内政干渉

親父が僕を殴る時は、グーだった。
僕の最初の記憶はたぶん3歳の時、一日30分はピアノの前に座れと言われて、それができず、「親の言うことを聞けない子供は・・・」的にこっぴどく怒られ、バイエルの教本を目の前で破かれた。
親父に殴られたのは、ほんの数回だったし、定期試験の前に勉強をしていないとか、そんなのばっかりだったか。
頑張っても、「頑張ったね」なんて褒められることはまずなくて・・・もういいや、この話。(でも僕は、親父が大好きですけど。)

親父がグーにした理由。親に平手打ちされて鼓膜が破け、難聴になった子供を教師の立場で知っていたみたいだ。
今だったら、間違いなくDVでしょうね。「教育的な体罰」は、もはや容認されなくなってきた。

行政が「家庭」に「干渉」するようになりつつある。

根本にあるのは、「基本的人権」だろうか。
やっぱり、暴力的な指導っていうのは、フォロウがなければトラウマを残す気がする。結果を出した時に、「よくやった、それでこそ」みたいなプラスの評価があったお陰で、「あれは、愛の鞭だったんだ」と自覚できた、なんていう話はよく聞くけれど、自分に関して言えば、頭じゃ「あれは、愛の鞭だったんだろうな」と考えてはみるけれど、自分の中では、むしろ「全力で努力するのが怖い(評価されないから、かえって落胆が大きいから、頑張ればがんばるほど辛いだけ)」みたいな、ネガティブなものしか残っていないような気もする。(だから、この話は、もういいってば。)

僕も、学生に対しては、「怒って」伝えようとする、そういう側面はかなりあった気がする。師匠の講演会で、散々考えさせられて、かなり学生への伝え方は変わってきた。

緊張感を持って授業に出て欲しいから、授業中によくあてる。答えられない時に、学生が「いじける」のは避けたい。それだと、あてても意味がない。ヒントを出して答えられない時に、最近は「今回は、気にしなくていいよ、その代わり、次に同じ質問をした時は、ちゃんと答えられるように、覚えておいてください」なんて言葉を補うようにしている。(じゃぁ、いつ誰にどの質問をしたか、全部覚えていられるか、なんて言われたら、まず無理なんだけど。)
図々しいことに、学生には、「誰かがあてられた時は、自分があてられた、と思って、真剣に考えてみて」なんていうオマケの一言もつけている。

話を戻す。「暴力的な手法」に頼らなくたって、工夫次第、テーマからの話題の広げ方次第で、集中力を持続させたり、記憶に残せるような方法は、あるよな、という気が、もう、15年以上教員をやっていて、ようやっと気がついてきた。とにかく、学生の目を見る。学生が顔を上げて講義を聞くように、顔色を見ながら話題を展開させる。僕自身の中にある、どの「引き出し」をあけるかは、同じ内容の授業でも、学生の答えとか、顔色の変化から、その都度変える。かなり面倒くさいけれど、こちらのコンディションが良ければ、やれないことはない。最近、こんな気がしてきた。

つまり、「暴力的」に学生に何かを伝える、なんてのが「禁止」されたって、教えるという立場では、一切困らない。だとしたら、それが、「親対子」であっても「教師対児童・生徒・学生」であっても、さらには、「上司対部下」であっても、どんな上下関係があったとしても、暴力的な手法は一切容認されない、そうした社会に変容しつつある、そんな気がするし、それが既にGlobal Standardになりつつあるようにも思う。
言うまでもなく、それは「国家対国民」であっても同じ、なんだろうと思う。(やっと本題)

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200618/k10012475661000.html
中国 香港めぐるG7外相共同声明に“内政干渉”と反発

基本的な人権に関する問題は、国境を超えて扱われるようになる。それは時間の問題。

SNSとかYouTubeとかで、世界中の「ヒトとヒト」のつながりが密になって来ている。国籍が違ったって、友人に困難があったなら、なんとかしたいと思うのは当然の考えだと思う。
そうなって来ると、いずれ「国家」と言うものも変化して来る気がする。今はまだ、変化の兆しがある程度、だと思うけれども、「国家」とは、「たまたま、自国において国籍を有する人たちに、法的な義務を課し、最大限保護する義務を負う」ような存在であり、「たまたま、現在自国の領土/領海とされている場所に、優先的な立場を持つけれども、地球環境に悪影響を及ぼすような行為は、他国から非難される」ような存在でもあり、何が「内政」なのか、特に、基本的人権と、地球環境問題に関しては、これまでと同じような主張ができなくなって来る、そんな気がする。

だから、大規模災害などで(多くは、地震や津波などか)被災者が多く出たなら、多国籍的に「緊急支援」の申し出が出て来る。そうした援助の「裏表」で、人道問題に関する緊急事態が起きたならば、世界中からの「干渉」が起き得る。現在でもある程度、そうした状況になっていると思う。情報発信をどれだけ抑制したところで、いずれは漏れる。時間差をおいて漏れた時は、リアルタイムに漏れるよりも非難の程度が激しいと考えるべきだと思う。数年後に、なんて言う話になったら、悪政としてインターネット上の「歴史」に刻み込まれる。

逆に、今後は、緊急事態でなくても、(例えば、中村哲さんのように)援助的な手助けは行われるようになるだろうし、その一方で、日常の些細な「人権無視」の行政などについても、海外からの「非難」は集まりやすくなる、そんな気もする。いや、そうなるべきなんだ。もっと、日常的に、「国境」に囚われない、支援も、非難も、行われるべきなんだと思う。

どう言う「世界」を目指すか、それは、世界中の若い方々に委ねたい。(僕は、歳を取りすぎた。)え、中国?あそこは、「世界」を「共産党一色」にすることが国是だから、そうした風潮から除外していい、つまり、非難はしてもそれ以上は深追いせず、一方的な主張をしたら、よってたかって叩き潰し、災害が起きたら、そこそこ援助する、つまり、適当にあしらいながら、みんなで、生きやすい、住みやすい「世界」を作りましょう、なんて言う流れからは、除外してもいいと思う。

どんな「内政干渉」が許容されるべきなのか、それも、世界中の若い方々に、ネットを通じて議論していただいて、今現在のコンセンサスを形成して欲しいな、なんて、強く思う。そのための、プラットフォームとなるようなWEBページを提供できないのは、SEの自分としては情けないけれども。僕にはもう、カネもないし、動く自由度がない。志のあるどなたかに、委ねます。