温めますか?

コンビニでタバコを買ったら、速攻で「温めますか?」と聞かれた。気がした。ホット・タバコ?

どうやら、隣のレジでした。当たり前ですね。音の聞こえる方向がわからない僕の欠陥。

いや、ちょいネタでしたけど、もうあんまり、意味のあることは書きたくない。仕事一色にしたい。もう、長い文章を書くことは卒業したい。

なんて、宣言しても、続いた試しのない私。
怖いもの見たさで、ついつい、ニュースサイトとか見ちゃうんだよなぁ・・・

ペテルギウスの最期?

アップされたのは2013年みたいだけれども、見てみたい気もする。そろそろ?なんて、星のそろそろは、何百年後だか、わからんからなぁ・・・
でも、僕ら人間の意識体の寿命は、星(の肉体)よりも長いらしい。そんなことも、ふと考えたりしている。
オリオン座の大星雲?いや、実は、誰かが(あなたが?)前いた場所だったりなんかして。その可能性も、学問的に扱って欲しいなぁ。

あ、そうそう。今日学生がTOKIOを、学校のすぐそばの「すき家」で見かけた、とか言ってた。TOKIOの国分さんとか、(あれ、長瀬さん、って言ってたっか?松岡さんって言ってたか?忘れた、どっちか)と、この距離で(その時の、僕と学生の距離は1mくらい)会ったんですよ!すごいと思いません!?僕も、授業ほったらかして、速攻で行ってみたかったりなんかして。ジャニーズ、かっこいいもんね。

なんて感じで、僕のブログも収束させたい。

人工知能考

今日僕は、手袋を失くした。
大人になってから使い続けていた、二つ目の手袋だった。

子供の頃、親に編んでもらった毛糸の手袋は、なんとなくデザインも覚えているけれども、いつ頃どうやって失くしたのか、あるいは、使わなくなって親がいつどうやって捨てたのか、思い出せないし、わからない。中学校時代は、軍手を手袋にしていた。大した防寒効果はなかった。高校時代は、親に買ってもらった黒い革の手袋を使っていた記憶がある。
確か、大学の1年か2年の時に、サークルの部室で同じサークルの仲間のK君が、アルバイト先に「友達に売ってくれ」とノルマで押し付けられたとかで、当時で800円くらいだったかな、手袋をいくつかテーブルの上に並べて、「買ってよ」とかいう感じで、せがまれた。わかったと、一つを買った。軍手とは比べものにならないくらい暖かかった。これが、僕の記憶にある、自分で買った最初の手袋だったと思う。

これをいつ頃、どんな風に失くしたのか、思い出せない。そして、次の手袋をいつ頃買ったのかも思い出せないけれども、社会人になってから、4年目(転職した後)には、2回目の手袋を買って使っていたと思う。それ以来だから、たぶん最低でも30年以上は使っていた手袋だったと思う。そいつを今日失くした。
冬しか使わないし、定期的には洗っていたから、見た目は全然古びていなかった。それを僕は今日、脇の下に挟んで歩いていて駅のホームで落としたか、トイレに置き忘れたか、とにかく、気付いた時には失くしていた。
今、結構、切ない思いが自分の中にある。
で、表題は「人工知能考」なのに、なんで手袋の話?って、まぁ、そう急かないでください。

このストーリーを、人工知能が理解できるか?いや、それもない訳じゃないけれども、全然本論には、擦りません。確かに、たったこれだけのストーリーから、「切なさ」を人工知能に理解させられるか、類似の事例をどれほど学習させても、たぶん、わかってはもらえないと思う。ヒトだったら、Ass Holeみたいな金持ちのボンボンは別にして、わかってくれる人も、人工知能よりは多いかな、ってな程度の期待感で、そんな程度の話の枕だから、今日の話題の本質ではないです。大切な伏線だけれども。(で、ほとんどの場合、話の枕を口にしたところで、黙れ、関係ない話をするな、とか、止められる。だから、WEBが好きなんですが。)

ここは明らかな脱線。たぶん、小学校高学年の頃か中学の頃、傘を置き忘れてどこかに失くしたことがあった。親父に激怒された。親父の学生時代の話をされた。親父が弁当箱を電車の中に置き忘れて帰ったら、おじいちゃんが親父に怒って、「そんなに、ものを大切にしない奴は、うちの子じゃない、なんちゃらかんちゃら。とにかく探してこい!」と駅に行かされて、(見つかったかどうかは覚えていないけれども、)散々な目に遭った、という話を聞かされた。その後すぐに親に買ってもらった新しい傘には、20m先からでも読めるほどの馬鹿でかい文字で、傘の(裏ではなく)表に僕の名前を書かれた。傘を広げると、何ポイントだろうか、一文字の一辺が楽に10cm位はあるでっかい文字で、僕の名前が書いてある。これはとにかく、雨が降った時に差して持ち歩くのが恥ずかしかった。拷問みたいな気もした。親父は、実は中身がAIだったのか、「どうだ、これなら絶対に失くさないだろう。安心だろう。」と、こっちの恥ずかしさなんて果たして理解していたんだか、なんだか。
これ以来、ほとんど公共の場での「忘れ物」はしなくなった。(かなりでっかいのも含めて、ない訳じゃないけど。)おかげさまで、手袋をなくしたのは、これが40年間で2回目。傘だって、25年目の傘をまだ現役で使ってる。ほとんどモノを失くさない分、ダメージが大きい。以上、脱線終わり。話を本題に戻す。

今日、法政大で内村先生にAIの話を振った。東洋経済のニュース配信で、「人事考課制度をAIに任せた失敗談
」的な記事が流れていて、Amazonでの話題を持ち出した。AIに任せたら、やたらと男性を登用するようなAIの判断が出てきたそうな。そりゃそうでしょ。「学習データ」を忠実に再現する訳だから。どこぞの会社では、やたらと保守的な人材ばかりを登用するような判断をして、リスクを冒して新規ビジネスに挑戦するような人材は、全くAIに拾われなくなった、みたいな感じの内容もあった。
内村先生に、今日の授業教材、学生のレポート(今日は発表会だったらしい)の、学生配布用のプレゼン資料のコピーをもらった。そうか。僕が4限目にPythonのプログラミング演習のコマを持つ前、3限目には同じ学生たちが内村先生の授業を受けていたのか。採点したばかりのレポートの名前を、幾つも見つけた。いや、AIのなんたるかをわかっていないな、なんていうレポートもあったけれども、考え方としては否定はしない。勉強中だもの、もっと勉強しようね、という感じだろうか。そんな中に、MicrosoftやFacebookでのAIの失敗事例を引用していた学生もいた。そうだね。あの話題なんか、結構笑えた。無理でしょ、と思っていたけれども。AIにヒトは理解できない。僕はそう思っている。
ヒトを理解できないまでも、何十年か先にはヒトに近い判断をさせることはできるかも知れないけれども、実用化するのに必要な「理想的な学習用データ」を用意できる場面なんて、ほとんどないだろうとも思う。だから、やたらと男性ばかりを登用したり、やたらと保守的な人間ばかりが昇進させられるような判断しかAIにはできない。
最低でも、きちんとした意味付けを提供された7層から10層程度の学習レイヤーを完璧にモデル化し、かつその完全な学習教材データを提示できなければ、(たぶん、物理空間の認識、意味、価値、価値を付与する主体の分析、効果、相手側主体の対象理解、そして感情などの)中間的具象認識の学習が、その業界ごとに定義させられなければ、実用化は無理だと僕は思う。そもそも、モデル化そのものが困難な具象ばかりだとも思う。それほどの期待値がないならば、そこそこの結果は出せるとは思うが。

話題が、かなり「表題」に近づいたけれども、これも本論じゃない。続ける。

だったら、アイボとか、ヒト型ロボットなどが「独居高齢者」なんかの「話し相手」として重宝されているのは、なぜなんでしょうね、という話題。ここからが本題。

僕は、30年近く愛用していた手袋を失くして、やはりなんというか、喪失感というか、自分の体の一部分を失くしたようなそんな感覚がある。「価値」って、そりゃ、僕のことだから、買った時の値段なんて、千円そこそこだったと思う。いや、バブル期だったから、2千円くらいのを買ったかも知れない。だけど、値段ではなくて、ずっと僕自身と一緒にいてくれた、そこに僕はたぶん、感情移入している。
自分の体の一部、って、そもそも、僕自身の肉体は、僕がこの世界で活動するための道具であって、それが僕自身っていう訳ではない、と理解している。(この部分は、相当に異論がありそうだけれども・・・)「人の実体は、意識体」それが、今僕がたどり着いた結論で、そうは言いつつ、この肉体がなければ「僕」という人格がこの世界に存在することができない、大切な道具だから、限界まで使いたい。自分自身の体に対する「思い」と、自分自身が使っていた道具に対する「思い」と、どれほど大きな差があるか、というならば、実は「延長線上」でしかない、そんな感覚も持った。

例えば、アイボを「愛犬」のように大切にする、その感覚はどこから来るんだろうか。少なくとも、仮にAIがヒトを理解できなくても、ヒトは「人工物」に対して感情移入して、それが生き物であるかのように、あるいは、自分自身の一部であるかのように認識し、そして扱うことができる。ヒト自身がそうした感覚を持つことによって、ヒトがAIに歩み寄ることはできても、AIの側がヒトに歩み寄ることはまずできないだろうという気がした。

AIが人の仕事を奪う?そうかなぁ。AIが「やらかしたチョンボ」を、人が尻拭いするために、かえって人手がかかる、まだまだ10年近くはそうした状況が続きそうな気がする。ヒトが、過度な期待を寄せて、なおかつ、AIに対して擬人化した感情移入をしているからこそ、AI元年なんていう表現が出てくる。「元年」って、僕らに言わせれば、第3波到来、だと思う。「僕ら」と書いた。今日内村先生ともお話させていただいたけれども、僕らは、かつて「鉄腕アトム」のようなロボットを、いつか作りたい、と思って、コンピュータに興味を持った。僕の場合には、それが、石森章太郎のサイボーグ009で、サイボーグ(生体工学)の方にシフトして来たけれども、人工知能への興味は「神経回路網」の頃から全く失っていない。そして、俯瞰していると、時々ブームが来ただけであり、「要素技術」に多少の進歩があったにせよ、本質的には何一つ学問的な進捗はないんじゃないの?というのが、個人的な見解である。ヒトが、勝手に、そうした錯覚をしているだけ。そう、ここが本論です。長ったらしい枕を読まさせて、どうもすみませんでした。

今年一年、随分と、老いを感じることがあった。こんな、長いこと使ってきたものを簡単に失くす、なんていうのもそうだし、そもそも、今年の2月、3月は、肺炎ぽい症状を起こして、5月くらいまで肺が荒れていた。そのあとは、不注意にも三脚から落ちて、頚椎を痛めて、ここに来てようやっと左足の痺れが取れかけて来た程度の回復の遅さ。自覚はしている。生きていること自体に、これまで感じて来た強烈な「義務感」が急速に薄れている、それははっきりと感じている。

盗聴だの盗撮だの、散々な目に遭った。国家権力だのマスコミだの、個人の人格権なんてほとんど気にしてなんていないひどい時代だった。リークされた私生活を見ているはずの「識者」も、「見られるような生き方をしている」私の方が悪いような扱いを受けていた(そういう描かれ方をした)気がした。そして、確かに僕は、そこに便乗して、ただひたすら書き続けて来たけれども、このページのバックナンバーにいくつか書いた、それを一人でも多くの人に読んでもらうことが、僕の生きて来た目標の一つだった、だからこそ、この状況に耐え切れたのかも知れないと思った。ようやっと、このページを書いた、あるいは、その前のいくつかの「渾身のページ」書いた、その時点で、頑張って生きなきゃ、というモチベーションが急速に衰えた。その挙句、肺炎になったり、注意力が散漫になったりした。やはり僕は、ここから先数年以内に「いつ死んでも構わない状態」にまで、身辺整理をして、学会も全部やめて、家の中の荷物を全部片付けて、綺麗サッパリと後を濁さずに、次に備えたい、そんなことも強く感じるようになった。
僕に「ハンドパワー」があるか?って?なんだか、そんな話があったような、なかったような。答えですが、もし僕が本気になったら、結構不思議なことが出来ることもあるし、出来ないこともある。それだけ。出来たとしたなら、それは、こうしたページを一人でも多くの人に読んでいただくために、「人目に付くことが必要」という状況に置かれたから、というだけだと思う。人間の実体は霊だ、と、それだけ多くの方にご理解いただいたなら、僕の役目はそれでもう十分過ぎるくらい果たした気がする。(が、目を通してもらっても理解してはもらえていない気もするから、書きっ放しで逃げるには、まだ早そうだ。)こういう「義務感」がない分、宗教屋は楽そうで、羨ましい。
IEEEも生体医工学会も含めて、学会をやめたり、身辺整理をすること自体はもうその流れに乗っているけれども、あとは身軽になって、残りは、どうしようか、それは書かないけれども、今は多少の生きるモチベーションは持ち直しています。老いるということはそういうことなのかも知れない。老いを意識する前、あるいは、意識してしまった後、その両方を含めて、こうした「生きる」ということへの感覚をAIが理解できるか。ここがそもそも、無理であって、だとしたら当然AIにヒトを理解することはできないと、僕は思っている。そもそも、たったの一言「生きる」という言葉の意味を、AIが「理解」出来るとは思えない。それで会話が成立すると思っていたAI研究者が、浅はかなんだろうと僕は思う。

「ヒトの実体」は「意識を持ったエネルギー体」という、ようやっと伝えるべきたった一言の「核心部分」に辿り着いて、それを言葉にして、なおかつ、その「知識」に基づいて書くならば、AIはそもそも、自分自身の「肉体」すらも「意識」できていないし、さらに、「ヒト」が機械に入り込むこともできないと理解する。「ヒト」がAIを「人型ロボット」としてあたかもヒトであるかのように錯覚することはできるとしても、AIの側がヒトになることはあり得ない。ということは、「ヒトの側が錯覚しさえすれば済む程度の役割」は果たせても、本質的にヒトの機能を置き換えるまでに進化することはない、と私は考える。いや、「補佐」はできると思うけれども、それは「コンピュータ」がやっている仕事の延長に過ぎないと、私は考える。学生のレポートを読んでいて思った。「手続き型プログラム」による「コンピュータ」の仕事と、「人工知能」の違いを、さすがに学部の1年生には理解できないかな。その同じ誤解を、新聞記者なども結構やっている気がする。ヒトが普通に行なっている「認知」処理を、いわゆる「AIの開発者」が「ヒト」における重要な要素だと認識していない以上、AIが、一昔前にブームになった「ファジー推論マシン」の延長を抜け出すことはない、と私は考えた。
私のは単なるブログだけれども、多少は「かつては学術分野に足を置いた」程度の書き方をするならば、ここが本題、ということになるだろうか。

話の枕の延長。今日僕は、手袋を失くして、2時間も経たないうちに、なんとなく寂しくなって、駅前のコンビニで「大人になって3回目の手袋の買い物」をした。千円しなかったけれども、いつまで失くさずに使えるか。死ぬまでか、それとも案外、年内とか、どちらかはわからないけれども、失くした喪失感を捨てるべく、新しいのを手に入れて、頭を切り替えることにした。

もしかしたら、「あ、失くした」と気づいた時点で、最終的には大学まで、帰り道を逆に辿って、駅のホームやトイレ、道路などを探せば、あの30年来使って来た手袋にまた会えたかも知れない。だけど、ちょっと考えて、「いいや、次に行こう」と思った。確かに、僕自身の皮膚の一部みたいに使って来た手袋だったけれども、逆に言えば、僕の体だって、時間の問題で「消費期限」が過ぎる。そうなった時に、執着せずに捨てる感覚の「慣れ」は、そろそろ必要かな、とも思った。常に「次」を考えたい。だから、あえて、「ごめん、さようなら、これまでありがとう」と、ひたすらその手袋にお別れの思いを念じた。でも、そう遠くないうちに、同じ思いを僕自身の肉体に伝えることになる、そういうこともあるんだろう。意識を切り替えて、「次にどうするか」考えて、モノへの執着は捨てようと、あえてその「学習課題」だと考えることにした。

でもなぁ。あの手袋くん。今頃、道路ぎわのどこかで、冷たくて寒い思いをしているとしたら、ごめんね、手袋くん、なんてことも、やっぱりちょっと、思ったりなんかしている。

こんな感覚、理解できるAIなんて、ないだろうな。

CoffeeScript vs JavaScript

明日の院生の授業教材、今年はClient Sideの画面制御などに興味がある学生が何人かいて、日本人の学生もその辺はあまり経験がない人が多いみたいなので、終盤に向けて動きのある画面の作り方を導入することにした。毎年少しずつ教材を書き換えるのが、自分にとっても勉強になる。

それはいいとして、Railsだと何だか今はCoffeeが主流。世間ではやはりJavaScriptがメジャーだと思うんだが、後々「役に立つ」方にするのか、授業ででも扱わないと、もしかしたらその後知る機会のないかも知れない方(CoffeeScript党の皆様、ごめんなさい)にするか、しばらく迷った。(いえ、私はCoffeeScriptぼちぼち、実戦投入で使い始めています。)
結局、Coffeeで行こうと決めた。両方対比して説明する?実はそこに問題があって・・・

言葉を覚えるって言ったって、最初は子供のオーム返しと同じで、とにかく表現を使って何が起きるか試してみる。ようやっとコンピュータ君が言うことを聞いてくれるようになってから、文法の細かいところを覚える。と言うのが自分流だろうか。そうして、最近ようやっと、Ruby on Rails, Pythonで学生の出すバグのトラブルシューティングが出来るようになった程度で、CoffeeScriptの場合には、まだトラブルシューティングにかなり時間がかかる。でも、前に進むしかないんだろうなぁ・・・「完璧を期して」いたら、何年先になることやら。

実戦投入している、とは言え、まだ理解が完璧じゃない。スコープ、演算子の優先順位、スタックの使い方などなど、本当なら「超入門」から始めて、じっくりと文法書を読み込まないといけないはず、なんだが。そこから始めていると、8割、9割方は「わかってるよ、そんなこと」なんだけれども、問題が起きるとしたら残りの1〜2割、「え?そうだったの?」の方だ。相当量のコードを書いちゃってから、構造をごっそり作り変えるリスクは抱えたままの見切り発車。

どこかで仕事を止めて、「超入門」からじっくりと時間をかけて細かいところまで頭に入れる。明らかにどこかでいつか必要なプロセスなんだけれども。結局時間が押していて、焦ってネットに頼って、僕は今ショートカットしようとしているんだろうか。大丈夫かなぁ。

壁にぶつかって、ネットで検索しまくっていると、「猿でもわかる××超入門」なんてのを見かけて、時々「俺は、猿以下か」なんてぼやきたくなる。

猿だけじゃなくて、豚でも、タヌキでも、理解できるように説明してくれ、なんて思ったりもする。
最近なぁ、脳みそがミジンコ並みになってる気もするし。

学問分野によっては、教材を10年以上書き直さなくても通じる、なんてこともあるらしいのに、なんか不公平な気もするが、自分で選んだ商売だから、愚痴っても仕方ありませんね。

猿は無理でも、ミジンコから、せめてタヌキか、豚くらいには進化したい私でした。

善処

英語にしたら、最も誤解を招く表現が「可及的速やかに善処します」らしい。
日本語の解釈は、「ちょっと、考えては見ますが、具体的な行動は何もしません」ってな意味らしい。そりゃ、通じないよな。

移民法、僕の商売の感覚から言ったら、「実装」Installationなんだけれど、「具体化」の段階はまだ先みたいで、官房長官とかのコメントが真摯なものであるならば、信じたい。信じるしかない。

だいたい僕は、他人の「言葉」を無条件に受け入れるところがあって、バブル崩壊で「社長命令」で加入した「従業員持株会」の株式が借入金を大幅に下回った挙句に、「絶対にすぐに値上がりします」ってな口車に乗って、商品先物取引に引き摺り込まれて、一時期年収350万で、持株会がらみの借金が350万、サラ金の借金残高300万円だった、あの頃は地獄だった。2年でなんとか出来たけれども、本当にいい経験をしたとは思うが、未だに、他人の口車にすぐに乗っちゃう癖は、改まっていない。
昔いた大学の2期生の女の子に言われた。「私、コールセンターのアルバイトしているんでるけど、先生って、すぐに騙せるタイプに見えて」と、おぉ!その通り、鋭い観察眼だね、なんて思ってしまった。師匠の講演会であれこれ勉強させてもらって、最近、ようやっと「真意は何か」を探る習慣が出来ましたけどね。いや、時々はやってたけれども、とにかく「相手の発する言葉は、相手の真意だ」みたいな、すぐに騙される根っこは、そう簡単には消え去っていないかも知れない。騙せるもんなら、騙してみろ、なんて言えない自分が悲しい。
騙されてっから吠えるくらいなら、最初から回避しろ、と思うんだが。

とにかく、信じるとして、移民法関連で、日本人がその仕事に就く際の待遇も改善されるなら、嬉しい。なんとかして欲しい。
行政が総じて無視するのは、やめて欲しい。日本人が従事している仕事だって、悲惨な環境は山ほどあるんだから。Ass Holeなんて、偉そう発言する前に、現場を経験しろと言いたい。

話が変わって、ノーベル平和賞。僕はつい、ザイールと書いてしまったけれども、あの意味不明な夢はコンゴのことだったか。合点がいった。よかった。ポジティブな話題なのか、ネガティブな話題なのかもわからなかったけれども、あの被害者の女性たちが、いずれ国を立て直す原動力になるとしたなら、よかった。そういう夢だったのかと、安心した。何の話?少し前に、夢の話を書いた。それです。解説しません。

そして、僕自身の話。今いくつ「納期」を抱えている?二つ、割れた。一つは、「善後策」の検討中。もう一つは、ごめんなさい、東京電子さんから頂いた「既存システムの文書起こし」の仕事で、これは遅れまくっている。いや、東京電子専門学校さんの学生が、「全員合格」できるようにする方が最優先だと思うから、授業がある時期はそちらが本気で、泣きついて頂いた仕事なのに、本業がどうにも、副業の「非常勤講師」に食われてしまって、納期が割れに割れている。いや、一人でも多く、学生が合格するようには頑張りますけど、本業のシステム屋の仕事の方は、どうにも・・・

実家では、あれが壊れて、これも壊れて、すごいことになっていて、現状維持に結構な金がかかる。(ニューギニアの、すぐに壊れてもすぐに作れる家で生活していた人たちに、憧れる。帰ろかな。)金に棹して、仕事をあれこれと請けさせていただきました。結構な仕事密度で・・・。ありがたいことで。自営だからな。信じられるのは自分しかいない。誰一人として支えてなんてくれない。とにかく、踏ん張って、頑張るしかない。

善処します。頑張っているので、どうか、納期については、すべての約束を守れ切れない部分、ご容赦願いたく、平にお願い申し上げます。

交戦権

引用元の記事を誤っているかも知れない。

「元徴用工判決」への誤解を正す ICJ提訴は必ずしも有利にならない
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/icj_4.php

僕が読んだ記事の概要は、韓国大法院の「元徴用工判決」の趣旨は、日韓請求権協定の有効性は認めつつも、個人慰謝料の請求権までは消滅していない、と言う趣旨だ、と言う記事だった。その記事によれば、明らかに、韓国大法院は「日韓請求権協定によって、個人賠償権は消滅している」ことを認めつつも、戦争、植民地化という「不法状態」によって発生した諸被害による「慰謝料」の請求権までは、消滅していない、という趣旨だったと理解している。

つまり、「植民地化」が非合法的なプロセスによって行われて、特に軍事力の行使による、すなわち戦争行為によって韓国を植民地化し、その結果として「徴用」行為が行われて、韓国国民が不当な労働行為に従事させられ、様々な苦痛を受けた、とするのが韓国大法院の主張だと、自分は理解する。(当時の、韓国併合のプロセスは、一般的な韓国人の理解とはかなり異なる経緯を経ている、という日本側の主張は、この際伏せる。)「植民地化」単体による慰謝料請求?欧米はどんなのさ?

戦争行為そのものが「不法行為」であるとするならば、当然国家としての「交戦権」は「不法行為」だとするべき根拠が必要だと思われるが、日本の場合には、憲法で「交戦権を持たない」ことを明言している。無論、当時の大日本帝国憲法は、そんなことは書いていないが現在の日本は、少なくとも、交戦権は否定している。
それでは、韓国は、交戦権を否定しているのか。韓国では、否定していない、と理解している。したがって、当然のことながら、「韓国軍」の存在は「合法」であり、韓国という国家が他国と戦争状態に突入することを「非合法」とは認めていない。従って、韓国の基本的な法制度で「合法」として認められている「戦争」による付帯行為も、韓国においては「合法」であるはずなのに、なぜ、他国がその「合法」行為を行なった結果を「非合法」であると指摘できるのか、その、法的根拠を知りたいと、私は思った。すなわち、「支配下に置かれた、新規参入の国民」に対して、母国の国民に対して行われていたのと同等の「徴用」が適用されたことが、「非合法」なのか、どうなのか、という点である。

(すみません、ニュース配信は、片っぱしから目を通しているから、引用記事の元ネタが、このサイトだったかどうか、ピンポイントでは思い出せない。もし間違っていたなら、「韓国大法院の判決は、日韓請求権協定の有効性は認めているが、個人慰謝料の請求で、新日鉄住金に賠償請求をしているのに、日本のマスメディアの報道は、朝日も読売も、みんな、韓国大法院が日韓請求権協定を無視したかのように報道しているのは、マスコミのミスリードだ」という主張の記事で、多分、過去数日以内に、僕がSmart Newsで見出しをクリックして読んだ記事だと思う。引用元が不適切かもしれなくて、ごめんなさい。僕のこの書き込みを、本気で読んでくださるなら、すみませんが、元ネタを探してください。(中間試験の答案用紙が上がってきていて、加えて、レポートの採点があって、それ以前にプログラミングが最優先なのに、もう時間がない!))

もし、この記事の筆者の方(大学教授だったと思う)の指摘が正しいならば、そもそもが、「日韓請求権協定」を韓国は遵守していることになる。それならば、話はかなり楽にならないだろうか。次に、請求の根拠が「戦争という不法行為による云々」の部分が、もし、その韓国大法院の表現がその通りならば、そもそも「戦争が不法行為かどうか」を争点にできると思う。日本は、現時点において、「交戦権」を否定している。あらゆる「戦争行為」を「非合法なものである」としている、はずである。だから、日本国内では自衛隊が「合法か、非合法か」で、もめ続けている。「自衛のためにのみ、存続が許される」その主張には、僕は賛同する。国は国民を守るべきだ。ただ、自衛隊の銃火器は、他国民に向けられるべきではない。それが紛争の調停であったとしても、一歩国を出たならば、全ては弁論だけで日本の主張を通すべきで、銃火器を携行しての主義主張は、(仮にそれが、他国民の防衛であったとしても、)認められるべきではない、と私は思う。主権の侵害である、と考える。要請されたなら?「おい、お前、腕力強いんだから、あいつを殴ってくれ。」そういうのは、嫌いだ。(論理的でなくて、すみません。)話が逸れた。かなり。

ところが、韓国は「交戦権」は否定していない。無論、ムン大統領が大好きな北朝鮮を「仮想敵国」として創設された軍隊なんだろうけれども、その法改正には一切着手していない。ということは、今後も「交戦権」を否定する、という流れにはならないはずだ、と考える。戦闘行為が行われたなら、当然、国際法的な「戦闘状態のにおける相互の国民の取り扱い」つまり、捕虜協定だとか、あれや、これやが適用されると思うが、それでは、日本はロシアによる「シベリア抑留」に対して「慰謝料」とか「保障」を請求したか、というのが疑問だ。なぜ、日本は、ロシアに「戦争という不法行為に基づく、捕虜の扱いに関しての違法な取り扱い」に対して、慰謝料請求を行使してこなかったんだろうか?何か、国際的な法的な根拠があったのか?疑問が膨らむ。(いや、当時の認識では、「戦争」は「不法行為」ではなかったから、なんだろうな。)ここから先は、時間をかけて調べないと、答えが出なそうだ。だけど、そんな時間はないから、書きっぱなしで僕は終わるつもり。

ここまでは、韓国が「交戦権」を否定していない、かつ、日本は「戦争そのものを非合法化している」という前提に、基づく議論。

よくわからないのは、国際法的な「時効」の問題、というか、請求権対象の「被権利継承者」で、「政体」が変わった場合に、どこまで持続的に責任をおい続けなければならないか、という部分だろうか。
これを言っちゃったら、韓国なんて、「政体」が変わった途端にそれまでの条約だの、あらゆる「国際的な約束事」を「見直す」とか言って、全部ひっくり返している訳だから、ましてや日本の場合には「大日本帝国」と「日本国」とはそもそも国体も政体も違う。継承するべき義務がない。そこに「義務」を押し付ける根拠が、一体どこにあるんだろうか、と思う。しつこいようだが、韓国の場合には政権が変わった途端に、あらゆる国際的な約束事を破棄できる権限が認められているらしい。その基準を日本に当てはめるならば、「大日本帝国」の頃に起きたことなど、遠い過去の話であって、一切の義務を負わないように思えるのだが、この国際的な「慣習法」に基づく「一貫性の原則」は、どの部分にどう適用されるべきなんだろうか?僕は日本人だから、明らかに日本側のバイアスがかかっているけれども、韓国は数年前の約束事を勝手に破棄してもいいのに、日本は数十年前の事象を未だに破棄できない、その根拠がどうしても理解できない。
ムン大統領の主張には「法的拘束」とか「時効」という概念がない。自分たちは自分たちが破棄したいと思ったら破棄してもいいんだが、相手には時効がない、というのが、韓国民の総意らしい、そうとしか思えない。なぜ日本は70年も前の「大日本帝国」を破棄してはならないのか。その理由がそもそもわからない。

なんてことを、鬱々として考えていたけれども、冒頭の「韓国大法院判決」について、そもそもが、「日韓請求権協定」を無視しているのならば、国際司法に訴えるのが、一番手っ取り早いと思うし、以後、韓国とのあらゆる契約ごとは行わないのが得策だと思う。もし、冒頭に引用した記事のように、韓国大法院判決が、「日韓請求権協定」を遵守しながら、「戦争という不法行為」に基づく慰謝料を請求している、というのならば、「戦争」を「合法」としている(すなわち、国家の交戦権を容認して、韓国軍を保持している)韓国に、「戦争という不法行為」を主張する権利があるのか、そこを争点とする戦いもできるんじゃないか、と自分は考えた。

「戦争」なんて、すべて、「非合法」でしょう?国際法に則って、「宣戦布告」したなら、どんな殺し方をしても認められる、そんな馬鹿げたルールを誰が作った!?国家としての「交戦権」の否定は、僕は、日本人としての誇りだと思っていた。アベとか、自民党のバカが幅を利かせるまでは。

もういいじゃんか。「日本を戦争をできる国にする。」と、それが、あなたの政治家としての使命だと思うならば、そうして、韓国と泥沼の試合を展開したらいい。交戦権だけは、絶対に放棄し続けろ、と僕は思う。なぜ、日本がその先鞭をつけた国だと堂々と主張できないのか、それをアベ、とか、あのムーミン顔の元防衛大臣に言いたい。

切れた。つなぎます。すみません。本件、アベも、ムーミン顔も、関係はありません。
日本時間だと一昨日か?昨日か?何十年か前に日本は真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカへの「宣戦布告」があったか、なかったか、歴史的には、「事務手続きの不手際」で、公式な「宣戦布告」が届かなかったことがある程度は検証されたらしい、けれども、「宣戦布告」が「合法的」に届いていたならば、その戦争は「合法」だったのか?

最後に言っておきたい。韓国では戦争は合法でしょ?日本では、非合法。合法としている国が、なぜ、日本の過去の「非合法」を取り沙汰できるのか?論理的な整合性を求めたい、そんな気がする。

現場実習

反対するなら、文句を言うなら、代案を出せ。
それは絶対に思う。それが出来ないなら、(せいぜい、ネットでボヤくだけに留めて)表立って発言するのはやめろ。それは確かに思う。ただ、ネットでボヤくだけだって、貴重な「少数意見」だったりする訳で、決して意味がない訳じゃないとは思うが・・・クソみたいなアイディアしか出なくても、それがベースで別のアイディアに繋がることは、いくらだってある。あらゆる感情、あらゆる思考を捨てたらいけないと、個人的には常に考えている。(実際、かなり馬鹿げたアイディアも、書き残してはいる。死ぬ前には、ってか、次に繋がったら、全部焼却するけど。)でもなぁ、「反対のための反対」みたいな国会運営は、見ていて情けないし、なんだかすごくモヤモヤする。もう見たくねぇ。

中国の方達にとっては「悪夢」みたいな時代だったかも知れないけれども、かつて、毛沢東による「文化大革命」の頃の中国では、大学に入学するためには、1年以上地方の共産党組織の下で、たぶん主には農村部などで農業実習とか「労働」を行なって、共産党地方組織の推薦がなければ大学入学資格が得られない、そうした制度があった、と、何かで読んだ気がする。正確な記憶じゃない。ただ、今生きている方々にも直接関係する程度に新しい中国の歴史で、そうした「時代」があったのは間違いないと記憶している。
この制度、ある意味で「有益」なんじゃないか、と言う気もしている。

国家公務員の卵、あるいは、卵から国家公務員になった人たちを、高校の同級生でも、本郷の居酒屋でも、結構な人数知っているけれども、会話をしていて現場の泥臭い話をどれくらい理解しているんだか、と、感じることは何度もあった。(でも、10回はない。)個別には全部はすぐには思い出せないけれど、その会話をした時の状況を思い出せれば、きっと会話の内容も全部出てくる気がするんだが、ダメですね。歳のせいか、記憶力が滅茶苦茶衰えてる。

毛沢東の地方組織推薦制度、結構、いいやり方なんじゃないか、とふと思った。日本の国家公務員でも、省内手続きとか、仕事の流れを理解し始めた「2年目」とか、あるいは、民間で言うところの「課長」クラスに昇進する要件として、とかで、例えば、厚生労働省ならば、「介護福祉」の仕事の現場で、下働きの研修を半年くらい行う。例えば、経済産業省の役人ならば、中堅以下の製造業で営業職か何かの業務を(無論、実習中であることをを伏せて)実習として行う。例えば、農林水産業の役人ならば、中規模程度の専業農家で、(繁忙期のスポットでもいいとは思うんだが、)2ヶ月程度実習するとか、文部科学省ならば、普通の小中学校に「臨時教員」として(身分を伏せて)勤務するとか、そうした「受け入れ先」は、地方公共団体とか地方の商工会とか、そうしたところの助言を得て、後々「癒着」の原因にならないように(これが一番、「制度」として反対が出そうな部分かなぁ)注意深く準備して、現場実習を受けさせる。
自治会の仕事をしていて、あちこちで挨拶して言葉を交わして感じたのは、「町役場」には県庁からの「出向」がいる。県庁には国家公務員の「出向」がいる。なるほど。既に、そうした発想はある訳だ。(常識でしたかね?研究・開発系だから、あまりこうしたことには縁がなかった。)だったら、役所に留まらず、もっと「下」まで降りて来てくれ、と思う。

現場を知らなかったら、まともな行政判断なんて出来ないでしょうが。書類を出されて、「面倒臭いなぁ、また仕事が増えた」なんて頭で判断されたら、現場はたまったもんじゃない。一旦、その書類を出す側の、あるいは陳情する側の立場に身を置いて、しっかり経験してから、どうしたらいいか考えてくれ、と思う。
どんなアイディアが出るかは分からないけれど、実際にそれを経験しなかったら、まともな行政は出来ないとも思う。

僕らの感覚で言えば、ハードウェアなら、実際に試作回路を組んでみて、動作を確認する、ソフトウェアなら、そのプラットフォームで簡単な試作アプリを組んでみて、開発性能とか使いやすさの感触を試す。とにかく実際に試してみなければ、何も分からない。ところが、現場のことを何も知らない人間が、机上の論理だけであれこれと決める。これは危険すぎる気がする。その「危険性」に振り回されないように、例えば、商工会議所だとか、経団連だとかが政府に圧力をかけて来たんだろうけれども、そんな生易しい、回りくどいやり方だと、「変化の激しい」時代には通用しないんじゃないか、と言う気がする。

若い人たちの「感性」に賭けるしかない、と思う。20代の入省間もない人たちを若いと言えるのは、「本郷時代」からそうだったけれども、「課長に昇進する」レベルの30代とか40代を指して「若い人たち」と感じるようになっちゃったのは、いかに自分がジジイになったか、ですね。でも、みんな馬鹿じゃない。そもそもが、国家公務員試験に合格した人たちだもの。足りないのは、現場の経験だけじゃないか、と思う。そして、足りないのは、ずっと本質的でディープな体験なんじゃないか、と、すごく感じた。

なんだか、モヤモヤする。ずいぶん前になるけれども、あれが武器輸出三原則を、閣議だけで廃棄した時は、かなり「来た」。その後ももう、平和とは何か、そんな議論をすっ飛ばして、自衛隊の海外派遣の「法整備」を進め、あれやら、これやら(中略)、いや、それなりに仕事も忙しいからニュースなんて「水面」に出たものしか見ていないけれども、あっという間に「移民法」が成立した。
たったの2ページ分だけれども、噛みついた以上は「具体案を出せ」ってなことになるんだろうと、自覚しているから、「頼むから、こうして欲しい」と言う自分なりの具体案を書いてみた。

役人でも政治家でもいいから、海外からの実習生を受け入れている現場に、現場の人間として仕事をしてみてから、制度の詳細を決めて欲しいと思う。

以上

全ての職業を魅力あるものに

こんなページを見つけた。

水道法・入管法改正、なぜ野党の批判には説得力がないのか
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2018/12/post-1051.php

本質的な部分は、いつだって議論されない。なんか、そんな気がする。
あれね、ご飯論争。
元ネタを見てはいないけれど、あれか?盛り蕎麦も、かけ蕎麦も食っちゃったけど、どっちも「ご飯」じゃないから、「あたしゃ、ご飯なんて食ってない」ってな感じか?いや、確認する気もないので、間違ってたらごめんなさい。

専任教員時代、大学のPRで、高校の進路指導担当の先生に入試案内を渡すために「営業」に行かされたことがあった。とある高校で、進路指導の先生がおっしゃっていた。卒業生には、介護福祉士の資格を取って、介護の仕事に就く人もいるけれども、私はあまり勧めたくない。卒業してから、「生活できない」という愚痴をこぼしにくる卒業生がいる、とか、そんな感じの世間話だったと記憶している。
高卒の介護福祉士の「給料」がいくらかは知らないけれども、かなりハードに働いても、月額10万円とかで、結局、結婚も出来ないし、将来への不安が拭えない、そんな感じの話もあったように記憶している。うろ覚えなので、数字も漠然としか覚えていないけれども・・・

言い訳ですが、訪問するのに自家用車の使用を禁止されていたから(万が一の交通事故の際に、大学が責任を取りたくないからなんだろうと理解するが、そんな感じの責任逃れのルールばかりが多い職場だった気もする。で、)最寄駅から結構な距離を歩いて、汗だくになりながら、ボーッとした頭で当たり障りのない世間話をして、入試のパンフを置いて、そんな状態での会話だったから、印象には残っているけれども、記憶はかなり危なっこしい。でも、確か、こんな感じの会話だった。

看護師さんも大変だという話はよく聞く。なんでなんでしょうね?行政機関にとっては、介護も福祉も看護も、大して大事な仕事だとは思っていないから、そういう行政になるんだろうか。根本的な「人手不足」の原因は、ここにあるとは思わないんだろうか?日本人にとって魅力のない仕事ならば、それは外国人にとっても同じでしょう?そこから改善する、という努力を怠ってきたから、今のような状態になったんじゃなかろうか。
で、安くこき使って、要らなくなったら帰国させる、なんてことをやっていたら、日本の評判を落とすんじゃないか?このインターネットの時代。すごいことになりそう。

中小企業では人手不足倒産もあると、今日もNHKラジオが何か解説を流していた。中小企業の場合には、いわゆる「下請けいじめ」で、足元を見られてギリギリまで価格を下げられる。当然、社員の待遇だって大してよくは出来ない。よほど「独自の技術」でもあれば別だと思うけれども、「世間一般」で見たら、そんな会社ばかりじゃなく、「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんていう殺し文句に泣く泣く「わかりました、それではいくらでやらせていただきます。」と答えざるを得ない会社が、どれほど多いか。誰だって、給料の高い会社で仕事をしたい。当然じゃなかろうか。
で、そういう会社の社長さんだの、人事関係者だのが、ストレスを抱えて、酒を飲んで体調を崩したりなんかすると、財務大臣なんかに、「なんで、そんな奴らの保険料を俺らが負担しなきゃならないんだ」とか言われる。何ていう財務大臣でしたっけか?確か、Ass Holeみたいな発音の人。

パワハラじゃありません?下請けいじめって。セクハラに関していえば、この間ラジオで言ってた。「チョコボール」がセクハラだって!?嘘でしょ、と思ったけど、(それで通じちゃう相手も相手だと思うんだが、)そこまでハラスメントに敏感に騒ぐなら、前出した「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんて、どうなのよ、と思う。力関係が歴然としたパワハラじゃないのか?

確かに、構造的な問題で、そう簡単にいかないのはよくわかる。労働関係法の問題ではなくて、個別契約は双方合意に基づく民法の領域だから、「契約した金額」について、殺し文句で脅されて泣く泣くだったとしても、「合意」したならそこには契約の履行義務が生じると思う。(あ、納期・・・自分のことは、棚に上げるとして・・・)とにかく、自民党だか公明党だか、どっちがどうなのかよくわからないけど、安くこき使う側ばかりが支持母体だから、もう強行採決なんて時間の問題でしょ?加えて、今回に関しては、冒頭のNewsweekの記事にもあったけれども、切迫した問題だから、現場ではむしろ歓迎されているらしい。だったら、いいんじゃないのか?強行採決。

ただし、と思う。
数日前かな、これも確かNHKでやっていたけれども、憲法で定める「教育を受ける権利」は「日本国民」に対してのものであって、外国人に対しては自治体の判断に委ねられる、らしい。国って、無責任ですね。

それならば、劣悪な労働環境から逃げ出しました。パスポートを提示したら有効なVisaがないのは歴然としているから、それ以後はまともな仕事に就けない。そういう人たちはどうするんだろうか。
あるいは、在留資格が切り替わったり、一定の期間仕事して永住権を手にしたりして、家族が来日しました。日本語はまともに話せません。子供も教育を受けられません。日本に住むことは出来るけれども、言葉がうまく話せないし、教育も受けていないから、出来る仕事が極めて限られて、結果として仕事がない若い外国人が増えたりしました。そういう人たちはどうするんだろうか。
食うに困った。金に困った。でも仕事は出来ない。さて、どうやって金を稼ぐか。いや、そういう人たちの「参入」を歓迎する「業界」もあったりして。そっちの方がスタンダードになっている国は、少なくない気がする。政治家とか役人って、そういうことは想定しないのか?
何よりも、行政機関がどこも「所在」を把握できない外国人が激増していく、そのリスクは覚悟すべきだろうなと思う。

そもそも、「人手不足」の業界が、魅力のあるものだったら、それほど深刻な「人手不足」にはならないはずで、本質的に解決すべきは、そちらじゃないのか、とは思うが、どちらかと言えば、いくら「問題視」して、いくら騒いでも、政治からは放置されてきた領域なんだろうと思う。その挙句の「外国人労働者」受け入れ。
忘れるんじゃねぇぞ、と思う。彼らだって、人間。高級官僚だの、政治家から見たら、泥臭い仕事をしている奴らは、「後回ししてもいい」という扱いで、そこに人が集まらないなら、「いつでも切り捨てられる労働力を、掻き集めたらいい」という発想なんだろうけれども、たぶん、日本の「人権」問題は、国際的なスタンダードから相当に問題視される状況になるような気がする。

なんて思いつつ、確かに今すぐ「受け入れ」が必要なら、そうするしかないんだろうな、ということも思う。
時間がかかる問題を放置した挙句の、その場しのぎ。
新しい技術を習得するのが面倒だから、ギャンブルで稼ぐ。あるいは、副業が出来ないか、副業なんてしんどいから、サラ金に手を出す。自分たちの待遇が悪くなるのは嫌だから、赤字国債の発行。全く一緒な気がする。

野党にも頑張って欲しいけれども、思わず投票したくなるような主張を展開してくれる政党がないんだもんなぁ。安倍総理がトランプに「歴史的な大勝利、おめでとうございます」とか持ち上げて、海外メディアで散々揶揄されていたらしい。その安倍さんは、「歴史的な在任日数」になりそうで、それは「日本人の選択」の結果だから、仕方ないんじゃないのかな?(私のワープロ、在任日数と打とうとしたら、「罪人日数」と変換しようとした。)

あれか。モリ蕎麦、カケ蕎麦と同じ。「省令に委ねる訳ですから、関係省庁の判断が適切ならば、ご指摘のような問題が起きないように、省令を定めればいいので、問題は起きないと言えます。」なんて答弁をしそうな気がする。(私のワープロ、省令と打とうとしたら、症例と変換しようとした。)治る見込みのないビョーキ。

場当たり的

ニュースに反応。(プログラムのテストコードを書くのに疲れた。検索疲れ。思い付いたことが、全滅状態。これを書いたら、また試行錯誤に戻る。いや、絶対に突破口は見つけるよ!見つけるけどさ、今は疲れた。)

安倍総理。あっけなく「武器輸出三原則」を放棄した。大した反対はなかったのかな?だけど、あの放棄は、100年スパンの長い目で見たら、決定的に日本の進路を誤らせていると僕は思う。もういい。書き疲れた。

かつて、初めて「赤字国債」を発行した時は、「景気が良くなったら、すぐに償還できる」なんていう議論が堂々とまかり通っていたのに、いざ、「赤字国債発行慣れ」しちゃったら、そもそも償還するなんていう発想がなくなって、各省庁、業界団体の言いなりで、何のポリシーもなく、健全性への「骨太さ」もなく、ズルズルと、赤字国債を発行し続けている。じゃなかった、名目を変えて建設国債とかにしたのか?あの「場当たり的」な最初の決断のために、健全な状態に戻るのに何年かかるんだろうか。借金は全部若い人たちに押し付けている。

いや、わかるよ。僕もサラ金の経験はある。一旦最初に「借りて」しまうと、その後は返して、借りて、という繰り返しに対する抵抗感がなくなる。「損切り」するまでにすごく時間がかかった。いい経験をしたと思う。手を出さないのが正解だと、手を出して初めて理解した。協力隊に参加する前だから、30代前半のことだった。
だから、偉そうなことは言えないけど、赤字国債に抵抗感を持たない官僚も政治家も、偉くはないんだろうな。

で、今度は「外国人実習生の受け入れ」か?

面倒臭いから、途中を省く。
いずれ、訴訟が起きた時に、「技術研修生であっても、実質的な業務が正社員などと差がないならば、正社員として扱うべき」という最高裁判決か何かが出て、過去に遡って、日本人並みの基本的人権に照らし合わせて、補償をすることになるんだろうと思う。年金はともかく、健康医療に関する会社負担も同様だろうと思う。これは、どこかの国との国際法的にも解決済みの問題と同様の次元ではなくて、これから起きる、全く「解決済みではない」話題だと思う。

政府は今回、製造業などからの圧力で成立を急いでいるんだろうと思うけれども、それ以前にも介護福祉要員を海外から受け入れる制度を作って来ていた。ぶっちゃけ、言葉を選ばずに書けば、Cheap Labor(=安い労働力)であって、3K(危険、汚い、キツイ)など日本人が嫌がる分野に人を欲しがったり、介護福祉士などのように、公に決められた賃金が安い割には仕事がキツイ領域に人を入れようとしているだけ、だと思う。
発想がおかしくないか、と思う。介護が必要な人が増えて、そこに人手が必要ならば、介護の基本的な賃金を増やせば人は集まるし、税金の投入先を見直すべきじゃないかと私は思う。オリンピックだなんだ、大規模な建築業界を潤すプロジェクトを誘致する以上に、足元を何故見ようとしないのか?看護師然り。公立学校の教員然り。(いや、公立学校の教員は、銀行の融資先では、年金などを考えたら二重丸らしいし、親父やお袋がそうだったから、文句を言っているんじゃないが、でも現役の頃は、当時ですら夜中近くまで仕事を持ち帰ってしていたことがあったし、僕もガキの頃、親父が私費で買った輪転機を回すのを手伝ったことがある。夜中まで、手を真っ黒にしてプリントを作るのを手伝ったことがあった。)
外国人を受け入れたら、公立学校も、医療関係も、それなりに仕事が増えないか?医者だってそうだと思う。医者だって勤務医の場合には、責任に伴うリスクと、勤務医としての給料を対比したら、もしかしたら大企業のサラリーマンの方が(医者ほどの責任が表に見えない分だけ)楽かも知れない。今回の法案を急かしている業界団体は、そうした関連分野への負担を一切考えていないし、政府与党にもそうした関連分野への波及効果を理解する能力がない。最初の赤字国債の発行の時と、全く一緒に見える。

結果的にどうなるか。来日した外国人労働者の基本的人権が、海外からも問題視される状況はあり得ると思う。日本人と同様に扱うことになったら、もはや、Cheap Laborとしての当初の思惑は成立しなくなる。結果として、「日本人にとっても、魅力のある職場にする」のと、「国際社会からの基準で要請される、受け入れの最低基準を満たす」のと、どちらがコストがかかるか、という議論になって、最終的には全体コストが膨らんで、かつ、そのコストを税金という形で回収するのに、日本人にとっても外国人にとっても、不満が膨らむような結果になるだけのような気がする。悲観的な考え方しかしなくて、すみませんね。日本政府には中国政府みたいなやり方はできっこないと思うから。細かい議論の途中は、長ったらしくなって、面倒臭いので省略しました。聞く耳持ってもらえるなら、頑張って、一万字くらいなら書けるかも知れないけど、時間がない。(プログラムの試行錯誤が、最優先だ!)

今、日本人の「国際結婚」の比率がどの程度か、統計をご存知かどうかは、知らない。僕は、青年海外協力隊のOBですから、右翼系の発想とは、悪いけれども一線を画していると、想定はしておいてください。元から住んでる日本人の負担が2割程度は増えても、外国人がどんどんと日本に永住するようになるのは、決して悪いことではないと思っている。もっと異文化を知るべきだ、とも思う。いずれ、「純血」の日本人が減って、海外からの「帰化人」への、受け入れコストが増える、そのことの覚悟が、政府与党にどの程度あるのか、知らないけれども、赤字国債の時と、全く一緒だな、と思った。

赤字国債も、年配者のタンス預金をうまい具合に巻き上げられれば、簡単に解消する、なんていう議論があるらしいから、そんなに心配する必要はないみたいだし、日本に混血が増えるのも、全然悪いことじゃないと思っているから、僕自身は気にしていないけれども、そうなった時に一番気にしそうな人たちが、今の段階では全然気にしていないのは、面白いな、と思った。そもそも俺、タンス預金すらも持ってないし。

武器輸出三原則は、あれをなくしたお陰で、「今度生まれるなら、絶対に日本」と考えていたかも知れない「有能な人材」が、日本を選ばなくなる、そんな気がする。いや、そんな議論、誰にも通じないと思うから、ただ単に私が思っているだけ。どうせもう、どうにもならないし。
だけど、今回の場当たり的な政府の判断は、政府与党にとっては裏目に出そうで、ちょっと楽しみに「結果」が出るのを待とうかと思う。その流れで、ね。いずれ、難民の受け入れ基準も下がると思うな。優秀な「難民」は、世界中にいくらでもいる。能力的にも優れた方々なのに、元いた国の馬鹿な政府のお陰で、母国に住めなくなった人たち。マクロに見て、そういう人たちを受け入れるのは日本のメリットになると思うし、それに付随して、「普通」の難民の人たちが日本に入ってきたって、もしかしたら、介護の現場とか、担ってくれるんじゃないの?なんてことも思う。

スワヒリ語とかタガログ語で「おじいちゃん、大丈夫?」なんて話しかけられても、体を固くするだけの、今の政治家の成れの果てを、見てみたい気がする。受け入れるならこっちだって、相手の言葉を覚えろってば。それをする気がないなら、教育に相当に金をかけるか、受け入れをやめるか、しっかりと考えて、場当たり的な政治はやめろ、と思う。

で、仕事に戻ろう。じきに日付が変わる。それまでに、チェック項目、あと三つ、片付ける!ジャスト30分の暴走でした。(じゃ、ねぇだろ!誤植を校正して、文章を読み直して修正かけていたら、1時間を経過した。あんた、デバッグの時間を見積もらないのは、本当に悪い癖だ。)

カジノ

今朝、車の中でちょこっとだけ聞いたNack 5。朝の番組。日本全国ひろし旅だったかな?大阪万博決定は、関西圏では結構盛り上がっているらしい。
関西圏は今は慢性的に宿泊施設不足で、ビジネスで出張する人もなかなか直近の宿が取れない状態が続いているらしい。海外からの観光客を受け入れるのに、民泊が活況だとか。
ぶっちゃけ、思った。これ以上、どうやって人を受け入れるんだろうか?

東洋経済のニュース配信だったかな?どこで読んだか忘れたけれども、日本に決定的に不足しているのは、「超高級ホテル」らしい。一泊数十万円、スイートだったら一泊100万円クラスの「超高級ホテル」が日本には、ない、って書いていたんだか、海外と比較して圧倒的に少ないって書いていたんだか。細かいところは忘れたけれども。

ビジネスで考えたなら、今あるホテルの何ヶ所かを、そういうホテルにグレードアップしたり、あるいは、新規に建設するホテルをそういうクラスにするとか、そういうのを勧めていた、そんな記事だったと思う。読んだのは1年くらい前か?カジノ法案が(あれ?成立したんだっけか?)話題になっていた頃、だった気がする。

いっそのこと、そういう形で海外から日本にお金を落としてもらう、っていうのは、アリかもと思った。いや、受け入れ数の「絶対数」は増えないけれども、雇用創出、需要創出には、決定的に効果があるな、とは思った。リスクは、原発事故とか、自然災害でのインフラ破壊などで、一旦観光客が激減したら、致命的なんだろうな。でも、ある意味でビジネスはギャンブルですからね。
そして、カジノも、そういうホテル内で、主には宿泊客中心、だったら、いいんじゃないか、なんてことも思った。今日本にないもの、らしいし。宿泊客以外がカジノに入場する際には、50万円くらいのデポジットを打ってもらったりして。それができるんなら、いいんじゃないかな?貧乏人は、そういうところに行っちゃ駄目だと思う。日本人で、どうしてもカジノを経験したいなら、マカオでもラスベガスでも「観光」に行ったらいい。国内では、海外から来た金持ち相手、だけにして欲しいな。
そして、彼らが「日本」を堪能して、豪華な旅行を経験したいなら、そういう選択肢も提供し、しっかりと日本にお金を落としてもらう。リスクはあっても、リターンは大きい選択肢かもしれない。ギャンブルそのものか。

発想の発端は、溝畑宏さんの番組だった。話題が逸れた。今日は一日中「防災訓練」で頭がいっぱいだった。唐突に、午前中のラジオの話題を思い出した。
関西圏でどうやってこれ以上の訪問者を受け入れるんだろう、なんてな疑問だった。住民を5%くらい追い出して、そこを宿泊施設として解放する、なんてどうかしら?なんて書きたかったんだけれども。
案外、関西圏よりも、沖縄とか、北陸とか、北海道とか、地方の方がメリットが大きいかも。

埼玉はなぁ・・・そんなん、作るったって、どこだんべ?秩父?

声掛け

自治会のDIG(災害想定の図上訓練)が終わった。町役場の防災課の方も、お二方同席していただいた。防災課の方の話によれば、自治会でDIGを実施したのは、うちの地区が最初らしい。

とにかくこれで、会計の仕事がやたらと多い体育祭、沼祭り、75才以上の高齢者食事会、防災訓練と、4連チャンが終わった。あとは来年2月の独居高齢者食事会と、引き継ぎの地区総会だけ。総会はともかく、独居高齢者の食事会はお店でやるから、僕の仕事は後は、決算報告と予算作成、総会の準備だけ、かな。もう4年やった。十分。来年度は絶対に、誰かに交代してもらう!

DIGでは、隣組長なども高齢の方が少なくはないけれども、どなたも積極的に、災害想定の意見を出したりされていた。
共助の「避難支援」の優先順位の決定では、4グループ全部が違う順位をつけたのは面白かった。現実問題として、それが必要になったら、(もし、火災が発生したら)たぶん1分を争うはずだから、意見調整をしている暇があるならすぐに動こう、ということになるんだろうか。
いずれにしても、参加者の方々はどなたも楽しんで参加して下さったみたいで、実施して良かったと思う。小学生でも参加できる「ゲーム」らしいから、ハードルも高くはない。

講師の方が仰っていた。お祭りのある地区は災害に強い、らしい。「共助」で、「普段からの心構え」として、地域での「あいさつ」だとか、お祭りなどで住民相互が言葉を交わす習慣が、いざという時にすごく役に立つ、というお話もあった。自治会の役員を4年もやってると、さすがに今日などはもう、参加された方と冗談を言える程度には親しくなってはいる、けれども・・・問題は、アパートの住人だ。

単身アパートとか、一括借り上げ方式のアパートなどでは、不動産屋さんや大家さんを経由して自治会費は支払っていただいているものの、一切交流のないアパートも少なくない。回覧板を回せないから、体育祭の選手を決めるとか、お祭りの案内すら回せない。当然、何人住んでいるか、どんな人かもわからない。今、地区内の人口の3割くらいは、自治会に「形式的」にしか加入していない(自治会費をいただいているだけの)方々、ということになる。災害時に潰れたアパートに閉じ込められていても、誰が何人いるのか全く情報がないから、完全に後回しだろうなと思う。自分でサバイバルしてください、という状況だ。

夜道ですれ違って、声を掛けるか、どうするか、迷う。ご近所の高齢の女性が、「私は知らない人でも挨拶しますよ」とおっしゃった。いや、自分もそうしたいけれども、相手が男性ならともかく、女性だったりすると、「怪しいおじさん」扱いされないか、そこが不安だ。女性の皆さんは、どう思われるか。夜道で知らない男に「こんばんは」などと声を掛けられたら、「地区の住民の、相互交流」だと考えていただけるかどうか。

さらに、帰宅途中の小学生に声をかけようものなら、「不審者に声をかけられた」と言われかねない。翌月のPTAの広報誌に「不審者に声を掛けられた子供がいるので、注意しましょう」なんてなってたりして。
声をかける側が女性ならまだ確率的に低いにしても、子供から見たら僕ら明らかに「変なジジイ」かも知れないし。
お祭りの時に、ビンゴ大会とか、ストラックアウトなんかに参加して、その場にいた大人の顔を覚えていてくれたら、まだいいんだけれども。「君は、どこそこさんちの子だね?」なんてところまで、こちらも覚えきれていない。どちらかと言えば、子供も子連れも、豚汁とか、焼き鳥、焼き餅、焼きそばに夢中だったりするし、大人はビールやら焼酎やらに夢中だったりするし・・・やっぱり、知ってる人とは会話をしても、初めての人と会話をする機会を作るのは、とにかく難しい。

カラオケ大会でも企画しますかねぇ、なんて思いつつ、いや、これ以上仕事を増やさんでくれ、とも思う。
確かに、何もしないよりは間違いなく、「顔を知っている人がすごく増えた」状況ではあるけれども、そこから先に広がらない。「継続は力」なんだろうか。
講師の方が仰っていた「お祭りのある地区は災害に強い」を、信じて、とにかく今の行事は続けていって欲しいと思う。

今年度の「初挑戦」は、隣組長と幹事さんが中心だった。来年度は、子供会と中学PTA、老人会にターゲットを絞り込んでDIGを実施するように、提案してみようか、いや、「実施してください」と引き継げるように、申し出ていようか、なんてことを考えたりしていた。(そうだった、来年度は僕はもう、会計ではない予定だから。)

子供会と大人の行事の接点を増やしたい。だって、不審者扱いされるのは、いやだもの。人相風体だけで判断して欲しくないし。って、当日参加して、顔を覚えてもらえないと意味ないか。僕はまだ、老人会には参加するつもりはないから・・・そうだった。僕は参加できないはずだから、子供会とかPTAと、無理して絡んでもらわなくてもいいかな。(自分本位)

「いきいき百歳体操」には、参加するように声を掛けられてはいるんだけれども、曜日が噛み合わないので参加できていない。あれって、結構いいみたいですね。でも、年配の方には、たぶん、「不審者」とは思われていないから、あとは僕の都合だけの問題。

僕も千葉にいた頃は、その土地の自治会行事には参加しなかった。いつかは、小川町に戻りたいとずっと思っていたから、というよりも、毎週末千葉から埼玉まで(講演会に参加したくて)「帰省」していたから、千葉では自治会に全く参加していなかった。自分がやってなかったことを、他人に求めるのは、変ですよね。だけど、講演会を休んでも自治会行事に参加する、という選択肢もあったんじゃないか、とも、思う。さらに過去に遡って、名古屋圏でアパートに住んでいた時にも、自治会に参加するなんて、考えてもみなかった。防災なんて、気にもしていなかったし、何も起こらないと思っていた。(それ以前に、他に神経をすり潰していた問題があったし。)

「声掛け」が、「安心」につながるのか、不審者として「不安」につながるのか、嫌な時代になった気もする。判断が難しい。
とにかく、大きな行事はこれですべて、つつがなく終わった。よかった。

傷口

何やってんだろ、俺、とは思う。でも、言葉が湧いてきたら、吐き出さないと仕事できない。だから書く。
「年内に仕上げます」なんて約束した仕事が、一つならずあって「年内」って、いつよ?まだまだ?
成長しねぇなぁ、ガキの頃、無限の長さがあると思えた夏休みの終わりと一緒。え?もう、12月?ってな感じで・・・

あれ、次バージョンのISが勃興しようとしているのは、ザイールかも知れない。わからない。今、エボラ出血熱が再び問題になっている地域か?
わからない、本当にわからないから、仮定の上に仮定を重ねてい書いている。師匠じゃないんだから、鮮明な知覚なんて、持ってない。仮に、「アレ」がザイール、もしくは、ボコハラムの支配権の中央アフリカだとして・・・

国境なき医師団は、撤退すべきだ、と個人的見解を書きたかった。地球意識は、今明らかに害とみなすべき意識体の存在が多ければ、容赦無く消し去る「手段」を講じる。地球意識は、その手段としてウイルスを創造することができる。かつては、ペストがそうだった。地球意識が「これで充分」と判断したなら、何も医療的な方策を取らなくても、いつの間にか消える。かつてそれは、モーゼの時にも起きた。正確に知覚する自信がないけれども、「スギコシ」と日本語に訳されている風習は、家々の扉に動物の血を塗って?災いを防いだ?もの?らしい。それは、ペストを媒介する野生生物を家の中に入れない方策を取ったものが、後の世に形を変えて伝わったものだ、と私は理解する。モーゼの意識に地球意識が反応して、ペストが産み出され、モーゼが封建的な政府に圧力を加えるのを手助けした。私はそう理解している。何が言いたいか。ある種のウイルスや細菌による病気は、地球意識が創り出して、ヒトに警告を与えるために、ヒトを正しい方向に導くために、創り出されたものだ、と理解する。

僕自身、一応はかつて「医用工学」に軸足を置こうと決めた。たったの一人でも、自分の技術で救える命があるならば、全力を尽くすべきだと信じた。その辺は、医者や、国境なき医師団に身を投じた方々と同じだと思う。ただ、どうやら、ある種の疾患は違うようだと、今は師匠から聞いて理解している。恐らくは、HIVもそうだと思うけれども、エボラ出血熱は、明らかに地球意識がヒトに警告するために創り出したものだと理解する。エボラに汚染された地域は、国境なき医師団の方々が身を投じて「一人でも命を救う」そのターゲットにすべき地域ではない、と自分は考える。自然災害とか、もっと不可避な状況で苦しんでいて、「今、生き延びれば、今回生まれて生きていることが、もっと他の人に役立つ」と信じて、生き延びた人(子供)がそうした経験をできる場所はもっと他にたくさんあると思う。その「他の場所」に移るべき。政府が腐敗している、それに反逆する側も、人の命、ヒトの尊厳などカケラも理解しない、そういう地域で蔓延する病気には、あるいは怪我にも「手を差し伸べる必要がない」のではないか、と私は考える。
大丈夫。今、その病気で、あるいは、怪我で死んだとしても、本人が死んだことを理解できさえすれば、魂はすぐにも次の経験を持てるようになる。何度でも、ヒトは、ヒトとして生まれ変わって、次の経験を積める。キリスト教的な思考に、そうした発想はないのか?

同情すべきなのは、テロリストや、あるいは、テロリストに便乗して安易に攻撃するアメリカ/NATOやロシアなど空爆に殺された方々じゃない。殺した側の方が、後が大変だと、この理解は、キリスト教徒やイスラム教徒などとも、共有できるだろうか。殺した側の方が、罪が重いケースが圧倒的に多い。この感覚って、果たして、キリスト教徒やイスラム教地に通じるだろうか。僕にとっては、別世界の方々だから、よくわからん。でも、殺した側の方が罪が重いというのは、実際にそうだと、是非、ご理解いただきたい。本当に、殺された側は大丈夫。きっちりと、殺された経験を血肉にして、次は「世界がどうあるべきか、自分はどう生きるべきだったか」その、考える題材として魂に刻み込んで、次に活かせることができると、私は断言します。

それでも、「目の前の死にかけている命を救うことに、どんな意味があるのか」は、ヒトとしての関係者各位の直感と、私の直感とは、たぶん、同じだと思う。「この子が、将来、どんな仕事をするか」それが思えれば、是。私も、医用工学関係だとしても、教育関係だとしても、この点は考える。それだけでいいじゃない。でも、やっぱり、エボラの汚染地域は、「危険を冒して、命を救うために頑張る」のではなく、「封鎖して見捨てる」のが正解、だと、私は考えます。

僕らからしたら、地球意識なんて、十分に「神の領域」だと思う。ヒトとして肉体を持ったモーゼも、イエスですら、十分に「神様」だもの。地球意識は、その上、なんだから、私にとっては、認めないわけにはいかない。。だから、「命を賭して、エボラの汚染地域でヒトの命を救う」ことは、状況に応じて、「見捨てても許される」という発想は持って欲しいと、強く願う。

海外の「医学常識」は知らない。ただ、日本では、日本褥瘡学会だったかが、「傷口は、乾燥させるべき」というかつての常識をひっくり返して、「湿潤環境を保った方が、傷口の治癒が速い」と発表してから、「常識」が逆転した。「世間の常識が変わったから、絶対この問題は、臨床工学技士の国家試験に出るぞ」と、予告して、外科学概論の出題予想をしたことがあったけど、何人まともに聞いていたか。出題予想が当たったのに。おい、K、お前寝てただろう。あの補講の時!

傷口から、血が流れ続ける。「乾かす」=「医療行為を施す」のではない、流し続けるテロリストがいるならば、その地域を封鎖して、血が流れ続けるまま、放置すべきだ。撤退してもいい、自分はそう考える。消毒なんかするよりも、長い目で見たら、その方が根本的な治癒につながる、そんな気がする。私たちだって、かつては「テロリスト」だったかも知れない。みんな、いったい今回が何回目だと知っているのか。初めて、だと思っている人が大多数。仕方ない。「アドリブ」の能力を鍛えるのに、「台本」を知っていたら、意味ないから。そして、「アドリブ」で問題解決できるのが、ヒトとしての真骨頂で、そのプロセスには、僕ら自身が殺人鬼になった経験だって、絶対にあるはずだし、かつ、殺された相手だって、「なぜ、殺されることになったのか」そのプロセスを考えて、次に活かす機会を、誰もが持たされている。ボコハラムとか、ISがらみの殺戮の現場は、私もネットで見てはいるけれども、大丈夫、きっとどちらも経験として役に立っている、と思った。

くどいね。これで終わる。

物流の仮想化

経済の仮想化、なんてことを考えていた。流れに乗り切れない個人事業者とかは、大変な時代だとも、思った。

東京のお店からXという商品を大阪のAさんがネットで買い、同じXという商品を東京のBさんが大阪の会社から買った、とすると、マクロには完全に無駄な物流が発生する。個人の購買情報のようなプライバシーを漏洩させずに、マクロにこの問題を解決するには、どうしたらいいんだろうかと考えていて、ふと思った。

物流も仮想化したらいい。そのためには、商品の「所有権」の移転を、「エンドユーザ」が購入するまでは「モノ」の移動を伴わせない形で行えばいいんじゃないか、と思った。

製造業のM社が、Xという商品を製造しているとする。付加価値を付けるかどうかは別にして、それを、商社である東京のP社と大阪のQ社が購入したとする。この時、M社は提携先の物流倉庫業のS社にXという商品を出荷し、P社やQ社は、そのXという商品のエンドユーザではないため、価格を支払い、M社に商品の保管を委託する、とする。
この時、Xという商品の所有権は、P社にN1個、Q社にN2個という「情報」が発生しただけの状態で、「どれがP社の所有」とか「Q社の所有はこれ」などと特定されない状態でS社に保管される、とする。そして、ネット経由で東京のAさんが大阪のQ社から、大阪のBさんが東京のP社から購入した際には、いずれもS社の倉庫から「エンドユーザ」であるAさんや、Bさんの元に出荷される、とする。ここで、S社が東京と大阪にそれぞれ倉庫を持っていて、どちらにも同じXという商品を適正数在庫していたとすると、「最も近い倉庫」から出荷する、とすることで、無駄な物流を省ける、と考えた。

従来の問屋に相当する中間的なバイヤーが購入する場合には、「所有権」の情報を購入した商品群に「個数分のタグ付け情報を発生させる」だけで、実際の物流を発生させず、エンドユーザが購入した際に初めて「モノの輸送」が起きるようにしていけば、マクロに見て、物流コストを抑えて、余分な二酸化炭素排出を抑えられるのではないか、と思った。

エンドユーザは、「価格.com」のようなサイトを見ながら、だいたい一番安いところから買う、ような気がする。他の人のことは知らないけど、私の場合には安いところを探して買っている。そうとなると、毎回似たようなお店になって来て、案外巨大な店舗を持っている名の通ったお店ではないところになったりする。その理由は、もしかしたら、店舗のコストが商品価格に上乗せされているから、かも知れない。だとしたら、アマゾンのように小売の店舗を持たない店が最も有利になる、ということなんだろうか。

アマゾンに太刀打ちしようとするなら、最終的な輸送コストまで含め、物流倉庫に特化した「製造元」/「販売元」と「エンドユーザ」を結び、全国に分散した拠点を持つ、前述のストーリーのS社のような存在が必要になってくるのではないか、と思った。

経済は「無駄」によって潤う、という話を以前聞いたことがある。無駄によって、お金がばら撒かれる。二酸化炭素を排出しても、全く同じものを、一方では東京から大阪に運び、他方では大阪から東京に運ぶ、そうすれば、その分の「無駄」は運送業者の収入になる。だから、この考え方が「最適解」ではないかも知れない。ただ、マクロに見て、これ以上の二酸化炭素の排出は、地球への環境負荷が看過できない状態である、そんな気もする。

個人商店でも、自分で何かを作っているところは、こうした「仮想化」にも乗りやすいと思う一方で、「シャッター商店街」のお店などは、「仕入れて売る」だけなので、アマゾンなどには相当に客を食われているんじゃないかと思えたし、結局この発想では、個人経営のような「小売業者」は救えない、ようにも思えたけれど。それに、私のところみたいに「カスタマイズと付加価値」で勝負している会社にも、全く関係ない話ではあったけれども。

荒削りな発想だけれども、とりあえず、考えるともなく考えちゃったから、書いてみた。こうして、吐き出して、スッキリして、別に考えたい話題に切り替えたいとも思っているので、書いてみただけ。

第2のIS

後藤健二さんの時と、同じような夢の見方(起き方)をした。
自分、何をやっているんだろうとも思うけれども、書くことをためらわないことにした。間違っていたとしても、覚悟する。すべては、読み手の方に委ねます。

400人くらいの犯罪集団が台頭しているかも知れない。これからまだ、勢力を大きくしそうな雰囲気があった。いや、これから規模が大きくなる。そう見えた。

中心人物は、まだ若い女性かも知れない。元々は犯罪被害者だったようだが、被害者なのに加害者をてなづけて、いつの間にかリーダー的な存在になった、ように見えた。

病院に向かう車に、4人ほど乗っていた。彼女はその4人を「病院の必要がない状態」にした。その中の一人からは、これを見ろと言わんばかりに、呼吸のチューブを引き抜いた。そう見えた。

夢の中で、僕にその夢を見せてくれた人に何かを聞かれた。思い出せない。その問いに僕は、この集団はいずれ国家を名乗るところまでいくと思います、と答えた。その人は、その答えで合っている、正解だよというように、私の答えに微笑んでくれた、そんな気がした。

自分が夢で見た光景は、そこまで。ここから先は、起きてから考えたこと。シリアの方なのか、と最初は考えた。いや、もしかしたら、中米、ホンジュラスとか、その辺なのか、とも思った。

夢の中で、この夢は特別だと思わせてくれるようなサインがあったけれども、それは書きません。ただ、とても気になった。不安を掻き立てられた。再び、俺にどうしろ、と?ほぼ、今日一日、どうしようか悩んだ。結局書くことにした。

空振りであることを、祈ります。ただもし、国境なき医師団とか、アメリカのCIAとかに、これに該当する情報が入っているのならば、警戒して欲しい、ISのようなことになる前に、未然に対処して欲しいと、強く願う。そうではない、単なる私の暴走であることを、それ以上に願う。

経済の仮想化

コンピュータサイエンスで「仮想化」を言う時、「実体(Entity;エンティティ)を伴わない」という意味と、もう一つ重要な意味があると思う。それは「抽象化(Abstraction)」であり、「実体と切り離した本質だけを抽出したもの」というニュアンスがある、と自分は理解している。

システムを設計する際、「個々のデータ」という「具体的事実」と、そのデータに共通する「性質」という「抽象化=仮想化現実」の二つを頻繁に行き来しながら、ロジックを組んでいく。私の場合には、ですが。
具象(自他が経験した事例)や、お客様の求める要求仕様を最初から最後まで一気に眺めて、部分と全体とを完全に一貫させて、矛盾を取り除いてから、抽象化した性質(Characteristics / Attributes)を抽出できないと、システムとしては成立しない。とは思うのだけれども、なかなか難しい。

インターネットの普及に伴って、今、様々な物事の「仮想化」が高速に進展しているように感じる。このページで題材にしたいのは、「キャッシュレス決済」とか「インターネットモール」など。

昔は、商店が土日休みとか、午後5時で閉店とかで、最悪金曜日の夕方必要になったものが、月曜日の朝にならないと手に入らないとか、そんなのは当たり前だった。
我が家では、親父が心配性で、あらゆるものの「ストック」があった。米や味噌、醤油などの食料は言うまでもなく、トイレットペーパー、電球、蛍光灯、電池、さらには雨漏りの補修剤、まるで、今時のホームセンターを小さくしたような「保管スペース」があった。(今でもある。)僕も親父のことは言えないが、ストックしたものがどこにあるのか忘れて、また買ってくる、と言うことがよくあったようで、家の中のモノを整理して分類して一箇所に寄せると、あちこちから電池のストックが出てきたりしている。古い乾電池がどうなるか、皆さんよくご存知だと思うが・・・
ところが、これは明らかに「昔のライフスタイル」で、今の日本ではもう「蓄える」必要がほとんどない。コンビニがある。それどころか、ネット通販があって、以前だったら「仕方ない、来週の月曜日は秋葉原に買い出しに行くか」なんて、覚悟を決めて、半日がかりで買い出しした部品が、今時は「ポチッ」だけで翌日には手に入ったりする。それが前提の生き方も、「あり」だろうと思う。ここで使われるのは、大半がクレジット決済などの「キャッシュレス決済」だから、若い人たちにとっては「キャッシュレス」も、さほど抵抗感がないと思う。

問題は「年配層」だ。政府が、消費税の値上げに合わせて、キャッシュレス決済に合わせて5%のポイント還元だとかを考えているらしい。狙いはわからんでもないが、町の小規模な商店さんなどが、クレジットカードとか、交通系マネーだとかを扱えるかどうか。

「買い物」だけに絞って言えば、「インターネットモール」だけでほとんど困らない。それならなぜ、各地に「大型のショッピングモール」が次々と出店しているんだろうか?生活必需品をインターネットで買う、と言う習慣がないから、と言うこともあるだろうけれども、「生活している実感」はどこから来るんだろうか?もし生活必需品を全てインターネット購入なんかしたら、もう、物流は大混乱だろうな。食料品などは、外出困難者でない限りスーパーマーケットが中心なんだろうと思うけれども、決済にはクレジットカードを使う人が随分増えているように見える。案外、じわじわと「キャッシュレス化」は進行しているように感じる。年配層は、お金を使う側も、支払いを受ける側も、取り残されつつある。そしてその「生活している実感」も、「それしかない、という思い込み」から来ているとしたら、何が実体(Entity)で、何が仮想(Virtual)なんだろうか?家の中に山ほどストックを残した親父の人生は、何だったんだろうか?

「経済」と言う言葉の定義を僕は知らない。知らないけれども、見た感じ「価値交換、価値創造」に関する学問だとするならば、「商店」と言う「価値交換の場所」がどんどんと「仮想化」されている流れは止め難いんだろうと思う。間の「流通」を省いてコストを下げることも可能になっている。ここでの「仮想化」は”Virtualization”(本質の抽出)に近い行為なんだろうと思う。
結果として、ザルの中に小銭を入れて管理する個人商店とか、サバイバルが難しい時代になりつつあるのかも知れない。余談ながら、僕の会社は(今、サーバトラブルでHTTPSが使えないでいるけれど、)決済代行を使ってクレジットカードでの支払いも受け付けている。地銀や信用金庫さん、農協さんなんかが中心になって、そうした地元密着の「決済代行」を格安で提供したりしてくれたりとか、できないものだろうか。電卓型の画面表示(画面って、液晶タッチパネルを使えば値段が跳ね上がる。普通の「電卓」インターフェースや、7セグメント数値表示LEDで十分か?)で、金額を入力し、カードをかざすと、あるいはカードを差し込んで暗証番号を入力すると、その金額の決済が完了する。そんな感じの、個人商店向けの決済端末を、7〜8千円程度で提供できないものなんだろうか。数万円は高すぎる気がする。部品単価から計算したら、そんなもんじゃないかと思うんだが、何がコストのネックになっているんだろうか?インターネット接続には月額やはり千円程度はかかるかも知れないけれども、こういうのは、(金融機関さんにとっては、スケールメリットが全くない話だから、)もしかしたら地元の商工会とかが中心になって「格安端末」の自主開発とかやらないと、どうしようもないのかな?この流れは、止められないような気がする。

もしかしたら、と思う。地域の個人商店などは、「価値交換の場所」としての意味を失ったとしても、「ショッピングモール」が存在できるような理由となる「人と人との触れ合う場所、生活の実感を提供する場所」としての意味があるのならば、生き残れるような気もする。ただ、それが出来るためには地域にある程度の人口密度が必要で、シャッター街が出来たような場所ではもう、淘汰寸前なのかも知れない。
それでも、一軒でも多くサバイバルして欲しいと考えるなら、低価格なキャッシュレス決済の端末の普及は、必須な気がする。本当に、サバイバルだよなぁ。

両極端があるのが寂しい。何十億の年俸をもらっていても不足に思っているらしい、カリスマがいたみたいだ。その一方で、100円の利益を出すのに、どれだけ売らないとならないか、悩んで、売上を実現できなくて、自殺する人もいる。どちらも、違うでしょ、と思う。人生なんて、今回が最後じゃないんだから。

ただ、「人は、何のために生きているか」と言う話題は持ち出さない。もう書かない。聞かれたら、答えは持っているし、過去随分書いてきたし、きっと話し始めたら止まらない。ただ、より「効率よく」多くの人が自己実現していくためには、「無駄を省く」ことは良いこと、なんだろうと考える。この過渡期、考えるべきこと、やるべきこと、できることは多いようにも感じる。

個人がインターネット経由で簡単に買い物をする、一見中間マージンを省いて「効率化」しているように見えながら、実はものすごい「非効率化」が進んでいる部分もあるような気がする。例えば、東京のAさんが、大阪のネット商店からXという商品を買った。その全く同じXを、大阪のBさんが東京のネット商店から買っていたら、そのXという商品は、同時に、一つは東京から大阪へ、もう一つは大阪から東京へ、と逆向きの物流に乗って移動する。相殺すれば物流コストを削れるのに、それぞれが個人購入だから、この「無駄」が見えてこない。と思う。
かつては、「問屋」などの「中間業者」があったために、ある程度この物流の最適化がなされていたのかも知れない。この問題を解決するためには、「個人の購買」の情報までどこかに寄せなければならず、明らかにプライバシーの侵害がある。何らかの施策を行わないと、二酸化炭素の排出量とかにも相当な悪影響を及ぼしそうな気がする。同じことが世界規模でも起きるんじゃなかろうか。

「箱物信仰」の行政トップの思考なのか、東京オリンピックの後は大阪万博が決まり、どちらも「経済効果」が謳われている。でも、潤うのは土建屋だけ?じゃないか、と言う気がする。確かに、納入する企業などの裾野では恩恵に被るところもあるだろうけれども、やはり、そう言う経済団体がバックアップしている政党が今「一強」状態だから、どうにも流れは止められないのかもしれない。

「経済が仮想化」する中で、仮想化できない領域は何だろうか、と考えてみると、例えば、医療、福祉、保育、教育など、「ヒト」に対するサービスを提供する経済活動じゃなかろうか。この領域は、「価値交換」の中間プロセスが最初からない。消費税など、当初はこれらの領域に税金をより多く投入できるように、というようなお話だった気がするが、何だか優先順位を一番最後に下げられて、大都市圏の箱物ばかりに資金投下されているように感じて、すごく「変な感じ」がする。なぜ消費税を上げなければならないか、の、議論の発端がどこかに置き忘れられている気がした。その消費税を上げるショックを緩和するために、キャッシュレス決済で5%の還元?どういう思考プロセスなんだろうか。部分最適化?

僕が一番苦手なのは、この「部分最適化」で、悪い癖で、一旦全体の流れを耳にすると、どうしてもその全体の中でしか部分が考えられない。だから結局、こういう議論の仕方をしてしまう。「この部分だけを切り取って、考えてください」という課題を持たされても、ダメだよなぁ、つい、全体との繋がりがくくり付いてしまって、部分の切り出しがどうしても出来ない。
そういう人間が書いている話題だから、もしかしたら、致命的な間違いがあるかも知れないが、その点はご容赦願いたい。

昨今のニュースを聞いていて感じた違和感を、言葉にしてみた。

仮想現実

2025年の大阪万博が決定したらしい。ラジオのニュースを聞き流していたら、「今時、そんな金をかけるなら、仮想現実で十分じゃないか」なんて声が流れていた。僕の意見は、これに一番近い。

実を言えば、僕は「万博」と称するイベントに一度も行ったことがない。大阪万博、沖縄海洋博の頃はまだガキで、連れて行ってもらえるなんて期待できる経済状況じゃなかったし、筑波の科学万博は、誘う相手がいなくて、一人で行ってもつまらないと思って行かなかった。そう言えば、名古屋でも何かあったっけ。行かなかった理由は、筑波と同じか。全然、後悔なんてないけど。

今時だと、展示って言ったって、単なる「置物」だと出展者がバカにされるだけだろうから、「参加型」とか言って、何らかのインタラクティブな仕掛けをするに違いない。そうすると、どのパビリオンに行ってもメディアラボ、あるいは、メディアラボの二番煎じ、三番煎じみたいな展示ばかりになってたりして。
じゃぁ、拡張現実(Augumented Reality)で、参加者全員がヘッドギアみたいなのを付けて、音と映像とで何らかの「展示」を「体感」する、なんて企画も当然あるんだろうけれども、ぶっちゃけ、2025年にそうした仮想現実用、拡張現実用の個人向けデバイスは、どの程度進歩、普及しているんだろうか、と考えるに、結構あちこちの自治体なんかが、観光開発で「拡張現実イベント」みたいなのを展開できる程度まで、デバイスや通信環境、アプリのプラットフォームが普及していそうな気がする。そうなってくると、今更「大阪万博に行ってみました、でも、何がそんなにすごいの?」みたいな程度に、各社が目一杯頑張って「展示」したものが、世間一般と比べてどれほど「すごい」のか、ほとんど見分けがつかないような「どこにでもある」展示ばかりになっていそうで、冒頭の「今時、そんな金をかけるなら・・・」の見解に落ち着く。何だか、想像しただけで、あ、この程度なら行かなくてもいいや、なんていう気分になってしまった。こうやって、過去の万博も全部スルーしてきた私。

視覚とか聴覚とかは、比較的騙しやすい気がする。特に、3Dゴーグルだのステレオ音響だので、かなりの臨場感は作れると思う。味覚は別にして、そこに嗅覚とか触覚刺激(風を吹かせる、温度を変える、霧を出す、など)を組み合わせると、結構臨場感は作れると思う。ただ、人間の感覚って、本当にその五感だけなの?と思った。結構大事な「感覚」を忘れている、と思う。
えぇと、決して、超感覚的知覚の話題を持ち出そうとしているのではありません。

体性感覚と、重力などの三半規管が感じる感覚。
例えば、遊園地の絶叫マシン。あれは、視覚的な刺激は無論あるけれども、加速度が直接三半規管を揺らす。それに、体を支えるために筋肉や骨格が感じる体性感覚とか、安全バーのような器具からの触覚が加わって、複合的に感覚刺激を与えていると思う。あの、三半規管が感じる重力やら加速度、重力とか体の動きから「内部的」に発生している体性感覚などは、五感のどこに含まれるんだろうか?特に、三半規管の感覚は、五感のどこにも含まれていない気がする。

そして、三半規管の刺激だけは、全身が加速度を感じないと刺激されない。

僕は、絶叫マシンは大好きだけれども、実を言えば、20代の終わり頃メニエル氏病になってから、三半規管が恐ろしく鈍くなっていることに気づいた。それに気づいたのは、絶叫マシンだったかも知れない。体はGを感じているのに、上下感覚がない。試しに目を閉じただけで、実は、どちらが上でどちらが下か、全く感じることができていないことに気づいて、かなり驚いたことがあった。それに気づいたのは、絶許マシンだった。そして、メニエルの発作、めまいの発作が結構頻発していた頃に、めまいの発作が唐突に起きると、突然、自分の体性感覚が狂って、例えば、倒れるにしても、自分がどちら向きに倒れているのか(視点が定まっていないから、視覚情報はそもそも頼れなくて)ほとんど受け身が取れない状況で棒が倒れるような倒れ方をする。それで、全身前のめりに棒状に倒れて、顔面を強打して、上の前歯を折った。逆に言えば、絶叫マシンに乗っていても、三半規管はほとんど反応していなくて、僕が実際に感じている「体の揺れ」は他の人とは全く違うんだろうな、という結論に至った。
学位論文を書いていた頃、だったかなぁ、カナダのモントリオールに、博士課程の学生のI君だったかなぁ、一緒に行った。時差ボケで、何だか体がシャキッとしない。じっとしていると眠くなる。どうしようか、なんていう話をしながら、モントリオールには結構規模の大きい遊園地があって、「どうせ学会会場に入っても、暗くなってじっとしていると眠っちゃうだけだから、遊園地で眠気覚ましをしようか」なんて話しながら、遊園地に行った、なんてことがあった。日本の遊園地では信じられないくらい空いていて、絶叫マシンに3回連続で乗った。ところが、I君は青ざめていて、僕は全然平気で、I君が「ちょっと休ませてください」なんて言っていた、そんなことがあった。
ところが、これはモントリオールじゃなかったかも知れないけれども、「絶叫マシンもどき」で、画像だけを目の前に大写しにして、座っている座席が若干前に傾いたり、左右に揺れたりする、かなり「もどき」なアトラクション(テレビの番組で、トロッコがちょっと揺れたり、前後左右に傾いたりするのと、映像が連動する、あのタイプの仕掛け)があって、その時一緒に遊びに行ったのが誰だったか思い出せないんだけれども、みんな、「こんなショボいの、全然面白くねぇじゃん」とか言ってるのに、実は僕だけは、かなり酔いかけて、気持ち悪くなりかけていた。痛感したのは、三半規管が機能していないから、体性感覚を把握するのに僕自身の脳は、大半を視覚情報に頼っているんだろう、ということだった。だから、視覚情報で、ああした上下左右に猛烈な勢いで(おそらく、現実の絶叫マシンでは実現できないほどの高速で)映像が切り替わる、しかもそれが目の前いっぱいに大写しで広がっているアトラクションでは、完全に脳が騙されて、猛烈な「酔い」を経験してしまう。
安上がりと言えば、安上がりなんだけれども、メニエルの発作の時のように三半規管がイかれているお陰で、受け身が全く取れない、なんていうのは、ちょっと怖い状況でもある。

私の場合には、体性感覚の一部が壊れているから、視覚情報だけでかなり騙されるかも知れないけれども、ただ、「臨場感」を完全に再現するためには、三半規管を揺さぶるような状況を作らないと、完璧に「臨場感」を演出することは困難、なんじゃないかなと、思った。

7年後、でしょ?だったら、多分、ARのプッシュ通信なんかで、WEBにアクセスすると「ジェットコースターもどき」の映像を体感できるシステムは、作れていると思うし、それこそ、ワンコインで(100円か500円かは、なんとも言えないけれども)ゲーセンで遊べる、なんて感じにはなってるような気がする。それどころか、ちょっとお金を出して、数万円?数千円出したら手に入るAR用のデバイスを中国あたりが売り出しそうで、家庭でも簡単にVRやARを経験できる、そういう時代になっていそうな気がする。7年後、ですよ?今の技術革新のペースから考えたら、「とてつもない未来」だと思う。
そんな時に、「これが未来だ」なんて、パビリオンでどんな展示をするのか、何だか、出展する企業の方々が、気の毒な気もする。というよりも、そこから先、メディアラボとかプロジェクションマッピングのさらに先をいくアイディアを、どうやって出すか、が大変なんだろうな、という気がする。

となると、私のように三半規管や蝸牛感が潰れていて、片耳だけで生活し、体性感覚を視覚に頼っている人間のように、他の皆さんも「一時的に、体性感覚を麻痺させたら?」なんてことを思いつく。ごく一過性で、体性感覚が一時的に麻痺するクスリ。これを服用してから「絶叫マシンもどき」のように、というか、陳腐なARやVRでも視覚的な揺さぶりをかけたら、みんなすごく「臨場感」を感じるんじゃないの?なんてことを思った。副作用として「体性感覚の麻痺」が起きるクスリは、確かいくつかあったような気がするけれども、何だか、だんだんアブナイ方向に話題が傾きつつある気がした。
ですからね、アイディアなんて、とにかく数を出すことが勝負なんですってば。さすがに、このアイディアは没だろうと、自分でも思う。(ですがね、没になったアイディアが、別のアイディアを誘発する、ってことはあり得るので、書いてる。)
一見関係なさそうな話題をどんどんとつなげて、点と点を線で結べる人でなければ、未来は見通せない。

ただなぁ、大阪万博のパビリオンで、一体どんな「展示」が繰り広げられるんだろうか。万博開催に突っ走った人たちって、「実際にどんな展示をするか」を考えてから、「やる」と言い出したんだろうか?疑問ですね。万博やりゃ、人が集まって経済効果がある、なんて、どういう根拠で考えているんだろうか。言った誰もが「つまらなかった」「あんな程度か」なんて言い出したら、逆効果じゃなかろうか。

万博に行った会場で、散々「仮想現実」だの「拡張現実」だのを見せられるだけなら、なんでわざわざ大阪まで行く必要があるの?という疑問は絶対に出ると思う。どこかの国の大統領が、地球温暖化のメカニズムを全く理解できないで、フェイクだフェイクだと叫んでいる。それと同じように、経済効果、経済効果と叫ぶだけの政治家は、極めて個人的な見解として、邪魔なだけだと思う。多少なりとも、時代を読んだらどうなの、という気がした。

いや、否定的な文章で終わったら、寂しいだけだから、あえて書くならば、メディアラボだの、プロジェクションマッピングだのが陳腐化するくらいの新しいアイディアを出して欲しい。ここでも、若い方々に期待します。人材発掘でしょうね。潰さないように。いや、突拍子もないような話題を持ち出すと、絶対に「わけのわからんことを発言するな」って言って、潰しにかかってくる人が、どこに行ってもいた。それで、数千万円の損失が出るのをただ黙ってみていたことがあった。日本の社会は保守的すぎる。

とにかく「技術の汎用化」の速度が半端ないから、万博ならではの新規性を打ち出そうとしたら、決して簡単な話ではない、という覚悟は必要だという気が、すごくしている。

低アルブミン血症

透析の患者で、肺に水が溜まる、などの症状を呈した場合には、低アルブミン血症を疑うのは、「アリ」ではないか、と私は思う。私は、医者じゃない。医学系の研究もできる立場ではないけれども、一応は医療機器開発を看板に掲げてこの分野にいて、一応は、臨床工学技士として透析を扱うことになる人たちに教える立場でもいる都合上、ある程度の自信を持って、これは感じた。

肺に水が溜まる。だから、ドライウェイトを下げればいい、というのは、あまりにも短絡的な処方ではないかと思われた。膠質浸透圧が低下している、のは明らかだと思う。だとしたら、どんな理由が考えられるのか。透析中に血圧が大きく変動する、としたら、それも膠質浸透圧の低下を示唆しているように、私には思える。医者じゃないけど。その原因を調べるための「血液検査」に、保険点数がつかない、のかどうかは知らない。直接的に保険点数がつかないなら、他に検査する口実なんてあるだろうに、ってな気もする。

じゃぁ、低アルブミンだとわかって、どうしたらいいか。
素人考えだけれども、たんぱく質の摂取量を増やすんだろうか。で、食事から摂るのが困難だとしたら、今だったら、ウィダープロテインだとか、簡単に飲めるのが結構あるような気がする。

筋肉オタクが好むプロテインは、実は腎臓を痛める、という話を何かで読んだことがある。学術論文でないのは確かだけれども、医者が何かを言ったのをメディアが膨らませたのかも知れない。でも、すでに腎臓を痛めて、透析をしている人に、今更腎臓を痛める心配をする必要があるんだろうか、なんてことも思う。アミノ酸サプリなんてのも、少なくない。それで改善する可能性は高い気がする。

ただ、それがいいと断言しきれないのは、私自身、アルブミンが体内で合成されるに至る代謝のメカニズムを理解していないからで、ただアミノ酸だのプロテインドリンクだのを摂れば、低アルブミン血症が解決される、とは言い切れない、と感じているから。でも、絶対量が不足している状態ならば、プロテインもアミノ酸サプリも、摂るに越したことはないような気もする。絶対量不足は、何としても解決すべき、だと考えるなら、筋肉オタクの真似は、これも「あり」だと思う。

さらに思うのは、何か補酵素とか酵素の不足とか、見つかっていないんだろうか。

最近、すごいなと思ったのは、100均のキャンドゥで、100円のサプリを何種類も売り出していること、だった。ビタミンミックス、だの、αリポ酸、アスタキサンチン、コンドロイチン、あれやこれや、何種類も揃っている。だいたい2週間分で100円。ラジオのCMを聞いていると、一ヶ月で数千円、とかの感じだったのが、一ヶ月200円で試せる、ってのは嬉しい。かつ、あれこれ試し始めて2ヶ月も経っていないのに、個人的に私は明らかに体調がいい。体が軽い。階段上りの1段飛ばし復活。
この話を、知人と話していたら、「でも、高いのと安いのとでは、純度が随分と違うみたいですよ。」なんて話も聞いた。

ここは私個人の感覚だけれども、できることなら必要な栄養素は食事から摂りたい。けれども、この歳になると、あちこち不調も出てくるから、だとしたらサプリもあるかな、多少補いたいかな、でも、体がサプリに慣れてしまうと、今度はそのサプリを摂らないと体調不良を起こす事態になる、なんてことは、容易に想像つくな。CMの「今では手放せません」なんてのは、ゾッとする。タバコだけで十分。だったらサプリはやめようか。ってな発想だった。
でも、2週間100円だったら依存症になっても構わないし(いや本当に、依存症はタバコだけで十分、)価格を考えたら依存症になったって、全然気にならない値段になった。むしろ、安いってことと、純度が低いかも知れない、ってな話題は、両方ともメリットのような気がした。
それで、結構あれこれ試し始めて、もう2ヶ月になるかな。絶好調というか、明らかに何か効果は出ていると思う。仕事の捗り方が違うんだもの。
いつか近い将来、忙しい時の食事は錠剤だけで十分、なんて時代も来るだろう。だとしたら、「食事依存症」なんてことは、あり得ませんものね。

100円のブルーベリーのサプリ。それと、300円の目薬を組み合わせていたら、老眼が解消されて、かなり近いところでもピントが合うようになった。一ヶ月500円かからずにこの効果。文句なし。今また裸眼で新聞も学術雑誌も楽勝になった。キャンドゥはすごいと思う。

話を戻して、低アルブミン血症でも、こうしたサプリのどれかが役にたつ、ってなことはないかと、すごく感じている。たぶん、何か補酵素とか酵素が足りていない。そんな気がする。その状況に置かれた方が、ご自身で試される以外に「どれか」ってのはわからない、とは思うけれど。

一応見かけ上健康体の私などが、こうしたサプリを摂る。漢方の考え方だと「未病」という概念で扱われて、西洋医学ではいわゆる「予防」に属するのかも知れない。ただ、医学ももっと視野を広げて、健康栄養の分野で使われている手法も、積極的に治療に導入したらどうなんだろうか、と、そんな気がした。ジェネリックよりも、さらに安いと思う。

文化摩擦

なんだか、ここのところ中国を巡っての雰囲気が良くない。
スェーデンでの一件の後の、テレビ放送。イタリアのブランドのTVコマーシャル。
そして、パキスタンでの中国総領事館襲撃。

かつては、パックスアメリカーナに対する世界的な反感が、確かに底流にあった。カナートというかワジのように、雨季になると川になるのに、普段は表面化しない。それが一気に表面化したのが9.11だったようにも見えた。世界中にマクドナルドのハンバーガーショップがあり、世界中で若者がジーンズを履く。世界にアメリカの文化があふれた反動は、おそらく底流にあった。
それが今、中国に置き換わろうとしているんだろうか。

https://www.asahi.com/articles/ASLBS56B7LBSUHBI02H.html

かつてのアメリカに近づいているような気もする。中国製品が溢れているのは、日本だけではないのかも知れない。そうした「製造力」に加えて、中華思想というか、世界中どこに行っても中国のスタイルを一切変えようとしない点が生活者の反感を買っているんだろうか。

それよりも気になるのが、パキスタンでの総領事館襲撃。元々気になっていたのは、新疆ウイグル自治区でのムスリムの強制収容所。イスラム圏の方々には、どう見られているんだろうか。

いわゆる「テロリスト」は、本質的にイスラム教とは無関係だと私は理解している。なんらかの大義名分を求めて、いわば「口実」としてイスラムを掲げているだけで、彼らをイスラム教徒だとして認識したなら、多くのムスリムは憤慨するようにも自分は感じている。
本質的に問題なのは、暴力で「支配」することで優越感を感じ、そうすることでしか自己実現出来ない人の心の方にある、とも思う。加えて、再三書いているが、世界中に銃火器の輸出をやめない国々があって、欧米ばかりではなく中国やロシアもその一端を担っているとも思う。皮肉なことに、そうした銃火器が輸出元に向けられたのが、今も続いているテロリズムの問題だとも、私は考える。銃火器を規制すべきなのだと思うが、きっと笑って相手にされない論理なんだろうな。だったら、自分たちはビジネスで儲けているんだから、自分たちがターゲットにされても文句を言うな、とも言いたい。
そして、そのターゲットに今度は中国が加わった、ということなんだろうかと、感じた。新疆ウイグル自治区の収容所は、「口実」としては理想的かも知れない。結構これから頻発するかもしれない。

だから何だ、と、そんなことを書くのはおこがましい。子供じゃないんだから、事実を何かの結果として理解したなら、普通はどうしたらいいか、自分で考えられると思う。だから書かない。

それよりも、私たち日本人は、海外で中国人と見間違えられることが少なくない、という点だけは、気にすべきだと思った。
明石家さんまさんみたいな「つけ歯」をして、眼鏡をかけ、カメラを首からぶら下げる、ってのは30年前の欧米からのステレオタイプ。

(URL: https://twitter.com/moon5_natsu/status/963027806132224001)

今、日本人をどうやって見分けているのかは、案外日本人自身にはわからないかも。(僕もわからない。)ただ、中国の方には申し訳ないけど、今、海外で中国人に間違えられたくない、そんな気がする。で、メガネにカメラ?古すぎるでしょ?

さて、もう、書くのをやめたんじゃなかったっけか?
うるさいなぁ・・・禁煙と一緒。

感謝状

師匠が、「酒を飲むと、魂が酔ってしまって上からの意識も受け取れない、いい気持ちになったとしても、魂の疲労回復(心のエネルギー充填)は酒じゃできない」ってなお話(じゃないな、警告だな)を何度となく話して下さっていて、飲んじゃいかんなぁ、なんてことを思いながらも、今日は家飲みしてます。最初に白状しておきます。
で、今、何となく、(上じゃないな、どこかの浮遊霊さんにつかまったのか・・・、言いたいことがあるみたいで、)書かなきゃいけないことがあるような気がして、酔っ払っておぼつかない手つきでキーボードを叩いている。

随分と昔、電車に乗った時の中吊り広告で、どこかの雑誌で、どこかの団体の偉い人が「外国のどこそこからの感謝状を受け取った」みたいなのが、頻繁に掲載されていたのを目にしたのを思い出している。あれ、ですけど、僕もお手伝いしたことがあります。途上国はどこだって、お金は欲しい。何をするにもお金は必要、だったりするから、そこにはフィクサーだっているし、足元を見られているのを承知で事務手続きをして、寄付を受け取る手間には慣れている役人だっている。僕も、お世話にはなった。以前、1回か2回言及したことがある気がする。関西のとある都市で、もう使わなくなった「消防自動車」を寄付したい、と。意図は理解していた。寄付の見返りに、「感謝状」を取り付けて、それを支持者にばらまく雑誌に掲載して、その雑誌を高値で売りつけて、(言い方は悪いけれども)雑誌を売りつけて、金にしよう、と。そういう商売の方。わかっちゃいたけど、日本兵の遺骨の帰還に結びつくならと思って、というか、ニューギニア方面遺族会の田所会長が、「手伝ってやってくれ」とおっしゃるから、手伝った。その顛末も、もう書いた気がする。(二つの流れを、二つに分けて書いた気がする。両方付き合わせれば、フルにストーリーが結びつくけど、別にそこは他人の理解は求めませんが、これでわかるような説明は済んだつもり。)

本題。海外への寄付、ってのは、JICAのODAもそうだけれども、今日本は経済的には「裕福」な部類で、日本から流れる金は、受け取れるなら受け取りたい国も、機関も、少なくないと思う。そうしたところへ、気前よく「この金額をあげます。その代り、お国の国家からの感謝状を下さい」なんてな交渉は、案外簡単に成立するんだな、というのをその経験で実感した。で、その「成果」を金儲けに使いたい方々もいる。このページでは、個人名は出しませんが。
振り返って、あの電車の中吊りに散々出ていた「ペケペケ総裁が、どこそこの国から感謝状」なんていう大見出し。あれって、かき集めたお金を横に流して、感謝状に変えただけじゃないの、と、思った。

肉体を抜けて、何か見て、気づいたんだか、まさか私の知り合いで、私がページを書いたその内容を(意識から)読んで、気づいたんだか、どうでもいいけど、思い当たること、あったでしょ?と言いたい。多少なりとも世間で仕事をした経験があったら、金がどう流れて、どういう働きをするか、わかってるだろうに、死んだ後いい思いをできるから金を出せ、って、じゃぁ、死んでしまったあなたが、今、「カネ」で何ができるか、実感できますか、と伝えたかったから、伝えた。伝わったかどうかは、わからん。私は師匠じゃない。会話はできない。
微妙に受け取って、ただ思うだけ。「いくらいくら、払え。払えば、あんたの来世がハッピーになる」なんて、どうして詐欺だと気づかない?オレオレ詐欺と一緒、っていうか、うちの田舎でも、月に4〜5回は防災無線で、警告が流れてる。知り合いによれば、防災無線を流した時は、実際に被害にあった人がいた時、らしくて、そんなに多いのかと思う。カネより子供、と思うなら、たまには自分の子供と話したいと思いましょうね、と私は思う。(説教しかしない親とは、私は話したいとは思わんが。)

全財産を貢いで、それで「成仏」できると思うんだったら、勝手にどうぞ、と思う。それで、納得しろ。あんたが納得できるなら、それが全てだから、後になってゴチャゴチャ言うな。この言い分は、あんたが金を払った相手も同じことを言うだろうし、後から愚痴を聞かされる側も、全く同文。後になって、霊体になって、あれこれ見て知って、改めて腹を立てたら、地縛霊になるだけだと私は思う。納得してやったことなら、最後まで納得し続けろ、と言いたい。見苦しい。っていうか、なんで、まだ「脳みそ」があるうちに、考えて気づかなかったんだ?とも思う。結局、魂に刷り込まれたのは、「成仏したい、っていう欲」だけだったのか。「欲」があったら、それが「成仏したい」っていう意識だけだとしても、もがきながら(浮遊霊のまま)さまよい続けるだけじゃないのか、と、私は理解している。師匠じゃないので、来し方、行く末はわかりませんが。お願いだから、勝手に納得してください。と言いたい。(こういう会話を、私は、黙ってすることもある。読者たるあなたの、お好きな解釈にお任せします。何かを理解して欲しいと思うから、書いてるだけ。)

民間人を巻き込むな、って思う。あの「ペケペケ総裁」の政党も、かの「Ass Holeみたいな名前の元首相」みたいな大金持ちだけを相手に金を巻き上げるだけにしてくれ、と、つくづく思う。仲良しでしょ?あの政党とは。犠牲者の代わりに、あんたが金を出せ、と言いたい。Ass Hole!
このページのきっかけになった霊体さんが、僕の知人でないことだけは、切に祈ります。嫌だなぁ。俺、全然感度ないから。
ごめん、俺、学生の顔と名前がなかなか覚えられない教師だし、不思議ですね。直接意識を受け取れない僕が書いたこの文章なのに、肉体を持ってる僕の知人の誰かがこれを読んで、その読んだ誰かと親しかった霊体さんが、その人の意識を読むと、間接的に、この文章がその相手に伝わるかも。という流れで、書いてる。

頼むから、「ペケペケ総裁に金を貢いだのは、善だった」と信じて、そのまま「成仏」してください。一度でも、信じたなら、それはあなたの責任でしょう?

痛覚誘発電位

また、書いてるよ。意志の弱い奴。

今週の授業では、薬理学の「薬の名前」の語呂合わせを扱った。
吸入麻酔薬の語呂合わせ:「ハローせぇ、イエメン」
ハロ(ハロタン)、せ(セボフルラン)、イ(イソフルラン)、エ(エンフルラン)、メン(メトキシフルラン):全部気化器を使う。
筋弛緩薬の語呂合わせ:「なるべくでっかいパンツ好きさ」
べく(ベクロニウム)、でっか(デカメトニウム)、パン(パンクロニウム)、ツ(ツボクラリン)、好き(スキサメトニウム)、さ(サクシニルコリン)
静脈麻酔薬の語呂合わせ;静香(入浴シーンで)プチ淫ら
静香(静脈麻酔)、プ:(プロポフォール)、チ(チオペンタール)、淫ら(ミダゾラム)

ドラえもんの静香ちゃん、何かと入浴シーンが出てくるのは何故なんでしょうかね?読者サービスって言ったって、主な読者層は小学生だろうに。
この「プチ淫ら」は、一部の女子学生に大受けしてた。

「ハローせぇ、イエメン」だけれども、もっといい語呂合わせがないか、考えたり、ネットで探したりしたけれども、結局これを選んだ記憶がある。ただなぁ・・・、イエメンに対して「ハローせぇ」って言いたくなる国際事情まで知らないと、あまり覚えやすくないかも知れない。間違って、「ハローせぇ、スーダン」になっちゃったら、どうするつもりなのか。ハロタン、セボフルラン、えぇと、ス、ス、スはスリザリンで、ダンはダンブルドア!なんてことになっちゃったら、全然役に立たないじゃない。

この話題で、麻酔事故の話を取り上げた。全身麻酔を使う際には、同時に筋弛緩薬も使う、と聞いている。医者にとっておそらく一番怖い麻酔事故は、麻酔から戻ってこないケース、だと理解している。手術は成功しました、ですが、一ヶ月経っても麻酔から覚めません。だから、なるべく浅めに麻酔をかける、とも聞いたことがある。その結果として、今度は逆に、筋弛緩は効いているのに、麻酔の方が先に醒めてしまう、という事故が、結構な頻度で起きている、とも聞いている。筋弛緩が効いているから、痛くても顔をしかめることもできない。手をバタバタさせたり、言葉で「先生、痛いです」とも言えない。お腹は焼火ばしで掻き回されているような痛みを感じているのに、表情も変わらない、身をよじることもできないで、丸太のようにじっとしている。ということが、あるらしい。
らしい、じゃなくて、川越の僕のいとこが、まさしくこの麻酔事故を経験したらしく、「もう、拷問みたいな感じでした」とおっしゃっていた。

麻酔深度を計測したい。この話は、もう30年も前から聞いている。心拍変動の揺らぎで、麻酔をモニターするという話題も、ジーエムエスの林さんのところで随分昔から扱っている。

ふと「誘発脳波」の話題を思い出した。聴覚誘発の聴性脳幹反応(Auditory Brainstem Response)とか、視覚誘発電位(Visual Evoked Potential)なんかは有名だけれども、痛覚刺激で誘発脳波を測定して、麻酔深度を測定する、とか、出来ないもんかとふと考えた。
触覚への刺激は、機械的に痛覚に針刺激を与える、なんてことも出来るだろうけれども、毎秒数10回とかの刺激で同期加算するとしたら、例えば、ペルチェ素子などで低温の温度刺激を与えるとか、実現できないか?(そんなにすぐに温度は変わらないか?)実現できたとして、脳のどの部位で脳波を測定して同期加算したらいいんだろうか、などなど、細かく考えている訳じゃないけれども、ふと思いついたので、書きたくなった。

そもそも、麻酔時の脳波がどうなっているか、記憶にある限り、よく知らないから、もしかしたら脳波測定だけでもそこそこ、麻酔深度を推定できるのかも知れないけれども、誘発脳波の潜時測定などを行ったら、もっとはっきりした指標が出そうな気がした。

で、非常に申し訳ないのは、私がこうして何かを思いついた時っていうのは、大抵、世間の何処かで同じことを考えている人がいる時、っていうことが、経験則としてすごく多くて、後で特許検索したりすると、ほぼ同じ時期に出願されていたりして、もしかして、私がこうしてネットに書いちゃったことで、どこかの誰かの研究とか製品開発を妨害したことになっちゃったりしたら、ごめんなさい、としか、言いようがない。

僕自身は、もう、試作して特許を出して、なんていうことが(特に、生体計測は医療機関とタッグを組まなければ無理だから、)できる立場にはない。トシもトシだし。誰かがやってくれたら、それでいい、ってな感じで、バルクのアイディアの段階で表に出しちゃっている。
順番が逆かも。30年も前、もしかしたらまだ「脂が乗り切っていた」頃は、特許出願とか、研究計画とか、色々と考えたりしても、つい、どういう通信経路で、誰に相談したら、盗聴やら盗撮やらを迂回して、実現の道筋をつけられるか、なんてことを考えた時点で、疲れて面倒くさくなって、思いついたまま放ったらかしにしたものも少なくなかった気がする。どっちにしたって、思いついたアイディアを自分の「研究成果」だとか「ビジネス」だとかに結びつける手段のところで、公安だのマスコミだのに掻き回されてしまっていた気もする。何がどうなっていたのか、わからんけど・・・また蒸し返しているよ、しつこい奴だなぁ。
もういい加減、納得して諦めろってば。(感謝行が足りない!ってな自覚は、一応あるけれども。)

今回、書いてしまった理由はただ一つ。もしまだ、こうした技術がなかったのなら、是非、どなたか実現してください。僕はもう、トシです。立場も、一介の自営業。ぼちぼち還暦。
実現できれば、きっと、麻酔事故を減らすのに役立つんじゃないか、と期待。

アイディアなんて、10出して1カスれば上等。かすったアイディアを10試して、1モノになれば御の字、っていう世界だと思う。でも、このアプローチでの亜流は10位出せる気がする。その程度のアイディアだとして、読んでいただければ、と思います。
そして、「既に存在する技術を、僕が知らなかっただけ」だとしたら、笑って読み飛ばして下さい。
さらに、もう一つ。もし、同時進行で、世界の何処かで、このアイディアを思いついた方がいらっしゃって、僕がそれを拾っちゃったんだとしたなら(結構、あったみたいで)、こうして書いてしまって、本当にごめんなさい。このケースだとしたなら、たぶん、きっと実用化すると思うので、是非進めて欲しいと切に願う。足を引っ張ってしまったなら、本当に申し訳ない。

以上

訂正→「心霊現象」のページ

おおむね、書き尽くしたと思っていた。師匠の講演会の基本的な部分は、「心霊現象」のページに一通り網羅したと思った。実際、そうなっていると思うけど、間違いを見つけてしまった。

師匠の講演CDを聞き返していたら、新潟県で悪霊の除霊をした話の地名を間違えた。僕は「小千谷市」と書いたけれど、「新発田市」の間違い。
本文も訂正しておきます。

師匠の講演会の場合、ほんの一言に、全体のヒントとか、全体の解釈を真逆にするような「鍵」が盛り込まれていることがあって、そうした意味では、師匠の講演は講演会で全体を聞いて初めて意味があることがある。断片的に取り出して、「全世界に発信」なんて、やっていいのか、いけないのか、少なくとも今は「答え」を持っていない。上に戻って、かつ、時間が経過してみないとわからない、かも知れない。ただ、たぶん「これをやる」と決めて来たと自分では思うし、それで30年以上も、もがいて来た。だから書いた。

整合性を見えやすくするために、意図的に「間違って」いる部分も、私自身気づいているし、講演会の他の会員の方も「あれ?」という部分が数カ所あると思う。私が参加した15年の間にも、師匠ご自身がどんどんスケールアップしているので、時系列的に記憶を辿ると、昔聞いた話題を新しい講演内容で置き換えないと「整合性」が取れなくなる部分がある。視野の広さによって見え方が変わる、という説明が、たぶん正しいのだけれども、私自身の理解が追いついていない。だから表現しきれなかった。
これらの部分については、自分なりに「後で責任を取る」ことになるんだろうと思う。(こうして生きて、肉体を持っている間に責任を取らされる方が、どれほど楽かもしれないけれど。)ただ、大きな間違いではない、と思っています。整合性が取れていないと「いい加減なことを言うな」と突っ込んでくる人たちに反論できない。コンピュータシステムを「安定動作」させるように、全体の「見た目の無矛盾性」を優先した。実際には矛盾ではなく「実は裏から見たらこう見えた」と言う部分が後から追加になっている感じ。各論がどんどん細かくなっているので、理解が追いついていない。

こうした「訂正」ページは、まだ書くかも知れない。ただ、「総論」としては、完結していると自分では考えるので、近いうちにブログは閉じます。(いや、生活再建優先というのが本音。)

「ちどり」50周年

本郷5丁目にある、スナック「ちどり」
この間50周年を迎えて、祝賀会が行われた。小さい店なので、メンバーを入れ替えて3日間に渡って行われた。
みなさんご祝儀を出していたのに、僕は、参加費のみでご祝儀はパス。慢性的超低空飛行。

最近突然に、なんとなくメンタル的に無風状態で、あえて形容すればひどく植物的なメンタルになっている。教壇に立てば普通に話せるけれども、これほどの低空飛行なのに、自分の中での焦りとかが全くない。(困ったものだ。もっと焦らなきゃならない状況なのに。)こんな感じの感覚は、たぶん2度目。
1度目は、専任の大学教員になって3年が過ぎた3月、臨床工学の1期生が卒業を迎えた時に「先生、ありがとうございました」と言ってもらえた時、たぶん生まれて初めて何か、自分にも存在価値があるのかな、というような、カサブタが剥がれたような、不思議な気持ちになった。まさかの「ありがとう」。女子学生だったのは覚えているんだけれども、誰だったかがどうしても出てこない。たったの一言で、得体の知れない、ずっと続いていた焦燥感が消えた。

今は何故なんだろう、と考えてみた。師匠の講演会の「総論」部分を、もしかしたら何とか書き尽くしたような気がして、これから先書き進めるとしたら、後は「各論」だけだろうと思った。各論となったら、別に全世界に向けて知ってもらいたいというよりも、僕自身が(あくまでも、私自身の問題として)上を目指して自分自身が変わるために、考えて行動する、そうした部分だけになる、と思った。誰が何を信じようが、基本的には僕には関係ない。本来は、そういう展開だけのはず、だったんじゃないか、とも思った。だったらもう、書くことはない。
あんな盗聴だとか盗撮だとかに散々悩まされて、生活そのものが何だか崩壊して、それでも、とにかく発信することだけは続けてきた。どんな意味があったんだと思うに、もしあれが、師匠の講演の「総論」を世界に向けて発信できることの伏線というか、代償なんだったとしたら、自分でも十分に納得できる。そして、たぶん、僕自身納得できたんだろうと思う。だから、焦りが消えた。
なんだか、すごく穏やかな気持ちで、すごく植物的になれている、そんな気がする。
自己満足なんだろうとは思うが、これで良かったと思う。僕の30年間に、やっと一区切りがついた、気がする。大きな節目だ。間違っているかも知れない、実は何も結果を出せていないのかも知れない、でも、出来ることは、もうやった気になれた。

再三書いているが、僕はWEBに書いた内容について、「著作権」を主張するつもりは全くない。たぶん、このページも、近いうちに消して、仮に継続しても、純粋に自分の仕事関係の話題だけに変える。このページは消すけれども、「当時」は僕が部屋の中で広告紙の裏にボールペンで書き殴った文章ですら表に出ていたのだから、どこかにコピーだの記録だのは残るんだろうと思う。それで十分。著作権主張する気がないから、パロディを書かれても、文句は言わない。そのままの形なら、完コピを転載されても構わない。ただ、僕には何も出来ないけれども、師匠をけなす内容は書かない方がいいと思う。僕を弄るのは(慣れてもいるし)全然構わないというか、オチョくられるのが僕ならば、たぶん、何も起きない。
とにかく、終わったんだ、という気持ちになれた。長かった。「書け、書き続けろ」というプレッシャーが何もない。ということは、おそらく、それほど間違ったことを書いた訳でもなく、完結してもいいんだろう、と感じている。終わった。

1996年頃だったか、1997年になっていたか、本郷5丁目にある大学で学位論文を書くために「研究生」の身分で足を運んでいた頃の話。最初は赤門前にあるお店でランチを食べるつもりが、電車がちょっと遅れて、ランチの時間には間に合わないことになった。ダメだなと思ったら、ふと「ランチ500円」の張り紙が目に入り、怪しい路地裏にある居酒屋にたどり着いた。
腹が減っていたので、店の佇まいは一切気にせずに、入って、ランチを食べた。どうみても居酒屋だから、たぶん夜もやってるんだろうと思いつつ、「このお店、夜も営業してますか」とマスターに聞いた。それが、スナック「ちどり」に通い始めるきっかけになった。もしかしたら、マスターとの最初の会話はこれだったかも知れない。

あの頃のメンタルは、かなり危なっこしくて、慢性的に切れそうな精神状況で、自分でも何故、何のために、こんな生活をしているのか、全くわからなかった。ところが、この「ちどり」の常連さんたち、会社の社長さんはいるし、大学の先生方もいるし、私のような自営業もいるし、自信を持って生きているような方々ばかりで、話がとにかく面白い。何かと口を突っ込みたい私は、話題に横からくちばしを挟むのだけれど、見事なくらいに切り返してくる。噛み合えば、卓球の高速ラリーみたいな会話が楽しめた。地理学とか、農業経済、日本文学、人類学、薬学もいたな、厚生省もいたっけ。近くに医療機器メーカーが多かったから、医療機器関係の開発の人もいた。随分と通った。あの時期、あのお店に通っていなかったら、もしかしたら、2001年だったか、2002年だったか、本気で壊れた後に元に戻れなかったかも知れない。
1998年、学位論文を書き上げて、審査も通った。「博士(工学)」の学位をいただけた。そんなこと出来るようなメンタルではなかったけれども、結構雰囲気とか勢いをもらったのは、間違いなく、あの店だった。だから、あの大学の学位論文なのに、謝辞には「スナックちどりの常連の皆様」という一言が入っている。無論、予備審査で突っ込まれたけれども、押し通した。そうしたら、マスターから後で文句を言われた。書くんだったら、「スナックちどりのマスター及び常連の皆様」じゃねぇのか?まぁ、確かに。どうも気付きませんですみません。だけど、国会図書館にもコピーが残るんだぞ、文句言うな、なんて会話を何回交わしたか。
ボロボロで大酒を飲んでいた頃だったけれども、50周年の時にどなたかがおっしゃった「思えば、酒を飲みに通うというよりも、マスターに会いに通っていたのかも知れない。」と、その感じは、確かにあったと思う。(いや、でもやっぱり、常連さんたちの方が・・・)
マスターのお母さんが始めた店から、昔の店は「終戦直後」の雰囲気だったのが、いつの間にか、綺麗なマンションの地下に入った。マスターが店を引き継いでから50年だから、大したものだと思う。よく潰れずに・・・。なんてことをしょっちゅう言っていたのだが、コアなファンは多い。

2003年に親父が亡くなり、「カタギの仕事に就け」との親父との約束で、2004年から学校の専任教員になった。その頃も、週に1日、千葉から東小金井に通う際に途中下車してよく寄っていた。
大学の専任教員を辞めてからは、かなり足が遠のいている。50周年で、1年ぶりか、2年ぶりの来店、だったけれども、帰り際にマスターに言われた。
「マスター、今日はご祝儀なしで、ごめんなさい。会費だけで。」そうしたら、「お、テメェ、いつかは必ず、ご祝儀持って来いよ。俺の店だって、みんなから、潰れる潰れるとか言われながら、今日は50周年だぞ。」
僕は、滅多なことじゃ泣きませんが、そしてやっぱり、泣きませんでしたが・・・でも、嬉しかった。その嬉しさが、今になってじわじわとこみ上げてきている。
余談ながら、僕が最後に、嬉しくて号泣したのは23年前、右翼系の「彼」の頼みごとを日本大使館の知人にお願いしたら、あっさりと「自分でやれ」と断られて、途方にくれたことがあった。その時に、隊員としての任務外の手伝いの仕事で接点のあったスリランカ人のB.D.さんという人を思い出し、FAXでHELPを流した。そうしたら、大丈夫だよ、パプアニューギニアの首相府に直接話を通すよ、と、すぐにFAXで返事をくれた。読んで涙が止まらなくなった。そして実際に日本大使館を一切通さずに、直接「彼」の寄付をニューギニア政府に行い、「首相名の感謝状」を出してくれた。僕は、それを頼んできた右翼系の「彼」に渡した。(それなのに、「彼」には、クソミソに悪口を書かれた雑誌をバラ撒かれたけど。)今回は無理かも知れないけど、来世か、いつかきっと、スリランカの方々に、出来ることをしたいと、強く思っている。上に持ち帰ります。たぶん。忘れなければ。
今回のマスターの一言も、B.D.さんの一言に匹敵するかも知れない。だって、「あの店」が50年も続いたんだぜ!

師匠の講演会で、「お酒は魂を酔わせるから、やめた方がいい」と言われている。定時になると飲みたくて仕方ないのは、「お憑きの方」にカモにされているらしく、「この人に憑依すれば、酒を飲んでいい気分になれる」という浮遊霊が、盛り場には大勢いるみたいで・・・
ちどりに通い始めた頃は、随分と荒っぽい飲み方もしていた。生き方もグシャグシャだった。特に、たぶん2001年か2002年、ある時に、メンタル的にも完全崩壊して、酒が抜けると不安とか苛立ちとかに押し潰されて、ひたすら飲み続けていた時期が1年は続いた。いいトシをしたオッサンが、東武東上線で地ベタリアンをやってた。「黒歴史」ですけどね、隠しません。ひどい話や情けない話は、もっとあるけど、さすがにこれだけに留めておく。親父やお袋にも、相当に心配をかけたんだろうと思う。僕自身の生活の立て直しも見届けずに、親父は死んだ。お袋もその2年後に死んだ。僕が師匠の講演会に通い始めたのは、その頃だった。

親父やお袋、僕が書いた内容とかを見て、今、安心してくれているかどうかは、わからないけれども、きっと自己満足なんだろうけれども、これだけは書いたよと、報告したい。一旦立て直した生活が、今はまた低空飛行だけれども、あとはマイペースでやります。

まず、生活というか仕事を立て直す。WEBへの書き込みは、もうなくなると思うけど、よくわからない。何か言いたくて仕方なくなったら、今後はWEBに書かずに、ちどりまでマスターに会いに、ターちゃんに会いに行くかも知れない。僕が言いたい放題で騒いでも迷惑にならないのは、たぶん、あの店だけ、のような気もするし。言いたいことを吐き出さないと、きっと僕はおかしくなる。そう言えば、非常勤の学校では、内村先生とかもいらっしゃるし・・・もうWEBに書いて吐き出さなくても、大丈夫かな。

もう「全世界に向けて何かを発信する」なんていう疲れることは、卒業する。今ならやめても「書きっぱなしで、言いたい放題言っておいて、逃げるな」なんてことを、思われてはいない、そんな気がすごくしている。
(なんて宣言しておきながら、また続きがあったりして。俺のことだから、有り得るかも。でも、疲れた。)

30年前に僕が書いた文章を知っている人は、限られているだろうな。でも、あの頃のは「単なる伏線」だから、本命はやはり師匠の講演会に参加して、やっと自分の中で「腑に落ちて」からの書き込みです。最近読んで下さるようになった方々も含めて、(こんな、やたらと一つ一つが長いページを)お読み下さって、本当に、ありがとうございました。ただ、「師匠の講演会」について僕が考え抜いて書いた部分は、知っておいても損はない状態になっていると思います。そうした意味では、決してご迷惑をお掛けしたとは、考えていません。これからの僕は、生涯現役のプログラマに専念して、ブロガーは卒業します。

消すタイミングは、サーバの更新が済んだ時、かな。ということは、当面この「残骸」は残ると思うけど。

読んで下さった方々の、ご健勝をお祈りします。

外国人受け容れ

なんだか、国会で揉めてるのか?法制化

うちの自治会、しばらく前にアパートに住む外国人とのトラブルで、「話し合いの機会を持ちましょう」という企画をさせていただいた。国籍は書きません。残念ながら僕は、その国の言葉の通訳はできない。受け入れ企業の担当者の方に、大家さんから連絡をつけてもらって、その企業の担当者の方に通訳を引き受けていただく前提で、「懇親会」という形式で話し合いの場を持てるように、設定した。
この辺は、僕自身が「外国人」として海外に居住した経験で、住みやすさがなんたるものかは、かなり理解しているつもり。参加者(相手側企業の方、大家さん、その外国人の住人)への手土産は、小川町だったら(僕個人の好みで)小松屋さんの和菓子かなぁ、とか、お忙しい中、一旦は参加に承諾してくれた企業の方への「お車代」はどうしましょうかと、区長や相談役に相談させていただいたり、なんとか「懇親会」ができれば、と思っていたけれども、外国人受け入れ企業の担当者の方のドタキャンで、そのまま「企画の自然消滅」になるのかなぁ・・・多分、このまま立ち消えるでしょうね。
ただ、住民側から申し入れ事項があることが、この地域に住んでいるその外国人の若者たちに伝ったならば、それで当初の目的の半分は達成したかな、と思う。それで十分。

トラブルというのは、夜中の騒音と、ゴミ出しのルールだった。グーグル先生のお陰もあって、その国の言葉の「ゴミ出しルール」の張り紙は作成した。角を立てないためのチャフとして、日本語、英語の張り紙も用意した上で、その国の言葉で張り紙を作った。実は、彼ら、英語はほとんど通じないらしい。一度だけ夜中にゴミ出ししていた彼らに、英語で話しかけてゴミ出しルールを説明したんだけれども、通じていなかったと思う。自治会費の徴収で、大家さんとお話しさせていただいたことがあったので、大家さんからどこの国の人かは聞いていたから、その国の言葉で張り紙を作ったけれども、一般論としては用意しきれない。だってもう、どこの国の人が来るのかわからないから、町に頼もうって言ったって、そんなにすぐに「担当者」は張り付けられないだろうし、自治会でやるしかないでしょうね。幸いなことに、大家さんがアパートのメンテで見えた際に、騒音を訴えていたこの地域の住民の方とお話しされたらしくて、なんらかの注意は伝わったんだろうと思う。今の所、波風は立っていなくて、とりあえず、良かったと思う。

今日、テレビで報道ステーションを見ていたら、この辺の話題を取り上げていた。このゴミ出しで揉めた時期に、ちょうどニュースで「幼女殺害」のニュースが流れていて、おそらく、PTAとかが若干ピリピリしていた時期だったんだろう、ということも重なって、住民不安が漠然と高まっていた気がする。
張り紙を出した直後、うちの近くのゴミ置場は、我が家のすぐ隣なので、ゴミ出しに来たご近所の奥様方の話し声が聞こえてきた。「怖いわよねぇ」と。言葉が通じない人が住んでいる、という不安は、今後もう、なくなることはないと思う。英語が話せれば意思疎通できる、というのも完全なる錯覚。
アジア系の言語は、古くから独自の文字を持っている言語が多い。独自の文字がある、ということは、教育に英語などの欧州系言語を導入する必要がない、ということを意味する。一般論として、アジア人は英語などが苦手な人が多い、と私は感じる。日本に来る人の場合には、英語よりもむしろ日本語の方が通じやすい傾向がある、とも思う。例えば、国連の公用語になっているのは、アジア系の言語では中国語とアラビア語だけ。6つある公用語の残りは、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語。で、日本の教育では英語に重点を置いているけれども、残りのアジア系言語の中国語やアラビア語で、普通に意思疎通できる日本人が、どれほどいるか、ということになるんじゃなかろうか。多言語に日本人の側が対応しきれない、としたなら、結論として、日本に来る外国人の方は、とにかく日本語を習得して来て欲しい、ということになると思う。(こうして、WEBページを日本語で書いていても、これが外国語の翻訳される、というのは、Google先生のおかげかな。)

テレビを見ていて、感じた。外国人労働者への「使い捨て感」って、あるよなぁと、思った。トランプの白人至上主義は、アッケラカンと、明け透けに見えている。ところが、日本人の、日本にいる限りは日本人至上主義だぞ、というのは、かなり陰にこもっていて、目立たない。目立たないけれども、日本に来て仕事などで住んでいる外国人の多くが、感じ取っているんじゃないか、と思う。加えて、特に自民党政権の政府の考え方は、露骨に「日本人至上主義」がバックボーンに貫かれている。日本人の雇用を守りつつ、労働力不足を補うなら、使い捨ての外国人を受け入れるしかない。見え見えの政策だとも思う。
それを追求する野党。この「日本人至上主義」については、一切突っ込んでいない気がした。この発想については、同じ穴のムジナだと感じる。それは、「永住政策」だとか「移民受け入れ」だとか、さらに言えば「難民受け入れ」に関しても、与党も野党も、完全に「日本人至上主義」で一枚岩だと私は感じる。
そして、日本に住むことになった人に、いかに「人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全」を確保するか、についても、全く考えていない気がする。おっと、与党が「人間の尊厳」なんて全く気にしていない点についてだけは、日本人に対しても同じか。それはさておき。

日本で受け入れた外国人に対する日本語教育、生活支援についての政策提言は、野党にとっては論戦の看板にできないか、と思う。期待したい。
なんだか、安倍総理の顔を見てると、つい「天上天下、唯我独尊」という言葉を思い浮かべてしまうんだわ。なんでだろう、なんでだろう、なんで、なんでだろう。

唐突に、ここで師匠の講演会の話題を差し込む。この「天上天下唯我独尊」は、大川隆法氏の前世、釈迦が発した言葉とされていて、実際にこの言葉をおっしゃったらしい。ただし、その意味は曲解されている、という話題は、前にも一度だけ書いたような気がする。一般的な解釈は、「この全宇宙の中で、尊いのはただ私だけだ」というものだけれども、この言葉を発された時の真意は、「この全宇宙の中で、ただ自分だけは何があっても尊びなさい」というニュアンスだった、と私は理解する。自分を大切にする、ということは、自分自身の魂を汚さないということ。すなわち、どんな状況でも、愛を以って、いや、仏教用語の場合には慈悲だったか、慈悲を以って相手に接しなさい、と、本来的にはそういう「教え」だった、と私は理解している。この釈迦の言葉も、今では原型を留めない形で伝わっているんだろうか。わからんけど。以上、師匠の講演会の受け売り、終わり。念のために書くならば、この段落以外は、すべて私自身の言葉です。もしかしたら、師匠は講演会で、僕の理解が間違っていたと伝えてくれるような内容を話されるかも知れない。その時は、その時で、また、このページを訂正するようなアップをする、と思います。

その、安倍総理の顔を見ていて「天上天下唯我独尊」から思い浮かべるのは、そもそもが、日本人に対してすら、個人の尊厳なんて対して重要だと考えてはいない、アメリカとか大企業とか、あるいは自身の古い友人とか、そういうところの顔色しか見ていない、そんな印象は受ける。当然のことながら、外国人なんて、「日本人至上主義」から考えたなら、「なんで、日本人の税金を使って、外国人の生活支援をしてやらにゃならんのだ」という心の声が、聞こえてくるような気すらする。企業の都合で、労働力補充のためにヒトを受け入れるのならば、最低限でも、日本人と同様の対応は、必要なんじゃなかろうか。
「うるさい、文句あるか、日本人に対してだって、この程度の尊厳しか認めていないんだから、この程度の扱いしかしなくたって、十分平等だろう」って、もしかしたら、言いたいかな?この間、国会のテレビ中継をチラッと見たときに、麻生さんの顔を見て、なんか、こんなセリフが思い浮かんだ。いや、ご本人、明示的にはこんな言葉を考えてはいらっしゃらないだろうけれども、深層心理には、このセリフお持ちじゃありませんか、なんて気がした。

与党に考え直してもらわないと、受け入れ側の自治体も、自治会も、大変だと思う。

タイ語は、高校時代の友人が何人もいる。東京学芸大学附属高校は、タイ国からの国家留学生を受け入れていた。かなり忘れかけているけれども、あのタイ文字の読み方も、簡単な日常会話も、2〜3週間おさらいしたら、思い出せる気がする。ビルマ語(ミャンマー語)は、かつて部下に一人いて、それなりに言葉を覚えようと試みて、その記憶の残骸がまだ残っている。インドネシア語は、パプアニューギニアにいた頃、国境と近かったお陰もあり、多少聞きかじった上で、任国外旅行で3週間ぶらついた時に、だいぶ覚えた。かなり忘れたけど。ただ、あの時は、道を歩いていて、インドネシア語で道を聞かれて、「ごめん、僕はこの土地の人間じゃないから」とインドネシア語で答えて、じゃぁね、と別れるまで、相手は僕をインドネシア人だと信じて疑わなかった気がする、そんな出来事もあった。もう、その会話でどんな表現をしたか、思い出せないけれども、呼び水があればたぶん、数週間で思い出せる気がする。ということは、今回自治会で受け入れた外国人は、その三カ国のいずれの国の人でもない、ということになりますね。余談ながら、タガログはピジン語とインドネシア語を知っていると似た表現が多いから、勉強には時間がかからないとも思うが、タガログでもない。こうして書いちゃうと、伏せてはいても、かなり絞り込めそうだ。こういうのは、データベースからデータを盗むためのテクニックを応用すると、結構簡単に足が付くかも。こうやって書いちゃったこと、って、個人情報漏洩に該当しちゃうのかな?すみませんけど、よく知らない人の個人情報なんて、国籍しか漏らしようがない。

僕にしても、松尾くんにしても、青年海外協力隊OBを舐めんなよ、っていうか、海外でソフト開発をする、なんて仕事を任せてもらえたら、どんな国に行ったって、それなりに成果を出せると思うのに、アピールが足りないのかなぁ。なんだか仕事が噛み合わない。実は、自分で思っているほど、世間からの評価に耐えるだけの能力がない、なんてのが、真実なんだろうか。もう、先はそんなに長くはなさそうだから、今更何をどうアピールしても、もう遅いんじゃないか、なんて気もするけど。いや、僕の場合最大の問題は、モチベーションの持続力なのかなぁ。何をどう頑張ったって、クソミソにけなされるばっかり、みたいなので、急速に萎える。ガキの頃から、全然成長できない。還暦間際だ、ってのに。
忘れてた。そんな外国語を覚えるよりも先に、Swift(Mac OSの新言語)を覚えて、マスターする方が、サバイバルには優先度大だったかも。もう、覚えることが多すぎて、追いつかない。

って、なんの話でしたっけ?主題がわからなくなった。ダメですね、こうやって、自慰行為のごとく、ひたすら書き続けるのって、なんだか虚しい。
そんな虚しさは脇にのけて、明日も非常勤の授業やら、自治会の手配やら、淡々と、黙々と、頑張ります。私の自慰行為みたいなページを読ませてしまったみなさま、本当にごめんなさい。
終わり。

思想・信教の自由

自治会の総会でも、ちょっと面倒な話題が出たことがある。
いわゆる氏神様。地元の神社が例大祭の資金を氏子(地区住民)に求めてくる。慣習として。
以前はそれを、隣組の組長が一軒・一軒を回って集めた。かなり面倒くさい。その手間を省くために、自治会費の中から「氏子拠出金」として予算を組んで支払えるように、自治会規約を改定して、隣組長が集金に一軒・一軒回らなくても済むようにした。(僕が会計になった時には、もう、そうなっていた。まさか、親父か?仕掛けたの。)

そうしたら、当然のことながら住民には、キリスト教徒もいるし、特に学校関係の方は「宗教」的な話題には敏感だから、「自治会が、あたかも地元住人が全員神道に帰依しているような、氏子負担金の拠出というのは、憲法に定める思想・信教の自由に反しませんかね?」という指摘を、自治会総会で、して来た。
それは、前自治会長(地区の区長)が織り込み済み。(さすが、と思った。)
「そういう、拠出には反対される方もいらっしゃるはずなので、全世帯の軒数ではなく、(正月に、初詣に神社に足を運んだり、隣組長が集金に回った際に、負担金を支払った軒数の過去の実績から)軒数を設定して、全世帯ということではなく、あくまでも、隣組長になった方の負担軽減という視点で、一定比率を掛けて、それで支払っています。」という、そういう応対だったかな。(厳密に言えば、この回答だけでは、突っ込みどころはあるけれども、あえて、突っ込める論点は書かない。)
突っ込まれた時のために、ちょっと考えた。いや、別に神社だけが特別扱いじゃないと思うから、もしキリスト教会とか、お寺が金払えって言ってきたら、その時は会計の僕が応対しますが、一円も払わないとは言わない。
計数工学的な対応というか、社会慣習に照らし合わせてというか、諸事情を勘案して、神社と同レベルの扱いで、だいたい地区全体で2000円から4000円の範囲でなら、規約上も会計の権限で対応可能だと思うから、区長とも相談して支出するので、その金を受け取ったら、二度とごちゃごちゃ言うな、という対応をするだろうな、というシミュレーションをしてみた。
すみませんね、乞食扱いして。いや、神社を乞食扱いしていないとは、言わないとも言えなくもないとは言い切れないと言うか、やはり言えなくもないのか、言えないのか、よくわからんけど。(僕の本音?あ、もう書いた。)

宗教って、本当に神の教えなの?というのが、師匠の講演会の別主題でもあるように自分は考える。そんな行きがかり上、どうも私は、既存の宗教に、喧嘩をふっかけてしまったような気もするが、読み返す限り、というか、書いた内容を記憶で反芻する限り、やっぱり喧嘩を売ってますね。どうも、ごめんなさい。越権行為、だろうな、と思います。

何をどう信じようが、それはその人の勝手。横から口を出す話題じゃない。ただ、もし、死んだ後の魂(磁場を伴う意識を持ったエネルギー体)が、多次元空間でどのような推移を辿るか、その現実に起きている事象と大きく食い違う内容が「教え」として多くの人に信じ込まれているならば、やはり、結果は見えている気がした。
最後は、何を信じるかに行き着くけれども、厳然として起きることは、すべてのヒトに共通に起きるだろうな、と思う。僕は、あらゆる宗教の信者に、「解剖学の知識」が当てはまると思っているし、今はまだ証明出来ていないだけで、これは自然科学の話題だと思っている。だから、そういう書き方をしている。
磁場って言ったって、そもそも心磁図や脳磁図のレベルがピコテスラのオーダーで、SQUID磁束計の検出限界ギリギリなんだから、霊体の発する磁場の証明なんて、今はやりようがないでしょ、と思う。動物の神経に直結できる有機磁性体の発見がなければ、無理だと思う。

宗教関係者の方々、そんなこと考えてないだろうな。「これをやっていれば、天国に行けます。」その「これ」のハードルがどんどんと下がっていって、懺悔すれば罪は消えます、とか、イエス(様)を信じているといえば、それだけで救われます、とか、メッカの方角に(やめておこう)・・・とか。「だから、お金を払ってね。」の方が本音?知らんけど。
キリスト教に関して言えば、聖書に書かれているのは、ほぼ全編が弟子の言葉じゃないのか、イエス(様)は絶対そんなこと言ってないはずだ、なんてのが満載。今回ばかりは、この部分に、あえて、師匠の講演内容の引用はしない。合理的に否定はできるけれども、証明ができないから。
それに、僕は、師匠と違って「検知能力」がゼロだから、これ以上は書きようがない。

聖書が編纂されたのは、4世紀くらいでしたっけか?その時点で既に、イエスが伝えたほとんどの言葉は、原型を留めなくなった。どういう生き方をすべきか、という部分が、どれほど原型のまま残っているのか。仏教やその亜種に喧嘩を売るのは、もうやめておく。釈迦=大川隆法氏が再誕してやるべきだったことが、どうなったんだか、集金組織を作って、何をするつもりだったんだか。結局、信じたければ、勝手にどうぞ、ということのような気がする。そんな生き方していたって、「進化」は出来ませんよ、と思う。同時に、何も信じずに、どんな生き方をしていても、大半の人がまた「天国」には戻れますよ、とも思う。おかしなことを信じこむよりも、何も信じない方が、まだマシなのか。信じて欲しいのは、ただ一つで、神は実在するということと、ヒトの実体は魂だ、という、ただそれだけだと、自分は考える。後は全部、各論。総論は、これだけ。(各論も、かなり大事だと思いますが。)

結局、「信教の自由」というよりも、「思想の自由」の方なんだろうな、と、自分は理解する。何を考えるか、神はすべてのヒトに「自由」を与えた。ただし、その結果はすべて本人が背負うことになる。こんな単純な話はない。だから、どんな「思想」を持とうが、それは本人の自由だ。その思想によって、結果も決まる。平等だ。そして僕は、そうした宗教には「その思想は、間違っていないか」と言いたいだけ。これは僕にも与えられた「思想の自由」だ、と主張しておく。

あらゆる「宗教」が、神の教えじゃなくて「思想」になってしまった。と、ある方がおっしゃった。「ある方」って、どなただよ、ってそんなのは、もう僕は散々書いたし、このページでも途中で書いてる。一応、理由があって、このページでは「どなた」の一言かは書かない。
喧嘩を売っているのは、僕ですから。矢面に立つ腹は、出来てます。僕を殺したければ、ご自由にどうぞ、と言いつつ、どうやら、そんな単純な話じゃなさそうだ。
改めて、落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。

なんだかなぁ・・・トランプに、滅茶苦茶、感化された気がする。書いたものを読み返したら、きっと、(この言葉遣いに)哀しくなる気がしてきた。

終わり。

本当に、嘘が多い。でも、インターネットの時代になって、会社なんかの「組織ぐるみ」は通じにくくなったのかな。いい傾向だと思いますけど。二択か。採用基準に「上司の命令なら平然と嘘をつける」というのを加えるか、そういう採用試験をしないなら、嘘のない仕事をさせるか。

昔のネタもありそう。「口封じ」なんてのやっちゃった当事者の遺品から、何かすごいのが出て来ちゃって、子供や孫が公表するケース。いや、公表は正解だと僕は思う。その人の名誉のために。っていうか、気がかりで自縛してたりするかも知れない。組織のトップが「嘘で固められる」と信じてたりなんかすると、下にいてたまったもんじゃない。そういうのは、公表してあげた方が、身内の「当事者」は、きっと安心できると思う。「墓場にまで持っていく」なんていう表現があるけれども、墓場の先を考えたことがないんだろうな。その「墓場の先」のためにも。

企業だけじゃない、あらゆる状況で、嘘がつきにくくなってるみたいで。盗聴・盗撮?僕はもう、免疫できてますけど、今時、小さいし、安いし、簡単だし、防御に金をかけるよりも、嘘をつかない方が楽、って思う。

そうは言いつつ、研究とか開発、新製品の企画、なんてのは、大変かも。こちらは僕も、免疫できてない。僕が仕事できなくなった理由の一つは、これ。目新しいことをやらないなら、全然関係ない、ってことは、もう俺には関係ないな。

「組織を守るために嘘をつく」って、嘘をついた時点で、全然守ったことになってないじゃんか。わかってないなぁ、って思う。加えて言えば、嘘に最も縁遠いと思われている組織・集団ほど、嘘が多い、みたい。

凹面鏡

アメリカが敵視している国が、ことごとく凹面鏡に化している、そんな気がする。
アメリカのノンバンクの住宅ローン、サブプライムローン?でしたっけか?きちんと見てないので用語を正確に使っているか自信がないけれども、かなり危険な水準に来ているらしい、と何かで見た。(たぶん、テレビだ。いつ見たか忘れた。)

アメリカは、肝心なことに気付いていない。関税の応酬とかで、物価が上昇したり、経済的なダメージが広がって来た時、国民が「貧乏慣れ」していない国はどちらなんだろうか。特に、共産主義だとか、宗教指導者が強力に指導している国、などでは「経済的な困窮」がそのまま政府批判にはつながりにくい、いや、政府批判が出たとしても、アメリカで失業者が急増した場合と比べて、どうなんだろうか。

イランや北朝鮮に「核の完全廃棄」を迫る一方で、ロシアとの中距離核弾頭削減の条約(だったかな)からも一方的な離脱。あれこれ、つなぎ合わせてみてみると、アメリカが単独で軍事力を突出させる覇権主義の復活、に見える。ここに経済戦争が絡みついてくるから、ロシア、中国の当惑ばかりでなく、日本以外のアメリカとの同盟国、EUとかオーストラリアとかにも、不安はないんだろうか?

アメリカは明らかにバランスを欠いている、と私も思う。一旦アメリカが破綻すると、かなりのダメージは広がるかも知れないが、そもそもがアメリカは「自国経済」を海外と切り離そうとしているのだから、むしろ、そこに便乗して、TPPとか日欧とか、アメリカに依存しない経済、TPPなどに軸足を移すべきじゃなかろうか。距離感が難しいかも知れないけれども、中国やロシアとも連携は不可欠かも知れない。
アメリカ頼り、中国頼りから切り離すとしたなら、経済のドグマを「規模」から「安定性」に切り替えるべきだ、と個人的には思う。TPPみたいな「自由貿易協定」に、上限規制みたいな安全装置は設けられないのかな?双方のために?

イギリスやブラジルが、やはり「自国第一主義」に振れて、イギリスはEUから離脱する。日本はアメリカの「覇権主義」とは距離は置いて、対北朝鮮関係も、中国やロシアに近づくというのも選択肢の一つじゃないか、という気がする。インドやタイ、ベトナム、オーストラリアなどと信頼関係をしっかりと固めて、注意深く中国やロシアと距離を詰め、いざアメリカが「軍事的覇権主義のコスト負担増加」を日本に求めて来た時に、もしその時にアメリカの現在の経済政策が破綻していたら、一気にそこで「超大国不在」の世界に、一気に世界を流動化させて(させて、というよりも、そうなってしまう気がするが、)核軍縮(そろそろ「核の傘」を抜け出した上で、北朝鮮やイランに「核の完全放棄」を主張すべき)や、アメリカだけに頼っている安全保障を転換する、という流れは作れないか、と思う。
もしかしたら、安倍総理は、トランプが「軍事コストを同盟国に大幅負担増させる」と言い出し、どれだけその「負担増」を上げて来ても、黙って応じて、頑なに「アメリカの傘の下」から出ようとしない、そんな気もする。そもそも、アメリカの傘の下にいる限り、沖縄の基地負担の軽減などあり得ない、そうわかっていて、アメリカべったりを続けている。やっていることと、「沖縄に寄り添う」などと言っていることが、真逆だと思う。

そう考えてくると、もしかしたら、今回のアメリカ中間選挙は、共和党の圧勝で、トランプにやりたい放題させて、とても心中する気にはなれない状態のアメリカになってもらう、というのが、中長期的な日本の将来を考える上では最適解じゃないか、という気がした。民主党にとっても、すべての責任を共和党に押し付けられるから、いいんじゃなかろうか。一度極端に振れないと、わからないんじゃないか、という気がする。
右傾化する世界をハーメルンの笛よろしく、トランプが引っ張っていってくれることに期待したい。

今、野党の誰に期待できるかって、野田さんは今無所属かぁ。野党連合の中心に必要なのは、スーパー実務型の官僚出身者、だったりするかも知れない。そうでないと、野党連合が野合にしかならない、気がする。

すごい時代になりましたね。ここに、南米とかアフリカが絡んで来て、国内の超高齢化とか待機児童とか絡んで来たら、もはや、イデオロギーを看板にする政党には何も期待できない、そんな気もする。これが、インターネット社会の到来、かな。自民党は、実務型が目立つため、ドグマが見えにくいだけ、の、ような気がする。だから怖い。

折衷案

黒田治さんだったかな、Nack 5の。
確か、新年号のニュースで、こんなことを言ってたのを、ふと、唐突に思い出した。「平成になった時のように、即位後に新年号を公表する案を推す委員の方もいた。」と。

あ、これ、いいかも、と思った。何故ならば、もし「事前に準備できる」となると、期限までに間に合わそうとして、「お前ら、間に合うように仕事しろ」とかなってSEとかプログラマとかが地獄を見る。必死の仕事に追いまくられて、中には本当に死ぬ人も出てくるかも。
だけれど、一斉に日本中が「新元号」を知るのが即位後ということになるならば、だってもう、みんなが「期限外」で「絶対的な期限」なんて存在しないから、どうせ間に合っていないんだし、できるペースでやろうよ、ってな感じになるかも。そうしたら、「適当に急いでね」みたいな感じで、死ぬ思いで「期限」に間に合わせるように追いまくられるような仕事とは、ちょっと雰囲気が違うんじゃないかと、思った。
だって、運転免許証の有効期限が「平成35年」だもの。5年くらいのうちに、なんとかシステム改修が終わればいいよ、なんて、なりませんかね?
さらに、「そう言えば」だけれども、バブル期の100年モーゲージの返済明細の写真、35年くらい前に、日経ビジネスか何かで見かけたのを思い出した。完済が「昭和 158 年」とか(細かい数字は忘れたけど)なってた。昭和 158 年、って、ちょっとあんた、って感じでしたけど、あの書類、一応平成になっても有効だったんだろうなぁ。それなら別に、システム改修しなくたっていいじゃんか・・・
とは、ならないか。

加えて言えば、「出来るだけ早く仕上げろ」とか、「うちの仕事を先に片付けてくれ」みたいに言われても「そうですねぇ、よそ様よりも先にお宅の仕事をやれ、っていうことなら、ちょっとばかし金額を・・・」みたいな感じになりませんかね?むしろ、システムを改修する側が主導権を握れたりなんかして。あれ、これって、もしかしたらいいじゃん、なんて思った。この、「即位後に新元号を公表」なんて話、もしかしたら、最適解かも知れない、なんて思った。

すみません、楽観的というか、能天気で。

Version Wrapper

Mac OSが、OS X Mojaveになった。Version 10.14

安定を望むなら、バージョンアップしないのが一番。だけれども、仕事の上で、最新環境でないと何かと困るので、Mojaveにアップした。そうしたら、案の定、MarkDownのエディタは突然落ちるし、今日、教材を書いていたらpygameが固まった。pygameのサイトで見たら、インストール方法が変わっていて、それに従ったらすんなり片付いたけれども。Mac OS, Python, pygame, 三つ巴のバージョン調整なのか。

Railsで自動合成されるコードで、継承元のスーパークラスにrailsのバージョン番号が入るようになっている。rails 5からかな。どのバージョンのクラスを使うかの明示宣言。もしこれで動作が保証されるなら、これは、かなりいいアイディアだと思った。

OSなどのシステムが更新された時に、以前だったらOSが変わるたびにアプリも再コンパイルし直さないと、動かなくなって、大騒ぎでライブラリを更新して、システムコールのパラメータの見直しをしなけりゃならない、とか、やってた。その反省からか、Windowsなんかは上位互換保証に相当に気を使ってくれていたんだろうけれども、上位互換が犠牲にしているのは、セキュリティホールなんだろうという気がする。

思うに、Mac OSでもAndroidでも開発キットの更新があるはずだけれども、システムコールの部分に、「現在開発しているバージョン」をパラメータとして増やして、あるいは、アプリ単位で一括指定できるようにして、システムコールにアプリ側のバージョン番号が伝わるようにできないか?不可避な場合を除いて、Argumentの個数とか順番とか、それが変わっても、例えば「過去5世代」については、「下位からの互換を保証します」的に、旧バージョンにも対応できるような、マルチバージョンのOSのWrapperは作れないものかな、と思った。

こういうのが出来てくれると、アプリ屋にとっては嬉しいと思う。カーネルのバージョン、OSのバージョンが変わるごとに作り変えをしなくて済む。例えば、過去5世代ならば、適応修正のサイクルが5倍に延びて、その「過去と向き合い、未来に対応する」だけのための開発時間の浪費が5分の一に減らせる。ユーザにとっても、しばらくの間はアプリが「落ちずに」動いてくれるので、そして、流石に5世代見ておけば、どこかのタイミングでアプリ側も上位互換対応する時間的な猶予が取れて、こうしたOSのバージョンアップを、アプリが落ちる心配をせずにできるので、とてもありがたい気がする。

Androidにそうした仕掛けがあるのかどうかは、調べていませんが、Mac OSに関して言えば、特にオープンソースの開発屋向けのツールが、結構あちこちで落ちた。有用なアイディアかどうかは、現役世代の若手のSEの皆さんに、託します。(あ、お金は要りません。笑)


全く関係ないが、「新元号」の公表が2ヶ月前だと、改めて発表されたらしい。だとしたなら、例えば戸籍なんかも含めた「公文書」も、コンピュータシステムを行政が利用している限り、「西暦だけでも構わない、あるいは、平成34年とかいう数字が表記されても、有効な公文書とする」、というような、行政側からの保証がなければ、システム屋が大騒ぎになる、と思った。速攻で成立させろ、と思う。

「修正は無理です」という現場からの主張を、上に届かせるメカニズムがなけりゃ、結構な数のSEやプログラマが、死んだりおかしくなったりすると思った。下手人は与党の政治家だ。SEやプログラマを雇っている会社の皆さん、損害賠償請求(避けられるリスクを、一切顧みずに、悲鳴を黙殺した、という趣旨の主張)をして、死んだSE/プログラマ一人当たりどんなに少なくとも1億円くらい、鬱になったSE/プログラマには最低でも3千万円くらいは、国から奪い取れるように、今から準備しておきましょうね。
大事なことは、今、「そんな直前の公表だと、システム改修の対応が追いつかないから、業界として大変な騒ぎになります。現場のSEやプログラマが死ぬかも知れません。それを承知の上で、新元号の公表時期を遅らせるんですね。」と、業界団体からの申し入れを、政府や与党に送りつけるか、直談判しておくこと、じゃないかな、と思う。こうした伏線を張っておけば、いざ、SEやプログラマが死んだ時に、国からの賠償金を取りやすい。僕は、そんな風に思います。

それがね、ワンマン経営の組織だと、そういう「まっとうな(つもりの)主張」をしただけで、反逆分子だと扱われたりして、とんでもない冷遇をされたりもするけれども。さすがに国が相手だったら、もう少しは、マトモじゃないかなぁ。
僕みたいに、直属の上司だった3人の方が、それぞれ何年かおきに定年で辞められる都度、准教授への推薦を出してくれていたのに、全部却下される、っていう(給料が年収500万で一切変わらないなら、肩書きなんてどうでも良かったけど)そういう対応をする組織も世間にはある。いや、肩書きもどうでも良かったけど、年収とか、肩書きだけで露骨に見下してくる人が山ほどいたからなぁ・・・。
悪口みたいになったので、一応擁護しておく。僕は「まだ」悪いことをしていなかっただけで、いつ悪いことをしてもおかしくないだけの人間だった。そういう意味では、とても「人を見る目」を持ったトップの揃った組織、だったんだろうなと理解します。だってね、教育機関のトップに「人を見る目」がなかったら、致命傷だもの。ましてや、政府機関が、正当な主張に聞く耳を持たない、主張の是非を判断できないって、なんなのよ、って、なんの話だっけ?

あ、そうでした。安倍総理のケツの穴の大きさ。全然見たくもないけど、あの人が平然と人を見殺しにするのかどうかは、結果を見ればわかると思うな。(すみません、私がブチ切れてるのは、Mac OSのせいです。)

以上、蛇足終わり。

訂正 >> 心霊現象

さっそく、リアクションが来たような気がする。この部分。

少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、そこを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、浄霊はできるはず、だと、私は理解している。

これは、僕の理解の誤り。詳細に霊と対話ができなければ、「実在界」(霊体さんたちの世界)の仕組みをきちんと理解して、説明できなければ、「浄霊」は出来ない、と講演でおっしゃっていた。
何か、指摘されたような気がして、そんな記憶を掘り起こした。前後の関係する部分に、全部修正をかけます。

この話題、書いてしまった後、何か思い荷物を下ろしたような気がして、ようやっと久々に、目の前の仕事に集中できる気がした。

それだけ、「誤り」があったら結果が重い気がする。特に師匠の講演会の根幹に関わる部分だけに、普段だったら「訂正」は出しても、本文は「原文」のままにしておくんだけれども、このページだけは、何回でも、何十回でも間違いがあった箇所は修正する。「心霊現象」として書いたページ単体で「誤りがない」状態にしておかないと、問題が大きすぎる。

いや、好き好んで落ちるつもりはないので。


余談ながら、これは本論と関係ないけれども、師匠は手を当ててのヒーリングにも、浄霊にも、一切お金は取らない。私の考えは、お金を取るのは「商売」だからで、見えない、知らない人の無知につけ込んでいるだけ、だと思う。
その師匠の言葉を伝えたい私のページにも、一切広告は貼り付けていない。そこは、お金のために生きているのか、目的があるから肉体を持っているのか、そこの違いだと、私は思っている。

心霊現象

ホラー映画の「死霊館」を見た。
というのは、現時点(草稿を書いた時点)では嘘。ただ、このページをアップする時点では本当になっているはず。つまり、今日レンタルして、近日中に見て、それからこのページをアップする。と、書いたのは日曜日の夜で、12000字の長文をこれから加筆修正して、アップする。(最終的には、15000字になっちゃった。)

なぜ、そんなややこしいことをしたか、と言えば、師匠の今日の講演会、前半はずっとホラー映画だとか、悪魔払いとか、そんな話題ばかりだった。右から左で「こんなお話を聞きました」と、それを他人に伝えるな、自分で経験してつかんだもの、自分で直接見聞きして確認し、考えたことならばセーフ、という約束事があるので。
ホラー映画から「何を学ぶか?」なんて、どうやって答えを出すんだ?とは思うが、とりあえず、簡単に答えが出るところから一つ、手を付けることにした。

実は、しばらく前にホラー映画だとか、テレビの心霊番組の虚実の話題を書いたのだけれども、文脈がつながらないのと、論点がボケるのとで、何段落かをまとめて消した、ということがあった。
僕らの日常生活とか、何を考えたかなんて、全部上に筒抜けで、当然そこから師匠も把握されている。あれも、これも。
監視されている、なんていう言い方も出来るけれども、逆に言えば僕らが交通事故に巻き込まれたとしても、瞬間に助けてもらえたり、最悪の状態を避けるように上に動いてもらえる、ということは、何人かの体験談を聞いている。僕が三脚から落ちた時の頚椎損傷、たぶん、相当に軽くなるように動いてもらえた気もする。そういう意味では、迷惑というより、ありがたいとも言える。当然、僕が一旦書いて消した「心霊話」の展開も、師匠はご存知だったんだろうか、と今日思った。
だとしたら、いいから書け、と言われたようにも感じた。間違っていたら?もういい。落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。
気合いを入れて、「世間の多くの誤解、勘違い、無知」などなどに、「正しい情報」を流せるように。(もし、間違った部分があったら、後から訂正する。)

仏教で言うところの「成仏できない」タイプには、何種類かある、と理解している。
まず自殺。死ぬ直前の意識のまま固まるから、辛い意識を抱えたまま、電車に飛び込むなんて言う行為を延々と続ける。脳がなくなってしまうから、「これはおかしい」と気づくのは相当に難しいらしい。ある意味で自殺したことに対するペナルティかも知れない。
次に、「死んだらそれっきり」と思っている方々。肉体を抜けて数日したら、生きている時とほとんど差のない「意識」があるから、自分が死んだことがわからない。あるいは、死んだことがわかっても、どうしたらいいかわからないから、お墓に住み着いたり、あるいは聞きかじりで「恐山」のような場所に集まったり、そうして浮遊霊や地縛霊になる方々。この人数は相当に多いらしい。

多少話題が脱線するが、浮遊霊とか地縛霊にならないために、どうしたらいいか、講演会で教えていただいた。書いてもいいか、以前だったら悩んだけれども、もういい。書く。まず、「あ、俺死んだんだ」と自覚すること。そうしたら次に、「私は、どこに行ったらいいんだろうか。」と思う。意識する。これだけだと伺った。「どうしたらいいか?」ではない。「どこにいったらいいか?」らしい。
「ちゃんと、心でそう思えますかね?」言葉として記憶しても脳がなくなっちゃうんだから、「難しいよ、」と言うのが師匠の思いか。でも「どこに行ったらいい?」と思えたなら、「ここに行けばいい」という方角を意識で指し示してもらえる。らしい。あるいは、指導霊さんと言うか、守護霊さんと言うべきか、同じグループの仲間が迎えに来て、行く先を示してもらえる。
大丈夫、どなたももう、何千回も何万回も、経験済みだから。そのはずなのに、一旦肉体を持って、「死んだらそれっきり」という意識で上書きされたら、今回は迷うんだろうか。

以前「脚色」して書いたことがある。ニューヨークを舞台にした「ゴースト」と言う映画。「だいたい、あんな感じ、らしい」と言う書き方をしたが、今ほど「予備知識」をネットに書き込んでいない段階で書いたページだったので、大切なところをいくつも飛ばして書いた。
殺人犯が地獄に落ちるシーン、肉体を抜けて、すぐに意識体として動き、地獄に吸い込まれた。あれはさすがに、ちょっと違う、と理解している。善人も悪人も同じ。肉体を抜けました、すぐには「霊体」として覚醒しません、数日以内で覚醒しました、そこで自分が死んだことに気付かなければ、あるいは気付いたとしても行く先が分からなければ、浮遊霊になってしまう。そうではなく(if / elseのelseの方です)あ、俺、死んだんだけれども、どこに行ったらいい?と思えました、そうしたら、まず「元いた世界」(実在界=霊界)に戻ろうとします、戻りました、とする。中には、いきなり上に戻ろうとして、戻る人もいるらしい。

脱線した話題から、さらに脱線し、そこからさらに脱線。深さ3の脱線。
新潟だったかな、ある実業家の方がいらっしゃった。孤児の施設の子供たちをフレンチのフルコースに招待して、ふだん経験したことのない豪華な料理を振舞って、喜んでもらったらしい。結果として、その子供たちは、ふだん施設で出されていた当たり前の食事が、ひどくみすぼらしいものに思えて、自分たちを卑下するようになった。明らかに、子供たちの心に傷をつけた結果になったことに、その方は全く気付かなかった。むしろ、「自分は、こんなにも良いことをしている、偉いんだ」という自負・虚栄心の方が強く、「自分は、こんなにも良いことをして生きてきたんだから、上に戻って当然」と思って、いきなり上に戻ってきたらしい。

ところが、実在界に戻っても、周囲が誰一人として相手にしてくれない。肉体を持った時の「意識の汚れ」がビッシリとこびり付いている。その方以外でも、直接上に戻ると、あれが欲しい、これが欲しい、あの女(男)とヤリたい、俺は(私は)偉いんんだ、いいもの食いたい、あいつが憎い、俺はこんな勲章をもらった、etc. etc.で、そう言う物質世界にどっぷり染まった「意識」が、汚れを落として実在界に戻っている方々には、どうにも不快でやり切れないから無視される。居ても、居ないものとして扱われる。

結局、「ここは自分のいる場所じゃない」と遅かれ早かれ気付いたなら、改めて「どこに行ったらいい」と考えて、自分から「地獄(=自分の意識に合致した世界)」に向かう。

そうした「虚栄心に固まったりした人」以外の場合には、自分が死んだことに気づいて、どこに行ったらいいか、次の行く先を考えた時点で、自分のして来た行為に気づけた辺りで、「地獄」の周辺にたどり着く。

これも仏教の「閻魔様」の話題。「閻魔様というのは、自分だよ」と師匠はおっしゃった。天国に行くか、地獄に行くかを決めるのは、すべて自分。「天国」を選んでも、汚れたまま上に戻っても全く周囲に相手にされないから、結局「じゃぁ、どこに行ったらいいんだろうか」と考えて、最終的には全員が地獄に行く。行く、と言うんだろうか、夢の中のストーリー展開のようなものだと私は理解する。ここはどこだろうと思ったら、色々な世界が見えてくる。意識体どうしで引き付け合うんだろう。興味を持ったなら、その瞬間にその世界に足を踏み込む。興味を持ったその瞬間に、その世界の住人になる、と講演会で聞いている。これで、深さ3の脱線終わり。深さ2の脱線に戻る。

ある世界では、人を殺してでも金品を奪って、奪えた時に「達成感」(=充実感)を感じるような方々が集まっている。血まみれになりながら、それぞれが殺し合い、奪い合いを続ける。自殺した霊体さんと同じで、すでに死んでいるのに「死んだ」と思ってもしばらくするとまた意識が戻って、「生き返って」またその殺し合い、奪い合いに参加する。それが「餓鬼界」らしい。その亜流の、もうちょっとマニアックな方々が集まっているのが、仏教で言うところの「血の池地獄」だろうか。私はそう理解している。私が見た訳じゃなく、師匠の講演会の講演内容を、可能な限り私本人としては正確なつもりで再描写すると、こうなる、と言うのを書いている。ディテールが違っていたら、いずれまた訂正します。こればかりは「経験してから書け」と言われても、その世界に行くつもりはないので、伝聞にしかならない。このやり方に問題があったら、僕が別の世界に落ちるだけ。

美味しいものを食べて、着飾って、時には参加者どうしでセックスを楽しみ、そういう世界に興味を持ったなら、その世界にどっぷりとはまって、「ここが自分の居場所だ」とご本人は確信するんだろうか。この辺は天国と勘違いしている方も多そうだ。そのまま「これは何か変だ」と気づくまで、何百年でも、延々とそれをお続け下さい。ということだろうか。その「時間」の間に、他の方々は、上に戻って、次に肉体を持つ「計画」に着手する。楽しくないことも、少なくない、肉体を持つのは「辛い」経験でもあるけれども、経験値を積めば、魂として進化する。自分自身のエネルギー量が大きくなるから、出来ることの範囲がどんどんと広がる。だけれども、目先の「楽しい」にトラップされて、「こんなことをいつまでも続けていいのか」と気付かなければ、ずっとそのまま。私自身がこの世界に興味を持たないかどうか、わからんなぁ。

ある世界では、参加者が延々と「勤行」と称して、念仏を唱え続けている。それも、絶え間なく無限に、延々と。ご本人たちは「これこそが天国だ」と思っているから、そこから全く動こうとしない。その方々は、相当に手強いらしく、まだできて数十年も経っていない地獄らしいけれども、抜け出せない方はこれから一体何百年続けることになるのか。

最近できたと言う新しい世界。居心地の良さそうな「洞穴」のような場所に、一人一人が篭って、何をするともなくじっとしている。あるいは、ゲームでもしているかも知れない。「あぁ、なんて居心地のいい場所なんだろう」と思えば、ずっとその場所に居られる。それなら、さっさと死のうと思いますか?でも、自殺はダメだと思います。自殺したら、こうした種類の地獄にたどり着く前に、現世に地縛霊として留まって、まずは延々と自殺を繰り返す、と言う状況に陥ると思う。そうですね、何も食べずにゲームを続けて、部屋の中で餓死する、なんていうのがいいかも。そうしたら、比較的、この世界に行きやすいかも。(無責任に書いてます。)いや、経験したことないから、わかりませんが、師匠の講演内容を組み合わせて、「演繹」してみた。ここも「経験」してから書く、というのはやりたくない。というよりも、一旦抜け出して、上に戻ってから再び肉体を持ったなら、自分がかつてそこにいたことすら、忘れているんだろうな。そもそも、上にいたことを忘れている人が大半だし。ましてや、それ以前のことなんて。

どこもかしこも、ご本人はそこが「地獄」であることに気付かない。今、肉体を持って生きている「自分」の意識体としての、ありのままの姿のまま、一番「居心地がいい」場所に引き寄せられて、その世界を垣間見て、「あ、ここが一番居心地がいい」と思うなら、そこに居続ける。そして、長い人は何千年も、何万年も、そこに留まる。そうして「これはおかしい」「ここは自分の居場所じゃない」と、「意識体」として気づく、ということは、すでにその汚れを落とせていることになるので、やっと上に戻れる。

どこかで「俺は(私は)、何をやっているんだろう」と気付いて、「何かここは変だ」と(脳がないのに、意識体それ自身が)気付いたなら、ここは、師匠が何度も講演会で話されている表現のそのままだけれども、上から「光」が差し込んできて、上から差し込んだ光に吸い上げられて、実在界に帰れる。自分で気づくということが「汚れを落とす」ことにつながる、らしい。

上に戻った際に、どうにも周囲が「幼稚」に思えて、なんとなくここは意識が噛み合わない、と感じたなら、元いた世界よりも上の世界に上がる。エネルギーレベルが上がっていて、そこで時には「次元」が一つ上に上がれる。逆に、上に戻りました、元いた世界に戻りました、だけれど、なんだかみんな自分とは違う「偉く見える」人たちばかりで、どうにも居心地が悪い。もっと自分が自分らしく楽にいられる場所はないんだろうか、と思ったなら、そう言う意識体に引き寄せられて、居心地のいい場所に辿り着く。気付いてみたら、そこは元居た「次元」よりも下の世界だった、だけれども、自分にはこちらの方が居心地いい、と言うことになる。進化とか、退化とは、そうことだと私は理解している。微妙に自分自身の波長がズレてきて、最もクリアに交信できる相手が多くいる世界が、自分の所属する居場所、ということになる、らしい。ここまで書いて、深さ2の脱線終わり。

こうした「次元」は、せいぜい4〜8次元の(9次元は別格で、ヒトではあっても神が直接、すべての知識を予め持たせ、最初から9次元として創造されたbotと言うか、指導的な存在だから、僕らに4次元から始まったヒトにとっては8次元が一番上、だと聞いていますが、)5段階の次元だけ、だけれども、さらにそれぞれの「次元」の中が、何段階にも分かれていて、師匠は講演会の中で、「誰それさんは、7次元の中段」だとか、「あの方は、6次元の上段」だとか、そうした表現をされている。以前は、ザックリと100段階だと聞いていた。今後は、多少「簡略化」と言うか、一つの「段階」の幅を広げて、上でも意識交流ができるように、段階の数を減らされるらしい。(こんな話、書いてしまって、どんなペナルティがある?いえ、明日肉体を抜けさせられても、後悔はないけど。)ただ、師匠は以前おっしゃった。「いつか、学校で世の中の仕組みを習うように、学校でこうした霊界の仕組みをきちんと教えるようになったらいいのに。」他の講演内容から考えるに、おそらく遅くとも1000年後には、そうした時代が来ると思う。その時のために、今こうして、可能な限り正確に師匠の言葉を綴って、伏線を張りたい。

そうして、生き様次第で、自分自身の霊体としてのエネルギーを上げたり、下げたりしながら、地獄から上に戻ったなら、また次に肉体を持つ計画を立てて、自分より先に肉体を持つ方に「親になって下さい」とお願いしたり、次は「私と結婚して下さい」と、事前に約束を取り付けて、そうして全てを決めてから肉体を持つ。そうは言いつつも、結婚するべき相手と出会うとか、計画通りの親に想定外のことがあったり、色々あるらしいけれども、基本的には、親や結婚相手、性別、さらには「親友」なんて言う相手も決めてから肉体を持ち、次の「経験」を積む。前回はあの国に生まれたから、今回はここにしよう、と生まれる場所も決める。ただ、人気の高い国は、そこに生まれることができるとは限らないから、別の場所になることもある、ようだ。これを繰り返しているのが、ヒトのライフサイクルであるらしい。
霊体としては男なのに、女の肉体を持つとか、そう言うのも「経験」として自分で決めていることだから、いざ肉体を持ってしまってから「これは違う」と気付いても、昔だったら肉体のままの「性」で一生を押し通して、「男であっても、女としての生き方の経験」を持ってから上に戻ったりしていた。逆もそうらしい。だから、男なのに女の生活感覚が多少は理解できたり、その逆もあったりする。昨今の性的マイノリティへの対応で、医学の進歩が逆に魂の進化の妨げとなっている、と私は理解している。ただ、師匠も、創造主も「あまり、いいことじゃないな」とお感じになりながらも、ただ黙ってその経過を観察していらっしゃるような気がする。決めるのは最終的に本人次第だけれども、少なくとも、意識体としての自分と異なる性別の肉体を選ぶのは、その経験を積むため、だと聞いている。男女の差がなくなるのは、8次元まで進化してから。なぜ、意識体なのに男女の差を作ったか。理由は聞いているが、別の機会に。

そうして、いざ肉体に入る際には、受精卵に自分の意識体を押し込める。中絶したらどうなるか、などなど、その辺も細かく聞いているけれども、これも詳細を書くとこのページではあまりに話がそれまくるので、割愛。

話が、逸れまくった。地獄のところで、脱線しまくった。本題は、「心霊現象」だった。
成仏できないケースの、2番めまでは書いたっけ。最初は自殺、二番目は「死んだらそれっきり」と思っている人たち、とか、どこに行ったらいいか知らない方々。

三番目は、悪霊。肉体を抜ける直前に、強い憎悪の念を持っていたりすると、その方は悪霊になる。悪霊の場合には、人を殺すこともある。講演会で、これも様々な例を聞いている。これで深さ1の脱線終わり。

今日の講演会。
「死霊館」の映画を見た。
そう言えば昔、本を読む前に斜め読みだけで「読書感想文」を先に書いてしまって、書いて期限に間に合わせてから、慌てて丁寧に本を読んだ、なんてこともあったかも。あの時は、読み返してからの書き直しをしなかった、気がするけれども。今回は、完全な加筆修正。最初から見て書いたことにしておこう。

死霊館に出てきた霊体さんは、地縛霊で、悪霊じゃないよ、と師匠はおっしゃっていた。本物の「悪霊」だったら、「家族全員殺してやる」なんて言う前に、全員死んでいる、それくらい怖いらしい。何よりも「登場人物が一人も死んでいないでしょ?」と。「あの怖さ」でもいわゆる「悪霊」ではなくて「地縛霊」なのだから、悪霊の凄さを想像・・・したくありませんね。実は、途中から結構安心して見てしまっていた。もう一つ、おっしゃった気がする。死霊館の映画に出てきたオルゴール。実話の時は、少女ではなくて少年が「こっくりさん」をやって、それで霊体さんを引き込んでしまった、らしい。厳密には「こっくりさん」の欧米版、なんだろうけれども。(もしかして、別の映画の解説だったとしたら、この記述は「間違い」になるかもしれない。死霊館に結びつけずに読んでおいて下さい。)
これも師匠がよくおっしゃるけれども、脚色が過ぎると現実にはあり得ない心霊現象の描写になるから、かえって白けてただ単にグロテスクなだけの映画になる、ようだ。私自身もそんな気がするので書いたけれども、私はそんなにたくさんはホラー映画は見ていない。あまり興味がないので。師匠が「課題」に取り上げた時だけ。

魔の国道4号線。国道の東北道だろうか。白い自動車ばかりが電信柱に激突して、何人も亡くなっている場所が、かつてあった。知人に頼まれて、師匠が浄霊したらしい。その霊体さん、その国道で跳ねられた女性だった。跳ねられた後、まだ生きていて、すぐに病院に運んでもらえたなら助かったのに、跳ねた運転手は、一旦車に乗せた後、その現地のそばにその女性を放置して立ち去ったらしい。その結果、その女性は亡くなった。それで、「白い乗用車」に対する強い怨念が残って、側を通りかかった「白い車」を引き寄せて電柱に激突させ、運転手を殺す。そういう悪霊になり、現場付近が「魔の国道4号線」と呼ばれる場所になったらしい。師匠は、頼まれてその場所で浄霊したらしい。その際に、会話してこの経緯を聞いたらしい。
この話題の「教訓」は?これは簡単。「白い車に乗るのはやめましょう」ですね!(自信たっぷり!)

随分以前の講演会でも、何度もこの話題は取り上げられていた。ちょうど、テレビ東京のクルーが取材に来ていたそうで、取材させて欲しいと頼まれて快諾したところが、撮影したビデオテープの肝心な部分が全部真っ白になっていて、使い物にならなかったと、後から「お詫び」の電話がかかって来たらしい。そのテレビのクルーは、自分たちのミスだと思っていたようだと、聞いている。
この方は、地縛霊というよりも、「悪霊」なんだろうと自分は理解する。何人も人が亡くなっている。

師匠は、講演会活動を始められる前に、頼まれてあちこちで「浄霊」をされている。その中の一つが、新潟県新発田市。師匠の友人の親戚、らしいけれども、14基(だったか)とかのお墓があったらしい場所が造成されてしまい、「住宅地」として売りに出されて、その土地を買った。そこに越してきた翌日に、その家のおばあちゃんが亡くなられた。奥様もしばらくすると「原因不明」の病気にかかり、さらにもう一人家族が亡くなったらしい。さすがに二人も死んで、おかしいと思い、その後ツテをたどって師匠のところに話があって、行ってみたら、「地縛霊」と言うよりも「悪霊」が4体住んでいたらしい。浄霊の際に、噂を聞きつけて、ご近所の方が見に来ていた、そのご近所の方々の目の前で、家の扉を開いたら、いきなり包丁が空中に現れて飛んできて、師匠の目の前で直角に落ちた、らしい。ご近所の方々も、目撃されていて、震えていた、そうな。普通の人なら、そのまま包丁が刺さっている。結局、地縛霊なだけだった方々が、「自分の住処に、勝手に住み着いた他人」に対して腹を立てて、悪霊になった、ということのようで(この理解、違っているかも)、「ヒトは、死んだらこの世界にとどまらずに、上に帰るんだよ」と時間をかけて対話して、諭して、上に帰らせて、この件は解決したらしい。私は、聞いてそう理解している。
ちょっと話はそれるが、この新発田市の話でも、死霊館の実話の方にしても、「事故物件」の情報がないと、怖いとは思う。このプチ脱線は、終わり。

テレビでよくやる「除霊」で、気合を入れて気合いで追い払う、というやり方でも、確かにその場から除くことはできても、それだけでは、その霊体さんは他の場所に移動するだけ。「浄霊」をするならば、対話をして、相手がどういう経緯でそこに居着いたのか聞いてあげて、いつまでもここにとどまっていたらダメだよ、と諭して、上に帰らせてあげて、それができなければ「浄霊」にはならない。意味のわからない「念仏」とか「ラテン語」を唱えても、相手の意識体によっては言葉が通じない。これは、生きている人間に対する行為でも同じだろうと思う。
そして、もう一つ。気合いで追い払う「除霊」の場合、運よく相手のエネルギーレベルが自分より小さければ追い出せるけれども、自分よりエネルギーレベルが高い相手の場合には、殺されることもある。エクソシズムのように「追い払う」やり方では、力関係だけが問題になる、ように自分は理解する。

寂しくてたまらないから、他人の関心を引きたくて、友だちに乱暴な行動、あるいはイジメを繰り返す。そんな児童に「イジメは、他の人を傷つけ、なんちゃら」と説教しても、たぶん、通じない。話を聞いてあげて、その子供の「寂しくてたまらない」部分を理解してあげなければ、その子供の「イジメ行動」の根本原因は取り除けない。悪霊の「浄霊」でも、全くそれと同じプロセスが必要なんだろうと、自分は理解する。残念ながら死霊館で行ったのは「除霊」なんだろうか。憑依された方の除霊ならば、憑依された本人の意識で「悪霊と共鳴する部分」を取り除けば、簡単に(?)その悪霊も憑依できなくなる、はず、なんだけれども、心から「憎悪」とか「恐怖」を取り除く、なんて、そう簡単に出来ますかね?というのが、この「死霊館」の課題なんだろうか。心の中に「共通の意識」がなければ、憑依したくてもできないはず、だと理解する。

師匠は、講演会活動を始める前に、埼玉県の秩父周辺で、手を当てて病気を治す「ヒーラー」として数万人以上に手を当てられたらしいし、頼まれて「浄霊」を何件もこなしている。その一部は師匠の著書にも書かれている。この界隈では、師匠のお世話になった方も少なくないはず、なのだけれど。「悪霊」は、素人にはとても太刀打ち出来ないレベルの強さで、エクソシストでも手が出せないレベル、らしい。「魔の国道4号線」だけではなく、日本全国いたるところに、そうした場所があって、成仏できない霊体さんがいる、らしく、師匠は場所を教えてもらえたなら浄霊されるとおっしゃってましたので、書き添えておきます。ただし、あくまでも、僕ら会員に対して「場所を教えてもらえたなら」とお話になったので、世間一般の方へのお話ではない、という点だけは、申し添えておきます。

なに分にも、私を含めて不謹慎な会員が多く、会員の「真っ黒に汚れた意識」のせいで、師匠も相当に体調を崩されることが少なくない。申し訳ない限り。
僕らのような霊感のない人間でも、「あの人のそばにいるだけで、吐き気がしてくる」なんていうことは、ありませんか?悪意を剥き出しにしている人の側にいるだけで、痛みを感じたりしませんか?それがもし、師匠のようにその気があれば100%意識が読める状態で、そうした相手と接したらどうなるか。そんな訳で、会員相手ですら体調を崩される師匠だから、一般の方が師匠と直接お話しするのはやめて欲しい。そもそも、勉強会は「もっとヒトについて知りたい、という有志」が集まった団体で、師匠が「この人なら、いいよ」と認めてくれた場合に、正式な会員になれる。病気を治して欲しいとか、そういう参加は、あまり好ましくないよね、ということにはなっている。浄霊の場合には、「迷っている人たちが、可哀想だから」と師匠はおっしゃる。ここから先は、もう書きません。適切に演繹してください。師匠の「浄霊」の話題はこれで閉じる。

悪霊にまでは至らない、地縛霊や浮遊霊は、これももう、「肉体を持っている総人口の数パーセント」に相当するレベルが、あちこちにいる、らしい。「人間なんて、死んじまったらそれで終わり」と本気で思っている人の比率が、何パーセントか、どなたか統計を取られたことはありますか?坊主が読経を唱えたって、タイミングによってはまだ霊体として覚醒していないし、そもそも、念仏の梵語を聞いても理解できない。自分が死んだと思っていなければ、他人の葬儀だと思っていたりする。ここで気付ければ、ラッキー。気付けなければ、その大半は、地縛霊や浮遊霊になる。そして、その大半が人畜無害。ただ単に、居るだけ。「死んだらそれで終わり」と本気で思っていたり、あるいは、変な宗教にゴチャゴチャ言われて、訳も分からずにどうしていいかわからなくなって(脳が、ではなく、「意識」が、です)そのまま浮遊する。人畜無害だから、勝手にそうしてろ、とは、個人的に私は思う。その方が信じちゃった指導者だの占い師だのが、真実を何も知らなければ、そうなるだけ、なのだろう。どこに行ったらいいかわからないから、どこにも行けないし、「どこに行ったらいい」という疑問すら持てない。急増しているらしい。いわゆる「科学技術」とか「文明」の進歩に、比例しているのか。悪いのは、科学や文明?そうは思わないけれど。

家に住み着いたり、墓に住み着いたりする地縛霊は、映画の題材にもなるような「悪さ」をすることがある。別の映画の解説でおっしゃっていた。たかだか地縛霊の「悪さ」に「サタン」なんて出てこない。そもそもサタンは、地獄の最深部に幽閉されていて、その意識が地上にも漏れ出ているだけ。普通の地縛霊や浮遊霊が、肉体を持っている我々自身が陥りがちな「悪想念」と、その霊体さんも持っている「悪想念」の部分が共鳴して、磁石のように引き寄せられて、時には憑依され、時には攻撃される。(僕も、つい数日前にひどい「うつ」に近い状態になった。)
師匠はおっしゃる。「被害者」は、生きている人間の悪想念に引き寄せられてしまった浮遊霊の方だよ、と。
愛を持って接して、「どんな生き方をされたんですか?辛かったんでしょうね。でも、ここはもう、あなたの居場所ではありません。上にお帰りください。」という思いを、怖がりもせずに伝えることができれば、おそらく憑依はされない。ただ、会話できなければ、浄霊はできない、らしいけれど。実際に「心霊現象」に直面してしまうと、まずは怖がる人がとても多いらしい。
少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、霊体さんに出くわしても動じないことを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくて、浄霊ができなくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、憑依はされないはず、だと、私は理解している。

タネも仕掛けもわかっている「お化け屋敷」なんて、一切平常心を乱さずに通り抜けられるくらいの方なら、たぶん、本物の霊体が目の前に現れても、対応できるんだろうと思う。ところが、「あ、霊だ」と気付いた瞬間に、鳥肌が立ち、怖がって固まる。そうなったら、ますますその霊体さんに「恐怖」(=「相手を忌避して拒絶する想い」)で意識が通じ合う状況になる、かも知れない。いや、意識の相互性、こちらが相手を意識したら、その意識は相手に通じる。通じているんだから、怖がらずに、「どうか、上にお帰りください。」と念じ続ければ、まず、大方は大丈夫なのに、キャー、来ないでー、ってなったら、時には相手は、相談相手や「自分を感じてくれる相手」を探しているだけ、だったかも知れないのに、拒まれることで腹をたてる場合もある、と理解する。元はヒトです。私たちも、そうなり得る、同じ感覚。話し相手が欲しかったのに、拒まれたらどうなるか、ご想像にお任せします。というよりも、各論中の各論で、それぞれの個性次第で組み合わせは無限かも知れない。どうなるかなんて、わからないし、書けない。そういう性質のものだと理解する。
書くことが難しい。自分でも「間違い」に気付けない、そういう性質の話題を扱っている。間違えることが怖い、けれども、とにかく最後まで続ける。

肉体を持っていた時の「意識」がこびりついているから、「悪魔」とはこういうものだ、という想いがキリスト教のものならば、十字架を敵対視することもあるだろうし、日本の地縛霊は墓石に住み着いたりする。結局は、その人の生き様、死に方を理解することが必要になるんだろうか。私にはわからない。わかることは、ただ、恐怖を持たずに、ただ「上にお帰りください」と、その思いだけ持って普通に接すること、なんだろうかと、自分は考える。
学校の教員として、教師が私である場合と、別の先生である場合とでは、違うし、児童・生徒・学生がAくんの場合とBさんの場合とでも、対応方法が違うだろうと思う。「教育学概論」で各論は扱えない、と私は思う。相手が霊体さんでも、ヒト対ヒトの関係を崩さず、ただ誠実に対応するだけなのかな。
ただ、「悪霊」だけは別格、だと、私は理解している。師匠じゃあるまいし、見分けなんてつくわけがない。殺されちゃったら相手は悪霊で、殺されなければ悪霊じゃない。結論が出ましたね、めでたしめでたし、ってことなんだろうか。難しいですね。
霊体さん側の誤解が生じて、ねじれている例は、上記の新発田市での事例だろうか。他にも、色々と講演会で聞いているが、詳細略。思い出せたとしても、とても正確に伝える自信がない。

今の人類には、まず、こうした心霊現象が起き得るということを理解してもらうことが肝要なんだろうか。ニーチェの「神は死んだ」に始まり、「霊なんて全部人間の恐怖心が作り出した架空の存在」なんていうのもある。確かに「枯れ尾花」も少なくないだろうけれども、それだけではない、ということを知ってもらうことが重要なんだろうか。知らない人が多いから、迷う霊が増える。だったなら、仮に多少の「間違い」が含まれていたとしても、このページは伝える意味があるんだろうと、信じたい。

宗教も、最初に説かれてから長い年月を経て、原型を留めなくなっているものも多い。「死んだらお墓に住む。」そんなことを言われて、信じた方は、実際にお墓に居着く。十字架を持っていれば守られる、そんなのは仏教やイスラム教を信じて生きた地縛霊には通用しない。そうしたことも、肉体を持っている間は「脳」が機能しているから、せめて「知識」として知っておいてもらうことも、もしかしたら大切なのかも知れない。

確かに、何よりもまず既存の宗教が「誤った知識」の源泉となっている場合も少なくない、とは思うが、そちらは最初に宗教を説かれた方がいずれ次々と肉体を持たれて問題の解消を図られる、と聞いている。アメリカのトランプ支持の福音派協会の方々は、キリストの再誕を心待ちにしているらしいが、イエスが何のために肉体を持って再誕されるか、目的をご存知だろうか。トランプがらみは、別にどうでもいい話題だけれども、師匠が何をお考えかは別にして、私はこの話題に触れたくない。完全な「越権行為」になるはずなので、怖くてこれ以上は書けない。
ただ、師匠の講演内容を、できる限り正確に伝えて、伏線を張るところまでは、自分の判断でやる、ことにした。

昨今は、実際には知覚出来ていないのに知覚できているかのように、誤った知識を広める人もいらっしゃる。これも、ものすごく迷惑な行為で、何も知らない無垢な方々はその「誤った知識」を信じてしまう。この部分を、師匠はすごく気にされているように私は思う。オーラの色の話、だとか、「前世は蜘蛛」だとか、いい加減にしろとお感じのようだと、一応この話題は、私自身が言葉にしておく。特にテレビなどを通じた場合には、信じた方への影響力が大きすぎる。それを信じて迷った人がいたなら、その最後の一人が地獄から上に戻るまで、相手を迷わせたそのご本人自身が幽閉されることは、知っておいたほうがいい、と、私は考える。自分の意思で地獄に行くのではなく、幽閉されるから、上からの光が差さず、ずっとそこに留まることになる。落ちるところまで落ちる覚悟が出来ているなら、話は別ですが。

マスコミや、映画の「心霊現象」の描き方。これが問題だと、今日の講演会で私は理解した(この先の「今日」は日曜日)。
このWEBページも、師匠の講演内容を伝える「まとめ」的なページとして、もしかしたらかなり長期間参照されるページになる、そんな気もする。もし間違っていたなら、速攻で訂正しないと後が怖い。同時に、マスコミや、映画制作関係者の方にも、それだけの真剣さを持って、読んでいただけたらと思う。

エンターテインメントのための脚色が、一般の方の理解を歪めて、意味もなく恐怖させる原因となったり、「地縛霊」だの「浮遊霊」だのを増やす原因になったりしていたなら、それは「人を惑わす行為」として、創造主の「罰」の対象となることは、理解しておく必要があると思う。「罰の対象」になったら、どういうことになるか、と言えば、結果的に広まってしまった「誤った理解」が地上から消え去るまで、地獄に落ちた後、上からの救いの手が差し伸べられない、ただ単に、それだけのことではあるけれども。そして、その「地獄」も本人にとっては居心地のいい世界のはずだから、苦痛はないかも知れないけれども、あなたがその地獄に何百年と足踏みする間に、他の方は何回も肉体を持って、「進化」のチャンスに挑戦できる。

「エンターテインメントが認められないなら、世の中の面白みがなくなる」そうかも知れないが、そもそも、肉体を持つこの世界は、ある意味で「修行の場」そのものでもあった。それなりに楽しく生きる生き方の模索は「あり」だとは理解するが、そこに「他人を惑わす行為」があってはならないのだろうとも、私は理解する。

師匠が、「本物の悪霊が出演する映画を、撮ってみようかな」と、これまでも何度か講演会でおっしゃった。登場人物は、人間がただ一人で、悪霊が「友情出演」。ただ、本物の悪霊が映されている映画を放映したなら、見た人が恐怖を感じた時、その方が実際に亡くなったりする、ってことも、起きるだろうね、ともおっしゃっていた。現実問題として、こうしたホラー映画の撮影では、関係者が実際に亡くなっていたりしていませんか。「あの映画は、主演の二人以外で、スタッフの死者が何人・・・」なんていう話も、今日の講演内容であった。神が存在するのと同じように、本物の悪霊は実在する、映画の最後に字幕が出ていた。僕らは、悪霊にならないための心構え(死ぬ前に他人に憎悪や恨みの念を持たない)ことも大切だけれども、悪霊になってしまった方への愛情も忘れてはならない、と、今日のところは理解している。テーマが難しすぎて、答えを出すのに時間がかかりそうだ。
話を戻す。リアリティに近ければ近いほど、本物の霊体さんたちを巻き込む。そうも思う。

「自称霊能者」の、現実を無視した解説を視聴者が信じ込めば、見た人たちの魂を汚して、不要な恐怖心を植え付けて、あるいは、避けるべき悪霊を回避する機会を失わせて、意味もなく人を殺すことにつながる、と私は理解する。
「霊感がある」と思われることは、知名度を上げるのに貢献したり、あるいは周囲の関心を惹きつけるのに役立つかも知れない。実際にあるならば構わないけれども、ないのに適当なことを言って、怖がって見せたり、どうせわからないと思って適当なことを言えば、後が怖いと思う。実際に霊感があったとしても、自分が知覚して知っている以上の内容を創作したなら、結果的にやっていることは霊感がないのに適当なことを伝えたのと同じ、だと理解する。師匠は、丹波哲郎さんが「大霊界」という映画を作成された後、人を惑わすから、やめて欲しいと、事務所を通じて抗議されたらしい。丹波さんのお答えは、「色々な本を読んだり、調べたりして、あとは自分の想像で作りました」というお返事、だったらしいけれども、とても危険な行為だというご理解があったかどうかは、わからない。

「死霊館」の映画。「課題」としてみるならば、何が起きているかを客観的に観察しつつ、自分ならその「霊体」さんとどう接したらいいか、加えて、どんな映像を見せられても、一切平常心を乱さないような「心の状態」であり続けることが、できるようになりなさい、と、そこなんだろうか、と自分は理解する。
極めて個人的な見解。「死霊館」の若干の「脚色」はあったようだけれども、師匠はそこは、あまり気にされていなかったように感じた。むしろ、字幕に出た主題の方が大事。僕自身、突っ込むつもりで「脚色」部位を探そうとしたけれども、「誇張」の程度のような気がした。結果的に、講演会で「課題」として取り上げられたということは、そういう性質の映画なのかな、と思った。この段落、私の個人的な見解です。実際に、見える方が見ている世界が描写された映画なんだろうと、私は思う。(前にも書いたけれども、私には「見る」ことはできません。)

僕の指導霊さん、僕がまだ「無名」だった頃、何かと「こんなことが起きるかも」と意識を送ってくれて、僕はそれを周囲に口にしたりして、それが「予知能力」みたいになってしまい、その挙句の盗聴・盗撮の中で、部屋の中での独り言。仕掛けが済んだらもう、ほとんど「予知」みたいなことは受け取れなくなった。30年前の出来事だけれども、「今」の「影響力」の布石にはなったんだろうか。
今回のこの話題。師匠の存在や、師匠の言葉を全世界に伝える「チンドン屋」としての使命は、無事果たせたのかな?
後藤健二さんが殺された時は、叩き起こされた。「たった今、後藤さんが殺されました」と伝えられたけれども、だから何じゃ。俺は何をしたらいい。たったそれだけの情報が、何の役にたつ?(いや、長文を受け取れない私が悪いんだけれど。)結局、たったそれだけの素材を料理して、Facebookに二つの書き込みを書いた。当日と、二日後。だったと思う。詳細は僕のFacebook参照。

このページも、同様のインパクトは持つのかも知れない。うまく、師匠の伝えたいことがらが伝わればいいのだけれど。
とりあえず僕は、指導霊さんとは、そこそこ、「いい関係」は築けているんだろうか。霊体さんたちとも、なんとかうまくお付き合いさせていただいているんだろうか?

無事、(ミスなく)仕事を出来ましたかね?よくわからないけれど、これでページを閉じます。
以上。

国際司法へ、海外の理解を求めるべき

徴用工訴訟、新日鉄住金に賠償命令確定 韓国最高裁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3710236030102018000000/

Aさん(日本)とBさん(韓国)がいました。Aさん一家が、Bさん一家を支配した時期があった。
その後、AさんはBさんの死んだおじいちゃん(軍政)に、ご家族の皆様へのお詫びとして、一括して賠償金を支払った。
Bさんのおじいちゃんは、Aさんの家族は悪い奴らだ、悪い奴らだと、そればかりを息子や孫に伝えるものだから、Bさん一家の誰もがAさん一家は悪い奴らだと信じて疑わない。Aさん一家から賠償金を受け取ったことを内緒で、着服したことを黙ったまま、Bさんのおじいちゃんは亡くなった(軍政が終わりを告げた)とする。

Bさんの孫たちは、賠償金を支払え、一円も受け取っていないと騒ぐ。Aさんにしてみたら、不本意で、「あんたらのじいちゃんに、ちゃんと支払っただろうが」と、いくら言っても「いや、そんな話は聞いていない」と、それ一辺倒。聞いていないのは当然だろう。じいちゃんは使い込みを黙っていたし、「Aさん一家は悪い奴らだ」と、それしか聞いていない(そういう教育しか受けていない)んだから。

Bさんのじいちゃんの息子(政権についた政治家)は、じいちゃんの遺品を見て受け取ったことに薄々気付いていても、孫たちは騒ぐし、自分もこれまで孫を煽った行き掛かり上、もはや、じいちゃんが使い込んだことを孫に説得できない。

ざっと、こんな感じなんだろうか。日本は、条約だの協定だの、軍政の当時からどういう外交をして来たのか、その経緯を、Bさん(韓国)の孫(一般国民)ではなく、国際社会に資料を添えて、客観的な判断に耐えられるようにした上で、新日鉄住金なんかも、払わずにいるしかないんじゃなかろうか。
それが不満なら、韓国は国際司法に訴えたならいい、はずなのに、おそらく国際司法の場には持ち出さない。持ち出した途端に負けることがわかっているはずだから、国際司法に持ち出さずに、ただひたすら、国内向けに「日本が悪い」を繰り返すだけだろうと思う。

ただ、それでも、海外の理解を得られるならば、日本の外交的な立場は揺るがない、と思う。

ただ、こうなるともはや、日韓のあらゆる「条約」も「協定」も「覚え書」も、現在あるそうした書類は全て紙切れでしかなくなるし、今後の紛争を避けるためには、今後一切のそうした「相互に法的拘束のある合意を行わない、」という選択肢しか取れなくなるんだろうな、と思う。最悪ですね。

日韓関係の根幹を揺るがす元徴用工判決
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37149270Q8A031C1EA1000/?n_cid=DSREA001

To love somebody – Bee Gees

手抜きページ ← 完コピ

There’s a light
A certain kind of light
That never shone on me
I want my life to be lived with you
Lived with you
There’s a way everybody say
To do each and every little thing
But what does it bring
If I ain’t got you, ain’t got?

You don’t know what it’s like, baby
You don’t know what it’s like

To love somebody
To love somebody
The way I love you

In my brain
I see your face again
I know my frame of mind
You ain’t got to be so blind
And I’m blind, so, so, so blind
I’m a man
Can’t you see what I am?
I live and I breathe for you
But what good does it do
If I ain’t got you, ain’t got?

You don’t know what it’s like, baby
You don’t …


抜粋したかったのは、ここだけ、でしたけど。

There’s a light
A certain kind of light

To love somebody
The way I love you

ちょっとひねろう。
I’m a man (私は人間だ、と訳したい。)
Can’t you see what He is?

新しい朝が来た! おしごと〜!


全くもって、朝っぱらから何か書け、書き続けろとせっつかれてるみたいで・・・寝起きは無防備だからなぁ・・・

押しかけてくる邪魔な人間どもは、軍隊を数千人出して、発砲してでも押し返せ、アメリカに侵入させるな、と、それがあの次元の方の生き方なんだろう、と、理解する。

心を閉ざすしかない、としても、それでも愛をもって他人に接することができるはずだ、と、それがたぶん、僕が目指している次元の方々の生き方、なんだろうと、朝っぱらから考えたんだか、感じたんだか・・・

今度こそ、おしごと〜!

フラッシュバックの教訓

せっかく、Nack5が30周年記念の特別番組編成、豪華キャストでやってるのに、ここのところの仕事は文章校正、文章の構成の見直しだったり、他人の書いたプログラムを読んだりで、ラジオがあると仕事にならない。残念です。とっても。大野さんと亀梨くんの対談を聴きながら、スイッチを切った。

さすがに「古傷」だから、かなり客観視は出来ているようで、比較的早めに抜け出せて良かった。なんだったんだろうと思いつつ、教訓を一つ見つけた。これが答え、ではないかも知れないけど。
意味のないことは、何も起きない。起きたことには全て意味がある、らしい。

30代までの僕は、とにかく強引で自己主張や承認欲求が強く、あまり他人のことは気にしなかったと思う。結婚できなくて当然。それが、盗聴やら盗撮あたりから、一転して(じゃなく、徐々に、か?)他人の顔色を読むようになった。相手の反応を見ながら、リアクションが遅れる。中にはあからさまに「愚鈍な奴だ」と決めつけて、見下してくる人も少なくなかった。たぶん、山の神もそうなんだろう。なんとなく馬鹿にしてかかって、見下されているのがわかっていても、引きこもりが長かった後だから、これは仕方ないんだろうか。
ただ、結果的にそれが積もり積もると、結構な破壊力を持ってくる。盗聴とか盗撮ばかりではなく、これも、結構フラッシュバックがキツイ。わかっていても、痛みを感じることがある。

先週の授業を思い出した。今、専門学校では(ちょっと強引に)自分の担当科目だけではなく、国家試験対策の要点整理で、全教科を授業で扱っている。今年は、ちょっとした危機感を感じているもので、古い教材を引っ張り出した。
専任教員時代、千葉キャンパス最後の1年間は、臨床工学を担当する専任教員が自分一人しかいなかった。国家試験対策も、僕が臨床医学まで含めた全教科を扱った。門前の小僧ではあるけれども、学生時代からの医用工学だから、医学系の専門書、教科書もそこそこは読んでいるし、仕事でも知識は補充してきた。一教科一コマでの学生の国家試験対策くらいなら、なんとかなる。僕一人だったけれども、合格率では池袋キャンパスに負けていなかったし。

ふと、気づいた。僕の担当科目、生体計測とか、電気工学、電子工学などの分野はとても苦手そうにしていて、授業中に当てても、不快そうに「わかりません」と答える学生が、別の教科では生き生きとしている。そうか、不得意なだけなんだと、あまりにも単純なことに気づいた。一応は教員だから、「見下す」ということはしないけれども、一歩間違えたら「出来の悪い学生」というラベリングはしかねない。学生だって不本意にそういうラベリングをされたなら、やはりなんらかのトラウマにはなるかも知れない。

「なんだ、このトロい奴は」というあからさまに見下しているような意識、っていうのは、ストレートに伝わって来ますからね。もしかしたら、自分がやっていたんじゃないかと、気付いた瞬間に、ドキっとした。やっちまってたかなぁ・・・

特に、盗聴・盗撮以後、電話やFAX、メールなどでも「お願いだから、そんな大事な話をしないでくれ」という意識と、その内容を盗聴・盗撮している(顔も正体もわからない)相手を意識しての表現、直接相手に返す言葉を全部構築したりしていると、どうにも反応が遅れたり、とてもチグハグな返事を返したり、ということも出てくる。端的に言って、第三者に聞かれていることを意識した人間と、そんなことを気にもしていない人とでは、会話が噛み合わない。最悪だったのは、学生救済で単位を出す話が出た時だっただろうか。その後、1年間くらい、激しく壊れていた。何をどうしたらいいのか、どうしたらよかったのか、わからなかった。(今でも、わからん。)あれが引きこもりの入り口。
結局、「馬鹿なやつ、トロい奴」と思われるのは仕方ないにしても、そういう応対をずっとされていると、結構なダメージは残る。そして、ついにダメだと思ったら意識のシャッターを降ろしちゃう。以後は、完璧に事務的な対応のみ。それはたぶん、中学生か、高校生くらいからの癖だと思う。親に対しても、たぶん、ずっとそうだった。
その上というのか、盗聴・盗撮以後は、人間関係なんて、もうグシャグシャ。こういうのは、二次災害っていうのか?

もしかしたら、あの盗聴やら盗撮やらは、僕自身が生まれる前に仕掛けをして来たのかも知れない。ニューギニアだのイギリスだのあたりまで伝わっていたのを知った時は、半分は驚いたけれども、残る意識の半分は「よし、やったぞ」だったかも知れない。今にして思えば、そのおかげで、師匠の存在を全世界にアピール出来ている。ただ、当時のメンタルは、もうギリギリだったかも知れない。
もし、結果的に「完全崩壊」せずに持ちこたえることを見越して計画を立てて来たとしたら、一体俺(今の自分、というよりも、肉体を持つ計画を立てた時点での、意識体の自分)は、どんだけ自信家なんだ、と、思いっきり皮肉を言いたい。自分に対して。

悔しいけれども、消化しきれるには、まだ時間はかかるのかも知れない。ただ、ささやかながら、「わかりきったこと」を見落としていた自分に気付いた点だけは、今回のフラッシュバック、良かったのかな、とも思う。みんな、得手不得手があるからね。

食後の腹ごなし。仕事に戻りま〜す。

トラウマ

フラッシュ・バックがきつい。
子供の頃からの、自分をわかってもらえない、何を言っても聞く耳を持ってもらえない、時にスルーされ、時に弾き返されて、鬱々とした記憶が一気に吹き出して、泥沼状態。
特にキツイのが、盗聴・盗撮に悩まされた30年前の記憶だろうか。
何を言っても弾き返されたりしているうちに、自分の中でシャッターが降りて、もうどうしても心を開くなんていうことが出来なくなる。無論、事務的な対応だけはきちんと出来るのだけれど。その全ての、弾き返された記憶が一気に吹き出している。
深追いせずに、早い段階で引き下がって諦めたような相手の方が、むしろ大丈夫なのに、大事だからと引き下がらなかった相手、自分の生活に直結する相手、ばかりに、選択的にシャッターが降りてる。全く心を開けない。そうなるまでのプロセスの、フラッシュバック。

こういう状態になる、ということは、要するに「感謝行」がきちんと出来ていないからだ、とはわかっているのだけれど。勉強会に十年以上も通っている人間の、陥っていい状況ではありませんね。

と、思いつつ、何故か、理由がわかった。実は、悪霊とか、心霊現象に関するページを一つ書いた。まだアップロードしていないのは、「条件」を満たしていないから。ある条件を満たしたらアップしようと思い、読み返し、ほとんど書き上げている。ただ、まだ「竜の目」を書き込んでいない。
これだ、と理解した。たぶん、どなたか、浮遊霊さんを引き込んでしまった。乗り気のしないページだったけれども、書くために必死で浮遊霊だとか、地縛霊だとか、地獄だとか、その世界をイメージし続けた。それで引き込んじゃったみたいで・・・未熟だ。

それはそれで、なんとか出来るとして、この、たぶん子供の頃からの「防衛方法」というか、特定の相手に対してシャッターを下ろしてしまう、という癖というか、習性というか、どうしたら解消できるのかが、僕の最大の課題かも知れない。
この「シャッター」が下りる前に、僕の言うことなどに聞く耳を持ってくれたなら良かったのにと思いつつ、既に十代前半の頃には「自分をわかって欲しい」一心で、相当に「鬱陶しい」自己表現をするようになっていたから、半分以上は僕自身の問題なんだろう。結局、最初のトラウマがその後のトラウマの原因になったんだろうか。さらに、そこから浮遊霊さんを引き込んだ。情けない。
泥沼だったけれども、1時間でなんとか気付いた。それだけは、多少は昔よりも、学習したか。

ディープ・ラーニング

疲れた。帰って来て、テレビのチャンネルをあちこち見ていたら、NHK教育でAIの自動運転技術の話をやってた。
学術的な根拠のある話題ではないけれども、直感的に、Hidden Layerの学習をブラックボックスにしてAIを学習させた場合、不適切な例えとは思いつつ、ハインリッヒの法則の「1:29:300」の「1」のケースが、とんでもない場面で発現して大事故につながる、ということは起きうる気がする。AIに任せてしまえば、確かに、経験則で何でもかんでも「学習」はしてくれると思うけれども、それは生物の持つ「知能」の発達プロセスとは全く異なる、という点だけは、理解、というよりも、覚悟しておく必要があると思う。
「機械学習」の「安易さ」に頼りすぎて、危険性を認知できる技術者がいないんじゃないか、とも思っている。

個体発生は系統発生を繰り返す。人間の脳も、顔だとか複雑な図形、道路への飛び出しの予測まで認識する過程で、単に明暗を認識するだけの原虫の脳、から、対象物を認識できる哺乳動物の脳に至るまで、それらの「学習」プロセスを、乳幼児の時期から一気に辿って、Hidden Layerというべき部分の学習を行い、そこに基づいて、図形認識、空間認識、行動認知を行なっている、と私は考える。ずいぶん昔、何かの本で読んだ。そんな研究があったはず、だと理解している。
人間の脳の「知的認識能力」も、極めて原始的な防衛本能から、高度に「人間らしい」相手を理解する能力に至るまで、成長のプロセスで積み上がっていくのではないかと思う。
つまり、人工知能に「人間らしい働き」をさせるためには、結局は「人間」が乳幼児期から学習するプロセスの、段階的理解を辿らせなければ、最終的に人間を置換する働きはさせられない。表面的にあたかも人間のような「判断」をさせられたとしても、中間プロセスの「判断」では、動物が長い年月をかけて脳に習得させて来た「認知能力」とは似ても似つかない経過を経ていて、それが、レアケースでとんでもない「大事故」を引き起こすリスクは持っていると思う。

先を急ぎすぎている。Deep LearningのDeepの部分、Hidden Layerのきちんとした意味づけを省いた場合には、人間の判断とは似ても似つかない「結論」をAIに突きつけられるリスクは、覚悟すべきだと思う。
なんてことを書いても、「産業界」は「結果優先」だから、事故が起きなきゃ見直しはしないんだろうなぁ。原発なんて、福島で未だに「居住制限」があるような事故が起きているのに、「想定外の事故は起きない」なんていう意味不明の説明がまかり通っている。「想定」できないから「想定外」なんだろうに。「想定外のことは想定していません。」そりゃ、当たり前だ。「知らない人は、誰一人として知らない。知っている人は、誰もが知っている。どうだ、参ったか!」みたいな議論で・・・はい、論理的には極めて正しいです。参りました。

実は今日、久々に法政の講師室で、サイエンスライターの内村先生と世間話をさせていただいた。今日は昼飯に、コンビニのペペロンチーノを買って講師室に持ち込んで、奥の部屋でこっそり食べたつもりが、なんとなく匂いが充満してしまって、ごめんなさいを連発しながら、内村先生に「くさやの干物弁当じゃないから、ご勘弁を」と、そんな話を口火に、シュールストレミングの話になり、内村先生曰く「イヌイットの食べ物に、シュールストレミング以上に臭いのがあるらしい。なんで俺、こんなに臭い食い物の話に詳しいんだろう」なんてお話から、京都の「なれずし」の話題になり、それからどんな経緯を経たか忘れたけれども、電総研の話題に飛んだ。
電総研では、イカの巨大神経で「神経回路」を調べていた。「そこでは、実験室に天ぷら用の鍋がおいてあったそうで、しかも、実験用のイカを飼育するために、イカの人工飼育のギネス記録を持たれていたそうですよね」なんて話題を振ったら、内村先生、全部ご存知で。
東大の数理だったかな、僕らがバイブルのようにしていた甘利先生の「神経回路網の数理」も、内村先生はご存知だった。というよりも、甘利先生のお弟子さん(?だったかな)の南雲先生、その南雲先生のお弟子さんが、内村先生の部活の後輩(だったかな)で、先生のよくご存知な方らしくて、神経回路網研究の話題に飛んだ。

今時、「AIのディープラーニングでなんちゃら」の話題に食いついてくる人は多いけれども、「神経回路網の数理」がらみで、ホジキン・ハックスレイの方程式がどうこう、なんていう話題が通じる人なんて、滅多にいない。嬉しかったし、もうちょっと、授業開始まで時間があったり、あるいは、これが居酒屋なんかだったら、いつまで話をしていたかわからないなぁ。数十分だったけれども、話題が飛びまくった。生物物理の領域なのか、ナトカリポンプを逆回しさせるとATPが合成される、なんて、僕は知らなかった。内村先生は、「日本が量子コンピュータを完成させた」報道に思いっきり懐疑的で、というか、あれは「素人を騙す」ようなお役所がらみのご都合の政府報道じゃないか、とお考えのようで、光の干渉を原理(?なの?実は、きちんと理解していない)とするのは、本来の量子コンピュータとは違うぞ(的な、すみません、伝える人間がきちんと理解していないから、これまで書かなかった)というようなお話は、数ヶ月前に再三聞かされていたのだけれど、今、理学部の研究者が、工学部でやるような分野に首を突っ込んでいて、みたいなお話も聞いた。その辺の話題は、井戸端会議、じゃないけれども、世間話としては十分楽しませていただいて、(こんな話題がかみ合う人は、滅多にいない)ここまで話の枕を書いて、このページの本題まで、もう少し。まだ本論じゃない。くどいね。

量子論の、不確定性原理。ハイゼンベルグの式は、位置のデルタと運動量のデルタの積が定数になる、だったと自分は理解している。つまり、端的に言って計測によって状態を確定すれば、状態が変化する、ということを言っていると理解する。量子コンピュータが量子論的に多値を持つことを利用する、なんてことが、本当にできるんですか?多値を持つことなんて、できるんですか?単に「計測」できない、「計測」したら状態が変わるから「わからない」だけで、それを「多値」と呼んでいるだけじゃないんですか?と、いう、極めてど素人っぽい質問をさせていただいた。
江崎玲於奈さんが発見された「トンネル効果」。量子エネルギーのポテンシャルの井戸。電子がすり抜けた先の「出現場所」の確率は、無限遠に近くてもゼロじゃない。ワープ、ですよね。そんなことが起き得るのに、そんな原理をコンピュータに使えるんですか?という話題の振り方。
念のために書くならば、私はこの分野のど素人ですから、本職から猛烈な迎撃を受けるのは覚悟の上で領空侵犯してます。

こんな話題をしていたら、内村先生が、ポロッとおっしゃった。不確定原理の発見に絡んだ、ジョセフソン博士、ジョセフソン効果とかジョセフソン素子を発明された方の興味が、晩年は「心霊現象」の方にいっちゃった・・・と。(やっと本題。)
内村先生には、僕がこんなWEBページを書いているという話を直接したことはない。というよりも、僕は誰一人として、このWEBページの存在を話題に取り上げて直接会話したことはない。「公然の秘密」みたいな、不思議な自己表現。そこに来たかぁ、と思った。その辺で、タイムアウト。「そろそろ授業が始まりますね。」と(実際にそういう時間だったので)それぞれ教室に向かう感じになった。さてと、ようやっとここからがこのページの本題。

万有引力の法則を発見されたアイザック・ニュートンは、カイトロンというお名前の9次元神霊だと、「師匠」が講演会でおっしゃっている。以前一度だけ、カイトロン(様)ご本人の意識を受け取って、講演されたことがあった。また、ニュートンがなされた仕事について、これも一度だけ、講演会で聞いた覚えがある。カイトロン(様)は、自然科学を「神の意識」に結びつける仕事をされるつもりでニュートンとして肉体を持たれたはず、だった、(と、自分は記憶している。師匠の講演会CDで、この日の話題を聞き返したなら、これと異なる表現をされていたかも知れないので、私の理解間違いがあるかも知れない。ただ、聞き返そうにも、もう600回を超えている講演会のCDのどの回だったかがわからないと、探しようがないので・・・確認できないまま、書き続ける。)
自然科学は、「心霊現象」と決して「相容れない」学問分野ではない、はずだと私は理解している。心霊を知覚できる人が少なすぎるだけ。プリンキピアでは、そこを埋めるはず、だったのに、自然科学に終始してしまった、と、師匠はその点に不満をおっしゃられたように、記憶している。(相当な記憶違いがあるかも知れない。)

ジョセフソン博士も、あれ程の業績をあげられた方なら、間違いなく6次元以上だろうと思う。そして、6次元以上の方が仕事をされる際は、「上」からの意識を受け取る場合も少なくない。手塚治虫氏は6次元の方で、上からの意識で書かれた作品も少なくないと聞いた。超能力を使う三つ目族は実在した。チャクラはその名残。詳細は、勉強会のメンバーにお聞きください。なぜ三つ目族が滅亡させられたかも講演会で聞いた。6次元の方の中には、神の実在を確信した上で、「上」からの意識をこの現象界に伝えようと覚悟して肉体を持たれる方も少なくないだろうと思う。だとしたなら、ジョセフソン博士が晩年、「心霊現象」の方にシフトされたとしても、何の不思議もないだろうと、私は思った。思ったけれども、なかなかこうした話題は、面と向かって自分の周囲の方とは会話できない。ごめんなさい、わたし、とってもシャイですから。
なかなかなぁ・・・師匠の講演会の話題を、日常的に周囲の方に伝えるには、結構ハードルが高いものがあるのも事実で・・・。もういいです。僕はこのスタイルで続ける。本当にもう、蚤の心臓の持ち主なもので・・・実を言えば、私はものすごい小心者ですし。

「脳」の機能や働きは、「意識」の振る舞いとは違う、と私は理解しているけれども、「意識体」の乗り物が「肉体」である以上、当然のように、ヒトとしての意識体を受け入れやすいように「人間の脳」も進化してきたに違いない、と私は考える。(ここは、師匠の講演内容からは、離れています。)
経験した内容は、脳ではなくて魂に刻まれる、とは、師匠はよく講演会でおっしゃる。だとしたら、真のバック・プロパゲーション、人間が行なっているディープラーニングとは、脳の神経回路ではなく、その脳とリンクしている意識体での学習なのかも知れない、と私は考える。

俗にいわゆる「霊」とか、できるだけ「霊」という言葉を使いたくない私は「意識体」と言いたいけれども、私自身は「だって、いるでしょ?」という立場を押し通します。その「意識」の階層性を考えた先に、「電子にも意識がある」なんていうことが「証明」できたらいいな、ということは考える。トンネル効果で、電子が一旦意識体に戻った後、数cm先に現れたとして、その「ワープ先」で、どこまで飛ぼうと思ったのか、それがそのたった一個の「電子」の意志によるとしたら、そこにあるのは「計測の客観性」ではなくて、「電子の主観」だと思う。これは、京大の先生が書かれていた。

そして、これは師匠の講演会の受け売りだけれども、「神」という単語は、地上のすべての言語に存在する。パプアニューギニアの部族語にも、少ない語彙の中に「神」があることは知っている。SIL(Summer Institute of Linguistics; キリスト教の聖書を全世界の言語に翻訳しようとしている団体、だと理解している)の方は、ニューギニアで何人とも行きあっているけれども、キリスト教の「神」を部族語の「神」に訳してもいいんでしょうか、なんていう質問をしたことって、あったかなぁ。改めてその疑問は持った。けれども「神」という単語が全世界にある、と師匠はおっしゃっていた。存在しないものが、それほどに普遍的に「言葉」で扱われることがありますか?という師匠からの問いかけでしたが、皆様方はどのようにお考えでしょうか。
加えて言えば、パプアニューギニアの部族語には「霊」という単語もあった。遺骨収集の際に、ピジン語でのやり取りだったけれども、現地の方の話された単語がピジン語のマサライになったり、英語のスピリットになったりした。「霊」の存在を扱わない「文化」や「風習」はあるんだろうか。文化人類学者に聞いてみないとわからないけれども、「原始宗教」が先か「霊の認知」が先か。知覚できる人は、絶対にいつの時代にもいたはずだと私は考える。

かの、アイザック・ニュートン氏がやりそびれた仕事。僕のごとき低次元にはできようはずもないけれども、でも、挑戦するのは自由。いや、違った。師匠が「神が現象界を作った時の設計理念」なんていう話題を時々講演会で話される(間違っても、師匠以外の口から他人に伝えるな、と釘を刺されている部分)から、僕はそれをこの話題に結びつけて考えているだけ。こうして師匠が肉体を持たれなかったなら、描写すること自体が困難な話題だったのかも知れない。だとしたら、僕は「挑戦」しているんじゃない。ただ淡々と、師匠が講演会で話された内容を、可能な限り忠実に、ただし、私自身が経験して、考え抜いた内容と重ね合わせて、他人に伝えようとしている。それだけだった。これは「挑戦」じゃない。そして、自分自身の経験、自分自身で考え抜いた内容を話すことならば、師匠も容認して下さっているはず。(間違いがあったなら、どこからか茶々が入るだろう。もし、とんでもない間違いがあったら、僕自身が「突然死」するだけ。「これ以上は、もう止めろ、」と。止めていただけるのならば、むしろ安心して続けられる。)

自然科学系の人間が、「心霊現象」の方にシフトしたら、いけないんですか?むしろ、自然な流れじゃないんですか、と言いたかったけれども、気の小さい私は言えなかった。意味もなくタブー視されている気がする。意味のない、先入観や偏見に基づくタブーなら、そんなタブーは要らない。

内村先生と交わしたみたいな会話を、誰とでもできる訳じゃない、ってことはよく理解している。いつか、今日書いたみたいな話題も普通に持ち出せるといいのだけれど、普通は浮いちゃうからなぁ・・・自分の気の小ささを自覚すること、しきり。
ただ、師匠の講演会の話題を持ち出せなかった部分はともかく、内村先生との会話は、とても楽しくて、時間経過の短い午後の數十分(十数分?)だった。
たまにこういうことがあると、また2〜3週間頑張れる気がする。自己確認みたいなもんですね。
一粒で300m

笑いの健康効果

NHKの朝ドラの後、いきなり大喜利の予告が始まった。

ラジオの「すっぴん」とテレビ「朝イチ」のコラボ?なんだか乗せられてしまった感があるけれども、乗った!笑いの健康効果。

思えば、僕は査読のある論文は一本も書いてない。「論文」的な書き方でまとめた、ほぼ「最後」かな。pdfファイルです。ファイル名に日本語が使われているので、環境によってはうまく開けるか・・・WORDにはめ込んだ「図」が一つ、壊れていた。オリジナルのWORD文書は・・・探せばどこかにあると思うけれども。

電気学会原稿060714-3

要点は二つ。心拍変動の周波数解析で、HFとLFの比を求めるやり方で、交感神経の働きと副交感神経の働きを指標化。笑い刺激の最中は「交感神経」が活発になり、その直後、リバウンドがかかるように副交感神経が活性化する。以上。データを使って長々と書いていますが・・・

日本ME学会(日本生体医工学会)のポスターセッションで発表した時は、「笑いが交感神経刺激ですか?笑える研究ですね。」などというコメントも頂いたけれども、だってデータがそうなってるんだから。笑いは基本的に気持ちを「攻撃的」にすると思う。ストレスや病気に対して。その反動で副交感が活性化する、と自分は考えている。

唯一の国際学会は、シカゴのIEEE。立ち見が出た。心臓発作の予知・監視・通報システムの研究。1998年だったかなぁ。
そうだった。初めてで唯一の国際学会発表で、笑いをとった。「転倒のデータはどうやってとったんですか?」「学生にヘルメットをかぶらせ、床にマットレスを敷いて、倒れてもらいました。嫌がってましたけど。」生活動作のモニターのうち、「転倒」くらい簡単なデータはない。受け身を取っても2Gとか3Gがかかる。振り切れるからすぐにわかる。心臓発作にしても、突発性の重篤な症状は負荷応答だと自分は考える。

ただ、僕はもうIEEEは退会しようと決めた。多分もう、学会発表をするような状況にはならない。AAAS(サイエンス誌)の会員も退会する。生活を立て直すのが精一杯。心臓発作の予知も、笑いの研究も、ITCの教育応用も、世間ではもう僕の先を行ってる気がするし、リタイアするのにはいい頃かな。日本生体医工学会も、次は更新しないと思う。

一番身近な人に何か相談をすると、1秒以内に「そんなの絶対ダメ」「何でそんなこと言うの?」「何言ってんの?」「無理無理無理」などなどの返事が返ってくる。その辺の押し問答をもう何十回と繰り返した今、ちょっと疲れたというか、研究なんてできる環境じゃないことは痛感した。大学ですら、科研費の申請を「悪いことをするに決まってる」とか言って兼業届の書類を「不受理」にして来たし。人生、切り捨てることも大事。心臓発作の予知、だけは、形にしたかったけれど。どなたかに託したい。

僕を、うまい具合に「乗せて」、マネージして、そこそこ金も儲けられるように使いこなしてくれる相棒が、この辺の研究分野でも欲しかった気がするけれども、難しいですね。株式会社のジーエムエスの林さん。まさしくそういう方だったのだけれども、当時の僕は、盗聴と盗撮でメンタル的にかなり潰れていた。
基本的に僕自身は、信頼できる人には、従順についていく「性格」も持っているつもりなんだけれども。大学でも、7年くらいだったかな、直属の上司だった江木先生には(きっと、使いにくい部下だったに違いないけれども)きっちり仕事はこなしたつもり、だった。人生って、パートナー探しはとても大事ですね。

いつかまた、医療分野にも戻りたいけれども、当面僕は製造業関連の仕事に特化して生活を立て直そうと今は思っている。30年以上、1984年から日本生体医工学会の会員だったけれども、ケジメをつける意味で、学会関係は全部やめようと決めた。

なんだか、遺言だ。「笑いの健康効果」は「笑える研究」だそうだけれども、一応データは出ているので、ご参考までに。

麻生発言

こんな発言があったんだ!?

不摂生な人の医療費負担「あほらしい」に麻生氏が同調

自分で飲み倒して、運動も全然しない人

色んな人が確かにいるけれども、運動したくても仕事に追いまくられて時間が取れない人だっている。それも、デスクワークでほとんど体を動かせない、指先しか動かせない状況だってあるし。
どんな仕事をやっていても、理不尽というか、どうにもやり切れない、逃げ出したくなることだって山ほどある。実際に、酒とかアレとかコレとか、逃げまくってる人だっているだろう。私なんてもう、日々逃げまくりww

「自分で飲み倒して」って言ったって、もし、仕事が面白くて仕方ない、家庭にいることが楽しくて仕方ない、そんな環境なら飲み倒すほど飲んだりはしない人だって少なくないという気がする。面白くない仕事をなぜするか。仕事しなけりゃ金にならないでしょう?居心地の良くない家庭、って言ったって、家庭環境なんてそうそう簡単には変えられない。必死に家族に合わせている人は世間には山ほどいると思う。(Nack5のゴゴモンズ参照。)ついでに言えば、金があれば多少の問題点があっても問題が表面化しない場合も少なくない気がする。
面白い仕事を自由に選べるような政治、家庭内の問題が表面化しない程度の金を誰もが持てるような政治をしてくれているなら、飲み倒すほどは飲まない人だって多くなると思うのに、現実にそういうハメを外す人も多い、ってのは政治にも責任がありませんかね?違いますか、なんて思ってしまう。新しい内閣の顔ぶれで、金持ちの御曹司が何人いる?下のものの気持ちなんて、わからんだろうなぁ。

こういう一言は、財閥の御曹司なんかで、やりたくないことを一切しなくて済む人には言われたくない。
そうは言いつつ、私自身もそこそこ親には遺してもらっているから、まだ、なんとかなってるけれども、麻生さんとは比較の対象外だろうなぁ・・・吹けば飛ぶような、ってか、吹かれなくても飛んでる気もするし。

麻生さんとは違って、飲み倒す余裕もないけれども、しゃぁねぇ、頑張るか。
こんなこと書いてないで。

言葉

悔しいけれども、仕事にならない。
今朝(日曜日、朝)、自治会の広場清掃をすっぽかしてしまった。すっかり予定を忘れていた。つまり、どういうことかと言えば、ここ数日ずっと、この状態が続いている。
一人でいると、固まっている。何もできない、ほとんど何も考えていない。(「考えていない」=「思っていない、感じていない」とは違いますので、念のため。)
結果として、予定とか優先順位とかが、もうまるで、きちんとできていない。しっかりしなきゃ。

で、不思議なことに、目の前に誰か人がいると、条件反射的に勝手に頭が働いてくれて、勝手に体が動いて、不思議なことに大学の授業すら(記憶を振り返って見て)それなりに「形」になる授業ができている。週9コマのノルマをもらって、手取りが少ないから非常勤も続けていて、週15コマ程拘束されていた時は、『先生、演習のコマ、課題だけ出して教壇でうつ伏して寝てましたよね』って、はい、覚えています。毎週20時間以上、授業して、それなりに意味のある言葉を発する生活の時は、さすがに充電が追いつかなかった。でも今は、体調がどうこうとかではなくて、何なんだろう、反応してスイッチが入れば、きちんと仕事はできるのに、ここ数日、無風状態になると、固まってしまって、動けない。

昨日だったかな、Nack5、Alfeeの坂崎さんの番組に、小室等さんがゲストで出てきて、何十年ぶりかにラジオで小室さんの声を聞いた。中学生だった頃か、高校だったか、深夜放送の「小室等の音楽夜話」を、ほぼ毎晩聞いていた。懐かしい。谷川俊太郎さんの詩集を手にしたのは、小室さんの番組がきっかけ。今日は、ついさっき、松山千春さんの番組。坂崎さんもそう、小室さん、松山さん、みんな「フォーク」(出身)か。言葉を伝えたい人たち。昼間は、由紀さおりさんの番組を聴いていた。由紀さんも、言葉を大切にする方みたい。固まりながら、一日中ラジオは聞いていた。

数値解析はできないけれども、「言葉を伝えたい人」の言葉には、何か、何なんだろう、「コトダマ」だろうか、宿っている気がする。オバマさんにはあって、トランプにないもの。歌でもそう。
学校の教員をやっている以上、学生を値踏みするつもりのないことは理解して欲しいけれども、やはり、その人の「次元」は言葉に現れる。霊格が低いから低く見る、なんてことはない、そこは勘違いして欲しくない。むしろ、「こいつ、できるな」と思ったら、「勝手に俺から盗め」と思う。盗みやすいように見せる。「『技や知識を盗め』は、無理だろ」と思ったら、こちらもスイッチが入って、比喩を駆使したりして、何とか伝えようと思う。
「次元」って何?すみません、師匠の受け売りなので、師匠の著書をお買い求めいたくか、私のバックナンバーに目を通してください。消してない分だけで、すでに300を超えてるけど。消した分を加算したら、Facebookなんかも合わせて、たぶん、2000ページを超えてるけど。すみません。私のページを探すより、師匠の著書の方が早いと思う。

師匠の講演会の受け売り、というよりも、師匠の著書に書いてあるので、この辺は平気で書ける。人類は、4次元から9次元まで。4次元は、肉体を持つこと自体が貴重な経験となる方々。5次元は、いわゆる「いい人」。6次元は、専門職。7次元はあらゆる分野の知識を網羅して、自分の知っている知識をひたすら伝えたいと思う人。8次元は、もはや「人間」という意識より「生命体」としての意識に近づいて、たった一人で「世界」を動かすだけのエネルギーを持つ方々。9次元は、最初から「神の思い」を持たされた状態で生命体として生まれた、最初から「人類を指導するべきヒト」として創造された存在。
7次元は、リンカーン、坂本龍馬、田中角栄、など。8次元は、谷口雅春、ゴルバチョフ、(イスラム教を伝えた)ムハンマド、マルチンルーテル、など。9次元は、大川栄策(でしたっけか?)、高橋信次、イエス、モーゼ、ニュートン、孔子など(以上、敬称略)。「上」の方々はどうでもいい。問題はとにかく、4次元、5次元の方々、だと思う。師匠の講演会の受け売り。「神の実在を確信できなければ、6次元には上がれない。」

そして、思う。「神は実在する」と、どれだけ書いたとしても、伝わらない相手には伝わらない。モーゼは海を割った。8次元でも空中に浮揚した方はいらっしゃるらしい。師匠のやられることは、はっきり言って(意図はわかるけれども)滅茶苦茶(気にしたくない)。伝えたいために「奇跡」を見せられた方々は、少なくない。だけれども、ほんの僅か時間が経ってしまうと、もう元に戻る。出エジプト記に書かれている。目の前で海を割られても、やがて元の「信じていない」状態に戻る。

「霊体」としての寿命は、「地球」とか「太陽系」の物質世界の寿命よりも、はるかに長い。ということは、居住に適した惑星に移住しながら肉体を持つという経験を積み重ねている。星系をまたいでの移住ができるのは6次元以上。だから最初は地球にも6次元以上の人しかいなかった。(なぜUFOを日常見かけないかは、別の話なのでここでは書かない。)
そこから「地球生まれ」の霊体(厳密には「移住組」から白紙の状態でコピーされた、まっさらの霊体さんたち)が生まれた。最初は4次元。そこから5次元(いわゆる、いい人)に上がった方たちも、少なくない。普通なら、数十億年かかるプロセスなのに、創造主が、今回の地球では「他人と自分を比較して、気にする」という「特性」を人類に持たせたらしい。他の星系では、他者を全く気にしないところもあるらしい。その結果、生まれてまだ1億年も経っていないのに、早くも6次元に上がった方もいらっしゃるらしい。けれども、誤った欲の使い方で、他人と持ち物を比べるなど「モノ」を比べる方に集中したりして、悪影響も出て、4次元や5次元に留まる方々が大半。このまま進化できなければ、6次元に上がれなければ、やがて、太陽系の寿命が尽きる時、時間の問題で太陽の寿命と運命を共にするのか。聞いたことがあるような、ないような・・・思い出せない。コンピュータの世界だったら、「ガベージ・コレクション」というのがあるけれども。

まとめます。(論点が漂流した。)

言葉を発する時も、聞く時も、最大限、気をつけなさい、と。言葉を発する時の誤りは、他人を巻き込む。それは、表面的な意味で。
言葉は、自分自身の「意識体」が構築する。「脳」で「考えて」出て来るものではない。「思いを口にする」時に出て来る言葉は「意識」が発する、という気がすごくした。ということは、発した言葉の誤りが「魂を落とす」ことにつながると思う。
AIが言葉を「記号」として処理して、人間の「脳」には簡単に勝てても、「意識」には太刀打ちできない、と自分は考える。

おそらく、6次元以上の方々には書く必要がないこと、だったのかも知れない。魂の中に「神の実在を信じる」ものが入っているはずだから、あとはそこに棹差すだけ。輪廻転生で毎回肉体を持つたびに、落ちることがないように気をつけるだけ。特に6次元の方々は「自分のスキル」を高めるために集中して、あまり周囲を気にしない性向がある、らしい。その分、周囲に流されることは少なくても、自分勝手になり周囲を見下したりして、肉体を持った本来の目的を見誤りやすい。

5次元の方々には、もしかしたら、私が媒介している師匠の言葉も、受け入れてもらえるような気がする。ただひたすら、自分の周囲の人間に気配りを持って愛情を注いで生きる。疲れる生き方かもしれないけれども、そうすることで自身のエネルギーレベルが上がって、いつか6次元にまで上がれる。6次元にまで上がれれば、いつか太陽系の寿命が尽きても、他の星系に移住できる。

問題は4次元の方だろうと思う。そもそも、私などが師匠の言葉をストレートに伝えても、自分の経験を被せてどんな表現をしたとしても、たぶん、その言葉は言葉としては伝わらない、そんな気がする。人間なんて、死んじまったらそれっきり。だから生きたいように生きる。奪おうが殺そうが自分の勝手。そんな意識が、心の中にある。4次元の方々には「言葉」では通じない気がする。
ただ、周囲にいる5次元以上の方々が、愛情を持って接するうちに「こういう生き方もあるのか」と知って、自分自身で生き方を変えていく。そのプロセスが必要なのかも知れない。日常的な思いやりや気配り、災害時の協力や倫理的な行動など、「あるべき姿を伝える言葉」を一番伝えやすい、説きやすい国が日本だったのかも知れない。だから、高橋信次氏も、大川隆法氏も、師匠も日本を選ばれた。
その一方で、言葉ではなく、行動で人を変える、4次元の方々にはそれしか方策がないのかも知れない、とそんな気がした。そのためには、行動を見せるしかない。出来ることならば、世界の中で、国対国という関係の中でも、日本にはそのように振舞って欲しいと、最初は思っていた。

とにかく、まず、眉唾でもいいから「神」の実在を信じてください。まずは、そこからか。輪廻転生で、何度でも人間として生まれ変わる。肉体の中に入っている時には、脳がまっさらの状態に戻るので過去の記憶を引き継げなくても、知識として脳に蓄えたものではなく、経験して魂に刻んだものは持ち帰れる。その蓄積で、人は進化する。
私たちが、どんな立ち居振る舞いをするか、だけではなく、心の中で何を思ったかまでもを、神だけではなく何十億、何百億の霊体さんたちは見ることが出来る。特に親しかった友人や両親などは、霊体になっても注目しているかもしれない。肉体を持ったこの世界で注目を浴びている方々は、霊体さんたちからも注目されているかもしれない。それを知っておくだけでも、生き方は変えられるかもしれない。(と、自分に言い聞かせている。)現象界で誤解されても、真実を知っている方はいらっしゃる。逆に見せかけだけ取り繕っても、上には全部知られている。

再び、この「言葉」も、5次元以上の方々には通じたとしても、4次元の方々には届かないかも知れない。

師匠が講演会で話されていた。でも、師匠が講演会で話される数年前に、僕はネットに書き込んだ(15年位前のバックナンバー参照)。「モーゼの十戒」殺すな、奪うな、以下省略。たったそれだけのことが、全くできていない。6次元でも落ちる人は激しく落ちる。4次元とか5次元には、「殺すな」「奪うな」なんて、「殺さない、奪わないのが当たり前」の感覚が、全く理解できなかったりする。伝わらない。「伝え方」がわからない。固まった。
そうか、「伝わらないんだ」と、ようやっと理解した。師匠が、「私が直接伝えて、それで何も変わらなかったら、創造主がどういう判断をすると思う?」とお話しされていた内容が、やっと理解できた気がする。

言葉の「大切さ」を考えると同時に、思ってしまう。「伝えたい思い」を何も持たない人間の発する「言葉」にどう対峙すべきなのか。そういう問題(トランプね)もあるけれども、伝えたい言葉が伝わらない時、どうしたらいいか。行動を見せることしかない。行動を見せることで、神を信じること、他人を信じること、他人に礼節を持って接することの大切さを、まだそうした生き方を知らない人たちに伝えていく。そこが大事なんだと、ここ数日間、固まり続けてやっと理解するに至った気がする。

財布を落としても現金を抜かれずに戻って来る。そんな夢のような場所が、この地球上のどこにあるんだ?そう思って生きている人は、世界には山ほどいる。
どこかにありませんでしたかね?もしあったとしたら、どうか変わらずにいて欲しい。そういう社会を構築できるという実例を見せつける社会であり続けて欲しい。その中で、いずれ全ての方に少なくとも6次元までは上がって欲しい。師匠の講演で私は、師匠のか、創造主のか、何とも言えないけれども、そんな思いを感じ取っている。

師匠は講演会で、こうもおっしゃった。「イエスが再誕する前の世界は、家族すら信じられないほどに人心が荒廃する。そんな中で、この勉強会の会員の皆さんには、周囲に惑わされることなく、人としてあるべき生き方を貫いて欲しい。」5次元に上がった、6次元に上がった、そうした進化した方々にとっても、周囲に引きずられて、平気で嘘をつく、平気で他人を傷つける言葉を口にする(あ、私!)、そうやって「落ちる」ことがないように生きることの難しさ。(やっちまった、と気付いたなら、反省と感謝。何もなくても反省と感謝。そのやり方は「各論」ですが、勉強会の会員までどうぞ。)

僕は一体、何を伝えたかったんだろうか。相変わらず、要領を得ない、意味もなく長い文章を書く奴だ、とは思うけれども、伝わるかどうかは別にして、書き尽くした気はした。
これで「固まる」モードを抜け出して、日常の仕事に戻りたい。

幕引き

固まってしまって、仕事にならない。
随分と凄惨な殺され方をした人が、どこかにいたみたいで・・・。恐らくは宗教の法の定めによる処刑が日常化し、血の海を見慣れている人たちなんだろうとは思うが、想像したくないニュースを読んでしまった。真実は知らない。口を突っ込みたくもない。ただ「公平性」だとか、「人間性」だとかとは程遠いところで、見せしめが慣習化している国もある、と聞くと、耳を塞ぎたくなる。

ただ、思うに、心を傷つける言葉というのが確かに存在していて、誰かの心をグサグサと刺すような表現(以前は僕も、普通に使っていたと思う)で、心を刺された人、もし心が傷ついているとしたら、同じように見えない血の海が広がっているのかも知れない。
最近自分には、どちらも同じに思えて来ている。偉そうなことを言う資格がないと思うのは、たぶん僕自身、特に10代・20代の頃、平然とこれをやっていた。「意図的に」と「無頓着に」とでは、落ちる先が違う気もするけれども、よくわからない。

「いじめ」などは、たぶんその典型で、いじめる側が言葉を発して、それが突き刺さるごとに心から出血する様は、もしその心象風景が見えたなら、どこかの領事館で展開された景色と似ている気がする。その血の海で苦しむ「同級生」とかを見て快感を感じている児童、生徒がいるようだ、とニュースなどで見聞きすると、「血の池地獄」を連想する。

今回のニュースが、何よりもやり切れないのは、なぜアメリカが出てくるのか分からないけれども、落とし所を見つけて「幕引き」するらしい点かも知れない。早々と「落とし所」がネットニュースに流れていた。どう見ても、人道的な問題よりもビジネス優先。そうした政治が容認される国では、「あの国の資源が欲しい。領有すればいい。それなら口実を作って開戦させて、戦争を起こして支配しよう」という発想も容認されるんだろうか。自国の経済優先なんだから、当然「正当化」される。近代の世界史には、それが多かったんだろうけれども、時代が逆行しているのか。もう、止めようがないのかも知れない。何よりも、対イランと判断基準が違いすぎないか?

いや、国内の「いじめ」報道なんかでは、例えば教育委員会とか学校なんかが、同じことをやっている、ような気もする。そうか、トランプもそれと同じか、と思うに至る。片や、選挙目当てで「ビッグビジネス」を成立させ、「経済政策は成功した」と主張したい。片や、自分の立場を優先して、見て見ぬ振りをする。私たちは何も悪くありません、と主張する。嫌だなぁ、と思っていたら、思考のカーソルがワープした。

大人の世界でのパワハラ、なんかでも、随分と乱暴な言葉で部下を追い込んだりする。あるいは、ラジオを聞いていたりすると、聞きようによっては相当なトゲのある言葉を応酬する大人もいる、みたいで、子供の社会は大人の社会の縮図、なんていう表現に妙に納得してしまう。それが「法を犯した犯罪」でないならば、「何をしてもいい」みたいな風潮は、逃げ出したいくらい痛い。再び、何もいう資格ないよな、と思うと、そのトゲが自分に戻ってくる。逃げ出したいなぁ。そうか、だから幕引きするのか。

心の「澱」を吐露し、頭を切り替えて仕事をする、には、重すぎる。自分もたぶん、かつてやってた。ただ単に攻撃するだけの毒舌癖。辛いね。

お月様

月のそばに火星が見えた。だから何?ってなこともあるけれども。

なんとなく、マザーグースを思い出した。そんなに沢山知ってる訳じゃないけど。
谷川俊太郎さんの訳詞、だったかな。微妙に間違ってるかもしれないけど、確かこんな感じ。

ぼくがつきをみると
つきもぼくをみる
かみさま つきをおまもりください
かみさま ぼくをおまもりください

意識の相互性、ですかね?師匠の講演会の受け売り。
意識体の世界(勉強会では、「実在界」と呼んでる。この物質世界は「現象界」)、そこでは「意識」がかみ合えば、瞬時に意思疎通ができる。
ただし、自分が相手に意識を向けても、相手が自分に意識を向けなければ、会話は成立しない。「私はあなたが好きです」なんていう意識を送っても、興味がなければ返事は返ってこない。上でも下でも、似たようなもんか。この辺はね、もう数えきれないほど経験したから、これ以上の経験は、もう間に合ってます。

現象界での経験は、実在界での経験とは桁違いに経験量が多い、らしい。実在界ではそもそも、意識レベルが近い方としか交信できないから、どんな会話を交わしても大した経験にはならない、らしい。肉体を持っている間の1時間は、人と接する仕事である限りは、実在界の数十年分、数百年分に匹敵するくらいの経験量があるらしい。だからこそ、積極的に人に接しなさい、とは、学んでいるけれども。

でも、疲れる。疲れるけれども、そりゃぁ、走り込みをすれば体が疲れるのと一緒。心も疲れることで鍛えられて、それが人間としての進化に不可欠な経験として蓄積される、って、そうなんだろうけれども。でも、やっぱり疲れる。

パプアニューギニアとか、南の島の海辺で寝そべりたい。でなければ、どこかの川辺にテントを張って、夜空を見ながら一晩中ぼんやりと寝そべっていたい。
そういう趣味を確認してから結婚すりゃ良かったんだろうけれども、当時は他に振り向いてくれる人なんて、一人もいなかったからな・・・。金のない引きこもりの、単なるデブ。今更、勝手なことは何も言えないんだろうな。拾ってもらえただけ、よしとするってな感じか。なんて考えていたら、余計に、寝袋に入って一晩中夜空を見ていたい気分になった。

だからなんだ、ってな話か。いいじゃない、別に。「だから何」って言ったら、月のそばに火星があるのだって、「だから何?」でしょ?

ジュマンジ

旧作のジュマンジは好きだった。
なんていうか、盗聴っていうか盗撮っていうか、それらから逃げまくって実家に逃げ込んだ頃見た映画。ちょっと元気をもらった。

それが、すごくリニューアルしたみたい。

作りは完全に変わっているのに、どんな人たちに何を伝えたいか、だけは、きっちり伝わってくる。それが、クリエイターの感性なのかな、と思った。時代に合わせて伝え方の手段を変幻自在に変えていかなければ、伝わらない。そういうシビアさに直面しているのは、きっと、広告関係の方々、かもね。伝える事が、ビジネスに直結してくる。

それに比べて、宗教指導者って、なんなんだか。「何を伝えたいか」が見えてこない。塩を巻かなきゃダメ、とか、豚肉食っちゃダメ、とか、意識体には全然関係ないところで縛りを効かせる。「祈りを捧げる」って言ったって、心の向け方を知らずに、体と口だけ動かしたって、意味ないでしょ?心の向けかたを知っていたら、普通の人が相手でも心は届く、はず。それができない人が、体と口だけ動かして祈ったって、全然意味がない。あれね、材料が流れていないのに、オートマシンの製造機械がひたすら動いている集団的な壮観。どうでもいいや、幸い、テレビでしか見た事がない。あっと、この間、親戚の葬儀で片鱗を見かけたけれども。

伝えたいものがないから、伝える必要がない。そうなっちゃうと、教卓で、ただひたすら教科書を棒読みする「教授」みたいになってしまう。(実は、実名を出したい人が二人ほどいる。)宗教がほとんど、それに見えてくる。あ、えぇと、喧嘩は売っていません。伝えたいものがなくたって、別にいいじゃないですか。暇つぶしが必要な人は、世間には山ほどいる。

どういう話の飛ばし方、なんだか。新作のジュマンジ、旧作同様に、今の時代に合わせて、伝えたいメッセージが表現を変えて伝わってきた気がした。

中身が分かっていれば、伝え方が変えられるのに、伝え方を変えられない、ってのは、中身が分かっていない証拠。

筒抜け

開き直って書いている、とは言え、とってもやりずらい。
学校の先生をやりながらだと、こうした「宗教めいた」話題は書きにくい。宗教じゃない、といくら主張しても、状況に応じて霊がどうした、神がどうだ、なんていう話題に触れてくれば、なかなか宗教じゃないとは説明しがたい。
結局、専任の教員は辞めたけれども、自営業とは言え、それでもやはりやりにくさは感じる。

ただ、これだけは思う。肉体を持っている自分を、今、上でご覧になっている諸霊の皆様がた、羨ましいだろうなぁ。チンドン屋とは言っても、こうして師匠のお話の内容を書いて、それをどうにかこうにか、世界に伝えている。伝わっている。一人でも気にしてくれる方がいて下さるなら、もうそれだけで十分。少しずつでも、絶対にいい方に変わると信じて・・・。これからもバカやります。チンドン屋は、目立ってナンボ。

正直な話、師匠の講演会をそのままインターネットで全世界に生中継したらどうなんだろうか、なんてことは考えたこともあった。けれども、それはやらないそうで。至極もっともな理由があって、なるほどと思った。
師匠は、講演会で、上位の意識体の方々、通常だったら我々が直接意識を受け取ったり、肉体を持つタイミングを合わせるって言ったって、何千年かに一度しか肉体を持たれないから、まず無理というような方々の意識を受け取って、講演会で話されている。そればかりか、地球の意識、さらに上の意識も話されることがある。信じないのはご自由に、と思うが、ものすごくレアなチャンスだということも、通じない方も少なくなかろうとは思う。

僕なんか、思う。肉体を抜けて、地獄で禊をしてから上に戻ったとして、どんな顔をされるんだろうか。直接師匠にあれこれ教えていただいているのに、「そんな程度ですか?」なんてね。「なぜ、あの話を世界に向けて書かなかった」なんてことも言われるかも知れない。無理です。自分で経験して掴み取った内容以外、「師匠がこうおっしゃってました」というそれだけでは、他の方に伝えるな、と釘を刺されている。だから、師匠の受け売りを書く場合でも、それなりに自分自身の経験を被せて書いている。幸いなことに、サラリーマン、通産省の通信規約策定への参加、大学教員、遺骨収集、パプアニューギニア、MIT、自営業、コンピュータ関係、医療機器、などなどの経験は積ませていただいたから、そこそこ引き出しは持たせていただいた気がするし、生まれてきた場所もかなりドンピシャに近かった。インターネットの爆発的な普及にも、うまい具合にタイミングが合った。
師匠が直接世界に向けてお話をされることがない、としたら(著書を買っていただいたらいいんだけれども、)僕ら勉強会の会員が伝え続けるしかない、とも思う。
腹をくくっては、いる。もし間違いがあって、落ちるところまで落ちたとしても、今このチャンスは逃せない。行けるところまで行く。師匠のお話を、可能な限りわかりやすく伝えたい。個人の意見ですら全世界に発信できる今、師匠の講演内容を世界に届けないのは、犯罪ですらある気がしている。

相変わらず、枕が長い。ここからが本題。
師匠は、地球の意識とか、創造主の意識だとかも話されているけれども、師匠が受け取っている、だけではなく、「会話」になっているらしい。つまり、今現在は、師匠の目や耳を通じて、地球とか、創造主とかも、我々人類の生き様、考え方などを筒抜け状態で把握できている、ということになると思う。

意識の階層性、なんていう話もあるけれども、例えば僕らは、同じ意識レベルの人間どうしとかの意思疎通しかできない。近いところでは犬とか猫とかとは、多少は意思疎通に近いことができたとしても、例えば僕自身の肉体の細胞とは、明確な形での意思疎通はできない。僕らの意識が「生命体としてあるべき姿」に近づけば、自ずと体の細胞も「上位意識」である我々の意識を受け取って「生命体」として正常に機能してくれる。もし僕らが、奪うことばかりを考えていたり、他人を従わせることばかりを考えていたら、肉体の細胞もそうした振る舞いをするようになる。そうして「原発性の疾患」が起きる、と、師匠の講演内容を私は理解している。要するに、自分の肉体の細胞の意識すら、僕らは受け取れない。地球も、通常の状態では「細胞」でもある我々の意識の細かいところまでは把握していないのではないかと、私は考えた。(師匠は、この辺は一切講演会では話されていないので、この直前の一文は、私の考えです。)地球意識は、「人型の意識」ではない。レベルが違うから、細胞の持つ意識、電子の持つ意識、地球の持つ意識などは、全部それぞれのエネルギーレベルに応じて形態も異なるんだろう。ところが、師匠は明らかに違う。結果から言えば、今現在は、師匠を通じて「地球」意識には、我々人類の立ち居振る舞いが筒抜けになっている、ということが言えるような気がする。

もし、師匠が直接インターネットで「講演会」の内容を全世界に配信したなら、人類は創造主の意識から、この銀河系宇宙で成り立っている物理法則まで、知ることも可能になるんだろうけれども、もし、創造主の意識を知った上で、なおかつ人類が「生き方」を変えなかったら、どういうことになるのか、なんていうお話は、実は講演会でもちょっとだけ触れられた。スマホやゲーム機などのゲームで遊んだことのある方、特にシミュレーションゲームなどで、予想外の展開になって、収拾がつかなくなったら、どうされますか?電源を切ったり、途中まで「育成」した「世界」を全部消して、最初からやり直そうとしませんか?そういうことです。
例えばね、師匠が講演会で「人類のあるべき姿」なんてのを話されたとして、トランプさんとか、プーチンさんとかが、生き方を変えると思います?そして、何も変わらなかったら、上はどういう判断を下されるか。

私とか、他の会員の方々が、あれこれ周囲に話を伝えたり、書いたりするだけなら、それは、伝え手たる、私とかその会員の方が「未熟」だ、というだけでことが済むけれども、師匠なんかが直接動くと、どうなのよ、ってな話だろうと思う。会社なんかでも、似たようなことはありませんか?社長どうしの直談判で事がまとまらないのと、事業部長レベルの実務レベルで調整がつかないのとでは、ことの深刻さが違う。国と国でも、似たような事があると私は理解している。それと同じ。

捨て駒は、百も承知。役不足で申し訳ないけれども、私は自分なりに必死で、書き続けようとは思う。すみませんね、こんな私で。師匠じゃなくて。でも、こういう事情で、お互いのために、この現状で我慢していただくしか、ないんだろうなと、思った。
時々、やりきれなくなる。昔から相も変わらず、グータラで、能天気な生き方をしていて、行きがかり上師匠の講演内容を書いているから、ミカ様とか、ガブリ様とか、ムハンマド様とか、僕なんか足元にも及ばない方々も上で僕の私生活を根こそぎ注目されていて、「なんだ、このバカ、この大事な時期にこんな生活をしていて」なんてのが、筒抜けになっていたりする、と思う。ものすごい美人がいて、思わず目線が釘付けになったりしていると、その僕の意識がやはり、全部筒抜けになっていて、いや、指導霊さんだけなら構わないけれども、ヤクシュ(薬師如来)様だとか、とても書き切れない偉い方々に筒抜けなのは、ちょっと、かなわない。いや、それを承知で、自分で計画を決めて今回肉体を持った、と、思っているけれども。読み手の皆様を巻き込んで申し訳ないけれども、下賤の民には下賤の民にしか通じさせられない書き方が、たぶんあるから、僕なんだろうとも思う。

なんだかなぁ。「一回休み」でもいいから、大企業とかにしがみついて、そこそこ自分に出来る仕事を消化して、大して注目もされない、安泰な生き方をしたかったよなぁ、なんてことも、ものすごく思う。で、上に戻ったら、思いっきり後悔するんかもしれないけれども。金の話は、もういいや。建物でも土地でも、とりあえず、売れるものは親父とお袋に残してもらった。まだ、なんとかなる。どうなんだろう。千年っていうスパンで見て、今、師匠の講演会の内容を書き続けることは、一応、意味があって、僕が楽して生きる以上に価値があること、ですよね?そうですよね?ね?ね!?

いや、僕の私生活の筒抜けは、どうでもいい話だった。人類の生き様が、地球とか、創造主に筒抜けになって、大丈夫なの?と、そちらが今日の話題のメインテーマ、だった。人類のように心が汚れていない動物たちや、植物たちは、地球の意識を受け取っているのかも知れない。心がきれいという意味でいえば、ミカ様とかガブリ様のレベルになると、ある程度は地球の意識体とも意思疎通が出来ている、ように、これまでの講演内容を総合して私は考えて。で、そう言えば、去年あたりから、「地球」も意識を持つ意識体で、なんていう話を書き始めた気がする。間接的に、僕自身も、目とか耳になっているのかも知れない、なんていう恐ろしいことを考えてしまった。師匠は、人類にとって、創造主に知られると都合の悪い事柄は、意識レベルでブロックされているそうだけれども、私にはそんな器用な真似はできない。地球さん、知っちゃったら、アクションを取られるんだろうなぁ・・・。まだまだ、エスカレートしそうな気が、しないでもない。あれね、原子力も、石油の採掘も、地球さんにはものすごいストレスだと、私は聞いて理解している。人類は誰も全然、気にしていないでしょ?

僕の場合には、大した次元じゃないから、筒抜けになったとしても、大した実害はない、はずだと思う。ただ、師匠の「目や耳」が、今現在は上の「目や耳」になっている、という点は、ご承知おき願いたい気がする。

僕が子供の頃は、秋の空はもっとずっと青かったと思う。

大気中の微粒子がどうこう、という問題じゃない。人類の意識は、通訳がいれば、そのまま上にも伝わる、と私自身は理解している。ということは、秋の空ですら、青くない、くすんだ鼠色のように見える。それは、人間の心が汚れているからだよ、と、以前師匠は、講演会で仰った事があった。

以上

お化けが怖い・・・

NHKの渋護寺(シブゴジ)に反応。
師匠がこの番組をご覧になっていたら、絶対何か、講演会の内容なんかで、コメントがあるだろうなと思いつつ、取り急ぎ弟子の私が反応。師匠の講演会内容で、再三、「注意喚起」というか、僕らの心構えを説かれていた内容で、私程度の記憶からでもかなり自信のある部分だけ、抜粋。

まず、いわゆる「お化け」(=妖怪)の類は、人類の恐怖心からの妄想で、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だと言えます。ゾンビ?貞子さん?あり得ない。恐怖心を煽るエンターテインメント。これらの映画製作が、「誤った神の教えを解く」だとか、「人の心を惑わす」に該当するかどうかは、私にはわからないけれども、「エンターテインメント」を看板に掲げているなら、信じる方が未熟だと個人的に私は思う。

ただし、悪霊は実在します。それは、何度となく言われている。実際に訪れた人を殺すような悪霊が居着いた場所は、世界中に何十箇所も存在していて、師匠が浄霊した場所などは限られている。強い憎悪を抱いたまま死ねば、その人は悪霊になって、地縛霊とでも言うべきか、訪れた人を殺す場合もあるし、(詳細は、師匠が実際の浄霊経験を著書に書かれているので、そちらを参照して欲しい。僕が強引に会の規約を無視して、師匠のお名前とか著書をネットに出しました。指摘されたので掲載したWEBページは消したけれども、インターネットだからどこかに残骸が検索できると思います。ルールの範囲なら「無知という名の泉」で、検索して拾えるかなぁ。この書籍名なら、書いても規約に反していない気がする。ルールを破る悪智慧だけには、自信がある。話を戻して、)「あの心霊スポットはヤバイ」と言う場所は、本物がいる場所だとしたら、訪ねるのは止めるのが無難だと思います。おそらく、海外でも、ベテランのエクソシストの方でも命を落とされた方がいらっしゃる。映画もフィクションではない、と私は理解しています。

それ以外にも、どこぞの宗教が、「墓が死後の住居」だとかなんだとか、教えているもんだから、それを信じ込んで、古くは室町とか、新しいところで江戸時代あたりから墓石に住み着いた霊体さん、なんかがいて、その墓が土石流だとか自然災害で流され、「なんとなく形のいい石」になって河原に転がる結果になった。その河原の石をこの石綺麗、とか思って、拾って帰った方が、その墓石に染み付いた霊体の意識に取り憑かれた顛末、なんて言うのも師匠が著書に書かれている。(NHKに便乗した宣伝になってしまった感があるけれども、師匠の著書を買う金を払いたくないなら、私の伝聞で我慢して下さい。)

人間は本来「無垢」だと思う。僕もそうだけれども、権威が「こうだ」と教えこめば、簡単にそれを信じてしまう。それを疑うことが難しい。信じた内容が間違っていれば、天に戻るどころか、地獄に落ちるし、地獄に落ちるそれ以前に、この物質世界に漂流して(日本の仏教の考え方で言えば、「成仏できない」だし、キリスト教の考え方は完全には理解していないけれども、地獄に至る前の「煉獄」なんだろうか、イスラム教は本は持ってるけど本質を理解してないから、スルーして、)とにかく、現世に止まって、生きている人間に悪さをする。いや、亡くなったご本人は、「生きているつもり」なんだろうし、自分のありのままなんだろうけれども、「あなたのありのままは、迷惑極まりない」なんて言う隣人は、ご存知ありませんか?それがそのまま、霊体になる。
現生に止まって、「自分と意識の近い人」に働きかける。僕なんかは、いいカモです。酔っ払いが死んで、自分が死んだことを自分で理解できないと、酒飲みに取り憑く。酒を飲んでいい気分になりたい。その意識だけは(執着って言うんかなぁ)しっかりしているから、酒を飲んで今を忘れたい生きてる人間に取り憑く。そう言う「霊体さん」が「常連」にしている人は、泥酔していても霊体さんが体を操って時にはタクシーの運転手に目的地を告げて、自宅まで連れ帰って、カモに「また、よろしく」なんていう意識を送っているから、翌日もまた無事出社して、そうして終業のチャイムが鳴ったら即酒を飲みに帰社する、なんてしていても、取り憑かれた本人は結構無事だったりする。酒飲みの場合はその程度、だけれども、それが憎悪ということになったら、どんなレベルなのか、私は理解したくない。肉体を操って、誰かを殺す、なんていうことは、普通に起きているようにも、ニュースを見ていると感じる。

大川隆法氏。あの方は、紛れもなく9次元が肉体を持たれた方で、「釈迦」です。師匠がそうおっしゃっていた、だけではなく、もしかしたら僕自身、誰の「チンドン屋」を務めるか、もしかしたら、大川隆法氏の下に仕えようとしていたかも知れない。だって、釈迦の直属の部下ですよ?でも、頼れたのは、自分の「違和感」だけだった。ただ、間違いなく、あの方が書かれた最初の一冊だけは、上の意識を受け取って書かれた本だったと、師匠がおっしゃっていた。「太陽の法」だったかな。(それ「だけ」ね!)
汚れた心は、汚れた霊を引き寄せる。それを避けたいなら、自分の心をきれいにしなさい。それだけ、なのだと思う。「渋護寺」に出られていた住職も、おっしゃっていた。「南無阿弥陀仏」を唱えただけでは、憑依霊は避けられない。具体的に、私自身を例にして言えば、酒が飲みたい一心でいれば、いくら「南無阿弥陀仏」を唱えたって、酒を飲みたい心が優って、そういう憑依霊は簡単に私に取り憑く。取り憑かれたら最後、あとはもう、失禁しようが、道路に寝ころがろうが、勢いで崖から落ちようが・・・これ以上は、ご想像にお任せしますが、誰に取り憑かれるかは、運次第、ってな感じだろうか。小中学校の担任が誰か、なんていうのに、似ている気がしますけれども・・・。それが嫌なら、「酒を飲みたくてたまらない」自分の心をどうにかするしかない。
ただ、霊体さんの意識を引き寄せる、引き寄せない、それは、ご本人の意識次第。

師匠は、悪霊には気をつけないと怖い、ともおっしゃっていた。その点は別にして、普通の、いわゆる(自殺なんかの)自縛霊、とか(墓こそ自分の住処、みたいな)地縛霊、とか、(「人間、死んじまったら何も残らねぇんだよ」なんて本気で思った挙句の)浮遊霊、とかの方々は、自分の意識が共鳴しなければ、全く影響を受けることはないから、安心していてもいいんじゃないかな、と個人的には思う。自分で気づくまで、放っときゃいい。人畜無害。本人が時間を損するだけ。ただ、憎悪を持って死んだ悪霊だけは、別格。

私自身は、(もう、数え切れないほど書き続けた、盗聴とか盗撮のおかげで、)自分を守ろうとか、自分を良く見せよう、なんていう意識は、カケラも無くなった。お陰様で。「思いたいように、言いたいように、お好きに私のことを語ってください」なんていう心境は、やはりあの、盗聴・盗撮のおかげかも知れない。私を殺す?お好きにどうぞ。ってな感じか。私の私生活では、適齢期に結婚し損ねたし、子供もつくりそびれた。今のヨメは?ノーコメント。いや、俺、思い残すこと、何もねぇから。仕上げたい仕事はあるけど、出来なくたって、僕が困る訳じゃない。殺したいならお好きにどうぞ。そんなところか。そもそも、「自分を守りたい」と思うから、「恐怖」が生まれる。守らなければ、いいじゃん。それだけ。「何かが怖い!」羨ましい。守りたい自分の生活がある、なんて、素敵じゃない!?失うのが怖いのなら、最初から、持たなきゃいいじゃんか。

「お化けが怖い!」ですか?いわゆる妖怪はいないけれども、「霊体さん」たちはものすごく、多数、この世界に「残留」しています。知らぬが仏。知らぬか放っとけ。死ぬから放っとけ。死ぬから仏。
その「残留意識」に同調するかどうかは、我々自身の心の在り方次第、だと私は理解しています。意図的に共振して、「テメェ、何だこのやろ」なんていう喧嘩を売れる自信がないなら、あるものをただありのまま受け入れて、殺されようがなんだろうが、なされるがまま為されて、できることは全力でやる、ただそういう生き方をされたらいいのかなと、私はそう思う。その意識があったら、霊体さんなんて、一体も怖くないと思います。
以上。

きのこ狩り

キノコ狩りで亡くなった方が、今年はやたら多いとか。
70才代とか年配の方が多い。らしい。他人のことは笑えない。

今年は、完熟の梅が見事なくらい、たわわに実った。木に登って取れるところだけで済ませればいいのに、手が届かない、体重をかけられる枝がない先端の取り残しを、残さず取ろうと、狭い場所に三脚を置いて、三脚の脚を広げきれない状態で、バランスを取りながら取ろうとして、落ちた。頚椎を痛めてる。
冷えてきたら、足のしびれが出るようになった。治すよ、自力で治すってば。ただ、この冬は結構キツイと思う。時間がかかるようになった。それ以前に、ほんのちょっとでも状況が違っていたら、死んでいてもおかしくなかったな、とは思う。
欲張り爺さん、首の骨を痛めるの巻。

ときがわ町の西平のあたりにある農協の直売所(だったかな)で、以前、キノコフェアみたいなの、やってた。珍しいキノコとかがたくさん。ただね、出遅れて10時くらいに着いたら、残っているのは種類を書いた値札ばかりで・・・。まぁいいや。スーパーのパックに入っていない「得体の知れない食い物」なんて、買って来た日には、やたらと面倒なことになる。シイタケとか、エノキダケ、マイタケ以外は、食い物ではないということで、納得することにして・・・。僕の人生は、こういうことになってしまった。首を痛めるよりは、多少はマシな話か。でもなぁ、キノコに目がくらんで転落する人の気持ち、今はとってもよくわかる。

師匠がいつもおっしゃる。人間の実体は、肉体じゃないよ、意識体だよ。心を汚したら、いくら着飾ったってなんの意味もない。上の方々は意識しか見ない。なんてな話で。
「あれ、美味しそう」なんていうのも「適度」ならなんの問題もない。人生をエンジョイする、っていう意味では、肉体を持っているからこその楽しみ方もある。キノコを味わうのも、完熟の梅の甘さを味わうのも、肉体を持っていてこそ。肉体を持っているなら、生きているなら、楽しまなきゃ、もったいない。その点については、師匠のお墨付き、だと思う。
ただ、それが「欲」になっちゃうと、結局心を汚す原因になる。「欲」になっちゃったらまずい。

以前、勉強会の会員の方が、こんな話をされていた。ある日、自動販売機の釣り銭受けに、何枚ものコインを見つけた。「これは、儲けた!」と、内心喜んだらしい。次から、自販機で買い物をする度に、釣り銭受けに手を入れると、「また、あった。儲け!」なんてことが、何度も続いた。5回だか、10回だか、それが連続するうちに、「なんか、変じゃないか」と思い始めたらしい。もしかしたら、俺は試されてるのか?と思って、「儲けた」と思って喜んでいた自分の気持ちを見直して、師匠に直接確認されたらしい。そうしたら、師匠が笑って「そうだよ。」とだけ、返事をされたとか、そんな話を聞いた。
ぶっちゃけ、似たような話は自分も経験があるし、いろいろなバリエーションで話は聞くけれども、はっきり言わせてもらえば、師匠も試し方が、かなりエゲツない。あ、と気付いた時に思いっきり赤面するような経験を、それも、普通はあり得ないような偶然を、平気で突きつけてくる。確かに、ありがたいっちゃ、ありがたいけれども・・・

ちなみに、師匠の「そうだよ」の後は、釣り銭受けに手を入れても、もう何もなくなって、むしろほっとしたらしい。実は、これが「地獄」の再現経験らしくて・・・。肉体を持っている時に、本人の意識が「執着」しているって言ったらいいのかな、ハマってしまって抜け出せない「思い」があると、そしてそれが「物欲」だったりすると、意識体だけに戻ると外界からの歯止めが効かないから、似たような意識体の方々が集まって、本人が「これはおかしい」と気付くまで、その状況が続く。前にも書いた、セックスもそうだし、飽食もそうだし、夢の中でそれを続けている状況を想像したらわかりやすいかも知れない。そういうのは、本人たちは「天国」だと思っているかも知れない。人を殺すことや、奪うこと、騙すことに快感を感じる人たちは、そういう人たちどうしで、殺し合いを延々と続ける。「血の池地獄は、実際にあるよ。行ってみる?」なんて話もあった。価値観の違いで、傍から見たら地獄でも、本人にとっては天国、ってなことはあるかも知れない。結局、脳がなくなった「意識体」の状態で、「自分で気付くことが、どれだけ難しいか」ということの、ある意味で「課題」なんだろうとも思う。
僕が何で赤面したかは、書きません。自分のセコさだけは、悔しいけど、自信がある。

梅の実取りで、三脚から落ちて、頚椎を痛めた。これから寒くなる。今年は、結構シビレとか麻痺にも、悩まされそうだ。自戒の念を持ち続ける程度に、後遺症を残していただいて、感謝すべき、なんでしょうね。あの時に死ななかったのは、まだ生きて、何か仕事しろ、ってなことなんだろうと、解釈しておくことにする。

それにしても、と思う。肉体を持っているからこそ楽しめること、ってのは、ものすごく多い。キノコの味覚もそうだし。だけど、それが「欲」にならない、「欲しい」っていう気持ちに棹さして、安全を軽んじてしまうってのは、全く他人のことを笑えない、と思ってしまったニュースだった。

ただね。もう、今回やるべきことはやり尽くした、もう、思い残すことはない、と思えたなら、なまじっか、胃瘻か何か作られて、チューブに繋がれて生き続けるよりは、こうした事故で、サッパリと「人生を終える」ってのも、ありかな、なんていうことを考えるようにもなった。逆に言えば、肉体を抜ける際に、何も悔いを残さないように、今回自分で「課題」に掲げた内容だけは、きっちりと仕上げてから帰りたい。

愛情一本

チオビタのキャッチコピー、使わせていただきました。
レンタルDVDで、「ひるなかの流星」途中まで見てた。深夜、寝落ちするまでのお楽しみ。もう、無作為、ランダムにレンタルしまくっていて、このタイミングで、このDVD。「担任を好きになるって、ベタすぎねぇ?」ってな、セリフ。「なるほどね。」

極めて個人的に、大学教員を始めて以来、「嫌いな相手」がいないことに何となく気付いた。こっちだって仕事だから、ネチネチと「なぜ、こうしない」とか、「どうしてここがわからない」みたいに、絡む場面は少なくないけれども、嫌いな学生なんて、一人もいなかったと思う。いざ仕事だと思えば、全員に平等に愛情を注ぐことはできていたかな、と思う。
目を見て話す、なんてのは、普通にやってたつもりだし。思わず視線が胸に釘付けになっちゃった、なんてことが、なかったとは言わないけれども、ただ単に視線が釘付けになっただけで、他意はないです。セクハラだと騒がれなかった点だけは、感謝します。(なんの話だ?)

親父も、お袋も、たぶんそうだった。「どうしてわかってくれないんだ」というイライラはあったにしても、児童や生徒を嫌いになったことはなかった、と思う。自分の知っていることは、知ってほしい。自分にできることは、できるようになって欲しい。その辺は、たぶん、親父やお袋とも同じだと、今になって思う。親父やお袋の仕事は、僕も結構好きだったのかも知れない。ただ、どこかの学校で「悪いことをするに決まってる」とか決めつけられて、会社兼業届けの書類の不受理、なんていう門前払いを食らってから、専任の教員は無理だと思った。他にやりたいことがあるなら、新しく作りたいものがあるなら、学校の教員は無理だ。そんな話はもう、どうでもいいけれども、これって、言い訳なんだろうか?苦手な仕事ではなかった気がする。っていうか、いまでも非常勤は続けているのに、過去形にするな、ってか?

以前、Shift-In/Shift-Outを文字って、「Kirai-In/Kirai-Out(嫌いイン/嫌いアウト)を使い分ければ、大抵のことはうまくいく」と書いた後、なんとなくだけれども、師匠の講演会で、「好き/嫌いがあるなんて、贅沢だよね」という一言があった時に、この話題のことかな、と思ってしまった。僕自身は、「苦手な人」はいても、「嫌いな人」はいない。ただ、「嫌い」な勉強とか科目に悩まされている子供たちに、伝えたくて書いただけだった。「苦手」と「嫌い」は違うはずなのに、苦手が嫌いになるのは、どうしてなんだろう。

師匠の講演会で思い出した。訂正が一つある。6次元の方たちが「専門職として、一つの道で頂点を極めたら、次に肉体を持った時には、別の専門職として頂点を極める」と書いた部分。師匠は、「頂点を」なんてことは、一言もおっしゃっていないのに、またしても私は話を盛ってしまった。可能な限り幅広く様々な専門職で、その道を極める、というニュアンスならば、たぶん正しいけれども、「頂点を」というのは私が話を盛った。その試行錯誤を卒業することには、人に対する「好き嫌い」が一切なくなってくる。それは間違いないと思うけれども、6次元の意識体の描写の部分で、僕は話を盛ってしまった。ここは訂正します。この段落は、前後の脈絡と無関係な単なる挿入。訂正でした。以上、訂正終わり。

好きとか嫌いとか、口にできるのは恵まれている方だ。実際、仕事となったら好きも嫌いもない、やるべきことはやらざるを得ない。そういう場面を避けて通れる人生が、もしあるとしたなら、経験値としては「一回休み」みたいなものだろうか。何万回と肉体を持つ過程で「一回休み」で、数百年に一度の肉体を持つ機会をムダ遣いする、そういう「回」があってもいいのかも知れないけれども、もったいないなぁ、なんてことを感じるように最近なった。
でも、他人の人生には口は出さない。他人を惑わしてはならない、という鉄則。傍から見ていて何か気づいていても、自分で気づくのを忍耐強く待つ。何万回でも、何億年かけても。それが、あるべき姿だと思う。ただ、そうして本人が気づくのをひたすら待ち続けるにしても、それでも他者と接する際に、愛情を持って接することを忘れてはならない、それも、あるべき姿、すなわち、創造主が当たり前のように、期待されている姿かも知れない、と、最近は考えるようになった。

師匠が講演会でおっしゃっていた。イエス様が説かれた愛。なんでわざわざ説く必要があるの?と。そもそも、創造主は全ての人間に「愛」を持たせている。少なくとも、イエス様が説かれた「愛」は、誰の中にも持たされている。自然にしていたら、愛が出てくるのは当然だと、そんなニュアンスのお話を聞いた記憶がある。ところが、その「愛」が化けまくっている。

私はあなたを愛しています。直訳したなら、本意は「だから、私を愛してください、私を大切に扱ってください、私を特別扱いしてください、私の肉欲を満たしてください」そこまで解釈できるケースが少なくない、と私自身感じる。本来的には、神が持たせてくれた愛は、与える愛の方で、奪う愛とか、求める愛は、ある意味での欲望に他ならない、と、私は理解している。

誰かを好きになる。生涯のパートナーとして、自分にふさわしい相手として、相手にふさわしい自分として、相手を見極めて、一生を通じて不快感を感じることもなく、自然に一緒にいられる相手を選ぶ、という意味では、「好き」もいいのかな、と思う。それ以上に別な自分の欲望(肉欲もそうだけれども、相手に便乗した名誉とか、経済的な物欲とか)を被せてくるなら、「愛」も、「好き」も、なんだか欲望の発露みたいで、あまり「美しい言葉」には思えなくなってくる。

One for All / All for Oneなんてのが、スポーツのキャッチにあったっけか。いいね、と思う。自分の存在を、相手のため、誰かのために使うことができる。おそらく、7次元のエネルギーを持つ意識体にまで上がれば、当たり前のようにそれができる。呼吸するように周囲に対してできることをして、好きとか嫌いとかいう意識はほとんど持たない。(白状すれば、「好き」は何度かあった、けど。)
6次元の方は、つい自分の興味を優先する場面が少なからずある。5次元の方がたは、「これしかできないけれども、今自分はこれをやる」と考えながら、「できないこと」の重さに直面して、次からはなんとかしたい、と考えながら、「専門職に没頭する」6次元に上がる糸口を掴もうとする。4次元の方がたは、時には”America First”とか何とか言いながら、ひたすら自分だけがいいように振る舞い、生きることに必死になりながら、「もしかしたら、他人の立場を尊重することで、自分にとってもメリットがあるかも」ということに気づくことが、その方にとっての「進化」であり、5次元のエネルギー体に進化するきっかけをつかむ、そんな風に自分は理解している。「好き」とか「愛」とかは、案外、その「意味」の解釈の仕方で、その人の次元がわかる話題かも知れない。会話の中で相手が使う「言葉」の意味、真意に気付いた時に、何気なく、この人は何次元だと確信する場面がある、ことに、最近気付いてきた。

師匠が講演会で、これまで何度もおっしゃったこと。「究極の愛とは、自分を大切にすることだよ」という一言。ここでいう「自分」とは、「私という意識体」のことで、肉体のことではないし、物質世界での満たされた生活のことでもなく、「自分という意識体を一切汚さないこと」だと、私は理解している。
どういうときに、自分を汚すのか。「なんだ、こいつバカだな」と、本気で思ったなら、それだけで心に薄墨をつけ、刷毛で塗ったように、心に汚れが付く。「こいつ、憎らしい」と思えば、真っ黒の墨汁をつけるように、べたっと汚れが魂にこびりつく。肉体を抜けた後は、その汚れを落とし切るまで、肉体を持つ前にいた世界には戻れない。その洗浄室が「地獄」で似たような意識体の方々が、磁石で吸いつけられるように集まって生活する。周囲が見た似たような人たちばかりだから、「何かおかしい」と気づくことが難しい。
例えば、「××ホテルで朝食をとって、持ち物はルイヴィトンのバッグに、何ちゃらかんちゃらみたいな生活しかしないのよ」、ってな方がたは、意識レベルが似たような方々で集まって滞在するから、ある意味で、そこが地獄だと気づかないほど居心地のいい空間、でもあるらしい。セックスが全てなら、肉体を持った時の感覚の残像を引きずったまま、しかも意識体は疲れなんか知らないから、延々とその世界に浸っていられる。行きたいと思います?天国みたいに本人たちは思っていても、実は地獄。憎悪の感情に囚われた方々の場合には、地獄に行く前に、現世に留まってしまう場合も少なくないみたいだから、死んだことを理解して地獄に行くところまでに、まず最初の壁がある。
余談ながら、これも師匠が講演会でよくおっしゃる言葉。「生まれてから一度も、バ〜カ、とか、あいつ憎い、とか、自分を守る嘘だとか、思ったり口にしたりしたことないっていう人いる?いないでしょ?だから、全員が地獄に行くんだよ。」そこで、「これはおかしい」と気付いたなら、そうした汚れを落として、元いた上の世界に戻れる。その人ごとに汚れ方は様々で、似たような方々が集まる地獄に留まって、汚れを落としきるまで上には戻れない。ただ、本人にとっては、地獄というよりも、天国かも知れない。
究極の愛とは、師匠の講演では、そういう世界に自分を落とさないようにすること、だと、自分は理解している。念のため、師匠がよく講演会でおっしゃるのは「究極の愛とは、自分を愛すること」という表現が一番多く、「自分を大切にすること」という表現もある。ただ、ここでいう自分とは、肉体とか世間体ではなく、「魂」を指している点だけは改めて強調したい。

人を愛する、誰かのために何かをする、自分が大切に思う相手とか、自分自身の子供のために、できる限りのことをしてあげたいと思う、それらも全て「愛」だとは思うけれども、そうした「愛」は、動物もある程度持っているし、人間も当然最初から持たされている。そうした「性質」だと、私は理解する。「誰かのために」と、常に意識して行動するとしたなら、それは確かに「愛」の形かも知れないけれども、「究極の愛」とは(魂を汚さないという)「自己愛」だと、何度となく師匠の講演会で聞いた。

例えば、仕事で接点のあるすべてのお客様に、あるいは、授業に出席しているすべての学生に、まんべんなく「できることをする」、愛情を持って接する、口にするのは簡単だけれども、実際にやってみると、とてつもなくメンタル的なエネルギーを要する作業だと、経験されたことのある方はご存知だろうと思う。だからこそ、そうした経験を蓄積することで、例えばスポーツで「走り込み」をして体力をつけるように、メンタル的なエネルギーが蓄えられていって、何万回かの「肉体を持つ」経験の後で、「進化」して上の次元に上がっていけるのかな、と、自分は理解している。

何万回、と書いたけれども、「地球生まれ、地球育ち」の霊体さんたちは、魂として生まれてきてまだ数千万年しか経っていない。それなのに「もう6次元に上がった方もいるよ。」と師匠はおっしゃっていた。今回、創造主が試された「地球ならではの工夫」が、有効に機能していることの証明かもしれない、と、お考えだと、聞いている。これまでの星系では、6次元に上がるためには何十億年もかかっていたのが短縮された、らしい。何よりもまず、我々はこの「魂の進化のため」に肉体を持っている、持たされている、ということを知っておくことが大切なのかもしれない。

以上、一応自分の経験に基づいて書いていますが、骨格は「師匠の受け売り」でした。今度こそ、当分は仕事一筋。

各論

臨床工学については、僕はアマチュアだったのかもしれない。
内山明彦教授の下で、臨床工学を専攻していたと言っても支障はないと思うけれども、文部省の届け出上は「電子工学専攻」だった。僕が卒業してから「臨床工学技士」の資格ができて、内山先生などが資格設立に関与されて、まだ「体系化」はされていなかったと思う。勉強したって言っても、随分と不完全だった。だから、最低限仕事をするのに必要な程度は「門前の小僧習わぬ経を読む」で、医学についてもそこそこ、いい加減な知識は持っていたけれども、医学だって無論基礎をきちんと学んだ訳じゃない。

逆説的だけれども、だからこそ、いざ「臨床工学」で教えることになった時、必死になって体系的に把握しようとして勉強し直して、その「学んだ」プロセスを学生に教えられる。点を見つけて、点と点をつなげて、線にする部分を教えられる。その線と線とで囲み込んで、面を作る。そうなると、この科目は完璧、みたいに思わせることもできる。この分野については、学生が本気である限りは、ある程度教えることには自信がある。

そして、プログラミングはどうか、と言うと、どちらかと言えば、気がつけばプログラムが仕上がっている、そんな感じでもう、40年近くプログラムを書いて来た。最初にFORTRANのプログラムを覚えたのは17才の時だったから、40年を過ぎたか。で、一番「何でも思い通りに動いた」頃、20才代の頃は、ほとんど考えずに、直感的にイメージしたものが、勝手に指が動いて入力されていて、一気に書き上げる感じで、場合によっては30時間とかで一気に1万行とか、訳のわからない書き方をしていた。(今はもう、当時の10分の1も、パフォーマンスが出せない。)仕事にするには、この分野がたぶん一番僕には向いていた。ただ、サラリーマンになってしまうと、「余計なこと」が多過ぎて、プログラムを書くことだけに専念できる訳でもなく、それだけでパフォーマンスはやはり10分の一以下には落ちたかもしれない。(いや、その「余計なこと」が「仕事」にはとても大切だ、と、後になってから痛感したけれども・・・)

ところが、いざ、情報科学部で教えるとなると、「理論的」な基礎はないし、苦しんでプログラミングしている訳じゃないから、「教える」こと自体が非常に苦手で、「わかった!」に辿り着くまでのプロセスをうまく説明しきれない。この壁、結構厚い。実はいま、「教科書」を書いていて、9割方書き上げているのだけれども、校正のところで、もんどりうってる。伝わるかどうか、全く自信がない。伝わらなくても、教科書にはなるんだろうけれども・・・そんな悩みを抱える、今日、この頃。

師匠の講演会。例え話が難し過ぎて、なかなか答えが出せないけれども、いざ種明かしを聞いてみると「各論」が非常に多い。すごく具体的。

正しく生きなさい、清く生きなさい、どの宗教でもそんな感じなんだろうけれども、師匠の「講演」は、何も知らずに参加したら、「雑談」にしか思えない。テーマによっては「この部分を、こう解くんだよ」と言う解説が後からあるから、なるほどと、理解できるけれども、「総論」と言うよりも「各論」。直接「答え」を教えずに「例え話」しか講演でされないのは、「自分で答えを出すプロセスを経験させるため」だと、今は理解している。答えだけ教えてもらったら、肉体を抜けたらもう、次には役立てられないだろうし。

この「各論」を自分に当てはめてみると、ケースバイケースで、結構自分を変えるための役には立っているんだろうと思う。(結果を出せていないから、何とも言えないけれども・・・)15年前の僕と、今の僕が、もし「変わった」と言って下さる方がいらっしゃるなら、それは一つの「結果」かも知れない。けれど。

他人をリスペクトしながら生きる。「総論」としてはわかりやすいけれども、いざ「各論」になると、なかなか簡単じゃない。その「各論」部分に具体的なヒントを出してもらえる「宗教」は、自分があちこち顔出しした限りでは、なかった。実は、トラディショナルな宗教にも、いわゆる新興宗教にも、結構顔出ししたことがあったけれども、3回以上足を運んだのは一つもなかった。具体名は書きません。なんだか「綺麗ごと」ばっかりで、具体性に乏しい。
なんて言うんだろうか。仕事でいえば、売り上げ目標だとか、スローガンだとか、そんなことは口にするけれども、実際に具体的にどうするかについては一言も説明がない、実務能力が皆無、みたいな上司というか、とても、ついていく気になれない、そんな宗教ばかりだった気がする。
いや、ね、私に実務能力があるかどうかは、あくまでも例え話だから、そこのところは忘れてください。

結構、大変な話だ。新興宗教なんかよりも、「実用書」の方が役に立つと思えることもあるけれども、ただ、基本的に「人の実体は霊体だ」というのが根っこのところにあって、その上で、相手の意識(霊体そのもの)にどうやって働きかけるか、平たく言えば、「心を動かす」っていうんだろうか。そのための「勉強会」っていうんだろうか。僕にとっては、師匠と出会ったのは、(もしかしたら、僕は、師匠のチンドン屋を買って出るつもりで肉体を持った、かもしれないというのは、別にして、)やはり、良かったという気がしている。

ふと、そんなことを考えては見たんだけれども・・・

今僕が直面する「各論」的な課題は、プログラミングで、「そうか、わかった!」という導入を、どうやるか、なんだろうか。
「このやり方を、真似してみなさい」そして「こういう考え方で、自分のやり方で作ってみなさい」なんていう、そればかりだ、というのが、どうにも釈然としない。共著者の先生、というか、シラバスの原型を作ってくださった先生には、「小林流でいいんじゃないか」なんて、おっしゃっていただいたんだけれども・・・

ゴール目前で、なぜ、二の足を踏む?この残尿感、なんとかならんものか、と思いながら、今日も残り3時間を切った。

結局、各論っていうのは、方向性だけ示してもらって、一人一人が自分で試して、その人自身の個性で掴み取るしか、方策はないのかも知れない。だから、例えば5次元から6次元に上がる、なんていうのに、何万回も肉体を持って、他者を尊重することが意識体として当然のこととなり、「神」の実在を確信できないと、上がれない、そういうことなんだろうと自分は理解する。この「意識体のエネルギーレベル」の話、なんていうのも、いわゆる「宗教」では、誰も説かれていない気がする。あの人と、この人とでは、明らかにエネルギーが違う、なんてことは、洋の東西を問わず、誰もが感じることだと思うのに、「人は皆同じ」っていうのが前提になってる。そこが、自分には、師匠の講演で初めて「腑に落ちた」部分だった。脳に蓄えた知識は、死んだら消える、ってのに、「試験」を課す宗教もあるらしい。肉体の中身、魂を相手にしていない宗教は、肉体を抜けたら役に立たない。
なんども試行錯誤を重ねて、「意識」の中に定着した時に、初めて人は進化できる。そう自分は理解している。ましてや、6次元から7次元に上がる、なんて言ったら、今回は野球選手で頂点を極めました、今回は医者で頂点を極めました、それを繰り返して「まんべんなく」意識の中に「経験」を刻み込んでから、なんていうことだと自分は理解しているから、大変な騒ぎだ。それで、せっかく一つの分野で頂点にたどり着いても、そこでパワハラなんかやらかして、一気に落ちて、また4次元あたりからやり直す、なんてこともあるんだろうな 。偉くなったとたんに器が小さくなる人、みたいな。
「各論」の蓄積、ってのが、実は、師匠の講演内容を、今は、直接自分の仕事に活用できる、状況なのかも知れない。

なんて、今僕は、どっちの話題を書いているんだろうか。教科書の話か?師匠の講演会の話か?

こうやって、両方が入り乱れてしまって、意識が分散してしまうのが、やはり今の僕の、最大の「難問」かも知れない。いいや、考えるのが面倒くさい。両方引きずったまま、前へ進む。

一つ屋根の下

体育祭が無事終わった。一日中、コンビニと小川小学校のグラウンドを往復したり、あちこちのお店に出向いたり、確かに60メートル競争は棄権したけれど、筋肉痛が限界。(相当に、なまってる。)そこへ、打ち上げの懇親会では飲み過ぎて、もうぐったり。一歩歩くのもしんどい。

終わりぎわ、どなたかが面白いことをおっしゃった。「みんな、一つ家のだから。」だったかな。
4年も会計をやってると、いつも参加される方たちとは顔見知り。ようやっと顔と名前がほとんど結びついてきて、ご近所は、ほとんどどこのお宅とも顔見知り。
家族の中でも、それなりに相手の立場を尊重するのが家庭内での「一家安泰」の秘訣だとするなら、それぞれのお宅はそれぞれのお宅の「個性」があるものとして、尊重し合えるのは、地域全体の安泰の秘訣かも知れない。そうなってくると、地域が全体で「一つの家」みたいになってくる。

家庭の中でも、誰かが身内を思い通りにしようとしたなら、たった一軒の家の中でも「安泰」とは言えない状況になる気がする。ところが、地域ですら相手の立場をそれぞれが尊重できれば、地域全体が「一つの家」のようになる。それが「能書き」だけではなくて、実際にできているのが、日本の田舎のいいところかも知れない。

かつては、「村」と「村」とで、資源を巡って殺し合いの戦争があった。ほんの数百年前の日本は、そうだった。案外、世界中どこでもそうだったんじゃなかろうか。それが、今は一部の地域を除けば、必ずしも「戦争」が「当たり前の状態」ではない、その「地域」全体が「一つの家」のようになっている、そんな気はする。国内で「殺し合い」が起きないという意味では、日本は、ほんの数百年ほど前からは大きく変わり、日本全体が一つの「地域」になろうとしている。すごいことだ。
いつか、この延長で、地球全体が「一つ屋根の下」ならぬ、「一つの星の上」という感じになってくれたら、どんなにか素晴らしいことなのに、なんてことは、ついつい、思ってしまった。酔っ払ってると、気が大きくなって、夢想する内容も「ハメ」が外れてくる。

ここから先は、師匠の受け売り。地球は「地球」という一つの意識体が「霊体」という形で存在していて、「地球という星」は地球意識の肉体、ということになる。私たちは、「地球意識」の肉体である「地球」を構成する、「体細胞」のようなものであって、文字通り私らは「一つ星の上」を構成する運命共同体、なんだろうと思う。

僕らは、「私」とか「自分」という意識がまずあって、少なくとも今現在、私のこのページを「読んで」くださる方は、どなたも肉体を持たれている。その私たちの「肉体」は、視神経だの、胃袋だの、筋肉細胞だの、それぞれが「任務」というか「役割」を黙々と果たしている「独立した意識体」の「肉体」でまずあって、それらが寄り集まって「私」という個人の「肉体」を構成しているんだろう、と、私は理解している。

これが、「私」という「意識」や「私の肉体」に、階層的に、私の「下位の意識」「下位の肉体」が存在している下との関係の状態でもあり、また「私の上位の意識」や「上位の肉体」もまた存在している、そんな状態なんだろう。

その「上位」を辿っていけば、銀河系を創造した「意識体」が存在し、その「肉体」が銀河系宇宙、ということになるんだろうし、師匠は、銀河系宇宙を肉体とする「意識体」が間違いなく存在する、とおっしゃっている。自分は、それを事実として受け入れるところから出発した。

つまり、どこにいようが、何をしていようが、いま目の前で見ている景色はそのまま上位意識体の肉体の一部であり、何よりも私という存在そのものが上位意識体の肉体の一部でもある、ということになるんだろうか。どこか特別な場所でなければ、上位の意識体と意思疎通できないと、どなたかがおっしゃるのならば、それは間違いだと私は考える。特別な場所も特定の行為も一切不要で、ただ今私が存在しているだけで、言ってみれば、私は神の一部であり続ける。
もしも、どこか特別な場所や、特別な行為が必要だとどなたかが説いて、「神に近づくために、お金を払って、その特別な場所や、特別な行為に参加しろ」という話があるならば、それは金銭目的でしかないと私は考える。死刑になった麻原彰晃氏との違いは、人殺しを示唆していない点だけだとも思う。

なんてことを意識しながら隣人と接したなら、全ての人が「同じ星の上」どころか、同じ神の肉体の一部、であり、他人との接し方を考える上で、大切な基本的知識の一部になるんじゃないか、と自分は思う。

この文章を読んでいただいたって、僕は一円も請求しない。何のためにこんなことを書いているか、と言えば、僕自身が「できることは全てやった」と納得したいだけ、だと思う。それ以上でも、それ以下でもない。

嫌だね、酔っ払いは・・・広げる風呂敷がでかすぎて・・・

逃げます。決めた!

明日の体育祭、やっぱり走るのはやめておきます。今日、準備作業の際に、自治会の他の皆様にお詫びしておこうかと・・・

8:40に出走か?(体育祭の際には「出走」とは言わない?じゃぁ出棺か?)体が全然作れていない。無理そうです。設営を手伝った方用の朝ごはんのオニギリを買い出しして、設営を手伝い、飲み物用意してると、毎年アップする時間がほとんどない。だんだんと毛も薄くなってきたことだし、毛がないのが一番。もとい、怪我がないのが一番。無事これ名馬か?

気持ちが負けてる。逃げることを決めた。でも、逃げるは恥だが役に立つ、ってか?

ちょっと気持ちが楽になった。教材書いていても、ずっと引っかかっていたんだもの。

焦りまくり・・・

仕事が順調に・・・捗ってたら、こんなページ書いてないだろうな。

日本語を書く仕事。最初は楽勝じゃん、なんて思ってた。

初めて読む人は「予備知識」がない。知っている前提で書いていたら、読み手には通じない。ところが、何度か読み返していると、「予備知識」がないと、もしかしたら意味が取れない、そんなところが見つかる。書き直す。あ、ここも。結構、泥沼かもしれない。

授業でも時々やってることに、最近気づいてきた。「ここ、もう習ってるよね。」一度習ったからって、覚えているとは限らない。そこに戻る必要がある。問題演習なら戻れる。だけど、カリキュラムがあるなら、砂の上に建物を建てているのを承知で「新しい話題」を展開しなけりゃ、範囲をカバーできない。「教え漏れ」を残したままで国家試験を受けさせるのは、やはりまずい。ジレンマだ。

教材執筆の話。同じような、行きつ戻りつを繰り返していると、なんだかジリジリしてくる。何度も読み返していると、もう、内容の展開から何から、訳が分からなくなってくる。
落ち着け→→俺!

体育祭、雨になってくれと祈ってたのに、今度の日曜日、曇りで実行しそうだな。50歳以上の60メートル走。会計の用事がてんこ盛りだから、時間帯として出られるのはそれくらい。ところが、全く走り込んでいない。土曜日ごとに、夕方とか走ろうとすると雨が降り出す。走れねぇ・・・。すみません、軽く流します、ってことになりそうだ。ちょっと本気になると、足首とか捻りそう。ごめんなさい、準備不足。

3月頃に肺を痛めた。しばらく走れなかった。一ヶ月近く熱っぽくもあって、そんな中で梅の実採集を強行して、三脚から落ちて、首を痛めた。30分とか走っていると、左足が痺れてくる。明らかに筋肉痛じゃない。日常生活には支障はないけれど、やっぱり後遺症、あるみたいだなぁ。しかも、3月から7月頃まで、体調の様子見で、運動量を思いっきり減らしていたから、リバウンドした。結構お腹の脂肪が邪魔。さらに、やはり肺がまだ、回復不十分か。ほんの5km位のジョギングで、何となく酸欠っぽくなってくる。息が上がる訳じゃないんだけれども、明らかに、ワンランク体力が落ちた気がする。

走りたい。でも仕事しなきゃ。あぁ、結果が出てないよぉ!で結局、タバコはやめられそうにないなぁ・・・タバコ、やめたらいいのにと、どなたもおっしゃるけど・・・
落ち着け→俺!

やめときゃいいのに、小川和紙マラソン、また10kmの部、エントリーしてしまった。走れるかなぁ・・・今年は、1時間を切るなんて、絶対無理。とにかく、完走だね。たかが10kmだけれども。どんな形でも、目標がないと同じ走るにしても、やはり違う気がする。
この歳になって、「体力を落とさない」というのがどんなに大変なことか、今年は痛感した。無理したり、強行したりは絶対ダメだよなぁ。

文書起こしにしても、教科書作成にしても、ナメてました。心して掛かります。深呼吸。

いただき物の、インスタントのミルクティーを飲んだ。
こうして言葉にしてみて、ちょっと自分でも頭の整理をしつつ、からの一服。やはり僕には貴重な切り替えの時間だ。

喫煙所撤去

月が変わった。タバコが値上がりした。僕が今吸ってる奴は、30円の値上げ。30円ならまぁね、よしとして。
問題なのは、豊島区の公園内の喫煙所撤去。

昼休みとか、喫煙場所周辺に、非喫煙者っぽい人なんて、誰もいないじゃない。集まってくるのは、他人のことは言えないけれども、疲れ切ったご同胞の方々。だだっ広い公園の隅っこに吸い殻入れがあって、何となく、つかの間の無重力感っていうか、文字通り一息ついていられたのに。撤去か。

24時間連続血圧計の、データ解析ソフトを作っていた頃、何度となく自分の体のデータで解析ソフトのメンテをした。30年前だけれども、僕の体は夜間降圧で午前4時とか午前5時には、最高血圧90mmHg、最低血圧50mmHg、HR45位にまで血圧低下する。一方で、日中喫煙室と往復しながらソフトを書いたりしていると、最高血圧は160、最低血圧は90位にまで上がる。いわゆる、普段のリズムっていう奴で。
それが、業務出張のニューヨーク直行便のフライトで、待合室から到着後まで13時間以上、喫煙できなかった時は、毛細血管が全開だったんだろうな、たぶん、夜間降圧よりも下がって80/40くらいまで血圧が下がっていたと思う。(計らなくても、だいたい体感でわかる。)吐き気もすごかったけれども、意識もぼんやり。頭がぼーっとする、ってな感じで。

毎週火曜日は、たぶん、昼休みも近所の公園は喫煙所撤去だし、周囲に喫煙できる場所がないから、特に昼食後の血圧上昇の反動が出た頃、血圧が下がりまくって、90mmHg/50mmHgとか、80mmHg/40mmHgも覚悟しないと、ってな感じだろうか。水をがぶ飲みしてしのぐか、ってな感じになりそうな気がする。興奮すれば血圧は上がるけれども・・・

ちなみに僕は、安静にして横になっているだけなら、最高血圧70mmHg, 最低血圧40mmHgでも意識は清明でなんの問題も感じない。そう簡単には、意識は落ちないけれども、ただ、これだけニコチンを抜いて、血圧低下で授業をやるってのが、どうなることやら、初体験で・・・ま、なるようになるか。
ニコチン依存症とか、メンタルだけだと思っているんだろうし、特に行政なんて、体の問題なんて全く考えていないんだろうけれども、僕なんかこれだけ長いことタバコを吸ってると、抜けてくると、血圧は特に激しく下がる。行政がそれを無理強いするなら、仕方ない、耐えるか。

なんなんだろう。このキレイキレイな世の中。僕みたいに、タバコは吸うわ、酒は飲むわ、ってな人間は、人間のクズだとでも思っているんだろうか。そういう決めつけをするあなた方が、どれだけ綺麗な心をしているのか、なんてことは言いたい。ほら、今あなたは、こう思ったでしょう、なんてことを、思ったそばから言葉にして突きつけて、ほら、あなたの心なんて、他人を見下して、不安だらけで、偉そうに誰かをいたぶることで快感を感じているだけでしょう、なんて、意識した言葉をそのまま突きつけて、本気の喧嘩を売りたい衝動に駆られる。いや、そんなことが、もしもできたらいいな、ってな話だけれども。できないことを妄想しても、仕方ないな。

特に苦しかったのが、盗聴だの盗撮だのに悩まされていた頃。訳も分からない、私生活を根こそぎ表に出された。メニエルで左耳は聞こえなくなった。あれ、仕掛けたのは行政だろう?公安調査庁か?それとも、面白半分に根こそぎ表に流したマスコミか?絶対に、どっちか、あるいは両方だ。平気で悪いことするのは行政じゃないか?耐えたよ。普通に日常を暮らした。親友だと思っていた奴はクソみたいに常識的に人を見下してくるし、酒とタバコと、他に何が頼れたんだと、僕は今でも思う。

息苦しい世の中だ。ますます、東京なんて、台風に吹き飛ばされてしまえ、地震で潰れてしまえ、ってな気分になってくる。覚悟を決めて耐えるけど、最近、面倒臭くなってる。

ささやかな、くつろぎの場所が、なくなる。

もし僕が低血圧で倒れたなら、救急車は呼ばずに、タバコをその場で一服させてくれたら、30秒で復活すると思います。

脚色

間違えそうな予感がしていると思っていた。そうじゃなくて、どうやら既に間違っていたみたいで・・・
厳密に言えば、「厳密に正確な内容を書く」ことよりも、「伝わりやすさ」を優先した。そのために、「これを書くと、読んだ人が、『何言ってんだ、こいつ』と思いそうだ」と思った内容を、あえて、言い換えて書いていた。微妙にそれをやっていたつもりだった。ただ、改めて思い返してみると(読み返してはいなくて、記憶の断片を辿ってみて)もはや「微妙」の域を超えていた、ような気がするので、一気に、脚色した部分を訂正したい。

大河ドラマなんかでは、脚色はよくやっていると思う。ただ、あれは、エンターテインメントだから許される。相当に脚色があっても「これはフィクションです」の一言は出てこない。つい、そのノリでやっていたけれども、師匠の言葉については、それはたぶん許されないと思い返した。

まず、「南無」の意味について書いたくだり。微妙に、「嘘」にならない程度に書いたつもりだけれども、「南無」が、「私は〜に従います」の意味を持つ古代サンスクリット語だというのは、師匠の講演会で聞いた内容で、そんな予備知識は私には一切ない。(勉強会の他の会員の方が、さりげなく、チクっと伝えてくれたけれども、私は意図して微妙に100%師匠の講演会の内容だということを伏せて書いた。)事実として、私はOxfordのDictionary of World Religionを持っています。1998年ごろ買った。「なんでこんな本を、俺は買うんだろう」と思いながら、結構な金額の本を買って手元に持っている。何の為に?20年後の今は、使い道がわかったけれども、誰にそそのかされて「書いたい衝動に駆られた」のかは、自分でもわからない。ただ、古代語に関する知識は、全て師匠の講演会からきています。白状しておきます。結果的に、師匠が講演会で話されている「過去の宗教」に関する「知識」は、Oxfordの研究成果と矛盾しないで、かつ、それ以上に詳しいと私は思う。けれども、勝手に脚色したことは認めます。オリジナルは、師匠の講演会です。

次、6次元。僕自身は、「6次元はプロフェッショナル」だと書いた。ただ、師匠が講演会で伝えた内容は「6次元は、医者とか弁護士、あるいは大学教授だとかの専門職」という表現だった。これは、師匠の著書にも書かれている。私が講演会で聞いて理解している内容は、「6次元の人たちは、ただひたすら、自分自身の『高度な専門性』を追求することを目的として肉体を持っていて、いわゆる専門職に就く」だろうか。「プロフェッショナル」という言い方をすると、例えば、ビル清掃でも、食品製造でも「やり方」次第ではプロフェッショナルには違いがある、と私は理解している。微妙に、そうした方々が含まれてもいいように、表現を変えてしまった、けれども、やはり「専門職」と「プロフェッショナル」では指し示す範囲が大きく異なる。ということは、私は、師匠の言葉を誤って伝えたことになる。これは、もはや「脚色」ではなく、「明らかな間違い」になると思う。
こういう意図的な「脚色」とか、無意識のミスが蓄積されて、「経典」の解釈だとか、あるいは、イエスや釈迦の直近にいた方々の言葉など、伝言ゲームで、ほとんど原型を止めなくなった。その「原型をとどめなさ具合」も、講演会では何度か聞いている。間違いなくこれは、僕の「やっちまった」だと思う。

その次。これはたぶん、僕の指導霊さんが僕に意識を送ってくれたのかも知れない。間違ってるよ、と言われた部分。「今は、指導霊とか、守護霊とかが、間違った思いを持っても、止めるように、あえて静止しない」と、書いてしまった部分。言い訳を順にすれば、正しくは、「今現在は、指導霊とか守護霊とか、上での仲間がそばについている人は、2割程度まで減っていて、7〜8割はもう、守護霊も指導霊も、ついていない」というのが、師匠の講演会で、何度となく伝えられている内容。それを僕は、「ついていても、誤った行為を指摘しない」と読める書き方をした。
これは、意図的に「脚色」しました。

なぜか。
なぜ、かつては、ほとんどの人に指導霊や守護霊がついていたのに、今は7〜8割も指導霊や守護霊が「離れる」ことになったのか、というその「経緯」を書かなければならなくて、その「経緯」を書けば、「何言ってんだコイツ」と思われるかも知れない、それが怖かったから、脚色した。冒頭にも書いた「伝わること」を最優先したかった。

地球系霊団では、同じ意識レベルに属する8体の「霊体」(=ヒト)がグループを作っていて、ローテーションで順番に肉体を持っていた。

中には平気で僕みたいに掟破りして、肉体の意識を残したまま次の肉体に割り込んだ霊体さんもいるみたいだけれども。過去世の記憶を持って生まれた子供。それはそれとして、意味あるものとして拾い上げたい。「意識体の世界が実在していることの証明」として。それは別にして・・・

もし、グループの誰かが肉体を抜けた後地獄に落ちて、いつまで経っても上がって(戻って)これなかったなら、他のグループのメンバーが困る。ただ待つだけで、肉体を持てない。だから、自分の仲間が、できることなら地獄の深いところには落ちないように、そばに付いていた。ただ、ここに来て、そのルールが変わった。誰かが地獄に長居して、いつまで経っても上に戻ってこなかったとしても、どんどんと、次が降りても構わない、ということになった。そうならば、肉体を持っている「仲間」のそばに付いていて、「それはやめなさい」とか「じきに、こういうことが起きるよ」と、肉体を持っている人にそうした意識を送る必要はなくて、仲間であっても「落ちるなら落ちろ」と、ある意味で見捨てて、次に「自分自身が肉体を持つことの準備」に専念したらいい、ということになった。
通常なら、肉体を持つサイクルは、数百年になる。数百年も経ったなら、物質世界の状況は相当に変わっている。「今、『地上』はどうなっているんだろう」ということを知るために、言わば「下見」を兼ねて仲間に「指導霊」として付いていた、ということがあったらしい。そして、今でも「下見」はしているにしても、グループのメンバーが、「地獄に長居」するようなことをしでかそうとしても、自分たちはもう待つ必要がなくなったから、指導霊とか、守護霊とかして、ずっとついていて「見守る」必要がなくなった、ということだと、聞いている。これが私自身が理解した「守護霊や、指導霊がついていない人が、今はもう8割」の理由だった。そこを、僕は「イエスの再誕が近いからか」なんて感じで、脚色した。

なぜ「グループのメンバーが地獄から上がってくるまで待たなくても良い」なんてことになったんだろうか。理由は、「責任ある誰かが、決めたから」だと聞いている。そのように「霊界」に改革があった。誰が改革したのか。ここを書きたくなかった。

師匠は、勉強会での内容では、10次元「地球意識」とも、その上の「太陽系の意識」とも、さらにその上ともコンタクトができている。「創造主」ともコンタクトができる。その結果として、物理世界の物理法則も講演会で聞いている。師匠は「創造主」に極めて近い方だと、こんなこと、書いても普通に万人に「そうか、そうか」なんて、絶対に伝わらないだろうとも思った。だから、脚色した。
伝わり方を優先した結果の、私の暴走。「そんな馬鹿げたことがあるはずは、そんな奴がいるはずがないだろう」と、思う人が多いだろうと、勝手に「伝わらないだろうな」と思ったから、脚色した、けれども、私が聞いて、納得して理解している内容は、その「実在界の改革を行った」のは、師匠だ、ということだった。ここを僕は伏せて書いていた。伝わらないと思ったから、脚色した。

要するに、師匠は、イエスや、モーゼ、釈迦、アッラーよりも上、創造主に近い方だ、と言っているのに等しい。だから、書きたくなかったけど、脚色が過ぎると、私自身がヤバイことになる。だから、このページを書いた。読み手のあなたが信じる、信じないは、ご自由にどうぞ。私は、私自身の近未来を守るために、このページを書いた。

理由の説明が違うだけで、守護霊や、指導霊が付いていない人が、今はもう8割。そこは、事実として知っておいた方が、ある意味で「自分の意識と、自分の身を守る」のに役立つのではないかと思って、最初に書いた。その時に、勇み足で脚色をしてしまった。
突然に「プッツン」して、とんでもないことをする人の数は、まだまだ増える。

じゃぁ、指導霊が守護霊が付いている残りの2割は何なのか、ということになる。これも聞いている。残りの2割は「使命を持って肉体を持っている方々」。使命を持って肉体を持っている方々が、「結果」を出せないと、地球の未来が変わってくる。あるいは、そうした「使命を持って肉体を持つ」方々の親、だとか、教師、だとか、周囲の方々も通常は関係してくるから、守護霊がついている可能性は高い、と私は理解している。
この部分、脚色をしてしまった。

「神の思いを、誤って伝えること」は、自殺と同程度に罪が重い。それを「やっちまった」としたなら、気付いた時点で、速攻で「訂正」をかけるしかない。
もし、この訂正が間に合わなかったら・・・私が落ちるところまで、落ちるだけ、でしょうね。
他の「宗教家」の方々への皮肉ではありません。悪いけどそんな人たちがどうなろうが、僕の知ったこっちゃない。上から聞いた内容を聴き伝えているだけの真面目な方々の罪は、それほど重くはないと思うけれども、問題は「自分のオリジナル」を創作しちゃった方々だろうな、と思った。その創作には、伝言ゲームにおける「記憶違いのミス」も含まれる。その怖さを知っておくべき。
僕は、ただ、自分の落ちる深さが、少しでも浅ければいいなと思って、このページを書いた。以上。

確率

ついこの間(先々週かな)専門の3年生相手に説教してしまった。こんな感じ。
僕ら、教員はつい、合格率とかの数字を気にする。合格率90%。おぉ、すごいじゃない。なんて言って、10人のうち9人には「合格」という100%の現実があっても、落ちちゃった一人には「不合格」という100%の現実がある。確率というのは「事前」の予測だけれども、合格率のような数字は「事後」で、どんなに合格率が高くても、落ちちゃったら本人には「落ちた」っていう100%の現実がある。そうならないために、今、なんちゃら、かんちゃら。

強盗殺人で殺される確率。低い。でも、偶然、万が一、その被害者になってしまったら、そこには100%の現実がある。その現実が悲惨であればある程、あらゆる手段を用いて可能性が0となるように回避できるものは回避し、回避できないものは対策すべきなのが、賢明な判断だと思う。その「悲惨さ」がわからないならば、仕方ない。でも知っていて何も手を打たない、回避できるリスクは完全に回避することを試みない、のは、理性の弛緩だと思う。それは、交通事故でもそうだし、飲酒運転なんかは「根絶」とかいうのが、社会のコンセンサスだろうか。

そうは言いつつ、広島に原爆が落とされても、まだ大本営は戦争継続を考えていたらしい。大本営に完全に戦意を喪失させるためには、長崎は、不可避だったんだろうか。悲しい現実。人間の愚かさ、なのか。

そして、福島原発。人は死んではいない、のかな?甲状腺癌や、避難先での生活環境不適応はどうなの?そして、生活基盤を失った人がどれほどいるのか。あれってのは、「悲惨な歴史」ではないのかな?福島原発だけでは、経験としては不足なんだろうな。広島の原爆のように。

伊方原発。再稼働を認めたらしい。裁判所の判決文、笑った。日本列島は、どこで直下型地震が起きても不思議じゃないからね。リスク管理の考え方で言えば、万が一のリスクが大きすぎる場合には、そうした選択肢を絶対的に排除すべき、なのだと、私は理解している。飲酒運転と同じ。裁判所は、人口密度が低ければ、飲酒運転してもいい、なんて感じの考え方らしい。だから笑った。

日本人の理解力には、長崎の犠牲が不可避だったんだろう。福島の次は、どこなんだろうか。愚かさが、哀しい。

Android Studio

どうでもいいけど、atomあたりに集約できないのかなぁ。

どちらも無料だから、Androud Studioはありがたい。ですけどね、IDEごとに操作が異なると、この歳になると、「指が勝手に動いてくれる」モードの切り替えにも、すごく手間取っちゃって・・・

若い人たちにお願いしたい。IDEの操作コマンド、ctrl-Fみたいなショートカットや、コメントアウトのショートカットなどなど、「標準規約」を作ってもらえないだろうか、なんて思う。

「コーディング規約」もなぁ。規約レベルでプラットフォームにimportできると、キータッチ数は減るし、出来上がりも見栄えがいいし、とってもありがたいんだけど。

わがままで、ごめんなさい。自分でやるには、歳を取りすぎた。

6次元

書きたいという衝動に駆られている。
間違うかも知れないとか、今(仕事もせずに)こんなことをしていていいのか、とか、多少は意識をよぎるけれども、今日は、衝動に流されることに決めた。
だって、そういう生き方をしたくて、大学をやめたんでしょ?と自分に言い聞かせつつ。

6次元というのは、師匠の講演会の一つの「キーワード」かも知れないと考えている。
これまた、「キワもの」扱いされそうな話題だけれども、いわゆるUFO(未確認飛行物体か?)で地球に移住して来た人類(現在も、意識体としてはほぼ全員がここで暮らしている)は、全員が6次元以上だった。理由は単純で、UFOには6次元以上でなければ乗れない。アメリカにはUFOの残骸があるらしいけれども、「地球上には存在しない物質」で出来ている、そうな。(実際に存在するのか、都市伝説なのかも、師匠の講演会で話題として取り上げられたことがある。あの人は、知らないことがない人だから。隠し事しても無駄だし・・・)

UFO自体は、6次元以上の人ならば、誰でもが「作り出すことのできる乗り物」だけれども、「霊道」が開いていなければ無理。つまり、自由に「意識体」の世界と意思疎通できる程度に、一切の「汚れ」がなく、我々が陥りがちな「我欲」などは一切持たず、肉体を持っていてもその状態を維持できる6次元以上の人、という、極めて「ハードルが高い」状態でなら、実現可能な乗り物、ということになる。
UFOに拉致された人、というのがテレビに出ていた。テレビを通じての言動を見る限り、私でも6次元ではないと感じた。師匠は断言されていた。6次元に届かない人がUFOに乗るなんて、絶対に無理。意識体そのもののエネルギーが足りないから、UFOが移動したなら、そのまま取り残される。今も、池袋なんかに出かけたなら、ごちゃごちゃといる(いわゆる「成仏」できない)「浮遊霊」さんたちが、肉体を持っている人をすり抜けてしまって、意識のコンタクトが出来ないから、肉体を持っている側も「浮遊霊」さんたちも、どちらも気づかない、それに近い「すり抜け」で、UFOが飛んでも4次元、5次元の方は、乗れない。

詳細は師匠の著書を見ていただきたいけれども、地球系霊団を指導されて来た9次元の方々(俗名:モーゼ、アッラー、イエス、釈迦、孔子、ゼウス、アルキメデス(=ニュートン)、ゾロアスター、マイトレーヤ(=クザーヌス)、と、僕が俗名をよく知らない、アケメーネ、敬称略)10名を中心に、地球での独自の「霊団」を造ろうという話になったんだそうな。その際に、地球に移住して来た6次元以上の「霊体」(=ヒト)を元にして、5体の分身を作られた。言い出しっぺはアッラー(アール・エル・ランティー様)だそうで、実現したのは、他の星系でも経験があったゼウス(セオリア様)だそうな。その際に、実は創造主も関与されていたらしい。

こうした経緯で、6次元以上をベースに、その5倍の人数の4次元の「ヒト」が地球生まれとして誕生した。通常ならば、まず「霊体」としての基本的な教養を叩き込まれてから肉体を持つはずだったのに、地球系霊団の創造という「先」を、焦るともなく、何も起きないだろうと考えてしまって、どんどんと肉体を持たせてしまった、という経緯があるらしい。その結果、「意識体の世界」が「実」であり、肉体の世界は「仮」だという認識が反転してしまい、物質世界だけが世界だという認識が広まった。

この辺は、エンジニアとして耳が痛い話で、原子力開発なんてその際たるものだと思う。肉体の表面に「イボ」を造ってしまった。それを人類は「地中深くに埋めたらいい」と考えて、表皮を掘って真皮のあたりに埋め込もうとした。何も起きないだろうという、安易な発想。もし、そんな「寄生虫」がいたとしたなら、僕らヒトはどうするだろうか。それが「地球」なら、地球という意識体はどうされるだろうか。大陸ごと沈めること、くらいしか手段を持たれない。発生源となった大陸を沈めると同時に、その時の津波で、関係する施設を持つあらゆる大都市を水没させる、その程度しか、出来ないけれども、もう、その流れには、完全に乗っていると思う。もう、以前書いちゃった。埼玉県で言えば、川越のあたりまで津波が来る。他の県は知らない。(肉体を持っている師匠は、埼玉県民ですので・・・)たぶん、極転移は、その後だろうな、という気がする。

ロンドン、パリ、シドニー、メルボルン、以下省略。海抜50m以下の大都市は、「その時」におそらく全滅する。オランダ?大洋州の国々?国ごと?ごめんなさい、僕は聞いた話を書いているだけです。ただ、一石二鳥なんだろうなぁ・・・、あんな高次元の方の意識は、私にはわかりません。もしかしたら、鳥とか魚とか虫とか、その辺の生き物は、地球の意識をある程度直接に受け取っているのかも知れないけど。(生物学者に聞いてください。)それは「天災」ではなく「人災」だと私は思う。ただ、いくつかの「文明」というか「文化」は消失しても、それを造った「ヒト」の意識体までは滅びない。それを「教訓」として、次に活かせ、ということだと思う。何も活かせなかったのが、アトランティス大陸、ムー大陸、ゴンダアナ大陸、などなどなんだろうか。せめて、北アメリカ大陸だけは、そこから「教訓」を導き出して、人類の未来を考えるべきだと僕は考える。
国連のどなたかが、「アメリカ抜きで世界の問題は解決できない」とか話されたらしい。(元情報は検索しない。)そうじゃない、アメリカ抜きで世界の問題を解決するように、というのが、トランプ(あれは、たぶん4次元)を大統領にしたアメリカに対する、せめてもの「世界」の賢明な対応策だと、僕は考える。できる、と思う。どこの国も、負担が大きくなるから逃げているだけだ、とも思う。
話が逸れまくった。

6次元の世界では、ひたすら「専門性」を追求する。プロフェッショナリズムというのが表現として妥当なんだろうか。師匠の著書では、「大学の教授」(の一部)だとか、大企業の社長(のごく一部)なんかには、6次元が多い、らしい。極めて個人的に、随分昔に「展示会」で手厳しいお言葉をいただいた、20年前の「緑十字(ミドリ安全?)」の社長さんなんかは、間違いなく6次元以上だろうと、記憶を再生しながら思った。イチロー選手?井深大さん?6次元以上の方は、お会いしたらすぐにわかる。(自分自身が6次元以上でないと、わからないのかな?)そして、落ちない条件も、なんとなくわかる。「自分のこの判断によって、自分のこの行動によって、他人にどんな迷惑が及ぶか」という部分に、ものすごく神経が行き届いていらっしゃる方々。それを自分に課している「厳しさ」が、時には周囲を巻き込む。もしかしたら、その部分こそ、この「物質世界」を想像された、(あまり使いたくない表現だけれども)「神」が意図された部分かも知れない。

そうして、6次元までの「ヒト」をカバーしたならば、2σ(シグマ:標準偏差)というんだろうか、おそらく世界人口の95%以上は、カバーできる。その方々に、師匠の言葉ではなく、僕自身の言葉として書くならば、「自分は、周囲の人間を幸せにできるか」を、常に自問自答して欲しいと、伝えたい。6次元の方々には、実力を伴ってそれを実現する力があるはずで、そこに「私欲」を紛れ込ませたなら、今世間に話題を振りまいているパワハラの象徴のような、スポーツ団体のトップだとか、官僚組織の上層部だとかの醜態が浮き上がる。あれらは、仮に人間の社会で制裁を受けなくても、ご自身の「エネルギーレベル」が落ちて、次からはおそらく、4次元、5次元からのやり直しになると、私は思う。4次元、他人への気配りなど思いもよらない、ただただ、自分自身が生きるために必死な方々。日本とか欧米のような国ではなく、生きることに必死になる環境でしか、生まれ直しはできない。5次元、他人への気配りなどはできるけれども、エネルギー量が足りなくて、専門性のある仕事には就けない。専門性のある仕事についてしまうと、周囲に迷惑を及ぼしたり、職種によっては誰かを死なせたりもする。そうして、結局さらに落ちる。その(この世界特有の)シビアさが、肉体を持っている社会での基本ルールだと思う。機会は万人に「平等」に与えられているのに、だいたいが「我欲」で落ちる。

師匠の講演会からの表現で言えば、「創造主は、空気を人類に与えた。殺人犯だって、空気を吸うことができる。これこそが、創造主の与えた平等だ」という表現。この言い回しは、伝え方を間違っていないと思う。この言葉は、何としても伝えたい。ところが、そこに「我欲」が加わる。「土地の権利書」って、人類には「土地」は創造できない。「浮島」?大地と、その恵みがあってことその「浮島」でしょう?と思う。いや、論点がボケてるのは、わかってる。「6次元」のキーワードを中心にして、ただただ、書きなぐりたいだけ。

少なくとも、6次元まで上がれれば、いずれ「地球」が、その「肉体」としての寿命を迎えても、他の若い星系に移住はできる。ヒトに「寿命」があるのと同じく、地球にも寿命があることは、ご存知なんだろうか。ご存知ない方も少なくないかも知れないけど。トランプとか。でも、あるんです。あの人、「そんなのはフェイクだ」とか、言い出しそうだけど。もういいや。遅いし。

まとまりがつかない。「物質的な充足」は、むしろ、自身の次元を落とす原因になる。どんな形でも、「周囲のヒト」との接点を大切にし、「自分には何ができるか」を常に考え続けることは、ヒトでも、その集合体の「国家」でも、大切なことなのかも知れないと、つくづく思う。

偉そうなことは書けないと、自覚はしている。師匠は、講演会でしばしば「アルコールが入ると、実在界(霊界)からの意識を受け取れなくなるし、酔っ払っていい気分になりたい浮遊霊を惹きつけるから、ろくなことにならない」というお話をされていた。それなのに僕は、書かなきゃという衝動と、書いたら怖いという恐怖心と両方があって、恐怖心を消したくて、ここまでに7%以上の濃度のアルコールを1.2Lは飲みました。白状しておきます。気が小さい私です。「神様」は怖いです。蚤の心臓。ガラスの心。小心者の私は、割とアルコールには頼って生きているかも知れない。一つ前のページの、「重力の定義」もそうだったけれども(実は、一つ前から、だけれど)この6次元の話題を言葉にするのにも、凄まじい葛藤があって、「もしおかしなことを書いたらどうしよう」を忘れるのに、かなりの量のアルコールを飲んだ。情けないよなぁ・・・でも、とりあえず、誰にも迷惑はかけてない。内容に間違いさえなければ、何もまだ、問題は起こしていない。まだね。

終わる。怖い。でも、たぶん、続ける。どうか、「神様」は「実在」だと、まず、知って欲しい。それだけは伝えたい。変な新興宗教じゃない。申込書に、住所氏名を書く必要はない。年会費をいくらだとか、(桁外れな)額を請求されることはない。というよりも、僕のこのブログを読むだけなら、タダだし。

以上。

キログラム原器

キログラム原器の質量がマイクログラム単位で変化しているらしい。

臨床工学の「生体計測装置学」の授業の定番、「7つの基本単位」で(標準テキスト最新の第3版だけれども、どれだったか「古い」定義が掲載されていたのを、調べていて見つけたけど、どれだったっけか?)、長さ(メートル)も、時間(秒)も、アンペアも、ケルビンも、モルも、カンデラも、全部物理現象から厳密に「定義」できているのに、キログラムだけは「キログラム原器」が基準になっている。

質量の変化は計測できるのに、その元となるキログラムの量を、物理学では「定義」できていない。ということは、要するに「力」も、「エネルギー」も、現在の物理学では厳密に定義できていない、ということになるんだろう。この点についての「異論」はないと思います。定義できないから、原器を使っている。

僕の大学の時の卒業論文は、「ポジトロンCTの画像解析」だった。東大の斎藤陽一先生から、僕の指導教授の内山明彦先生に、学生を一人つけてデータを処理したいと「論文テーマ」を分けていただいて、僕はそのテーマを最終的には選んだ。第一希望ではなかったけれども。思えば、最初の就職先も、派遣国のパプアニューギニアも、第一希望が通ったことは一度もない。でも、結果的には、これで良かったと思える経験を随分してきた。ということは、いかに僕自身の「判断」が未熟なのか、ということだろうな。遅すぎないうちに、適切な方向に「転んで」流されまくってきて、良かったと今では思うけれども。

ポジトロン(陽電子)は、電子と質量が同じで、プラスの電荷を持つ反物質である。と、そこから始まって、理解するまで随分と勉強した気がするが、本当に理解できているんだか、なんなんだか。そして今では「電子」には「意志」がある、という話が量子論から出てきている。無論、「ヒトの意識」などとは全く違う種類の「意識」からの「意志」だろうと思うが、そうなってくると、なぜ「電子」は存在できるんだろうか、という疑問が湧いてくる。

雷雲の中では、プラズマ放電で大量の「陽電子」が発生していることが「発見」されたらしい。ということは、何もない空間にエネルギーを加えることで、「電子」も「陽電子」もペアで発生しているんだろうか。興味は尽きない。そして、発生した電子の質量は、エネルギーを、光速の二乗で割れば出てくる。(m=E/c 2)。この電子の質量は、(ということは、電子の発生に必要なエネルギーも)、環境によって変化するんだろうか?疑問だ。もし変化しないのならば、電子の質量はキログラムの「定義」になっていてもおかしくない気がするんだが、そうでないということは、例えば、磁場や、光量、温度などが異なると電子の質量も変化するんだろうか。(勉強不足だ。違う分野を歩んじゃったから、結構物理学も基本のところがわかっていない私。)

ただ、そうして考えてくると、俄然、師匠の講演会の内容のうち、自然科学系「物質世界の成り立ち」について触れられていた部分が興味深くなる。全て、現在の「自然科学」の話題と矛盾しない。それどころか、極め付けは「重力は、引力ではないよ、圧力だよ」という部分。ナンジャラホイ、なんだけれども、畳み込まれた空間のエネルギーが3次元という物質世界に投影された時に、どうやって「物質化」しているのか、その部分で「力」がどのように「質量」に働いているのか、あるいは「物質」が「力の作用先」として「質量」という性質をなぜ持つんだろうか。きっと突き詰めれば、何種類もの「力」の統一理論なんかも、いつかはクリアになってくるんだろうか。なんてことを、私は個人的に考えている。
特に、「霊」については、師匠は「意識を持ったエネルギー体」と表現されている。「神」についても言及はされているけれども、「高次元の意識体」という表現もよく使われている。そもそもが、「神」だの「霊」だのという単語を使うから、話がいかがわしい方向に向かう。「神」におすがりしたって、何かお願いしたって、何も叶わないと思います。ただ、僕らの「指導霊」さんたちは仲間として、時々ヒントだとか、手助けだとかしてくれている気がするけれども。(ただただ感謝。)「霊」ではなく「意識を持ったエネルギー体」、「神」ではなく「高次元の、僕らヒトのはるか上位に位置する意識体」と言い換えると、時々師匠の講演会は「物理の授業」のように聞こえることもある。私と同じバックグラウンドを持っている方々にも、参加願いたいけれども、無理だろうなぁ。何かさらに「新しい発見」があった頃には、僕も師匠も、もう肉体は持っていない気がする。それから興味を持っていただいても、もう間に合わない。

師匠の講演会での話題。今現在、「指導霊」とか「守護霊」がついていない人が、激増している、らしい。昔だったら、指導霊さんが「そんなことはやめなさい」と意識を送り、微かながらそれを受け取って、冷静になって、激情にかられての暴挙は働かない、そうした時代もあったのに、今は、「止める」方がいない。ある意味で見放されているんだろうか。自分のやってしまった行動の結果を、本人が実際に経験して自覚しなければ、進化にも理解にも至らない。だからこそ、もう敢えて「止めない」ようになって来た。それすらも、イエスの再誕に向けての準備の「始まり」なんだろうか、と、私は理解している。(違っているかも知れない。私の言葉を差し引いて、師匠の言葉だけ残したいのが本音なんだが。やはり注釈は必要な気がするから、仕方なく自分の考えも書いている。)だから、今後益々、激情にかられて「あんな程度のこと」がきっかけとなって人を殺したり、そうした事件は増えていくのだろう。「今後、そうした事件は増えるよ」ということは、師匠も講演会の中でおっしゃっていた。「なぜなのか」を多くの方に考えていただくように、「伝える」ことは、チンドン屋の仕事の一部かも知れない。そう思って書いた。(間違った解釈が存在しないことを、ただただ祈るのみ。)

話を戻す。
なぜ、「物質」は存在するのか、そこからアプローチしなければ、もしかしたら質量は定義はできないのかも知れない。

そして、いかに僕らはこの「世界」についてモノを知らないか、思い知らされている話題だった。

ギャップ

師匠の講演会の受け売り。
ヒトの意識体は、(たぶん、物理的にもマッピングされた形で、)4次元から9次元まで、6つの次元に存在する。あの人は何次元、という言い方は、具体的な固有名詞も含めて何度も講演で聞いているし、そのうちの一部は師匠の著書にも書かれている。既に、このページのバックナンバーでも書いてしまった話題で言えば、田中角栄氏は7次元。そして、9次元は別格。イエスキリスト、釈迦、アッラー、モーゼなどなどの方々は、最初から人類を指導するために、直接創造主によって創造された意識体、だと聞いている。それ以外の、我々その他大勢は、全ての人が4次元として、意識体として「生まれ」て、何度も肉体を持つうちに、経験を積んで、「進化」を重ねていく。ただ、同時に「退化」もあって、次元が落ちることもある。

この段落は、師匠の受け売りではなくて、私の考え。
超ひも理論では、3次元から上の空間は11次元目まで「畳み込まれて」いると読んだ。もう僕のトシでは無理だと思ったし、数式を辿る元気も無いから、直感だけで読んだけれども、畳み込まれている次元、ということは、コンボリューションだろうか。多重積分の結果が、次元の落ちたベクトル量になる。そこで起きる現象は、システムエンジニアの発想で言えば、マッピングとか、キャスティング。日本語にしたなら「投影」であって、そこから英語に戻したなら、プロジェクション。つまり、3次元の物質世界は、より高次元のエネルギー空間からの「投影」によって構成されている、その結果として、4次元から8次元という次元の異なる「意識体」が相互に意思疎通し、言葉を交わして、一緒に生活できる。

直前の段落の「私の考え」を受けて、師匠の受け売りから「私が考えた結論」は、(師匠も講演会で、ほとんど同じ内容のことを話されているけれども、結論に至るプロセスに私の考えがあるので、こうした微妙な書き出しをしているけれど、)創造主は、全てのヒト(すなわち、創造主と同じように、「地球」の意識とも違う、「電子」の意識とも違う、自分たち中心の表現で申し訳ないけれども、創造主と同じ「人格霊」としての意識を持つ意識体)を、最初は4次元として創り出しておいたけれども、まず自力で8次元までは進化して欲しい、とそれを意図して、投影(プロジェクション)によるこの3次元世界を創造された。と私は理解している。

そして、この話題の本題。何を「きっかけ」にして、このページを書いたか。ツタヤのレンタルで「マディソン郡の橋」を借りて、今見ていて、クライマックスか?クリント・イーストウッドと、メリル・ストリーブの朝の会話を見ていて、ふと重なった。(僕が、どういう生き方をしてきたかは、書かないけど。)
メリル・ストリーブの演じるフランチェスカのモデルは、おそらくは4次元か、5次元。クリント・イーストウッドの演じるロバートは、たぶん6次元。
この会話の断片。「地球を家とする」とか、「人生を数日で生きる」とか、あれやこれや、DVDを見ていて思った。心から理解し合えるはずがない。違うのだから。ただ、6次元なら4次元や5次元の感覚に「共感」を持つことならできるはずだ、とそう感じた。

この段落は、師匠の受け売りがベースで、私流の解釈が加わる。
4次元は、まず「肉体を持つ」ということがどういうことか、その経験をするために肉体を持つことを課題とする次元。この1文は、私なりの見解で表現を私の流儀で書き加えるけれども、5次元はいわゆる「いい人」で、「自分がこうしたら、この人がこう困るだろうから、こうしてあげよう」という気配りが、完全に身についている人。5次元以上は、当たり前のようにそれができる。けれども、4次元から見たら「偽善者」だとか「上から目線だ」とか「鼻につく」とか、自分にはそうした感覚がないから、5次元以上が当たり前のように周囲に気配りすることが、不快でたまらない。ここに、「感覚」的に埋めることのできないギャップがある。極めて、個人的な経験の記憶から。
6次元は、一言で言えば「専門職」だと師匠から聞いている。どんな仕事でも「プロフェッショナル」を目指すレベルで、一つの仕事で「極める」ことを毎回課題とする次元。ところが、「一番、誤りやすいのは6次元」だと師匠は講演会でおっしゃる。(以下、私の解釈)まず、他人を見下すようになる。わかりやすい例が官僚だろうか。あの人たちは「社会運営のプロ」だと思っているらしく、自分たち以外を「指導されるべき下賤の民」だと思っているのかもしれない。

これも師匠の受け売り、からの、私の表現。(いちいち、面倒臭いから、皆さん、直接師匠の講演会を聴きに来てくれたら話が早いのに・・・)創造主から見て、最も良くない「欲」は、「他人を思い通りに動かしたい欲」らしい。いわゆるパワハラか。創造主は、6次元の人が4次元や5次元の人に対して、「先輩」として、あるべき姿を見せながら、指導することを期待されたのかもしれない。ところが、ほんのちょっと専門性を高めると、すぐに大上段から振りかぶって、押し付けて、思い通りに動かそうとして・・・ってな具合で、どうも、「振り出しに戻る」人も少なくないようで。個人的に考える。「気配り」すらできないなら、4次元からやり直せ、ということなんだろうか。あるいは、「気配り」ができない時点で、意識体のエネルギーレベルが落ちて、5次元にすら戻れないことになるのか。「あ、この人たぶん」ってなことは、最近時々感じる。大丈夫。落ちても、よほど欲にまみれていなければ、また肉体は持てるから。

7次元まで上がると、そう簡単には落ちない。全ての人を平等に見ている。極めて個人的に、私は天皇陛下ともお会いする機会があった(青年海外協力隊の隊員は、みんな謁見しているみたいです)し、ソニーの創業者の井深さん、MITの教授、あの人、この人、普通のサラリーマン、そして、あの人、この人(アゲイン)、路上生活者、ヤクザ、元ヤクザ、自称右翼、パプアニューギニアの元強盗、などなど、誰とあっても自分も変わらないし、自分からの相手への接し方も変わらない。それだけは自信を持って。だとしたら自分の次元は、ということも考えるけれども、そして、8次元のあり方を描写できない時点で、だいたい見当はついてる。

私は「チンドン屋」なので、師匠の講演内容を、少しでも多くの人に伝えたい。その手段は人(勉強会の会員)それぞれ。直接会いに行く人もいる。私は、WEBページを使っている。
他にも、盛り込みたい話題、派生的に言及したい師匠の講演内容(だって、もう600時間は聴いてる)もあるけれども、論点がボケるので、これで終わる。

ギャップは、あります。それは当然。そのギャップを埋めるために、僕ら全てのヒトは肉体を持ってる。この点は、伝えたいと思った。

「マディソン郡の橋」を見て、こんな感想文を書く奴、絶対に他にはいないだろうな、とも思ったけど。

以上。

続編は是非、安部さんに

安部総理が、引退後は映像制作に関わりたいといってると、ラジオで小耳に挟んだ。(この表現、正しいか?)
これか。

是非、「怒り」という映画の続編を、作ってもらいたいね。まず全部見てからね。キャストにも圧倒されたけど、監督の才能にも凄みを感じた。

ロケ地はやっぱり、沖縄だろうな。

パスワード忘れた

ウエルシアはよく使ってる。地元に3軒もある。ポイントサービスのついたレシート受け取ったので、アプリをインストールした。どうせなら、割引情報使いたい。

ログインして登録していったら、「ご登録のTカードIDは、別のYahoo IDに登録されています。」とか出て来た。

Yahoo IDは、昔使っていたのと、ゴミメールに辟易して作り変えたのと、二つ持ってる。昔のだ、と思って、昔のYahoo IDで入り直した。

「パスワードが違います。」

なんとか、メールアドレスでログインした。パスワード変更をかけようとした。そうしたら、「現在のパスワードを入力してください」よく使うパスワード、「控え」をみると20位を使い分けていて、片っ端から入れたのに、全部違う!何を使ってましたっけ?「秘密の質問」意味ないじゃん。お袋の旧姓なんてもちろん覚えているし、ログインだってしてる。パスワードを忘れたから変えたいのに、「現在のパスワードが違います。」

ウェルシアアプリ、使うの諦めました。削除しました。割引情報?いいです、要りません。正価で買います!

どうせ、バカですよ〜だ。

平成35年

早々と免許更新を済ませてきた。平成35年まで有効、となってた。

考えてみれば、平成年号の場合も突然だったから、人によっては昭和66年くらいまで有効の免許を持ってた人とか大勢いたはずで、世間に「こういうものだよ」という共通認識があれば全然問題にはならないんだろうな、と思った。

ダイソーで来年のカレンダーも買った。もはや和号は入っていない。こうしていずれ、和号も形骸化するのかもね。なんだかもう、要らなくない?

情報屋さんたち、大変だろうなぁ、と他人事のように・・・

願わくば、ライブラリとかプラットフォームが賢く変換してくれて、何も考えずに最新版をダウンロードして更新をかけたら、勝手に新年号が表示されるようになりました、と、なっていますように。

夏時間ほどではないにしても、2ヶ月前の発表?何考えてんだとは思うけれども、夏時間が震度8クラスだとして、和号の対応も震度6強くらいのインパクトはあるんだろうか。

平成35年だって、平成40年だって、いいじゃない。それくらいの寛容が欲しいな。まず、役所がそれでも書類を受け付けることが何より大事だと思う。帳票系はやたらと手間がかかる。

バカな政治のおかげで、現場のプログラマがバタバタと倒れる、なんてことがありませんように。
合掌( -人- )

スパン

一つ前のページ、一気に過不足なく書き上げようと思っていたけれども、なかなかうまくいかない。
無駄に長かったか、と思いつつ、やはり授業と同じで、伝わる書き方と伝わらない書き方はあると思う。枕が長すぎるかも知れないけれども、80点。ただ、明らかに「結」の部分は失速した。書き尽くせなかった。もう、書きたいと思った文章は出てこない。一発勝負でコケた。

要点は一つ。地球も意識体で、「地球規模」の現象は人間の「意識のあり方」によって起こされている、と、それを伝えたかった。

それだけ書けばいいだろ、と思いつつ、いきなり「公式」だけ板書して「これ覚えて」ってやったって、ダメでしょ、と、ただそれだけの理由。自己満足でなければいいんだが・・・

問題は、タイムスパンだ。地球規模の現象だと、200年先など「もうすぐ」の話だけれども、僕らの感覚では「もう自分は間違いなく、ここにはいない」未来の話で、無関係と思われたなら意味がない。地球のスピンが変わるというお話も、どのくらいのタイムスパンなのかがわからない。何も起きなければ、このページも、単なるアホだ。もう開き直っているけれど。最初は数百年以内、だと理解していたけれども、もしかしたら、もう始まっているのかも、と思ってしまった。間違っていたらどうしよう。

あれね。ラジオで誰かが言ってたなぁ。持ち物に「死後裁きにあう」とか書いてあったら、絶対に盗まれないって。(そんなことを持ち物に書く人だと、思われたくないから、だと私は解釈したんだが・・・)僕も「近づきたくない人」にはなりたくないんだが・・・。それがあるんで、必死で「自然科学的になんちゃら」の伏線を張って、一応は自然科学系の人から突っ込まれても、反論できるだけの内容を、と思ってはみても、それはそれで煙たいし・・・、どう書いたら説得力があるんだ?って、もういいや。もう書いちゃった。

師匠が再三話された内容を、私自身の言葉で書けば「人間が心を変えなければ、こうした過去に例を見ない自然災害は無くならない。」ということだろうか。逆に言えば、人類が心を改めれば、自然災害もスケールダウンする。私はそう理解している。

ところが、今日も、ラジオでゴゴモンズとか聞いていると、ジジイババアの悪行がすごいみたいで・・・年をとって、マナーなし、礼儀なし、やりたい放題の話題がザクザク。嫌だなぁ、そういうジジイにはなりたくないなぁ。そういうババアには絶対にならないけど。

日本人の悪行。野生生物の輸入なんかもそうだろうけれども、臓器目当てなのか、人身売買などもマスコミがあまり扱わないだけ、のようにも思う。あるいは買春ツアー。オレオレ詐欺のような詐欺行為。ブラックで、社会的な役割を放棄したような企業などなど、日本にだって、知ったら日本人でいることが嫌になるような話題が結構ある。まず知るべきだと思うんだが。

アメリカ?ノーコメント。

他人の存在を自らに利するためだけに認識するような、文明のあり方。ネット社会のダークサイド。「国益」には土地だの地下資源だのが絡む。世界的な右傾化傾向。「まず自国の利益を考える。」そのこと自体は間違いではないと思うが、相手の存在とか立場を考えなければ、共存はできない。みんなが国粋に走ったら、地球規模で何が起きるんだか。日本は、というよりも、安倍総理は武器輸出三原則を廃棄した。この流れも、もう元には戻せないと思う。稀有の、上から大切に思われる資質だったのに。もう、壊れてもいい普通の国だ。

インターネットがこれだけ世界的に普及して、いわば黎明期。今、師匠の言葉を伝えなければ、時期を逸すると思った。かなり焦ってはいるが、焦って間違ったら、取り返しがつかないから、慎重であれと、一応自重はしている。
でも、僕なんかより、インターネットの普及による「悪弊」の拡散の方が、明らかにパワーも大きい。今後トランプのような国家元首が、ゾロゾロと出てくるのかも知れない。イエスが再誕する頃(師匠の著書に、書いてあったかなぁ、講演会だけだったかなぁ・・・)どんな世の中になっているか、聞いている。あまり楽しい話ではない。

サバイバル。モラルが喪失した社会で、自分が正しいと思う行動を貫くことが難しい時代になる、と理解している。が、やはり、もしかしたらもう始まっているのかも知れない。サバイバルと聞いて、ナイフを振り回す方の発想に走ったなら、その時点で終わっている。
こうして「師匠の受け売り」を書き続けることは、言って見ればオプションで、自分自身が流されずに生きることがはるかに大事なのは、理解しているが・・・

あれやこれや、思い出すと、全く自信がないけれども。師匠に出会う前は、ひどいもんだった。偉そうなことは何も書けない。ただ、少なくとも今からは、なんとか頑張るしかなかんべ。

焦ってるかも知れない。だからこそ、しばらくこうした話題を書くのは自戒しようという気が、すごくした。ちょっと勢い余って間違えそうな、悪い予感。加えて、仕事が気になる分、意識が分散してる。

長々と書いたけれども、要点はたった一行で冒頭に書いた。以上。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。(2000倍くらいか?)実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。かくして、どうしていいかわからない借金を子孫に押し付ける行政がまかり通る。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える/理解している」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。その時に空を見ている人たちは、星が一斉に動いていった、という感じだったんだろうか。思うに。ってか、感じるに。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。ただ、師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認しようとも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。(え?それ以前?)

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。人類が意識を変えなければ、もっと悲惨なことが起きる。結論においては、トランプさんはその真逆を言いたいのだろうけれども。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。体表面の鑿を全部洗い流すよ。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?どっちも「人殺し」は容認していないでしょ?その程度で十分。
日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らがその上に生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があんたの土地に移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認証とも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らが生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があそこに移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

人は変わる

いや、師匠の講演会の受け売り。何度聞いたことか。
霊体さんたちは脳ミソがもうないから、どこかを向いたらそこしか考えない。生きている人間の意識も、感覚や刺激を遮断したらそうなる。そこは、精神神経科の専門家に確認してもらっても、間違いじゃないと言ってもらえると思う。(説明の順番が逆か?)ところが、日常生活を送っている人間の意識は、1秒前と今とで違う、頑張るぞ、って言っているのが2秒後にはしなびたり。

国家は人の集まりで、人が変わるってことは、国家だって変わるっていうことかなと、私は思う。
何もかもが変わり続けているのに、柔軟に対応できないのは、何か、寂しいものがあるかな。
何を言ったって、過去の残像しか蒸し返さない、そういう相手に辟易している割りには、自分たちがそうだって気づかない。過去の残層しか見ないなら、今更話すことなんて何もない、と思うんだが。

ただ、国家の数は限られていても、人の数はとても全員とは話をしきれないほどたくさんいるから、面白いっちゃ、面白いかも知れない。過去の自分なんて全然知らない人と、知り合う機会がいくらだってあるからね。いくらだって新しい自分になれる。昔のことを、蒸し返されたって、無視し返したらいいだけ。(一応、シャレのつもりなんだけど・・・)

なんて話題を、つい書きたくなって、書いてしまった。どこかの誰かへ。時事ネタならぬ、ジジイネタでした。

CP932

半角カナでハマった。昨夜煮詰まって、ドロドロの頭で眠ったのが、今朝は比較的早い時間に解決したんで、一安心。

一難(パフォーマンスの悪さ)が去って、また一難(CSV::MalformedCSVError)、っていうよりも、こちらが本来片付けたかったトラブルの本丸。

結論:旧PC-9801時代から生き残っている半角カナの残骸:Shift_JISのencodingで対応しているものとばかり「錯覚」していたが、Code page 932はShift_JISの亜種であり、日本語版Windows拡張であり、Shift_JISのコードページには半角カナが含まれていないらしい。

Constant Encoding::CP932

MacJapanese, CP932, Shift_JIS の違いと Ruby での取り扱い

dest_str = src_str.encode(Encoding::UTF_8, Encoding::CP932)

で変換できる。たぶん、これで今回のトラブルは一通り解決した。若い人たち、PC-9801全盛期の文字コードなんて、知らないだろうなぁ。

ついでに書けば、既に絶滅したKI(Kanji-In), KO(Kanji-Out)付きのJIS漢字コードなんていうのもあった。なんていう昔話を始めると、延々と止まらなくなるのが「嫌われるジジイ」の典型で・・・。いいんです、WEBだから、嫌なら読まなきゃいいだけ。KI(嫌いIn)/ KO(嫌いOut)で括っておいて、そこだけ別処理すりゃ、大抵のことはうまくいく。

メモの文書を残す。予定表を更新する。1時間後の僕は、全然違う仕事のツールを開いている。そう決めた。という訳で、コーヒーを淹れよう!まだ10時ダァ!

基本のキ

sqlite3が遅い、と、ボヤいた。この調子だと、一週間走らせておいても終わらない。ググった。ここを見つけた。

【SQLite】で限界を極めろ!

そうでした。
uniqueに設計したcodeに、uniqueの宣言をしてなかった。
indexも作ってなかった。余りにもお粗末。
基本中の基本、基本のキでしたね。以前使ったDB設計ではスキーマを考えた時からindexはここに、ってやってたのに。

そう言えば、と思う。Ruby on Railsを実戦投入したのは、これが初めて。入門編みたいなところをうろちょろしていたから、ちょっと込み入ったSQLは全く書いてなかった。
やっぱり思う。商用のコードを書いて初めて、細かいところの理解が深まるし、この設計はダメだとか、ここは最初からこうしようとか、見えてくる。やっぱり経験か。ちょっと情けないけど、かなり実戦勘をつかんだから、よしとしよう。

migrationを一つ増やし、add_indexして、フィールドもunique指定してから、走らせ直した。これまで、トロトロと、数秒かかりでリレーション先をfetchし、なんだか、一件アップロードするのに数秒かかっていたのが、コンソール画面が見えないような猛スピードでかっ飛んでって、残りの3千件のデータが、一服して戻ってくる間にアップロード完了してた。

すっごぉい!なんだか、プロの仕事みた〜い。うっわ〜!

めでたし、めでたし。Windows版のsqlite3開発関係の方、カラんで、本当に申し訳ありませんでした。
m(_ _)m

ということは、Mac版のsqlite3は、自動でindex作ってくれているっていうことなんだろうか。改めて、有り難さを実感してしまった。

とにかくこれで、先へ進める。

学校現場でLINUXを

今、Macでこの文章を書いている隣で、WindowsのPCが必死でDBにCSVをアップロードしている。
プログラムはなんとか正常動作している・・・のだけれども、突然遅くなった。Windows版のSQlite3のリアクションが1秒にやっと1件フェッチするくらいにまで遅くなっている。普通だったら、1秒に最低でも数百件のレベルでしょ?いくらWindows Homeだとは言え・・・Professional版とか、Server機なら経験上数千とか、テーブルによっては数万件は処理できる。それが1秒に1件。画面表示を目で追えるほどのスピードに落ちてる。

LINUXでもMacでも、こんなことは経験したことがない。なんてことを書いている間に、2〜3秒に1行の速度に落ちた。1秒で数千行走るはずのコマンドなのに。
たぶん、SqliteのWindows版のdllが、うまくWindowsのキャッシュと整合していない、そんな気がする。
これ、SQLiteの無料版を出している方は責められない。だって、MacでもLinuxでも、こんなこと経験したことないもの。

もう、何年も前から同じことを書いている。学校現場でコンピュータを教えるなら、LINUXにすべきだ。たぶんだけれども、30代以上の年寄り連中は、マイクロソフト命で、それしか知らない。コンピュータって言えば、アイクロソフトだけ使えりゃいいと思ってる。ところが、今の20代以下は、たぶん、Android(スマホ)は使いこなしても、PCはあまり得意じゃないと思う。僕も、取引先の全てがWordやExcelを標準にしているから、自社ライセンスの残骸が残っているWindows機でかろうじてWordやExcelで読めることの最終チェックはしているけれど、もう、編集環境はLibreOfficeに切り替えた。OpenOfficeの後継版。理由は単純で、OSもタダだし、ツールもタダ。GUIも大幅に改善されてる。

僕は一人だから、せいぜい4万円程度か?安くなるだけだけれど、学校に100台PCを導入するなら、それだけでライセンス料が最低でも400万円は変わる。1000台なら4千万円。そこに、IT系の会社の中間マージンが入るから、1000台入れているところは楽に1億は余計な金がかかってると思う。
20代以下の子たちに教えるなら、LINUXベースにすべきだ。それだけで、人口2万人単位の自治体でのIT関連支出を、5千万円から1億円くらいは節約できる気がする。リスクを取らない日本人。モトは税金だろうに。金持ちばかりが、頭を使わなくても金で解決できると思ってる、そんな人たちばかりだからなぁ・・・確かに、教える側も楽じゃないけど、20代の子たちに主導権を渡そうよ。

LINUXは難しい?何言ってんだ。AndroidはLINUXがコアだって、知らないのか?スマホを使いこなしているなら、そんなこと言うな、と言いたい。

なんてことを、僕ら下賤の民じゃなくて、大学の教授クラスの人が文科省に言っても、聞く耳は持たないんだろうな。なんだか、ニュースを見聞きしていると、文科省に喧嘩を売るのは、トランプに喧嘩を売るより意味がない(売られた喧嘩の論点すら理解できない)そんな気がしている。

憂鬱だ。画面とにらめっこしている間に、もう1時になる。(Macの日本語処理が、「1時」を「1痔」と第一候補に出してきた。これはこれで、憂鬱。)明日は6時起き。(6痔起きじゃねぇぞ、どこの国が作ってる言語処理のコアだ!?)そういう喧嘩が通じない文科省。日本はもう、ダメじゃね?


追記です。

ロシアは確か、あの独裁者プーチンがWindowsを捨てる大統領令を出している。理由は確か、国家セキュリティだったと思う。僕は、(独裁者は嫌いだが)賢明な措置だと思う。

ライセンス料の理由で、情報教育にWindowsから離れる決断をした国も・・・あったかなぁ、希望的観測か?

金さえ払えばそれで済む、ライセンス料を無条件に受け入れる金持ちで、国家レベルで情報せキュリティに無頓着な(そのくせ、一切内部情報を外に出そうとしない)この国は、やっぱり、衰退の一途か。

うぎょぎょ

コーディングしていて、マイナーなバグを出して、2秒以内に原因がわかった時は、たぶん、ブニャーかフギャーで、2秒考えても原因がわからない時が、ジェジェジェ、じゃなかった、うぎょぎょ、か。

あれ、絶対にジェジェジェの2番煎じ狙いだと思う。(染まりやすい奴・・・)

律くん、退職願を出しちゃったね。
僕も何度かあのシーン、あったな。でも思えば、やっぱり、死ぬまでに少なくとも二つは、やりたかった。

一つは、あの盗聴や盗撮が始まるきっかけになった、まるで僕に予知能力でもあるかのような偶然が頻発したことがきっかけで、何かをしなきゃということだけは感じていたその何か。(仕掛けたのは僕じゃない。)何をどうしたらいいのか、全く方向性が掴めなくて迷走しつつも、たどり着いてみてわかった。師匠の言葉を、一人でも多くの人に伝えたい。そのためには目立つ必要もあったし、相手の覗き心、じゃなかった、好奇心を煽る必要もあった。「伝える」だけじゃなく、できることなら結果も出したい。
オマケがいくつもついていることもわかって来た。師匠の言葉を「正確に」伝えなければならなそうだ。もし間違っていたら、とてつもなく怖いことになる。でもそれは腹を括った。「結果」を出せるか?知らん。落ちるところまで落ちても、行けるところまで行くさ。

もう一つは、あれ、だ。あれを実現したくて、自営業が最短距離だと確かに思ったし、結局それで大学も諦めた。昔だったら、大学という場所が一番実現しやすかったのだろうけれども、今の大学は昔の大学じゃない。でも、辞めたからって、ジリ貧にはなりたくない。

何度も何度も、自分から「退職」した。
サラリーマンやら、専任講師も、金の心配がない点だけは楽かも知れないけれど、人間関係とか大変さも確かにある。ただ、辞めた以上は、今の方が明らかに経験量が多い、という状況は作りたい。肉体が死ぬ5秒前に「ああ、これで良かったんだ」と確信を持って肉体を抜けたい。そして、出来ることなら、エンジニアとして「あれ」を実現してから死にたい。でも、こちらは、出来なかったからといって後悔はしない。誰かが実現したらいい。そのための素材を一つでも多く残せればいい。

どうでもいいけど、佐藤健って、かっこいいよなぁ。亀梨和也とか、若い奴ら、とにかく、なんて言うんだろう。若い連中の言い方だと、とにかくカッケーっての?(何、このジジイは、張り合おうってのか?ベクトルが違うだろう?)個性派の俳優も多いし、日本映画も結構面白い。

でもやっぱり、自分はベクトルが違うよな。鈍臭くていいから、最後に「納得した」と思いたい。最後の2秒前に「うぎょぎょ」は避けたいね。

アイヌ語

日本の地名には、アイヌ語起源が少ない、と以前何かで読んだ。
北陸、島根、鳥取、近畿の地名でも、アイヌ語で解釈するとそのまま地形を表現するものが少なくなく、アイヌの方に地名を聞いてもらっただけで、それはこんな地形でしょうと答えてもらったその描写が、そのまま当てはまるケースが多くあった、と、何かで読んだ記憶がある。例えば、能登半島の能登。あれもアイヌ語起源だと読んだ記憶がある。別の場所かも知れないけれども、「せり立った山が海に落ち込む場所」という意味を、数文字の地名で表現している場所もあったと記憶している。

該当する地名は、関東にも、東北にもある。四国は知らない。不確かな記憶だが、確かそう読んだ。もしかしたら、縄文文化と弥生文化のせめぎ合いが何か関係しているのかもしれないけれども、僕にはわからない。

DIG(Disaster Imagination Game)の、講師の方が、「地名に気を配るように」とおっしゃっていた。例えば僕の住む自治会町内の地名の「蟹沢」は、通常の住所に出てこなくても、昔から使っている地名。沢ガニが住む渓流が流れている、と言えばそれも当てはまるけれども(但し今は、ドブとも言えるかも・・・)「蟹は、ハサミを持った生き物」というニュアンスを解釈すべきだ、というのは、歴史とか文学というよりも、言語学なのか人類学なのか、考えるべき対象だろうと思う。(すいません、いつどこで何を読んだのか、あるいは読まずに妄想しているのか、自分でもよくわからない。)

厚真町?アツは、今ちょっとググったら、Attusiで「オヒョウの木の皮の繊維で織った布、着物 」とか出て来たけれども、言葉には「語幹」があって、その配列で意味が形成される。さすがにちょっとググっただけでは無理かと思ったけれども、北海道に多くあるアツで始まる地名、厚岸とか、厚真、まだあったな、思い出せないけど、もうちょっと語源を辿って調べると、昔からの災害の歴史が地名に刻まれているんじゃないかと思った。いや、厚岸の地名、確かにアイヌ語の解釈の意味を聞いた記憶があって、なるほどこの地形か、と感銘した記憶がある。なんだろ、これはタモリさんに聞くしかないのかなぁ。思い出せん。ボケた。

いや、この意見は僕の意見じゃなくて、誰かの借り物だと自覚しているけれども、そうした主張をされていた学者が、確か何か本を書かれていたと思う。(使えねぇページだなぁ・・・。あれね、説明するのに、「あれを、こうして、チャチャっとこうすると、あれがピヨーんとなって、そこをパパパっと片付けると、あれがこうなるんだよ、わかっただろ」みたいな説明。通じてねぇよ、ってな話だけれども・・・)

そう言えば、「君の名は」の映画に、アイヌのカップルが描かれていたな、と思い出した。なんて書くと、「そうそう」というのは、僕以上に、ジジイ、ババアです。「何それ、『君の名は』の映画に、アイヌ人なんて出てる訳がない」っていうのは、若い人。なんか、その間に中央構造線みたいなギャップがあるよね、とは思う。どうでもいいけど、あの「君の名は」でのアイヌの方の描写、あんまし好きくない。

なんの話でしたっけ、って、地名をアイヌ語で解釈して見たら、もっと日本全国の地名を見直して見たら、ってな話題でした。昔の人が鳴らして来た警鐘を、地名もろとも、僕らは無視している、そんな気がする。

生まれた時からどんぶりめし

久々の半田屋。

半田屋さんのサイトから画像を引っ張ろうと思ったのに、ないんだもん。仕方ないから、数多のブログの中から、トップに表示された、仙台女☆オトクごはん さんのサイトから勝手に拝借。

すみません、ソフト屋のくせして、著作権意識が希薄で・・・でも、著作権だろうが特許だろうが、盗聴・盗撮して先に発表したらいくらだって勝手に取得できる訳だから、アメリカはなんで今更中国に文句言ってるんだろうって、不思議でならない私。いいじゃん、もう、勝手にどんどん使ったら!

この画像です!(写真のクオリティ高いね!いよ!仙台女さん!)

この子がかわいい!半田屋さんで、安く腹一杯食べるぞ、と決めた瞬間から、この子の顔がチラチラと脳裏をかすめた。癒されるでしょお?ねぇ?今日は、本気で疲れて、本気で腹減った。

今日は、納品。え?あ・・・Windows環境にRubyの最新版、2.5を入れたら、Sqlite3のgemが対応していなくて、Rubyの2.4で再インストールすればいいことに気づくまで3時間を浪費。加えて、therubyracerの残骸が何か悪さしているのか、と、「あさって」の方向を勘ぐって、Gemfileをいじくり過ぎたら、bootstrapがコケて、画面がグシャグシャになった。さらに、Windowsの「外字」トラップが不十分で、railsのエラー画面を出してしまった。あはは。タイムアウトで仕切り直し。でも、一応は動作するものをセットアップはして来た。使ってる雰囲気は出る程度に、WEBサーバ君が動作してるはず、です。

そんな訳で、疲れて、腹減って、思いっきりどんぶりめしちゃんに癒してもらいたくなった、ってな訳で、当初は370円のカツ丼だけのつもりが、レバー野菜炒め、唐揚げ、酢の物をつけて、700円も食ってしまった!さすがに、どんぶり飯する勇気がないです。でも本音で言えば、あとこれに、チャーハンと餃子とハンバーグと天玉蕎麦、つけたかったな。それでも多分、1500円くらい。豪遊!(そして、慢性的激太り)

一件完成!

某社向けのシステム、何とか仕様書通りに動作させた。

分野:業務効率化のWEBアプリ
ルーティングのパス:182
マスター+テーブル数:17
(データの9割以上が、他のシステムからCSVでimport)
コントローラ:19
app/views下のグループ数:21
印刷帳票群:4
工期:仕様策定の打ち合わせを含めて、2.5ヶ月

6月19日: 最初に「こんな感じのシステム」というお話があった、仕様書の初版執筆。
8月6日: 何回かのやり取りで「実装仕様書」が8割方Fix。
8月9日: 開発用のデータを一通り受け取った。
8月23日: 8割方の動作の時点でデモ。
8月30日: 仕様の最終確認、最終仕様Fix。
9月4日: 本日、コーディングと一通りのパスを通したランテストを終えた。

相手さんも中小企業、本当ならこの後「テスト手順書」と「テスト結果報告書」や、テスト用のコード(BDDなら最初に書くべき)を用意する必要があるんだけれども、もし「テスト関係」の文書を求められたら、今回の3倍の金額を請求すると思う。テストスクリプトを書かないから、トラブったらその都度対応という方法しかできない、けど、業務アプリなので「安さ優先」ということなら、ご理解いただくしかない。

けれども、たぶん、トラブらないと僕は思ってます。(かなりの数、トラップを入れてあって、トラップの発火とリカバリ動作はその都度テスト済み。)

さすがに疲れた。特に一昨日から二日風呂に入ってないので、自分の悪臭が自分でわかる。他にも仕事を走らせているので、これだけに専念していた訳じゃないけれども、まだまだいけるかな。ってか、他にも「期限」のある仕事が二つ。ふんばんベェ。

「うまい、安い、早い」の牛丼みたいだけれども、うちはそういう商売で活路を開きたい。生涯現役。

小仙波の伯父さん

母の兄弟姉妹の最後の一人が、亡くなった。葬儀に参列。
母の母は、本家の僕のいとこのお父さんのお母さんとは違う人だと聞いていた。母の兄弟姉妹、母の二人の妹は、二人とも母にすごく似ていて、法事で顔を合わすたびにドッキリするほど似ていた。三人とも母親は同じ。ただ、比較的母と親しくしていて、僕も子供の頃何度となく連れて行ってもらった旭町の伯母さんとは、母親が違うと聞いていた。母の本家の伯父さんはかなり若くして亡くなられていて、その本家の伯父さんと、旭町の伯母さんとは母親が同じらしく、母のすぐ上の兄である今日亡くなられた小仙波の伯父さんと、私の母とで、母親が同じかどうかが、ずっと疑問だった。こうした話を、父も母も、全くしてくれなかった。母が実家に寄り付かなかった理由が何かあったのかも知れない。
今日、本家のいとこに聞いて見たら、歴史的な話をしていただいて、長年の疑問が解けた。要するに、昔は女性にとって出産が命懸けの大事業で、出産で命を落とす女性が少なくなかった、ということらしい。大正時代どころか、明治時代を感じさせるストーリー。小仙波の伯父さんは、母にとっては両親ともが同じ兄にあたる方だった。
結局、今日わかったことは、僕の祖母は、父方の祖母も、母方の祖母も、どちらも後妻で、その前妻にあたる方はどちらも出産で命を落としていた、ということだった。昔は「家」を継続させることが至上命題で、後妻を娶るのが当然だったという時代背景もあるらしい。

この歳になってみると、親戚とのお付き合いというのは、面倒臭いというよりも、自分とルーツを共有する数少ない人たち、という気がしてくるんだが、そう感じてしまうのは、子供がいないからかも知れない。よくわからん。

それにしても、今日の葬儀は、自分にとっては初めてのパターンだった。なんだかすごく違和感があった。

古代サンスクリット語で、Namの意味は「〜の仰せの通りにいたします」の意味だと理解していた。英語だと、followとかobeyに近い。この状況で、これは変だろうと、すごく違和感があった。

念のために、Oxfordの辞典(Editted by John Browker, The Oxford Dictionary of World Religions, 1997)でちょっと調べてみたら、色々と書いてあったけれども、こうあった。(P678、全25行のうち6行を抜き出した。)

Names of God are approximate characterizations of some aspect of his nature, but Nam lies behind these approximations. How can Nam be known? Nam is within us, yet how can Nam be reached? Nam is at work everywhere, permeating the whole of space.

ヒンドゥー教、シーク教の調査に基づき、古代サンスクリット語から現代サンスクリット語に引き継がれた意味についての解説、ということになるんだろうか。
これは、私自身の解釈だが、古代サンスクリット語では「〜の仰せの通りにいたします」の意味だったのが、定冠詞的に、言ってみれば英語のTheなどのように、優れた指導者の名前や、教典の名称がその後に続く。その結果として、時代を経てNamそれ自体が「神性」を意味する単語としてサンスクリット語に引き継がれた、そんな気がする。

もしやと思ってAmenを調べてみたら、こうあった。(P56、冒頭のみ)
Amen (heb. “So be it.”) An individual or congregational endorsement of a prayer or blessing.

実はこれも、古代アラム語では「神の意に沿うように振舞います」で、ヘブライ語に引き継がれた(とここに書かれている) “So be it.”に意味が近い、と聞いている。南無も、Amenも、教えが解かれた当初は「神の(仏の/あなたの)思いに沿うように、教えられた通りに行動いたします。」(FollowとかObeyが近い)の意味で唱えられていた。言わば、決意表明だった。それが、何世代も何十世代も経るうちに、意味が失われて形骸化したのではないか、という気がする。

そして、日本の仏教での南無の解釈は、「おすがりします、助けてください」であるらしい。これはわかりやすい。室町時代など、戦乱、飢饉など苦難の中での衆生救済が前面に出て来た、ということなんだろう。おそらく、Amenも同じように変遷したような気がする。

師匠の受け売り。肉体を持っている間にできる「経験」は、肉体を抜けてからとは桁違いに多い。サラリーマンの通勤。電車の中で隣に誰かが立っている。そこでちょっとした「気を使う」だけでそれも「経験」だし、道を歩いていてちょっと体をよじって、相手とぶつからないようにする、それも「経験」。あれも経験、これも経験。肉体を抜けたら全く出来なくなる貴重な経験。その経験を、なんども繰り返すことで、ある時突然、自分のエネルギーレベルが上がる。肉体を抜けてしまうと、自分と同じ意識レベル、エネルギーレベルの人たちとしか意思疎通できない。考え方も同じ、行動パターンも同じような人たちばかりが集まっていると、ほとんど新しい「経験」はできない。だから、肉体を抜けている間は「進化」はできない。それなら、何をどう心がけて生きて(肉体を持って)経験したらいいんですか、と、それが解かれていたのが仏教の経典で、そうした古代サンスクリット語に忠実に翻訳は、ほとんど残っていない、らしい。

だとしたら、先週肉体を抜けたばかりの人に「蓮華経という素晴らしい教えの通りに行動いたします」と、いくら唱えても、もう遅いはずなんだが・・・。鎌倉時代、室町時代、隣人を殺して食って生き延びた時代なら、衆生救済でも良かったのかも知れないけれども、戦乱も飢饉もない現代の、このタイミングではもう、意味がないでしょうと、感じざるを得なかった。それが「違和感」の理由だった。

なんだか、思った。納期の直前まで、プログラムも書かずに「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱え続けていれば、立派なシステムエンジニアになれます、みたいな・・・。ついに納期が来ちゃいました。客先でも「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と唱えたら、「ご苦労様、請求書出しといて」と言っていただける。そういうのって、すごくいいなぁ。憧れる。だから広まるんだ。これで日本のプログラマ不足は問題が解決するね。

こんなことも思い出した。昔、アメリカ人の部下がいた時、来日して間もない彼が別れ際に「お大事に」と僕にいった。「え?俺ってビョーキか?」とまず思ったんだが、たぶん英語の”Take Care!”を日本語にしたら「お大事に」と書いてあったんだろうと理解。言葉の意味が変わった瞬間。

えぇと、これで僕の小仙波の伯父さんの葬儀がどんなだったかが、たぶんバレた。伯父さん、ごめんなさい。

でも、伯父さん以前ボヤいていた。母の一番下の妹が統××会で結婚して、しばらくしたら何十万円だかの壺を売りに来た。ウチにも来た。親父とお袋の対応を覚えているけど、それは書かない。その前後の法事で伯父さんにあった時に、「ウチにも壺を売りに来たんだよ、参っちゃうよなぁ」とかボヤいていたのに。別に、いいだけど。なんだか、故人の話ばかりだ。やめよう。(もう俺も、そういう歳か。)

蓼食う虫も好き好き。蓼食わぬ虫はギスギス。

今日から僕は納期まで、もうプログラムは書かずに毎日「私は納期を守ります」「私は納期を守ります」と、唱え続けようかと・・・

withyou 〜きみとともに〜

高校時代の友人が Facebookで「いいね」したページへのリンク

「こんな姿になっても…」若者へ樹木希林さんが直筆メッセージ

昔からの本を読むと およそ 同じことを言っている
自殺した魂は 生きていた時の 苦しみどころじゃ ないそうだ
本当かどうかは わからないけど
信用している

僕も、この点は師匠を信じてます。
死んでしまうと脳がなくなる。魂(=意識=心)だけになる。方向転換は容易じゃない。死ぬ直前の苦悶が延々と続く。と、理解している。

脳があるうちに、誰かの言葉に耳を傾けたほうがいい。


読み返して気づいた。

僕も、この点は師匠を信じてます。

どこか、信じていない点があるのか?そりゃぁね。宗教じゃないから。仮に「神様の言葉」として伝えられたって、実際に試して、僕自身の心が共鳴し、行動が改まるまでは信じているなんていう言葉は、容易には使えない。

そういう意味に解釈していただけると・・・

turbolinks

javascriptがどうしても発火しない。絶対にイベントは発生しているはずなのに。
だって、onLoadで拾ってる。トレースのためのalert表示を見る限り、実行パスは通っている。
ああしたり、こうしたり、悶絶。javascriptをわざわざcoffeeに書き換えても、同じこと。いや、気休みだと思っていたけど。

ダメだよな、俺。つくづく、javascriptを理解していない。とりあえず、javascriptは授業で扱ってないから何とかなってるけど、教壇に立つ資格ないよなぁ・・・いかんいかん、こうやって、だんだんと、自分を責め始める。
賽の河原の石積み。「ひとおつぅ、積んではぁ、ちちのたメェ・・・」ってな、積んでは崩し、積んでは崩れ・・・

で、ふと「rails javascript 動かない」で検索したら、turbolinksに関する記事がザクザク。
僕が今使ってる最新環境では
jquery-turbolinks (2.1.0)
△△railties (>= 3.1.0)
△△turbolinks
turbolinks (5.2.0)
△△turbolinks-source (~> 5.2)
jquery-turbolinks を turbolinksの前に書け、と状況は変わらん。明示的な再ロードでないと、javascript Eventが発火しない。
(↑ WordPressのインデントの取り方、わからんかった。全角スペースも消される。意図しない動作が多い。全てを理解するには、時間がかかりすぎる。苦肉の策。↑△は空白)

もしやと思って、application.jsの
//= require turbolinks
を削除。そしたら、見事、問題解決!しかも、「再ロード」のデータベースアクセス時間がほぼ半分に!
もしかしてだけど、もしかしてだけど、オイラの、じゃなくて、「キャッシュを見てスクリプトを実行しない誤動作」が発生しないときは、jquery-turbolinksと、turbolinksとで、処理が重複する、ってなことが起きていないか?という気がした。気がしただけ。調べてない。
結果的に、jquery-turbolinksは残したけれども、turbolinksだけを削除したら、動作時間が早くなり、正常動作するようになった。明らかに、この使い方は「非推奨」だろうと思うのだが、今回はこれでいく。納期に間に合わない。悶絶すること、半日。いや、今回は半日で済んだ。ネットのおかげ。

「発情期の野良猫」状態で、フギャー、ウギャーと騒ぎながらコードを組みつつ、そのうちに、「賽の河原の石積み」で完全に沈黙し、突然、ルンルン気分で、スキップでも始めそうなくらい陽気な気分になり、そしてまた、「野良猫状態」に陥る。

これを繰り返しながら、完成品に近づけていくことを、「スパイラル・モデル」と言います。(嘘です。)

初心者の相談から、ベテランのコメントまで、数多くの情報をネットに書き込んでくれている、不特定多数、数多くのプログラマ、システムエンジニアの皆様に、深謝いたします。おかげさまで、賽の河原を抜け出しました。
改めまして、合掌。(-人-)

SIDS/オンディーヌの呪いじゃないのか!

入園直後の乳児 昼寝時も緊張状態 「突然死」との関係調査へ
このニュース。

聞いた後、あれこれ検索していたら、こんなページを見つけた。
乳幼児突然死症候群は、原因不明の病気ではない

乳幼児の突然死は、いわゆるオンディーヌの呪い症候群で、呼吸停止から心停止に至ると、漠然と思っていた。
というよりも、きちんと調べたことはなかった。
緊張状態 → 心拍数 90 で、きちんと勉強していないのでよくわからないけれども、乳幼児はまだ成人に比べて、中枢神経系の制御も未成熟、冠動脈も未発達、かな、と仮定すると、新生児にとってのHR=90は、成人にとってのHR=150にも匹敵するんじゃないだろうか。だとすると、SIDSは、もしかしたら、中学生や高校生が、部活の激しい運動で心臓発作を起こすのと原因が似ていて、心筋の機能不全が主因か、と思えた。

そうなると、気になるのは「発汗」についての記述で、暑いからかく汗と、緊張状態でかく汗とは、成分が違うはず、だと私は理解している。もしかして、心筋の再分極過程における、ナトカリポンプの、電解質の回復が追いつかず、ナトリウムが失われてカリウム過多になるとか、その辺が絡んだりするのかもしれないと、ふと思った。

成人の心臓発作。機器を開発したいという話があった、ゴルフ場での突然死。主には賭けゴルフなどで、パットを外せば何万円だかなんだか、そんな緊張状態で亡くなる人が年間何百人だかいらっしゃるらしい。ここでも、「緊張状態でかく汗」がからむ。極度の緊張状態からのHR上昇も、想像される。

僕の学位論文。「運動負荷」と心拍応答から、心臓発作を予知する、というものだった。日常動作を解析して、そこから心臓への負荷を測定し、というデータをとるのに、一人分のデバイスが当時100万円。株式会社ジーエムエスの林さんから借りて論文に仕上げた。20年前。もっとデータを取るために、稼がねば、と思っていたけど、当時は盗聴とか盗撮とか、かなりメンタル的には壊れかけていて、ある意味仕事どころじゃなかった。

学位論文の元ファイルを開こうとしたら、当時のWORDのバージョンが古すぎて、ファイルが開けない。かろうじて見つけたのが、このファイル。20年前でも、拡張子BMPは大丈夫だった。拡張子DOCは、全滅。(なんとかして、変換、再生せねば。)

あまり認識制度が良くないけれども、椅子に座る動作で「座」、椅子から立ち上がる動作で「立」、歩くと画面に「歩」「歩」「歩」と表示される。階段を上がると「昇」だし、下りれば「降」。これを仕上げて、万人の動作を認識できるものにしたかったけれども、今ならAIを使うとうまくいくかもしれない。(もっといいデータがあったんだけどなぁ・・・でも、このファイルが当時の平均的な認識精度だった。チャンピオンデータは、学会論文には向くけれども、製品開発では「お飾り」でしかない。)

これだけじゃ不十分だと思ってはいた。今日、決め手は、もしかしたら、血中の電解質濃度だと思った。経皮的にISFETか何かで汗か、または血中のナトリウム、カリウムの濃度をモニターし、そこに体温や、HRを同時計測する。最初のうちは、HRのモニターから、心停止を起こしてからの緊急通報が精一杯かも知れないけれども、データが集まったら、AIで心停止を起こす前に、アラートを流せる。いわゆる「突然死」の原因が心臓発作なら、これで9割くらいは検知できるんじゃないか、っていう気がしてきた。すごく、そんな気がしている。

医療の現場なら、データを取るのは簡単だろうと思う。デバイスメーカーにとっては、どれも全然難しい計測技術じゃない。できることなら自分でやりたいけど、僕は身動き取れない。100万だって動かせない。誰か、ぜひやって欲しい。(いや、一応は自分でやる努力はした。ところが、科研費の申請を出すための倫理基準で「兼業届」を出したら、大学から「自分で事業をしながら科研費を申請するなんて、悪いことをするに決まってる」とか言われてしまって、馬鹿らしくなって大学をやめた。そういう人材が集まってる、文科省の役人の話だろう、と今でも言いたい。一緒にしないでくれ、とは思ったけれども、権力がなければどうしようもない。そうかと言って、コツコツと稼ぐには時間がかかりすぎる。
こうやって、元ネタ(元アイディア)は全部披露したから、ぜひ、どなたかに実現して欲しい。

稼ぎ頭の壮年の方も、乳幼児も、突然の心停止で亡くなる、なんてことは、是非、なくすようなデバイスを、誰か作って下さい。僕自身は動けないけれども、本気で聞いてくれたなら、研究計画も、デバイスの構成図も、無償で提供します。っていうか、この発想を理解して乗ってくれる人なら、たぶん、研究計画もデバイスの構成図も、このページの内容だけで作れると思う。そういう方々に、バトンを託したい。

日本が無理なら、もしまだ頑張ってるなら、MIT/Harvardのグループとか、イタリアの研究チームとか、海外の方でも、是非お願いしたい。日本語で書いてるけど、インターネットだから、なんとかなるでしょ?

試したらいいのに

トランプは不動産王らしい。よく知らんけど。
ということは、例えば、日本式のアパート/団地サイズの2LDKとかをアメリカで量産しても、売りさばく自信があるのかな。
一度住んでみたらいいと思うんだが、住んだことがなくても「俺なら売れる」と豪語するなら、それはすごい。賞賛に値する。それができたら、不動産王と認めてあげよう。

例えばアメ車(念のため、Automobiles made in USA)で、日本人が普通に通勤に使う道路や、普通の生活道路を、普通に走ったらどういうことになるかなぁ。一度トランプに試してもらいたいものだ。

どうだろうかなぁ、テストコースとしては、埼玉県の三芳町とか、東京都の練馬区とか、同じく東京都の台東区とか、その辺を指定しようか。(すみません、個人的に苦手な場所です。具体的に書かないと、と思って・・・)どこでも似たようなもんだけど。僕が買い物に出る時のルートでも、無論構わない。
トランプが1時間の運転したとして、最低でも一回脱輪するか、2箇所くらいはどこかを擦るか、いずれにせよ、無傷では目的地に辿り着けない方に、1万円賭けてもいい。(え?1万?うるさいな、文句言うな。)それどころか、日本人のジーチャン/バーチャンが日本車で使ってるルートでも、例えば、8km先の目的地に辿り着く前に、アメ車だとビビって、最初の3km位で泣きながらリタイアする方ってのに、3000円なら賭けてもいい。トランプがいきなり日本に来て運転したなら、絶対にアメ車だと無傷で目的地に辿り着けない。だから誰もアメ車なんか買わない、ってな理由がすぐにわかる。はずなんだけど、絶対にトランプはそんなことしない。腰抜けだもの。

不動産王なら、試してみたらいいんだ。日本製の、日本スタイルのアパートとか団地のスペックの住宅がアメリカで売れるかどうか。売るのは無理だと気づいたなら、多少は、アメ車が日本で売れるかどうか、考えてみたらいい。

それが理解できないなら、トランプに、ソクラテスの言葉を贈ろう。自分が何も知らないことを、知ろうともしていない。普通に日本に来て、アメ車で街中を走ったらすぐにわかることなのに。
“Remember pearl harbor.”か。当時の大統領がトランプだったら、日本の楽勝だったのに。
“No more Hiroshima/Nagasaki.”とは、相当にニュアンスが違うことが、理解できるだろうか。

お仕事モード

集中したい。集中します。集中するぞ!
と言いつつ、無音だと迷走状態。ラジオをつけたら、結局新学期絡みで、この時期が自殺のピークなんていう話題から、暴走してしまった。(二つ前のページ)「イジメかぁ」なんて思っていたら、つい、安原さんに雑誌をばら撒かれたことを思い出してしまった。(一つ前のページ)

いや、雑誌をばら撒かれた記憶が苦痛なんじゃなくて、日本兵の遺骨収集の話題、もうどうしようもないだろうと思いつつ、思い出してしまうと気忙しくなって、目の前の仕事に集中しにくくなる。
何とかなる時期に放置しすぎたんだと思うけれども、戦後20年、30年ごろはまだ、外貨の準備も不十分で、遺骨収集団の派遣とかいっても予算が付きにくかったんだろうし、国内経済最優先だったのかも知れない。そして戦後40年、50年、現地の状況がわかりにくくなって、中途半端なまま打ち切られようとしていた。

そう言えば、田所さんがおっしゃってた。「生物学的解決」つまり、遺族が一人もいなくなれば、問題は「解決」すると・・・厚生省はこの生物学的解決を待ってると・・・いや、僕が言ってるんじゃないです。田所さんがそうおっしゃってたんです。

そして戦後70年を過ぎて、個人的には僕は、ジャングルの遺骨はもう無理だろうという気がしている。個人的にはそう思うのだけれども、何か気持ちがざわついて、落ちつかない。気持ちがどうにも、ザワザワしてしまうんだけれど、だけどもう、どうしようもないでしょう?
もう少し、師匠のところで学んで、慰霊ではなくて浄霊が出来るようになったら、もう一度また、ニューギニア各地を回りたい、とは思うけれど、いかんせんあたしゃ、心が真っ黒けだからなぁ・・・

ロジックに集中するぞ!こういう時はどうしようか?ラジオ?クラシック?
ハードロックか、ヘビーメタルか、その路線でヘッドフォン爆音でいくか。
演歌とかムード歌謡じゃないとは思う。たぶん。

集中したい。集中します。集中するぞ!
(掛け声ばっかし・・・)

僕が、自称右翼の方に中傷雑誌をばら撒かれた話

標題が長いな。でも仕方ない。他山の石にして下さい、ってことで・・・

自称右翼の方、安原さんと言います。故人。責める気はない。僕のどこが悪かったかは、事の発端を僕が作った時点で理解していたし、どっちかと言えば好きなタイプかも知れなかった。安原さんの気持ちはわかるけれども、僕はその状況下で最善の策をとったつもりで、現地事情を理解していない安原さんには、僕がなぜそれが「最善の策だ」と判断したかを理解してもらえないことも承知で、あえて、やった。その結果もかなり覚悟していて、その上で、日本国内で、僕の悪口を散々書き連ねた雑誌をばら撒かれた、という話です。

埼玉県の加須市に、西村さんという方がいらっしゃる。パプアニューギニアのポポンデッタに拠点をお持ちで、戦友会の方。音信が途絶えていて、もうお亡くなりかと思っていたら、今年に入って、「西村さん、まだお元気でしょ?」という噂を聞いた。戦友会っていうことは、太平洋戦争に行かれて、パプアニューギニアから生還して、まだ存命。いや、確認していないけれども、もしそうなら、100才近くて、まだ海外で自活されてる?西村さんと、僕と、安原さんしか知らない状況があった。西村さんにはご理解いただいていたけれども、安原さんにはたぶん、通じていないと当時から思っていた。でも、自分を理解してくれる人が、たった一人でもいてくれたと思うと、それだけは、間違いなく心の支えになる。胸を張っていられる。

安原さんも、戦争遺族だと伺っている。お父さんを戦争で亡くされたとか。その後、日の丸を掲げて、大音響で街中で軍歌を流す、そちら系の活動をされるようになったらしい。ニューギニア方面遺族会の田所会長にあれこれ頼まれるようになって、遺骨収集に巻き込まれた。ポポンデッタ方面で見つかった遺骨の回収の事前確認で、西村さんとコンタクトを持った。西村さんの部隊は大半がポポンデッタで戦死されていて、戦友の遺骨を一柱でも多く収集したいという思いで、一旦は日本で事業を軌道に乗せられてからも、定年するくらいからニューギニアに足を運ぶようになり、ニューギニアに拠点を持たれるようになった、と聞いている。この話は、7割方、正確なつもり。
安原さんは、安原さんの支持者の方から集めたお金を投じて、西村さんの活動を支援し、その(日本兵の遺骨を収集したという)「成果」を、ご自身が主催されている活動で、雑誌などに編纂して、そこから先は知らないけれども、そちら系の活動をされるつもりだったのだろうと、私は理解している。
社屋の玄関先で大音響で軍歌を鳴らされ、スピーカーであることないこと言われると、ついついお金を支払っちゃう大企業の方は、多いらしいから・・・そっち系でも商売になったんだろう。

西村さんは、日本からユンボを持ち込んで、ポポンデッタ周辺の「道路整備」の事業を展開するつもりだった。そのポポンデッタ周辺の、海岸から内陸に向かう道路沿いでは、少なくない日本兵が餓死している。「道路に沿って地面を掘れば、絶対に日本兵の遺骨は出てくる」と西村さんはおっしゃっていた。問題は、その道路を掘るための州政府の許可を得て、合法的に「道路工事」を展開する手順だった。現地の人を雇用すれば、州政府の許可も得やすくなる。そうして、現地の人を雇用し、「日本兵の遺骨が見つかったら、届けて欲しい」と、そちらの方が西村さんの主眼だったのは確認するまでもない。ただ、現地の人を雇用するとなれば、お金の支払いが発生する。安原さんは、そこをご自身が負担する、自分にもこの話に噛ませて欲しい、と申し出て、話がまとまる寸前だった。
西村さんのご助言で、僕は、州政府と、周辺の村村の部族長を説得するための「契約書」の英文原稿を作成し、持ち込んだパソコンと電池で動作するプリンタとで、現地で印刷し、何度となく推敲していた。「これでいきましょう」という最終段階で、西村さんが、ボソッとおっしゃった。「これは、もしかしたら、現地の人にお金だけ巻き上げられる結果になりませんかね。」

お金を払って仕事をしてもらう、って言ったって、途上国の場合「勤勉さ」は日本とは異なるし、責任感も違う。適当にその場に絡んで、お金だけ請求してくることはよくある話、だと自分は理解している。これは、国によって、部族によって、状況は異なると思うけれども、ポポンデッタではその可能性が高いと、現地に住んでいる西村さんはおっしゃった。僕もそれは、同感した。加えて、遺骨を届けてくれた場合の謝礼にしても、掘った場所を現認できないと、現地人の遺骨を持ち込まれても、受け取りを拒んだり、謝礼を拒むこともできなくなる。無事に、思惑通り日本兵の遺骨を大量に収集する、よりも、現地人に金づるとして、毟り取られる方が多いんじゃないかと、現地での居住経験のある西村さんと、僕とは、合意した。

ここから先が、僕の悪い癖、というか、配慮もなく、癖が出てしまった部分。
仕事をしていて、ミスタイプだとか、そういう印刷資料は、修正版を作成したあとは、即時、破り捨てるのが僕の癖だった。実際、サラリーマンだった時に、ミスが残っている印刷物を、「裏紙」にしようと取っておいて、机の上にあったそちらのミスタイプの方を客先に出してしまったことがあった。営業さんに、平謝り。一度その経験をしてから、裏紙にできるもったいない紙でも、ミスタイプのものは、すぐに破り捨てる、という習慣を持ってしまっていた。

西村さんと話をしながら、「この文面は、明らかにやめた方がいいですね。」という結論に落ちつき、この、州政府だとか、現地の部族長だとかと、交渉する素材となるはずだった「英文契約書」(文責は全て僕にある)は、ボツにすることにした。スポンサーとして、お金を出すけれども、成果は日本に持ち帰るぞ、という安原さんの目の前で、僕は、一旦は印刷して、あとはサインし、相手のサインを求めるだけ、という契約書の印刷物を、破り捨てた。
その、破った瞬間の、安原さんの視線を僕は忘れない。その時はまだ、恨めしそうな目つきをしていただけだったけれども、その後、慰霊のツアーに同行しつつも、なんら「遺骨情報」も、「日本兵の遺骨の帰還」も、実績を残すことなく帰国した後の安原さんは、僕を恨むことに全精力を費やしたみたいだった。

僕自身には送られてこなかったけれども、ニューギニアがらみで僕と知り合った方々、一体どうやって調べたんだろうというくらい、あちこちに、僕の悪口を山ほど書いた雑誌を郵送して、送りつけたらしい。

ご苦労様です、と思う。だって、公安調査庁だか、マスコミだか知らないけれども、明らかな盗聴と盗撮で、僕の私生活を根こそぎ周囲にリークされて、なんだかもう、メンタル崩壊寸前みたいな状況で協力隊に参加した、その挙句の出来事だから、こんなもん、一度経験したら、屁みたいなもんで、当の本人にはそれこそ、蛙の面に小便くらいにしかなってない。そんな雑誌のバラマキのために、一体いくらお金を使ったのか、もったいないというか、ご苦労様というか・・・

若い皆さん、色々と、イジメを経験しなさい。一度経験して、乗り切ったら、信じられないくらい、強くなれるから。何か言われてもされても、「え?だから何?」だもの。誰もが乗り切ったら、そうなれるって。

安原さん、気持ちはわかる。だけど、それはあなたの理解不足。そしてほら、今現にこうやって、たぶん、あなたのお仲間が、フィリピンで騙されている。ちょっとくらいは感謝して欲しいな、ってな直談判は、僕が肉体を抜けてから、先立ってる安原さんと何とか接点を持って(たぶん、間にメッセンジャーが入ることになるんだろうけれども)安原さんに納得してもらえるように、話はつけようと思っている。

誤解を招く行動があったとしたら、安原さんの目の前で、契約書類の「ほぼ完成原稿」を、破り捨てる行為、だったと思う。「自分が心血を注いだこの契約書を、この小林が、破り捨てやがった、」と思っていたんでしょうね。だけど、言わせてもらえば、この英文を必死で考え抜いたのは僕で、西村さんと同じく現地事情を知っていたのは僕で、だから言いたかった。安原さん、生活してみて下さい、と。で、実際にその後、安原さんは西村さんのところでしばらく住んでいたらしい、と聞いている。そして、元々あった持病を悪化させて、その後何年もせずに、お亡くなりになった、と聞いている。

安原さんの遺志を継いだ方が、僕への悪口三昧のWEBページを作った。僕はそれを、僕自身への戒めとして、あってもいいと思っていたけれども、嫁がそれを見つけて、中傷だと騒ぎ立てて、WEBの掲載事業者に噛み付いて、掲載を削除させた。別にあっても僕は気にしなかったのに。理由がわかっていたし、安原さんが懐かしくもあったから。

当時僕は、大学の教材を(駄作中の駄作も含めて)ネットに全部掲載していたから、僕の名前で検索すると、いつもトップに僕のページがリンクで出ていた。その後、何番目かに、Googleにも安原さんのサイトが拾い上げられていた。わかってますって。小林は悪いやつだ、とんでもないペテン師だと。だって、自覚があるもの。僕がしてきた悪いこと、あれと、これと、相手(被害者)を巻き込むと申し訳ないから書かないけれども、結構ある。別に悪口三昧のページだって、当然のことでしょ、とも思う。削除させなくても、よかったのに。だって、表向きだけ削除したって、上には全部筒抜けで、何百億っていう霊体さんたちには全部(その経過の意識が)見えていたはずだから、ジタバタしたって、どうしようもない。(いや、見る見ないは本人次第だから、何百億ってことはないとも思うが。)

安原さんには、あとでじっくり、伝えたい。あなたの同業者が、フィリピンでやらかした。細かいところまで相手を知らなければ、安易に思い通りの結論なんて得られない、その点だけは、どうかわかって欲しいと、僕は思っている。考えている、じゃなくて、そう思っている。

若い皆さん、イジメってのは絶好の経験だと思って欲しい。見てよ、僕なんか。あの頃、それこそマ×ターベー×ョンまで全部、会社内の周囲に筒抜けだったかも知れないと思えて、苦痛そのもんだった。当時、メニエル氏病で左耳が聞こえなくなり、今でも左耳は聞こえない。メンタルが一度は崩壊して、今でも戻っているんだかいないんだか。それこそ、魔女裁判で十字架に括り付けられ、石をぶつけられた方が余程楽だったという気もする。心の痛みの方がキツイと知った経験だったかも知れない。

イジメの経験も、耐えなさい。必死で記憶を探せばきっと、その「キッカケ」とか「原因」とかは、たぶん見つけられる。間違いなくあると思う。それを自分で見つけて、イジメる相手を責めずに、耐えぬき、「キッカケ」とか「原因」を挽回する機会があるならば、自力で挽回に挑戦してみなさい、と言いたい。
ただ単にイジメられているだけの経験だって、それはそれで、得がたいものだと思う。耐え抜いて、ワンランクアップして、強くなったら、僕みたいになって、「あんたんとこに、街宣車回したる」みたいな脅しを受けたって、「ご自由にどうぞ」ってなくらいに、神経が太くなれる。(嘘だと思うなら、私をご自由にお試しください。お代は無料。)逆の言い方をすれば、イジメられなかったら、いつまで経ったって、ほんのちょっと「テメェ」みたいに息まれただけで、ビビっちゃう情けない大人になるだけかも知れない。(そういう大人も、見ていて、可愛らしいけれども。いい子、いい子(ナデナデ)。大企業の社長さんも、ナデナデ。)

安原さんから「あんたんとこに、街宣車回すぞ」という電話をもらった後、ご近所迷惑かなと思って、田所さんに電話した。ニューギニア方面遺族会の田所会長も、元ヤクザだから(戦争遺児で、自分の才覚だけで、戦後を生き抜いた方だけれど)、情報を提供してくれた。他のグループに「街宣車を動員する」ことを依頼するには、一千万近く金が動くらしい。それだけの金を動かすのは、大企業をビビらせて、キンタマのない総務課あたりから、一千万以上を回収する目処が立ってなかったら、そんな博打は打たない、と聞いた。ついでに言えば、そもそも、大した金を持ってないあんたんとこに、街宣車を回したって、一円にもならないから、誰も動かない。安心しろ、と。大きなお世話だ。

その時に、田所さんは、警察庁に問い合わせてくれたらしい。安原さんのところが、「右翼団体」に登録されているかどうか。登録はないから、安原さんは「自称右翼」だよ、と教えてもらった。なんだか、右翼も暴力団も、境界線が曖昧なのが今日この頃。

死にたいと思うほど、心を痛めるのは、人間として健全な証だと僕は思う。僕だって、自殺未遂経験者だから。

耐え抜いて、生き抜きなさい。ツッパれ。きっと君も、桁外れに強くなれる。そうやって、悩む君は、抱きしめてあげたいほど愛おしい。特に、女の子なら。(あ、すみません、ごめんなさい、ベキバキ!)そう、大丈夫、上には全部見ている人たちがいるからね。肉体を持っている誰かが一人もいなくたって、真実を知っている人は、上にいます。その人たちに、胸を張れないなら、自分で見つけて、改めればいいだけの話、だと、僕は思う。そして、自分に一切の非がないと思ったら、突っ張り通して、遊んじゃえ!

誤った知識

Nack 5の夕焼けヘッドラインで、黒田さんが「自殺するな」と呼びかけていた。

昨夜だっただろうか、やはりラジオで、夏恒例の怪談話が流れていたのだけれども、突っ込みどころ満載。
今日の話題は、100%師匠の受け売りですが・・・何となく霊を感じる程度の人があれこれ書くと、「群盲象を撫でる」的な状況になるから、この辺から誤った知識が拡散するのかも知れない。

幼い子供は、まだ心が汚れていないから、自分をあやそうとする霊体さんの姿が見えることがあるらしい。親父が死んで間もない頃、お隣さんの子供(幼児)が「おじちゃんが、こっちに手を振ってる」とか言ってたと、その子のお父さんが僕にその話をしてくれた。(親父、子供は好きでしたからね。)霊がそれだけはっきり見えるということは、それだけ心が汚れていない、ということで、そういう子どもは死んでも地縛霊になったりしないし、生きている子供にちょっかい出して「おいで、おいで、する」なんてことはなく、真っ直ぐ上に帰れるから全く心配ない、と私は理解している。でも、それだと怪談にならないんだろうなぁ。

大人が、「子どもが危険なことをしないように」作り話で、「あそこには子どもの幽霊がいて、おいでおいでするから、あの辺で遊んじゃダメだよ」と、教育的な目的で作った作り話がやがて一人歩きして、怪談のネタになったりするんだろうか。「群盲象を撫でる」どころではなく、見たことも触ったこともない象の話を他人にするような状況な気がする。
そうやって、幽霊を怖がったりしている一方で、「死んだらそれっきりで、霊なんざいねぇよ」と言う人も少なくない。自殺もその発想の延長の最たるものかも知れない。

霊体さんは、肉体を抜ける直前の「意識」の状態を引きずる、らしい。だから、死を目前とした人には、「後のことは心配ないよ、安心して。お疲れ様」と声をかける。その意識で肉体を抜ければ、大半の人はそれですんなり次に行ける、らしい。ところが、「死んじまったらそれで終わり」と思っている人は、自分が死んだことがわからないから、いつまでたってもウロチョロしている。普通の人も、1〜2ヶ月は家に留まっていたりして、「さて、帰ろう」が仏教の節目の四十九日頃にあたるらしいけれども、自分がまだ生きていると思っている相手は、始末に負えない。脳がない相手だからなぁ。この辺、「思う」と「考える」の間には、とてつもないギャップがある。

もっとも悲惨なのがやはり自殺だろうか。死ぬ直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」と、それしか考えない、かなり「意を決して」という感じなんだろうか。そして、おそらくは「死んだら全て終わりだ」と思っているんだろう。そこが大きな間違い。電車に飛び込み、肉体を抜けて、しばらくすると「意識体」として覚醒する。その「肉体を抜ける」直前の意識は、「死ぬんだ、あの電車に飛び込むんだ」だから、結局「あ、まだ死ねなかった。次の電車に飛び込もう」と、もう意識体でしかないのに、延々とそこから無限ループに入る。もし、死ぬ直前に「辛い」という思いがあれば、ずっとそのまま、らしい。電車でなくて、七輪でも、首吊りでも、同じこと。

師匠が講演会でおっしゃってた。「だから、下りの電車に飛び込んだ人は、上りの電車には目も向けずに、延々と下りの電車に飛び込み続けて、それを何十年と続けている人もいる」らしい。原爆とかと違って、本人に100%責任があるから、自分で気づくまで師匠も放っておくらしい。(冷たいんじゃなくて、愛の鞭なんだろうと、私は解釈しているが・・・)死にたい、一番辛い、その辛さのピークの意識のまま、何十年とそこでループしたいなら、どうぞ、としか言えないんだが・・・。知らないってことは恐ろしい。
「人間なんて、死んだらそれっきり」という誤った知識(?)が定着してしまっていることが、そもそもの誤りの始まり、じゃないかと思う。

せめて、怪談屋が「死んだらそれで終わりじゃなく、全員が霊になる」(っていうよりも、そもそもが、生きている人も「霊体」が「肉体」に「乗っている」だけだから、霊になるという言い方もおかしいとは思うけれど、)という認識を広めるために、頑張ってくれたらいいのに、と思いつつ、怪談屋は怪談屋で、エンターテインメントビジネスだし、聞く側もエンターテインメントとして聞いているから、教育的な効果はほとんどないし、むしろ、誤った認識を拡散しているだけのような気もする。

ねぇ。自然科学的に解決して、「霊が見える機械」とか作れればいいんだろうけれども・・・それは当面無理だとして、せめて、騙されたと思って、自殺はやめた方がいいと、僕は思います。
一番悲惨な状態で無限ループに陥る。

宿題代行

憂鬱になるようなニュース
「夏休みの宿題代行」が、頼む側も、引き受ける側も、エスカレートしているようで・・・何を考えているんだろうか?
小中学校の場合には、教師が「宿題」を出すのは、「休み中も勉強をするように」ということだと思うが、僕らが大学や専門学校で「課題」を出した時には、「これを自力で解決できるようになれ」という目的を持って出している。(小中学校でも、無論その意味はあると思う。)要するに、自力でやらなきゃ意味がない。
出口に「国家試験」がある場合には、自力で課題を解けなかったら、国家試験の問題を解けない、つまり合格できないということになる。学校の「合格率」なんていう数字もあるけれども、最終的な「受益者」というか、やらないことで損をするのは「本人」で、なぜそれがわからないんだろうか、と考えると、結構憂鬱になる。

いや、理屈ではわかっているんだろうか。「自分で宿題をやらない、誰かのコピーするっていうのは、言ってみれば、お腹が空いたから僕の代わりにご飯を食べて来て、とか、オシッコ我慢できないから、私の代わりにトイレに行ってきてっていうのと全く同じで、意味がないよ」という説明をすれば、一応はわかったつもりになるらしいけれども、本当に理解しているのか疑問だ。
国家試験が出口にある学科やコースの場合には、自力でやらなきゃ、自分が苦しむだけだよと、それをしつこくいうだけで、丸写しのレポートを見ても、そのレポートを0点にするだけで特にペナルティは課していなかった。けれども、プログラミングなどで、学校にいる間にその(宿題丸写しという)「原因」と(実力がつかなくて国家試験に落ちるという)「結果」の、因果関係を実感させることができない学科、コースの採点は、最近、思い切り厳しい方向にシフトするようになってきた。どうしても気になってしまう。「丸写し」がはっきりとわかったレポートは、全て「不正行為に関する正規の手続き」の方に回すように、最近、なった。

目先、「提出する」ことで、「形式だけ整えれば、それで済む」という発想は、僕は、出来ることなら根絶したい。というよりも、本人や、組織にとっても「いい結果」にならないことを、学生のうちから理解させたい。

延長上に何があるか、と言えば、東芝だとか、川崎重工のニュース。技術的に問題があった時に、書類の数字だけ書き換えればそれで済む、なんていう発想がどこから来るんだろうか?それを経営陣が知っててやってる?そこが信じられなかったけれども、あ、全員同じだと思った。子供の宿題を代行業者に頼む親。そうして、「目先」のつじつま合わせができない立場になったらどうするんだろうか?書類を偽装する?それ以外の発想が出てこないんじゃないか?そういう親が、そういう子供を量産する。

僕には実際の子供がいない。ただ、もし自分の子供が宿題をやらなかったなら、もし僕に時間の余裕があるなら、提出日のギリギリまで、ついて教えて、自分で考えながら答えを出すまでそばでヒントだけは出すかも知れない。(自分の子供がいないから、そんなことを書けるんだ、と言われたら、反論できないけど。でも、学校でも家庭教師でも、時間と体力に余裕がある時は、そうして来た。)それで最終的にできなかったなら、「先生、終わりませんでした。夏休みの前半、遊んじゃったので、自分が悪いんです。恥ずかしいです」と、堂々と教師の前で言え、と、その「結果」を「恥ずかしさ」という自分の心で受け止めるような場を作らせて、その結果と、原因を本人に考えさせたい。大事なのは、そっちじゃないのか?

宿題代行に頼んで、形だけ整えたって、それこそ、東芝だの、川崎重工だのの「書類ごまかし」の原体験を作るだけじゃないか、という気がする。そういうガキは、親がいなくなってから、退職金を全額、会社に与えた損害の賠償に当てるような生き方をすることになるんじゃないか?いや、そうなるべきなんだ。どこかで痛い目に合わなきゃ、社会が迷惑する。新幹線、人が乗ってる運行中に脱線しなくて、本当によかったと思う。

宿題代行を頼むような親。人間ドックを受診する際に「私、人間ドックの結果が、多分とても悪いから、健康そのもののあなたが私の代わりに人間ドックを受診してくれないかしら」なんて頼み方をするのかね?それで、自分の名前で出てきた「人間ドックの結果」が健康そのものなのを見て、大喜びするんだろうか?同じことだとは思いませんか?いや、この比喩が理解出来ないような方が、たぶん宿題代行を頼む。その理解力のなさも、日本の将来が憂鬱な理由の一つだ。
会社で、仕事を1000万円で受注しました。ところが、納期ギリギリまで遊んじゃって、納期に間に合いそうもない。仕方ないので、短納期で仕上げてくれる会社に2000万円で発注しました。そんな会社あるか?(いや、あるかも・・・)金で解決できる、と思ったら大間違いじゃないのか?表面を取り繕った「辻褄合わせ」で世の中なんてなんとかなるという「成功体験」(?)を植え付けるだけで、その挙句が、あの東芝、川崎重工、それ以外の数多の大企業の不祥事などなど、だと、僕は思う。(いや、そんな気がして来たから、最悪「単位没収」になるのを承知で、不正レポートは全部見つけ出して、学生のうちに「そういう行為はやめろ」とわからせたい。)

9月1日に、子供自殺が一番多いらしい。死んだって、何も解決しないよ。
親にどう怒られようが、学校でどんな恥ずかしい思いをしようが、もし宿題をやっていないことが憂鬱の原因なら、開き直って「間に合いませんでした。」と、堂々と教師に伝えて、同級生の前で「恥ずかしい」思いをしなさいと、僕は思う。それは貴重な経験で、そういう思いをしておけば、納期に間に合わずにクライアントさんの前で頭を下げる時にも、多少は苦痛が軽減する、じゃなかった、「次からは、きちんと間に合うように、工夫しよう」と(いつかは)自分で考えるようになる、はずだし、親も、教師も、子供が「自分で考えて、自分で間に合うように行動を自制する」ようになるまで、忍耐強く、ただ「そうか、わかった。次からは、間に合うようにやりなさい」と、ただ待つことが出来ないものか、なんてことは思う。
思いっきり、恥ずかしい思いをして来なさい、と言いたい。大事なことで、次からはその「恥ずかしさ」を経験しないように、自分自身に刻み込め、と言いたい。宿題代行なんて、最悪中の最悪だという気がする。

そういう経験を一切しないまま、社会人になり、辻褄合わせは部下に押し付け、時には書類を書き換えて、それでなんとかなる、なんてことを、子供の頃から親に仕込まれた日本人が増えたら、この国は、もっと悪くなる。日本製は不安だから買えない、そういう時代がきっと来る、そんな気がする。

土地収用

南ア
土地改革巡るトランプ氏のツイートに政府反発

植民地政策の残骸:わずかでも植民地政策的な残痕が残る国は、どこも苦しんでいると思う。白人が暴力的に接収した広大な土地を所有する、それが正しいかどうか横から口を出せるとは思えない。民主的な手続きと、人種間相互の信頼関係を崩さない方法が求められることだけは、確かだろうけれども。

それはそうと、戦後の日本の土地収用。日本では、アメリカを中心とする進駐軍が有無を言わさずに、大地主の土地を小作に解放した。拒否はできなかったはずだ。

戦後直後の用地補償問題

詳細は省略して書くならば、南アフリカも、アメリカがやったやり方をそっくり模倣すれば何の問題もないんじゃないのかな?二束三文で「補償金」として値段を決めたらいいんだ。いくらトランプでも、アメリカ自身がやったやり方には文句はつけられんだろう。

それよりも何よりも、沖縄などの基地問題。

補償金の金額とか、色々問題があっても、それが「民主的な手続き」に則る限りは「betterな方法」として扱われるべきだろうと私は考える。ところが、「戦争」という暴力で、「勝者のみ正義」という民主的とは言えない手続きを経て収容した、日本各地の米軍基地の「土地」の補償問題を、トランプはどう考えるんだろうか。

日本としては、日米安保で、日本の安全保障にアメリカが金と兵力を出すっていうから、差し出している感じはあるんじゃなかろうか。それが、「アメリカファースト」でもって、その前提を見直すっていうんなら、そもそも論で、アメリカが日本の基地の土地を収容した問題について、(戦争という行為も含めた)手続きとしてどうかをまず、言及してもらいたいと思う。南アフリカに口を出すより、先にこっちの解釈について説明しろ、と言いたい。

小林が多い・・・

昨日、自治会関連の行事で連絡を取った相手が小林さん。親戚ではありません。そして今日、システム関連の打ち合わせで名刺交換させていただいた方が小林さん。ミーティング参加者4人のうち、2人が小林。

僕が、パプアニューギニアの青年海外協力隊に参加(平成4年度3次隊)した後の、最初の隊員総会では、隊員40人のうち、4人が小林。

首都Port Moresbyの小林さんは、モレスビーの小林さんだから、モレコバさん。ハイランドのMt. Hagenの小林さんは、ハーゲンの小林さんだから、ハゲコバさん。Manus島の小林さんは、マヌスの小林さんだから、マヌコバさん。そして、Vanimoの小林、私はバニコバ。モレコバと、ハゲコバと、マヌコバと、バニコバで、どれが一番いいか、なんて意味ないけど、すごい略し方だ。

バニコバでも十分短いと思うんだがさらにそれがだんだんと短くなって、やがてバニコになり、ついにバニーさんになった。僕がバニーさん?悪ノリした僕は、その次の隊員総会で、バニーの耳をつけて、網タイツでタブーを踊ったんだが、後からきた隊員の皆さんには、完全におカマだと思われたらしい。断じてそんなことはないのに。私は男には興味はありません。女にしか興味はありません。キッパリ!(って、この表現も相当に誤解を招きそうだ。)そもそも、おカマの皆様に失礼でしょうが。
えぇと、網タイツでタブーを踊る私を想像しちゃった方、食事中だったら本当にごめんなさい。

これも30年近く前、中毒薬物医療のシステムの仕事で打ち合わせをした際は、4人のミーティング出席者のうち3人が小林だった。本当に、小林は多い。で、今日名刺交換した方は、名前まで同じ同姓同名の方を他に2人知っている。一人は20年前の飲み仲間で、もう一人は学者さん。会話をしていて、小林さん、小林さんって、誰のことだか・・・その点、モレコバ、ハゲコバ、マヌコバ、バニコバは、わかりやすかった。(全て、実話です。)

なんで、殺し合いをモチーフに?

別に、戦闘の殺し合いをモチーフにしなくたって、いい映画やドラマは、いくらだって作れているじゃない。ハリウッド。

「戦争」をモチーフにして、「人間愛」を表に出そうとしたって、その中にある「殺し合い」の戦闘シーンで観客のカタルシスを得ようとする安易な映画は、やっぱり嫌だ。映画も、テレビドラマも、殺し合いを見るのは好きくない。影響力大きいもんなぁ。

なんて言いつつ、今だったら文句を言うなら「ゲーム」の世界設定だろうか。殺し合いをした挙句に、領土を広げる?誰が得するの?ってな文句は、ゲームのデザイナよりも、政治家に文句を言うべきなんだろうな。

トランプは、「下品」+「安易」で、リャンファン。
プーチンと習は、「安易」だけで、イーファン。

人殺しを命じて強制しただけで、犯罪にならなかったっけか?米中露には、そういう法律はないのか?野蛮だ。

そういうのをモチーフにするハリウッドも、安易な奴らは野蛮だ。下品だ。まるでトランプだ。

ハリウッドですら、いい映画はたくさん世界に送り出しているのに、トランプが幅を利かせている。

学校で教えちゃダメでしょ!

プログラミングで、調べ物をしていて、時々とんでもなく「初歩的」なことを知らなかったことに気づいて、時々絶叫する。

ロジックの組み方はわかる。属性とかも押さえてる。ところが、何と言っても「読み方」が、ほとんど頭に入っていないことに気づかされる。だって、プログラムは日本語とか英語と違って、「音」にして読まないもの。

例えばHTMLがらみの「読み方」だとか、厳密な定義とかを確認して、唐突に、「あれ、俺、大学の授業中にこれどう読んだっけか?」なんてのを思い出して、赤面し、絶叫する。

一番多いのが、尻尾を踏まれた猫状態、「フギャー」とか「ウミャー」とか・・・、etc. etc.
瞬間的にスイッチが入って、顔が真っ赤になり、そして「フギャー」。

いや、事務所内ならいいよ、誰もいないから。ところが、電車の中で「あれ?」と思ってネットに繋いで確認して、間違いに気付くと、(そこが電車の中であることを意識していれば、赤面だけに止まるのだけど、)とっさにやっぱり「フギャー」が・・・

黙って、Macの蓋を閉めて、次の駅で降りたい。たぶん、月に1〜2度はやってる。(集中するのも良し悪しだ。)

ダメだよ、こういう人間が大学で教えちゃダメでしょ、なんてことはしばしば思う。ロジック組むだけなら速いんだけどなぁ・・・
今日もまた、「こんなの、気の利いた中学生だって知ってるだろ」みたいなのが。

何を知らなかったかは、書かない。口(指?)が裂けても書かない!
でも、このページを書いたから、この件はもう忘れる。

自主規制

さすがに、一つ前は削除。自主規制。

いや、ネットの世界だから、一度書いたら実質的には「削除不能」だけれども。それを承知で書いて、そして消して・・・確信犯。

トランプの真似をしてみたけれども、あまりにも下品だから、やめた。本家のトランプは、自分で読み返して恥ずかしくならないんだろうか。という感覚がないから、ああやってトランプ流の発言を繰り返せるんだろうなぁ。あれがアメリカ合衆国の大統領。

それにしても、と思う。遺骨情報収集を手伝い、遺骨収集を手伝い、遺族会の慰霊の旅に同行して、あれ以来、時々人格が変わってるかもしれない。トランプがらみのニュースを見聞きするたびに、スイッチが入りやすくなる。気をつけねば。


フィリピンのニュースを聞いてから、遺骨収集当時の記憶がなんだかすごい勢いで意識の表の方に湧き上がってきていて、自分でもメンタルの収集がつかない。そうして思い出してみると、記憶違いが随分あったかもしれない。

田所会長に、なんだか「そこ、違ってるよ」と言われている気もして、僕が職場からの人脈で探したのではなく、田所会長のところに手紙で届いた、その手紙の送り主の村に行く算段を立てていた際に、職場の人たちに、第一次産業局の誰それは、どこそこの村の出身だとか、そうした話を聞いて、という流れだった、と思い出してきた。20年前の記憶だ。結構自分に都合よく化けているかもしれない。

なんせ、システムエンジニア隊員だったのに、任期中、コンピュータが壊れていた期間が1年以上あって、開店休業状態だった。職場には金がない、JICAを通じて手配するにしても、手続きには時間がかかる。結局、タウンのあちこちから「コンピュータが壊れたけど、見てくれ」的なお呼出がかかったりで、かろうじてSE隊員ぽい仕事はしていたけれども、他にすることがない感じだった。田所さんから「遺骨」の話が流れてきて、やっと「すること」が出来たような隊員生活だったことも、なんだか思い出して来た。

当時は、随分と感情移入していた。「あの辺で、銃撃されて倒れたから、この辺に埋めた」という話を聞くと、リアルにその状況を想像してしまい、居ても立っても居られない感じで、突き動かされるようにのめり込んでいた。

田所さんも懐かしい。噂では、渥美清さんのいとこらしいけれども(結構似ている)、ついにご本人に確認する前に、お亡くなりになった。ご冥福をお祈りしつつ、昨日今日と、ものすごい勢いで、当時のことを思い出している。田所さんがもし、あのフィリピンのニュースを聞いたら、何をおっしゃるだろうかと、考え込んでしまった。田所さんは、戦争当時の記録をかき集めて、部隊の移動と遺骨情報を照合してから僕に現状確認してくれと言って来ていた。なんだかね、田所さんの手柄を僕が横取りするような書き方をしてしまった気がした。記憶っていうのは、本当に化けるなぁ。

日本兵の遺骨

戦没者遺骨 “日本人の遺骨なし” 鑑定結果を公表せず 厚労省

思えば、有限会社シグナリスの唯一の社員、松尾君とは、パプアニューギニアでの不思議な出会いが重なったことで知り合った。お互い日本に拠点があったのに、なぜかPNGの、ポートモレスビーのドミトリ(隊員連絡所)は、まだわかるとして、ワウの山奥とか、マプリックのタウンとか、およそ日本人が普通は居なそうな場所でバッタリと出くわす(正確な場所は覚えてないけど)みたいな偶然が3回はあって、お互い、「なんなんだろうね」という流れで知り合いになった。
そういえば、ドミトリで他の隊員(OBを含む)とマージャンをしていて、誰かに「お前、役満狙ってるのか」みたいに言われた後の僕の一言「この手が役満になるなんて、オバQが大場久美子に化けるより難しい」なんて言った一言が、なぜか、マージャンの話が出るたびに、松尾君を含む当時のOBから蒸し返された。(そんなにおかしなことを言ったか?)えぇと、大場久美子を知らない方、ごめんなさい。今なら、浜辺美波のがいいけど、でも、みなみちゃんなら断然あだち充で、あだち充ならみゆきで、って、なんの話じゃ。

なぜか、遺骨収集の時にも出会ったんだな。確か、ワウの山奥。

あの時は、理学療法の隊員OBの方が同行していた。僕が「人の大腿骨では」と言ったら、「いえ、これは豚のどこそこの骨です」と鋭いご指摘が何度も。そんな中で、現地の人が持ってきた遺骨の中に、どう見ても子供の頭蓋骨みたいな大きさのがあって、「この一角のご遺骨、おかしくありませんか?これ、子供のですよね?」と言ったら、厚生労働省の担当者(玉川さん、だったと思う)も、「確かに」と、持ち込んでくれた方に引き取ってもらうことに同意して下さった。だって、掌に乗るくらいの大きさの頭蓋骨が一つ、成人のものと思える頭蓋骨に混じっていた。一つが怪しければ、その一群は全部疑われても仕方ないと思う。

そもそも、遺骨なんてもう、形が残っていないと実感した。唯一の例外がWutung(イリアンジャヤとの国境付近にある村)の砂浜から出た7柱のご遺骨で、僕の教育局の同僚(確か、マーティン・ネラだ、ダーツ仲間)の実家のある村からの遺骨。彼に村でおじいちゃんだったかお父さんだったかに確認してもらって、上陸してきた連合軍に日本兵が殺された時の話から、そこに間違いなく遺骨があるという情報に基づいて掘った。「ここに埋めた」という当時を知る村の長老が指差したその場所から、1mくらい掘ると確かに、7柱のご遺骨が確認された。すごい記憶力。砂地だったため骨がしっかり残っていた。金歯もあった。(金歯は、日本人の遺骨と確認する決め手だった。)そこだけが唯一の例外で、後の遺骨は、ほとんど土にまみれて、骨だいうことがかろうじて確認できる程度、大きくても数cm角程度の大きさにまで腐蝕していて、原型をとどめていた骨など、セピックからは他にはなかった。

あっと、もう一つ例外があった。これも、同僚の村で見つかった頭蓋骨。遺骨収集団が来るまで僕の部屋で預かっていた。僕が頭蓋骨と同居していた話は何回か書いたと思う。それ以外は、人の骨とわかるものは、セピックではほとんどなかった。

今にして思えば、理由ははっきりしている。セピックでは、僕の勤務していた西セピック州政府教育局の同僚から、人脈を伝って、州政府の産業局だとか、東せピック州の教育局だとか、さらには、民間ビジネスの知人の知人とか、知人づたいで確認を取ったから、かなり確度の高い情報だけが集まって、僕が掘ったほとんどの場所からは、クレオソート(正露丸?大半の日本兵が携行していた常備薬)の小瓶や、ヘルメット、飯盒などが確認されたから、日本兵だと疑うことなく収集した。ただ、ニューギニア方面遺族会の田所会長の遺骨情報収集の呼びかけに、手紙を書いてきた人たちからの情報は、情報提供者との「初対面」から始まり、遺骨を確認することになった。セピックを離れたら、僕はもうただの日本人で、あるいは「日本政府の派遣した遺骨収集団のメンバー」でしかなくて、彼らはまず「日本人」として僕に接して来る。

ポリシーとして、彼らが遺骨収集に「協力」してくれる限り、薄謝であっても「お礼」はすべきだと、ずっと主張してきた。戦友会の方達は、「お願いだから、戦友の骨を『買う』なんてことはしてくれるな」と、そうした押し問答もあった。『買う』んじゃない、だって、当時の日本兵だって、荷物運びを現地の人に頼んだら、謝礼はしたでしょう。(その『軍票』が、結局紙切れになったとしても、謝礼はしたはず。)だから、僕は今、情報提供者には謝礼はしたい。そう主張した。戦後長い間、一切現地の人を信じなかったがために、遺骨の情報を集められず、遺骨収集が何回も空振りに終わったんじゃないかと僕は思う。

ただ、言わせてもらえば、僕は半分は現地の人間(よく、Mangi Sepik(セピックの男)と言われていた)で、だから「金目当て」の話はほとんどブロックできていたけれども、日本から足を運んで、「謝礼をするから、遺骨を探して欲しい」的な話をしたら、現地人の骨が「回収」されるのは、ある意味で当然と言えなくもない気がする。だって、みんなお金は欲しいもの。「金が欲しいのはわかるよ。だから謝礼は払う。だけど、僕は、日本人の同胞を連れて帰りたいだけなんだから、日本兵の情報を提供してくれ」と、そこから入って、当時どんな状況だったか話を聞いて、その村に泊まったり(ってか、他に行くところがないから、泊めてほらうしかない)夜っぴて話をしたり、そこから入って遺骨情報を集めた。情報を集めてから(遺族会を通じて、情報を)厚生労働省に流して、正式なPNG政府の許可を得てから、遺骨を動かした。
僕も、厚生労働省の「日本兵の遺骨」回収は手伝ったけれども、少なくとも、セピックから集めた遺骨については、100%日本人のものだと思っている。ただ、悪いけれども、マダン近郊やら、ポポンデッタ、ワウ周辺なんかはわからない。人的交流がない人たちとの交渉だから。そもそもが、「見るからに人骨」的な遺骨は、僕が関与した20年前、戦後50年当時でも、もうほとんど探すのは難しいんじゃないかと思えた。ジャングルでの腐蝕は速い。プラスチックとか、金属とか、「腐蝕しない」と思われているものでも、湿度と太陽光があるとかなりの速さで劣化する。普通の保存方法だと、フロッピーディスクが2年もたなかった。遺骨もそうで、よほど条件が整っているか、そうでなければ、現地の風習で洞窟などに安置された遺骨でもなければ、50年も前の骨は、原型を留めていない。

ニューギニア方面遺族会の田所会長に、「また遺骨情報収集を」と言われても、ある意味でスルーしていた理由の一つは、「もう、無理でしょ」だった。ジャングルでは、原型を留めていないのがほとんど。

当時は、もちろん(僕が通っている勉強会の)師匠の講演会には参加していなくて、師匠ご自身もまだ、講演会活動は始めていらっしゃらなかった。まだ師匠のことを知る前だったけれど、僕自身は、遺骨の収集やら、慰霊のお祈りに同席したりしながら、「もし、まだここにいるのなら、僕に取り憑いてもいいから、ぜひ一緒に日本に帰りましょう。」という思いは投げていた。いや、実際何体かには取り憑かれたかもしれない。それでもいいから、魂には日本に戻ってもらいたかった。当時はそう思っていた。

今だったら、かなりはっきりと伝えると思う。「いつまでも、こんなところにいないで、真っ直ぐに上に帰ってください。次があります。今回の経験を活かして、再び肉体を持つサイクルに戻って、戦争のない世界を作るために、声を出してください。」そう伝えると思う。師匠と違って、僕には直接の対話はできない。(師匠が、直接の対話ができる証拠?あるけど、疑いのある方がいらっしゃるなら、どなたか実際に試してみますか?生きていても、心を読める人が存在すると、僕は思います。)
肉体は、「乗り船」に過ぎない。今でいうなら、魂がドライバで、肉体は自動車という関係。自動車は、いつかは動かなくなるけど、ドライバは新車に乗り換えることができる。そう、その比喩で言うなら、「みなさん、ぜひ新車に乗り換えてください。新しい肉体を手にしたら、声高に、戦争反対を叫んでください」とそれを伝えたい。いや、実際に、すでにそうされている「今時の若い子供たち」もいるだろうと、思う。(サイクル的には短すぎるけれども、当時の日本兵の指導霊さんたちが肉体を持ってきている時期だと、僕は思う。)

肉体にこだわったって、仕方ないと、僕は思う。ご遺族の方々、向き合うべきは、スクラップになった自動車(肉体)じゃない、その肉体に入っていた魂(その人の、心、意識、その方の人格)、つまりその肉体を運転していたドライバの方で、肉体の残骸をどれほど拾い集めても、供養にはならないと、僕は今は考えています。

そんなことは、どうでもいいけど、また、ニューギニアを、ブラブラと歩きたいなぁと、思いを強くした。松尾くんとの社員旅行。稼がねば!

サマータイム

サマータイムの議論がかしましい。情報システムの改修費用が数兆円に届くとか、届かないとか・・・

最近(ってか、もう十年以上)、WEB系のシステムに関わっていて思うことがある。
基本的に、WEBへのアクセスは世界中から可能なので、ファイルの”created_at”(生成日時)フィールドはGST(グリニッジ標準時)になっていて、そこにロケール(地域情報;日時の表現形式や、使用言語、タイムゾーン)を被せた時に、ローカルな日時に換算される、という設計が一般的だと思う。というよりも、英語圏などからのアクセスを想定していたら、当然日時はGSTになっていると思える。「考える必要がない」という理由で、JST(日本標準時)だけでシステムを設計する、(そうすることで、開発コストを下げたい)というのは、自分だったら発想として却下していると思う。大した手間じゃない。View(表示)部分でGSTからJSTに変換すればいいだけ、だから、その部分に若干の手間がかかるけれども、今時のWEB環境ではGSTからローカルタイムへの表示切り替えは、関数一つ使えばいいだけになってるような気がする。

で、そのGSTからJSTへの表示切り替え部分で、他の国ではすでに採用されている夏時間対応の切り替えの仕組みが使えて、時間の切り替え自体は結構簡単じゃないかな、なんて思ったりするんだが・・・もしかして、そうじゃないんだろうか?
表示部分には、それが「夏時間」であることを明示する必要もあるのか、ないのか、わからんけど。

銀行系なんか、国際的なトランザクションも扱っているだろうから、おそらくはGSTが基準になっていると思う。(関わったことがないから、知らないけれど。)航空機などのシステムは、GSTで設計しなければタイムスタンプが滅茶苦茶になる。(離陸後30分経って、着陸したら30分前に戻っていた、とか・・・ヴァニモからジャヤプラへのフライトが、確かこんな感じだった。陸路でも2時間程度の国境越えの路線。)
え?違うの、という疑問符???が頭の中にいっぱい。世の中、わからないことだらけ。

なんだか、そんなに心配する必要ないんじゃないかなぁ、なんていう気がする。いや、世間一般の情報システムを僕が知らなすぎるだけ、かも知れないけれど。もしGSTが基準になっていないなら、この機会に設計変更すべきじゃなかろうか。

人間の側としては、きっと数日の時差ボケがあるような感じかなぁ。ただ、思う。ブラックな企業では、残業時間が絶対に延びる。「もう、夜8時だ。でも外はこんなに明るい。まだあと3時間はいける」みたいな・・・悲鳴をあげるマイノリティが絶対にいると思うな。

個人的には、個別の就業時間とか、営業時間をズラした方が、社会的には楽なのかなぁとも思うけれども、情報システムとしては基幹となる時間表示を動かすよりも、個別の(取引先)の営業時間とかに「夏対応営業時間」フィールドを追加したりする方が、圧倒的に改修の手間とかコストはかかるんじゃないか、なんてことを思った。

でもね、もう僕が大規模システムに関わるようなことは、たぶんないと思うから、他人事かな。

オリンピックが議論のきっかけ?いや、昔は「体育祭」って言ったら「秋」が定番だった。真夏に運動会をやる学校なんて、どこにもなかった。(と思う。知らないだけかもしれない。)国によって「開催時期」を変えられるように、オリンピックそのもののルールを見直した方が、よほどコスト低減に役立つような気がする。
何よりも、日本の秋は、夏よりも訪れたくなる景色の場所が多い、ような気がするけど、もう遅いわな、こんな提案。

うちの会社の就業時間は、ウルトラ・スーパー・フレックスタイムだし。

支配

ラジオから遠ざかりつつある。歌詞のある音楽もダメ。仕事のまさたげ、じゃなかった、さまたげ。
無音にしたくなる時は絶好調中の絶好調だけど、ジャズから入って、マーラー、シベリウス、ホルストとか、その辺だろうか。どんな音を出していても、文句を言われないのがありがたい。(社長がOKすりゃ、大丈夫、とか、いやヘッドフォンすりゃいいだろう、とか、色々あるけど。)いずれにせよ、歌詞がある音楽、言葉が伝わってくる音は、今はダメだな。

唯一の例外が、定時のニュースだけれども・・・。イランの次はトルコ。相変わらず忙しい人がいるなぁ。
世界を支配するつもりなんだろうか。と思っていたら、宇宙軍創設で、軍事力で宇宙を支配するとか言い出しているらしい。アッチョンブリケ!(通じなかったら、ごめんなさい。)

「支配欲」が鬼門。支配対支配の構図は、最悪の結果を招く。どこか一つが「支配」を掲げても、おかしなことになる。それは個人も同じで、スポーツ団体のトップだとか、指導者だとか、まぁ、賑やかなこと。中央官庁でも、似たような感じか。
端的に言って、力(地位、経済力、武力、腕力)などで「他人を思いのままにしようとする」全ての行為は、その人間(あるいは組織)を堕落させる。師匠の言葉を変えれば、神の思いに反する行為、ということになるんだろうか。自由の対極か。
昨今は、「パワハラ」とかいう形で、個人のは社会的に抑えることができても、国家となるとなぁ・・・手に負えない。あとは、それこそ神さまにお任せするしか・・・
いや、創造の神様はたぶん動かない。(創造主が動くときは、人類全員が一斉に消されるときか。)ただ、我々からしたら十分に「神様」クラスの存在、地球の意識が動いてくれるのは間違いない、と思う。面倒ですね。「神様」って言ったって、レベルが色々だから。「上にバラすぞ」なんて言って、「上」って言ったって、係長級から、課長、部長、事業部長、常務、専務、社長、会長と、色々ですから。「宇宙空間を支配する」なんて公言したあの人、どのレベルの逆鱗に触れるのか、楽しみだったりして。(ただ、普通はタイムスパンが長すぎて、僕らの時間軸ではなかなか「出た結果」を直接結びつけられない。そこが人間の悲しいところなのかも。)

その昔、偉大な、尊敬すべき指導者がいらっしゃった。部長級かなぁ。6番目の天使だったその方は、6つの霊能力を駆使し、6つの大罪を犯した。666の数字で描写されるその方の名は、ルシフェルという。たったの一回で、とてつもない落ち方をされた。その大罪の一つが、「他人を思うがままに操った」という罪。その意識は、封印されても地上に届くほど強大で、今でも多くの人がその影響を受けている、らしい。その意識に影響されても、別に額に666の刻印ができる訳じゃないとは思う。だけど、ニュースを聞いてりゃすぐにわかりそうな気がする。あの人も、この人も。

「支配欲」で落ちる、なんて、普通の人にはできませんよ。他人を支配するだけの力がなければ、普通はできない。私なんか「お前をクビにしてやる」って言う相手がいないもの。自分しか。

「支配欲」で落ちるってことは、それなりの「上級課題」に取り組んでいるレベルの方々の失敗、なんだろうか。「支配」はダメでも、「統治」ならばたぶん、推奨される。模範とされる方々のお話は、師匠の講演会でも時々取り上げられる。ぶっちゃけ、社員からも尊敬され、社会的にも評価され、事業としても成功した事業者の方々のような、そんな方々は、このレベルの「課題」を少なくとも今回はクリアされた方、ということになるんだろうか。

僕のちょっとした自慢話。30代なりたて、血圧計メーカーにいた頃、東洋医学に興味をお持ちだったソニーの創業者井深大さんに、社長が面談を取り付けた。東洋医学の脈診の話題だった。社長に同行したのは、技術系では私と、あとは総務課長。元々は30分の面談枠だったのが、話をしているうちに、井深さんの目の色が変わり、後の予定をキャンセルしてくれて、トータル2時間くらい井深さんと東洋医学のお話をさせていただいた。井深さんは早稲田の大先輩だし、井深さんの書かれた本を僕は読んでいましたから。その本に書かれた話題から推測できる井深さんのご興味を二つほど、会話の中で取り上げただけ、だったけれども。いや、井深さんのお時間を、他の用事をキャンセルさせて、1時間半も余計にいただいた、って言うだけの自慢ですが・・・。
どうせなら、自分自身の仕事で自慢話をしたいですけどね。他人の褌で相撲を取らずに・・・

井深さんとか、松下さんが「支配」をされていたのか「統治」をされていたのか、僕にはわからない。だけど、下とか周囲から反感・反発を多く買ったなら、課題失敗の可能性は多大にある。どこまで落ちるかは知らないけれど。

花ミョウガ

ふと見たら、家の周囲のあちこちで雑草が幅を効かせている。それに気づいたのが先週。少しずつ草むしりをして、ようやっと今日終わった。ちょっとしたご褒美があった。

思えば、今年3月頃から体調を崩し、庭も完全放置。5月頃は最悪で、授業は一度も休まなかったものの、3週間ほどはかなりのハスキーボイスで授業をしていた。肺を痛めたその後は、ちょっと無理して梅の実を採取した際に三脚から落ちて、頸椎を痛めた、かと思った。(おそらくは、ほんの数十秒〜数分間程度だったと思うけれども、一度は両足の感覚がなくなり、やっちまった、健常者人生は終わったかも、とも思った。)二ヶ月が経って、この間整形外科で「経過観察は、もう終わっても、大丈夫でしょう」とのご判断をいただいて、5ヶ月ほど止めていたジョギングを再開したいと思った。(それなのに、この気温!)家の周囲の草むしりだとか、体を動かす作業を、やっとできるようにもなった。

少しずつ作業していって、最後は家の裏の、日当たりのあまり良くない、母屋と塀との間の幅2mほどの隙間。放ったらかしなんだが、完全に放置するとドクダミのジャングルになるので、ドクダミだけにはご遠慮いただくようにムシっていると、春は蕗、夏はミョウガのジャングルになる。それ以外の雑草も相当にムシったが、よく見るとミョウガが大量に蕾を出している。そうして収穫したのが、冒頭の写真。

千葉の大学で専任教員をやっていた時の、直属の上司、E先生が「ミョウガは大好物」とかおっしゃっていたので、当時だったらお持ちしたんだけれども。収穫して、こうして綺麗に洗ってみて、さてどうしようかと、悩むことしきり。

夫婦喧嘩のタネになるので、嫁には内緒。「こんな面倒な、どう処理したらいいかわからないものを、押し付けないで!」という、思いっきり迷惑そうな顔を、何度されたことか。梅、ゆず、フキ、三つ葉、イチゴ、そしてミョウガ、ことごとく喧嘩の原因。よく洗ってあって、ビニールパックに入っていないものは、食べ物ではないと思っている節がある。土がついたままのイチゴを見せたら、以前だったら絶対に食べなかった。梅やゆず、人に分けるなら、一つずつ丁寧に綺麗に磨いてからでないと、差し上げるのは失礼だと、これだけは絶対に曲げない。だから、ものすごく手間をかけている。僕が、「ざっと汚れを落とす程度で、後は一言添えればいいだけじゃない?」と、いくら言っても聞いてはもらえない。いや、僕の方が間違ってる?スーパーで売られている果物とか、あれ、全部、一つずつ一個1分とかかけて磨いてから売ってる?梅も、ゆずも、収穫するのを止めようかと、毎年悩む。毎年大騒ぎ。喧嘩腰。ざっと汚れを落として、そのまま分けたい私。全部磨くと言って聞かない嫁。豊作の年は、思いっきり険悪な空気になる。

ただ、フキも、ミョウガも、嫁は食べ物だと認識していないから、嫁を迂回すれば一切問題は起きない。

大した量じゃない。料理好きの知り合いっていうと、親戚筋のKさんと、後はEさんか。全部持っていって、使いたい程度の量をお取りいただくとして、自分でも少しググって、楽しんでみようと思う。(仕事に支障がない程度に・・・)

風習を変えねば

「不都合な真実」の続編を見ながら、次から次へと、突っ込みが・・・

死体を火葬しない文化が、どれだけあるだろうか。少なくともパプアニューギニアでは火葬しない土葬だった。アメリカのことはよく知らないし、ヨーロッパのことも知らない。(いや、過去世の記憶がもし正しければ、どちらもしてない。自信はないけど。)

疫学的には、たぶん、日本で火葬を法制化したのは、かなり正解だったと思う。感染症への不要な心配を減らす。ただ、現状の延長線だと、土葬された死体が過去になかった感染症の源になる危険性は、少なくないような気がする。そんな気がした。

いや、別に気にしてくれなくていいです。死体が多くの人々に免疫のない新たな感染症の根源となっていることが、実際に学術的に確認されてからでも、いいと思う。それでも遅くはない、とは、言う気は全くないが、学者は学者として生活を守る権利があると思うから。トランプの国民の人口の半数よりも、学者の生活が優先すると、私は思う。

相手はトランプだけじゃない。どこの国でも文化的慣習を変えるのは、極めて困難だと思う。(日本は、やったけどね。)


いや、最近ちょっと、考え方を変えたかもしれない。地球は全体としてもっと人口を減らすべきだ。目立つところでは、中国やインド。目障りなところでは、アメリカ。地球の「意志」は、我々の知識を凌駕している。その意志の元、導かれてトランプは大統領になったのかもしれない。

AKD砲の思い出が・・・

Nack 5の Sunday Lions。ゲストにデストラーデが登場・・・嘘だろ、と思ってNack 5のサイトを見たんだけれども、デストラーデの「デ」の字も書いてない。

まったくもぉ、どこの芸人だよ、それにしても、外人のしゃべる日本語の真似、うまいよなぁ、と思って、念のためGoogleで、「Nack5 デストラーデ」で検索したら、「サンデーライオンズ on Twitter」のサイトで、写真入り、動画入りのデストラーデを久しぶりに見た。いや、(ごめんなさい)甲子園のニュースよりも懐かしい。

秋山、清原、デストラーデ。西武の黄金時代。そういや、辻監督も懐かしい。名手の辻さん。守備を見ていて安心感のあった辻さん。
あっと、逆転!?ラジオの実況だもの。7対4。このまま突っ走れーと、(球場に足を運ばない)ファンからの応援です。

いや、ホームランって聞いて、デストラーデのガッツポーズを思い出した。そして、(ソフトバンクに行っちゃった)秋山のバック転・・・。お祭り男の清原(「おい、今打ったって、後の祭りだろう」、ってのもあった)。あ、いや、清原君、キレイになって、またメディアに戻っておいで!人生に「後の祭り」なんてないから、またどこかで活躍を見たいな。

聴くともなく聴いていて、ぶっ飛んだよ。Nack 5、Twitterもいいけど、サイトの記事にも、何か書いておいてよ。本当。どこのモノマネ芸人だよ、と思った。

Sunday Lions。取引先から送られてきた産業用デバイスの、仕様書を細かく読みながら、聴き流しつつ、つい、デストラーデに反応してしまった・・・

ライオンズ、ごめんなさい。今の若い選手の名前、わからないんだよなぁ・・・勉強不足で・・・。えぇと、ライオンズファンの彼女ができたら、改めて研究します。って、何を書いとる、この既婚者が!

温暖化と寒波

え、と思ったのは「地球が温暖化しているなら、この寒波をどう説明する」という、「不都合な真実」の続編での冒頭。

緩衝機能がうまく働かないから、変動幅が大きくなる。つまり、平均レベルでは上昇しながらも、暑い方も寒い方も、極端に触れやすくなる。あるいは、かたや干上がって干ばつになり、山火事や住宅火災で広範囲を消失する一方で、そのすぐ隣(アメリカのスケールだから、数100km離れていてもすぐ隣と言えると思うが)では、竜巻やら集中豪雨やらで水浸し、なんていうことが起きるのが、いわゆる「地球温暖化」の説明だと理解している。

で、実際にそれが起こったとしても、偶然だと主張するに違いない。何年も連続して、被災者数が数百万人に届き、産業自体が正常に機能しなくなって、初めて「もしかしたら、当たっていたのかも」と考え始める、程度じゃないだろうか。

現在の異常気象の原因(温室効果ガスの増加)の影響が完全に取り除かれるまで、70年とか80年はかかると思う。だって、「排出量」を1970年レベルに戻すのに20年近くかかる?その間、森林が減少して、サンゴも死滅し、吸収するものが激減した中で蓄積していくわけだから、大気中の温室効果ガスの濃度が1970年代のレベルに戻るには、もしかしたら百年近くかかるかも知れない。

とりあえず、トランプさんが正しいことを祈る。南極の陸氷が全部溶ける、なんてことは考えにくいけれど、部分的には、既に起きているらしい。海面レベルが1m程度上昇することは、既に確実な気がする。これが、「2mは確実」とか、「3mは確実」とか、じわりじわりと、「あ、やっぱり温暖化か」と実感する前に、「最大6m上昇する」つもりで対処するのが、賢明だ、とは思うが、賢明という形容詞をトランプさんに使っていいものか。

水商売

カルピス・ウォーターを当たり前に見るようになった。子供の頃、お中元みたいな奴でカルピスが届くと、ワクワクしながら井戸水で割って飲んだ。あの原液(っていうのかな、薄める前の濃い奴)も、今ドラッグストアで、ペットボトルで売られている。
「あ、これ一本で、500mLのペットボトル○本分、作れそうだな」と思いながら、僕は原液の方を買う。ケチですみません。でも、本当のケチは、カルピス買わずに水道水を飲むと思う。

その水道水。日本じゃ、十分に飲用可能なレベルの水道水が蛇口をひねれば出るのに、わざわざ、あちこちからの「水」が売られているんだよなぁ。あの物流コスト、どうなんだろう。

麦茶もそう。水出し麦茶の、乾燥してパック入りの、お徳用50袋入り、とか、58袋入り、とかが300円しないで(これも)ドラッグストアで売られているのに、若い人たち、ペットボトル入りの2Lのミネラル麦茶とか買う。運ぶの、重いだろうに。僕は、たぶん20年くらい前に買った麦茶用の、1.2Lくらいのガラス瓶(口が広くて、麦茶の乾燥パックを出し入れしやすい奴)に、(一応は、イオン交換樹脂のフィルタをつけてある)水道水で水出しして、そこからペットボトルに移して、凍らせたり、冷やして飲んだり、時にはそのまま飲んだり。個人的なコスパが、一杯あたりどのくらい違うか、暇な方はぜひ計算してみて下さい。それよりも気になるのは、物流コストだ。水に溶かしたペットボトルで流通させれば、重いし、運送費もかかるし、その分二酸化炭素の排出量もかさむ。水だって、そう。それを言ったら、お茶だって、カルピスだって。スポーツ飲料だって、粉末があって、粉末から作るのと、予め溶かしてあって、冷やしてある奴で買うのと、個人的なコスパがどれだけ違うか。それ以上に、実は環境負荷が桁違いに多い気がする。

こういうことを書けば、どなたかの営業妨害になる、ということは理解している。経済学の話題で、「無駄が利益を生む」という話を聞いたことがある。無駄という表現は誤解を招く。「手間を省く、誰かの手間を省くことで、利益を得る」と言い換えればいいのかな。例えば、粉末のスポーツ飲料を水で溶いて、それをペットボトルに移し替えるのに、僕は1分30秒もかけてない。2分以上は絶対にかけないけれど、1L分を500mL2本に均等に入れるのに1分は切れないなぁ・・・。僕のこの2分の手間。10袋だったら20分。これで、いくらくらい浮かせられるかと言うと・・・面倒なので、細かい計算しません。麦茶、日本茶、カルピス、みんなそう。
ざっくりと、僕自身の「作業時間」から換算すると、約1分程度の手間で150円くらいは節約できている(と思う、どこか見落としがあるかも知れないけど)。時間給に換算すると、9000円くらいになるはず。皆さん、金持ちだから・・・「調理済み」とか「ペットボトル入り」を平気で買う。うらやましい。ってか、考えたことがないのかなぁ。

経済学者に睨まれそうだ。その、個人の時間の、「時間給9000円分」は、どこに行ってるかと言えば、流通業、運送業、そして、「乾燥品」ではなく「すぐに飲める状態」で売っている製造元、そこいら辺で分配しているんだろう思う。それは金の話。そのプロセスでの二酸化炭素排出量を考えたとすると、そのツケがこの「慢性化した異常気象」に回ってきている。それを承知で、水をトラックに積んで、あっちからこっちへ、運び、水だけでみんなが儲かる。これこそが水商売。

アル・ゴアさんにすっかり感化されている感はあるけれども、「経済」優先で判断した挙句は、その経済活動が困難なほどの「生活環境」が待っていることは、覚悟した方がいいと思う。ってか、既に明らかに、誰の目にも今の気候は異常じゃないかな、と思うんだが。お茶の木が育つ、麦が育つ、牛が乳を出す、電解質を粉末にする電力を確保できる、そこが危ういのに、みんな生活スタイルを変えず、すぐに飲めるお茶、麦茶、カルピス、スポーツ飲料を求める。なんて書くと、僕の同級生も勤務しているあちこちの会社に、明らかに喧嘩を売ってるけど。でも、僕は、こう思ってます。環境負荷がバカにならない。

なんて書いていると、絶対に原子力関係者が色めき立つけど、悪いけど、もっとヤバイ話なのに、理解力がない人が原子力を推進する。福島県で、人が住めなくなった土地がどれくらいある?あの程度じゃ、原子力の危険性を主張するには不十分か。国土の2割くらい、人が住めなくなったら、多少は本気で考えてくれるんだろうかな。気候変動も、8月の東京都の最高気温の平均が42度くらいに、10年くらいの間にシフトしたら、もうちょっと、本気で「真の経済効果」を考えてくれるようになるんかなぁ。環境負荷を無視したら、経済活動が根こそぎ損なわれる、と言う議論が、多少は成り立つようになっているんだろうか。まだ通じない?

いや、何を書いても無駄かなと、僕は思う。その点では、僕はアル・ゴアさんとは違う。政治家じゃないもの。だって、ウチのヨ×、夏場の冷房の設定温度が18度で、部屋が25度くらいに冷えてるのに、まだ暑がっていて、そのくせ冬場は暖房の設定温度を28度にする。同じく25度くらいに暖まっても、まだ寒がる。どういう皮膚感覚をしているんだ、なんていう議論を何回しても、聞く耳持たない。あちこち開けっ放しだとか、文句を言えば、「あなただって、この間、あのドアが開けっ放しで」って、頻度が違うだろう、ってな反論は成立しない。っていうより、これまで5回は離婚を申し出たのに、最初の1回は「何それ」で聞く耳すら持ってもらえなかった。2回目も、流されたかも。3回目になって、ようやっと条件反射的な否定の言葉が返ってこなくなった。離婚を持ち出して、やっと聞く耳を持つ気になったか。それでも、「あなたが○×したら、近所に聞こえるように悲鳴をあげるから」という一言、あの一言で、僕はもうとっくに終わってたかも。その○×程度で悲鳴をあげられるのなら、触ることすらできない。以来、埼京線の満員電車の中で隣に女性がいる緊張感を、日常的に強いられている自分がいるのに、そもそも、自分が何を口にしたか全く何も覚えていない人だから、意思疎通ができない。って、何の話でしたっけか?
あ、そうでした。冷暖房の温度の話題。夏場の僕は25度だと寒い。冬場の僕は、15度でも暑い。体がそうなっちゃってる。そもそも、僕が他人と一緒にいること自体が無理かも。何だか、哀しい。って、再び、何の話題だ?

かくして、男は、水商売の女に走る。あっと、これで「標題」と噛み合ったので、これで私のグチのページを終わります。

今年の夏は、アル・ゴアの季節

トランプが大統領になってから見る、アル・ゴア氏の映画、「不都合な真実」はまた、格別だなぁ・・・

二酸化炭素排出量が1970年のレベルに戻ったとしても、蓄積された二酸化炭素が元に戻るまでの位相のズレというのは、何年くらいあるんだろうか。森林が破壊され、サンゴ礁が死滅して、二酸化炭素の吸収力はどの程度低下しているんだろうか。形ばかりの「温暖化対策」を行っても、気温の上昇傾向が止まるまでに、数十年とかかかるレベルに達していると思う。
学生に「位相」を説明する時に、太陽の南中高度と、気温のグラフのピークのズレを、僕はよく使う。モデルを簡略化し、地球の北半球で受け取るエネルギーが最大になるのを、6月下旬(夏至)とするが、気温のピークは8月上旬になる。この約一ヶ月半のズレは、関数系が積分になっていることによる。二酸化炭素排出量と気温の間の関係式は知らないけれど、単純な積分形だとしても、今現在、年平均気温がこれだけ上昇しているということは、明らかにピークはさらに先にあって、現在も変化が加速していると考えるべきだと、理解する。映画を見て、もしかしたら、二重積分形になっているんじゃないか、というような気すらしてきた。

映画の中で、アル・ゴア氏が言っていた。学者は、「気候変動は非線形的」だ、と。非線形系(システム)の「安定平衡」状態が保てなくなって、別の平衡点に移行する時に、系のリープが起きる。つまり、全く別の「安定平衡状態」に移行する。当然、その状態が何百年か続いて、人類の人口が極小化すれば、そこからまた元の平衡状態にリープして移行することもあるんだろうけれども、積分系の「結果」部分で、過去10年のような変化の加速が起きている以上、今後の10年は間違いなく変化が加速を続けると考えるのが自然かも知れない。

アル・ゴア氏が大統領になっていたら、どこかで流れが変わったかも知れない。けれども、トランプ氏を選ぶのがアメリカの民主主義だ、ということを、この「不都合な真実」の映画を見てから、じっくり考えるべきなんだろうな。おそらくトランプは、異常気象による米国内の死者数が1000人や10000人くらいでは、「地球温暖化なんて、嘘っぱちだ」という主張を変えないし、産業界もスタイルを変えない。死者が10万人、100万人になったら、もしかしたら、あのトランプでも主張を変えるかも知れない。死者が1000万人を超えなければ、アメリカの産業界はビジネススタイルを変えないような気がする。そして、アメリカ以外の地球全体が、その影響を継続して受け続ける。日本の総理は、そうなってもアメリカに尻尾を振り続けるのかなぁ。

もしかしたら、今年、熊谷はまた「最高記録」を更新して、日本国内42度の記録が出るかも知れないと、感じていたことを、この話題で書いておく。(熊谷じゃないかも知れないけれども。別に、日本一でなくてもいい。)

という議論は、自然科学系の人間なら誰でもできる話、だと思う。
師匠の講演会の話題から、追記する。地球も意識体だから、地球自身が、好ましくない変化は排除しようとする意識を持つか、あるいは、好ましくない変化を「元に戻そう」とするかもしれない、と思った。その結果は時として、かなり過激な「変化」になる、と聞いている。何が起きるかは、書かない。

アル・ゴア氏の映画の内容は、「事実に基づいた予測」であって、すでに10年前に指摘されていたことがいくつも起きている。まだ起きていないいくつかの事柄も、これから起きるだろうと思う。いや、僕自身、たったの10年でこれだけはっきりした「目に見える結果」が出るとは思っていなかった。

ただ、師匠の場合は予測ではなくて、予知だと自分は理解している。師匠が予知された「事件」が起きるのは、僕がもう生きていないくらいの未来、まだまだ先のことだと思っていたけれども、案外近いかも知れない、という気がした。それが起きた時、どんな馬鹿な政治家でも「考え方を変える」ことは、余儀なくされると思う。それ以前に、対応に追われて、対応できずに退陣する方が多いかも知れない。

長い付き合い

お気に入りのサンダルが、ついに限界

同じメーカーのほぼ同じスペックのサンダルをネットで見つけたので、買い替えた。昨日から早速愛用。

右のは、青年海外協力隊から帰国した翌年、1996年の夏に、ニューギニア方面遺族会のツアーアテンドの際「その気になったら全力疾走できるサンダル」として、大きな靴屋を数軒、探して回って買った。本気で走らないとならない状況なんて、数回しかなかったけれど、これも僕の大切な相棒。以来、夏、あるいはニューギニアでは必ずこれを履いていた。4度目かの補修をしようかと思ったけど、底のゴムがすり減っていて、接着面の面積が確保できないので、ついに断念。ほぼ22年間、毎夏ほぼ毎日履き続けた。明日は「廃プラ回収」の日で、ついにお別れ。新旧の交代です。新しい相棒、頼むよ。

思えば、地デジ対応の時に買い替えで出したテレビは、1982年型と1989年型があって、どちらも現役だった。今乗っている愛車は、今年で18年目になる。シャツとかスラックスも、古いのは1990年ごろ買った(いま再び着られるようになった!)のがあるし、色んなモノの劣化がすごくゆっくりだから、ついつい買い換えずにずっと使っている。とにかく、我が家で、特に親父が使っていたものとかは、なかなか壊れない。僕が事務所で使っている独身時代からの家電製品は、20世紀からのものが、あれもこれも、まだまだ現役。この調子だと、僕が死ぬまで壊れなそうな・・・

親父から相続したBMW。前回の車検前は、一ヶ月乗ってると冷却水が減って警告灯が点滅する、その間隔が3週間になり、2週間になり、という状態だった。車検の際に、「漏れるほどではないんですが、冷却水が漏れている感じで」と、ディーラーさんに伝えたところが、「小林さん、すごいことになってますよ」と。ディーラーさんの駐車場に行ってみると、BMWの下に緑色の水たまり、明らかに冷却水が完全にダダ漏れ状態になっていた。この状態の車に、僕は自走してディーラーまで乗って来たんだけれども、到着するまで全く目立った「漏れ」はなかった。着いてから、ついに力尽きるような感じで、ドバッと流血するみたいに、冷却水が水たまりを作った。「何だか、本気で頑張ってくれていたんだね」と声をかけるしかなかった。使っているうちにこういう感じになってくるから、もう手放せない。エンジンとかの心臓部が限界になるまで、たぶん僕は、この車に乗り続けるかも。

30年前(1年浪人、1年留年の院卒なのでこの年齢)、最初の就職先での新入社員の工場実習中、ラジオ体操第2の上体を前に降る運動の際に、コキっと音がして腰の椎間板が外れた。激痛。体を起こせない。痛くて痛くて脂汗が出る。近くの整形外科で診てもらい「椎間板ヘルニアです。元には戻らないでしょう」と言われた。痛い、けれども、職場の方にお願いして、130kgのリール運びの現場から、研磨工程のパートのおばちゃんたちと一緒の職場に移してもらって、意地でも実習は続けた。ところが、研磨したダイスを置いて、次のダイスを手にする作業で、上体を左右にひねる動作をしていたら、そこでまたコキっと音がして、嘘のように激痛が消えた。3週間だけの「椎間板ヘルニア」体験。この話をすると、「嘘だろ、そんなことがあるはずがない」とか言われる。ただ、この間、鼠径部のリンパにちょっとした違和感があって、腫瘍だと嫌だなと思って、日赤で調べてもらった。その時に「ついで」に見つかったのがこれ。(鼠径部のリンパは異常なし。)

実は今はもう、全く違和感がない。体が勝手に治ってくれたと思っている。(実際には、痛みなどの症状がキレイに消えただけだったみたいだけれども、結果オーライ。)今は「肉体は借り物」(細胞それぞれが、僕とは違う意識体)だと思っているけれども、感謝以外の何ものでもない。今年の5月、「肺ガンの一歩手前」と言われた肺炎というか、激しい肺の痛みは、今はもうカケラも残っていない。竹沢診療所にその時のレントゲン画像があると思うので、今と比べてもらったら差がわかりやすいと思う。たぶん、まだ多少「荒れて」いるだろうけれども、かなりキレイになってると思います。ただ、撮ってもらう機会は当分ないと思う。サンダルとか、BMWと同じく、僕は自分の体も信じている。限界までは、よろしく頼むよ、っていう感じか。

そうは言いつつ、これも長年の相棒のWindowsパソコン(Core i2)がもう、スペック的に限界。隠居してもらって、Core i5の中古パソコンを購入。メモリだけは4GBから8GBを追加して、12GBに増設した。13万円台のCore i7のハイスペックPCと、メモリ増設した、今回中古で(HD別で)1万3千円ほどで手配したPC。値段は10分の一程度だけれども、計算上のスペックは7掛け程度は出せるはずだった。

ところが、滅茶苦茶リアクションが悪い。タスクモニターをみると、システム割り込みが入りっぱなしで、Watch Dogが反応するという情けない状況。「せっかく買った中古PCが思うように動かない」と、先週の土曜日から、延々と悩み続けて(Macで他の仕事をしながら、)あれやこれや、ツールを試したりしていたのだけれども、もしやと思って、8GBのメモリを追加するのではなく、4GBと換装する形で、8GBへの増設だけにとどめて試したところが、もう、絶好調です。これも、昔の相棒の3倍くらいのスピードで動いてくれる。

いや、実はこのトラブル、ようやっと「解決」して、ホッとして、力が抜けてしまった。中古ですけどね。君とも、今後5年とかは付き合ってもらう感じかな。よろしく頼むよ。いや、本当はもっと長く付き合いたいんだけれども、業界のスペックの推移が激しすぎて・・・と言いつつ、いよいよダメならバイバイしようかとも思ってた。実は。

とにかく、えぇと、喜びのお裾分けです。嬉しい!

出会ってからしばらくは、お互い色々と、細かい部分を知り合うまでに時間がかかるってことなのかな。PC君、君もよろしく頼むね。(ヒトとの対話より、モノとの対話の方が楽だ、というネクラな私でした。「会話にならない」と思うと、そこで永久シャットダウン。この癖、なんとかならんかなぁ。)

台風12号

日照りで干からびていたから、農作物にはいい雨なのかなと思っていたら、何とも両極端な・・・

今日、小川町は七夕祭りだったんだよなぁ・・・花火大会は明日に延期。飾り付けをする人も大変だろうな。

なんていう、呑気なことを書いていて、被災地の方ごめんなさい。

仕事は・・・色々と新しいものを一度に試し過ぎて、若干の混乱が・・・
「過去の経験が通用しない」かぁ・・・

・・・ 点々々ばっかし。切れ味悪い。
ちょっと疲れた。慢性的な停滞状況。
気分転換が下手くそ。

文明考

死刑制度について、つい、突っ込んでしまった。
言葉を発してしまうと、リアクションというか、フィードバックが怖い。考えている訳じゃないのに、何か流れ込んでくる感じで、毎回僕は体感で、自分が発した言葉の解釈され方に振り回されている。そういう体質なんだろう、きっと。
あんまり、仕事に集中できないなぁ。天災にしても事件にしても、何もないのがありがたいけれど、つい反応してしまう。深くは考えない。これで良かったのかは、死んでから(肉体を抜けてから)じっくり反芻することにする。

生きること自体に、必死になる必要がない、そういう世の中になった。少なくとも日本では。
いや、昔っから、親のすねかじりというか、何も考えずにノホホンと生きていける羨ましい奴らは少なからずいたけれども、昨今はそれが当たり前になった気がする。サラリーマン制度、雇用制度の目指した姿なのか。
結局、「自分は何のために生きているのかわからない」なんていう結構重い課題を抱えて、迷走する若い人たちも増えたんだろうか。「食うために必死」なら、そんなことを考える余裕はなかったはず。(ってか、今僕はその「必死」の側なんだけれども)

言わせてもらうならば、そうした状況(生きる意味を考える余裕がある状況)こそが「望ましい社会の姿」かもしれない、とも考えている。師匠の講演会の話題。なぜ「通貨」は発明されたのか。「お金」を敵対視する宗教が少なくない、例えば「お金があるから人が欲に迷う」から「お金は罪悪だ」的な(だから、教祖様にお金を全部差し出しなさい、的な・・・)そういう宗教もある中で、師匠は短く簡潔に「お金」の存在価値を説明された。
「価値」を保存し、物々交換のための多大な労力を排除し、価値の評価を客観的に行うことで、生きるための「オーバヘッド」(間接経費、間接作業)を一気に小さくした。
生きる(=肉体を持つ)ということは、何層にも階層化されている「意識体の世界」(=霊界)では出来ない経験をする、ということ。私の感覚では、肉体がなくても意識体として生きている方々が少なくないから、「生きる」という言葉の使い分けが難しいけれども、とりあえずこのページでは「生きる」とは「肉体を持っている」という文脈で書く。
肉体を持つことによって、自分と「波長の合う」人たちと、だけではなく、あらゆるレベルの人と相互干渉することが可能になる。この「レベルが違う」というのは、別に「優れている」とか「劣っている」とか、そういうことではなく、ただ単に、「意識体」として生まれた時期が違うから、経験値が違うというそれだけのことで、レベルが低い人が「劣っている人」だなどという気は毛頭ない。例えて言えば、コンピュータ・ゲーム(RPGなど)で、ゲームを始めた時期が早ければ「経験値1000」なんていう人もいるだろうし、始めたばかりでゲーム世界に入り込めば、最初は皆「経験値1」あたりから始めるんだろう。それだけのこと。

現実問題として、自分よりも意識レベルの高い方と知り合って、その方の本気を伺うと「きれいごと」とか「絵空事」としか思えないような話題を列挙されることもある。しかし、それらを「実現」するための具体的な視野を持って、着々と進めている場合すらある。ご本人はごく自然にそれを語っている場合も、少なくない。あ、この人はそういうレベルの方なんだ、と自分は考える。ところが、そうした「自分の思い」を本気で伝えても、「何言ってんだ、このアホ、そんなこと出来るわけないだろう」とか、「カッコつけてんじゃねぇ」とか、そんな程度の反応しか返ってこないことも、少なくないと思う。わかりやすく伝えたつもりの比喩表現の解釈ですら、全く通じない場合も少なくない。
この年齢になって思うけれども、それは、自分の本音を伝えて、それを自然に理解してもらえる相手と、意識レベルが違いすぎて、全く通じない相手と、両方ともいる、ということで、それが「意識レベルの違い」ということなんだろうか、と思っている。相手に合わせて表現を変えなければ、意思疎通が出来ない。さらには、本音を伝えてもそれが全く通じないレベルの相手もいる。それがこの世界だ、と感じている。RPGのように、あらゆる「レベル」の人が強調したり、争ったりしている。わかりやすいのは、トランプ。

ところが、肉体を抜ければ、自分と同じ意識レベルの相手としか接点を持たないから、低すぎる相手に振り回されることもない代わりに、高すぎる方々がどういう考え方をするか、どういう生き方をするかを知る手段すらない。その両方を知ることができるように、意識体を無理やり「肉体」という「共通の舞台」に押し込んで、「ヒト」を成長(上のレベルに進化)させるために、この世界が神によって創造された、と自分は理解している。「ヒト」は「猿」の延長じゃない。創造された経緯が違う。

つまり、肉体を持つ(生きる)なんてことは、そもそも、容易じゃないように仕組まれているんだ。生まれてから死ぬまで、何一つ不自由なく幸せいっぱいで、人生の軋轢なんて全く感じませんでした、なんて方は、大方肉体を抜けてから、「あ、あれが出来たのにやらなかった、これも見逃した」なんていうことを後悔して、数百年に一度のチャンスを「一回休み」にしたことに気付くんだろうと思う。セカオワの歌の歌詞にもあったかな。

通常の感覚で言えば、「生きる」ということは「肉体を維持する」ということにつながる。食う。食うために働く。その部分に必死になれば、そのプロセスで人と出会って、自分とは違う意識を持つ人との接点を持っても、そうした方々の意識を取り込む余裕なんてまるでない。僕が生まれて育った昭和の中期(「戦後」がようやく終わった頃)は、そうした時代だったかもしれない。逆に、だからこそ人との接点が重要になって「生きている」実感を感じる側面もあった、そうした逆説的な解釈も、無論成り立つ。
今は「肉体を維持する」ことへの労力が、かなり低減し、ただ単純に制度に乗っているだけで肉体は維持できるようになってきている。他人との接し方に神経を遣う必要すらない。その結果として「何のために生きているんだ」という部分を関心事として意識する人が増えているんだと感じる。むしろ「意思疎通困難な他人と接点を持つ」部分に専念できるように、文明は発達して来たんじゃないか、と、僕は考える。

「自殺したいけれども、その勇気がないから死刑になりたくて人を殺した」という人は、マジョリティではないと思う。ただ、そこに至らないまでも「何のために生きているのか、わからない」という人は、少ないとは言えなそうだ。でも「いい点に気づいたね」と言いたい。「その答えを見つけること」自体に、まずは意味があるし、その「何のため」を実行したなら、そのプロセスにも全て意味がある。と、私は思う。

ただ、「このこと」がわかっていないと、何のためにヒトは文明を発展させてきたのか、という答えは出ないかもしれないと思った。その「このこと」というのは・・・
「生きる」ということは「肉体を持つ」という部分に限られていない。肉体を抜けてもヒトは意識体として「生きて」いて、その意識には「継続性」があって、肉体を持つ前も、肉体に入っても、その肉体から抜けても、「私は私」であり続ける。そして、肉体を持つ間に、様々なレベルの意識体と出会って接点を持ち、意識体の相互作用でエネルギーが大きくなれば、ヒトとしてのレベルが上がる(経験値が大きくなって、スケールアップする=進化する)。
そうした「仕掛け」があることは、感じ取ることが無理でも、知って欲しいと思う。この前提の理解がなければ、僕のこのページは論理的に成り立たない。

こういう話題を書くから、「あ、変な宗教だ」とか言われそうで、腹立たしいけれども、個人的には、自然科学としてヒト全般に当てはまることを証明したい、と思ったこともあった。私にゃ、無理かも・・・。「変な宗教に染まっている」なんていう言われ方には、反発したい。ただ、「マッド・サイエンティスト」扱いならば、甘んじて受け入れます。僕は最初から、この話題は「自然科学」だと思って書いている。

最後に要点をまとめたい。(論点が、どうズレているか、自覚がない。)
人類が「文明を発展させた」理由は、「生きる=肉体を維持する」という部分の間接コストを下げて、「生きて、少しでも多くの意識レベルが異なる人と接点を持つ」ことが出来るように、すること、じゃないかと思う。

死刑制度

「死刑制度 維持する必要ある」上川法相

死刑になりたいと望んで引き起された犯罪事件の一覧

死刑になるのが嫌だから人を殺さない、なんていう理性が働くような人は、そもそも、自分が生き続けることへの執着を持っている気がする。結果的に、そういう人は、相手も「生きたい」という思いがあるであろうことを前提に考える、と思う。その上での犯罪ならば、原動力は憎悪だろうか。

厄介なのは、自分が生き続けることへの執着がない、投げやりな人で、今増えていないか?時代が大きく動いている。簡単に生き続けられる世の中に変わって来たからこそ、犯罪の性質も変わる。当然、抑止するための視点も変わらなければならないはずだと思う。この人たちには、死刑は抑止力にならない。

犯罪の抑止力という文脈ならば、死刑よりも無期懲役で、「何十年でも自由を奪われたままで働け、自分のしたことの意味を何十年でも考え続けろ」と、その方が抑止効果があるんじゃないか、と個人的には思う。

歴史認識

日本は散々、中国やら韓国やらからこれを言われている。確かに、悪いことも随分やっては来たと理解するが、言いがかりも少なくない気はする。
ただ、中国に関しては、欧米などにも記録が残っている「史実」について客観的な判断を下してもらいつつあるようで、いや、「史実」を無視して感情論だけで押し切ろうとしても、不利になるだけなのは、中国人には理解できるんだろうと思うけれども、自分たちが「史実」を無視している(というよりも、学校でもあえて教えないことにして、虚偽の歴史を教えている)ことに、一般の人が気づいていない近くの国もあって、そちらはまだ、根深そうだ。ただ、感情論だけで押し切るつもりなら、国際的には、日本にとってそれほど気にする必要はないような気はする。信用を落とすのは本人たちだから。

で、決壊したラオスのダムはどこの企業が作ったって?日本じゃ、自然堤防は決壊しても、ダムの決壊はあんまり聞かんなぁ・・・で、ビルの耐震性はどうなんだろうか。「まさかあの国で大地震が」の、まさかは、今はもうどこで起きてもおかしくない。

イランとアメリカが、また不穏だ。というよりも、個人的な意見として、欧米人はもっと「歴史認識」すべきだという気がする。植民地支配は、日本が散々言われていることだけれども、植民地でなくても「契約」を著しく自分たちに有利にして、挙げ句の果てに国営化されちゃった「歴史」は、どこに行っちゃったんだろうか。

加えて、古い話だがパーレビ国王の支持。極めて個人的に、いわゆる「世俗化」の部分は、たぶん僕の考えはホメイニ師とは噛み合わず、神が与えてくれた「自由」を宗教が制約してはならないと、僕は個人的には理解しているけれども、幸いなことに生きている国が違うし、接点もないからただ単にそう思うだけ。ただ、パーレビ国王ご自身の放蕩や自国民への強権やらが、民衆の反発を招いていたのに、アメリカはそれを斟酌しなかったという部分は、大問題だろうという気がする。パーレビ国王の国民への接し方は、なんだか北朝鮮を彷彿させる。夕食をフランスから空輸させた、なんていう話もどこかで読んだ。そういう国王だったらしい。
そういう国王をアメリカが支持していたのだから、イラン国民の目で見たなら、おそらくアメリカが国王のイラン国民への残虐行為を容認し、ただ国王だけが贅沢することをアメリカが認めて、そして傀儡にしていた。その部分をおそらくは、アメリカでは教科書でも教えていない。当然、トランプはそんな「歴史」そのものを知らないだろうし、仮にアメリカの教科書でそれを教えていたとしても、それでもトランプにはそんな「歴史」の意味を理解できない気がする。
だから、いわゆる「共和党」の決まり文句で、「イランは悪い国だ」なんていう、アメリカ大使館事件以来のフレーズを蒸し返して、いい加減に終わりにすりゃあいい「対イラン経済制裁」の蒸し返しに躍起になっている。

世界的な貿易摩擦の元凶が誰かは、もはや全世界の懸念するところとなり、政治的にはあらゆる場面で、なんというか、「大国の論理」を平然と押し通すことが問題となっている。トランプ後の世界を元に戻すのに、一体何年かかるか、という状況じゃないだろうか。

温室効果ガスの問題については、もう随分前から指摘されていた。データも、かなりはっきりとしたものが揃っている。それなのに、「あんなのは嘘だ」みたいなトランプ・・・。日本では「つける薬がない」という表現で括る。アメリカと中国が動かないなら、日本でも42〜43度、中国でも内陸の大都市で50度越え、アメリカでは中西部で60度越え、なんてことは、想像するに難くない。米中はギネス記録更新に命をかけてるのか。ギネス更新の競争、有利なのは中国か。これまで温度計がなかったところに、設置すりゃいいだけの話。

そして、これら全てがいずれは「歴史」になる。きっと50年後には「民主主義の落とし穴」あるいは衆愚の好例として、世界中の教科書でトランプが取り上げられることは、想像するに難くない。

朝採り野菜

百均と郵便局に用事があった。
今朝、麦茶を凍らせようとしたら、冷凍のまま放置してあった梅を見つけてしまい、ついでにラッキョウ酢を買いに、外出。

なんとなく過ごしやすいな、と思ったけれども35度。昨日まで39度とか、駐車場だと42度とか、もう無茶苦茶だったから、ちょっと風が吹くと35度の熱風のはずなのに、なんとなく涼しい感じすらした。なんだか感覚が狂ってる。でも不快じゃないから、感覚も狂ってくれた方がありがたい。

事務所の冷房は30度で、(前にも書いたけど)人間ナメクジ状態だから、本人はちょっと風があるだけで涼しいんだけれども、周囲の人から見たらきっと、一番近寄って欲しくないアブラギッシュなジジイなんだろうな。ギトギトヌメヌメ。でも、事務所籠りの時には、周囲には誰もいませんから。

百均で、そうめんを見つけてしまい、梅干しと合わせて216円の衝動買い。しまった、この領収書、会社の経費に使えない。108円分くらいいいか、というズボラな私。事務所に乾燥食材のストック(炭水化物だと、パスタにそばに、ラーメンとか)が結構あって、なんだか2週間くらい「篭城」できそうなくらいになってる。生鮮野菜以外は肉や魚の缶詰もあるし、乾燥海産物、乾燥農産物などはかなりの量。水と火さえ使えれば十分サバイバルできるな、なんて思う。青年海外協力隊OBですからね。川の水でも雨水でも、普通にお茶に使ってたから、私なら平気。(帰国後の身体検査で寄生虫が出たけど。)

郵便局から、何となく農協の直売所に寄りたくなって、足を伸ばした。農協でキュウリとナスを衝動買い。キュウリ6本とソフトボール大のナスが2個で、それぞれ100円(本体93円)。それと、ハンドボール大の小玉スイカも250円で衝動買い。
合計450円の衝動買い。ナスとキュウリは、朝採り野菜みたい。
このまま値上がりしなければありがたいんだけれども、雨が降らないからなぁ・・・

事務所に戻って、ナスとキュウリをざく切りにしてフリーザパックに入れ、浅漬けの素(粉末)をかけて、揉んで、冷蔵庫へ。

それから衝動買いしたソーメンを、衝動的に茹で始めた。最近、和風出汁(粉末)とか醤油の使い方を覚えてきた。インスタントに、結構それっぽい味になってる。ついでに梅干し3個を衝動喰い。ソーメンを茹でている間に、冷凍の梅のフリーザーパックにラッキョウ酢を流し込んだ。ラッキョウ酢に漬けた梅は4パック目。3パック分は収穫してすぐに酢につけた。そのうちの一つを試飲。梅とお酢だけなのに、かなり甘い。梅がみんな完熟だったから、砂糖を全く使っていない、お酢を加えただけの梅なのに、甘い。カルピス位の比率で割ると、すごく飲みやすい。今年は収穫が普段より2週間くらい早かったけれども、ほぼ全ての梅が完熟状態だったので(まだ早いと思ってグズグズしていたら、梅がみんな赤くなってしまって)どれもこれも、甘い梅ばかり。この夏は、このお酢だけで乗り切れそう。

ソーメンが茹であがり、食べ終えた頃に、キュウリはもう食べ頃になってた。超浅漬けのキュウリを衝動喰い。
ナスは、粉末の和からしも加えた。まだ早いかな、と思いつつ一切れつまみ食いしたら、小ナスの辛子和えみたいな感じで、いい感じになってる。キュウリは2cmくらい、ナスは5mm厚のザク切り。
今、フリーザーパックからドンブリに移し替え、パソコンの隣に居座っている。

かなりの量の「浅漬け」が出来てしまった。「衝動買い」を後悔。
キュウリはいい感じで、6本くらいすぐいけそうなんだけども、ナスがなぁ・・・。最初のふた切れは美味しかったけど、すぐに飽きた。飽きない味に漬けるってのは、案外工夫が居るかも。その点、キュウリはこの季節、どうやっても美味しく大量に食える。ナスは、どうしようか・・・

そして、あれを加えて、これを加えて、ってゴチャゴチャやっていくうちに、すごい味になっちゃうんだよなぁ。
でも、自分で色々試してみると、結構「思い知る」ことが多い気がする。

jQueryにしても、node.js、Ajaxにしても、今一つ「理解」が浅い。エラーを吐かれた時に、内部で何が起きているのか読み切れない。今日は、煮詰まるばかり。ですけどね、いずれにせよエラーを出されるから調べて知識が増えていく訳で、やはり実戦投入は正解だったかな。

あ、そうだ。このナスにちょっとマヨネーズをかけてみようか。なんとなく想像はつくけど、やってみなけりゃわからん。

社会実験

朝のNHKニュース。小学生、中学生が次々と熱中症になったとのこと。
「命に関わるような危険な暑さ」という状況は、確かに理解できる。けれども、決定的な問題点が一つあると思う。

今の若い人たちの大半の「汗腺」の数が大人に比べて数分の一、ほとんど「汗腺」が発達していないまま大人になっているらしい。子供の頃からエアコンの効いた環境の中でしか生活していないから、汗がかけない体に育っている人が大半だと理解している。

昨日のラジオ番組。親たちが「子供がエアコンのない学校で、悲鳴をあげている。税金を払っているんだから学校にエアコンを設置しろ」という投稿をしていたようで、気持ちはわからんでもないけれども、絶望的な気分になった。今の若い人たち、特に子供たち、サバイバルできない子供が増えるだろうな、と思った。
悪いんだけれども、大人になれずに死んじゃう子供が増える、そんな気がする。環境適応能力を子供から奪っている、と思う。「お前は子供がいないから、親の気持ちがわからないんだ。」ああ、そうですよ。その通りです。だから、黙ってこの壮大な「社会実験」をただ見ていようと思う。
でもね、会社が若手の社員に「顧客回り」を命じたら、暑さの中で倒れちゃいました、なんてのが日常茶飯になりそうな気がする。

それは、免疫についても感じる。神経質なくらいに「キレイキレイ」にこだわる親。日常生活の中で自然に身につくはずの免疫力を子供から奪う。ほんのちょっとした食中毒で亡くなったり、そういう事例が増えるような気がする。僕の教え子にもいた。「原因不明」の感染症疾患。なんだか、あっという間に亡くなったらしい。まだ若かったのに。
あるいは逆に、免疫力が攻撃するべき雑菌が周囲にないのに、「免疫力のつく食材」なんかを与え続けた挙句、免疫系が激しく自分の体を責めたり、あるいは花粉症のような免疫系の暴走を簡単に誘発し、そのうち、「この子には、小麦粉アレルギーとお米アレルギー、とうもろこしアレルギーがあります」なんていう、食べられるものがないような人も増えたりするんじゃなかろうか。体が敵味方の区別をつけられず、ガンのような内部の異常細胞は味方と勘違いして攻めなかったり、その結果小児がんや若年性のガンが増えたり。さあ、どうなっちゃうんだろうか。口出しできる問題じゃないけど。

無論、暑さにしても雑菌にしても、暑くても我慢しろとか、汚い方がいいなんていうつもりはない。「適度」ってものがあると思うけれども、その「適度」を奪う、潔癖症な親が増えて、環境虚弱な子供が増えるんだろうな、とは感じる。はい、発言する資格のない私は、こうやってボヤくだけで、あとは黙って見てます。

Colonia Dignidad

「コロニア」という邦題の映画のDVDを借りた。見終わった。

昔だったら、濫読したいところだけれど、最近、目が疲れちゃって・・・(仕事で、プログラムを読むのが精一杯)あんまし活字は読みたくない。
美しい日本語を書きたいから、もっと活字を読みたい。若い子たちがとても読めなそうな難しい単語を並べて、自己陶酔したい気分はあるんだけれども・・・って、全然、そういう書き方してないじゃんか。
虚勢をはるのは、やめよう。
いや、でもね、高校時代(あの高校で)学年一位の偏差値70越えを記録した唯一の科目が、理系の僕なのに、あろうことか国語だった、という不思議な思い出があって・・・。やめよう、ウザい。でも、日本語は綺麗に書きたいんだけどなぁ。

なんなんでしょ。師匠の影響を受けて、というか、やっぱり自分の趣味か、最近映画にハマってる。それも、昔の濫読よろしく、ジャンルはなんでもありで片っ端から、目に留まったものをレンタルして、見ている。結構楽しい。

楽しいんだけれども、重かったのが、この「コロニア」という映画で・・・「宗教」の名を借りた「支配欲」の発露。こういう世界を作っちゃう人たちがいるから、「神」という単語を使うことにものすごく抵抗が出てくる。いやだなぁ・・・。僕が自分で納得している、師匠の講演会から感じている「世界観」は、全ての人間が「あらゆることを、自分の意思で行う自由」を与えられている、ということだろうか。

極論する。「あらゆることを行う自由」に、「人を殺す自由」は含まれているのか、という質問があったなら、僕はこう答える。「そんなもん、良いはずがない。だけれども、殺してしまう人は確かにいるでしょ?ついでに言えば、自分自身を殺してしまう人だって、いるでしょ?それが、良くないことだと、自分自身で理解して納得して、そうした行為をいつかは行わなくなることを、神は信じているから、黙って見守っている、と私は理解している。気付け!と。その本人が気付くための機会を与えるように、本人が気づけるように、一つでも上の世界を見ることができるように、周囲は助けてあげなきゃ。そして、殺したその本人には、自分の解釈した【自由】なるものが、必ずしも神の望んでいる自由ではないことを、自分で気付くための【自由】が与えられている、と僕は思う。」と、そんな感じなのかな。説明しがたいけれども、これが僕にできる精一杯の表現。

何に触発されてこのページを書いたか。疑問を持たれた方は、是非「コロニア」という邦題のこの映画をご覧ください。そして、師匠の講演会から僕ら会員が聞いたり学んだりしている内容が、果たして危険な思想なのか、反社会的なのか、疑問を持たれる方がいらっしゃるなら、僕はこの「コロニア」の世界を全否定しているし、師匠もこんな世界は考えていらっしゃらない、もしこの「コロニア」のような世界を考えているなら、僕がこうして好き勝手をWEBに書くなんていうことが容認されているはずがない、この「コロニア」の世界を全否定したい私の主張で判断をして欲しい、と思う。全ての人には「自分で、自分の行動を決める自由がある」と私は思う。(国によっては、制限しているみたいだけれども、)少なくとも神は、その「自由」を与え、じっと「結果」を待っていらっしゃる、と私は理解する。その「自由を与えた」ことが、「パンドラの箱」の比喩の、真の意味だと、私は理解する。

「支配欲」の醜さに、気付かない人が多い気がする。他人を自分の思い通りにしたい欲。その真骨頂のお二方が、昨日だか、一昨日だか、会談していたなぁ。いや、「支配欲」があっても、結果的に正しい判断をしているなら、まだ容認できるけれども・・・

ところで、全く下世話な話ながら、この「コロニア」を主演した女優さん、僕が以前知り合ったある人にとても似ていて、すごく懐かしくなった。ついでに言えば、主演した男優さんの雰囲気も、その人のご主人に似ていた気もして、ただただ、懐かしかった。こういう映画の見方も、あるんかなぁ・・・また、Home Brewのビールをご馳走になりたい気分に、ちょっとだけ浸っていた。

土砂災害危険地域

昼飯食った後、テレビを見ていてふと思った。

昔、日曜日に講演会に行ったりしていなかった頃、「噂の東京マガジン」だったかな、番組で取り上げていた「問題」に、この「土砂災害危険地域指定」の話題があった。と思う。たぶん。

どういう問題かと言えば、行政が「危険地域」に指定すると、土地や住宅の価格が下がってしまい、造成している業者などが損をする。だから、業者が行政に働きかけて「危険地域」の指定をやめさせたり、あるいは、売り抜けるまで待ってもらったり、そういう問題だったと思う。たぶん。
時代を考えたなら、場合によっては×力団の力を借りたりとか、そういうこともあったんだろうか。

今、どんな感じなんだろうか。行政は透明に、本来「危険地域」に指定するべき場所を、きちんと指定しているんだろうか。あるいは、意図的にランクを下げたりとかしていないんだろうか。

知らずに買わされた人たちも、いるんだろうか。あるいは、昔は「危険地域」なんて気にする人は少なくて、「あ、安い土地だ、ラッキー」みたいな感じだったんだろうか。もし行政が意図的に「危険地域」指定を遅らせたりして、結果的にそこに住むことになってしまった人がいたとしたら、行政は責任を取る必要はないんだろうか。

日本では「居住の自由」も憲法で保証されていて、どこに住もうが(ルール内で)勝手、ということはあろうけれども、何らかの詐欺的な行為で危険地域に住むことになった人たち、あるいは、科学的なアプローチによって昔から住んでいる土地であっても「危険性が大きい」ような土地から「危険性の低い土地」に移転することを、住民が希望したような場合に、何らかの支援とかはないのだろうか。

多くの人命が奪われてから「やっぱりあの土地は」なんていう、いわゆる「後知恵」は、後出しジャンケンみたいだし、便乗した議論みたいで、書いていて心苦しいけれども、特にもし「騙され」たりした人とかの場合、経緯によっては行政が何か、できることをすべきじゃないか、という気がした。

よく地形の話題などでは、「川が長い年月をかけて、この地形を」なんていうフレーズをよく聞いた気がするけれども、一気に1mとか(それ以上?)堆積するなんて、「長い年月」じゃないのかも知れない、という気がした。やっぱり、いつどこで起きても不思議じゃないんだろうか。

(暑い。それにお腹いっぱいで、頭がぼーっとして眠くなった。)以上