負けず嫌い

https://hochi.news/articles/20210226-OHT1T50108.html
八代英輝氏、山田真貴子内閣広報官の国会答弁は「この後の追及を難しくさせる答えとしては秀逸なものだった」

その上で「新聞流に書くと、『野党の追及不発』となると思いますけど、野党の質問がゲスに見えるような答え方、『私は誰のご子息かということを仕事でもプライベートでも考えてません。そんなことを考えて付き合う人を選ぶようなゲスな人間ではありません』と。ある意味、声はか細かったですけど、ビシッと返しているわけで、この後の追及を難しくさせる答えとしては秀逸なものだったと思います」と分析。

山田真貴子広報官、っていうか、山田さんは僕の高校の1年下で、陸上部の後輩。
彼女は短距離で、100m, 200mが専門だったかな。私みたいな「なんちゃって、陸上部員」と違って、ガチで走ってた。記憶が不確かだけど、確か、駒沢グランドで行われた予選から勝ち上がって、東京都の都大会にも出場したように記憶している。

別に親しかったという訳ではないけれど、大した人数の部活動ではなかったから、普通に一緒の練習はしていたし、ただ、僕は「なんちゃって、中距離」だったから、短距離の彼女とは別メニュー。一緒だったのは、アップとクーリングダウンの時だけだったかも。いや、学校帰りの「さぬきや」のうどんとか、合宿も一緒だったかも。
僕の100mの「記録」は、合宿の最終日あたりで測ってもらった13秒フラットで、確か、彼女よりも遅かったと思う。(ただ、そんな鈍足の私ですが、200mは25秒台でした。なぜか100mの2倍より速い。距離が伸びても、あまり失速しない感じではあった。400mのベストが58秒台だったのに、800mでもなぜか2分を切っていたし。ただ要するに、陸上部員としては、とにかく「遅い」の一言だった。って、私の話じゃなくて、山田さんの話でしたっけ。)彼女の場合、やはり、「負けず嫌い」っていう感じなんだろうかなぁ。

この記事、気に入っちゃった。ここのところ。
『私は誰のご子息かということを仕事でもプライベートでも考えてません。そんなことを考えて付き合う人を選ぶようなゲスな人間ではありません』
確かにこれは、間違いないっていうか、核心をついている気がした。

何か援護射撃したいなぁ、なんてことは思っていたけれども、現実問題として、国家公務員として責められても仕方ない、ある意味「脇の甘い」行動を取ってしまった以上、叩かれるのは仕方ないんだろうとも思って、黙って様子見していた。でも、援護射撃なんか要らないじゃん。自分でちゃんと対応してるし。

彼女も、芯は相当に強いと思うな。ダッシュとか、インターバル走だとか、延々と黙々と続けるのが陸上部の短距離の練習ですからね。(って、人ごとみたいに書いてるけど、そういや、私も似たような真似事はしていたんだっけ・・・)しかも都大会にまで出て、勉強もちゃんとやってて。
やっぱり、一言で言えば負けず嫌い、なんだろうか。私なんか、もう、ブービー賞前提の参加で、たまに自分よりも遅い人が二人もいると、「今回は頑張ったぞ」なんて感じだったので、その差がこの年齢になると、ここまで大きな差になってくるんだろうか、とも思えてしまう。

山田氏個人についても「こういう男性が圧倒的に多い組織の中で幹部になっていくには本当に男の人の嫉妬とかやっかみとかを受けてきたと思うんです。更迭だとかは別にして、今回の答え方は広報官として素晴らしかったなと思います」と話していた。

女性がこの「男だらけ」の社会で上に行こうとしたら、やはり相当に大変だと思うし、「飲み会を断らない女」なんていう記事もあったけれど、おそらくは情報収集だろうな、と思う。本音を引き出すのに、飲み会はかなり便利な場だとも思う。ただなぁ、出来ることなら、自腹を切っておいて欲しかった。
同じく陸上部の先輩(元警察庁)からの情報だと、安倍総理の時は秘書官だったような気がする。正確に覚えていないけど。あたしゃ、それも知ってて、安倍総理のことは散々に文句を書き続けましたけどね。(だって、噛み付いている相手は総理であって、秘書官じゃないもん。)
NHKへの抗議の電話。「秘書が勝手に抗議の電話をした」のか、その辺のところはわからんけど、普通は総理の指示じゃなかろうか、とも思う。

確かに、間違いなく「公務員の立場」としては問題はあったと、私も思うし、まだまだ、しばらくは叩かれ続けるかもなぁ。状況によっては、っていう展開もあるのかも知れない。
そうなっちゃった「脇の甘さ」は残念だけれども、少なくとも生き様を全否定されるようなことは、して来ていないだろうなと、信じてる。

こういうご時世。ちょっと何かあると、全面的な人格否定をされがちで、それは山田さんに限った話じゃないとも思う。私自身も、全面的な人格否定は何度もされてるけれど、(私の場合には、実際に人格に問題があるのかも知れないが・・・)

大丈夫、多少叩かれたって。ちゃんと、真面目な頑張り屋だってことを知ってる人間だっているんだから、そういうことも、ちょっと思い出してもらって、今ご自身で出来ると思える職責を、とにかく許される限り全うして欲しいな、と私は思います。

中国

中国人民解放軍、「マイクロ波兵器」すでに実用化か
https://news.yahoo.co.jp/articles/76b05ea4f3f307b751294fc5be7cd0dc1606e949

最近のニュース配信を見ていると、とにかく中国が「なんでもあり」になって来ている気がする。
人権など気にもかけない。

 ところで、半年ほど前に、中国のSNSに短期間だけ、次のような投稿があった。

投稿者は男性で、一年ほど前に友人とネットで中国政府に対する不満を口にしたところ、翌日、警官が自宅にやってきて警告を受け、ネットが使えなくなった。それ以来、頭痛、めまい、吐き気、耳鳴りなどを感じるようになり、何も手につかない状態が続いている。自分と同じような症状を訴える人は、現在1万人以上いるとみられ、中には自殺したり、精神に異常をきたした人もいる。だが、自分はひたすら耐えて、頑張っているという内容だった。

このSNSはすでに削除されて、真偽のほどはわからない。だが、もし事実だとしたら、当局が国内の不満分子を標的にして、秘かにマイクロ波兵器の出力と条件を実証実験している可能性も否定できないだろう。

これなんかも、マイクロ波が実際に使われている気がする。
「自国の国民」という意識などない。大切なのは共産党だけ。

一昨年末、中国からのサーバへの不法アクセス(頻回な接続要求)のログを見ていて、どうにも不快感/不安というより、「何をやりたいんだ?」という疑問が拭えなくなった。どうみても、ありとあらゆるIPアドレスに対して、侵入を試みている。

いくつかのニュースをつなぎ合わせて、もしかしたらと思えたのは、世界中に散っている中国製の情報機器(カメラ、通信機器、ドローンなど)のバックドアに、「お前たち、どこにいるんだ」と、そういうアクセスもあるんじゃないか、という気がずっとしていた。

最近の中国製品は「安かろう悪かろう」だけではなく、かなり質の高いものも増えて来ている気がする。明らかに、技術力が向上していて、分野によっては日本が足元にも及ばなくなっているものも結構あるような気がした。細かくは見てない。技術系の雑誌とか記事を見ていても、中国の存在は「新しい技術」の話題では、無視できなくなっているように感じる。ちょうど、高度成長期の初期、「輸出」を伸ばそうとしていた日本製が、欧米では「安かろう悪かろう」と見られ、それを巻き返すために「高品質のもの」を作ろうと必死になっていた頃の日本の姿が、今の中国に重なるような気がしてならない。細かい議論はできません。ニュースや雑誌の記事などを斜め読んでの漠然とした感想。

日本からも、とにかく人件費が安いから、と、工場の移転などが相次いだ。Japan Qualityを中国で作るために、随分と技術移転などを行なったんだろうと思う。それが根付いて、中国独自のスキルになろうとしているような気がする。日本の家電メーカーなどは、もう韓国のサムスンにも勝ち目がない、なんていう話題も何度もあちこちで読んだけれども、製造業の未来ということだと、中国にぶっちぎられようとしている、今まさにそのフェーズのような気がした。

若い中国人の感性は、若い日本人と大差ない。中国からの留学生と接する機会を持たせてもらって、そんな気がした。北欧での騒動だけで「中国人」をステレオタイプ化したなら、森元総理を「日本人の典型だ」と論じるのと同じ過ちを犯すと思う。時代が動いている。

当然、「正当な技術移転」ばかりではなく、まるでワープしたかのように、突然中国が「新しい技術」を使い始めたケースもあるようだし、そのプロセスには、産業スパイや、スパイ機器による技術の窃盗なんかもあるのかも知れない。これは、わからない。状況証拠以外の直接的な証拠を掴めないから、アメリカですら、切れ味の悪い「責め方」しかできていないんじゃないか、という気がする。

と、思いつつ、一つだけ「安心材料」があるかな、とも思えた。中国が、共産党の独裁国家だということだろうか。

民間の自由な発想による技術革新などは、その企業の実力が一定以上のレベルになると、政府が管理下に置こうとしたり、経営トップを抹殺したりするみたいだ。(ジャック・マーさんって、今生きてるのか?)だとしたら、世界をリードするような企業にはなれず、おそらくは、共産党の思いのままに動く、つまり、共産党幹部の「独創性」を超えた製品やサービスなどは生み出し得なくなる。結果的に、世界に受け入れられるモノは生み出せず、そうした企業の成長も失速する、それどころか、一転して衰退する方向に流れる。
こう言っちゃ、なんだけれども、習近平に「多くの人が喜ぶ機器/サービス」なんて、思いつくはずがない。

中国製の情報機器に関しては、製品出荷時から「スパイウェア」が組み込まれているという疑惑は、まったく拭えない状況が続いていると、私は感じる。そうとなれば、付加価値の高い中国製は、怖くて使えない状況が継続する気がする。

例えば、中国製の電気自動車が発売されました。ネットに接続して、渋滞情報などと連動したり、目的地への自動運転などもAIを駆使して最適化されました、とする。ところが、世界中どこにいようが、車内の会話がすべて中国政府の関係機関に盗聴され、状況によっては自動運転制御がリモートで乗っ取られ、車内にいる要人暗殺の凶器に化す(急加速でどこかに追突させるとか、道路脇の崖から転落させるとか、などが起きる)かも知れない。私自身は、今の中国製の「ネットに接続された機器」には、それがあるような気がしてならない。
私が不安を煽っている?そうかも知れない。ただ、中国の「ハッカー集団」が、何を仕掛けようとしているのか、見当もつかないまま、ひたすら「不正アクセス」のブロックに何をどう設定すべきか、考えていると、「この人たちは、何をどうしたいんだろうか?」という、解けない疑問が湧いて来て、妄想がここまで膨らんでしまう。

おそらく、情報系の話題で、個人情報漏洩などばかりではなく、機密情報の漏洩などが顕在化した時に、僕のこの不安は、関係者には共有してもらえる、そんな気もする。一度それが起きたなら、中国製情報機器のシェアは、頭打ちになるか、減少に転じる気がする。

欧米などは、中国の「人権問題」は、(国家の成り立つ価値観の問題として)看過できないから、なんらかの形での「制裁」を課さざるを得ないという気がする。日本は、自民党も、外務省なども、例えば「ミャンマーのクーデター政権が、北京寄りにシフトする危惧があるから、ミャンマー軍事政権へも援助は停止しない」としているらしいけれども、何人も民間人の死者が出ている現状で、この考え方は、たぶん、森元総理のいわゆる「女性蔑視」発言と同じ叩かれ方をする気がする。ミャンマーの軍事政権が北京にシフトしたなら、それは、国際社会から中国を叩く口実になる。口実があるなら、ミャンマーと同時に中国も叩けて、大胆な経済制裁を課す口実になる。ミャンマーだけではなく、中国にまで制裁を課せるようになる。きっと、日本の外務省など、それでも軍事政権への援助を続けるんだろうけれど。
ちょっと話が逸れた。でも、中国に対するオーストラリアのような反応は、いずれ、世界に飛び火すると思う。そうなれば、中国自身の政治体制がこんきょとなって、「情報化された家電製品」なども警戒されるか、制裁の対象になるか、そんな感じの流れになるような気がする。(先の話なもんで、とても断定的な表現はできない。なんだか、モゴモゴと口籠ったような語尾ばかりだけれど。「気がする」とか「かもしれない」以上の書き方なんて、できるもんか。)

今はもう、日本の製造業は、中国にとても太刀打ち出来ないところまで衰退して来ているのかも知れない。それでも、中国が民主的な国家ではなく、共産党支配の国である、ということが、それでも、日本の製造業に生き残るチャンスを与えてくれるかも知れない。そんな気がしてならない。

日本の製造業、ある意味で「すごいな」と思うのは、もう、20年、30年と使い続けている「生産設備」が至る所にある、っていうことだろうか。しばらく前なんて、フロッピーディスクでデータを管理している生産設備を、どう置き換えるか、なんていう感じの仕事を請けた。発注元がギリギリまで値下げを要求してくるから、生産設備を更新できるほどの利益を出させてもらえない。(うちは、さらにそうした会社などから、情報機器の更新の仕事をもらってる。)ここに続く愚痴は、表に出す前に、推敲の段階で2行ほど削除しましたが・・・。これが「アベノミクス」の実態だと思う。上の方から金を流されたって、下までは流れてこない。そもそもが、歴史的に通産省(経済産業省)は大企業しか見ていなかったんじゃないかと思う。その「成果」が今の日本の製造業の実態なんだろうな、とも思う。(話題が迷走)

日本政府は中国に対して、「経済的な繋がり重視」を掲げているけれども、対中貿易など、距離の取り方を間違えると、中国共産党の今後の「流れ」に、巻き込まれると思う。むしろ逆に、中国が「共産党独裁」であることを逆手にとって、中国の製造業の動きを抑えて、日本の産業に有利になるように誘導すべきだ。経済産業省よりも外務省が主役になるべき、なんだろうなぁ。ただ、外務省に「経済効果」を考える余裕があるかどうか、そこなんだろうか。

ラムザイヤー論文

https://japanese.joins.com/JArticle/275710?sectcode=A10&servcode=A00
「ラムザイヤー氏、慰安婦契約書を探しさえしなかった」…ハーバード教授公開批判

ラムザイヤー論文を非難するニュース配信が次々と出されているな、と思って開いてみると、ほとんど中央日報か、東亜日報。

しかし、2人の教授は論文を検証した結果、「論文に引用された文書をいくらくまなく調べてみても、慰安婦被害者やその家族が結んだという契約書をラムザイヤー教授が直接探したという証拠はなかった」と明らかにした。証拠の信憑性に疑問を呈したのだ。

東京に大量の爆弾を投下して、紙に書かれた書類から、木でできた家、そして人の命まで大量に燃やし尽くしてくれた国の人が、よく言うよ、と思った。東京大空襲の爆撃被災者は約310万人、死者は11万5千人以上、負傷者は15万人以上、損害家屋は約85万戸。
自分たちが燃やしたんじゃないか?色街があったあたりも、相当に燃えたみたいだし。

空襲がなかった朝鮮半島での資料は残されていたようで、「慰安婦=売春婦」の主張の根拠になっている、と私は理解している。
相当に緻密に論証しているようなんだけれども、如何せん、書いている方々は「右翼」という括りで見られるから、たったそれだけの理由で信憑性を疑われているのかも知れない。

ただ、逆に思うんだが、従軍慰安婦が「強制連行」されたことを、証拠を提示しながら述べている学術論文が、どこかにあるんだろうか?もし、そうした学術論文があるとしたなら、その根拠こそ日本側の研究者から、大量の反証が出るだろうに。もし、学術的な研究/歴史的事実の検証を経ずに、慰安婦の方々の主張のみを根拠として「性奴隷」の問題を扱っているのならば、日韓のみならず、欧米も含めた世界の「学者」の、事実を検証しようとしない姿勢こそ、責められるべきだと私は考える。

両教授は「ラムザイヤー教授の論文は『証拠未確認』『主張を裏付ける第三者の証言不足』『選択的文書の活用』などで、学問的真実性を深刻に違反している」と批判した。2人の教授は、同学術誌に対して、論文掲載を先送りして全面的な調査を進めるよう求めた。

この「全面的な調査」については、慰安婦が強制連行されたことを示す客観的な事実の証明も必要だと思う。日本人の調査でしかないが、「強制連行が起きた」とされる現地の方の証言で「そんな話は、聞いたこともない」というのは、どこまで「客観的な証拠」として提示できるのかな?なんとも言えないが。
首を突っ込んでくれた以上、きちんと、そちらの立場での証拠も提示すべきじゃなかろうか。

まず手始めに、韓国で教えられている歴史の教科書と、日本、中国、アメリカなどの「東アジア史」の記述、欧米の方々が当時を記した「手記」の内容などと対比して、どんな時代背景だったかまで含めて、検証すべきだと思う。

当時この地域を訪れて、本国に帰還した方々が書かれた書籍などならば、東京大空襲で消失してしまった、なんてことはないと思うし。

ただなぁ、敗戦が決まって、進駐軍が当時の「軍事資料」を押さえようとやっきになっていた1945年の8月には、日本の軍部の残党なんだか、政府の方々なんだか、大量に資料を焼却したりしたらしいから、歴史の研究も相当に難しいのかも知れない。

私、何か間違ったことを言っていますかね?いずれにせよ、外野が騒いでも、どうにもならんだろうな。

ど〜でもいいけど

お昼食べた。お腹いっぱい。動きたくない。

お昼のニュースを見ていて、小池さんの顔を見て唐突に、一つ前の記事で気になってたことを思い出した。「一円あげるから100人誘拐してこい、みたいな犯罪」とかって書いたあたり。松果体の体積を計算する際に、一度半径と直径を間違って計算して、後から2の3乗で、8倍して数字を直すってことをやった。その際に、訂正が一貫していなくて、もしかしたら、約8倍。数字が間違ってたかも知れない。ってことは、「1円あげるから100人」じゃなくて、「1円あげるから10人」だったかも。

一桁違うって、でかいもんなぁ。一日働いて、時間給1円だったのが10倍になって10円になったとする。「今日も一日、しっかり働いた。給料8円もらえるぞ!」だったのが、「今日から、一日分で80円だ!わ〜い、嬉しい!」ってなるかも。10倍ってのは、誤差として大きすぎるよなぁ。2桁は違っていないと思うが・・・。

少年法の改正のニュースもやっていた。法律用語としての「少年」は、女性も含むんだろうな。言葉の意味としては、「年齢が少ない」だから、特に性別を含んだ表現じゃない。だけど、一般に「少年」と言えば、男の子を指す、と思う。

女の子に向かって、「そこの少年!」なんて声をかけたら、「私は女です」とか、怒られそうな気がする。そんでもって、「ごめんごめん、男にしか見えなかったから」なんて言い訳して、火に油を注ぐ。どう考えても、少年は男の子しか指さない言葉のような気がする。少年の対義語は少女、だろうか。性別を意識する場合には、少女の対義語は「少男」でなければおかしいでしょ?で、なんて読むの?ショウダン?冗談でしょ。ショウナン?しょうなんですか?訳がわからん。やめる。

でも、こういう言葉はかなり多い気がする。一般的な表現であるはずなのに、慣用的には男しか指していない表現。この使い分け、「男女平等」なんかで、日本語表現まで変わってくるのかなぁ・・・まじ、ど〜でもい〜ような気もするが。(という、事なかれ主義は、昭和のジジイの証)

ssh-rsa,非推奨のお知らせ
https://orumin.blogspot.com/2020/05/ssh-rsa.html

まじかよ。これは、全然ど〜でもよくない。ど〜しよ〜か、って、今は身動き取れない。

ssh-rsa は将来的に deprecate になり,デフォルトでこの鍵形式を利用する機能自体が無効化されることが改めて告知されました。

うちの「国家試験学習システム」は、ある日突然動かなくなった。このdeprecatedの予告を見落としていて(こういう情報に疎いのは、一人でやってるともう、ど〜しよ〜もない気がするんだが・・・)対応が遅れまくった。二の舞は踏みたくない。半年遅れのニュース確認。もうちょっと、IT系の話題のネットサーフィンとかしないと、ヤバくないか?

と思いつつ、お腹いっぱい。動きたくね〜よ〜。むしろ、眠くなったし。デブがデプリケートの話題を書いてるし。

ますます、訳がわからなくなった。やめる。

アドレノクロム

誰がこんな話題を拡散しているんだろうか。
アウン・サン・スー・チーさんが、アドレノクロムで金儲けするために子供の誘拐に関与した、というネットのページがあるとか・・・2分ほど探そうとしたけれど、やめた。

念のために、最初に明記すれば、子供の誘拐では臓器抽出目的が多くある、というニュースは読んでいる。記憶は不確かだけれど、インドかアフガニスタンかの、どちらかの国で、自分の子供が誘拐され、足取りを辿ってやっと自分の子供の遺体にたどり着いたら、内臓が摘出されていた、という母親の証言だの写真だのが掲載されていたニュースは、読んだ。ずいぶんと前から、「臓器移植」のための臓器を「売る」ために、子供を誘拐するというニュースは散見している。ニュースソースは、一応世界的にも名の通ったところだったと思う。個人のブログの記事だったら、スルーしていたと思う。(時間に余裕がないので、検索はしません。)

一見別の話題だけれども、フィリピンで数百人(だったか、数千人だったか、)の小児買春を行った日本人の教育関係者が逮捕されたニュースを読んだ記憶がある。東南アジアなどでの小児買春については、「顧客」の上位に日本人がいるらしい。同様に、臓器売買での最終的な顧客集団に、日本人が挙げられているというニュースも、一度や二度ではなく、ニュース記事で読んだ記憶がある。

ただ、なぁ・・・

「アドレノクロムは、苦痛と恐怖を与えられた子供の松果体から分泌された、アドレナリンの酸化によって合成される成分」

拡散したのは、トルコ国営放送か?引用したのはこのページ。

https://note.com/xxxyukixxx/n/n4432f081db42
ディープステートに汚染された世界

さらにこの放送によると
アドレノクロムとは実際に売買されていて
1937年に極秘で発見され
60%若返ることができるホルモンです。
幼児の松果体から出る多量のアドレナリンが
酸化したもので、ストレス、苦痛、虐待を繰り返し、
恐怖を与えた時に自分に抵抗力を与える為に
分泌されるホルモンでアドレナリンに由来されます。
目に針を突き刺し抽出されるものです。

あの、だなぁ・・・アドレナリンの血中濃度を知ってるんだろうか?

例えば、こんな研究がある。

https://www.research.johas.go.jp/jyosei/1Ckekka.pdf
女性の深夜・長時間労働が精神的および内分泌環境に及ぼす影響に関する調査研究̶夜間労働がストレス反応系内分泌機構に及ぼす影響̶

ストレスがかかった状態で採血されたアドレナリンの血中濃度は、30〜50pg/mL。
血液1mLから30〜50pgしか確認されていない。通常の状態で、どんなに多くても0.1ng/mL以下。

ちなみに、pgはピコグラムで、mg(ミリグラム)の100万分の一。ngはナノグラムで、mg(ミリグラム)の千分の一。
で、富士フィルムが販売している試薬は「※本試薬は、化学合成により製造されているものです。」と明記しているけれども、一番安いのが25mgで20,000円だろうか。

https://labchem-wako.fujifilm.com/jp/product/detail/W01TRCA305250.html
D,L-アドレノクロム

で、この25mgを、上記で引用したページのような方法で採取するとしたら、どうなるか。

正確に松果体周辺に穿刺できたとして、そこからアドレノクロムを「大量」に含んでいる血液を採取できたとしても、大した量にはならない。
子供の体重を20kgとして、全血液量はその13分の1で計算して、1.5L。循環血液量の約20%が脳に流れるとして、0.3L。
松果体の占める脳全体の体積に対する比率を(成人の数字で約0.5mL / 1350mL= ) 0.04%として、約0.12mL。これにアドレナリン濃度を0.1ng/mLとして計算すると、
一人の子供から抽出可能なアドレノクロムは、約12pg(ピコグラム)という数字になる。ここから、25mgを集めるために、何人の子供が必要になるか、と言えば、約200万人。
しかも、富士フィルムは、500mgを261,300円で売りに出しているから、500mgを集めるとしたら約4千万人の子供を誘拐し、その4千万人から一人一人0.12mLの血液を採取しなければ、ならないことになると思う。

誘拐してくる「犯罪者」に対して支払われる犯罪の報酬は、一人当たり0.01円だろうか。1円やるから子供を100人誘拐してこいと、このページを書いている人が話題にしている「犯罪」は、そういう金額、ということになる。
しかも「子供を一人確保する」だけの金額が100人あたり1円ってことで、そこから血液を採取し、成分抽出して、利益をのせて、なんて考えると、子供1000人を1円で誘拐してもらわなければ、ビジネスとして成り立たない。
アホくさ。どれだけ現実味があるんだか。

ホルモンなどの神経作用物質がどれほど微量で働いているか、全く知識がないんだろうな。逆に言えば、麻薬など純度の高いものが、どれほど壊滅的に神経を破壊するか、ということにもなると思うんだが、面倒くさいから議論したくない。ってか、こうした議論が通じる相手だとも思えない。

あまりにも真顔に、この話題を信じている人が身近にいたので、このページを書いてみた。

しかも、アウン・サン・スー・チーさんが、この「子供の誘拐に関与している」なんて、あまりにも馬鹿げた話
目の下にクマができた人は、すべてこの「アドレノクロムの常用者」だという話題の展開も、荒唐無稽すぎる。書き込みした人たちを、トルコの国営放送も含めて、名誉毀損で訴えてもいいんじゃないか、という気がする。匿名だからバレないと思っているんだろうけれども、ちょっと調べればすぐにどこの誰かはわかる。名指しされてる方々(すごいぞぉ、もう有名人だらけ・・・)は、いずれもお金には余裕がありそうだし、金を注ぎ込んで本気の喧嘩をしてみたらどうだろうか。誰かを痛い目に合わさないと、こう言うネット上の「怪文書」は撲滅できないと思う。

とにかく、こういうネット上の訳のわからないページは、撲滅できないもんかと思う。

ただ、臓器摘出目的の誘拐や、小児買春が、無視できない数字で現実に存在していることは、かなり信憑性のある事実として認識する必要があるとは思う。そして、日本がその「上顧客」に名を連ねていることも、忘れてはならないと思う。
訳のわからないページだけではなく、そうした、主には先進国の「上顧客」も、曝け出して撲滅すべきだという気がする。ただ、このページのリストは、あまりにも根拠が希薄すぎる。それだけは強く感じた。

あれこれ

まとまりもなく・・・法政大学のシラバス入稿の方は、何とか間に合わせた。(情報科学部の大学院は、相当に締め切りが遅い方だったんだなぁ・・・ありがたかったです。学部によっては1週間以上前に締め切りが設定されてた。)多少気が楽になったので、(他に、納期のプレッシャーがきつい仕事はあるけれど・・・)今日は暴走。

ふと思ったことがある。まず、中国。
中国は、新疆ウイグル自治区の問題に関して、何かと「内政干渉だ」と言っているが、他ならない中国が日本に対しては内政干渉したではないか、という話題。何かといえば、首相など公職にある方の靖国神社参拝問題。
曰く、靖国神社には、東條英機などのA級戦犯が合祀されている。だから、靖国参拝はA級戦犯を参拝することに通じ、それは侵略戦争の歴史の肯定であって、容認できない、という主張だったと思う。

ところが、習近平は「戦争を推進する」と明言している。実際に、インドなどを軍事力で「侵略」している。それが正しいか、誤りかは別にして「国益を守るため、国家のために戦争を選択した」のは、東條英機も全く同じだと私は考える。結果的に、戦争に負けたから「戦争犯罪」の罪に問われた。ならば、中国が「戦争」で負けた際には、現在までの習近平が中国国民に向けた発言は、東條英機など「大本営」が当時の大日本帝国国民に向けていた発言と対比するなら、十分に「A級戦犯」に問うことのできる内容ではないか、と思える。当然、状況によっては死刑にされることも覚悟して中国国民を煽っているんだろうとも思うが、少なくとも「国のため」に、その人の理解力に応じて「最適」と思われる国家戦略を選択して、そうして、その判断を誤って破れた人間を、死んだ後も日本非難の口実に使っている。同じことが、そっくり自分自身に起き得るということは、考えないんだろうか、とふと、考えた。

中国は、再三にわたって「靖国参拝」に対して、かなり強い表現を使ってきた。それは「内政」干渉ではないのか?もし、内政干渉ではないと主張するのならば、その根拠を明確に示して欲しいと考える。おそらく、その「根拠」を捻り出したとしても、それは、現在進行形の、新疆ウイグル自治区での迫害や、香港での人権抑圧に関して、世界の多くの国が不快感を示しているその状況にも、そっくり当てはまると思える。自分たち自身が当然のことのように、日本に対して「内政干渉」を繰り返してきた事実を思い返して欲しい、と考えた。

「靖国参拝」に関して言えば、確かにA級戦犯も合祀されているけれども、「赤紙一枚」で国に徴集され、パプアニューギニアばかりではなく、海外で亡くなって、亡くなった事実は戦友などによって確認されてはいるものの遺骨すら確認されていない多くの日本兵も祀られている。むしろ、99%はそちらだろうと思う。遺骨が戻っているならば、家族によって弔われているだろうと、理解している。(あまり、細かいところは把握していないけれども、ニューギニアで亡くなられた兵士の遺族会の方々との会話での、自分の理解。)そうした方々に対して、日本国内の問題として「靖国神社に参拝」することによって、二度と、あなた方ご遺族のような存在は生み出しません、亡くなられた方々に対しても、「大日本帝国」を引き継いだ「日本国」の政治家として、感謝の意を捧げます、と、こうした主張は再三なされて来たと理解しているけれども、中国は(ついでに言えば、韓国も、韓国の場合には、日本国政府が弔意を表した「日本兵」には朝鮮半島出身者が相当数いたにもかかわらず、)「内政干渉」して、その行為にクレームをつけてきた。これが「内政干渉」ではなくて、一体なんだったんだろうか。いや、むしろ、中国共産党が「戦争の準備をしろ」と国民向けに主張をしているのを聞いて、あれは「内政干渉だった」と確信を持って、この一連の「考え方」が思い浮かんだ。日本の「靖国参拝」にクレームをつけたことなど、一切ない、などとは言わせたくない。やったでしょうが、中国は。ならば、それが「内政干渉」ではなく、新疆ウイグル自治区やら、香港問題に関する国際社会の主張の方は「内政干渉だ」と主張する、明確な、論理的な根拠を示して欲しいものだ、と思う。

これが、第一点。次に、第二点。なぜ、唐突に中国の話題を考えだしたかと言えば、言うまでもなく、ミャンマー情勢。中国がどう動くか考えていて、ふと、第一点の話題が思い浮かんだだけ。

ミャンマー。

許可なしの拘束・捜索可能に ミャンマー国軍、関連法停止
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021021400315&g=int

裁判所の許可なく拘束や家宅捜索を実施することを禁じた法律を一時的に停止すると発表した。

国軍はこれに加え、自宅に訪問者が宿泊する場合、届け出を義務付ける法改正を行った。

法律を何だと思っているんだろうか。国会っていうのは、みんなが守るべきルールを決める場所、だと思うんだが、それを勝手に「停止」したり、かってに「改正」(改正?正しく改める?嘘でしょ?改訂でしょ?時事通信の翻訳ミスか?)要するに、ミャンマーは「クーデター政権が定めたルールを国民に適用する=民主的な手続きを踏まない『法律』を押し付ける=『私法』を民間人に押し付ける無法状態になった」、ということだろうな。それを国民に宣言した訳だ。つまり、自分たちが「合法的な存在ではない」と主張しているに等しいと思うんだが、反論できるんだろうか。反論できるものならしてみろ、我々は武力を持っている。国民を殺すぞ、と宣言してるんだろうか。
というのは、本題ではない。

拘束するならしてみろ、という反抗の仕方があると私は思った。
かなりの確信を持って、僕は過去世でこのやり方で勝った記憶がある。無論、今世じゃないけれど(人の意識体は、肉体を抜けても永続的に、ずっと存続し続けていて、今世において経験した内容(単なる丸暗記ではなく)は、魂に刻み込めたなら、間違いなく次に肉体を持った時の自分に引き継げる、という話題として、)自分の経験談を書きたい。(気にしないでください。言いたいことを書いているだけだから、この枕詞は無視していただいて結構。)
ミン・アウン・フライン氏が、ポルポト的な人格だとしたら、この「戦術」は失敗すると思う。根こそぎ殺されてしまう。ただ、私欲しか頭にない程度の人物なら、たぶん、勝ち目があるような気がする。中国共産党の場合には、「指導者個人」の責任に帰結しないから、中国国内ではこのやり方は危険すぎると思うけれど。

ひたすら、クーデター政権に対する反対運動を、今のまま続けたらいい。「恐怖政治」で、民衆に「投獄される」という「恐怖」を与えたなら、いずれは「反対運動が収まるだろう」という判断なんだろうと思う。
ただ、投獄された後、投獄した人の「生存」を保証しないならば、反対運動を続けて、鎮圧される際に殺されても結果は同じ。だったら、むしろクーデター政権側に投獄させたらいい。獄中での「生存権」まで「法律を停止」するか?それを公言したなら、「我々に背いたら殺すぞ」というのと同義だと思う。ミャンマーの方々の反発も無論あるだろうし、今ならば、国際社会の反発は一段階上になると思う。
結果として、最低限、投獄された方々への「食料」の供給は、クーデター軍の責任になる。食事は提供しろと。その「食事の提供」が、民間人の協力なしにできると思っているんだろうか。軍部が片っ端から「投獄」しようとするならば、当然、その「投獄」された方々への「食事の提供」が必須になる。それができずに、「見殺し」にするか、「民衆に頭を下げて食料供給を依頼するか」、その二択にクーデター軍を追い込める、と僕は考える。そうした戦術を取れるように、反クーデターの人たちが、結束するべきだと、僕は考える。

一方では、「クーデター軍の無法措置宣言」を非難する主張を国際社会に訴え続けて、もう一方では、「反対運動」を続け、拘置所だか刑務所だかを「収監」された人々で溢れさせ、収監された人々の「生存権」を巡って、具体的には食料提供などを「武器」にして、クーデター政権と対峙できる、と思える。
無論、言うまでもなく、相手が強硬策に出たとしても、食糧の差し入れはできるように、拘置所や刑務所の役人に、協力させるように、ここでは部族連携などの生活感情を最大限に使って、「拘束」された人々を安易に死なせないように準備をすることも必要だと考えるけれど。

何よりも、クーデターの首謀者はトップ周辺しか押さえていない気がする。だとしたなら、さらに対抗策はある気がする。軍部の最下層、下級兵士や、警察官僚などの最下層の人々を、一人ずつクーデター政権から引き剥がして、民衆側につけていったらいい、と思うし、ミャンマーではそれが可能だという気がする。

結果がどうなるかわからない。こんなことを書いて、責任を負い切れるか。ってか、何事につけ、中心的に責任を持たせてもらうような立場に立たせてもらったことがほぼなくて、末端の「責任」だけは押し付けられる人生ですから、もう、開き直って好き勝手書いてるだけだけれども。信じる信じないは、あなたの勝手です、じゃなかった、役に立つか立たないか、一つの考え方として、参考になる部分があったら、カケラでもいいから参考にしていただいて、とにかくミャンマーに民主主義的な社会を取り戻して欲しいと、切に願う。

第三点。
僕の、おじいちゃん、おばあちゃんの法要を、親父が仕切ってやった時のことだったと記憶している。確かまだ二十代。もう、30年以上前。
僕や弟、姉貴に、「お前たち、ビールと日本酒を持って、一人ずつお酌して、本日はお忙しいところありがとうございましたと、ちゃんと挨拶して回れ」と言った。(今だったら、それに烏龍茶が加わると思う。)
そうして、ぎこちなく挨拶して回って、ある人に、お酌でビールを注いだら「何だ、女じゃねぇのかよ」と言った方がいた。「すみません、男で。」と言いながら、ビールを注いで(お酌して)、「お忙しいところ、どうもありがとうございました」と、紋切り型の挨拶をしたんだけれども・・・
まぁ、親父もね、こういう場面では男だの女だのというのは気にしない人だったから、僕ら姉弟三人に同じように挨拶して回れと言った。ただ、大正から昭和初期の方々には、こういう場での「お酌」は、女、つまり、ぼくのお袋か、姉貴か、だけであるべきだ、的な発想の方々が少なくなくて、この人の発言というのは、別に「不自然」なものではなかった、と記憶している。
いうまでもなく、森元総理の世代。会社でお茶汲みしない女は、雇っておいても意味がない、男性社員の「お嫁さん候補」として雇用したんだから、さっさと社内で(あぶれている男どもとくっついて)結婚してくれ、みたいな価値観が、昔は間違いなくあった、と思う。(個人の感想です。)だからなぁ、あの発言。「単に本音が出ただけ、昔だったら別に何の問題もない話題だったのに、」なんていう感じだろうとは思う。

自治会の会合で「宴会の準備」なんていうのがあると、「女性陣は、宴席の準備に・・・」なんていうのが今でもあって、そこはもう、60代〜80代の女性の方々、心得たもので、きちんと準備を整えてくださる。むしろ、「どうやって、男がやりたいようにするのに、適当に付き合っておくか」みたいなのは、感じない訳じゃないけど、本音を口にしてもらったなら、もう、相当に吹き出すだろうなぁ。

ですけどね、この辺は男の側の論理。きちんと「仕事」をしたくったって、仕事の中身じゃなくて「お茶を入れたかどうか」だけで業務を評価されたりとか、(以下省略。もう、数えたら10や20では済まないほど、具体例が出てくると思う)女性の側からしたら言いたいことは相当にあって、運悪くというか、なんというか、「オリンピック」という全世界が注目し、日本国内の「昭和の価値観」だけでは済まない立場の人が、あの発言をしたという「条件が整って」というべきか、見事に「昭和の長老」をそのまんまに表現してくれたもんだから、集中砲火は当たり前だろうな、と思う。

いい機会じゃなかろうか。じゃないや。これを「いい機会」にすべきなんだ。チャンスは逃すべきじゃない。変えることのできるチャンスがあったなら、徹底的に利用すべきだ。単に森元総理を吊し上げただけじゃなくて、「古い世代の認識」を徹底的に更新するまで、あくまでも「意味のある」議論を展開して、(ここが大事だけれど)具体的にどんな場面で、何をどう変えていくか、これをきっかけにして、なんらかの「あるべき姿」を模索したらいいんじゃないか、と思う。逆に言えば、幸運かもね。「森元総理は、五輪の件で辞任したけど、あなたは?」なんてね、あれは活用できる。森元総理の一見は、相当に「再利用」しやすい素材だという気がする。

第四点。同じく「森元総理」の問題に関して。
「女性が多くいる会議は長引く」ってな感じの発言。そもそも論として、「会議が長引く」のは、悪いことなのか?「会議が長引く」のが悪いことでない、むしろ良いことならば、「女性が多くいる方が、言い方に物事が動く」という解釈は成り立たないのか?そこが、今回の騒ぎの不思議なところで、誰も、「会議が長引く」ところを問題にしていない。

僕が以前在籍していた大学。教務委員長が僕の上の学科長だったから、話を聞けば、事前に事務方から「議事録」を渡されていて、その議事録通りになるように、議事を展開するのが仕事だったから、「意見」を言う人がいたら、結構苦慮したらしい。参加されてる先生方も、そんな会議の時間を取られるのは面倒だから、元々の予定の1時間を30分で終わらせるところか、最初から議事録を配布して「異論のある人はいますか?いませんね!はい終わり」で、2分で終わらせてもらったら、どなたも大喜び、だったんだろうか、なんて思う。だったら、そもそも、なんで会議なんて開くのよ。思うに、国会だってこの延長の気がする。だからこその、森元総理のあの発言。
何のための会議か、って言ったら、この場合なら「学内の、すべての学科の代表者が、この内容に合意しました」という既成事実を作るための場所、というのが本質だろうか。現実に起きている問題を、現実的に対処するための場所じゃない。そういう話題は「終わってから、個人的に」とかで、酒の席に持ち込む、とか、「今日の議題には相応しくないので、その発言は別の場所にしてください」とか、こうやって、「発言潰し」をするための口実なんていくらだってある。
「現実に起きている問題を洗い出す」とか、「それぞれの意見を聞く」とか、「出席者の意見から解決策を模索する」とか、「出席者の共通認識を明確にする」とか、「テーゼとアンチテーゼをぶつけて、止揚を見出す」とか、そういった、そういった諸々の本質的な議論を全て回避して、「はい、みなさん合意しましたね、何も文句はありませんね、合意の下で決まりました」と、その口実を作るため、だけに、会議が存在している。森元総理の「会議が長引く」発言は、まさしくそうした日本的民主主義の現実を露わにしたのではなかったんじゃなかろうか。

って、思うんだけれど、誰もそこを突っ込まない。当たり前だと思っているんだろうか。
ってか、子供の頃から「おかしいと思っても、黙れ、先生の言うことは絶対だ」とか、「上司の発言には逆らうな」とか、それが当たり前になっちゃってるから、結構ネットで色々意見をしている人たちも、この部分に突っ込んだ記事を(少なくとも僕は)見かけていない。おかしくありませんか?

本質に突っ込んだ議論ならば、長引くのは当然。それなのに、この部分が問題にならないのは、あまりにもおかしい。

昔は「総会屋」とかいたらしい。とにかく「株主総会」に潜り込んで、「い〜ぎ〜あ〜り〜(異議あり)」と叫ぶと、大半の「会社役員」の方たちは固まっちゃって、「議論」なんか一切できず、困ってしまう。だもんだから、会議の議事に異論を唱えそうな人(普通、そういう人の意見を聞いて、対応するのが会議だと思うんだが・・・)が事前にわかっていたなら、お金を渡して黙ってもらうと、それが当たり前だった。だから、ちょっと「議論」ができる人がいると警戒されるようになった。金を取られる?どこか根本的に間違っていたんじゃないか、と思うけれど、この「慣行」も昭和の遺物か?

第五点。新型コロナの新規感染者数が、世界的に減っている話題。
日本国内の場合は、違うと思う。検査件数が減少している。だから、というのは、前も書いた。もういい。以下省略。「五輪」の成功は、もしやるなら、祈ります。同時に、その影響で亡くなられる方々の冥福も、先行してお祈りいたします。

第六点。
そもそも、今回僕がこの「立ち位置」(自分の言葉を、自由に、延々と書き続けられること)にこだわって、特定の立場を護持して生活の安定を気にしなかったのは、師匠の存在。師匠がどういう方だと、僕が思っているか、については、書かない。(およそ、誰も聞く耳を持たないと思うから。)ただ、と、書こうと思って、この話題が一番表現が難しいことに気づいた。やめます。それに疲れた。

今日は、日付が変わってからも、それほど経たないうちに寝たい。疲れたから、もう、一切読み返さない。おやすみなさい。

表現狩り

ぼちぼち、寝落ちするな、寝るぞ、と思ったら、唐突にこの話題が頭をかすめた。
吐き出さずに寝ちゃうと、またいつまで経ってもリフレインがかかって、仕事の邪魔。吐き出しちゃってから寝る。

ジジイ・ババアは差別語か?
自分たちのことをジイジ、バアバと呼ばせている人は、何人も知ってる。「爺い」「婆あ」は、差別語でも何でもない、歴とした普通の日本語表現だったと思う。

ところが、「高齢者は、動きが鈍い。肌がツヤツヤしていない。髪の毛が薄い。」そうした諸々の高齢化に伴う現象を、やたらとネガティブに受け取って、「もっと、若い人と同じように見せかけましょう」なんていうキャンペーンを始める会社もあったり、「若い頃と同じように見せかけなきゃいけない」なんていう妄想に囚われて、冷水のプールに潜って見せるどこかの国の大統領みたいな行動をとったり、高齢者の側の「根拠のない劣等感」も加わって、この言葉が使われると、たぶん、ジジイ・ババアが「差別語」扱いされちゃうんだろうな、なんて思った。

誰しもが、いつかは歳をとって、やがては死ぬんだから、「死に損ない」とか言われたって別に良いじゃんか、とは思うし、加えて言えば、(たぶん、この段落には異論のある人もいるだろうし、学術論文なら証拠を提示しろ、とか指摘されるんだろうけれど、だから、同意は求めませんが、)死んだって、その方の「意識体」は、誰もがそこに存在していたりするから、肉体を「廃車」にして、次の「新車」に乗り換える過程だくらいに考えときゃいいのに、わかってないから、過剰に恐れる、って、新型コロナの話題じゃないんだけれども・・・(何の話でしたっけ?)

日本語で、「便所」を表す表現は、30以上あるらしい。これを聞いたのは、確か浪人時代の予備校での、古文の授業中だったか。どこまで思い出せるか。WC、トイレット、お手洗い、便所、化粧室、雪隠、厠、「雉子撃ち」、これ辺が限度かなぁ。
結局、「新しい表現」が出てきても、その表現が使われ続けると、トイレの「臭気や汚れ」をイメージさせるようになって、そこからまた、新しい表現に飛びつく。千数百年間、それを繰り返している間に、いつの間にか、「便所」を意味する日本語表現がそんなにも増えてきた、ということだと思う。言葉は、発し手と受け手の「意識」を仲介する接点に過ぎず、表現そのものに「差別」が内在する訳ではない、と私は考える。

特定の表現を「差別」だと主張する方がいらっしゃるとしたなら、その方が相手の使った表現に「差別意識」を感じ取っているから不快になる、あるいは、そうした差別意識に根ざして(「エンガチョ」か?)表現を使うから、何でもない言葉が「差別語」になってしまう。私はそう考える。使い方次第では「金持ち」だって「上級国民」だって、「差別語」になると思う。以前、「朝鮮人」を「差別語」だと言った人がいた。え?と思った。それが差別語だったら、他にどんな表現があるんだ、とも思った。というより、どういう「意識」をして「朝鮮人」という単語を言葉にして使っているんだか・・・

例えば「土人」。パプアニューギニアの方々を、土人と呼んだ人がいたけれども、「土と共に生きる人」あるいは「土にしっかり足をつけて生きている人」の意味ならば、どこに「差別」の要素があるんだろうか。農業生産者は、みんな「土人」だと思う。

ビッコ(跛、もしくは、跛行[ハコウ])はどうなんだ?ちなみに私は、間欠性跛行です。梅の木から落ちて首を痛めた後、1時間も走っていると左足が動かなくなる。動かすどころか、感覚すらなくなる。脊柱管狭窄症なのはMRIみれば明らかで、首だけじゃなく腰もかよ、っていう話題は、訳がわからなくなるので傍に退けておいて、昔は跛行[ハコウ]を[ヒコウ]と読んで、そこからビッコになったのかなぁ。ビッコって今、差別語扱いされていませんか?もう際限がない。チンバ、片端(かたわ)、どれが「放送禁止用語」なのか、もう、訳がわかっていないけれども。

「障害者」の「害」の字が嫌だ、と。だって、体の一部分が「正常」でないために、生活に「害」を与えているんだから、「障害」という表現のどこが問題なの?と私は思う。「障害」という言葉に過剰反応するならば、言葉を言い換えたところで、時間の問題でその「言い換えられた表現」に、以前からの「差別的感情」を感じ取ってしまって、それも不快になる。そうやって、表現狩りを繰り返していたら、もう、使える言葉がなくなるんじゃなかろうか。

いわゆる「放送禁止用語」。いや、下ネタ絡みは除外するけれども、相当にこうした「表現狩り」にあっちゃった「表現」が多いような気がする。

「女だなぁ」という表現。これは特には「差別語」扱いされていないけれど、これ、文学者というか、作家の方々ならば、前後にストーリーを組んで、この表現自体を「ものすごい差別語」として登場人物に使わせることも、逆に「最上級の賛美の言葉」として使わせることも、可能だと思う。文脈、というよりも、言葉の使い手の「意識」次第だと私には思える。

森元総理の発言。その表現がどうこう、というよりも、ご本人の女性一般に対する意識が滲み出ちゃった結果であり、多くの人がそれを受け取ってしまった、ということのような気がする。

「表現狩り」で、言語表現そのものを問題視する以前に、その表現を使った方の「意識」の方を問題にすべきなんじゃないか、と思えた。
(たったこれだけの話題、なんだけれども・・・気になりだすと、仕事の障害になるので、吐き出しちゃいました。)

今度こそ、寝る。

This is bomb

「すぐ」にやらなきゃならないことを、今都合4つ抱えている。

こういう時は「優先順位をつけて」などと言ってると、実は何もできない。どれから手をつけたら良いか、それを考えるだけで、一日一日が過ぎていく・・・というのは冗談ですが。もう、何も考えない。一つこれ、って決めたら、後のは忘れる。(忘れていたって、灰の中の種火のように、どうせすぐに火がついて、意識の前面にシャシャリ出てきて)片付くまでは、この「早くやれ〜早くやれ〜」という督促が続く。全部同時進行で。だからもう、何も考えずに「今日はこれ」って感じで作業をする。

その結果、「まだ、ギリギリ間に合うはずだ」と思っていた、大学のレポート(プログラム)読みを「先送り」した。ギリギリ間に合わせるつもりで「今日はもう、これしかない」と思って採点を始めたところが、学生の書いたプログラム、pythonのバージョンが違うのか、pygameのバージョンが違うのか、私のMacではエラーを吐いて止まってしまった。レポートを読むと、ちゃんとスクリーンショットが報告されていて、そうなると、環境が違うんだと思い知らされる。で、「環境が違う」で気づいた。そういえば、エラーを吐いて実行できないプログラムを出してきた学生が、何人かいた。遡って探し直して、採点のし直し。pyenvで、実行環境を複数用意すれば良かったんだけど、もう、時間ギリギリだったので、力任せで移植してしまえ、と思って個別対応を始めたところが、思いの外、そうした「最新環境」で書かれたプログラムが多くて、ドツボにハマってしまった。
早く着手すれば何でもなかった仕事を、時限爆弾にしてしまった・・・(二日遅れた。)

でも、逆に、先に大学の採点を済ませようとしていると、「お客さんに、金額見積もりと工期の見積もりを出さなきゃならないんですから、すぐに内容を精査してください」なんていうリクエストへの返答が遅れる。着手が遅れれば遅れるほど、仕上がりも遅れ、入金も遅れる。入金が遅れて、税金の督促を無視しづけると、それもまた、精神衛生に良くない。

シラバス入稿は、まだ間に合う。けれども、今年の反省(rubyとpythonの教材が、ごっちゃに入り乱れてしまって、前期と後期の違いが不鮮明になってしまった)を踏まえて、ruby on railsとpython/djangoを、そっくりtermで切り分けることにした。そうなると、シラバスも教材も、そっくり書き直し。その書き直し作業が面倒だと思いつつ、ついつい先送り。さすがにもう、最低でもシラバス入稿は間に合わせないと、タダでさえ信用がないのに・・・

その法政大学の「人事」から(だったと思う)、年に一度なのかなぁ、時々手紙が届く。俺、まだ何も悪いことしてないつもりだけど、一体何の悪事がバレたんだ?とヒヤヒヤしながら開いてみると、「法政大学ダイバーシティ宣言」なんてのが入っていたり、ハラスメント防止の手引きが入っていたり。

要点は一つ。発言や行為の意図が何であれ、受け手が不快に感じる、不快な「解釈」ができるような言動は、厳に慎めと、そういうことだろうな、と理解してます。例えば、私なんかが女子学生の肩に手をかけた、とする。「ちょっと、いいかい」のつもりだ、などと釈明しても「男性教員が女子学生の体を触った」事実には違いない訳だから、そういうことになってしまいますよ(報道される表現も、たぶん、そうなる)、ということで、聞いた側、何かをされた側がどう思うかが全て、というのが、おそらくは民間企業なんかでも一般的な理解じゃないかな、という気がした。

ところが、世間とは完全にズレている方が、辞め際にもこんな発言をされていたらしい。

【全文】森喜朗会長が辞任表明、女性蔑視発言は「解釈の仕方」「意図的な報道あった」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/85567/2/

 そしてコロナ対策ということで、第一段を政府にとりまとめていただきましたが、結局そのためにわれわれの想像もつかないような、1年延期するということ、これは当時の安倍総理の発案で、IOCとの間で合意を得たわけであります。したがってその1年、計画しましたのも半年になりました。私どもとしては、あくまでオリンピック、パラリンピックを開催するという強い方針で、今、準備を進めていた矢先でありまして、そういう中で会長である私が余計なことを申し上げたのか、まあこれは解釈の仕方だと思うんですけれども、そういうとまた悪口を書かれますけれども、私は当時そういうものを言ったわけじゃないんだが、多少意図的な報道があったんだろうと思いますけれども。まあ女性蔑視だと、そう言われまして。

段落まるごと引用しました。他にもう、切り方はないと思う。
「解釈の仕方」だとか「意図的な報道」だとか、そういう言い訳は通用しない、ということを、まったく理解できていないんだろうな、と思うし、それはおそらく2Fさんも大差がない。

表題のThis is bomb.何の話でしょうか。次に引用するリンク先の記事をお読みください。

僕の記憶では、3000万円くらいを請求された、という記事を読んだと思っていたところが、以下のページを見たら400万円で示談が成立したらしい。まず、良かったよね。サラリーマンが3000万円とか5000万円なんて払うことになったら、もう、一生何のために仕事してるのかわからなくなると思うし。(あ、交通事故を起こした方は、そうなるみたいだけど。)交通事故も、「簡単に起きてしまう」もののような気がするけれど、まさしくこの This is bomb.の一言も、ほろ酔い気分の日本のオッサンとかが、「軽い冗談」のつもりでよくやりがちな話のような気がした。

冗談で「爆弾」というのは世界中でタブーなの?
http://blog.q-q.jp/200605/article_27.html

この人の記事、他に二つも三つも、似たような話題を拾っている。今までの日本では「冗談」で通じたとしても、今後は世界に広まり、「言い訳」が通用しないケースが増えるんだろうな。率直に言って、政治家とか、元政治家、あるいは「有名人」は、自分の発した言葉がどのように解釈される可能性があるか、ほとんど網羅的に想像した上でなければ、およそ「冗談」などは口にできないんじゃないか、という気がする。

一般人だってね、職場だの、取引先だの、「公」に近い(相手がいる)場での言動は、「アウト」にされたら申し開きは難しい気がする。

今、「差別意識」の話題と「単なる受け狙い」の話題とを、混ぜて書いちゃった。何が共通してるか、って、「相手の解釈」だろうか。森さんの「解釈の仕方で、こうなった」、という主張は「間違いを犯す方々の典型」だと思う。私が言いたかった解釈をすべきなのに、あんたは違う解釈をした、私の意図した解釈をしないあんたが悪い、とでも責めたいんだろうけれど、責めるべきは、相手に自分のして欲しい解釈を通じさせられない自分自身の表現力の貧困か、でなければ、相手がどんな解釈をするか理解できない自分自身の理解力のなさの、どちらか、もしくは両方だと思う。
まさしく、どこかの政党は、表現力も理解力もない方々が、牛耳っている、ということだと思う。

さらに言えば、表現する以前に、改めるべき点があろうかと、私は思います。

私は思ったことをほとんどそのまま言葉にしている。それは、日常生活でも同じ。それでも、あまり「これを言ったら、相手が不快に思うかな」というのは、言葉になって出てこない。(いっやぁ〜、テメェで気づいてないだけかも・・・ただ、気づいていないフリして、続ける・・・)相手が、中国人だから、朝鮮人だからどうこう、男だから女だからとか、障害があるからとか、ジジイ(私も含まれる)・ババアだから、ガキだからどうだとか、そもそもが差別的な文脈で考えたことがないから、差別的な「解釈」が成り立つような表現には、なってこない。

「区別」が必要な場合には、「区別」はしてます。心電図の実習の時には、男女はきちんと「分けた」。ここで「区別」しなかったなら、逆に「ハラスメント」になっていただろうと思うし、言うまでもなく、女子の領域には一切足も踏み入れていない。これは「区別」であって「差別」ではないと、私は理解してますが、間違ってるでしょうか?話を戻して、ジジイ・ババアについては、若い人たちとは「負荷」を変えるなんていう「区別」もあるし、外国人の場合には、手続きだの社会慣習が違う場合もあって、それは「違いの理解」だと思うし、無論、「違い」を取り上げた発言をすることなど、しょっちゅうあるけれど、「差別」の意識はないから、そもそも、森元総理みたいな「発言」は出てこない。

要するに、あの辺の方々の場合には、「そうした発言をするな」という指摘、以前に、「そういう発言が出てくる考え方、頭の中身そのものを変えてください」という指摘の方が正しいと思う。けれども、結局「何が問題だったか」すら、まったく理解できているようには思えない。引用した記事を読んでいて、ダメだこりゃ、と思った。
どこかの政党、党の上層部に大量の爆弾を抱えているなぁ、なんて思った。

ちなみに、大量の地雷が埋められているような地域の場合、とにかく発見したら、爆破して取り除く、というのが一般的な対処方法らしい。

地雷を安全に処理するドローン「Mine Kafon Drone」–発見から爆破までを迅速に
https://japan.cnet.com/article/35086921/

数が多すぎる場合には、爆破しかないんだろうな、なんて思う。

夕食後の一休み、終わり。あとは、寝落ちする寸前まで、また仕事、続けま〜す。


追記

地雷で家族を亡くされた方々にとって、「こんな」話題で地雷を引き合いに出されたら、たまらない、とお感じの方もいらっしゃるに違いない。だとしたら、私のこの表現も、「アウト」だと思った。不快になられたら、申し訳ないです。ごめんなさい。

ただ、今までもそうだし、たぶん、今後もそうだけれども、「発言の撤回」は、原則的には一切しません。一度でも表に出しちゃった言葉は、消すことなんてできないと思う。だから、被せて続ける。

もし、「地雷なんて、過去の話題だ」と思っている方がいらっしゃったなら、(私自身の自爆覚悟で)今でも無数の地雷で苦しんでいる方々が、国によっては相当数いる、ということは知っておくべきだと思う。すべてを取り除くのに1100年かかる、とか・・・

「内戦」にまで発展して、自分たちの国なのに自分たちの子孫のことなど考えもせずに、大量の地雷を購入して自分たちの国土に埋めたりする、そうした発端は、クーデターだったりするし、選挙に負けそうな大統領などの権力者が、支持者に蜂起を呼びかけて内戦に突入し、それが何十年も続いたりだとか、世界は色々。日本在住のミャンマー人が「軍事クーデター反対」のサイレントなデモを実施したら、「日本に騒ぎを持ち込むな」と、SNSに「デモ反対」の書き込みをした日本人が結構いたらしい。それは、確かに「差別」ではないけれど、「無関心」ではあるような気がするし、無関心と差別は同根だという気がします。

(毎度のことながら)何の話かよくわからなくなった。今度こそ、仕事に戻る。

シミュレーション

眠い。仕事終わりに、午前2時を回って、それでも書こうって、何やってんだろ、私。無事、最後まで書き切れるか。寝落ちしそうだな。

興味を持ったのは、人の発声時に発生する、飛沫とエアロゾルの比率。

人が声を出す時には、声帯が振動する。気流を断続的に遮断したり、振動を加えて「声」を出して、会話をする。特に食事中などは唾液の分泌がさかんだし、会話などの発声時に飛沫を大量に巻き散らすのは、普通に太陽光の元でおしゃべりをしている人を観察しただけで確認することができる。

で、ネブライザー。
呼吸器系の病気がある人に、薬剤を吸入させる時に使う、薬剤の「気化」装置。(厳密には、気化ではなくて、エアロゾル化、というのが正しいんだろうな。って、薬剤の種類によるのか。)旧式のものは、水の蒸発を利用していたものもあるようだけれど、今のものはほとんどが超音波振動子を使って、エアロゾル化を行っている、と理解している。
超音波振動を与える事で、薬剤をエアロゾル化できる。振動数が超音波領域でないとエアロゾル化しないか?って、考えると、数千Hzの、可聴音域の振動数でも、一定量のエアロゾルが発生するように思えてならない。当然、そうして発生したエアロゾルは、不織布のマスクをしていても、ある程度は空気中に飛散されるだろうと思う。食事中などでマスクをしていなければ、なおさら、ストレートに飛散されると思われる。

飛沫はアクリル板などでブロックできるけれど、エアロゾル化したなら、換気をしなければ感染対策にはならない。で、興味を持ったのは、多くの人が会話をする職場であったり、飲食店などであったり、普通の人の普通の会話で、どの程度エアロゾルが発生するのだろうか、という点です。もし、このエアロゾルの発生量が感染を起こさないほど少ないならば、それほど換気に神経質になる必要はない、と思われる。逆に、飛沫だけではなく、かなりの量のエアロゾルが発生するならば、乾燥している冬場だけではなく、夏場などでも換気は不可欠だ、ということになる。

若干話がそれるが、なぜ、乾燥が関係するか。

エアロゾル:ミクロとマクロの出会うところ
https://www.applc.keio.ac.jp/~tanaka/lab/AcidRain/%E7%AC%AC34%E5%9B%9E/1.pdf

ここでDp: 粒径、ρ: 粒子の密度、g: 重力加速度、η: 空気の粘性係数である。

サイズの小さい「飛沫」は、滞空時間が長く、また、飛散する際の空気抵抗による影響も大きく、浮遊している間に水分を失って、エアロゾル化すると推測される。この、水分蒸発の速度は湿度に影響されると推測される。つまり、対策を考える際に、考慮しなければならない要因は二つではなく、三つで、(1) 飛沫として飛散して、どこか(例えば、向かい合った相手の料理など)に付着するもの、(2) 最初からエアロゾルとして空気中に放出され、浮遊する、ウイルスを含んだ粒子、そして、(3) 飛沫として放出されるが、湿度に応じて、途中で水分を失い、エアロゾル化する大きさの粒子。
乾燥によって、ただ単にウイルスの生存期間(感染力を維持する期間)が異なるだけではなく、感染プロセス自体にも差が出てくるのではないか、冬場ほど、換気が必要になるのではないか、と思えたのが、この話題を考えたきっかけでした。

人の呼吸による気流は、何も言葉を発せずに、吸って、吐いて、だけならば、かなり層流に近い、気道抵抗の少ない流れ方をすると思われる。つまり、飛沫も、エアロゾルもほとんど発生させない、と推測される。ところが、声を出す場合には、声帯が(ネブライザーの如く)振動して気流の断続を短時間に繰り返し、さらに、子音の発音などでは、撥音・拗音・促音など、唾液などを飛散させがちな気流の断続を伴うものから、日本語のパ行の音(半濁音)みたいなのまである。PPAP(ペン-パイナップル-アップル-ペン)なんて、相当に飛沫の発生量が多そうに思えるけど、同時にエアロゾルはどの程度出しているんだろうか、という単純素朴な疑問でした。それほどまでに、気流の遮断と開通を繰り返し、口腔内で乱流を形成していたなら、粒子が分裂させられて、エアロゾルを相当量形成するのではないか、と思えた、単純素朴な疑問でした。

飛沫の比率が多いか、エアロゾルの発生が多いのか、それによって、当然、取るべき対策も違ってくるし、そもそも空気が乾燥していないならば、エアロゾルの発生が少ない、ということならば、観光地の食堂などでの換気の必要の程度も違ってくる、と思えた。

富嶽では、飛沫の飛散の状況についてシミュレーションを行なっていた。可能ならば、発音する音によって、気道内の粘液や唾液などが、どの程度飛沫化、エアロゾル化するか、なんていうシミュレーションも行なってくれたなら、その結果を見てみたいな、と思った。

以上、寝ます。(なんとか、寝落ちせずに、ゴールまで辿り着いた。)この、クソ忙しい時に、何やってんだろ、俺。ってか、ニュース見てるとこういう疑問が湧いてきちゃうんだから、仕方ないでしょうが。吐き出さないと精神衛生に良くない。

楢山節考

「コロナは、いずれは普通の風邪になる」なるほど、確かにそうかも知れない。
ただ、そうなるプロセスで、集団免疫を獲得する過程で、病気に勝てなかった多くの死者をだして、生き残ったものだけが、生き残った当然の結果として免疫を獲得してきた、ということも、忘れてはならないんだろうな、と思う。これはもう、生物学的な鉄則かも知れない。

たぶん、これが一番行政としても安易な政策かも知れない。
問題は、例えば、高齢者や基礎疾患のある人たちにどの程度のリスクがあるか、ということだろうけれど、折込済みか。その人たちのリスクよりも、社会としてのメリット、例えば、将来の国家による医療費負担を低く抑えられるようになるとか、翻って税率が下がるとか、そのメリットがあるならば、うまい口実を見つけて、そちらに誘導するのもアリなのかも知れない。

露骨にやると社会の反発を招く。表面的にはワクチンを優先的に接種することにしておいて、実際には若い潜在的な感染者を社会に野放しにして高齢者などの感染確率を高め、暗に「腐りそうな枝を先に切り落とす」戦略に誘導する。極めて巧妙な未来戦略かも知れない。実際に、この戦略を取れば、若い方々の将来の税負担は数%から十数%減るかも知れない。
やり方が、あざとい気はするけれども、国全体の将来を考えた時に、案外正解なのかも知れない。そんな気がしてきた。昔から紡いできた、日本人の生活の知恵。

表題は・・・気にしないでください。大した意味はありません。そのままの意味ですが。

自己責任

なんだか、感染者数が減ったニュースばかりが目につくけれども、そもそもPCR検査件数が1月上旬から比べて4割近く減っているように見える。
ということは、ピークアウトしたとは言え、忘年会だのクリスマスだのでオーバーシュートした分の影響が取り除かれただけで、実際の感染者数の基線自体はそれほど大きく減少してはいない、ように思える。

新規感染者数の推移(移動平均)のグラフを、PCR検査件数の推移(移動平均)で割って、オーバーシュート分を割り引いてみると、実際にはピーク時の2〜3割程度しか減っていないような気がする。その「見えていない差分」はどこに消えたか。

言うまでもなく、保健所が追跡調査を打ち切った影響が出ているんだろうけれども、(さんざん、絡んだけれども、これは辛坊氏が指摘していたと思うが、)これだけで把握率が一気に落ちた。感染経路不明者が増えている途中だった。クラスターの中心が職場などにシフトしているところだった。

ということは、実際には職場などで感染が広がっていても、若い人(40代も若いとみなして)が中心だと「具合が悪くなって、病院にかかり、それで感染が確認された」などというケースは激減するかも知れない。受診控えだの、PCR検査待ちなども「顕在化」の障害になってくるんだろう。

加えて、職場によっては感染者を「犯罪者」扱いして、出勤するなとか、口実をつけて解雇したりとか、そんなケースも出てくるんだろうか。そうなれば、ますます「受診控え」は増えてくる、気がする。
そのツケは、どこに回るんだろうか。

感染しても、無症状(実際には、肺や脳などの損傷などが起きていても、無自覚のままの場合もあるだろうけれど、)だったりすると、医者にかからず、周囲に感染を広げるケースも相当に増えてくるだろうと思う。なぜならば、保健所が追跡調査を打ち切ったから、これまで追跡調査で顕在化したケースも、今後はそっくり潜在化してくる。これの原因は、国が「検査」のための人材投入を決断しなかったから、だと思う。仕事がなくなった人が増えているんだから、簡単な研修をして雇い入れて、PCRも含めた検査能力を増強することなど、いくらだってできただろうに、と私は思うし、そう言えばもう、1年近く前から同じことをひたすら繰り返して書いているような気もした。(1年も自分の主張の間違いに気付いていないのかも知れないけど。)

「無(自覚)症状」のまま推移した人でも、例えば、20代の方が、実際には肉体年齢が40代くらいにまで肺機能などを低下させていても、激しい運動などをしなければ顕在化しない。感染してしまったツケは、今は「無(自覚)症状」でも、30年後くらいに「不自然な老化」という形で訪れるリスクはあるように感じる。そうして、潜在的な感染者(スプレッダー)が増えてきて、同時に、職場などでの「感染状況把握」の対応が遅れると、その家族の高齢の方などに、一気に具合が悪くなって亡くなったり、独居の方などが市中感染して、民生委員がご自宅を訪ねたら無反応で、警察・消防の立ち会いの元でこじ開けて自宅に入ったら死んでいた、とか、そうしたケースが増えてくる気がする。

基本的に、PCR検査を受けようと思っても、民間委託だと自己負担が大きすぎたり、保健所に申し出ても待たされたりするケースが多くて、「新規感染者」としてカウントされるケースが少なかったのが日本の場合だと思う。そこで保健所の追跡が打ち切られたら、「新規感染者は少なくなりましたね、良かった良かった」と言いながら、実際には把握されない感染者が、把握されないまま市中に増えてくることを意味すると思う。

国は、国の施策として感染者を把握することを諦めた。保健所業務がパンクしたから。ということは、どういうことか。自己責任でPCR検査を受けて、会社内の感染者を把握してください、自営業やらリタイヤした方の場合には、自己負担でPCR検査を受けてください、自分たちで検査をしなかったら、職場内でクラスターが発生していたとしても、一切フォローはしませんよ、ということになると思う。

確かに私は、「『正しく恐れて』経済を回せ」と書いてきた。けれども、それはやはり、検査体制が万全なら、という今の日本ではあり得ない前提に基づいていた気がする。この主張は、間違いだったかも知れない。

新型コロナは、集団免疫ができてからは、「普通の風邪」になるだろう、とも思う。だけど、それまでは高齢者や基礎疾患のある人にとっては、致死率の高い病気であって、今「風邪」扱いするのは危険すぎる気がする。100年前なら、全世界、病気による死亡は、今の低開発国並みに高いレベルで、どんな風邪も最初は致死率の高い病気だった。それが、何年も経ってようやっと「普通の風邪」になったのだと思う。急性症状が出ている時に、慢性化したあとの措置を主張するのは、愚策だと思う。結果、表面的には「新規感染者数」が減少を続けながら、病院にかかることなく亡くなってから新型コロナに感染していたことがわかるケース、しかも、基礎疾患があるなら、その基礎疾患を死因として新型コロナへの感染としてカウントされない(今の反動か?)ケースも出てきたりして、病床数の圧迫や、死者数の下げ止まりは続いているのに、「新規感染者数は減少しました」という数字だけが出てくるように感じる。

なぜ、そんな結果が想定される政策に転換したんだろうか。思い当たるのは、「新規感染者数」が減少したなら、国を挙げての巨大イベントを実施できるから。なんだろうか、という気がした。その目的のために、顕在化しない感染やその結果の死亡は受け入れろ、と。死ぬのが嫌なら、自分たち自身でPCR検査を受けて、安全を確保しろと。要するに、感染しないのは「自己責任」だよ、と、そういう社会を描いたんだろうか、という気がした。

計測屋としては、思う。現実に何が起きているかを把握するには、とにかく「観察(自己観察経過の行政による把握)」だとか「検査」とかしかない。その努力を放棄した、ということは、現実に何が起きようが、「当局は一切関知しません」的な宣言のように思える。

かくして、PCR検査件数が4割も減っている、そこには言及せずに、「こんなにも、新規感染者数が減りました」と、そちらばかりを主張して、どんな巨大イベントを強行するつもりなんだか。マスコミも「減りました、減りました」って、巨大イベントの片棒担ぎか。視聴率違いそうだもんなぁ。

なんだか、サバイバルの様相を呈してきた。都道府県とか、市区町村とか、自治体レベルで何をするかで、感染率や死者数の多い少ないが分かれてくるんじゃないかなぁ。地方の場合、観光業とかを犠牲にするか否か(大都市圏からの訪問を受け入れるかどうか)なんていうのも、問題になると思うし。PCR検査をするとか、しないとか、その部分の比率がとにかく大きい気がした。
「ただの風邪だから、気にすることはない」ってやって、集団免疫獲得までの死者を切り捨てるのも、確かに選択肢の一つだし、普段から「キレイキレイ」が大好きな人は、自分が大した免疫力を持っていないことも自覚すべきだろうと思うし。事の本質がどこにあるか、それを見極めるのも、個人の問題に帰結する、要するに自己責任の社会になるということかも知れない。

クーデター潰し

非暴力でクーデター政権に圧力をかける方法として、こんなのはどうかと思った。

ミャンマーの場合には、まだ国内産業基盤が未成熟で、海外からの援助も、技術導入も不可欠、という現状があると思う。スーチーさんの時、現地政府からの要請で臨床工学技士の卵を指導する、とかいうので、僕の教え子、一期生や二期生たちが何人か、ミャンマーに足を運んで、その後もFacebookでの交流を続けているけれども、公衆衛生、医療を始めとして、まだ海外からの支援が不可欠な分野が多い状況は、変わらないと思う。

特に、そんな状況の途上国で、どこの国でもありがちなのは、現地政府の要職の方に贈賄で取り込み、業務受注してビジネスを展開するようなケース、だろうと思う。どことは言わないけれど(パプアニューギニアではありませんが、)収賄できないなら公務員にはならない、くらいの意識の方がぞろぞろいる国もあるようで、青年海外協力隊員のカウンターパートは、現地政府の職員だったりするケースが多いから、ずいぶんと、色々な話は流れてくる。(僕の知識はもう、25年前。新しい隊員のOB・OGにご確認のほど。)

この贈収賄の現場、というのは、押さえるのがかなり難しいと思う。どこかの商社の人が、どこかの国に営業で足を運んで、その人を空港で見かけた(「空港」がそもそも、日本と違うし)としたって、それが正当な営業なのか、贈収賄絡みなのか、なんて、見分ける術はないと思うし。(あるのかも知れないけれど、私は知らない。)ただ、契約が成立した後、ビジネスが開始される部分については、何らかの形で海外(ミャンマーから見て海外)の企業の存在は、明らかになってくる。この段階で、そうした「企業」の名前を、世界に向けて発信することは、ミャンマー国内のネットが遮断されていても、それほど困難ではないと思う。

そうして、何よりも「反民主化の軍事クーデター」に反対する国の政府には、非難声明とか「援助の凍結」をしてもらうことが大事、だと思うけれども、その上で、ミャンマーがなけなしのインフラ維持のための金を動かすような、そのためのビジネスの(軍事政権からみての)パートナーの名前を表に出して、そうした海外企業に対して、その「海外企業」の母国で抗議活動を行ってもらう、という支援ができるのかも知れない。

例えば、ですけどね、日本の「丸友」なんていう国際商社があったとして、そこがクーデター政権に取り入ってビジネスを展開しようとしたなら、その「丸友」への抗議行動として、「丸友」の他の部署との取引も凍結するように、抗議の声を上げる。連鎖的に、「丸友」と取引している会社も調べ上げて、吊し上げる。どこまで実効性があるかは、何とも言えないけれども、国際的な「民主化運動支持」の(いわゆる、リベラルとか、左派なんて呼ばれている側の)抗議活動で、待ち構えていて、そこからさんざん槍玉に上げられることがわかっていた上で、動く企業がどれだけあるか、ということだろうか。今はもう、海外の会社だって、SNSなんかで世界中から非難が(下手すりゃ、相当数の「荒らし」もあるかも知れないけど、)集まるご時世。どこまで火中の栗を拾うか、だろうか。

どこまで実効性があるか。を、考える前に、なぜ、軍事クーデターを起こしてまで、自分が政府の中心にいたいと思う人がいるんだろうか、と考えた方が早いと思う。当然、甘い汁を吸えるから。
misappropriationだの、bribery caseだのという見出しは、新聞でも日常的に見かけるような国が少なくないと思うし、そこにつけ込んでビジネスを展開しようとする海外、かつては欧米であったり、日本であったり、新しいところでは中国、ロシアなどであったり、そうした海外勢力がとにかく多かった。もう、政権の中枢にいるだけで金がいくらでも転がり込んでくるような思いをした、そんな途上国の政治家は少なくないと思う。当然、ミャンマーでも、それはあったんじゃなかろうかと推測する。(スーチーさんがどうだったかは、知らない。たぶん、そういう下心ありの方々は、近寄れなかった気がするけれど。)

特に、今回のように「政権成立」のプロセスが反民主的である以上、そうした政府と取引すること自体を非難の対象にできる。通常ならば、「正当なビジネス」なのか「裏で金が動いた」のかを見極めない限り、関係する企業を責めることは難しいと思うけれども、今回は、取引しているだけで責めることができる、そういう「クーデター」という環境を作ってくれた。当然、責める環境は容易に整えられると思う。

当然、中国などは「クーデター政権」を支持する側に回るだろうな。というか、支持したいのが本音。もう、簡単に属国化できる絶好のチャンス。何か公式声明が出たかどうか、(ここんところ、忙殺されていて、そこまでニュースを見てない。数年ぶりに、「成績報告」の締め切り日を割り込みそうだし・・・いま、必死こいてレポートを読んでるけど。数日前までは、仕様書だの、他の人が書いた業務システムのプログラムのソースコードと格闘していて、さすがに・・・)中国がどう動こうとしているか、なんて、そんなもんに、首を突っ込んでる暇がない。
ロシアは、今「反民主化」のクーデター政権に首を突っ込んだら、火の粉が逆流すると思う。賢明なプーチンは、ミャンマーには肩入れしないと思う。問題は中国だ。「国際社会」が、どこまで中国による「クーデター政権支持」を牽制できるか。むしろ、ミャンマーの政府内部で、クーデター政権に反感を持っている方々から、水面下での中国の動きを、どこまでリークして世界に発信することができるか、なんだろうか。

教え子たち。臨床工学の一期生、二期生たちが、「ミャンマーの臨床工学に貢献する」って、結構入れ込んでいるみたいで、なんとなく、応援したいとは思う。「途上国に出かけて行って、自分のできることをしたい」なんて、誰の影響を受けたんだか・・・(なんてね。書いてみただけ。)

森元総理もそうだけれども、頭が時代に追いついていない方々は、平気でトランプみたいなことをやろうとする。いや、そのトランプがようやっとフェードアウトしてくれて、ほっとしているというのが本音。クーデター政権もなぁ・・・ミャンマー国内だけネットを遮断すればなんとかなる、という頭が、もう古い。

あとの問題は、世界中の「不特定多数」の方々が、どこまでミャンマーに関心を持つか、(香港もそうだったけれど、)案外、そうした時代になっていると思う。ネットは悪用する人も多くて、私もそうした悪用には頭が追いついていないけれど、だけど、いい方に活用するやり方も、相当にあるような気がする。海外からのバックアップが、何よりも効果的なのは、間違いない気がする。

コロナ・リテラシー

【イントロ】
(初級編)
Q1: 飛沫感染と空気感染の違いを説明してください。
Q2: エアロゾルと飛沫の違いを説明してください。
Q3: ウイルスと細菌の違いを説明してください。

(中級編)
Q1: 布マスク、ウレタンマスク、不織布マスクの孔の大きさ(概算値)を、それぞれ答えてください。
Q2: エアロゾル、飛沫、花粉、ハウスダストの平均的な粒子径を、それぞれ答えてください。
Q3: ウイルスが付着した場合、感染力が持続する期間を、金属、プラスチック、繊維のそれぞれについて答えてください。

(上級編)
Q1: 飛沫に含まれるウイルス量が、症状が進行する時期に応じてどの程度か、答えてください。
Q2: 感染を引き起こすとされるウイルス量がどの程度か、答えてください。

私に答えられるか?数字は頭に入っていません。論文のURLも控えていません。その都度ググって、記憶の残骸と照合して答えるのがやっと。また、設問によっては学者(専門家)によって唱える数字が大きく異なるものもあるので、元となる論文などを注意深く読み比べないとならないとは思うし、かなり幅のある答えも出てくるけれども、それでも、何も見ないでも、ある程度の議論は展開できる、とは思う。かなり「ざっくり」とした議論であることはお断りしておく。

【このページの目的】
やはり、日本感染症学会監修か何かで、「『正しく恐れる』ための、コロナ対策ガイドブック」的な本を、何としても出版して欲しい。さもないと、議論が迷走するし正しい内容が正しく伝わらない、と思えてならない。暴論を展開する方々が後を絶たない。その結果何が起きるか。「正しくない感染対策」で、感染が増える。多くの方々が「漠然と恐れ」て、経済活動が萎縮するか、「全く恐れない」で感染拡大し、医療に悪影響を及ぼすか、その両極端な事例が増えて、結果的に経済の低迷が長引く。その結果、若い方々に税金として償還する期待がかかる「国債残高」が、下手すると2倍に跳ね上がる。今を生きる私たちの経済のためにも、若い人たちの将来のためにも、どなたかに立ち上がって欲しい。

【このページを書こうと思ったきっかけ】

このページのこの記述

カズレーザーも感心 隙間がある不織布マスクは布やウレタンよりも効果劣る
https://news.yahoo.co.jp/articles/284862691f28c523aaba42a39b54edf2589523e7

番組の検証によると、鼻にフィットさせないで装着すると、布マスクやウレタンマスクよりも効果が下がることもわかった。

電気通信大学の石垣陽特任准教授は「何も考えずにポンと着けただけだと、着けている意味がほぼないと言ってもいいぐらいのことになる」と断言し、ワイヤーの部分を十分に曲げて鼻にフィットさせないと頬の部分に隙間ができ、飛沫が入り込んでくると説明した。

【誤解されないための、おことわり】

言うまでもなく、不織布マスクも正しく装着しなければ効果が相当に減ることは間違いない。別に、鼻出しマスク着用を擁護するつもりもなければ、正しくフィットさせないマスクの着用が、「一切効果を減少させない」などと主張するつもりもない。挙げ足を取られる前に、おことわりしておいた。

【マスクの種類と効果の違い】

私が、これまでの理解でまとめたのが、これ。

こうしたまとめ方をすることで、訳のわからない暴論を多少は抑えられるか、と思って、あえて表にしてみた。
言うまでもなく私見でまとめたもので、感染症学会のプロの視点で、より細かい注釈を付け加えながら整理し、さらに、それを、ド素人にもわかるように噛み砕いて記述して、本にしていただきたいと願ってやまない。(とにかく、もう、日本の経済がボロボロだし。)

【飛沫感染と空気感染の違い】

ここが分かりやすかった。

飛沫(ひまつ)感染と空気感染の違いって何だろう?
https://www.showa-u.ac.jp/albums/abm.php?d=755&f=abm00002848.pdf&n=%E8%96%AC%E3%81%A8%E5%AD%A6%E3%81%B6_2015%E5%B9%B4%E5%A4%8F%E5%8F%B7%E3%80%8C%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%A0%E3%82%8D%E3%81%86%EF%BC%9F%E3%80%8D%E3%81%AE%E8%A7%A3%E8%AA%AC.pdf

数μm以上の飛沫が、空気中を浮遊することはまずない。空気の持つ粘性によって「浮遊」するためには、相当に粒子の質量が下がらないとならない。水分が蒸発しない限り、粒子は浮遊しない。
つまり、「飛沫」が空気中を浮遊することはない。空気中を浮遊しているのは、エアロゾルである、と断言します。「定説」だと思います。

引用した部分の記述

隙間ができ、飛沫が入り込んでくる

まず第一に、飛沫は空気中を飛散せず、咳やクシャミによって数メートル飛散してどこかに付着する(富嶽のシミュレーション)か、あるいは、飲食しながらのお喋りなどで、直近の1メートル程度以内のところに座っている相手の料理などに付着するか、そのいずれかであって、空気中を浮遊することはない。つまり、「飛沫」が鼻や口から入ってくることは、マスクもフェイスシールドも、一切の防御なしで、目の前でクシャミされたみたいにストレートに入ってこない限り、まずあり得ない。そこが間違ってる。もしくは、言葉を正確に使っていない。

第二に、エアロゾルであるならば、そもそもが、不織布であっても、ほとんど「入り込んでくる」ことはブロックできない。

私が、不織布であってもエアロゾルに対して△をつけた理由は、水分を抜かれた粒子は帯電しやすく、不織布にトラップされやすいという論文を目にしたから。実験結果を含めて、論文に書かれている。(少し前に、引用した。)
布マスクは、粒子径を考えたら論外。ポリウレタンはマイナスに帯電しやすい。さて、不織布は、と考えて調べてみたら、素材はポリプロピレンが主流?帯電しやすい極性は、ポリウレタンと同じくマイナス側。だとしたら、極性の問題よりも、繊維の形状の問題かもしれない。いずれにせよ、「帯電効果」によってウイルスの除去効果があるという論文に基づいて、△をつけた。(表は、たたき台です。)

いずれにせよ、飛沫とエアロゾルを混同した引用元の(フジテレビ系の番組の)記述は論外だと思う。

【出る場合と入る場合の違い】

口から出てくる場合には、唾液、粘液などの水分を多く含んでいる。気道を通り抜ける際の乱流などで、粒子が粉砕されて、「飛沫」よりも細かい「エアロゾル」が同時に吐き出されている可能性も、少なくない、けれども、結果論から言えば、「出てくる場合」には「飛沫」が大きな問題となるようだ。だから、「感染者がマスクをしていた場合の、感染拡大抑止効果が大きい」というエビデンスは、積まれてきているように思う。
その理由(粒子径のバラツキ)で、飛沫の大きさも様々だから、隙間の大きいウレタンや布マスクは△にした。

入ってくる場合には、「飛沫」についてはある程度の効果が期待できる、とされているけれど、この効果が大きいのは医療現場などで日常的に感染者に接しているような方々であって、普通の人が日常生活で、(例えば、満員電車の中で、隣に立っている人が、いきなりマスクを外して、自分に向けて咳をしてきた、とか、そういう事例を除けば、)この飛沫を直接浴びる機会、と言うのは少ないと思える。要するに相手がマスクをしているそのマスクの効果と、同程度マスクの効果は、予防策として意味があるだろうな、という判断。
ただ、エアロゾルになってしまったら、もう、どうしようもない。入ってくるのを防御する場合では、粒子径を考えたら、どれもほぼ、スカスカだと思う。

番組の検証によると、鼻にフィットさせないで装着すると、布マスクやウレタンマスクよりも効果が下がることもわかった。

元々がスカスカなものより、効果が下がるなんてデータ、きちんとした実験なら一切出ていないと思う。

【おわりに】

そもそも、飛沫とエアロゾルの違いも理解せずに、マスクのつけ方がどうこうというのは、学者としてどうかと思う。専門外の話題だと言うのならば、黙るべきだ。
(私?臨床工学の国家試験対策では、電気工学、電子工学、情報工学、機械工学、物性工学、材料工学、生体計測装置学、医用治療機器学、医用機器安全管理学、体外循環装置学、呼吸療法装置学、血液浄化装置学、薬理学、生理学、生化学、解剖学、公衆衛生学、病理学、内科学、外科学、滅菌消毒学、集中治療医学、麻酔学、etc.一通り、学生から質問があるたびに、大元から調べて学習して、全教科「国家試験対策」なら、大学/専門学校で教えられるだけの自信を持って書いてます。何も見なくても授業はできる。勘違いを避けるために、常に教科書は見ているだけ。)

【ちょっと暴走】
キャンパスでの学科閉鎖の最後の年、専任教員は、私一人しかいなかった。私だけが残された。私一人で、学生の国家試験対策をやった。結果、10人がかりで国試対策をやっていた本部キャンパスと、私一人とで、国試の合格率は全く同じだった。(分子分母がうまい具合に、同じ比率になったのは偶然だろうな。全く同じ数字。実は、10%くらい、本部の10人がかりをぶっちぎりたかったけど・・・負けなかっただけ、良しとしよう。いや、本気で勉強してくれた千葉最後の学生たちが、自分たち自身のために本気で頑張ってくれただけだ、とは思うけれど。)こんな経験、普通の大学じゃできなかっただろうな。お陰様で、医者とだって医学の基礎知識で論戦できる程度に勉強させていただく機会をもらえたのは、何よりもあり難かった。感謝しかないのかもしれない。合掌(🙏)。その割には、准教授の推薦は全部却下されたし、年俸500万円も一円も増やしてもらえそうもなかったのは、理由がよくわからなかったけど。僕はただ、「ハイル・ヒットラー」が嫌いなだけ。
どーでもいいや。もう忘れる。暴走しました。すみません。

【おわりに(暴走から戻る)】

フジテレビは、なんなんだ?ウレタンマスクは、お洒落だから、若者に人気があって、ウレタンマスクだっていいよ、と言いたかったのか?そのために、どこかの若手の学者を引っ張り出したのか?私には若手学者をスケープゴートに使ったようにしか思えない。

もう、こういうのは、いい加減にやめて欲しい。訳のわからない、マスメディアに起因する「感染拡大」を止めるためにも、感染症学会には、「この紋所が目に入らぬか!」的な、「『正しく恐れる』ための、コロナ対策ガイドブック」的な本を、なんとしても出版して欲しい。とにかくプロにお願いしたい。

私程度の理解で整理した表だけれども、プロの視点で実際のデータを解析した上で、(原型を留めなくても構わないから、)ちゃんとした表で、どういう場合に何が効果があるのか、出版して欲しい。

訳のわからない議論が、湧き出してくる余地をなくして欲しい。
素人判断の都市伝説を潰して欲しい。

無論、いきなり「完璧」なものは無理だと思う。初版から第三版あたりにかけて、大幅に変わったって、「新型コロナ」が新しいものである以上は、仕方ないと思う。「この対策は不要だった、意味がなかった」というのは、改訂版で削ればいいし、「これが漏れていた」というのは追加したらいい。とにかく、出版して欲しい。

そうして、「都市伝説的な議論」を撲滅して、「誰もが実践できる効果的な対策」を広め、「正しく恐れて、経済活動を停滞させない」効果を持てるような、「『正しく恐れる』ための、コロナ対策ガイドブック」的な本を、なんとしても出版して欲しい。と、願ってやまない。

以上。

啓蒙活動

コロナ禍でも、ビジネス活動を維持するためには、もしかしたら最重要なのは「正しく恐れる」啓蒙活動かもしれない。

感染者の立ち寄り公表された店が徳島県提訴 「客足止まり、売り上げ減少」
https://mainichi.jp/articles/20210205/k00/00m/040/288000c

この記事、

訴状によると、2020年7月30日、感染した男性が本店を利用したと保健所から連絡があった。

感染した男性がこのラーメン店を利用した、として、どの程度の感染リスクがあったんだろうか。
例えば、東京なんかで時々見かけるような、カウンター席で隣の客との間や、厨房との間に透明な仕切りがある、ようなケースだとすると、一人で黙々と食していたとしたなら、飛沫による感染のリスクはかなり低い気がする。換気が十分だとか、食器を片付ける際にテーブルなどをアルコールで拭く、とか、していたなら、必ずしも、店名を公表する必要はなかったんじゃないか、という気がする。

友人などと訪れて、カウンター席でおしゃべりしながら飲食した、という場合は、どうなるだろうか。一緒に食事した友人などは、かなりリスクの高い「濃厚接触者」となるだろうけれど、少し離れたテーブル席で食事をしていた別の客などについては、気にしなくていい程度にリスクが低い気がする。

この部分、感染症の専門家の意見を聞かないと、厳密なところはわからないけれど、感染していた本人が「おしゃべりはせずに、黙々と食べた」ならば、ほとんど気にする必要がなかったように思えてならない。

こうやって、店名公表になる理由は、どういった状況で、どの程度感染リスクが高まるかについて、きちんと調べていない(感染事例を分析調査していない)から、闇雲に「同じ店にいた人は、全員濃厚接触者です。だから、この店にいた人は申し出てください。」と、店名公表が唯一の手段だと、行政側が考えているからに違いない。

そもそも、その行政側の発想に誤りがあると思う。
国がやるべき行動は、「感染リスクの高い状況と、リスクの低い状況」をきちんと分析調査して、それを広く国民に知らせたり、あるいは、都道府県の行政に、「こうした事例は、低リスクだ」と伝えたり、するべきだったと思う。

同時に、都道府県が「店名公表」したとして、その情報を受け取る側も、リスクの程度を見極めていない。

あえて次の表現を使わせてもらうが、「ネットに、お店の誹謗中傷を書き込む」などの行為は、ご自身の無知を広く世間に晒している行為だと、私は断じたい。「私は、理解力のないアホです」と、言っているのと同じ。
せいぜい、そうした感情的な拒否反応を示す程度のことしかできない。例えば私は、クラスターが発生したお店であっても、数日間の「営業停止」などを経た後なら、仮にアルコールによる除菌作業などを行わなかったとしても、店内に残ったウイルスにはもう感染力がない、と理解している。普通にその店で飲食しても、気にしないと思う。その「数日」が何日だったか、論文で読んだ訳ではなくて、そうした説明をされている感染症専門家の意見を読んだだけだけれども、これは、科学的な共通認識だと理解している。
つまり、数日経ったら、「あ、もう安心なんだ」と考えるのが正しい理解だと思う。それなのに、一度「クラスターが発生した」などと報道されると、もう、未来永劫に汚染されたものかのように受け止めて、中には「二度あの店に行かない」などと言い出す人も出てくる、つまり、誤認識がその店のビジネスを破壊している。しかも、ここはとにかく強調したい。行政がその姿勢を後押ししている。詳細なリスクを把握しようともしないし、不必要な危機意識を煽っている。「正しく恐れる」べきなのに、ただ単に「恐れている」だけだから、ビジネスが破壊されてくる。

GoToは、トラベルも、イートも、例えば「全てのお店の感染症対策が万全」ならば、実施したところで問題は極めて少ないと考える。ところが、実態として、感染症対策など特にとらず、飛沫が飛び交い、エアロゾルも充満するような状況のお店が少なからず存在していて、(政府は、きちんとそれらの対策を取ろうともせず、)それで、GoToだ、などとキャンペーンを実施した。GoToが感染を広めた、統計的なアプローチの論文は出されたようだ。
ただ、個別の対策さえ十分なら、感染は広がらなかったはずだと私は推測する。

スキー場が、今年はもう、絶望的らしい。ですけどね?スキー場なんて「食堂」だけ対策をきっちりしていたなら、相当に感染リスクは低いと思う。食堂で、「あそこのコブ斜面の先、絶景だよな」なんて、賑やかにカレーライスか何か食べながらおしゃべりする、これもスキーの醍醐味の一つだろうけれど、その部分は諦めて、例えば食堂は閉鎖して、屋外で弁当を食べてもらうとかに切り替えて、その部分だけ「犠牲」にしたら、スキー場全体は救えたんじゃないか、という気がした。他にも、そうした業界は相当に多いと思う。

そもそも、リスクの高いお店や、公共空間などを洗い出して対策していけば、「不要不急の外出は避けましょう」などという呼びかけも不要なはずだし、「みんな、基本的な対策をしっかり取った上で、今まで通りのビジネス/娯楽を展開しましょう」と、普通の経済活動を展開できるはず、だと私は考える。

この段落、理論的には可能だけれども、現実問題として極めて難しい話題。
例えば、高速道路の渋滞は、一切発生しなくなる、という話題。車間距離が短くなると、心理的に車間距離を広げたり、速度を落としたりして、それが連鎖的に起きると「渋滞」の状況になる。そうした心理を取っ払って、自動運転車などで、車間距離が1mであろうが、時速100kmを維持したまま走行させるように、自動車の速度や進行方向を制御できたなら、テレビで見かける「渋滞の光景」の全ての車が動いている形になり、一切渋滞は発生しなくなる。これは、確か、東大の先生が研究して論文にされていたと思う。自動運転車だけなら、スーパーの駐車場に停められた車が、その「車間距離」で、一斉に時速100kmで走行しているような光景を展開して、渋滞は起きなくなる、はずだと考える。
理論的には「安全に、一切渋滞を発生させない」ことが可能なのに、現実にはできない。ここには、人間の反射神経の問題もあると思うし、「心理的な壁」の問題もあると思う。

コロナ禍でも同じことが言えると思う。適切な対応をそれぞれが心がけたなら(この部分が、いわゆる「ニューノーマル/ニュースタンダード」なんだろうか、)「不要不急の外出を避けましょう」などという掛け声は必要なくなると思う。

ところが、現実には「コロナ出ていけ」とか、「あんたんとこの娘は看護師か。だったらしばらく出社しなくていい」とか、もう、どこの原始人だと言いたくなるような話題が巷に溢れている。ビジネスを阻害するどころか、医療従事者の生活さえ脅かす。
これはもう、啓蒙活動を徹底してもらうしかない、そんな気がするし、まずは政府に、無論時間はかかるし、人を雇い上げるなどの(雇用対策になるはずなんだが)財政手当も必要だと思うけれど、個別の「対策」の検証を、全業種にわたって徹底して、「ビジネスの全面再開/行動制限の撤廃」を目指すべきなんだと思う。

その方策は一切動かさず、「ワクチン摂取さえ行ったら、全てはうまくいく」的な発想にしがみついて、それまでは「不要不急の外出制限」って、それでは出口はないと思う。
行動制限プラス困窮者への一時金支給、って、その財源は全部国債でしょ?だって、税収の落ち込みなんて歴然としているんだから。
こういう発言は、あのモリの「専売特許」か?「そんなもん、国債を発行したら、何とでもなる」って、馬鹿言ってんじゃねぇよと思う。要するに、ツケを次の世代に押し付けてるだけじゃないか。いや、国債の発行しか財政手当ができないのは理解するが、せめて、「経済を動かす」ような使い方にして欲しい。感染症の専門家も、「この部分は、この程度の対策で、十分に感染リスクは下げられる」なんていうのを、結構発言されている。「政府に選ばれた専門家」以外の「現場の多くの専門家」の意見を聞く耳があるのか?

まずは、政府が具体的かつきめ細かい「対策」を実施し、その上で、徹底的に「啓蒙活動」を行って、「この部分だけ、このように気をつければ、それ以外は以前と同じように活動してもらって構いません」と、そうした「普通の経済活動を取り戻せる状況」に導いて欲しいと願う。

でもなぁ。これまでも、そして、これからも、こうした緻密なアプローチはやらないんだろうなぁ。自民党だもの。(あ、野党も一緒か・・・ってなったら、もう、政治には期待できない。民間期待・・・)
そうして、日本全体の1/3くらいの業界で、相当な数の倒産や失業者を出して(まだ序の口だと思う)、今のままだと(大企業なんかのプール金の放出が終わると)、非正規労働者も含めたら、実質的な失業率が楽に15%を超える水準にまで落ち込んで、国債発行額が桁違いになる、そんな気もする。(悲観的な、アンダーシュート的予測だけれど。)

人々の「正しい理解」が広がれば、状況は改善すると思う。ただ、この「啓蒙活動」が、具体策に政府に動いてもらう以上に、半端なく難しいとも思う。(だって、トランプ支持が過半数だった国があるくらいだから。)だけど、そこを放置したら、将来世代が抱える「負債」は、文字通り桁が違ってくると思う。コロナをトランプに置き換えて考えたなら、相当数の日本人が「根拠のないコロナ・エンガチョ」に振り回されて、経済を壊しにかかる気がする。

とにかく、政府に動いて欲しい。コロナ禍は、政府による人災だと思う。

診療報酬

ニュース配信を、かなりざっくりと斜め読んでいて、ふと気づいたことがある。
「コロナ患者を受け入れれば、受け入れたほど、病院経営が赤字になる」という部分。
「だから、コロナ患者の1名受け入れごとに、いくらいくら、政府からの補助が」というのは、臨時の措置としては、確かに必要だと思えるけれども、そもそも論として、「客が多いほど、経営が苦しい」っていうのは何か変じゃないか?と思えた。

で、気付くのは、感染対策しながらだと、患者一人当たりにかかる看護師人数が格段に多いらしい、ということだろうか。医師の人数もそうなんだろうけれど、もしこれらが原因だとすると、「看護師への報酬」が診療点数などに反映されていないのが、致命的な制度の欠点なんじゃなかろうか。

すみません、正確な知識はない。ざっくりとした理解なので、間違っていたら読み捨ててください。
診療点数などでは、病気ごと、症状などによって細かく規程があるけれども、看護については「実際に、その患者に何人が貼りついたか」などは無関係に、「こうした病気、症例なら、一日何点」という形で決まっているため、看護師への給与支払いが「固定」的に出ていく中で、「手間のかかる患者」を受け入れたなら、実働ばかりが増えて、患者への請求も、保険医療の枠の中での職域保険やら国民健康保険やらの保険団体への支払い請求も、頭打ちになるため、どうやっても赤字になる。

それならば、「看護」にかかる「実働」部分を制度に盛り込んだらいいのではないか、なんて簡単に考えてしまうと、いさゆる「制度の悪用」が問題になるんだろうか。結局、コンピュータシステムでもなんでも、制度とかシステムの(英語にするとどちらもsystemか?)設計は性悪説を前提にしないと成り立たないのが、残念な現実で、かけてもいない「看護」の手間を上乗せすれば、請求額の水増しが出来てしまう。
ただ、それを口実に「看護報酬」の上限を切ってしまって、そこから後は、制度側では知ったこっちゃないと、病院側で看護師の給料を安く抑えて、病院経営を回すのは、適当に病院側でやってくれと、なんだか、そうなっているような気がしてならない。(<– 要、数字に基づいた緻密な検証。ですけどね、あたしゃ、やりませんが。)

以前、専任教員だった時の臨床工学の2期生、大学に入学した1年生の時から私の側も知っている、最初の学年のA君。東京都の臨床工学技士会で、なんだか役職に就いて活躍しているらしく、時々Facebookのシェアなんかで、ニュースとか、学年を超えた同窓生のチャットなんかで、いろんな話題が流れてくる。
今、「臨床工学技士」の仕事に、「医療報酬」の点数化(加算?)をしてもらえないかと、(正確な表現ではない、とは思うけれども、)動いているらしい。

医療機器に首を突っ込んでいたザックリとした理解で言えば、麻酔器にしても、人工呼吸器にしても、人工心肺装置にしても、「機械」そのものの稼働については「点数」がつくものの、それをオペレートする技士などの「報酬」は、あくまでも「機械のおまけ」的な算出方法でしか出していないのだろうと思う。と、いうことは、単純に考えて、臨床工学技士を雇えば、(看護師などと同様に、)他の項目に転嫁できない限り、赤字が膨らむ、という構図になっているんだろうか。

極論をすれば、国が「助成金」を出せば、どんな小さな病院にだってECMO(エクモ:体外式膜型血液酸素化装置)を配備することは可能だろうと思う。だけど、誰が動かすの?っていう話なんだろうか。
そして、臨床工学技士を雇う場合でも、看護師を雇う場合でも、ただ単に人手が足りないというだけではなく、制度的に、人手がかかる診療行為にはその人手に見合った分の「点数」が加算されるように、制度自体を見直さない限り、今回のような騒ぎは、何度でも起きる、ということではないか、と思った。

そう考えると、例えば、野党とかに「実現可能な、保険制度改革案」なんてのを出してもらって、制度を改めるように動いてほしい、なんて思いつつ、ついつい思い出してしまう、あの絶望感。

他ならぬ、ポッポが総理大臣になった旧民主党。そもそも、選挙公約の時から「マジかよ」っていう感じはあったけれども、「日本全国、どれだけ走っても高速道路料金は一律千円」って、開いた口が塞がらなかった。壊れたら壊れっぱなしで修理しないなら、それでもいいんだろうが・・・どういうコスト感覚をしてるんだか。あれがなければ、もうちょっと「野党勢力」を信じる気にもなれたんだけれども。あるいは、もうちょっと前のめりに、野党支持になれたんだけれど。あれを思い出すと、期待する気がなくなる。

アメリカなんかの場合、病院内で「医長」と「看護師長」が、収入的にも制度的にも、ほぼ同格で診療行為を回しているらしい。ついでにいえば、医学系(Medical)と工学系(Engineering)もほぼ同格で、現代の医療に医療機器はなくてはならない存在、という前提で、責任も持たされているらしいけれども。

総論としての結論:医師だけに全ての権限、「診療報酬の基準」を設定するのではなく、チーム医療が動いている際に、それぞれのスタッフの行う「医療行為」についても、ある意味で「出来制」に近い形で、実際に多くの医療スタッフが貼りついたなら、それに見合った「診療報酬」が請求できるようにしていく必要があるんじゃなかろうか。保険点数の制度のバックアップがなければ、「チーム医療」もお題目だけになる。

言うまでもなく、コロナの場合には、感染した方も「運が悪い」としか言いようがないケースも少なくないと思う。暫定的に数年間は、国が医療現場に助成金を出す形で凌ぐしかないんだろうけれども、数年後には「がん保険」などと同様の「コロナ保険」などを「任意保険」として民間でも用意し、コロナに感染してしまったら「高額の医療報酬が請求される」という状況になってしまっても、「持続可能な医療制度」を考えるならば、やむを得ないような気がする。

助成金を出すのが政府の仕事だと、自民党も公明党も思っている節があるけれど、違うでしょう?と私は思う。そもそもが、医療もビジネスとして成立しなければ、貨幣経済の今の日本では「病院」という社会の歯車の一つが機能不全を起こす、その原因の一つが、浮かび上がっているのが、現在の「医療崩壊騒動」なんじゃなかろうか。

当然のことながら、こうした考え方は「国民皆保険」で、生活困窮者はどこまで「治療行為」を期待できるか、という議論にもつながると思う。(管総理が、国民皆保険に言及して、ネットでさんざん馬鹿にされていたけれども。)

1時になった。昼休みは終わり。以上。

あれこれ

以前働いていた日本コーリンの社長の席の後ろに、”Spend as you get!”という標語?が張り出されていた時期があった。

聞いた話では、役員会で「稼ぎのない部署には予算はつけない」的な発言をされて、その頃、アメリカに工場を作るなんていう話が進んでいて、社員の「英語教育」を兼ねて、なんだか、「稼げないなら使うな!」的に、これを貼り出したらしい。(でも、私には「稼いだら使え!」に読めた。)

それがいつの間にか、”One yen saved is one yen earned.”に書き換わっていた。こちらはわかりやすい。意味?読みゃわかるっしょ。で、聞いた話では、最初の標語を目にしたアメリカ人の弁護士の方が、社長の真意を確認して、書き直すように提案したらしい。なるほどなぁ、と勉強させていただいた。だって、元の標語は”Spend!”だもの。

話は変わるが、森元総理の発言で、相当にイラっとしたのは、五輪の予算が想定を遥かに上回ることになった時の委員長としての発言だろうか。「一兆や二兆で、ぎゃーぎゃー騒ぐんじゃない」的な発言。

そりゃぁね、政府は数十兆円(過去数年で百兆円?)を動かしている訳だから(ただ、国債絡みを除くと、5分の3位にはなりそうだが・・・)確かに、国家予算から見たら一兆円なんて数%なんだろうけれど、数円を積み上げたものが数万円であり、数万円を積み上げたものが数億円であり、それを積み上げての数兆円だから、細かいところに神経が行き渡らない典型のようにも思えたし、何よりも、誰が収めた金だと思ってんだ、とは感じた。そりゃぁね。他人の金を自由に動かせる立場なんだぞ、ってな頭なんだろうけれど、ああいう感覚の人を伝統的に平気で選ぶのが、自民党体質。この人の頭の中では、「収められた税金は、使っちゃえ!」だと思う。

その森元総理が、
森喜朗会長の3日の“女性蔑視”発言全文
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2021/02/04/kiji/20210204s00048000348000c.html

あたしゃ、女性よりも古狸のジジイの方が、はるかに厄介だと思う。

五輪の開催は、森の賭けだと思うし、その森の口はザルだ。
日本の恥。(以前は、早稲田の恥で済んでたと思うけど・・・)森を更迭できるのは、誰だ?

人権問題に絡んで、北京オリンピックのボイコットを呼びかける声があった。いっそのこと、森の発言を根拠に、東京五輪もボイコットの流れを作ってもらえたなら、日本人のコロナ感染者に医療資源を集中できて、余程日本人にはありがたい気がする。

話は飛ぶけれど、なぜ、ミャンマーの軍部はクーデターを起こしたのか。
理由の一つに、政府には「利権」が集中するから、ってことがあると思う。途上国の国家事業には、海外からのビジネス関係者が擦り寄ってくる。

マイケル・ソマレ首相だったか、ジュリアス・チャン首相の時だったか忘れたけれど、パプアニューギニアの首相が来日した際に、日本パプアニューギニア友好協会主催のパーティーが開催され、ニューギニア方面遺族会の田所会長に声をかけられて、松尾くんと二人で参加した。「会費一万円」と聞いて、ぶっとんだけど、僕らパプアニューギニアは大好きですからね、払って参加した。
ところが、だ。会費一万円のパーティーの癖して、居酒屋の500円の乾き物程度しか食べるものがなく、ビールも人数の半分程度のビンしか置かれていない。予算三千円で幹事をやったって、遥かにまともな飲食を用意できると思ったし、会場も大した設備のところじゃない、っていうか、ご近所の「公民館」的な設備の部屋だったと記憶している。あの「一万円の会費」は、どこに流れたんだ?
と思っていたら、首相のスピーチが終わって、「自由にご歓談ください」になった途端に、首相の前に名刺を持った方々が長蛇の列を作った。30人は並んでいたと記憶している。
なるほどね、と思った。日本政府がODAで資金援助する。無駄遣いされないように、JICAなんかもちゃんとやっている。ただ、ODAの出し方によっては、相手国政府に裁量権があったりするはずだから(表現は正確じゃないと思いますが、)その金を日本に還流させるために、日本企業がくらいつこうとしている訳だ。
そうして、有利に動こうと思ったら「袖の下」ってなる。途上国の政府関係者とか、その政治家個人個人の志の違いにもよると思うけれど、「普通にやって」りゃ、いくらだって金が流れ込んできて、こんな嬉しい商売はない、って感じだろうな。国民度外視。

真面目にやってたら、政治家も相当に大変な仕事、だと思うけれど、全世界共通で、甘い汁はいくらでも吸える。クーデターを起こしたって、世界の避難を浴びたって、モトは取れる、ってな感じは絶対にあると思った。
民主化への逆行を非難するなら、対北朝鮮と同じく、援助を全面停止したらいい、それだけの話だと思うけれど、おそらく日本政府は動かない。還流先にぶら下がってる日本企業が多いから、援助を止めたら、逆に日本企業が干上がる。そうした構図ができている気がする。五輪も似たようなもんなんだろう。

五輪の場合には、日本人のコロナ感染者が影響を受ける。医療資源が細くなって、(このページを読まれている方の中にも)亡くなられる方がいらっしゃるだろうな。大丈夫。肉体を抜けても、意識体としては数百億円、じゃなかった、数百億年は、「自分」という意識体として一貫していられるから。(根拠を、客観的に提示できないから、残念だけど、忘れて、この段落は読み飛ばして下さい。)

誰の発された言葉か忘れたけれども、地味な名言だと思ったのは「コロナでなくたって、人はいつか死ぬ」だろうか。この「死ぬ」っていう肉体側の部分に沿った表現を、「肉体から抜ける」という言い回しにしてもらえたなら、私には全く異存はございません。

そのコロナ。このページ

新型コロナの感染者数激減……メディアが伝えないその“理由” 辛坊治郎が解き明かす
https://news.yahoo.co.jp/articles/e59ea2b1f53c90769021b3f35230d481783b2794

ここんところ、この方の発言に難癖をつけてばっかりだった気がする。(たぶん、2回は書いてる。)
ただ、このページはの内容は、納得できた。的を得ていると思った。

単純に、調べてなけりゃ、増えようがないわな!(笑)
見た目で、「下げ止まった」レベルの水準が、東京都で一日何人か。それにも依るんだろうけれど、一定レベルの感染者はずっと出続けて、(水面下では、それ以上に広まっていて、)相変わらず「いい展開」がイメージできない。というよりも、「いい展開」をイメージできるような話題が全く出てこない。

公的機関とは、確かに私は書かなかった。ただ、どこでやるにせよPCR検査件数を増やすべきだとは、ぼちぼち1年以上同じ主張を繰り返している。「増やせなかった」あ、そうね。財務省が禁止したか。

(後略、眠い。途中だけれど終わる)

客観的歴史

なんだか、ドライブレコーダがなかった時代の、交差点での追突事故での言い争いみたいな話だ。
「私は、青で交差点に侵入した。」「いや違う、私の方が青だった。」事実を言いくるめられて負けた人、相当に多かったんだろうな。今だったらドライブレコーダで、相手が赤信号を無視して追突してきたなんて、すぐに証明できるようだけれども。

なんの話題かといえば、これ。

「慰安婦、性奴隷でなく売春」 ハーバード教授の論文が波紋…日本「意義が大きい」
https://japanese.joins.com/JArticle/275072

論争って言ったって、論争にもなり得ていない。当時の新聞記事から何から、山ほど証拠があるのにそれらが一切顧みられずに、主観的な主張だけをロビー活動で世界中に広められて、いつの間にか日本の言い分も、根拠となる史実も、かき消されている気がする。仕方ないのかな、とも思う。だって、トランプの言うことは皆正しいと信じている人が日本にも相当数いるらしいし、アメリカでも人口の半数近くがまだ染まっているんだろうか。「感情」に訴えて、共感さえ勝ち取ったなら、事実なんていくらでもひっくり返せるという実例なのかも知れない。戦友会の方々が、「嘘も百遍いえば本当になる」と、何度となくおっしゃっていた、それを痛感する。

日本にとって最悪なのは、韓国では「こういうことがあった」と、史実など無視して、相当に都合よく改変された「歴史」を学校で教えている、ということだろうか。お願いだから、根拠となる当時の史料を確認して欲しいと思う。日本人だって、日本側に非のあった証拠が残された「歴史」は、少なくともまともな歴史学者は、素直に認めていると思う。何よりも大切なのは「史料」(当時の新聞、日記、書籍、発掘物など)だと思うけれども、そんなものは無関係なのが、主には国内向けの士気高揚を意図した「歴史教育」だと思う。(本物を目にしても、捏造だと騒ぐに違いない。)韓国では対日独立闘争の当時からの流れを引き継いだ、1950年代以後の軍事政権が、現在の流れを作った。軍事政権なんて、なんでもあり、ですからね。制度的に民主化される前の教育を受けた方々が、自分たちの受けた教育を一切疑うことなく、一方的に「日本が歴史を歪曲している」と主張されている。
前のめりの姿勢から一歩下がって、客観的に史実を確認すれば、冒頭で引用したような論文が出てくる。史料の信憑性が検証されたものである限り、今は、トランプ信奉者のようになっている多くの方々、国連でそれぞれの国家の威信を賭けて議論を戦わせているような方々であって、客観的な事実確認よりも誰かの主張のみを拾い上げたような方々にも、何が事実だったのかについての、日本側の主張を受け入れてもらうことは十分に可能だと思う。
それだけ、客観的な歴史事実の確認が進めば、逆にこれまで「根拠を提示できない」感情的な主張をしていた方々は、重大な名誉毀損の行為者にもなるだろうと思う。例えば、下記の記事。

韓国歌手ハ・リス、「慰安婦売春」米国教授に「表現の自由に対して責任取るべき」
https://japanese.joins.com/JArticle/275110

この表現はすごいと思った。

そして「書いた論文が、酒を飲んで吐いた吐瀉物よりも臭くて、お腹が痛くて数日ぶりに行ったトイレで出した便の臭いより汚い」とし「他の人の心に汚く席を占めて、誤解と推測と、時には暴力を作り出し、憎しみを起こすだろう…悪魔のようなもの…」と続けた。

自分の信じていた「歴史」に根拠がなかった、と証明されたなら、むしろこの人の側が「表現の自由に対しての責任」を負うことになると思う。この表現は、根拠に基づく表現に対して、「韓国の歴史が教える内容」のみに基づいた、根拠のない感情的カタルシスに基づく誹謗中傷以外の何者でもないと、私は考える。暇がないからやらないけれども、日本側の(というか、そもそもが韓国側に残っている)史料は、潤沢だと理解している。

こうした「表現」をする方々は、むしろ被害者だと思う。もしここで、「国際的に中立な、名誉毀損に関する評定」を行うことのできる場があったとしたなら(そんなものは、存在していないと理解しているけれど、)どちらの主張が認められると私が考えているかは、明らか。
「敗訴」することになる方々は、「最初にそうした歴史教育を創造した方々」の犠牲者だと、私は思う。

日本のマスメディアでも少なくないけれども、自然科学なら科学的な根拠、歴史ならば史実を無視して、「自分はこう思う、こう習った」という主張を展開する方々が、あまりにも多い気がする。それはもう、(トランプの影響を見ていて痛切に感じたけれど、)仕方ないのかも知れないけれども、あまりにも、やるせない。

この韓国の歌手と全く同じ原因によって、但し、桁違いに大きな影響力を持って、世界に迷惑をかけているのが、習近平主席とか、王毅外相など、中国共産党の生え抜きの方々だと思える。文化大革命以後の中国の「歴史教科書」では、人民解放軍の偉業だの、欧米列強、日本などの悪行などが、どうやら羅列されているらしい。(という記事を確かに読んだけれども、それを盲信したら、私自身がネトウヨと同レベルになっちゃうから、不確実な噂程度の扱いしか、したくないんだが・・・でも、ありがちな話だとは、思いながら読んだ。)これは、由々しき事態だ。習近平は、世界史の事実を理解せずに、中国共産党の歴史教科書で学んだ歴史が絶対に正しいと信じて、あの国を動かしている。
記事を読んでいて、「本当か?」とも思ったけれども、もしこの記事が正しければ、習近平にしても王毅にしても、あれほどの人たちが、なぜあんな国家運営をするのか、クリアに合点がいった。韓国と同じ「悪いのはみんな諸外国です、日本ですぅ、私たちはこんなにもすごいんですぅ」的な思想が植え付けられている。確かに、そうした歴史教育の直接的な被害者は習近平、王毅だろうけれども、間接的な被害者は全世界だとも思う。

「『歴史』など、いくらでも自由に操作できる」、そうした時代もあったんだろうな。ただ、慰安婦問題も、中華人民共和国の成立も、潤沢な史料が国内外に多数残る「近世」での出来事ですからね。そうした歴史資料を確認することによってしか結論は出せないと、気づいた方だけは、交差点での交通事故にドライブレコーダの映像を提出するのと同様に、不毛な論争に終止符を打てるような気がする。

しかしながら、トランプ支持者のように、扇情的な言動に踊ってしまって、客観的な事実(史実)など意にも留めなくなってしまった方々は、相当数残るだろうし、今後考えるべきは、そうした方々の「洗脳を解く」ことではなく、(名誉毀損も含めて)実害が生じた場合のみ、個別対応で個別撃破すること、だけなのかも知れない。

寛容がないのは、いかんよう

いきなりのオヤジギャグ・・・

コロナで感染した女性が、「ご迷惑をおかけしてごめんなさい」みたいに、自殺したケースがあったらしい。
なんだかやるせない。コロナへの感染を職場に申し出たら、叱責された人もいたらしい。出社する前に、社員全員に謝れとか・・・
そういう職場だと、感染しても黙って出勤するしかなくなるんだろうな、と指摘されているみたいだけど、実際、給与に頼る生活だとそれしかない気がする。クラスターが発生したら、職場の管理職だけが悪い!

仕事の上のミスでも、似たようなマネージメントの話は聞いた記憶がある。ミスを叱責するような上司の下では、仕事のミスをしても言い出しにくくなって、数字をごまかす、黙って廃棄する、他人に押し付ける、どう転んでもろくな展開にはならないと、言われているけれど、自分の経験からも実際にそうだと思う。

明らかに、本人に過失があった場合、もし本人が気付いていないなら原因とか理由を伝える必要はあると思う。ただ、本人が気付いて反省しているなら、それ以上何かをいう必要はないような気がする。逆効果だし、痛めつけるだけ。
ここで、昔よく見聞きした「バイト・テロ」なんかの例を持ち出すと、話がややこしくなるんだけれども。指摘されても理解できない相手の場合、「寛容の精神」で接することができるのか・・・(なぜ、そうやって、話をややこしくする?)

もっと話をややこしくするなら、トランプはどうだったんだ?明らかに科学的に誤っていると指摘されても、フェイクだと主張して全く聞く耳を持たなかった。結果、(証明は簡単ではないけれど、)少なくとも数万人以上の死の原因を作った。トランプと、冒頭の「コロナに感染した女性」を一緒に論じるな?いや、一緒に論じているんじゃなく、対比しているんだと言いたい。「寛容の精神」で接すべき相手と、そうでない相手は、どこで線引きするの?感覚的にわかっている気もするんだが・・・

さらにエスカレートして、もっと話をややこしくするなら、「明らかに悪いことをしている」けれども、動機によっては、私なら容認したいと思うケース。例えば軍事クーデター。国民の命をないがしろにしている独裁政権を倒すために、軍部がクーデターを起こしたとして、一旦政権を取った後に、軍部自身が民主的なプロセスを経て政権を手放した、としたなら、僕自身の感覚では、容認したい。例えば、どこかの国。
逆に、独裁政権でもない、民主的な政治を行っている人に対して行った軍事クーデターなら、これは「寛容の精神」では接しきれない。
動機だとか、なんだとか、客観的に拾いきれないものを根拠に判断するとなると、これは「歴史」となるのを待つしかないんだろうか。トランプほどわかりやすいケースは、稀なんだろうか。
(なんの根拠もなしに書くなら、決めてはアレだな。ウイグル族、じゃなかった、カレン族を排除する行動を指揮したのが、軍部かどうか、だな、なんて思う。)

不作為による過失が明らかなのは、自民党・公明党の与党。「具体的な対策」を何一つ指示していない。例えば、仕事を失った人を雇って、交通機関などの手すりをアルコール消毒する対策を取る、とか、事務所での向かい合わせのデスクにアクリル板を設置するコストを政府で負担するとか(え?設置コストより、申請書を作る手間のコストの方が大きいってか?だったら、アクリル板を設置するように、一つでも多くの職場を回って「指導」する人を、失業者から雇う、とか、)何かそうした、直接的に効果がある施策を、何一つとして打ち出していない、金をばらまくことしか考えていない、(いや、それも間違っていない、逆に、税金の分配をするだけなのが政府で、国会決議を得た上で金を出す以上に、あれしろ、これしろ、と政府が指図するのは、そっちの方が誤りだと、それはそれで正しいかもしれないけど、)僕らは、与党に対してどこまで「寛容の精神」で接したらいいんだ?って、言いつつ、それでも自民党も公明党も、盤石の支持基盤があるんだよなぁ。
感染したら、「私が悪かったんです」と、自殺しろとでも?いやぁ、政治家にさえなっていたら、「自分が悪い」なんて一切考える必要がなかったのに・・・

感染拡大防止に、ただ単純に「できる」ことがあまりにも多いのに、「ビジネスを停止しろ」と、つまり「経済活動を止めろ」と、それしか言わない政府には、僕はほとんど「寛容」できない。ただ、他の大多数の日本国民が容認するなら、結果は日本人として受け入れるしかない、(ダジャレの延長のページの割には、書いてることがデカくなったなぁ。)

まとまってない。訳がわからない。やるせないけど、もはや「怒り」もない。こんなもんなんだろう。
ですけどね、あなたが感染したって、「自殺」だけは、する必要はないし、あなたを「自殺」するほど追い込んでいる相手だって、自分が感染したらガラッと態度を変える。その程度の「世間の圧力」だと認識するべきで、まずは、自分を許して、生きることを考えたらいいと、僕は思う。政府ですらまったく信頼できない国にうまれちゃったんだから、何を許し、何を許しちゃいけないのか、訳がわからなくなっても、(決して、「バイトテロ」を容認する気はないけれども、ある意味で見倣って、)自分だけは、とにかく「許される」と、つまり「生きていて全く構わない」と、考えるべきだと、僕は思う。