「正しく恐れる」前に・・・

なんだか、報道にしても会話にしても、聞いていてなんだか変だな、と思うことが多い。
直近で話題になったのは、これかなぁ。

西村担当相「昼間も外出自粛を」 「ランチ、リスク低くない」
https://news.yahoo.co.jp/articles/c7aeeb277e1dd16a48594eea835262d732ff8863

COVID-19の感染は、飛沫感染がメインで、エアロゾル感染もある、と言われている。
飛沫といえば唾液。唾液は、食事の際に分泌が盛んにある。(サイト引用しませんが、確かな話。)
唾液の分泌が多いところに、おしゃべりして言葉を発すれば、飛沫が飛散する。だから「食事中の会話で、会話の相手と至近距離にいる」ことが、「万が一、参加者の誰かが感染していたら、そこからクラスターが発生する可能性が極めて高い」、原因だと、これはかなり客観的にシミュレーションからも、実際のデータからも証明できると思う。会食が指摘されている点には根拠がある、と思う。

学者の言うことは、紛らわしい。「Go Toのような移動そのもののリスクは少ない」と思うとは、私も書いたし、実際にそうだと思う。「ランチそのものには、リスクはない」これがおそらく正しい表現だと思う。

「ランチであっても、会食することのリスクは低くない」ここまで言えば、かなり正しい表現になる、と思う。
一人で黙々と食事をすることは、(もし周囲に客がいたとしても、一人もしくは、大人数でも黙々と食事をしているならば、)そうしたランチにはほとんどリスクがない、と思う。(これも、シミュレーションとか、実際のデータで証明できるんじゃないだろうか。)要するに、そういうランチなら、何の問題もないはずだし、飲食店側が営業自粛したり、客が外食を自粛したり、そうしたリスクはかなり低いと思える。

さらに言えば、夜の居酒屋であっても、客が皆、黙々と飲んでつまみをつついているような店ならば、営業したってなんの問題もないはず、だと思う。
ところが、こうした「正しく恐れる」以前に、飲食店への集中攻撃が起きているし、客もまた似たように、「外食を避けるのが大事」だと思い込んでいる。明らかに「正しい理解」が欠落している気がする。

たぶん、去年の3月頃に似たような話題を書いた。例えば、フェースシールドなどで、食事をしながら会話をしても飛沫が飛ばないような形状のフェースシールドなどが開発できれば、飲食店でもそれほどリスクが高くないんじゃないか、と。(面倒くさいので探しませんが、間違いなく、去年の3月±1ヶ月頃に、かなりそれに近い話題を書いてます。)今でも、そう思う。

もしくは、顔の高さ以上のパーティションを設置する。これだけでも、クラスター発生のリスクを、たぶんだけれども、7〜8割下げられると思う。四人がけの狭いテーブルがひしめいているような居酒屋。サラリーマンなんかで溢れて、トイレにいくのにも、すみません、すみませんと間をすり抜けながら通路に出るような店。ここで、大勢が飛沫を飛ばしながら「うちの課長がよ〜」なんて罵声が飛び交っていたら、これはもう、リスク100%だと思う。
それでも営業したいなら、どうするか。テーブルを若干間引く。客の入りが減るにしたって、営業できないよりはまし、だと僕は思う。普段なら4人掛けのテーブルに、V字型にパーティションを入れて、3人掛けにするか、対角線上にパーティションを入れて二人掛けにするとかして、かつ、室内の換気を徹底すれば、相当にクラスター発生のリスクを下げられる、と思う。けれど、そんな対策をしている飲食店がある、なんていう話は(特に、テーブル席だと)ほとんど聞かない。これは、たぶん飲食店側もコロナを舐めていたか、コロナ対策をサボっていたということじゃないか、と思う。だったら、仕方ない。対策不十分な店でクラスターが多く発生したなら、十把一絡げで一斉に「営業自粛」っていう騒ぎになって、文句言えないんじゃないか、とも思う。

ちょっと前に、こんなページを書いた。


(前略)と思っていたら、こんな記事に出くわした。

レストラン経営者の前で移住者が土下座 理不尽な怒りに直面する田舎暮らしのリスク
https://news.yahoo.co.jp/articles/b9d351554f9eb7005011e02d15ea9969ed6e19d0

こんな記述があった。

「『山梨県庁の感染症対策はふざけてやがる。感染症対策をするためにテーブルの上にパーティーションを置いたら、店の雰囲気が台無しだ。県庁のやつらはそれをわかっているのか』と。観光客が多い山梨県では、グリーン・ゾーン認証という独自の感染症対策を行っています。一定の基準をクリアしたお店には、証明書を出しているんです。彼は『自分の店は規準をクリアできない。県を訴えてやる』と言い出しました。

いや、これこそが僕が埼玉県でもやって欲しい感染症対策だと思った。


で、この二つのグラフを比べたら、効果は歴然。

山梨県の感染者数
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/yamanashi.html

群馬県の感染者数
https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/data/pref/gunma.html

なぜ、群馬県と比べる?理由は特にありませんが、「山がち」だということと、東京からの距離と、その二つの理由。毎日発表されるコロナ感染者数の数字を見ても、山梨だけは群を抜いて低い。と私は見ている。
飲食業にパーティションを設置するように指導をしている効果が、明らかに現れていると、かなりざっくりした議論だけれども、私はそう思う。
そもそも、これだけ全国的に感染者数が増えているのに、増えておかしくない県でそれほど増えていないところがあるならば、なぜ、その真似をしようと思わないんだろうか。メンツ?メンツにこだわって、住民の命を見捨てるんだろうか?

そうした「取れる対策」についての議論が全くないまま、飲食店の営業自粛だの、懲罰だの(いや、対策をしないことまで含めての懲罰は、必須だと思うけれども、対策をしているところとしていないところを、一律に営業するしないで議論するのは、明らかにおかしいし、経済を両立させるなんていう視点からは暴論だと思うんだが、)議論が出ているのは、やはり、政治家に「正しい理解」がない、からのような気がする。

今年の3月か4月、ネットの配信ニュースを読んでいたら、「ドアノブなどでウイルスが増殖します」なんて書いているページがあって、それが配信されていた。確か、それに突っ込んだページを書いた。断じて言います。ウイルスはドアノブでは増殖しません。僕は、そう書いた。

ただ、怖いのは、そう言って「ドアノブでは、ウイルスが増殖することがない」という議論が押し通せたとして(正しいとは思うけれど、)だからと言って「ドアノブは安全」ということには、ならない。自分で書いておきながら、しまった、とも思った。「ドアノブではウイルスが増殖しない」という正しい知識と、「感染者が触れたドアノブに触れれば、感染リスクが大きい」という、両方の正しい知識を持ってくれている方ならいいのだけれど、「ドアノブではウイルスは増殖しない」と聞いて、ドアノブの消毒を怠るようになった人がいたなら、私は「正しい議論」を押し通したつもりで、「誤った結果」を導いたことになる。

つまり、「正しい知識」が大切なことは言うまでもないにしても、「正しく受け取られる伝え方」をしないと、結果は誤りになる、ということだろうか。
こうした「誤謬」が、至る所で起きている。「正しく受け取られる伝え方」が出来ているマスメディアの報道は、かなり少ない気もする。

GoToに関する議論の迷走にも、この辺の問題がある。未だに「Go Toが無罪だ」と主張するマスメディアの方がいらっしゃるけれど、そもそも、新型コロナの対策に「正しく伝わらない場合であっても、効果が確実な方策」の一つとして、「移動しない、外出しない」があるとしたなら、明らかにGo Toは問題があったと思う。現実に、第一波を押さえ込んだのは、この「移動しない、外出しない」だったと私は推測する。(それすらも、根拠の提示は困難かも知れない。状況証拠と、かなり荒っぽいデータ解析でなら、9割方クロの根拠は提示できると思うけれど。)

重ねて言いたい。「移動しない、外出しない」必要はない、と思う。移動しても、「初めて会う人と、至近距離での長時間の会話を避ける」とか、「外出しても、マスクをし、施設の入り口などでのアルコール消毒を徹底し、用事が済んだらさっさと帰る」などを徹底していれば、「移動して、外出して」も、全然構わないと、私は思う。ただ、その「条件」が正しく伝わらない。「移動しても大丈夫、外出しても大丈夫」だという表現を使えば、「あ、じゃぁ、今まで通りの旅行ができるんだ」と、勝手に考える人が結構な人数いるし、そういう方がホテルで宴会とかしたら、もうアウト。そういうのは、政治家にもマスメディア関係者にも、間違いなくいると思う。
「正しく恐れる」以前に、「正しく理解する」部分が、相当に困難だと思えるし、何よりも、政治家も、マスメディアも「正しく伝えていない」というか、より踏み込んだ表現をするならば、「情報の受け手が、正しく理解できるような伝え方をしていない」ということがあると思う。

今日の時点で、気になってならないポイントは三つ。一つはこの「正しい理解が全く広まっていない」部分でした。

二つ目は、医療崩壊が叫ばれる医療体制。「医療崩壊」の定義をめぐる議論があるみたいだ。この話題は、(私の拙い自説を)書き始めると相当に長くなると思うけれど、全部端折るなら、議論がどうあれ、現実は一つだと思う。入院できないうちに、感染者が一気に重症化して亡くなっている、そうした報道が目立ち始めた現実。

昨年の3月前後だったと思う。入院待機者にはパルスオキシメータを配布すべきだと書いた記憶がある。そして、嬉しかったのは、埼玉県知事の大野さんが、埼玉県では、入院待機者には、去年の春からパルスオキシメータを配布しています、と、今朝テレビで話されていたことだろうか。東京都では、最近になってようやっと配布を始めたらしい。埼玉では、死者が目立つ前に対策してくれたことが、何よりも嬉しい。(ついでに言えば、特定の対策については、山梨の対策を取り入れて欲しかったけど。そうして、「埼玉では、飲食店の通常営業継続を認めています」と、主張できる状態にして欲しかった、けれど。)

話がそれる。肺での換気量低下が重症化に直結する原因の一つとして、動脈血中酸素濃度が、相当に低下しないと「自覚症状が現れにくい」という点もある、と思うし、だから、パルスオキシメータの配布は効果があるはずだ、と思うけれども、なんの根拠もなく感じることは、DICのような、多発生の全身での血栓形成が起きている、そんな記事を読んだような気もするし、気のせいかも知れないし・・・。
血栓形成に有効な、と言えば、静脈などを確保できているなら、ヘパリンの静注なんかに効果があるのだろうけれど、在宅だと難しい。血栓に効果があるとしたら、組織プラスミノーゲンアクチベータ、とか、アスピリン、ウロキナーゼ、などだっただろうか。このうち、アスピリンは、かなり容易に入手できて、在宅の患者に「定期的に服用する」ように指導しても、副作用などの危惧の少ない薬剤じゃないか、という気がする。専門家の意見を聞かないとわからないけれど、アスピリンなどを持たせて、服用させる、というのも、「自宅待機中に患者が死亡する」リスクを低減させる具体策の一つ、じゃなかろうか。
さらに話が逸れるなら、30年近く前、一人でアメリカに業務出張した際に、体調を崩したら現地の知人が「医者に処方されたアスピリンの残りを持ってるけれど、使うか?」と聞いてくれたことがある。ある意味で、それほど気楽に使える薬の一つだとも思う。

「正しく理解する」と言う意味では、もう一つ「問題」があったな。
「心の勉強会」の僕の師匠が、講演会でおっしゃってた。「認知症、っていう言葉があるけれど、あれ、おかしくない?認知できないことが問題なんだから、「不認知症」なら正しいと思うけれど、認知症だと、認知できることが問題の症状みたいに聞こえる。」なるほどなぁ、と思った。
その文脈で、「若い人には、無症状の人が多い」という、これは、表現が誤りだと思う。「自覚症状がない」と「症状がない」は、一致しないと思う。「若い人には、自覚無症状の人が多い」というのが正しい言い方だと思う。「自覚無症状」だと、「症状がない、と自覚している」の意味だし、「無自覚症状」だと「自覚症状がない」の意味だし、どちらが適切かはわからんし、私にはどっちでもいい気がするけれど、「無症状の人」という言葉がマスメディアで飛び交っている点についても、「相当に、おかしくないか?だって、症状がない人が、実際にどうなのか、ほとんど検査していないんでしょ?」と思えてならない。
マスコミ報道が「若い人には無症状の人が多い」ではなく、「若い人には自覚症状がない人が多い」と言い換えてくれるだけで、若い人たちの警戒感は、そこそこ変わってきて、行動変容にもつながる気がする。

って、なんの話題でしたっけ?
これ以上の議論は、医療制度や社会制度の話題でもあるから手に余る。やめる。

三つ目は、コロナ感染による「風評被害」だろうか。

感染者が自宅に自主隔離している、そうした家の前で、子供達が「こ〜ろ〜な」とか言って囃したり、とか、「コロナ、出て行け」の張り紙が家の前にあったり、なんていうニュースを聞いた。
だいたい、自宅に籠っていたら、周囲に感染させるリスク、なんて、ほぼゼロでしょうが。その人が出て行ったって、別の誰かが感染したら、またその人も追い出すの?で、自分が感染したら、出ていくの?なんだかな〜、って感じのニュース。

これって、アメリカの「白人至上主義者」の有色人種差別と同じような気がする。「自分は、肌の色が白い」というだけで「肌の色が白い人間は、色のついた人間より優れている」と思い込めるなら、なんの根拠もない優越感に浸れる。「そうか、俺は色が白い。ってことは、俺は優れた人間なんだ。」ってな優越感。言わせてもらえば、余程、他に自慢できることがない、劣った人間なんだろうな、なんて、特にトランプを見ていると思ったけれども、基本的に日本人にもそういう人が相当数いる、ってことなんだろうな、と感じた。

昔あった「エンガチョ」(若い人は知らないか・・・)
結構、ローカルルールがあったみたいだけれども、例えば、学校の「上履き」に給食のカレーがこぼれてついたら、ウンコみたいで汚いから、「エンガチョ」で、「エンガチョ」はいくらでも差別していい、見下していい、みたいな。「エンガチョ」は劣った人間だから、エンガチョに対しては、他になんの根拠もなく、自分は優れた人間だと思える、みたいな、そんな感じ。どこに根拠があるんだか、よくわからない「優越感」ごっこ。
こんなの、子供だけだと思ったら大きな間違いで、こうやって「コロナ出ていけ」って叫ぶ田舎のジジババだけではなく、大企業の会社の中にだってあるかも知れない、「他に、何一つ他人に誇ることを持っていない、と自覚する人たちが、唯一優越感を感じることのできる遊び」の一つ、のような気がする。
日本人、情けねぇ。

実害があると思うのは、そうやって「こ〜ろ〜な」と囃されたり、「コロナ出ていけ」の集中砲火を浴びたお宅が、いつの間にか「売家」になっていた、っていうニュースで、実際のところどうなのか、ネタかどうかもわからんけど、いかにも日本ではありそうな話。
こういう態度をとる人が多いとすると、コロナ感染の確認された方が「正しい行動」を取る障害になる、ような気がする。例えば、感染しても、黙って社会生活を続けざるを得ない、みたいな。そちらの方がどれほど社会にとって悪影響があるか、たぶん、理解できない人たちがこの「コロナ出ていけ」をやっているんだろうと思う。なんせ、「エンガチョ」以外に自尊心を満たす材料を持たない程度の方々だからなぁ。その人たち。

なんて、書いていて、訳がわからなくなった。終わる。