病院倒産

コロナ禍の今、最も倒産する団体の比率が多いと思われる「業界」に、飲食業、観光業の他に、病院も含まれるかも知れない。

「医者は騙しやすい人種」コロナ禍にヤクザに乗っ取られた病院の末路
https://president.jp/articles/-/40417?page=1

世間の「思い込み」というのは厄介だと思う。

僕は、バブルの頃は製造業にいて、そこから、青年海外協力隊、自営業、私立の大学教員と流れたけれども、ついに一度も年収が500万円を超えることがなかったな、と、人生を振り返っている。それなのに、「私立大学の先生って、ものすごい給料をもらっているんですよね」と決めつけてくるオバチャンが、妬みというかやっかみというか、寒気のするような視線で会話を振ってくるのに、鳥肌が立って身震いしたことがあった。(心の中身ってのは、目に全部現れてますよ、と言いたかったけど。)オバチャンには、何を言っても無駄、というのは、最近ようやっと悟ったけれども、決めつけだよなぁ、と思う。僕の年収の話題が嘘だと思うなら、源泉徴収票のコピーをネットに貼り付けますが・・・(悪趣味だ。やめとこ。)
おっと、非常勤を加えたら、500万は越えたことがあったかも。ただねぇ。振込先口座のカードを僕は持っていなかったから、実感したことないし、いずれにしたって、今のこのザマだから、もうどうでもいい。
という私の愚痴は脇にのけて、結構今、お医者さんとか医療従事者も大変かも知れない。過労死するほど働いているのに、ボーナスすら出ない。コロナを受け入れていない/受け入れ能力がない病院は、患者が来なくて、収入が激減して倒産寸前。もしかしたら、飲食業並みに厳しい経営環境にあるかも知れないし、飲食業に匹敵する勢いで、今後病院の倒産が顕在化してくるかも知れない。

引用したページの、「コロナ禍にヤクザに乗っ取られた病院の末路」を、若干記憶違いしていた。「ヤクザ」ではなく、「中国富裕層」と、明らかな記憶違いをしていた。

ただ、中国では「土地の所有権」がなく、日本では外国人の「土地購入」に何らの規制もないから、中国人が日本の土地を買い漁っているという記事は読んだ記憶がある。特に、水源地だとか、都心の一等地だとか、要所要所に中国の金が流れているような記事を読んだと、記憶している。(すみません、検索省略。)

その発想で言えば、日本の「病院」ってのは、結構な投資先かも知れない。日本人で「何かあったら、病院のお世話になれば、生永られる」と考える人は少なくないと思う。ってことは、経営方法次第では、衣食住を押さえるのと同程度に、「相当に堅い」投資対象になるような気がする。

管総理。これまでの医療関係の法改正なんかの関係で、いざ「民間病院」を動員しようと思っても、どうにもならない現状を突きつけられて、それで「国民皆保険制度の見直し」なんて口走ってしまって、ネットで散々に叩かれているけれど、「医療」と「経営」を両立させる、なんていう発想がこれまでなかったことが顕在化しただけ、なのかも知れない。
大学の経済学部なんかに、「医療経営学部」があってもおかしくない、とは思っていたけれど、これなんかも、「人工呼吸器」を「全自動化」して、自宅で誰もが人工呼吸器を使える、なんていう話題と同じで、原理は単純ですぐに出来たとしても、社会システムの一部として成立させるには、相当に時間がかかるんだろうな、なんて思った。(直前に、二つほどページを書いたけれど、気管挿管しないと強制換気は難しいかも、なんて話題を思い出して、無責任にあれこれ書ける立場だから気軽ではあるんだけれど、細かいところではちょっと訂正が必要かも、とも思った。ただ、プロが読んだら問題点の指摘はすぐに出るだろうから、「全自動人工呼吸器」にチャレンジするのは無理という結論、でもいいのかな。私がバカを書いただけ。)

最近、思う。あたしゃ、もう、持ち家も事務所も要らない。税負担を軽くして、生活保護か何かで、安い借家に住むか、自炊しながら、本を読んだり、ネットの記事を読んだり感想を書いたり、ご近所の広場の草むしりをしたり、そんな感じで、いいかなと思う。
で、案外みんながそんな感じになれれば、やれ、中国が日本を乗っ取るとか、神経質になることもなくて、平和でいいんじゃないかな、病院の倒産が相次いだって、(肉体を離れたって、意識体としては次があるのは間違いないから、)ただ「肉体の死」を受け入れたらいいだけじゃないのかな、なんて思ったりもしている。

なんとなく、菅総理が気の毒になって、ちょっと思いついたことを書いてみた。でも、案外、人生を諦めたら気楽になるかも。

いや、もう、最近どーにもならない話が多すぎて。以上。


ちょっとだけ、読み返して思った。ひでぇページだな。

こういう時、いつも悪い意味で親父のことを思い出す。「まったくオメェはダメなんだから」という親父の口癖。教育熱心、だったんだろうな。でも、もう物心ついたころからのこの言葉が、何かあるとリフレインされる。親父が死んだ後、随分と楽になっていた、つもりでいたんだけれども。

僕自身にとって、何かを書くっていうのは、吐き出すことで心を軽くするような手段でもあって、確かにブログという形を取っているけれど、自分流のリハビリの一部みたいな要素もある、気がしている。読まれた方、ひでぇ内容だなと思われたなら、さっさと忘れてください。お願いします。

僕自身は、このページは無視して、多少気分がスッキリしたら、明日からはまた、仕事に没頭しようかと思う。ただ、それだけ。