予算が成立したらしい。「コロナ対策に何兆円」とか言っているんだけれども、「対策」と言えるような政策は何か含まれているんだろうか。
政府の言う「コロナ対策」は、「営業自粛」であり、「国民への自粛の呼びかけ」であって、何一つ具体的な「対策」と言えるようなものが、含まれていない気がする。具体性のない部分は、「予備費という使い道に制約のない」という言い方で「細かい話」は一切していない。具体策は、地方自治体丸投げなんじゃなかろうか。金さえ出せばそれでいい、確かに税金の使い道だから、出してくれなきゃどうしようもないのは確かだけれど、あまりにも具体性がなすぎて、突っ込みようもない。
議論をして、何らかの手段を得たいと思っても、まともに議論にならないケースが二つある。一つは、議長とかに発言を封じられてしまうケース。もう一つは、ちょっと何か突っ込むと一切の発言が出なくなって、中身のある話など何も出なくなってしまうケース。なんだか、「黙秘権を行使します」みたいな感じの会議。なんだか、あれ、「使途に制約のない金をいくら用意しました」だとか、「総合的、俯瞰的に判断し」だとか、「スピード感をもって」だとか、そんなのを聞くたびに「中身がピーマン(古いなぁ)」なんて思ってしまって、口だけ動かしていても、黙秘権行使と大差ないじゃないかとしか、思えない。国会議員が国会議事堂で黙秘権を行使している、そうとしか思えない。意味や具体性を伴わない「修辞」だけの羅列。
話が逸れるけれども、安倍元総理がよく使った「スピード感をもって取り組んでいます」って発言、「感」ってなんだよと、私は思う。昔のデパートの屋上で、100円入れると上下に動く木馬みたいな乗り物を、つい思い浮かべてしまう。あれも、幼稚園の頃だったら、体を揺すると相当にスピード感があったな、なんて思っちゃうもんだから、あの発言を聞くたびに思い浮かべていたのは、昔のデパートの屋上の「100円木馬」。体さえ揺すってりゃ「スピード感」はあるから、安上がりでいいねぇと。今時ならVRのゴーグルだろうか。「スピードを出して取り組みます」と、なぜ言わない?私が思うに、やる気がないから。だから「スピード感」なんだろうなぁ。突っ込んでて、力が抜ける。
話を戻す。ホテルなど、軽症者、無症状者を隔離するための施設に、パルスオキシメータを貸し出したら、という話題は、私は昨年の3月か4月くらいに書いた。大野知事が私のページなんかに目を通して下さったかどうかは知らないけれど、呼吸器系の専門家ならすぐに思いつく話題だろうと思う。そして、埼玉では手を打ってくれていたらしい。東京では、区によっては、ぼちぼち貸し出しの手続きに入っているらしい。何か、こういう「具体性」が欲しいんだけれどなぁ。
なぜ、こんなにも遅れたんだろうか。
東京では呼吸器系の専門家が、こうした意見を出さなかったから?そんなことはないんじゃないか、と思う。「偉い人の意見」として、意見が出てこなかったから。現場で治療に当たっているような人の、生の意見が都知事まで届いていない、ということの証拠じゃなかろうか。
そうして、会議で都知事と話ができるような偉い人でも、責任ある意見、お金を動かすような意見となると、強く言えない。結果、この違いが出たんじゃなかろうか。何よりも、こうした多くの会議で「初めに結論ありき」が少なくないと思う。今現在で言えば、始めに「五輪ありき」だろうな。
その類の典型が、原子力行政だと思う。いわく「原子力は安全」という言葉が必ず出てくる。東海村の臨界反応の事故を経ても、福島原発を経ても、相変わらず「原子力は安全です」という結論が出てくる。要するに、政治家は「自然科学系」の人間の言うことなど、最初から聞くつもりはない。自分たちはこうする、という絵が最初にあって、その絵にそぐわない話を口にする人は、会議への出席を認めない。それが顕著だったのが、日本学術会議の「任命拒否」事件じゃなかろうか。
例えば、公共施設/民間企業や施設での「アクリル板設置」とかに、いくら出す、なんて話には一切ならない。私は、相当に有効な「具体的なコロナ対策」だと思う。だけど、話題にも上らないんだなぁ。山梨県ではそれを、県庁職員が飲食店などを回って「徹底した」と推測できる記事を読んだ。もう、2回も引用して書いた。
そして、今日のニュースではこれ。
山梨県の新型コロナデータ
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/yamanashi.html
今日はゼロ人。三日前もゼロ人。それなのに、マスコミでは話題にすら上っていない不思議。政府でも、話題にすら上らない。なぜなんだろうか。
マスコミが取り上げない理由は、なんとなくわかる。要するに「感染症対策として効果があるものを取り上げて、感染症を減らそう」なんていう番組を作っても、視聴率は取れない。それよりも、「こんなにも怖い、あんなにも怖い」と煽った方が、視聴者の反応がよく、番組制作の方針に合致するから、なんだろうか。
政府にしても、埼玉県庁にしても取り上げない理由がわからない。もしかしたら、「面倒臭い」からなんだろうか。飲食店を個別に回る、なんて、そんな面倒なこと、県庁職員が進言するとはとうてい思えない。でなけりゃ、専門家が言及しないから?
できない訳じゃない。日本全国、津津浦浦、禁煙指導ではローラーをかけてた。なぜならば、「五輪」で海外からの旅行者が多いなら、喫煙者を見かけただけで「日本は禁煙対策が遅れている」と非難されそうだったから。だから、保健所の職員を動員して、コロナ禍の中でも禁煙指導では、飲食店を回り続けた。コロナの感染症対策よりも、「五輪絡みの、海外からの視線」の方が大事。視聴率にしても、海外からの視線にしても、社会的な責任放棄だと思う。
ちょっと話題を変える。思えば、医学は「経験則」が9割以上の学問だと思う。実験的な要素もあるけれども、主には「観察」に基づいて、こういうことがありました、という「事実」を「統計的に検証」して、それを積み上げて「専門的な立場の見解」を形成していく。ところが、新型コロナに関して言えば、「コロナ禍以前の学術論文」など、あまりあてにならない。「論文」があれば、それに基づいて専門家会議などでも意見を言えると思うけれど、その「意見の根拠」となる論文がなければ、会議で何か発言をして、「何かあったら責任を取れない」から、結局黙ってしまう。「黙秘権を行使します。」(思うことはあるし、知ってもいるけど、何も言いません。)
言うまでもなく、山梨県庁がやったような「施策」は、学術論文になんか、なってないだろうな。だから、専門家は言及しない。調べようともしていないのかも知れない。そもそも、新型コロナに関して、海外で発表された論文数は、数万に届くのに、日本初は200とか、だったかな、何かそんな感じの数字を挙げた記事を読んだ記憶がある。この差はなんだ!日本の場合、大学病院の医師も、患者を診ながら研究をしているようなケースが圧倒的に多く、特に今大学病院など、目の前の患者に追われていて、研究などやってる余裕は皆無に近いんじゃないかと思える。(根底にあるのは、「学問」なんて、すぐに金にならないことをする暇があったら、患者を診ろ、学生を教えて、金を稼げ、的な。医学部だけじゃなく、私立大学なんかほとんどがそうだと思うけど。だからもう、日本からは「新しい学問的な発見」は、こんな急場だって出てこない。)
じゃぁ、海外から山梨県庁の取り組みみたいな「研究論文」が出るか、って言ったら、そんな対策をしている海外の行政機関がある、なんていうニュースはまるで見ない。「ロックダウン」でもって、日本以上に厳しい「外出規制」だから、経済を犠牲にしてでも、一気に押さえ込んで、その先には「コロナを克服した社会が待ってる」的な楽観が底流にある。
ということは、私なんか、あの山梨県庁の取り組みは、きちんと拾い上げて検証すれば、相当に強力な「経済活動を行いながら、コロナも押さえ込んでいく」実例になると思うんだけど、こりゃ、ダメだわと思った。評価されずに、消えるね。ただ、唯一誇っていいと思うのは、山梨県ではビジネスに制約を付けずに、感染者数も低く押さえ込んで、経済と医療の安全確保を成し遂げた実例となるだろう、ということで、他の都道府県が全く真似しないとしても、誰からも評価されなくても、山梨県民が経済活動も生活の安全も脅かされずに過ごすことが、何よりの「成果」であって、おそらく、山梨県民にとっては、それが一番じゃないか、と思う。それを真似しない国とか、他の都道府県が、愚かなだけ、だと僕は思う。それだけの話でいいんじゃないかな。と思った。
今になって、パルスオキシメータの貸し出しが始まった。私だけじゃなく、随分前からそうした「進言」はあったに違いないけれども、ずっと無視されてきていて、やっと取り上げられた。なぜか。死者が無視できない数になってきたから。それ以外の理由なんて、ないと思う。可能性のある対策を、どんどん取り入れる、なんていう発想は、現在の日本の政治には存在していない。
山梨県庁の取り組みが「脚光を浴びる」のは、多くの自治体で「営業自粛」による、特定の業界にターゲットを絞った「部分的ロックダウン」によって、補償金などでは補いきれずに、倒産する会社の数や、それによって「生活保護に陥る」労働者の数が、無視できなくなって、ようやっと、「多少は気にする」のに違いない。そういう犠牲が出るまでは、きちんと検証して、施策として取り込もうなんてことは、カケラも考えないに違いない。
政治家がそれをしない理由は、はっきりしている。専門家が言及しないから。専門家が言及しない理由も、はっきりしている。論文が存在しないから。私ももう、山梨県の話題を取り上げるのはやめる。ストレスが溜まるだけだ。もう後1年くらいして、今度は、あちこちの地方自治体が「生活保護」を支給するための財源で悲鳴を上げ、業界団体からも「営業自粛は、もう限界だ」と、政府に猛烈なアピールがあって、それでようやっと、重い腰をあげるに違いない。
「医学が経験則に基づく学問だ」という、緊急事態対応には、とても不利な背景があるにしても、「どれほど叩かれようが、思い切って声を上げる専門家」が乏しい、ということは、残念な気がする。それ以前に、日本の政治家は「専門家は、黙っていてくれた方が、政府の方針に沿った意見だけ言ってくれる専門家ばかりの方が、ありがたい」と考えているんじゃないか、という気がする。
日本の「政治 vs 科学」は、ある意味で消極的な形での「政治支配」構造のような気がする。トランプのような、露骨に自然科学を片っ端から「フェイクだ」と主張するような、積極的な形での「政治支配」でないことは、まだ多少ながら救いがあるにしても、やはり、結果は同じだという気がする。五十歩百歩。
日本の場合には、マスコミにいる「トランプ」が気になって仕方ない。
ちょっと前に、辛坊氏に突っ込んだけれども、あの人がまた何かマスメディアで発言していたらしい。
https://news.radiko.jp/article/station/LFR/50704/
『不織布マスク警察』が現る……しかし「不織布マスクは、周りは隙間だらけ」辛坊治郎が指摘
辛坊)コンピュータシミュレーションでみるとウレタン製のマスクに比べると劣ります。ところが不織布マスクは周りは隙間だらけです。むしろウレタンマスクの方がぴたっとつきます。コンピュータのシミュレーションが完全な形で装着したことを前提にしていますが不織布マスクは顔に完全に張りつきません。鼻のところにある針金を完全に鼻の形に折り曲げるのは難しいです。
この部分だけ見ると、一見正しそうに見える。ですけどね。
このページに、こんな記述があったな。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000017.000057645.html
布やウレタン、不織布に次ぐ <第3のマスク> Suriv|スリーヴ とは?
<ウレタンマスク>
メリット:通気性が高く、人との距離を十分に保つことができる場所で軽い運動も楽しめる。
デメリット:ウイルスや飛沫の遮断性が低く、人混みや通勤通学では心許ない。
要するに、ウレタンマスクはフィルタとしての「隙間」が大きいために、ウイルスを含んだ飛沫を遮断しきれない。つまり、密着していても、正面から飛沫が相当量漏れ出てくる、というのが、コンピュータシミュレーション結果の読み方だと思う。
前にも引用したページは、これだけど。フィルタの「隙間」の大きさは、ここからさらに派生的にググってもらえればすぐにわかる。
https://www.env.go.jp/air/osen/pm/info/cic/attach/briefing_h25-mat04.pdf
不織布マスクの性能と使用時の注意
もう一つ、重要なポイントを「観察」していない。咳とかくしゃみは、相当な秒速で口から正面に向けて噴出される。普通の呼吸の場合、「密着していない隙間」から出入りすることもある(メガネが曇る、曇らない、というのがわかりやすい事例だと思う、)けれど、大量にウイルスを飛散させるのは、咳とかくしゃみであり、普通の呼吸ではほとんど漏れでないと、私は理解している。咳やくしゃみの場合には、「気流」つまり、空気の流体としての運動エネルギーも大きくて、ほとんどが正面に向けて放出される。初速が違うから、周囲への流れ出しはほとんど起きない。(流体力学の専門家に確認してみてください。)つまり、不織布の場合には、正面に向けたウイルスを含んだ飛沫は、その「隙間」に引っかかってほとんどが捕捉されるのに対して、ウレタンの場合には、隙間が大きいために、かなりの部分が隙間をすり抜けて前に向けて放出される。コンピュータシミュレーションは、その結果を示していると思う。
正面に向けての運動エネルギーを考えたなら、周囲や鼻の上の針金に相当な隙間があっても、(すみませんねぇ、私の「勘ピュータ」で言えば、そこから漏れ出るウイルスを含んだ粒子は、5~10%未満なのに対し、ウレタンマスクでは密着していても数十パーセントが隙間から漏れ出る、ということになると思う。
こういう議論は、実際にシミュレーションしてもらった結果がないと、白黒はっきりつかないんだけれども。
極めて個人的に、私は、「もう、いい加減にしてくれ」と思う。日本のトランプで、「コロナ対策には、消毒薬を飲んだらいい」的な、ほとんど根拠を調べもせず、科学的な発想もせずに、言いたいことを「俺の言ってることは正しいんだ」と主張しているようにしか思えない。
アメリカでは、トランプがマスクなんて要らないって言ってるから、マスクをしないと言う人が、一体、何百万人いたんだろうか。そのうち、何万人が死んだんだろうか。日本で、辛坊さんがウレタンマスクだって付け方次第では不織布よりも安心だと言ってるから、ウレタンマスクをしてます、という人が、それで感染させたり、自分で感染したりしたとしたら、どうするんだろうか。
まぁ、御本家のトランプは、一切責任を取らないだろうし、アメリカで、トランプに対する「誤った発言を流布して、人々を死に至らしめた罪」なんてのが適用されて、裁かれることがあるのか、ないのか、わからんけど、日本のマスコミは、個人の人権を踏みにじっても一切「知らん顔」をするのがこれまでの通例(私自身の体験)だったし、マスメディアが「社会に対する責任」なんてものを考えて行動している、というのは、幻想に過ぎないというを示す実例が、辛坊氏かも知れない。
とりあえず、この件は「学術的」にも白黒はついていませんが、賭けてもいい。(もしかしたら、支払える規模の)1千万円くらいなら、賭けてもいいんだけれど、我が家の土地・建物にそれだけの値段がつくかわからないし、じゃぁ、1万円なら賭けてもいいとか言い出すと、(そもそもの、議論の中身も含めて、)あまりにもショボい話だから、もうこれで終わらせる。
責任感も覚悟もなく、言いたいことだけ言って、目立てばいいっていうのがトランプで、日本のマスメディアもまったくそれと一緒だと思う。「科学的なことはよくわかりませんけどね、」っていう前置きをするならば、少なくともマスメディアは、黙るべきだと思う。やってることは、トランプの「消毒薬を飲んだらいい」と、ほとんど同じだと私は思う。
話が相当に逸れたけど、伏線として扱うなら、そもそも、政府の「科学的な助言や、科学的な立場」に対する扱いも、辛坊氏と大差ない。「学者は、こんなことを言ってますけどね、なんかよくわからないけど、雰囲気でこんな気がするし、根拠はないけど、この程度のことをやっとけば大丈夫だろうし、それなら、予算も簡単につけられるし、あの業界、この業界にも一応の説明がつくから、一応、専門家の顔を立てた振りをして、(学者が口を滑らせて、「この程度でも効果はあると思いますが、」的に言ってしまって、言質を取られた、)学者の表現を引用して、こうしましょうよ」と、それが、政治が「科学」を利用するスタンスだ、という気がする。
僕はもう、諦めた。
「とにかく自粛」で、人の動きを止めて、営業活動を「自粛」させて、それで、目先の「新規感染者数」が少なくなったら、GoToだって再開しますよ、と。で、それで感染が再拡大したら、「感染が大きくなったから、また自粛しましょうね」と、経済活動を止める。その間に、ビジネスサイドではどんどんと体力を削がれて、失業者が増える。その間に「休業補償」でばら撒かれた「焼け石に水」の財源は、全部将来世代への借金だから、(でも、今時の若い人たちは、アベちゃんも、スガちゃんも、可愛いから、自民党支持!だったりするらしいから、それならそれで、スガ支持の責任を最後まで取ってくれたらいいだけで、あっしにゃ、関わりのねぇこって、ござんすけど、)確かに、将来世代の若い人たちがその財源だった借金を負担してくれたらいい、たったそれだけの話題なんだけれど、でもなぁ・・・。
でもなんか、根本的に間違っているとしか、私には思えない。
このページの表題って、なんでしたっけか?「政治 vs 科学」でしたっけ?書きたかった主題は、間違いなく「それ」だったんだけど、読み返す勇気があるかなぁ。ど〜でもいいや、終わる。たぶん、きちんと書けたかなぁ。
以上。