泉佐野市

ふるさと納税制度は、いい制度だと思った。
大都市圏と、地方との税収のアンバランスを解消して、均衡の取れた国家を再生するためには、必要な制度だとも思った。
「本来の趣旨」は、「不均衡の是正」にあったと思う。

ところが、どういう拡大解釈なのか、商品券を返礼品にする、なんて、全く本来の趣旨に反する。
もし、そうした「拡大解釈」を完全に封じようとしたなら、これらの法令の条文はどうなるか。もう、細かすぎて、それこそ、コンピュータのプログラムを普通に読めるくらいの、法律の条文解釈のスキルがなければ、思い通りの「制度の活用」ができないくらい、面倒臭い「制度」になっていた、そんな気がする。

そこは、人間と、コンピュータの違いだと思う。
人間は、目先の「ルール」だけではなく、その奥にある「趣旨」を理解して、協力して、制度を活用しようとするだけの知恵がある。その知恵が備わっている人たちが多い、というのは、いわゆる「民度が高い」ということでもあると思う。その文脈で言えば、泉佐野市は、民度の低い自治体だ、ということになるんだろうとも思う。もしくは、常識のない自治体なのかも知れない。そうした非難を浴びることを覚悟で、捨て身で金儲けに走ったとしたなら、それはそれで、評価してもいい。だけど、やっぱり、民度は低いと思う。

それでも、ルールはルールで、「解釈」によって本来の趣旨に背く行為を禁止するべき、細目は条文に盛り込む必要があったのに、それをしなかったのは、総務省にも不手際があったかも知れない。

制度を制定する側は、「自分のことしか考えない、制度をスポイルする」ような、そうした民度の低い人たちの存在は、常に意識する必要があるのかもしれない。でも、基本は、できることなら、誰もが、みんなが豊かになろうよ、という、集団の、全体的な利益を考えられるような社会であって欲しい、とも思う。

ずっと、気になっていたけれども、書かなかった。新型コロナの専門家会議で、「無症状の感染者が、他人に感染させる可能性は、否定できない」という感じの発言を、「議事録から削除」しようとした。これは、厚生労働省。

その「意図」は、やはり、「理解度の低い、本来の意図など考えず、訳もわからずに不安になって、大騒ぎして、パニックを起こす人たちが、一定比率いる」という、行政側の判断が根底にあったのかも知れないけれども、それでも、「議事録」というのは、自然科学の「実験ノート」と同じで、どんな失敗であろうと、ありのままを正確に記録しなければ、意味をなさない、そうした「記録」なんじゃないか、という気がする。

気持ちは、わからなくもない。泉佐野市みたいな存在は、必ずいる。
ですけどね、やっぱり、もう、そういう、あざとい人が、あるいは、本来の意図を理解できずにパニックを起こすような人がいたとしても、やはり、「記録」は「記録」として、正確に残すべきなんじゃなかろうか。

なんだか、話題の「トリガ」が表題になっちゃっていて、「主題」が表題になっていない、そんな気もしたけれども、もう、言葉を発するのは、これが限界。今度こそ、寝る。