思います。

逆の方も多い。よく聞くジョーク。
病院の待合室にて。「今日は、Aさん、来てないけれど、どうしたのかしらねぇ。病気でもしてるのかしら。」

「肉体の死」は「生命体としての自分の死」ではないんだから、肉体の死なんか、さっさと受け入れようよ、と僕は思うけれども、この点については、共感は求めません。納得するのに、ハードルは高いかも知れない。
本質的には、そうした意識を持つ方が増えれば、「無駄な延命措置」にかかる膨大なコスト、保険負担、国庫負担を削減できる、とは思うけれども、これは、厚生労働省とか、医療関係者の努力とは無関係の世界で、いわゆる社会のCommon Senseの領域(日本語の「常識」とは、ちょっと違うニュアンスで使っているけれど、)だから、今、このコロナに関連して持ち出している話題ではあるけれど、話題の「背景画像」の一部だと思っていただけたら。

本質的には「重症患者」とか「重篤な状態」というのを、「回復したなら、社会生活に復帰できる可能性が高い方」に限定した上で、救急救命とか、集中治療のキャパシティを議論すべきだと僕は思っている。(特定疾患だって、諦めるべきではないと思っている。)
だから、無意味な延命にかかるコストをこの議論に含めるつもりはない。
しつこいようだけれど、僕自身は、死期を悟ったら病院にはいきません。(なんて、書きながら、結局、自分で足を運んだり、誰かに通報されて、運ばれたりして。)

そうして、無駄な医療費の国庫負担が削減できるなら、あるいは、できなくても、医療関係予算を、地域医療の充実にもっと回すべきだと思う。
(やっと、表題の話題が出てきた。)

もし、インバウンドの観光業を復活させ、国際旅客運輸を復活させようと思うなら、海外からの旅行客まで含めた医療サポートを提供するだけの医療資源が、日本全国に万遍なく整備されている必要があると思う。インフラ整備だと思う。
ところが、インフラ整備と言えば、高速道路に新幹線。肉体労働が必要な分野だけに限定してきたのは、昭和の高度成長期の残像を自民党が引き摺って癒着しているからじゃ、ないだろうか。

医療関係者を育てるには、工学部以上に金がかかると思う。それは間違いないけれど、必要なインフラ投資じゃないんだろうか。新幹線を通したって、コロナ後は、無用のインフラになるかもしれない。維持費を賄えるのか。
困窮した学生を支えるために「国庫負担で資金を捻出した」のは、「一過性の対応」だとは思うけれど、持続可能な形で医学生の授業料免除くらいのことは、医療資源の充実には必要じゃないか、と思う。
加えて、「医者」になるのに、「やたらと偏差値が高い」っていうのは、意味があるんだろうか。「ほどほどに偏差値が高い」必要はあると思う。薬の名前や病気の名前を覚えていてもらえなかったら、困るもの。だけど、必要以外のスキルを入試で求めすぎている気もする。世界史要るか?本質的に必要なのは、「金になるから、社会的なステータスが高いから、収入が安定するから」という理由ではなく、「人の命を救いたいから」という人材を集めるための入試、なんじゃないかな、という気がする。そういう入試を実現するのは簡単じゃないと思うけど。一部の医科大学を別にして。
某医科大学では、毎回の教授会が「今月の外来診療報酬はいくらいくらで、いかにして外来診療患者数を増やすか」が話題だったりした、らしいけど。そういう大学附属病院では、コロナがあって良かったんじゃない?

結構な「極論」を書く。
地方自治体が、公立の医科大学の入学定員枠を拡大させ、その受け入れ態勢を整えるために、国が財政面でバックアップする、というのは、「コロナ後」の社会で経済活動を回すためには、必要不可欠にならないだろうか。

あ、と思い出した話題があった。

去年の10月に、中学校の同窓会があった。230名くらいの卒業生がいたのに、還暦を迎えた去年の同窓会で100名を超える参加者がいた、っていうのは、すごいことだな、と思った。それも、かなり遠方から参加してくれた人もいて、話しているうちに小学校の頃の顔まで思い出してきた。そんな中で、言葉を交わしたKさんがいた。

彼女は、吹奏楽部でクラリネットを吹いていた。僕も、アルトサックスとか、スーザフォンとか吹いていたけど、親父が部活の指導をしていた。その彼女が、社会人の入り口で、教員実習の時に、親父のところに行ったらしい。その時に、親父が僕の愚痴をこぼしたらしい。
「イクオのあのバカは、自治医科大学の入試で、3次試験の面接まで行ったのに、バカな受け答えをして、絶対にそれで落ちたんだ。」って、お父さん、そう言っていたよ、と話しかけてくれた。「どんな受け答えをしたの?」みたいな会話だったかな。その同窓会の時の会話。

引っ張っても仕方ない。ザックリと書いてしまえば、僕は一浪の時は、東大の理IIIも受けてました。(瞬間最大風速なのに、代ゼミの東大模試で、全国30位に入ったもんだから、舞い上がってた。嘘じゃないです。代ゼミで調べてください。あれ、駿台だったかな?)「もし、東大と、自治医大と、両方受かったら、どちらに入りますか?」えぇと、僕の「バカな受け答え」が何だったかは、適当にご想像ください。

いや、決して、「地域医療への貢献」を軽んじていた訳じゃない。僕自身が「何をやりたいのか」訳もわからずに、迷走していた。
師匠と出会って、ようやっと、「あ、これだったんだ」という「答え」は自分なりに導き出した。
どんなことをやりたかったのか。このページでも、もう既に書いています。

あの時、自治医大の「趣旨」に背く受け答えをした僕で、一医療関係者としての、地方医療への貢献は、何もできなかったけれど、今改めて、この話題を書くことで、地域医療の拡充には、貢献したい。

せめて、厚生労働省の役人の、背中に火をつける(違うでしょ、それはカチカチ山でしょ?)じゃなくて、火に油を注ぐ(意味が違うよ)じゃなくて、足下に火をつける(これで、あってるよな?)くらいの役割で、地域医療の拡充に、貢献したつもりに、ならせてください。(いや、まだまだ、やるけど。とにかく、しつこいから。)

誰かがやってる

ちょっと、疲れた。

ツール環境のセットアップは、玉突き。結局今、サーバにPHPを入れないと、という状況で、とあるコマンドを叩いたら、メッセージの中に以下の文言があった。

PLEASE READ: If you like my work and want to give me a little motivation, please consider donating regularly: https://donate.sury.org/

念のため、サイトに繋いだら、冒頭の一文はこれですもの。

The PHP packaging is time consuming and I do this mostly in my free time.

PHP言語の開発者?いや、Ubuntu aptパッケージのメンテナンスか?個人でやってる? Wao!

いや、それを言ったら、rubyだって pythonだって、あの部分を「誰か」がやって、この部分を「誰か」がやってるのに、一円も払わずに、当たり前のように僕らは使ってるけれど。

ごめんなさい、寄付する余裕はないんですが・・・感謝いたします。
(-人-)

そうなんだよなぁ、誰かがやってる。牛乳飲めるのも誰かが乳を絞ってる訳だし、誰かが道路を作って、誰かが・・・(いかん、ちょっと前の缶コーヒーのCMだ。あれ、好きでしたけど。山田孝之くんも。)

僕らも、あれだ。誰かが使ってくれると思って、何かを作る、ってな感じかなぁ。何かをやってりゃ、まぁ、それでいいのかも。

ってか、それ以前に、何かをやらなきゃ、食えないじゃんか。

仕事に戻ろ。

電子決済

昼のNHKニュースを聞いていて、ふと思った。一つ前のページ

でも、牛丼屋さんに入ったら、いきなり「住所と電話番号の記入をお願いします。」って、言われたら、客の立場だと、『おいおい』、っていう感じになってしまう。クラスター追跡が大変な訳だ。

現金決済ではなくて、電子通貨の決済なら、(虚偽の登録は別にして)最終的には金融機関の登録情報にくくりついて来る。ということは、クラスター追跡で「感染判明者」が電子決済で支払いをしていたなら、「どこのお店に、何時頃来ていた客は誰か」なんていうのが、決済情報から(論理的には)辿れるかな、と思った。

ただ、電子決済の約款などで、こうした目的での決済情報の使用には(たぶん)足かせが掛かっている、と思う。議論は必要だろうけれども、「自分の情報を、分析していい」みたいな、約款改定の「承認」チェックマークの登録を受け付けるように登録webサイトを改修して、個々の利用者の承認を得て、もし、自分が使ったお店で、同じ時間に感染者がいた場合には、メールなどで連絡通知をしてもらい、医療機関でも「接触可能者」として検査を受けられるように(医療機関で検査が必要と判断された患者、に準じて扱うものと)して、クラスター追跡を補助する、なんてのは、できないかなと、ふと思った。以上。脱線終わり。

フェイスシールド再び

しつこいな、とは思う。(実は僕は、かなりネチッこい。デバッグには役立ってるけど。身近な人は、案外その辺の性格をご存知だとは思うけれど。しつこい、くどい、鬱陶しい。)

夕方のニュース。大阪で営業再開した串カツ屋さんのニュースを見た。飲食店だからマスクなしは仕方ないとしても、フェースシールドとかもない。ごく今まで通りの感じだった。問題なのは唾液の飛散だから、「二度づけ禁止」を個別のボトルにした程度では、感染対策にはならない。と、僕は思う。

クラスター追跡のために、来店者の連絡先を聞くとかの措置は取られているんだろうか。なんだか、いきなり不安になった。たぶん、東京でも、日本全国どこでも、営業を再開したら、同じような感じになるんだろうと思った。
でも、牛丼屋さんに入ったら、いきなり「住所と電話番号の記入をお願いします。」って、言われたら、客の立場だと、『おいおい』、っていう感じになってしまう。クラスター追跡が大変な訳だ。

一昨日に、内村先生がシェアされた投稿
https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3143215889092458

その結果ほとんどの国で,現在見つかっている数の10倍〜数百倍の感染者がいる(TICR)と推定された.東京都での感染率は6.8%と推定され,これは慶応大学での6%のPCR陽性率とよく一致する.

その慶應大学の6%の記事は、これ。

慶応義塾大学病院 新型コロナ以外の無症状患者の6%がPCR検査陽性 院外・市中感染の可能性も
https://www.mixonline.jp/tabid55.html?artid=69155

日本全国で約720万人が感染している、という推計値になる。東京都で感染率が6.8%ならば、約95万人。大都市圏という意味で、大阪も東京並みだとして推定するなら、大阪府が約60万人。その、かなりの人数が無症状。大都市圏では15人に一人が感染者、という推計値。それを考えると、(特に、海外からの方のような、顔立ちが違う方とか、)僕の街でもマスクをしていない人を時々見かけるけれども、絶対に、マスクをして外を出歩いて欲しい、とは思う。(結構、人口密度が小さくて、スカスカだから、あまり気にする必要はないのかも知れないけれど、それも、時間が経たないとわからない。)

その無症状の人が他人に感染さない保証はなく(まだデータがないだけで、もしかしたら感染させていないのかも知れない。今の段階ではわからない、)感染者の新規確認から追跡されて検査対象になり、初めて「無症状の感染者」として認識されるだけで、これまで把握されなかっただけだと仮定する。だとしたら、客の、あのマスクなし、フェイスシールドなしでの飲食店の営業は、かなりリスクが高い気がした。無論、マスクをしていたら飲食はできないから、だとしたら、取れる対策はフェイスシールドしかない。

大阪府の吉村知事。「子供じゃないんだから、自分でしっかりと感染症対策を取って営業を」と、僕には聞こえた。確かにそれはわかる。だけど「子供」もいるんじゃないかなぁ。対策をしている「ふり」だけで(十分な量の消毒液が確保できるのか、わからないし、)水、とは言わないけれど、アルコール濃度10%くらいにまで希釈して、「アルコール消毒薬です」とか・・・

別に、人間不信、って訳じゃないけれど、消毒液が手に入らない、だけど、営業しなければもう、後がない。立場を入れ替えたら、僕だって困ったらそれをやるかも知れない。ってか、たぶん、そうやって誤魔化して強引に営業すると思う。賭けです。来店者の名前を控えていないのならば、感染者の証言による「追跡」だけなら、「うちで感染したとは限らないじゃないですか。」とは、言える。
とにかく生活がかかっているから、営業を再開する、という方も、おそらくはいらっしゃる、そんな気がする。

とにかく、ウイルスに効果のある消毒薬の供給量を増やしていただいて、ということは思う。手に入らないもの。
こういう主張は、「人間不信」に根ざしているみたいで、非常に心苦しいけれども、営業再開した飲食店や、サービス業、いわゆる「不特定多数相手のビジネス」の、感染症対策が有効か、巡回して助言したり、消毒液のアルコール濃度とか、次亜塩素酸の濃度だとか、確認するような役割の人も、もしかしたら必要かも知れない。あるいは、フェイスシールドを、商店街で確保して配る、とか。余力のある方なら、NPOなどで、ボランティアでそれをやって、「商店街全体の安心感」を高めるのも重要かも知れないけれど、ビジネスでそれを行って、行政などから受託する、なんていう新ビジネスも成り立つかも知れない。

誰かが失敗しないと、「この対策が抜けていた」というのがわからない。大変失礼ながら、大阪には「先駆け」になってもらうんだろうか。第二波が、そこから出るのか出ないのか。私なんか、(これで4回目だけど、)飲食店ではフェイスシールドが必要じゃないかと書いたけれども、私のその主張が「スカ」=「ヤァい、おおはずれ〜」的な主張なのか、そうではないのか、とにかく結果が出てみないと、わからないなぁ。状況証拠があったとしても、断定的にそこがクラスターの原因だと特定できなかったら、フェイスシールドの有無でクラスター発生の源となったかどうかは特定できない。なくても感染発生しないなら、こんなありがたいことはないけれど。

東京の、指定解除は遅れる気がする。大型連休明けの影響がそろそろ出始める。結果として、増減の繰り返しか、もしくは微増状態で、もどかしい状態が続くかも知れない。(とにかく、ビジネス集中が激しすぎる。)もしそうなった時に、首都圏だけ「基準を緩和する」とかしたなら、首都圏の医療関係者は、疲弊し切った状態での持久戦を強いられる、そんな気もする。
結局、そうやって、タイムラグができて、大阪の思い切った「解除」でも、感染者の拡大が押さえ込まれている事がはっきりしたら、「緊急事態解除の条件緩和」も視野に入って来るのかも知れない。なんだかんだ言いながら、大阪は「実験台」になるような気がする。(ニュース映像を見ていて、そう思った。)

逆の視点もある。感染率が6%で、既に日本全国で720万人が感染している、として、計算すると、「無症状率」が約97.7%という数字にもなる。無症状なら、感染したって、ほとんど怖くない、という主張もできる。これで計算すると、(内村先生がシェアされた記事でも書かれていたけれども、)感染 –> 発症 –> 死亡で、「感染者の死亡率」は、0.011%程度、1万人に一人、という計算にもなる。実際のところ、どうなんだか。

その一方で、高齢者の重症化率は、70才代あたりから跳ね上がるから、第二波が出たならば、亡くなられるのは高齢者が最も多い、という傾向は変わらないんだろうな。とにかく、日本経済を崩壊させないために、経済を動き出させる。高齢者の方々は(僕らの年齢あたりから)覚悟は必要かも知れない。

なんにせよ、「自粛解除」の途端に、いきなり無防備になるのは、きっと全国一律かも知れない。

体温調節

日曜日、あまりにも暑かった。せいぜい28度とか、だったんだろうけれど。

あまりにも暑くて、扇風機を出した。そのまんまでいた。

今朝(午前中)、なんだか寒いなと思って、無造作にスイッチを入れたのが扇風機だった。(ストーブを置く場所と同じ場所。何も考えてねぇ・・・)しばらくして、あまりにも寒いので、よく見たら扇風機だった。(何やってんだろ、俺・・・。一眼見りゃわかるのに。The扇風機、って形、Theファンヒーターって形してるんだから。)

慌てて、ストーブと置き換えた。今日の午後、オンライン授業。なんだけど、体が冷え切っちゃってて・・・。昼のニュース聞いたら、ちょっと自転車で走り回ってこようかと・・・。注意力がない。無造作すぎる。

思えば、事務連絡メールも、すごく表面的な斜め読みだけで判断して、「先生、返事をいただいていません。」なんて督促されちゃって・・・
一つ一つの作業を、丁寧に、丁寧に。
文章はよく読む。そこにあるものが、何なのか、よく確認してから操作する。(この不注意さ、いつか、墓穴を掘りそうな気がする・・・)
—> しっかりしろ、自分。(寒いよぉ。体を動かさないと・・・固まった。
お袋も、こういう不注意がよくあったけど、全然笑えねぇ・・・)

子供の叱り方

結構、大きなニュースを見落としてるな〜。

WHO、米中対立激しく トランプ氏脱退示唆
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59299570Z10C20A5FF8000/

「そうやって、なんでもかんでも『嘘だ!』って言ったり、自分の失敗を誤魔化して、すぐに他人のせいにすると、トランプみたいになっちゃうよ。トランプみたいになっちゃったら、何百年も『どうしようもなく馬鹿な大統領』として名を残すんだよ。それでもいいの?」

インバウンド

7時のNHKのニュースを見ていた。(お腹がいっぱいで、ちょっとすぐに仕事をする気にならん・・・)

インバウンドの落ち込みが 99.9%って、観光業にとっては絶望的な数字じゃないか!
で、最大の問題は、観光地が日本全国に散っている、っていうことだろうか。東京や京都は、まだ大都市圏だからいいとしても、例えば日光とか、医療機関の受け入れ体制が不十分な地方の観光地ってのは、かなり多い気がする。

ビジネスでの来日はともかく、安心して海外からの観光客を受け入れる、なんていうことになったら、全国津々浦々、どこの都道府県でも相当数の感染者の隔離施設とかがないと、あるいは、PCRの検査設備がないと、相当にヤバくないか?(ここのヤバいは、昔からの意味の方です。)

だから、PCRの検査設備を充実させろ、って、そこに来るか、って、もちろん、その話題でした。

経済優先

遅い朝昼兼用(遅い朝食というか、早い昼食というか)食べながら、テレビのバラエティを見ていた。結局、コロナの報道を見てしまう。

1991年ごろだから、30年前か。最上級の麻酔器がターゲットとしていた手術室が、日本全国に300しかない、というのも今にして思えば肌寒い話。そのうち80室くらいは東京に集まっていて、あとは、大阪50、名古屋以下地方の中核都市に5〜10、あとは、県単位で2〜3室、という感じだったんだろうか。人工呼吸器自体はかなり普及していると思うけれど、ECMOとなると持っていない病院だって相当な数あると思う。

国立病院の統廃合で、国立療養所中野病院がなくなった際の議論は、確か「赤字の垂れ流しだから」だったと思うけれど、医療とか教育で「すぐに黒字」になるんだろうか?結局「経済優先」の発想は、今も変わらない。もしかしたら、「各県に2〜3室あれば十分だろう」が政治家の発想かも知れない。

国公立大学の「独立行政法人化」の際も、研究に国の金を出すのは無駄、みたいな議論が、確かにあった。どこかの総理大臣も、確か、「すぐに産業界に役立つ応用研究になら金は出すけれど、基礎研究は金にならないから絞る」みたいな話があって、某飲み屋で知り合った国立大学の先生方とか、物凄いブーイングだった。でも、結局「政治」に押し切られたんだろうか。

そして、新型コロナの今。一応専門外の人間の意見だから、適当に読み流して欲しいとは思うし、微妙に論旨が揺れてはいたけれど、あれこれ読んでいて、だいぶ揺れが収まった。「不安だから、私も調べてください」は、お断りしてもいいとは思うけれど、現場の判断で感染が疑われるケース、発熱などの症状が出ているケースについては、とにかくやはり、全数PCR検査を行うべきだと思う。

理由は二つ。一つは、比較的感染確率が高い群の中から「感染が確定」したケースを、ホテルなどに(表現は悪いけれど)隔離できれば、それだけ全体の感染者の濃度が下がり、感染抑制につながるから。自粛だけでは、経済がいずれ破綻する。どうしたって、ある程度は動かざるを得ない以上、100%の活動自粛はあり得ない。

第二は、やはり精神的な不安だろうと思う。不安があれば、「自粛」を叫ばれなくたって、遠出を控えたり外食を控えたりする。そうなると、業種によっては致命的な損害が出るというか、既に相当数出ていると思う。不安を取り除くには、「少しでも疑わしい時には、すぐに検査を受けて、医療行為を受けられる」という安心感を提供するしかない、と思う。コロナ以前だって、同じことだったと思う。何かあったら、病院へ行けばいい。そう思っていたから、誰もが平気で社会生活を営んでいた。そこの部分で、「熱があるのに調べてもらえない」なんていう話になったから、不安ばかりがどんどんと増殖する。だから、とにかく検査を、という話になっていたんだろうと思う。しつこいようですが、「不安だから、発熱も何も症状はないけれど、調べてください」は、余程余裕があるならばともかく、今はお断りする形で仕方ないと思う。

という議論は、かなり広がっていると思うのに、なぜ国は動かないのか。

金がかかるから。医療には(すぐに赤字になるから)金をかけたくない。基礎研究には(すぐに金にならないから)金は出さない。その発想が全く変わっていない。そのくせ、「助成金」は、国債を発行してポンポンと出す。タンクの底に穴が開いているのに、液面が下がったからって、上からジャブジャブ液体を注ぎ込む。タンクの底を修理するには、時間も手間もかかるけど、液体を注ぎ込む方は大した手間がかからない。それが、「長丁場」の対応なんだろうか。根底にあるのは、目先の経済優先だと思う。

経済界が「経済優先」を求めるのはわかる。どんな大企業だって、自転車と同じで、動いていなければいつかは倒れるから。規模が大きければ大きいほど、時として倒れ方も激しい。ただ、政治家が10年先、20年先を考えるのをやめたら、もう国に後がないような気がする。という議論も、どこかで耳に(目に)した。

それだけ色々言われているのに、全然方針を示さないってのは、どんな頑固オヤジなんだろうか。結局、モリ、カケ、サクラと同じで、関係者を全員不起訴にしてもらって、あとは国民が忘れてくれたらセーフ、っていう程度なんだろうか。だけど、自分の好きな有名人が亡くなっていたり、自分の親しい人が亡くなっていたりしたら、今度は、そう簡単には、国民も忘れないと思う。

実際、タンクの底を塞がなくても、絶え間なく上からジャブジャブ注ぎ込めば、全然不安はない、っていう人も多いだろうし。何度も何度も、10万円、20万円と配ってもらえれば、「ああ、いい政治家だ」と思う人も結構いるかも知れないけれど、本当にそれでいいの、と思う。

それと真逆のことをやったのが、福島の汚染水問題だろうな。流れ込む元を汲み上げて、汚染水を減らす手間をかけていれば(かなり初期の頃から、僕はこれを書いていたと思うけれど、)あんなに、汚染水のタンクが並ぶことはなかった。それが、もうどうしようもなくなって、慌てて議論をしている。

国債なんて、いくら発行しても全然問題ない、っていう議論もあるらしい。本当にそうなのかは、僕には素人だからわからないけれど、やっぱり、この国はどうなっちゃうんだろうか、と思う。

一応、フォローしておく。安倍総理は優れた政治家だと思います。トランプやボルソナロと比べたら。

Service chromedriver unexpectedly exited. Status code was: 127

Channel の tutorialを 進めた。

class ChatTests(ChannelsLiveServerTestCase):

のサンプルソースを走らせると、

Service chromedriver unexpectedly exited. Status code was: 127

このエラーが出て、どうにもならず、ググりまくったけれども、解決策の書いてあるページが見つからなかった。

けれど、もしかしたら、と思って

import chromedriver_binary

この、chromedriver_binary は、プログラムの中では一切明示的には使っていない。だから、このimport文には、「未使用」だと警告が張り付く。けれども、この1行を追加したら、一発で解決しました。

こういうのは、Qiitaに書いた方がいいのかなぁ。(アカウント持っていたんだけど、ずっと使っていない。)思い出したら、Qiitaにも書きます。(たまには、世間に貢献しないと・・・)

ブラックボックス

中身の仕掛けがわからないのは、嫌い。使っていて、中がどうなっているかわからないと不安だから、つい、「使うのが怖い」か、「使う以上は、きちんと調べる」か、どちらかに振れる。もう、今時「使わざるを得ない」方が多いから、仕方なし、調べまくって、Tutorialを読みまくってるけれど、去年あたりに使えるようになった技術とかって、まだ日本語になってないんだよなぁ・・・本気で疲れた。

新型コロナの話題は、さすがに、もう、素人が首を突っ込んで書いても意味ねぇよな、なんていう気分になってきた。

大学は、専攻を聞かれたら「電子工学」なんだけれども、内山明彦先生の研究室だったから、「医用工学」が一応は看板だった。卒業論文の時に、今はなき国立療養所中野病院のポジトロンCTの、画像解析を行うのに、国療中野方式は、Carbon-11のCO2をほうれん草に光合成で取り込ませ、それを経口投与する方式だったから、画像解析なのに、いやが上にも、コンパートメントモデルの論文を読まざるを得なかった。まだ覚えていたんだぁと思った。千葉の放射線医学研究所のポジトロンCTでは、Fluoro-Deoxy-Glucoseを使って、静脈注射していたから、減衰曲線の形が全然違う。その、立ち上がり遅延のある経口投与の血中濃度曲線のグラフ、脳内のグルコース分布との相関を計算するのに、「血中濃度の推移の影響」を校正するために、結構面倒なカーブフィッティングを延々と繰り返していた。今から思えば、対数をとって直線近似すりゃ、一発だったんだ、と思うけれど、40年前の僕の頭じゃ、無理だったと思う。

島津製作所の機械、だったと思う。制御用には Eclipseというミニコンピュータを使っていた。日中は、研究者の方が出入りされるため、放射線科医長の飯尾先生が、「夕方過ぎたら、自由に使っていいよ」とおっしゃって下さって、鍵も預けて下さって、夕方から夜中まで、Eclipseからのデータの吸い上げ、画像の再構成、データの保存などの、論文用のデータを取らせていただいていた。放射線設備というのは、被曝があるから、一般の外来からは離れた場所にある。放射線関係の他に、その「一般外来の患者が出入りする場所から離れた場所」にあるのは「霊安室」で、実は、そのポジトロンCT設備と、中庭を挟んですぐ向かいが霊安室だった。夜中が近くなった頃、トイレに行って戻る途中、「あ、今日は霊安室に明かりが灯っているなぁ」なんてことを思いながら、またコンピュータに向かっていた。

あの頃、画像解析をするために使わせていただいていた、東大医学部のVAX-11のミニコンピュータ、解剖学的画像のテンプレートとしてX線CTのデータも預かっていたんだけれども、日立製の磁気テープがどうしても読めず(今から思うと、当たり前で、日立フォーマットはとにかく独自過ぎて、IDバーストからバイナリで読み込んで解析するなんて、卒論生には難度が高過ぎたと思う、けれども、)斉藤陽一先生に「まだ読めないの」とか催促されて、ずっと英文マニュアルと首っぴきで試行錯誤を延々と繰り返していた。おかげで、英語力は相当に鍛えられた。加えて、訳のわからないバイナリのデータ列から、とにかく法則性を見つけて、仕様書なし、説明なしのバイナリを読み込む、なんて作業が全然苦ではなくなった。
でも、結局、フォーマットの違う磁気テープから画像データを吸い上げることができなくて、最後は、顔学会を立ち上げられた原島博先生の研究室のPDP11/34を使わせていただいて、読める形のデータを入手して、卒論に取り掛かった、のだけれども、とにかく、英文マニュアルとの格闘、仕様書のない、フォーマットの違うバイナリ列との格闘で、時間を浪費し過ぎて、結局、X線CTの画像はポジトロンCT画像に重ねることができなかった。

今の若い方達。Eclipseっていう名前のミニコンピュータがあったことなんて、ご存知ないだろうなぁ。VAX11とか、PDP11とか、ご存知だろうか。ざっくりと、当時数千万円したコンピュータと、同じ性能のコンピュータは、ワンチップで数百円になってる。その間に、僕のお腹には数十kgの皮下脂肪/内臓脂肪が蓄積された。だって、東大医学部の計算機室にあった、当時最先端の、512×512ピクセルで、256諧調の、「最先端」の画像表示装置は、500万円くらいしたらしいから、今と比べて、どうよ。512 x 512ピクセルで、256階調ですよ!?

ものすごい挫折の記憶だけれども、今にして思えば、完全に、仕様書なしのリバースエンジニアリングで、おかげさまで、結構鍛えられた。2年前、某社のNC工作機械の加工データのフォーマットを、仕様書が全くない状態で、通信データを読み込んでプロトコル変換をするプログラムを1週間で書いて、「試験接続」のその日に動作しちゃったことがあって、その日は、営業の方にお寿司を「なんでも頼んで」と言っていただいた。けれども、僕が好きなのは、イワシとかサンマとか、その辺ですからねぇ・・・。別に遠慮してた訳じゃないんだけど・・・。卒論を書いていた頃に苦しんだことが、今になってかなり役に立ってる。

念のために書いておけば、暗号化されたデータを解読するなんてのは無理。規則性のある平文だったら、バイナリでもかなり読めるとは思うけれども、もう、いい加減トシだし、仕様書を手に入れていただけるなら、それに越したことはない。

今また、ASGIとかredisとか、また、新しいのがゾロゾロと出てきて、苦しんでるけれども、この経験が役に立つ程度には、もう少し生きていられたら、ありがたいんかなぁ。さりげなくそういう技術を使って、アプリを書いても、製造業相手だと、あんまり高い金額は請求できないんだよなぁ。まぁ、いいかと思う。僕には、親父とお袋が残してくれた固定資産があるし、家とか土地を売れば、生活はできるだろうと思う。(買い手が付くかどうかが問題だ。)どうせもう、そんなに長い訳じゃないから、まぁ、いいかなとは思う。

新型コロナの話題に首を突っ込んで、あれこれと書いた。下手な鉄砲数打ちゃ、と思って書いたけれども、どれかヒットしたかなぁ。「数理モデル」の話題は、この「新型コロナに首を突っ込んだ件の、卒業論文」的な感じか。あれ、(読み返していませんが、)後から考えて気付いたことがある。
(1) 立ち上がり部分の x = A (1 – exp(-t/Ta))と書いた関数系、いわゆる遅延(latency)を一切考慮していないから、遅延を表現できる別の関数系を掛け合わせることが必要か、と思った。
(2) 立ち上がり部分の時定数には、人口密度、感染者の密度が、「比例」ではなく「反比例」の係数としてかかってくると思う。時定数が小さければ、立ち上がりが急峻になる。
(3) x = B exp(-t/Tb)と書いた減衰カーブ。「減衰」する原因は、患者の死亡か、もしくは退院かであり、ここでの感染者は隔離されていることが前提だから、この係数には、人口密度も、感染者数も、関係しないと思う。だけど、最初のこの話題を書いた時、こちら側の減衰カーブにもそれらが関係するような書き方を、たぶん、しちゃった。(面倒臭いので、読み返していません。記憶に頼っています。)あえて書くなら、現場の医療従事者の頑張り、とか、医療設備の充実度が、この時定数を小さくする。(時定数が小さいと、減衰のスピードが速い。半減期が短い。)
(4) 「関数系」と書いたけれども、立ち上がり部分の時定数 Ta も、減衰部分の時定数 Tb も、実際には時間と共に変化する t の関数、Ta(t)や、Tb(t)になるはずだから、シミュレーションするには、逐次の時定数(例えば、「外出/出勤自粛の割合」とか、「防護具の装着率」とか、「感染経路不明率」とか、「医療機関の飽和率」とか、そう言った指標を変えて、現時点を基とする微分方程式の解の傾きから、積分計算を行なって、変化を予測する必要があるんだろうな、と思う。説明は不十分だけれども、その辺のプログラミングというか、データ解析に慣れている方なら、僕の持っているなけなしの「医療系に関する知識」だけから、これまでに書いた内容だけで、かなり精度の高い「感染者数の予測」シミュレーションは可能じゃないか、という気がする。
(5) おそらく、だけれども、「マスクなどの防護具(他人への感染防止器具)の着用率」は、立ち上がり部分の係数に関係する。けれども、これが、純粋な「飛沫感染」ではなく「エアロゾル感染」の要素が強いならば、この「防護具着用率」は、係数としてあまり意味がなくなる、とも思えた。

最後の部分。(5)。一番気になっている。師匠の講演会の受け売り。
既に、空気感染で、致死率がほぼ100%のウイルスが存在している。ただ、現地にいる多くの医療関係者は、それをエボラ出血熱だと思っている、らしい。村が全滅していて、内出血でどす黒く変色した死体が村中にあった、なんていうケース。ここから先、師匠の講演会の受け売りの話題。
もし、地球意識が本気で「人口調整」を行うなら、このウイルスを世界に拡散させる、だろうな、と、僕は理解している。

人類自身は、地球環境の保全を「自力」で達成できていない。目先の経済が優先する指導者があまりにも多い。「人口調節」も全く同じで、野放図に「世界人口」が増え続けている。この流れを、どうやったら変えられるんだろうか、と思う。「強制執行」される前に、できることなら、人類自身が人類自身の将来を緻密に考えて、今できることを実行するしかないんじゃないかと思う。僕には難し過ぎて、「答え」は書けません。というよりも、誰かが出した「答え」を鵜呑みにして実行するのではなく、誰もが自分で考えて「答え」を出して、行動することが求められているような気がする。それは、「地球環境」だけではなく、「核兵器」でも全く同じ。さらに言えば、自国が「経済」だけのために輸出している「銃火器」が、どれだけ多くの人の命を奪っているか、その想像力を持てない国々。この辺の数字を、新型コロナの感染者数、死者数の推移と重ねてみたら、どうでしょうかね?表向き、死者数を誤魔化してWHOに報告している国々は、少なくないようだ。それは、我々肉体を持っている人間には通じる数字かも知れないけれども、上位の意識体の方々は、全ての状況を克明に察知しているということだけは、忘れるべきではないと、僕の立ち位置では書かせて頂こうと思う。

随分と、紆余曲折のある人生を歩んできた。もう、40年以上、「自分は何のために、何をすべきか」悩み、迷走し、今に至っているけれども、今、改めて思う。全てが一点に集約されてきたかも知れない。
もし、僕が書いた「新型コロナ」関連の話題で、客観的にも現実問題に応用可能な話題が含まれていたとするなら、それは良かった。ただ、そのこと自体が「手段」でしかない、と、今、気づいている気がする。

僕は、チンドン屋です。とにかく、目立つことが大事。一人でも多くの人に、見てもらいたい。見てもらって、何を伝えたいか。師匠の言葉。
訳のわからん奴が、訳のわからん事を口走っていたって、普通は誰も聞こうともしないし、読もうとも思わない。チンドン屋だったら、見ている人が「面白そうだな、行ってみようか」と思わせるように、クラリネットを吹いたり、笛や打楽器を演奏し、目立つ格好をしたり、そうやって街中を練り歩く。書いている内容の正確さ、どれだけ役に立つかという一点は、とにかく担保したい。過去の経験が、とにかくそこにつながったなら、良かったと思う。繋がっていなかったなら、後で(肉体を抜けた後、)散々自分を罵倒しながら、下で悩み続けることにします。

新型コロナに関して書いている話題も、コンピュータ関連でも、あれこれ(時々実力行使したりしなかったり、)その他全て、僕が書いているのは、一人でも多くの人の目に止まり、書いている文章を読んでもらうため。(長文癖は、改めないと・・・次回(肉体を持てたら、その時)はちょっと、考えておきます。親からも、他人からも、あまり認めてもらえない記憶がこびりついていて、必死で主張しているうちに、書く言葉の文字数が増えた気はする。)とにかく、読んでいただくように、自然科学系の話題でも、現実社会の問題に直結する話題に踏み込んで、書き続ける。それだけは、とにかく考えていた。僕自身の人生経験も、全ては「手段」で、師匠が伝えたい言葉を、一人でも多くの方に読んでいただきたい、それが僕の願いだと、自分なりに理解している。
念のために書くならば、別に、師匠にそうしろと言われた訳じゃありません。僕はいわゆる「追っかけ」で、生まれる前に師匠が肉体を持たれるととこかで聞きつけて、「それなら、自分はこれをやる」と、自分で決めてきた、と思う。親父は、過去3回は師匠と行き合っているらしい。それで親父に、頼み込んで子供にしてくれと、ネジ込んだかも知れない。間違っているかも知れない。答えあわせは、肉体を抜けてからやります。(違っていたなら、どこまで落ちるか、なんて、あたしゃ、落ちるのはたぶん、かなり慣れてるから。師匠に会う前の「本音」なんて、ひどいもんだったから。今世だって、「他人の迷惑なんか、知ったことか」ってのは、相当にありましたからね。)

その師匠の言葉の、とにかくこれだけは、という部分は、「ヒトの実体は、肉体じゃないよ。霊体であって、何度でも輪廻転生を繰り返す。そこに気づきなさい。」という部分だろうか。「ヒトとしてあるべき姿」は何なのか。今だけ良ければ、それでいい訳じゃない。他人が苦しんでいるときに、「あくまでも、自分自身が進化するという経験を積むために、その苦しんでいる他人に、自分は何をできるか、それを考えなさい」という、その辺に集約されると思う。数行で書き切れる内容じゃない。恐ろしく細かい。コンピュータのプログラム以上に、細かくて緻密だという気がする。ただ、その細かい部分を僕は把握し切れていないから、書けるとしたら、せいぜいこの程度だと思う。

お釈迦様(エル・カンターレ様、今、日本にいらっしゃるけど)の時代も、モーゼ様(モーリア様)の時代も、イエス様(アモール様)の時代も、言葉を正確に残すことが難しかった。そもそも、字を読んだり書いたりできる方が少なかった。ムハンマド様(ご本名を、存じ上げなくて申し訳ない、私が格下過ぎて・・・)の時代には、直接言葉を残されていると理解している。(問題は、解釈だ。)今は、こうして言葉を全世界に発信できる。師匠の許可があるならば、師匠が講演会で話された内容をすべて、活字にして全世界に発信したい、くらいの気持ちはあるけれども、師匠の講演会は、あくまでも、参加者に向けてのものだし、師匠は全くそれは望まれていないと理解しているので、書かない。ただ、「自分が実践し、これは理解できた、これは間違いないと確信した内容については、どんどん周囲の人に伝えなさい」というニュアンスのお言葉もあって、僕はそちらに該当する内容だけは、とにかく書こうと思っている。

超ひも理論の話題を持ち出したこともあった。自然科学を学んだ立場としては、自分の中でのマッピングはできているけれども、「確信」する域には達していないので、(勢い余って、思ったことを書いてしまったこともあるけれども、)やはり書けない気はする。意識体とか霊体とかを、「自然現象」として理解してもらえないと、話が全く進まないから勢い余ってしまった気もする。この辺は、やはり「科学者」を目指していたプログラマの、未練がましい悪あがきだろうか。

なんで、こんな感じの書き終わりになったんだろうかな、と、ふと思った。正直な話、師匠の講演会の内容は、これ以上はもう書けない気がするし、やっぱり、老いを痛感する機会が多い、ってことが背景にあるのかなぁ。「いつ死んでもいい、その心づもり」の延長かな、とは思った。
当然、これでページを閉じてもいいし、だけど、明日朝目が覚めたら、きっとまた、明日の自分は別に何かを考える。そうしたら、きっとまた何かを書きたくなる。ただそれだけのこと、なんだから、別にこれでいいじゃん、とも思った。

自然界のメカニズム。「科学者」は解明できたんだろうか。仮に、解明できなかったとしても、ブラックボックスとして、「こういう使い方をしないと、この機械は壊れるよ」という、最低限、その部分だけは理解しておく必要があると、思う。

長くなった。寝ます。

Go言語

腹を括って、Dockerのチュートリアルを進める。Getting Startedのサンプル doodleを落とし、中身を見てみたら、プログラムの拡張子が goになってた。

へ? もしかして、Go言語?(もしかしなくても、Go言語だろ?)

https://ja.wikipedia.org/wiki/Go_(%E3%83%97%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E8%A8%80%E8%AA%9E)

なんだか、Cのような、Pascalのような・・・。それでいて、機能はOccumみたいなんかなぁ。(例えが古過ぎないか?)
Goなんて、勉強しとらんよ。どないしよ〜。ホンの400〜500mのお散歩のつもりが、20kmくらいの遠征になり、今度は、いきなり鎖場が登場した。

こんなもん、やってられるか〜!(<— いやいや、日頃の不勉強を恥じるべきだね。)
わかっちゃいるけど、なんだかもう、耐えきれない!気が遠くなってきた。

tutorialの連鎖 – Stack Overflow

やりたかった事は、ASGI をマスターすること。Tutorial サイトを見つけて開いた。見つけた。こいつで行こう。

https://qiita.com/d9magai/items/d7087caee7850ea24553

https://channels.readthedocs.io/en/latest/tutorial/index.html

channels を使っているらしい。 そういえば、Ruby on Rails でも、streaming では Channelクラスを導入していた。やるっきゃないか。 読み進めると、 channelsでは Redisを使ってるよ、と。 そういえば、Plotly-Dash も redis を使っていた。 Redis、この際だから Redis も tutorial から読み進めるか。

と その Channel の Tutorial。 Docker を使って、Redisをインストールして、tutorialを進めるから、Docker をインストールしてね、と・・・。Docker ・・・いつか、きちんと調べて、使えるようになっておこうかと、思っていたんだけれども、いつか、じゃなくて、今かよ。

ASGI –> channels –> Redis –> Docker と、tutorial がどんどん連鎖して、ちょっと爆発しかけている。今かよ・・・。先送りしていたのが、全部降ってきた。

ほんの400〜500m、せいぜい1kmも歩けば、目的地に到着すると思って歩き始めた。ところが、途中で「この道を通らないと、たどり着けないよ〜」ってのを、それぞれ3kmとか4kmとか歩かされる感じになってきて、全部歩いたら20kmくらいあるんじゃないか、ってなのが見えてきた。メゲた。今日中に出口に辿り着けるか・・・。

Stackが深過ぎて、overflowしそうだ。

ボヤいてないで、やるか〜!?

めんどいよ〜、しんどいよ〜、おかーさ〜〜ん。(はなまるき味噌)意味ねぇ〜

Threading

昨日の書きかけは、もう忘れます。というのも、僕の長文癖。結論で書く前に、書きたかったことを、伏線を貼るだけじゃなくて、そこそこ書いちゃってる。もういいや。(いい加減な奴。)忘れてください。

python / django で、daemonを走らせて持続的にポート監視をさせながら、その結果だけwebサーバで読み込む、みたいなことをやりたかった。昔はできた。昔ってのは、UNIXの4.3BSDを動かしていた頃、だから、僕がまだ20代だった頃。(古過ぎだろ!?)UNIXのシェルの pipe / fork を使って、プロセス間通信させて、バックグラウンドで走らせている デーモンに無限ループで仕事をさせて、表向きは、普段は知らん顔してるけど、必要な時にはその結果を受け取る、言ってみれば、OS のカーネルみたいなプログラム。Windows環境で、C言語で書くのなら、できた。

ところが、40代、完全に潰れて新しいものを何も吸収できなくなって、もう、javaでも、rubyでもpythonでも、とてもそこには対応できなくなっていた。でも、必要に迫られて、やらなきゃならない。さてどうしましょ。

最初に試したのは、django-background-tasks。確かに、バックグラウンドのタスクは走る、けれども、pipeが作れない。ググりまくった。そうしたら、queue.Queueなる、python自身が持ってるQueueが使えることが判明。これを、background-taskに渡そうとしたら、JSONのSerializableにできないから、渡せないと怒られた。シオシオのパー。
(えぇと、シオシオのパーは、「快獣ブースカ」でググって下さい。すぐに通じる人は、年齢がすぐにわかる。)

結局、django-background-tasksは断念。uninstall。そうなると、Celeryか、Redisか、という話になる。重いよなぁ、どうしようか、とページを読みまくっていたら、Queue + Threadingという、python自身のモジュールなのか、processのforkらしきことをやってくれる機能を発見。早速試したら、なんとまぁ、たったの2行で片がついた。

import queue, threading
pipe = queue.Queue()
threading.Thread(target=hoge_access, daemon=True).start()

たったのこれだけ。すっげぇ。これで、完全にデーモンが作れる。UNIX流で、in/outの2本のパイプを開いて、双方向にやりとりできることも確認。ポーリングさせているから、ほとんど、OSのカーネルを叩いている感じで細かい操作もできる。

やったね!思わずガッツポーズ。とりあえず、1日で答えが出せた。

問題は、あと、ASGIとどうバインドするか、だ。もしかしたら、ASGIを使う過程で、結局、CeleryとかRedisを使うことになるかも知れないけれども、そちらはWEBのサーバとクライアントの間の非同期通信だと、今のところ理解している。

これに、あとASGIをかませれば、webなのに、stand-aloneマシンのデスクトップで操作するのとほとんど差がない操作性を実現できる。と思う。

松尾くんが、plotlyは商用ライセンスの有償条件がかかってるんじゃないか、と心配していた。APIは使っていない、はずなんだけれども、再確認して、plotly社さん、本当にごめんなさい、今本当にカネがないもんで、ライセンスがかかっているモジュールが紛れ込んでいたら、そこの部分は自作して迂回します。(ごめんなさい!)

なんだか、ルンルン気分になっちゃったんだけど、相変わらず、時計を見たら、日付が変わる30分前。(このページの書き初めは、大体1時間前。)

しばらく、コロナの話は忘れます。仕事優先。

植物由来

今日のお仕事は、リファクタリング(書いたプログラムの、ゴミを取り除いて、論理構造をすっきりさせ、無駄な表現を書き直す、言ってみればプログラムの推敲作業。)あまり、効率のいい仕事ではなかったけれども。とにかく、1日が終わった。(日付が変わる。)

未だに、絶対的に、マスクとか、防護具とかが医療現場で不足しているらしい。増産しようにも、輸入に頼っているものも少なくないんだろうなぁ。中国次第か。なぜ、中国依存になったのか。
中国に生産拠点を移せば、とにかく安く作れると考えて、製造業がどんどんと中国に進出し、その結果、人件費の高い国内の企業は生き残れなくなった。そういう業界は少なくない。その挙句に、今回のコロナ騒動で、「部品、原材料が入ってこない」ということになった。元々は、国内で生産していたものが、「単価が安い」という理由だけで、海外にどんどん生産拠点を移した。

既に、そうした流れはあるんだろうけれども、「国産回帰」を促進すべきじゃないか?製造業も、考えるべきなんだ。特に、B to Cで、民生品など一般消費の最終的な製品を作っている企業。「悪いけれど、お宅の製品よりも単価の安い中国産を使うことにしたから、これで取引を打ち切ります。」この殺し文句。相当数の会社が殺されてきたように思う。

国産回帰による物価の上昇。これって、インフレーション要因になるのかなぁ??経済はきちんとした知識がないから、よくわからない。けれども、とにかく国産回帰を下支えする仕組みは必要な気がする。今は、あらゆる業種で、雇用の吸収を促進することが必要な状態だと思う。精神論はあまり好きじゃないけれど、(数字を出して、ビシッと相手を黙らせるのが好き、ってだけですが・・・)今、助け合いが何より必要だとしたら、「国産回帰」で多少物価が上昇しても、「あ、これで、誰かの生活が成り立つのかな?」と、スーパーの店頭に高めの商品も(「も」でいいと思う。「だけ」である必要はないと思う。)並ぶ、っていうのが、必要かも知れない。
なんてことを書いている僕は、どっちを買うか。余裕がないからなぁ・・・紺屋の白袴で、あればとにかく、安い方を買うと思うけど。でも、以前、サラリーマンで安定した給料をもらっていた頃は、「こっちの方が美味しい」とか「こっちが安心」とかで買っていた。落ちぶれたら、それなりの買い方に変わらなかったら、生き残れない。話が逸れた。

今は、かなり多くの企業が減収で苦しんでいる状況だと思う。そんな中で、雇用を吸収できるとしたら、「圧倒的に不足している物質」の製造なんだろうと思う。それでも、そもそも、このコロナ禍がいつまで続くかがわからないから、「正社員」として人を雇い入れるのには、二の足を踏む。だけど、通常だったら9時-5時で生産ラインを回していた会社が、今いる人員だけで24時間体制で製造ラインを回している。マスクの製造なんかは、そんな感じらしい。モノによっては、輸入100%なんていうのもあったのだろうと思うけれども、こうした「コロナ禍」需要に対応するための「人員補充」に、(矛盾のある表現だけれども、)「暫定的正社員」として、職を失った方々を受け入れることを、行政が「制度」の枠組みの中で制定して、一人でも失業者を吸収する事はできないか、と思う。
とかく、国の制度は「硬直化」していて、流動的な事態に対応できない。今こそ、それを変える必要があると思う。

って、表題から逸れてる。書きたかったのは、そこじゃない。
今は、「原油」相場が相当に値崩れしていて、プラスチックなどの原料のナフサなんかも、価格が下がっているんだろうか。

そうした中で、埼玉県の県北では割とよく見かけるドラッグストアが、レジ袋を「植物由来」に切り替えた。同時に、「マイバッグ」持参でなければ、レジ袋は「有償」になった。僕は、この判断に、100%賛同します。客として、受け入れます。
この「植物由来」これも、ナフサの価格が下がっている現状では、「単価の安いものを使っていない」ということになるのかも知れないけれども、そうではなく、「本来あるべきビジネススタイル」を考えるべきなんじゃないかと思う。

(やっと、本題に近づいた。)

ここまでは、一般の常識に許容される範囲の議論の展開。ここから下は、僕の「師匠」の講演会の講演内容に根差した話題展開。「また、訳のわからんことを書くな」とお考えの方は、ここまでで、どうぞ「御退出」をお願いします。

コロナ禍での、日本の死亡数が少ない理由の一つは、「他人に迷惑をかけてはいけない」というメンタリティがあると、僕は思う。だから、「自分の身を守るため」にはほとんど意味がなくても、「万一自分が感染していても、他人に迷惑をかけない」という意味あいでしかなくても、それを理解した上で、マスクをつける人が多かった、という点ではないかと思う。

新型コロナウイルスは、明らかに地球の「意識」が創り出したと、自分は理解している。その目的は、人類がどうあるべきか考えさせるための警鐘であり、エネルギーの浪費を防ぐための実力行使であり、あまりにも増えすぎた人口を減らすための「調節」でもあり、それらではないかと、私は考える。つまり、人類の大半が「他者の権利」を優先して考え、地球環境に負荷の少ない生き方をする」ことにシフトできるなら、「ある日突然、ウイルス感染者が新たに発生しなくなった。」なんてことも、あり得るのかなと、自分は考えている、けれども、まず、無理でしょうね。

今回の「新型コロナ」は予行演習に過ぎず、次には「エボラ出血熱」以上のウイルスが、もう、用意されていると理解している。読まれた方が、それを信じようが信じまいが、そんな事には僕は関与しない。ICUのベッド数が少ないとか、なんだとかかんだとか、「これ以上」に対応するのか、しないのか、読んでくださっている方々が、「あ、どうせこれは信じないだろうな」と思って書いているので、気にしなくても結構ですが、「人口調節」の意図がある以上、今回、十分な調整ができないなら、次が来ると思う。(つまり、どんどん感染して、死ねということか、と言われたら、はい、そうですと、僕は答える。)マクロにみたら、止めがたい。

(眠い。今日は、疲れた。まだ書き終わっていない。どうしようか。まだページの要点を書けていない。続きは、明日、目が覚めてから書きます。かなり中途半端なぶった切り方にんなったと思うけれど、これでアップします。表題に見合う論旨は、寝て起きてから、続きを書きます。

数理モデル(感染経路不明率について)

感染者数の推移のグラフ、直感的に、経口投与された薬剤の血中濃度の変化に似ていると思った。

コンパートメントモデル解析の一般形。(「半減期」という概念が成り立つあらゆる分野に共通すると思う。)
上昇部分は、最初の一定時間は x = A ( 1 – exp(-t/Ta) ) の形で近似されて、途中でフラットになる。血液透析の「拡散」も同じ関数系で、「物質の移動量は濃度に比例する」形の微分方程式の解、だったと思う。

薬剤の血中濃度の場合には途中から、「代謝」による減少の影響が出てくる。この部分は、y = B・exp( -t / Tb ) の形になると思う。結局、その両者を掛け合わせた形で、以下のようになる。(すみません、論文書いてる訳じゃないんで、厳密な式のトレースはやめます。たぶん、これであってるかなぁ。古い記憶を探っているだけ。)

http://www.ph.nagasaki-u.ac.jp/lab/dds/edu/dl/sample/pk.pdf
【薬物動態学】

なぜ、この形になるか。intake(薬物の取り込み)の部分は、ちょうど感染者が、周囲の複数の感染者に感染させ、その「拡大再生産」が繰り返される部分で、系に一切介入しなければ、最終的には、国民全体のうち(人口密度分布の形にもよるだろうけれども、どこかの国の大統領が口にしているように、)7割とか8割とかが感染し、その後、ほぼプラトーを保ちながら微増を続ける、という関数系のモデルになると思う。これは、数理モデルとしては、「感染するに任せて、対策しない」場合の想定で、「外出制限の全面撤廃」もこれに相当すると思う。

深刻なのは、その爆発的増加の過程で医療機関が飽和して、通常なら措置によって重症化しない他の疾病の治療ができなくなるため、医療資源が乏しい国で介入せずに経済活動を再開させて、この7割とか8割感染の状態になると、ただ単に新型コロナの致死率が10%とか15%に跳ね上がる危険性があるだけではない、ということだと思う。つまり、B国の場合には現在の致死率が7%だけれど、これが10〜12%程度に跳ね上がり、加えて、他の通常なら深刻化しない疾病での死亡率も跳ね上がって、最終的には、国民の10%から15%が死亡する事態を招くような気がする。A国の場合には、医療資源は豊富とされているものの、既に飽和している地区もあり、その「飽和状態」が全国に拡散すれば、現在の致死率6.1%がやはり10%程度に跳ね上がり、いわゆる医療崩壊からB国と同じ状況に陥る危険があると考える。これは、「外出制限の全面撤廃」の場合。

外出規制を行った場合、つまり、「感染率が濃度に比例する」というその濃度の部分が、「接触制限」によって小さい数字に押さえ込まれた場合。
現在の日本での致死率は4.3%らしい。医療機関が飽和していないならば、一定期間を経過して「退院」することで、「感染者数」は減少に転じる。これが、y = B・exp( -t / Tb ) の関数系の部分になる、と思う。

電気屋は時定数で考えた方が考えやすい。薬理学系とか、核物理学の場合には「半減期」の方が考えやすいのだろうと思う。また、一般の方も「2倍になるのに何日かかるか。」(増加する時の立ち上がり部分の「半減期」の逆の概念で、「倍増期」とでも言うんだろうか。「負の半減期」だと言葉としてわかりにくいかも。)減少する時には、「新規感染者数が半分になるのに要する日数」が、この時定数 Tb から計算される。逆に、その「新規感染者数」のグラフから、この  Tb が計算できる。

https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/

日本では、中国のような「外出規制」はできない。銃を持った武装警官が町中を巡回している映像を見たけれども、あれは、日本では無理だろうと思う。但し、中国のように「把握されていない感染者」(Spreader)の動きを完全に封じ込めることができるならば、理論的には、間違いなく2週間程度、最大でも1ヶ月程度で「新規感染者の発生」をゼロに抑え込めると思う。現実問題としては、社会インフラを支える人、医療従事者などは動いているから、ゼロにはならない。それが、減少部分の関数系の時定数、Tb の値に影響してくる。

そして、「段階的な経済活動再開」を考えた際にも、このTbや Taが大きくなり、一定比率を越えれば、「新規感染者数」は減少から増加に転じる、そういう数理モデルに作れると思う。

Ta や Tb は、「新規感染者数の推移」から、推定できる。あくまでも数理モデルとして。そこから「現実の何かの係数」へのマッピングは別にすれば。たぶん、だけれども、「代謝」とか「減少」に関係する時定数 Tb は、「把握されていない感染者」つまり、Spreaderの濃度に比例する。この値が小さくなれば、「新規感染者」は一気に減少する。大きいという事は、減少が緩やかになる、という事だと思う。
おそらく、人口密度も時定数には「比例係数」としてかかってくる気がする。例えて言えば、一番わかりやすい例としては、薬物の intake / wash-out での、心拍出量に相当するような要因、になると思う。

「把握された感染者」は、クラスターとして「隔離」される。隔離されれば、 この数理モデルでいえば、把握された時点で Ta や Tb の増加に寄与しないことになる。つまり、ピンポイントで特定することが何よりも大切、ということだと思う。感染経路が不明な人、は、どこかで一定濃度の Spreader に接触したと考えられる。それは「濃度」で扱われる。しかも、検査件数が増えないから、取り除けない。

つまり、「経済活動再開」を推進しても、「新規感染者の減少」を成し遂げるためには、とにかく、「感染者の徹底的な調査」が必要となり、そのためには、現場の医師が「疑わしいから調べて欲しい」という患者を、徹底的に調査することだと思う。「不安だから調べて欲しい」は無視していいと思う。そうではなく、「発熱があります」もごく早期の段階から調べることが必要だと思うし、法医学からの要請だとか、「コロナに感染していることが疑われる正当な理由がある」ケースについては、即時、全数調査するだけの態勢を整えるべきだと思う。

そのためには、精度の低い「抗体検査」で「全体的な感染率」を推定するのではなく、精度の高いPCRの実施件数を増やすしかない、ということになると思う。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200515/k10012431091000.html
コロナ抗体検査 「偽陽性」含む可能性高く感染者数推計できず

キットによって陽性となった割合は異なりますが、東京では最大で0.6%、東北では最大で0.4%が陽性となりました。

ところが、新型コロナウイルスの感染が広がる前と比較するため、去年初めの関東甲信越での献血の保存検体も調べたところ、最大で0.4%が陽性となったということです。

何を見てるか、わからないじゃない。これで1万人調べて、何がわかるの?アベノマスク以上に、役に立たないと思う。「結局、わかりませんでした」ってなると思う。これを考えたのは、厚生労働官僚か?お茶を濁すことしか考えてねぇ。

小池都知事が感染経路が不明な人の割合を50%未満、という数字を出した。
「経済活動再開」を焦る気持ちは、よくわかる。ただ、直感的に言って(最近、直感に頼る発言が多いなぁ・・・)この数字、高すぎると思う。これで「規制緩和」を判断したら、比較的早期に増加に転じるような気がする。やってみなければわからないから、おそらく見直されることなく、この数字で判断するんだろうな。それは仕方ない。

なんとなく、2割とか3割とか、その辺の数字になりそうな気がする。その根拠。なんとなく、喉元まで出かかっているというか、例は悪いけれど、でかかったウン×が、もうちょっとでヒリ出せそうなのに、最後の最後でどうしても出てこない(深夜ではありますが、食事中の方ごめんなさい、)なんか、そんな感じで、詰め切れていない。けれど、時間さえかければ、データから追い詰められる気がする。(朝出なくても、昼飯を食えば、押し出されて出てくる、ってな感じかな。今は、漬物のお陰で、快食快×ですが。)

もしかしたら、だけれども、「人口分布(人口密度)」に、「感染経路不明率」や、「新規感染者数の変動」などを加味して、Ta や Tbの、地域ごとの実測値を出せないものか、そして、その数値を使ってシミュレーションをして、どの程度の「感染経路不明率」ならば、どの程度まで規制を緩和できるかを、弾き出せないものか、と思った。

人の移動を、最低でも7割削減、できれば8割、とした、その根拠となる数理モデルは、たぶん、コンパートメントモデルだと思う。
あるいは、拡散方程式を使ったのかなぁ。(関数系は、同じものが出てくると思うけれど。)

拡散方程式
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8B%A1%E6%95%A3%E6%96%B9%E7%A8%8B%E5%BC%8F

第一波はある程度抑えられたとして、第二波、第三波を抑えながら、全面的な経済活動を再開させていくためには、「感染経路不明率」をどの程度に抑える必要があるか、すみません、(あたしゃ、ひたすらプログラムを書き続けないと、滞納している税金を支払えない身分なもので、)私はやりません。(きっぱり。)

ここまで書くのが限界。緻密に考えようと思うなら、1週間とか2週間、とにかくこの話題だけを考え続けて、数理モデルを実際にシミュレーションで動かしてみて、データをかき集めて入力して、それでカーブ・フィッティングさせて出てきた数字を眺めて、ってやらないとならないと思う。無理。

でも、それをやれば、PCR検査件数を増やさなければならない理由を、やりたくない人たちに、突き付けられると思う。
でもなぁ、安倍総理とか、管官房長官とかが、「所詮は、シミュレーションでしょ」とか、切り捨てられて、結局、意地でもPCR検査件数を増やさない方に走りそうな気がする。

それならそれで、別にそれでもいいけど、だったら、もうあと、4回か5回、10万円を配って欲しい。

レミング

レミングの集団自殺は、科学的には「迷信」であるらしい。

“死の行進”で知られるレミング、実は自殺するほど馬鹿ではなかった
https://logmi.jp/business/articles/145941

だって、想像してみてよ。こんなにも食いしん坊なおでぶちゃんたちが、1つの場所に100匹も200匹もいたら、どんなにたくさんの食物があったとしてもすぐになくなっちゃうよ。

そして食べるものが無くなったら住む場所を移動しなきゃならない。遊牧民のようにね。

ただ、なにしろ彼らはものすごい数だから、誰にも見つからずにこっそり移動するなんてのは無理な話さ。物凄い大移動だ。

川があったっておかまいなしさ、彼らは喜んで飛び込むだろう。そして向こう岸にあるであろうおいしい草食べ放題ビュッフェを探しに行くのさ。

米ウィスコンシン州最高裁「外出規制は違法」 即座に解除
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO59135160V10C20A5000000/

米大統領、ウィスコンシン州の外出禁止違法判決を称賛
https://jp.reuters.com/article/health-coronavirus-usa-idJPKBN22Q3PA

https://www.bbc.com/japanese/video-52252115

感染経路不明率

「コロナ 感染経路不明 グラフ」でググって、ぼんやりとデータを眺めていた。

増える「感染経路不明」 調査協力しない人も「どこに感染者いるか分からない自覚を」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/209987

緊急事態宣言、小池知事「早期決断を」 対応急ぐ東京都
https://www.asahi.com/articles/ASN457363N45UTIL01L.html

いくつかのサイトを読んでみたけれど、そして、大半が1ヶ月遅れ以上で「最新」のものは目にしていないけれど、感染経路不明の患者がいる、ということは、やはり「全くコントロールできていない」ということになるような気がする。

原因は、何なんだろうか。やはり、PCR検査のキャパシティが小さすぎることにあるような気がする。現場の(保健所ではなく)医師の側の判断で、「検査が必要」とされた検体については、とにかく調べることができるまで、検査のキャパシティを増やすべきだと思う。公衆衛生学の専門家が、これ以上の検査は不要とか、書かれていると、どこかで読んだけれども、本当なんだろうか。「感染経路不明」がいる、ということは、常に爆発的な感染拡大のリスクを抱えていることになるような気がする。

誰もが「自分が感染することを恐れている」から、経済活動が萎縮する。感染経路がほぼ把握できているならば、「あ、自分はそこには行っていない」し、「それ以外の場所から感染する心配は、要らない」と自覚できるから、ある程度、行動半径を広げることができる。

医学はともかく、経済はかなり「社会心理」で動いているような気がする。それは、バブルの発生でもそうだし、バブルの崩壊でもそうだし、「社会心理」を鎮静化させることができるなら、必ず経済は上向くと思う。そのためには、(医学的な観点で、これ以上PCR検査を増やす必要がない、という主張に、正面切って論駁できる材料を、今僕は持っていないけれど、)少なくとも、社会心理の上では是が非でも検査件数を増やして、感染ルートがきちんと把握されているな、と、実感できる状況を作って欲しいと思う。それがなければ、どれだけ緊急事態が解除されても「安心感」にはつながらないし、その結果として消費は上向かない。また、経路が把握されていないから、どこかでクラスターが発生するとも思う。

「感染経路不明率」について、数字の目標を掲げるべきだ。もし、その目標が達成できないならば、達成できるように、PCR検査の対象を広げるべきだと思う。

このコロナ禍。「あれで、お父さんの勤めている会社/お父さんの会社が倒産しました」「お母さんが解雇されました/お母さんのやっているお店が潰れました。」なんていう話は、ボチボチ、かなりの数になっていると思う。経済活動を萎縮させている原因の一つは、「原因の徹底究明」をのらりくらりとかわしている、行政のトップにあると思う。

別に、「モリ、カケ、サクラ」の徹底究明なんて、この際どうでもいい。誰も死なないから。だけど、その「モリ、カケ、サクラ」のノリで「徹底究明なんてやめてくれ」と思っているなら、さっさと行政トップから降りて欲しい。自発的に降りて欲しい。トランプほどじゃないにしても、邪魔だと思う。なぜ、検査件数を増やすような号令を出せない?誰かが、仕事を増やすのを嫌がってる?仕事を増やす以上、人を増やす方策なんて、考えればいくらだってあるだろうに、なぜ、考えない?考えもせずに「人を増やすのは無理」と言ってるなら、行政トップのクビをかけて(バレた時に、野党から吊し上げられるのを覚悟の上で、)「過労死覚悟で検査件数を増やせ」、と、なぜ号令を出せないんだろうか。「経路不明」なんていうのが多すぎるから、誰もが、怖がって、萎縮して、今までの経済活動をできなくなる。その「感染経路不明」の最大の原因は、PCR検査の処理能力を増やさない、増やそうとしない、安倍総理の責任だと思う。「経済が萎縮する原因」の「不可抗力ではない」、つまり、「対処可能なのに対処しなかった」原因の一つを、安倍総理が作っている、という自覚は持って欲しい。

僕ら、システムエンジニアは、納期直前になると、もう、睡眠時間なんて削って、ひたすら試行錯誤、コーディング、テストを繰り返す。しばらく前も、還暦を過ぎたのに、二日連続で睡眠時間が2時間未満、なんてのをやってしまった。(今の僕には、これが限界。)PCR検査の現場に、ジジババしかいないなら、若くて活きのいいのを、国の財政補助で雇わせたらいいんだよ。無論、適性検査は必要だろうけれど。なぜ、何も手を打たないのか、不思議でならない。

このコロナ禍、リーマンショックと同様に、あるいは、世界恐慌と同様に、100年単位で語り継がれるだろうと思うし、教訓としてはさらに長い期間にわたって「教科書に掲載される」ような事態になると思う。そんな中で、

「何年何月の時点で、安倍が、この決断をしていたなら、XX万人が貧困層に転落することなく生活していたであろう。然るに安倍は、国立XXのXXの意見に逆えず、客観的な状況判断を見失って、PCR検査体制を諸外国並みに引き上げる決断ができなかった。これが致命傷となり、日本国民の多数が、感染経路が把握されない『正体不明』のウイルスの存在に怯え、国が推奨する『自粛』に素直に従った。その結果として、社会を支える底辺の経済活動が決定的に衰えをみせ、日本経済は急速に衰えることとなった。」
なんていう記述が、数十年後の歴史の教科書に書かれるのが、目に見えて来たような気がする。

ぶっちゃけ、今のままなら、本当にそうなると思う。この文章は、僕のスタイルではありません。高名な経済学者なのかなぁ。ボチボチ、また下りようとしている方が、下を見ていての感想、なんていう気もするし、「あ、これを伝えることができる」とお考えになられたのかも知れないし。(あ、適当に書いてます。ハッタリかましていると思って、無視してください。)

いずれにしたって、「歴史」は常に不確定だから。全て、我々の「決断」と「決意」次第。こうやって、日付が変わっても書き続けていて(仕事があるから、書き始めが遅かっただけだけど、)、アレにも言葉が通じて、何か好転するかなぁ。

実験協力依頼

実験協力依頼、なんて書きつつ、論文は書かないし、謝礼は出さないし、誰が読んでるかわからないから、適当に書いているだけだけど。

しつこいな、と思う。これで同じ話題を持ち出すのは、3度目。どういうことか。

飲食店が夜の営業を再開する際に、「フェースシールド」を貸し出すとか、使い捨てで客に提供して、唾液の飛沫対策を講じる、そうした「実験」に協力してくれるお店はないかな、ということ。

「フェースシールド」は、マスクに比べたら唾液の飛沫をブロックする効果は少ないと思う。ただ、それでも、無防備にマスクを外した状態で飲食をするのに比べたら、少なくとも正面とかに飛沫が飛ぶことは、かなり防げるような気がする。つけたまま飲食できるマスクがあったとしたら、それは既に、マスクの役割を果たしていないことになると思う。形状を工夫すれば、食べやすく、サイドへの飛沫もある程度防げるものは作れる気がする。

そうして、「フェースシールドあり」で営業を再開した店で、クラスターが発生せず、「フェースシールドなし」で、クラスターが発生する事例が起きたりして、「違い」が明確になってくれば、飲食の際の「フェースシールド」の着用で、外食店での新型コロナの感染拡大は防げる、という「実証結果」が積み重なって、(ここがポイントだけれど)もしかしたら、客も安心できるし、店側も安心できるし、今まで通りの営業ができる、ということになる。安心感さえあるならば、100%ではないにせよ、今までのような「おっかなびっくり」ではなく、そこそこ客足も戻るんじゃなかろうか。

飲食店で効果が確認できれば、観光業なんかでも、かなり「堂々と」、「来ないでください」から「来てください」にシフトできるような気がする。無論、それでも、いわゆるソーシャルディスタンスは必要かも知れないし、食事していない時のマスク着用は、ほぼ「義務化」に近い状態になるのかも知れないけれど。

つまり、「実験協力」のメリットは、「実験に成功」したなら、少しでもコロナ以前の「客足復活」に近づけること、ということになります。

もし、効果が確認されたとしたなら、マスク同様に「マイ・フェースシールド持参」が定着して、それが一般常識になるかも知れない。そうなれば、使い捨てのフェースシールドを店側が用意するコストは、かなり低減する。

こういうのは、やってみなきゃわからない。誰もやらないなら、効果は確認できない。だから「実験協力依頼」と書いた。

僕には、何のメリットもないけど。そして、しつこいようだけど、論文を書く気もないけど。ただ、飲食店とか、観光業とかで、客足が戻ればいいな、とは思う。

django_plotly_dash

ほぼ10日間、試行錯誤に潰した。けれども、相当に細かいところを自由に設定できる感じになって来た。この話題に関して言えば、出口が見えて来ました。

問題は、ライセンス。松尾くんが下調べした時に「有償の条件がかぶさってるよ」と言っていたので、これ、使えないのかなぁ、なんて、かなりガッカリしていたんだけれども、粘って検索しまくって、このページを見つけた。

https://community.plotly.com/t/pricing-and-license/9714

これって、自分で全部プログラムするならタダで使っていい、っていうことですよね!
いよ、太っ腹!(いや、腹が太いのは、俺か・・・)

なんだか、本当に嬉しくなる。開発された方々に、心から御礼申し上げます。

ASGI(Asynchronous Server Gateway Interface)の技術に、正直度肝を抜かれた。
開発マシンをサーバに仕立ててのテストだと、これがwebだなんて思えない。一昔前に、携帯電話では「合唱」はできないよ!(ループバックの遅延時間が問題になるから)なんて学生に話した記憶があるけれども、今はもう、とんでもない。おそらく、4Gあたりから人間の感覚で認知できるような遅延は発生しなくなった。そのスピードを、余すことなくweb技術に使えている。

思えば、20年前、引きこもり中年というか、気力というものがカケラもなくなっていた頃、CGI(common gateway interface)すら理解する気力も、何かを試そうなんていう気力すらなかった。それが、WSGIから今は、ASGI。plotlyや、dashの技術もすごい。open sourceだから、「答えは、ソースコードに聞け」っていうことですね。ソースを読んだら、使い方がかなり見えて来た。なぜ、ソースコードを読もうと思わなかったんだろうか。僕自身、ここまで実戦復帰できると思っていなかった。こういうところを親父やお袋に見てもらって、安心してもらいたかったなぁ。(たぶん、見てくれてはいるか。)

30年近く前は、Windowsを売りに出した某社が、バージョンアップする度に「プログラマ向けのレファレンスガイド」を十万円近い価格で売りに出した。必要なのは数行なのに。分厚い百科事典みたいな本が届く。辟易していたのは確かだけれども、今のこのオープンソースの環境。開発された方々、食っていけるのか心配になってしまう。

表題から逸れるけれども、オンライン授業なんかが一気に広まって来て、貧困家庭の子供たちのディジタル・ディバイドが進む、なんていう話題が出ている。コンピュータが一人一台には程遠い。だから、もう、10年以上前から同じことを繰り返し言ってる。LINUXのPCにシフトすればいいのに。数え切れないエンジニアの方々が、プラットフォームを支えている。(国は、見て見ぬ振り、なんだろうな。)Raspberry Piには、かなりの亜流が出ているけれども、Raspberry Pi(もどき)をコアにして、高くても1万円程度でオンラインの会話までできる周辺機器を一体化させて(カメラをつけたら、1万円は厳しいかも)家庭用の廉価版の「コンピュータ」を普及させたらいいのにと思う。7万円台のWindowsのコンピュータと同じことができるのに、1万5千円のLinuxのコンピュータを国産で普及させる、なんていう発想がカケラもなくて、貧困家庭にも7万円台のWindows PCを配布させないと、オンライン社会が成り立たないとか、大騒ぎする(ことになる)。日本は金持ちだから、どうでもいいっちゃ、どうでもいいけど。話題が逸れるなぁ。

django_plotly_dashで、ちょっと手を加えたら、オンライン会議システム、もどきのプロトが作れた。めっちゃ疲れたけど、今日はかなり感激した。


一呼吸おいて、なんでこっちに話題が逸れたか、理解した。発展途上国だ。

世界の工場である中国や、中国を追いかけるベトナムやタイにハードウェアは頼る必要があるかもしれないけれども、OSとかカーネル部分だけなら、圧倒的にLINUXで固めると、既存のWindows PCと遜色のない「パソコン環境」が作れる。それも従来の5分の1くらいの価格で。

子供たちに「情報技術」の教育を行うなら、最初からWindowsベースではなくLINUXベースの環境を強引に導入すべきだと思う。最初の数年は、教育現場から悲鳴が上がるかも知れないけれど、コンピュータは「道具」だから「慣れ」の問題だけ。早ければ2〜3年。遅くとも4〜5年経って、教育現場が慣れて来たなら、圧倒的にコストベースで低水準に「教育用機材」を整えて、貧困家庭にも一人一台のコンピュータを配布できる状況を作れると思う。こういうストーリーを展開するとしたなら、主導的な役割を果たせるのは、台湾か、(中国は、政治が閉鎖的すぎる、)ベトナムか、タイ、かなぁ。是非、20年後は、日本をぶっちぎっちゃってください。


さらに一呼吸おいて、(っていうか、2本目を吸ってから、)気付いた。これは、Googleがやるな。このコロナ禍で、世界中が「オンライン」にシフトしている以上、端末需要は激増するはず。AndroidはLINUXベースで、確かgoogleはライセンス料は取ってない、(本体価格に組み込み済み?かなぁ・・・すみません、調べませんけど、)よねぇ。いずれにしたって、普及率は半端ないもの。

貧困家庭の子供が、オンライン授業を受けられる端末を配布するために、政府が用意すべき金は、モニター(画面)込みで子供一人当たり200米ドル、なんていう端末を作れないもんだろうか。(通信インフラは別にお金がかかると思うけれど。)

イギリスで、鉄道職員に唾を吐きかけて、感染させて殺した人がいたらしい。どんなに国が豊かだって、心の貧しい人は数え切れないほどいる。そういうのは、「教育」だけではどうにもならないとしても、教育で変えられる部分も少なくないと、僕は思うし、信じたい。そのための端末。期待するのは、Googleとか、台湾政府とかタイ政府とか、ベトナム政府とか、やっぱりその辺かなぁ。

ICU設置数 / ECMO

僕が血圧計メーカに勤めていた頃、他の事業部に「ドレーゲル」の麻酔器を輸入販売する部署があった。

https://www.draeger.com/ja_jp/Hospital/Portfolio/Anaesthesia-Devices
Drägerの麻酔器

かなり高性能な麻酔管理の機械で、長時間の手術への対応とか、正確な情報提供とか、医師の負担軽減とか、考え抜かれた「最上級の機種」の普及や、販売を目指していた同僚がいた。その時に、彼が言った一言。漠然と覚えていたけれども、今になって意味を反芻している。
「対象となるオペを実施する『手術室』のターゲット数は、日本全国で300で、とにかくそこに徹底的にセールスする。」

ふ〜ん、日本全国で300。300箇所も回るの?大変だなぁ、頑張れよ、同僚(Tさん)。

今、改めて思う。「最高水準の手術を行う手術室」が、日本全国で300しかない。(30年近く前、だけれど。)
今現在の、人口十万人あたりのICUのベッド数が、日本では7.3。ということは、ICUのベッド数は、約8800?程度?新型コロナの感染者数は、日本でこそ16000人だけれども、海外では重傷者が遥かにこの数を超えている。

https://diamond.jp/articles/-/233783?page=2
日本のコロナ医療の弱点、「集中治療ベッド数」はイタリアやスペイン以下

パンデミックがもし起きていたら、このベッド数が少なすぎることは、マスコミ報道でも言われている通り。
まぁ、死者数が少なく押さえられているのは、いいことかも知れないけれど。
言いたいのは、「増やせ」ってことか?って、医療機器メーカにいた立場でいえば、それもあるけれど。

その一方で、真逆の感覚も持っている。

こんな状況でもブーブー騒がずに黙ってお上の言うことに従って来た国民の生活感覚の中には、(おそらく、江戸時代くらいにまで遡る)「諦めて、死を受け入れる」なんていう感覚があったような気がする。それが、過去30年位の僕の記憶にある中で、激しく変化して、「自分がなんのために生きてるか、なんてことは関係ない、とにかく生きていたい。それを支えるのが国の制度じゃねぇか!」という意識が強くなったような気がする。

こういう言い方をしたら悪いんだけど、「自分が、今回、なんのために生まれて来て、生きているか」を意識できないなら、はっきり言って、生きていても無駄だと思う。さっさと肉体を抜けて、(一旦、下に落ちてから、)上に戻って、せめて、自分自身が、自分で自分に課した課題くらいは思い出せるようにして、次に肉体を持つには、どうしたらいいか、よ〜く考えてから、また肉体に収まったらいい。これが本音に近い。
例えば、医療従事者に向かって「近寄るな」と叫んでいる人たち。「あんたが生きていて、誰かの幸せにつながってるの?誰かの役にたっているの?自信を持っては何も言えない?それだったら、さっさと肉体を抜けて、上に戻って、考え直したら。」なんてことは、思うし、面と向かって医療関係者は私に近づくな!なんて言われたら、僕だったら、きっと言葉にして、相手にぶつけている。「医療関係者に近づいて欲しくないなら、絶対に病院には来るな。」(話が逸れるなぁ・・・)

死を受け入れる、ていうことは、悪い意味ではなく、必要なことだと僕は思っている。それを自覚して、初めて「生きている意味」を考えることができるし、身近な人間と一緒にいられる「幸せ」を実感することができる。突然の「死」に狼狽したならば、それまでの「無自覚」を痛感すべきだと思う。という、このトゲのある表現が突き刺さる方は、おそらく既に近親者の死を経験されてしまった方々で、今世においてまだ経験されていない方には、このトゲのある言葉を、どれほどの言葉の猛毒に切り替えたとしても、おそらくは通じない。想像できないものか。
自らの(肉体の)「死」を意識せずに、その生きている実感をできる方がいらっしゃったら、それはすごいことだろうと思う。間違っていたっていい、とにかく「これだ!」と思ったら、それを追求することが大切なんだろうと僕は理解している。

ECMO(体外式膜型血液酸素化装置)は、臨床工学の枠の中で教えていた。
ある病院実習先の技師長さんから、「ECMOが稼働する状況が起きたので、もし、学生に見学させたいならば、見学を受け入れできます」というご連絡をいただいた。ECMOは、新型コロナ以前は、「延命機器」として使われるケースが多かったと思う。どういうことか。肉親が遠方に住まわれている場合、「今なら、まだ、体温があります、生きています」という状況を維持しつつ、その状態で患者の肉親の方に面会させて、その上で告知する。「この器具を外したなら、生命活動が停止します。装着したままならしばらく生きているでしょうが、もう、元のように、機械なしで生きていける体の状態ではありません。」(どういう告知をされているのか、想像に余りあるので、書けない。)「最後のお別れをしてください。」その「生きている間に、会える」というその状況を作るため、だけに使われるケースが多かったように聞いている。
まさか、テレビのニュース報道で ECMOが何度も登場する状況になるとは、当時は想像すらできなかったけれども。

ただ、ECMOが「単なる延命装置」ではなく、「急性症状」に対する「治療機器」として(「延命装置」ではなく)使われた、というのは、開発された方にとっては、これこそ目指していた状況、なのかな、とも思う。つまり、COVID-19の場合には、ECMOは、「使われた患者が、再び社会復帰するのに役立つ装置」であり得た、ということなんだろうか。

その程度の位置付けだから、日本全国にECMOが何台あるか。4桁どころか、3桁、もしかしたら、メンテナンスされていて使えるのは2桁台の台数しかない、そんな程度の台数じゃないのかな?という気はする。

でも、そもそも「延命」って、一体なんの意味があるの?誰か、教えて欲しい。

「死を受け入れる」そのことの意味を、かつての日本人は知っていたんじゃないか、という気がする。だから、ICUが少なくとも、ECMOが少なくとも、PCR検査の環境が不十分でも、(三つ目は無理があるな)ほとんど問題視してこなかったんじゃないか、という気がする。

その一方で、「今、肉体に収まっている」ということは、絶対的なチャンスだ。誰もがそれを漠然と感じているからこそ、ひたすら生き続けることに執着するんだろう。ICUが少ない、ECMOが少ない、PCRの検査件数が不十分。それらにまとわりつく、あらゆる「主張」は、(自分がなぜ今、生きているのか、なんてこととは無関係に)「生きていたいから、なんとかしろ」なんだろうと思う。

考えれば、考えるほど、そのどちらも正しく思えてしまう。僕には、答えが出せそうにない。このページを読まれた方が、何をどう考えるか。それも、イメージしきれない。

改めて、人の死って・・・

親父の葬儀の日の朝の話。初めて書く話題。

親父に生前、「俺関係の連絡先とか、お前たちに読んでもらいたい文章とか、この中に入っているから」と、USB外付けのハードディスクを渡されていた。
葬儀の日の朝、参列して下さる方に何か渡せるものはないかと見ていたら、親父がボランティア活動をしていた相手(話題の性質上、どういう活動かは伏せますが)へのフォルダを見つけ、その中の「手紙」というタイトルの入ったファイルを見つけた。

「あ、これは親父が渡して欲しい奴かな」と思って、ほとんど文面を読まずに印刷をかけた途端に、いきなりプリンタが異音を発して紙詰まり+クラッシュした。これまでそんなこと、一度もなかったのに。そして、その後も一度もそんな現象は起きなかったのだけれど。

改めて、そのファイルの文面を見てみたら、人間関係の結構ドロドロとした話題が書かれていて、相手を諫めるというか、責めるような感じの文章が書かれていて、読んでみて気付いた。これは、書いたけれども渡さなかった手紙だ。
「父さん、わかったよ。この手紙は渡さないから。」

プリンタの電源を一旦切って、入れ直し、その後「子供たちへ」と書かれたファイルを、弟たちに渡そうと思って印刷した。その時に、なんとなく暖かい感じがして、あ、親父、今いるんだねと、はっきり感じたし、全ての機器が正常動作。同じ感覚は、お袋が息を引き取る数時間前から病室で感じていた。お袋に「母さん、親父が窓際に来てるよ」と言ったら、お袋、意識がはっきりしているんだか、していないんだか、とにかくわずかにうなづいた。あ、感じてるんだねと思った。

後で、師匠の講演会で聞いた話。癌なんかで死期が近づいてくると、だんだんと「霊体」に近くなってくるから、周囲にいる人の意識も受けてしまうし、お袋と親父みたいに、来ている霊体の存在もはっきりと分かるようになるんだろうと思う。だから、「この人、遺産をいくら残してくれるかしら」なんてことを思っていると、その意識はそっくり、死にかけている相手には伝わっていると思った方がいい。みたいだ。

親父の場合には、もういつ肉体を抜けてもおかしくない状態が数日続いていたから、逆にそうした状況からだと肉体を抜けてからの「覚醒」も早かったんだろうな、と思う。どんなに長い人でも10日もあれば、はっきりと「意識体」として覚醒するらしい。普通は1週間程度。だから、昔からある仏教の「初七日」という法要は、実は、肉体を抜けた意識体の方に、「あなたは死んだんですよ」と伝える上では、かなり重要な意味があったらしい。同様に重要なのは、仏教の四十九日の法要らしい。大体、その時期に地上で自分が生きてきた期間に接した相手が、自分のことをどう思っていたのか、大体把握して上に戻る、らしい。(上というか、下というか・・・)なんていうか、「あいつ、馬鹿だな」と思っただけで、自分の心に薄墨でさっと塗ったように汚れが付く、らしい。それだけで、まっすぐ上には帰れないものらしい。だから、実際にはほとんどの方が、まず下に向かうらしいけれども。

話題が逸れた。とにかく、そんな感じで、葬儀の日の朝から「親父が一緒にいる」感じがしていたから、葬儀が無事終わって、親族やご近所さんが集まっての会食も終えて、「さぁ、父さん、帰ろうか」なんて思いながら式場から出ようとしたら、葬儀会社の方が慌てて声をかけてきた。

「施主さん、施主さん、ちょっと・・・。お父さんのご遺骨を忘れてますよ。」

あっちゃぁ〜。やっちまった。「だって、親父ここにいるのに」とは思ったし、その思ったことは親父には通じていたと思うけれど、世間的にはねぇ・・・。
そんなに家族関係がモメてた訳でもないのに、親の遺骨を葬儀場に忘れる奴って、僕の他に、何人ぐらいいるんだろうかなぁ・・・
(ちなみに、親父の葬儀の頃は、まだ師匠の講演会には、数回足を運んだ程度でしたし、当時は、まゆに唾をつけて聞いていた。)

もうあと何年かしたら、あるいは、もしかしたら十何年かしたら、あるいは、もしかしたら数十年したら、親父に直接聞こうと思っている。「父さん、あの時どんな顔してた?」

亡くなられた方々、亡くなられてすぐの時期には、必ず、ご家族の側にいると思います。(もしかしたら、ご家族の方ではなく、別の家庭の方に行ってるかも知れないけど、そんな家庭の事情なんて、この際だから、無視します。)おそらく、大半の方が、「私のことは心配しないで、前を向いてしっかり生きなさい」と伝えて下さっていると思います。(余程、性格のねじれた人でなければ。)そして、こちら側が、自分を守る意識(自分を正当化したり、誰かを拒絶したり、自分を誤魔化すためについた嘘を、事実だと自分に言い聞かせて信じ切っていたり、そうした意識)がなければ、たぶん、多少なりとも亡くなられた方の意識を受け取れるんじゃないかなと、僕は思います。

人の死は、亡くなられた方の「人格の喪失」では全くなくて、単に「肉体」という乗り船から降りられただけ。残されたご家族の方がそのことを意識できなければ、亡くなられた方が心配で上に(下に?)戻れなくて、結局迷い霊というか、いつまでも次に進めなくなると思う。

いつか、自然科学の枠組みの中で、こうした「霊体」の存在を証明できればいいのに、とは思うけれども、まだ何千年か早いのかなぁ。

トランプみたいなのが「当たり前」にはならず、地球が「リセット」される、なんてことがないならば、もしかしたら二千年もしないうちに、自然科学がそこまで踏み込んで扱えるようになるんだろう、と僕は理解しています。

寂しさは、理解します。ただ、「悲しみ」は、ちょっと違う気がする。心を澄ませれば、必ず、相手の意識を受け取れると思います。(相手が、意識を送ってきてくれているならば、ですが。自分が思っているほどには、相手が思ってくれていない、なんてケースは、ザラみたいだから。)

なんだか、なぐさめているんだか、励ましているんだか、コキおろしているんだか、訳がわからなくなって来たけど、書きたいことは書いたから、このページ、終わりま〜す。

(ちょっと待った、親父の遺骨を忘れた話、以前一度書いたことがあるような気がして来た。)

分業態勢

ニュース配信でこの記事を読んだ。

「PCR検査せよ」と叫ぶ人に知って欲しい問題
https://toyokeizai.net/articles/-/349635

――多くのメディアでは検体採取を行う保健所の話ばかりで検査の現場の話はあまり出てきません。検査をする技師には専門性と熟練が必要だそうですね。

マイクロリットル単位で何種類もの試薬を順番を間違えずに加えるという根気と技術力の必要な仕事だ。キャラクターの問題もある。私は長く見てきているし、部下を適材適所で配属しなければならない立場なので、向いている人と向いていない人の違いがわかる。長期間根気よくコツコツと取り組める人でないと向かない。

テレビのコメンテーターになっている医師たちが、「(簡単ですよとは言わないまでも)私も研究で何百回となくやりましたが」とか、「人をかき集めて訓練すればできますよ」などと言っているのを聞いて、正直、腹が立ちますね。現場を知らない、完全に上から目線。「検査技師なんて」という一段下に見る感じも透けて見える。

 

人をかき集めて訓練すれば

すみません、これ僕も書きました。ごめんなさい。ただ別に上から目線で「簡単な仕事だろう」なんていう意図はありませんでしたが・・・

ただ思う。分業態勢は組めないものか。

例えば、漫画家。漫画を書く中心になる人もいれば、背景を塗る人もいる。ゴルゴ13なんて、調査をする人、シナリオを書く人、すごい分業態勢でシステマティックにあの作品を出しているらしい。プログラミングもそうで、比較的経験の浅い人に任せられる部分もある。コアになる部分だけ技師の方が担当し、比較的ハードルの低い、多少練習させればできる部分を人に任せて、少しでも負担を軽減させ、分業態勢は組めないかと思う。

自動車とかコンピュータなどの製造ライン。あれも、組み立てる順番とか、かなり細かいスキルが必要になる部分が確かにあるし、部品や工程によっては、多少慣れて「不良品」を出さなくなるまでに数年かかる部分もあるだろうけれど、その一方で、新人に任せられる部分もあると思う。一から十まで全部技師の方が行う、という「通常態勢」の発想ではなく、「緊急事態」である以上、態勢そのものを見直す必要があるような気がする。

何種類もの試薬を順番を間違えずに加えるという根気と技術力の必要な仕事

これ、自動車なんかだと、何万点という部品の、取り付ける順番と位置を間違えずに(今時は、ロボットが活躍しているにしても、)人が作っていた。誰それが試薬を入れたら、それを自分が受け取る。自分が試薬を入れたら、次の誰それに渡す。とか、「順番を間違えない」部分は、方法次第では分業可能だと思う。μL(マイクロリットル単位)の試薬を、正確に手作業で測定できるか、に、ついては、機材の補充で対応できるならば、その部分だけサポートする機材を入れる、とか、適性検査で、こうした作業に向いている人は必ず見つかるはずだと思う。

扱いを誤ると、感染のリスクがある。確かにそれもあると思うが、例えば半導体製造のラインで作業を行う方など、空気中の浮遊粒子の数が極めて少ない環境を守りながらの作業、など、現場の教育で、そんな何年もの経験を積まなくても習得されたりしている訳で、PCR検査がとてつもなく特別な作業だから、人を増やすことは無理だ、という主張は、根拠に乏しい気がする。無論、そうしたベテランでなければできない作業工程があったとしても、分業して負荷を軽減し、人を増やして検査件数を増やすことは可能だと、僕は考える。きっと企業向けの「生産性向上」の方策なんかで、適用できるものが少なくないと僕は思う。

――日本のPCR検査件数が海外よりも少ないという批判が多いのですが、専門家会議の資料でも、「制度的に、地方衛生研究所は行政検査が主体。新しい病原体について大量に検査を行うことを想定した体制は整備されていない」とあります。

そう。システムとしてつくってこなかった。だが、今、海外と比べて少ないとか、これまで何やってたんだとか、過去を振り返って騒いでばかりいる。ないものねだりではなく、今あるものとこれから先を考えなくてはならない。そこで、検査の人材養成はそんなに簡単じゃないですよということは言っておかないといけない。無理すれば、今年の冬にもういちど大流行したときに検査が追いつかず「検査崩壊」が起きる可能性もある。

「長期戦覚悟」なら、システムを構築しなければならないはずで、これは行政トップの決断が必要なんだろうな。これからどうするのよ、と思う。現場に文句を言うこっちゃない。行政トップが、過去4ヶ月、何を見て、何を判断してきたか、なんだろうと思う。検査の重要性は、少なくとも2ヶ月くらい前から言われているはずなんだから、「今できません、だけど、現状の態勢の延長でやります。」だとしたら、あまりにもトップが無能だと思う。海外と一桁近く違う。

いや、ようやっと、一桁違いまでになった。以前は二桁近く少なかったと思う。海外でできることが、なぜ日本ではできないのか、疑問でならない。この際だから、謙虚に、韓国や台湾とか、ドイツとか、そういった国のやり方をそっくり真似してみたらどうなんだろうか。

死亡者に関していえば、日本ではちゃんと把握をしている。肺炎で亡くなる人はそんなに増えていない。

これに関しては思う。ちょっと資料が古いけれども

平成22年人口動態統計月報年計(概数)の概況/統計表/第6表 死亡数・死亡率(人口10万対),死因簡単分類別
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/geppo/nengai10/toukei06.html

この表に、
死因簡単分類コード: 18000: 症状,徴候及び異常臨床所見・異常検査所見で他に分類されないもの : 61,801人(平成22年)

と言うのがある。いわゆる「不審死」というんだろうか、死体として発見されて「調べてみなければ死因がわからない」ような(この辺、元記事を探したけれども、見失った。表現/用語の使い方が間違っているかも知れないけれど、)ケースは、年間8万人という数字を読んだ記憶がする。癌によって亡くなられる方の数の5分の1程の方の「死因」がはっきりしていない、という現実がある。決して「ちゃんと把握されている」状況ではないような気がする。調べていない訳だから、その中にコロナによる感染者が何人いるか、不明のままになる。調べなければ、感染の実態は把握できないと思う。

そういう死者の死因に、新型コロナが関係しているかどうかを、今後調べるのか、調べないのか。確か、法医学関係の学会関係者が何か書かれていたように記憶しているだけれども、やはり記事を見失った。記憶が不確実なので言及は避けるけれども。

こうして、どなたかの書かれた記事のごく一部分だけを抽出して引用するのは、あまり良いことではない。文脈を失って誤解を招きやすい。ただ、全文引用となると、ただでさえ僕の書く文章はまとまりがない長文なのに、収拾がつかなくなるので、どうか、元ページをご参照ください。もう数箇所、引用させていただく。

発症前の感染者がどんどんうつしているという話をする人も、そうしたデータを示していない。データがない中で誰がどういう根拠で決めているのかわからない。

以前、「把握率」は「把握できない」という話題を書いた。水面下にどの程度の感染者がいるのか。水面下である以上、データは示しようがない。ただ、「感染経路不明」の患者数がどの程度の比率でいるか、という数字から推測するしかないと思う。そして、「感染経路不明」がいる、ということは、過去のSARSなどの教訓から、Super Spreaderの存在は「想定」しておく必要がある、とも考える。

Super-spreaders in infectious diseases
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S1201971211000245

あらためて検査の目的は何かということを、はっきりさせてほしい。臨床(患者の治療)のためなのか、感染管理をしたいというのか、疫学調査をしたいというのか。

マスコミや、一般の方が騒いでいるのは、「コロナが怖いから、白黒はっきりさせて欲しい」だろうな。
私個人の考えとして、現実問題として、怖がりすぎだと思う。以下の部分は、私は完全に同意見。(切り貼り引用で、本当に申し訳ない。)

重要なのはマスクと換気。一般の人が着けているマスクは防御には不十分だが、ウイルスを人にうつさないという意味ではすごく効果がある。極端な話みんながマスクをしている状況なら怖いことは何にもない。

実際に、そんなに怖い状況じゃなかったのに、「恐怖に対する生理的反応」が強すぎて、「怖いから、念のため調べて」が少なくなかったんだろうという気がする。そこまで応じなければならないとしたら、検査の現場もたまったもんじゃないだろうから、お断りするケースも出てきた。そんな中で、実際には感染していたのに検査を受けられずに亡くなられた方の話題をマスコミが取り上げた。やはりここでも「感情的な反応」をしてしまうと、この方が指摘される「検査崩壊」に突っ走るリスクは、今現在も隣り合わせなんだろうと思う。

亡くなられた方のご家族の神経を逆撫するような表現になって、申し訳ない。臨床工学の学生の「国家試験合格率」の話題を学生に持ち出す際に、「僕らは、合格率87%とか、そういう数字で論じる。ただ、試験を受けた本人にとっては、合格したか、不合格だったか、100%か0%の現実がある訳だから、落ちた方には申し訳ないけれども、あくまでも僕らはその数字を目標にしている。」という話し方をした。致死率が2%とか3%とか、数字を論じる時、不幸にして亡くなられた方にとっては、「亡くなった」という事実しかない、100%の現実に直面されている訳だけれども、社会の大きな流れの中で考えた時には、とても冷たいようだけれども、やはり、2%とか3%とかいうのは、「小さい数字だ」と論じざるを得ないと考えます。神経を逆撫して申し訳ないけれども、致死率が2〜3%という現実に即した判断は、重要だという気がする。現実的な判断をしなければ、医療崩壊や、検査崩壊のリスクは、常にあると思う。

その上で、経済活動は再開させなければ、日本の社会システムそのものが危なくなる。

「みんながしっかり、マスクさえしていれば、それだけでかなり安心できる」という共通認識を持って、なんでもかんでも自粛ではなく、ポイントを押さえて、(例えば、ナイトクラブとか(すみません、僕は行ったことがないので報道だけに頼って中の状況を想像して書いていますが、)居酒屋とか、会話(つまり唾液)が飛び交う場所は、過去のような形態での再開は極めて難しいと思うけれど、)あ、マスクさえしていれば、これとこれは、全然心配ないんだ、という業種、業態からどんどんと「正常化」させていく必要があると思うし、”Stay Home”から「正しく恐れよう」と、そちらにシフトしていく必要があると思う。そのためには、セーフティネットが正常に機能していることが大前提になるし、十分な検査態勢を整えることも、絶対的な条件になってくると、理解している。
とにかく、「検査を受けられなかったから、対応が遅れて亡くなった」というケースは、ゼロに抑え込めるということが、一つの「目安」になるような気がする。

水がこぼれそうなコップがあったとする。その水がこぼれると、床にある高価な絨毯が台無しになる、と恐れて、床に防水シートを敷いたり、雑巾を用意したり、そうやってみんながパニックになっている状況を想像してみて欲しい。もし、水がこぼれそうなコップのすぐ下に受け皿を用意したら、それだけでかなり安心できるはずだと思う。その「コップのすぐ下の受け皿」の役割を果たしているのが、布製も含めたマスクであったり、フェイスシールドだ、と僕は思います。
みんながマスクをしていたなら、それで安心して、経済活動を再開すべきだと思う。そして、万が一こぼれてしまっても、床には防水シートもあるし、雑巾だって用意してあるし、それが、セーフティネットとしての、検査まで含めた「医療制度」なんだろうと、そんな気がしている。

相変わらずの長文だねぇ・・・。
ここまで読んで下さった方、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

再起動に向けて

今日は暑かった。いきなりの発汗で、まだ体温調整がうまくできていない感じだった。
ちょっと待て、汗からうつったりしない?

新型コロナの感染ルート 汗・尿・便からもうつるのか
https://news.yahoo.co.jp/articles/adf2d2676fb7cf6bd69adb13aa2f95c834385f94

「汗による感染は理論上、あり得ません」

良かった。「理論上」ではなく、データが欲しい気がするけど、理屈はわかる。データをとるのは、無駄な労力だろうな。

そのサイトからのリンクで、これがあった。

島田眞路山梨大学長、杉村太蔵氏の「日本の死者数は少ない」発言にピシャリ…「PCR検査しないでどうやって分かるんですか!」
https://news.yahoo.co.jp/articles/296247c3a2b72154e491a14a9a9356b1f42fc251

PCR検査には、いくつもボトルネックがあるみたいだ。
まず、検体採取。鼻の穴に綿棒を入れるのは、「医療行為」だから医者しかできない。それを厚生労働省は「歯科医師」にもできるように、特例で、なんちゃら。
だって、なぁ、お金をもらって耳垢掃除をする、ってのも、「医療行為」だから、家族など身内以外は医者しかやっちゃいけないんでしょ?これがボトルネックの一つだと言われても、釈然としない。じゃぁ、爪を切るのはどうなんだろう。床屋で鼻毛を切ってくれたりするのは?ハサミの先端が鼻の中に入った瞬間に、「医療行為」になるんだろうか?

PCR検査、ボタンを押せばそれで済むってのは間違いだと、臨床検査技師の方が何か書かれていた。これはなんとなく納得できる。ただ機械の台数を増やせばいい、訳じゃない、それもわかる。現場が大変だ、それも理解できる。
ただ、他の国でできることが、日本でできない理由がわからない。「政治」や「行政」が原因なんでしょうかね。つまり、「医療行為」の縄張りというか、管轄というか、既得権は手離したくない、とか。なぜ、せめて韓国程度の検査が実施できないのか、その理由が釈然とはしない。

せめて「コロナ対策の特例」として、1〜2日程度の「講習」を受けてもらって、検査の実施件数を増やす、ということはできないものか。「偽陽性」や「偽陰性」の問題があったとしても、「検査件数を大幅に増やします。その代わりに、ベテラン以外の人が機器を操作すると、偽陰性の発生確率が、大まかに何割増え、偽陽性の発生確率が大まかに何割程度増えますが、それでもいいですか?」と、それを承知してもらった上で、大幅に(このコロナ禍で、仕事にあぶれた人たちを)国が雇い入れる。
精度が落ちたとしても、逆に、検査できる人の数を大幅に増強できるなら、2箇所で検査をやって、結果が一致しないなら3回目をやるとか、精度をあげる方法はあると思う。「精度が低い技術」で「精度が高い結果を出す」時の常套手段。やはり、検査件数は増やすべきだ、という、「妥協しない」方の肩を持つべきなのかなぁ。

新型コロナウイルス蔓延が引き起こす「死因不明危機」(4月29日追記あり)
https://news.yahoo.co.jp/byline/enokieisuke/20200419-00174073/

感染不明の遺体 検査必要も対応できず 遺族に返されるケースも
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200426/k10012406511000.html

個人的な意見として、とにかく「経済」を回さないと、生活が困窮する人の数が激増する。行政による「手当」だけでは、長丁場は乗り切れない。ということは、今後も継続して「新規に感染が確認された人」が、常に一定数現れることを想定した上で、社会活動を再開せざるを得ないと思う。

ただ、検査件数を増やさない、増やせない、となると、この「原因不明の変死者数」が増加する、という形で、コロナ対策の「数字」は優秀だけれども、なぜか、変死者数が激増しました、ということになるんだろうか。
でも、それって、そんなに「悪いこと」なのかなぁ。原因がわからないってのは、気持ち悪いけれども、死は死であって、その事実が変わる訳じゃない。

なんとなく、モリ、カケ、を思い出した。うやむやにしてしまえば、いずれ世論は黙る。それでまた、自民党の圧勝。「検査」ってのは、「現実」を白日の元に晒す行為だから、安倍総理が一番嫌う分野の話、なので、「検査件数を増やすのは無理です」という専門家の意見に、全面的に乗っかっている、ということなんだろうか。
日本がいつの間にか「武器輸出可能な国」になった。そんなことは一向に気にしないのが、安倍支持層ですからねぇ。変死者は増えているけれど、コロナによる死者は抑えられています。「あぁ、そうなんだ。良かった良かった、安倍さん、すご〜い。」に、軟着陸しそうな気がしなくもない。
なんだか、異様に書くテンションが落ちた。もう、ずっと、長いこと安倍総理非難を展開していたけど、全然変わらないもの。私個人は、もう、安倍総理に噛みつくのに疲れたし、それでも安倍支持が減らないから、なんだか、どーでも良くなってるところもあって、「変死者が増えてもいいんじゃない?」なんていう気分は、実を言えば、結構ある。

もし、そうならなくて、きちんと検査しろという声が膨れてきて、それでも、医療の「縦割り」を頑固に守り抜こう、っていうことなら、申し訳ないけれども、医師も、臨床検査技師も、過労死覚悟で限界まで治療にあたり、検査件数を増やす、っていうことになるんだろうな。

まだ、ゴールデンウィークの結果は出ていないけれども、たぶん、第二波は来ると思う。それが小さいか大きいかはわからないけれども、たぶん、10日後くらいからまた、「新規感染者数」が増加に転じると思う。今日から、「経済活動の再開」に転じてきた。それをしなければ、この日本で餓死する人が出てくると思う。あるいは、食うに困っての犯罪など、今までの日本では考えられない水準での犯罪が増えてくるとも思う。「できるところから、経済活動再開」は不可避だという気がする。ただ、その副作用として、第二波の立ち上がりに被せるように、経済活動再開を原因とする増加が、今月下旬から加わるのも、避けがたい気がする。問題は、その大きさが、第一波より低く抑えられるか、どうか、じゃないか、という気がする。そうなった時に、クラスター追跡のためには、現状よりもさらに検査件数を増やす必要があり、増やせないなら「感染経路不明」が増えるだけ、という気もする。
安倍総理は気にしないと思うけど。なんでも、あやふやにして、誤魔化して済ませるなら細かく「調査」させない。それと同じで、検査しなければ、数字は小さいから。
でも、別にいいじゃん。既得権は手放したくないし、仕事が大変になるのも嫌だ。そういう気持ちも、すごくわかる。絶対に、「なるようにはなる」から(「知ってる人は誰でも知っている」と同じくらい、自明の理だ。)ごちゃごちゃと悩まなくたって、いいんじゃない?加えて言えば、致死率が高いのは高齢者と、持病がある人たち。もう、十分生きたとは、思えませんかね。

極めて個人的に、僕はもう、ほとんど思い残すことはないです。死を受け入れる、っていうのは大切なことだと思う。
餓死を避ける、コロナを避ける。生きるためにできる努力は、全力でやる。それでも、いつか必ず人は死ぬ訳だし。僕の肉体も、間違いなく死を迎えます。

高齢者の方で、ラジオなんかで時々聞く愚痴。あっちが痛い、こっちが痛い、歩くのが大変だから買い物にも行けない、生きていても面白くない。死にたい。そう言って愚痴る割には、コロナは怖い。次があるんだから、そんなに、あちこち痛くて生きているのが嫌なら、積極的にコロナに感染したら良かろうに。

Covid-19で死ぬなら、そんなに怖くないと思いますよ。限界を超えると一気に脳が酸欠になるから、酸欠になり始めたあたりはしばらく苦しいと思うけれど、何時間も続かずに、意識を保てなくなる、と思う。苦しさが抜けたあたりから、たぶん「眠気」に近い感じになると思う。そこから先は、自分ではもう動けない(意識がないんだから)から、ポックリと死ねる。
それが、癌とか、全身大火傷とか、大怪我とかだと、意識がはっきりしたまま激痛が何日も、場合によっては何年も続く。それに比べたら、こんな楽な死に方はない、そんな気もする。

看護師への差別、新潟県でも
https://www.niigata-nippo.co.jp/news/national/20200429540613.html

こういう時だから、人間の本性が明け透けになってくる。

町内の回覧板を届けたとき、隣人は指先でつまむようにして受け取り「ウイルスが怖いからこれからは来ないで。町内の会合にも来ないように、ご両親にも伝えなさい」と言い放った。

こういう人が、世間には大勢いると思うけれど、いいんじゃないですか?まさか自分がコロナに感染した時に、病院の世話になるつもりはないんだろうから、病院以外の場所に自己隔離して、静かにひっそりと「変死」したらいい。医療行為を受けなければ、さほど苦しまない、意識が落ちたらすぐに死ねると思います。癌よりは、ずっと楽だと思う。是非。

こういう一言、っていうのは、僕みたいな憎まれキャラじゃないと口にはできないとは思うけれども、僕だったらこういう。

「私は、医療職をやめるつもりはありません。もし、あなたが本気でそうお考えなら、あなたが新型コロナに感染しても、絶対に病院には来ないでください。」

いや、もっとうまい伝え方があるかなぁ。そう言えば、「伝え方」のノウハウを書いているサイトもあった。お知恵を拝借して、医療関係者を助けて欲しい。僕も、表現方法の勉強をしたい。

データ考

一応、僕の会社の名称:シグナリスは、英語表記のロゴでは Signalysis = Signal Analysis(信号解析)の 前半の Signa と後半の nalysisを繋いだもので、「信号解析」、「データ解析」は本業に近いかな、と思う。プロフェッショナルとして、これだけは一切譲歩したくないのはプログラミング、システムエンジニアリングだけれども、最近は(ってか、もう何十年もずっと)「最先端技術」に追いつくのに、ヒーヒー言ってる。還暦を過ぎて、「食えりゃいい」レベルで妥協しようよ、と思いつつ、やっぱり、「それは知りませんでした」とか「わかりません」って答えるのが、嫌なんだなぁ・・・。性格を変えないと、楽はできなさそうだ。

ちなみに、普通に読めば シグナリシスなのに、なぜシグナリスなのかは、あまり聞かれませんが、医療データの解析が本業だったのに、「社名が最後、シス=(死す)で終わる」のは嫌だな、と思ったから。だから、「後の方のシ(=死)を取った」というのが理由です。

あまり深く考えていなかったけれども、師匠の講演会に参加するようになって、「肉体の死」は「意識体の死」とは無縁で、意識体の方は、余程のことがない限り(余程っていうのは、ルシフェル(様)レベルの落ち方、)消されることはない、ということだろうか。(すみません、サタンが消されるのは、まだみたいです。ルシフェル様の意識体が消される時期の話は、聞いていますが、それは書かない。でも、どうしてこう、いつもいつも、話が本題から逸れるんだろうか。僕の悪い癖だ。)とにかく、肉体の死は、意識体の死ではないと、私は理解したし、感じてもいるし、そうした意味では、「後の方のシ(=死)」は、自分の中では取れたな、と思う。この社名で良かった。(最大の課題は、ビジネスとして存続させることでしょ!? –> 自分)

相変わらず、話の枕が長い。(今日は、この程度で済んだか。多少は成長したか?もっと成長しろよ –> 自分)

内村先生のFacebook のタイムライン
https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3113921838688530?notif_id=1589003469447767

「コメント欄も含めて読みたい」とあったので読んだ。(一旦、Facebookでシェアしたんだけれども、コメント欄まで含めたシェアができていなかったので、Facebookの方でのシェアは、諦めた。ただ、「公開」だから、こちらで引用できれば、それで十分かと思った。)

一つ話題を挟む。臨床工学の学生に、国家試験対策で(ボランティアだなぁ)2月の定期試験後の休講期間中に、直前補講をやっていた時、参加した学生から質問があった。どの数字だったか忘れたけれども、昨今話題の呼吸器系で重ねると、こんな感じの話題。
「先生、この、I型呼吸不全(酸素化障害)の判定基準なんですが、PaO2が60mmHg以下で、こっちの本で見ると等号が入っているんですけど、こっちの本で見ると、等号がない不等号で、等号が入るんでしょうか、入らないんでしょうか。」という感じの質問。
僕の答え。
「あのね、60mmHgっていう数字は、あくまで目安で、区切りのいい数字でしょ!?生体データっていうのは、個人差が大きいから、工業製品なんかと違って、『これが判定基準だ』なんていう決定的な数字はないんですよ。あくまでも、『このレベルまで落ちたら、呼吸不全という診断にしましょう』という目安として出している訳だから、そこに、等号があるか、ないかなんて、全然問題じゃないし、その等号の有無を聞いてくる問題を作るような馬鹿な医者はいないと思うから、とにかく、等号なんか気にせずに、60mmHgという数字だけ、しっかり覚えればいいから。等号の有無なんか、気にしないで構わないと思いますよ。」確か、こんな感じだった。
念のため、もう一度書けば、その時の質問は呼吸不全の判断基準ではなかった。何か思い出せないから、思い出せないと書けないので、呼吸不全を引き合いに出しただけです。

さらに言えば、アシドーシスとアルカローシスの基準、正常範囲は 7.35<pH<7.45 であって、 7.35以下はアシドーシス、7.45以上はアルカローシスだけれども、これも、本によって等号があったり、なかったりする。なんていう以上に、7.4 ± 0.5 っていう数字自体が、区切りが良すぎると思いませんか?世界中の「健康と思われる」全ての人間の血液データを採取して、平均したら、きっと、例えば、(かなり適当に書きますが、)7.3905812 ± 0.41523(2σ) だとかなんだとか、もっと「区切りの悪い数字」が出てくるはず、だと思うけれども、そもそもが、生体データっていうのは工業製品と違って、バラツキが多すぎるから、相当にデータ数を増やしても絞り込めない。その「全ての人間」のデータを取ることが可能だとしたって、今年は 7.3905812 だったけれど、去年は 7.4205166だった、とか、そもそもが日内変動だってあるデータだから、細かくすること自体にあまり意味がないような気がする。ただ大切なことは「目安」を定めること、だと思う。数字には、それ以上の意味がない、と僕は思っている。
ただ、それなのに、「診療点数」の請求で、等号の有無にこだわる方々がいらっしゃるから、また学校現場でも、等号の有無で○×を判定するような問題を作る先生がいて、そうした教育を受けているから、学生がこういうのを気にするように育っちゃうんだろうけれども。

最近のわかりやすい例として言えば、「6月1日、緊急事態宣言解除説」の、その6月1日という日程は、どこから出て来たの、という話題。「区切りがいいからでしょ」って、正しくそれだと思う。あれね。4月1日に「新年度が始まる」っていうのと、全く同じ。単に区切りがいいから。それ以上の意味のない数字とか日付。(追補:物理学中心の「境界条件」の話題は除く。)

話を戻す。僕自身のPCR検査についての見解?

1月、2月、3月と、とにかく検査件数を増やせ、と書いた。だって、統計的な扱いができないほど少ない数字だったから。でも、4月はそれ程強くは書いていないか、もしかしたら書いていない。5月も、あえてPCR検査に言及したのは、このページが初めてかな?時間が経過して、その「時間軸」に添ってのデータが出ている。検査件数の不備は、マクロにはカバーできる状況だという気がする。

トレードオフという考え方がある。僕がこの「トレードオフ」なる単語を最初に聞いたのは、社会人1年目、住友電工での直属の上司だったK主任研究員からだった。この単語を知らない方は、「トレードオフ」でググって下さい。このページで言いたいことはただ一つ。件数を増やすことができない「現実的な要因」があるのならば、ある程度の妥協はやむを得ないし、与えられた条件の中で最適な判断を下せるように模索すべきだと思う。

PCR検査の「数字が信用できない」それは確かだけれども、内村先生のFacebookのシェアに対するコメントで「偽陰性」の患者に対するイギリスの医師の話題が掲載されていた。日本だったら、これは「門前払い」か?数字は数字でしかない。現場の判断は、少なくとも医療現場なら、医師に委ねるしかない。それを数字とか、「陰性か陽性か」で縛る。制度的な問題の本質は、ここにありそうな気がする。「患者を救う」ことが至上命題ならば、そのために最善と思われる医師の判断を優先して、それを容認する制度が必要だ、と僕は思う。

逆に、ここで日本医師会に、あるいは厚生労働省に喧嘩を売るなら、「医師」は医療現場では「オールマイティ」で、全ての医療行為を行うことが「医師」には許されている。その他の「医療職」は、薬剤師であれ、看護師であれ、臨床検査技師であれ、臨床工学技士であれ、診療放射線技師であれ(すみません、すぐに思いつかないので、以下省略とさせていただきますが、)大半の「関連法規」を読むと、「医師の指示の下に、これを行う」というのが記載されている。
東京一極集中と同じで、あまりにも、「医者」と「それ以外」を切り離し過ぎている気がする。だから、検体採取は医者しかできないってか?アホかと思った。なぜ、そこまで「現場」の他のスタッフを信頼できない制度を作る?

法律でも同じことが言えそうだ。「弁護士」資格は、法律に関してはオールマイティ。「司法書士」だとか「行政書士」だとか、「不動産・・・」(以下省略)とかは、極めて限られた法律行為に限定されている。それなのに、弁護士だけはオールマイティ。

ここでまた話題が飛ぶのが、僕の悪い癖ですが・・・例えば、耳掻き。
親が耳掻きを持って、子供の耳糞を掃除してあげる。これは、法令違反にはならない。けれども、「耳垢掃除します」なる看板を掲げて、家族ではない他人の耳糞を掃除してあげると、これは「法律違反」になる。なぜならば、他人の耳の穴に綿棒とか、耳掻きを突っ込むのは、「医療行為」になるから。アホとしか思えない法律だと思うけれども、これが現実。当然、誰かの鼻の穴の中に綿棒を入れて、その「掻き取り方」とかにノウハウはあるにしたって、そんなもん、ちょっと練習したらかなりの人にできそうな気がするのに、耳糞彫りと一緒で、医師免許が必要なんでしょ?(理解が間違っていたら、ごめんなさい。)臨床検査技師も、できない、のかなぁ。法令改正で、数年前に臨床工学技士の「気道吸引」が、できるようになった。現場の声が上がると、その都度、それに押されて法令改正をする。後手後手すぎる。もっと大胆に、法律を見直す必要があると思う。要するに、「医者」だけでは手が足りないから、この程度の仕事は「他の誰かが手伝ってよ」っていう感じになると、その都度、その部分だけ法律を見直す。それが日本医師会とか、厚生労働省の基本姿勢でしょ?

その挙句に、医療現場では、とにかく「医師」だけにかなりの負担がかかる。検体採取が「医者」にしか出来ないから、検査件数が増やせない。「これ以上、検査件数を増やすな!」それはそもそも、そういう法律を護持してきた、日本医師会とか、厚生労働省に根本的な責任があるような気がする。そうやって「医者」の「権利」を守ってきたんだから、過労死しようが何しようが、「医者」が、その「権利」に付随する「責任」を果たせ、という主張も、展開しようと思うなら、できる気がする。(しないけど。)

「文鎮型組織」なんていう言葉を聞いたことがある。書道の「文鎮」は、日本人には通じますよね?「つまみ」がある以外は、重みが横一線に均等に分散している。つまり、「社長」とか「学長」だけに権限があって、それ以下は、部長とか学部長だろうが、平社員、下っ端の教員まで、全員が横並び。そういう組織のこと。案外、「医療現場」はその「文鎮型組織」じゃないかとも思う。つまり、何があろうが、責任を取るのはその頂点にいる、社長、学長、医者、などなどだけでしかあり得ない、そういう組織のことだと、僕は理解している。権限を委譲しないなら、全部責任をとれ、過労死しようが何しようが、PCR検査を増やせ、そういう論法も、展開しようと思うなら、できそうだな。

相当に、論点が逸れた。

時々、元大阪府知事の橋下さんをテレビで見かける。「これは、政治が決めるべき問題だ」と、正しくそうだと思う。だって、細かい数字なんて、現実問題としてあまり意味はないんだもの。「指標」とか「目安」レベルでの判断しかできない現実がある以上、その枠の中での「決断」だって、あながち誤りとは言い難い気がする。

前に、全文無断引用したページの一節。

(※大規模検査が必要ない理由に関しては、調べていただければ感染症や公衆衛生の専門家の方々の意見などたくさん出てきます)

公衆衛生の専門家、っていうことは、当然、統計にも詳しいはず。特に、医療に特化しているならば、工業製品ではない、ヒトのデータの扱いにも慣れていらっしゃるはず。「今使える指標」だけで、とにかく「感染が、どういう状況で起きると言えるか」という、数字ではないメカニズムの方により着目して、決断しなければ、日本経済そのものが、かなり危ないと思う。日本経済が危なくなれば、医療現場の防護具も、薬も、ディスポの医療機材も、現場では手に入らなくなる。マクロな判断が必要だと、僕は思う。WHOの危惧は、それはそれとして、日本は日本の現場に則した判断をすべきだ。

データは、間違いなく必要だと思う。ただし、現実問題として得られるデータが限られている現状で判断しなければならない場合もあると思う。その原因に「制度」があろうが、「誰かの傲慢」があろうが、そんなことは関係ない。はっきりしているのは、「これだけのデータしか使えない」という現実だと思う。
そこから先に必要なのは、「政治的な判断」かも知れないし、もっと「データ」の下に潜む「潜在的な要因」を洗い出して、定性的な分析を徹底的に進める専門家の知恵、かも知れない。

マスク忘れた

ここんところ、連日、新しいテクニックを試して、「雛形」を書いている。最後の詰めが思い通りに行かなくて、「あ、店が閉まる」と思って、ドラッグストアに駆け込んだ。(ってか、移動は車だけど。)店に入る直前に、気付いた。マスクをつけるのを忘れた。

なんで気付いたか。お店の入り口に、「本日、マスクはありません。入荷時期未定」と、でっかい字で書いてあったから。気付いたと同時に、閃いた。何か言われたら、「すみません、マスクも買おうと思って来たんですけど・・・」って答えよう。

すっごい違和感。周囲の人はみんな(と言っても、時間帯の都合で数名だけど)、マスクをしている。俺も、ちょっと前に何か書いたよなぁ。「あの人たち、マスクをしていない」って、このブログで文句を書いた。ブーメランが帰って来た。やっちまった。大丈夫、僕は感染していません、なんて、言い訳にもならない。誰も聞く耳を持ってくれないだろなぁ・・・。

ただ、僕の体じゃウイルスは増殖しないし、誰にも感染させないと思います。嘘だと思うなら、いつだって人体実験に体を提供します。新型コロナウイルスを僕の粘膜にこすりつけてみて下さいな。それで経過観察してみたら?いつでもどうぞ。ちょっとしたことで、誰でもなれる「特異体質」。ただ、説明したって世間には通じないから、とにかく、マスクは忘れないようにします。見た目が大事。(僕の、インフルエンザ・ワクチンの摂取記録を見てもらったら、すぐにわかると思うんだけど、直接的な証拠にはならないな。大学教員時代、実習も担当していたから、結構な人数とかなりの至近距離で仕事をしていたけれど。どうでもいいや。)

で、ドライブがてらの買い物から戻って、修正かけたら、思い通りに動作した。若干予定時間はオーバーしたけれど、今日の課題はクリア!

ようやっと、Python / Djangoで、C言語、Basic、PHP、Java、Rubyなんかと同じ程度に、イメージしたらかなり思い通りに動かせるようになって来た。1年かかっちゃったかなぁ。

感想は、たった一言。老けた。(ただ、忘れっぽいのは、昔から。)
ついでに言えば、思い通りに動くようになって来て、Python / Djangoを使っての仕事そのものへのテンションも、少し高くなって来た。
自然言語なんかでも、通じるようになると、話すのが楽しくなってくる。自分でも、単純なメンタリティをしてるな、とは思う。

Long Life Milk

WebP導入の愚痴を書いた後、コーヒーを飲んでいたら、唐突にあることを思い出した。Long Life Milk

パプアニューギニアの、電気の通っていない山間部の村落でも、小さな「売店」はあって、缶詰やタバコ(タバコはないこともある)、そして、お店によっては Long Life Milkを置いていた。無論、NesCafeや、お米。一番人気はMiloだったかなぁ。電気のない山奥で、牛乳が飲めるって、すごいと思った。

Long Life Milkは、味も見た目も、ほぼ普通の牛乳。(味覚音痴と言われたくないから、ほぼ、と書いたけれど、効き牛乳をされたら、僕にはたぶん違いがわからない。)記憶があやふやだけれども、賞味期限が1年近く(1年以上?)あったように覚えている。

https://www.dairy.com.au/products/milk/long-life-milk

牛乳を、廃棄処分にするとか、しないとか。これもやはり「設備投資」は必要になっちゃうんだろうし、僕の思いつくことって、設備投資が必要なことばっかり。役に立たないアイディアばかり出している気はするけれど、こういう選択肢もないかな、と思った。
もし、牛乳のパッキングの製造ラインで、温度や時間を調節するだけで「Long Life」にできるとしたら、1週間くらいの突貫工事で対応して、官公庁も緊急検討して、「産業保護」の視点で「特例承認」とか、できないもんでしょうかね?ただ、日本の場合には、最大のボトルネックは「消費マインド」かなぁ。「生鮮」でないだけで、買わなかったりするかも知れない。それならば、1割程度安くする、とか、何か付加価値をつけるとか・・・

使えないアイディアばかりで、すみません。枯れ木も山の賑わいですから。(この使い方、間違ってないよな。)

それにしても、仕事中に突然訳のわからないアイディアを思いつくのって、勘弁して欲しい気がする。集中力のねぇ奴。

WebP(ウェッピー; weppy)

WebP。2010年にGoogleが提唱。高圧縮効率の画像フォーマット。

へぇー。(今更、へぇーって、お前、それでもプログラマのつもりか・・・)
だって、知らなかったんだもん。初めて見かけた。

使わなきゃ、ならなくなったみたい。
それはいいとして、僕が使っているツール群、どれ一つとして、WebPに対応していない。今更、環境構築のやり直しか?

やれやれ

WebCamera + OpenCV / Zoom

過去2回ほど、英文の「脅迫メール」で、「お前のコンピュータのカメラを、私はハックして、お前の画像を取得した。お前のWEBアクセス履歴や住所録も、抜き取らせてもらった。いつでも外に晒せるぞ。それが嫌なら、ビットコインで、いくらいくら支払え」というメールを受け取ったことがある。

一度だけ、突然Windows PCの電源が、ネットブートで立ち上がる現場に居合わせて、かなり焦ったことがあった。というのは、レンタルサーバをやめて、社内LANに繋がったWindows機をサーバにして、会社のページをそこに移そうかと、試行錯誤したことがあって、その時にルータのポートに穴を開けたことがあって、そのまんまにしていた。慌てて閉じた。スキャンして、侵入されたかも知れない。一度居合わせたけれども、それ以前にもアクセスされていた可能性は皆無ではない気がする。

ただ、実を言えば、windows機は作りかけ、あるいは、納入前のアプリの動作確認用にしか使っていなくて、カメラがついていないどころか、個人情報さえ全く入っていない。だから、冒頭の脅迫メールも、アホか、と思ったから無視していた。

今回、Zoomで、カメラ画像を外部に流した。クライアントはZoomアプリで動作させているけれども、基本はリモートからの切り替えも可能な構造になっているみたいだ。どうなってるんだろう、というか、どうやってるんだろうと思って、OpenCV / Pythonで、Streamingのアプリをネットから落として、動作確認してみた。「クライアント」と言いつつ、ミュートの切り替えとか、画像を流す、流さないなどは、ローカルにインストールしたZoomアプリでやってるんですね。

PyCharm の Terminalからサーバを立ち上げると、OpenCV の cv2.VideoCapture(0)ではエラーは出ないものの、カメラのアクセスランプが点灯せず、readでエラーが出ちゃって動作しない。ちょっとググったら、今日はすぐに原因がわかった。Macの ターミナル.appからのアクセスなら、Mac OSから「ターミナルからのカメラへのアクセスを許可しますか?」の確認の表示が現れて、一発で動いた。システム環境設定を見ると、Zoomアプリと、ターミナルアプリには、カメラへのアクセス許可がOKになっている。アップされていたサンプルプログラムが、単純明瞭で、ダウンストリームだけなら、サーバとして画像を流すまで確認するのに、作業開始から40分かからなかった。Intel の OpenCVは、秀逸だ!

ポイントはここ。Mac OSがカメラへのアクセスを許可しているのは、Zoomアプリ(僕がOKしたから)と、ターミナルアプリだけであって、bashにはアクセス許可を出していない。ターミナルからのアクセスがOKでも、仮に、僕のMacのファイアウォールが破られて、リモートログイン(許可していないけど)された、としても、カメラにはアクセスできないし、「書類」フォルダにもアクセスできない。こまめにOSをアップデートしたけれども、よく考えてられて作られているよな、と思った。

Windows 機については、調べていないのでわかりません。お客さんに聞かれたとして、お金になる話だったら調べ上げてきちんとお答えするとか、思うし、自信を持って知っている知識は出し惜しみしないけれど、知らないから書けない。今は書かないし、調べる気もない。

LINUXをプライベートのデータ管理に使っている、なんていうのは、プロだけじゃないかという気がする。LINUXは、少なくとも、Mac OSと同程度にセキュリティ強化できるけれど、一般の方はまず使っていないだろうな。Windowsについては、わからないのでノーコメント。

いずれにせよ、Zoomとかの会議システムを入れても、Mac OSの場合には、ハッカーを名乗る脅迫メールは「単なるハッタリだな」と簡単に片付けて、全く支障がないなと、一応、プログラミングの立場から確認してみました。


追補: 今、すごい勢いで Zoom とか使われている気がする。アプリが動いている状態だと、サーバ側のエミュレータには反応するかも知れない。じっくり考えて、あれこれ試さないと(その気はないけど、)乗っ取り方はすぐにはわからないけれど、リモート会議のアプリは、使わない時は確実に「動作停止」させておかないと、ちょっと危険があるような気はした。

Facebookから

高校時代の友人 F が (リンクを貼った時点で名前が出ちゃうな・・・イニシャルにする意味あるのかなぁ・・・、)この記事をシェアしていた。原発問題の取材を受けた東大の先生も、NHKの編集に憤慨されていた。マスコミの取材は、編集によって「発言内容」が化ける。このS医師、Fとのつながりで、なんだか面識があるような気がしてならないんだけれど、どこでどういう形で会ったか全く思い出せない・・・

https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=1235390466813097&id=100010264668180

閲覧範囲が「友達の友達」:彼の悲しみは、僕の悲しみ。このページの最下部に、全文無断引用します。クレームがついたら消します。

こちらは、いいニュース。内村先生から。シムデシビルはアメリカで使えばいい。日本ではイベルメクチンを使えばいいのでは?

それにしても、抗寄生虫薬がウイルスに効果がある、とは・・・。自分の持っている「常識」なるものが、いかにいい加減か、思い知る。黙ろうよ(→自分)。

元東北大の柳澤先生からの情報。大村先生がノーベル賞を取られた抗寄生虫薬です。ほとんど副作用なしで世界で使われているはずです。国立国際医療研究センターの岡崎先生からイベルメクチンの有効性の論文を教えていただきました。図を見てください。圧…

内村 直之さんの投稿 2020年5月6日水曜日


本日テレビ朝日の朝のニュース番組グッド!モーニングで私がコロナウイルス診療に関してインタビューされたものが放送されました。

昨日の朝、テレビ朝日の方から取材の依頼が来て、夕方にzoomを用いたリモートでの取材という形で依頼を受けました。

取材の依頼内容としましては、コロナウイルスへのヨーロッパ と日本の対応に関して現場の生の声を聞きたいとのことでしたので、専門家でないので一医療従事者の声としてしか答えられませんとお断りした上で取材に応じさせていただきました。

が、編集で取材内容とはかなり異なった報道をされてしまい、放送を見て正直愕然としました。

取材では、ヨーロッパ での感染状況に関して、私がベルギーから日本に戻ってきてコロナウイルスに関する診療をするに至った経緯、帰国時に感じた日本の診療体制に関する率直な意見、また日本で再度働き始めて1ヶ月ほど経って現場はどう変わったか、現在の現場の様子、日本のPCR検査への対応に関して、現在医療現場で必要とされているもの、最後に一言、という感じで40分程度質問に答える形で進んでいきました。

その中でも、PCR検査に関してはこれから検査数をどんどん増やすべきだというコメントが欲しかったようで繰り返しコメントを求められましたが、私は今の段階でPCR検査をいたずらに増やそうとするのは得策ではないとその都度コメントさせていただきました。

確かに潤沢な検査をこなせる体制というのは本当に必要な方に対してはもちろん必要です。
ただ、無作為な大規模検査は現場としては全く必要としていない事をコメントさせていただきましたが完全にカットされていましました。
(※大規模検査が必要ない理由に関しては、調べていただければ感染症や公衆衛生の専門家の方々の意見などたくさん出てきます)

カットだけならまだいいのですが、僕がヨーロッパ 帰りということで、欧州でのPCR検査は日本よりかなり多い(日本はかなり遅れている)といった論調のなかで僕のインタビュー映像が使用されて次のコメンテーターの方の映像に変わっていき、だからPCR検査を大至急増やすべきだ!というメッセージの一部として僕の映像が編集され真逆の意見として見えるように放送されてしまいとても悲しくなりました。

また、現場の生の声として、物資の手配と医療従事者への金銭面や精神面での補助に関しても強調してコメントさせていただきましたがそちらも全てカットされてしまいました。

物資の手配に関してはたくさんのコメンテーターの方が繰り返し言っているのでまだいいのですが、最前線への医療従事者の方には危険手当のような補助がないと続かないということは強く言わせてもらったつもりです。

家族などへウイルス感染を持ち込んでしまうことを恐れて1人病院に泊まったり、病院の近くにホテルやマンションを借りて自主的に隔離をしているスタッフも知っています(もちろん自腹です)。

愛する家族子供とも会えずに、身体的精神的な負担だけでも計り知れないのに、金銭面な負担までのし掛かるのは本当に残酷でしかありません。

医療者のプロフェッショナルとしての気概だけで現場を回すのには限界があると思い、そういった部分に行政などからサポートを入れて欲しいと強くコメントさせていただきましたが、全てカットになってしまい本当に悲しい限りです。

忙しい最前線の医療スタッフは取材に応じる時間も気持ちの余裕も全くないです。
僕はたまたま非常勤として働いており時間があったので現場の生の声を多くの方に知ってもらえればと思い取材に応じさせてもらいましたが、実際には生の声すら全く届けることは出来ず不甲斐ない気持ちです。

メディアの強い論調は視聴者に強く響き不安を煽ります。
情報が過剰な現在で、どうか正しい知識と情報がみなさんに行き渡って欲しいと切に思いました。

正しく伝えるって難しいですね、、、。

出荷量調整

すぐに対応できる話題じゃない、とは思うけれど。

僕は、「半額」シール漁り。ずいぶん前に、ウエルシアの半額ワゴンに「超濃厚 バター醤油ふりかけ」っていうのがあって、それを買った。かなり良かったけれども、商品棚にはないんだなぁ・・・。味はしっかりとバターだし。

フリーズドライ製法、っていう奴だろうか。あまり見かけない、って言えば、「野菜チップス」で、これも、随分昔書いた記憶がある。廃棄する野菜を廃棄しないで、全部、フリーズドライというか、ポテトチップスみたいな、というか、乾燥保存の技術で全部保存できるようにしちゃう。
新ジャンルにならないかなぁ。本当に、どうにもならないのだけ、コンポストとかで処理して「肥料」にする。あるいは、「煮込み」の材料にして、その出汁をさらにフリーズドライにして、流通させちゃう。

今朝、っていうか、日付が変わったから昨日だけど、朝テレビでみたニュースで(あ、時系列の記憶が狂ってる。昨日でもなかったかも知れない・・・)学校給食が「停止」になって、牛乳の処分に困っていると。こういった、「液体」の食品を、乾燥食材にする技術、とかって、ないもんだろうか。果実のジュースもそうだし、「見た目」にこだわる大都市圏の消費者は、見かけのきれいなものしか買わない傾向があるみたいで(案外、決めつけのような気もするけど、)そうでない部分を、生産地の農協の直売所なんかで売るだけじゃなくて、乾燥食材として全部加工して、一切生産現場での「廃棄ロス」がないように、できないものかなぁ。

牛乳やヨーグルトを、普段の2倍買いましょう、そうして、生産農家を助けましょう。その気持ちはわかるけど、(僕の好みは、ヨーグルト系だけど、)普段の2倍なんて、飲めないもの。別に、牛乳を飲んでお腹を下す、なんてことは僕はない。けれど、さすがに2倍飲んだら、どうなるかわからない。

何か、牛乳だけは「乾燥製法」が使えない、根本的な理由があるのかなぁ。最近、安い「乾燥青汁」のスティックが出回っているけれど、あんな感じで、スティック一袋を水に溶けば、2倍濃縮の牛乳、コップ1杯分になります、みたいな奴、作れたらいいのに。保存期間が、きっと、二桁か三桁上がると思う。乳幼児用の「粉ミルク」なんてのは、製法が違うのかなぁ。

牛乳を保存できるように加工するなんてことは、昔から誰もが考えていたのかも知れない。すみません、「なぜ今、それがないか」を調べずに、書いてます。知らないから、考えようがないので、この話題、これで終わり。以上。

フェイスガード

一応、私がイメージしているフェイスガードは、こちら ↓ です。

こちら ↓ では、ありません。これでサングラスをつけていたら、ちょっと目的が違う気がする。
https://www.monotaro.com/p/4195/6164

無論、これ ↓ でもないし。

https://product.rakuten.co.jp/product/-/2a838810137f419b5c6586545904f42e

ググったら、結構な勢いで「手作り フェースガード/フェースシールド」のページがあった。

ただ、私個人の考えとしては、感染者が職場に一人いたとして、その人がマスクをせずにおしゃべりとかしていたなら、「エアロゾル化した飛沫で、ウイルスが3時間程度は生き続ける」と仮定したなら、フェースガード+マスクでも感染は防ぎ切れないと思う。全員がマスクを着用していたなら、仮に誰かが感染していたとしても、感染する確率はかなり下がるとも思う。フェースガードで効果があるのは、たまたま目の前にいる人が感染者で、その人がマスクをしていないような場合、だけ、なんじゃないかなぁ・・・なんて思ってしまうのだが。理屈の上では、というだけで、検証してみないと、わからないけれど。

マスクと同じで、私が思うに、一番「役に立つ」のは、万が一自分が感染していたとしても、他人に感染させないための道具、として、だと思う。ただ、「自分のため」じゃなく、「他人のため」と思った途端に、みんなつけなくなったりして・・・(それだと、いつまで経っても経済活動自粛だと思う。)

僕が思うのは、とにかく、レストランとか外食産業で、「食事しながらおしゃべりできるフェースガード」が作れないか、と。食事中などは、マスクはできない。それでも、食事しやすいフェースガードがあれば、万が一、どちらかが感染していたとしても、一定量の飛沫がブロックできて、やはり、感染確率はかなり下げられる気がする。
もし、ある程度効果があるならば、外食店で来店者に、手指の消毒をしてもらった後、フェースガードを貸し出して(使い捨てじゃないんかい・・・)食事中にはフェースガードをしてもらうと。それで感染確率を下げて、なんとか「通常営業」に戻せないか、なんてことを思う。
普通の状態だと、こんなものをつけての食事なんておかしいかも知れないけれど、お店の存続がかかっているとしたなら、客につけてもらっても、みなさん納得するんじゃないか、という気がするんだが。

観光地なんかでも、使えるかもしれない。無言のまま、黙々と観光地を歩く、なんて、何のための観光だか、よくわからなくなる。
こういうのをつけて、感染を防いで、屋外空間なら、多少は人で溢れていても、それほど他人の飛沫を気にしなくて済む、としたなら、観光業の再起動にも役に立つんじゃないか、とも思う。

あるいは、野球とかサッカーなんかの屋外競技。高校総体が中止になったんでしたっけ?座席の間隔を開けて、フェースガードをつけてもらって、それでクラスターの発生がなければ、効果を実証したことに・・・なるかなぁ、ならないかなぁ。
どこかの屋外でやるスポーツ団体、博打を打って、フェースガード貸し出しか何かで、観客を受け入れての競技を再開してみません?もし、クラスターが発生しても、あたしゃ、責任なんか、とりようがありませんが。

他にも、いろんな業種で「通常営業再開」に向けて、何か対策はないか、なんて思う。

例えば、ライブハウスなんかでも、観客全員にこれ ↓ で参加してもらうことで、再開するとか・・・

マスク

医療現場の場合には、患者の誰がどんな感染源になるか、見極めることができるまで、油断できないから、「マスクの表面に、感染源が付着している」ことを意識する必要がある。医療関係者のこの発想は、間違いないと思うけど、我々が生活している中での、我々が手に入れることのできるマスクでは、そもそもマスクのグレードが違うから、マスクに関する説明には、間違いが多いと思う。

主題は、これじゃない。言いたいことは、ただ一つ。

「自分を守るため」ではなく、「他人を守るため」に、自分自身がなんらかの行動(マスクを装着するなど)を起こさない限り、自分の生活を守れない、っていうことだろうか。

意識が「他人を守る」ことに向かないならば、自分の生命も財産も、危うくなる。

こんなに分かりやい「実践l課題」はないかも。

分散

一体、いつから東京や大阪に人が集まり始めたんだろうか。なんて話はどうでもいい。

結果的に、(聞いた話では、)全国各地の食材、例えば海産物などは、とにかく一旦築地に送られ、そこから地方に再び送られる、なんていう流れがあったらしい。情報の流れもそうだし、道路ですら、今でこそ「環状道路」が整備されつつあるけれども、とにかく一旦都心に入らないと埼玉から神奈川に行けない、そんな状況だった。

結局、「築地」っていうか今は豊洲か、「日本の台所」が一ヶ所であるのはおかしい。例えば、札幌、仙台、東京、(もしかしたら、新潟)、金沢、名古屋、大阪、(中国/四国のそれぞれどこか。詳しくないので、ごめんなさい、)福岡などに「豊洲」に匹敵する食料品の集散地を作り、もし、「一旦東京に集めて」なんていうモノの流れがあったとしたなら、そうした集積地にを分散して、集中させる(分散して、集中、って、なんだか変だけど)そういう拠点が必要じゃないかと、思う。既にあるかも知れないけれども、より「豊洲」の機能を肩代わりさせて、物流の流れを最適化すべきじゃないか、なんていう気がする。
もし、そうした「拠点整備」が必要になれば、そうした地方の「中核都市」の雇用は拡大すると思う。大勢の人が必要になる。

地方の受け入れキャパ。案外、高齢化なんかで「廃屋化」している家とかもあるかも知れない。使えるなら「整備」するとか、老朽化しすぎていて取り壊すしかないなら、権利を地方自治体なんかで買い上げて、新築にして貸し出す、あるいは、その「買い上げて貸し出す」こと自体が、一つのビジネスになって、地方での人の受け入れキャパを増やすかも知れない。それは、とんでもないど田舎でも、同じことが言えると思う。一次産業の再生。
加えて、カーシェアとか、自動車が「財産」ではなく「機能」になって来た気がする。だとしたら、住宅だって同じように「機能」として使えるような、シェアハウスとはちょっとニュアンスが違うけれども、「家族」が今までの持ち家や借家なんかと同じようにプライバシーを保持したまま、簡単に引越しできるような形で住める住宅供給、なんていうのもアリじゃないか、という気がする。特に地方は、そうした形で都会から人を還流させて、受け入れる流れが、できてくるような気もする。

例えば、基本テレワークで、全員が会社に集まるのは、月に2回、とか、そんな感じだとしたら、「本社事務所」自体はかなりコンパクトで、集まる時だけ「会場」をどこかに借りたり、そういうケースも出てくるんじゃなかろうか。

電力消費。とにかく、首都圏に電力を集めていた。「工業地帯」もそうだけれど、魚や野菜と同様に、電力も「地方」で作って大都市圏に送る、特に原子力発電なんかはそうだったと思う。(原子力が本当に安全なら、なぜ、人口の比較的少ない地域に作ろうとするのか、不思議だ・・・、いや、不思議じゃないけど。どこかに嘘がある。とにかく、)電力ですら、地方で作って、大都市圏に集める。電力っていうのは、「送電」するだけでかなりのエネルギーのロスがありますからね。電力自体も東京に集めるだけで、無駄があったと思う。青森で取れたマグロを一旦東京に送り、そこで買い付けて、秋田あたりに送る、なんて無駄。エネルギーロス。電力を東京に集めるだけで、それに近いロスがあったと思う。

電力の消費地を全国に分散させられるなら、風力や太陽光発電のような「小規模発電」をグリッドで管理して、エネルギーの地産地消をやりやすくなる。加えて、「送電」によるロスが減少するから、それだけでも環境負荷が小さくなる。(スマートグリッド、で検索)経済産業省、既得権から一切そういう方法を認めない人たちがいるんだろうな。

そうして考えると、地方で「人を受け入れる」体勢が整えば、新しい雇用も、相当な規模で創出できる気がする。

新幹線。1車両に数人なんてケースがかなりあったみたいだ。昨年の台風19号で、北陸新幹線の車両がかなり水没したらしい。新規の発注なんかしないで、(車両会社の方ごめんなさい、)他の新幹線から車両を回したら?なんとか新幹線は○×系、なんて、こだわる必要があるのか?JRにとって、新幹線、特に、東海道山陽新幹線は、稼ぎ頭だったみたいだけど。
本来なら、地方の在来線の利用率が高まるような「政策」で、経済活動による「環境負荷」の軽減、というか、日本経済の「機能分散」を進めるべきだったんじゃないか、と僕は思う。徒花。

すみません、今日は、結構仕事が捗った。ちょっと疲れて、言葉を端折りすぎてるから、読み返して、途中が抜けて、飛躍しすぎているみたいに読めるけど、加筆修正はしません。別に、(師匠の講演会の話題には一切触れていないから、)伝わらなくても、全然構わない。これは僕自身の主義主張。
電力のスマートグリッドも、人の流れも、物流も、全て同じ発想で、「拠点分散」を行うことで、コロナの感染リスクを抑えた上で、経済活動の回復を図れるような気がする。今までのような、東京一極集中に戻そうとしたなら、とんでもない愚策だと思う。コロナのお陰で、議論を展開しやすくなった。
というよりも、30年近く前も、似たような話題を書いた記憶がある。ただ、当時は、僕自身も人生経験が少なかったし、知らないことも多かった。あまり説得力のある書き方はできなかったと思う。(今でも、そうかも知れない。)霞ヶ関の機能を、大胆に、都道府県レベルに「移譲」して、その地域の実情に合った施策が取れるようにする。例えば、北海道は単独で「緊急事態宣言」を行った。その「緊急事態宣言」の発令母体が、国であろうが、地方自治体であろうが、同等の「法的拘束力」を持つように、その一点で、立法も行政も考えるべきだったんじゃなかろうか。今からだって、間に合うなら、そうした「再度の法改正」があったって、いいと僕は思う。
言わせてもらうなら、霞ヶ関や大手町一帯、あるいは、品川、渋谷、新宿が、地震であっという潰れて、完全に機能停止しても、日本全体ではほとんど困らない、そうした「行政機能」の分散を行うべきだったんだ。

霞ヶ関も、あれだ。多くの一流企業が、とにかく、クソ高い都心の一等地に「本社」を持とうとした。それを維持するためのエネルギーコストなんて、全然考えていなかった。同様に、地方ごとの事情などあまり考えずに、霞ヶ関は、とにかく「中央集権主義」に走ったんじゃなかろうか。以前書いたページの比喩で言えば、どちらも、子供が手放そうとしないゲーム機と同じだったんじゃないかと思う。
「親」が取り上げようとして、強制的に手離させようとしたのがコロナ禍だと、僕は思う。ここで気付けなければ、次はさらに過酷になる。

マクロにみた、GDPとかGNPとか、そういった指標が問題なんじゃない。一人でも多くの人が、きちんと収入を得られて、納得した生き方ができる「日本という国の、生活環境」が大切なんだと、僕はおもう。「経済のV字回復」なんて、僕は、要らないと思う。敢えて言わせてもらうなら、V字回復してもらわないと困るのは、資産家だけじゃないかな。(安倍さんも、麻生さんも、そっち側だけど。)僕らは、明日食えたらそれで十分。

発展途上国に、どれだけウイルスが残るかわからない。ということは、インバウンドの観光業とかのV字回復など、不可能に近い。突破口を開くなら、マスクばかりではなく、より快適に、より「飛沫の飛散を確実に防ぐ」防護具の開発だと思う。マスクと同じように、あるいは、より快適に飛散を防げる防護具が安価に手に入り、例えば、観光地の「入域」の際にそれを配ることができるなら、観光業もある程度の回復が見込めるように思うし、同じ防護具を「食事」用に開発できれば、外食産業なんかも、そこそこ回復できるんじゃなかろうか。僕はそう思っている。

マスコミも、もうちょっと考えて欲しいと思うのは、「自分を守る」のか「社会を守る」のか、その辺だろうか。まず「社会」を守れなかったら、帰属している僕ら自身の「自分」も守れない。社会を守るために「マスク」をつける、なぜ、おかしな解説がまかり通るんだろうか。
一方で、「密室を避けよ」と、「三密を避けよ」という。その一方で、新型コロナは飛沫感染だから、エアロゾルはない、なんてことをマスコミが流す。今日、「新型コロナウイルスは、エアロゾルの状態で、少なくとも3時間は生存している」的なニュースを読んだけれども、「密室」が危ないなら、当然想定される「コロナウイルスの性質」だと思う。それなのに、「エアロゾルにはなりません」と、マスコミが流す。おかしいと思う。「エアロゾル化する」のか「しない」のか、研究成果を収束させて欲しい。エアロゾル化しないなら、密室だって、マスクだけで99%以上、問題ないでしょ?加えて言えば、「まだわかっていないこと」を、断定的にマスコミで流すのは、やめて欲しい気がする。社会が混乱する。学者ですら、「なんでこんな結論が出てくる」的な話題は多い。
マスコミってのは、個人の私生活を根こそぎ外部に流すことに抵抗感を感じない人たちの集団だから、大した責任感なんてないに違いない、なんていう皮肉も、一言だけ書きたかった。だからもう、書いちゃったけど。

話が逸れて来た。まとまらない。
今日は、自分の仕事で、かなり捗った一方、滅茶苦茶、頭が疲れた。もう寝る。まとまってないけど、終わる。それでも、この内容でアップロードする。以上

病院という場所

自律神経系のソフトウェアを書いていた頃、何度となく、プログラムの開発や修正の関連で病院を訪れた。
もう30年近く前。

その頃親しくしていただいていたお医者さんに、エレベータの中で一言言われた。
「あ、そこ、痰がついてるよ。病院っていう場所は、患者さんからの病原菌とかがどこについているかわからないから、汚い場所だっていうことは、気にしておいた方がいいよ。」

その話を、高校時代の友人のFに話したら、彼はこんなことを言っていた。
「俺に言わせたら、外から病院に来る人の方が、一体どんな雑菌を持ち込むかわからないし、(常在菌も含めて、健康なお見舞いの訪問者も含めて)外から来た人間は、原則雑菌を持ち込んでいると考えてるし、外から来た人間の方が余程汚いと思うよ。」

感染症に関して言えば、きっと両方正しいんだろうと思う。(素人考えです。)

一部のマスコミが広めた「マスクの意義」で、自分の身を守るためにマスクをしよう、って言うのは、なんとしても訂正して欲しい気がする。自分の身を守るため、よりも、自分が感染源にならないためにマスクを着用する。その辺の認識は、共通認識として徹底してもらった上で、外出時や、家庭内でも会話をする時はマスクを着用しようと、そちらを広めて欲しい気がする。
その辺さえ徹底できるんなら、なんとなくだけれど、先が見えた気がする。(それにしても、マスクの流通が・・・)

僕のブログ、ふと見たら、ほぼ毎日、何かしら書いていたみたい。書き尽くしたかなぁ。いや、適当に何か思い浮かんだら、また何か書くけど、テンションが一段下がった。プログラミングに専念しようと、強く思います。

地方自治体ごとに、規制が変わってくるんだろうな。僕の町の場合には、東京とか、川越以南の、比較的感染者数の多い地域に通う人も少なくないし、当面「不要不急の外出は」ってな感じだろうと思うけれど、長引けば「東京にいたら、ビジネスにならない」と感じる会社から、地方への移転も増えてくる気がする。東京なんてオフィスビルの賃料だって高いと思うし。都心なんて、面積にもよるだろうけれど、ワンフロア月額1千万円なんて、ザラでしょ?それでいて、テレワーク!ご愁傷様。
何が悲しくて、そんなに都心に拘って、都心にこびりつこうとしているんだか、なんてことを、あたしゃ、思ってしまう。田舎もんですからね。全く同じことを、ニューヨークにも感じている。
(あ、そうか、東京都の場合には、徳川の埋蔵金を握っているから、ほぼ無尽蔵に、何年続いても家賃保証ができるんだろうな。って、「翔んで埼玉」ネタがしつこくないかい?いや、「翔んで埼玉」の二階堂ふみちゃんの健気さや、「エール」のキャラを、つい、小池さんのキャラと比べちゃって・・・「密です!」だもんなぁ。当然、家賃保証くらいはするだろうな。)
「蜜です!」に、「そこら辺の草を食って、生き延びるぞ!」みたいな二階堂ちゃんが出てくるゲーム、誰か作らない!?

鳥取県知事を勤められた片山さんが、確か何か、おっしゃってた。ネットで拾おうと思ったんだけど、これしか見つからなかった。

この国はどこへ コロナ禍に思う 元鳥取県知事・片山善博さん 安倍首相の差配、ピント外れ
https://mainichi.jp/articles/20200414/dde/012/040/036000c

有料記事らしく、このお話の後だったか、もっと後の別の日のご発言だったか。すみません、金を払う余裕がないので、この後の記事は読みません。

いずれにせよ、これを契機に地方への人の移住は増えてくる気がする。一旦収束しないと、諸手を挙げて歓迎という訳にはいかないだろうけれど、マクロに見て、トーキョーを支えるだけのための、無駄なエネルギー浪費は是正されてくると思う。
確か、「地方再生の好機」だというようなご発言はあった、と、記憶している。

大都市圏の「出口戦略」なんて、当面は後追いで、どこに出口があるのかわからない状況は続くと思う。アメリカほどではないと思うけれど、結構無自覚な方も多いみたいだし。ただ、日本人はそれでも、「集団」を意識する性向が強いから、そう遠くなく「出口」も見えてくるに違いない。
その間に、地方は地方で、いかに「大都市圏」から、ビジネスや、人を受け入れていくか、大都市圏ではこの傾向が半年以上続くことを想定して、2年とか5年スパンの中期戦略を練ったらいいんじゃないか、っていう気がする。っていうよりも、「テレワーク」メインへの流れは、今後定着するだろうから、そうなったら、都心のオフィスビルなんてどうなることやら。

ってか、片山さんのご発言もそうだけど、地方の道府県知事の方々とか、既にそうした想定で動いていらっしゃると思うし、そうなったら、素人がゴチャゴチャ書いたって、意味ない。

ボチボチ、僕は、コロナの話題は卒業します。(それでも、何か唐突に思いついたら、書くかも知れないけど、)一旦頭の中からコロナの話題を追い出さないと、ってか、プログラマ流に言えば、パージしないと、仕事に集中できない気がするし。

1日も早く、医療現場の最前線で奮闘されている方々が、安心してご自宅で、ゆったりと過ごせる日が来ることを祈ります。

それでもねぇ・・・身近な人間が一人とか二人とか死なないと、事態の深刻さを理解できない無自覚な方々は、一定比率でいる気がするし、当然、それを想定した上で政治家は政策を練るんだろうけれども、大都市圏では、当面「ドラスティックな改善」なんてのは難しい気がする。

医療関係者の皆様、どうか、ご健康には気をつけて、頑張ってください。感謝いたします。

フェイスシールド

プログラムの移植作業をしながら、一服してタバコを吸ってたら、ふと唐突に思いついた。
忘れないうちに書いちゃって、さっさと忘れようかと思う。(集中力が、ないんだよなぁ・・・)

しばらく前に、テレビで、医療現場のお医者さんが「フェイスシールドが手に入らないから、文書を入れるクリアフォルダ(たぶん、ポリプロピレン?)を切って、自作してます」とか、紹介されていた。頭にバンドで止めて、顔の前面を覆い、飛沫がかからないようにするフェイスガード。「飛沫がかからない」ようにするのか、「自分の飛沫を飛ばさない」ようにするのか、医療用の場合にはたぶん前者なんだろうけれども。

今時、レストランとか外食産業は大変だなと思う。実際に思うのは、居酒屋でも食堂でも、(コロナ以前の)大勢で集まって「会話」をしながらの宴会とか食事だと、飲食物を入れるのも口だし、言葉を発するのも口だし、食事中などは特に唾液の分泌も多くなると思うから、余計に飛沫が飛びやすくなるんだろうと思う。おそらく、一番拡散した状況が、宴会や、会食じゃないか、と言う気がする。

普通の会話なら、マスクをしていれば飛沫はかなり抑えられる。ところが、食事中はマスクを外す。どうしたって、飲食物を口に入れる時はマスクを外すしかない。その結果、食事中の「会話」は、感染拡大の主な要因として残るような気がする。

そこで、ふと思った。あのフェイスシールド、クリアフォルダを切って、顔の前面をカバーする「食事中専用の、感染予防具」を作ってみたらどうかな、と。クリアフォルダ型の透明フィルムなら、お互いの顔も見えるし、マスクを外していても、口に密着している訳ではないから食べ物を口に運ぶこともできる。(フィルムの角度や向きによっては、ちょっと窮屈かも)なおかつ、おしゃべりしていても、飛沫はシールドでブロックされるから、遠くには飛びにくくなる、はず、だと思う。

これで、「食事中」の飛沫の拡散に対して効果があることが証明されたら、こうした「感染予防具」の使用や、客が入れ替わるごとのテーブルの滅菌(次亜塩素水などか?)などを条件にして、レストランなどの外食産業の「条件付き営業」を認めたり、できないかな、なんて思った。

無論、今のようにまだ、毎日多数の「新たな感染者」が確認されている状況では、「そうまでして外食するか?」みたいな空気はあるから、結局「出前」とか「持ち帰り」に対応してもらうしかないんだろうけれども、とりあえず、思いついたので書いてみた。

むしろ、若い方たちに、ウーバーイーツみたいな、「運ぶ人」と「これまでは、客の来店を待っていた飲食店」と「飲食したい客」の三者を結びつけるマッチングアプリか何かで、外食産業を応援してもらい、また、仕事が見つからない人には「運ぶ人」として何がしかの収入を手にしてもらったり、今考えるべきは、そちらなのかも知れないけれど。

「新しい行動基準」だったか、「会話をする時は、家の中にいてもマスクを」と言うのがあった。これ、すごく重要だと思った。
普段、外回りの営業なんかをしているお父さん、どうしても出勤せざるを得ない方たち、家で子供と遊ぶ時くらいはマスクをせずに、なんて思っていると、自分が感染していた場合のリスクを考えたなら、家にいても、家族に接する時には絶対にマスクをつけるべきじゃないかな、なんて思った。一言も言葉を発さないなら、話は別ですが。

コロナ後の社会。どう変わるんだろうか。案外、結構オシャレなフェイスシールドとかが流行して、マスクばかりでなく、観光地なんかでも、見渡す限りフェイスシールドをしていたりなんかして。(そりゃ、ないかな?)

何度もしつこいようですが、私のは「下手な鉄砲」ですから。ただ単に手数が多いだけ。

アリとキリギリス

最近、とにかくアホになったと思う。以前、普通に作業していた手順が思い出せない。
今、XAMPPを開いて、PHPのアプリ(弊社の「臨床工学技士国家試験、学習システム」)を移植しようと、旧仕様の編集を試みている。
python/djangoの環境に、完全シフトする、と松尾君と相談して決めた。コツコツと、あらゆる要素技術を試しながら、かなり覚えて来た。
さて、「古いシステム」を開こうとして、ソースの居場所は思い出したけれども、手順が思い出せない。って言うか、文書がない。作業手順を書き残していなかった。
XAMPP自体がバージョンアップした際に、開発環境を書き換えた。最も新しいコードが2017/7/25の編集になっている。その後、手を加えていない。
無償環境だけではなく、有償の環境でも(一応、予告はあったものの)突然サービス内容が変わったりした。慌てふためいて、対応作業をした、その際に、作業手順を記録していなかったから、記憶を探ってみても、古い手順と新しい手順とが混在していて、どーしようもない感じになった。

教訓:どんなに慌てふためいていても、記録は克明に残すべきだ。特に、作業手順。(–> 自分)

gitの利用関係では cherry-pickなる機能が追加されていて、「無駄な操作」の記録は消して、有効だった操作の記録だけを残せればいいのだけれど、このcherry-pickはプログラム本体の編集の話だから、作業手順についてのアレコレは、ちょっと応用が面倒臭い気がした。逆に、記録を残そうとして全部書いていると、結果的にうまくいかない手順まで書いてしまって、それでまた、ドツボる。
しゃーねぇ、これから「記録」を作る。記録を残す手間をはしょったばかりに、余計な「試行錯誤」が加わってしまった。

話の枕が、話題の「主題」と無関係だ、と言う、相変わらずの私のブログスタイル。(しかも長文)

新型コロナ、弱点は太陽光? 高温・多湿でウイルス減少―米実験
https://www.jiji.com/jc/article?k=2020042400741&g=int

確かに、太陽光にウイルスは弱いだろうな、とは思う。ただ、高温多湿の地域は、発展途上国などが多い。検査体制が整っていないから、実際の感染数よりも遥かに確認数が少ない可能性があると思う。それでも、報告がある点に着目すべきだと思う。

それでも、現実問題としてこれから夏場にかけて、太陽高度が上がり、紫外線の照射量が増えれば、屋外でのウイルスの生存寿命が短くなって、数字が小さくなる可能性はあると思う。このことによる「錯覚」が、怖い。

何を言いたいか。「感染症対策」に効果が出ていると、誰もが思っている数字が、実は、気温の上昇や湿度の上昇に関連する「結果」であったにも拘らず、その因果関係を示すデータが乏しいから、「我々の感染症対策は、効果があって、成果が出ている」と錯覚することが、何よりも怖い。
「感染症対策」は、無論行っている。その一方で、夏場にかけて北半球では紫外線量が増加する。感染者数が減少した時に、どちらの影響が大きかったか、北半球のデータだけでは判定が極めて困難、と言うことになると思う。ここから先、南半球のデータとの比較が欠かせなくなる気がする。

面白いから、またイジろう。大統領再選しか考えていない楽天的なアホが、「夏場にかけて」何ちゃらと発言し、感染者数の増加に歯止めがかかったとする。逆に、紫外線量の増加が主因であったとしても、「私が大統領として指揮をとった成果」だとか、主張するだろうな。あの人、自己矛盾なんて気にもかけていないし、そもそも自分の発言の矛盾にすら気付かない人だから。もし、新規感染者数の減少の主因が紫外線量だったとしたら、秋口から増加に転じ、ちょうど大統領選の頃には、増加の勢いが最大に達するかもしれない。さて、どうするんだろう。

要するに、夏の間に「感染者数が減った」と、「我々の対策の成果だ」と主張して大喜びして、経済活動を大々的に再開しました、ウイルスもそんなには暴れません、見かけ上「新規感染者」が激減した、として、そこから冬になって、慌てて「活動規制」をかけても、もう遅い。キャリアの数が爆発的に増えた状態で、ウイルスが活性化する環境に突入することになる。

こう言うシナリオも考えられるな、と思った時に、あ、これは、「アリとキリギリス」だと、思った。だから、この表題にした。

夏の紫外線で、本当に「根絶」できるならいいんですけどね。データがない以上、何か言える科学者はいないんじゃないか、と言う気がする。(データもなしに発言する、私みたいな人間は、学会では普通は相手にされない。)あ、大統領ってのは科学者じゃないから、どんないい加減なことを言っても許されるのか。とりあえず、南半球の状態に着眼すべきかも知れない。

vmware tools

木曜日の法政の授業教材、書き終えた後、サンプルコードが長いので、VMwareの仮想マシン: UbuntuのゲストOSから、Macのホストに手渡そうと、思った。

ところが、 /mnt/hgfsを開くと、共有ファイルが何もない。VMware Tools自体は走っている。さて、どうしましょ。ググりまくった。一旦、uninstallして入れ直ししようと思ったのだけれども、さて、インストールパスが見つからない。

sudo find / -name "vmware-uninstall-tools.pl" | grep vmw

にゃんにも返ってこない。へ?

なんだかんだで、入れ直しできずに1時間、2時間。

やっと辿り着いたのが、kashiさんという方のページ

http://verifiedby.me/adiary/0118

sudo vmhgfs-fuse -o allow_other -o auto_unmount .host:/ /mnt/hgfs

動いた。shareが見えた。この .host:/ というファイルシステムが、よくわからない。ググり方すらわからない。仮想マシンのホストだもんなぁ・・・。理解するのを諦めました。

Ubuntu 18.04.3を使った昨年の秋学期の時は、何もしなくても共有フォルダはスムーズに共有できた。それが、Ubuntu 18.04.4になってから、黙っていたら何も見えなくなった。推測するに、allow_otherなんてオプションがある、ということは、セキュリティ関連の権限強化なんだろうか。

教材を書き終えた時は、まだ日も高かった。アップしてから、庭の草むしりしようかと思っていたのに、気付いたら、夕食を挟んで今はもう午後9時。

この kashiさんに、感謝。もし、あなたがいらっしゃらなかったら、もし、あなたがこの記事をアップしてくれていなかったら、明日もウダウダしていたでしょうね。ありがとうございました。
m(_ _)m

こういう感じで、想定外に1日とか2日とかロスするのが、一番精神衛生によくない。うまくいかなくてイライラしながら、結局夜寝ると、嫌な夢を見るんだわ。

同居人が言うには、昨日の朝方、僕が寝言で「アメリカンドッグ3本」とか言ったらしい。しかも2回。どんな夢見てたんだろう。だけど僕は、アメリカンドッグは、あまり好きじゃない。あの周囲のパサパサした 「The 小麦粉」みたいな奴が要らない。フランクフルトは好きで、昔高速道路の移動中の休憩では、必ずと言って良いほど食べてたけど。(体型が変わってから、かなり我慢してます。)今でもその好みは変わってなくて、コンビニのフランクフルトは見かけるたびに、じっと我慢。なぜ、アメリカンドッグ?どんな脈絡の寝言だったんだか。気になる。

でも、今夜は普通に眠れそうだ。改めまして、kashiさん、ありがとうございました。

生理学的シャント

この話題は、大学院生の頃「Fick法による心拍出量計測」に関連して、恩師の内山先生が大学院のゼミの際に話して下さった内容を元にしている。
僕の記憶では、ゼミで、この時の研究発表をしたU君は、郵政官僚になっちゃったけど。いや、特許庁に行った彼だったか・・・。二人とも、医用工学からは離れた。

大半のお医者さんは熟知されていると思うけれども、「肺の死腔(シャント)」とは、ガス交換に寄与しない領域のことで、解剖学的シャントと生理学的シャントの2種類がある。解剖学的シャントについて解説すれば、口から肺胞の奥に至る気道で、いわゆる「気管支」のように気道の分岐が何回もあり、23回目の分岐で肺胞細胞に至る。この分岐が17回目を迎えた先は、気道自体が「ガス交換機能」を持つ。その手前までは、単なる空気の通り道でガス交換能力を持たない。この「単なる空気の通り道」の容積が、成人の場合で150mLある、とされている。これが解剖学的シャント、ということになる。

一方で、生理学的シャントは、血液と重力の影響で発生する。立位の場合、肺の下の方には重さで血液が多く貯留し、空気が入りにくくなって、ガス交換ができない。逆に、肺の上の方は、血液が下の方に集まってしまって、空気の出入りはあってもガス交換するべき血液があまり流れ込んでこないため、ガス交換ができない。つまり、立っている場合には、肺の上でも下でもない領域でしかガス交換がうまくできない。これが肺の「生理学的シャント」になる。ところが、寝る=仰臥位や、伏臥位の場合には、肺の前後の厚み、つまり20cm程度の範囲が「重力による影響」の領域になるから、上体を起こしている状態からは生理学的シャントが激減して、肺のかなりの部分が「ガス交換可能」になる。
つまり、肺の場合には、姿勢によって「ガス交換」の効率性が大きく異なる。国試対策の授業中に、学生によく話した。(ワンパターンかもしれない。)昔からよく言われる、「体を休めるためには、横になっていなさい」っていうのは、肺に関して言えば、姿勢を変えただけでガス交換効率を変える効果があるんだよ、と。

なんとなく思った。褥瘡の発生に似ている。血液の貯溜を回避する。体位変換が有効。新型コロナの病理的な作用機序で、致死的な影響を持つのが「肺の微小血管の梗塞」だとしたなら、褥瘡に対応するのと同様に、頻回に体位変換を行ったら、どんな効果があるだろうか。

内村先生がFacebookでシェアされた内容を、いくつか前のページで引用させていただいた。以下の部分。

酸素吸入しても改善に乏しい患者50名を対象として,腹臥位の効果を検証した.酸素吸入しつつうつ伏せになってもらったところ,うつ伏せ前84%(四分位範囲75-90%)が,5分後には94%(90-95%)に改善した(P=0.001).ただし13名(24%)では効果がなく, 24時間以内に気管内挿管された.Acad Emerg Med. April 22, 2020.

これは、仰臥位がどうこう、伏臥位がどうこう、という、そういう問題ではなく、「血栓が形成されていない、新鮮な、血液の貯溜が起きていなかった領域を、体位変換によってガス交換可能な領域として提供した」ことによる「改善」と考えることはできないだろうか。

日本とか、先進国の場合には、ヘパリンにしても、フサンにしても、当たり前のように入手できる。それが、発展途上国や後進国ではできない。薬剤投与によって「血栓形成の問題を解消」することができないならば、頻回に体位変換を行うことで、救命率を上げられないか、と、そう考えた。
我々人類は、すべからく、地球からの重量の影響を受けている。我々の肺は、「水を入れた、コンビニ袋」のような状態で、ガス交換を行っている、そう考えてみたら、生理学的なシャントの何たるかをイメージできると思う。血小板が凝血塊を形成する条件の一つに、「血液の滞留」があると思うけれども、薬が使えなくても、看護師の数が足りている国であるならば、「頻回な体位変換」が救命率を上げる効果があるのではないかな、と、私は思った。(すみません、僕は医者じゃないし、医学部の教育も受けていないから、知識がどれほど正しいか、自信はありませんが。)

以上。僕は、僕が感じたことを書いただけ。理解が間違っていたら、本当にごめんなさいとしか言いようがないけれども。

マスクは使い捨てにすべきか?

一つ前の話題の、延長。

地元の農協に行ったら、地元以外のナンバーの車が半数近くを占めていた。子供連れで、マスク着用でない人の姿を多く見かけた。マスクをつけないなら、来ないでほしい、と思った話。

ただ、マスクは手に入らない。そのマスクの目的は、医療現場の「スタンダードプリコーション」と、基本的な発想は同じで、「自分が感染しないため」ではなく、「自分から相手に感染させないため」であり、その機能は有していても、「自分の身を守る」機能があるものは、ほとんど流通していない。

やっと、「経済活動再開」の話題が出て来たものの、行動が改まっていない人がいる、と痛感した。「感染者比率」が高い地域から低い地域に「移動」して来た場合には、「自分が感染源になる」可能性は、絶対に考えておいて欲しい。それは、うちの地域では、東京や県南に仕事に出ていく人たちも同様だと思う。そして、ウイルスを地元に持ち込まないためには、「地元にいる間」あるいは「感染比率の低い地域に訪問している間」は、マスクを着用していること、だと思う。

さらに言えば、(うちの地区の自治会長みたいに、県南の)感染者比率の高い地域に仕事で出ている人は、家庭内でもマスクをしていた方が、万が一自分が感染していた場合の家族への感染は、かなりの確率で防げると思う。
「家に帰った」から、安心してマスクを外せる。違うんだってば。マスクは「自分が感染する」リスクを下げるのではなく、「周囲に感染を広げるリスク」を下げている。つまり、家族への感染のリスクを下げることが目的なら、東京などに職場がある人は、家にいても(使い込んでヨレヨレのマスクでも)マスクをすべきなんだ。

普通に手に入る、せいぜい「花粉症対策」程度の目の粗さのマスクだと、外からの侵入を防ぐ機能はないから、「汚れ」があるとしたら、考えなくてはならないのは「自分の飛ばした飛沫」が「内側に付着している」ことだと、僕は考える。それを「汚れ」だと思うなら、自分の体がどれだけ汚れているか、自分を「汚れの塊」だと感じて判断したらいい。そもそもが汚れている体から出た飛沫が「内側に付着」しているだけなのだから、(確かに口腔内は雑菌の巣窟で、ウイルスと違って雑菌はマスクの内側でも増殖するけれど、)それは洗い方、メンテナンス次第で落とせる。ということは、一回で使い捨てにする必要など、ないのではないか?

「感染拡大防止」のためには、とにかく、マスクはつけて欲しい。それだけで、ずいぶんと違うと思う。

ところが、「自粛」なんてせずに、出て歩く、そういう人ほどマスクをしていない。こういうのは、(なんだかほとんど意味のないマスクの扱い方を、散々テレビで放映していたマスコミなんかが責任を持って、)「あなたがマスクをつけなければ、日本経済が破綻する」くらいのキャンペーンで、「マスク装着」を訴え続けて欲しい。

その際、ここで問題になるのは、自分自身の口腔内にいる常在菌であって、ウイルスじゃないから、エタノールや次亜塩素酸である必要はなく、通常の「殺菌効果のあるもの」で十分だし、「こういう洗い方をすれば、繊維がヨレヨレになるまで使い続けても、十分に、世の中にとって意義があるし、あなた自身にも悪影響はありません」という、そういうマスクの洗い方を、啓蒙して欲しい。

まるで、自分を守る効果があるみたいな報道をしていたマスコミは、責任をとれよ。と私は思う。

マスク着用希望

農協の直売所に、ぬか漬け用の野菜を買いに行った。

途中すれ違った車に、「熊谷」ナンバー以外が三分の一を占めていた気がする。大宮、所沢、練馬、川越、正確には数えていないけれども。そして農協の駐車場。ほぼ半数が「熊谷」ナンバー以外。おっと。

来るなとは言わない。ただ、マスクを着用していない人がかなり多くて、おそらく、「この辺の空気は綺麗だから、マスクは要らないだろう」とでも思っているのか。違いますって、マスクは、あなたが感染しないために着けるのではなく、他の人に感染させないために着ける。マスクを付けないことで、あなたが、この辺の綺麗な空気を汚染しているんだ、と僕は言いたい。

確かに、確率的にはかなり低いし、飛沫が飛んでくるほど近くには行かないから、「ほぼ実害はない」とは思っているけれども、でもやっぱり、その無頓着さが気になった。

テレビの番組なんかで、「マスクの表面にはウイルスが付いているから」とか、そういう情報を流すのは、勘弁して欲しい。普通のマスクだったら、全く意味ない。普通のマスクの表面にウイルスが付着していたなら、ほぼ間違いなく既に肺に入っていると思う。そうじゃない、万が一自分が感染していたとしても、他人に拡散しないためにマスクを着けるんだ、と、だからマスクしろと、そっちを強調して欲しいと思った。スマホの配信ニュースなんて、「ドアノブでウイルスが増殖する」って、どんなドアノブだよ。生きた細胞でできているドアノブ?鳴いたり噛み付いたりするんじゃないか?

大宮に、所沢でしょ?これだもの。 ↓↓↓

https://www.pref.saitama.lg.jp/a0701/covid19/jokyo.html

僕は、「今は来ないで」などと、声高に主張するほど強硬な意見は持っていないけれども、ただ、これだけ「おうちにいよう」と叫ばれているのに、子供連れで出かけてくる人と、マスクをつけない無頓着な人は、相関するような気がした。そうなると、やっぱり「来るな」ってなっちゃうのかなぁ。

シムデシビル

再び、内村先生のFacebookから

経済活動の再開のために一刻も早いワクチン,治療薬の開発が期待されますが,その承認は純粋に科学的根拠に基づいて行われるべきです.なぜなら背速な薬剤承認は,患者の命を縮める恐れもあるためです.

https://www.facebook.com/uchimura.naoyuki/posts/3095696703844377

表題とは無関係ですが、気になったので拾い上げました。

酸素吸入しても改善に乏しい患者50名を対象として,腹臥位の効果を検証した.酸素吸入しつつうつ伏せになってもらったところ,うつ伏せ前84%(四分位範囲75-90%)が,5分後には94%(90-95%)に改善した(P=0.001).ただし13名(24%)では効果がなく, 24時間以内に気管内挿管された.Acad Emerg Med. April 22, 2020.

当該論文の紹介記事。昨日紹介した記事では、「3種類の、どこの病院でも手に入れやすい3種類の薬剤のカクテルの効果が期待される」となっていた。どうしてもシムデシビルを使いたいなら、偉い人たち、有名な人たちから順に、ということでいいんじゃないでしょうか。

◆治療薬(2).米国FDAが緊急認可し,厚労省が「特例承認」を行うレムデシビル(ウイルスRNAポリメラーゼ阻害剤).4月18日の記事で紹介したように,先行する臨床試験で有効性が期待できたものの(NEJM. April 10, 2020),対照群がないため評価が難しい状態であった.今回,武漢の10施設で行われたランダム化比較試験の結果が報告された.組み入れ基準は18歳以上で,発症から12日以内,低酸素血症と画像上肺炎を認める症例とした.治療群(静注10日間):プラセボ群=2:1で割り付けられた(158名:79名).主要評価項目は臨床的に改善するまでの日数で,改善の定義は,6段階スケールで2段階改善するまでの日数,もしくは退院までの日数のいずれか早い方とした.主要評価項目は両群間に有意差なし(治療群:プラセボ群=21.0日:23.0日,ハザード比1.23)(図5).死亡率も有意差なし(14%:13%).患者発生が減少して予定人数が集まらず,統計的検出力が低下したことを考慮しても,PCR検査によるウイルス排出量や,28日後のPCR陰転化例の割合にも有意差なく,かつ治療群では有害事象のために中止した患者が多かった(12%対5%)ことから,明らかに失敗だろう.→ 米国立アレルギー・感染症研究所(NIAD)は,レムデシビルは回復期間を短縮する(11日対15日;P<0.001)とプレスリリースしたが,論文は未発表.こんな中途半端な状況で日本は本当に「特例承認」するのだろうか?にわかに信じがたい.

 

抗凝固療法

内村先生のFacebook 投稿

引用したかったのはここ

また、病理組織学的検討から、COVID-19感染症にともなう血管の炎症所見が明らかになるにつれ、COVID-19は血栓症・血管炎という全身疾患としての位置づけに変わりつつあります。

と、ここ

致死的な肺炎自体、当初は肺炎という位置づけでしたが、複数の貴重な剖検例での解析から、肺の微小動脈の血栓であることが明らかになり、重篤肺合併症の治療には、抗ウイルス作用のある薬剤(アビガン、レムデシビルなど)に加えて、ヘパリンなどの抗凝固療法とフサン(抗凝固作用に加えてCOVID-19の細胞内侵入阻止作用あり)、およびアクテムラ(サイトカインストーム改善の抗IL-6製剤)の3剤からなるトリプルテラピーを同時に行うことにより救命率を改善することが期待されています。

いろいろなことをするウイルスなんですね。こんなの、これまでにいなかったのではないでしょうか。いろいろな治療が役に立つことを!これに関する平井愛山先生のコメントをつけます。皆さん、おはようございます!COVID-19の病態が、各国の研…

内村 直之さんの投稿 2020年4月29日水曜日

 

パルスオキシメータ

パルスオキシメータ

https://kakaku.com/search_results/%83p%83%8B%83X%83I%83L%83V%83%81%81%5B%83%5E%81%5B/
価格.com

なんだか、売り切れが多い。

さっき聞いた、昼のNHKのラジオ

朝異変なく 夜死亡で発見 自宅療養の57歳男性 新型コロナ
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200502/k10012415441000.html

未確認のコロナ感染者が、一体どれだけいるか。わからない現状では、体温を測って高いとか、Covid-19を疑わせる症状があるなら、パルスオキシでSpO2の測定を行うべきだと思う。この方、もし朝パルスオキシで測定していたら、96%とか95%になっていたんじゃないか、という気がする。体を動かさずにじっとしていると、相当にSpO2が下がっても酸素需要そのものが小さいから、「苦しい」とか「異変」を感じない可能性があると思う。
自分の身は自分で守る、としたなら、SpO2を測定して、96%以下になって来たら、躊躇わずに医者に相談すべきだと思う。(この数字、私の体感です。正確なところは、専門家に指標を出してもらわないと・・・)

ただなぁ、自分の身は自分で守る、と言いつつ、売り切れじゃなぁ。高い価格帯の2万円台の機械とかは、全部は見ていないけれども、発売予定日:6月15日とか、なかなか手に入らなくなって来たのかも。

PCR論争に寄せて─PCR検査を行っている立場から検査の飛躍的増大を求める声に
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/report/t344/202004/565349.html

内村先生が Facebook でシェアしていた記事を、こちらで引用。
内村先生がシェアされる記事は、いつも興味深い。

実は、これを読んで、PCR検査を受ける以外に、パルスオキシメータで自分の状態を把握する、(完全に代替手段にはならないけれど、)補助的な判断方法として、パルスオキシメータを使えないか、と書こうと思って改めて「価格.com」に行ってみたら、結構な勢いで売り切れている感じだった。

僕の家にあった体温計、LR41のボタン電池がどこに行っても売り切れで、ネット通販でも「在庫なし」とかなってるもんだから(もしかしたら、世界的に需要が高いのかも知れない)体温計測は、ほぼ諦めてます。(ドラッグストアで、新しく体温計を買う、ってのも手かも知れないけど、マスクですら手に入らないし・・・)サーモパイルを買って来て自作するか?(キャリブレーションは、どうすんのよ。数字が出ないじゃんか。)

パルスオキシメータで、売り切れていない分に「発売予定日:6月15日」とあった。ということは、新規参入だろうか。
コロナ禍の、顕在化していない「水面下の実態」がある程度見えてくるまでに、数年かかるような気がする。だとしたら、関連ビジネスに「転向」できる会社は視点を変えてサバイバルするのも、方法の一つかも知れない。「家庭用体温計」の普及率は無理だとしても、もしかしたら「家庭用血圧計」と同水準の普及率になるかも知れない。
なんとしてでも、経済を回さないと。

記事にあった一言。

一方、素人のコメンテーター、怪しげな専門家は論外として、

もしかして、私なんかこの後者に該当するかもなぁ・・・。黙った方がいいのかも。
すみません。現場経験はありませんから、割り引いてお読みください。

学習課題

グレタ・トゥーンベリさんが「温暖化ガス排出」に声を出した時に、共鳴する若者が大勢いたと同時に、猛反発する産業界の声があった。「温暖化ガスの排出抑制なんて、そんなことをしたら、経済が大変なことになる。」
私なんか、(もう、20年以上、ネットに書いているし、その前は、隠しようのない状況で言葉を発してきたし、)全部残ってもいいように書いてきたつもりなので、ほとんどブレずに、ずっと同じことを書いていると思うけれど、環境への配慮は最大限にすべきだという主張はしてきたと思う。ただ、さすがに私も、グレタさんほど強硬には主張できなかった。経済が成り立たなくなれば、多くの人の生活が困窮する。だから、産業界が成り立つようなやり方を考えながら、とにかく、段階的に「削減」に向かうべきだとは思っていた。

けれども、こんなことになっている。もう、否も応もなく、ほとんど「強制終了」みたいな感じで、強烈な勢いで温暖化ガスの排出にシャットダウンがかかった。どっちが原因で、どっちが結果かはともかく、「温暖化ガス排出抑制」に付帯すると考えていた「産業界のブレーキ」が一気に現実化した。グレタさん、今の社会の状況を喜べる?

最大の課題は、ここからの「再起動」をどうするか、なんだろうと思う。
このページは、グレタさんや(すみません、日本語で書いていますが、)グレタさんに共鳴した、世界中の多くの若い方々に、読んで欲しいと思って書きます。

もう、しつこいくらい書いているけれども、人間の実体は「肉体」ではなく「意識体」で、肉体が消滅しても意識は継続する、ということは、しっかりと考えておいた方がいいと思う。一般に言うところの肉体の死は、ヒトの死ではない。確かに、親しい人と会話できなくなれば寂しいけれど、どんなに遅くても10日も経てば、相手は覚醒してこっちのことを見ていると思っておいた方がいい。生きて積んだ「経験」こそが、自分自身の次の「人生」に引き継げる最大の財産だと考えるべきだと思う。

僕は師匠と違って、「見えたり聞こえたり」ということはないけれど、感じることは少なくない。僕の親戚、子供の頃何度か遊びに行った方の法事では、通夜の時には感じなかったけれど、葬儀(告別式)の時には、式場に来ていた気がした。僕の親父なんて、葬儀の日の朝、(当時は親父も使っていた)僕の事務所で準備していたら、すぐそばをウロチョロしていたみたいだし。そんなもんなんだって。

生きている間にどれほど「贅沢」な生活をしても、その「蓄積」は、肉体を抜けたら何の意味もない。むしろ、そこに執着していたなら「害」にすらなる。だから、「生きるために必要」な以上のものを求めようとしている方々の主張は、断固として却下しても構わないと思う。相手のビジネスが根こそぎ崩れるような提案をしても、良心を痛める必要もないし、むしろ感謝して欲しいくらいに考えても、いいかも知れない。

ただ、そういう(特に某国に多い、あるいは、最近勢いを増した某国に増えてきた)富裕層、以外の、大半の人は、生きるために必死で仕事をして、そこで得た収入で子供を育て、次の世代にバトンを引き継ごうとして来た。

そうしたビジネスでは、これまでは「悪いことだ」なんて考えもせずに、無駄に大量のエネルギーを消費して来た産業も少なくない。そうした、「生きるために必死になっている」人たちのビジネスを、どう再起動していくか、が最大の問題なんだろうと思う。

「デスクワークが中心」だったら、社員全員がマスク着用で、社屋に入る前には、必ず「アルコールで手指を消毒する」とか、「社員共有」の、例えば、コーヒーサーバー、ティーサーバーだとか、自販機のボタン、エレベータのボタン、そういった多くの人が触れる部分を定期的に消毒するだけで、かなりクラスターの発生を抑えて、事業再開の目処を立てやすいだろうと思う。
これ、若い、まだ高校生、大学生くらいの人たちを想定して書いています。是非、調べて欲しい。今はGoogleがある。多くの大学関係者が、ご自身の専門の情報発信をされている。素材は、数え切れないほどある。「どの程度が安全か」是非、自分自身で調べて見てほしい。そうして、「暇のない」会社経営者たちに、「研究成果」を発表して欲しい。

文部科学省に強制された「夏休みの自由研究」じゃない。研究者の道を志したり、自分が今一番興味のあることを追求しようとして「研究」をする、それと同じことを、「言われたからやる」んではなく、自分自身が「世界を救う」つもりで研究できる。今は、そういう時代なんだと、すでに感じていると思う。調べて「具体策」をどんどんと、提言して欲しい。

グレタさんだけではなく、日本でも高校生が声をあげたらしい。「9月入学にして、全国平等に」

この「平等」の意味も、しっかりと考えて欲しい。地域ごとに、メリットも、デメリットもある。このコロナ禍が、最低でも5年はくすぶり続けると想定した際に、大都市と地方とで、何がメリットで、何がデメリットなのか。私の考えはもちろんあるけれども、それは書かない。是非、若い人たちが考えて、「なぜ、9月入学に反対する大人がいるか」その理由を、「研究」して調べ上げて欲しい。きっと、生涯、だけではない、次にもつながる貴重な経験になると思う。

まず、「感じたことを言葉にして主張する。」とても、いいことだと思う。それがなかったら、世の中良くならない。(某K産党が、国民の発言を抑止している国では、社会の改革は頭打ちになる。それは歴然としているけれど、日本は違う。)まだ学生なんだから、無責任でいい。責任があるのは、権限のある大人だけなのだから、無責任にどんどんと発言したらいい。(僕なんか、この年齢になっても、全く「権限」とは無縁だから、平気で、どんなことでも言葉にできている。あんまり、いいこっちゃない、とは思いますけどね。)

ただ、反対する人がいるでしょうね。反対されたら、スネたり、いじけたりするのではなく、「なぜ、反対するのか」を考えてみて欲しい。必ず、理由があると思う。「温暖化ガスの排出抑制」が進まなかったのも、そこに原因がある。
この話題、もう、20とか、30とか、あれこれと書きたい話題が湧いて来ているけれど、それを持ち出すと「主題」がぼやけるから、我慢します。
(「今は、我慢の時」ってか?)

おそらく、若い方々の、自分の親とか、周囲の人とかで、このコロナ禍でビジネスが成り立たなくなって、「どうしようか」と困っている人もいると思う。
テレビのニュースで、「マッチング・アプリ」を立ち上げた若い人がいたと、伝えていた。その人のアプリで、もう、客がいなくなって、どうしようもなくなった「旅行業界」から、「漁業」に人を斡旋した、そうした事例を伝えていた。これって、すごいことだと、僕は思う。

「社会を変える」のに必要なのは、「制度設計の緻密さ」だと、僕は思っています。
この発想は、僕がシステム・エンジニアだからかも知れない。だけど、あらゆる条件を考え尽くす、そうした週間は、どんなビジネスにも役立つスキルだと思うし、行政府や立法府の方々に、そのスキルがないなら、「さっさと仕事をやめろ」と、僕は思っています。そう言われないように、考える習慣を是非、身につけてほしい。

今の状況で、年寄りは答えを出せないでいる。せいぜい、思いつくのは、「一体、いつになったら元の仕事を再開できるか」程度で、(やり方も含めて)「どう仕事を変えようか」という発想の方は、ほとんどいないと思う。

もし、「9月入学」を主張した理由が、「いい大学に入りたいから」だったとしたなら、一度考え直した方がいいと僕はおもう。もし、「大学に入って、自分はこれをやりたい」という目的が明確なら、全く否定はしない。とても、いいことだと思う。ただ「目的」を探したいから、「大学に行く」ならば、順番が逆だと思う。「目的」を探すなら、今のこの「コロナ禍」の社会の、周囲のオトナたちを観察したらいい。「誰かが困っている」なら、そこには「ビジネスの種」があると思う。あ、この人、こんなことに困っているんだ。という問題を解決する手段を考えたなら、それが普遍的なら、おそらく需要はあるし、「大学」なんかいかなくたって、「目的」は達成できる。そうして、その「目的」を達成するために、さらに深い知識が必要となって、その知識を得るために「大学」に入ろうと思うのなら、「いい大学」でなくたって、結構優秀な教員がいたりする。

僕の長文癖。言葉がまとまらなくて、ごめんなさい。ただ、書いた内容を記憶を辿って思い返すに、「これを言いたい」という表現は、分散してはいるけれど、すでに書き尽くしたと思う。

最後に一言。(たぶん、一言にはならないけど、すみません。)
「目的」とか「理由」とか「原因と結果」とか「必然性」とか、そういった様々な要因を考え抜いて、「どうしたら、何ができるか」を考えてみて欲しい。

是非、「パラダイムシフト」なんていう、カタカナ言葉の意味を知って欲しい。今は、その時だと思う。日本語にしたら、「価値基準の変容」だろうか。まず、日本語力を鍛えないと(脳ミソの中に、「概念」というものが形成されないから、)外国語の単語も、きちんと意味が理解できない。今は、これまで「安泰」だと思っていた「土台」が崩れた、その「歴史的瞬間」だと考えてみたらいい。
この時代に、何かを試せる、なんて、数百年に一度しか経験できない現場に、肉体を持った、その「幸運」を考えるべきだ。

なぜ、「いい大学」に入りたい?きっと、答えは「いい就職先が見つかるから」というのが、一番多いだろうな。ところが、これまで「いい就職先」だと思っていた会社の倒産が相次ぐ。おそらく、そうなると思う。
これから先、「地球環境」に配慮したビジネスが展開される、そうした会社は、仮に今あったとしても「いい就職先」にまでは育っていないと思う。そうした産業を育てるのが、自分たちだと、是非考えて欲しいし、そして、「具体策」をいくつも、提示して欲しいと思う。

日米の違い

アメリカの「経済活動一部再開」の映像が流れていた。「資料映像」ではなく、「今」を伝えたものだとしたら、気づいた点が一つある。マスクをしている人がほとんどいなかった。

マスクは、世界的にも品薄ということがあるんだろうけれども、マスクの意義は「万が一、自分が無症状のキャリア」だとしても、スーパースプレッダー(Super Spreader; 一人で十人にも二十人にも感染させる人)にならないためには、重要ではないかと思う。日本人は、昔から「マスク」をつける人が多い。今時なんて、(なかなか手に入らないのに)かなりの人がマスクをつけている。その成果は数字に現れていると思う。アメリカでも、民主党の州知事が「マスクも付けないで集会するなんて」と訴えている映像がやはりニュースで流れたけれども、これは、かなり危険だという気がした。

現在の新規感染者数の減少傾向が、気温の上昇、とか、環境要因が絡んで(北半球では冬から春への気温の変化によるのか、そうでないのかは、数年経ってみないとわからないと思うけれど、)「対策」以外の要因で減少しているとしたなら、「対策」の効果を論じるのは難しい。それでも、日本の場合には2月3月も「自粛」であって「禁止」ではなかった。それにも拘らず、アメリカよりも遥かに人口密度が高いのに、かろうじて爆発的な感染の一歩手前に留まっているのには、マスクの着用の効果は、あるんじゃないか、という気がする。

直感的に、アメリカはPenetration Phase(全国隅々まで浸透させるフェーズ)に突入した、何か、そんな気がした。