啓蒙活動

コロナ禍でも、ビジネス活動を維持するためには、もしかしたら最重要なのは「正しく恐れる」啓蒙活動かもしれない。

感染者の立ち寄り公表された店が徳島県提訴 「客足止まり、売り上げ減少」
https://mainichi.jp/articles/20210205/k00/00m/040/288000c

この記事、

訴状によると、2020年7月30日、感染した男性が本店を利用したと保健所から連絡があった。

感染した男性がこのラーメン店を利用した、として、どの程度の感染リスクがあったんだろうか。
例えば、東京なんかで時々見かけるような、カウンター席で隣の客との間や、厨房との間に透明な仕切りがある、ようなケースだとすると、一人で黙々と食していたとしたなら、飛沫による感染のリスクはかなり低い気がする。換気が十分だとか、食器を片付ける際にテーブルなどをアルコールで拭く、とか、していたなら、必ずしも、店名を公表する必要はなかったんじゃないか、という気がする。

友人などと訪れて、カウンター席でおしゃべりしながら飲食した、という場合は、どうなるだろうか。一緒に食事した友人などは、かなりリスクの高い「濃厚接触者」となるだろうけれど、少し離れたテーブル席で食事をしていた別の客などについては、気にしなくていい程度にリスクが低い気がする。

この部分、感染症の専門家の意見を聞かないと、厳密なところはわからないけれど、感染していた本人が「おしゃべりはせずに、黙々と食べた」ならば、ほとんど気にする必要がなかったように思えてならない。

こうやって、店名公表になる理由は、どういった状況で、どの程度感染リスクが高まるかについて、きちんと調べていない(感染事例を分析調査していない)から、闇雲に「同じ店にいた人は、全員濃厚接触者です。だから、この店にいた人は申し出てください。」と、店名公表が唯一の手段だと、行政側が考えているからに違いない。

そもそも、その行政側の発想に誤りがあると思う。
国がやるべき行動は、「感染リスクの高い状況と、リスクの低い状況」をきちんと分析調査して、それを広く国民に知らせたり、あるいは、都道府県の行政に、「こうした事例は、低リスクだ」と伝えたり、するべきだったと思う。

同時に、都道府県が「店名公表」したとして、その情報を受け取る側も、リスクの程度を見極めていない。

あえて次の表現を使わせてもらうが、「ネットに、お店の誹謗中傷を書き込む」などの行為は、ご自身の無知を広く世間に晒している行為だと、私は断じたい。「私は、理解力のないアホです」と、言っているのと同じ。
せいぜい、そうした感情的な拒否反応を示す程度のことしかできない。例えば私は、クラスターが発生したお店であっても、数日間の「営業停止」などを経た後なら、仮にアルコールによる除菌作業などを行わなかったとしても、店内に残ったウイルスにはもう感染力がない、と理解している。普通にその店で飲食しても、気にしないと思う。その「数日」が何日だったか、論文で読んだ訳ではなくて、そうした説明をされている感染症専門家の意見を読んだだけだけれども、これは、科学的な共通認識だと理解している。
つまり、数日経ったら、「あ、もう安心なんだ」と考えるのが正しい理解だと思う。それなのに、一度「クラスターが発生した」などと報道されると、もう、未来永劫に汚染されたものかのように受け止めて、中には「二度あの店に行かない」などと言い出す人も出てくる、つまり、誤認識がその店のビジネスを破壊している。しかも、ここはとにかく強調したい。行政がその姿勢を後押ししている。詳細なリスクを把握しようともしないし、不必要な危機意識を煽っている。「正しく恐れる」べきなのに、ただ単に「恐れている」だけだから、ビジネスが破壊されてくる。

GoToは、トラベルも、イートも、例えば「全てのお店の感染症対策が万全」ならば、実施したところで問題は極めて少ないと考える。ところが、実態として、感染症対策など特にとらず、飛沫が飛び交い、エアロゾルも充満するような状況のお店が少なからず存在していて、(政府は、きちんとそれらの対策を取ろうともせず、)それで、GoToだ、などとキャンペーンを実施した。GoToが感染を広めた、統計的なアプローチの論文は出されたようだ。
ただ、個別の対策さえ十分なら、感染は広がらなかったはずだと私は推測する。

スキー場が、今年はもう、絶望的らしい。ですけどね?スキー場なんて「食堂」だけ対策をきっちりしていたなら、相当に感染リスクは低いと思う。食堂で、「あそこのコブ斜面の先、絶景だよな」なんて、賑やかにカレーライスか何か食べながらおしゃべりする、これもスキーの醍醐味の一つだろうけれど、その部分は諦めて、例えば食堂は閉鎖して、屋外で弁当を食べてもらうとかに切り替えて、その部分だけ「犠牲」にしたら、スキー場全体は救えたんじゃないか、という気がした。他にも、そうした業界は相当に多いと思う。

そもそも、リスクの高いお店や、公共空間などを洗い出して対策していけば、「不要不急の外出は避けましょう」などという呼びかけも不要なはずだし、「みんな、基本的な対策をしっかり取った上で、今まで通りのビジネス/娯楽を展開しましょう」と、普通の経済活動を展開できるはず、だと私は考える。

この段落、理論的には可能だけれども、現実問題として極めて難しい話題。
例えば、高速道路の渋滞は、一切発生しなくなる、という話題。車間距離が短くなると、心理的に車間距離を広げたり、速度を落としたりして、それが連鎖的に起きると「渋滞」の状況になる。そうした心理を取っ払って、自動運転車などで、車間距離が1mであろうが、時速100kmを維持したまま走行させるように、自動車の速度や進行方向を制御できたなら、テレビで見かける「渋滞の光景」の全ての車が動いている形になり、一切渋滞は発生しなくなる。これは、確か、東大の先生が研究して論文にされていたと思う。自動運転車だけなら、スーパーの駐車場に停められた車が、その「車間距離」で、一斉に時速100kmで走行しているような光景を展開して、渋滞は起きなくなる、はずだと考える。
理論的には「安全に、一切渋滞を発生させない」ことが可能なのに、現実にはできない。ここには、人間の反射神経の問題もあると思うし、「心理的な壁」の問題もあると思う。

コロナ禍でも同じことが言えると思う。適切な対応をそれぞれが心がけたなら(この部分が、いわゆる「ニューノーマル/ニュースタンダード」なんだろうか、)「不要不急の外出を避けましょう」などという掛け声は必要なくなると思う。

ところが、現実には「コロナ出ていけ」とか、「あんたんとこの娘は看護師か。だったらしばらく出社しなくていい」とか、もう、どこの原始人だと言いたくなるような話題が巷に溢れている。ビジネスを阻害するどころか、医療従事者の生活さえ脅かす。
これはもう、啓蒙活動を徹底してもらうしかない、そんな気がするし、まずは政府に、無論時間はかかるし、人を雇い上げるなどの(雇用対策になるはずなんだが)財政手当も必要だと思うけれど、個別の「対策」の検証を、全業種にわたって徹底して、「ビジネスの全面再開/行動制限の撤廃」を目指すべきなんだと思う。

その方策は一切動かさず、「ワクチン摂取さえ行ったら、全てはうまくいく」的な発想にしがみついて、それまでは「不要不急の外出制限」って、それでは出口はないと思う。
行動制限プラス困窮者への一時金支給、って、その財源は全部国債でしょ?だって、税収の落ち込みなんて歴然としているんだから。
こういう発言は、あのモリの「専売特許」か?「そんなもん、国債を発行したら、何とでもなる」って、馬鹿言ってんじゃねぇよと思う。要するに、ツケを次の世代に押し付けてるだけじゃないか。いや、国債の発行しか財政手当ができないのは理解するが、せめて、「経済を動かす」ような使い方にして欲しい。感染症の専門家も、「この部分は、この程度の対策で、十分に感染リスクは下げられる」なんていうのを、結構発言されている。「政府に選ばれた専門家」以外の「現場の多くの専門家」の意見を聞く耳があるのか?

まずは、政府が具体的かつきめ細かい「対策」を実施し、その上で、徹底的に「啓蒙活動」を行って、「この部分だけ、このように気をつければ、それ以外は以前と同じように活動してもらって構いません」と、そうした「普通の経済活動を取り戻せる状況」に導いて欲しいと願う。

でもなぁ。これまでも、そして、これからも、こうした緻密なアプローチはやらないんだろうなぁ。自民党だもの。(あ、野党も一緒か・・・ってなったら、もう、政治には期待できない。民間期待・・・)
そうして、日本全体の1/3くらいの業界で、相当な数の倒産や失業者を出して(まだ序の口だと思う)、今のままだと(大企業なんかのプール金の放出が終わると)、非正規労働者も含めたら、実質的な失業率が楽に15%を超える水準にまで落ち込んで、国債発行額が桁違いになる、そんな気もする。(悲観的な、アンダーシュート的予測だけれど。)

人々の「正しい理解」が広がれば、状況は改善すると思う。ただ、この「啓蒙活動」が、具体策に政府に動いてもらう以上に、半端なく難しいとも思う。(だって、トランプ支持が過半数だった国があるくらいだから。)だけど、そこを放置したら、将来世代が抱える「負債」は、文字通り桁が違ってくると思う。コロナをトランプに置き換えて考えたなら、相当数の日本人が「根拠のないコロナ・エンガチョ」に振り回されて、経済を壊しにかかる気がする。

とにかく、政府に動いて欲しい。コロナ禍は、政府による人災だと思う。