判断ミスは過誤と同じ

なんだか、がっかりするようなニュースが多い。特に政府の対応に関するもの。

ミャンマー虐殺、日本政府の対応に広がる失望
https://toyokeizai.net/articles/-/420565

考えたくはないけれども、やはりこれかなと、思えてしまう。協力隊のOBとしては、がっかりというよりも、何か悲しい気がする。

しかし今回について言えば、ミャンマー国民に広がる強烈な反中感情でその中国にさえ戸惑いが見え、欧米企業は本国からさらに強い縛りをかけられる可能性がある。それらを勘案すれば、日本政府が国軍に明確な措置を取らない理由は見当たらない。

あるとすれば、一部関係者の利害にからむものではないのか。国軍とのパイプをつなぐことにより、現地で活動がしやすくなる一部政治家や外交関係者、企業などへの配慮である。

官僚機構の発想が、最近多少は読めて来ているような気がする。「海外活動」などは、「高度な判断を伴うものだから、民間が行うべきではなく、政府の思惑を「理解」できる団体などを通じて行うべきだ」的な発想が、万事にあるように思う。

「総合的に判断」と言いつつ、明らかに非難されるべき行為があっても非難しない。それは、事態がどちらに転ぶかわからない、人権侵害を行っている軍事政権が万一居座っても、利権を確保するため、ではないか、という気がしてならない。加えて、シモジモのモノを「服して従え」的に扱うことに慣れているから、意を汲み取ることをしない。結果的に、こうなる。

国軍がクーデター後に外相に任命したワナマウンルウイン氏を日本政府が「外相」と呼んだことが瞬く間にSNSで広がり、大きな波紋を呼んだ。その後、日本政府は「外相と呼ばれる人」に軌道修正したものの、「日本はどちらの側に立っているのか」と日本人駐在員が詰問されたり、日本語学習や技能実習生への応募を取りやめるケースが相次いでいる。

コロナ対策でも、場当たり的に頑張ってはいるものの、明らかに「できる」ことを「やっていない」。何故なんだろうか。効果がなかった場合に責任を取らされないために、「何もしない」のが一番無難だ、という思考回路が定着しているんじゃなかろうか。「ソツなくこなす」ために、「想定」に想定を重ねて神経質に準備した「答弁」などを作らせ作り、「上の方」に張り巡らせた人脈で規定路線を作って物事を進め、「想定外」の事態は「事態」そのものを無視する。そうして「無事是名馬」的な人しか出世しない?なんか、そんな風に思えてならない。現状をきちんと認識した上での「臨機応変」な対応というのは、およそ日本政府には期待できない気がする。

この記事を2Fさんとかが読んだら、どんなコメントを出すか。なんだかもう、一言一句想像できるような気がした。

冒頭の記事は、こんな一節で結んでいた。全く同感。もう、まるごと引用。

技能実習生と二重写しに

外国から「現代の奴隷制度」とまで批判されている技能実習制度によりブローカーに巨額の借金を背負わされたり、滞在資格を得るためだけに日本語学校に授業料という名の高額な「ビザ代」を支払わされたりしている若者たちの存在だ。

日本政府が労働者としてきちんと受け入れる態勢を作りさえすれば、不当な利益を得るブローカーや悪質な日本語学校などは排除される。ところが現行制度を維持することで、ブローカーや一部悪質な監理団体、一部の日本語学校の利権が守られる。その結果、借金苦の中で労働者としての権利も十分に守られず、多くの若者らが失望し、日本に恨みに近い感情を抱いて帰国する……。

東南アジアの人々が寄せてくれる親日感情や日本へのあこがれは、多くの日本企業、従業員らが積み重ねてきた製品づくりや職業倫理への評価、アニメなどのソフトパワーを含む民間の努力によって培われてきた結果だ。ODAや援助団体の活動などの意味もあった。いずれにせよ日本国民が長年かけて築いた財産だ。

それが一部関係者の利益を優先させる日本政府のあいまいな姿勢や不作為によって毀損され、失望が広がるとすれば、日本の将来にとって大きな損失である。

ミャンマーの国民から、アジアの若者から日本はどう見えているのか。視点をずらすことの大切さを思う。