不存在/存在

「コロナは茶番」侮る人の大量発生を防げない訳
https://toyokeizai.net/articles/-/399496

東洋経済さんが、スピリチュアルな切り口を扱った記事を、掲載されたんだ、と思って、ちょっとだけ喜んだのも束の間。

なんだか、犯罪者扱いされているような気がして、私の書いているページなんかも、ここに括られるんだろうかと考えると、あまりいい気分じゃない。
「誤解」があるならば、解くべきだろうと考えた。「決めつけ」があるならば、反論するべきだろうと考えた。

現代というネット社会。極めて厄介なのは「非常に浅薄な理解で対象に対する決めつけを行う人がいると、そうした主張に深く考えずに迎合した、無関係な第三者が、加害者となって襲いかかってくる」現象だと思う。

師匠の勉強会から、私自身が考えた内容をしばしば、ここに書いている。その内容を「スピリチュアル」だと断じ、コロナ対策に有害だと決めつけられて、その「誤解」を解かずにいたら、師匠に迷惑がかかる。それだけは避けたい。
だから、このページを書こうと思った。

この評論家の方。表現を断片的に(正確なところは、私のページの読み手の方々が、元記事の全文にも目を通していただいていると、想定して)拾い上げても許されるならば、

これらは、あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そうとする進化心理学の理論をなぞるものだ。

認知科学者のダニエル・C・デネットは、それを「志向的な構え」と名付けている。

学問の話か?私の立場は、というか、師匠のお立場も、この著者の方のスタンスとは全く別で、「だって、そこに存在しているんだから、その話題を取り上げているだけ」であって、存在しているものの存在を感じ取れない方に、無理にわかってもらおうとも思わないし、学問体系として扱おうなんて、馬鹿らしくてカケラも考えていない。

お腹がすけば、誰もが料理したりして食事する。食材を炒めたり、煮たりして、塩こしょう、砂糖、みりんなんかで適当に味付けして、「ああ、おいしく食べられる」と思っているところへ、調理科学という学問によれば、とかなんとか理屈づけを持ち出されて、「このタイミングで塩を加えることによって、なんちゃら、かんちゃら」って、うっとうしい、というか、面倒臭いというか、そうじゃないでしょ、と。
目の前に食材があります。お腹が空いています。こうして炒めて、自己流で料理したら、結構美味しく食べることができて、おなかもいっぱいになりました。以上。それだけ。そこになぜ「学問」を持ち出す?

そもそもが、この

あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そうとする

ってところが引っかかる。探そうなんてしてない。そこにいるじゃない、っていう話題なんだが・・・議論する気はない。議論にならない。根拠を提示できないから、そうやって学問したいならご自由に、という感じだろうか。ただ、百聞は一見に如かず、で、こちらとしては、「一見」の話題を扱ってるのに、「百聞」で学問している方々の主張を土台に話題を振られた挙句に

しかし、実態としてエイズ否認主義の結末と同様に、コロナ禍に対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒を担いでしまう。

この結論は、かなり困る気がする。

良かれ悪しかれ「スピリチュアル」なんていうカテゴリーが市民権を得た、という証拠のような気もするけれども。

数年前まで私は、臨床工学の分野の専任教員だった。大学で教えた教え子の何人かは、現場でECMO(ExtraCorporeal Membrane Oxygenator;エクモ; 膜型人工肺血液酸素化装置)を回しているかも知れない。臨床工学というのはそういう分野で、人間の体に「機械装置」で働きかける、医療分野の一つだとご理解いただければ、と思う。

そこで教えていて、あえて私が、師匠から学んだ中で「スピリチュアル」な立場から学生に働きかけたとしたら、唯一、以下の話題ということになるだろうか。(この時以外は、一切、人間の体をモノとして扱う立場を貫いていた。)

ある学生の態度が気になったので、クラス全体に、こんな質問をしたことがある。無論、医療従事者としての括りで、細かい職域の話題を持ち出しても、学生にはそこまで理解がないから、あえて「医者」という括りで質問をした。

「もし、皆さんが、医者にかかるとしたら、次の三人のうち、誰を選ぶか?
まず、Aさん。医学知識は抜群で、外科手術などの指先も器用だけれども、患者を人として扱わない心の冷たい人。
次に、Bさん。医学知識が抜群に優れていて、患者思いで温かみがあっていい方なんだけど、診療とか治療行為となると、不器用で、血管にカテーテルを入れるのに30分とかかかるような、不器用な人。
最後に、Cさん。人間として温かみがあって患者思いだし、指先も器用で手術ミスもないけれど、医学的な知識がおぼつかなくて、誤診が少なくない人。
さて、Aさん、Bさん、Cさん、だれに診てもらいたい?」

学生に何を言いたかったか、また、私がどんな答えを望んでいたか、適当に察してもらえるとありがたいです。
ただ、この話題の持ち出し方は滑った感が半端ない。意外なことに、(あるいは、ある意味当然かも知れないけれど、)多くの学生がAさんを選んだ。まぁ、そうだろうな。そうかも知れない。おそらく彼らの基本的な考え方は、人間の肉体は機械と同じで、知識が正確で、治療行為(手技を含めた物理的な扱い方)が正しければ、どんな思いで接しても、治る病気や怪我は、同じように治る、ということかな。心が体に与える影響などは、ない、か、または、あったとしても大した影響じゃない、という考え方が、ある意味で「社会通念」なのかも知れない。

ただ、患者として医者に接した経験がある人だと、Aさん、Bさん、Cさん、どれも嫌だな、ということがあるかも知れない。(完全に、滑ったとは思ったけれども、)私がこの話題で言いたかったこと。知識も大切だし、スキルも大切だし、患者に対する心も大切だし、三拍子揃っていないと、いい医療従事者にはなれないよ、ということでしょうか。(でしょうか、って、質問してどうする・・・)
実際、患者の立場になったら、Aさんみたいな医者だと、嫌だと思いますけどね。これは、患者になってみないとわからないかも知れない。そして、案外、世間一般の理解も、人間の体を機械として扱って、措置さえ正しければ普通に治る、と、そういうことなのかも知れない。

念のために申し添えれば、外科医ばかりではなく、かなりの医療職で、ある意味「技術職」のような「スキルの熟練」は求められていると、私は理解しています。人工心肺なんて、たぶんだけれど、文字通り「患者の顔色」を見ながら、微妙に、ポンプの回転数を調節したりしているんだろうな、なんて思う。微妙な指先の感覚、大事だと思うから、前述の話題を持ち出した。

もし、ここで私が「相手に接する心が大切だ」と、学生に伝えようとしたことが、もしも「世間一般」の「スピリチュアル」の括りに属して、

コロナ禍に対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒を担いでしまう。

という判断をされるとしたなら、一般の医者がどう考えているか、患者に対してどんな態度をとっても、結果が同じかどうか、聞いてみて欲しいと思う。
「心療内科」なんていう括りがあったな、と思う。心なんてものが肉体に影響を与えるのは、錯覚だと主張するなら、お医者さんたちにも聞いて欲しいと思う。
私の理解では、人間の実体は「肉体」ではなく「意識体」つまり、「心」。肉体の細胞は、多細胞生物から、進化のプロセスにある単細胞生物、さらに遡ってコアセルベートに至るまで、細胞自体もヒトとは異なる「意識」を持っている、と理解する。そこからさらに遡り、電子のような粒子にも「意識」があると、師匠の講演会を通じて私は理解している。こうした本も出版されている。

量子力学が明らかにする存在、意志、生命の意味

つまり、「肉体」の借主である私たちヒトが、肉体の「細胞」たちの声を集約する「脳」に反応し、あるいは、「脳」を通じて肉体に「意識」を送れば、体そのものも、「対応を変える」ということがある、という文脈で、「心」による働きかけが重要だとして、健康とか病気とかを考えている。それが、実際の医療で、どこまで当てはまるのか、検証した上で「現実離れ」しているかどうかを論じて欲しいと、私は考える。
下部構造について「階層性」が成り立つならば、上位構造についても「階層性」が成り立っていると、容易に推測できると思うのだけれども、ヒトこそ、唯一意識を持つ存在であって、ヒトの下にも、ヒトの上にも、意識体など存在しない、という主張は、一体どんな根拠から成立するんだか。私は、むしろ、そちらの根拠を伺いたい。

師匠の講演会。確かに「何らかの主体的な存在」が前提になる。ただ、探しているんじゃなくて、そこにいるよ、ここにいるよ、と、そもそもの出発点が違うから、それを「学問」として扱われてしまい、その学問的な解釈から危険だと言われてしまうと、文句を言いたくなる、というよりも、的外れも甚だしいと突っ込みたくなる。証拠の提示?いや、そもそもが、接点がないという気がするから、理解は求めていないんだけれども。(そもそも、理解とかそういう問題ではなくて、あ、確かにいらっしゃると、感じるとかそういう問題であって・・・)ダメだなぁ、言葉で表現しきれない。私の、言語表現能力の未熟。

ただ、事実として書けることは、師匠は秩父周辺で、万を超える人数の方に手を当てて、ヒーラーとして結果を出して来られたから、医者から見放された病気を治してもらったという方も、相当数いらっしゃるはずだと思う。以前、ぼそっとおっしゃってたと思う。あの人たちは、今どうしてるんだろうか、みたいな感じ。師匠は一切の報酬は求めないから、タダで治してもらいました、ああ良かった、じゃあね、と、そういうことかも知れないし・・・わからん。ただ、少なくとも、冒頭の記事にあった「チャネラー」という括りがあるとしたら、師匠はその「チャネラー」にも「ヒーラー」にも該当すると思う。それ以上だとも感じているけれど、書くのは、ここにとどめておく。
「そういう、お前は何様のつもりだ」と言われたなら・・・私の答えは、「私は医用工学を専攻した、システムエンジニア様だ、文句あるか」でしょうかね。あれこれと、やったり、書いたりはしましたが。(何をどう、突っ込まれても、ボケには困らんけど。)

ここまで書いて、やっと、書き始めの頃に感じた違和感の正体がわかった。この一文。

あらゆる物事の背景に「何らかの主体的な存在」を探そうとする

そうか、この学説を唱えた方も、この著者も、この「何らかの主体的な存在」が、存在しないという前提で書いているんだ。
と気がついて、気が楽になった。
こんな感じ。エレベーターの前で、さかんに社長の悪口を言ってる社員がいた。その社長を、僕は好きだと仮定して・・・。
その人のすぐ後ろに、近づいてきた社長が立ってるのに、真後ろに目はありませんからね、平然と社長の悪口を言い続けている、そんな感じかなぁ。向かい合ってる私にしてみたら、あなたの真後ろに社長が立ってますよ、と、言いたいのだけれども、黙って勝手に言わせておく感じ。
腹立たしいというよりも、なんだか腹の底では、ニンマリと笑いながら、どうぞ、ご自由に言いたいように続けてください、っていう感じだろうか。社長が、ご自身の存在を否定する方に対して、寛容かどうかは、私は知らない。

一つだけ、主張しておきたいことは、他の「スピリチュアル」な集団については知らないけれども、少なくとも私が参加している勉強会については、社会秩序に敵対するつもりなど、一切ない。
私自身は、たぶん20年以上インフルエンザのワクチン接種は受けていないし、それでもインフルエンザにはまったくかかっていない。ただ、それを他人に当てはめるつもりもなければ、インフルエンザ・ワクチンの有用性を否定する気持ちなど毛頭ない。ただ、流行しているインフルエンザの種類と、用意されたワクチンの種類が噛み合わなければ、効果が乏しい点については、医学的な論文を根拠に主張することはあるかも知れない。
他の勉強会の仲間について、感じたままを書くならば、結構「見えたり、聞こえたり」という経験がある方々が、その正体を知りたくて流れ着いて(流れ着いて、って、結構失礼な表現かも。すみません、私の場合はという流れで書いていますが・・・)勉強会に参加したり、されているようなケースもあって、(ここがポイント)「存在を探そうとする」のではなく、「あの存在の正体は何なの」という方が前提になってる。議論が噛み合うはずがないことは、百も承知しているけれども、人畜無害で、一切世間に迷惑をかけるような行動はしていないし(え?私?存在そのものが迷惑だ、って言われたら、反論できませんが・・・)この種の決めつけは、やめて欲しい気がする。何も感じられない人と、「あの存在はなんなの?」って、議論できるはずもないし、どうしたらいいのよ。
そもそもが、なぁ。「見える、聞こえる」が日常だった方にとって、それをわかってもらおうとしたって「無理/無駄」という答えしかない、気がする。決めつけられて押し切られるのが関の山だから、存在しないことを学問として扱うなら、どうぞ、ご自由に、ですが、私は「どこが学問なの」と思っていると、そんな気分だろうか。

数学なんかの場合、「不存在の証明」は、厄介極まりなかったな、と思う。証明されていない命題って、まだ何かありませんでしたっけか?ところが、「存在の証明」は、簡単かつ、単純極まりない。「はい、この解が存在しています。」と、それだけ。
私の感覚では、「ここに解が存在してますね」と、それだけなのに、「そんなのはフェイクだ」と、何を言ってもフェイク扱いの一点張りで、存在していると言えばフェイク扱いされて、存在していないことを前提としての「学問」とかを振りかざされると、なんだかもう、付き合いきれない気分になってくる。某国の大統領並みに、厄介な相手に感じる。
この、「何らかの主体的な存在」が存在しないことこそが、真実であると主張してやまないならば、私の感覚では、そうした立場の方々というのは、「コロナなんかフェイクだ、と、日本医師会の建物に殴り込もうとした方々」と、まったく同じに感じる。

書きたいこと、今書けると思う内容は、書き尽くしたと感じた。
百歩譲る。「何らかの主体的な存在」が存在しないとお考えならば、あなたのその「自由意志」に対して、一切干渉するつもりはない。「肉体こそ全てで、死んだらそれで終わりだから、必死で生きることにしがみつく」という立場も、そうお考えならば、干渉はしない。私自身も、(また、同じ勉強会に参加している仲間の大半も、)「肉体を持っている、ということは、神から与えられた得難い経験の場だから、生きる(肉体生命を護持する)ことも、とても大切なことだ」と、考えている(と、思う。)でなきゃ、「医用」工学なんか、専攻するか、と言いたい。

私自身は、少なからず「早期にコロナ禍が収束し、何事もなかったかのように、東京オリンピックを開催できる」などとは感じていない。早期に収束させたいならば、一人でも多くの人が、ヒトとしてどう生きるべきかについて、真剣に考えて行動すべきだ、とは、私自身は考えている。(おそらく、この部分に異論があるのだと思うけれども、)無論、ワクチン開発も重要だし、マスクやフェイスシールドについても、今年の2月か3月頃には騒いで書いていた。バックナンバーを参照してください。言わせてもらえれば、もしかしたらその「スピリチュアル」な方面から何か突かれたから、フェイスシールドだのPCR検査だの、本当に今年の2月上旬には騒ぎ始めたと、私は感じている。5月頃まで、「PCR検査の数を増やすべきじゃない」なんていう主張も、結構あった。反駁する元気がなかった。今にして思う。看護師さんたちをバイキン扱いする人たちがいるんだから、「スピリチュアル」を諸悪の根元に仕立て上げる人がいても、仕方ないのかなぁ。その共通点/違いを、800字以上1200字以内で記述せよ。

コロナ禍に対する現実離れしたものの見方は、世界中で犠牲者数を増大させる片棒を担いでしまう。

どっちがだよ、と私は思う。この一文が、いかなる根拠によって主張されたものなのか、具体例を挙げて指摘していただきたい、とも、私は感じます。

いかなるものであっても、論説は論説として尊重します。書き手の人格に対する攻撃は、したくない。(けれども、私自身の根が野蛮だから、ついつい、攻撃しがちになる部分については、師匠からもやんわりと諌められたことがあった。もう、30年以上、アングラで書き続けてますからねぇ。師匠には全部筒抜けだけど。)
決して、理解しあえないとは考えない。私は、議論は好きだけれども、口論は絶対にしない。(僕がたった一言言っただけで、ギャーギャー騒がれたなら、ただ黙って、その場を去ります。口論はしません。これはもう、実践してます。)

東洋経済さんの記事は、(授業が忙しい時を除いて)私の使うニュース配信アプリで流れたものは、たぶん、半分以上読んでると思う。
むしろ、このコロナ禍で、私たち(「スピリチュアル」系)に何ができるか、ご指摘いただけるならありがたい、とも、考える。どんなわずかなことでも、たった一人の肉体生命を救うためであっても、何ができるか、考える素材を提供していただけたらありがたいとも思う。だからこそ、「スピリチュアルな発想が、危険」とはいかなる具体的な事例を想定しているのか、お聞きしたいとも思う。

くどくなったのは、私自身が些か感情的になったからかも知れない。申し訳ない。終わります。以上