ググり文化

私は、いつたい何をやつているのだらふ・・・

なんも考えてません。目の前の事象に反応しているだけ・・・
時にプログラム、時にレポート採点、時に教材作成、時に授業、時に自治会会計、etc etc.

腹減った。3分待つ。スマホでニュース配信。で、ちょっと前のニュースを思い出して、書いてる。

レポートを読んでいて、「あれ?」と思うことがある、それ自体は昔からそうなんだけど。
理解が皮相的というか・・・

国試対策の授業中に学生にあてて、答えさせる。正解!よくできました。
そこまではいい。念のため、と思って、関連する大元の項目を質問すると、理解してない。
端的に言って、土台となる知識は欠落しているけれど、その結果の「応用」部分は暗記科目的に正解を出せる。確かに、点数を稼げればそれでいいんだけど・・・
なんだかなぁ。

やっぱり、何となく、知識が浅いというか、項目間の関連が断ち切れているというか、何かうまく表現できなかったのだけれども、少しだけ、この記事を読んで、なるほど、という気がしたのがあったので、拾ってみる。

なぜ若者は、それでも「安倍晋三」を支持するのか
「批判する奴は陰キャ」という暗黙の認識
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/73403

頭があまり働いていないので、引用が長いし、多い。つまみ食い的な文脈の斜め読み。下記の引用の段落区切りは、原文では、結構間が飛んでます。下の文章の主旨を歪めていないか、不安。

現代ビジネスの主要な読者層も40代以上の中高年層と聞いているので、にわかには信じがたいかもしれない。もしスマホにTikTokが入っているなら、試しに「安倍総理」とか「安倍晋三」と検索して確かめていただきたい。(中略)寄せられるコメントも、批判的なものは極めて少なく、「親近感が湧いた」「かわいい」「応援してます」というような、肯定的なメッセージが多く目につく。(途中省略)

若者は安倍総理個人だけではなく、政党としても自民党を支持する傾向が強い。

彼らの多くは「マイクロ共同体主義」とでもいうべき人生観を持つ。すなわち「自分と自分の仲間内だけがうまくいけばそれでよい」という最適化戦略を取っているのだ。(途中省略)

しばしば若者たちにとって自民党は「リベラル」な政党と映り、こうした社会規範や時代の方向性に批判的な態度を取る野党側の方が、むしろ「保守」として見えてしまうことすらある*3。

そしてもう一点重大なのは、若者たちにとって「批判」の捉え方が、一般的な理解とはまったく違うということだ。(途中省略)

自民党や安倍政権に批判的な中高年層(とりわけインテリとされる高学歴な人びと)にとって、「批判すること」とは、よりよい方策や建設的な結論を導出するために必要不可欠な営みだろう(途中省略)

一方、若者たちはそうは考えない。「批判ばっかりする奴はウザい」などと考えている。(途中省略)

若者たちの視点からは、安倍総理は他人の批判をせず、粛々と政策を実行する側であり(政権与党のトップなのだから当然そうなるのだが)、野党はそれにゴチャゴチャと外野から「批判」をぶつける人びととして観測される。若者にとってどちらが「自分たちに親しい側の人間」に見えるかは、想像に難くない

という流れ。

要するに、「文句ばかりをいう野党」は、陰湿な「保守」と理解され、文句も言わずに頑張っている政権与党は、社会をよくしようとする、愛すべき「リベラル」である、と、感じている若者が多い、ということか、と私は理解した。

中身を理解していない、「雰囲気」だけは理解し、そこから全ての結論を出している、ということになるんだろう。というよりも、「雰囲気」を掴んだ段階で「理解」した気分になっている、そうした若者が相当数いる、ということなんだろうか。

例えば、だけれども、専門用語の説明を求めたとして、仮に「おはぎ」というものを食べたことのない学生に「『おはぎ』とは何か、説明しなさい」と求めたとする。
そうすると、たぶん、Googleなんかで拾ってきた「あんこの原料となる小豆は、主産地が北海道で収穫量の8割は北海道である」とか、「ごはんを炊く際には、はじめチョロチョロなかパッパで」とか、なんだとか、かんだとか、「そんなこと、聞いてないよ、ごはんをアンコで包んだ甘い食べ物で、とか、書いてくれりゃいいのに。でも、食ったことなけりゃ、わからんか」ってな、一体、何の説明をしているんだ、的な、そんなこと、聞いてないよ、的なレポートが出てきたりする。

何か、ネットで拾った余計なことは山ほど書いてあるのに、本質的な、知っていればたったの一言で済みそうな一言がなくて、文章の繋がりも何もなく、ネットページのコピーが羅列されて来たりする。そういうレポートの比率が、だんだんと増えてきているような気もする。全くのバツにも出来ないし、そのレポートを読んでも、理解してるのか、してないのか、どうにも判断に困る。たぶん、わかってないんだろうなぁ。

本人、これで、わかった気分になってるのかなぁ。私にとって疑問なのは、彼らのメンタルというか、世界がどう見えているんだろうか、という部分だろうか。断片的な知識の羅列。その中に、自民党も、安倍元総理も含まれていた。
カワイイなら、それは善。叩く人たちは悪。なんかなぁ。そういう若者に、「もっと選挙に行こう!」と叫ぶことの危険さ、に、なんだかちょっと、怖くなった。迂闊なことは言えない。

見え隠れするのは、彼らが「ネット」からどういう扱いを受けて来たか、という来歴だろうか。「学校裏サイト」なるものが存在し、誰かが誹謗中傷を始めると、そこに「いけにえ」が生まれる。下手に庇ったりすると、意に反して自分も標的になる。そういう育ち方をしてしまって、「非難するものは絶対に悪」というメンタルが形成されてしまったんだろうか、(全員とは言わないけれど、)なんとなく、そんな気もしている。だとしたら、気持ちはわからんでもない。
その結果がこれ、

彼らの多くは「マイクロ共同体主義」とでもいうべき人生観を持つ。すなわち「自分と自分の仲間内だけがうまくいけばそれでよい」という最適化戦略を取っているのだ。

加えて、「知識の習得」って言ったって、確かにネットを効率的に使いこなして、知識と知識の間のリンクをきちんと繋いで、ネット情報を深く理解している子供(いずれは、学生、そして、いずれは大人)も、少なくない一方で、考えて「知識」と「知識」をつなぐことを諦めてしまって、「知識」の断片をネットから引っ張り出せた段階で、「あ、わかった!」となってしまっている子供の比率も、増えている、そういうことじゃないか、という気もする。

なんだか、アメリカのトランプ支持が笑えなくなった。トランプさんは、頑張ってる。ガムシャラに何かを主張し、一目散に突っ走ってる。それがいいんだ、ってか?何か、似てる気がした。

さらに、怖いと感じたのは、「リアル」と「バーチャル」な境界が、どんどん不鮮明になっている感じだろうか。
事件の関係者として、誰かの名前が上がった。適当にググって、別人を「悪い奴だ」と断罪して、ネットで誹謗中傷する。書いてる本人は、事件の関係者ではないし、その誰かの知人でもないし、赤の他人でしかない、まったく「ひととなり」を知らない誰かを、「知ってる」かの如く悪人として断罪する。
おそらくは、「学校裏サイト」なんかでも、それをやって来たんだろうか。

ある意味で、ネットでどれだけ叩かれても、叩かれている「自分」は、「リアルな自分」ではなくて、「バーチャルな自分」であって、自分とは無関係だ、というところまで達観してしまえば、根拠のない誹謗中傷を浴びても、ある程度は耐えられる気もするけれど(ただ、浴びすぎると感覚が麻痺して、体が動かなくなったりもするけど、)、現実に起きてることは、それによる「風評被害」ではないけれども、「実害」であって、お店を閉店に追い込まれたり、事業をたたまざるを得なくなったり、メンタルにどうこうという問題を突き抜けて来た気がする。

この「わかったつもり」の錯覚、これだけグーグル検索とかが便利だと、弊害の方も、徐々に鮮明になって来たような気がする。

ネット中傷、電話番号開示へ省令改正 投稿者特定が迅速に
https://securitynews.so-net.ne.jp/news/sec_30262.html

「表現の自由」なんてことも確かにあるけれど、虚偽の内容の拡散は「表現」とは違う、ような気がする。そもそも、私は(このページでは顔はだしていないけれど)自分がどこの誰か、特定できる状態で書いているけれど、投稿内容によっては書いた本人の個人情報も晒すという措置は必要な気がする。

僕らの世代は、「バーチャル」の元となる「リアル」を、ある程度経験した上でグーグルとかを使うから、「便利」なんだけれど、「リアル」が欠落したところで、バーチャルな世界から流入する大量の「情報」に晒されて、善悪の価値観さえ、我々の世代と共有できない若者が、もし、増えてくるとしたなら、ネットのあり方とか、相当に議論しないと、危険かもしれない、そんな気がした。

なにか、漠然とした不安感というか、モヤモヤしたものを、言葉に出来たか、と言えば、たぶん、半分もできていない。

まぁ、いいや。書いて吐き出して、とりあえず、目の前の仕事に集中するだけ。(このページを書いた私の目的は、私自身のカタルシスです。ごめんなさい。)