診療報酬

ニュース配信を、かなりざっくりと斜め読んでいて、ふと気づいたことがある。
「コロナ患者を受け入れれば、受け入れたほど、病院経営が赤字になる」という部分。
「だから、コロナ患者の1名受け入れごとに、いくらいくら、政府からの補助が」というのは、臨時の措置としては、確かに必要だと思えるけれども、そもそも論として、「客が多いほど、経営が苦しい」っていうのは何か変じゃないか?と思えた。

で、気付くのは、感染対策しながらだと、患者一人当たりにかかる看護師人数が格段に多いらしい、ということだろうか。医師の人数もそうなんだろうけれど、もしこれらが原因だとすると、「看護師への報酬」が診療点数などに反映されていないのが、致命的な制度の欠点なんじゃなかろうか。

すみません、正確な知識はない。ざっくりとした理解なので、間違っていたら読み捨ててください。
診療点数などでは、病気ごと、症状などによって細かく規程があるけれども、看護については「実際に、その患者に何人が貼りついたか」などは無関係に、「こうした病気、症例なら、一日何点」という形で決まっているため、看護師への給与支払いが「固定」的に出ていく中で、「手間のかかる患者」を受け入れたなら、実働ばかりが増えて、患者への請求も、保険医療の枠の中での職域保険やら国民健康保険やらの保険団体への支払い請求も、頭打ちになるため、どうやっても赤字になる。

それならば、「看護」にかかる「実働」部分を制度に盛り込んだらいいのではないか、なんて簡単に考えてしまうと、いさゆる「制度の悪用」が問題になるんだろうか。結局、コンピュータシステムでもなんでも、制度とかシステムの(英語にするとどちらもsystemか?)設計は性悪説を前提にしないと成り立たないのが、残念な現実で、かけてもいない「看護」の手間を上乗せすれば、請求額の水増しが出来てしまう。
ただ、それを口実に「看護報酬」の上限を切ってしまって、そこから後は、制度側では知ったこっちゃないと、病院側で看護師の給料を安く抑えて、病院経営を回すのは、適当に病院側でやってくれと、なんだか、そうなっているような気がしてならない。(<– 要、数字に基づいた緻密な検証。ですけどね、あたしゃ、やりませんが。)

以前、専任教員だった時の臨床工学の2期生、大学に入学した1年生の時から私の側も知っている、最初の学年のA君。東京都の臨床工学技士会で、なんだか役職に就いて活躍しているらしく、時々Facebookのシェアなんかで、ニュースとか、学年を超えた同窓生のチャットなんかで、いろんな話題が流れてくる。
今、「臨床工学技士」の仕事に、「医療報酬」の点数化(加算?)をしてもらえないかと、(正確な表現ではない、とは思うけれども、)動いているらしい。

医療機器に首を突っ込んでいたザックリとした理解で言えば、麻酔器にしても、人工呼吸器にしても、人工心肺装置にしても、「機械」そのものの稼働については「点数」がつくものの、それをオペレートする技士などの「報酬」は、あくまでも「機械のおまけ」的な算出方法でしか出していないのだろうと思う。と、いうことは、単純に考えて、臨床工学技士を雇えば、(看護師などと同様に、)他の項目に転嫁できない限り、赤字が膨らむ、という構図になっているんだろうか。

極論をすれば、国が「助成金」を出せば、どんな小さな病院にだってECMO(エクモ:体外式膜型血液酸素化装置)を配備することは可能だろうと思う。だけど、誰が動かすの?っていう話なんだろうか。
そして、臨床工学技士を雇う場合でも、看護師を雇う場合でも、ただ単に人手が足りないというだけではなく、制度的に、人手がかかる診療行為にはその人手に見合った分の「点数」が加算されるように、制度自体を見直さない限り、今回のような騒ぎは、何度でも起きる、ということではないか、と思った。

そう考えると、例えば、野党とかに「実現可能な、保険制度改革案」なんてのを出してもらって、制度を改めるように動いてほしい、なんて思いつつ、ついつい思い出してしまう、あの絶望感。

他ならぬ、ポッポが総理大臣になった旧民主党。そもそも、選挙公約の時から「マジかよ」っていう感じはあったけれども、「日本全国、どれだけ走っても高速道路料金は一律千円」って、開いた口が塞がらなかった。壊れたら壊れっぱなしで修理しないなら、それでもいいんだろうが・・・どういうコスト感覚をしてるんだか。あれがなければ、もうちょっと「野党勢力」を信じる気にもなれたんだけれども。あるいは、もうちょっと前のめりに、野党支持になれたんだけれど。あれを思い出すと、期待する気がなくなる。

アメリカなんかの場合、病院内で「医長」と「看護師長」が、収入的にも制度的にも、ほぼ同格で診療行為を回しているらしい。ついでにいえば、医学系(Medical)と工学系(Engineering)もほぼ同格で、現代の医療に医療機器はなくてはならない存在、という前提で、責任も持たされているらしいけれども。

総論としての結論:医師だけに全ての権限、「診療報酬の基準」を設定するのではなく、チーム医療が動いている際に、それぞれのスタッフの行う「医療行為」についても、ある意味で「出来制」に近い形で、実際に多くの医療スタッフが貼りついたなら、それに見合った「診療報酬」が請求できるようにしていく必要があるんじゃなかろうか。保険点数の制度のバックアップがなければ、「チーム医療」もお題目だけになる。

言うまでもなく、コロナの場合には、感染した方も「運が悪い」としか言いようがないケースも少なくないと思う。暫定的に数年間は、国が医療現場に助成金を出す形で凌ぐしかないんだろうけれども、数年後には「がん保険」などと同様の「コロナ保険」などを「任意保険」として民間でも用意し、コロナに感染してしまったら「高額の医療報酬が請求される」という状況になってしまっても、「持続可能な医療制度」を考えるならば、やむを得ないような気がする。

助成金を出すのが政府の仕事だと、自民党も公明党も思っている節があるけれど、違うでしょう?と私は思う。そもそもが、医療もビジネスとして成立しなければ、貨幣経済の今の日本では「病院」という社会の歯車の一つが機能不全を起こす、その原因の一つが、浮かび上がっているのが、現在の「医療崩壊騒動」なんじゃなかろうか。

当然のことながら、こうした考え方は「国民皆保険」で、生活困窮者はどこまで「治療行為」を期待できるか、という議論にもつながると思う。(管総理が、国民皆保険に言及して、ネットでさんざん馬鹿にされていたけれども。)

1時になった。昼休みは終わり。以上。