専門職公務員

学術会議会員は特別国家公務員 研究予算配分に影響力
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO64645000V01C20A0PP8000/

公務員だから、公務員の人事権は総理にある、と。但し、公務員でも一般職ではなくて、専門職ではないか?専門分野の内容について、学術的に高度な判断が必要だから、日本学術会議の推薦に基づくのではなかろうか。その推薦に従わない、ということは、管総理が、日本学術会議のメンバーよりも、専門分野について高度な知識を有している、ということを、暗に語っていることになると、私は理解する。

だいたい、学問が導き出す内容なんて、普通に考えて理解できないものが少なくない。「パイ中間子は、粒子でありながら地球を貫通する」なんて言われて、「はい、そうですか」なんて、誰が簡単に言えるか?「粒子が地球を貫通する」なんていう話を、普通の人がしていたなら、「なに、こいつ馬鹿を言ってるんだ」と、普通だったら考えるだろうと思う。ところが、学問的な裏打ちのしっかりしている集団が、「この人は正しいことを言っている」と判断するからこそ、推薦される人がいるんだろうと思う。それを、素人判断で、「こんなバカなことを言ってる奴は、学術会議に相応しくない」とか言って、小柴先生とかの任命を(パイ中間子じゃなくて、ニュートリノだけど)管総理は拒めるんだろうか。もう、言ってることを鵜呑みにして、ハイハイと任命するしかないでしょうに。判断するの?

通例、学者の値踏みは学問の内容そのもので行われるべきで、その人がいつも貧乏ゆすりをするとか、そういう「素行」のようなものでは評価しない。だからこその専門職公務員なんじゃなかろうかと思う。それなのに、任命を拒んだ、っていうことは、総理がその学者以上に学問的な見識があると主張していることになると、私は思う。是非、教壇に立って、その辺のレクチャーをお願いしたいものだ。

自然科学ではなく、人文科学だから、総理にも学者以上の見識がある?そう言えば、「人文科学なんて学問じゃない」なんていう発言をどこかで聞いたこともあるけれど、それを言ったら、人文系の学者は怒るだろうなぁ。

人文科学系の場合には、自然科学のような定式化された検証が困難なものが少なくない。そうした基本的な性質があるから、客観性を担保しようとした場合には「両論併記」で、ほぼ相反するような両方の意見を含めた形で全体を構成する必要があると、私は考える。バランスを取ることによって、自然科学のような客観性の担保を行なっていると私は考える。それを、一方の考え方の人間だけを、現政権に都合が悪いからと言って排除するならば、それはむしろ、人文科学としての完全性を損なう行為で、総理が日本学術会議の推薦を断った時点で、その分野の学問的な完全性を破壊している行為になると私は考える。

なんていう指摘をしても、管総理は「総合的、俯瞰的」という返事しかしないだろうな、ってかできないだろうな。

素人が専門職の人事に口を出して、そこに「総合的、俯瞰的」という表現を使うこと自体がおこがましい。具体的な説明ができないならば、せめて、総理が任命しなかった方の帰属する学問分野について、「総合的、俯瞰的」に、その学問体系を解説するレクチャーをどこかでして欲しいものだ。

やれるもんなら、やってみろ。それができないなら、2度とこんな真似をするな。2度と口を開かずに、総理の職を全うしろ。どうせ、のらりくらりと、押し切るんだろうし。安倍みたいに。

内容がないよ〜

世耕氏「首相は極めてきちんと説明した」 日本学術会議会員任命見送り
https://news.yahoo.co.jp/articles/4a869f7deb7509a34a2238a27e7c62528b734781

極めてきちんと説明した。政策に関して単純な前例踏襲は認めないのが、菅首相の政治姿勢そのものだ

これまでの人は正しいことをやっていたのに、悪いことをしました。「前例踏襲はしたくなかった」道を外すんだったら、前例踏襲しないことがいいことだとは全く言えない。この説明も、理屈になっていない。

NHKのニュースでは、この人この後、「あの説明で大半の国民が納得したと思う」とか発言していた。人をバカにするにも程がある。

どこが「きちんと」なんだか。あれだな、学生のレポートで、表紙に名前が書けていれば、C評価を出しちゃうやつ。それが当たり前の世界になってきたのか。法政じゃ、一度もそんなことはしなかった。東京電子でもこれはやってない。じゃぁ、どこでやったんだ、なんて話は、聞かないで欲しい。本当に最後の手段だったんだから。その最後の手段が、安倍でも管でも常態化しつつある。

甘いなぁ。バカらしいのは、「丁寧に説明します。」とだけ、丁寧な口調で繰り返すパターン。「説明の口調」が丁寧なだけで、説明の中身は全くなくて、ただ「今後も丁寧に説明を重ねていきたい。」と、そのセリフを重ね続ける。安倍と一緒じゃないか。

パワーバランス

一体、どういう形が理想型なんだろうか。無謀を承知で、そこからの発想をしてみる。

核兵器は禁止。これは、核兵器禁止条約が出来たことで一歩前進した。

「圧倒的な軍事力」による「力の政治」の解消。とにかく、課題はこれに尽きるんだろう。
アメリカも、太平洋戦争の、特に真珠湾攻撃以来の「残像」を引きずっている。それが「圧倒的な軍事力」への強烈なモチベーションになっているに違いない。自国の領土を攻撃された稀有な出来事でもあったに違いない。

日本も、太平洋戦争の、特に最後の年を中心に、いまだにトラウマや残像を抱えている。軍事政権に全てを委ねる結果になってしまったトラウマ。「圧倒的な軍事力」によって「圧倒」されたトラウマ。結果、それらが絡み合って、軍事はアメリカに一任し、完全に核の傘に落ち着くことで自国の安全を守ろうとし、その50年来の構造から全く発想が更新できていない。

友好国としては兄弟のような関係でもいいと思うが、もし、日本が「強固な日米同盟」を解消し、日本は日本独自に安全や平和を模索する、とした時に、中ロ、特に中国は、どう対応するだろうか。というよりも、「対応」ではなく「方向転換」するか、じゃなかろうか。

アメリカも、太平洋戦争の残像を引きずっている。そのアメリカの「圧倒的軍事力」と、冷戦構造の「対共産圏包囲網」で世界が二分されていた頃の残像で、ロシアも、中国も「軍事拡大路線」から一向に抜け出せない。
ロシアなど、冷戦構造が壊れた後は、あちこちに紛争を起こしては武器を売る「死の商人」と化している。

アメリカも、中国も、ロシアも、どこも残像しかみていないような気がする。その上で、どこも「軍事路線からの離脱」を謳えない。ある意味で、完全なチキンレースのような気がする。

日本は、特に自民党は大手商社などと密接な関係を維持していて、ある意味でその辺りに「窓口」があるんだろうか。「脱軍事」を看板に掲げることがあり得ない事情がそこにある。幸いなことに、中国やら北朝鮮やらは挑発をやめない。どうせ、彼らは何も変わらないという「安心感」があって、安倍の慢心はその辺にあったんじゃなかろうか。

チキンレースに邁進する超大国と、その狭間で利権に括りついた日本と、どこでどう、「理想的な世界」を目指して舵を切るか。結構、日本は「キー」となる動き方のできる立ち位置にあると思うんだが、はっきり言って、年寄りには無理だろうと思う。この時代である。若い世代の方々、とにかく横の連携を広げて、下からチキンレースをやめさせ、極東から、いずれは中東まで、イスラム圏はイスラム圏、極東は極東、どの国も固有の文化を尊重しつつ、危険なパワーバランスを崩して、安定な形に変えていって欲しいと願ってやまない。

そのためには、今回管総理が任命しなかったような人材こそが、一つの駆動輪になるような気がする。
アメリカは論外として、共産圏でも地球的な視野を持つ政治家に出て欲しいものだとは思うけれども、そもそもが「地球的な視野」と「共産主義思想」とは相容れないか。

この話題、書くのをやめたと言いつつ、また書いている。数日来、耳鳴りがやまない。周辺の音があまりはっきり聞こえず、訳のわからない「雑音」だけが耳で響いている。なかなか仕事にも集中できない。結果的に、朝っぱらからこんな話題を吐き出してしまった。
書くべきことを書き尽くせば、きっと、僕の耳鳴りは止まります。仕事に集中できん。

責任問題

管総理が、日本学術会議の被推薦者を任命しなかった件。

任命に関して、総理の判断が入る、ということは、学術会議が出した結論について、仮に誤りがあって、国家的な損失に繋がったとしても、どれほど高度に学術的な判断が要求される問題であっても、その「学問的な判断の責任」を総理が負う、ということになるんだろうな、と思った。

とことん、責任を負ったらいいと思う。

極めて個人的に、僕が以前勤務していた大学で、科学技術研究費の申請に関係する書類を出したら、不受理にされて、その際に、「不受理の理由」を僕に伝えてきた事務方の職員の方が、「悪いことをするに決まっているから、書類を不受理にしました」と理由をきちんと教えてくれた。まぁ、書類を出したのは私本人ですから、本人だけに伝えるというのは、ある意味、筋が通っているのかな。そして、僕は、その事実を何回でも書くだけ。事実を事実として書いた結果、どんな波及効果があるかは関係ない。すべては世間が判断するに違いない。「あぁ、こいつだったら、確かに悪いことをしそうだ」と、そういう判断になるかも知れないし。(だから、お願いだから、自治会の会計をもう5年もやってる私を、辞めさせて欲しいんだが・・・)

どーいう波及効果があるんかなぁ。その大学は、そういう大学だと、その事実だけはきっちりと世間に伝わるんだろうか。僕のページなんか、誰も読んでないかも知れないし。誰かに読まれていたとしても、どんな効果があったとしても、事実は事実なんだから、いい結果だろうが、悪い結果だろうが、その責任は、その「悪いことをするに決まっている」という判断を下したその人(たぶん、トップの取り巻きなんだろうけれども、)が負うことになるに違いない。私には関係ないから、もう、どーでもいい。ただ、折に触れて、きっかけがあったなら、「事実の蒸し返し」はするかも知れない。

「まだ、引きずっているのか?」って、全然、引きずってません。ただ、面白いから、何度でも蒸し返しているだけ。

このまま、意固地になって撤回しなかったら、何か、ちょっとでも問題が起きた時に、「それは、管総理の責任だ」と、結構面白いことになるかも知れない。いかんせん、自然現象でも、科学技術の問題でも、もう、最前線の専門家でも予想もしきれない展開が少なくないし、政治学っていうんだろうか、海外の政治家でも、想像もつかないような方が選ばれてトップになったりするご時世だから、全責任は管総理っていうことで、いいんじゃないだろうか。

日本学術会議は、学問における専門家集団だと思うけれども、「任命責任」をすべて総理が負うことになったんだから、気楽に、純粋に学問的に、ご自身の意見を述べるだけで、国家がどうこうなんていう問題は、一切考えなくてもいい、っていうことに落ち着けて、黙って、この国の行末を見ていたらいいのかも知れない。是非、15年後位に、この話題を思い出して欲しいな。

このページで、僕は、僕にできることは全部やった。納得したので、この話題はもう吹っ切る。

総合的、ふかん的

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20201005/k10012649301000.html
菅首相 学術会議の任命見送り「学問の自由とは全く関係ない」

何ら、具体的な説明をしていないような気がした。
要するに、総論であって、各論についての説明がない。

個別の人事に関することについてコメントは控えたい

質問をはぐらかしている。公人が公人の人選について税金の使い道として不適切と判断したのならば、というよりも、適切と判断する場合も不適切と判断する場合も、具体的な根拠の説明は必要ではないのか?判断しないならば、説明の必要はない。判断する以上は、根拠の具体的な説明が必要だろうに。公人になるということは、不適切と判断され、その根拠を晒されても、ある意味「税金の投入」がある以上、やむをえないと思うし、説明しないことの方がはるかに問題が大きい気がする。やり方が独裁政権みたいだ。

判断基準を明確にできないならば、今後、誰を推薦していいか、判断に窮すると思うんだが、そういうことは考えないんだ。適当にご都合で、気分次第で、この人はダメ、この人はいい、そういう「任命」行われるのに、推薦する側には一切の具体的な根拠を示さない。「丁寧に説明していく」って、安倍がよくそのフレーズを使った割には、すべてシラを切り通した。柳の下の二匹目のドジョウを狙ってる訳だ。

あれと一緒だなぁ。「前向きに検討した上で、善処します。」要するに、何もしないと言っている。日本人相手だったら通じる常套句。「検討」したけれども、検討の結果「善処」したら、何もしないことになった、と。じゃぁ、その前の「前向き」ってのは何なの?ってことになるはずで、このフレーズをそのまま外国語に翻訳すると、ほぼ「やります」と同義になる気がする。その場しのぎのごまかしの常套句。

理由を聞かれたら、具体的なことは何も言わずに「総合的、俯瞰的に検討した結果、こうなりました」と、質疑応答で、済ませてしまう。流行りそうだなぁ。都合の悪いことを聞かれると、全部「総合的、俯瞰的に・・・」
さらに突っ込まれたら、「相手のあることであって、相手の名誉に関わるから、コメントは控えます」と。なるほど、立派な言い分だ。都合の悪いことは、一切説明しないための常套句になるかも。

そもそもが、原発なんかで顕著だけれども「専門家会議」と称する政府の召集する会議は、「学問」の看板を掲げていながら反対意見を述べそうな人間は一切選ばないのが慣例。都合のいい人間を集めて、都合の良い「助言」だけを聞くのが政府の「専門家会議」というか、学問に対するスタンスだから、ワンマン組織がイエスマンだけで側近を固めるのに似て、リスクの回避とか、緊急時に選択肢を増やすとか、そういった機能は一切持たなくなる。「優秀な人材だけを選びました。」と。根拠を示さなければ、誰もが優秀になる。要するに、日本学術会議をイエスマン集団にする結果だけを招くわけで、国勢を衰退させるだけの結果になると思う。

農家なんかで、作物や家畜を一種類/一品種だけに集中させると、想定外の病虫害などが起きた時に、全滅する。異なる意見を取り入れることの重要性、もっとはっきり言えば、自分と意見を異にする人間を受け入れる度量がないから、こういう判断を平気で下す。

「国民の税金を使っているから」ということならば、私も一応は国税は滞納していないと思うけれど、税金を払っている一人として、「この人に日本学術会議で仕事をしてもらいたかった」と思う場合に、なぜそれが認められなかったのか、具体的な根拠を示してもらうように要求するのも、納税者の権利のような気がする。それとも、「寄らしむべし、知らしむべからず」なんだろうか。

このまま押し通したなら、モリカケサクラに続いて、都合の悪いことを誤魔化す常套句として「総合的、俯瞰的に判断した。」っていうのは定着するかもな。