自由って何?

疲れた。なんか、仕事に集中できてない。空回り疲れ。
んなもんで、ググってニュースソースを貼り付けるのはやめる。
しかも、まとまりのつかない散文になるだろうな。(元々そうか・・・)

今日、テレビのニュースでやってた。首都圏の知事さんたちが、緊急事態宣言を要請した、らしい。(表現が正確でなかったら、そういうページだと思って、適宜修正しながらお読みください。ってか、読んで下さなくて結構、ってのは書きすぎか。)

そのニュースで、街頭の声を報じていた。何人目かの人が、「意味がないんじゃないでしょうかね。だって、誰も自粛しないんじゃないですか。」と。だよなぁ。強制力、罰則規定がないもの。

私の個人的な見解。「正しく恐れている」限りは、何一つ経済活動を制約する必要はない、と思う。飲食を伴う会合だって、発言する際にはマスクをする、口を覆うなど細心の注意をしている限りは、相当にリスクを低減できると考えます。現実問題として、通常営業しながら、クラスターを発生させていない飲食店だって、相当な数あるはずだと思う。客が少ないってことは確かにあるかも知れないけれども。
ところがなぁ、現実には「強制力がない」とわかった途端に、「なんだ、普通に営業できるんだ」とばかりに、旧態依然の営業を続ける人たちも、中にはいるんだろうと思えてならない。そして、「お、この店普通にやってるな」と、コロナなんか全く気にせずに、以前の通りにマスクを外したままで飲食しながらおしゃべりする、そういう客もいて、そんなこんなで、一時期は「接待を伴う飲食業」なんかでのクラスターが多く報じられたんだろうと思う。
だからこそ、禁煙指導なんかに力を入れて、すべての飲食店を訪問するなんてことをやってる暇があったなら、コロナ対策の「チェック」をすべての飲食店に実施していたなら、大量の廃業、倒産なんかは、飲食業界だって、旅行業界だって防げたはずじゃないかと思えてならない。(って、まだ、そこまでには至っていないか。時間の問題だと思うけど。GoToなんか、完全に裏目に出ていると思う。裏目に出るような気がする、って、書いたページが、たぶんまだ読めるところに出ていると思うけれど。)

昨年末、昔から馴染みのお店に2軒顔出しした。売り上げ貢献したかったから、酒も飲んだけれども、どちらも、そもそも私以外には客がいませんでしたからね。私はと言えば、全く人と接しない日常。事務所に篭りっぱなしで、誰とも合わない日がほとんど。私自身が感染させるリスクも相当に低い。ある程度、自分と相手の状況を把握しているから、飲食の行為自体は昔と同じように行ったけど。自分自身は「正しく恐れている」つもりで、普通に飲食しました。

ただ、飲食に限らず、通常のビジネスなんかの会議でも、普通はマスクだけしていれば相当にリスクは低減できるはず、なんだけれども、気配りできない人って、どこにも一定数いるような気がする。7割の人が「正しく恐れて」いても、残り3割が「適当に」対処していたなら、もう、どこにも「危険」な状況が転がっている感じになってくる、と思う。

結論として、「罰則規定がないなら、自粛なんかしない」という人たちが多ければ、緊急事態宣言自体に大した効果が期待できない、っていうことになるんだろうな、と思えてならない。

例えば、だけれども、アスベストの健康被害が確認されました、となった時に、アスベストの使用を全面禁止したとして、その時に、アスベストを扱っていた業者の「生業」に配慮したんだろうか。禁止は禁止、ってやったと思う。例えば、今のコロナ禍での「接待を伴う飲食」なんて、アスベストと全く同じに思える。本来なら、「危険な場合は、営業を禁止する」と言えるように、法律を策定すべきだったのに、強制力も罰則規定も盛り込まなかった。
たぶん、安倍政権が業界に配慮したか、でなければ、「私権の制約につながり、憲法違反でもあるから、絶対反対」とか言い出しそうな野党に配慮して、法律の成立を焦ったんじゃないかなぁ。

職業選択の自由、なんてのが、憲法で保証されていたか。
ただ、「違法な職業」は、認められていないでしょう?と、私は理解している。例えば、前述の「アスベストの製造販売業」なんていうのは、アスベストの使用が禁止されたなら、何も悪いことをしていない、それまで真面目に仕事をしていた「業者」も、廃業したり、別の事業に活路を見出すしかなくなる。コロナ禍で、「緊急事態宣言が発令された場合には、以下の業態を禁止するものとする。」とかして、少なくとも緊急事態宣言下では「接待を伴う飲食業」の営業を禁止するところまで、踏み込まなかったなら、実は効果が乏しかったんじゃないか、という気がする。「俺たちに、首を括れって言うのか」なんていう反論が聞こえて来そうな気がする。でも、首を括らなかっても、廃業して別の仕事を選ぶ自由は保証されているし、実際にそうした「業種転換」をやった会社だって、あったと思う。それなのに、「今就いている仕事を、そのまま存続させる」ことに囚われすぎているように思う。

「接待を伴う飲食業」の方々の「職業選択の自由」を優先したならば、今度は、コロナに感染した患者とか、交通事故の重症患者だの、別の病気の患者などが「当院では、新規の患者を受け入れるだけの余力がありません」とか言われて、お亡くなりになったりする。そちらには、「転職」などの選択肢がない。「職業選択の自由」が「生存の自由」を脅かしていないか?

そもそも、自由って何?

私が、師匠の勉強会からの流れで答えるとしたなら、「神の思いに反さない限り、何をやっても許されること」だろうか。
「神の思いに反さない」ってのは、何か。すみません、書き始めるとめちゃくちゃ長くなる。なので、200字以内にまとめる。
8割方、昔の日本の「道徳教育」であれこれ言っていたような内容と同じ。日本の社会が経済優先で、弱者を顧みない制度を次から次へと成立させる以前の、昔日本の社会の話。違うと思える残り2割も、説明すればたぶん、あぁ、なるほど思っていただけると思う。例えば、本人が自分で考えて決めるのを、妨げるような助言、など。

師匠の講演会から離れた表現でまとめるなら、合法的であるならば、何をやっても良いことが「自由」だと、私は理解している。じゃぁ、「緊急事態宣言」を規定した法律は?ってな流れになってくる。

で、結論。強制力のない法律を成立させた結果として、「生存権」が「職業選択の自由」に駆逐される状況に陥るのかな、と。
表現が不適切か。医療行為を享受する権利は有していても、医療行為を提供する側が(キャパシティーオーバで)対応できず、権利を行使できない状況に陥る、と。結果「生存権」の謳い文句は字面だけになる、ということか。

眠い。まとまりがつかないけど、以上。