父の日、後遺症

コーディングと執筆の単調作業。メリハリがつかない。気分転換に書いてます。

数日来(月曜日に、関西の大地震があってラジオの内容がシフトしたけれど、)父の日のニュースを聞き流していた。

僕はもう、父親になることはないだろうな。それはともかく。世間では、父の日をスルーされた父親も多かったみたいで・・・。何というか、ラジオはね、傷口を舐め合うみたいなところもあるから。

僕の耳にこびり付いている親父の口癖は、「まったく、オメェはダメなんだから。」だろうか。
どういう場面で言われるか。例えば、国語のテストで、送り仮名を間違える。例えば、「行う」なんていうのを「行なう」と書いてしまって、一つ間違えて、国語の点数が95点だったりすると、ニコニコしながら「まったく、オメェはダメなんだから。」というこのセリフが飛んでくる。
算数で、計算ミスが何箇所かあったりしても同様。
100回、1000回聞いたかもしれないこの口癖。じゃぁって、ミスしなくても「そうか」の一言だし。

今にして思うと、呪縛になって、親父が死んだ今でも時々聞こえてくる。そうすると、悪い意味で力が抜ける。決まって、「あぁ、俺はダメなんだ。」みたいになってくる。言葉による呪縛の恐ろしさ。

世間のお父さん方、こういう口癖は、やめましょうね。子供の一生を、きっと台なしにする。

今年に入ってのある日、ひょんなことから、親父が懇意にしていたOさんの息子さんと出会った。「親父がお世話になりました」と言ったら、そのOさんの息子さんも親父のことを覚えていた。「きっと、親父が喜ぶと思うので、遊びに来てください」と言われたので、昨日、自治会の用足しで町に出た後、その足でそのOさんの事務所に顔出しして来た。
あ、Oさんだ、と僕も覚えていた。Oさんも「ずいぶん、雰囲気が変わったな」と・・・。だって、親父に連れられてOさんの事務所に遊びに行ったのは、小学生の頃。10才前後の僕と、50代後半の今を比べて、変わるのは当然。だけれども、僕の中でのOさんは、重なった。お元気そうで何よりだった。それよりも、何よりも、親父が懇意にしていた理由がよくわかった。親父のことを、僕自身も次から次へと思い出した。僕の爺ちゃんのことも覚えていて、僕自身の家族の昔の話で、僕もあれこれと山ほど思い出した。だけれども、その一方で、昔話だけではないのが、やはりOさんのすごいところ、なのかなと思った。

親父が息を引き取る数日前、僕が親父に語りかけた最後の言葉は、「お父さん、僕はあなたの息子だったことを誇りに思うよ。」だった。親父、泣かせてごめん。尊敬はしていた。それは間違いない。

だけどなぁ・・・「まったくオメェはダメなんだから」の口癖だけは、やめて欲しかったと思う。
いまだに、時々、悪い意味で体の力が抜ける。特に、親父がまだ生きていた40代の前半までは、何をやっても「詰め切れない」ところが、自分にはあった。決まって、肝心なところで力が出なくなる。集中力が壊れる。

今は、親父の代わりが、ね。「そんなことはない」「何で、そんなこと言うの」「絶対無理」などなどで、取り付く島がない。もっと早くわかってりゃなぁ・・・
かなり「言葉」だけで左右される。なかなか、ドッシリとは構えられない。軽い輩だなぁ・・・

結局、何とか気分を切り替えるのに、最後に頼るのはタバコかなぁ・・・とにかく一服してリセットする。
長生きしたいとは思わない。自分のやるべきこと、出来ることをやり切れたと納得できるなら、もうそれで十分。積極的に死のうとは思わないけれども、生きるだけのために生きたいとは思わない。
でもタバコは、ねぇ・・・確かにこれだけ肺を痛めていたら、いいはずがないのは、わかっちゃいるけれども、そろそろね、仮に「あぁ、俺はダメなんだ」が大前提でも、それなりに踏ん張る他の方法を見つけないと・・・本当にいい歳をして・・・情けねぇ。まったく俺はダメだ、って、違うってば!(という、自分の中での掛け合い漫才)。
とにかく、一息入れてっから、落ち着いて考え直そう(振り出しに戻る)。

埼玉県の秩父方面に、とてつもない方がいらっしゃる。僕が「師匠」と呼んでいる方。
その方が講演で話される内容は、直接薫陶を受けている僕らが実践し、守って行かなければいけないんだろうと思う。もしかしたら、数十年単位、数百年単位で、少しずつ、ジワジワと広がって、読まれて、今後千年単位で残るかも知れない言葉の数々。
その師匠の存在を、一人でも多くの方に知っていただきたい。これはこれとして、すごい「目的」にはなり得る。

それとは別に、以前「心臓発作の予知・監視・通報システム」なんていうのを、人生のメインテーマに掲げたりもしていた。埼玉県のドクターヘリのお世話になりながら、そう言えば、あれ、どうなったっけか、なんてことも思い出したりしていた。

さてと、また、延々と続くコーディング、執筆の「単純作業」に戻ります。

クロロキン

抗生物質は、使い方が難しい。

パプアニューギニアにいた頃、マラリアの予防薬兼治療薬として、クロロキンを常備していた。予防薬として使うときは、毎週1回1錠欠かさず飲んで、一定の血中濃度を維持する、ということになるんだろうか。治療薬として使うときは、(記憶がもう、薄れている)初回2錠だか4錠だか飲んで、6時間後にさらに2錠とか、そんな感じで、最初の二日間に合計10錠とか結構な量を飲むべし、と言われていた。結局、僕はマラリアは発病はしなかった。ハマダラ蚊には結構刺されていたと思うけれども、村に入ったりすることがわかっている時には、事前に「予防用の服用」をした。ふだんタウンにいる時は、部屋の中で蚊取り線香を焚き、寝床には蚊帳を吊って、防蚊対策を完璧にしてクロロキンは服用していなかった。

ただ、僕みたいなクロロキンの使い方には、批判があることは知っている。中途半端にクロロキンを使うと、クロロキン耐性のマラリア原虫を鍛えるだけだと、そういうことだろう。とりあえず、僕は薬より自分の体力とか免疫力を信じたかっただけなんだけれども、使う以上は、完璧に使わないと、「集団的な免疫学」的には良くない。それはわかっていた。自分だけよけりゃ、それでいい、ってなことにはならない。予防接種を受けている人が多ければ、パンデミックは避けられる。そういう理論だと、自分は理解する。

肺炎的な症状が出たから、1回医者にはかかって、地元の内科の先生に肺のレントゲンを見てもらい、それから耳鼻咽喉科で、声帯とか喉を見てもらった。後は自己判断でビクシリンのジェネリックなのか、カンピシリンをネットで海外から取り寄せて、自己判断で、クロロキンみたいな使い方をして、とりあえず、一週間で肺炎の症状は押さえ込んだ。お医者さん曰く、タバコが原因で、肺ガンの一歩手前、みたいなレントゲンの診断。僕に思い当たったのは、部屋の中のカビ臭や防虫剤などの薬品臭。お袋がその部屋で肺ガンになったから、カビだと思った。あとは、ニューギニア的な自己投薬、自己治療。
咳は全く出なくなった。声帯は完璧、声は完全に出るが、まだ若干鼻声。肺(胸部全体)の痛みも完全になくなった。今週は、合計で2kmくらい泳いだけれども、息は全く上がらない。呼吸器、循環器は、ほぼ正常。これで明日、10km程度、ゆっくり時間をかけて走りきれれば、循環器はたぶん問題ないと思う。

ところが、微熱が下がらない。僕の平熱は36.2度。なのに「体温を測ったほうが良いかな」という感じがした時に計ると、36.8度とか37.2度ある。食事をしたりすると、一気に発汗して発熱して(風邪の時に、汗をかくと熱が下がる、っていうあのパターンで)ものの40分もしないうちに、大量の汗をかいて、体温が平熱に戻る。それが、仕事をしたり、あまり体を動かさないでいると、じわじわと熱っぽくなって、微熱が出て、「食べる」とか「体を動かす」とか、なんらかのトリガーがかかると、発汗し、一気に体温が一旦上がって、また平熱に戻り「あ、体は正常だ」みたいな状態に戻る。この繰り返し。

ずっとダイエットというか、摂取カロリーの総量を抑えていたためか、3月頃から5月頃にかけて、仕事の忙しさでほとんど全身運動もせず、タバコの本数も増えて、部屋はカビ臭く、一気に肺の状態が悪くなった。それに気づいて、寝場所を変えて、とにかく食って、薬を飲んで、考え抜いてコンディションを整えて、医者にも診てもらって、今ようやっと、マスクなし、(抗生物質以外の)薬なしで、日常生活していても、疲れない、困らない、普通でいられる状態に戻して、気づいてみたら4kg増量していた。
気合いを入れて食わないと、「汗をかいて、熱が出て、体調が元に戻る」にならない。減量と、仕事と、体調のバランスを、どうとるか、悩ましい。いや、デブに戻るのはどうでも良いとして、あと、「微熱」だけがどうにも解決していないのが、気にくわない。

ニューギニアにいた頃も、2回ほど、「3ヶ月程度続いた微熱」に悩まされた。原因はわからない。何かの感染症か、と思う。微熱以外の症状はなかった。「ちょっと、熱っぽい」以外には何もおかしいところはない。その時に頼ったのも、ビクシリン。あの頃は、(手持ちが少なかったから)一日1カプセルを数週間飲み続ける感じ、だったかなぁ(いや、数日に1錠、だったかもしれない)。それで、いつの間にか、微熱など出なくなった。

悩ましいのは、今回の「カンピシリン」の「やめ時」だ。何か「常在菌」の類が、まだ体の中で異常増殖している、のは間違いない気がする。できることなら、薬には頼りたくない。僕自身の免疫力だけで立ち向かいたい。けれども、中途半端にやめてしまうと、耐性をつけるだけで、かえって(年を食っちゃった)僕の体力だけでは解決できない事態になるかも知れない。

通常の方法では、対処できない事態に陥った。そこで、強硬手段に打って出て、抗生物質を使った。だとしたら、そこから先は、完璧に「原因菌」を潰し切るまでは、その手段を継続する、というのがたぶん正解なんだろうと思う。

なんだかね、薬なんかに頼るっていうのは、情けない気もするけれども、この「微熱」が続く間は、カンピシリンを使い続けるかな。用法用量は、お医者さんに・・・、すみません、相談しません。僕は自分の体の感覚と、なけなしの自分の知識に頼って、自己判断でやります。「死」んだらその時はね、「あぁ、また体を、潰しちゃった」と、それなりに、次への経験値として活用しようかと、思っています。

救急搬送される、なんていう情けないことをやっちゃった。大元は、こちらの「肺の感染症」だったかな、と思う。

大山鳴動、ネズミ二匹。二匹のネズミは、頭の黄色いネズミと、頭の黒いネズミ。

なんのこっちゃってか、微熱にうなされて、悪夢でも見とるんかいな、って?以下、悪夢にうなされての、話題。と、読んでください。

頭の黄色いネズミが、サラミを見かけて、躍り上がった。これで選挙に勝つ素材が見つかる。浅はかだなぁ・・・頭の黒いネズミは、「見せサラミ」をちらつかせれば、チーズの塊にありつける事を、知ってる。結局は、その構図だったなと思う。

ここから先、比喩はやめる。とても失礼になる気がしたので・・・

拉致問題。頭の黒いネズミが、どういう対処をするか、が、「大山鳴動」の試金石か、と思っていたら、案の定、「スカ」だったと思う。要するに、「抗生物質の集中砲火」が効いたんだと思う。「これ以上、経済封鎖を続けられたら、もはや存続できない」と自覚したから、いきなり「方針転換」を顕示し始めた。「本心」なのか「デモンストレーション」なのかの見極めが難しかった。
もし「本心」なのなら、「どんな不利な過去があっても、曝け出して、提示し、議論した上で最善の策を講じる」という流れに身を委ねただろうと思う。「本心」はそうではなかったから、「拉致問題」を「解決ずみ」だと改めて主張した。

なぜか。

前回の小泉首相の交渉の際に、帰国できなかった日本人は、相当に「恣意的」な選別があったにせよ、「北朝鮮の政権の内情」を知っているから、などが理由になって帰国から除外された可能性が高い、と私は考える。その後、頭の黒いネズミの代になってから、「追加」があった。

あの頭の黒いネズミが、「拉致した日本人」をオモチャのように扱った、という事実があった。あの頭の黄色いネズミの国ですら、ハリウッドで「絶大な権力を持った人物」が行った悪事が「ことごとく表に出て」大騒ぎになったりしている。こんな事実を表に出すことはできない、と、当然当事者は考える。その結果として、隠せるものは隠す、という心理が働くのは不可避だと思う。あの、頭の黒いネズミは、「人としての恥」という概念を知っている。だからこそ、それを表に出した時の自分を受け入れられない。その結果として、「拉致問題」は、おそらく、あの頭の黒いネズミが生きている間には、解決しない、そんな気がした。

およそ、「権力」を欲するものは、自分に対する相対的な弱者を虐げて、それによって快感を得る。その典型が二匹のネズミで、「不都合な情報」は「もみ消す」以外の対処方法を理解し得ない。拉致日本人で、まだ帰国できない全員がそんな目にあった訳じゃない。おそらくは、ほんの数人が、あの頭の黒いネズミの「俺は、日本人など何とも思わない」的なデモンストレーションのターゲットとなって、その記録が消せない(関係者の口封じができない)状況にあるがために、「拉致問題は解決ずみ」という立場を変えることが出来ないのだと、私は知覚する。(間違っているかも知れないけれども。)
加えて、あの頭の黒いネズミには、その事実を日本側に伝える勇気もなければ、日本から「スルー」されて「自分の領国の復活」を成し遂げられるシナリオを描けるとも思っていない。仕方なしに、もはや、「拉致問題は解決ずみ」と、可能な限り「公式な主張」を避けて繰り返すしか、方策がない。

この上、日本が「拉致問題」を解決するために、どんな方策があるか、と考えるならば、ネズミの駆除しか、ないんじゃないかな、と私は思う。まだ、時間がかかる。心苦しいけれども、拉致被害者のご家族の皆様が、ご存命の間に、ネズミは駆除できない気がする。

きっかけは、え?そんな程度のこと?なんだと思う。
あの、誰だっけ、あの事務次官が、「おっぱい触らせて」とか話したのが、記録に残った。日本だから、あの記録は消しきれなかった。某国だったら、「おっぱい触らせて」と言われた人間が、翌日には死刑になっていただろうなと思う。そういう状況での話題だと、私は思う。その発端は、と言えば、「権力を持った人間」の、「そんな程度のこと」の「おっぱい触らせて」的な、(頭の黒いネズミの場合には、もっと違う流れのように感じるが、)結果的には「そんな程度のこと」なのだろうと、私は感じる。そうした全ての事実を隠蔽したいがために、拉致日本人問題は、「全て解決ずみ」という姿勢を、一切崩すことはない、という気がする。
哀しすぎる、と思うけれども。

横田めぐみさんのお父さんと、お母さん、もしかしたらだけれども、1990年代後半、僕がなにがしかの「能力者」みたいな扱いで、盗聴とか盗撮で、私生活を根こそぎ表に出されて、メンタル的に潰れて、自宅に戻っていた頃に、一度、この埼玉県小川町の我が家の前に、お見えになったことがありませんか、という気がした。ニューギニアから帰ったあとだったような気もする。たぶん、「藁にもすがる」思いで、僕のごとき「藁」にすがるために、はるばると、わざわざ、私の家までお越しになったことはありませんか、と、僕の微かな記憶が言ってます。ちょうど、僕が「用足し」で家から車を出そうとしていて、ちょうど車の進路にご夫婦で立たれていて、車を避けるように移動されたところを、僕はそのまま、「通りかかった人が、車を避けてくれたから」という感じでスルーして、出て行った。たったそれだけの、ほんの数秒の接点だったけれども、その時にお見かけしたご夫婦のお顔が、テレビで頻繁にお見かけする横田さんご夫婦のお顔のような気が、ずっとしていました。それ以前に、そのすれ違った瞬間に、何か、猛烈に訴えかけるような「意識」を感じたのは確かで、その時にも、「あれ、僕は、この方達と、何か話をしなきゃいけなかったのかな」という気はしていて、「まぁいいや」でスルーしていた、それは、その時以来、ずっと気にはなっていました。

残るシナリオは、なんなんだろうか、と思う。

「責めはしない」それだけは確かなものとして、安倍総理の発言ではないけれども、洗いざらい、全てを日本に晒して、今生きている日本人は、一人残らず返して欲しい、それだけは、私も思う。
日本は、あのハリウッドの国とは違う。損害賠償だとか、名誉毀損の訴訟だとか、あの「訴訟大国」とは体質が違う。日本人を返してくれさえしてくれたなら、一切、過去の経過を責めることはないと思う。ただ、心を開かないならば、一切の関わりを持たない国であり続けることも、確かかな、とも思う。

安倍総理が、「拉致問題」について外交で、諸外国の「協力」を求めている。それに対して、あの頭の黒いネズミの国のコメントは、「安倍が妄動して」みたいなことを流しているけれども、要するに「効果がある」ということでしょうね。お気付きの通り。今度も続けるしかない。淡々と、全世界の「理解」を求め続けるしかない。それが正解だと思う。

あの「総論賛成」の政治劇。各論が何も決まっていない。

マラリアの原虫だって、あいつらバカじゃないから、クロロキンを大量に投与されると、「もう、攻撃はしません」的に症状を出さずに「なりをひそめる」ことはある。そこで、クロロキン投与をやめると、一気に元に戻って、というよりも、第1波よりも悪質に、凶悪に、高熱やら全身痛やら、もう、とんでもないことになる。

って、なんの話でしたっけか?

抗生物質とかは、やめどきが難しい。

微熱が出なくなるまでは、(今の僕の年齢では)飲み続けるしか、なさそうだ。

無断転載

とある「新聞」に掲載されていた、ジンバブエのジュニョル・カンディミレさんの詩を無断転載する。「世界女性の日」に発信されたメッセージにあった詩らしい。3月22日の日付。体調不良というか、気力が萎えていて、積みっぱなしになっていた。今日この詩に出会ったことに感謝。

朝っぱらから、こんな詩を読んで、ちょっとスイッチが入った。

「俺の目の黒いうちは」とか「絶対無理」とか、自分の使っている言葉の意味を知らないとしか思えない人たちがいる。そういう人たちの使う言葉も、こちらには言葉の意味がそのまま突き刺さるから、相手が意図していなくても、こちらはかなり傷付いたりする。
なかなか、慣れないなぁ・・・というよりも、全然慣れない。

「コンチクショウ」と思ったことがあった。そのスイッチが入った。僕は別に、ジリ貧になるために自営業になった訳じゃない。と思ったら、一ヶ月半続いた微熱が止まったよ。あら不思議。肺炎?たぶん、あと三日で完治する。気力の問題。

「社会を恨んでいた」とか言って、無差別殺人をしたガキがいた。勇気ある犠牲者の方に、哀悼の意を捧げます。そのガキに言いたい。恨む前にもっと社会を知ったらどうだ。
朝っぱらから、泣きそうになったよ。

以下、全文無断転載


I Am That Girl

I am that girl.
That girl who ought to be silenced,
That girl they warn their sons not to marry,
That girl who chose education over marriage,
Yes, I am that girl.

They said the pen is mightier than the sword,
I took that as the commandment for my journey,
A journey to the world of the not-to-be-known,
A world hidden from anyone who can be called a woman.
They silenced and pushed me into a deep dark forest,
A forest with no knowledge of the world,
The knowledge that is not allowed to be touched by women.

“So, they say”,
They screamed these words at me,
“You can’t”, “you won’t”, “you shouldn’t”,
They surrounded my existence with walls that hid me from my enlightenment;
I cried, I screamed, I tried to break down the walls, but they were too strong for me,
I tried to jump over, but they threw me back in as an outcast.
Why was I not allowed to gain knowledge?
Who is he that determines my fate?
The only crime I committed was to be a woman.
The punishment was to be someone’s slave all my life.
Will I ever be that girl?
My soul was tormented.
I searched for a weapon –
Something so small but so big.
I found a pen.
It became my voice,
A voice so loud that it broke the walls around me,
A voice that brought them down onto their knees,
A voice that I share with my fellow women who are still imprisoned in a world surrounded by darkness.
Yes, I am that girl.

時間対効果

朝鮮半島の非核化だとか、日本にミサイルが飛んでこないことの検証には、かなりの時間がかかる気がする。

コスト対効果、という考え方があるけれども、最も短時間に効果を出すために「最善」ではないとしても、何をすれば「最短」でそれなりの結果/効果が得られるか、「時間対効果」という視点も時には必要かも知れない。(有限会社シグナリスは、慢性的にこの判断に陥っているけれども・・・)

北朝鮮にとって、最も短期間に経済的な支援を獲得する方策として有効な手段の一つに、「拉致問題」を解決することによって得られる日本からの支援があるんじゃないか、という気がする。無論、北朝鮮がそう思わないなら話は別だけれども。

今後の展開として、中長期的には、日本からの投資も受け入れて、日本企業が北朝鮮で経済活動を行うような場面もあり得る。一気にそういう展開になったんだろうか。ただ、そうなった時に、前回の「拉致被害者帰国」の際のように、人骨ではない骨を送ってくるようなことがもし今後あったなら、そもそもがビジネスを行うような「信頼関係」は成り立たない。日本側が「北朝鮮はそういう国だ」と思えば、何も前には進まない。「信頼関係」ほど大切なものはないような気がする。

そもそもが、「なぜ拉致事件が起きたか」などは、金正恩氏の責任ではなく、金日成氏、金正日氏の時代の話であって、金正恩氏には「私は、この事件が起きた点については、無関係だ」と言い切ることができる立場にあると、私は思う。だとしたら、日本が、今更「北朝鮮」という国家の「過去の歴史的な責任」を蒸し返さない前提で、今現在、北朝鮮側が把握し得る限りの情報を日本に提供し、帰国可能な日本人がいるならば帰国させる、という措置を取ったならば、一気に日朝関係は改善する可能性があると思う。より具体的には、日本からの外務省関係者の派遣を受け入れて、その日本人官僚派遣グループが納得できるように現地踏査に同行して、この方の死亡は確認されたが、この方は帰国できる、と、日本側が納得できるように「拉致問題」を完全解決して欲しいと思う。それが出来れば、かなり短期間での日本からの「緊急支援」は可能になるんじゃなかろうか。

一方で、真逆のシナリオがあるとも思う。歴史問題は、厄介だ。日韓基本条約は、なんだか存在しなかったことにされてしまっている気もする。条約なのに。北朝鮮も同じ立場を取るんだろうか。もし、この条約が存在しなかったという立場を取るならば、日本側の拉致被害者や関係者の方々にとっては悲痛な結末が待っている気もするが、同時に、日本から北朝鮮への支援など一切行われないということは、日本人の国民感情として理解してもらう必要はあると思う。

日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約

もし、北朝鮮がこのシナリオ(日本は、一切朝鮮半島に賠償をしていないという立場)を選択するのならば、少なくとも「非核化」がIAEAなどによって(過去の「失敗」も考慮しつつ)今度こそ完全に成されたと結論付けられ、日本が「今後は、北朝鮮からミサイルが飛んでくることはない」と、決定的に納得できるまでは、経済封鎖も解除されず、当然、(少なくとも、日本からの)経済支援なども成されない、という展開もあり得ると思う。それなったら、経済制裁の解除に最短でも数年、場合によっては10年とか、かかっても、納得してもらうしかない。

こう言っちゃなんだけれども、日本人は「バカ」です。オレオレ詐欺を見たらよくわかる。「困ってるんですよ、お願いです、助けてください」とか言われると、つい真に受けて、お金を出したりする。それは肉親に限った話ではなく、「騙されている」ことがわかっていても、生活に困窮しているならば、金を出してやろうという方々は、戦後も数多くいらっしゃった。それが日本人の血脈だと僕は思っている。僕がこの国を大好きな理由の一つ。トランプなんかには、きっと理解できないだろうな。

もう一つ、加えて書くならば、「有限会社シグナリス」が会社として成立できたのは、いわゆる「在日」の方の企業から仕事をいただいたおかげだと、自覚している。仕事を通じての「結果」を僕は出せなかった。その方、その会社には、本当に申し訳ないと思う。その方、その会社に直接的にお返しはできないかもしれないけれども、日本に住む「在日」の方には、広い意味で恩返しができるならば、したい。何よりも、日朝関係がお互いの「信頼」に基づいたものになること、だけは、心から願う。

メンタル的には、極めて弱い私。当時は、盗聴・盗撮にも結構悩まされて、滅入っていた。逃げ場ばかりを探していた。高校受験(東京学芸大学附属高等学校の外部受験)に願掛けして、合格できたお礼で「高麗神社」への参拝を欠かさなくなった、あたりが、妙に公安関係の疑いの目を引き込んだ、なんてこともあったんだろうか。だって、毎年何があったって高麗神社には行っていたから。何が悪かったのか、僕にはわからない。いずれにせよ、盗聴・盗撮に苦しめられた頃は、仕事に集中するコンディションを作るのに、いつも四苦八苦していた。逃げてばかり。酒、ゲーム。

で、今はと言えば、実は4月の半ばから、肺炎を起こしていた気がする。専門学校の学生に、「授業でわからなかったことがあったら、自由に書いて」と言って毎回の授業でコメントもらっていた、その欄に、二週連続で「お大事に」とか「無理しないでください」とか書かれてしまった。(ありがとう。涙が出るくらい嬉しかったです。)それくらい、慢性的にひどい咳が止まらなかった。松尾くんが5月の連休中に会社に来てくれた時も、「咳が尋常じゃない」とか言われた。で、この「肺炎」の原因は、タバコじゃないです。

実は、自分だけ寝室を別の部屋に移した。両親が使っていた部屋に、一人だけねぐらを移した。それが4月の頭。ふだん換気していない、昔雨漏りがあった後、10年以上放置していたこともあって、かなりカビ臭く、しかも、私のスーツやらコートやらの「公的な」衣類のタンスでは、誰かが用意したこれでもかっていうくらいの「防虫剤」の匂いがあって、部屋中にカビと防虫剤の香りが充満していた、そんな部屋に、わざわざ、私だけ、寝床を移した。ところが、一ヶ月もそこで夜寝るようになってから、だんだんと咳がひどくなった。肺が痛くなった。5月の下旬にどんな感じだったかは、たぶん、専門学校の学生が目撃している。それで、風邪薬とか飲みながら、熱っぽいので風呂にも入らず、梅の実を採集するのに汗をかいて、汗疹の予防で薬を飲んだ後に、(もともとボーッとしていた頭が、さらに)ぼーっとして来て、三脚の足をきちんと確認せずに、落ちて、救急搬送される、なんていう事態に陥った。(情けない)

流石に、この肺の状態は自分でも何かおかしいと思って、ようやっと6月に入り、医者に診てもらった。胸部の直接レントゲン写真。お医者さんに「いつ肺がんになってもおかしくない」と言われた。っていうことは、一応は、肺ガンじゃなかったんだ、とまずは一安心。ちなみに、昨年の私の定期検診での肺の間接レントゲン写真は、かなりきれいだったから、タバコが原因なら、いきなりこんなに爛れるはずはなくて、これは、部屋のカビとかが原因の肺炎だと自己診断した。仕方なく、「家庭内家出」をやめて、しぶしぶ、嫁の隣の元々寝ていた部屋に戻ってから、一週間。
ネット通販で海外から買った抗生物質(ビクシリンのジェネリック?か、カンピシリン)と、L-カルボシステイン製剤が効いて来て、ようやっと、肺の炎症症状が収まりつつある。いざとなったら、ロキソニン(抗炎症効果を期待)も使おうかと思いつつも、なんとか二種類だけで、かなり体調が戻りつつある。今週一週間は、まだ肺炎のダメージが消えずに残りそうだけれども、今日はほぼ、8割方、復調しています。ようやっと、頭が働きつつあって、仕事になりそう。2ヶ月ほど、ロジックを組める感じでは頭が働かなかった。来週には、服薬も卒業したい。

親父が死んだ後、僕が今回の「家庭内家出」で夜眠った部屋で、お袋は親父の死後2年後に、肺ガンで死んだ。これほどのヘビースモーカーの私が、肺がんにはなっていないのに、潔癖症で、私を毛嫌いしていたお袋が、肺ガン、っていうのは、皮肉だと思ったけれども、今回よくわかった。親父とお袋の寝室は、今カビがひどい。僕ですら体調を崩した。親父が亡くなって、気力を無くしたお袋が、ろくに換気もせずにこの部屋にいたなら、体調を壊すのは当然、という気もした。とりあえず、タバコが原因じゃないと体感できて、一安心。

今回は、僕自身激しく体調を壊したし、それでなくても多くの方々に、ご迷惑をかけながら生きている。コンディションさえよければ、僕を活用してもらったら、結構結果を出せるような気がするのに、と思いながら、なんだかなぁ・・・頭数としてしか期待されていないような気もする。でも、頭数でもいい、自分にできることは、しっかりとやり遂げたい。

「有限会社シグナリス」が会社として成立できたのは、とある「在日」の方の会社のおかげです。少なくとも、僕はその恩は忘れたくない。

「直接的な責任」を持たない相手に、昔の話を蒸し返して、ゴチャゴチャ言い合うのは、やめませんか?「拉致」があったとしても、それを命じたのが金正恩氏でないならば、金正恩氏を責める事はできないと思う。

冷麺の本場は盛岡!

僕の断筆宣言は、禁煙宣言に限りなく似て・・・(いや、禁煙なんて、今やもう・・・)

トランプ大統領が何か言ったらしい。
北朝鮮への経済支援は日中韓の役割?トランプ大統領が示唆=韓国ネット「ほとんどが韓国負担になるだろう」「そもそもビジネスマンのトランプが…」

その韓国。

韓国全経連、日本自民党に「韓日通貨スワップ」再開を建議

このニュースは一体何?韓国は、継続的に北朝鮮を支援する心算らしい。ということは、日本が「韓日通貨スワップ」などを再開したら、それは自動的に北朝鮮を支援することになる。

と思っていたら、これ。

「日本は疎外、孤立」「拉致解決済み」…北が牽制、韓国も「北を疑うな」

この辺のニュースを足して3で割ると、どうなるんだろう。
(平均するなよ^^;;)

拉致日本人に関して、日本側にとって納得のいく答えが出なければ、通貨スワップの再開なんて、あり得ないだろうな。逆の言い方もできる。拉致日本人が帰ってくるならば、トランプのいうこともあながち的外れではないかも知れない。どっちに転ぶか、わからん。

冷やし中華の恋しい季節になった。コンビニで、つい食指が伸びそう。すき家のキムチ牛丼もいいけど、コンビニの冷やし中華は捨てがたい。そうなんだけど、コンビニで冷麺って滅多に見かけないんだよなぁ・・・

冷麺の本場は盛岡!それ以外の冷麺は要らないかもね。だからコンビニにないのか。いや、冷やし中華があれば十分。中国に「冷やし中華」ってあるんかなぁ・・・あったとしても、コンビニの冷やし中華で僕には十分。

どうでもいいけど、今日1日で、左手の痛みが、だいぶ取れて来ました。この感じでいくと、痺れもあと三日くらいで取れるかなぁ。希望的観測。

親父もなぁ、中学校の教員だった時、授業中に盲腸が破裂して、すぐに生徒に「自習課題」と「宿題」を出してから、校長室に行って病院に行く旨を伝えて、自分で車を運転して病院に駆け込み、破裂した盲腸の始末をしてもらったらしい。馬鹿みたいに痛みに鈍感なのは親父譲りか。単に慣れただけなのか、痛みそのものが取れたのか、自分でもよくわからないあたりが、親父譲りのバカかも知れない。

ガチガチと仕事して、ただ冷麺を食うだけのために盛岡まで日帰り旅行、なんてことが、気楽に出来る程度に、稼ぎたいもんだね。

事故の顛末

救急搬送で、しかもドクターヘリで川越の埼玉医大まで運んでいただくという状況に陥ってしまい、昨日(6月3日の日曜日)は地区の「河川清掃」の際に、近隣の皆様に「ご心配」いただくという状況になりましたので、改めて、自分で報告させていただきます。

6月2日(土曜日)夕方、梅の実を採集していた際に、三脚から落ちました。より厳密に言うと、三脚の支柱が、三点支持の形で角度が取れない狭い場所で、ちょっと不安定だったのだけれども「大丈夫だろう」程度のつもりで三脚に上って作業している時に、バランスを崩して三脚が倒れた、と言う事故です。木に上っていたのなら、たぶん、そもそもが不安定な状態なので、両足と片手のどちらかではバランスを取って、結構筋力を使いながら作業をしていたと思うので、落ちたりするほど、まだ年は取っていなかったと思う。三脚で、普通に「乗っているだけ」と言う感じだったのと、あまり「足場」に神経を使っていなかったのと、だいぶ汗をかいて、去年「汗疹」で散々懲りたこともあって、レスタミンを3錠飲んでいた、というのが、おそらくは決定的だったように思う。
レスタミンの「注意書き」には「服用後は、乗物または機械の操作をしないでください」と書いてあった。実際、頭がぼーっとしていたということはあると思う。

三脚が倒れて、落ちる際のほんの1秒程度か、何が起きているのか、全くわからなかった。(これが自動車だったら、急ブレーキなどは間に合わないと思った。)落ちる直前、運良く、お隣のSさんが犬の散歩で、我が家の前を通りかかっていた。たぶん、落ちて十秒もしないうちに、Sさんが「大丈夫ですか?」と駆け寄って来て、声をかけてくれた。顔から落ちて頭を打っていて、何が起きたのか、Sさんに声をかけられて、「あ、落ちたんだ」と気づいた。意識は飛んでいなかったとは思うけれど、(ずっと、意識は清明でしたが)状況把握は出来ていなかった。ところが、起き上がろうとしたら、足の感覚がない。足を動かそうとしても足がどこにあるのかわからない。どうやら、右足が南天の枝と三脚の隙間に挟まって、捻れていたようで、ある意味上の方で足が引っ掛かって、体重全ての直撃落下が避けられたみたい。Sさんが、ちょっと待って下さい、と右足を抜いてくれた。足の感覚が全くなかったので、「すみませんが、救急車を呼んでもらえますか」とSさんにお願いした。顔から血が出ていたので、Sさんは、ご自宅にタオルを取りに行ってくれて、そのまま救急に連絡を入れてくれた。僕は、足を抜こうと、立ち上がろうと試みていたけれども、どうにも足がよくわからない。(足を抜いてもらったのがどのタイミングか、覚えていない)足を抜いてもらった後、僕が庭で喫煙する際によく使っている「椅子」を近くに持って来てくれて、「座って待っててください」と言ってくれたのだけれども、立てない。
ただ、30秒から1分くらい、もがいていたような気がするけれども、そうこうしているうちに、ぼんやりと足の感覚が戻って、かなり危なっかしい感じではあるけれども、何とか立ち上がれた。最初「あ、やっちまった」と思ったのだけれど、「立てた」「歩けた」で、とにかくホッとした。ホッとしたけれども、救急には連絡をしてもらっていて、前述のような大騒動になった次第。
携帯電話は持っていた。ただ財布を持っていなかったので、救急が来る間に母屋に財布を取りに入った。伝い歩きではあるけれども、歩けた。

Sさんに寄せて来てもらったイスに座って、そのまま待った。
改めて思うけれども、顔面強打、後で見たら左足に打撲痕、結果から言えば、今左手にかなりの「痺れ」が残っていて、左肘から左の小指に向けて、時々痛みが走る。ただ、こうしてキーボードを叩いていても、支障はない程度に仕事はできる感じではある。ただ、その直後は、まだ全身が変な感じで、イスに座った後はとにかく待とうという感じで、ボーッとしていた。

その後は、救急搬送での救急車の中での救急の方の会話から「え?ドクターヘリ?」と思った。小川日赤あたりかと思っていたのだけれども、一度は僕も想定した「最悪の事態」を、救急の方にも想定していただいたんだろう。落ちて1時間も経たない間に、川越の埼玉医大の救急に着いていた。ドクターヘリでそばにいた方に、「もう今、川越ですか?あっという間ですね」と話しかけたら、「空は渋滞がありませんから」とのご返事。埼玉県の救急体制に、がっつりとお世話になりました。川越の埼玉医大でMRI検査までしていただいて、結局入院せずに、午後9時過ぎかな、自分で歩いて病院を出ました。嫁には連絡が取れず(土曜日は、携帯を忘れたらしい)、弟が迎えに来てくれた。

元々が「脊柱管狭窄症」というか、いわゆる「頚椎ヘルニア」持ち。埼玉医大の救急のDrが、頚椎の狭窄状況を診てくださったけれども、「事故」の影響以前に元々あった狭窄から、今回の事故で何か影響があって「左手の痺れ」の症状になっていると判断するのが妥当か、というご判断をいただいた。「歩けた」時点で「最悪の事態」が回避できたことはわかったのだけれども、とにかく落ちた直後、足の感覚が全くなかったので、ずっと不安はあった。「後になって何か出て来るかもしれない」ということもあり得ると思うので、今後1ヶ月くらいは念のため、首に固定具をつけておこうとも思っている。(見てくれの良し悪しの問題じゃない。それに、顔面に結構傷跡が残っているから、首に何かがあってもなくても、人相の悪さに大差なし。)埼玉医大のDrが、小川日赤への「紹介状」を書いてくれて、しかも、MRIのデータのDVDも持たせて下さった。深謝いたします。これを機に、(割と、どーでも良いや程度の投げやりな態度で付き合ってきた)首の脊柱管狭窄症とも、きちんと向き合った方がいいかな、と思い直しています。いや、本気で「足が動かなくなったらどうしよう」と考えるきっかけには、なった。

今回は、Sさん始め、小川救急の皆さま、埼玉医大の皆さまに、大変お世話になりました。
「30秒から数分で足の感覚が戻った」という経緯、もしかしたらだけれども、これも見えないどなたかにお世話になってしまったかも知れない、という気はする。それ以前に、落ちた際に直撃落下にならないような、右足が上に絡まった状態で頭部へのGがかなり緩和されていたのも、どなたかのお陰かも。親父がとても大切にしていた南天の木や梅の木だからなぁ・・・1m50cm程度の高さ、だけども、直撃していたら10G位は楽に頭にかかるから、間違いなく脳震盪を起こしていた。落ちたその時、ちょうど犬の散歩でSさんが我が家の前を通りかかっていた。なんという偶然。さらに言えば、松の枝とか、無造作に作業していると結構体に刺さっても不思議ではない枝が出ていた空間なのに、目に枝が刺さる訳でもなく、不幸中の幸いだらけで、この事故そのものに「どなたかのお陰」があったような気がする。ただ感謝。

余談ながら、会社のWEBページに私が出している私の家の住所を、Googleで入力すると、ストリートビューで表示されるのは私の家ではなく、お隣のSさんのお宅になります。えぇと、テロリストの方、私を襲うつもりでgoogleのストリートビューの表示を安易に信じると、そこは私の家ではなくてSさんのお宅なので、気をつけましょう。

お袋が家の中で動けなくなっていたのに気づいてくれたのは、2軒隣のIさんのおばあちゃんで、Iさんのおばあちゃんが「おかしい」ということでSさんのお宅のおばあちゃんと相談し、Sさんに救急を手配してもらったお陰で、お袋は救急搬送され「孤独死」は免れた。結局末期ガンがわかって、亡くなる2ヶ月前のことだったけれども、親子二代にわたって、Sさんに救急通報していただいてしまって、本当に大きな借りが出来た気がする。感謝に絶えません。

直接の原因になった気がするのは、「レスタミン」3錠か。頭がボーッとしていて、通常の反射神経とか判断能力とかが(三脚の足の固定を確認する部分も含めて)欠けていたのが最大の反省点。左手に痺れが残った程度で済んだのは、本当に幸運だった。車の運転だったら、他人を巻き込んでいたかも知れない。

ただ、それ以前に、そもそもが「もう、思い残すことがない」なんてことを書いたりもしていた。実際に、アグレッシブな、というかポジティブな「自分はこれをするんだ」という原動力みたいなものが、消滅しつつある「自分」というのが、最大の原因かなぁ・・・
こうして、一応は日常生活ができる程度の状況は保てている。30年来、左耳は全く聞こえない。左肘から小指にかけて、今かなりの「痺れ」が残っているけれども、こうしてWEBページを更新したり、プログラムを書くのには支障がない。今使える自分の肉体の「命」を、もっと大切にして、何が出来るか、もう一度丁寧に考え直すには、いい機会かな、という気もする。

心の勉強会。こういう状況で、かつて師匠からいただいたアドバイスは、「何をするか」ではなくて「自分はどうあるべきか」を常に考え続けなさい、だったかな。自分の言動の結果が、どれほど優れたものであったとしても、そこに至る自分の「心のあり様」次第では、上から見ていて、決して評価するに値しない場合だってある、と理解している。
「誰かのために生きる」なんて、おこがましい。何よりもまず、自分の心を汚さない様に。まず「自分を大切に」生きろ、と、理解する。その結果が、直接あるいは間接的に、自分の周囲の方にも、少なくてもマイナスな存在ではない様に、自分の在り方を考えたい。

いずれにせよ、しばらくは「言葉を発する」ことはやめて、丁寧に過去を振り返って、今現在や、これからの「自分の在り方」みたいなものをしっかりと考えていきます。

と、同時に、遅れまくっている仕事、自分にとってどんな意味があるのか、周囲との関わり方も含めて真摯に見つめ直して、きちんとした仕事の結果を出せる様に、自己管理に気をつけます。

ご心配いただいた皆さま、あるいは、助けていただいた多くの皆さま、本当に、ありがとうございました。

真実とか・・・

師匠の講演会で、「映画は、人の心の動きを学ぶのには、最適の教材だよ」みたいな話もあって、単細胞な私は、ここのところ、ツタヤのレンタルは音楽CDではなくて、映画なんかのDVDにはまっている。

色々と見てはいるけれども、ね、「真実」が上に筒抜けになっている、という前提では、成り立たない映画が大半だな。「嘘」なんて、上で笑って見てるよ。で、ご本人はバレてないつもりで上に戻ってからも、同じ「自己主張」を続けたりすると、呆れられて、誰からも相手にされななくなる。しかも、そうした「嘘」の原因は、大半が物欲、色欲、名誉欲、などなどだから、戻りたかった世界で相手にされなくて、他にはどこにも行くところがなくて、仕方なく向かった地獄(欲望全開)で長逗留して、仮に運良く何かのきっかけで「自分は間違っているかも」と気づいたとして、垢を落としきって上に戻った頃には、意識体としての「正味」がスカスカになっていて、元いた場所にはもう、戻れない。あぁ、落ちた、ってなパターンか。

やっぱりね、人間の実体は「意識体」で、今現在こうして肉体を持っている数十億の地球系人類の他に、霊体として存在して、(地獄にいたり、この世界に浮遊霊としてとどまっている方々は除外して)上に戻っている数百億の意識体から、見られているということを、知っておいても、損はないんじゃないかな、という気はする。

だいたいそもそも、嘘ついて、いい思いしたって、せいぜいその有効期限は肉体を持っている間だから、僕と同様にジジイと呼ばれる世代の方なら、せいぜいが数十年でしょ?ところが、その数十年の快楽のために、過去、何億年と積み重ねてきた進化するために積み上げたステップが、一気に数段階落ちることになる。人間の実態は、「霊体」だって、知っておいて、損はない知識だと思うんだけどなぁ。そもそもが、総理大臣とか、大統領とか、そんな「経験」を積めること自体が、極めて限られたチャンスになる。有意義に上の思いに沿って結果を出せれば、これでようやっと一階級昇級なんて感じなんだろうけれども、やることが派手だから、3階級くらい下に落ちてやり直せ、っていう話題が多すぎる。しつこいくらい書いているかも知れないけれども、中間指導層の壊滅的な崩落現象。

いや、否定したって構わない。だけれども、普通の倫理観で言ったなら、アメリカだって、日本だって、パプアニューギニアだって、嘘をついていいなんていう「文化」はないと思う。(アメリカや、ニューギニアに関して言えば、アモール様、イエス・キリストの功績かも知れないし、日本の場合には、多くの先人が執拗に言葉を伝えられて来た。日本の場合には、その成果かも。)でも、平気で嘘をつくバカが、何人もいる。わかっていないのか、それほどに、現世的な欲、ってのは、美味しいのかなぁ。あのバカ、今後10億年くらいは、人の上に立つ立場では、肉体を持てないだろうな。

いや、ニュースを見聞きしているほとんどの日本人が感じているのと、同じことを、上の方々も、つまり、どなたかが上に戻った時に帰りたい場所にいらっしゃる方々も、知ってはいる。しかも、心、すなわち「意識」がどうだったか、というレベルで、見ることのできる方々だから。こうして、肉体を持っていれば、「俺の支払った税金が、どうだ、こうだ」という議論になるけれども、上の方々の視点で言えば、「あぁ、あ」としか言いようがない。

素直であれ、正直であれ、っていうのは、イエス様も、ムハンマド様も、あれほどの方々にとっても、伝えようとして伝えても、結果的に誰も従っていなかったりする、どうしようもなかったことだから、私ごときにどうこうできるとは思えないけれども、無駄な空砲を打ちまくる僕の気質をご存知だったどなたかの人選なのか、それとも、師匠の追っかけを自認する私が、鉄砲玉のごとく、後先考えずに肉体を持ってしまった結果なのか、よくわからないけれども、言いたいことは、きっちりいうぞ、書くぞ、と思って書いた。

いや、書く。人を殺すのは、やめようよ。人のものを奪うのは、やめようよ。嘘をつくのはやめようよ。誰かを傷つけるのは、やめようよ。なんてね。意味ねぇなぁ。だって、イエスや、ムハンマドすら、必死で伝えられて、結果が出せなかったことを、俺ごときが書いたって、結果出せるわけ、ないじゃん。あのへんの、泥棒だらけの国を、見てみろってば。安倍どこが恥ずかしいんだ?

なんかもう、バカらしくなるようなニュースが、多すぎませんか?みなさん、安倍総理を見習わなくても良いから、宮川くんは見習おう。僕は、そう思った。若い人に期待するしかない。お願いだから、僕の言葉じゃなくて、師匠の言葉として、僕が伝えている言葉には、耳を傾けて欲しい。

各論

各論を書くのって、難しい。
ってか、おやじギャクのキレが悪い・・・「各論を、書くのって・・・」ダメだな、こりゃ。シャレになってない。

嘘をついた方々は、どなたも追い詰められているみたいで、往生際が悪いなぁ。なんだか、どのニュースも見苦しいというか、聞き苦しいというか。いつまで続くんだろう。日大は完全に自爆している気がする。
安倍総理も、もうあと一つか二つの新事実で、完全に自爆状態じゃなかろうか。
米朝会談までは、持ちこたえてほしいものだと思うが。シームレスな外交を切に祈る。

昨日のいわゆる「閻魔様」の話。例えの書き方が悪いなぁ・・・とんでもない誤解を招きそうな例えを書いた気がした。エネルギーレベルの違う意識体どうしの話。エネルギーレベルの小さい波動は、エネルギーレベルの大きい波動に吸収されてしまうから、近づけないし、「次元」が異なれば物理的な状態の「自由度」が異なるはずだから、そもそも「住む世界が違う」ということになる。イワシとマグロはないよなぁ・・・。単に食いたかっただけじゃないのか?

なんだか、とっても残尿感のあるページの終わり方になってる。キレが悪い。だったら、消せばいいって、そうやって「明らかな間違い」でないのを消してしまうと、「一旦表に出してしまった言葉」を訂正する際に、かえって面倒なことになるから、むしろ残しておいて、そこから「誤解があった部分に修正をかける」方がやりやすい。そもそも、嘘は書いていないし、比喩の展開があまり適切ではなかっただけだから。
嘘の場合にはね、嘘を誤魔化すために嘘を展開すると、次第にとんでもない化け物が育つ。経験がない訳じゃないから、わかるけれども、生きる選択肢を狭めるだけだから、やめた方がいい。若い方々はね、是非、何らかの立場を持ってから嘘をつくとどうなるか、よく見ておいたらいいと思う。

相変わらず「いっちゃってる人」的な話題。さらりと自然体で話を流してもらえたらありがたいんだが・・・

師匠がよくおっしゃる。「なんでみんな、霊を怖がったりするの?一人残らず、中身は霊だよ。」いえ、霊を怖がっている訳ではなく、突然霊が現れました、突然物陰から人が現れました、たぶん、どっちも怖い。そういうものではないのかと・・・霊は確かにいます。怖がるのは変でしょ?皆さんも中身は霊です、と、この話はもう、10回以上聞いた気がする。さらりと、あ、いるなと、それでいいんじゃないか、と。

「あの世」とか、天国とか地獄とか、いつの間にかどちらも誇張されすぎて伝わっているような気がする。どちらかと言えば、いわゆる「天国」の方が退屈な世界だという気はする。誰も「汚れ」がないし、見られて困るような心は持たないし、ある意味で裏も表もない。「意識を向ける」「意識をそらす」ということはあるように理解しているけれども、意識を向けて、相手がこちらに意識を向ければ、意思疎通はストレートだから、飾りはない。

天国ってのは「退屈」な場所だろうなと思う。「刺激」というのがないから。天国が退屈だという方にとっては、地獄はとても楽しい場所かも知れない。この世でこだわっていたモノゴトに、肉体を抜けてもこだわり続けている。それが意識の中で具現化されてくるから、いわゆる「血の池地獄」のような世界もあるし、ひたすら奪い合う世界もある。でも、本人たちはたぶん、熱中してやっているんだろうなぁ。
肉体を持って知覚できるこの世界は、刺激に満ちている。ここで「欲」の使い方を間違えると、とんでもないことになる、というのも、勉強会のメインテーマの一つで・・・。

私の立場で強調したいことは、たった一つ。医学的知識が、白人にも黒人にも、我々黄色人種にも、同じように当てはまるように、「霊」に関する現象も、生まれる前、死んだ後の世界も、自然科学的に「当たり前の自然現象」として存在している、と、それを示したかった。(できてないけれど。)「超常現象」とかいう言い方はおかしい。知覚できない人が多すぎるから、「いっちゃった人」の話になるか、でなければ、「宗教」にされてしまうか、どちらかなんだろうけれども、そうではない、いずれは自然科学の教科書で、「霊が知覚できない人」向けに「こうなっています」というのを教わるような、そうした話題に過ぎないと思う。
言わせてもらえば、波動方程式やらマックスウェルの方程式を解いて、量子力学的な世界の説明を出来る人など限られていると思うけれども、「素粒子が存在する」ことを疑う人はほとんどいない。そこが「自然科学」の「常識」に与えられた「世間の評価」だと私は思う。

一方で、神、天国、地獄などの単語は、宗教によって全く異なる説明が与えられている。師匠の講演会はそれらを再構築したものではなくて、上位の意識体から送られたものを、私たちが理解できるように伝えてくれているから、「改めて、神、天国、地獄の説明をし直している」と、私には感じられた。私は「無宗教」の人間だから、こだわりがないだけの話で、これも30年来同じことを主張し続けているけれども、私は「無宗教」だが「無神論者」ではない。このフレーズも、もう何十回となく書いた。最初に書いたのは、たぶん1991年か1992年だと思う。だから逆に、すんなりと受け入れられる。
別に、既存の宗教に対してどうこうというつもりはない。少なくとも、否定するのは私の役割ではないから、「こういう違いはある」という書き方はするけれども、それ以上のことは書かない。そもそもが、「既存の宗教」では全く説明のできていなかった部分が、相当に合理的に、繋がっている、繋げられるように、説明を書いたつもりだ。生まれる前と、死んだ後の世界は同じ。師匠の講演内容の説明は、もっと細かい。
この部分が、いずれきちんと「客観的なメカニズム」として受け入れられたなら、「生きていることの意味」がかなりはっきりしてくるのではないかな、と思われた。

最近、結構若い方々でも、僕のこのシリーズを読んでくださっている方が増えているような気がする。この「師匠の受け売り」シリーズ。しかも、海外でもね。しっかりと書かねばと思う。
不思議だなぁ、インターネット。

イスラム教や、カトリックを信じている方、ご自身の信仰を継続されても、問題はないと僕は考える。そんな中で、もし「なぜ人は生きているのか」とか、「なぜ不平等が存在するのか」など、きちんと答えてもらえていない問いがあるならば、師匠に投げると全部、各論レベルで細かい答えが返ってくる。
「なぜ人は生きているのか」は「なぜ人は肉体を持つのか」と読み変えます。肉体を持たなくたって、霊体としてはすでに「永遠の命」を持っていて、一時的に肉体を持っているだけだから。なぜ肉体を持つのか。エネルギーレベルの異なる様々な人たちの混在する世界を経験して、「考え方」の「視野」を広げ、そうすることで自分自身のエネルギーレベルを上げることが出来る。そのために、肉体を持っている。
その肉体を持つ際の課題が、人によって千差万別だから、条件だって様々。貧乏だとか、能力の有無だとか、そうした条件そのものが課題の一部だというケースがほとんど全てだと私は理解している。

イエスも、ムハンマドも、そもそも最初から、現在の師匠のように「生き方」や「人は霊である」ことを教え、伝えられた、と師匠から聞いている。それを「伝え続けた」方々が、いつの間にか「宗教組織」を作り上げてしまった。「国家」にまで組み込まれてしまった。
神も、天国も地獄も、知覚的ない人が圧倒的多数だから、「こうです」と言われたら「あぁ、そうですか」としか言いようがない。師匠のお話は、十分に「万人に理解できるもの」だけれども、それを私なりに、チンドン屋の流儀で書いているだけ。

話を「盛って」いないか?って言われると、そこはね。はい、盛ってます。でも、どこをどのように、どの程度というのは、書きません。これも、師匠にはバレてる。上にもバレてる。っていうよりも、僕は、上にそそのかされた気がする。実際には私がやったことではないことも、一部をさも、私がやったように書いている。だから、しつこいようだけれども、「どこをどのように」というのは、書きません。細かいことを言えば、他にも色々とあるけれども、でもね。上には全て意識を晒した上でやっていることだから、「嘘」だとは思っていません。「脚色」だとは思っています。(師匠のお話には、その「脚色」すらない。)

「嘘をついて」一番困るのは本人だから。それはたぶん、肉体を抜けた後で気づく。基本的には、つきたくない。

話が飛んで、中国が主張する「領海」を、米軍の艦船が通過したらしい。「航行の自由作戦」か。
国境なんてものは、いらないでしょ?というのが、上の意識だそうで・・・「そりゃまぁ、そうだ」という程度のご理解をいただければありがたい。でも、現実問題としては、それは難しい。

そこで、わたしら如きが「色」をつけて、あれこれと考え方を当てはめて説明しようとすると、きっといつか、それがとんでもない「間違い」の元になるんだろうと思う。この辺なんて、もっとも書きたいところの一つだけれども、書いたが最後、とてつもない「罪」を犯すことになる領域の一つでもあるような気がする。
そうとなれば、もう「原則論」を繰り返すしかない。「国境なんてものは、いらないでしょ?」僕ら、青年海外協力隊OBの立場だと、それなりに「こじつけ」はできるけれども、いずれ、インターネットなんてものが「国境」を無価値化してくるのを待つしかないだろうな、とも思う。

ICTがこのまま発展を続けると、いずれかのフェーズで「国境」が障害になってくる。もし、わたしに何かできることがあるとしたなら、「国境」が「障害」となるような、新しい概念やサービスを提唱すること、だろうか。一切、「神」とかいう概念を持ち出さずに。

閻魔様の話は、明らかに「書き損じ」た。でも、いずれ、修正する必要があるならば、修正するために残す。
終わる。以上。(今、仕事がもう、グダグダで、当面は書きません。)

閻魔様

いないってば。そんな人。閻魔大王なんて信じてるのは、日本とあとは中国?
似たようなストーリーってのはあるのかなぁ。キリスト教圏では、「最後の審判」でってな話か?どなたかが「全ての真実を知っている」という前提で、裁きを下す方を想定したんだろうか。イスラム圏の場合には、やはり、アッラーだろうか。えぇと、アッラーの神様、ちょっとした嘘をついたとかついていないとか、そんな細かいところに首を突っ込んでいらっしゃるのかどうか、僕は知らない。存じ上げない。

でも、もっと怖い話は、あるみたいで。

師匠の受け売り。我々が肉体を持っている間に経験した全ての事柄が、事細かに全て記録されている。「想念帯」という、それこそ我々が肉体に入った(受精卵レベルで)起点から、肉体を抜けた瞬間までの、ドライブレコーダーみたいなものが、僕ら自身(意識体)に付属して、存在している。人は、肉体を抜ける直前に、肉体を持っての記録として、ほんのわずかの時間に(40秒くらい、とか聞いたかなぁ)一生分の記録を再生して見る。意識の世界だから、言語表現も映像表現も、直接的に意識が拾うから、とてつもないスピードで全編を再生する。余談ながら、「想念帯とは何か」について、僕に突っ込まれても、そんなには正確には師匠の講演内容を再生できません。結構、講演中も寝てますから。この辺の話が好きな会員さんとかなら、かなり正確に説明できると思うので、詳細の解説は私以外の、師匠のフォロワーにお願いします。

個人的な、無理無理の解釈。DNAの二重螺旋には、凄まじい密度で遺伝子情報が畳み込まれる。三次元空間内で、一次元的な表現が畳み込まれる二重螺旋。ソリトンみたいな、「波動粒子」みたいな構造が、畳み込まれるのかなぁ・・・。そもそも説明が無理だと思うので、もう「自然科学的な解釈」はギブアップしたい。
200年前の誰かにドライブレコーダを見せて、説明しようとしても無理だと思う。いや、言わせてもらえれば、ドライブレコーダで使われている、固体ディスクの動作原理を説明できる現代人が、一体何パーセントいるのか。俺はできるぞ!あんたはどうだ、って、何を威張っているんだか。説明できないなら、それでも現代人か、っていう理屈は通じているんですよね?「想念帯」なんて、そんなのマヤカシだ、嘘八百だ、って、それを2000年後の最先端の知識を持っている方に主張してみたらどうだろうか。いや、その時の「最先端の知識」も、我々現代人の延長のはずだけれども・・・(何を言いたいのか、訳が分からなくなってきた。毎度のこととして)あなたに説明できないから、じゃぁ、ドライブレコーダなんてインチキだと言えるか、それと同じくらいに、想念帯だって存在するんだ、って、喧嘩するには、無理があるか。理解できない範囲を理解できた例えで説明するのは、無理だ。

話を戻して、誰も他人を裁かない。神ですら、裁かない。神の場合にはただ、見守るか諦めて全てを消し去るか、どちらかだと理解する。裁く、という概念を導入しなければ、ヒトは自分を律しえないとお考えになったどなたかが、「裁き」という概念を持ち込んだんだろうなぁ。その文脈で師匠の講演内容を解釈するなら、自分を裁くのは自分でしかない。

意識体の世界は、心がそのまま相手に見えている世界。お互いにそうした状況で、お互いに存在を認め合っている世界。だから、複雑な思考を理解できる人とできない人とでは、住む世界が異なる。言葉でお互いを理解し合うのがこの世界。概念が通じるかどうかで限界はあっても、少なくともお互いの存在は確認できる。この肉体の世界での意思疎通では言葉が全てだけれども、意識体の世界では、「心」=「思い」=「意識」がすべて、ということになる。

もともと、同じ世界にいた仲間たちのところに帰ります。「肉体経験が終わった。」あれですよね、西城秀樹さん、本当にお疲れ様。そしてありがとう。多くの人にそう思ってもらえたなら、安心して元いた世界に戻ろうとする。さて、想念帯(ドライブレコーダ)の記録は、自分なりに全部再生チェックをするから、自分自身で嘘をついていたことを忘れていても、肉体を抜けた後「意識体100%」になったら、もう全てを自覚せざるを得ない。嘘を言葉で伝えて誤魔化せるのは、肉体の世界だけ。肉体を抜けたら、もう誤魔化せない。さて、嘘をつきました、そのまま「あの嘘は、仕方なかった」と自分は思い、周囲の意識体には、その後の結果までくくりついて見えている状態で、上に戻りました。周囲はどう思うか。心を全て晒し合う状態で共存していたところに、肉体を抜けてホヤホヤの人が戻ってきた。ご都合で、かなりはた迷惑な嘘をついてきたことすら、筒抜けになっている。肉体を持っていた時の癖で、ご本人は隠せると思っている。どうなるでしょうか?相手にされない。居場所がなくなる。どこに行こうか、似たような人たちがたくさんいるところ。それが俗にいわゆる「地獄」だろうか。(様々な描写方法ができると思う。すみませんね、群盲象を撫でるみたいな説明で。師匠の講演内容から必死で再構築しているんだけれども。文句があるなら、直接師匠の講演を聴きに来て下さい。)

要するに、裁かれていると感じるのは自分。結果的に判断を下す際に裁くのは自分。周囲は裁いてなんかいない。単に無視するだけ。(いじめじゃないのかって?濡れ衣ならいじめでも、根拠があるならいじめじゃ、ないんだろうな。わからんけど。)

ちょっと、考えてみて欲しい。この説明は、日本人には通じても、ニューギニアの一部の部族の方々には通じない説明かもしれないけれども・・・、それでも日本人には通じると思うから書く。一日中仕事して、泥まみれ、汗まみれ、冷や汗まみれ、垢まみれで家に帰りました。自分は、とにかく風呂に入って、泥も汗も、冷や汗も、垢も、綺麗に洗い流しました。あとは明日に備えて寝るだけ、っていう時に、泥まみれで帰って来た家族がいました。その家族が「ただ今、帰ったよー」と、その泥まみれ、埃まみれの格好で抱きついて来たら、逃げませんか?ちょっと待て、その埃を落としてこい、と思いませんか?その埃が嘘。
汚れが落ちていて綺麗なのが当然だと思っているから、汚れているくらい当然自分で気づいているだろうと思うから、わざわざ指摘しない。汚れている側は、シカトされたと思うんでしょうね。嘘以外にも「埃」とか「汚れ」の種類があるんだろうけれども。「油汚れ」に「皮脂」に「醤油」「血液」「ペンキ」あれやこれや、様々な汚れがあっても、汚れを落とした側から見たら、十把一絡げに「汚い人」。

やがて、「元いた世界には、すぐには、そのままでは戻れない」と自覚して、汚れを落とすために作られた世界に滞在する。その決断を下すのは誰かと言えば、自分でしかない。閻魔様なんかいません、結果的に、いわゆる「地獄」しか自分には行く場所がないという決断を下すのは、自分だというお話でした。あるいは、アッラーの神様は、ジーザスは、そんな細かいところにはいちいち口を出しません、というお話でした。大丈夫。アッラーを欺こうと思ったら、そもそもがそんな細かいことは気にされていないから、騙せます。
ただ、記録は残っているし、周囲は知っているし、それを全く悪いことだと思っていないなら誰からも相手にされないし、アッラー(アール・エル・ランティ様)が黙っていても、自分でそれにいつまで耐えられるか、ってな話だろうと思う。

いや、自分はこんな低次元ではない、もっと次元が高いはずだ、と確信して、無理やり上に上がろうとして、できるんだろうか。私にはわかりません。ただ、イワシの群れを離れてしまった、「一匹オオカミ」ならぬ「一匹イワシ」が、マグロの群れに「仲間に入れて下さい」って行って、近づいて行くみたいなもんなんだろうか。うまい例が見つからないけれども、マイクロバブルみたいな小さいシャボン玉が(おぉ、物理の話題だ)濃度的に、表面張力のレベルでも安定している大きなシャボン玉に近づいた時、何が起きるか、っていう話に近いかも知れない。(イメージできない方は、是非実験して見て下さい。)答えは、聞いているけど書きません。

自分を大切に思うなら、背伸びは厳禁。いや、上に戻れば、たぶんみんな思い出すはずなのに。

結局行く場所がなくて、落ち着けるのは、同じような汚れを身にまとった仲間のいる場所。「地獄」ともいうけれども、「自分がついている嘘が心地よくてたまらない」という方にとっては、たぶん「天国」だと思う。どうぞ、いつまでもいて下さい。もう、戻ってこなくていいから。(いま、自分は嘘をついているという自覚のない、どなたかへ。)

忘れるところだった。「虚栄心」が根っこにあって、ただただ、自分を大きく偉く見せたいがために嘘をつき続ける人の末路は、もう一つあった。僕は聞いているし、多くの会員の方が、師匠の同じ話題を聞いていて覚えていると思います。
そもそもが、師匠の講演会の話題は、直接師匠の講演を聴きに来てもらえればわかる話で、私には説明する義理はない。興味がある方は、ぜひ、会員に聞いて下さい。あ、あの方々には、別の結末もあったな、とふと思い出しただけ。

師匠の講演会、あの人がそうだったんだよ、という実在の人物が、講演内容のエピソードから抽出した「検索語」の与え方を工夫するだけで、Googleで特定して「個人名」が得られてしまうところがすごいな、と思った。(要するに、エピソードは嘘ではない、ということで。)ちなみに、その方は、もはや「人格霊」としては存在していません。地獄よりも怖い世界。だと聞いている。

でも、誰も我々を裁かない。閻魔大王なんていない。アッラーも、イエスも、僕らを裁かずにじっとご覧になってる。
何よりも、自分で自分を裁けるんだから、とっても安心できますね。よかったですね。よかったですね。本当によかったですね。以上

 

Contents Control

NHKラジオ番組で、フェイクニュース対策の話題を扱っていた。
Fact Checkをどう行うか。「正解」は出ていないものの、インターネットが世界的な技術として成熟する過程で、避けては通れない課題なんだろうと思う。

思えば自分は、「インターネット」の草創期から、まずはEthernet/Gateway、OSIなどを通じて関与することができた。世界が大きく動く現場を生きることが出来たのは、得難い体験だったと思う。

同時に、「主記憶2キロビットのミニコンピュータ」だとか、スーパーミニコンのVAX 11だとかを使う機会があり、コンピュータ技術がまだ、芽を出したばかりの頃から同時進行でビジネスに関与することが出来た。ここでも「世界が変わる」状況を、リアルタイムで経験できた。一生を通じて、目立った変化などない時代も、かつては多かったのに、これだけ一気に世界が小さくなる時代に生きることができたのは、やはり「幸運」だとしか思えない。

いつの頃からか、「いつか、僕自身がサポートするべき人に出会って、その人の存在や言葉を、全世界に発信する時が来る」みたいな漠然とした予感は持ち続けて、結局そこから離れることが出来ずに、ビジネスとか人生の選択肢を選んで来た。直感による選択だったと思う。

馬鹿だよな、と思う。出会うかどうかわからない「師匠」を思い浮かべ、できるかどうかわからない「世界への発信」なんて大それたことを考えるなんて。「師匠」のことなんか一切考えずに、インターネットやコンピュータにどっぷりと浸かり、ビジネスを展開していたなら、もしかしたらそれなりのIT起業家になって、今よりもよほど「恵まれた人生」を生きられたかもしれなかったのに。(本気でそう思っているかは、あえてコメントしません。)

話を戻して、インターネットもコンピュータも、起承転結の「起」がようやっと終わって、「承」に差し掛かった程度なんだろうか。

防衛省だったか、ようやっと「サイバー防衛」に本腰を入れたらしい。国立の研究機関なんかも含めて、あらゆる研究機関の総力を上げなかったら、防衛なんか出来ないと思う。数千万人のIT技術のプロ、そのうちもしかしたら何十万人という単位の「悪意を持った攻撃者」が世界にはいるかもしれない。ちょっとした「標的型メール」配信なんかも含めたら、たぶんそういう数字になると思う。対応が遅すぎる。

変化を先取りする、ということならば、Fact CheckなどのContents Controlの技術が欠かせなくなるだろうと思う。Fakeニュースを信じる人がいる。デマが拡散する。そのデマの拡散過程で、悪意のない記事が断片的に切り貼りされて、悪意のある使われ方をされてしまう場合がある。何の過誤もないのに「加害者」になってしまうリスクがある。ネット「いじめ」で炎上する。
これら、悪質なFakeや、悪意のある誹謗中傷、あるいはリベンジポルノのようなプライベート情報のリーク、などなど、Controlし、排除すべき「情報」をどう扱うか、「サイバー防衛」と同じくらい重要だという気がする。

Contents Controlという考え方は、諸刃の剣だとも思う。例えば、某国政府のように、特定のキーワードを検索できないようにする、という使い方は、社会の成熟には有害だと思える。「表現の自由」は重視されなければならないにしても、Fakeニュースの拡散や、誹謗中傷などは「犯罪行為」だという認識を持つ必要があるような気がする。「犯罪行為を行う自由」は、ありえないと思うのに、「表現の自由」がFakeニュースの拡散による「悪影響」より優先されるという理屈が、私にはよくわからない。議論は成熟しているんだろうか。

子供の「いじめ」という表現。「いじめ」という表現が軽すぎるから、本格的な対応が出来ない。少なくとも、サイバー空間での「いじめ」の対策が取れるように、「裏掲示板」監視オンブズマンのようなNPO組織の活動も、必要かも知れない。

コンピュータ技術やAI技術は、これは純粋にテクノロジーの問題。ただ、インターネットに関しては、Contentsをどう「管理」すべきか、少しでも早く取り組まないと手遅れになるような気もする。社会科学系の話題として、対応を考えるべきじゃないだろうか。

余談ながら、公的機関が「一次情報」として良質な行政情報を(即時公開できるものは、可能な限り即時で)公開する、という慣行が定着しなければ、Fact Checkもスムーズに進まず、Fakeが横行するような「世界の混乱」は避けられない、とも思えた。

 

習慣性アルコール中毒

TOKIOの山口さんだっただろうか。
「酒のせいにするな」という声があったけれども、あれも痛いニュースだった。僕も、この「習慣性アルコール中毒」に該当すると思う。もう40年近く、だろうな。ニューギニアにいた頃すら、そうだった。現地の人に”Em i man bilong spak.”(あいつは酒飲みだ)と言われていたし。任国がイスラム圏だったら、違った自分がいたかもしれないけれど、こういう「もし」は意味がない。

師匠の講演会。アルコールは厳禁だと何度となく言われている。理由はいくつかあると、頭では理解している。アルコールが入ると「意識体」そのものが麻痺してくる。脳だけではなく「意識体」そのものが影響を受ける。それに、お酒を飲んで「いい気分になる」その肉体的な快感を求める習慣というのが、良くない。肉体的なものや物質的なものに何らかの「重み」とか「依存性」を持ってしまえば、その分本来意識体が持てる「ヒトとして持つべきエネルギー」の部分が減って、結果的に肉体を抜けた時に軽くなる。(この辺、もしかしたらカトリックとかイスラムよりも師匠の求めていることは厳しいかも知れない。)人間関係を構築する上で、必要だと自分で判断するなら、仕方がない部分があるにしても、それでも「私はお酒を飲みませんから」と断れば済む話でしょう?ということもある。
じゃぁ、タバコはダメじゃないの?師匠も喫煙者だけれども、別にタバコを吸っても意識体そのものは全く影響を受けないし、師匠の場合には上位の意識体からの意識を受け取るのに、タバコは一向に支障がないのに対し、アルコールが入っていると、ほんのわずかでも上の意識が受け取れなくなる。らしい。なるほど、と、頭じゃ理解しているんだが・・・

師匠には、明らかにバレバレなんだけれども、そこはそれ、「あくまでも自分自身で、ダメなものはダメだと判断しなさい。それが出来ないなら、勝手に落ちなさい」という、師匠の講演の「総論」での基本中の基本の部分で、あーしろ、こーしろと命じられない分、かえって辛い気持ちはある。

最悪なのは、自分自身の「意識体」が麻痺していると、「魔が入る」ことがある、という理由だろうか。実は数日前に「やっちまった。」飲んでいるうちに、過去の辛い思い出のようなものばかりが吹き出してきて、凄まじくネガティブな気分に陥った。過去の様々な出来事での恨みつらみが(一度は消化したつもりだったことまで)吹き出しかけたあたりで、「あ、魔が入った」と自分でも気づけた。滅多にないことではあったけれど、今の心のどこかに魔を誘い込むタネがあったんだろう。
普通だったら、そこそこアルコールが入っていても、(量さえ間違えなければ)論理的にもミスのないプログラムだって書けるし、文章がくどくなる傾向は否めないものの、一応は筋の通った文章だって、書けているのに。あ、「魔が入った」と自分で気付けたというのは、どっちだろう。今までは魔が入っても、自力では気付けなかった?

40年来の習慣。浪人時代を抜けて大学に入った頃、とにかく何をやっても親とか誰かに「認めて」もらえたことがなかった。オール5の成績を取っても絶対に褒めない親で、努力をやめればうるさく責める。恋愛だってうまくいったことなど一度もない。早稲田の理工だったから十分だろうって、第一志望ではなかった。自分を責めてばっかりの中で、酒を覚えて、アルコールが入るとすごく楽になった。それ以来ずっとの習慣。何とかやめなきゃ、と思い始めたのは、師匠の講演会に通うようになってからだった。
頑として、日が上っている間、外が明るい間は飲まないというルールだけは守り続けている。自治会のお祭りとかでは、適当に周囲に合わせているが、それ以外は日中は飲まない。
ただ、夜になって一日分とか、過去の記憶が吹き出してくると、もう一人でいると耐えきれなくなる。

僕は、いわゆる「鬱陶しいやつ、くどいやつ、しつこい奴」で、何だか変だと思ったら、特に仕事の関係だと、うるさいくらい文句を言うタイプで、黙っていることが出来なかった。当然、人間関係はそんなに潤滑じゃなかった。50代になって、最初から「どうでもいい」と思えるようになって、ようやっと「文句を言う」と言う行動パターンが抜けた。それでも、人間関係は難しい。師匠の講演会で、「様々な人との人間関係を学ぶ、それは肉体を持たなきゃ出来ない経験だよ」と、それを理解していても、露骨な敵意を向けてくる人がいると、激しく痛い。過去に何人も、一緒にいるだけで、露骨な敵意を感じてしまって、苦痛なくらいの人と知り合った。本当は、今でも一つずつ思い出して消化しなけりゃならない記憶が、未だに痛みを伴って思い出される。(今やっておかないと、たぶん地獄に持ち込む。)仕事関係だと、結局はそういう職場には居られないんだけれども。

もう一つは、知り合って間もないうちに、やはり明からさまな敵意というか、拒絶を激しく投げて来た相手。何とか、自分をわかってもらいたい、などと、もがけばもがく程、おかしくなったりする。過去の人生を振り返って、いかに自分の「人間関係」の導入部分が下手くそだったか、かなり自分なりに理解はして来たつもり、だけれども・・・。そうこうするうちに、自分の中で頑丈なシャッターが降りてしまって、はっきり言えば、自力ではもう、どうにも出来ていない。条件反射的に、相手が何も言わなくても、相手が「拒絶の言葉」を投げて来るような感覚を持ってしまって、一緒にいるだけで苦痛を感じる相手がいる。こうなると、もうどうしようもないんだけれども、毎日顔を合わさざるをえない相手だったりすると、どうしていいのかわからなくなる。どうして、最初の3〜4年の「そういう言い方はやめてもらえませんか?」という、こちらのお願いに耳を傾けてくれなかったんだろうか。もう、どうしようもない。

かなり、過去の自分の生き方の「過誤」を見つけて来たつもり、なんだけれども(師匠から厳しく言われている。いわゆる「反省」で自分を責めてはいけない。自分を責めればエネルギーが小さくなる。そうではなく、自分のどこに間違いがあったか、それを気づかせてくれた相手に、感謝しなさい、と。それができれば、相手も自分も、責める思いがなくなる、と。)、頭じゃわかっちゃいるけど、自力ではどうしても、この壁が壊せない。自分を守るな、という理屈もわかるんだけれども・・・あぁ、言い訳だ。
これも、課題なんだろうなぁ。盗聴や盗撮にも、結局は勝てなかった。最後はメンタル的に潰れた。あの頃は、一日でウイスキー1瓶くらいは空にしていた。今はもう、仮に今も続いているとしても「気にしない」ことで、なんとかなってはいるけれど、「課題を克服」出来たとは思えない。
でも、シラフで満員電車に乗るのなんかも、嫌だ。怖い。逃げてるけど、無理な気がする。

僕の母親のように、ただひたすら無関心ということなら防壁を作ることもなかった。お互いにただいるだけの存在だったと思う。必要に応じて、普通に会話はできた。いい思い出もあまりないけれども、悪い思い出もあまりない。ただ、敵意を剥き出しにして来る、そこまでいかないにしても、歩み寄ろうとしても激しく拒絶して来る相手、いい加減に自分も叩かれ過ぎて、ブロックが下ろせなくなってしまった相手に、自分がどう変わったらいいのか、やはりわからない。やりきれない時の逃げ場は、40年来変わっていない気がする。あぁ、もう逃げっぱなし。だけど、「あなたって、僕が何を言っても否定して来るよね」って言ったら、間髪を入れずに「そんなことはない」とかいう返事を返す人だったりするから、逃げる以外に他に方法があったんだろうか。

師匠の講演会の話題。やはり、書き続けたいな。全世界に発信し続けたい。毎日のニュースを見たり聞いたりしていて、「これは絶対に書かねば」という話題は絶えない。ようやっと、総論は書けた。あとは「各論」だ。この「各論」が難しい。断片的な伝え方をすると、誤解を招く。だから緻密に伝え続けたい。伝わり方が間違っていると感じたら、修正をかけたい。それは出来る気がする。
幸いなことに、師匠は「肉体の脳」で理解できる言葉で講演をしてくれているから、「意識体」が麻痺していても、他の人の「脳」に訴えるように伝えることは、プログラマの、あるいは教員の自分の経験から、たぶん出来るとは思う。

だけど、こんなダメダメな自分が師匠の言葉を伝えていて、いいんだろうかという自戒の思いは、ないはずがない。破門されるのも、時間の問題か。

もう、思い残すことは何もないけれど・・・(いや、ここ数ヶ月、この意識がベースにあるから、魔が入りやすくなってる。頭じゃわかっているのに・・・)決して鬱状態ではないんだが・・・

よかった。明日は授業がある。

ジェンダー

ちょっと、仕事に疲れた。
気分転換という訳ではないけれども・・・
これまで、「世間のウケ」があまりよくない話題は、避けてきたけれど、一応は書いておこうかと思った。師匠の受け売りの話題です。

基本的に、私たち人間は、何度でも人間として肉体を持つ。その過程で、特に肉体に入る際には何度となく「霊体」の世界とほんの数ミリメートルの受精卵の間を行ったり来たりしてエネルギー体を受精卵に押し込め、さらに「白紙」の状態の脳に基本的な制御を委ねるから、ある意味で「意識の不連続」が生じるのは、ほとんどの場合のようで・・・。前世を覚えていた子供が、世界では何人も話題になっているらしいから、稀ではあるけれども「意識の連続」は説明できるんだろうか。

私自身は、漠然とではあったけれど、自分が今回の課題として、何をするつもりだったか、必死で考え続けた。raison d’êtreなんていう言葉が消えなかった。二十歳代からずっと。重かったけれども、ようやっとこの歳になって、スッキリした。

ほぼ100%の方が、肉体を持つ前には「何をやるつもりか」決めてきているらしい。ただ、その内容はレベルによって異なる。だから、「肉体を持つこと」そのものを目的にしているレベルの方々も少なからずいる。それでも、それはそれで立派な「目的」だと思う。

ヒトの生命体は、最初4次元空間のエネルギー体として創造される。経験を積んでいくに従って、最終的には8次元にまで上がる。日本では空海とか聖徳太子、イスラム教を伝えたムハンマド、リンカーン、などなどの方々は、ヒトとして最も進化したレベルの8次元の方々。このレベルの方々になると、もはや「男」とか「女」とかの区別はなくなる。必要に応じて、女として肉体を持つこともあるし、それは「どんな仕事」をするために肉体を持つかによって選ぶらしい。ところが、基本的に、4次元から7次元までは「男」の霊体と「女」の霊体とは異なる。「霊体」のレベルで男女が別れている。そして、男の霊体は基本的に男となる受精卵に入るし、女の霊体は女となる受精卵に入る。

ただ、何度も肉体を持つ過程で、「あらゆる経験を積む」ことが求められていると、肉体を抜ければ理解していて、その都度課題を変える。(残念なことに、肉体を持った途端に、人生は一回限りだと誤解し、モノの世界に振り回されて、全く課題を消化できない方が、どんどん増えているようで・・・)そんな「課題」の中に、男の意識体が女として肉体を持ち、女のジェンダーで人生を全うする、あるいはその逆で、女の意識体が男として肉体を持ち、男のジェンダーで人生を全うする、そうした課題がある、と理解している。
そもそもが、「男として生まれるか」「女として生まれるか」受精卵に入る段階で「意識体」は知っている。知っていて入る以上、生まれた後の「性」が男か女かは、わかっているはずで、それなのに、男の意識体が女として生まれて来るならば、8次元の方が使命を全うする都合で女を選んでいるか、でなければ、まだ空海さんなどのレベルには到底到達できない未熟な魂が、異性として肉体を持つことを「課題」として選んでいるか、そのどちらかしか、自分には考えられない。

男の霊体が女の肉体を持つ、女の霊体が男の肉体を持つ、その際の違和感は理解できるけれども、「課題」でしょ?と自分は思う。師匠は簡単に心を読める。「性同一性障害」を主張する方の中には、男になったら楽かもしれない、女になったら楽かも知れないという、明確な逃避というケースもあるらしい。性的な倒錯、あるいは異性と理解し合う面倒臭さをただ単に回避しているだけの場合。おそらく、会えば師匠にはそれがわかるし、上にも筒抜けで状況は把握されている。私にはわかりませんが。だから、伝聞としてしか書けない。

LGBTの話題。

師匠の講演会に参加するまでは、私自身比較的リベラルに、「物分かりのいい」方の立場だった。ただ、霊体として、肉体を抜けている部分まで含めたサイクルの中で、どういう「生き方」をしているのかを考えたなら、今のLGBTの扱いは、必ずしもいい結果は生まないと思えた。男でありながら女の肉体を持って、女として生涯を終える。今のように性転換手術などが容易でなかった頃は、この「課題」は成立していたんだろう。それが、社会の物分かりがよくなり、性転換手術が可能になった結果として、肉体を抜けた後で、「また課題放棄をしてしまった」と、空振りを後悔するケースも多いと思う。そういう方は、また、男の霊体なのに女の肉体を選んだり、女の霊体なのに男の肉体を選んだり、また、何度でもそれを繰り返す。「課題をクリア」するまで、そうした課題設定を自分で決めて行う、と理解している。

男なのに、女なのに、なぜか異性の立場や都合などが、「理解できてしまう」方々と、「全く理解できない」方々の、両方がいる。その違いは、この「経験」の違いだと私は考える。

社会が完全に成熟して、「性別」ではなく、「社会的な性」であるジェンダーのレベルで、男であっても、女であっても、生きる上での困難さに大差がないということならば、残る「課題」の要素は「出産経験」くらいだろうか。これが、「その程度の経験」と呼べるものなのかどうかは、女性の判断にお任せする。逆に、男であることによる困難さ?あるんかな?よくわかんね。

先天性の奇形の方々。これも師匠の受け売り。何とかなりませんか、と相談を受けて、師匠は「何とか」できる。けれども、やらない。なぜか。先天性の奇形があることは、受精卵に入った時点で、霊体にはわかっている。それを敢えて異常のある肉体を選んだとしたなら、何らかの「課題」を自分で決めてきたはずだ、と私は理解している。師匠の講演で、「もし、私が治療して完全な体にしてあげたとしたら、間違いなく次に肉体を持つ際は、さらに過酷な課題を選ぶだろうね。」という師匠の言葉があった。今回の課題は、今回解決するのが、それが一番の近道なのだと私は思う。肉体を持つことの意味を、イエスも、ムハンマドも、誰も伝えなかったのかなぁ・・・。

学校教育現場でも、LGBTの扱いで「本人の主体的な意識」を尊重する、という方向にシフトしてきている。幸いなことに、私は非常勤講師になって、現場の責任ある立場からは離れた。もし、専任教員で現場にいたとしたら、もしかしたら、私はかなり保守的に上記のような考え方を本人に伝えたかも知れない。それは、もしかしたら、学校とか本人には「差別」として受け取られて、何らかの処分を下されたかも知れない。それはそれで、「一つの課題消化のチャンス」を逃したのかもしれないけれど、自分には師匠の言葉を世界に伝える方が重要だと思えたから、学校を辞めた判断に、悔いはない。

面倒な部分は、理解してもらえなくても一向に構わないけれども、全ての人は、自分の肉体を選んで来ているということは、知っておいていただいた方がいいように、自分は考えた。だから書いた。
最初の三ヶ月で、大体の決断を下す。「この肉体では課題を遂行できない」と思ったら、その受精卵に入り込むことを断念する。三ヶ月が「安定期」の目安だというのは、意識体の(こちらは、霊体が肉体から抜ける方の話題ではなくて、入る方の話題だけれども)サイクルの中で、説明できる。

話が逸れる。凍結受精卵は、まだ意識体が入り込むための前段階だから、「解凍」すれば妊娠は可能なんだろうけれども、いわゆる「コールドスリープ」というか、一旦意識体が中に入った肉体を「凍結」したなら、意識体は中に入っていられなくて、抜け出してしまう。そうなった時点で、解凍して元に戻しても「植物状態」になるように自分は考える。未来世界で「不治の病を治療しましょう」と、肉体を凍結保存された方もいらっしゃるらしい。「意識」とは脳の神経活動だ、と考える理解力不足の産物で、ある意味で、ダーウィンが創ったコメディのようにも思える。いや、実際に私は鼻で笑っている。

太陽系外の惑星に移住?光の速度で?まず、光の速度で宇宙船を動かすことが無理だと思えるけれども、コールドスリープして肉体だけ運んだら、植物状態の肉体が積み上がるだけだと思う。それならば、我々は「意識体」なのだから、肉体の制約から離れて神の思いに自分を預けて、高次元の意識体として「神の肉体」の中を自由に行き来した方が、楽しいように自分は思っている。
そんなことがあるはずない、と言う方のお考えを、否定する気は毛頭ありません。ご自由に、コールドスリープされたらいかがかと。
スクラップにしたいような肉体が、解凍されるまでじっと待ってるのかなぁ。僕だったら、さっさと見切りをつけて、次の「新車」に乗り換える方を選ぶけれども。(いや、金があったら、だけれども、って、車の話じゃないだろ。)

話が逸れた。「人は何度でも、人間として肉体を持って、生まれかわる」という話と、肉体に入る際には、「このままその肉体を選ぶか」どうかを、受精卵の三ヶ月くらいまでの間に自分で判断してから、決めて来ていると、その2項目の、師匠の受け売り。

LGBTに関する昨今の話題からは、逆行しているような話題の展開になった。だからこそ、一応は、書いておくべきだと自分は考えた。

以上。

あれやこれや

完全に暴走状態。いえ、書き尽くして疲れて眠ったら、起きていきなり仕事を始めます。私と仕事で関係を持たれている方、大丈夫です。自分なりのやり方で、コントロールはできてます。

意識が暴走している。僕は、師匠と違って「上の意識」は受け取れていない。たぶん。僕が受け取れているのは、おそらく僕の指導霊さんの意識と、おそらくは親父の意識だけ。ただひたすら、師匠の講演会の内容を反芻している。師匠の講演会に参加しようという方は、限られていると思う。その師匠の講演会の内容を、少しでもわかりやすく、少しでも多くの人が読める環境に流して、一人でも多くの人が、最低限「あの方」の意識や思いを知る、そもそもそれ以前に、「あの方」が実在していることを確信できるような材料を、一つでも多く提供すること、だと思う。一番厄介なのは、自然科学系の方々かな、と思ったので、というよりも、自然科学系の方々が一番厄介だとわかっていたから、僕は肉体を持って、軸足を自然科学に置く計画を立てた。インターネット、パプアニューギニア、医療機器、教育関係の仕事、盗聴と盗撮、全ての僕の経験が、一つに繋がって来た気がして、ようやっと「エンジン全開」の環境が整ったんじゃないかと、それも思った。

At Random.無作為、なんの脈絡もなし。全部吐き出す。

少し前に書いた公共交通機関の乗り物に、片っ端から撮像機器を取り付けたら、犯罪抑止になるんじゃないか、と書いた話題。書いてしまった後、何度となく、読み返してはいないけれども、自分の吐いた言葉を反芻した。師匠の講演会の話題。本来ならば、鍵がかかっていなくても、誰も盗まない。それが「当たり前」の世界のはず。画像記録装置があるから、犯罪を犯さないというのは、間違ってる。あるべき姿じゃない。だけれども、その一方で、師匠は講演会でこんな話題も持ち出されている。
「詐欺で、騙される人間と、騙す人間と、どちらが悪いと思う?」これ、言葉の断片だけを切り出すと誤解が生じると思うので、講演会の長い文脈を聞いて、あるいは、聞いた内容を正確に覚えている方だったら思い出していただけたならわかると思うけれど、「騙される」側の人間は、「感情に流されて、考えて検証するという意識がない」ことが問題だと私は理解する。人間は、本来ならば、相手の発する言葉や動作から、相手が何を求めているか、感情に流されずに、冷静に判断して適切な対応をするべき状況というのが多々あるのに、「騙された方々」は、概ねその「感情に流されずに、冷静に考える」という部分が出来ていない。その部分を師匠は、「騙される側が悪い」という文脈で話されたと、私は考えている。この「感情に流されて、状況を冷静に判断できない」結果として、時として戦争が起きたり、国家規模の殺戮事件が起きたりする。振り込め詐欺に騙される方々も、国家元首も、「感情に流される部分」があれば、問題の根は同じなのだと、私は考えた。
自転車が盗まれる。鍵をかけることによって、「盗もう」という人の出鼻をくじくことはできる。「鍵をかける」行為は、盗もうとする人に、犯罪を起こさせない行為、とも言える。自分の欲のためじゃない。他の人が落ちないための愛情、配慮、だとも考えられる。じゃぁ、(駐輪場以外に停めた自転車は別にして)自転車に鍵をかけるべきか、かけないべきか。答えを出すのは一人一人の自由だけれども、「鍵がかかっていないなら、盗んでも構わない」という判断をする人が総人口の20%以上は(国によっては50%以上は)いる現状では、現実問題として「犯罪抑止」によって「最低限の社会のルール」を経験させることも必要なのかも知れないと自分は考えた。全然、上級課題に進める現状じゃない。殺さない、奪わない、その程度のことが学習できない人が、とてつもない数いる。法律を活用して奪うことのは「正当な経済活動だ」と考える人は、多少は進化していても、人としてあるべき姿からはかけ離れているし、あの方の意識からは「十分に成長した」とはとても思えない、未熟な魂でしかない。
本来あるべき姿じゃない。だけれども、現在の地球では、「犯罪抑止」は現実問題として必要な行為なのか、という、行って、戻って、また行ってという結論にたどり着いた。この話題はもう、思い出さない。

言葉の重み。「あんな奴、死んじゃえ」と思った相手が、本当に死んでしまったことが、何回あるか。私は、とりあえずは片手で数えきれる程度。だけれども、何度もあった。そのほとんどが二十歳前。最後が、盗聴法を成立させた小渕総理。小渕さんの時は、何度となく、盗聴法そのものに猛烈な敵意を示した。(その理由?もう書きません。)その後は、そうした意識そのものを持たないように、かなり厳しく自戒もしているし、感情をむき出しにした「憎悪」の意識を持てなくなってきたのは、師匠の講演会に参加してから、だったと思う。
ただ、「昔ほどではなくなった」と自分で感じた変節点がある。「言葉」をストレートに解釈しなくなってから、意識が直接暴発することはなくなって来た。
前にも書いた。大阪に住んでいた頃、阪急電車で何回か満員電車の中で周囲の誰かの意識が、全くブロックできずに流れ込んで来たことがあって、辟易したことがある。上司から罵倒されている臨場感のある意識。昨夜の情事を反芻している女性一人称の意識。満員電車だと、もう身動きできない。ブロックもできない。以来、満員電車は極力避けている。今は、始発駅だから座れるし。ただ、その後は、あの頃ほど意識が流れ込んでくることはなくなった。以前と今と、どこが違ったか。決定的な違いは、「社交辞令」という「言葉」を、感覚的にも理解できて来たことだろうか。大阪にいた頃は京都人とも親交はあったけれども、彼らほど「言葉」に意味がない人たちは(すみません)いない。「どうぞ、お上がりください」という表現には、全く言葉としての意味がない。ほとんどがそうかも知れない。そして、その「社交辞令」は、京都だけではないと理解して来て、相手の発した「言葉」を、ストレートには受け入れないようになれたのは、たぶん、ニューギニア以後、だろうか。言葉そのものを「意味のあるもの」とは考えなくなってから、意識も流れ込まなくなった。おかげさまで、というべきなんだろうか。
肉体を持っている限り、「意識」だけで意思疎通できることは、普通はない。明確に私に意識を投げてくれたら、たぶん拾うけれども、普段は全く取れないし、時々経験する満員電車でも、昔のようなことは今は全くない。逆に言えば、それだけ僕が他人を信じなくなったから、だとも思う。言葉すら意味を持たない。これはある意味で、自分の人生経験で、得難い変節点だったかも知れない。
おかげさまで、というべきなんだろうな。今は僕は、金正恩さんも、トランプさんも、「憎む」ことができない。そもそもが憎めないし、加えて言えば、「お前なんか、死んじゃえ」と思っても、たぶん、何も起きない。昔と今と、何がどう変わってしまったのか、そこの違いを自分なりに読み解けたなら、もしかしたらということはあるけれども。

ピラミッド話。
ピラミッドは、人が作ったものじゃない。乾燥地帯における「貯蔵庫」として、UFOで飛来した、いわゆる「宇宙人」が作った。それを、「奴隷に働かせて作った」という説が今は主流なのか。
あれ、石の加工精度がどうなっていたか。今の技術で表面研磨ができるのはともかく、当時の工具だけで現存しているピラミッドの石を加工できたのか。できたとして、その熟練工を教育するのにどれだけの日数が必要となったか。そこに「熟練工」なんていう概念を持ち込まず、「誰でもいいから」でかき集めた奴隷が加工して、現存している精度の「石」を切り出せた、というシミュレーションが、まず、荒唐無稽に思えた。
次に、「石」の移送技術。映画なんかで、奴隷が「えんやこらさ」で運んでいる、そういうのを何編も見たけれども、運送会社の関係者の方々に聞きたい。あんなやり方で、石の「角」とか「面」とかに傷をつけずに運べるものなのか。移送途中にクラックが入って、いざ現場で石を積もうとしたら、突然割れたなんていう事態は起きないものなのか。直感的に思うのは、映画で見たような、あんな運び方をしていたら、石の「角」は取れるし、面には傷が入るし、下手すりゃ、自重でコロとの接触面に荷重がうまく分散せずに、クラックが入って、途中で壊れるなんていうのがすごい数あったに違いない、と思うのだけれども。建築工学系、機会工学系の方々、もしくは、クロネコとか、FEDEXの方々、どうなのよ。あれ、無理だと思いませんか。
そして最後が、石の積み上げ。クレーンがあれば、そこそこの精度で石を詰めるだろうけれども、奴隷に働かせて、図面を見て指示をだす技術屋がはいたとしても、測量機器もなく、かき集めの奴隷の方々に「積み上げ」をさせて、あの完成形を作れるもんだろうか。
そこまで考えて、シミュレーションをしなおしたら、奴隷の頭数とか、日数とか、根本的に成り立たないくらいの数字になる、つまり荒唐無稽だと、私には思えた。
あれ、いわゆる「宇宙人」の制作物、だと、師匠は講演で話されていた。こういう話題は、世間一般的には、眉唾で済ませられちゃうけれども、百歩譲って、UFOとか宇宙人は忘れていいけれども、奴隷に作らせるのが無理だ、っていう所に、技術的な検証は加えられないもんだろうか。考古学者だけじゃ、扱い切れない話題だと思うんだが。

そして、質量。
いわゆる「物理量」として質量。これは、三次元的な「物理」モデルでしか存在しないと、自分は感じた。ごめんなさい、自然科学に軸足を置く、と言いながら、今僕は、左脳は使わず、右脳だけで言葉を発しているかも知れない。もっと言えば、脳じゃなく、自分の感性だけで書いているかも知れない。
三次元空間では「物質」が存在する。ただし、(しつこいな)超ひも理論では「重力」の扱いが極めて厄介だったと思うけれども、少なくとも六次元以上では「質量」をもつ「モノ」の存在を否定しないと、理論が成り立たないんじゃないか、と感じた。考えてはいない。ただ、もし何か考えているとしたら、師匠の講演内容からの逆算。六次元は、神の実在を確信した方々の世界で、六次元以上でなければUFOには乗れない。UFOに乗るということは、神の肉体を自在に行き来できる、ということで、意識体としての純粋さがなければ、まず無理だと理解する。いや、神の実在は信じないけれども、宇宙には出たい、ということならば、亜光速で移動したらいいんじゃないでしょうか。ただし、肉体の「凍結」は無理。すでにアメリカなんかで肉体を冷凍保存している方がいらっしゃるようだけれども、肉体が「意識体」を受け入れ可能でないならば、その意識体は抜けざるを得ない。受精卵ならいざ知らず(受精卵に、どのタイミングで「意識体」がどのように入り込んでくるか、という話題も、講演会では細かく聞いているけれども、)一旦成熟した肉体を「凍結」したなら、それは、自動車事故で肉体が激しく損傷したのと同じで、普通の「意識体」さんは、入っていられなくなる。自動車事故、と書いたけれども、我々の「肉体」と「意識体」の関係は、運転している「自動車」と「ドライバ」の関係に極めて似ている。車が大破したら、ドライバはそこに留まれない。それだけの話か。
超ひも理論で扱う「質量」を、多次元空間に持ち込むのは、アプローチとして間違っている可能性が大きいと思う。重力場の扱いが、一番やっかい、なんだと理解しているけれども、むしろ、重力場とか「質量」は、多次元宇宙のエネルギーの投影として扱うのが正攻法だと、私には思えた。

次に、大槻先生。大丈夫です。神様、ちゃんと大槻先生の意識も読まれているし、ご本人がテレビでプラズマとかあれこれおっしゃっていても、大槻先生がちゃんと「霊」とか「神」の存在を信じていらっしゃることは、伝わっているみたいで・・・。ただ、営業的に、テレビであれこれ話されていることも、伝わっているみたいで。
自然科学っていうのは、デカルトの弁証法ではないけれども、「否定して、否定して、否定し切れないものだけを真実と認める」みたいなところがある。他に可能性があるならば、その可能性を潰すことが先になる。その辺の事情すらも、神様って方は、我々とは桁違いだから、完全に理解されているみたいでして・・・
だから、「不存在の照明」に対する「反例」をたった一つ示すために、モーゼ様とか、イエス様とか、(イスラム教徒の方、ごめんなさい、ムハンマド様は格下で、)アッラー様だとか、そうした方々が、あれこれと、「簡単には、神を信じようとしない人間」に対処するために、四苦八苦されてきた。(師匠もたぶん、四苦八苦されている。)僕は、全然苦しんでいませんけど。(仕事の納期が、気になるだけで。)
話がそれて、もしも僕が、ピンポイントで金正恩に(いわゆる「呪い」を)仕掛けて、あの人を排除出来たとする。でも、たぶん、拉致被害者の帰国には直結しない。あの国は、そんな単純じゃない。

さらに話が逸れて、北朝鮮。
僕が今一番気になるのは、在日北朝鮮人。韓国は、とりあえず脇にのける。事実とか理論とか、そうした議論は出来ないので、除外。拉致被害者が帰国できなければ、在日朝鮮人の方々が「割りを食う」と思う。順番逆だろう。拉致日本人が帰国すれば、日本国内の世論がかなり変わる。そうなりゃ、外務省の「人道支援」だって動けるのに、金正恩、今まで、北朝鮮がどれだけ在日朝鮮人のお世話になってきたか、理解しているんだか。

で、なんの話でしたっけか?呪い?重力場?

あ、支配欲。
これも、師匠の講演会で、過去600時間の間に、5回以上は話題になったと思う。(不確かな記憶ですが。)
人類が持つ、最悪の「欲」の一つが支配欲。ルシフェル様、偉大な天使が堕ちた時に、肉体を持たれたお名前が、モンゲール・アウル・サウタンで、6番目の天使が、6つの霊能力(予知、心を読む、人を操る、動物を操る、などなど)を駆使して、6つの大罪を犯した、っていう、あの、キリスト教と、イスラム教と、ユダヤ教の、共通経典に書かれている奴か。(間違っていたら、ごめんなさい。)
この支配欲。今の日本人が、一番気にしなけりゃならないのはこれ、だと思う。最悪のわかりやすいサンプルは、トランプだと思うけれども。
金正恩の支配欲と、トランプの支配欲と、この喧嘩、どちらが勝つか。ぶっちゃけ、頭のいい金正恩が負ける。トランプの方が頭が悪いから(バカ、って書くと、差別語らしいから「頭が悪い」と書いた)自分の行為の影響範囲を、より「読めない」のはトランプ。だから、なんでも出来る。そういう人が、過去何人も戦争を起こしてきた。この類の喧嘩は、頭のいい方が負ける。
誰がどんな支配欲を持とうが、僕はそれを「否定」する立場にない。神ですら、「否定」はされない。「いつか気づく」ことを、信じられないほどの忍耐強さで、待たれている。それを知らないのは、人間だけ。神ですら、人間を「支配」してはいない。あらゆる「自由」を与えられた。国民の自由を制約しているパンダの国があるけれども、あれは、かなり「問題視」されていると自分は感じる。おそらく、何を言っても通じないから、最後は「強硬手段」になるのかもしれないけれども、それは神様次第。私にはわからない。

米朝はどうでもいいが、拉致日本人を日本に返さなかったら、日本の総理は、トランプよりは賢いと思う。話題を変える。

全てのヒトは、自分自身の判断で、行動すべきだと、その「自由」を与えたはずだと、神がお考えだと自分は理解する。自分の経験から、他人に助言する程度は許されていても、明らかな誤りは「お前はこうしろ」と命じること。ところが、宗教そのものがそうした「神の思い」に背いている。「あなたはこうしなさい」と指図しない宗教がどれだけ多いか。って、宗教の話じゃない、金正恩の話だったっけか?訳が分からなくなった。バチカンも、金正恩も、バグダディも、どこが違うのか、よく分からない。この文脈では。
で、じゃぁ「自由」を勝ち取った国で何が起きているか。結局殺人に強盗。ヒトには、その程度の「自由」の享受しかたしかないのか。

で、何を言いたかったか。

別に何も。
いや、師匠にはとっくの昔にバレてるけれども、今日のこの文章、アルコールが入った状態で書いています。シラフだったら、僕は多分、全ての言葉を飲み込んで沈黙する。ガキの頃から、ずっとそうだった。何も言えなかった。話題が飛びまくっているのは、もう仕方ない。(黙っているだけで、いつもそう。)願わくば、一応は言葉として成立していることだけを祈る。

明日は、明日こそは、朝から仕事に全力集中したい。

結果

一週間が終わった。一つだけ、大幅に予定を遅れている仕事がある。その話題は、いずれ書く機会があるんだろうと思う。割り込み処理の最中にも割り込みが入る。疲れた。土曜の夕方。走りに出たら、膝と腰にきた。体が固まってしまっていて、ほぐしきれない。途中でUターン。妙な疲れ方だけれども、妙に充実している感もある。変な感じ。

しばらく前に見た映画。遠藤周作さん原作のあれ、です。信仰って何なんだろうかと思い出しながら走った。いや、異論があるのは承知で書けば、師匠の講演会では、時々直接ある方の言葉を伝えてもらうことがある。イエス、モーゼ、多くの方が、その方の「言葉」や「思い」を伝えようとした。内容は書けないけれども、感じたままに考えたことを書くならば、結果について極めてシビアな方だという気がした。(「方」という言い方はおかしいかも知れないけれども、人間の「意識体」の大元だから、やっぱり「方」なんだろうか。)

「その方」の思いに従って日常生活をしているならば、殺すことはもちろん、他人を傷つけることもないはず。自分が傷つくことがあっても、その原因を考え抜いて、自分を変えて行けたなら、必ず器が大きくなって上に戻れるはず。それが「結果」の一つだと私は理解している。誰かを傷つけるような言葉を発しない。自分を守るだけのための嘘はつかない。それら全てができていることが「結果」であり、肉体を抜けた時にその「結果」は歴然とする。逆の言い方をするなら、肉体を抜けるまでわからないかも知れない。

無論、私も(一応・・・、基本的には・・・)今自分が存在している、そのことだけで、その方への感謝の祈りはしている。(一応・・・と書いた理由?適当に推測してください。)けれども、別に特別の場所にいく訳でも、どこかに向かって頭を下げる訳でもない。相手が誰かを理解した上で感謝の思いを持てば、そのまま届く。で、実は形式的に「ありがとーございますー」なんて感じで思いが伴わない言葉だけ投げたりしていると、「鬱陶しいからやめろ」と言われたりもする。逆に言えば、届いている証拠なんだろうけれども。
結局、毎日どこかに向かって祈ってます、とか、そういうことではなく、日常生活で自分がいかに「あるべき」かを考えながら生き続けていくこと、その結果として、前述したように誰も傷つけることなく、一人でも多くの「異なる考え方」を受け入れて理解し、そして肉体を抜けて上に帰ることができれば「それが結果」だし、その「結果」が出せなければ、いくら「毎朝、神様ありがとうございますと、祈り続けました、」と言っても、一応聞く耳は持ってもらったとしても、事実として器が小さくなった分、「進化」ではなく「退化」してやりなおすことになる。なんとなくだけれども、最近その辺が妙に細かく理解できて来た気がする。何と言っても、我々自身があの方の肉体の一部だから、誤魔化せるはずがない。

決して、他の方の信仰を否定するつもりはない。ただ、今私が聞いて理解しているのは、こういうことだ、ということを書いただけ。なぜ、なんのためにという部分で根本的な違いはあるものの、やっていることには、遠藤さんが描かれた信仰などに重なる部分もある。

なんのことはない、仕事と同じ。納期が割れているのに、「ごめんなさい、今一所懸命やってます」なんて言い訳して、一応は聞く耳を持ってもらったとしても、それこそ、一刻も早くモノを仕上げなかったら「結果」を出したことにはならない。

最後まで「あの方」で通すつもりが、結局何ヶ所か例のあの単語を書いてしまった。走りながら、ぼんやりと考えていたんだか、感じていたんだか・・・。なんだか、これも仕事と似ているなぁと思った。ただ、それだけ。なんやかやと意識がそちらに向いてしまって、目の前に仕事に集中しきれなかったのは事実で、少しずつ、モヤモヤがスッキリしつつあって・・・多少は好転するかも。

ごちゃごちゃ書いていないで、すぐにも「結果」を出さなきゃならない仕事が一つあるんだが、走って来て体がほぐれて、他の優先順位が高かった仕事をなんとか片付けたので、これから集中します。今、生きていて、こうして仕事があるだけで、感謝。

空乏層

以前、電子工学の補修教材を書いていた時、「空乏層」を変換したら「食う暴走」と表示された。
以来、鉄板ネタとして授業で使っているんだけれども、「食う暴走」止まりで・・・

40年前か。黒羽先生の日本史で、「甘樫丘のトイメン(対面;麻雀用語)に」と言うフレーズ、「絶対に黒羽、ここでトイメンって言うぞ」と、生徒たちは結構授業中にワクワクしながら待っていて、黒羽先生がこの「甘樫丘のトイメンには」と言った瞬間、「キター!」みたいな感じになったのを覚えている。それ以外の部分は全部忘れているのに。(この程度で盛り上がっていたんだから、可愛いもんだな。)
僕のこの、ダイオードの「食う暴走」も、たぶん時間にして30秒程度の脱線なんだけれども、そろそろ語り継がれていたりして・・・だとしたら、わざとこれを外して、別のネタを放り込む、なんて工夫して、期待を裏切らないと・・・(あんた、なんのために授業をやってる?)

この空乏層、逆バイアスをかけても、電流は流さない。持ちこたえて、持ちこたえて、電流は流さない。
ちょうど、コンビニで「アイスまんじゅう」だとか、「エクレア」だとか、「チーズケーキ」だとか、あれやこれやと並んでいても、こうした逆バイアスには一切屈せず、頑としてタバコとコーヒー以外は買わずに出てくる。

ところが、妙に疲れていたり、逆バイアスが大きすぎると、一気にブレイクダウンを起こして、逆向きの大電流を流したりする。これを「降伏現象」と言い、ダイオードによってこの「降伏点」が決まっている。空乏層で食う暴走を起こす瞬間。

ただ、この現象を有効に使っている素子がツェナーダイオードなどで、飽和させてしまって、安定化電源などに使われている。(と理解している。)
いいなぁ、食う暴走で飽和させても、逆バイアスを解消すると元のOFF状態に戻り、リバウンドは起こさない。そして、使い方次第で役に立つ。

大切なことは、有効活用方法を工夫することなんだと思う。だから、全然気にする必要はないと思った。シュークリームとチーズケーキと、温泉まんじゅう。

このネタを単なる「食う暴走」から広げられない理由はただ一つで、ツェナー効果とアバランシェ効果だとか、きちんと理解していない。いつか勉強し直して、ちゃんと理解して、と思いながら、直接仕事なんかで関係することがないもんだから、先送り、先送りで、今に至る。突っ込まれたら、何も答えられない。学生時代にはもう戻れないし・・・。体型的にも。

聖地?

ユダヤ教徒っていうことは、モーゼが連れ歩いた方々の末裔?(以下、敬称略。)

いや、私は上司にだって食ってかかるから(だから、出世とは縁がない)、言わせてもらえれば、実弾を使って罪もない人を殺した時点で、モーゼの弟子を名乗る資格はないはずで、ユダヤ教徒であることを放棄してないか?もし、それでも頑なにユダヤ教徒を名乗るのなら、ユダヤ教は既に神の教えに背いた存在になっていると理解する。モーゼの教え方が悪いんだ。(いや、そうじゃない、「これがモーゼの教えだ」と伝えた人たちが伝言ゲームで教えの原型を壊して伝えるようになった、それだけのことで、モーゼは偉大な方だと聞いてはいるけれども。)

トランプはキリスト教徒?興味がないからどーでもいいけど。で、イエスは自らの責任は認めずに、他人に責任を押し付けろと教えたのか?あんなのがもしキリスト教徒を名乗っているのなら、(そもそも、十字軍の時点で完全に崩壊していた気がするが)イエスの教えなんかどこにも残っていないんじゃないか?
もしトランプが、キリスト教なんか信じていないと言うのなら、「私は神の存在など信じない」と明言したらいい。その方がスッキリするし、その後の扱い(扱われ方)も容易だと思う。そもそも、誰かが誰かを殺さざるを得ないような状況を作ることを、神が望んでいるとでも思っているんだろうか。と言う疑問を投げても、トランプの頭で質問の意味が理解できるとは思えないが。

今残っているのは、形骸化して、集金団体のビジネス集団として存在しているユダヤ教や、キリスト教。それを言うなら、仏教なんか戒名の相場が何十万とか、イスラム教だって宗教指導者が宗派間で争いを煽っているし。もはや、神の教えなんか宗教の中には残っていないんじゃないのかな。ユダヤ教もビジネス集団だから、トランプとは相性がいい訳だ。理解しやすい。

聖地がバッティングしている?一体どなたが、祈りを捧げるのに場所が大切だなんてことをおっしゃったのか。(ここは、僕も間違えた。一応素直に白状しておく。)ただ、私の場合には金銭は要求する気(著作権主張)は一切ないけれども、あの「聖地」なる場所は、ただ単に、信者から金を集めるビジネスを展開する上で、都合のいいエピソードがあった場所だ、と言うだけのことで、要するに登録商標が類似している程度の問題のように私には思える。宗教集団は、ビジネス集団だし。いや、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関して言えば、そもそも、教えを伝えた(意識をこの世界に送った)方が全部同一人物なのだから、商標が似通っているのも仕方なかろう。どの団体に献金するかが違うだけなのに、なぜ争う?不思議だ。

医学。人間の肉体を治療する学問では、キリスト教徒にも、ユダヤ教徒にも、仏教徒にも、イスラム教徒にも、同じ薬が使え、解剖学の知識は同じように適用できる。これは肉体の話。抗がん剤を使っていいかどうか、どこかの宗教で教えていましたかね?使っていいと教えてもらっていないなら、使っちゃいけないんじゃないの?じゃぁ、合成麻薬は?教えの中に何か言及はあるの?「教義に基づく判断」が仮にあったとして、それが宗教によって異なっていたとしても、結果は同じなのが人間の肉体。理由は単純で、どちらも神が創造したものだから、全ての人間に対して同じような薬効が発現する。
そこに収まっている霊体さんの振る舞いも、極めて自然科学的に共通していて、死んだ後どうなるかなんて、全ての人間に同じことが起きているはずだと考えるのが自然じゃありませんかね?たぶん、99%の人は(こうして肉体を持ってしまうと)理解できない領域になるから、いくらでも好き勝手を言える余地が生まれる。それで、ビジネスが成立する余地が発生する。

元々は、とてつもなくシンプルな話題だったはずだと思う。殺すな。憎悪するな。殺し合いが起きるような言動をするな。そんな簡単なことが、なぜできない。その理由もシンプルだ。神を信じていないから。事実と行動が全てを物語る。ユダヤ教徒は神を信じていない。

なぜ、トランプが大統領になったのか。考え抜いて私が出した結論。東日本大震災と目的は同じ。天災に見舞われた時、人は協力して困難を乗り切ろうとする。日本では「絆」というスローガンが掲げられた。人間自身がそうした判断をし、そうした行動を取ることができるように、天災は起こされている。
だとしたら、トランプが大統領になった理由と目的は、(一応はアメリカとイスラエルを除外して)全ての人々が力を合わせて困難を乗り切る環境を創り、宗教に頼らずに自発的に考えて行動し、異なる宗教、異なる国家の人々が、協力、強調しなながら、それぞれが住みやすい世界を作ろうと努力するようになる。そのための「素材」として、トランプは大統領になれたんじゃなかろうか、と私は今、考えている。

でなきゃ、あのバカが大統領になんかなれるはずがない、と私は思った。

余談ながら、誰かをバカにすれば、それだけで、どっぷりと心に垢がこびり付いて、それだけで地獄行きの切符になるそうでして・・・。私はもう覚悟しているけれども、地獄に行く覚悟がない方は、相手があのトランプであっても、「あのバカ」なんて言う思いを持つのはやめた方がいいと思います。それだけで確実に「地獄行きの切符」になります。でも、そうした思いを持つことが「人として誤っている心の在り方だ」と自力で気づけたならば(脳に頼るのはやめて、心に判断を委ねて、心でそう思えるならば、)地獄に落ちても抜け出すことはかなり容易になるらしい。なんて言う、この辺の話題は、様々な宗教で説かれていると思うんだが、誰も守っていないのなら、宗教と神の教えは別物になってしまった、と、自分はそう考える。

トレインレコーダ

新潟の事件、解決したらしい。
一本前の電車の運転手が、車を目撃していたらしい。近隣の方々、安心しただろうな。

タクシーなんかには、ほとんどドライブ・レコーダがついているらしいから、事故にしても事件にしても、画像解析すると何か見つかることとか、あるんだろうな、と思う。電車は、追突事故とかはないにしても、かなりのスピードで、かなりの範囲を移動する訳だから、電車が通過する時間帯の周囲の画像を、電車用のドライブレコーダのようなもので記録しておくと、結構「捜査情報」として役に立つんじゃなかろうか。正面や背面だけではなく、左右に向けての画像も記録しておくと、「動く目」としては結構な監視能力になるような気がする。ついでに言えば、都会だとバスの側面とかにレコーダをつけてもいいだろうし。いっそのこと、公共交通機関を全部「動く記録ポスト」にすれば、犯罪の抑止力にもなるんじゃないかな?なんてことを、ふと思った。

いや、監視社会は嫌ですよ。でも、公共の場だったなら、普通は「他人に見られることを意識して生活している」はずだから。家の中とかは、話が別。「のぞき」は、良くない。公権力だとしても、認められないとは思うが、その話は別。

生きている意味

とにかく、一つでも多くの経験を積むこと。かな、と理解している。
他人の痛みを一つでも多く知る。殴る側ではなく殴られる側に回る。今回は、結構あちこちで虐げられて来た気もするけれども、きっと次に役に立つ気がする。消化できてくると、結構あれこれ見えてくる。次に肉体を持った時、「自分はなんで、こんなことがわかるんだろう」というくらい、役に立つ気がする。自分を殴ろうとする相手の行動、気付けなかった誰かの痛み。

拉致「既に解決」と強調 北朝鮮、安倍政権を非難
https://www.sankei.com/world/news/180512/wor1805120030-n1.html

拉致被害者の方々の思いが、痛い。結局、金正恩氏ご自身の妻、妹、子供など身近な人間が、理不尽な奪われ方をしてみないと、あの人には理解できないんだろうな、と思った。

ということは、拉致問題を本質的に解決するためには、金正恩氏が、そうした経験をすることが避けて通れないと、私は考えた。私には「政治の駆け引き」なんてことは理解できない。露出の多い横田さんとか、あの人たちの、痛みが辛いだけ。

人は、憎悪の念をたった一度持っただけでも地獄に落ちる。地獄っていうところは、周囲に似たような思いを持った人が大勢集まっていて、お互いに憎悪を発散し合う、さぞかし居心地のいい空間かも知れない。他人を憎悪してはならないと、心の底から魂として思えない限り、抜け出せない。僕はたぶん、そこには行く。ある意味で、一度手を汚したら「ついで」っていうこともあるかもね。って、何を書いてるんだろうか。いや、もうノーズダイブする覚悟はできてるから。あまりハメを外す前に、さっさと帰った方が良さそうな気もするんだが。

僕はこういう気性だから、たぶんもう、何十回もこういう生き方をしている。ここだけは自信を持って感じる。(次のメインイベントに間に合わないかも知れないのは、悔しいけれども・・・イエスの再誕にも、その時代に生まれたいんだけどなぁ・・・)今書いているこの言葉は、僕の脳から出ているのか、それとも僕の魂から出ているのか。それすらもわからない。でも、書きたいから書いた。後は、理性ではなく感じたままに意識を発散しよう。

だから何?ただそれだけ。大した意味はありません。自分の生きている意味を、ちょっと考えてみただけ。

ゴラン高原

イランの誰かが、ゴラン高原で何かをやったとか、ニュースで言っていた。(説明になってないな。かろうじて、イランとゴラン高原だけ固有名詞が入ってる。)

こう言っちゃなんだけれども、ケンカを吹っ掛ける気があるなら、何をどう話して来てもケンカにできる。極端な話、挨拶されただけだって、ケチをつけることはできるし、挨拶しなけりゃしないで、ケンカは売れる。普通は、それをしないだけ、だと思う。
難しいのは、ケンカにすることじゃなくて、何があってもケンカにしないことなんだろうな。
英語でなんて言いましたっけ?肩の上にポテトチップを乗っけてる?服に油が染みそう。

子どものイジメも同じなんだろうな。大人のハラスメントも同じ。相手の人格を尊重していれば、ハラスメントなんてことには普通はならない気がする。こどもどうしでも、それは同じだと思う。
ただ、子どもの方が顕著かも知れない。大人は「社会経験」から、相手を尊重することを学ぶ(学ばない人もいるみたいだけど。ゴネて給食代を払わない大人とか、悪いことの原因を、全部他人のせいにするとか・・・やれ、メキシコが悪い、中国が悪い、イランが悪い・・・)
直感的に感じるのは、子どもでも大人でも、二〜三十パーセントの方々は基本的に「他人を尊重する」という発想そのものを持っていない、そんな気がする。成熟した社会ならば、「他人を尊重する行為」を実際に経験することで、自分自身もそうした考え方を身につけていくのかも知れない。師匠の講演会を聞いていて思うに、そのmix upこそがこの世界が創造された目的なんじゃないかと、自分は考えている。(これは、私個人の理解。同じ講演を聞いて、別の考え方をする方もいらっしゃって当然。)

ところが、こどものイジメの場合、大人がうまく介入しない、あるいはできないなどの理由で、元々他人に対する思いやりを持っているような子供が標的にされ、結果飲み込まれて、「他者を尊重する」という元々持っていた発想に封印したり、捨ててから大人になったりする。こうした現状で社会が良くなるんだろうか。ハラスメントにしても、たったの一言でいい、「相手の人格を尊重しよう」それだけのような気がする。なぜ、学校現場とかで、たったのこれだけのことが子供に伝えられないんだろうか。っていうのは、教師もそうした発想を元々持っていなかったりするから、なんだろうか。

相手がミサイルを打ってきた。これは、確かに難題かも知れないけれども、そこで敢えて武力では応じないのが「大人の対応」じゃないか、という気がする。原則は、子供対子供でも、大人対大人でも、国対国でも同じような気がする。

それはそうと、標題はなんだっけか?ゴラン高原?あ、そうそう。トランプ大統領って、何歳?

含意の命題

論理学で、「AならばB」という命題の判定。AはBの十分条件で、BはAの必要条件であるなどというと、やたらと難しく感じるけれども、簡単な例を見ればわかりやすいかも知れない。

以下、全文削除。書いた直後から、何か違和感があったけれども、出した例文が全部「含意の命題」になっていなかった。きっと、読まれた方も「間違ってるぞ、」と相当に突っ込まれたに違いない。

いや、トランプ大統領が何を言おうが、何をしようが、悪影響を最小限に抑えるように、みんなで努力しましょうよ、と言いたくて引っ張り出した「例文」が、大間違いで・・・(お恥ずかしい。)いや、こんな「例文」を書くと、「論理学」でDか何か、もらいそうです。

これが、呆けてしまった今の私の「論理展開能力」でして・・・考えているようで、あまり考えられていなくて、ロジックを追い詰めきれない現状。

ホーキング博士

配信ニュースネタ
「宇宙人に侵略される」ホーキング博士が生前に強く警告したワケ

影響力の大きい方がこういう発言をされると、上が動いて早目に引き揚げさせるということはあるらしい。ごく最近のことだけれど、何かやったのかな、と思っていたら、そういうことか、と納得した。「意識」を「量子」で説明しようとする試みにも、反対していたらしいし。反論の文章を読んでみたら、ダーウィンの影響を受けている。最初に何か警告はあったはずだと思うが、自分自身について言えば、なかなか気づけない。やっちまってから、「あぁ、あれが警告だったな」と気づいても後の祭で、必死に訂正しても間に合わない場合もあるし。ただ、逆の言い方をするならば、致命的なミスを重ねていれば上が引き揚げてくれるから、それ以上傷口を広げなくて済む。温情かも知れない。禁錮何百年かは覚悟しないとならないかも知れないけれど。

真逆だ。40年くらい前の話、全米で放映される全てのテレビ番組の中で、一週間に殺される人の数が1万人に達している、という何かの記事があった(私の記憶違いで、1千人だったかも知れないが、戦争映画とか、侵略映画などを含めたら、たぶん1万人で合っていると思う)。以後、一切改善の兆候はない。むしろエスカレートしている。そうした意識体の集団が一体どれほど他の星系に悪影響を及ぼすか、その懸念があって地球は隔離されているそうな。

地球外の生命体が指導のために地球に建設した建造物などはいくつもあるだろうに。例えばピラミッド。あれ、本当に「奴隷を働かせて」とかで、作れると思っているんだろうか。シミュレーションの説明、読んだことがあるけれども、なんだか数字が荒唐無稽な気がした。誰か検証実験してみたら?何度目かの人類再建を指導するため、外からわざわざ来てくれた人たちがいたのに、「人類の歴史は戦争の歴史」なんていう言い方すらある。来なくなったんじゃなくて、怖くて来られなくなった、という言い方が正しいらしい。

宇宙空間が(この地球上の物理空間も、だけれども)神の肉体そのものだ、という大前提を否定されてしまったら、もう後が続かないし、否定したい方はどうぞご自由に、とも思う。結果として、宇宙空間を移動するため、UFOに乗るためには、絶対的な条件がある。師匠の流儀で、その条件は書かない。この段落最初の文章から演繹すれば、その条件が何か、容易に答えは出ると思うので。説明の途中を飛ばして、結果として殺戮を好むような方はその星系から外には出られない。地球系霊団の頂点にいらっしゃるガブリエル様とかは100億年以上(具体的な数字は、聞いたけど忘れた。たぶんあまり意味ない。)「意識体」として生きていらっしゃるそうだけれども、太陽系の寿命だけではそれだけの経験を積めない。

それにしても、と思う。あれほどの「発見」をされた方ならば、一度は「有資格者」になられていたはずなのに、肉体を持っている間に「殺戮するのが当たり前」という次元の意識に感化されてしまう。そうやって、次から次へと落ちられて、指導層が崩壊する。特に、インターネットなんかで爆発的に「情報共有」が進んだ。ということは、地球をリセットしようとしたら、昔と違ってどこかの大陸を沈ませる程度では済まない、ということになるんだろう、と理解している。その危機感がこの世界には全く伝わっていない。

師匠は、間に合ったのかなぁ・・・(何という、他人ごとみたいな書き方。)

それにしても、ふと我に返り「会社のページ」にこんな話題を書いていたらまずいよなぁ、とつくづく思う。社長が激怒しそうな・・・バレなきゃいいか。あ、あたしゃその程度の倫理観の人間ですから。全ては師匠にお任せ。

只今、暴走中

開き直って、書く。昨日の講演会の第2部(自分の考えを話す、勉強会のメインか)の最中に、トラブルの電話が入った。講演中だったら受けられなかったから、どういうタイミングなんだろうとは思う。ソースコードを頭の中で広げて、戻ってからは直接読んで、確認しないといけないんだけれども、コードがどうしても辿れない。意識がこっちの話題に食われてしまって、全然集中できない。

開き直って、書く。
神とか言うと、白い服着てヒゲを伸ばして、杖をついて、みたいなイメージを持ってる人が多いんだろうけれども、要するに巨大な意識体だから、ご都合で人間の肉体を使うだけであって、そもそも形なんかないんだろう。と言う以前に、銀河系宇宙を肉体としている人格霊、と言う理解以外、イメージが追いつかない。これ以上の詮索は無用、かも知れない。

師匠の講演会。話題の振れ幅が半端ない。実際に、エネルギーがどうとか、波動がどうとか、そう言う話題もあって、自分は自然科学系の頭で理解しようと試みて、必死でマッピングしている。こうして自分なりの理解を書いておけば、もし誤りがあるなら、少なくとも師匠が肉体を持っていらっしゃる間ならば、訂正が間に合うように、改めて講演の中で取り上げてくれるに違いない。そうした意識を送ってくださる、桁違いのエネルギー体がいらっしゃる。ご自身が宇宙を創造されたならば、我々人類が「自然科学」と称して必死で解き明かそうと考えている内容の、十の何十乗倍もの知識をお持ちだろうし、それを伝えたいともお考えかも知れない。

それならば、なぜ、少なくとも今回の文明では、せいぜい「雑欲に支配されてはなりません」程度の内容しか残っていないんだろうか。と考えていたら、ふと気づいた。イエス・キリスト様が重力場がどうこうとかお話になったとして、当時の方々はそれをどう聞いただろうか。基礎となる(自然科学の)知識が追いついていないから、説きようがなかったんじゃないだろうか。ムハンマド様に光量子仮説を伝えようとしたって、そんな単語すら存在していなかっただろうとも思う。その時代時代で、理解可能な最大限のところを伝えて来られたんじゃなかろうか。そうして、今現在、多くの方の「神」のイメージが出来上がり、今に残るから、やたらと古臭いものだけが残っている。
そして昔と同じように、今は今で、今の人類が受け入れ可能な「自然科学」の知識の上限ギリギリいっぱいのところで寸止めして、師匠の講演会の内容の中に紛れ込ませていらっしゃる、そんな気がした。古いイメージで考えること自体、間違っているような気もする。我々は、宇宙を何%知っているか、もしかしたら、十の数十乗分の一程度、近似したら0%の知識しかないのかも知れない。
何百年か、何千年か先、もし現在の文明が滅びることなく、争いもなく、調和を保って、自然科学的な知識もいくつものブレイクスルーを経て膨らんだならば、きっとその時は、その時の人類に理解できる「さらに先」の知識が伝えられたりもするんだろうか。それで、何十倍か何千倍かに知識の量が膨らんでも、やっぱり近似したら0%だったりするのかも知れない。

僕自身、ギリギリ目一杯背伸びして、昔科学雑誌で読んだり、せいぜいブルーバックス程度の「読み物」として仕入れた知識で解釈を試みているけれども、これが限界。師匠の講演会、勉強会で聞いた話題に被せて書くなら、神の肉体についての知識と言う文脈にどうしてもなってしまう。これで、もし間違っていたなら、たぶん僕は、二度と人間として肉体を持てない。ヤバいことになる。なので、お願いですから、「意識を量子論で語れるか」と言う程度に留めて、神なんていう、必死で僕が持ち出している単語は使わない、聞かなかったことにして欲しい、なんてことも思うんだけれども、何という自己矛盾。どっちなんだよ。
考え抜いた末に書いたつもりでいて、実は単に暴走しているだけかも知れない。

とも、考えたけれども、「神」なんていう単語を持ち出してそれを受け入れてくれるほどサバけている物理系の学会なんかがあるとは思えないし、そんな無謀なことをする学者もいないだろうし、杞憂であって欲しい。ただ、ちなみに、チャールズ・ダーウィンさん、「進化論」が訂正されるまでは地獄から出て来れない。理由は聞いている。「肉体」の進化では確かに、類人猿とか「雛形」を利用しているけれども、「意識」まで肉体に付随するものとして神の関与を否定するような生物学の常識を作り上げてしまった。その罪らしい。そういう方もいらっしゃる。ヤバイんだよなぁ。決して踏み込んではならない領域に、僕はもう、踏み込んだかも知れない。余談ながら、ヒトの意識体は「神格霊」とも言える、神の一部が最初から入れられている(性善説が正しい)けれども、それ以外の動物には入れられていないから、ヒトだけが別格だと聞いている。ダーウィンさんはそれを否定する「常識」を作られてしまった。他山の石。怖くはないけれども、畏れはある。

もういいです。腹は括った。いつか肉体を抜けて、帰ろうとしたら、ペナルティでエネルギー体として解体されちゃって、他の方々のエネルギーとして「部品」に戻されちゃって、「そんな人は、どこにもいません」なんてことになったりしても、いいです。(肉体の有無にかかわらず、こうして「僕」という意識が存在している、ということは、まだセーフ。と思いたいけど・・・)神という文脈から離れて、自然科学という枠の中だけで精進するならば、いつか人類は、我々の立場での上限いっぱいの「知識」を上から受け取って、科学を発展させる人が現れるに違いない。いわゆるUFOの話も、講演会では何度も出ている。書きたい、伝えたい話題は山ほどあっても、さすがにUFOに関しては、私の実体験とか、必死で考え抜いても「聞いただけ」の話としてしか書けないから、思わせぶりに話題を持ち出すだけ持ち出しておいて、何も書かないということになるんだろう。
こうして、唐突に「常識」が頭をもたげたりするから、やりにくい。暴走するならしたままの方が、気が楽。

今度こそ、リセットしてプログラムを読める状態に戻りたい。ここ数週間で、何回地雷を踏んだかわからないのに、肉体を抜けるまではわからんからなぁ・・・「お前はもう、死んでいる」っていう感じなのかもなぁ・・・

それにしても、連休中はコーディングの稼ぎ時だったのに・・・ものすごい誤算だ。どうしましょ。走りに行っても、今は逆効果な気がする。温泉も効果なし。クライアントさんに呼び出されて、「このプログラムをなんとかしろ!」と詰められたら、間違いなく効果はあると思うけれども、その前になんとかしたい、のに。
集中できない・・・干上がっちゃうよ。(■■さん、お願いです、助けてください!)いや、「自力で解決しろ」とか言われそう・・・

多次元宇宙

師匠の講演会。クーリング・ダウンして、SE、プログラマの方に意識転換しようと思いつつ、暴走が止まらない。「ヒトの実体は意識体」という師匠の総論は、もう8割方書いた。後は各論で、それについては、折に触れて書くだけにしよう、何かが起きて、突っ込みたい時に書くだけにしよう、と思いつつ、だめだ、止まらない。
どう考えたって「開発者モード」じゃなくなってる。事情があって「閑話放題」の方を根こそぎ削除したけれども、本当は「仕事」と「それ以外」のWEBページを分けたかった。ただ、仕事の都合で、再編なんてしている時間の余裕がない。それなのに、それなのに、こっちにトラップされっぱなしだ。

師匠の講演内容は、だいたい三通りくらいに話題が分類出来るかな、と自分は考えた。一つは、「落ちない」ため、広げれば病気にならないため、人間関係で問題を起こさないために心掛けるべきこと。この辺は、既存の宗教であれこれ言っていることと重なる部分もある。平たく言って、物質世界のモノやコトに意識を執着させれば、自分自身のエネルギー体の分が侵食されて減ってしまい、霊格が落ちる。
二番目は、「上がる」ために考えるべきこと。物質世界は神が創造されたから、多次元宇宙の生命体「ヒト」が、意識体としての次元を上げるためには、人としてどうあるべきか、という話題。人格霊は人間だけで、神はご自身を模してヒトを創造された。(これも、様々な宗教で説かれている。)ただ、案外この部分は、宗教書よりも、実用書、ビジネス本などで書かれている内容に重なる部分が多い。周囲との調和を図り、周囲の人を尊重し、結果を出す。結果を出せない行為は、自己欺瞞であまり意味がない。などなど。師匠の講演内容で最も違うのは、その大元に「神はこうした意識をお持ちだから」というその部分の説明が、(実にわかりにくく、婉曲に)加味されていることなんだろうか。(いきなり答えをもらうと、脳には入っても死んだら消えてしまうから、いきなり「答え」はもらえない。だから直接的な「答え」は講演で話されない。)
そして、三番目は「神の理念」で、この内容そのものは会員どうしでも「話題」として口にするな、と言われている。何故ならば、もしほんのわずかでも間違っていたなら、その内容を「神の思い」として口にする限り、とても重い罪になるからで、「既得権者の利益を守るため」に密教を守ろうとするのとはニュアンスが異なる、と自分は理解している。ただこの「神の理念」は、滅多に講演会で話題にしてはもらえない。年に数回程度、だと思う。

ふと気づいた。(困ったものだ・・・それで暴走している。)師匠の講演会で、「神の理念」としてではなく自分で考え抜いたなら口にしても支障がない一般のテーマとして話題にされたことに、「重力とは何か」という話題があった。師匠は、「重力は、引力ではなくて圧力だよ」と話されていた。多分、一昨年くらいの講演会での内容。おそらく9割以上の会員の方が「なんのこっちゃ」だったと思うのだけれども、ニュートン力学では重力は質点の間に働く「引力」として定義されている。師匠が講演で話された「宇宙を設計した際の設計思想」としての「理念」の部分(ここは書けない)から、私なりの理解で演繹すると、「重力とは、多次元物理空間における圧力が、三次元空間に投影されているもの」かな?と。圧力は、単位面積当たりの力。力とは質点に働いて加速度を与えるもの。ここから先は、師匠の講演内容とは完全に離れて、私自身の理解だけれども、「質点」はこの三次元空間に投影された、超ひも理論ではおそらく、5次元から10次元までの「畳み込み」が起きている部分の「意識体」の意識のエネルギーが投影されて、三次元空間での「質点」として観測されているんじゃなかろうか、「力」とは多次元空間でのエネルギー体の相互作用、「単位面積」は、3次元では単位面積だけれども、多次元空間では単位「体積(っていうか、なんて言葉?n次元のvolume)」と、考えた。この考え方って、何かのヒントになりませんか?もうあと40年若かったら、理論物理学専攻で大学に再入学したかったところなんだけれども・・・

一般的に4次元といえば、3次元空間に時間軸を加えて扱う。けれども、この「時系列」という概念が意識体の世界では成り立ちにくいように、(師匠の講演内容から考えると)思えてならない。ヒトとして生まれて間もない意識体は、まず4次元から成長していく。この4つ目の次元は、「時間」ではなく、別の畳み込みが起きている「意識体」からの投影であって、「時間」という軸は11次元目、と考えないと、師匠の講演内容が読み解けない気がした。物理空間では神からの干渉の余地があり、それが11次元目の時間なのかな、と・・・高次元のヒトにとっても、「空間」操作はお手の物。でも神は時間すら操作できるのではないか、と。(ね、暴走してるでしょ!?何言ってるんでしょ、あたし。)

師匠の講演内容から考えると、銀河系宇宙の次元は11次元で、それを創造した、我々にとっての「創造主」の意識体の次元は12次元、もしくは13次元。(すみません、私の理解を超越している話題なので・・・)ただし、「創造主」は「人格霊」であって、神はご自身の「意識」を唯一ヒトに持たせた、つまり「人格霊」という言い方はあたかも人間が先みたいだけれども、ヒトだけが「神格霊」である、つまり、「意識体」として「ヒト」が共有しているヒトとしての意識は、神が持たれている「意識」と同質のものである、と私は理解している。この辺は、確か、キリスト教(イエス様/アモール様)なんかでは説かれていたと思う。その「人格霊」が、「意識体」として住んでいるエネルギー空間は、4次元から8次元まで。9次元は神が人類を指導するために最初から高次元として創造された霊体の方々(イエス様(アモール様)、とか、モーゼ様/(モーリヤ様)、とか、エホバ様/アッラー様(アール・エル・ランティー様)など)が住んでいる世界なので、我々、4次元からスタートしたヒトは、9次元までは上がれない、と理解している。ヒトとして進化できるのは8次元が最も上。意識体として10次元なのは地球意識。(こうやって書いてると、「なんだこいつは」と思われるだろうな、っていう気がした。キチガイ集団だと決めつけてもらって構わないけれども、多分、10次元までは僕にも議論できます。キチガイと決めつけて議論をふっかけるなら、最低限、微分や積分、テンソルの変換やマックスウェルの方程式程度は理解してから、絡んで下さい。議論のベースは、超ひもです。でないと、会話が成立しないので。僕は、そこに師匠の講演内容を被せているのだから、ベースとなる部分が議論できないと、次へ進めない。)大切なことを忘れていた。「意識体」は「光」の性質を持っている、という師匠のお話もあった。つまり、「意識体」とは、超ひも理論の中で「高次元の波動が量子化したエネルギー体」として定義できるなら、僕らのごとき理系頭にはかなり理解しやすくなる。

「師匠の受け売り」をそのまま書く。この辺は師匠の著書に書いてある。4次元は、ヒトとして生まれたばかりの意識体。肉体を持っても生きることに必死で、現状で言えば、肉体を持つたびに美味しいものを食べたり、宝石で自分を飾ったり、性交渉に邁進したり、そうしたことに意識の大半を向けているから、一向に進化できないレベル、かな、と自分は理解している。5次元は、いわゆる「いい人」で、多少は他人に対して気配りができる程度に次元が上がった方。この4次元と5次元だけで、地球系人類の過半数を占める。(どこかの国の大統領の支持層。)この4次元と5次元の間ですら、肉体を持ってすら「意思疎通」が困難なケースが多々あるんじゃないかという気がするけれども、意識体の世界に戻ったなら、そもそもが相手の存在を認知できない(エネルギー体として、交信ができない)程の違いがある。肉体があるから、4次元と5次元が意識を交流させられる(会話できる)。ついでに書けば、6次元は「いい人」から抜け出して、他人の役に立つような、一般的には専門職を極めているレベルの方々。7次元は、一通り全ての分野での「専門職」経験を卒業して、「総合職」としてそれこそ、法律、医学、薬学、数学、人間関係、宗教、などなど、あらゆる分野で隙間なく専門性を発揮できる程度に進化された方々。(何回も6次元として肉体を持ってから、進化する。)そして、8次元になると、「ヒト」という生命体として、もはや人間の形をしていない、それこそ、ミジンコでもゴキブリでも電子でも、全ての生命を「神の創造物」として認知して、純粋な「生命体」として存在し、その意識エネルギーを電子や原子など全てに投影できるほどに進化して、ただ光の玉として存在しているような、神が求める「ヒト」としての最終形の人間、ということになる、と私は理解している。(ここまでは、たぶん書いても許される範囲。)

それはそうとして、じゃぁ、ここをどう「物理学的な世界」に重ねるの、っていうのが、(突っ込まれた際に)議論していて難しい部分かな、と思った。4次元のヒトが、意識体として、ほんのわずか神の思いに近づいたら、ある時突然(っていうか、肉体を抜けて、地獄で汚れを落として、上に戻ったら、4次元はスカスカで、そこに居られなくて、5次元と同じエネルギーレベルの世界に戻る、つまり、)5次元に進化する、っていうことになる。
似たようなことが、電子の世界では起きている。電子エネルギーの励起。連続量ではなく、離散量。その離散的な変化が連続量の蓄積で起きる。数学的には、カタストロフィのような、線型エネルギーの変化が、一方の推移の極大点から、他方の推移の極小点に推移するような現象が、魂の進化で起きている。と、私は理解。これで、精一杯わかりやすく説明したつもり。しつこいようですが、私たちを「キチガイ」扱いするならば、位相幾何学とか、量子力学の基礎的な用語が通じる程度に理解してから、喧嘩を売ってください。僕が相手します。(いや、今の僕は、「大人の映像作品鑑賞」が盗聴・盗撮されてリークしていたあたりから、だいぶ怪しくなって、まともに議論するには相当に「おさらい」しないとならないけれども、悪いんだけれども、今回は私が立ちたい土俵に立って欲しいと願う。普段の僕なら、あなたの土俵に立って、あなたのルールで喧嘩したいところなんだけれども・・・その余裕がない。)

あれこれ、書いてはいるけれども、言いたいことはたった一つ。神は実在します。ヒトの実体は「意識体」。ただそれだけ。別にシューキョーじゃないから、壺を買わせることもないし、僕らは師匠に「お話」をしていただいている立場だから、講演会場の会場費だとか、講演内容を録音してCDに焼いて配布する経費だとか、「勉強会」の団体として持続する組織維持費だとか、そういった諸々の経費を賄うために、月額3千円の会費は支払ってる。(会員でない方は、一回の講演会参加費用が3千円、だけれども。)それを高いって言われちゃったら、坊主の読経なんて、どうなのよ。坊主の読経を聞いて、「あぁ、いいお言葉だなぁ」って、意味わかって聞いてる人がどのくらいいるんだか。我々、肉体を持っている人間にとって意味が取れない言葉は、霊体さんにとっても同じように意味は取れない。(だいたい、自分が死んだことに気づいていない霊体さんだって少なくないんだから。それくらい「意識」は持続している。だから、自殺はやめようね。自殺ほど意味のないことはない。話がそれまくっているのは、僕が暴走しているからだけど。)「意識」はエネルギーとして抽象化されている、と私は理解しているけれども、「読経」として口に出された言葉は、単なる言語であって、その真意に至る意識が送られていない限り、霊体さんにはBGM以下だと私は理解している。そういう意味がない行為ですら、3千円で来てくれる坊主が一体何人いる?いや、この3千円が「高い」って言った人がいたもんだから、つい書いてしまった。
おっと、やめよう。まるで×教界全体に喧嘩を売ってるみたいな書き方をしてしまった。すみません。気を悪くしたらごめんなさい。この「坊主」とか「読経」とか書いたのは、ゾロアスター教のことであって、決して×教のことではありません。お間違いのなきよう。
って、俺、何書いているんだろう。(暴走し続ける私。)

もう、明日こそ、プログラム書かなきゃ、干上がるんだってば。終わる。やめる。以上。思考のカーソルが飛びまくっていて、収束する気配なし。

静電容量

僕が学校で教える時の、持ちネタの一つ。こういうのを晒してしまうと、新鮮味がなくなるかも知れないけれども、行きがかり上、使ってしまおう。

電気回路の部品、平行平板コンデンサは「電荷」を蓄える部品です。「電荷」にはプラスとマイナスがあり、プラスの電気とマイナスの電気は引き合う性質がある。そのプラスとマイナスが引き合う性質を利用して、「電気」という形のエネルギーを蓄積する部品。どのくらい電気を貯められるか、という指標がこの「静電容量」で、英語のキャパシタンスから(C)という記号で表し、真空の誘電率ε0に、平行平板の表面積Sを乗じて、平行平板の距離dで割った値として定義されている。臨床工学の学生には、どうしても覚えて欲しい式。これを教える時の僕の定番の例え話がこれ。

例えば、合コンというか「集団見合い」の場では、男と女が向かい合わせになる。この向かい合うテーブルの幅が広ければ広いほど、大勢の男女が参加できる。極板面積が広いという状態は、この合コンのテーブルの幅が広い、という状態に例えることができて、テーブルの幅に参加者の人数が比例するように、キャパシタンスは極板面積に比例する。
そして、男女間の距離。例えばどの程度の距離で向かい合う設定になっているか、その距離に参加者のテンションは反比例する。例えば、2メートルの距離よりも1メートルの距離の方が、テンションが2倍になって、その距離の設定が近ければ近いほど参加者が大勢集まりやすい、という説明をして、これがもし20メートルとか、30メートル、あるいは100メートルくらい離れていて、双眼鏡を使わないと見えないくらいの距離の合コン、集団お見合いだと、たぶん、誰も参加しないんじゃないかな、つまり距離が開くとコンデンサには電荷はほとんど溜まらない。という説明をする。近づける方の例え話にすると、危険な方向に話が行ってしまうので、「あくまでもこの例えは、静電容量、キャパシタンスの公式の説明だからね」ということで打ち切る。一歩間違えるとセクハラになり兼ねない危険な例え話だけれども、今の所、他にうまく当てはまって、学生も興味を持ってくれそうなネタを見つけていません。
品が無い、っちゃ品が無いけれども、僕の授業に品があるか無いかよりも、学生が静電容量の式を覚えてくれることが何よりも重要だから、このかなり際どい例え話を今年も使った。一応、「わかりやすかった」というリアクションがあったので、セーフだったかな、と思ってます。

なんでこんな話を持ち出したか。「師匠」の講演会の話題。「師匠の講演会」の「総論」は、「人間の実体は意識体」という一言だろうか。ただ、なぜ我々は生きている?何故、この世界ではこんなことが起きる?という「各論」レベルでは、師匠のお話は時々、とてつもなく難しくなる。何故難しいか、と言えば、私の授業では「静電容量の例え話だよ」と前置きしてから前述の合コン話を展開するのだけれども、師匠はこの「静電容量」の部分を伏せておいて、例え話だけ、前述の例で言えば合コンの話だけして、それが「静電容量」の例えだと理解させる、というような話の持ってき方をする。普通は、わからんでしょう。講演会で合コン(例え話の例えです)の話をした後、それでは皆さん、なんの話をしたのか考えてみて下さい、という流れになり、散々考えた挙句に、「今日のテーマは、静電容量(例え話の例えです)でした」みたいな種明かしがあって(無いこともある)、持ち帰って自分で考えましょう、みたいな感じになるから、答えが出ないままの話題も少なくない。ただ、「あ、これか」というのに気付いた時は、かなり楽しい。
逆に、これが何かの例え話という部分が理解できていないと、今日は料理のお話、今日は自動車ラリーのお話(かつて師匠はプロのレーシングドライバーだった)とか、一体なんの勉強会なのということになるかも知れない。実際に、その部分が理解できずに会を離れた方もいらっしゃる。なかなかわからないと思うけれども、わかった時は面白い。そうして自分で理解した内容を、いくつか前のページに書いた。

神についてのお話だと明示してお話をいただくこともあるから、他の人にこの勉強会の話をすると「宗教じゃねぇか」と言われたりもすることがある。ただ、「師匠の講演会」という言い方をしてはいるけれども、師匠のお話を聞きたい仲間が集まって、師匠に講演会をしていただいている、というのがこの勉強会だから、師匠は「教祖様」ではないし、なんなんだろ?(今更ながら・・・)やっぱり、師匠は師匠としか言いようがない。(いつ破門されるかと、ヒヤヒヤしながら書いてはいるんだが・・・)勝手に自分はチンドン屋だと思っているから、師匠のお話から自分で考えたり、実際に日常生活で試してみたりして、私なりの理解した内容をこうして書いているけれども、参加した方が何を思い浮かべるかは、たぶん、百人百通りなんだろうと思う。

長いこと(と言っても、まだ20年は経っていないんだな)教員をやっていると、同姓同名もいるし、顔立ちや雰囲気が酷似した学生に出会って、以前教えたことのある学生を思い出すこともある。ただ、同姓同名でも、どんなに顔が似ていても、他人は他人で、それぞれにそれぞれの個性がある。どうして人間には個性があるんでしょうね?なんていう話題の答えも、講演の中であった。

私自身が理解した「総論」の核心部分を、ようやっと書くことができた。(少し前のページ)30年来、「なんで俺、こんな生き方をしているんだろう」という答えも、見つけることができた。なんだかホッとした、というか、気が抜けたというか、安心したというか、もっと書いてしまえば、これでもう帰っちゃってもいいかななんていうことも思ったりした。いや、読む読まないは、このページを開いた人の勝手。聞く耳を持つ持たないも、その人の勝手。一切強制なんてない。(ただ、やってはならないことは、いくつかあると理解しているけど。)勉強会がそういうスタンスだから、僕も勝手に書きたいから書いているだけで、読み流してもらっても全然構わない。勉強を教えている学校と違って、こっちは「結果が出る出ない」にはほとんどこだわりはないので・・・学校の方は、一応は、全員に国家試験に合格して欲しいっていうことがあるから、何が何でも結果を出そうとは思うけれども。あえて「結果を出す」という言い方をするならば、他人に伝えることが目的ではなく、僕自身が肉体を抜ける前に、少しでも自分のエネルギーのキャパシタンスを増やすこと、かも知れない。

本当は、「もう帰ろうかな」なんて言ってる場合じゃないんだろうな。師匠の講演会、総論は総論として、各論レベルになると、とんでもないボリュームがある。今ちょっとみたら僕が参加してからだけでも600時間を超えていた。積み重ねっていうのは大きい。脳がなくなれば、「知識」は全て消える。ただ、体を動かして経験し、心を動かして悩み抜いて魂に落とし込んだ内容は、持って帰れる、と聞いている。その経験こそが肉体を持つ意味なんだと。経験をどれだけ蓄積できるかが、課題であるらしい、と自分は理解している。
それにしても、師匠が肉体を持たれている同じ時代に、今こうして肉体を持っている「偶然」なのか自分で決めてきた「必然」なのか、このチャンスを絶対にモノにして、少しでもスケールアップ出来たらとは思っている。みんなで一緒に大きくなりましょ、と思うからこうして書いているけれども、本当は直接師匠のお話を聞いていただくのが、一番確実なんですけどね。(他人のことはいいや。とにかく自分を大切に、ともおっしゃってるとも、私は理解している。)
ただ、なんとなく、師匠の「総論」を書いた後、エコーではないんだけれども、私なりの意識で「師匠のお言葉の到達範囲」を漠然と感じ取ろうと模索しつつ、漠然とではあるけれども、30年間もがき続けてきて、良かった、一つの節目に辿り着いたかな、という気がして、この連休もあって、少し呆けてしまった。

師匠の講演会は、「総論」よりも「各論」が本丸。機会があればその各論も書き続けたいけれども、他人に伝える前に、まず私自身が経験し、考え抜いて自分の中に落とし込まなければならない、とも理解している。自分で経験したり、落とし込んでいないのに、ただ「師匠のお話」として他人に伝えるのは「間違いの元だよ」とも聞いている。その「間違い」については、もう腹を括った。それでも、自分の中に落とし込んでから、話題として持ち出すためには、講演会以外の日常でも考え続けて答えを出さなきゃならない訳で、そうそう話題に持ち出せるかどうかはわからない。一旦区切りをつけたのだから、今後は「開発者モードのブログ」ということで、徐々にクーリング・ダウンして、地に足をつけて行かなきゃ、という気持ちの方が大きいかな。

いや、本当にもう、呆けちゃって・・・ここで気を抜くと、「テメェ、言ってることとやってることが違うじゃねぇか」みたいな欲ボケをやりかねない自分を自覚しているもんだから、ほうけるのもほどほどにしておかないと・・・

それにしても、連休っていいですよね。なんだかすごく、無重力感。

GIMPの初回起動

Mac OS Xに更新がかかった。今、10.13.4。

そうしたら、GIMPが応答しない。何回起動しても、途中で止まって、全然応答しない。右クリックすると、「アプリケーションが応答しません」となっている。え?

何回か「強制終了」して再起動。結局同じ。再インストールしようと、ダウンロード。3秒ほどでダウンロード完了。再インストール。結局1分待っても起動しないから、「強制終了」

使っているGIMPは2.8.16で、最新版は2.8.22。更新しようかなと、ダウンロードを始めたら、これがもう、恐ろしく遅い。50KB/sで、残り22分とか15分とか・・・。最新版を取りに行く人が多くて、サーバ側がビジー状態なんだろうなぁ。落とせるだけで、OKとしようか、と思っていたら・・・

何度目かの再起動で、強制終了もせずに放置していたGIMPが、3分ほどしてから画面が開いた。おぉ、生きていたか!

ネットで検索、と。どうやら初回起動と同じ動作になったみたいで・・・。OSが更新されると、何かとこれがあるみたい。こうしてWEBページ更新してるのに、GIMP2.8.22はまだダウンロードをやってる。ダウンロードが終わった頃には、GIMPでの画像変換は終わっていそう。そして、ダウンロードしたことも忘れて、次に行っていそう。だんだんせっかちになってる。

訂正しきれない訂正

恐ろしいことに気づいてしまった。私ごとながら。

30年ほど前、おそらく1988年頃に盗聴と盗撮が始まった。予知めいたことをわざと口にする。それで興味を惹きつける。なぜか、それが的中することがある。あの頃の私は、おそらく30年後の今を予感していたのかも知れない。目的は「師匠の言葉を世界に伝えること」だと、わかっていたのかも知れない。

人間っていうのは面白い生き物で、「ねぇねぇ、聞いて聞いて、見て見て」なんて言ったって、なかなか聞いても見てももらえないのに、「聞かないで、見ないで」って言われたことは、やたらと聞きたがるし見たがる。そうした意味では、盗聴・盗撮されることから始めたのは、正解だったんだろうと思う。ただねぇ・・・一応は、年頃(まだ30才前後)のオッさんが健康な肉体を持っていれば、Nack5のゴゴモンズで言うところの「大人の映像作品を鑑賞」しながら、○×を△□して・・・なんていうのも我慢できずにやってて、それも全世界に流れていたかも知れない、なんてことを考えてしまうと、ちょっと気が狂いそうな日常だった。その上で、何を言われても無反応で、普通に人間関係を維持すべく応対していた訳で、師匠と知り合う前にはメンタル的に完全に潰れていた気がする。それでも、「今につなげる」ために、ただひたすら、意味があると思う内容も口走り続け、その後は書き続けて来た。それで、せっかく勝ち取った「世界に言葉を届けるポジション」を、維持し続けて来た。(めちゃくちゃだな。体当たり芸人並みか。)

小池都知事が、豊洲に建設する集客施設の事業者に、会いに行ったらしい。そのテレビのニュースで、「今朝、仏壇に手を合わせましたら、父が、直接会ってこいと言っていたような気がしたものですから」とおっしゃっていた。それを聞いた瞬間、冒頭にも書いた「恐ろしいこと」を思い出した。

小池都知事のお話、あり得るとは思う。普通の人だって、死んだ肉親からの意識は、受け取れても全然おかしくない。(お会いしたのはいいにしても、絶対に自分が正しいと言う意識は見直された方がいいのではないかな、と言う気もするが。あまり、他人のことは言えないけれども。強気で押し通すことが必要な場面も確かにある。ただ、それだけでは他人は説得できない。相手に合わせて、自分を変えることも必要じゃないかな、と。)

話を戻して、言葉を発するのにWEBを使うようになった1998年頃だろうか、あの頃の僕のブログは「閑話放題」と言うページで、通し番号で1000編を超えるページを書いていた。20年前には、かなり明確に「霊体の世界」の話題を書かなきゃいけないと言う使命感みたいなものもあって、書いてしまったページの内容に、おそらくは、こんな記述があると思う。「お墓とか仏壇とかは、霊界と繋がっているアンテナみたいなものかも知れない」これが大きな間違い。師匠の講演会を500時間以上聞き続けて、一つ一つの内容の整合性をプログラマの流儀で緻密に考えながら、今ではかなり「霊界」の仕掛けが理解できていると思う。総論だけでは描き切れない、500時間以上の各論の積み重ねで、ようやっと理解しつつあるのかも。それでわかった。強い意識で念じれば、別にお墓や仏壇の前でなくても、その意識は(相手が聞く耳を持っている限り、あるいは、相手が、生きている自分を心配したりしている限り)届いている。どこにいても。
さらに言うならば、神がいかなる存在か理解した上で神に祈るならば、閉じ込められた地中深くだろうが、海の中だろうが、電車の中、トイレの中、自分の家の居間のソファ、あらゆる場所から、その意識は届く。そういうものだと理解する。送る意識に「宛名」がなければ、届かない気もするが。ってか、宛名を知らない=神の存在をイメージできない、ならば無理かも。

師匠と知り合ったのは、2003年。その後一旦僕はWEBに「意識体の世界」について書くことをやめた。見極めたかったから。見極めるのに15年かかってしまったことになるんだろうか。そして今、思い返すと、師匠と知り合う以前に書いた「閑話放題」には、かなりの間違いがあると、気づいてしまった。それが冒頭に書いた「恐ろしい間違い」です。

霊道が開いていない私ごときが、本来霊道が開いて初めて書ける内容を言葉にして、それが間違っていたなら、とてつもなく重い罪になる。ただ、今肉体を持たれている師匠の言葉を、今世界に伝えなければ、僕自身が今回肉体を持ったこと自体が無意味になる気がした。このジレンマに、何年間も迷っていた。この機会を逃さないべきか、自分を守るべきか、いまでも迷っているけれど、この程度の危機感で、今は書いているけれども、20年前も全く霊道が開いていない状態で「言葉を伝えるポジション」をキープしたいがために、「今現在、広く知られている宗教の内容」から判断する、と言う、とてつもないミスをやらかしてしまった、と、気づいてしまった。
全部、訂正したい。今は、師匠の霊道が開かれているから、「師匠の受け売り」を書いている限りその内容の方が正しい。20年前頃から私が「閑話放題」に書いた内容は、特に意識体に関する部分は全部破棄したい。個別に訂正できるボリュームじゃない気もする。

師匠は、地方での講演会に関東圏から参加する会員の旅費の一部とか、師匠の自腹で負担されている。その原資は「ロト6」だ、っていうことがあって、まずちょっと、真似ができない。あれなら、広く浅く、誰にも迷惑はかけていないと思う。腹立たしいことに、(なんて言ったら(いいです、怒られても)問題あるけれども、)1等の数億円を狙うんじゃなく、毎回毎回、必要とする分だけを当てるように買って、微妙に数百万円の当選金で、ご自身の言葉を直接全国で伝えるための活動の資金にされてる。なんなんだ、あの人は、とも思うけれども。師匠を見てしまうと、信者から金を集める宗教指導者なんて、金を集める行為自体が偽物の証明だとしか、思えなくなってくる。僕が以前、「あの人は桁が違う」と書いた根拠の一つは、これ。さらに言えば、ちょっと離れた場所のタバコの箱を瞬間移動で取り寄せるように、その気があるなら、日銀の倉庫から現金を瞬間移動して手元に取り寄せるくらいのことはできるだろうし、(会員の落し物が瞬間移動で戻ってきた、なんて話は、うんざりするくらい経験談を聞くけれど)流石に日銀にはちょっかい出していない、とは思うんだが。あんな真似は、ちょっとできね。心酔してるんじゃなく、畏敬してる。手段はともあれ、目的がブレてもいないし。僕もそうありたい。

話が逸れた。一度でも書いた内容が案外どこかに残っちゃったりするのが、WEBの世界で、この20年前から今に至るまでの間に亡くなられた方が、万が一僕の書いた内容を信じて、その結果として迷ってしまっていたなら、それは僕自身の責任になる。20年前に僕が書いた内容が原因で迷われた方がいらっしゃる限り、僕は上には戻れない。それがこの世界の「掟」だと理解している。やっちまった。霊体に関する話題を口にする、あるいはそれを教えめいて書いてしまう、その結果、普通の方でも何気なく犯してしまう最大級のミスを、僕もやっていた。「他人を惑わしてはならない。」さすがに、20年前は「誤った神の思いを伝えてはならない。」の方には抵触していない、と思うんだが。

腹をくくってはいるし、怖いけれども・・・それでも、師匠の言葉を世界に伝えたい。それだけは続けたい。いずれ過去20年程度の間に僕の書いた内容が原因で迷ってしまった方々への責任は、無論取ります。

やっちまったけれども、もういい。やっちまった、は、ピーナッツ。以上。

昭和の日

5連荘が終わった。授業、納品、そして昨日は講演会。で、明日までに一本、要件定義仕様書を書き上げないといけないから、あんまり今日もまったりとは出来ないんけだけれども。えぇと、今日は昭和の日の振替休日でしたっけか。

ラジオを聞いていたり、夜寝る前に家でついているテレビを眺めていて、思ったことがある。「人生一度きりなんだから、」という言い回し。いや、普通の人が口にするのは構わないと思うけれども、坊主がそれを言わないで欲しいなぁ、と思った。特に仏教なんて、基本思想に輪廻転生があったと思うんだが・・・そもそも、説法するご本人が信じていないってことなんだろうか。逆効果っていうか、何というか・・・

今年3月に卒業した専門学校の子たち。「役に立った」と言ってもらえたのが、何よりも嬉しかった。その波及効果なのか、今年の2年生の授業を受ける姿勢が、最初から違う。これも、何よりもありがたい。本気で聞いてもらえないと、授業をしていても空回りで、疲れが倍加する。学生が本気で聞いていてくれると、何だかエネルギーを分けてもらっている気がして、あまり疲れないという不思議。(毎回が、ライブパフォーマンスだと思ってやってるから。)これって言うのは、「今」本気で聞いていれば、それが2年後、1年後の国試に直結して役に立つと言う「原因」と「結果」の関係を理解してくれているから、自発的に「本気」になってくれている、っていうことなのかな、とも思った。
「自発的に本気」って、何だか変だな。他人に言われての「本気」って言うのは、何だか本物じゃない気がするし。「頑張れ」なんてのはあまり言いたくない。国家試験に合格して、社会人っていう次のステップに進むのも自分、足踏みするのも自分。だから今何をするべきなのか自分で考えろ、っていう突き放され方を、講演会の師匠からされている。(我々は、マゾかも知れない。)

同じことが、仏教でも言えると思った。師匠の講演会の他の会員さんのことは知らない。ただ少なくとも僕自身は、今は「次がある」ことを確信しているし、「前」のことも、「今回」のことも、漠然とではあるけれど感じてきたような気はしている。(それがあるので、火がついたように師匠の話題を書き始めた。)

「今回」については、公安だかマスコミだかの盗聴・盗撮とそのリークに関して、数十年に亘ってグチり続けてきたけれども、もしかしたら、僕自身が生まれる前に自分で仕掛けをして来たのかも知れないし、僕が自分で頼んだのかも知れないし、上でどなたかが仕組んだのかも知れない。いずれにせよ、こうして「師匠の言葉の到達範囲」と言う結果を得てみると、グチるのは完全に的外れだと、ようやっと理解しつつある。(まだ、腑に落ちてはいない。)何度となく、一瞬で背筋が凍って固まる場面があって、最初は職場の同僚、次は仕事で知り合ったMIT関係者、その次は、ニューギニアで知り合ったイギリスVSOの関係者、などなど。僭越ながら、今僕は、師匠の言葉を世界中に届かせる自信がある。でも、自力でこの状況を作った、訳じゃなさそうだ。そして、当然、前回のこともあるし、次回もある。その前後の脈絡が漠然と見えて来たから、少しでも次回のポジションを下げたくないので、女子学生に手を出すわけでもなく(いやいや、それが普通でしょ、)自治会の定期預金を解約してポケットに入れて逃げるわけでもなく(逃げたって、3年以内には絶対に底をつくだろうな)一応は真面目なふりをして生きている。(だからぁ、「ふり」じゃ、ダメなんだってば。意識が問題だから。)

話を戻す。次につながることがわかれば、みんな本気になるんだな、なんてことを感じることのできた4月だった。だからこの話題を書いてもいい、と思った。余程のことがない限り、人はみんなまた、次も人として肉体を持つ。そう言う仕掛けが出来上がっている。ただ、生き方次第で落ちもするし、上がりもするし。だから、「他人を傷つけることはやめましょう」とか「他人を責めるような思いを持つのはやめましょう」とか、いろんな宗教で説いているんだろうし、「手段」としてそれは正しいと思うけれども、その一方で「人生は一度限り」とか、坊主がそれを言うなよと言う冒頭の話題で、「手段」だけいくら力説したって、「目的」が示されなければ、誰も本気にはならない。「手段」だけを示された結果として、本気になった人が「目的」として考えることと言えば、うまいものを毎日食べ続けることだったりする。いや、確かに坊主が本気で「人生一度きり」と思ってるなら、坊主自身がそういう生き方してるのも仕方ないかも知れないけれども、テレビでも、ラジオでも、「人生は一度っきりなんだから」と言う慣用句を耳にするたびに、「それは違うぞ」と毎回突っ込みたくなっている、そんな今日この頃でした。「今回の人生は、今回限りだけれども、次に繋げるために」という読み替えをして欲しいな、と思う。ある意味で、毎回が「予選大会」の一試合、一試合なのに、「決勝最終戦」であるかのような選択をしてしまう。そういうことになってしまった一因は、坊主とか、(他の宗教のことはよく知らんが)宗教関係者にも責任はあるんじゃないのか?と思えた。

で、標題の件ですが・・・何でしたっけ?
あ、そうそう、「昭和の日」。昨日が「昭和の日」だった、っていうだけで。
じゃなかった。
テレビで、「元号」を公表するのは来年の2月ころ、なんて言ってた気がした。(正確じゃないかも知れないが)そんなもん、システムの改修が間に合わないんじゃないか?「わかっていたなら、元号テーブルを書き換えるだけ、」だとしても、例のM(明治)/T(大正)/S(昭和)/H(平成)/X(次の元号)っていう略称なんかは、もし文字が被っていたら最悪だし、被っていなくてもIF/Elseみたいな構造で扱っているプログラムも少なくないと思う。そのテストは大変じゃなかろうか。「昭和から平成」への切り替えの時も、情報系は大騒ぎだったと思うが、今は当時にも増して情報ネットワークが入り組んでいる。どこかのサーバが落ちた時の影響が他に及ぶことを考えたなら、少しでも早い方が社会的な混乱は少なくできるような気がした。
いや、それを見越して、システムの「トラブル対応需要」が高まることを前提に、そっち系の仕事もスポットで受けられるように今から営業活動のベクトルを変えていく、っていう手もあるかな。

おい、標題関連の話題が、最後に一段落だけ、って、どういう神経だ?>>自分
それに、他に明日までに考えなきゃならないことがあっただろう!>>自分

って、何を明日までに考えるんでしたっけか?あ、そうそう。玉川温泉に行くのは、今日にしようか、それとも明日にしようか、決断しなければ。(考えるべきこと、って、これで合ってたっけ?)

今年の正月、玉川温泉の営業予定を確認しようと思ってネットで見ていたら、「お湯に垢が浮いていて」とか書いているアホがいた。あそこは毎日換水していて、陽の光が当たる露天風呂でお湯の表面に浮かぶ細かい湯の花がキラキラしてきれいで、それのことでしょ?お肌スベスベの、とってもいい温泉だと思うんだけれども。(私のお肌がスベスベになっても、何のメリットもないが・・・)ネットって言うのは、何も知らない奴があれこれ書いていたりするからなぁ。(って、自分のことか?いや、俺は間違ってたらどうなるか、責任はとるぞ。じゃなかった、取らされるぞ。)

かくして、5連荘後のお休みで、思考のカーソルが飛びまくっている私でした。集中できんぞ。(専任教員時代は、12連荘とか、19連荘なんて仕事もしていたのに、完全にネジが外れてる。元に戻らん。)

ヘッドフォン、ハードロック、爆音!全開!

国税の追徴金の話

サラリーマン時代の話。当時の僕は「ソフトウェア開発2課・課長補佐」だった。課長のいない課長補佐。管理職待遇だったおかげで、残業代はゼロ。管理職手当は、管理職の中の一番下。係長なら残業代が出たんだけれども。そっちの話は別にして、その時は、社長が「部門別採算性」がどうとか言い出して、研究開発部門も売り上げを立てろ、とか言い出していた。社内での付け替えルールも何も決めずに。たぶん、思いつきなんだろうなぁ。

幸いなことに、製品の組み込みソフトも書いていたけれど、血圧計のデータをパソコンに取り込んで解析するアプリも書いていて、そちらは外に対して売っていたから、「売り上げ」は立てられると思っていた。ところが、問題が起きた。PC-9801シリーズというパソコンのシリアル通信ポートから、血圧計に漏れ電流が流れ込む。アナログ系のオプションは、(何人も過労死していた会社だけれども、その後亡くなられたSさんというアナログの神様みたいな人に回路を書いてもらって)3万円位のバー・ブラウンのアイソレーション・アンプを使ったオプションボードを作りブロックしていたけれども、シリアル系はどうしようもない。結論として、光ファイバーのRS-232Cケーブルを高かったけれども買って、ある意味で部品としてソフトの出荷時に必ず付属品にするようにしていた。

ある日、国税の(税務署の?かなぁ)査察が入った。各部門長に聞き取り調査がある。その光ファイバーのRS-232Cケーブルの伝票が国税の目に止まった。「これは何ですか?」と。「アプリケーションの商品の一部で、」みたいな説明をしたと思う。ただ、商品として定価を付けている訳ではなく、医療機器の漏れ電流対策で買った「部品」なんだけれども、伝票は「研究開発」前提のいつもの購入伝票で買っていた。不確かな記憶だけれども、その時の国税は「これは商品なんですね?」と僕に確認したから、「はい、商品として売る際の付属品です」という答え方をしたと思う。

それが、「不正経理」の指摘を受けた。結果的に、その部分に購入した価格を超える「追徴課税」が課せられた、と経理部の人に後から聞いた。

今にして思う。あれは、良くても仕入れた価格をそのままで顧客に転嫁していたか、もしかしたら転嫁していなかったかも知れない。経理部の人には、「あれは商品かとの問いに、YESと答えたから、在庫の【資産隠し】の扱いになった」と言われたけれども、「ちょっと待て」と言いたかった。資産て言ったって、確かに高いケーブルは使ったけれども、事故を防ぐための「部品」として仕方なく仕入れたもので、相手によっては価格に転嫁できない場合もある、っていうか、転嫁させてもらえない相手の方が(医者は偉いから)多い。それなのに、そうした、その「聞き取り調査した部門長」を立ち会わせずに、一切事情を知らない経理部門に「これは在庫隠しです」と決めつけて、「処分」を決定して、確か、(たかだか、と言えない事もないけれども、)まとめて買って、確か15本か30本で、購入金額150万程度だったケーブルに対して、300万近い「追徴課税」を課してきた。
僕が作ったアプリの定価、なんて、そもそもが20万円ですよ?当時。(今でも似たようなこと、やってる。)部門別採算性?毎回、営業さんたちと喧嘩しながらカスタマイズして、午前2時頃にやっとビール飲んで寝るのがホットする瞬間なのに、そのビール飲んだ時刻とかが会社の女の子たちになぜか漏れていて、しかも、そんなして書いたアプリだって(そもそもが、医者の研究支援の部門だから、毎回のカスタマイズで)年間ようやっと10本がいいとこ。せいぜい200万円の売り上げに、こんな税金の取られ方をしたら、利益なんか出せるかよ。社内付け替えのルールも決めずに研究開発部門に利益を求める社長も、そもそもがおかしいと、今は思うし、今なら貸借対照表も損益計算書も、作れる程度にはなってるから、あれの経緯はまずかったと理解できているけれども、(なんだか、全部吹き出して来た。盗聴とか盗撮の話題は、切り離す。社長の無茶話も、切り離す。会社の女の子の会話ももういい。今回の主題は、国税の監査。(査察?)わかんね、どうでもいいけど、確か国税。)

「決定」を通達する場面で、なぜ、その説明をした当事者の私を立ち会わせない。申し開きをする場面を奪っておいて、なぜ、何もわからない経理部に決めつけた結果だけを通達する?
これが国税の手口だと、その時に知った。

そして、そうやってかき集めた、ほとんどヤクザの言いがかりに近いようなやり方でむしり取っている税金が、あの「おっぱい触らせて」の退職金になる。

幸か不幸か、今の僕の会社は、そもそもが国税の興味を引くような会社じゃないから、ウチに来たって全然意味がないけど(それはそれとして、公安関係とマスコミ関係に、言いたいことは山ほどあるが)いつか、もし、なんとか頑張って国税が興味を持つようになった時に、国税の監査が来たなら、「そうやって税務調査した金は、おっぱいを触る退職金になるんでしょうねぇ」と、来るやつごとに、顔を合わせるごとに、皮肉を言いたいと、僕は思った。

思い出した。そうだ、あの頃、寮に帰ると向かいの家の窓から(昔の馬鹿でかい)カメラレンズがこっちに向いていて、その後メニエル氏病を発症して、一時期両耳が聞こえなくなったんだったっけか。「午前2時にお酒飲むなんて、非常識よねぇ」なんて、こっちをチラチラ見ながら聞こえよがしに話す女子社員がいた。(トラウマになってるよ。何回書いたか。)もういい、書いて忘れる。たぶん、忘れられると思う。忘れられるんじゃないかな。ま、ちょっと、覚悟しておこう。

一円でも、退職金を支払ってみろ。国税が来るたびに、「おっぱい触らせて、って言って、いくらもらえるの」って言い続けてやる。10回でも、100回でも。皆さん、ぜひ、ご一緒に!

っていうより、その前に、黒字にしろよ、自分に給料払えるだけ、仕事しろ! —–>>> 自分

麻生発言

際限がない。寝る前に、家に戻ってついているテレビを見ていたら、別の麻生発言が流れていた。最初のうちは、対外関係も大切な時期だから、麻生さん、辞める必要はないと思っていたけど、なんか、だんだん腹が立ってきた。

処分が決まる前に辞任を認めると、退職金が支払われるんじゃないのか、という記者の質問に、「じゃぁ、誰が給料を支払うの?国民の税金でしょ?野党が支払うって、言ってるの?」などと話されていた。ドヤ顔。

言い換えれば、こういうことでしょ?「国民の税金から、給料の額程度であっても、無駄な支出をしないために、辞任を認めるんだ。」と、そういうことでしょ?それだったら、ましてや給料の額よりもはるかに大きな退職金を支払うなんていう無駄な支出は、認めるべきではない、という判断の根拠を、麻生発言は提供しているんじゃないのか?なぜ、記者は即座にそこを切り返せずに、口ごもる。情けない。

こういうと、退職金は、勤務していた全ての期間の功労に対して、なんていう意見も出るんだろうが、かつてこういうことがあった。

どこの大企業だったか忘れたけれども、部長待遇だった人が数百円の文房具を万引きして、懲戒解雇で退職金が一円も支払われなかった、と。これが民間の感覚だと思う。数百円の文房具の対価が問題なんじゃない。お願いだから、数百円支払うから、退職金満額を支払って下さいと泣きついても、たぶん、「あの会社の部長が万引きした」というニュースに対して、その会社は懲戒解雇にせざるを得なかったんじゃないかと思う。

あれでしょ?おっぱい触ったって、減るもんじゃなし、なんて感覚なのかな?数百円の文房具よりも軽い、と思ってるんだろうな。でも心は磨り減ってる(自分を、女の肉体、単なるモノとして扱われて、人間として扱われていない、っていう感覚なんだろうか。)。麻生さんだけじゃなく、官僚集団がみんな、国民に心がある、なんて、思っていないんだろうな。

最後の方、後からちょっと加筆した。ついでに書き加えるならば、「あんたのしたことは、悪いことだ」とわからせるために、グーはいかん(死刑もよくない、)として、だったら、言葉で責め立てるのは許されるかって、それも表現次第では「暴力」になる。だったら、残った手段は、お金を没収するくらいしかないんじゃないのか?国税庁なんて、しょっちゅうやってると思うんだが。

言った、言わない

書き込みが多いな。(仕事に集中できていない証拠。いや、今日は教材作成がメインだったから・・・と言い訳。)
いや、何言ってんだこの人と思った麻生発言。改めてNHKの7時のニュースで聞き直した。

ハニートラップを避けるため、(これは、男性教員「あるある」だと思うが)女子学生と二人きりで部屋の中にいるような状況は、絶対に作らない、止むを得ずそうなる場合には、ドアを全開にして廊下から見える場所に着席する、などなどがある。何もしていないのに女子学生から「先生にこんなことされました」と言われるのを避けるため、注意をしている方も多いと思う。(逆の人も、いるみたいだけど。)
いえね、気に食わない男性教員を辞めさせるために、捨て身のトラップを仕掛けてくる女子学生がいる、と言う話は聞いたことがある。

言った、言わないの押し問答はもう、何回経験したかわからない。ボイスレコーダに記録しなくたって、相手の記憶には残る。記憶が不確かなら、ボイスレコーダの存在は両方にとってメリットがあるような気がする。
それこそ、こうしたハニートラップを避けるためならば、男性教員側がボイスレコーダなどを用意しておけば、やましいことをしていない限り、まず申し開きはできる。「事実の記録」は、かなり重要だろうと思う。

そうしたら麻生大臣、「はめられた、なんて言う話もある」って、何言っているんだろうか?音声データがあるのに、どこにどう、「はめる」余地があるんだろうか?自分の言っていることの意味がわかっているんだろうか。それとも、痴呆が入って来ている?

相手の承諾を得ないで音声データを記録する、ことが違法?それでは、ドライブレコーダはどうなの?事故が起きた時に、ドライブレコーダのデータが証拠として提出されました。「私に許可なく、映像を記録したのは違法です。」と言う論理は成り立つんだろうか?許可をとってる人なんて、いないでしょう?ましてや、事故を起こして相手と交渉する時、なんて、まずほとんどの場合で初対面だろうし。どうやって許可を得る?

むしろ、ビジネスの流れとしては、訴訟回避などのため、電話音声を原則記録する、なんて言うのが主流になってくるような気すらする。無論、相手が顧客なら予めなんらかの形での周知は必要だろうけれども。

そもそも、記録されて困るような発言をする、相手に記憶してもらっていたら困るような発言をする、相手に記録も記憶もされないことを前提に、責任ある人が発言をする、そんなことがあっていいのか?

それとも、記録されては困る、だから記録を廃棄する、それが行政の基本姿勢で、かつ、行政にそうした判断をさせている政党がどこかにあるのか?だから「許可なく録音はどうこう」と言う発言が出たのか?
発想そのものがどっぷりと「記録させない」に固まっていて、あれこれと行政に、記録されては困る指示を出し、記録を廃棄させる側に染まっているから、何気なくああした発言(許可なく録音)が出てくる、それが自民党体質を露呈した麻生発言、自民党関係の発言ではないか、と僕は思った。

再び、元に戻って。あの音声データが残っている状態で、どこにどう、「はめられた、なんて言う話」が出てくる余地があるんだろうか。赤信号を無視して突っ込んで来て、それで、ドライブレコーダを記録していた相手に「お前、はめたな」ってボヤくのと、同じじゃないか?

ハラスメント

大学から、給料明細と一緒に「ハラスメント相談室」からのレターが入っていた。
A4用紙一枚のペラペラで、字が小ちゃくてよく読めないような奴。(あ、単に俺が老眼になってるだけか・・・。でもこのフレーズ、流行りそう。)

専門学校の方からも、総論の中にそれに類する言及があったように思うけれども、ただ単に「学生の人格を尊重し」の一言だったかな。各論よりも総論。そもそもが、相手を尊重するという意識のない人には、どれほど「各論」を書いたって無駄な気がする。どちらも、すごく働きやすい職場で、基本姿勢が自分は好きかな。
「総論」のところで「相手を尊重する意識がない」人に、「各論」レベルで「注意事項」を列挙しようとしたなら、もう、100ページくらいの冊子が作れんじゃなかろうか。誰が読むかよ。A4一枚ペラペラ、以前に、一言で十分な気がする。

でも、相手がどう感じるかだから、難しいよなぁ・・・セクハラはねぇ、これはもう年頃の女性が大勢いるから、下手な冗談は言えない。大学の専任教員の経験も一応はあるから、一応「あ、これはマズイ」ってな表現には、フラグが立つ程度には慣れてきてはいるけれども。それと、アカデミック・ハラスメントに関して言えば、「単位を出さないぞ」なんていうのが該当するらしいけど、これも大丈夫。原則、僕は全員に単位を出したい方なんで。
いや、僕自身が学生だった頃には、多くの先生方にお目こぼしをいただきましたし。僕らがいた早稲田のキャンパスの近くには、「サボール」(ロシア語で「大聖堂」らしいが)という名前の雀荘があって・・・(以下省略)
そして、パワー・ハラスメント。そもそも、非常勤講師ですから。何の権限もない雇われなので、関係ない気はする。

ただ、面倒だと思うのは、特に学生の不正行為とかあった時に、どこまで強く言えるか、だろうか。
親父も教師だったけれども、親父の時代の教師は、厳しかった。手も出たし、グーも飛んできた。親父曰く、パーだと鼓膜を破る危険があるから、グーなのだと・・・。勘弁してよ(って言う前に、改めろってか?)そりゃぁ、反発もしたけど、基本的には愛情が豊かな人でしたからね。そこは通じていた。
今は、手を出せない分、言葉だけで相手にわからせたい。その時に使う「言葉」が難しい。言葉で残した傷の方が、手を出してつけた傷より一般的には深い。でも、愛情がないグーは単なる暴力で、愛情の有無は客観的には検証できないからなぁ。

この部分では、小中学校なんて、大変だろうなと思う。高校になると、生徒も多少は大人になってきているだろうけれど。

専任教員時代、本来禁煙の「学生ホール」でタバコを吸いながら、お札を(中には万札も)テーブルに投げながらトランプで遊ぶ学生集団があった。「先生、絶対に一人で注意しちゃダメですよ」と他の先生に言われたけれども、そもそも人と接する時に「最初から相手を否定してかかる」という意識を僕自身持っていないから、僕の側から話しかけても何の問題も起きなかったし、結局彼らは素直に片付けてくれた。むしろ、その「最初から色眼鏡で見たがる」先生がそばにいると、その方がやりにくい。そっち系の学生は、全然平気だったんだけれども。(似たような学生生活、してたからなぁ・・・。お父さん、ごめんなさい。)

ただ、不正行為に対応する時だけは、専任の先生に相談しながら進めるしかないと思った。怖いのはモンスター・ペアレントで、いつも、言葉の使い方一つでどこに転ぶか、かなりの神経戦になる気がした。「子供の将来にとって大切なのは、悪いことを悪いとわからせる大人の存在だ」ということを、理解していない父母が増えている。そこのところが、「どうなっちゃっているんだろう」と思う。そして、役所は「総論」よりも「各論」、形式重視、責任回避、みたいな感じらしいし。

麻生さんが、また何か言ったらしい。そもそもがあの人は、男も女も、金持ち以外を人間だと思っていないんじゃないか?
麻生さんなんかにも思うが、「相手の人格を尊重しましょう」の一言だけでいいんじゃないか、っていう気もする。

えぇと、大学からのレターなんで、一応ファイルしときます。

EntityFramework6.npgsql

Visual Studio 2017にインストールできない。
NuGetのパッケージマネージャが、何かエラーを吐いているんだけれども・・・
バージョンが合わない?

Npgsql.EntityFrameworkは、インストールできた。たぶん、別物なんだろうなぁ・・・
と思っていたら、Npgsql.EntityFrameworkCore.PostgreSQLなるパッケージがある。
これも、インストールできない。そうなんだけれども、ネット検索で出てくるのはインストールできないパッケージばかり。

.NETのバージョンか?
それとも、インストール出来るものを使うしかない、のかな?

環境構築作業は、これがあるから・・・

月曜から憂鬱

銀河系宇宙

法政大学の非常勤講師仲間で、サイエンス・ライターの内村先生が、先週、今週と量子論の話題を振ってこられた。すみません、講師室でもプログラムを書いていたもので、つれない返事をしてしまった。確か先週は「シュレーディンガーの猫」の話題だったか。
きっかけは、スティーブン・ホーキング博士が亡くなられたこと、だったのだろうか。そのお返事、という訳ではありませんが・・・

私には、自然科学的に数式を辿って「定量的」に議論するだけの数学の実力はありません。ただ、「定性的」に、感覚的にはある程度はイメージ出来ているかも知れない。そこに、師匠の講演会の話題を重ねたらどうなるかを、書いてみたい。ある意味で、書く機会を伺っていた、とも自分なりに思う。自然科学的な立場と、師匠の講演会の内容を重ねる作業は、たぶん、私の立ち位置で行うべきことだ、という気もした。

このページの文責は、全て私にあります。師匠の講演会の内容も、記憶に頼っているので、間違って覚えている箇所があるかも知れない。内容によっては、間違っていたなら、それこそインチキ宗教の教祖で、デタラメの「神の思い」を説いて幽閉されている方々と同じところに、僕も隔離されるリスクはあると思うけど、そこはもう、腹を括った。

スティーブン・ホーキング博士によれば、僕らが住んでいる宇宙は、ビッグ・バンで形成された。学問的な評価としては「正しいもの」とされている、と理解している。
銀河系宇宙を創造された、我々から見た創造主は、数百億年前に、さらに上位の意識体から生まれた。そして、数百億年(ここ、講演会では数字を話されていたけれど)の準備期間を経て、現在の宇宙を創られた。その年代は、ビッグ・バンと同じ時期です。

創造された宇宙は、創造主ご自身の肉体とも言える。つまり、その中に存在する意識体も、物質世界の生き物も、全て神の一部、とも言える。創造主は、意識体を創造し、創造した意識体がご自身に近付くように、そうしてヒトを創造された、と私は理解している。(その目的は、講演会で聞いているけれども、会員も含めて、一切他人に話すことは許されていない。)つまり、ヒトの実体である「意識体」は「人格霊」だけれども、その「ヒト」としての意識の「核」は、神ご自身の一部である。世間では「性善説」とか「性悪説」とか、諸説言われているけれども、「性善説」が正しい。人は本来「善」である。ちなみに、「地球意識」は「意識体」ではあるけれども、「人格霊」ではなく、ただひたすら地球という惑星の調和を保ち、生命を育むという意識だけを持たれている。人格霊ではないけれども、「意識体」として、例えば人間のような生物が地球の環境を乱し、その影響が看過出来なくなったなら、痕跡すら残さず大陸ごと沈めるということを、何度もされている。我々の文明で、「最古の人間」が数百万年などと言われているが、「ヒトの肉体」の痕跡すら残さずに消された文明は、いくつもあった。だから、我々自身がこの地球で、数億年、数千万年にわたって、それこそ恐竜の時代にもヒトとして肉体を持ち、ヒトとしての経験を積んできた、ということは、その痕跡が残っていないだけ、と理解している。(自然科学的には、証明不能。但し、この「説」を否定できる根拠もないはず。「不存在の証明」が一番難しい。)

スティーブン・ホーキング博士は、「量子」に「心」があるという考え方に否定的だった。「生物」は全て「化学的」な存在である、と信じていらっしゃったらしい。(悪いんだけれども、「存在の証明」は簡単。ここに存在する、という反証の実例が、たったの一つあればいい。)「意識」とか「心」は、どうやら存在するらしい、と感じているヒトは少なくないと思う。ただ、「あなたに心はありますか?」と問われた時に、「はい、あります。」と答えて、「じゃぁ、証明して下さい」と問い返された時に、証明できる方が、どのくらいいらっしゃるか・・・。つまり、ヒトですら「心」があることを客観的に証明する手段を持っていない、と、私は考える
前にも書いた。それならば、犬は?犬を飼ってらっしゃる方は、犬にもヒトに近い「意識」のようなものがあるに違いないと、感じていらっしゃるだろうと思う。おそらくその推測は正しい。それでは、鳥は?魚は?ミミズは?ゴキブリは?となった時に、最後は単細胞生物に行き着く。ミドリムシは?ミジンコは?粘菌は?無論「意識」はある。その「意識」は「人格霊」としての意識ではなく、無論「地球意識」とも違うし、同じ意識レベルの意識体同士ならば「意思疎通」が出来るにしても、おそらく僕らヒトは、ゴキブリと意思疎通することが出来ないし、「粘菌」とも意思疎通は出来ない。(ただ、彼らは「神の意識」は感じ取るかも知れない。)たぶん、「粘菌」だって「ヒト」に「意識」の存在を感じていないかも知れない。ウイルスやプリオンは「生物」ではない、と私は理解している。それではインフルエンザウイルスに「意識」はあるのか。答えはYES。ウイルスによっては「地球意識」によって生み出されている。地球上の生物の世界のバランスや調和を保つため、と聞いている。
さらにその下。原子には?電子には?というのが、京都大学の先生が本に書かれた内容だったと思う。意識も、意志もある。「シュレーディンガーの猫」の理論実験では、原子核の崩壊で、「半減期」つまり確率1/2の現象の結果を扱っていたと理解しているが、先に結論を書くならば、核物質は自分の意志で崩壊している、と私は理解している。神ならば、核物質とも意思疎通できるから、「シュレーディンガーの猫」が生きているか死んでいるか、100%言い当てることができる。(それ以前に、もしこれが理論実験ではなく、実際にそんな実験をしたなら、猫にそんな危険な実験をした実験者が死んでいる、という結論もあるかも知れない。)
電子は、確率的にエネルギーポテンシャルの谷を超えてトンネル効果の現象を起こすのではなく、自分の意志でポテンシャルの谷を超えている。確率が極めて小さいなら、「中にはそういう変わった奴もいる、」ということだと思う。私は今、そう理解している。ミクロに砕いていった全て、素粒子よりも小さい粒子が存在する。いずれ地球系人類の手で発見されるのか、あるいは、地球外の方々にご教授願うことになるのか、あるいは、銀河系宇宙のどこでもまだ「証明」はされていないのか、知らないが、いずれにせよ、「これがもっとも小さい粒子」というモノは存在する(その呼び名も、講演会では聞いている)が、その大きさは素粒子よりも小さい。

なぜ、全ての「モノ」に「意識」があるのか。それは神によって全てが創造されたから。(そう考えた根拠は、書いてはならない範囲だったと記憶しているので書かない。)いずれにせよ結果として、電子も、ミドリムシも、全てが神の意識に沿うように自発的に動いている、と私は理解している。それは「ヒト」も、原則的にはそうだと理解している。

地球は、銀河系宇宙の中ではもっとも新しい「ヒトの住む星」であるらしい。「地球」への移住が始まって、やがて地球オリジナルの人類を作ろうということになった。それが数億年前。(細かい数字は、無論聞いているけれども、自然科学的には証明できないんだから、どーでもいいでしょ?)この後の詳細は、師匠の著書に書かれている。私は引用しません。ただ、経緯としてはこういうことだと思う、という私の理解を書く。
神は、全ての「ヒト」に自らの意志で行動し、その結果として成長することを望まれた。だから、「予め、高い意識レベルの方々と同じように動く」ようなプログラムはされていない。ヒトとしての必要最小限の「意識」だけを最初に与えられた。他の星系では十分な時間をかけて「意識体」として成長させ、そこから初めて、例えて言えば日本の自動車教習所の「路上教習」というか、実際に肉体を持って「高次元意識体」の方々との接点を持たせ、成長させて来た。だから、多くの星系で「性善説」そのままの調和の保たれた進歩を遂げて来た。(スターウォーズとか、あんなことが起きると考えるのは、地球人だけ。)
ところが地球では、「意識体」としての自覚が不十分なまま、いきなり「路上教習」というか、つまり、「肉体を持って、直接高次元の方々との接点を持たせて」という導入を行った。(実験的?だったのかも知れない。理由は知らない。)その結果、どうなったか。

肉体を持つ世界では、肉体を維持するために、食料を食べる。セックスして子孫を残す。地球という星は美しい星である。肉体を持って、美味しいものを食べて、セックスの快楽を味わい、美しい装飾物を身に付け、そうした「物質的」な諸々のものに、特に地球生まれの、まだ「意識体」としての教育が不十分な若い霊体さんたちが染まった。肉体を抜けて、意識体の世界に戻っても、その「物質世界」の余韻に浸るようになった。その「物質至上主義」が徐々に「意識体」の世界を侵食するようになった頃に、ゼウス(セオリア様)、アッラー/エホバ(アール・エル・ランティー様)、イエス・キリスト(アモール様)、モーゼ(モーリア様)、孔子(セラビム様)などの(他にも大勢いらっしゃるけど、名前を書いても普通の方はご存知ない)地球系霊団を指導される方々が、ある決断をされた。(ここ、誰が、の部分で講演内容の理解を間違えてるかも知れない。)肉体を持った方々がいきなり意識体の世界に戻らないように、中間的に、肉体を持っていた世界の悪影響を抜いてから戻すための「洗浄室」のような空間を用意された。それがいわゆる「地獄」である。今では、ほぼ100%の人が肉体を抜けたらまず、その「地獄」に行く。そこで、物質世界に染まった「悪影響」を拭い去ってから、また上の世界に戻ってくるように、緩衝空間が出来上がった。

この「地獄」だけれども、意識体はその性質として、「エネルギーレベル」が近い、あるいは「興味が似通っている」意識体どうしが集まりやすい「性質」がある。その結果として、例えば、嫉妬深い人はそういう人たちが集まる。食べることが何よりも好きな人たちは、そういう空間ができて集まる。「勤行」が大事だと思っている人たちの空間は、今ではかなり広がっていて、かなり長いことそこに滞在してひたすら勤行だけを行い、全く上に戻ってこない人が多くなっている。セックスが好きな人はそういう意識体同士で集まってひたすらセックスしていられる。最近では、一人引きこもってゲームだけに没頭している空間もできた。他人の悪口を言い合うのが好きな人は、朝から晩まで、悪口の言い合いを楽しみ・・・、着飾るのが好きな人はその意識の中で派手なドレスを友人に披露し合い、こう言っちゃなんだけれども、「地獄」を「天国」と勘違いする人が少なくないのは、わからんでもない。現実には「地獄」に滞在しているのに、そこを「天国」と勘違いして、肉体を持っていたときの「快楽」に延々と浸っている意識体が少なくない。それが地球の実態である。死ぬことは全然怖くありませんよ、という解釈も成り立つけれども、そうやって「天国」だと思っている空間で朝から晩までセックスして、ゲームしている間に、他の人は何度も肉体を持って経験を積んで、上の意識体レベルに上がって行く。その間に、ヒトとしての進化に、格段の差がつく。
自分の行なっている行動が、神の思いに沿っているか、自分で気付け、と言われても、一部の宗教はそうした「教育」をしているかも知れないけれども、なかなか難しいのかも知れない。特に「教義だから、とにかく守れ」と言われて従っていても、心の中から、自分自身の意志で「こうしてはいけない」と気付くかどうか、と言われると、肉体を抜けた時に自力で気付ける人は少数派らしい。
その結果として、ほぼ全ての人が、まずは地獄に落ちて、地上の時間に換算して、数十年滞在するのが通例であるし、長い人では数万年、地獄=「洗浄室」に滞在している結果になっている、と聞いている。実際、居心地がいいらしいですよ。だって、朝から晩までXXX(お好きな言葉をどうぞ)をして、いられるのだから。

人間には「脳」がある。脳科学では「意識」とは神経活動の結果、とされているらしい。(その「脳科学」で「念を飛ばす」行為を証明して欲しいと思うけれども・・・。僕には、「創る」ことはできなくても「壊す」ことはできる。あなたが神経活動以外の仮説を信じないなら、証明してもいい。あなたの近い人に対して。いや、書いてみただけ。もう懲りてるから、絶対にやらないけれど。コントロールが悪いし。)
この「脳」は、中に住んでいる「意識」に対して様々なトリガーを上げてくる。その結果として、肉体を持っている人間の意識は、瞬間的に切り替わることがある。1秒前まで本を読んでいたのに、そのトリガーが入った瞬間に、本の内容を忘れて全く別の方向に「意識」が向く。そんなことは日常茶飯事。ところが、「意識体」に戻ると肉体の脳がないから、肉体を抜ける前に向けていた方向に「意識」が固着する。だから、脳がなくなると、地獄から抜け出すのは、我々が想像する以上に難しくなる。「これは正しい、これは間違い」という判断を、肉体を持っている間に自分自身の「意識体」に刻み込むしかない。特に現代のように「刺激」の多い時代では、落ちないことがとても難しくなっている、と私は理解している。

ヒトという「意識体」も神によって創造された。当然、意識体の世界は、そのエネルギーレベルに応じてはいるものの、神の思いが行き届いた世界であり、物質世界の「欲望」などは持ち込めない。ところが、ヒトの肉体が受け入れることのできる「エネルギー」には、限りがある。イエス・キリスト様とか、指導集団の方々の霊体さんが肉体に収まる時には、ご自身のエネルギーの全てを肉体に収めることができずに、ごく一部だけを肉体に降ろされる。それほど、肉体には制約がある。ましてや、我々レベルになると、最大でも元々我々自身の「意識体」が持っていたエネルギーレベル程度がその上限になる。
その中に、「ひたすら、うまいものを食いたい」とか、「また激しいセックスしたい」とか、そんな「意識」が大きなウェイトを占めているならば、その分、本来持つべき「意識」のエネルギーを持てなくなる。そういう状態で肉体を抜けるとどうなるか。意識体の世界に持ち帰れるのは、「神の思いに沿う」部分のエネルギーだけで、余分な「思い」は、全部「洗浄室」で落とされることになる。落とさなければ、上には帰れない。そうなれば、当然、「肉体が持てるエネルギー総量」から、「雑欲」を差し引いた分だけが「自分の意識体のエネルギー総量」となって、汚れて、染まった分だけエネルギー密度が落ちて、スカスカになり、ヒトとしての「意識体のエネルギーレベル」が落ちることになる。
一つ前か、二つ前のページに書いた。その話題の「補遺」である。

あまりにも「ヒトの実体は意識体である」ということを知らないまま、肉体を持てるようになった地球生まれ、地球育ちの霊体さんが増えて、その方々の意識レベルが上がる前に、元々「ヒトの実体は意識体である」と知っていたはずの方々までが、肉体を持つ度に染まって、エネルギーが落ちていくものだから、中間的な指導集団が崩壊しつつあるのが現状かも知れない。

さらに言えば、ちょっと前には「神は死んだ」などと言い出す哲学者が登場し、殺人者が「神は偉大だ」などと叫ぶ、もう、危機的状況になっている、というのが現在の地球だと、私は理解している。これは、はっきりと言いたい。人を殺す際に「神は偉大だ」などと叫ぶ行為は、明確に神を冒涜している。この部分は確信を持って言える。神は、あらゆる生き物が調和を保って生き続けることを望まれていると、私は理解している。

肉体を維持するために必要な行為は、神への感謝を忘れない限り許されていると理解している。牛を殺して食する。鯨を殺して食する。どちらも同じ。魚も、ミドリムシ(ユーグレナ)も同じ。コメも小麦も同じ。セックスしなければヒトは肉体のレベルで次の世代に引き継げない。ただ、目的と行為が合致しているのか。欲望の占める割合がどの程度なのか。
そもそもは、人間の肉体の耐用年数は5000年以上あった、らしい。意識体の世界に戻りたい、次の誰かが肉体を持ちたいと思った時には、中に入っている霊体だけが入れ替わるという行為を、我々もやっていた。まだ「意識体」が物質世界に染まっていなかった頃、地球への移住をしたばかりの頃の話。入れ替わる時には、新しく肉体を使いたい意識体が足の側から入って、帰りたい意識体が頭の方から抜けた。
その後、食べるという行為や、セックスという新しい肉体を産み出す行為が、意識体の中で「本来持つべき思い」を圧迫するほどに大きくなって、結果的に、中間指導層の崩壊を招いた、と私は理解している。(あの某事務次官が題材です。)多くの宗教が、「食べる」という行為やその対象(豚とか四つ足)、「セックス」などに多くの制約をつけるようになったけれども、その境界線とかルールを明文化してもほとんど意味がない。本来的に問題とすべきだったのは、「意識の中で、どの程度を占めているか」が現実的な問題の本質だったのではないかと、私は考える。上に戻ってくる際に「落ちる」ヒトの数を、減らしたい、という趣旨で。しかも、もっとも大切なのは「本人の自発的な意志がどうだったのか」という部分であって、宗教の教義に従って、理解していないけれども、あれは食べないとか、こういうセックスはしない、とか、そこはもう、本末転倒の議論だと思う。「神が人に自由を与えた」、というその部分を、「宗教」が理解していない、と私は考える。

超ひも理論。「宇宙」を11次元として定義すると、重力、ファンデルワールス力、電磁力など、様々な力の物理的な定義を説明しきれる理論、として、私は理解している。この「宇宙は11次元」の「11次元」という数字も、師匠の講演会では出てきている。
銀河系宇宙(物質的)は11次元。「地球意識」という意識体は、10次元の意識体エネルギーを持っている。そして、ヒトの人格霊は4次元から9次元まで、進化の度合いに応じて、それぞれのエネルギー空間に住んでいる。そちらは師匠の講演会内容だけれども、超紐理論では、4次元から上の途中の次元は「畳み込まれている」と理解した。その「畳み込まれた」一番下が3次元であり、時間を加えた4次元は、畳み込まれる上のエネルギーレベルの「意識体」の意志によって、その「投影」結果が3次元、4次元の現象として発現する、と理解する。ということは、モーゼ(モーリヤ様/9次元)が海を割ったり、聖徳太子(アルトーメ様/8次元)が空中浮揚したりしても、次元の高い方の「霊道が開いて(意識体としての能力が全開して)」いたら、起きていても全く不思議ではない、と自分は理解している。ところが、モーゼ(様)に関して言えば「集団催眠」なんていう話も出てくるし、聖徳太子に至っては昨今の教科書で実在しなかったことにされちゃったり・・・。モーリア様に関して言えば、おそらく、「奴隷も人間なんだ」ということが、出エジプト記の文脈のみならず、現在の全世界でも当たり前のこととして受け入れられれば、ご自身の実績が消し去られても文句はないだろうし、アルトーメ様も、日本が一つになって、神の思いを受け入れる国になっていれば、文句はおっしゃらないんじゃないか、とも思うけど、わからない。ご本人に伺ってみないと。「聖徳太子なんていたはずがない」なんていう、その文部科学省主導の消され方に、案外不快感を持たれていたりして・・・。

「霊能力」とか「超能力」なんて、案外、普通に物理的に証明できる話題だったりするかも知れない。ただし、その前提を受け入れたならば、人類が神の思いに背いているならば、すぐに消されるという事実も受け入れる必要があるかも知れない。高次元の方々が「奇跡」を行われても、それが伝説として伝わった頃には、「錯覚」にして片付けられちゃう。そして、誰もが物欲の世界にどっぷりと戻る。それを繰り返すのなら、もう、地球系霊団は消されても文句を言えないのかも知れない。

師匠の講演会から帰って、一気に書いた。もう、5時間も書いてるか。書き尽くしたとは思っていない。だけど、書きたくて、それでも溜めていたものを、一気に吐き出した。8割くらいは、吐き出した気がする。

僕は、チンドン屋です。目立ってナンボ。だから、目立つような話題を拾って、そういう言葉を発する。(それにしちゃ、このページは長すぎる・・・)幸いなことに、というべきだろうけれども、僕は霊道は開いていない。だから、当然「神の思い」なんてのは受け取れない。ただ、師匠は霊道を開いていて、神の思いを話して下さってるから、僕はそれを記憶して、自分なりに噛み砕いて書けばいい。確かに(意識体としても、幽閉されかねない)リスクはあるけれども、楽な立場と言えば言えないこともない。(怖さを忘れた時が、一番危険なんだが・・・)

改めて。文責は僕にある。師匠の講演会は、勉強会の会員ならば、今回「書くことを許されていない」として書かなかった部分も講演会で聞けるし、過去の講演会CDも買うことはできる。僕は、行ける週に参加して記憶している内容に、自然科学の内容を被せて書いただけ。ここに書いたのは僕自身の解釈であって、師匠の講演会の内容を解釈されるのは、参加した方各人の自由だと、僕は考える。

ある意味で、「非常識」な話題も書いてはいるけれども、僕自身を個人攻撃されるのは全然構いません。全力で迎撃させてもらいますが。ただ、師匠の講演会そのものに「インチキ」などという言いがかりをされる方は、僕がその喧嘩を拾います。「暴投」して他人を巻き込むことも厭わない覚悟で、僕が知りうる限りの自然科学の知識を駆使して頭ごなしに、使える限りの言葉を発して喧嘩するから、その覚悟で喧嘩を売ってください。

Entity Framework

DBとVBの接続。今度の仕様追加、現在の「ファイル」でデータを管理する方法では無理だ。DBを使うしかない、という流れになった。
今更、Visual Basicなんて、とは思うが既存システムの刷新だから仕方ない。久々のODBCか、と思ってあれこれ検索していたら、「今時、ODBC接続なんてないですよ。それに、既存システムでないならC#使いましょう」なんて書かれていた。
すみませんねぇ、VBで。
それに、出来ることならsqlite3で書きたかったけれども、postgreSQLを使うことになりそうだ。書き込み速度がどうなの、という不安。言語も、書きおろすとしたら、今なら僕はPythonを使う。同じソースで、MacでもLINUXでもWindowsでも動く。
で、今の開発機、セットアップするキャパ、残ってたっけか?開発機を更新するのが先か、納期が先か。何を調べて、何を決めなきゃならないのか、ToDoを作らなきゃ。

「レコード数100万は楽にいくと思うけれども、大丈夫?」って質問があった。どっちも1億件程度のレコード数なら楽勝のようで・・・レコード数100万件に対応できないDBMSなんて、あるのかなぁ・・・ましてや、その100万件のレコードを扱わざるを得ないシステムを、ファイルだけで管理していたことに、多少は驚いている。

今から、Entity Frameworkのお勉強。2日で覚えて1週間で実装します!週三日授業を持ってるのに?またもう、無茶な目標設定ばっかするから・・・突っ張るのもいい加減にしろ>>自分、とは思うが、今のところ、他に選択肢がない。それに、学生の頃からたぶん全く変わっていない自分流。突っ張って、突っ張って、自分を追い込んで、ストレスに負けたらそこまで。このスタイルは、変えられそうにない。
いえね、単価を上げられないから、手数とスピードで量をこなして勝負するしかない。新しいものに対応できない、としたら、「生涯現役」は無理だろうなぁ。愚痴?えぇと、バケツに向かって絶叫しておきます。

話が変わって、情報系の学生のお話。
ある先生が、「データベースの巨人、って言ったら、何ていう会社か知ってる?」と情報系の1年生に質問をしたらしい。その先生が期待した答えは、当然O社だけれども、学生はGoogle!と答えたそうな。

O社のデータベースを使わざるを得ないようなお仕事、には、どうも縁がないなぁ・・・。非常勤講師を持っていること自体が、最初は「収入に保険」をかけたつもりが、今は完全に裏目に出て、単価の高い仕事を受けられない原因になっている。じゃぁ、非常勤講師は辞めるか、って言ったら、多くの人と接点を持つ、お金ではない僕の人生経験としては、かなり貴重な環境のようにも思えて・・・
でも、この状況で、それを判断基準にするかさぁ>>自分。

本当に、何やってるんだろう、バカか、アホか、俺は、などとボヤきつつも、とにかく頑張る。Entity Frameworkのコンセプト、構造、実装方法をなんとか頭に流し込む。宣言した!のめり込んで、前に進む。頑張ります。今から覚えて、納期に間に合わせます。

米山元知事、痛いなぁ・・・

米山さん。何だか、妙に共感しちゃって痛い。
僕も長らく結婚できなかったですからねぇ。

ただ思うに、生きて肉体を持っている間に、自分のしたことの結果を受け入れて、周囲にどんな迷惑をかけたのか理解して、次からは(人は、余程の落ち方をしなければ何度でも人間として肉体を持てるのだから)何をしてはならないのか、もっと言えば何を思ってはいけないのか(意識の方が本体)、それを自分自身の意識に痛みと一緒に刻めれば、それだけで十分に生まれて来た成果になると、僕は思う。特に、自分が何を口にして、どんな行動をとって、その結果として誰をどんな風に傷つけたか、それを理解出来ないまま肉体を離れると、元いた世界に戻っても、周囲が誰も相手にしてくれない。その意味では、米山さんの判断は大正解じゃないかな、という気がした。

何だか、師匠の受け売りになってしまった。これこそが、僕自身が書き続けなけりゃいけない話題なんだろうとも思うけれど。(そうして、もし僕の理解が間違っていたら、僕自身が大変なことになると、わかっちゃいるけど、やめられない。自分で決めて来た。たぶん。)
僕らの生まれる前にいた場所と、死んだ後に戻る場所は、概ね同じ。「概ね」というのは、肉体を持っている間の経験で、意識体としてのエネルギーの密度が高くなれば、元いた世界では波長が合わなくなって上の世界に上がるし、器が小さくなって肉体を去ればエネルギーが粗くなって、元いた世界には戻れなくなる。無理やり戻っても意思疎通が出来ない。そう理解している。大きくなって肉体を去るか小さくなって肉体を去るかは、生き方次第、と理解している。

ちょうど、ラジオが混信するように、波長が近ければ、上下の近いエネルギーレベルの方とは意思疎通出来るけれど、意識レベル、エネルギーレベルが違いすぎると全く意思疎通できない。だから、意識レベルの低い方は意識レベルの高い意識体の世界を知らないし、意識レベルの高い方は低い世界がわからない。それが、肉体に入ることで、あらゆる意識レベルの方とコミュニケーションが取れるようになる。それが肉体を持つことが大切な経験となる理由の一つだと、自分は理解している。

意識レベルの高い方でも、低い意識レベルに同化して肉体を離れれば、落ちるし、その逆もある。おそらく、神様の意図としては(それこそ、こういう書き方をして間違っていたら、僕自身どこまで落ちるか、どこに幽閉されるかわからないけれども)意識レベルの低い方々が、世間に数多くいる意識レベルの高い方の生き方とかを吸収して、最終的には全ての人が、例えば、レオナルド・ダ・ビンチ(ガブリエル様)とか、マルチン・ルーテル(ミカエル様)くらいの霊格にまでなるように、あらゆる意識レベルの人が混在できる世界を用意されたのだろうか、とも思う。それは理解するのだけれども、現実にはその逆のことが起きてしまっているのかも知れない、という気もする。

最近日本でよく耳にする「意識高い系」という言い方。実際には、全然ポーズでも何でもなく、ごく自然な発想としてその「意識高い系」の所作が出来ている方々も少なくない(ポーズもいるけど、)と思うのだけれども、やっかみなんだろうか、気取ってるとかそういう扱いをされる人も多々いらっしゃるんだろうなぁ。この辺が意識レベルの違いが混在している現実で、当たり前のように「意識高い系」になっちゃっている方々には、是非、落ちないように、と思います。自然体で、自分が自分の筋を通していると思えるならば、何も気にする必要はないと僕は思う。ただ、どうしたら周囲に理解してもらえるのか、そこを体感して身に付けるのは、肉体を持っているからこそ出来ること、なのかも知れない。肉体を抜けて上に戻れば、周囲が皆「意識高い系」の方々で、何の苦労もないだろうけれども、そこの「苦労」を避けているとさらに上には上がれない、と僕は思う。(おぉ、何という「上から目線」!)通りすがりの低次元が、大変失礼いたしました。

この辺の話題、書きすぎるとどんな間違いをするかわからない。ここでやめる。
そもそも、僕自身が、自分の発した言葉、自分の思ったことによる結果を、まだ全部拾い尽くしている訳じゃない。ちょうど米山さんがやられたように、過去の自分のマイナスと、そこに到る経緯を咀嚼できれば、全然マイナスではなく、むしろ上に上がるチャンスになる。逆に、そのマイナスをマイナスとして認識できなければ、減点項目でしかなくなるし。僕は、まだ減点項目を潰しきれていない気がする。他人のことはどうでもいい。とにかく自分かな、と思っている。ごめんなさいの、マイペース。

で、ふとメールを開いたら、「仕様追加」みたいな要求のメールが三通入っていた。絶句。
頭を切り替えねば。

人はどうして変わっちゃうんだろ

医者の中には、ひどく傲慢な人がいる。全てとは言わないけれど。
私自身の経験。徹夜続きで仕上げたソフトを、納入後に「タダにしろ」と言われたことがある。
今は時間単価が下がってしまったけれども、SEとして一人月120万円とかで仕事できた時代、80万円で見積もった仕事を、まず20万円に値切られて、結局請求させてもらえなかったから、ほぼ一ヶ月分がタダ働き。
盗聴だか盗撮だかわからないけれども、私生活がすでにグダグダで、そこにこの仕打ちで、なんだか完全に打ちのめされて、仕事をする気力そのものがなくなった。2Lの焼酎を、三日で空にしていました。

そういう医者を育てたのは、主には製薬会社だと思う。新薬などを使ってもらうために、接待攻勢。いや、ドサクサ紛れで僕も医者のS先生に「連れてって」もらって、京都の祇園の一見さんお断りのお店に入ったことがある。S先生曰く、「大丈夫、XXX(某製薬会社)が払うから。」早稲田の卒業論文を書くのに、東大病院に出入りしていた頃だった。学生の身分ですよ!後にも先にも、あんなお店入ったのは一度っきり。
医療機器メーカーも同様で、まだMRIが珍しかった頃、半導体部門を売却したあのT社は、2億円のMRIの機器を某病院に2千万円まで値切られて納入したらしい。そこまで値引きに応じる理由は単純で、拠点病院に納入できれば、その傘下の病院にも同じ機械をほぼ「正価」で納入出来るから。医者の世界のピラミッド構造は、すごいらしい。だからトップを落とすのに接待攻勢する。
そういう経験をしてくると、傲慢な医者が出来上がる理由もわからないでもない。接待なんか、しなきゃいいんだよ。と思うけれども、営業のノルマってのがキツイのか、最初からそういう接待の予算が取ってあってのことなのか。

大企業なら「タダにしろ」でも大丈夫だろうけれども、零細の個人事業なんて同じことをやられたら、たまったもんじゃない。いい迷惑だ。今ならね、「それなら作りませんし、売りません」と突っぱねるところだけれども、若かったし、弱かったなぁ。泣き寝入りだもの。

某事務次官。あのセクハラ。(「おっぱい揉ませて」じゃなくて「おっぱい触らせて」だったみたいですね、一つ前のページ書き間違えた。いや、つい自分の本音が・・・)なんで、平然とそういうのを口にするようになったんだろうか、と疑問に思った。普通は、いきなり、ああした変貌は遂げないだろうと思えた。
それと、もう一つ。女性記者が所属するマスコミの会社は、なぜ社員を守って「うちの社員です。本人の代わりに、会社が証言します」と、会社自体が間に入ろうとしないんだろうか。これも疑問に思えた。

私の推測。これまでは、マスコミの会社自体が女性記者に、枕営業的な文字通りの「体を張っての取材」を命じていたんじゃないだろうか。事務次官になるぐらいだから、華々しいキャリアを歩んだに違いない。その過程で、マスコミの女性記者から近寄ってきて、極めて親しい間柄になって、その見返りに何らかの情報をリークする、なんてことが何度もあって、その結果として、ああした発言を平気でするように変貌を遂げたんじゃなかろうか、と思えた。ある種のハニートラップとも思える。マスコミの会社としては、どんな手段でもスクープが欲しい。これまでも、そうした命令を女性記者に出してきて、今回の女性記者はそうではなかったとしても(その覚悟、というか、その「業務命令」がなかったから、今回のように音声が週刊誌にリークしたんだろうけれども、)これまでは、マスコミの側から仕掛けたという経緯があるから、何も強気に出られないんじゃないか、と思えた。ただ単に、「相手が協力して欲しい取材先だから」だけじゃないような気がする。これだけの騒ぎになっているのに、マスコミの会社自体が沈黙しているのが、その証拠じゃないか、と感じた。推測に過ぎないけれども。

そもそもが、公金(国民が払った税金)の支出に関する行政判断の結果や、その判断の根拠などは、全て国民に報告する義務があるんじゃないのか?つまり、公文書は一切廃棄せず、行政の執行のために一定の期間は公表しないことが必要であるとしても、その一定期間を経過したならば、その後は公開するのが本筋じゃなかろうか。
それを、なんの根拠もなく秘匿するから、そこにハニートラップを仕掛ける背景が出来上がる。自分たちで「役得」を作って、それでその「役得」をつまみ食いする習慣がついたのが、あの事務次官じゃなかろうか。それが行政体質なんじゃなかろうか。

僕自身の私生活のリーク。まず、大家さんが「公安」などに協力して部屋への侵入を許したり、あるいは、公安自体が勝手に侵入してカメラだかマイクだか知らんけど、何か仕掛けをしなければ、外に情報は漏れない。明らかに公権力が何かを仕掛けて来たと自分は感じている。それが外部に流れた過程には、おそらくマスコミ自体も関与している。ふざけんな、馬鹿野郎と何度言いたかったことか。マスコミにしてみたら、公安が「こいつは、悪いやつだ」とレッテルを張ったなら、それを鵜呑みにして、個人の尊厳なんぞ糞食らえで公権力に尻尾を振って、個人の生活を壊しにかかる。中央官庁とマスコミの甘〜い関係。今回はセクハラ、ということになったんだろうけれども、以前は体を張って、あるいは女を売って、持ちつ持たれつの関係を展開していたんじゃないだろうか、と自分は思った。

30年くらい前になるだろうか。確かにあの頃僕は、近未来に起きることを、それとなく周囲に話したり、部屋で独り言として呟いたり、したこともあった。まるで、僕が直接他人の意識を読んだり、働きかけたりしたような、出来事もあった。(人が死んでるので、細かいことは書きたくない。被害者は丹羽なんとかいう議員さんでしたけどね。どこかに記録が残ってるなら、そっちを見て下さい。意識がどうこうという話題だから、僕との直接的な因果関係なんて、無論何もないけど、あれは僕の暴投。ごめんなさい、加害者の方は、「頭の中に声が聞こえた」とか話されていたそうで・・・)
ただ、どこまで主体的に自分から仕掛けたか、どこまで主体的に何かを予知していたか、と言えば、本当の仕掛け人が僕じゃないことは、その頃からわかっていた。僕は「チンドン屋」だと書いた。人目を引いて、発した言葉を、少しでも広い範囲に伝えるように努力するのが、たぶん僕が自分で決めて来た「生きている意味」で、そのための仕掛けを色々と手助けしてくれた方々は、別にいらっしゃる。具体的には、僕のFacebookの古い書き込みを見てもらえればわかると思うけれども、後藤健二さんが殺されたその瞬間に、眠っていた僕を叩き起こして、後藤さんが殺されたことを伝えてくれた方がいらっしゃった。これが「種明かし」で、今の僕には誰かのコンピュータをクラックする能力なんてない。Facebookのあの書き込み、数分の誤差はあると思うけれども、時刻は正確です。

じゃぁ、僕の伝えるべき言葉は何か。とりあえずは、好き勝手書いているけれども、「師匠の言葉」だけは、そう前置きして書いている。「師匠の言葉」と書いていない部分は、全部僕の言葉だから、無視してもらって構わないし、あまり残って欲しくない。だけど、師匠の言葉だけは、どなたにも、耳を傾けて(目を向けて?)欲しいと願っている。
例えば、この段落のこの後に続くのは師匠の言葉だけれども、「人間の実体は『意識体』であり、意識は肉体が滅びても永続的に存在する。」
ここからまた、僕自身の言葉に戻るけれども、「だから、今世さえ良ければそれでいい、という生き方は、自分自身の意識体の霊格を、何段階も下げる結果につながる。自分を守るための嘘は、やめた方がいい。」と僕は解釈している。
例えばだけれども、こうした言葉を発し続け、人目を引き続けるのが僕の役割だと思うから、確かに、盗聴、盗撮されてメンタル的にはかなりシビアだったし、実際に仕事にも支障が出たけれども、師匠と出会ってようやっと、何十年がかりでようやっと「自分の人生の居場所」を見つけた気がした。

「僕の人生の居場所」と言いつつ、別に師匠にお墨付きをもらった訳じゃない。師匠は誰かに「命令する」なんてことを絶対にしない。自分で考えて行動して、結果を出すことをただ黙って待ってる。無論、間違っていたり的外れだったりすると、かなり鋭い「警告」が飛んでくるけれども・・・そんな訳だから、僕が勝手に「ここが自分の人生の、立ち位置だ」と思ってるだけ。

言葉を発するついでに書くなら、師匠の言葉から私が考えるに、神が望んでいらっしゃるのは、全ての人が強制されることもなく自発的に自分の考えで行動しながらも、その行動が「神の思い」に背かないようになっていること、なんじゃないかな。この部分には私の考えがあるから、「師匠の言葉」とは分けて読んで欲しい。
きっと今後も、ただ「師匠の言葉」を伝えるために、ニュースなんかで「素材」があれば、結びつけて僕は書き続ける。素材がない時には、いわゆるブログで、読み手の方々の興味を持続させるために(広告は貼り付けないけど)、自分自身の持ちネタを使って書き続ける。これが「チンドン屋」の使命だと思っている。「居場所」まで辿り着いたので、もう、盗聴やら盗撮やら、それをまた世間にリークしたマスコミ関係(たぶん)の方々とかに、ウダウダと噛み付くつもりはない。

だけれども、今のマスコミと中央官庁との関係、ってのは、ひどくイビツだと思う。まずは、公文書を全て公開しろ、と思う。加えて、マスコミも「取材」における倫理観をしっかりして欲しい。推測に過ぎないけれども、女性に枕営業を求めるってのは、世間一般の女性の方々の感覚から言って、どうなんだろうな、っていう気がするし、「取材」される側の人権なんて気にもしていなそうなのは、問題あり過ぎじゃないか。

冒頭に書いた、偉そうな医者とか、あの事務次官だとかは、犠牲者かも知れない。医者になる、あるいは事務次官になる、なれるっていうことは、それなりの霊格を持っていたんだろうとも思う。それだけの霊格に上がって来るまでに、何千万年、場合によっては何億年かかって(地球史の話題は、また別の機会ということで)それこそ何万回も輪廻転生を繰り返して来たんだろうに、それが、いとも簡単に数千万年分、落ちて戻ってしまう。次からはかなり長いこと、いくら頑張っても、なかなか評価されない、結果を出せずに、歯ぎしりしながら一生を終えるっていうレベルを、また何度も何度も繰り返すところから、やり直すことになるんだろうか。他人事ながら、自分を守るための嘘は、やめた方がいいと思うな。同情はしないけど。そういう人が多過ぎて、同情している暇がない。僕は、自分のことで必死。

現実に戻ろう。ようやっと、治具を書き上げて、シミュレータからデータを流し込めるように開発環境を整えた。他人のことは、どうでもいい。僕自身は、誠実に、コツコツと、仕事を仕上げたいと思った。落ちたくないもの。

諫早碑

何年前だろうか、ギロチンが落ちるように諫早湾の水門が閉鎖された映像が流れた。環境破壊だと猛反発があったにも拘らず、政府は自然を弄ることを決断した。あれは、行政判断だったと思う。
その時に僕は、この「諫早碑」という題名のページを書いた。探せばたぶん、原文がどこか残っていると思う。ブログの形にしてからのことだったと思う。部屋でつぶやいた独り言、ではないと思う。たぶん。
そして書いた内容のテーマはただ一つ。水門閉鎖を決断した責任者、行政の担当者の名前を碑に刻んで、永久にその名を残せ。という感じだったと、記憶している。

そして今、どうなっているか。水門を開けと主張する側からも、閉じろと主張する側からも、両方から国は訴えられているんじゃなかったっけか?

行政判断とは、個人としての判断ではなく、国民から付託された税金の執行であって、立法府、あるいは政府によって決定された(つまり、多数決の「付託」を受けた政府の)判断に粛々と従って行うものだ、と考えられる。つまり、決断したのはその時の政府の役人であっても、指示したのはトップ、時の内閣総理大臣であるのかもしれない。「誰が、あのギロチンを執行したのか」という、責任者の顔が見えない。行政府の責任者のようにも見えるから、あの時は僕はそういう文脈で書いたけれども、やはり最終責任者は、時の内閣総理大臣であり、担当官庁の事務次官、大臣だったのではないかと思える。

当時誰もが感じていた本音で書けば、時の内閣は、水門建設を行う土建業者からの利益を得ている議員の声に押されて、税金を使っての水門建設を強行するつもりだった。その「口実」を、中央官庁の役人に作文させて、あるいは、中央官庁の息のかかった御用学者に作文させた。議員を選んでいるのは国民であり、中央官庁は政府に従うだけだから、その手順には問題がないにしても、最初に結論ありきで「水門を閉じてもなんの問題がない」という結論を出すように、作文させた責任は、当時の政権政党にあると思う。そうした政権政党に忖度して「行政判断が正当である」という文書を作成させた役人は、時の政府のたいこ持ちになった責任があると、僕はその時も思った。だから、たいこ持ちの名前を碑に刻んで残せ、というページを書いたと思う。

構図は、全く変わっていない。と思う。

諫早湾の水門。そりゃ、土建屋にしてみれば、こんな金儲けの材料はない。金儲けって言えば言い方は悪いけれども、生活する側からしてみたら必死だから、農業が困ろうが、漁業が困ろうが、まず自分たちの業界が儲かることを最優先して、とにかく政治家に働きかける。そういう人間は山ほどいるし、仕事をしていたらそんなの当然だから(僕だって、状況によっては他人の迷惑には目をつぶる)、そんなことを「悪い奴らだ」なんて言っていたら、世の中悪人だらけで、そこに目くじらを立てるつもりはない。そこで、ジャッジを任された行政が「正しい判断」をするはず、なのに、忖度しかしない。そういう結果になっていると僕は思う。

Nack 5の土曜日の番組。大野勢太郎さんの番組内で、どなたかが力説されてたな、役人集団、確かに1%とかはおかしなことをやっていても、彼らは99%は素晴らしい仕事をしているんですよ、と。確かにね、ブラック企業どころじゃない、時間外労働を強いられたりしながら、仕事をして、かなりの部分で「成果」を出して来ているから、今の日本があるんだろうと思う。それは認める。ただ、その「行政判断」の執行プロセスが表に出ないのは、おかしいと思う。例えば、あの諫早湾のギロチン。(ごめんなさい、大半の方々が忘れていても、私にとっては昨日の事みたいに記憶が鮮明で・・・)誰の指示で水門を閉じたのか。誰がゴーサインを出したのか。事務次官か、担当課長か。そうしたものがどこまで表に出ているのか。今のように、開け、閉じろ、両方から国が訴訟を起こされている事態になれば、水門を作る前に「自然をあれこれ変えるな!」という主張にも、多少は耳を傾けてもらえるだろうと思うけれども、どうした判断ミスがあったのかを検証するためにも、そもそもが国民の税金で水門を作っている以上、それが諫早湾でのことであっても、埼玉県民の私にだって、文句をいう権利があり、判断プロセスを知る権利があると思う。

ってか、そもそもが、コケる前にいくら注意したり、文句を言っても、だいたいが聞く耳を持ってもらえない。典型が安倍総理で、最悪なのがトランプで。意気投合も、よくわかる。(あの方々は、とりあえず、拉致問題解決だけ推し進めてくれたら、それで十分。それだけで、73点くらいはあげましょ!?)火の粉が自分に降りかからなければ、どーでもいいけど、聞く耳は持たないし、判断の根拠は示さないし、そのプロセスは明らかにしないし。コケてから聞く耳持ってもらったって遅いし、コケる前は何いても無駄。そりゃぁ、今はもう十分わかってるけど、あの「諫早碑」を書いたときは、まだ、誰かに何か、期待していたのかなぁ。

でも、「税金の使途」である以上、判断の根拠となる行政文書は全てを開示すべきで、それができないのだったら、諫早湾の問題は、「閉じろ」という判子を押した責任者が、閉じても、開いても、両方から訴えられているその損害賠償責任を個人として負うべきであると思う。責任が個人にないのならば、なぜ、行政判断のプロセスを全面的に表に出せないのだろうか。

こう言っちゃなんだけれども、黙ってさえいれば、国民なんていくらだって欺ける、って思ってるんだろうか。だって、国家公務員試験の甲種なんて、合格できねぇだろう、テメェら。公表したって、どうせ意味がわかんねぇだろう!とでも思ってるんだろうか。

公表すると、プライバシーが、なんて、それならなぜ「宮内庁御用達」先は明かされているんだ?名誉だからか?公共機関が、税金からお金を支払った、ってことは、それだけ「信用できる」とされる訳だから、ボールペンに到るまで公表したって、納入業者は名誉なんじゃないか?それこそ、国、都道府県、市町村、自治会に到るまで、預かったお金の支払先、使徒を明らかにできないなんて変でしょ?細かすぎるからって、大丈夫、公表するのもコンピュータだし、読む方だってコンピュータを使うから、ボールペン一本の納入単価が100均より高くたって、バカな突っ込みを入れれば突っ込んだ人がネットで叩かれるだけ。明らかに理不尽でなくて、経緯を説明する書類すらも公表できれば、理解力がある人なら誰もが納得できる。隠すのは、「どうせ誰も納得しない、理解できない」と思っているからでしょ?要するに、納税者バカにしている訳だ。一般の国民を、国家公務員は。

いや、あの「おっぱい揉ませて」で、つい、書いてしまった。すごいね。ネットに音源が流れているのに、訴訟だって。いや、今時女の子たち、ボイスレコーダとか、スマホのボイスレコーダ機能とかって、仕事の上での必需品になってるみたいで、「そんなこと言ってません」なんて主張は無理すぎる。訴訟ってことは裁判所で、もしかしたら、参考人招致とか、証人喚問以上に、事細かに経緯とかを表に出されるんじゃないかな。思い出すのは、クリントンさんと司法研修生とのあれ。日本でも起きるんかな、って、ちょっと期待している。それに、ボイスレコーダのデータなら、「周囲がガヤガヤ」とか言ってたけど、全ての会話を全部活字にできるくらいの分析は可能だと思う。誰もやらないなら、僕に仕事をください!(いや、結構まとまったお金は欲しいから、安くは引き受けないけど・・・)声紋分析と、おっぱいを拒んでいる(訴えている)女の子の人物の検証と、簡単にできて、すぐに発言者が誰かバレる、と思うんだが。(今時はなぁ、法政の学生なんかにもすごいのがいるから、僕らに仕事のお鉢は回ってこないか・・・、残念。こんなプログラム書けたって、仕事のとっかかりにもならない、ってか。)

いや、「訴訟」って聞いて、ワクワクしちゃった。諫早湾の水門閉鎖の判断プロセスは、隠蔽しようと思ったら全部隠蔽できるような仕組みになっているのかもしれない。だけれども、あの「おっぱい揉ませて」は、他に何を言って、周囲が何を話していて、なんて、全部法廷記録として残る訳で、法廷記録の保存期間がせいぜい数年でも、一旦公表されたなら政府が廃棄したって、コメンタールの編集素材なんかとして、民間の出版社なんかにそれこそ、電子化されて数百年とか残るのかもな。

他人の不幸って、特に、やっかんでる相手の不幸って、なんでこんなに楽しいんだろう。お金は欲しいから、みんな必死なのに、その僕らを助けるっていうよりも、足元を見ている人たちだもんなぁ。

禁輸措置

僕は、武器の輸出には反対。武器や、その原材料・部品の物流をチョークさせれば、大量殺戮をかなり抑えられると思う。そして、実際にそうした政策が取られていると思う。ただ、御都合主義で武器を輸出している国家も多いし、安倍総理も、強引に閣議決定だけでそっち側(大量殺戮を容認する側)に回った。(しつこいな。)

北朝鮮には、ミサイル部品となり得るような電子部品の輸出は禁止されている、という建前がある。(実際は、どこにどう抜け道があるか知らんけど。)シリアでの化学兵器使用に関して言えば、供給元、あるいは、ロシアが化学兵器を供与した、ある程度客観的に証明可能な証拠があるならば、ロシアに対して「化学兵器の原材料」の禁輸措置をとる、という方策もあるんじゃなかろうか。

ベンゼン環を持つ化合物、あるいは、ニトロ基を持つ化合物、なんてところまで広げてしまうと大変な騒ぎになるだろうけれど、最初は必要最小限ということで、直接的に神経作用のある「化学兵器の直接的原材料」から始めて、段階的に「化学兵器の間接的原材料」、さらに「化学兵器の間接的原材料の原材料」にまで「禁輸措置を広げる」なんていう方策は取れないものなんだろうか。

ドイツなんて、ナチスのユダヤ人迫害を歴史の教訓として、なんて言いながら、武器輸出額で世界の何位だ?ナチスと直接的な関係がなければ、他国の人間を殺してもいいのか、なんてことは思うけれども、個人的にはアメリカよりも親近感のあるドイツには喧嘩は売りたくないから、これ以上は書かないけれども。(親父から相続したBMWに、もう16年乗ってるけど、エンジンなんてビクともしてない。塗装もちょっと洗車すると綺麗なもんだし、エンジニアとしてドイツにはある程度の敬意を持ってます。個人的に。)

段階的に、そして最終的には武器の流通を大幅に国連などで制限すべきなのだ。カラシニコフの輸出をロシアにやめさせるべきだと僕は思う。それ以前に、喫緊の課題として、あの化学兵器の出どころが北朝鮮なら北朝鮮に対して、ロシアならロシアに対して、原材料となり得る、あらゆる化学物質の輸出を停止すべきだ。

もしもロシアが「そんなことをされたら、通常の産業まで影響を受けるから、やめてくれ」と言っても、出所がロシアなら「ロシア以外」で力を合わせて、ロシアを止めるべきだと僕は思う。

神事

土俵に女性が上って、救命活動したら「下りろ」と言われたと・・・

僕は、かなり長いこと言葉を発し続けている。1989年頃からかなぁ、アパートの部屋の中で独り言を呟いたら、それが表に出ている。アパートの部屋の中で広告紙の裏にボールペンで書き殴った文章が、全部表に出ている。しかも、まるで僕が「公表」したかのような扱いで表に出ていた。もう、面倒臭いから、喧嘩はしない。そういうことをやっていて、当然と思っている方々が、きっと未だにやっているんだろうな、とは思うけれども。役割分担がわからない。公安とマスコミ。だってね、特許絡みだとか、著作権絡みだとか、そういうものがどこまで表に出ているかわからない、電話で話をするのが怖い。そんな状態で、まともに仕事ができるか、ってな話で、完全にメンタル的に潰れていた時期が15年くらいはあったような気がする。まともな恋愛、結婚、子供のいる生活、全部今回は見送る。
その辺の恨みつらみは、主題じゃない。僕の人生は、もうどーでもいいです。今、厳しい状態だから、必死だけど。

一度でも発した言葉は、それが部屋の中での独り言にせよ、家の中で広告紙に書いた内容にせよ、あるいは、1990年代後半から始めたブログで、明示的に自分から世間に発し始めた言葉にしても、自分の言葉である以上は責任があると思う。だから、この枕を書いた。

で、いつ頃だったか思い出せないけれども、あまりにもその時に聞いた女性の主張がヒステリックだったので、「伝統は伝統として守ることに意味があるんじゃないのか?」という主題で、女性が土俵に上がることに否定的な見解を書いたことがあった。その時に(20年前か、30年前か思い出せないけれど、)書いた内容からは、宗旨替えします。
僕は、天邪鬼だから、「右」とか言われれば「左」と答えるし、そんな勢いだった気がする。

相撲は神事だった。確か、「神宿る島」とかって、世界遺産にも登録された島とか、女性の上陸は禁じられていたような気がする。理由は、女性が「不浄」だから、ということだったと、何かで読んだ気がする。
なぜ「不浄」か。確か神道系では、「血液」を不浄としていたように思う。女性は生理現象で月に一回は出血する、これを不浄とする神道系の「定義」がずっと尾を引いていると思う。
だから、怪我をして出血が止まっていなければ、男であっても神事には参加できない、そういう話をどこかで読んだか、聞いたかした気がする。(記憶が不確かだけれども。)

ここはもう、神道系が「血液を不浄」とするから「女性は不浄」という扱いを、どう見直すか、その一点じゃないか、という気がする。だってね。女性が不浄なら、その不浄な女性から生まれた人間は全員が不浄じゃないの?ってなことも、考える訳で・・・。「あなたのお母さんは女性ですよね?ってことは、あなたのお母さんは不浄ですよね?ってことは、あなたも土俵に上がっじゃいけないんじゃないんですか?」ってな議論を、展開しても、「うるさい、文句あるか、男は不浄じゃない」ってなことになるんだろうな、と思った。一応は俺、男だけど。
ぶっちゃけ、男であること以外に誰かに居丈高になれない方々が、男の優位性にしがみついている、ってな気もしないでもない。神道系の中枢に女性がいるかどうか、よく知らないけど。

たぶん、だけれども、どこかの宗教で「豚肉を食っちゃいけない」ってなのと同じで、この「女は不浄」も、滅茶苦茶根深い。(欧米のメディアの、いいカモだろうなぁ・・・)ただ、イスラムの(あ、書いちゃった)戒律では、「生きるか死ぬかの状況では、ハラールではない食い物を食って生き延びても、それは許される」とされていると、どこかで読んだ気がする。そういう意味では、日本の神道の方は、人命軽視というか、緻密さがないというか、イスラム教に比べたら、かなり・・・やめときます。

そもそもが、「神事」っていうことは、神様に関すること、なんだろうけれども、人間のやってる「神事」に、神様ご自身がどこまで関知されているのか・・・いや、言いたいことは原稿用紙200枚分くらい(8万字くらい)、あるような気がするけど、これもやめとく。

今はもう、治具のRubyに、テキストのPythonに、仕事のVisual Basicに、同じく仕事のC++に、もう、頭がグチャグチャで、こうして日本語を書いていると、なんとなくちょっと、ホッとする。

一週間が終わった。進捗状況?それはもう、僕自身の問題だから。
コケたら、他人に迷惑をかける、ってな状況は、ストレスはあるけど、人間、やっぱり、ストレスは必要なんでしょうね。


忘れてた。ぼちぼち、AndroidのJavaで、知識のリニューアルをしないと・・・。(歯車が噛み合うまでが、自分との決戦。勝負。)それと、誤解を招く表現。一応僕は、結婚してます。ただなぁ・・・、ま、Nack 5のゴゴモンズなんか聞いていると、よくある話みたいで・・・。家の中にいるのに、まるで埼京線の満員電車に乗ってるみたいな緊張感を強いられる、ってのは、一体なんなんだろ。記憶力ってのは、人生の障害物だと思う。追補終わり。

富裕層は脂肪層?

米中貿易戦争勃発か?ってなニュースで、トランプさんと習さんが並んだ映像を見ていて、ふと思った。富裕層ってのは、体脂肪みたいなもんなんだろうか?って。

体に取り込んだエネルギーが多すぎる時には、そのエネルギーを人間の体は体脂肪として蓄積する。これができないと、「体」としてはたぶんおかしなことになる。じゃぁ、個人と国家の間ではどうなんだろうかなぁ、と思った。答えは持ってないです。

でも、その「体脂肪」が多くて、「全身」が必要としている時に体脂肪が蓄えたエネルギーを適切に放出できるならば、体は長持ちできる。少しくらいなら、それこそ水だけ飲んでいれば歩き続けることができるし、心臓だって止まらない。それは、実感として感じることはあるけれども、じゃぁ、国の中の「富裕層」ってのはどんな「役割」があるかと言えば、たぶん、アメリカなんかだと、ただ全身をぶくぶくと太らせている以外意味がないんじゃないかなと、あるいは、その後を追ってるのが中国かと、そんな気がした。

つまり、米中の貿易戦争ってのは、既存のデブが新興デブに苛立っているってな構図かな、と思えた。北どこそこのどなたかも、トランプ、習に勝るデブだとは思うが・・・国内に富裕層を抱える一方で貧困層がいる、という中国は、ある意味で「共産主義的な理想」からは遠ざかっているとも思える。アメリカはと言えば、言いたくないけどデブの大国かもしれない。すみません、インパクトの強い見た目で判断してます。痩せてる方も相当に多いけれど。

たぶん、アップルとかアマゾンは、まだ筋肉なんだろうけれども、その筋肉が時間が経つと、あるいは時代に適応できないと脂肪になる。筋肉も多いけど脂肪も多い国。それがアメリカかもしれない。余ったエネルギーを脂肪ではなく筋肉にできる、それはたぶん、モチベーションの違い、なんだろうか。そのモチベーションが「脂肪になること」を目指すなら、きっと終着点は脂肪の塊なのだろうか。中国は、全てを国家が統制しようとするから、モチベーションは脂肪になること以外にはあり得ない。そんな気もした。

どっちもなぁ、どの程度筋肉があるんだか。

よくわからないけど、そんな気がした。日本の大相撲も、脂肪対筋肉みたいな取り組みが、結構あるように見える気がするけど、力士の体脂肪率は皆さんかなり低いらしい。数字を聞いたことがあるけど、たぶん僕よりも小さい。あの体型で・・・すごいなぁ。
でも俺みたいに、富裕層じゃないデブってのをモデル化できないから、この話題は忘れる。

 

コーディング規約

見出しの重複は、もう気にしないことにした。もしかしたら、同じ見出しで以前書いたのがあるかも。

PEP-8(ja)

を首っぴきしながら、コードの修正をかけている。事情があって、「綺麗なコード」でなければならない状況になった。10人が10人、なんてのは無理だとわかっているけれども、10人中9人までには、突っ込まれない程度に綺麗なコードにすべく、書いたプログラムを全部読み返している。文章の推敲みたいな感じか。ロジックの美しさの追求、的な・・・。

めげそう。「もういいや」って言いたくなる。どうせ自分が恥を書くだけ、ってことも言っていられない立場になったもんで、「お手本」を示すってのは大変なことだな、と思う。仕方ないよなぁ。教員もやってるもんなぁ。

親父が昔ボヤいていたことを思い出す。「教員ほど割に合わない商売はない。給料は安いのに[注:年金を考えると事情は違うな、と今は思う]、交通事故を起こせば絶対に新聞に名前が載るし、」ってな話。事情が似てるのは、警官も同じだろう。

ただ、中途半端な「地方」公務員レベルだと、故意ではなく事故でも、何か起こせば名前が出るのに、国家公務員レベルになると、もう税金の使い道が不透明でもまるで表に出て来ない(新聞も遠慮?)、それに文句も言えない、ってか彼らが「忖度」しなけりゃならない状況を作った議員さんたちの「パワハラ」は隠蔽、「トカゲの尻尾きり」なんて話もあるけれども、元国税庁長官を「尻尾」とするあたりが、すごいな。めっちゃ、話が逸れた。

皮肉な話だ。「俺は、絶対に教師にだけはならない」と親父やお袋に豪語していたのに・・・蛙の子は蛙か。

つい、この間書いた話題(ファイルのバイナリ・オープンの話題)のサンプルプログラムでは、Camel(ラクダ型)とSnake(蛇型)が混在していた。これ。

iRet = fopen_s( &fd, file_name, “rb” );

fopen_sは、Microsoftの仕様、だけれども、file_nameはSnake型、iRetはCamel型。この混在は汚い、とアップした直後に気づいたけれども、もういいや、と、修正しなかった。

Camel型とは、コブがあるみたいに単語を繋げる「変数名」などの定義方法の呼び方で、thisNameIsDesignedInCamelStyleという感じの書き方。Snake型とは、全部小文字、下線で単語を繋げる「変数名」などの定義方法で、this_name_is_designed_in_snake_styleみたいな感じ。だから、file_nameを使うなら、i_retとすべきだろうし、iRetで統一するならfileNameだろう、ってな、実に細かい話。

コーディング規約の冒頭部分に、これが書かれていた。

一貫性にこだわりすぎるのは、狭い心の現れである

僕も、そういう顔を前面に出すことはあるけれども、細かいところをきっちりとしないと、技術屋としては「気持ち悪い」ことがある。前述の、スタイルの混在なんかもそうで、とにかく、読んでいて気持ち悪い。誤字脱字だらけのレポートを読まされている気分になる。

ところが、一気に書き上げたプログラムは、ロジックとしてはほぼ「問題ない」状態でも、部分的に見ると、WEBの参照なんかしょっちゅうやってるから、スタイルの一貫性のなさが浮き上がってくる。

加えて、昔僕が書いていたC言語のスタイルは、こうだった。

for( i=0; i<limit; i++ ){
printf( “%d, “, func_a( i ) );
}

引数がわかりやすいように、”(“の後や”)”の前に空白を入れる。ところが、Pythonのコーディング規約では、(例文はC言語だけれど)こんな感じになる。

for(i = 0; i < limit; i++){
printf(“%d, “, func_a(i));
}

何が違うかと言えば、スペースの入り方。それだけ。「こんな細かいところで」と思う方もいらっしゃるだろうけれども、仕事で朝から晩までプログラムを読んでいると、スタイルの違うコードは、すごく気になって、直したくなることがある。余計な時間がかかる。

僕が嫌いな作業は、これ。役所に出す書類で、例えば住所として『小座加市石頭1-2-3』とか書いて提出すると、「ここはダメですね。『小座加市石頭1丁目2番3号』と書き直して下さい。書類を全部書き直して下さい。」みたいに言われて、やる作業。とっても嫌いな作業なんだけれども、プログラムのソースコードについては、似たような石頭SEは(僕も含めて)かなり多い気がする。

その「突っ込み」をさせたくないための、コードの見直しだから、もう、ちょっと修正しては一服、ちょっと修正しては散歩、ちょっと修正してはゲーム、もう逃げまくり。嫌いな作業というか、面倒臭いというか・・・

Nack5の3月後半のパワープレイ、だったかな。NakamuraEmiの「かかってこいよ」
この歌、自分に対して、の歌だったんだな。とっても「痛い」歌だ。ここんとこ、負けっぱなしだもん。

それを聞いてたもんで、大ボケをかました。高田延彦さんのフレーズは、「かかってこいやー」じゃなくて「出てこいやー」でしたね。なんか、桜が満開のページで、勘違いして(ごちゃ混ぜになって)書いてた部分があった。どうでもいいから、訂正しないけど。ボケの止まらない私。話を戻して。

あれですね。イスラム教の元となるアラーの言葉を伝えたムハンマドが 「内なる敵と戦え」と言った、その「内なる敵」とは「心の中の弱い自分」だというのが、言葉を発した方の真意だった。いい世の中だ。「神の言葉」として伝えられた内容と、同じテーマを、日本人の若い女の子が噛み砕いて歌にして伝え、それをラジオ局が3月後半に集中的に流してくれている。これでいいんだよ、と思う。
本家では、同じ宗教の他の宗派のことを意味する、とか、勝手な解釈をした方がいらっしゃった。その結果として、「神の意において、人を殺せ」なんていう宗教的な「命令」が出たりして、なんだかすごいことになってるみたい。いや、喧嘩を売る気はない。もし喧嘩をするなら、ムハンマド様がその言葉を受け取った時の状況までひっくるめて、直接上の意識を引っ張ってきて、反論できないまでに状況証拠を拾い集めて突きつけて、「それは違うよ」っていう結論まで誘導しなけれりゃ、不毛な「宗教論争」の題材を増やすだけだと思う。だけど、僕は日本人だし、埼玉県人だし、Nack5が好きだし、パワープレイで流れたあの歌が実は、「神の思いにかなっていると僕は思うよ」、とだけ、自分のブログで、自分の考えとして書いてみるだけで、それ以上は話を広げたくない。でもね、この点は、たぶん間違ってない。(このページの本題は、ここ。長文だなぁ・・・)

この情報源は書かない。ただ、絶対に間違いのない「表現」として書くならば、「神の意のままに、」と叫んで人を殺す行為。あれは「自分への冒涜」だと感じている方がいらっしゃる。これだけは、間違いない。その「証拠」?提示のしようがない。「霊」がいるとかいないとかで、大槻教授と論戦して、勝ち目がないと思うのと、同じ理由ですが。

ただ、「かかってこいよ」もそうだけれど、ブログでも、文学作品でも、映画でも、こういう感じ(あ、上の方のどなたかが、同じことをおっしゃってた、ってな感じ)を受けるのも、少なくない。そこは、日本のいいところかなぁ。無論、そうじゃないのも多すぎるけど。

ここんところ、頭を抱えている。「形式を整える」ってのは、若いプログラマには絶対に「頭のどこかに置いておいて欲しい話題」だけれども、本質的には論理が完璧じゃないと、プログラムとしては不合格、だろうなぁ。
でも、「形式」だけで判断する人も、世間には滅茶苦茶多い。

だとしたら、ほとんど意識しなくても「形式が整う」ように、アプリを作れる、って癖をつけるのは、とても大事で、若い子たちには、そのスキル:「見た目が汚くても、機能として完璧に動作する」ことよりも、「規約に準拠したプログラムを書く」ことが、優先するように思える。

このページは、一体、なんの話題を書いてる!?

それは、同じ質問を、書いている私自身も自分に投げかけておこうと思う。

事実と真実(2)

どうも、論点がはっきりしなかった。

極論した方が論点がはっきりするかも知れない。言いたかったのは、こういうことです。

文化系(というより、「事務系」というべきか?)の方々は、真実を重視しない。事実しか扱わない。だから「形式」だけ整っていれば、それを強引に「真実」とみなす。結果として真実などどうでも良くなる。つまり、嘘がまかり通る。

「道徳教育」とは、自ら真実を明らかにすることではなく、形式的に整えること。何か悪いことをしたなら、「しました」というのではなく、「お答えできません」と言えば、それでことが済んで、真実とは別に「事実」が一人歩きする。それが事務屋の本性かな、と思った。首相もそれを率先している。というよりも、総理はそれすらも他人に任せている。

技術屋が原発のリスクを100並べ立てても、「重厚長大」大好きな事務屋が大金を大企業に落とせるから、都合の悪いことは100を100全部隠して(わかりません、といえばそれで済む)強引に成立させる。それが、自民党の推し進める「道徳教育」の真髄か。という気がした。

自分じゃ1円のリスクも責任も背負わずに、他人の金を動かす。なんとなく、だけれども、俺、安倍総理よりもウシジマくんの方が正義の人、信用できる人に思えてならない。

論理の飛躍?いつものことです。隙間を埋めるように長文を並べたら、一万字くらい2時間で書いちゃうから、誰も読まないでしょ?

事実と真実

現象として(客観的な事象として)起きてしまった「事実」というのは、言ってみれば、自然科学の観察対象だし、客観的に検証可能だから、「俎板に載せる」ことをしやすい。それは自然科学も同じ。

ただ、何かが起こってしまう前に原因がどこにあって、何が引き金になったか。「事実」に振り回されずに「真実」(明確な因果関係)を探求できなければ、自然科学に従事する人間として恥だと思う。

端的に言って、「データの偽装」を敵視する考え方は、自然科学側の人間の、「真実」の方に重点を置く考え方だと僕は思う。一方で、こう言っちゃなんだけれども、「データ」なんて取り方さえ「工夫」(あるいは、誤魔化し)すれば、あるいは測定者が現象の本質を見抜いていれば、ある程度は加工できる。大きめの数値を出す、小さめの数値を出す、現場で仕事をしていて、多少理解力があれば「合格する」数値を出すことは可能で、そういう方法を取るとデータの偽装を「偽装行為」というべきか「検査手順書の不完全性」というべきか、難しくなる。例えば、引っ張り方をちょっと緩める、ツマミを戻すタイミングを一呼吸ずらす、そんな程度で「合格する計測値」を出すことは難しくない。

個人的に、議論としては全然難しくはなく、「なんのために技術基準が定められているか」と、そこに「目的」の焦点が定まっているなら、「いいデータが出るような測定方法をする」こと自体がアヤカシでしかないことは明白だと思う。つまり、技術屋が何かミスをしたり、あるいは意図的にデータ偽装すれば、何かの時に大勢の人が死ぬ、あるいは、数百億円の損失を出す、そうした事態も起きることがある、という自覚があるか、ないか、(それ以前に、そのリスクを理解しているかどうか、)そこが問題なのだと思う。その点が理解できていなければ、経済産業省だの、国土交通省だのがどれだけ大騒ぎしたって、問題の本質的な解決にはならない。「ルール」は守ってました、都合が悪いので黙ってます、それで退職金がいくらだって?なるほどね、日本人が目指すべき姿ね。ルールが整っていない、ってそれ以前に、役人の人間性がダメなんじゃないのか?

政治家や財務省関係者なんか、「金を動かすだけなら、人が死ぬことはない」なんて、確信しているから、平然と「証言を控えさせてもらいます」なんていう「真実の隠蔽」ができるんだろうな、と思う。いわゆる「腹芸」が成り立つ世界。具体的にいえば、「忖度」したのは自分じゃないという立場だろうか。パワハラで、末端を潰しても自分だけは大丈夫、生き残れる、ってな象徴みたいな事件だ、と思う。技術屋がそれをやったら、人が死ぬことがある。あ、僕の理解不足でした。他人が死ぬことなんて問題でもなんでもなくて、自分の金が何より大事。それは、安倍総理の「武器輸出」で、かなり理解できていたつもりだったけれども、忘れてた。何よりも、自分の収入と立場が大事、ね。

もしこのまま「形式的」な辻褄合わせが成り立ってしまうなら、例えば今後「自分のミスなので黙っていました」の結果、新幹線が脱線して数千人が死んだとしても、あるいは(しつこいので中略)何が起きても、「お手本は内閣総理大臣と、国税庁長官でした」で、「ミスをしても、自分の法的責任が関係するので黙ってていて構わない」が「日本人の道徳」としてまかり通るんだろうか。それなら、一切、技術系の人間の責任を責めることはやめて欲しいと思うな。仕事によっては、結果はとてつもなく悲惨なことになるかも知れない。だけれども、未来のそういう仕事をする人間の模範が、「自分の都合で黙っていていい」という、そういう道徳的なお手本を示している人が、国家の中枢にいる」という事実だとしたら。(ま、黙秘権、っていうやつね。それが道徳教育の目標。)

もう、なるようになれ、でいいのかな。みなさん、自動車を買う際には自分で「設計仕様書」を読むようにしましょうね。飛行機や新幹線乗るときも、自分が利用する機体や車体の製造番号とか確認する習慣をつけないと。だって、都合の悪いことは黙っていても、「合法」なら構わないんだから。

模範

昨日だったか、一昨日、たぶん過去2〜3日のニュースで、確か(ラジオの聞き流しなんで、あまり正確には覚えていないけれども)埼玉県警(だったと思う)から、こんな話題が流れていた。

小学校1年生が交通事故に遭遇する率が、小学校6年生に比べて遥かに高い。子供は大人の真似をするから、赤信号で渡るなど小学校1年生が真似をしたら危険な行為は、大人も慎んで欲しい、というような内容だった。

すみません、気にします。基本的に、車が来ていなけりゃ、「なんで待つの」というのが僕のスタイルだけど、確かに子供が見ていたら良くないよなぁ、って、コンビニまでタバコを買いに行って戻ってくる間、ほとんど人とすれ違わないのがこの辺だから、誰が見てるんだ、なんてことも思うが・・・。

今日のニュースだったか。(いや、違う、Nack5のゴゴモンズで三遊亭鬼丸師匠が突っ込んでいたんだっけ)申請のあった道徳の教科書が、全部認められたとかなんだとか。

僕の意見じゃなくて、鬼丸さんのコメント(正確じゃないかも知れないが)は、「だいたい、悪いことをする悪ガキなんて、道徳の教科書なんてものに書いてあることは(大人の見ているところでは)完璧にこなした上で、悪いことをする訳だから、道徳を学校なんかで教えたって意味ないんじゃないの」みたいな感じだったと思う。(鬼丸さん、なんで俺のガキの頃のこと知ってるんだろ。)

さてと。内閣総理大臣。あるいは、国税庁長官。偉い人だよなぁ、立派な人なんだろうなぁ。これが世の中なんだよ、って模範。

「いじめたのは君か」「発言を差し控えさせてもらいます。」道徳教育に意味があるかないか、そういう意味でもいい模範かもね。

桜が満開ですか

今日のNHKラジオのニュース、正午も、午後7時も、「桜の満開」がトップニュースだった。平和でいいなぁ・・・

20年位前だろうか、こんな下手くそな短歌をブログに書いた。

パプアニューギニアでの遺骨収集をお手伝いし、靖国神社で千鳥ヶ淵戦没者墓苑に納骨する式典に、この時は「遺骨収集団の団員」として参加した、後、どのくらい時間が経ったかわからないけれども、当時よく足を運んだスナックのマスターが東大構内で開いた「花見の会」に参加した後、書いた。


サクラサク
サケノサカナニ
サルノサマ
サシツササレツ
サルモマタヨシ

アテモナク
アルキアルキテ
アケニシモ
アサキユメミツ
アトモノコサス

コトダマノ
ココロノコヘノ
コレアリテ
ココノサクラノ
コヘニカシコミ

イザヨヒニ
イザリテメデリ
イノチバナ
イサミイサメリ
イザチドリフチ


素直に読めば、たぶんこうなる。(自分で書いてて、たぶんって何だ?)

桜咲く酒の肴に猿の様
差しつ差されつ猿もまた良し
肴(あて)もなく歩き歩きて明けにしも
浅き夢見つ跡も残さず
言霊の心の声の之在りて
此処の桜の声に畏み
十六夜に[/いざ酔いに]躄て愛でり命花
勇み勇めりいざ千鳥淵

ただ、ニューギニアでの遺骨収集を被せると、こうなる。こう読んで欲しかった。

桜咲く酒の肴に猿の様
刺しつ刺されつ去るもまた良し
当てもなく歩き歩きて明けにしも
浅き夢見つ跡も残さず
言霊の心の声の之在りて
個々の桜の声(肥え)に畏み
十六夜に[/いざ酔いに]躄て愛でり命花
勇み諌めりいざ千鳥淵

結構無理があるのはわかっていたけど、強引にこじつけた。
見ればわかる通り「サアコイ」=「さあ、来い」で頭を揃えた。
日本軍の「勇ましさ」。どなたかの「かかって来いやぁ」的な軍部の「勇敢さ」のつもりだった。(きっと、通じていなかったと思うけど。)

第1句:花見で酒飲んで馬鹿やってるのを見ながら笑って、そういうのもいいじゃん。
とも読めるように書いたつもり。だけど、「刺しつ刺されつ去るもまた良し」は、当時の日本軍の銃剣。補給線を絶たれていたから、食料だけではなく弾薬も尽きていた。あとは銃剣に頼るのみ。現地(パプアニューギニア)の方には日本軍に協力した村だけではなく、連合軍に協力した村があった。外から来た日本軍や連合軍の都合で、パプアニューギニアの方々は自国民同士が戦って命を落とした、そうした方々もいた。殺し合いしながらでも、「去る」=撤退すると言う判断も、良かったんじゃないのか、と思えた。そういう目線で見ると、戦争ってのは「猿」並みの脳みその方々がやってることじゃないか、と。(ア×ド大統領とかね。)

第2句:第1句に「酒の肴」を書いたから、それに引っ掛けて「アテ」(関西弁の酒の肴)を書いた。花の下でゴザを広げての宴会も楽しいだろうけれども、何かを飲み食いする訳でもなく、照明の当たった桜並木を延々と夜が明けるまで歩いたのに、それが葉桜になったら、「あの時の桜並木は何だったんだろうか」と思えるくらい、季節が移り変わっていく。(そうは読めないか・・・)と解釈して欲しいな、と。
ただ、「当てもなく歩き歩きて明けにしも」は、ニューギニアでの日本軍の「転進」(=撤退、退却のこと。日本軍は退くと言う言葉を忌み嫌って、「転進」と称して、向きを変えて前に進むんだ、と言い換えた。)では、連合軍の偵察機に発見されるのを恐れて、夜間にひたすら行軍した、そうした場面もあったらしい。夜が明ける頃には疲れ果てて、日本のことを思い浮かべながら、力尽きてその場に倒れ込んで命を落とした日本兵も少なくなかったと聞いている。そうした日本兵のご遺骨は、もうどこで収集していいかもわからない。痕跡すら残さずに土に帰ったんだろうな、と言う気がした。

第3句:これはほとんど、言い換えようがない。「桜」→「玉砕」→「さあ来い、散ってやるぞ」という感じから、これしか言葉にならなかった。
「桜の樹の下には屍体が埋まっている」(梶井基次郎)の連想。千鳥ヶ淵、靖国神社周辺の一本一本の桜の木、平和な桜の風景の下には、「無縁仏」となって「誰の骨かもわからないご遺骨」が数万柱/数十万柱ある。だからそれを「個々の桜」と書きたかった。全ての人たちに、その人の人生があったんだ。

第4句:「十六夜に/いざ酔いに」は、そのレトリックしかなかった。「いざりて(躄て)」は、食糧や弾薬の補給線を絶たれて、幽鬼の如く歩き続けて、ついに力尽きた日本兵の「いざり」が目に浮かんでしまった。歩けないほど酔っぱらった酔っ払いに引っ掛けてもいたけれども、本意は、力尽きて歩くことも出来なくなった旧日本兵の惨めな姿。「命花」は、桜の花の散り方って、やっぱり(また来年もあるけど)「今年の私の命は、ここまで」っていう雰囲気をどうしても醸し出してる気がした、それを書きたかった。
「勇み諌めり」って、もう他意はない。「勇み」はダメって、諌めているんです。桜が。
「さあ来い」って言って、戦争始めたら「いざ千鳥ヶ淵」って、多くの罪のない日本人が兵役に駆り出されて、無縁仏の戦没者墓苑に眠ることになった。あそこには、他に何がある!

20年前、これを伝えたくてこの(下手糞な)4連の短歌を書いたんだけれども、たぶん、通じてなんかいなかっただろうなぁ。(表現力が、未熟ですから。)
でもね、何となくだけれども、一体いつの頃だったか、たぶん今のロシアや中国みたいに、政府の批判をしたらすぐにでも殺されかねなかった時代に、こうやって、レトリックだけで「表の意味」を押し通して、「裏の意味」を誰かに伝えたい、っていうことを、延々と続けたことがあった気がする。
肉体の記憶は、死んだら朽ち果てるけれども、経験したことは次の自分に引き継げる。だからこそ、「体験」しなけりゃ、生きている意味がない。(それがどんな苦痛でも。)下手糞は自覚してるけど、「その時」の経験がなかったら、こんな言葉は出てこなかっただろうと思う。たぶん、何度でもできる。その成果が、この下手糞な「短歌」だったと思う。(で、この程度かよ。)

安倍総理が、どこかのテレビ局の「表現の自由」にイチャモンをつけた。どうぞ、ご勝手に。僕は、安倍さんにしか当てはまらない表現で、「表の意味」と「裏の意味」を、誰もが読み解けるように二重に被せて、(長文は無理だな、たぶん)「表の意味」だけで「どこに問題があるんだ」って声高に主張して、モリカケみたいに押し通すだろうな。強権を押し通す政府と、どう戦うか、ってな戦闘は、安倍さんもやって来たから、「表の意味」だけで押し通す「正義」には長けているんだろう。

その、安倍総理が「武器輸出三原則」を政府決定だけで覆した。他国の人間を殺しても、日本が金儲けできりゃそれでいい、ってな発想か?僕は、その安倍総理を忘れない。何度でも書き続ける。米中露よりはマシかも知れないけど、それでもやっぱり腐ってる。
自衛隊を「国連軍」に預けたらそれは「正義」だって、そういうのは、トランプ並みの(いや、トランプよりマシだったかも知れないけど)大日本帝国陸軍の方々が、その類の主張を散々展開していた。この情報化の社会なんだから、武力を武力で封じる前に、まず武器を規制しろって言いたい。どこかの国みたいに、学校教員はみんな銃を保持していて、変な奴がいたらすぐに撃ち殺しても「合法」って、世界中をそうしたいのかと、僕は思う。ダメでしょ、絶対に。個人的にはそう思う。

以上、終わり。


書き忘れた。僕は、ブログに書いたことは、個人的には慢性的に「著作権放棄」です。

引用しようが、転用しようが、使いまわそうが、クソ味噌に貶そうが、どうぞご勝手に、ってなスタンスだから、「表現の自由」だけ保証してもらえるなら、引用も転用も一切文句はつけません。商売のネタは、自然言語じゃなくて「人工言語」の方で頑張る。(つもり)

自動技術

覚悟していたよりもスンナリと、プログラム本体機能の実装を終えた。
「開発環境設定」だとか、「オープンソースのライブラリ設定」だとかが絡むと調べることが多すぎて、全然プログラミングが先に進まないんだけれども、ロジックだけなら、たぶん、まだ衰えていない。(と思いたい。)

次はオプション設定が色々とあるので、それに取り掛かろうかと思いつつ、今日はもう電池切れ。もう寝るけど、ちょっとばかり気持ちに余裕ができたので、暴走。

自動運転の車が死亡事故を起こしたらしい。

「お任せ」ってのは、なんか自分は抵抗がある。ソフトウェアもそうで、自動化ツールは今は僕も多用しているけれども、仕掛けを理解しきれるまでは安心して使えない。基本的に僕は、疑り深いんだろうなぁ。納得できるまでは、委ねることができない。

いや、「心の勉強会」の師匠もそうで、語りとかペテンだったら、絶対に噛み付いてやる、とか思っていたけど、隙がない。桁が違った。それが納得できるまで1年以上かかったかも知れない。僕は、スロー・スターターです。

話を戻して、車に乗る以上は、自分が責任を持ちたい。それなのに、「お任せ」にしたがる。なんか、似たような話を聞いたような気がするな、と思ったのは、薬の話。「医者がこの薬を飲めと言った」から、一日何十錠も飲み続ける、って方に、「なんの薬ですか」って聞くと、「わからんけど、医者が言うから。」って。悪いんだけど、「バカか、あんた」とか言いたくなった。そりゃぁ、医者のお世話になるのは自分が大変な時だから、「藁にもすがる」気持ちは良くわかるけれど、薬ってものを理解しているんだか、いないんだか。「自動車にお任せしているから」って、それで人を殺したら、気分が悪いと思うんだが。仮に、自動車メーカーに全責任を押し付けられるとして、でも、やっぱりなぁ。僕だったら、嫌だ。気分が悪い。そんなことになるなら、自分で運転して納得したい。しかも、薬だったら殺すのは自分の肉体だからね。
薬について言えば、最低限、抗生物質だとか、抗炎症剤だとか、抗菌薬だとか、免疫抑制剤だとか、なんだとか、かんだとか、多少は理解してから自分の体に入れるべきじゃないか、と思うんだけれども。「医者が言ってるから」って、自分自身の体に責任を持っていないんだろうか。という気がしたのを、思い出した。

いや、今のジジババにはもう遅いと思うけれども、中学校の理科なんかで「化学」や「生物」を扱うなら、「薬の知識」も早いうちに教えておいた方がいいんじゃないかと思えてならない。化学反応を扱う職業に就く人の数は限られているけれども、化学薬品(食品添加物も含めて)を体内に入れている人は、生産する方々の人数に比べて桁外れに多いと思う。もしかしたら、人口の9割9分を超えているかも知れない。食品添加物だってピンキリで、神経質な人は食品添加物って言うだけで大騒ぎする割に、騒ぐ意味のない薬品にただ騒ぐだけの人がいて、一方で全く無頓着な人もいて、どちらとも議論が成り立たない位に、知識がなかったりする。それなのに、薬の知識が高校でもたぶん教えられてはいない。
ついでに言えば、メタボ(これは、metabolism;代謝のことだけれど)って言葉は知っていても、代謝とは何か、薬と絡めて説明できる人は、一般にはあまりいないんじゃないかと言う気がする。やっぱりなぁ、「お任せ」ってのは良くない気がする。

って言うのは、あくまでも自分で考えた話、感じたこと、だと思っていたけれども、ちょっと待てよ、と。
これも、どこかで似たような話を聞いたな、ってのは、やはり師匠の講演会(心の勉強会)だった。

念のため、何度でも書くけれども、ブログにする前、もう20年近く前から「僕は、神の実在は確信している」と書いてます。そう感じているから。同時に、霊的な存在も「だって、いるじゃない」と言う立場は貫いてる。(自然科学的に証明する手段がないから、こうして、ボソっと呟くだけだけれども。でも、他に感性を共にする方々が大勢いることを知って、ようやっと安心できた感じかなぁ。)大槻教授に論駁できる自信は、ありませんからね。(早稲田の1年生の時、大槻先生の物理学ではAをもらったけれども。)そして、同じ学科の1年下に、上祐君がいたんだよなぁ。(不確かな記憶だけれども、たぶん、会って話をしたことがある。)

神社仏閣で、神仏に「お願い」したって、駐在している霊体さんたちも呆れるケースが少なくないみたいで・・・。なぜ病気になったか、なぜ経営不振に陥ったか、なぜ人間関係がうまくいかないか、自分で考えようともせずに「神様お願いします」って、そりゃぁ、駐在さんたちにはほとんどお見通しだから、自分で考えろとしか言えないケースがほとんど全て、のようで。「運が悪い」?って、もし本当に偶然としか思えない「不幸」が重なっていたなら、たぶんそれは「自分で決めてきた課題」なんだろうと思う。(僕も、納得するまで時間はかかった。)肉体を持って、自分で決めた課題をきちんと思い出せる人は、少数派だと思う。克服できちゃえば、そんなもん不幸でもなんでもない。どこかで抜け出すヒントはあったはず、解決するチャンスはあったはずなのに、それらを全部見落として、最後は「神様、お願いします。どうして助けてくれないんですか?神様なんて、いないんじゃないか!」って、無責任にもほどがある、ってお考えじゃなかろうかと、僕は思う。話が逸れた、って言うよりも、こちらが本題。

ただね、自動車の運転技術にしても、薬の知識にしても、そういうのは学校で教えられるとしても、自分のあり方を考える、なんてのは、学校じゃたぶん教えられない。個人的には、僕は、法政大学でも東京電子専門学校でも、感じたまま、伝えたいままに言葉にしているから、そう言う授業を最近できている気がするし、お陰様で、東京電子の卒業式では非常勤講師なのに謝恩会に呼んでいただいた。本当に、嬉しかったです。非常勤講師として、初めての経験でした。図々しく参加させていただいてけれども、一期一会、ほんの一言でも言葉を交わして、ましてや、それなりに名前を覚えるような関係になったなら、僕は一生のお付き合いとさせていただきたい。(女子学生もいたけど、変な意味じゃないです。)忘れるかも知れないけれど、ちょっと話題の口火を切ってもらえたなら、たぶん思い出す、と思う。(連想記憶、って奴で。)この話題は、間違いなく逸れているけれども、余裕がなくて書けなかったので、思い出した今書いた。謝恩会、呼んでもらって、本当に嬉しかった。
余談だけれども、東京電子で今年卒業した代は、2年生の時の夏休みに、「パルス・オキシメータを自分たちで作りたい」と、僕に話しかけてくれて、僕もArduinoとpython/djangoでプログラムを書いて、試作回路を作って提供して、基本データだけは取れる環境は整えた。(実は、生体計測はデータが取れるようになってからの、個人差の抽象化がとても難しい。)「ここから先は君らの課題だよ」とあとは投げたけれども、あの時のやりとりがなかったら、謝恩会に呼んでもらっても、非常勤講師の立場として、辞退していたと思う。初めて尽くしだった。改めて、ありがとう。(どさくさ紛れで、ごめんなさい。)やっぱり、自分で作って見なきゃ。

さらに思い出したことがある。論文博士の研究で、東京大学の松本先生にお世話になっていた頃のこと。博士課程の学生(僕は学生じゃなく、研究生だった)に、「プログラミングを教えてやって欲しい」と頼まれた。お安い御用と、時間を合わせて、自分なりに、考え方とか組み立て方とか、導入部分を説明した。そうしたら、その博士課程の学生はこう言った。「小林さん、今の部分ですけど、ツールを使ってこの部分をクリックすると、全部ワンタッチで出来上がるんですけど、もう少し、知らなきゃならないことを教えてもらえませんかね?」いや、返す言葉がなかった。公式暗記型か?違うって、自動化ツールは確かに使うけれども、「誰が書いても、同じようになる」部分にだって、根本的な思想がある。一つ一つの処理が、OSのどんな機能と関連しているか、Windowsがどんな設計思想を持っているか、それを理解できなきゃ中級から上のプログラミングは無理だよ、と言いたかったけれども・・・東京大学の博士課程の学生だから、ということも(当時は、その引け目は確かに)あったためか、何も言い返せなかった。(その場で何も言い返せなかった話題、ってのは、もう焼きついちゃって、何回でも記憶から顔を覗かせる。)

自動技術に頼るのは良くない、と僕は思う。そりゃぁ、自分の体に、「これだけ無理をさせるけど、頼むな」と言い聞かせれば、結構な無理も聞いてくれる。僕らの体も(細胞君たちが引き受けてくれて、とりあえずは僕と意思疎通できているから、かも知れないけれども)自動技術の集大成みたいな、「人間の肉体」っていう神様の贈り物みたいな高性能なハードウェアだけれども、それでも「自動技術」に頼って、バカやってりゃ、調子は崩れるよな、と思う。(実は、急に雪で冷え込んだ後、甘く見て薄着でいたせいか、激しく風邪をひいてしまった・・・)

自然科学ってのは、こういう、今僕が書いたみたいな「考え方」は全く持っていないと思うから、書いてる僕の方が「バカ言ってる」側の立場かも知れないけれども、心のあり方と肉体の病気の因果関係を指摘されているお医者さんも、少なくないような気がしている。
実は、ブルーバックスの新刊本で「量子論」と「意識」の問題を書いている本を買った。まだ「積ん読」から抜け出していない。近いうち、あれこれコメントしたい。(師匠だったら、どうおっしゃるか、僕が想像しながら書くだけの感じだけれども。間違ってたらその時は僕が地獄に堕ちるだけ。それでも、次に備えて、上がってきます。何度もやってるから、自信はある。あなたもそうでしょ?)「意識体の実在性」を、物理学の立場から攻められる、そういう時代になったことは、嬉しい。

話を本題(?)に戻して、それにしても、薬にしても、何にしても、他力本願ってのは、あまり良くないような気がする。

シーク・エラー

Windows環境のC言語プログラム

ftell(file_descriptor);が、-18を返して来て、固まった。ファイルの先頭からの位置が、マイナスの18バイト?何じゃこれ、という現象の原因と、対策のお話。

経緯:Windows機とLINUXとで通信させる。LINUXではC言語で書いたポート監視デーモンからruby on rails環境にDB経由でデータを渡して、タブレットでも通信データを読めるtapping用のミニアプリ(自分専用)を過去作成ずみ。(悪事にも使えるけど、そういう用途じゃないです。信号線の状態によっては、うまく動いていないけど。)

昨日は、そのtappingアプリを雛形にしたループバックの治具を作成中に、バグを出して3時間浪費。カーネルに近いCプログラムなので、file descriptorはグローバル変数としてstaticで宣言。serial.cというファイル内で共有させた。ところが、元はtapping用でポートを二つ開いている。それを切り替えるために、関数内でローカルに宣言されていた変数が残ってしまっていて、データが読めない、拾えないと悶絶した3時間。初心者がよくやる、多重宣言のミスです。恥ずかしい。

今日のは違った。ファイル伝送をパケットサイズに収めるために、テキストファイルを1行ずつ読み込んで、パケットサイズを超過する際はシークバックして(読まなかったことにして、)パケットサイズを調節するためのロジックを、テストしていた。[CR]+[LF]ではうまく動作していた。念のために、[CR]改行と、[LF]改行のファイルを試したところが、シークバックの移動後の位置が計算と全然違う。原因がわからず、fseekを呼ぶ前に、ftellで現在ポジションを表示させたら、表題の現象が起きていることがわかった。

原因:fseek, ftellを使うためには、バイナリでオープンしなければならない。(これも仕様には書かれているけれども・・・注意していないと、すぐに忘れる。)やっちまった。

つまり

iRet = fopen_s( &fd, file_name, “r” );

で開いたファイルでは、fseekもftellも正しく動作しない。

iRet = fopen_s( &fd, file_name, “rb” );

でなければならない、ということです。どなたかのお役にたてば。(自前のブログじゃなくて、Qiitaか何かに投稿すりゃいいに・・・)

反省点:1時間でも早くソフトを仕上げたかったので、1バイトずつの読み込みの関数を作る手間を省いて、fgetsを使った。これを使うために、テキストモードでファイルを開いた。伝送するファイルはテキストなので、大丈夫だと思った。その後で、パケットサイズの調整のためにfseekを使った。(ここで、バイナリオープンしなければならないことを、思い出すべきだった。)[CR][LF]改行のファイルではうまく動いていた(ように見えた)ので、気づかなかった。

念のため、[LF]改行のファイルを送ったところが、パケット境界でデータが5バイトもダブった。最初は何がおかしいかわからなかった。5バイト?どこからこの数字?いや、そもそも[CR]+[LF]のファイルでも、たったの1バイトだけ、理論上の位置とはズレていたのに、1バイトだったら、きっと[LF]か何かのカウント方法で、そういう仕様になっているんだろうと、深く考えていない自分がいた。何か起きる時、何かを見落とす時には、だいたいこの「まぁ、大丈夫か」の自分がいる。(いた。)

この、たったの1バイト、気にしないとヤバい結果になるんだよなぁ・・・。テストは、考えられる組み合わせを網羅しなければならない、という鉄則。基本に忠実に。とにかく、客先に納入する前に気づいて良かった。念のためのテストで、とんでもないバグを見つけて、そういう意味では結果オーライかも知れないけれども・・・。経験積んでる割には、未熟だよなぁ・・・

テキストオープンしたファイルでシークを使う。これも、ある意味、ど素人っぽいバグだ。反省しきり。

いきいき百歳体操

昨日、老人会から、お声がかかった。いや、入会しろってな話じゃなくて、会計の新年度予算に新規事業費を盛り込んでくれ、という依頼だった。
昨日の予定は、「小川ウォーク」で7kmくらいかな、歩いて、その後午後5時に、決算報告の準備と予算について、自治会総会準備のための役員会があり、さらにその後、老人会のメンバーが居酒屋で待ってるから、と・・・、午後少しだけ自分の時間があったものの、朝から晩まで自治会漬け。ただ、酒の席で話をするのは初めての方もいらっしゃった。

百歳体操。筋肉に負荷をかける体操らしい。「指導ボランティア」が必要で、講習会を受けてもらって、交代で参加者に指導にあたる人が必要だって、なんでその話を僕にするかなぁ。
およそ僕は、何かを断ったことがない。宴会幹事、バグだらけでみんな逃げたソフトの改修、パプアニューギニアでの遺骨の情報収集、同じくニューギニアの山頂の全滅陣地に卒塔婆を立てて欲しいという依頼、そして自治会会計。まぁ、たぶん、ね。

ただ、色々と話を聞いていて、民生委員の話が来ても、さすがにそれは断るだろうな。一人暮らしのお年寄りが急に具合が悪くなって、救急車を呼んで、付き添った。そしたら、受け入れ先が小川日赤ではなくて深谷日赤病院になってしまい、さて帰ろうとしたら救急車が帰ってしまって、足がない。仕方がないんで、旦那に迎えに来てもらったそうですが、それがダメだとどうなる?自腹でタクシー?ってな話を聞いた時点で思った。無理無理無理無理。
よほど経済的に余裕があって、家族も時間的に余裕があって、ってな状況でなければ、できない。民生委員さんが忙しいから、福祉委員という制度を作ったらしいけれども、手当は月額500円で、そういう金額はボランティアの範疇でしょうね。で、病院まで付き添ったら、どんなことになるのか。だいたい、「講習」も交通費は出てもそれ以外は自腹らしいから、ちょっとね、そういうのは、大企業とかを定年した悠々自適の方々に頼んでください。僕はたぶん、生涯現役で仕事を続けるから、平日や土曜日のスポットのボランティアなら出来るけれども、こちらは話が来てもたぶん断る、っていう以前に、女性でないと難しい場面もあるみたいだし、うちの状況は、役員さん方にも、もはや筒抜けだし。(僕は、自分のことは口が軽い。)

それにしても、「いきいき」とか「健やか」とか「ふれあい」とか「安心」とか、そういった類の枕詞がつくのが多すぎる。「亀仙人体操」とか、もっと別のネーミングはなかったもんかね?発想が役人だ。

決算報告の準備をしていて、「いきいき」の付く事業とか高齢者対応が多すぎて、去年は領収書の分類を間違えたのがあった。前区長に言われて、区分の訂正をやったけれど。うちの自治会は、高齢者対策の事業に、全部食い付いてるもんなぁ。それでも、会場利用料が1回1時間あたり200円とかだから、毎週実施したとして年額で計算しても最低2万円の水準。もしも、大企業みたいに、たったの1回ホテルの会議室を使うほどの予算があったなら、うちの自治会の高齢者関連の年間事業がほぼ賄える。これが「末端行政区」の会計だとしても、こういう「企画」を最初に考えたもっとずっと上位の自治体の方々は・・・(やめときます。)

安く済ませる、ってな発想そのものは責めない。ただなぁ、上の方の無駄遣いはやめて欲しいなぁ。口利き一つで数億ってな政治(安く払い下げた、ってことは、税金の無駄遣いでしょうし、そういうこと)をやっておきながら、上流階級ぶるのはやめて欲しいね。1円単位で、全ての支出だの、決定経過だのを表に出して欲しいね。特に、国政。話は簡単だろうに。ネットに貼り付ければそれで終わりなんだから。それなのに、やらない。理由は簡単で、自殺したり首が飛ぶ官僚が多すぎるから、だろうな。

どうでもいいけど、昨日の締めのカラオケも、また千春さんの「長い夜」だった。「お、十八番が出たな」とか言われてしまった。いや、ラジオでしょっちゅう聞いてる歌を歌いたいんだけれども、いざ歌おうと思っても案外歌えない。一人カラオケで練習する余裕はないし、昔十八番で歌ってたのは(そもそもが根暗だから、仕方ないんだけれども、)暗い歌のオンパレードで、今は歌いたくないし・・・

騙された!(危機一髪)

危なかった。ここ

繰り返し拡散する「あなたのApple IDのセキュリティ質問を再設定してください。」メールに注意

やられた、どこかでApple IDを盗まれたか、と思った。結構用心深く入力したりしていたつもりだったので、外のサイトでの僕の入力ではない、としたら、と、瞬間的に最悪の事態を考えた。シグナリスのPPPoE接続のファイアウォールが破られて、僕のMacのパスワード(もちろんApple IDとは違う)を盗まれ、キーチェーンを根こそぎ抜かれ、そこからApple IDを読まれていたら、他の情報も漏れている、と思って、松尾くんに一声かけて、ルータを初期化した。まず、侵入経路を塞ごうと、思った。(この時点で、もう完全に騙されている。)

ところが、ルータの管理画面にログインできない。(その理由は・・・、説明の「読んでる場所を間違ってたから」で、松尾くんに、「何やってんですか」と・・・。完全にうわずってる。)サインインできた時点で、実はこういう事情で、ルータを初期化して設定を切り替えたい、と言って、冒頭の「Apple IDがなんとか」のメールを見せて、「どうやら、やられたみたい」と言ったら、「これは詐欺メールでしょ?騙されちゃダメですよ」と・・・

完全に騙されてました。ググったら、上記のサイト。それによれば、フィッシング詐欺のサイトらしく、クリックしても、とりあえずはウイルス感染のリスクはなさそうだ。でも、その画面でApple IDとパスワードを入力していたら、完全に、今度こそ本当に盗まれるところだった。

あれですね、当たり屋にぶつけられ、「いてぇ、いてぇ、」と大騒ぎされて、「やっちまった」と思ってしまったら、きっとこんな感じで「自分が騙されている」ってな発想は消し飛んでしまうのかもしれない。そうだよなぁ、完全に、Apple IDを盗まれたと思ってしまったもの。100%騙されてました。

完全に、平常心を失う、ってな感じだったかも知れない。

Apple IDのパスワードの変更のサイトは、僕のブラウザにショートカット登録してあるから、もしかしたら、Apple IDを切り替えるとしたら、そこのリンクから開いて、フィッシングサイト経由ではなく、正規のサイトで変更していた、かも知れない。
でも、わからない。結構焦っていたから、リンク先のフィッシングサイトで、入力しちゃっていたかも知れない。松尾くんに一言「詐欺メールでしょ?」と言われなければ・・・。危機一髪だったのかも知れない。真っ先にネット接続を遮断したから、松尾くんに声をかけてもらえるだけの時間を稼げた感じだろうか。フィッシングサイトでIDを入力しなかったのは、不幸中の幸い。

僕のApple IDでいくら、何を買えるのか、一ヶ月後とかに、想像できない金額の請求書が来ていたのかも知れない。

改めて、冷静に考えてみれば、シグナリスのルータは、某社のインターネット・サーバからの接続しか応答しないはずで、某社の社員が詐欺目的で入社した人でなければ、問題ないはず、だから、焦る必要はなかったはずなのに。海外なんかだと、犯罪目的で銀行に「正社員」として入社したりする人、あるいは、銀行の行員が犯罪グループに買収されて不正送金だの預金の抜き取りだのもあるようで、そうなると銀行の口座番号と名義を知られるだけでアウトだし。(そうとでも考えなければ、説明できない、「預金の盗難」が起きたと、アフリカの協力隊員から聞いたことがある。細かいところは、僕の勘違いかも知れないけれど。)とりあえずは、通信最大手である某社の内部統制がしっかりしていることを信じていても、大丈夫だろうとは思うけれども。(でもなぁ、最近は、日本だから大丈夫だろう、が、かなり危なくなって来た。黙ってりゃバレない式の大企業の年寄りも少なくないみたいだし。)

某社を疑って対策せざるを得なくなるのも、時間の問題かなぁ、なんて、それ以前に、自分が今回騙されたことの方を、よっぽど問題視すべきでしょうね。

150度

僕は戦争を知らない。という言い方は正確ではないと思う。日本という自国が戦争に巻き込まれた状態を知らない、という書き方が正しいか。
トランプも同様だと思うが、アメリカ人は9.11で初めて「自国が戦場になったら」という想定をし始めたという言い方を読んだことがある。ロシアや中国は結構あちこちで戦争をしているが、自国の領土が本格的に巻き込まれた状態の戦争、という意味では経験していないと思う。そうした意味では、安倍、トランプ、プーチン、金、文、習、どなたも大差ない気がする。

僕が生まれたのは、たぶん、30度付近。平和をプラス、戦争・対立をマイナスに取て正弦波(sinカーブ)を描いたなら、1945年の0度で、「世界大戦」が終結し、微分係数(平和の方向を目指す世論、動き)は最大化した。その後、局地戦は経験しながらも「世界大戦」という文脈では平和が続き、90度で「平和」はピークを迎えた。その90度は、9.11だろうか。微分係数がマイナスに転じたが、全体としては「平和」を維持している。微分係数の「マイナス」は、「紛争や対立」を目指すというよりも、「右傾化」であり、自国最優先、自国のためには他国との協調は不要だという立場だろうと考える。世界が少しずつ「右傾化」していても、平和が長く続いたから、その「右傾化傾向」を問題視する声は大きくならなかった。

微分係数のプラス、「平和」を目指す時に、協調は欠かせない。資源の奪い合いが戦争の直接・間接的な原因だった、という反省から、資源をシェアし、フェアな国際関係を維持するために、段階的にEEC、ECがEUへと進展した。「右傾化」とは真逆のベクトルが、「戦争」から「平和」への推進力になったと思う。今はその時の逆になっている気がする。

そしてトランプが登場した。少なくとも、彼は経済と「紛争」との因果関係を理解していない。経済人として経済を操作できるかと言えば、極めてミクロな因果関係しか理解できていない気がする。誰も彼を説得出来ないでしょうけどね。マスコミが彼にその辺を示唆しようとしたから、マスコミそのものが敵対視されたんだろうと思う。

実話を一つ紹介する。僕が勤務したことのある大学。「学主」という独裁権力の頂点に立つ人がいた。彼が学内を視察した。元々は「科学技術」を看板に掲げた大学だったから、情報系の学部の研究室では歴代のPC(PC-9801シリーズ)などが大量に(廃棄されずに)研究室に置かれていた。それを見た学主は「なぜ、あのパソコンを有効活用しようともせずに、新しいパソコンを買おうとするんだ、新しいパソコンを買ってはならない」という指示を出したらしい。要するに、眠っているPC-9801を有効活用すれば、新しいWindows XPパソコンなど買う必要がないはずだ、という主張である。(鶴の一声。)そして、実際に学内では「新しいパソコンを買う」という申請が容易には通らなくなった。苦しい言い訳をして、それは事務方だってPC9801で仕事ができるとは思っていないから、もっともらしい言い訳をしながら、万一学主にバレても、申し開きできるようなやり方で、実際には購入していたんだろうと思う。誰もが知る「笑い話」として、学内では話されていた。
そんなもんだろうとは思っていたけれども、誰一人として独裁権力の頂点にいた学主に、「パソコンのスペックは、猛烈な勢いで進歩していますから、もう10年、15年も前のパソコンなど使えません」という進言が出来なかった、YESマンしかいないんだな、と僕は理解した。(中傷?この理解が違ってるかも知れないけれども、勤務当時のその辺の噂を知る人は何人も今でも交流があるから、ツッコミがあったら証言だけは揃えられると思うんだが・・・)いや、悪かったのは学主じゃなくて取り巻きだとか、色々噂は聞いたけど、もう全てがどうでもいい。ただ「独裁権力は、絶対的に腐敗している」と言いたかっただけ。

本当にね、独裁権力の頂点に理解力のない人がいると、とんでもないことになる。しかもそれが、学主程度なら、パソコンの代わりに電卓を使えば済む話だけれども、それが大統領だとか国家元首だとしたら、目も当てられない。トランプについては省略。プーチンが国家教書演説で新兵器を発表したとか。イギリスはEU離脱。習近平も巧妙に、北インド洋、西インド洋に艦船の補給基地を確保して、着々と武力の示威に走っている。そして金正恩。日本ですら、北朝鮮がミサイルに言及する度に、防衛力強化に対して、声を大にして異を唱えることが難しくなっている。金正日が仕掛けた「日韓分断」は完全に成功したらしく、「慰安婦の強制連行」が事実に反しているという日本の主張も虚しく、韓国の反日は止まりそうにない。「右傾化」の流れは、もう決定的かも知れない。微分係数は、θ=150度で、まだ最大じゃない。最大化した時に世界の平和情勢は、プラスからマイナスに転じるんだろう。

モデルとして似ている気がするのは、第二次世界大戦ではなく、第一次世界大戦に近い気がする。第二次世界大戦の発端は、ヒトラーのポーランド侵攻か。そうした「国家の意思決定」ではなく、第一次世界大戦は、「偶発的」なアクシデントから、ヒステリックな暴動、そして戦争に発展したと理解している。背景には、経済対立が色濃くあったと私は理解している。似ている。トランプの主張を重ねてみると、状況が似ている気が、なんとなくする。トランプが火をつけたから、アメリカでは人種差別主義者などが、かなり荒っぽい行動に出ている。それがアメリカ国内であっても、報復として海外のアメリカ人に何か起きれば、当時と類似した状況になる。

当時は「暗殺」レベルだったんだろうけれども、現代は「インターネット上での、なんとか」ですら、「偶発的なアクシデント」になる気がする。

その状況に加えて、ロシアは明確にシリアや北朝鮮をバックアップしている。今朝鮮半島で何か起きれば、60年前に遡って、それは米ソならぬ米露の代理になるんだろう。だから180度ではなく150度。

中国はわからないけれど、韓国の文大統領の「反省しろ」発言は、言質として使える。日本は、韓国に対して徹底的に距離を取るべきだ。アメリカの意に反するだろうけれども、30度の対極の150度でいいと思う。米韓が軍事的に協調しても、日本はあくまでも「日本に対する直接的な脅威」でない限りは、一切朝鮮半島には関与しない立場を貫くべきだと僕は考える。その状況になったなら、韓国が何を言っても、「日本は、朝鮮半島への関与に反省しているから、一切関与しない」と文大統領の発言を引用して(都合がいい時だけでいいと思うけれども)距離を取るべきだと思う。

あ、今、世界は、150度に突入している、なんていう気がしてならない。
「トラトラトラ」の再現は、絶対に避けるべきだ。だからこそ、金正日の、というよりもそれを活用している金正恩の「反日誘導」も利用し、文大統領の「振り回され外交」を活用し、朝鮮半島一切不干渉を貫くべきだと思う。仮に米露の仲介をできるポジションがあっても、それは中国に任せて静観すべきだ。敢えて何か主張するなら、拉致日本人の帰国だけでいいと思う。「不名誉」よりも、「日本人の安全」や、「日本的な平和主義」を貫いて欲しい気がする。

次の段階として、アメリカ、ロシア、中国からも距離をとるべき時期が来ると思う。ついでに言えば、イギリスとも距離は取った方がいい気がする。そうしたらどうなるか、まずはインド、そして大陸側の欧州諸国とは積極的に関係を維持し、かつ、「ナンバー1,2,3」を除外した世界に対して、JICAが行ってきたような、中国の「援助なるもの」とは異なり、現地の利益となる国際協力を継続し、トランプや金正恩に象徴されるような、(プーチンや習近平もその同格に堕ちたような)武力至上主義、とは、一線を画した、「国際協力主義」を日本には貫いて欲しい。

インターネットって、本当に面白い。きっと、毒にも薬にもなる。

心臓発作の予知

僕のメインテーマで、何度となくあちこちで書いてる。学位論文審査のPDFも、確かどこかにアップしてある。(僕の、東京大学の学位論文は、はっきり言って、ドサクサ紛れのハッタリです。)でも、メインテーマは全然変わってない。

大杉漣さん、急性心不全かぁ。こういうニュースを聞く度に、何かできるはずだ、と思う。ただ、はっきりしていることは、組織にいたら何もできない。どんな仕事をするかは、会社の命令が最優先だから、個人の興味なんて二の次。じゃぁ、大学は?年間の研究予算が20万円で(10万円から倍増した)専任だけで週に9コマ講義をこなして(実際は15コマ拘束)その採点とか、教材準備とか(毎年、担当科目が変わる)はっきり言って、研究なんか大学じゃ、できない。科研費申請は、僕が会社を自営でやってるから、書類ではねられた。(どういう価値基準だ!)で、自営業専念。

結局、金儲けが大変で、研究なんてできてないよなぁ・・・たぶん、心電図やRR、加速度、皮膚インピーダンス、などなどのマス・データを読むのは、マシン語を直接頭の中で逆アセンブルする以上に難しいかも知れないけれども、結構生体には法則性があるし、できる気はずっとしていて、だからどうしてもこだわりから離れられない。親父やお袋が生きている間は、プレッシャーというか、ストレスというか、ただ生きているだけで苦痛だった。そのストレッサーもいなくなった。今なら、かなり細かくコードやデータが読める。なのに・・・、という逆説。

焦るなぁ・・・。今度は誰の訃報を見聞きするんだろうか。でも、それはもう、全く関係ない。やりたいことができるかどうか、それだけかも知れないな。生活するだけなら、貧乏は全然平気なんだけれども・・・。頑張ろう。淡々と、ただ誠実に。

自動翻訳

Microsoftの言語仕様ページ

異なり、 AddStringメンバー関数をInsertStringを使用したリストは伴いません、 LBS_SORT並べ替えスタイルです。

英語で読まないと意味がわからない。難解だ・・・

自動翻訳のAIちゃんが、もうちょっと賢くなってくれないと・・・

でも、昔は、必要なページは数ページなのに、この類の正規の日本語ドキュメントを買おうとすると万単位で、しかも、バージョンアップの度に、買わないと開発できなかったりしたから、それを思えば、タダで読める分だけ有難い。Visual Studioそのものが、Community版はタダだから、これも非常に有難い。開発環境を整えるだけで数十万という状況だったことを思えば、うれし涙だね。合掌。

シリアのニュース

NHKの7時のニュースを聞きながらの二連発。

本当に強い人っていうのは、弱い者に優しいそうな。

ってことは、ロシアのプーチンさんは単なる筋肉バカで、あの人の強さは見せかけだけ、ってことか。

残業43時間

ニュースを聞いていて思った。

5時が定時だとして、翌日の午後5時に帰宅したら、残業24時間。

翌々日の午後5時なら、残業48時間。だから、出勤して二日連続で徹夜し(たぶん、会社に寝袋を持ち込むか、椅子を並べて仮眠する)三日目の昼に帰れば残業43時間になる。

「最長」を聞かれたのなら、たぶん、こういう仕事の仕方をした人が何人かいたんだろうなと思う。僕の知ってる人、会社に寝袋を持ち込んで、一週間くらい泊まり込んでた。よくある話。出勤は月曜日で、帰るのは金曜日。だから、定期は要らない。

不潔?う〜ん、まぁなぁ。汚いとか臭いとか言われるよりも、動かせなきゃ致命傷だからなぁ。

僕じゃなくて、僕の知ってる人、ですから、念のため。

Adobe vs Microsoft?

PDFをWindowsアプリで表示させるための、AcroExchのOLEが、全くうまく動作しない。
3日間、風呂に入ってない。食事は、何回食ったか覚えていない。4日間で9食くらいか?この状況になると、よくある話。

AcroExchを、OLEでDispatchすれば、Excelのシート内にVBAでPDFを表示したり、Windowsのアプリ内でPDFを表示できる。Windowsアプリの、もう10年来の機能だった。ところが、どうやっても動作しない。ブランクが長いから、何かミスってるかと思って、散々やり直しした。どんな呪文があったっけか?Acrobat Reader(Adobe Reader)の旧バージョンを入れ直したり、Visual StudioのSDKのベースを2015に切り替えたり、散々やり直し、OLEのAutomaticを入れたり外したり、フォームを作り直したり、試行錯誤の三日間。コンビニまでタバコを買いに行く以外は、ほとんど体を動かさなかった。(あ、朝、あまりにも体が硬いので、ご近所を一回り意味もなく歩いたりはしたけど。いわゆる「朝の散歩」か?)

わかったこと。まだ確認テストはしていないけれども、Adobe Readerをインストールすると、クリックするだけでPDFはAdobe Readerにくくりつけられる。ところが、アプリからOLEでAcroExchをDispatchしようとすると、「アプリで問題が生じたため、PDFをMicrosoft Edgeに関連づけます」的なメッセージが(通知窓にひっそりと)表示されて、切り離されてしまう。何をどう試しても、CreateDispatchで、「クラス文字列が無効です。」というエラーを返される。
あとは、どんな「呪文」があったんだっけか?

AcroExchで始まるAdobe用のレジストリ登録が、全部Windowsのなんとかになってる。そうなのか?なぜ、AdobeにOLEの制御権を渡さない?あり得ないでしょ?と思うけど、僕の経験不足かなぁ・・・わからん。わかることは、Adobeのサンプルがそもそも、動かないということだけで・・・(これだから、Windowsは大嫌い!)

4日浪費した。代替案を出さないと。PDFは、アプリの外で表示させて、見てくれは悪いけれども、それで内容確認してもらって、所定の処理を行うと、そうするしかなさそう。そもそも、元々がWindowsアプリだったから、従来構成を踏襲したけど、もう、Windowsは捨てましょう、マルチプラットフォームの、WEBアプリに作り変えませんか?と提案できるかも知れない。

いずれにせよ、今回のトラブルの原因究明は先送り。それよか、代替案で結果を出すことが最優先。納期最優先。正念場だ。
3月3日が現地テスト。明後日の月曜から、何回風呂入って、何回飯食って、何歩歩くか、ビミョーだなぁ。

いい経験した。次からは、自信を持って「Windowsはやめましょう。WEBベースのマルチプラットフォームで、どうしてもサーバはWindowsがいいっていうことなら止めはしませんが、LINUXベースのサーバに、クライアントはAndoroid, iOSがいいと思いますよ?Office Documentだって、WEBベースならAdobeで幾らだって扱えますし」ってな提案ができそうな気がした。だって、Windowsにこだわると、泥沼だし。WEBで散々読んだ。AdobeのOLEの件で、Microsoftに問い合わせると「それはAdobeに聞いてください」だし、Adobeに聞けば、「WindowsがらみはMicrosoftへ」ってなる。やってられっか。両方捨てろ、って言いたいけど、PDFは捨てられないから、先に捨てるのはWindowsだと僕は思う。(疲れた。今日こそ、風呂に入るぞ!)

あ、書き忘れたけど、AdobeのSDKのサンプル・プログラム、バグがあるのにかなり長いこと放置していませんか?ってか、もうOLEは過去の技術だ、ってなスタンスか。

これだからWindowsは・・・

先週、金曜日、久々に感情を剥き出しにしてしまった。(松尾くん、すまん)

Visual Studioにコンポーネントを追加しようとしたら、一覧が表示されない。20分ほど待っていたら、まずはエントリー・タブの一覧が表示された。午前11時。
その後、何か操作するたびに固まる。最初のうちは大人しく待っていたんだけれども、5分経っても画面が変わらない。タバコを吸う。戻る。まだ何も変わらない。待つ。貧乏ゆすり。携帯でゲームを始める。画面を見る。何も変わらない。午後2時。
このタイミングで、試作を始めたアプリの、仕様が変わった旨の連絡が入る。PC側は、普通なら数秒から十数秒で反応が返るはずの操作で10分とか20分とか固まっている。え、作業やり直し?と思ったところで、イライラが吹き出してしまった。

PCの液晶にパンチを入れたい衝動。キーボードに、踵ドロップで蹴りを入れたい衝動。(これをやっちゃったら、終わるでしょうがー。自分で自分の首を締めるぞ・・・)

松尾くん曰く、「Core 2(Duo)の主記憶4GB?終わってるんじゃない?」わかってるよ、Windowsで仕事なんかする気がなかったから、買い換えてないんだ。わかってるよ!今すぐ買い替えろってか?この厳しいタイミングで?・・・完全にプッツンした。未熟です。午後5時。

午後6時頃、Windowsが誇らしげに「13万何件のファイルをスキャンして、1個の脅威を削除しました。」と成果報告してきた。事情がわかった。それでか!それに、その1個の脅威って、アプリの名称にWindowsの更新の番号を表示してるじゃんか。自作自演か、Windows!

それに、そもそもそんな「スキャン」をかける前に、一言「今やっていいですか?」とか確認しないのか?自動でスキャンしていい、なんて、そんな設定はしていないはずなんだが。でなきゃ、せめて事後報告でいいから「今、ファイルスキャンを実施しています。」とか、どこかに表示は出さないのか?その情報がなかったら、反応が鈍い理由がわからないじゃないか。
ただの鈍さじゃない。「追加可能なコンポーネント一覧」を表示するのに、何かクリックするたびに、タバコ吸って、ゲームを操作して、またタバコ吸って、最後、30分経っても画面が変わらないから、昼下がり、意味もなく農協の直売所まで車で行って、タマネギ買ってきて、炊飯器にスープを仕込んで、1時間ほど潰して、PCを見ても、まだ一覧が出てない。吹き出したイライラが虚脱感に変わった。
今回の改修は、次に繋げるための伏線だから、あまり金は請求できないよ、とは聞いている。それは理解しているんだが・・・

Windowsの更新だとわかって、まずはホッとした。通常の状態なら、まだ使えない反応性じゃない(だから買い換えていないんだ)。

本当に、Windowsって奴は、月に1度か2度は「あの日」が来て機嫌が悪くなる。人間だって月に1度でしょうが。なんつうマシンだ。丸一日、仕事にならんかった。せめて夜中にやって欲しい。そういう選択肢くらい、ユーザに投げてくれ。「あの日」っていうよりも、毎月定期的に更年期障害が出てるんじゃねぇのか?Windows!

気を取り直して、昨日設計文書を書き直した。今日、先週金曜日の作業からやり直し。月曜日、新しい一週間の始まり。

「あーたーーらしーいー、あーさがきた。きーぼーーのーあーさーーだ。よろこーーびにむねをひーーらけ。あおぞーーーら、あーおーげーーーー」
ってか?頑張ります。

残飯担当

70歳以上独居高齢者食事会。無事終わった。足元が覚束ない方が多く、靴を脱ぎ履きするだけでも手助けが必要な方もいらっしゃった。広義の医療機器で出来ることも多いのかなとか、あるいは衣類、履物でも工夫できる事は多いのかなという気がした。
何よりも、今介護用に登場して間もないロボットスーツ。膝や股関節だけに簡単に着脱できて、日常動作を支援する器具の開発、いわゆる「喫緊の課題」っていう奴だろうか。うちらあたりでも、できる事はあるかなぁ。

一昨年は、転倒して骨折・入院でのドタキャンがあり、今年は役員の親族に急の法事があって、当日のドタキャン。なんだかね、式服には黒いネクタイしか最近は使わないというボヤキにも思わず共感している。で、火の通った食べ物は「お持ち帰り用」にしていただけるんだけれども、お刺身とかお寿司とかは、お店側としても(食中毒なんか一人出ても大騒ぎだし、とっても理解できるが)お持ち帰りはご遠慮・・・だろうな。という事で、僕が胃袋に収納してお持ち帰りさせていただきました・・・。全体として二人前以上は食った気がする。浅ましいね・・・ってか、僕は食べ物を残すのを異様に嫌うってのを、他の役員さんとかもそろそろご存知で、「小林くん、これ食う?」って皿ごと回ってくる。流石に、同じ種類を三皿目になると、ちょっとしんどい。「ほら、遠慮せずに」って、あのぉ、僕が遠慮なんかしてると思います?

食べ物を捨てる行為は、犯罪行為だ、と思っています。これは本当に、子供の頃から一貫して。見苦しくても、浅ましくても、食べる事で捨てることを回避できるなら、何が何でも僕は食べる。えぇと、その結果として一時期どういう体型になったかは、ご存知の方も多いと思います。
全ての食べ物が、生き物由来だ、と思っている。だから、食べ物を捨てることは「食料」に姿を変えた生き物たちの、生命に対する冒涜だとしか思えないでいる。君たちの命を僕が引き継がせてもらう。そう思って食う。
日本人がクジラを食うことに、欧米では反発が多いらしいが、伝統的にクジラもイルカも、産業上の括りとしては「漁業」だったと僕は認識している。イルカについては詳しくは知らないが、クジラについては骨も皮も歯も、何から何まで、余すところなく生活に活用したのが日本人のクジラに対する接し方だったと理解している。それは(クジラに限ったことではなく)生き物であるクジラに対する日本人の敬意の表し方でもあったと、私は思う。
僕は、別に手を合わせて、神様、今日も食べ物を、一日の糧を与えて下さってありがとうございました、と祈ることもしないし、ハラルのような認証も求めてはいないけれども、ただ目の前にある食材に対しては、「元は命」の認識を捨てきれない。君たちの命は、今度僕の体になるから、僕を支えてほしい。だって、紛れもなく、元は命でしょ?

この、「元は命」ってな言い方もね、こうやって高齢者の方々と接していると、「元娘」だとか「元美少女」だとか「元好青年」の皆様方との間でそういう表現が飛び交うこともあって、(「元美少女」とか言われても、全然ピンと来なくて、ごめんなさい、なんだけれど、)姿形は色々と変わるけれども、生きていたもの、生きているものへの敬意は、日本人的な感性の中にあるような気がする。「宗教」でもなく、当たり前の生活感覚の中で捨てたくない、日本からなくなって欲しくないと、思った。と思っていたら、「恵方巻き、大量廃棄」とか「今年は、恵方巻きを昨年実績しか作らない」とかいうニュースも流れてきて、あれこれと思う事は多い。

なんてね、色々と偉そうに書きつつ、でもね、「残すのはもったいない」と、ひたすら食べるっていうのは、毎度のことながら、とっても意地汚く見えるし、見苦しいし、浅ましいし、そういう見え方するよなぁ、って理解しながら、意地で残飯をほとんど出したくない私がやっぱりいた。きっと、死ぬまで変わらない。そういえば、92歳の最高齢の方、全ての料理を残さず召し上がっていた。拍手したかったよ。
太るかもね?って、いや、レポートの採点が終わったら、走って泳いで、動きまくって、贅肉にならないように対処は心がけます。明日からね・・・。

今日の分、ツケは大きそうだ。

ストレス太り

成績報告の締め切り直前。課題のプログラムを読み続けている。
普通だったら、サラッと読むところが、途中でデッドコピーのプログラムを三組ほど見つけてしまったもので、(誰が書いてもほぼ同じになる部分がある一方で、普通は個性が出てスタイルが変わる部分がある)結局、全部を結構丁寧に読む羽目になった。課題を要求している13回分の合計本数が一人42本で、途中脱落した学生もいるものの、60名くらいは最後まで残っているから、合計でプログラム2500本くらいか・・・

テストランの画面の雰囲気や、使われている変数名の癖、特徴的な関数定義などを覚えてメモっていき、似たようなプログラムがあったら遡って照合する。何やってるんだろう、俺・・・たぶん、残り1000本を切っているんだけれども、締め切りがあるから、時間との戦いになってきた。もっと学生を信じたいんだけれどなぁ。プログラムを書くよりも、こちらの方が疲れる気がする。「工期」を読み誤った。

こうなると、やたらと糖質が欲しい。甘いもの、炭水化物が欲しくて仕方ない。減らしていると、途中で気力が萎れてくる。昨夜食ったお陰で、今朝も朝一からパワー全開だ、やるぞぉって、気付いてみたら4kgリバウンドしていた。なんてこった。

わかっちゃいるのに、昨夜も日付が変わってからとにかく炭水化物が欲しくてお握りを一個食べた。ヨメがライザップのカレーのレトルトがあるよ、とか言うので「もらう」と一言。お握り崩して、ライザップ・カレー。食べ終わってもまだ落ち着かない。ヨメが言うには、「もう一つあるよ。ライザップのカレーだから、きっと食べれば食べるほど痩せられるんじゃない?」と・・・なるほどぉ!そりゃ、ありがたい!って、そんなはず、あるかい!

いいです。もう後は、激太り覚悟で食いながらとにかく期限に間に合わせる。

Google Drive

15Gバイトのストレージがタダで使えるってのは、ありがたいっちゃ、ありがたいんだけれども・・・

92Mバイトの力作の「プログラミングレポート」を出してきた学生がいる。「先生、提出用のフォルダに容量オーバで提出できないんで、こちらから」って言うメールが来た、そのアップロード先はGoogle Driveだったか、あれ違ったっけかな?たぶん、コアのシステムはGoogle Driveだと僕は思った。
92Mバイトも何を書いたんだって、よく見たら91Mバイトまでがゲーム画面の画像ファイルで、力作って言えば力作なんだけれども・・・まぁいいや、ベクトルがどっちを向こうが、頑張ってることには違いない。

大昔、スペースインベーダー(もどき)のバイナリコードが雑誌に掲載されていて、100円を使わなくていい、喫茶店で遊べない反動から、その雑誌のコードを必死で打ち込んで、遊んだ。ところが、どうしても面クリアが出来ない。ついに頭に来て、バイナリコードを読んで頭の中で逆アセンブルし、「敵の玉に当たって砲台が破壊される部分」の処理をNOP(No Operation)に書き換え、「不滅のインベーダー」ゲームに改造した。
そこでは、玉に当たって画面上は徐々に壊されていって、最後は画面上から消えてしまうんだけれども、ロジック上はそこに「砲台」が存在している。亡霊のごとき、見えない砲台から玉が打ち出され、不老不死ってか不滅の砲台から延々と玉を打ち続け、いとも簡単に面クリアができるようになった。これはもう、快感だった。しばらく、熱中してインベーダーを遊んでいたんだが、こうなってしまうと、もはや「単純作業」である。だんだんと馬鹿らしくなり、改造し終えてから1時間も経たないうちに飽きてしまい、さらに言えば、インベーダーゲームそのものを遊びたいと言う欲求も急速に萎えてしまった。結局その後、「不滅のインベーダー」ゲームで遊ぶことは二度となかったし、インベーダーゲームそのものでの「遊びたい」欲求も消え失せた。
透明人間になって好き勝手出来たら面白かろうって、案外こんな結果になったりしてね。こんなもんでしょうかね。ゲームってのは制約条件がないと、実は面白くないんだとつくづく思った。

でも、こうやってプログラミングは覚えていくんかなぁ。あのお陰で、Z80だったか、8080だったかのアセンブラコードは、バイナリを読んだだけで逆アセンブル出来るようになった。そのきっかけがスペースインベーベーダの雑誌に掲載されていたコードだった、と言うことは、以前書いたことがあったか、なかったか。いえね、「私は、プログラマとしての高い志により、必死で勉強してここまでになったんです」的な説明の方が威厳があろうかと・・・やっぱり、そっちにしようか、って、もう遅い。

それにしても、15Gバイトものストレージの無料提供。グーグルさん、何を考えていらっしゃるんだろうか。世界中の人たちの個人情報を独り占め?ってのが怖くて、実はあまりコアなファイルではGoogleさんのサービスを使っていない。のですが、やっぱり、大容量のファイルの受け渡しにはGoogle Driveは便利だよなぁ。
Googleさんの、高い志を信じたいんだけれども・・・どうしても、人間としての容量が小さいせいか、なかなか信じきれなくて・・・

三分咲き

なんの脈絡もなく、ただ単純に言いたいことを吐き出す話題が三題。

今日、松尾くんと夕飯を食いながら、話をした話題。ゴマの何倍のセサミン?ホニャララの何倍のなんちゃら。この類が多いな、って言いながら、僕はそれはあまり頼りたくないと思うと言った。体がサボるようになる。階段を使わずにエレベータを使うのが当たり前になった。その癖、スポーツジムでベルトコンベアに乗る。その辺のおかしさは、栄養摂取だって同じだと思う。自然な食品から摂れればそれが一番。だから僕は必要最小限に聞き流すっていうか、場合によっては「ホニャララの何倍」はむしろ敬遠しているかも知れない。理由は一つで、この程度ならエレベータじゃなくて階段を、という感覚だろうか。何となく、だけれども、車で送り迎えの子供よりも、寄り道しながら自分の足で通う子供の方が、将来的に体は丈夫になるんじゃないかと・・・。と言いつつ、結構タバコは吸うから、ビタミンCだけは意識して摂取してるけど。ただ、何となく、です。でも、体は一度楽を覚えると、厳しい環境に適応できなくなる気がする。
「抗菌」だの「滅菌」だのも、実は敬遠している。歳を取っても雑菌は適度に体に入れたい。僕らは子供の頃、蝿が止まったおかずだって、手で振り払ってその後食べたし、そういう生活だった。家の中には「ハエ取り紙」がぶら下がっていた。今時の人たちは「ドン引き」とか言うだろうけれども、お陰様で、僕はニューギニアで現地の人と普通に一緒にいても、それほど派手な感染症にはかからなかった。いや、足にクレーターができたり(多分、嫌気性の日本にはいない細菌の感染症かと思うけど)ゲンタシンとビクシリンは手放せなかったから、偉そうなことは言えないけれども、「最後の手段」にはそんなにも頼らなかったし、だいたいビクシリンだけで二日後には完全復調していた。そう言う心算なもんで、お陰様で、ここ20年以上、インフルエンザの予防接種は受けたことがないし、学校で教える仕事をしながらも、その間一度もインフルエンザには感染していない。加えて、記憶にある限り、病気で授業を休講にしたことは一度もない、と思う。いや、二日酔いでグダグダの授業をやったことはあるけど。
冷暖房もそう。松尾くんも寒暖には強いから、今、事務所の温度設定は22度。彼は、それすら要らないと言うけれど。ところが、僕の同居人は、夏場の冷房の温度設定が18度で、冬場の暖房の温度設定が30度で、一緒に生活していると冬は暑いし、夏は寒いしで・・・やめとこ。なんか、世の中が変なのか、僕が変人なのか、よくわからない。もう、変でしょ?と言う議論は諦めた。きっと僕の体感がおかしいんだろう。一緒に生活するのが苦痛。

ビット何ちゃらが、何百億円だか盗まれた、って言う話。ネット配信のニュースを読んでたら、何やら、そのデータサーバがネットに繋がっていたそうな・・・え?でしょ?僕らの感覚からしたら、有価証券やら金の延べ棒を、ごく普通のガラスのショウケースに入れて、通行人の多い通りに展示していたような、そんな状況だったみたいで、そりゃぁ、ガラスを割れば取れるなと思った人がガラスを割って取ったって、何の不思議もない。そもそも、その会社の技術屋さんたちは、気づかなかったんだろうか、あるいは、技術屋が何かを言っても、文科系の方々が「こうしろ」とか言って押し通したんだろうか?その辺の人間ドラマに、イマジネーションが飛んじゃって・・・。
もう30年前になるかなぁ、あんなシステム、簡単に侵入できるでしょ?なんて話をしたら、それが何だか、私生活を台無しにされる公安のマークなんだったか、マスコミの(未だに続く)人権無視の暴走だったんだか、訳のわからん事態のキッカケにもなったような気がしてならない。「簡単に盗めるから、そういうやり方はやめた方がいい、」と言う指摘をする事自体が犯罪行為だ、と、そう言う文科系の発想があるから、こんな盗難事件はいつまでだって続く気がする。
さすがに、もういい加減経験したから、僕は黙って見ている選択肢を選ぶけれども、だいたい、おかしいでしょとか、やめた方がいいとかいう指摘をすると、上司だとか、権限を持っている人間に潰されるってのが定番だから、大企業なんかで技術屋をそう言う扱いしていると、数百億の強奪だの、情報漏洩の損害賠償だの、日常茶飯になってくるんじゃないかな、と言う気がする。でもね、何だか、それ見たことか、ザマァ見さらせ、みたいな気分もない訳じゃない。そんなところに、よく投機マネーを突っ込むよなぁとも思うけれども、それはご自由に。投機につぎ込むお金を蓄えられているなら、それだけでハッピーな人生でしょ?

先週の土曜日、14km走った後に、まだ行けると思って、帰り際、八幡神社方面にコース変更してトータル17kmのルートに変更した。子供の頃よく遊んだ森だったけれども、いつの間にか、雑木林が住宅街に化けていた。子供の頃の記憶で「道」があったと思えた場所は、今見たら獣道で、たぶん歩いていくと民家の庭先に抜ける。この年でどこかのお宅の庭先に姿を出すと、まずい気がしたから、獣道は避けた。
たった3kmの延長なのに、体が慣れていなくて、もう走れなくなった。あまりにも上り下りの勾配が急で、久々に、ケ×が割れた、って言うか、この「ケ×が割れる」って言う表現は、たぶんアスリート系の方々には通じるとは思うんだが、色々と忘れてきているなあ。
大塚の八幡神社の裏手には、町営の野球グラウンドがあり、そのフェンスの外はやはり獣道がある。そこを通っていたら、梅の木が三分咲きになっていた。気が早いなと思う。グラウンドにせり出すような感じで枝を伸ばしている梅の木。日当たりがいいから、だろうか、早三分咲き。
それだけじゃない。見かける木々が間違いなく、蕾を大きくしている。僕はもう、体が寒さに馴染んじゃっているので、(世間話としては寒いですね、とか話をするけれど、)ちょっと日差しがあると汗ばむくらい暖かさを感じることがある。(設定温度30度は、ちょっと拷問に近い。冬場の30度は体感で、夏場の40度に近いものがある)特異体質で済みませんね。基本、安上がりなんです。滅菌も除菌も要らない、自然のものからかけ離れた、何ちゃらの何倍の何とか配合も原則敬遠、していると、体が勝手に、ごくわずかの温度とか栄養とかを吸収してくれて、免疫機能を働かせてくれて、僕はそれでいいと思う。両親からもらった遺伝、って言うこともあるかも知れないけれども、やたらと不自然な人工物を避けて、体を(疫学的に)鍛えるって言うのは、僕自身の選択によるもので、両親からもらったものだけじゃないと、そんな気がした。エレベータを使うか、階段を使うか、それは遺伝じゃないでしょ?程度の違いだとも思うから、そんな大した違いじゃないかも知れないけれども、インフルエンザに、ここ20年近く一度もかかっていないと言うのも、個人的にはありがたい。私はこうだ、と言うだけの話で、別にベンツの送り迎えがある方々をやっかむつもりはないから、そう言う方々は、予防接種を何種類も繰り返して下さいませ。(やっぱ、ひがんでるじゃねぇか・・・)

明日も走ろうか、それとも、大学の講義で出した課題プログラムの採点をしようか、とっても迷っている。(いやね、細かいところまで目を通そうと思うと、しんどいんですぅ。)

シンパシー

昨日だったか一昨日だったか、漠然とテレビをつけて見ていて、ふと感じた。
バラエティ番組の収録で死者が出るな、と。

こういった話題は、書くべきではないと理解している。師匠の講演会。人間として決してやってはならない三つのこと。誤った神の知識を伝えること、自殺すること、そして、占い師のように他人の「経験」を剥奪する行為。
見解の相違はあろうかと思うけれども、私が考える「生きている意味」の一つは、自分で考えて行動し、その結果を自分自身で受け止めて、少しでもマシな判断能力を養うこと。今回その経験を積めば次回以降にきっと役立つ。一方占いみたいに「あなたはこうです」と決めつけて、相手がその「御宣託」に従って自分で判断することをしなければ、他人の経験を奪うことになる。それは、自殺することで「肉体を持つ」という神に与えられた貴重な経験を、否定することと同格で、神の思いに背いているからだ、と理解している。

そこまでわかっていながら、この話題を書いたのは、ただ単純に、師匠の講演会の内容をきっかけに、書くべきだと思ったから。師匠ももしかしたら同じ番組を見ていたかも知れないけれども、その部分は書かない。師匠の講演内容を、鵜呑みにして、自分自身で経験せずに表面的に他人に伝える行為は、結果において「占い師」と同じことをしていることになりかねないから、それは避けたい。ただ、幸い僕は(たぶん)昨日確かに感じたから、だからこれは書いてもいいのだろうと思う。それに、冒頭の話題は、単なる話のマクラでもある。

本題も書くのが難しい。師匠の講演内容の引用は可能な限り避けたい。ましてや、今日聞いた話で、「寝かす」ことも「熟成させる」こともできない状況だから、私自身が考えたり感じたりした「持ちネタ」から言葉にする。

先週だか、先々週だか、電車内で出産された女性がいた。大変でしたね、と思う。ところが、そのニュースに「ドン引き」だとか「臨月なら外出するな!」なんていうコメントがネットにあったらしくて、その発言もネットで話題になっていた。

随分昔(高校時代かな)、大きいお腹で仕事をしていた女性に、「お産前は、ご自宅で安静にされないんですか?」と無造作に言葉にしたら、その女性は私に、噛んで聞かせるように返事をされた。「あのね、仕事ってのは休めないのよ。休むとお金が入って来ないの。だからね、いつ産まれるかって思いながらもね、こうやって仕事するしかないのよ。」僕は、高校時代から喫煙していたし、そういう場所にも出入りしていたし(まぁ、喫茶店ですが・・・)その延長でTPOは適当にご想像ください。でも、あの時のあの人の話は、今の女性にも通じる話だと思う。出産間際なのに電車に乗らざるを得ないなんて、大変だな、と思ったけれども、そんなことは前述の「ドン引き」だとか、「臨月なら外出するな」と書き込んだ方々には、たぶん通じない話題なのかも知れない。無知なのか、シンパシーの欠落なのか。

でも、母子ともに健康みたいで、良かったです。昭和初期以前の農家には、「ナスビが垂れ下がる」という表現があったらしい。農作業の途中に子供を産んでしまうことすらあった、破水せずに羊膜ごと子供がぶら下がった時の表現。農家の嫁は臨月でも仕事に駆り出されたことを端的に表した表現。ちなみに、この「言い回し」はグーグルで検索しても出てきません。僕は濫読だったのでどこかの文学小説か労働史みたいな本か、何かに書かれていると思います。引用元を明示できないのは、僕が学術論文を書こうとした際に最大のボトルネックになる部分で、でも、このWEBページは学術論文じゃないからご容赦。話題を戻す。シンパシーの欠落が当たり前になっている。
シンパシーの欠落なのか、無知なのか。

バングラディッシュでJICAの関係者が殺された事件があった。イスラム国のシンパらしいが、そのニュースに、「そんなところに出かけている奴らは、殺されても文句は言えない」というコメントもあった。あれらの発言って、僕らJICA関係者やそのOB・OGに喧嘩を売ってないか?

かつて明治時代、日本は欧米から多くの技術者や科学者を「お雇い外人」として招聘した。当時の日本は、武士道とか「精神性」では決して卑下することはない部分もあっただろうけれども、あるいは、平賀源内のような方もいたかも知れないけれども、社会全般の科学技術の水準としては、必ずしも「先進国」とは言えなかったと理解している。科学技術を教育に取り込んで、「平均」を底上げすることが大切なんだと私は考える。僕らはそのために海外に行っていた。それはスポーツの隊員にも、農林水産業の隊員にも、全員に共通したと思う。今の僕らは、当時日本に来てくれた「お雇い外人」にほとんど感謝していないのかなぁ。もしも彼らが「あんな後進国に」と言って、誰も来てくれていなかったら、今の日本があるのかなぁ・・・。歴史に「もし」はないけれども。じゃぁ、僕らが出かけて行ったのは「殺されても文句を言えない、バカな行動」だったのか?

最近のテロは、無差別の色彩をかなり強めている。殺す側にも「シンパシー」の欠落がある。殺されたのが自分の身内、大切な人だったら、あるいは自分自身だったらという「共感」など、ほとんど感じられない。それというのは、無知なんだろうか、それともシンパシーの欠落なんだろうか。もし「宗教」がそうさせているなら、誤った神の思いを伝えている以外の何物でもないと私は考える。

北朝鮮。僕は、彼らが拉致日本人を返そうとしないことにも、核武装に突き進んでいることも、容認する気は無い。彼らの言動の8割は容認できない。ただし、残りの2割、彼らなりに必死で「我を押し通そう」としている部分、「生き抜こう」としている部分については、ある程度の「理解」と「共感」は持っている。その「共感」を持った上での、残り8割の「拒絶」でないならば、今後の状況の進展は難しいかも知れない。
イスラム国についても同様で、彼らの「必死さ」について、2割は理解も共感も持つけれども、残り8割は、私には容認できない。

同様のことが、昔ながらの生き方を貫いているアマゾンだの、ニューギニア島だのの人たちについても言える。外から来た「人」を全て敵とみなし、殺すことだってある。おそらくは、番組製作の関係者は、彼らが生きるために必死になっている部分を全く理解できていない。殺されても文句を言えない状況をなぜ敢えて作ろうとするのか。極めて個人的な話題を持ち出すならば、太平洋戦争当時の旧日本兵の遺骨収集で、そこそこの「奥地」(文明と接点はあっても、生活のベースは昔ながら)の人たちと遺骨返還交渉をしたことがあるけれども、僕らの思考回路が彼らに通じていない感覚を持ったことがある。話がそれるので、その話は書かないけれども。

野生生物だって、必死で生きようとしている。面白半分で生きている訳じゃない。生まれて来た以上、必死で生き抜こうとしている。野生生物と「自撮り写真を撮る」って、それこそ殺されたって仕方ない状況をなぜ敢えて作ろうとするのか。
野生生物なども、北朝鮮やイスラム国、あるいはいわゆる「未開民族」など以上に注意すべき相手だと思う。

なんだか、野生生物とかいわゆる「未開民族」の話題に、北朝鮮やイスラム国を持ち出したものだから、微妙に論点がずれているかもしれないけれども、基本的に伝えたいことは書けたかも知れない。

冒頭の話題に戻るならば、僕らの未来には、動かすことのできない部分と、いくらでも動かせる部分とが混在している、と理解している。冒頭に書いた私の直感が、そのどちらかなのかはわからない。書いたことに意味があったのかどうかもわからないけれど、僕は書くべきだと考えたから書いた。結果は甘受する。

 

名画

ツタヤのレンタル。

子供の頃、っていうよりも、中学に入った頃から題名だけは聞いたことがあって、内容も学校の教材なんかで触れていたりして、「名画」だというのは知っていたけれども一度も見た機会がなかった映画を、片っ端からレンタルしてる。子供の頃に見たかったな、ってのもあるけど、多分子供の頃に見ても「意味」はわかってなかっただろうな、とも思う。いや、30代、40代で見ても、きっと意味が通じていない、ってなのも、確かにある。なんていう堅い話はどうでもいいや。

笑ったけど、深いね。このセリフ「私より先に死んだら、殺すわよ。」感性が論理を凌駕しているね。AIエンジンにこのセリフを「理解」させたいな。

埼玉プレシア

ちょっと特殊なケーブルを買いに寄居町までお買い物。

帰り道、ちょっと衝動買いしてしまった・・・

埼玉プレシア

今日の収穫、抹茶のムースが2個で60円。ふわふわでカスタードたっぷりのが3個で100円。160円+税で172円も買ってしまった。

コーヒーブレイクで一息。で、ふと思う。いつもコンビニスイーツを横目で見ながら我慢していたのは、カロリーを気にしていた訳じゃなくて、もしかして財布だった?値段が安いからって、カロリーが低い訳じゃないだろうに・・・

こういう自己矛盾は、気付いても気にしないことにしている私。美味しかった。シアワセ。バグのことなんか、もうどうでも良くなっちゃって、って、おい!

金に困ると・・・

先に本題を書く。

北朝鮮が楽団を南に派遣する?興行収入目当て、だろうな。モランボンだと政治色が強すぎて警戒されるから、政治色の薄い楽団なら、興行収入が得られる、ってな発想だろうか。韓国は、国連の制裁逃れを見逃すのか?って言うか、これは制裁対象外なのか?以上。

金が欲しければ、何だってやると思うな。
僕は、小学校の時の小遣いが、一ヶ月100円だった。弟に聞いてもらっても、たぶんそんな数字が返ってくるはずだけれど、姉貴は別枠だったかもしれない。さすがに親父もお袋も学校の教師がだったから、他の子供たちがいくらくらいもらってるかは知っていたみたいで、中学校に上がった途端に年齢×100円になった。中一で一ヶ月1200円。自由に使える金は、それだけだった。ただ、タネも仕掛けもあって、文房具と本だけは別枠でもらえた。そんな記憶がある。

だから、万引きも経験がある。とにかく、欲しかったからポケットに入れた。そうしたら捕まって、とっちめられて、小学校以来、一切そうした人の物をどうこういう経験はない。薬がまだ効いている。そっちが当たり前って言えば当たり前だけれどね。

外食の経験なんてほとんどない。だから、高校に入って東京に出てきて、友人が言う「パスタ」なるものがいかなる食い物か、想像もつかなかった。お祭りの屋台、欲しいものだらけだったけれども、未だに口にしたことのないのは、ミカン飴とか、バナナチョコとか、あの類。子供の頃はじっと我慢、そのちょっと後は、誘う(誘われる)相手がいなくて、さらにその後は「子どもの食うもの」を買う勇気がなくて、まだ食べたことがない。もういいや。味は想像がつく。

サラリーマンになっても、自分でプログラムを書いて売りたかった。少しでも金は欲しかったけれども、つくづく縁がない。私立大学の教員になっても、毎週20時間近くマイクを持ったりそれなりに意味のあることを話し続け、その教材を作ってレポートを採点しても、年俸制の500万円。ヨ×は専×主×なのに朝食の食器が深夜になってもシンクに置かれていて、俺一人で何やってんだろうと何度となく思った。全然、自営に戻るための貯金ができなかったな。今、家計に入る分が細くなって、×メも仕事をするようになったけど、僕は今モチベーションの維持が難しい。メンタルが弱いなと、つくづく思う。徹夜で仕上げた仕事を、医者に「タダにしろ」と言われて、押し切られてトラウマになり、プログラミングに集中しきれなくなって、どこかで馬鹿らしくなった。まだ回復してないのか。

食うのに困り始めて、やっと本気になったのかも。いや、いっそのこと、ニューギニアに戻って、寝転びながらイモとバナナで生活するのも選択肢だよな、なんてことは思う。金に縁がなすぎて、金があったら何ができるのか、生活がどう変わるのか、全く想像できない。逆に言えば、何もせずにじっとして入れば金はかからない。やりたいことを全部捨て去って、やらない選択肢の方が楽かもしれない。(言葉を発するのは、すごくコストがかからない。これ以外は、やたらと金がかかる。)

いや、立派な家には住んでいる。(雨漏りはしてるけど。)オヤジとお袋が、節約し続けて、僕なんかにはただひたすら厳しくし続けて、そうやってお金を溜めて建ててくれた家と事務所で、あぐらをかいてる。いい身分だ。そうなんだけれども、暖かいものがなかなか思い出せない。未だにね。なんか、あったっけか?

たかだか、FirefoxがQuantumになっただけでしょ?それでバタバタして、何で、たったそれだけのことで、こんなにも一気に泥沼に落ちてんだよ、と思う。自分のメンタルの弱さが情けない。

サバイバルするためなら、何でもやるさ。ってな気分の人の気持ちは、とてもよくわかる。さすがにもう、僕には万引きはできないけれども・・・

FTP接続復旧!

何とか、FTP接続は復旧した。長年一つの環境を使ってたから、思考の固着。よくない。独立ツールで良かった。要するに、環境の再構築が面倒なだけ。「お道具セット」は全部作り替え。(溜息)

どうせだったら、FTPじゃなくてSFTPにすれば、って思うんだけれども、今うちが借りてるレンタルサーバ、値段が安いだけあって、PHP走らすことしかできない。rubyダメ、pythonダメ。JSP/EJBダメ、さすがにPerlはOK。スクリプト書いて小技効かすことも出来る。けど、ってことは、FTP接続を乗っ取られちゃったら、簡単にクラックされちゃうよなぁ。ssl立てるだけなのに、やれ手続きがどうだこうだとやたらと役人的なメールが来て、大騒ぎした。安い以外に何の取り柄もない。しかも、「データベースを刷新します」ってな案内が来た後、いきなり遅くなった。理由は単純で、そのWEBサーバの会社が、データベースサーバの契約を、さらに外の「安い」ところに切り替えたらしく、ちょっとしたSQLに20秒かかることがある。絶望的にWEBアプリとしての品質が落ちた。「安さ」しか売りにしていない会社と契約している私が悪い。って、技術屋さんには、どこのサーバかすぐにバレるだろうから、名指しで悪口書いているようなものだけれども、見抜けない方はどこだろうって、悩んで下さい。「一番安い」ところに乗り換えさせたうちの財務大臣の判断は(今の僕の仕事っぷりを見てたら)間違っちゃいないとは思うが、アプリを走らせるには「激安」は「激遅」だった。

国家試験の問題演習で、「答え」をクリックしてから正解表示までに20秒かかったら、ストレスばかりがたまる。アプリとしての要件を満たしていない。「安い方への乗り換え」が致命傷になったかも知れない。

何とか年内には、rails/djangoを自己責任で建てられて、FTPじゃなくSFTPを自分で立てられるサーバに引っ越したい。もっと儲けられたら、自前でサーバを立てたいんだが、僕にはB to Cの仕事のセンスはないらしいと、やっと自覚。かといって、B to Bでは「ひ孫」くらいしかアテがないし。IoTの方に賭けて、今年こそ、今のサーバから引っ越ししたい。

ってなぁ・・・自分の情けなさが身に沁みる今日でした。

FireFTPが消えた!

なんだか、MacOSをHigh Sierraに更新したのと、FirefoxをQuantumに更新したのと、ほぼ同時期だったためか、僕自身、勘違いしていたらしい。

ブラウザ用のAdd-Onがほぼ全滅状態?Appleさん、何やってくれたんだ、と思ってぼやいたページが確かあったが、原因はQuantumだったらしい。調べて見たら、話題になってた。Appleさん、ごめんなさい。
m(_ _)m ← 日本式土下座

FireFTPが消えた、ってか、そういや確か「互換性のないアドオンを削除しますか?」「は〜い!」ってな操作した記憶がある。結果、自社サイトアプリの更新ができない。サーバでの動作確認ができない。
実は、XAMPPとサーバとで微妙にZendFrameworkのバージョンが違う。テストを自動化しようとcomposerを入れた後、あれこれ問題が起きて、何度となく微調整してはいるんだけれども、「安定性最優先」で誤差が蓄積して来ているかもしれない。確認したいのに、アップロードできない。
しばらく、このWEBがらみの仕事から離れて、PC-9801シリーズと戯れていた。

で、どうしましょ?Safariメインに戻す?FTPだけじゃなくて、FireBugは今どうなってんの?と思って、ググってたら、これが出て来た。

2017年10月30日 10時28分00秒

Firefoxでウェブ開発者に12年にわたり利用されてきたアドオン「Firebug」がFirefox Quantum登場で終了

https://gigazine.net/news/20171030-firefox-quantum-firebug/

えええええ!  Firebugが終了?  しゅぅりょぉお?

情報取るの、遅せぇよぉおオ、
何やってんだよぉ ===>>>自分 ↓↓
(T_T)\(100t 岩)
( / _ ; )

開発環境の構築、やり直し?Safari移行?それともChrome?いや、Quantumでもデバッガは動いてた。FTPだけ探せば何とかなる?あれ、PHPのツール何か入れてたっけか?そういや、domのデバッグの時、確か何か・・・どうする?あれはどうする?これはどうする?で、???の嵐。プチパニック。

で、たぶん、今日の仕事は2歩進んで20歩後退。

やられた・・・賽の河原の石積みだね。
一つぅ、積んではぁ、ちちのためぇぇ、ってか。

温泉行こうかな。それとも走ってくる?(こんな夜中に?)

南は終わったか

朝鮮戦争後、理想郷の構築を夢見た半島の優秀な人材が多数北に流れた。

下世話な話題になるけれども、日本で「三大ブスの産地」とか言われたのが、仙台、水戸、名古屋だったかな。理由は何か。江戸時代、幕府のある江戸に、域内選りすぐりの美女を送り込んだために、藩元にはブスしか残ってねぇだろ、という江戸庶民の口コミじゃなかったのか。逆に言えば、それだけ、仙台、水戸、名古屋から、江戸庶民を唸らせるだけの美女が集まっていて、藩屋敷を固めていた、ということで、仙台、水戸、名古屋は美女の産地だったという言い方もできるかなと思う。

昨日今日の報道を見ていて、ふと思った。金正恩のIQは、間違いなく文在寅よりも最低でも10は高い。トランプよりも、最低でも5〜8は高いと思った。公的機関の格付けを願う。ヨーロッパのどこかに、なんか格付け機関があったでしょ?確か。

そもそも、慰安婦問題は、売春婦だった人たち(気の毒なおばあちゃんは確かにいると思うが)を「強制連行された」という虚構を喧伝して、じわりじわりと世界に広めた金正日の戦略の成果だと思う。(なに、ロイターなんて、完全に北に騙されたのか・・・史料検証もできない欧州のマスコミ、これ見て笑ったよ。「コラム:ウォン高は韓国経済変革の好機、日本型政策に決別を」)前にもそれに近いことを書いた。面倒臭いから、自己引用しない。朝日新聞なんて、アサヒじゃなくてチョウニチ新聞じゃないかっていうくらい「朝」に偏っていて、これも数ページ前に引用した気がするが、朝日新聞のWEBサイトは、日本語版と英語版とで相当にニュアンスが異なるらしい。日本のメジャーなマスコミすら、たぶらかすくらいの成果を、北はあげている。あいつら、バカじゃない。かのアメリカですらトランプを大統領にしちゃう訳だから、「一般大衆」の思い込みほど恐ろしいものはない。その一般大衆を利用できる北の賢さと、一般大衆の域を出ないのが南のあのムンだと思う。

しつこいけれども、なぜ日本政府は、あの売春婦たちの歴史的な「史料」を日本政府の証拠として表に出さない?思いやりなんて通じる相手じゃないだろうと思う。つぶせ、と言いたい。日本人の名誉にかけて。

もう、南は北の言いなりで、IQの低いムンが、完全にキムのコントロール下になったなと思った。あそこは、南北共々、核武装化を目指すことになるだろうと思う。格下のムンにはキムを操れない。その渦中の栗を拾うつもりでいるのがプーチン。悪いけれども、プーチンがこれ以上北に肩入れするなら、米中欧日が連携して、ロシアを経済的に除外する方向に動くと僕は思う。ロシアにその体力があるのか?

かくして、そうした、米中欧日露の連携を理解できないムンが、北に飲み込まれて、大量のスポーツ選手を人質にさせてしまう。そんな気がした。以上。

自分の言葉で

ひたすらレポートの採点。この時期恒例の苦行です。集中力が途切れると、最初に採点した人と後の方で採点した人の基準がブレるので、メモを残し、サンプルにマークをつけ、可能な限り公平な採点になるように頑張ってはいるけれども、やっぱり主観は入るなぁ・・・
というより、プログラミングというロジックの塊を扱ってるのに、判断基準は、これまでプログラマとして仕事をしてきた自分の直感とか、もう理屈じゃないところでかなり判断している。いや、クレームがついたら説明するだけの根拠は示せると思うけれども、・・・今日はもう、疲れた。

文科省については思う。「問題解決能力」を「養う」のではなく、素材を発掘するためにプログラミングを学ばせるならば、成果は出ると思うけれども、僕は教えることの限界を感じている。素質がなかったら無理っていう領域は、どんな仕事にもあると思う。頭数にはなっても、そういう頭数は時には足手纏いになる。現場を知らない役人の発想だと思う。加えて思うのは、子供が出したバグに、適切な「考え方のアプローチの指導」なんて、できる小学校教員がいるんだか、なんなんだか。

思い出話だけれども、僕の中学校1年の時の英語教師、”This is a pen.”の発音で、Thの音がDになっていて、舌を挟むべきthがsの方になっちゃっていたから、”Death is a pen.”としか聞こえない発音を、クラス全員に復唱させていた。教員用のアンチョコは、多分「ディス、イズ、ア、ペン。」で、「舌を噛むようになんちゃら」とか書いてあったんだろうな。すごいですね。クラス全員で、大声で唱える。”Death is a pen!”僕らの頃の英語教育。こういっちゃなんだけれども、学生が書いたバグを見つけだして指摘するなんて、プロだって生半可なプロにはできないと思うな。他人の書いたプログラムを読むこと自体が難しい。相手と同じ発想を辿らなけりゃならない。その上で、論理の瑕疵とか、凡ミスを見つける。毎回授業でやってるけど、小学校の教員にそれをやらせるのは、残酷だと僕は思う。役人が現場を知らなすぎるんだよ。実際に自分で体験してから、「教育要綱」を書けって、僕は思う。

それはいいや。本題じゃない。学生のレポート、「あぁ、的外れだな」という内容は、相当数にあるけれども、必死で考えている的外れと、何も考えていない的外れは、読めばわかる。基本は自分の言葉で書いているかどうか、だと思う。さらに思うのは、まともに日本語を書けない奴にプログラムを書ける訳がない、っていうことかも知れない。

「指示に従わない」それは、しつこく指摘はしているけれども、だいたい僕だって、指示に従うのは嫌いな方だから、大目に見ている。(ただ、企業では無条件にはじかれることがあるから、処世術として、とにかく理解できないなら指示に従え、と指導はしている。)指示に従っていないのに、コードを読んで走らせて見たら凄い奴。そういうのがいるから、かろうじて持ちこたえて、採点作業を続けていられる。いるんだわ。毎年5%くらい。「あ、俺負けてるかも」みたいな学生。センスがある。教育でセンスを身に付けさせられるか、っていうのは、過去の経験では、挫折しかない。初対面での直感での評価が、ほぼ1年経った後でも、まず覆らない。センスって、なんなんだろ。

自分なりに書いてきている学生の言葉は、通じる。ロジックの理解度も辿れる。ただ、借り物の言葉は何かおかしいと、直感的に感じるものがある。この作業を延々と繰り返していると、グッタリして、こちらも言いたい言葉が山ほど積み上がって来るけれども、半分の希望と、半分の絶望とが入り乱れる、ある意味では楽しい年中行事かも知れない。

とにかく、自分の言葉で吐き出す訓練をして欲しいと思う。読む方も疲れるけれども、それは仕事だからな。気にするな、バンバン自分の言葉を吐き出せ、と思う。

そうして、読み疲れて、溜まったものを吐き出している僕の言葉が、ゲロになっていないことを祈るばかり。

若い人たち

「君の名は」以来、RADWIMPSにハマった。歌詞がいいね。
ふと、思った。最近、時間を遡ったりする系が映画に多いような気がする。一つには、ゲームで「セーブ」したところから何度でもやり直せる感覚を、日常に持ち込もうとしているんかな、ということもあるんだけれども、もう一つには、肉体とは別に「意識体」を感覚的に受け入れている世代、ということもあるのかな、という気がした。

師匠の講演会で、以前聞いた(結構あやふやだけれども)記憶がある。日本を選んで生まれて(肉体を持って)来る子たちが、今後増える。明確に、人間の本体は意識体だと、その意識を肉体を持っても失うまいという明確な意思を持って生まれて来る人たちが、この国を選んでくれるのは嬉しい。たぶん、僕自身もそうだったような気がする。(いや、肉体を抜けてからじゃないと、答え合わせは出来ないんだろうと思うけれども。)
理由は単純で、師匠もいるし、ちょっと唯我独尊になってしまって、連携プレイから外れてしまったRO氏は残念だけれども、高橋信次さん、谷口雅春さん、いずれも(こう言っちゃなんだけれども、後継の器の小さい方々が小さく固まっちゃうから、連携プレイが出来ないんだけれども、)名だたる方々で(っていうか、私個人は今世ではどなたにも面識はないけれども・・・)人材を集結して効果を上げようという思惑が、やっぱり肉体を持ってしまうと、どうしても現世的なところで引っかかって、結果が出ないっていうことなんだろうか。時間軸をズラしているのは、効果の継続を意図していた。それぞれが独立して動いたのは、影響範囲を広げるため、それなのに、連携のところで、(私なんかがボヤくのは、身分違いなんだけれども、上司に噛み付くのは昔からの悪癖で、)あの方々の後継者、取り巻きが・・・(以下省略)
惜しい。(余談ながら、天上天下唯我独尊の意味は、一般的な解釈とは全く違う、全く違う意図を持って伝えられた言葉だよ、というのも、講演で聞いた覚えがある。「自分を大切にしなさい」と。私は私でしかない。という歌詞を、誰の歌で聞いたか思い出せないけれども、やはり若いグループだった気がする。自分を最も大切にしなさい、尊びなさい、自分の心を汚さないようにしなさい、それが天上天下唯我独尊の本来の意味だよ、と、講演会で聞いたような気がするが、正確なところはCDを探し出して聞き直さないと、自信がない。)だけど、それ(天上天下唯我独尊、の本来の意味)と同じような歌詞を歌っているグループが、いくつもあったと思う。なんとなく、それが嬉しい。

憲法9条の不戦の誓いは、守り抜いて欲しい。その上で、どうやって日本の安全を守るか。戦争だけが手段じゃない。日本の安全を守る、ということは、日本が世界と融和できるということで、その手段は戦争以外にも数え切れないほどある。それを実現してくれるのが、「意識体」そのもの、「人」そのもの、つまり「心」を大切にしようとしてくれている、次世代の日本人かな、と思う。(いや、学校でも教えているから、若い人たち全員がそうだとは言わないけれども、)比率として増えている気はする。

僕が伝えたいのは、宗教なんかじゃない。自由に、自分の心の信じるままに行動して、その結果を全て受け止める。僕はそう学んでいる。「自分の心の信じるまま」に行動したら、刑務所に入っちゃった、とか、それはきっと「あなたの心が未熟だったんだね」と、そう言いたいだけ。思ったことを全部口にしても、誰も傷つけない、それが理想形。その理想形に近付きたいから、僕は思ったこと、考えたことを全部言葉にしている。悪いことをしたのをわかってるから、本当のことを口にできない?そういう大人が、とにかく多いんだよなぁ・・・そういう人、たくさん知ってる。大企業ほど・・・(以下省略)やめようね。何でも口にしても、全然困らないように生きようね。いや、悪いことして隠している人を困らせても、それは気にする必要ないから。

で、こういう僕の考え方を「宗教だ」と決めつけてくれる友人・隣人もいて、「どこが宗教なんだよ」と噛み付いたら、「誰かを崇拝したら、そんなのは宗教だ」と、と言われた。尊敬はしていても崇拝はしてない。表現に「霊」が絡むと、僕が尊敬の文脈で話をしていても、勝手に「崇拝」だと解釈してくる。鬱陶しい。僕は自分自身を信じているから、他人を信じることができる。他人を信じるならば、まず自分を信じきれと思う。その自己責任において、僕は、神ですら信じることはしても、崇拝はしない。文句あるか、と言いたい。
私自身を「体細胞」とする上位の意識体が神だとするならば、神の意識と私が噛み合わなければ、きっと私は「癌細胞」になる。実際に、数え切れないほどの人が「癌」になっている。
この文脈で、信じていないのに崇拝することこそが、宗教だと主張したい。(この話題は、もういいや。)

何を言いたかったんだっけか。若い皆さん、自分を信じ切れるように、なろうね。それだけかな。

で、今は大学のPythonのレポートの採点中。ふと、脱線した。自分の言葉で、必死にレポートを書いてくれている子たち、みんな好きだよ。ほぼ丸写しのレポートを出した奴もいる。(いや、見落としも多いんだろうけれども、それは肉体を持って、目と脳みそとで、必死に採点している私の限界。)コピった君には点数は出さないから。ただそれだけ。だって、プログラミングを自分で出来なかったら、社会に出て何の役にも立たないでしょ?君を採用した会社が困るだけだよ。だから僕は単位は出さない。
ごめんね。ただそれだけ。

若い皆さん、みんな、頑張ってね。以上。(って、結局長文になっちゃった。)

論理パス

今朝書いたページ、ずっと違和感を感じていたけれども、わかった。

日本政府は何度となく謝罪している。それに対して、韓国は「正式な謝罪がない」と主張している。

一方で、日本政府が謝罪したことで、韓国が主張する「慰安婦は、強制連行された」という主張を認めてしまったことになり、海外メディアが「慰安婦の強制連行を、日本政府が認めた」とする根拠にされているらしい。

なんだこれ、と思ったが、韓国が「日本政府は正式な謝罪をしていない」と主張し通すならば、日本側も態度を改めて、「その通りだ、慰安婦の強制連行はすでに朝日新聞自身が認めているように、でっち上げの書籍を朝日新聞などが騒いで広めたことによる誤認であり、慰安婦は売春婦である、だから我々は謝罪するつもりはない」という主張を新たに展開し、韓国政府が主張する「日本政府は謝罪していない」というその主張を「追認する」という、論理パスはないものかと思った。

っていうか、こういうことをやってしまうと、これまで何度となく主張してきた「既に何度となく謝罪している」という日本政府の主張はなんだったんだ、ということになるけれども、それを持ち出すなら、日韓基本条約はなんだったんだ、ということにもなる。相手の論理に乗っかるというか、この際、「そうだ、やっぱり日本政府は謝罪していなかった、慰安婦の強制連行など、一切認めていなかった」という、過去の経緯を全否定する韓国流のやり口に乗っかった展開はできないものかと思った。「修復不能な領域」に突入させてもいいんじゃなかろうか。本気を見せるべきだ。

論理も事実もへったくれも、ねぇなという気がする。これがコンピュータだったら、こういった論理ミスは「カモ」で、うまいこと使えば、そういうコンピュータは外から好き勝手できる。(俗にこれを、クラックするという。)ただ、相手が論理的な存在なら、だけれど・・・

ただねぇ・・・欧米の「歴史教育」も、「日本軍は残虐だ」という連合軍による「戦後裁判」の、事実に基づかない一方的な日本断罪の裁判が根拠になっていたりするから、もう、マスコミも含めて、全然論理とか事実が成り立つ世界じゃないなという気がするし、とにかく難しい。ドイツのメルケル首相ですら、現在の「第二次世界大戦当時の日本の非人道性」の欧米の主張に、事実無根の要素があることを認識してくれていない。

難しいとは思うが、中国や韓国が、「白髪三千丈」の主張を延々と展開してきた結果、「嘘も百遍言えば本当にな」ってしまったように、日本側もとにかく主張を続ければ、事実を事実として世界に認識してもらい、冤罪を晴らすことができるはずだと思う。

思うのだけれども、最大の問題は、外務省の官僚が、本気になっていないこと(こんな、海外に敵を作るような面倒なことはやりたくないと思い、何もしないでいること)かも知れない。内閣は行政府を動かせるんじゃないのか?動かさないならば、それは安倍総理や河野外務大臣の怠慢でもあるかも知れない。ケンカを売れよ、と思う。

蛇足ながら、野蛮人の国のケンカは、やれ、核だのミサイルだのが幅を効かせる。文明国のケンカは、情報戦で(虚偽の情報を流すことすら、戦略の一部であり、)論理的な思考回路を持たずに、雰囲気や大声に振り回される海外のメディアも含めて、事実よりもセンチメンタリズムに流される世界の「一般人」を動かすためには、歴史家だけではなく、演出家だとか、広告クリエータなどをかき集めて、どう情報戦を展開するか、相当に本腰を入れて、戦略を練って欲しい。広告クリエータと言えば、ユーゴスラビア内戦での「ethnic cleansing」という新語も、戦術の一環として軍部が依頼して作らせた言葉だと、何かの番組で見たような気がする。外務省には、そういう発想をできる人材すら、いないのかなぁ。

事実を執拗に主張し続けるべき

慰安婦合意破棄:海外メディアの固定化する日本イメージ

しつこい人間は嫌われる。相手が間違ってる、自分が正しいと思っても、そこそこに主張を取り下げて折れないと、人間関係が壊れる。それが日本かもしれない。国内にいればそれでいいのだと思う。

ただ、従軍慰安婦問題については、あれはビジネスとして(中には、親などの周囲の人間によって、本人の意思に反した人もいるだろうけれども、形式的には)本人が応募した売春婦だったと、その主張だけは取り下げるべきではなかった。あの最終合意で「韓国側の主張を認めた」という含意があったという解釈は、僕にはできなかった。そうだったのかと思う。ただ、今からでも遅くない。韓国が「破棄」するとか「見直しする」とかいうのならば、日本も見直して、事実は売春ビジネスだったと、根拠を明示して、世界に対して何が真実かを執拗に主張すべきだと思うし、政府のそうしたサイトが必要だと、上記の記事を読んで思った。

嫌われるくらい執拗に、事実は事実だと主張すべきだ。役人には一番苦手な作業かもしれないだろうが、それをやってくれなかったら、将来の日本人がというだけではなく、今現在海外に居住している方々が、どんな苦痛を味わい続けるか、想像するに余りある。

私がもし、海外で友人に「日本はこうだったんだろう?」と海外メディアの「慰安婦」報道に言及されたなら、たぶん、事実はこうだと主張はするが、その証拠を簡便に示せなかったら、結局最後は黙らざるを得なくなり、悔しくてたまらない思いをするだろう。そして、どうやらそれが、今現在起きているらしい。

韓国が「見直し」するというのならば、日本も「立場を改めて」事実に基づいた主張を前面に出すべきだ。謝罪したという事実が「慰安婦の事実の追認」になるのならば、韓国の「見直し」に合わせて、過去の謝罪の撤回を行ってもいいかも知れない。

次世代の日本人のため、ばかりではなく、今現在海外に在住している日本人のために、日本政府に動いて欲しい。

モバイル西郷アプリ

松尾くんが「モバイル西郷」のスマホ・アプリを出しています。今の所、Androidのみ。Google Playで、
モバイル西郷
で検索して見て下さい。無料です。「有償版」はありません。(その代わり、広告は表示されます。される予定です・・・)

西郷隆盛関連の年表、周囲の人間関係、人となりなど、ワンタッチでタップするだけで表示されます。

テレビで西郷隆盛関係の番組をご覧の際は、ぜひスマホ片手にどうぞ。スマホアプリ「モバイル西郷」をよろしく!

なお、「有限会社シグナリス」でアプリを提供する場合には、同じアカウントから出品されますので、「会社公認」のアプリです。(有限会社シグナリスでは、社員の給料は本人が自分で決めますが、それぞれがサバイバルというか・・・)是非、ダウンロードよろしく!

新しい友人

年賀状を手に取った時に、相手の顔、声、思い出などがすぐには思い出せない相手・・・(失礼、ごめんなさい)との形式的なやり取りは、とにかく減らして絞り込んで来て、随分と枚数が減った。

言い訳がましくなるけれども、何かきっかけがあれば、「あ、あの時の・・・」と、かなり鮮明に思い出せるケースもあるとは思うのだけれども、いかんせん、普段会っていなければ、冷蔵庫の奥で干からびてる生姜みたいな感じで、年賀状を印刷だけしても書く言葉が思い浮かばない、どうしたらいいのかわからないので、結局さり気なく往復しなくなったら、そのまま減らしていって・・・という感じでしょうか。

そんな中で、今年は新しく二人、増えた。

お一方は小川町在住の80歳の学者の大崎先生。松尾くんの紹介。なぜか、パプアニューギニアで何度も出会ったという不思議な関係どうし。二回ほど一緒に飲ませていただきましたが、眼光が鋭い。私も相当に理屈っぽいけれども、話をしたくて仕方ない感じで、私がひたすら聞く側に回る相手というのは、なかなかいない。なんだか自分と同タイプを見ている感じで、大崎先生を敬遠したら、自分で自分を敬遠しているのと同じだなという気がしてならなかった。

大崎先生、焼畑農業を擁護する「焼畑の思想を求めて」という本を出版する予定らしい。

少数民族の熱帯焼畑は森林破壊だと批判する多くの学者に抗して

ということだけれども、これについては私もパプアニューギニアでの語学訓練中でのホームステイでの思い出がいくつかある。
このホームステイ中には、絶対にネットには書きたくない話題(経験)が一つあった。現地のコーディネータの方(女性)に相談させていただいて、とりあえず「何事もなかった」のだけれども、女性だけではなく、男でも「こういうこと」ってのはあるんだなと、そういう話題だとだけ書いておく。ブッシュウォーク(ジャングルの中を歩いて、様々な実践的な「表現」を覚えろ、ってなカリキュラム)の中で、突然案内役が「○×△□」だと主張し始めて、危うくジャングルの中に置き去りにされるのかと、相当に焦った。僕が「△□」しなかったら(この後伏せ字だらけなので中略)・・・なんて流れになって、最後の最後は「パブロン」を一袋手渡して、第一段階は事無きを得た感じだった(無事ジャングルを抜け出せた)けれど、その「パブロン」を一袋渡した事で、後任隊員が相当に迷惑したとか、報告書に書かれていた。(先輩隊員で、安易に薬を渡したやつがいたから、後任がせびられて、大変だったとか憤慨していたような・・・。)こっちだって、ただ渡した訳じゃねぇぞ、と言いたかったし、申し訳ないとも思うけれども、他に自力で何とかする手段が思い付かなかったというか・・・この話題、詳細は報告してません。(現地のコーディネータには全部状況説明して、以後配慮してもらっているが、)正式に報告していたら、現地の掟に従って、誰かの片足の足首から下を切り落とす「罰」が下されるはずで、だから「詳細」は書けない。
話が逸れてるので戻す。

“Bus i kam.”というピジン語表現がある。
“Yu katim big bus, kukim, na wokim gaden. Planim kaukau, wok pinis, na i wokim olsem wanem?”
“Rarim tasol i stap.  Noken wori.  Bai bus i kam.”
という文脈で、「ジャングルを切り開いて、焼いて、畑を作って、芋を植えて、役目が終わったらどうする?」「放っておけば、ジャングルがやって来る。(また、ジャングルになる)」という感じの言い方。この、焼畑がまたジャングルに戻る、という表現が”Bus i kam.”(ブスイカム、と発音)だった。確か、ひたすら山の中を歩いていて、ところどころ開けていて以前畑だった痕跡のような場所があって、”Dispela hap, em i wanem?”この場所は何?と聞いたら、以前焼畑だったと話してくれた。”Bus bai karamapim.”ブスバイカラマッピム、「ジャングルが覆いかぶさる」という言い回しもある。熱帯の植生は、彼らの焼畑程度ならそう簡単に屈服はしない。

大崎先生が研究されているのはフィリピン。フィリピンどころか、日本でだって、放置された廃屋に、雑草どころか木に家が壊されかけていて、後10年放置したら「森」に戻りそうな家もある。何なら、私のジョギングコース中にある、そうした「廃屋」を紹介できると思う。(一軒は、壊されて更地になっていたが・・・)植物の力は強い。

問題なのは、重機で根こそぎ巨木を伐採するやり方だと思う。20年前の話だけれども、1立米1キナ(100円程度)で伐採した木材を買い取る業者がいて、そんな中には黒檀や紫檀などの非常に高価な木材も含まれているのに・・・という話題もあった。今どうなっているのかは知らないけれども、彼らの伝統的な焼畑と、重機を入れた伐採とは区別すべきだという気がする。いや、酒が入っている状況で、大崎先生に火をつけると、消火できる気がしなかったので、あまり細かい経験談は話していませんが、大崎先生の主張にはかなり共感している。(いや、僕にも、一旦火がつくと止まらない話題というのはある訳で・・・まるで自分を見ているような・・・)

右とか左とか、紋切り型の方々とはあまり親しく付き合えない気がするという大崎先生のスタンスにも共感する。「これを書いたら、世間は僕を右と見るだろう」とか「これを書いたら、左と見られそうだ」とか、その程度は理解しているが、言いたいことがある時は、全然気にせずに主張はしている。
散々、金正恩をクソミソに貶しては見たが、もし彼が、拉致日本人を帰還させると公言したなら、僕自身は一転して、北朝鮮の「対米抗争」を支持する論陣を張り、金正恩を擁護するという、「変節」をやらかすかも知れない。
だいたい、僕自身が善人じゃないし、状況によってはどんな大悪党の擁護だってするさ。(って、全然擁護してないじゃないか。)

何はともあれ、今年一年、どれだけ新しい友人が増えるか、どこまで自分の活動の範囲を広げられるか、ちょっと楽しみになる年賀状が何通もあった。
懐かしい方々を、本当に懐かしいと思えるのは、自分自身が多少は動けている時、かも知れない。

警察さん、もっとぶちゃけて!

「いいね!」と思った。これ。

「法務省にそんな部署はねぇよ!」架空請求ハガキに県警が激しくツッコミ、拡散希望

元ネタは、山梨県警察のツイートというこれ。

山梨県警察のツイート(https://twitter.com/YamanashiPolice/status/945845033495695361/photo/1?ref_src=twsrc%5Etfw&ref_url=http%3A%2F%2Fwww.huffingtonpost.jp%2F2017%2F12%2F29%2Fyamanashi_a_23319112%2F)

この、ツッコミを入れる際の言葉遣いがいい。警察の方がこのツイートの画像を作成されたんだろうかね。これでいいんだと、僕は思う。誰もがみんな、本音でいきましょ!?DJポリスなんてのもうけていたけど、昔と今とは違う。(僕なんか、常に「反体制」的な言動ばかりだから、昔はもう・・・、以下省略)

若い人たちに「共感」してもらえるやり方ってのは、きっと年寄りにも優しい社会につながる気がする。

ローテク

最終の納入検査を実施していたら、バグを見つけてしまった・・・。いや、厳密にはバグではないかも知れない。シミュレータの動作が実機と同じではないように見える。実機の場合にはおそらく、信号線のストローブを見ているのに、シミュレータではそこの部分が再現できていない。おそらくは、そこに起因する動作不良だと思える。現象としては、必ずリトライがかかって、2度目の転送で「うまく動作している」という「結果オーライ」なのだけれども・・・じゃなかった、「結果オーライ」じゃない動作も見つけちゃったんだっけ。orz

検査項目を増やして、納品検査手順書を改版した。次は、プログラムの修正。今日はもう、上がり。疲れた。

このシミュレータ、PC-9821でしか動作しないソフト。なんでこんなかと言えば、その時代の工作機械を未だに現役で使い続けなければならない工場が、まだまだ、多数存在している、ということで、そういう時代の通信だの、PC-98だのを熟知しているプログラマが次々と引退してしまったために、私に出番が回ってきた次第。「ハイテク」とこの「ローテク」の橋渡しのブリッジを、カスタマイズさせていただいている。格安でね。エンドユーザさんたち、そもそもが工作機械を更新できないから、こうしたブリッジを必要としている訳で、ブリッジが高かったら工作機械を買い換えた方が手っ取り早いだろうな。こういう書き方をしたら何だけれども、こういう製造業に銀行さんとかが金を貸さないから、私のところに「格安」での仕事が回ってきている、ということにもなるんだろうか。僕が「2週間」で見積もる仕事を、大手さんは6ヶ月とかで見積もっているらしく、時間単価は大して値引きしていないけれども、この工期の差で、結果的には「格安」になってます。いいです。僕は手数で攻める。そのうち、WEB系のRADも攻めたい。

ローテクだけれども、昔はすごいロジックがあった。Z80のアセンブラで、
LOOP:   MOV A,(HL)
SUB B,A
DEC (HL)
JNZ LOOP
みたいな、一体なんの計算だ、ってなループがあって頭を抱えた。Z80の時代はニーモニックごとにクロック数が異なり、この組み合わせでピッタリと500ミリ秒を数える、みたいな、意味が取れた時に思わず「おぉ」と呻くみたいな、「すごい」プログラムが至る所に転がってた。そのうち、CPUでタイマー割り込みが普通に使えるようになったり、レジスタの数が爆発的に増えたり、バスが8ビットから16ビットに、そして今は64ビットで、マルチコアが当たり前になり、DSPで浮動小数点演算が簡単になったと感激していたら、今や大量の専用チップで、自動車に例えれば、今のコンピュータがハイブリット車なら、Z80なんて幼児向けの三輪車、くらいの差があるかも知れない。それ以下か。でも、その幼児向け三輪車で高速道路をぶっ飛ばそうとしていたのが、僕らの時代だったか。

このバグは、おそらく明日潰せる。明日最終検査をやり直して、納品物一式を整えられるとおもう。たぶん。

それが済んだら、(おそらく、今後もお付き合いさせていただきたい、窓口となる会社さんだから、)このPC-98でしか動作しないシミュレータを、ラズパイに移植してしまおうかと思ってる。タダでやります。普通の会社さんに依頼したら、工期は短くて4ヶ月かなぁ。本当に困っているエンドユーザの会社さんで、金があるところ相手なら、500万位請求できるかも。でも、タダでやる。こういうコストは、最終的に銀行さんが金を貸さない製造業の町工場さんたちに、コストとして転嫁される。僕の「名刺」代わりです。有限会社シグナリスは、「これ」を作りました、っていう「名刺」が今は何もない。今後もお付き合いいただくつもりの会社さんに、無償提供する。(ぶっちゃけ、事務所に居座ってるPC-98のでかい図体が、邪魔!)
最先端技術を、町工場のローテクが支えている、なんてことは、華々しい銀行さんとか、水商売的なITがらみの方々には、おそらく全く理解できないだろうけれども。「あんたんとこのサーバビジネス、部品一つで全滅するよ」なんて、言いたいけれども、大手さんの「偽装」報告が続々と表沙汰になっている今、何を根拠に「ハードウェア」をそんなに信じ切れているんだか、不思議でならない。いや、バグというか、ミスとか、予想外の性能不良とか、そんなのは日常的な話。「零細」は常に「信頼」だけが生き残る術で、「大手」にとっての「ミス」とは「蜥蜴の尻尾切り」の「口実」でしかなくて、責任転嫁し切れなきゃ、後は隠蔽するだけ、ってな発想だったんだろうな。今時は、会社に忠誠尽くして罪をなすりつけられるくらいなら、全部暴露して辞めちゃうのが時流だから、世の中がどう変わるか、ある意味楽しみかもしれない。

ラズパイへの移植。常に強気の発言を繰り返していますが、大学や専門学校の「採点」とか、授業がない「それだけに集中できる」環境なら、1週間で書き上げる自信がある(けど、対外的には2週間っていうと思う)し、(いや、世間で6ヶ月っていうのが僕は不思議だけれども)大学と専門学校との三足のワラジを履いていても、この「移植」は(他に優先順位の高い仕事がなければ、)1ヶ月でお釣りがくると思ってる。

僕は、人間関係には全く自信がない。なんとかしたいんだけれども、煙たがられるか、言いたいことが通じないか、無視されるか(中略)どうでもいいや。でも、コンピュータ相手なら、信号線のストローブがどうした、メモリのヒープがどうした、カーネルが割り込みを捌けていないからどうした、ネットのプロトコルがどうした、RubyでもPythonでも、 Cはもちろん、BasicでもFortranでも、PHPでも、Javaでも、かなり「なんでもあり」で対応できると思います。でも、零細の有限会社だから、大手に支払う金額の10分の一ですら、仕事を頼む気なんてないでしょうね。ただ、今はひたすらロジックを書き続けたい。大手さんに相手にされない同士で、零細企業さん限定で、僕の「窓口」になってくれて、交通整理をしてくれそうな(やはり零細の)会社さんを通してもらったら、責任を持った仕事として請けさせていただきたいな。(仁義ってものがあるから。製造業関係は窓口限定。ごめんなさい、直接は請けませんが。)

今年は、医療関係に切り込めなかった。ただひたすら、金がない。デバイスを整備できない。零細はどこも一緒で、その10万が、その100万が、どうにもできない。ただ、ようやっと、光明が見えてきた気がする。お世話になった、G社のHさん。ここんとこずっと、お歳暮を送り続けるだけの関係だったけれども、なんとか具体的に、BluetoothだろうがIoTだろうが、任せて下さい的な、プロトをいくつか準備できて、改めてご挨拶にいけるのは、来年の夏かなぁ・・・。(新しい技術が多すぎ!使うんじゃねぇ、作るんだから、追いつかねぇだろと言いたい!)けど、なんとか頑張る。Hさんには、どうかもうしばらくお待ちいただきたい。僕は医療に戻りたい。学校、製造業相手と合わせて、三足でも四足でも、ワラジを履きます。(タコか!あ、タコです。すみません。)

でもなぁ、医者と直接話をするのだけは、嫌だ。平気で「タダにしろ」とか言い出す人種だもの。あぁいう人たち、大嫌い。それなのに、一番やりたいことが「医療機器」で、医者が嫌いだともう、どうしようもないよなぁ・・・癌かなんかで医者の世話になるくらいなら、死んだほうがマシ、くらいの感じ。(相手によるんだろうな、個人差があって、信頼できる人も少なくないことは、確かに頭じゃわかってるけど、でも、かかりたくはない。)医療の話は、もういいや。来年のことを言えば、鬼が笑う。

経済産業省は、麻生さんだからな・・・。ついでにいえば、国家公務員は高給取りだから、僕のこの話題が通じるとは全く思えない。(麻生さんには、雰囲気を掴む以前に、話題を理解できなかったりして。)銀行も体質はおそらく変わらない。ということは、たぶん、僕のこの「ニッチ」ビジネスは、当面安泰でしょうね。

零細企業の皆様、コンピュータ化あるいは、今使っている機器の寿命の延長、(窓口通してもらえたら)格安で引き受けます。

ってか、新規アプリ開発だって(いや、交通整理してくれる人がいないと、たぶん僕は自滅するから、今は何も言えないけど、)言ってくれたら、格安でプログラム書かせていただきます。(震災関連とかね、困ってるとか言われちゃうと、きっと全部タダにしかねない。いや、笹団子4ヶ月ぶんでもいいけど…)

今日、確かにバグは一つ洗い出した、けれども、恐らくはこれが最後のワンピースかなと、直感した。バグを見つけたのに、仕事を上がった途端のこのハイテンション。(実を言えば、今日前倒しで、会社に仕事の振込、していただいたんですぅ!)

楽しい夢は見たくない。(後が辛い。)

でも充実した日々は過ごしたい。ただきっと、今日は充実していたと思う。

Merry Christmas for Everyone!

中韓

そうかと思った。ニュース配信。
中国が難民キャンプの準備をしていて、朝鮮半島全般の空域を確認しているのならば、それは戦略的に正しいという気がする。「仮想」の相手が誰なのかは、あえて書かないが。
韓国が未知数。本質的には、今回は中国が韓国の味方になるはずだけれども、それが理解できるかどうか。瑣末なことにばかりこだわる韓国が、中国の大意を読み解けるとは思えない。本来的には、韓国が中国人民軍の航空機が韓国領空を飛行することを容認(あるいは黙認)することが最善の結果につながるような気がするが、たぶん無理、としか言えない。日本も、中国も、自国の「最大損失の最小化」に必死のゲームの盤面に乗っていると思う。韓国はよくわからん。あの国は事実も現実も見ようとしていないから、この際判断基準から除外するけれども、中国人民軍が戦略的に必要ならば、日本の領空・領海を通過することも可能とする(最悪、事後承諾の黙認をできる)くらいの軍事的な協調は必要だと私には思える。それくらい、切迫していると思う。というよりも、ようやっと、「拉致被害者の帰国」に結びつく具体的な動きが起きる気がする。ここまで壊さなければ、自国民を取り戻せないほど、国際的に何一つ機能していないのがあの国の現実だと考える。それと同時に、私たち日本人が同胞を自国に取り戻そうと思う限り、本質的な弊害(あの一族bの主系)を排除する以外、他に手段がないと思えることが限りなく哀しい。利害関係が対立していて、かつ、聞く耳を持たないならば、他に手段がないのかも知れない。

ロシアは当然反発するだろうと思う。日中の抱える「核汚染」の危機感に、あの国はあえて目も耳も閉ざした上で、あのナスの養護を掲げると思う。それがプーチンの戦略だという気がする。言わせてもらえば、所詮プーチンは「世界平和」なんていう視野を持っていない。よくて自己保身だと思う。あのナスを活用するのがせいぜいだと思う。だとしたら、今回は、日中で最大限に協力して、プーチンの干渉を最小に抑えるしかないと思える。プーチンの発想ならば、極東が核に汚染されても、ウラジオストク程度はたぶん見捨てる。モスクワには何の影響もない。確信犯で、それをやらせてしまう技術を供与していると思う。

今は、日本にとってアメリカも頼れないと考えるべきだと思う。トランプはおそらく米兵の安全しか考えない。というよりも、米兵自身が自分の安全しか考えず、金のために仕方なく極東に出向いている、そうした意識が大半だと想定すべきだと思う。(そうでない、日本や韓国のためにと考える人もいるだろうけれども、極めて少数派だと思う。)アメリカも日本も、今は民主主義の時代だ。当事者の意識が主体。何もアメリカに求めるなと思う。
ロシアは、戦略的にしか極東を考えていない。状況に応じて、すぐに捨てる。
必然的に、極東の核汚染は、アメリカにもロシアにも、大した問題ではない。自国民を引き上げることだけが最重要課題なだけだと思う。(極めて個人的には、そうやって、沖縄からも日本本土からも、米兵が自国に引き上げることは歓迎する、)残された、というよりも、住む土地がここにしかない日本は、同様の中国と最大限の協力態勢を取って、「最悪の事態」の際には、中国国軍機が日本の領空を通過しても「事後承諾」程度で容認できる関係を早急に構築すべきだと思う。中国を信じないのは申し訳ないけれども、「北朝鮮による核攻撃の危険性が除外された際」には、「この緊急措置を解除して、中国軍機による領空侵犯は撃墜することもあり得る。」という「平常状態に戻す」という確約付きで、今は、中国人民軍を信じてもいい時だと、私は思う。日本も中国も、北朝鮮の周囲に国民が住んでいる。
(中国も韓国も、日本が主体的に軍事行動を想定することを懸念しているだろうとおもう。だったら、日本は主体的には関与しない。だから、中国人が自国民の生命を賭して中国軍機を飛ばして極東の安全を安全を担保するために活動することを、日本は容認すべきだと思うけれども、我々は、主体的には一切軍事行動を起こさないことを、(それが、外観的には日本人が一切命を賭けていないように見えたとしても、むしろそれは、中国や韓国が我々に求めていることだと理解してもらった上で、)我々は、中国人が命がけで朝鮮半島情勢に臨む姿勢を容認する、という姿勢を貫くべきだと、私は考えている。

なんてことを考えてしまったニュース配信があった。

ピー・エム・ディー

日曜日だったかなぁ。松山千春さんの番組だった気がする。

NSPがかかっていた。NSPなんて、知らない人の方が多いでしょ?僕と同年代でも、結構な「ネクラ」でないと知らなかったりする。オフ・コースとか、ハイファイセットとか、(ワイファイセットではありません)さだまさしさんとは一味違う世界。

「こ〜んな河原の夕暮れ時に、呼び出したりしてごめん、ごめん。」とか、あのNSPです。

で、NSPって何?いや、あれ、「なんと、すごい、プロみたい」の略だと、ご本人たちが何かのラジオで語っていたとか、その「N:なんと、S:すごい、P:プロみたい」だけが耳に残っていて・・・

松尾くんが午後9時過ぎに帰っちゃった。で、まだ日付は変わってないけれども、事務所でブログ更新。三週間前にプログラムはほぼ修正を終えてる。で、「単体検査手順書」を書いて、(書いてる最中にマイナーなバグを二つ見つけて潰し、)「納品検査手順書」を書いて、(その間に別のバグを二つ見つけて潰し、)その後、インストーラの設定(WiX)を書いて、「インストーラ」を作り終えて、「インストール手順書」を書いて、「取扱説明書」をついさっき書き終えた。出荷検査は、手順書は書いたけれども、まだ実施していない。取説用の画面キャプチャをしている際に、出荷検査に先行して、メジャーなバグ(ボタンをクリックすると落ちる、ってな規模の)バグを見つけて(開発中にスルーしていたプロテクトチェックを有効にしたのに、プロテクタをスルーしていた結果が逆噴火して、「不正コピー」に決めつけられて、無言のまま終了したバグがあって、)それを修正。で、とにかく、「取扱説明書」も書き上げた。

しばしば思う。「お前の書く文章はくどい、しつこい。」これは、取説執筆モードの書き方、なんだろうと思う。「右上にボタンがあるから、これをクリックしてください」ってな奴を、一つも漏らさずに書き続ける。これを、同僚へのメールなんかでもやっちゃうから、「長すぎて読む気にならん」とか言われる。そうかと言って、途中を端折ると、「話が飛んでて、つながりがわからん!」とか言われて怒られるし。所詮、業務メールなんて、挨拶程度(受け取りました、程度)の「重たい意味のない奴」でないと、仕事では面倒臭いだけかも知れない。大切な用事は会ってもらって、話を聞いてもらえないと通じないのが現実なんかなぁと、過去を回想。だって、メールに「漏れなく」用件を説明し尽くしたら、まず、読んでもらえないもの。それは、もう昔の話だから、もういいや。今は独立。

で、「単体検査手順書」は終わった。「単体検査報告書」も実際に検査を終えた。「納品検査」はまだこれから。でも「納品検査手順書」は書き終えた。「インストーラ」は仕上げた。「インストール手順書」も書いた。「取扱説明書」はさっき書き上げた。(あの、やたらと「くどい」奴ね。誰も読まないだろうけれども・・・)

さて、最後に「納品検査」だ!と思って、最終確認で、ふと気づいた。なんか、ロゴに見覚えがない。急いでいたから、ネットでチャチャっと検索して、関連先のロゴをネットから引っ張ってきていたんだけれども、その「ロゴ」が違う。「ほぼ」同名で、「ほぼ」同業態、同業種の別会社のロゴで・・・そのロゴがどこに入っているかと言えば、「インストーラ」と、「インストール手順書」と、そして「取扱説明書」と・・・。

全部、やり直しやんけ!おい、午後10時回ってるぞ・・・

システムエンジニアとして求められる素養。最大の要素は、「設問」が10個あったら、2の十乗で、約1000通りの場合分けが発生し、その全ての組み合わせの結果をほぼ直感的に仕分けられる能力、かな、と思う。これは「訓練」じゃ無理。持って生まれた素養だとしか言いようがない。文部科学省が、小学生からプログラミングを教えるとか言ってるけど、センスのない人は鍛えようがない。逆に、センスのある人は、20歳とか30歳でも、コツを掴めばこの業界で仕事はできる。かつてIBMがプログラマの採用を能力重視で行ったら、採用学部は理系だけではなく、文学部、商学部、法学部なども含むあらゆる分野に渡ったらしい。論理構築のセンスは、教育だけでは培えないのかも知れない。(「教育」にケンカ売ってますけど・・・)小学生からのプログラミング教育は、「発掘」にとどめて、そこから英才教育するのでなければ、全員に等しく教育するのは、9割以上の子供達には拷問だと思う。ベクトルが間違ってる、と、相変わらず文科省にケンカ売らせていただきます。

いわゆる、「理屈のわからん奴に、いくら理屈をこねても問題は解決しない」ってな世界だと思う。そうなると、「解決」できなくても「納得」してもらう「解決策」しか取れなくなる、んだよなぁ。ジブリの「もののけ姫」で、最後に「ジコボウ」がぼやいていた。「バカには叶わん」だったかな。アシタカとかサンみたいな「バカ」はいい結果を出してた気がするけど、必ずしも「バカ」がいい結果を出すとは限らない。「情報化」教育のベクトルは、間違ってる気がする。

それはそうと・・・もう帰っちゃった松尾くんがぼやいていた。

SE(システムエンジニア)に、(特に日本のSEに)本当に必要な素養は何か。

ろくに「取扱説明書」を読まずに、文句を垂れてくるお客様の文句にメゲない精神力、自分の出したバグを責任持って潰せるだけの「体力」と「気力」、あるいは、最初は「二階建ての家で十分」とか(金額を聞いて)言ってたお客様が、出来上がりが見えてくると、いきなり「やっぱり三階建じゃないとな」とか言い出して来て、「馬鹿野郎」と叫びたくなる気分を抑えて、「ただ単に、積み上げるだけじゃなくて、全部作り変えるくらい、これまで作ってしまった分を壊してから、部品の作り直しが入るので、見積額が2.5倍にはなります」みたいな主張を相手に納得してもらうまで、延々と言葉を連ねて、事細かに説明をし続けて(これを、普段やっちゃうから、ゴミ扱いされるんだけれども)「なんで、2.5倍に跳ね上がるんだよ!」と、ブチ切れるお客様を相手にしてもメゲない精神力、そう、ひたすらメンタルと体力が、日本のシステム・エンジニアには、求められているんだよなぁ、と、昔を回想している。(今は、いい「相棒」を見つけましたが・・・)

システム・エンジニアって、「知性」の世界だと、皆さん思うでしょう?違いますって。ただひたすら、体力と根性の世界です。体力も、精神力もないと自覚している人は、この業界には入らないのが正解だと僕は思う。

ただ、黙々と、ウサギ跳びでグランドを回り続ける。そんな自分を、陰で明子姉ちゃんが見守っていてくれる。いいなぁ・・・明子姉ちゃんに、いて欲しい!(この話題が通じない人は、どうぞ、シカトして下さい。)

で、標題!?

ピー・エム・ディ、ってのは、NSP(なんと、すごい、プロみたい)のパロディーで、「P:プロ、M:みたい、D:だけど」・・・でした。情けねぇ・・・。

お客さんとこの、ロゴを間違えるなんて・・・

もう寝る。じゃなかった、寝ない。インストーラ、インストール手順書、取扱説明書、これから明日朝までに全部書き直し。(こんなページ書いてる場合じゃねぇだろ、って、そりゃ、あんた、絶叫しないために、吐き出してるんだって!)

さてと、やるか。

いぃじす・あしょあ

今聞いているNHKラジオの昼のニュース。

「いぃじす・あしょあ」の一基あたりの価格が1000億円って・・・何それ。立食いの天玉そばが2.4億食食える。なんて金額だ!

以前から北朝鮮はアメリカの軍需産業のセールス・エージェントじゃないかと思っていたんだが、単なる疑惑じゃなくって、アメリカの子分だって、もう間違いないんじゃね?

でも、要るんかなぁ・・・アメリカの軍需企業のほくそ笑む姿が思い浮かんでしまって、なんだか腹立たしい。

Intrinsic Phase

今朝、変な夢を見た。僕には捌き切れない。吐き出して忘れる。
というよりも、覚えていたこと自体が不思議で、普通なら目が覚めてすぐに忘れるだろうに、今日は小川和紙マラソンで10km走るエントリーをしていたから、目覚ましをスヌープさせてはまた鳴らして、を繰り返している間、ずっとその夢の続きを見続けたためか、ずっと覚えていた。(多分、明日には忘れる。)

こんな人知らないと思ったのだけれども、東工大の百田先生(実在かどうか不明、面識なし)と、なぜか親しく話をしていた。そこの研究室の学生に、僕の会社から何か「実用品」の研究を依頼して、そのプロトを院生がたった3週間で動作させた、というお披露目を見ていた。
水の中に金属片(1mm四方程度の小片)を浮遊させていたのが、「磁気ビーム」を制御することで、その金属片が磁場に沿って整列しながら「踊」って(プログラムで、磁気ビームの方向、長さを動かしたため、)水の中で金属片が操り人形のように動いていた。
「へぇ、すごいですね。これなら使えそうです、」と僕。(いや、何を頼んだのか、夢の中でもわかってない。)

そうしたら、その百田先生が(現実には、僕は東工大には知人はいませんが、同姓同名がいることは知ってるけど、)「これは、IP(Intrinsic Phase)の応用で、基礎研究が固まっているから、応用はすぐでした」との自信たっぷりのお言葉を返された。(しつこいようですが、夢の中の話です。)現実には、見覚えのない顔だった。そのIPは、レーザ発光にも応用できるし、Cell Grid Computingとして計算機素子としても使える、ということで、磁場の制御なんか簡単だ、という感じのお話だった。(何それ?)

いや、「磁子」なんて、存在しないでしょう!というのは、覚醒している僕の見解。N極とS極は分離できない。なぜならば、Maxwellの方程式で(中略、細かいところを忘れた、自信なし)

夢の中でのこの研究室、実は三度目の訪問かもしれない。前回、「百田研究室」が僕の夢の中に登場した時は、非ノイマン型の計算ロジックのコアをプログラミングしてくれないかと頼まれて、どこから予算をかき集めたのか、ガンガンに冷却システムを効かしている「ノイマン」型の計算機の端末を僕の「研究スペース」としてあてがってくれて、なぜか、その後、食堂に飯を食いに行きながら、別の展開になった変な夢の時に、登場した。(いまだに、結構減量は頑張ってるもんで、食い物の夢は時々見る。いや、暴食したい!)

師匠の講演会(自治会行事だとか、今日はマラソン(自己都合)で、ここんところ行けていない。ただ、師匠が以前講演会で話された話題。)僕自身も霊体さんの存在を感じることはあるけれども、「意識体」は確かに実在すると思う。他人の意識を拾ってしまうことも、ない訳じゃない。(去年か一昨年、実験されちゃったみたいだけれど・・・)この「意識」には階層性があって、人間は人間の「意識」しか「意識」として感じられないけれども、それぞれの「同次元」の意識体同士は意思疎通できている可能性がある、と私は理解している。それは、粘菌の細胞なら細胞同士、電子なら電子同士、という感じで。では、そのメカニズムに切り込むのに、どこに突破口があるんだろうか、という問いは、ずっと持っている。師匠は「磁場」の話題をされていて、僕は最初、その「磁場」という表現を比喩だと思っていた。だけど、もしかしたら、比喩ではなく実際の「磁場」なのかも知れないと、思い始めてもいた。

地球系人類はね、神が「意識の交流」のメカニズムを封印したらしい。なぜならば・・・ハリウッド映画を見たらすぐにわかる。あるいは、日本の戦闘ものアニメを見たらすぐにわかる。憎悪むきだしの殺し合い。これは、地球系人類の地上での姿以外、他の星系では、有り得ないらしい。昨日、「クリプトン星」(創作)の人の話の映画があったけれども、意識の交流が基本にあったなら、殺しあうという選択肢自体が存在し得ないのに、地球ではそれが当たり前になっている。だから、他人の「意識」を拾えるような感覚を封印されたどころか、いわゆる「宇宙人」からのコンタクトも封印されているのが、今の地球系人類だ、と、師匠は以前講演会でおっしゃった。(正確に、師匠の講演内容を表現している訳じゃないので、気になる方は、直接参加して下さい。私の仲介に頼らないで!)

(いやね、カルトだとか、とんでも話だとかは、私も思うけれども、)師匠のスタンスは、「自分の頭で考えて、答えを出しなさい。一切強制はしない」だから、僕は自分の頭で考えている。「金さえ出せば、神様が救ってくれる」なんてことは一言も言わないし、むしろ逆で、「金を積むからガンを直して下さい」なんて人は、追い返している感じだから、貧乏人の私にゃ、とりあえず、取っつきやすい。(でも、後が大変。)ただ、そんな話もあった。
ぶっちゃけ、地球系人類は、いずれ、ハリウッド映画、日本製アニメの定番、「憎悪むき出し」が「当たり前」だと思っているなら、きっとリセットかけられると思うな。師匠はそれを伝えたくて肉体を持ってる気もする。(たぶん、僕もそれに近いかも知れない。滅びよ、と言う言葉を伝えたいたいんだろうかしら。)じゃぁ、どうしたらいいんですか?って、それは、自分で考えて下さいとしか、(その考える材料しか)言ってくれないのが、師匠の講演会。だから、考えることの好きな物好きしか、参加していないはずだと、私は理解している。(さて、何を書いてるんだろう。僕の暴走が始まった。)

このIntrinsic Phaseの学術用語、ネット検索したけれども、なんだかわかったような、わからないような。
いや、もう後何百年後かには、「種明かし」があるはず、だと、理解しています。
地球系人類から、ハリウッド映画的な「凶暴性」を消し去るプロセスがあるはず、だと。(いや、「凶暴性」を肯定する文明は、根こそぎ消し去るプロセスがあるはず、だと、私は理解。)その上で、常に「共存」だけを考えることのできる「文化的背景」が熟成されたならば、(隔離が終わって、)前述のIntrinsic Phaseだの、核転移だの、限りない、俗にいわゆる「宇宙人の知識」が地球にもたらされるはず、だと理解している。だって、ハリウッド映画のどこを見ても、「残忍性」や「残虐性」が全開だから、これは「隔離」するしかない、と思うだろうな。もしも「宇宙人」が本気だったら、ボタン一つで地球は消滅する。それは核(程度の技術で)も同じ。誰も(どこの星系)もがそれを持てるから、逆に一切「宇宙戦争」が起きないメンタリティが形成された、そこのところが理解できない「地球系人類」の面白さ/可笑しさを、外の目で見たら、どんな映画になるんだろうか。

冒頭で書いた、僕が見た夢の話。可能な限り、(マラソン後の頭だけれど)再生した。僕にほ捌き切れないので、どなたかどうぞ。召し上がって下さい。(百田先生、って実在?私には面識ない。)Intrinsic Phaseって、何それ。あたしゃ、Internet Protocolしか、1Pはわからん。

最後に、オマケで、今日の私の「生まれて初めての『マラソン大会参加』」は、10kmで59分ちょいでした。微妙に「次の目標」が設定しにくいタイム。「完走」の証明書(でしたっけ?)は、アップしません。(プログラマ頭で、そっち方面に意識が向かなくなった。)私のようなヘビースモーカーには、たぶんこれがベスト、かな?

googleさん、6じゃなくて5でしょ?

Googleの今日のタイトル、LOGOの50周年

「最小移動回数」ってなってるから、移動回数かと思ったら、そうじゃなくて「最小コマンド数」みたいで・・・。で、そうだとすると、この6面の最小コマンド数、6ってなっているけれど・・・

スクリーンショット 2017-12-05 13.08.28

なんだか、コマンド数5でクリアできたんですが・・・

スクリーンショット 2017-12-05 13.09.16

逆に、コマンド数6をどうやるのか、しばらく悩んで、考えるのやめた。(深入りしそうで、今日やる仕事に支障が・・・)

昼休み、終わり!面白かった。

Thanks, Google!

High SierraはMarkDownも読めない

High Sierraに切り替えてから、何かと不都合が多い。

まず直面したのが、TeXの編集環境。日本語環境については軽視されていたのか、pdfを吐けなくなった。

次に、動画の再生で(mini Macで起きた現象は)RGBのうち、再生中に一色が落ちてフルカラーでなくなる。これはQuickTime Playerで再生させると起きる現象。再生サイズを変えると起きやすいから、処理が追いついていないんだろう。前は同じ操作をしても起きなかった。(最近見てるYouTubeは、ネトウヨ系のが多いから、どうでもいいっちゃどうでもいいんだけど。)

次に、ファイルの数が多いフォルダ(携帯で撮った画像を無造作に溜め込んだフォルダ)なんかをfinderで開こうとすると、最初の数回、固まる。(おそらく、サムネールを作りに行っているのか・・・それにしても、全く反応が戻ってこない。)

私は試していないが、ユーザ名をROOTにすると、パスワードなしでスルーで入れる?嘘でしょ?でも、NHKのニュースでやってたしなぁ。

そして今日、教材のMarkDownをブラウザで開いて確認してから、pdfに落とそうとしたら、開けなかった。FirefoxのAdd-onは、「処理するアプリを指定して下さい」とFirefox自身を表示したまま、延々と新しい窓を開いて、また同じ質問をしてくる。Chromeでは、mdのソースを表示してくれて、全然Viewerの役をしていない。Safariでは、mdのファイル形式そのものを認識する時点で、忘れ去られている。どうしようかと焦った。Kobitoがちゃんと開いてくれて、pdf変換もKobitoでできた。MarkDownをブラウザ表示しようと言う発想、それ自体が間違いだったんだろうか。GitHubなんかでは普通に出してくれるからって、僕の認識が間違っていたのかもしれないが。

MarkDownやTeXに関しては、おそらくセキュリティ対策でJavaScriptの実行を強制的に抑制していて、そのホワイトリストからMDやTeXが漏れているに違いない、と勝手に推測する。ただ、あまりにも、ずさんというか、僕は今回初めてAppleの仕事の質に疑いを持った。

ダメだ。諦めました。僕は、Sierraに戻します。

High Sierraは、少なくとも今の段階では仕事に使えない。いや、それでも、何でもかんでもユーザの責任にして、文句のメッセージを出してくる某マドーズOSよりはマシだとは思うが。

地下へ

取引先の方と、昼食を取りながら自動車の話をしていた。電気自動車化すると、部品点数が激減する。そうなると、自動車産業を支えることで生計を立てていた、多くの部品メーカー、パーツメーカーが危機に陥る。日本の自動車産業が、電気自動車化に出遅れていると言われるのには、そうした中小下請けへの気配りもあるのかなと、ふと思った。でも、この電気自動車化への流れは止められないだろうなとも思う。

新しいフロンティアが必要なんだろうと思って、ふと思ったのは、小池都知事が「国策」を考えた際に打ち出したいくつかの公約だった。

まず第一に、電線の地中化。これも急ぐ必要があると思う。ドローンによる配送とか、いや、タケコプターで人が空を移動するようになるかどうかは別にして(アリかも知れないと、個人的には思うけれども)、空中輸送を活用する流れも今後実用化が相次ぐのかも知れない。そうなると、目障りなのは、空中の電線。送電線に、通信ケーブル、そして光ファイバー。これらを地中化するとなると、莫大な金がかかる、と言われているけれども、そうだろうか?

モグラロボットって、作れないんだろうか。地中に配管を敷設して、その中にケーブルを通す。そのために、ユンボで道路を掘り起こして・・・なんてことをせずに、一箇所に穴を開けたら、そこからロボットに地中工事をさせて、パイプを敷設するための穴を掘らせて、現在の塩ビなんかのパイプだと硬くて曲がらないから、垂直に掘った縦穴から、横に配管用の穴をロボットで掘っても、うまく挿入できないかも知れないけれども、例えば、柔らかい状態で地中に入れて、加熱かなんかで硬化させて強度や耐久性を持たせ、地中に「電線地中化」用の配管を通す工事を、ロボットでやらせる、なんていう方策はないもんだろうか。

何かと言うと、道路工事っていうのは、昭和の中頃の「雇用対策」だったと思う。食うに困った人がいたら、とにかく土方。肉体労働の人夫として雇い入れる。それが、昭和の雇用対策だった。未だに、そうした業界にしがみついている政党もあろうかと思うが。だけど、今は建築業全体に人手不足なんじゃないか?むしろ、こうした土木工事現場こそ、無理やり人を集めるのではなくて、ロボットを導入して現場の工事の人手を減らし、逆に、そうした地中工事のロボットを作る製造業の雇用を増やす、なんていうポジティブな発想ばかりではなく、自動車産業で部品点数が減ることによる産業構造への影響を減らすために、モグラロボットを国策として支援する、なんていうのは、小池さんが掲げた「電線地中化」の流れ、ドローンの普及による変化に対応する、産業シフトの一つの形になると思った。

だいたい、なんで道路をほじくり返すことしか、土木屋さんってのは考えないんだろうか。今かなり普及している「心臓カテーテル手術」なんてのは、大腿動脈からカテーテルを入れて、心臓まで通して、内視鏡的に手術したりする。人間の体ほど緻密で細かい分野に「内視鏡」技術が発展したのに、道路なんて、結構荒っぽいことをしてもあまり「事故」にならない分野で、こうした「内視鏡」的な技術が進展しなかったのは、やはり、昭和の中頃の「雇用対策」の残像を引きずっている業界、政治家が多いから、なんじゃないかなとも、ふと思った。人体相手に内視鏡手術が実現しているのに、道路相手に掘り返すことしか手段がないなんてのは、明らかに昭和の「国策」にあぐらをかいた「業界団体」の怠慢だと僕は思う。

第二が、花粉症対策。
この辺でも、杉林は多い。僕の町は、確か、NPOが昔ながらの広葉樹林に少しずつ変えていこうとして頑張っている。広葉樹の植林はともかく、杉林の伐採は、労力としてもバカにならない。で、伐採と言うと、チェーンソーで持って、地上部分を切るわけだけれども、ここでもモグラロボットが活躍する余地があるんじゃないかと思えた。
この木を伐採すると決めたら、モグラロボットに木の根を切らせる、なんて言う方策もあり得るんじゃないかと思った。根は、植物の生命線。伐採した木材をどう加工するのかによって、切り方も変わってくるかも知れないけれども、単に杉林を伐採して除去するだけなら、モグラロボットに、木の根を片っ端から切らせて、一年か二年放置してから措置すれば、杉林の伐採作業も楽になるんじゃないかと思った。無論、林業での雇用対策なんてのもあるかも知れないけれども、製造業で部品作りをしていた方々が、いきなり林業ってのも、雇用対策としては乱暴すぎる気がするし・・・20年前ならともかく、今だと、僕だって、肉体労働はキツイと思う。

モグラロボットが可能なら、例えばこんなこともできないか?
大都市圏では、都市河川が氾濫しそうになった際に、地下の貯水池に水を流して、地上の河川氾濫を防ぐ、ということが行われていると思う。モグラロボットにセンサーを搭載して、そこが岩盤なのか、粘土質なのか、普通の土なのか、そうしたことを判断させられたなら、田舎でも「地下貯水池」の工事は可能だと思う。掘るのもロボット。
僕らは、電子工作をする際に、「熱収縮チューブ」ってのを使う。加熱することで、電気的な絶縁を保てる被覆線を外から被せることができる。そうした、感熱素材とかなんらかの条件で「硬化」する素材を使って、「地下貯水槽」の壁面の設置すらロボットにやらせることはできないもんだろうか。

他にも、モグラロボットの活躍の場はあると思える。例えば農業分野で、土質改善用のロボットとして使うとか。

地下ってのは、案外、新しいフロンティアになるんじゃないかと思った。
いや、自動車の部品点数の減少に伴う中小零細企業への「新しい受け皿」になるんじゃないかと思えた。

眠いので、読み返さずにアップします。(誤植訂正:いや、最後書いていて、寝落ちした。中傷例祭って、どんなお祭りや!?参加したくね。)

face vs fact(虚偽 対 真実)

数日前だったか、スマホのニュース配信を見ていたら、「雨雲の中で反物質が生成されている」というニュースが流れていた。ポジトロン(陽電子)だったか。僕の大学の35年近く前の卒業論文は、「ポジトロンCTによる、脳内代謝の解析」で、ポジトロンと聞いて、妙に反応したし、「え?そんなに反物質って身近だったの?」という驚きがあった。
臨床工学の国家試験対策の授業で、ちょうど「ポジトロンCT」の話で、ポジトロンって何?ってところで、かなり細かい話をしながら、そのニュースの話をしてみた。いや、仕入れた話題は、すぐに口にしてみたくなるもんです。不思議な性(さが)。僕の学生時代の先生たちも、結構ポップな話題を授業中されていたような記憶があって、この程度の脱線は許されるのじゃないかと、自分的には思っている。
で、口にしてしまった後、ふと思った。いや、僕は学術論文でその話題を読んだ訳じゃない、ニュース配信で読んだだけで、こんなに気軽に話をしてしまっていいのか。もしもこれがフェイクだったら、どうするつもりだ、と思ったもんだから、「まさか、フェイクニュースじゃないとは思いますけど」と、一言だけ付け加えておいた。

このフェイクニュースが厄介だ。だって、「ローマ法王が、トランプ大統領候補に支持を表明した」なんてニュースを実際に読んだ時に、「マジかよ」と思った。なぜ、バチカンの法王が、アメリカ合衆国の大統領選に「支持」を表明?っていうか、確かに、内政干渉になることは百も承知で、自国の国益に対して不利益としか思われない他国の大統領候補に対しては、何らかの発言が流れて来る例はあるけれども、だって、バチカンでしょう?
???だった頭が、数ヶ月後に、「あのニュースは、フェイクだったと判明しました」というのをさらなるニュース配信記事で読んで、そうだろな、と思いつつ、その「配信されたニュース」がフェイクでない保証は一体どこにあるんだ?とも思った。

それにしても、面倒臭い時代になったもんだ。簡便さには、それなりのリスクがつきまとう。

ニュース性は、「情報量」だと思う。情報量の多いニュースは、拡散しやすい。「ビットコイン」の名称で有名な、情報量の単位の「ビット」は、確率現象から定義されている。0か1か、いわゆる「半か丁」か、「表か裏か」という二律背反の現象、生起確率が1/2の現象で、「0」か「1」か、確率は同じはずだけれども「1」でした、という情報が伝わった際に、その生起確率(P)を用いて、-log2(2を底とするlog)P = 1を求め、それを1ビットとすると、定義されている。だから、確率1000分の1(厳密には1024=2の十乗分の1)の現象が起きたという情報なら、その情報量は、-log2(2を底とするlog)2のマイナス十乗だから、10ビットになる。逆に「今朝、太陽が東から上りました。」という情報は、確率100%(=1)だから、情報量は-log2(2を底とするlog)1で0ビット、もし「太陽が西から上りました。」なら、確率0だから、情報量は無限大になる。いわゆる大ニュース。で、そういう「大ニュース」ほど配信する価値があるというか・・・(すみません、WordPressでは、下付き、上付きの文字修飾ができなくて・・・)
それにしても、「ローマ法王が、トランプ・・・」は、今にして思えば、「よく、こんなフェイクを思いつくよなぁ・・・」というあたりに落ち着く。あり得ないこと、情報量が大きい。これが一過性の現象なら、無視してもいいにしても、一過性ではなく、こうした情報が流れ続けるならば、それなりの対策を考えなければならないんだろう。

ニュースは、「正当なニュースサイト」が配信するだけではない。もっと言えば、悪意を持ってフェイクを流す人が少なくないのがインターネット社会だとしたなら、やはり、フェイクをどう見抜くかは、大切な問題だと思う。
そうなると、いずれは時間の問題で、クラウド上に分散しているビッグデータを分析して、ある「情報」がフェイクであるか、「ファクト」であるかを判定するAI(人工知能)もいずれは登場するだろうなと思った。

そうした人工知能は、おそらくはまず、ニュースの配信元のサイトのIPなどを調べて、ニュースソースの信憑性を判断するだろう。次に、公的機関(対立するケースもある)の発信する「情報」を確認するだろう。さらに、学会サイトや、中立性の高い団体などの情報を調べ、その上に、膨大な「当事者情報」を検索すると思う。その際に、その「当事者」の「当事者資格」も調べるに違いない。例えば、前述の「ローマ法王」のニュースならば、それが、バチカンの側近の発言として伝えられたなら信憑性は高くても、誰がどうやってその「発言」を耳にしたかまで調べれば、あるいは書いてあるかないかも読み解けば、(無論、そのサイトが真にバチカンの側近のIPなのか、までも調べた上で、)最終的に「信憑性」を数字として出して来る、そうしたAIは、必ず必要性に迫られて、実現して来ると思う。10年もかからないと思う。5年くらいで実用化するかもしれない。

どういう書き方をすべきか悩んだが、感じたままに言葉にしてしまおうと思う。どこぞの国が「売春婦記念日」を国の祝日として制定した。我々が知りうるあらゆる「事実」をベースに考えたなら、そうなる。ところが、「事実」なんて関係ないという国もある。日本人や中国人が普通に使っている「漢字」は、「我が国が発明して、中国に伝えたものである」と、主張している国があって、それが事実かどうかは、中国人に聞いて確認してもらうこととして、(いや、その類の主張は、その国では数え切れないほど学校で教えているらしいが・・・)そのどこぞの国では「売春婦記念日」を別の言い方で、世界に「配信」しているらしい。日本人が標的のフェイクだから、僕らにしてみたら、実に厄介な話だと思う。

普通の人は、簡単にフェイクを信じる。ただ、いつかきっと、そうしたAIが登場することを信じて、今できることは、「ファクト」の積み上げだと思う。ファクト(事実)がフェイク(虚偽)を産み出す実例は、例えば売春婦像を作り続けたというファクト(事実)が、その売春婦は売春婦ではないというフェイクを産み出したようなケースだろうか。それでも、時代背景を考えることのできるAIは、必ず登場すると、私は思う。

例えば、大阪府(大阪市?)がサンフランシスコと友好姉妹都市提携を打ち切った、という「ファクト」がもしあるならば、それはニュース性は高いと判断され、それなりに重みを持って「判定」されるに違いない。
日本政府が、全てのフェイク行為に対して「抗議」を積み重ね続ければ、それも「ファクト」として残る。
すぐに結果が出なくても、相手がアメリカだろうがイギリスだろうが、毅然たる態度で、必要ならば有効姉妹都市提携など打ち切るという態度を取り続けることが重要だと思う。
いや、官僚集団なんて、天下りしか考えていなくて、そんな「波風立てるような面倒臭いことをしない」こともあって、明らかに抗議すべき行為に対しても、何らのアクションも起こさなかった時期もあるのかもしれないが、そんな過去のことを口にしても仕方ない、これからが大切だと思う。
あるいは、人口数万人の○×県△□市なんていうレベルになると、そのとある国の都市と友好姉妹都市提携を結んでいて、市会議員が公費で旅行したいがために、わざわざ出かけて行って売春婦像に花を手向けたりもしているかもしれない。我々からしたら、フェイクの追認だけれども、そういう裏切り者は、いつの時代だっているって。無視するしかないだろうな。人口数万人の○×県△□市のニュースに対してAIが、「重要な判断材料ではない」と判断してくれることを願うだけだろうか。田舎もんなんて、そんな程度だとAIが判断してくれることを祈る。
え?東京にもそんな都市があるの?そりゃぁ、ねぇ。所詮東京だって、「お上りさん」たちの子孫で出来てる都市だから、田舎もんの子孫の集合体でしょ?(ってことは、東京よりも大阪の方が、格が上だってなことになるのかな?いや、この発想は、あまり論理的じゃないな。)

例えば、当時のことを伝える新聞記事も、直接関係する部分だけを取り出したニュース記事をネットに流しても、いわゆるビッグデータとしてはそれほど価値は高くない。その広告を含む紙面全部を、AIが検索可能な形でネットにだす、それも、公的に信頼性の高い期間が掲示することが大切だと思う。歴史的な事実に対する信憑性の確認に対しては、周辺状況の時代背景も考慮されることになる。むしろ、そうした記事が一度でも掲載された新聞記事は、全てがネットで検索可能となることが望ましいに違いない。
一事が万事で、「事実」が大切ならば、徹底した情報公開以外に「フェイク」を追放する手段はないかも知れない。

今の段階では、全世界に対して、世界中の「人」に対して、フェイクはフェイクであることの抗議を伝え続けることが大切だと思うけれども、そうした「ファクト」は、いずれビッグデータの一部となって、「フェイク」が「フェイク」と判断されるための重要な材料になると思う。

人間は、時系列的な矛盾など気にしない。計数的な実現不可能性も気にしない。断片的な情報を総合的に繋げる能力もAIには劣るかもしれない。それでもまず、人間相手に「ファクト」を、一次資料に基づいて主張し続けて、あとは、AIに頼るしかないのかも知れない、という気がする。でも、いつか「フェイク」は「フェイク」であることが、万人に認められる時が来ると信じたい。

それにしても、と思う。国民的に「フェイク」を教育し続ける国って、一体どうなっちゃうんだろうか。AIを上回るビッグデータの処理能力を持った「天然知能」を持った国民的な英雄の登場を待つことになるんだろうか。他人事ではあるけれど。

蛇足:一旦「下書き」でアップしてから、誤植を修正しようと思っていたら、3900件の(承認待ち)コメントがついたページがあって、慌てふためいて、そのコメントを消して、フィルタを設定する作業を1時間ほど挟んでしまい、その間誤植だらけのままで、うっかりこのページを「公開」してしまっていた。その3900件のコメントは、全部バイアグラのサイトへのリンク。本当に、面倒臭い世の中になった。フェイクとか迷惑行為が横行する世界。そういうのは、とにかく一刻も早く全部駆逐されて欲しい。「過渡現象だ」と思いたいけどなぁ・・・。迷惑行為のボットを吐き続けるサイトのIPは、世界的に監視して封印して欲しい。

High SierraとTeXShop

MacOSがHigh Sierra(10.13.1)にアップデートされた。ってか、アップデートした。

また何かあるだろうなと思っていたら、TeXShopでTEX文書を開いたら、日本語対応のスタイルがエラーを起こして、pdfを生成できなくなっていた。以下、対処法のメモ。なお、TeXShopが使えていた日から、使えなくなった日(昨日)の間に何をしたかと言えば、Mac-OSのバージョンアップがあったために、これが原因ではないかと推測しただけで、根拠はありません。勘です。

(Qiitaか何かに書こうかと思いつつ、LaTeXやMacTeXなど使いこなしていないのと、これまでの使い方に自信がないので、Qiitaほど影響力のないこちらに・・・)

幸いなことに、TexShop自体にバージョンアップがかかっていたので、更新させた。それでも、pdf生成でエラーが消えない。

現在執筆中のスタイルは、jbook、jarticle。エラーメッセージで検索したら、jbookはujbookに、jarticleはujarticleに切り替えるように、TeXの大御所サイトに書かれていたので、従った。エラーは一つ消えたが、まだエラーが出る。

プログラムリストを表示させるためのplistings.styがない、と・・・。でもlistingsしか使っていない。以前トラブった時に何かで調べたら、plistingsを入れておけばOKという人がどこかにいて、それで「動けばいいや」的にplistingsを入れていたと、漠然と思い出した。そこで、plistingsをコメントアウト

\usepackage{listings}
% \usepackage{plistings}

これで、無事復旧しました。似たようなトラブルを抱えた方がいらっしゃったら、ご参考のために。もう少し、「何が起きたか、何が原因だったか」が明確に見えてきたら、こちらのページを消して、Qiitaにアップし直しますが、たぶん、そんな暇はないのでこのまま、このアップはおそらく塩漬け。

訂正

ゲーム理論を知らない人に誤解させてはいけないな、と思った以上に、知っている方に「こいつ、何にもわかってねぇぞ」と思われるのが嫌で、訂正を書きます。

ゲーム理論の基本思想は、「敵対戦略」だと思う。その条件下では「最大損失の最小化」が最適解だと書いた、そこは、おそらく間違えていない。問題は、つい、どこぞの大統領とかどこぞの第一書記(だったかな、どーでもいいけど)の顔が思い浮かんでしまって書いた「最大利益の最大化」のくだり。

基本的に、「最大利益の最大化」なんて、理論的に考える必要はないでしょ?ギャンブルで十分。穴馬狙いで馬券を買う、宝くじに給料の全額をつぎ込む、あれこれ手段はあると思うけれども、この辺は理論的に扱う必要がない領域だと思う。ただ、「最大利益の最大化」を考えると、多分に「最大損失の最大化」も起き得る。いわゆる「ハイ・リスク・ハイ・リターン」で、端的に言ってギャンブルに心血を注いでいる方々の大多数がどうなってるか、それを考えればすぐにわかる話。「最大利益の最大化」なんて、ゲーム理論の範疇にはない、ような気がする。いや、学術論文を書いてる訳じゃないから、緻密にはトレースしていないし、単なるブログですから・・・。ご容赦。

「日本にカジノを」という勢力が勢いづいているのか、この「最大利益の最大化」を考える人は、どこぞの二人の国家元首を始めとして世界中にゴマンといるから、当然のことながら、「最大損失が最大化」する人も相当数出てくるだろうと思う。日本国政府が「カジノ」を推進すると、その「最大利益の最大化」を望む方々が転落した際には、おそらく「自己責任です」と言って、政府はその人たちを切り捨てることになるんだろうけれども、そこは日本人として覚悟は必要なんだろうなと私は思う。いや、ギャンブルなんて、負けた奴がバカなだけで、救済なんて要らないと私も思うけれども、そういう人たちにも子供はいたりするからなぁ・・・。(私にはいないけど。だから気楽。いつ死んでも、誰も困らない。)ま、安倍総理に、日本人の総意は「一任」ですから。(話題が逸れるなぁ・・・)

もう、名前を出しちゃおう。トランプは明らかに「敵対戦略」に基づく「利益の最大化」を考えている。あのナスは、損得度外視で大金をかけ続けることに快感を感じる賭博場のカモ。おそらく、どちらもゲーム理論ではモデル化できるし、過去にそういう例はいくらでもあるから既に数式に乗せられるレベルに分析されているんじゃないかなぁ。共通するのは「敵対戦略」というだけで、彼らをモデルとするプレーヤが「何を最適化しようとしているか」については、既存の知識で定式化できるような気がする。
そうして、彼らを除外した残りのプレーヤが何を考えるべきか。「協調戦略」を選択したなら、お互いがいわゆる”Win-Win”の関係を模索できる、つまり「最小利益の最大化」が大切になってくる。僕が訂正したいのはこの部分で、「最大利益の最大化」は、あくまでも、トランプとナスをイメージした結果であって、そこはおそらく学問の俎には載らない。「最小利益の最大化」ならば、関係国全てにとって有益な結果を持たらす議論ができると思う。平たい言い方をすれば、「敵対戦略」から「協調戦略」に切り替えることで、「最悪の場合でも、損害はこの程度で済みます」という議論から、「最悪でも、この程度は利益が出ます」という議論に切り替えることができる。いずれにせよ、「保険」というか、「最悪」を最小限に止めるのがこの辺のゲーム理論だと思う。

相変わらず、くどいな。もういいや。通じる人には通じているだろうし、通じない人は気にしないで下さい。言いたいことは、一つだけ。「最大利益の最大化」なんて、「ゲーム理論」的な考え方ではないけれども、つい言葉を使っちゃった、というだけです。(これだけ書いておけば、きっと、玄人に突っ込まれても言い逃れできるなと、それが本音の私の心の声でした。以上。)

くどい奴、しつこい奴。

この形容詞からは、なかなか脱却できないなぁ・・・
加えて、身勝手で、ルール無視、マナー違反。いや、よくわかってます。
でも、先週については、とりあえずは仕事上の約束をきっちり守ったつもりでいます。(評価するのは、取引先の方なので、私の主観は別問題。)

学校の後期日程で言えば、月曜日が山場。4コマの連チャン。朝5時台に起きて6時台の電車。でも今日も無事、最後まで集中力は途切れずになんとか無事こなした。なんとかね、6時間意味のあることを話し続けられた。今日の授業の自己評価は80点程度かなぁ。(学生の評価はわからんが。)寝る前に、自家製の健康栄養食品を3時間程かけて作っていたら、日付が変わっちゃっていて、ぼんやりテレビを見ていたら、日テレだったかな、なんだか全然カネをかけていなさそうな番組をやってた。
若い主役が、運転免許の教習本を読んでた。

「夜は、運転するとき気をつけなければならない。」○か×か。主役が「○でしょ、」とか言って答えを確認したら、正解は×。解説が「×。昼も夜も、運転するときは気をつけなければならない。」だそうで、テレビでは、主役が「なんだよ、この、引っ掛け問題」とかぼやいていた。
これって、実際の問題なんかなぁ・・・。「○」でしょ?

これが「×」なら、「夜は、運転するとき気をつけなくても良い」が正しいことになると、私は思う。日本語の「義務」を表す平叙文の単純否定。(間違っているかも知れないけれども、「ねばならぬ」が全体で一つの助動詞だと自分的には解釈している。)もしも、「昼も夜も、運転するときは気をつけなければならない。」という解説文に誘導したくて、「×」を正解にしたいならば、問題文を「夜だけは、運転するとき気をつけなければならない。」にしなければならないと思う。(限定の助詞による文章と、全体の強調?か?)で、こんな問題文にしたら、「×」を答える人が多すぎるから、だから「だけ」を抜いたんだろうけれども、「だけ」を抜いたら意味が変わってしまうじゃない、と自分は感じた。(私の感性がおかしいんでしょうかね?毎度すみません、って、日テレのディレクタさんは同じ感性だったか。)問題文の意味が変われば当然、正解も変わる。いや、40年も運転してりゃ、わかるよ。「夜は、より一層、運転するとき、気をつけなければならない。」だったら、私ごとき、ルールなんて糞食らえの身勝手野郎にも、ちゃんと届く。加えて、もしこんな問題を入試なんかで作ったら、結構な大騒ぎになりそうな気もする。
もし冒頭の問題文が本当に「×」なら、(昔だったら)知らねぇよ、やってられっかよ、こんなもん、わかった、じゃぁ、夜は適当に運転してやる、と、私は本気で思ってしまう。っていう以上に、ムキになってそれをやったりする。(でも、夜の事故は今のところ、40年間起こしていませんが。)なんていうか、日本語って本当に役に立たねえ言語だと思う。
一体私は何を思い出したんだろうか。結構長いこと(一週間近くか?)黙って/言葉を発せずにいたのに・・・。

こういう、「カチン」と来た突っ込みを、開発会議だの、学科会議などで、騒ごうと思ったら10分だろうが6時間だろうが、延々と話し続けていられる体力と気力だけが私の自慢で・・・。(標題の件、面倒臭い奴、鬱陶しい奴、くどい奴、しつこい奴)そして・・・(中略)
冒頭の「試験問題」みたいな会議議事録というか、契約書というか、ツッコミどころ満載の書類が回って来て、バカな私も、絡んだ挙句の玉砕が2回か3回続いたら、そもそも言葉を発するのが面倒になる。そのうち、何回かは、「それ見たことか、ザマァ見さらせ」みたいな感じで、一人内心ガッツポーズしたくなるような書類が回って来たりする。そういう職場ってのは、周囲にはもっと派手に玉砕した人が山ほどいたり・・・、で、気づいてみると、辞めてる。安定した「サラリーマン生活」とは無縁な選択しかできない自分を、嫌という程自覚するハメになる。そこそこに、世間に名の通った組織を辞めたのは、もう3回。これ以上は、もう、無理だね。

そうして考えると、コンピュータっていいなと思う。本当に素直で。こちらが間違っていればそういう動作をするし、論理的に隙がなければ一発で通る。先週起きた想定外の出来事は、接続テスト用のシミュレータの借り出しで、単純に繋がることを試すはずだけだったのに、プログラムがかなりの部分まで動作してしまったことで・・・。いや、修正した自分でも驚きました。本当に、コンピュータって、素直でいいなぁ。こうなると、時々、人間を相手にするのが面倒臭くなる。(いや、まだ俺も衰えてないなと、かなり安心した。えへん。)

重いなぁ・・・今日のフラッシュバック。全てはとっくの昔に終わったことなのに、何を引きずっているんだろうか。

話は変わって、ゲーム理論。普通だったら「最大リスクの最小化」が最適解になるんだろうな、と思う。ところが、ゲーム理論の上では有り得ないけれども、「最大利益の最大化」しか考えないバカがいる。普通は「相手」がいますからね、「ゲーム」ってのは。ところが、金を持ってると、自分に不利な条件は金で潰すっていう選択肢が、現実社会では有り得てしまう。そうなるともはや「理論」は成立しない。「理論が存在しない」のが世間だと思っている人間がトップにいたりしても、現実に「ゲーム」が続く以上、「最大利益の最大化」を考えた選択肢の先には、「最大リスクの最大化」なんていう、いわゆる「最悪の結末」が待っていたりする。いや、ビジネスならそれで構わないけれども、プライドがあるから金では潰されない、っていう相手が一人でもいたら、「最大利益の最大化」なんていう選択肢は、最悪の結末を招くと思う。そこはそれ、国際政治には、実体経済が絡みついてくるから、パフォーマンスはパフォーマンスでしかない。なんだか、壊れ方まで想像できる勢いで突っ走ってるバカが二人はいる気がした。僕はもう、面倒くさいから黙ってるモード。この場合の最悪ってのは、規模の桁が突き抜けているとは思うが・・・

プレーヤそれぞれの最大利得を最大化しようと思うなら、そうした「解」に誘導しようとした時取れる手段は一つしかない。お互いのマトリックスを開示しあって、「協調戦略」を取ることしかない、と思う。いや、「ゲーム理論」でも「協調」した場合の解き方は扱っていた気がする。私が何となく思うだけじゃなく、確か理論的にそうだったと思う。
ある意味で、TPPなんてその象徴だったかも知れないし、パリ協定もそうけれども、局所最大化しか考えられないプレーヤーが一人でもいたら、「協調戦略」は無効になる。それが絵に描いたように具体化している現実世界が、何か恐ろしい。何を言っても無駄なら、何も言わない。フラッシュバックがきつい。

本当に、人間って面倒臭いなぁ。AIって、この辺をどうやって捌くんだろうか。人工知能が「なぁなぁ」を覚えて、グレーゾーンの答えを平気で出すようになったら、そんなAI、もしかして、要らないんじゃね?

追補:冒頭の「夜は、」だけれども、これが契約書だとしたら、「夜については」と解釈すると思う。つまり、「昼については」何も述べていない。だからこれは「○」だと私は解釈する。この文章から「昼についても」と解釈させることはできないから「×」なのではなく、「昼については」一切記載していないから、夜について以外は解釈しないのが正解だと思う。もしこれが契約書なら、「昼」については「注意してもしなくてもいい」と、私だったら解釈する。そもそも、この文章から「昼」を想起させるのは、「文章」の問題としてはありえない想定であって、「運転するときの心構え」として「見えない部分に思いを巡らせよ」ということならば、この文章で「○×」を問うのは、出題者の悪意しか感じない。相手がこういう契約書を作るなら、自分なら「昼」については好き勝手する。世間には悪意のある奴が多いことを知っとけ、という意図ならば、同意する。

日本語の助詞の「は」には、限定の意味「も」あるが、常に「限定」で解釈することも不適切だと自分は思う。わざとでないなら、他の解釈ができる文章は書くべきではないし、これが国家試験の問題なら、自分だったら「ゴネ」て○を正解にしろと、主張だけはすると思う。(もう、辞めましたが・・・)

あぁ、もう、なんて面倒臭い奴だ、俺は。いつまで引きずってるんだろう。

White Listと二段階認証

しまったなぁ・・・

いろんなアカウントで、二段階認証を使っている。いや、僕もそういう手法は使うし、テストを携帯でやろうとしてすぐに気付いた。White Listを皆さんが設定してしまうと、この二段階認証での「確認メール」が送れない・・・(あれ、googleさんのって、ショートメールだっけ?認証コードの送信はショートメールだ。)

どうしましょ?「携帯メールの着信可能ドメイン名として、xxxを追加して下さい。」とか、「パソコンからの着信を拒否している方は、一時的に着信可能として下さい。」みたいなメッセージを出さないと、いけないのか・・・これだけで済む?ショートメールはどうする?

いやぁ・・・、厄介な世の中になりました。ま、コツコツやります。

WhiteList: 食わず嫌いだったか・・・

「WhiteList」という方式自体が、ある意味「食わず嫌い」と言うか、「まず全てを拒絶する」方式だから、およそ新しいものを無造作に受け入れる考え方からは程遠いけれど、切り替えてみたら、さすがに効果は抜群で、再び「静穏な日々」を取り戻した。

まず、最初は自分のドメイン名などをホワイトリスト登録して、念のため、自分のPCから送ったら、無事受け取れたので、これから住所録アプリなどから、せかせかと、コピペでリスト登録して、従来通りの動作をするように(仕事関係などで、受け取る可能性がある相手のドメイン名などは)設定しなけりゃならない。ただ、とにかくあの鬱陶しい迷惑メールは完全に遮断できているから、結果オーライだろうな。

ご存知ない方のために、念のために書いておけば、以下のような手順になる。

  1. ドコモのメールアプリで「フォルダ一覧」の画面にする。
  2. 縦長なら画面右下、横長なら画面右上の「その他」のアイコンをタップし、メニューから「メール設定」を選ぶ。
  3. ドコモメール設定サイトをタップする。
  4. スマホの場合には、ブラウザの選択がある。ブラウザで「すぐに開く」をタップする。
  5. dアカウントのIDとパスワードを入力し、ログインする。
  6. 「メール設定」の画面で、「指定受信/拒否設定」をタップする。
  7. 「指定受信/拒否設定」で「設定を利用する」にチェックを入れて、「次へ」をタップする。
  8. 「受信するメールの選択」の画面で、「携帯・PHSのメール受信設定」で、受け取りたい携帯などのキャリヤを選択する。(私は、ドコモを始め、全てにチェックを入れている。)
  9. 【ここがポイント】「パソコンなどのメール受信設定」では、「受信しない」をチェックする。そうすると、携帯ドメイン以外の全てのメールがブロックされる。「確認する」をタップする。
  10. 設定内容が表示されるので、「設定を確定する」をタップする。
  11. 【ここも必要】このままだと、パソコンからのメールは全てブロックされてしまうので、「指定受信/拒否設定」をタップして画面を上記8の画面に戻す。
  12. 「受信するメールの設定」を選ぶ。タップする。
  13. 「登録済みメールアドレス・ドメイン」で、[+]アイコンをタップして個別の登録内容を編集したり、「さらに追加する」をタップして、受け取りたいメールアドレスやドメイン名を登録する。【ここがホワイトリストになる。】(私は、gmail.com, hosei.ac.jp, tokyo-ec.ac.jpとか、signalysis.co.jpとか、自分からの転送も含めて、今現在やり取りのある相手のメールを設定した。)
  14. 登録したら、「確認する」をタップする。「受信するメールの設定」の右側の大きな[+]アイコンをタップすると、一覧を確認できる。ここで「設定を確定する」をタップする。【これで登録完了】
  15. あとは、ブラウザを閉じても大丈夫。

試してから騒げばよかったんだけれども、すでに「ホワイトリスト」形式は(とっくの昔から)採用されていたんだな、と理解しました。(すみません、理解力がなくて・・・)

と言うよりも、この設定画面では

  • 受信するメールの選択
  • 受信するメールの設定
  • 拒否するメールの設定

が三つ並んでいる。説明文を読むと「個別に指定」するのが下の二つで、上の一つは大まかなドメイン名による判別。結果から言えば、明らかに下の二つの論理判定が先になり、「残り」のメールについての受信/拒否を後から行うことになる。そこの論理的な流れがこの画面からはわからなかった。そもそもが「受信するメールの選択」で「パソコンからのメールを受信しない」としてしまったら、後から「これを受信する」と個別指定しても、選択肢の中に入ってこない、と自分の中では理解してしまっていた。いや、ちょっと深く考えたら、それだと「個別指定」の意味がない訳だから、「意味がある動作」を実現しているとして解釈するならば、多分メニューの順番を入れ替えて、

  • 個別に受信指定するメールの設定
  • 個別に拒否指定するメールの設定
  • 個別指定されていない残りのメールの受信/拒否設定

という意味だとしたら、論理的には明確になって、自分的にはスッキリ理解できたと思う。でも、こう言う画面設計をすると「長ったらしくてくどい」とか絶対に文句を言われる。画面というのは日常的に使うものだから、「理解する前」のわかりやすさと、「理解した後」の見た目のスッキリ感を塩梅すると、このやたらと説明的な「見出し」は不採用になるだろうな、と理解した。無論これは「理解後」の感想であって、実際に試してみるまでは、ドコモメールの設定で、既に「ブラックリスト」も「ホワイトリスト」も採用済みだったことに気づけなかった。

日本語自体が、あまり論理的な言語ではないから、And/Orを日本語表現から的確に汲み上げるのは難しい。「また、やっちまった」感はある。ドコモさん、大騒ぎして、どうもすみませんでした。
m(_ _)m

ある意味「食わず嫌い」だった。実際に試しておいて、理解しておいてから使えば良かったのだけれども、追い込まれるまではここの設定を使い込むところまでたどり着かなかった。ブラックリスト設定では追い付かないと気づいた時点で、ホワイトリストに頭を切り替えればよかったのに・・・そうしていたら、既に実現可能なことにとっくに気付いていただろうに・・・

でもねぇ・・・、本当に私、日常的にこの類の「思い込み」はよくしている。さすがに、半世紀以上生きてくると、日常会話で相手の論理のAnd/Orを自分の中で解釈した内容が、「もしかしたら、相手の意図と違うかもしれない」というフラグが立つと、「すみません、今のは、こういう時はこうするけれど、この条件の時はこうしなくてもいいという意味ですか?」と確認して問い質す習慣がついてきた。「はい、そうです」という返事よりも、「いや、そういう意味じゃなくて・・・」という、返事の方が多い気はする。相手の使った日本語表現を自分が論理的に解釈した内容が、相手の意図とは違っていることが、結構な頻度であることがわかってきた。

そうなんだ、こうして過去、数え切れないほどのチョンボをしてきたと、今更ながらに気づいている。論理的に考えながら言葉を使う人って、あんまりいませんしね。僕には理解力がないという自覚の欠落も、あったとも思う。

とにかく、こうして私の携帯メールは「ホワイトリスト」に切り替えました。おそらく、もう二度と彼らの迷惑メールに悩まされることはない。

「まず全てを拒絶する」という考え方自体、あんまり好きじゃない。だけれども、結果の「効力」を考えたなら、このご時世、仕方ないのかも知れない。現実に、あの迷惑メールがピタッと止めることができた。

その代わり、過去名刺交換させていただいた会社さんたちの、会社ドメインからのメールは、改めてホワイトリスト登録しなければ、一切受けられなくなる。だけど、新たに何か関係ができるなら、最初はパソコンにメールが入るだろうから、多分問題ないだろうとも思う。そして、今後新規に付き合う会社さんとも、携帯メールに連絡をもらうような場合には、個別に会社のドメインをホワイトリスト登録していくことになるんだろうなと思う。120件という件数の上限を使い切るくらい、今後頑張っていこうとも思った。

過去2週間ほど、アドレナリンが出まくっていたのが、急に出なくなったのか、力が抜けてしまって、午前中猛烈に眠くなって、事務所のソファで眠っちゃった。なんだかすごく、スッキリした。でも、力も抜けちゃって・・・別のアドレナリンを出さないと・・・

White List対応の電話帳アプリが欲しい!

相変わらず、携帯メールのゴミを通報して消し続ける日々。中身を見ずに済ませられるなら、単純作業なんだが・・・文面が視野に入ると、気が滅入る。腹が立って来る・・・

大学教員時代に卒業生との連絡手段として唯一残ったのが携帯メールだったりしたので(卒業してからも、携帯を通じてやりとりがあった卒業生、特に千葉の初期の卒業生のアドレスはまだ残っている人が多いのだけれども・・・)病院実習対応で登録しただけの人たちは一気に消してしまったから、相手はこちらのアドレスを知っているけれども、こちらは相手のアドレスがわからない、という状況がある。「登録がない相手は全てブロック」という「ホワイト・リスト」方式には、あまり切り替えたくなかった、けれど、もうさすがに連絡が来ることはないだろうな、と思った。Facebookに登録しているから、携帯メールはホワイトリストに切り替えよう、と決めた。卒業生からのメールが受け取れなくなるのが嫌だった。けどね、単なる感傷で、来やしねぇよ。(この言い回しは、この辺の方言か?)

で、ホワイト・リストを登録して、残りは着信を拒否しようと思ったところが、やっぱり結構な登録件数があって、昔お世話になった方々とかもそのままのアドレス帳。今の「登録」方法は、かなり面倒だ。WEB経由、パソコンを使えば早い、とは言っても、一件一件開いてはコピペになりそうで・・・、はっきり言って、面倒臭い。数百件あるもの。Line?僕は使ってません。

という訳で、思った。ドコモ携帯(スマホ)の住所録アプリで、一つ「着信可」のチェックマークを追加で入れられるようにしてもらえないかなぁ、なんて。そして、スマホの住所録と、ドコモのメールサーバを連動させてもらって、スマホの住所録で「着信可」になっていない相手からのメールは、自動的に全部ブロックするように、できないか。最初にスマホのアプリをアップデートした際に、デフォルトで登録がある相手は自動的に「着信可」になるようにしてもらえると、普通に、自然に使っていて「登録」すればその相手とは、メールを送れるし、少なくともこちらでは受けられるし(相手が受けてくれるかは別問題として・・・)携帯メールのホワイトリスト化がスムーズに進む。と思った。

そうなってくれたなら、少なくとも、今日も既に40回以上「通報」した(これでも、ずいぶん減った気がする)ような、ゴミメールは入らなくなる。

メールアドレスを変更しなければ迷惑メールから逃げられない、なんて、そんなのはおかしいと私は思う。だったら、どうしたらいいか、その答えの一つとして提案して見た。要望ですけどね。何と言うか、(ずいぶん昔の)盗聴されていた頃の癖で、部屋で独り言をつぶやきさえすれば、それが相手に伝わると言う、逆の意味で言えば「便利さ」を経験しちゃったもんで、ドコモさんに直接連絡を取って「提案」しなくても、自分のブログに書いておきゃいいかな、なんて、実に物臭な発想でした。

それにしても、僕は「ホワイト・リスト」なんて使わなきゃならない時代は嫌いだな。「ブラック・リスト」(どうしても、と言う相手は拒絶するけれども、それ以外は基本的に全員受け入れる)方式で済んでいた時代は、良かったなぁと思う。

おそらくは、ほんの数名の、拠点を海外に移してまで迷惑メールを使った詐欺ビジネスを続けている、とてつもなく迷惑な人たちのお陰で、閉鎖的にならざるを得ない、世の中がどんどんと閉鎖的になっていく。嫌な時代だ。「拒絶の論理」が世間に蔓延しちゃったら、嫌だなとは思うけれども・・・

そして、憂鬱なのは明日からの連休だ。連休中は、通報しても通報しても、一向にブロックされなくなって来る。ドコモとかの担当者さんたちがお休みになるんだろうなぁ・・・。激しく憂鬱。

NTTドコモさんに、追加のお願い[White List方式]

前回のお願いを書いたら、すかさず「アップデートのお知らせ」入った。まさかね、お返事をいただいたのか・・・偶然だと思うけど。

で見たら、「IMAP接続で、パソコンでもドコモメールをご覧頂けます」と。う〜ん、自分でアプリを書いて、IMAPであらかじめドコモの携帯メールを全部パソコンで処理させて、不要なメールを削除してから携帯に入ってくる必要な連絡を自分で選別しろ、とか、そういうこと?疲れる。そもそも、そうなっちゃったら、「携帯」メールも「パソコン」メールも、区別がつかないな、というよりも、スマホになった時点で「パソコンメール」が「携帯」で処理できるから、違いがほとんどなくなったのかも知れない。

結論から言えば、PCメールと携帯メールとで区別をつけるとしたら、携帯メールについてはWhite List方式を選択できるようにして欲しい。現在はBlack List方式で、すべてのメールを受信するが、ブラックリストに登録されているアドレスだけ弾く。これでは、明らかに対応できない。ホワイトリスト形式にして、原則としてすべてのメールを遮断するが、予め「ホワイトリスト」に登録しておいたメールだけを携帯で受ける。これなら、簡単に対応できるのではなかろうか。

書いていてふと思った。あれ?もしかして今のままでも「ホワイトリスト」は使えるのか?と思った。「受信するメールの設定」の登録がある。ただ、「パソコンからのメールも受信する」の設定があると、基本は「ブラックリスト方式」になるみたいで、やはり「原則全部ブロック」は登録できないような気がする。というか、設定のAndとORの条件がどうもよくわからない。携帯でパソコンメールを「受けない」設定は、私の使い方では選択できない。

携帯電話(スマホ)は、その性質上、常に携帯していなければ「業務上」とか「使い方」として意味がない。常に携帯しているところに連絡してくる相手は、一般的には既知の相手が大半のはずだから、ホワイトリストを採用する弊害は少ないと思う。相手の携帯アドレスなども簡便にスマホに登録できるならば、つまり、その場で新規の知人/取引先をホワイトリストに登録できるように、例えば、赤外線か何かで簡便にホワイトリストの交換ができれば、原則的な手法として普及しないか?

ひどい話で、ついさっき、18:30頃から、最頻で一分間に5通くらい、ドコモのフィルタをすり抜けたメールが入っている。「開いて、通報ボタンを押して、OKを押して、送信ボタンを押す」という操作をしている間に、次のメールが入ってくる。メールを開く度にあの「オマ×コ全開」だとか「なぜあなたは2億円を受け取ろうとしないんですか」とか、気が狂いそうな文面が視野に入ってくる苦痛!勘弁して欲しいなぁ。結構我慢強いつもりだが、やはり限界がある。ドコモさん、慰謝料払ってくれない?2億円程度でいいから。

付き合ってらんねぇ。ドコモさん、本気で対応を考えてくれてるの?と思った。それよか、あいつら一体いくら設備投資してるんだよ。アプリケーションサーバを動かしてないなら、ドメイン名の取得なんかほとんど金がかからないから、ゴミメールをブロックするのは簡単なはずなのに、脅迫用のアプリサーバにロードバランサか何か入れて、飛び先のIPを散らしたんだろうか、だとしたら、かなりの額の設備投資とか、IPの取得をしていそうで、全部のパターンが出尽くすのにまだしばらく時間がかかるだろうし、設備投資分を回収するまではそれこそ、一日1億通くらいの迷惑メールを撒き散らし続けるんだろうな。

こうなったら、携帯メールで「ホワイトリスト」を採用してくれたら、あるいは、もうちょっと設定画面をわかりやすく「原則全部ブロックで、受け取るメールをここに登録してください」的な、もう少しわかりやすい「設定画面」に作り変えてくれたなら、助かるのにと思った。

根負けした。なんというか、今、本職の仕事で結果を出さないと、後がないから、こんなことで無駄な時間を使いたくない。暇があって、金がいくらでもあるなら、徹底的にメールを分析して、場合によってはどこかのシステムに侵入してでも、相手の首根っこを押さえたい。だけど、とにかく時間を無駄にしたくない。それに、理由があって、僕は今のメールアドレスは絶対に変えたくない。だとしたら、答えはホワイトリストしかない、と思った。

NTTドコモさんに、二つのお願い

数年前に、スパムに悩まされた時に、本気で頭に来て「叩き潰してやる」とか思いながら、このサイトを立てた。

迷惑メール撲滅! 博物館

ドメイン名で追いかけても埒が明かないけれど、IPに正引きして、そこから逆引きする、さらには、メール本文中にあるリンク先のドメイン名から、リンク先のIPを正引きして、同じIPに誘導しているメールは全部ゴミとして扱えば、かなりブロックできるはずだ、と埼玉県警にメールを出して、果たして、私ごときが何か書いた内容を真剣に考えてくれたかどうかは別にして、(きっと、他に、同じことを思いついた人が、おそらくいただけの偶然だとは思うけれども、)その後に劇的にブロックされて、私はメアドを変えずにいて、一切逃げなかったのに、敵の侵入をブロックできるようになった。あれから3年かな。

2週間前から、かなりのメールが入るようになった。今日も、100通は、ドコモとシマンテックに通報したけれども、なかなか減らない。ブロックされたり、推測するに、(今回は)ドコモさんも頑張ってくれているみたいで、おそらくブロックしてもらっているメールを含めて、私宛に送り出された携帯迷惑メールは一日概算300通にはなっている思うから、三分の二はブロックしてもらっている。ありがたいのだけれども、今回は敵も相当に本気な気がする。

まず、最初のお願い。極めて、短期的な視点でのお願い。
今現在の迷惑メールの「通報」の操作は、メールを開いてから「迷惑メールの通報」を選び、「ドコモとシマンテックに通報」が表示された後、「送信」ボタンをおす、という手順になっている。ここ2週間、毎日この操作を100回は繰り返しているけれども、ここのところ、「一括」にできませんかね。そもそもが、メールの一覧の見出しを見ただけで、これは迷惑メールだって、そもそもパターンが一緒だから、いちいち開かなくても、一目でわかる。一気にチェックマークを入れて、一括で「ドコモとシマンテックに通報」を選べたなら、手間もだけれども、時間だって一日で20〜30分程度は解放される。Windowsのアップデートに関しては、もう文句を言う気もないけれども、ドコモさんに勤めている程のSEさん達なら、テスト工程まで含めて、コード量にしてトータル200行にも満たない程度の修正で、対応できませんかね?ベテランのSEさんなら、2時間か3時間で、動作検証のテストまで含めて対応できる範囲じゃないかと思うんだが・・・是非とも、お願いします。毎日、毎日、僕らは鉄板の・・・じゃなくて、ひたすら通報するのに、さすがに2週間続くと、結構疲れて来ている。
ブロックは無理でも、通報を容易にして下さい。

二番目のお願い。こちらは、結構話がデカくなる。

ICANNにはその権限はないのかな?迷惑メールにしても、犯罪的なトラフィックは、ハッキング2割で、「迷惑メール」経由のターゲット情報抽出が8割、とかいう比率じゃないかなと、ざっくりと思う。(根拠はありません。)
その「迷惑メール」は、トラフィックの障害にもなるし、ユーザからもプロバイダからも、「共通の敵」ではありませんか?
結論から言うならば、メールの「手数料」を、単なるパケット単価などとは別に、あくまでも「メール」としての「手数料」で、業界全体で設定できないか、と言うお願いというか、提案です。

その、メールの文面。「あなたが誰かは知らないけれど、2億円を受け取って下さい」だとか、(すみません、この後18禁です・・・)「おマ×コ広げて待ってるから、あなたが誰でもいいからすぐに連絡して」とか、こんなメールを真に受ける奴が一体いるのか、とか思うんだけれども、それこそ、一万人に一人とかは、本気にしちゃって、カモになる奴がいるから、あいつら(迷惑メールの送出ビジネス)も、ビジネスとして成り立ってるんだろうな、と思う。それもこれも、(インターネット接続を含めた間接費を別にして)「電子メール」が只で送れるからだと思う。

ここに、電子メール一通あたり0.005円でもいいから、全世界共通で課金できませんか?と思う。
例えば、僕のところに入ってくる、おそらくは、ドコモがやシマンテックがブロックしてくれている分を含めて、一日500通くらいは送って来ていると思う。それをすり抜けた分が、一日に数十通。一日0.005円でも、僕のところだけで、一日に2.5円。
その「オマン×コ広げて待ってます」だとか「2億円受け取って」だとかを真に受ける×ホが、一万人に一人いたとして、それでビジネスが成立しているとしたなら、彼らのサーバは、 一日に最低でも500万通、もしかしたら数千万通のメールを送り出している。それを1千万通として試算して、一通あたり0.005円の課金でも一日5万円。一ヶ月で150万円。(ビジネスとしたら、案外、大したことないかな?)
でも、直接的な「経費負担」が大したことないとしても、「無料」ではなく、「メールサーバ提供会社」からの請求に対して、支払わなければ遮断するという措置があるならば、口座引落なら実態のある銀行口座が突き止められるし、日本で言うところのコンビニ支払いみたいな形でも、監視カメラの記録から警察捜査の対象として調べやすくなると思う。彼らにとっては、「実体経済」の支払い窓口に出向くこと自体が、リスクになる。

仕掛けられるトラップは、片っ端から仕掛けて欲しい。彼らは、実態経済を脅かすランサムウェアのターゲットの情報をこうした「迷惑メールの大量送出」から得ている可能性が多いと思えるし、迷惑メールに紐をつけることで、ランサムウェアの実行主体を特定する糸口にもできるような気がする。

じゃぁ、真面目な会社にとってはどうか。そもそもが、郵便手数料(郵便には、国際的な協調業務の機関があったと理解しているけれども、)に比べたら、電子メールなんて0.005円だって、コストは郵便の一万分の1だから、僕なんかが、本気で電子メールを仕事に使っても、一日あたりは数円で収められるし、社員一人当たり数円から数十円が負担になるほどの会社なんて滅多にないんじゃありませんか?

ぜひ、ご検討いただけるなら、嬉しい。

パラダイス

Windowsはもうダメじゃない?と、作っていて思うことがある。
Java, ruby, pythonで仕事をしていて、あれこれ検索すると、プログラマ向きに出てくるのはQiitaとか、StackOverFlow、あるいは個別に有名なプログラマのブログなど。特にQiitaなどは「この記事は、1年以上が経過しています」とちゃんと表示が出てくるし、StackOverFlowや個別のプログラマのページでも環境については明記してくれているのに、Windows系の場合にはそれこそ、Windows 98の頃の記事がWindows 10の記事とほとんど見分けがつかない感じで表に出てくる。
そりゃ、多少は僕にも予備知識があるから、「これはかなり古い」とかある程度見分けがつくけれども、今や「エラー」を量産するサンプルが堂々と、識別できずに検索されてくるのには辟易する。一言で言わせてもらえば、Windowsはとにかく古い。
かと言って、rubyやrailsなど、とにかく変化が激しすぎる。どっちもどっちだけれども・・・でも、10年一昔どころではい、3ヶ月ひと昔っていうのは、実感かも知れない。Windowsですら、いきなり始まる「更新」の頻度を体感していたら、3ヶ月ひと昔は、ご理解いただけると思う。
でもね、スマホ(iOS、Android)やWEBアプリ(LINUXなど)より、何よりもWindowsが好きなのが、おじさま方で・・・。

ただね。Windowsのコードを触らせていただいていて、なんだかとっても懐かしくなった。BorlandではなくてVisual C++なのは、ちょっとミソがつくけれども、しばらくエラー潰しをしていて、何となく感覚が戻ってきた。

ふと外に出たら、月が出ていた。台風、まだ通過してるんでしょ?NHKは大雨だって言ってるんだけれども、この辺はもう雨は上がった。こうして、ふと、一息つくのに外に出て月を見上げられるのが、とても心地よい。ただ、今日はもう、あがる。疲れた。

小川町の駅そばの「なおちゃん」で、「ランナーズ・パラダイス」だとか「ウォーカーズ・パラダイス」みたいな話を(酔った勢いかなぁ・・・)した、という話を書いた気がする。走るのも歩くのも、どっちも気持ちがいい。僕はエピキュリアンかも。(ギリシャ哲学の「快楽主義」は、本来は飲食性欲などの肉体的な快楽ではなく、精神的な充足を表す言葉だったと理解しているんだが・・・)間違ってたら、すみませんの一言で済ませます。済みません、済ませます。
走るのも歩くのも趣味。仕事はプログラミング。で、できれば「プログラマーズ・パラダイス」が作りたい。何となく今、そんな感じで仕事をしているけれど、ふと煮詰まった時に、アウトドアみたいな、キャンプ場のコテージに籠っているみたいな気分で仕事に集中できる場所で、不要な情報は時に遮断してロジックだけに集中したい、と、同時に、外の景色や空気で癒されたい。そんな仕事場を「提供」する側になれないかなぁ、なんてことを思った。
同業者に興味を持ってもらえなかったら意味ないんだけれども、プログラマーに限らず、デザイナーなんかでも同じかなぁ、切り分けが欲しいんですわ。チームで仕事をしていれば、仲間と「ああでもない、こうでもない」という議論ができる場所も欲しいし、机を並べて突き詰める場面も欲しい、その一方で、「今から三日間、籠ってロジックを書くから」っていう時に、上司からの電話すら遮断できる環境は欲しい。(文学系の作家みたいなものか?)そんな時に、バンガローみたいな場所でマシンと向き合って、側にはすぐに眠れる場所があり、腹が減ったら出前をすぐに頼んで、片付けを気にしなくていい食堂があって、あるいは、タクシー呼べば、小川にも玉川にも結構いい温泉がある。疲れたら、木陰で、本当に(整備された)山の中で鳥の声や虫の声を聴きながらぼんやりして、また、マシンの前に戻る・・・と、そんな仕事環境が作れたらいいな、なんてことを、ここんとこ思っている。(いや、半分それに近いところで仕事をしてるが。)
大手町の「シェア・オフィス」も、あれはすごく魅力的だ。大都会で、同業者と接することができて、それはそれで新鮮な刺激だけれども、多分、両方欲しいんだ。今日は大手町。今日は小川町みたいに、大都会と、自然の中とを行ったり来たり、荷物の移動とかあまり気にせずに、気軽に使える「コテージ・オフィス」みたいな、とにかく「他人から自分を遮断して、設計に集中できて、なおかつ、リフレッシュできる空間が隣にある仕事場」の方を、作れたらいいな、と思っている。気持ちとしては、半分くらい、「有限会社シグナリス」の仕事場は、そういう場所を作れるところまで頑張りたい。(目標は、欲しいもんね。)さらに枠を広げて、「クリエーターズ・パラダイス」みたいな感じで、NPOを立ち上げて、小川町に「受け入れぐち」を作れたらいいんですけどね。
(いや、たぶん、越生町だったか、毛呂山町だったか、日高市だったか、あの辺で、武者小路実篤さんとかが立ち上げようとした「理想的な村」も、それに近いコンセプトだったのかも知れない。この辺は、とにかく、そういう気分にさせる自然がある、ってことは、先人のお墨付きなのだろうと思う。

「村」というよりも、自分にしっくりくるのは、パプアニューギニアの「ワントク」かなぁ。(説明するのが面倒臭い、文化人類学系で、パプアニューギニアを検索してみて下さい。)同族、同部族、厳密に言えば同一言語族による助け合い社会。これが「社会」の原点だろうと思った。その大元は「家族」かも知れない。助け合い社会。(昨今は、「家族」内でも助け合いが成立しなくなってたりするから、話が面倒だけれども。)それが、「村」では収まりがつかなくなって、(途中をすっ飛ばして)今の「国家」に落ち着いた。ところが、もはや、「情報」という「巨大潮流」に流されて「国家」すらも小さくなっている。言わせてもらえば、「国家」にこだわったら、もはや次に進んでいけないと思う。いや、Windows全盛の世界で、人類の大半がどれほど保守的かはわかってるし、「安心なのはWindows、安心なのは自民党」も、わからんではない。けど、今話題のAI(人工知能)は、Windowsは必要としない。古い概念にこだわっていたら、「情報化の波」は乗り越えられないと思う。何が言いたいか。「独立」に関する話題です。昨日今日でいうならば、カタルーニャ。既存の「国家」を「Windows」に置いた。

大切なのは、アイデンティティ。「文化的自我」ってなやつだろうか。それと、「社会」との接点の調整なのだろうと思う。いいじゃない。「国家」がどれほど細かくなったって。最後は「個人」にまで落ちる。
国連が定める基本的な「人間」としての最低基準は、「衣食住」に加えて「教育・労働・医療」が加わった6本柱だと思うけれども、「国」がカバーしきれなければ、「EU」とか「ASEAN」とか、拡大地域連合がカバーする。そこがカバーできなければ、最後はUNがカバーする。当然、上にいけば行くほど、EUにしたって、UNにしたって「責任を持て」ってな話になるんだろうが、できなきゃ、「公的な手続き」をすっ飛ばして、国際NPOなんかに責任を任せたって、いいじゃない。「これこそが大事だ」と思う人たちが、指図されずにNPOをバックアップする。そんなことをしたら、世界が不安定になる?って言われそうだが。

システムは、不安定(unstable)だからこそ、外的撹乱(external disturbance)に対して、より堅牢な(robust)安定性を確保できる制御(control)メカニズムを持てる場合があるし、例えば、SonyのWalkmanなんていうのはそういう設計思想で作られた画期的なデバイスだったと自分は理解している。

もっと、NPOとかに任せてしまったらいい。一般人は、相手が「国家」によって権威付けされた超国家的組織(Super National Organization)である国連なんか以上に、国境なき医師団だとか、少なくない数の国際売春/買春被害者救済NPOだとか、そうした国際NPOに、信を置いていたりする。「国」にこだわるのは、頭が固すぎるんだ。

「戦争」だけは、絶対にやめましょうね、と。あるいは、戦争で使われる「道具」の供給を遮断することの大切さは、きちんと理解しましょうね、と(安倍のバカや、金儲け主義の商社、公明党なんかには、それが通じない)地獄に落ちそうなあのへんは放っておいて、人間として一番大切な(殺し合いはやめよう的な)共通認識だけ、(日本がそこから除外されるのは寂しいけれども)世界的にも共通認識を熟成していって、もっと自由に、「民族」が、「言語族」が、そして最後は「個人」が、世界中で安心して生活できるような社会を構成していって欲しいなと思う。(今更だけれど、日本人の多数は、「核兵器禁止に反対」した。悲しいね。)
具体的な平和共存環境の構築なんて、誰がやったって、いいじゃない。UNとか、ノーベル賞の誰とかじゃなくて、NPOでも、無論どこかの国の最高責任者でも、あるいは、YouTubeでたまたま有名になったどこかん若い子でも、誰がやったっていい。こだわるなと思う。世界を一つにして欲しい。

僕は、小川町に、「ランナーズ・パラダイス」とか、「クリエーターズ・パラダイス」が欲しいから、(いや、ただ単に、途中3km以上、コンビニもトイレも水場もない区間があったから、その時に思っただけだけど)本業で稼げたら、自前でNPOを立ち上げたい。ハイキングコースって言ったって、自力サバイバルのハイキングだから、「安心して」のおもてなしじゃないし。町が本気になってくれたら嬉しいけど、だいたい僕は、政治とか、上司とか、そういう「上」の方に頼った時点で負けだと思ってるから、基本は自分でやりたいと思っている。どうせ、聞く耳持たれたことがないし。(だけど、誰かに先を越されても、どうぞどうぞで、怒る気はありません。)

という、「仕事環境」の「パラダイス」は、目的じゃないんだよな。
僕が、一番やりたいのは、「心臓発作の予知」で、これは、学位論文のテーマでもあったし、数十年、ずっと掲げていた看板でもあるし、死ぬ前にこれだけはなんとかしたい。でもね、仕事はしやすい方がいいから。

いや、僕がやらなくてもいい。今や、主導権はコーリンからOmronに移っちゃったのかな?トノメトリは優れた技術だと思う。あれを完成させたら、心臓発作の予知の精度は、かなり高まると思う。だから、できる人がいるなら、誰かがやってくれたらいい。
でも、誰もやらないなら、いつか、きっと、「有限会社シグナリス」で、Omronの技術責任者を口説き落として、トノメトリを完成させるために、有限会社シグナリスとの共同開発にご協力いただけるように、「耳を傾けてもらえる」程度に、会社をしっかりしたものにしたい。

本当に、もう、30年前の敵討ちです。気の長い話。

「パラダイス」の妄想をしてしまった。お月様をみて、今日の仕事の整理をして、気持ちを少しリフレッシュして、目の前の、今windows環境で引き受けた仕事を頑張ろう!

松山千春さんのOn the Radioが始まったから、仕事を打ち切って、そのうち、自分も言いたいことを言いたくなって描き始めたけれども、え?もう2時間半経っちゃったのって感じ。授業2コマ分近く、ブログを書いていたんだ・・・。毎回毎回、すみませんね、長文で。ごめんなさい。疲れた。寝ます。(でも、自分だけは、書きたいことを書いてスッキリした。)

のんのんびよりの聖地 – 下里分校

パプアニューギニア関連で知り合った方と、今日再会した。
厳密に言えば、弊社社員の松尾くんが、パプアニューギニア(以下PNG)で知り合った元國學院大学教授の大崎先生が今小川町に住んでいらっしゃることで、接点をずっと持っていて、再会のアポを取って、お会いする場に、便乗したということです。僕自身も15年近く前に、PNGの関係の話題でお会いしたことがあったはずなんだけれども、細かい記憶がなかったところが、お会いして一気に思い出した。小川小学校の下里分校でお会いした。

農業経済の関係なら、確か、本郷三丁目の飲み屋で知り合った東大のM先生とか、もうお一方(名刺を見ないと名前が出て来ない)X先生とかも、下里の有機農業は日本国内で有名どころか、海外でも知られている存在、らしいのに、行政の認知度が低いみたいで・・・それはさておき。

大崎先生は今、金曜日はボランティアで「下里分校」の管理を担当されている。
その「小川小学校下里分校」が、なんだか今、アニメの「のんのんびより」の「聖地」になっているらしく、土日には50人くらいの方が訪問してくれるらしい。大崎先生がおっしゃるには、ほとんどが若い男性で(僕もそうだけれども、大崎先生も元大学の先生だから、多少は今の20代の人たちの生態がわかるつもりでいるけれども・・・)女子はほとんど来ないらしい。それを聞いて、なんとなくどんなアニメか想像できた気がするけれど、改めて、TSUTAYAでコミックを借りて、アニメもレンタルして、一通り頭に入れとこうかなと思った次第。

僕の記憶では、子供の頃「下里分校」に泊まった記憶がある。子ども会の「夏休みの合宿」の行事で、下里分校に泊まり、飯盒炊爨でご飯を自分たちで作って、教室に雑魚寝した。しっかりと当時の景色を覚えている。そこが「アニメの聖地」だなんて・・・。そこで寝泊まりした僕!いいでしょう!羨ましいでしょう!ってな感じの観光ビジネスアピールを、ビジネス感覚のある人ならするんだろうけれども、町長にはビジネス感覚はないんか・・・。(すみません、赤字続きのたかだか有限会社の社長がこんなこと書いていて・・・)感性だけは、結構持ってるつもりなんだけれどなぁ・・・伝え方が下手だから。

いや、小川町を活性化したい。こんな「アニメの聖地」があるとは知らなかった。ヤオコーとかシマムラが小川町の出なのに本拠地を外に持って行ってしまった今、これはとっても嬉しい話だ!ということを、小川町役場は自覚できていないらしい。いや、現町長の悪口をあちこちで聞いちゃってるもんだから、事務屋の責任じゃないとは思うけれども、使えるものは使わないと、勿体無い。と言いつつ、予算折衝は大変なんだろうなぁ。

とにかく、何よりも大崎先生と今日、再会できたのは、松尾くんのおかげ。記憶とか、人との接点なんて、「改めてお会いする機会」とかがないと、よほどインパクトの強かった相手でなければ、どうしても薄れてしまう。PNGの話が通じて、かなり思い出すことができた。國學院の先生と聞いて、「あれ、もしかしてお会いしたかも」と思いながら松尾くんについて行って、思い出した。親父も先生とはお付き合いがあったみたいで・・・

下里の有機農業の金子さん。世界的にも有名な方だと、東大の先生(農学部のM先生だったか、農業経済の先生だったか、どちらに教えていただいたのか忘れたけれども、なんせ、接点が飲み屋ですから・・・)から聞いてはいたけれど、どうバックアップするんだろう。「町おこし」なら間違いなく「起点」にはなり得る。
「アニメの聖地」なんて、降って湧いた幸運。活用しないのか。

前にも書いたかもしれない、駅からは数分歩くけれども、「ほぼ」駅前の串カツ屋の「なおちゃん」で、常連さんと話をした際に、酔った勢いで口にした。「小川町を、ランナーズ・パラダイスとか、ウォーカーズ・パラダイスに、できませんかねぇ・・・」ってな話。ほとんど排気ガスを吸わずに、川沿いを走り続けられるルートが、小川町内にはいくらでもある。ただ、走ったり歩いていたりして欲しいのは、「休憩場所」で、時として、トイレを探したくなることがある。夏場のクソ暑い時には自動販売機や、ベンチや、水飲み場が欲しくなることもある。そんなに設置費用がかかるのかなぁ・・・。これ、結構少ない。2.5km、途中に全く自販機も何もない、なんていうルートはいくらでもある。ここでね、いざっていう時に寄れる場所があると、走っていて安心できるなと思った。加えて、外から走りに来てくれるなら、駅前のどこかに、ロッカーとかシャワー設備も・・・。さらに、走り終わって、ちょっとお腹が空いたなっていう時に、受け皿になる飲食店のマップも・・・。(情報を整備すれば、地元にお金が落ちるコアにならないか?)なんて思ったんだけれども、こうしたビジネスセンスのあるヤオコーとかシマムラの方々は、みんな町から出て行っちゃった、ってか?実力がねぇからな、俺。で、こうしてネットに書いちゃってると、お隣の寄居町とか、嵐山町に持っていかれるかも。でも、それでもいいと思って書いてる。僕は、安心して走れればいい。嵐山とか寄居が整備してくれたら、小川でなくてもいい。

生まれて育った町だから、僕は小川町が好きなんだけれども・・・。とりあえず、ツタヤでコミックスとアニメを借りようと思った。

最後に言い訳だけれども、久々に請け負った「まともな」仕事はWindows環境。夜、事務所から自宅に持ち帰って作業しようと思って、ノートPCを用意していたんだけれども、昨日の午後3時くらいに電源を入れたのに、「更新中だから電源を切るな」とか言われたまま、日付が変わってしまって(ってことは、もう9時間以上か、)延々とシステムの更新画面が出ている。今夜はもう、仕事を諦めてた。肝心な時に自分のメンテを理由に仕事をさせないWindows、そりゃぁ、Windowsなんて使っていたら、パフォーマンスは落ちるよなぁ。「だって、Windowsを使ってるんだから、納期が遅れても、仕方ないって、わかってもらえませんか?」なんて口にしたい私でした。

二重基準

懸案のソフトが一つ、とりあえずデモンストレーションできる程度には6割方仕上がった。学生の点数でも6割ならとりあえずは合格点だけれども、6割で喜んでいたら仕事にならない。10割が無論原則。
これで、なんとか「自称システムエンジニア」の面目が立つか。

この「自称SE」だけれども・・・、随分昔、社会人になりたての頃、勉強して「特種情報処理技術者試験」なる試験を受けて、合格した。(特殊じゃなくて、特種です!)転職の際に、この資格を持っていると主張した。情報系の会社だと、この資格を持っていたら2万円くらいは基本給が違う、という話を聞いたことがあった。バブルの頃だったけれど。
ところが、上司とか同僚の反応は、「資格を持っているっていうのと、実力があるってのは、全然別問題なんだよね。」だった。なんだかガッカリした。
そうこうしていたら、その半年くらい後、その一言を口にした同僚が、嬉しそうに「この間、ME(医用工学)2種」の試験を受けて、受かったんだ。」と言ってきた。なんだよ、資格とか検定に受かるのと実力があるってのとは、別問題だと言ったのは、あなたでしょう、と言いたかったけれども、さすがに口にはしませんでしたが・・・自分のこととなると、話は別、なんだよな。

ある意味わかるのは、「技術」と「知識」は別物だ、という点。そう言えば、以前大学教員だった時に、こんな話をした。「技術は優れていて、知識も完璧だけれども、心が伝わらない、自分の辛さをわかってくれない医者(A)と、とても優しくて安心できて、技術もしっかりしているけれども、知識がおぼつかなくて誤診が多いという噂の医者(B)と、入院していると気配りが細かくて優しいし、知識もすごいと評判なんだけども、不器用で手術中によくミスをしているらしい医者(C)と、医者にかかるなら、あなたは誰を選びますか?」なんていう問いかけ。言いたいことは単純で、「技術」と「知識」と「心」の、どれが大切、ってな話でした。医療の現場は「技術系」だと思うけれども、技術/知識/心の三つは、どれも欠かせないんだろうなと思う。ってな話を何度かしたけれど、聴いて欲しい奴は隣と何やら夢中になってて聞いてないし、一番聞いて欲しい奴(ある意味、目をかけているのに本人わかってなくて残念な奴)になると、そもそも教室にいない。
何の話でしたっけ?そうでした、私がME2種を受けなかった言い訳。今にして思えば、「知識」も大事。

で、若かった僕は、意地でもME2種なんか受けてやるもんか、なんていう妙な意地を張ったんだけれども、結局きちんとした勉強をしなかったおかげで、損したのは自分だったかも知れない。あの頃は、若かったなぁ・・・っていうか、そういう視点では、今でもまだ若いかも知れない。(さらに、濁点がついたりする。まぁ、日本人の耳には、VとBは聞き分けられないことにしておいてもらって・・・)

話がとんで、プーチンさんが、国家の独立に関して「欧米はダブル・スタンダードだ」と発言していたらしい。私もそう思う。ご都合主義だ。論理的、客観的に明確な「独立容認」の基準が存在していない。で、野蛮な人たちは、最後は武力を持ち出して独立派を殺すことで領土を維持しようとする。いつまで経っても進歩のないのが人類。自分たちが独立しようとした時と、その内部が独立したいという時とでは、基準が完全に異なっている。

さらに、話がとんで、もっと言えば、主題からも離れそうなくらいに話が飛ぶが、習近平主席の演説の中に、「漢民族の団結と、国家の一体化」という一節があったと思う。(仕事しながらのラジオだったので、細かいところは覚えていないが、聞いた瞬間、論理矛盾を感じた。)中華人民共和国は、漢民族の国家ではないでしょう?漢民族が多数派だけれども、国家全体が漢民族だという訳ではない。漢民族としての独立国家だと主張したいのならば、チベット族も、ウイグル族も、別の国家だと見なすべきだ。それなのに、チベット族も、ウイグル族にも、「あんたらは漢民族だ」と主張して独立を容認しない、ということが成立するならば、かつて大和民族が漢民族を「あんたらは大和民族だ」と主張して併合した事実も、容認されるべきじゃありませんか?いや、細かい論陣は展開しない。暇があるなら、ニュースソースを確認して、突っ込めるとは思ったけれども、自営業者の私には暇はないです。中国全体が漢民族であるような演説をするならば、今後一切、日本の戦争犯罪を持ち出すなと言いたい。あんたらの方が、はるかに残忍な民族排除をしている。どうして、自分のしていることを他人がすると、ヒステリックにわめくのか。基準がない。というよりも、自分が他人にしていることが、その相手の目線に立てば、自分が誰かに対して怒っている行動と、全く同じだと、気づくだけの理解力がない。

さらにさらに話がとんで、米軍が、核を投下できる爆撃機を配備したとか、なんとか。断片的にしかニュースを見てないので、細かいところは理解していないが・・・。いずれにせよ、ダメでしょう!「朝鮮半島非核化」を口にするならば、当然のことながら、朝鮮半島に核を投下するなんてあってはならないし、朝鮮半島ばかりではなく、あらゆる場面で「核」は使ってはならないと、私は思う。それを口にすべき日本が、米軍がらみになると「核容認」になる。なんなんだ、この基準は。ってか、基準が存在していない。本当に思い付きのご都合主義。

「核」が「存在意義」を主張している「脅しの論理」では、日本は「核」を支持している。ところが、核廃絶の話になると、自分のことを棚に上げるどころか、自分の都合の悪い話はコンクリート詰めにして東京湾に沈める勢いで、なかったことにして、核は廃絶すべきだと口にする自民党。「基準が存在しない」ことにすら気づいていない。濁点のついた若さですね。そうなるともう、広島や長崎でどんな演説をしようが、選挙目当てに「核廃絶を掲げる日本の首相」を演じているだけに過ぎなくなる。(さすがに、これは選挙中は書かなかった。)と思っていたら、小池さんが同じ路線を歩みそうで(元防衛大臣だってのを忘れてた)、基本は「リベラル」側のつもりの私としては、残念極まりないけれども、希望の党が崩れたのは、むしろ良かったかも知れないという気がしている。この辺は、私は志位さんの主張に近いと思う。
いや、安倍総理は、筋金入りの政治家だと思った。「一般民衆は、論理的な思考ができない」ことを熟知している。それは、政治家としての必須要件なのかも知れない。(共産党は論理的に整合性を取ろうとするから、「大衆」には受け入れられない。)小池さんには、××にはなって欲しくなかったから、むしろ良かったかも。安倍総理が、一旦落とされてから(いい意味か悪い意味かはご自由に判断していただくとして)「変わった」ことにより長期政権を手に入れたのを、参考にして欲しいな。でも、まずは都知事で「成果」を出しましょ!?

「基準」ってのは何なのか。技術屋の立場で言えばシンプルで、「誰がどう判断しても、同じ結論が出るための、判断材料」ってな感じかな。スポーツの「判定基準」なんてのは、どうとでもなるらしく、ビデオカメラの使用を拒否している種目もあるらしいけど。政治はどうなの?「核」みたいに人が大勢死ぬかも知れない分野においてすら、「国際政治」なんてのは「基準」すら設定できない。僕ら技術屋に言わせて貰えば、「国際政治学者」なんてのは、バカの集団か!と思う。あ、いや、濁点が余分でした。国連の事務屋も含めて、国際政治学者の方々は、濁点を冠した上で、若い方々の集団ですね。若くあって欲しい。老獪にはなって欲しくない。

この表現は、「今でしょ!」の林先生がよく持ち出されるらしい。「対立軸」というのが非常に重要。
こう言っちゃ何だけれども、自民党なんて、内部では「対立軸」なんて無数にある。各論レベルまで細かく煮詰めるのが政治じゃないのか?その利害調整をきちんとできて、最大多数が納得して受け入れることのできる「着陸点」を見出すのが政治、なんじゃないかと僕は思う。その細かい「各論レベルの相違」を、自民党は器の大きさで吸収している。それが「排除の論理」とかで(今は)できていないことを小池さんが露呈しちゃったのが、やっぱり痛恨だという気がする。「総論賛成、各論反対」では、何も決まらない。だからと言って、各論を切り捨てていたら、それは「政治」じゃない。極論したら、トップに各論の調整をする能力がないトランプとか、トップが各論の議論が面倒で全部殺しちゃうナス頭と、どこが違うんだろうと思えてしまう。あの方々が「政治家」だと思える人、立ったまま両足上げて!
小池さんは、それをやっちゃった。「対立軸」を内包しながら、全体としての調整を図れなかったら、「二大政党制」どころか、「国家の安定」とか「国家の独立」すら危うくなると思う。
重要なのは、「基準」の存在だと、(技術屋としての)私は思う。そして、「少数派」は「多数派」を尊重し、「多数派」も「少数派」への気配りを忘れない、そういう「日本的」な何かを、日本では生み出して欲しい。

いや、絶対に政治でも「議会運営のノウハウ」とか、「社会現象(統計/技術など)の知識」は客観的な基準を満たした上で、その上に「信念」をかぶせて、それら三つを「各論の微細な違い」にはこだわらずに、大きな器でまとめてくれる人に、登場して欲しいと思った。それは、海外(ってか、「国際社会」)についても、同じ気がする。

で、結論として、「政治」と「学問」てのは、相容れないもんなんですかね?僕はもう学者じゃないから、ドーデモいい話だけれども。
ついミスタイプしちゃって、「学問」のちゅもりが「ガキ問」になっちゃった。五色訂正しましたが。五色どころか虹色の世界。結果が虹色なら天国だけど、解釈が虹色なら地獄。

HELOも、偽装できたんだ・・・

気になったので、検索しまくって、これを見つけた。

メールの仕組み(SMTP) – Geekなぺーじ
(http://www.geekpage.jp/technology/ip-base/mail-2.php)

そしたら、こんな記述を見つけた。

SMTPでは、まず最初に挨拶をしないといけません。 挨拶は「HELO」を利用して行います。 英語で「こんにちは」は「HELLO」ですが、SMTPの命令は「L」が一つ少ないので注意してください。 HELOメッセージでは、自分のホスト名を名乗ります。 大抵はホスト名を適当に名乗っても大丈夫だったりします。

まじかよ・・・結構真面目に、実際にリスポンスを受け取るURLを書くのかと思ってた。違ったんだ。勉強不足orz
まともに、プロトコルの規格文書、読んでねぇし、そういや、心電図も脳波も、相当にフィーリングでこなしてたから、反省することしきり。(フラッシュバックが半端ない。ちょっとでも昔のことを思い出すと、消えて、なくなりたくなる・・・)ごめんなさい、これからは心を入れ替えて、全部丁寧に頭に入れてから口にします!

つまり、「楽天内部犯人説」はこれで否定された訳だけれども、だったら話は単純で、ベトナム国内にこの送信した犯人がいると、そういうことになる。

あ、えぇと、一つ前の記事の話題です。これ

楽天カードを語るスパム

楽天カードを語るスパム

さてと、東南アジアで、平壌に大使館を置いている、いわば「北朝鮮の友好国」は、と言えば、インドネシア、カンボジア、ラオス、ベトナム・・・と、こんなところだろうか。

逆の立場で言えば、北朝鮮の工作員にとって生活しやすい国で、日本との接点が濃い国と言えば、インドネシアかベトナム。他意はありませんが。(マレーシアは、1抜けか。)

昨夜から急激に増えたのは、Docomoのメールアドレスに入るようになったスパム。昨夜から、100通近くシマンテックとドコモに転送したが、まだ完全に遮断しきれていない。タイミングが面白いなぁ・・・。「同時多発」なんだけれども、あまりにもサイレントに進行しているから、あいつらのターゲットの納豆食い民族は全然気にしていないみたいで、カモですね。例のあれ、ナス頭デブから総攻撃指令が出たんかなぁ。

Docomoメールの犯人グループは、もう、10年近く前から同じ手口を繰り返している。それが、送信サーバ側の「迷惑メール作成システム」のコンテンツを入れ替えて、送信方法だけは10年前と同じやり方で、ムキになって、まぁ、だいたい3ヶ月に一度くらい、ターゲットの名簿も更新しながら、[お名前ドットコム]にベッタリ依存して送信元を次から次へと取得して、迷惑メール送信に再起動をかけてるようだ。僕自身がデコイだから、それはよくわかる。あのDocomoメールの(さっきも届いた)迷惑メールの関係者グループ、ネット経由で見つけてたどり着いたのは全部日本人名だったけれども・・・

ただ、今回の「楽天」と「Docomo」のタイミングがあまりにも近すぎて、大元はどこなんだろうなぁ、なんて思うと、つい、ナスの天ぷらとか、麻婆ナスとか、シンプルなナス焼き(あ、俺、醤油一垂らしが好き)とか、あるいは、「ナスの滅多斬り!」とか、そういう秋茄子の味覚が脳裏をよぎる。

「ナスの滅多斬り/ブツ切り/微塵切り」なんて、今がシーズンでしょ?そういうの、今本気で食わせてくれるとこ、ないの?今しかないじゃない!
あ、メインディッシュは、横田の焼きそばで。あれ?えぇと、横手でしたっけか?どうでもいいですよね。

それにしても、鴨がなぁ。良いダシ汁が取れるって、ヨダレを垂らしながら(他に食うもんがなくて、舌舐めずりしているナスがいて、)あれ、ターゲットは楽天だけじゃないと思う。送信元のパクチー・チームは、パクチーを食っちゃった鴨が多ければ多いほど、勢いづいて、今度は楽天以外にも「商機」を見つけて仕掛けてくる気がする。

「スピード感を持って」っていうのは、猛毒を持つフグの産地のあの人も、オバ Qって言ったらラーメンのあの人も、二人とも口にしている言葉だけれども、スピード「感」ってなんだよ、と思う。「目眩し」って意味ですよね。何とかする「具体策」を口にしろ、と思う。ナスが鴨を、いいように、食ってる。
「通常兵器」なんて、世界的な世論では反感を招くだけ。普通にヒトとして生活していて、殺されるなんて、嬉しいか?ってな話だと思う。ましてや、核武装なんて論外だと、僕は思ってる。って、何の話でしたっけか?

僕が楽天メールを受け取ったのは今日だけれども、10月12日から結構な頻度でばら撒かれているらしい。

楽天カード株式会社を名乗るスパムメールが届いている模様。フィッシング詐欺か。10月12日報告相次ぐ(http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/50901828.html)

無策か。これ、会社内でクリックしちゃった社員なんかがいたら、結構な損害賠償が発生すると思うな。国民の総力戦だと僕は思う。どこの会社から、いくら奪い取れるかってな算段をしているナス。危機感がないところは、カモでイイんだろうかなぁ。横手の焼きそばが冷めちゃって、冷たくなって固くなっちゃう。

うちは、無縁だからどーでもいいけど。

楽天カードを語るスパム

日中、下記のようなメールが入った。

スクリーンショット 2017-10-18 19.44.07

携帯で確認して、後で「誤請求です」と返信しようと思ってた。その理由は、請求先の口座。「大阪信用金庫」なんて口座持ってないし、だいたい29,770円なんて・・・。口座が違ってるから、引き落とされたって関係ないとは思っていたんだが、メールの詳細を見てみて驚いた。スパムだ。しかも実際に楽天のメールサーバから送られているの?ヘッダの記録は下記の通り。

Received: from [118.69.37.240] (unknown [118.69.37.240])
by 内緒.net (Postfix) with ESMTP id 575899C0411
for <内緒>; Wed, 18 Oct 2017 11:22:10 +0900 (JST)
Received: from [] (helo=mail.rakuten-card.co.jp)
by  with esmtpa (Exim 4.69) id 1MMIU5-7373hs-RE
for <内緒>; Wed, 18 Oct 2017 09:19:24 +0700

よくわからないんだが、HELOコマンドを送るのに、そこを偽装するってできるの?名乗ってるだけ?巧妙だ。一応、日本データ通信協会に「添付ファイルで転送」したので、あとはプロにお任せしますが・・・通報先は、ここ
↓↓↓↓
情報提供のお願い
(このリンクはスパムじゃないです。私を信じて欲しいな。お前なんか信じられるか、ってそんなことおっしゃらずに・・・)

rakuten-card.co.jpは、本物の楽天のURLらしいから、私には???
こんなの名乗れるのか?

ちなみに、118.69.37.240はベトナム。
FPT Telecom Company(domainbigdata.com/118.69.37.240)

このメールに埋め込まれたリンクは、「詳しくはこちら」「WEB明細サービスに関するお知らせはこちら」「【手続きカンタン】今すぐ後リボへ変更!!」などなど、あれこれ埋め込まれているけれども、全部同じところにリンクが貼ってある。リンク先はアメリカ人が取得したドメイン名で、おそらくはレンタルサーバだと思う。あまりにも危険なので、そのリンク先は公開しませんが・・・っていうか、僕もそこに接続する勇気はない。(ここから先は、プロにお任せします。)クリックなんかしたら、何が起きるかわかったもんじゃない。

つまり、ベトナムの通信会社にアカウントを作って、そこを経由してメールを送りつけ、リンクをクリックするとアメリカにあるサーバでPCにウイルスを仕込むとか何とかして、っていうスパムだと推測している。そうなんだけれども、HELO=mail.rakuten-card.co.jpっていうこれ
Received: from [] (helo=mail.rakuten-card.co.jp)
by  with esmtpa (Exim 4.69) id 1MMIU5-7373hs-RE
for <内緒>; Wed, 18 Oct 2017 09:19:24 +0700
が、ものすごく気になる。こんなことができるの?タイムスタンプの時差が+0700だから、ベトナム時間に設定されたコンピュータからの送信か?

どうも、いま一つSMTPの仕組みがわかっていない、ってことが自分でもわかった。いや、可能性として、楽天の「社内LAN」がVPNか何かでベトナムにも繋がっていて、そこで「楽天内部の人間」がこのスパム拡散に一役買っている、としたら、このhelo=…も(私の理解では)納得できるんだが・・・。

もっと勉強しないと・・・、っていうか、こんなことに知恵を使う必要あるのか?ってな疑問も、すっごくある。もう通報したから、この件は忘れます。ご参考まで。

ActiveResource

IoTのクライアントとサーバ間の通信を、HTTPのパラメータを設定させながらコツコツ書くつもりで、設定を調べるために検索していたら、ActiveResourceを見つけた。なんだか、200行くらい書くつもりでいたのが、20行で済みそうな・・・ってか、済んだ。これだよ、Railsは・・・なんだか、嬉しいんだか悲しいんだか・・・。

10月10日にはデモ版を完成させるつもりでいたのが、一週間ずれ込んだ。9割方書き上げて、仕上げにかかっていたところで、ActiveResourceを見つけた。何やってたんだろ、俺。

詰めで最後のコーディングをした部分、捨てます。知っちゃったら、設計が見苦しい。ベタ書きの数百行よりも、スッキリした数十行の方が、いいに決まってる。ActiveResourceの前提で書き直す。ここ、設計を書き直しても修正後のコード量がこの接続部分に関しては5分の1くらいに圧縮できる。

検索していて思った。どこかの会社さんの、たぶんrubyプログラマが大勢いるところの社内勉強会のスライドがネットに出ていた。確かに思った。ActiveResourceではURLの動的な切り替えには難がある、ってそっちの内容ではなくて、こういう話題を社内で共有して知識を仕入れられるっていうのは、いいよなぁ・・・。必要なツールは自分で書き、それがないなら力任せにコードを書きなぐる、もう、そういう時代じゃない。それに、コード量が多いほど請求金額が高くなるっていうのも、明らかに時代が違う。「短納期、高品質」そして「コンパクトコード」をうちの謳い文句にしないと・・・

重なりまくり。大学、専門学校は後期の授業が始まった。地区の行事は、体育祭、沼祭り、高齢者食事会などと、続々と続く。フリーに動けるのは、土日を含めて週に3日程度で、そこに納期が重なりそうだ。でもまぁ、体は動くし、それなりに頭も働いてくれるのは、とにかくありがたい。

盗聴やら盗撮やらが気になって仕方なかった頃は、(結局、文句を言いたい相手が公安なのかマスコミなのか、よくわからないままだけれども)思考のシの字も働いている気がしなかった。ただブクブク太っただけ。今はもう、仮に何かあっても、以前のように、仕事絡みの通信が全部リークすることが気になって仕方がなくて、メンタル的に潰れかけてたくだんの事象にも、対処法が随分と増えた。日本だって、もう何十年も前からそうなってた、と主張しても、「お前が気にしすぎてるだけだから、精神科に相談しろ」と言われなくて済むようになったのは、良かったというべきなのか。相談したって、盗聴だの盗撮だの、お前の考え方はおかしいという決めつけが一般的だった時代と比べて、随分と説明しやすくなって、ストレスが減った。

失った時間は取り戻せない。こうした人権侵害がどれほど他人の生活を壊すか、なんてことを、恐らくはいまでも、公安もマスコミも、気にしてなんかいない。結局、普通に子供がいる当たり前の人生は、僕はもう捨てた。原因の半分は彼らにあると言いたいけれども、何言ったってどうせ届かない。それはもういい。あとは、なんとか仕事だけでも自分がやりたかったことだけは、残したい。

rubyにせよ、pythonにせよ、仕事仲間は欲しいよなぁ・・・と思いつつ、ネット頼みで、頑張ろう。ActiveResourceの情報をネットに上げていてくださった方々に、感謝。

何十年分の人生をやり直す、なんて無理だけれども、たったの数百行。書き直しなんて誤差の範囲だ!

しっかりしたモノを仕上げて、会社の看板の一つにできればと思っています。

無題です

国家とは、基本は互助組織だと思った。原点は、地域の共同社会。パプアニューギニアでも日本でも共通している。社会の原点というか、最初は部族が「国家」であり、少しずつ枠を広げていって、「部族」から「村」へ、そして「都市」から現代の「国家」に至っても、基本は互助組織でしかない、と思う。

なぜ互助組織が必要だったのか。それは人間に敵対心があるから、だと思った。共通の価値観を模索する前に、相手を敵視しようとする。あるいは「王様」などが国民を搾取するのに、搾取対象が多ければ多いほどいい。そして外からの侵略があった。また、時には意図的に「敵」を創造して、内部統制を図ろうとする。カモにされたら、迷惑千万。そこに端を発して、現実の脅威以上に、異質なものに対する「恐怖心」が先行して、それに対する共同防衛組織として、国家そして軍隊が「発展」して来たんじゃなかろうか。裏を返して言えば、国家が巨大化したその根底にあったのは、人間の愚かさ/攻撃性という質の悪さだと思う。逆は真ではなく、巨大になった国家の人間が愚かだというつもりはありませんが・・・。

ところが、いつに間にか、急激に全世界に共通する「様々な軸の価値観」が形成されつつあって、外敵に対する「大きな組織」の必然性が揺らいで来た。「国家」を形成して、意図的にでも価値観を共有させることによって、その「国家」内部での対立を避けようとして来たのは、有史以来の人類の知恵だったかも知れない。ところが、イデオロギー、宗教、経済圏、言語、価値観、様々な対立軸が「地域性」に依らなくなってくると、「国対国」という対立の単位が「個対個」に降りて来ているような気がする。ミサイル、戦艦や空母、戦闘機、戦車、あるいはサイバー空間などでの「国対国」の戦争は、段階的にフェードアウトして、サイバー空間や日常空間での「個対個」の対立の方が直接的な脅威になってくるような気もする。ラスベガスの銃乱射事件が「過去最悪」らしいが、もしかしたら、銃規制のないアメリカではあの程度の事件は、一日程度しか話題にならないくらい多くなってくるかも知れない。インターネットで撹拌されている様々な価値観、対立軸に振り回されて、「個」が揺らいで来た時、他人に責任転嫁するメンタリティしか持たないなら、誰もがああした行動をとりがちになる。僕の中にも、ああした「感性」はある。加速すると思う。
北朝鮮は厄介だ。だけれども、今回の選挙の「争点」には持ち上げて欲しくない。日本を核武装しろなんて、バカ言ってんじゃないよと思う。誰もが、もっと長いスパンで考えて欲しい気がする。

やはり「安全保障体制」の役割もあり方も、違ってくるんじゃなかろうか。憲法9条の理念は、凄まじく時代を先取りしていたと僕は思う。そうでなければならないとも思う。問題は、憲法に規定する国家の国民に対する「権利」の保証が全体的にどうなのか、とか、よく話題になる「環境」(核のゴミも含む)とか、地域間格差を「格差」と扱うのか「特性の違い」と扱うのかとか、他にもありそうだ。憲法に関する議論はもっと緻密であるべきだとも思うし、例えば「憲法改正」で国会採決とか国民投票などを行うにしても、条文単位での是非を問える程度に緻密であるべきだと思う。そうでないならば、そう制度改革もすべきだ。議論が収束するとはとても思えない。最後は多数決になるんだろう。仮に多数決の強行になったとしても、条文単位での是非が問われるのならば、それなりに国民の「多数派」の意見は反映されると思う。全部まとめて是か非かなんていう「国民投票」だったら、僕はたぶん棄権する。決められない。

朝っぱらから、何書いてるんだろう。小林克也さんのファンキーフライデー、今日は冒頭しか聞かなった。安室奈美恵さんの曲がかかったあたりでラジオは切った。
そうなると、普段ならジャズかクラシックか、何か音が欲しいところなんだけれども、今日は無音でロジックに集中します。このページみたいな「雑念」はこれで吐き出した。あとは、ニュースも聞かない、スマホのニュースも見ない。授業準備の方には「蓋」!

今日は1日で、一気に5千行くらいは書きたい(自動生成も含む、けど)。バグのない奴。
20kmを走りきる決意に似た覚悟。行って来ます。

右寄り?

一つ前、真夜中に起きだして、何を書いたんだかと思ったら・・・
いいや、消さない。ってか、もう遅い。言葉なんて一度発したら取り消し不能。

今回の選挙はわからないなぁ・・・以前、思いっきりガッカリしたのは「全国の高速道路一律千円」ってな政策。何やってんだよと、思いっ切り白けた。割とそれに近い感覚があるのは、教育無償化。恩恵を蒙るのは富裕層だという話があって、むしろ実力に応じた奨学金(返還不要な)制度の拡充だとか、別にできることがいくらだってありそうな気がする。「進学」の段階でのセーフティネットや、ジャンピングボードの拡充で、適用条件を厳しくすれば費用対効果の最大化とかができるように思うし。十把一絡げの教育無償化なんて、今の日本の高等教育の現状では、ほとんど効果がないでしょ、と、大学で割り算の余りを教えた経験のある私は思う。
いや、質問の仕方が悪かったのかな?質問は単純。「とても大きな、毎回違う値になる整数(乱数)から、0から9までの余りを取り出すには(余りが0から9になるように割るには)、幾つで割ったらいいでしょう?」という質問だったのだけれども、相当に時間をかけて(20分近く、一対一で卒論生に)説明したものの、ついにわかってもらえなかったことがあった。割り算がわからなかったんじゃなく、「乱数」がわからなかったのかな?あの挫折感は、まだ引きずってる。(でもあいつ、通分も危なっこしかったからからなぁ・・・)似たような大学は他にもいくらもあって、「無償化」なんかしたら・・・喜ぶのは学校法人経営者だけじゃないか?あとは、資源の無駄、時間も無駄。経済界が大卒優先をやめて、もっと本質的に「人」で採用しなけりゃ、何も良くはならないかも。
いいや、各論ベースでごちゃごちゃ書くのはやめよう。今は仕事最優先。

共産党の志位さんが、希望の党を自民党の補間勢力だと呼んだ。(ラジオだからなぁ、「補完」なのか「補間」なのか、意味的には相当に違う気がするが、いずれにせよ言い得て妙だと思った。ただこの状況で、どうやって日本の安全を確保するのか、議論の表に出さないと、「憲法改正は絶対に有り得ない」ことの「正当性」が検証できない気がする。憲法9条を堅持した上で、一切の戦争を回避し、日本の安全を守る、その具体的な方法の提示ができさえすれば、左派も結構日の目をみると思うのだけれど・・・

小池さんが、微妙な言い回しでなかなか本心を表さない。「安全保障」には言及しているものの、「日米安保」とはまだ明言していない。自民党が安保といえば日米しかないだろうけれども、小池さんの場合には未知数で・・・。安保以前に「武力紛争に至らせない」ためには、平時にどんな外交を展開すべきか、そこからの議論が自民党にも共産党にも抜けていると私は思う。ってか、党の原理的に、どちらもそこの議論はできないのかもしれない。

欧州はある種の安全装置がしっかりしているから、スペインでもイギリスでも、独立の流れが大規模な「紛争化」にはなりにくいという気がする。そうこうしているうちに国連などが動かざるを得なくなって、何らかの「基準」ができてくれば、クルドなどはそこに乗れる可能性が大きい。一番警戒するのは、多分中国で、次はロシアだろうな。
「国家」の「規模」は、「戦争の歴史」の必然から生まれた側面があると、私は思う。ここで共産党あたりが「国家の規模によらない安全のメカニズム」などを考案して、理念を実装できたなら、爆発的に世界は変わると思う。そこのブレイクスルーがまだないから、「憲法9条」はひどく「か弱く」見えるのだと思う。左派は「いい理念」は掲げているのに、それを実装するためのプロセスも、メカニズムも提示できないから、そこが弱い気がする。それならば、発想が柔らかそうな人の方がいいな、と思ったんだけれども、どうなのかなぁ。わからん。静観しよう。

「独立」の流れは、もしかしたら世界的に活発化するかも知れない。イリアンジャヤなんかでもくすぶっているみたいだし。「国家の意義」から問いかける骨太の議論ができる人が、世界のどこかに現れてくれたら面白いのに、なんて思うんだが・・・とりあえず、戦争さえなけりゃ、次の一手なんぞ、どうでもいいや。

今日は、スポーツジムよりも、プログラミング優先。もうラジオは切った。

でも、選挙戦になったら、20代、30代の人たちも「聞いて考えて、自分たちの意思表示ができる」ように、よりわかりやすく、具体的な政策のアピールをして欲しいな、と思った。(伝えるってことは、とても難しいです。)
でもなぁ・・・「論戦」できる人が、どれだけいるんだか・・・