確かに日本は反省すべきだ

あれこれとニュースを見ていて思うことがある。
日本は、少なくとも過去を悔いて、反省すべき点が3つはあると思う。

まず第一に、日清戦争の後、下関条約で清国に朝鮮の独立を認めさせたこと、だろうか。清国から賠償金を取るだけで十分だったのではないかと思える。朝鮮はそのままの状態で、中華人民共和国の少数民族の一つとなっていても良かった、と韓国は主張している。韓国では1894年の時点では既に、日本の干渉が好ましくないことだったと論じている。明らかな、日本の誤りだったと思う。

第二に、日露戦争の後、ポーツマス条約で、ロシアに韓国での日本の優越権を認めさせたこと、だろうと思う。という以前に、そもそもが、朝鮮半島が絡まなければ、すなわち、ロシアが「不凍港」として朝鮮半島を欲していたのならば、黙ってロシアの好きにさせていたなら、日本人の兵士に余計な犠牲など出なかった。今を思うなら、あれほど無駄な死に方をした日本人はいなかったのではないだろうか。

第三に、何と言っても、韓国併合だろうと思う。
—イザベラ・バード、『朝鮮紀行』講談社〈講談社学術文庫〉、1998年、pp.343 f(@wikipedia)

朝鮮人官僚界の態度は、日本の成功に関心を持つ少数の人々をのぞき、新しい体制にとってまったく不都合なもので、改革のひとつひとつが憤りの対象となった。官吏階級は改革で「搾取」や不正利得がもはやできなくなると見ており、ごまんといる役所の居候や取り巻きとともに、 全員が私利私欲という最強の動機で結ばれ、改革には積極的にせよ消極的にせよ反対していた。政治腐敗はソウルが本拠地であるものの、どの地方でもスケールこそそれより小さいとはいえ、首都と同質の不正がはぴこっており、勤勉実直な階層をしいたげて私腹を肥やす悪徳官吏が跋扈していた。このように堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したのであるが、これは困難きわまりなかった。名誉と高潔の伝統は、あったとしてももう何世紀も前に忘れられている。公正な官吏の規範は存在しない。日本が改革に着手したとき、朝鮮には階層が二つしかなかった。 盗む側と盗まれる側である。そして盗む側には官界をなす膨大な数の人間が含まれる。「搾取」 と着服は上層部から下級官吏にいたるまで全体を通じての習わしであり、どの職位も売買の対象となっていた。

この状態の韓国を併合するのに、どれほどの負担を日本国民が負ったのか。かつ、その結果についての現在の韓国の対日姿勢を考えるならば、この「致命的な誤り」についての歴史的教訓を、日本は深く考えるべきだ。

すなわち、朝鮮半島にいかなる事態が起きようとも、日本は干渉すべきではない。無論、日本人が拉致されている以上、拉致問題だけはなんとか政府の責任で解決すべきだろうと思うが、それ以外については、人道的な支援も含めて、一切朝鮮半島には関わるべきではない、その教訓を日本は刻み付けるべきだ。

明らかに日本には、歴史的に反省すべき誤謬が多い。そう思う。

これらを考えるに、まさかそんなことはないと思うが、仮に韓国が財閥支配だの、官僚による恣意的な政治だので経済的な危機に陥ったとしても、一切日本は関与すべきではない、ということになるのだろう。まさか「支援要請」など来るとは思えないが、仮に来たとしても、それに応じようとしたら「韓国併合」の伏線となった朝鮮王朝への干渉と全く同じことになり、100年後に糞味噌に日本を貶す材料にされてしまう。一切、関わるべきではない、その「歴史的な教訓」を日本は学び取るべきだと思う。

イザベラ・バードの著書は、日本語でアップしてもあまり説得力がないので、原典を入手して、今後韓国政府が何か発言したら、英文の原文を抽出して(「蕎麦に入れ歯」にならないように注意しつつ)アップしようか、なんてことを思うが、余計な支出だよなぁ・・・やめとこ。

そんな暇があるなら、イザベラ・バードの「日本紀行」の方の原文を読む方が、はるかに楽しそうだ。あれこれ、思うことはあるけど。

あるバグの話

僕が大学生だった頃の話だから、たぶん、15年前くらいのことだろうか。
(ツッコミ無用)

アメリカのある放射線治療器で、プログラムのバグで患者が死んだ、そのバグの話が、何かの雑誌に掲載されていた。なんで読んだか覚えていない。指導教授の内山先生が「新医療」という雑誌を購読されていて、研究室ではフリーアクセスで、あれこれ読めたけれども、それだったか、なんだったか。

どういう状況かと言えば、操作画面で、まず、放射線の線源を選ぶ。アルファ線照射とか、ガンマ線照射とか、切り替えられる画面だったらしい。次に、線量を入力する。その線量を入力した後で、Enterキーを押さずに下向き矢印[↓]を押して画面移動をすると、線源が切り替わってしまうという現象が起きてしまったらしい。つまり、医師(か、または日本だったら放射線技師)は、画面上はガンマ線の線量としてある値を入力した、ところが、その線量のまま内部的にはアルファ線照射に切り変わってしまう、という現象が起きてしまった、らしい。

今改めて、そのストーリーを思い出してみて、一般的な機器設計を考えたなら、おそらく、画面上の入力は生物学的効果比(RBE)を乗じた線量当量(Sv;シーベルト)ではなく、線源線量/照射線量(C/Kg)か何かで設定したもので、たぶん、ガンマ線やベータ線のつもりがアルファ線に切り替わった、という感じの現象が起きたに違いない。結果的に、患者に致死量の放射線が照射されてしまった、ということのようだった。

コンピュータプログラミングの経験のある人なら、このストーリーを聞いて、どんなプログラム構造だったか、すぐに見当がつくに違いない。if/else、あるいは、switch/caseなどの「条件分岐」の「組み合わせの想定漏れ」か、あるいはトラップの入れ忘れ、などが重なったに違いない。

このプログラムを書いた方を擁護するならば、当時のコンピュータは、マイクロコンピュータで主記憶32kバイトとかだったし、数千万円もする、こうした医療機器制御用のミニコンピュータでも、プログラムが利用可能なメモリサイズの上限が十数キロバイトとか、今では考えられないほどプログラミングの制約が大きかった。テスト手法なども限られていた。時代が違う。
ただ、当時は「殺人プログラムの危険性」として有名な話だったと記憶している。

JRのチケット発行システムのバグ、も、なんだかこれに近いロジックのチェック漏れじゃないかと感じた。なんだか、バグを出したプログラムの論理構造が眼に浮かぶような気がする。Javaかなぁ。

CやJavaのプログラマの場合、古い人なら大体経験があると思うけれども、

if( 条件 )
{
 条件が成立した時に実行するプログラムX
}

なんていう構造は、よく書くだろうけれも、ついうっかり、これが

if( 条件 );
{
 条件が成立した時に実行するプログラムX
}

とかになっていると、このプログラムXは、条件が成立しなくても常に実行してしまう。たった「;(セミコロン)」一つで、使い物にならないソフトになる。(システムを壊すのは、極めて簡単。たったの一文字書き換えれば、見た目エラーにならないのに、動作はおかしくなる。)こんな程度のバグが見つからずに、数日徹夜したりもした。これだけ抜き出せば簡単そうに見えるけれども、数千行ある中からこの部分を特定するのだから、それほど簡単じゃない。(これは一例ですが。)
最近のIDE(統合開発環境)はだいぶ賢くなってくれていて、こうした凡ミスに警告を投げてくれたりもするんだけれども、「間違い方」によっては、文法エラーにもならないし、見かけ上は「まともなプログラム」で、新人とかだと、全く、論理を辿れないケースもあるかも知れない。

わかりにくい変数名や、紛らわしい変数名は使うな、なんてことを言い出すのはベテランだけ。若手にはなかなかその理由すら通じなかったりする。これは経験の問題かも知れない。

最近、小学生からプログラミング教育を、なんて、やっているけれども、あれは「才能発掘」には役立つだろうけれども、早くからプログラミングの発想法に馴染めば、プログラミングの才能が伸ばせるか、と言えば、私は懐疑的で、論理展開の能力は、素質が半分以上を占める気がする。
大学生の場合だと、1年生でも恐ろしくセンスのいいプログラムを書く学生が毎年3%とか5%とかはいるけれども、長くやってればセンスが身につくとは限らない。だから、「新人だと、なかなか原因がわからない」という表現は、あまり正しくない気がする。センスがない人だと、たぶん中堅でもバグの原因はわからなかったりする。
論理展開能力は「議論」とかしてみたらすぐにわかるし、素質がある人なら「プログラミング学習で身につく文法知識」とかマスターするのに一ヶ月かからない。むしろ、読書(濫読)の方が役立つような気もするんだが。あるいは、ジグゾーパズルとか。
話を戻して。

そんなことがあるから、最近、僕は大学院の授業では、TDD(Test Driven Development; テスト駆動開発)とか、BDD(Behavior Driven Development; 動作駆動開発)に、軽く触れている。平たく言えば、「システムテストを最初に網羅的に書き上げて、そこからプログラムを組みましょう」という、従来とは真逆のアプローチのこと。今までは、仕様書が出来上がってから、システム開発が終わりに近づいてから、必死で「テスト手順書」とかを書き上げた。(この手順書も、「役に立つテスト」にするには素質が必要だという気もする。)そうではなくて、最初に、プログラムの振る舞い(Behavior; 動作)を先に規定して、そこからプログラムに入っていく。そんな方法。
ただ、あまり面白味がないし、地味だし、なぜ大切かは、たぶん院生くらいじゃまだわからない。結果だけ早く欲しがる「経営者」ウケは、あまりしないだろうし。昔っから「急がば回れ」って言うんだけれども。

Rubyでは、結構この辺が定着してきている。Pythonの場合は、ごめんなさい、まだ勉強中。ただ、CとかJavaだと、いわゆる「レガシー」に縛られ過ぎていて、身動きが取れないんじゃなかろうか。きっと、JRでも金融機関とかでも、CobolとかJavaとか、その辺のあまりコード生産性が高くない言語に「レガシー」とかでこだわって、人海戦術で何千万とか何億とか投下して、その上に、テストだけでも何千万とかを上乗せして、力技で解決しようとしているんだろうか。話を聞いてみると、「方法」を洗練させたり、新しいプラットフォームを試すような「冒険」を避けて、レガシーの焼き直しとか、とにかく人海戦術で人を掻き集めて、力技で大金を投入してシステムを仕上げようとしているような、なんだか方向性が違っているような気もする。私には関係ないから、どうでもいいけど。

今日、実は新規案件のお話を伺ってきた。最初「初回お試し」のつもりで格安で仕上げたら、その「初回お試し」料金が定着しちゃって・・・。今回も、高い金額を言ったらたぶん「開発そのものを諦める」感じだから、まあいいかなという金額で、要するに頼みたい側が払える金額で作る、そんな感じになるんだろうけれども。僕がそう言う性格だから、これはこれで、もういい。
もし、同じシステムを大企業が受けたとしたら、たぶん、新人を交えて3人から5人くらいのプロジェクトになるんだろうか。頭数が複数になったら、まず意思疎通に時間が取られる。新人教育なんかも兼ねて、会社としてペイする金額で受注したとしたら、(あまり、こういう墓穴を掘るような話題は書きたくないけれども、)僕が一人で2ヶ月で仕上げる仕事を、3人から5人で短くても4ヶ月くらいでやる感じになるだろうか。給料水準も違うし、大企業の場合には「退職金積立」だの「年金積立」なんかの分もコストに加算して、しかも「利益」を出せる水準で見積もりを出すとしたら、当然、アノくらいの金額になるんだろうな、という予想がつく。試算すると気が滅入ってくるから、やめよう。「年金」かぁ。働けなくなったら、もうあんまり面白くないから、そこまでで、もういい。

そろそろ、非常勤講師を辞めて、システム屋に専念したい、そんな気もしているけれども、やっぱり、大企業との「格」の違いは痛感する。同じものを納入しても、たぶん、金額の桁が違う。いや、それでも、あの大学の教員をやっていた頃よりは、まず気分的に楽だし、仕事が安定すれば、今の方がいいように感じるから、ベストかどうかは別にして、ベターな選択肢だったと納得はしているが。

こういう言い方は、なんだか、やっかんでいるみたいで、あまり良くないかも知れないけれども、大企業が力任せの開発を続けていれば、もう限界に来ているから、たぶん今回みたいなバグの話は今後も増えるような気がする。そうなってくれば、新しいプラットフォーム、新しい環境に挑戦している若い世代にもチャンスが回ってくるような気もするし、僕も、どちらかと言えば、次にチャンスをつかむグループに食い込みたい。新陳代謝が起きようとしている時だとしたら、「特定の条件で、画面がフリーズする」なんていう話を聞くと、「なるほどなぁ」という感想しか出てこない。
(やっぱ、やっかんでるじゃねぇか。)

さてと。これから日付が変わるまでに、一気に基本設計を書き上げる。SEは、一に体力、二に気力。三、四がなくて、五に素質、かなぁ。(個人の感想です。)

活け造り

欧米人が拒絶するものに、日本料理の「活き造り」がある、らしいと聞いている。残酷だと。生きている魚を目の前で捌いて、食べる。ただ、これにだって、理由があると、書きたくなった。あんまり書きたくない韓国の話題。「牛の反芻」が始まっちゃって、眠れん。派生的に、あれやこれやと、思考のカーソルが飛びまくってる。

江戸時代の日本。冷蔵庫なんかなかった。動物性タンパク質、と言うと、哺乳動物が中心なんだろうけれども、仏教の影響で、江戸時代の日本では「四つ足」の生き物を食べる習慣がなかった。それでも、ウサギなんかは食用にされていたらしい。但し、あれは四つ足。そこで詭弁を弄して「あれはトリの仲間だ」と、お互いに言い聞かせて食用にした。だから、ウサギの場合には、一頭、二頭ではなく、一羽、二羽と数える。そう理解している。
クジラは「四つ足」ではない。あれはもう、日本人にとっては、骨も歯も、何から何まで使えないものはない程、捨てるところがない程、食料から生活必需品にまで、活用されていた。肉が貴重だったのは言うまでもない。その日本の食文化。牛や豚のように「飼育」している訳じゃないから、資源保護に問題がある、と言う視点ならば、理解できる。けれども、捕鯨に反対する理由が、可哀想だからと言うのならば、なぜ牛や豚は可哀想じゃないのか、その違いが僕にはわからない。似たような反論をする知人は、大勢知っている。ただ、反論と言っても、日本人どうしで話をするだけだけれども。
鯨肉は、だいたい加工食品として流通していた。一体から採れる量が多いから、その場ですぐに加工する必要もあったのかな?たまにしか食べなかったけれども、鯨肉は「ご馳走」だった。小学校の給食にも良く出た気がする。誰かが日本人のソウルフードだとも言っていた。資源保護のためならば分かるけれども、残酷だという指摘は、どうしても納得できない。

ちょっと話が逸れた。

江戸時代以前の日本。魚は貴重な、日常的には唯一と言ってもいい動物性タンパク源だった。ところが、魚は傷みやすい。獲れてから時間が経てば、腐り始める。刺身で食える、なんていうのは、海に近い町でしか経験できない贅沢だった。古い魚を食えば、中る人だっていただろう。鮮度がいいか悪いか、目利きもいたに違いないけれども、庶民は、魚売りを信じるしかなかったんだろうな、という気がする。腐った売れ残りの魚を買って、食あたりで死んだ人なんてのも、いたんだろうなという気がする。

地方によっては、サメなんかも食用に工夫したらしい。サメの場合には、死ぬとすぐにタンパク質の分解が始まって、アンモニアが発生するらしい。そのため、とても食えたものじゃなくなるらしいんだが、それを何か工夫して食用にした地域があると、うろ覚えに覚えている。アンモニアのお陰で内陸に運び込んでも、腐りにくい。それが珍味になった。どこの何だったか、思い出せないけど、ググるのはやめておく。いずれ、もっと老けた時の楽しみに、ということで。記憶違いならそれはそれで、何が化けたか、図書館とかに籠って探す楽しみとかもありそうだ。
アンモニアって言えば、ニューギニアで食べたコウモリの燻製のアンモニア臭が、って、話が相当に脱線してるだろう。

埼玉県は海なし県。うちが貧乏だったから、ということもあるんだろうけれども、大学に上がる頃まで魚は塩鮭の切り身くらいしか食べたことがなかった。安心して食べられるのは、塩漬けにした鮭くらいで、他の魚は値段が高かったから買わなかったんだろう。干物もあまり食べなかった。肉もたまにしか買ってこない。その代わり、我が家の裏に養鶏場があって(風向きによっては、鶏糞の匂いが家に充満したけれど)卵は一籠50円で(たぶん、20個とか30個くらいか?子供の頃の記憶なので、誇張があるかも知れないけれど)いつも僕が買いに行った記憶がある。卵かけご飯は朝食の定番。鮭の切り身だって、たまにしか食べなかった。だから、成人してもかなり長い間、魚はうまく食べられなかった。ほとんど経験がないもの。大学時代も仲間と居酒屋に行く、なんてことはなかったなぁ。誰かの下宿に転がり込んで、レッドとかで、ほとんどツマミなしで潰れて寝るまで騒ぐだけ。
話を戻して。

鮮度の高い魚が買えない庶民は別にして、多少「格式」の高い割烹とかなんかでは、刺身にする魚の鮮度が高いことを、はっきりとわかりやすく伝える必要もあったんじゃないか、と想像する。一番わかりやすいのは、客の目の前でまだ生きている魚を捌くこと、だったんじゃないだろうか。たぶん、だけれども、魚の「活き造り」の文化は、まだ冷蔵庫とか冷凍庫、冷凍車両などが普及するはるか以前から、「鮮度の高い魚」を提供していることの「証明」のような行為だったんだろうと、私は推測している。生きたまま運ぶんだから、コストがかかり、金持ちじゃないと食べられない。刺身を食う行為も、港町を除けば、ステータスシンボルだったかも知れない。暇があったら調べて、確認してみたいけれども・・・

オーストラリアのどの州だったかな(ニューサウスウェールズ州だったかな)「残酷な方法で魚介類を調理すること」を法律で禁止している州がある。あれなんか、中国料理を標的にしているんじゃないか、なんていう噂もしていた。ロブスターなどのエビとかカニとかを、生きている状態からいきなり揚げたり焼いたりするのは、法律違反。同様の法律は、欧米でも地域によってはあるらしい。あまり調べていないけれども。ただ、中華料理の場合でも同様の事情はあったんじゃないか、という気がする。なぜそういう習慣が定着しているのか、理由を調べれば、必ず理由があるはずだと思う。鮮度とか別の理由があるのに、「残忍だ」と括られるのは、釈然としない。

日本の刺身も、盆栽も、みんな「残酷だ」という議論を聞いたことがある。中華料理で、生きた魚を気絶させて、胴体だけを揚げる。魚が息を吹き返すと、口はパクパク動くのに、体は揚がっている。確かに、やりすぎのような気がするけれども、鮮度が高いものを料理したことだけははっきりと伝わる。この鮮度のアピールが理由だったんじゃないかと思う。

確かに、冷蔵庫も冷凍庫も普及している今現在は、流通が良くなって埼玉でも鮮度の高い魚は買える。でも、それならすぐに冷凍したり氷水に入れるのは残酷ではないのか?残酷でない殺し方って、何?牛や豚の屠殺、一撃で脳天を割るんでしたっけか?麻酔はしないの?

これも思う。日本語の「いただきます」の一言には、生き物の命をいただく、その命に対する感謝とか、畏敬の念も込めている、そんな話も聞いたことがある。鯨だって、あらゆる部位を「無駄にしない」(無駄にしたら「もったいない」)それが、鯨の命への敬意だと、それは当たり前のように(少なくとも昔は)日本では親から子へ教えていたことのような気がする。

何にせよ、「事実誤認」に基づく「誤解」は、訂正可能になったなら、誰かがいつか、きちんと訂正していかなければならない、そんな気がする。

話題の発端は何?「従軍慰安婦の強制連行」は、事実無根で、おそらくは北朝鮮の対日工作が発端だと(数多くの状況証拠は、日本国内では広まってきたが、)それが話題の発端だった。あれなんか、まことしやかに、国連でのアピールまであって、決議まで出たんだっけか?金日成の亡霊の仕業か?ってな話題が、どこに脱線したんだか。世界中に売春婦の銅像を建てまくる国なんて、歴史上、初じゃないだろうか。

かくして、脱線に次ぐ脱線で、元の話題が何だったか訳が分からなくなるのが、私でした。

程度の問題

戦時中の高級売春婦の話題が、またとんでもないことになっているみたいで。
あの人たちが、(細かいところは忘れたけれど)中尉とか大尉クラスの士官クラスの収入を得ていた、なんていう話題は、ものすごく事実認定が容易なのに、もはや全く話題にすらならない。
哨戒機へのレーダ照射問題を見ていて、そういうやり方なんだと理解した。都合の悪い話はすり替えて、一切触れなくなる。やめとこ。事実認定の話まで遡って何回書いたか。くどい。

やはり天皇陛下への謝罪要求なんて、日韓関係はもう修復不能としか思えない。マッカーサーですら、皇室に手をつけるのは避けたらしいのに。
占領軍の賢明な判断だったんだろう。もし皇室を断罪していたら、日本中で生麦事件のようなテロが起きて、治安維持のために占領軍のアメリカが日本の民間人に向かって発砲したり、どう考えても「占領政策」は失敗していたと思う。結果的に、日本が再び「主権」を取り戻すのが、何十年も遅れたりもしたかも知れないし、当然、日米が友好関係を構築することもなかっただろうと思う。
それほど微妙な問題だ、ということを、全く理解していない。かの国会議長は「なぜ、こんな騒ぎになっているのか、まったく理解できない」とか仰ったらしい。理解できないんだから、理解しなくてもいいんじゃなかろうか。いかに自分たちの主張だけを繰り返して、相手を理解しようとしていないか、その典型だと思う。

例えば、車どうしで接触事故を起こしました。10:0で、こちらが悪かったとする。(そういうことに、しておく。)一度は示談が成立したのに、後になってから「やっぱり不十分だ」と騒ぎ出し、ついには、「お前の親が、一千万円俺に支払ったら、納得してやる」とか言いだしてきた、なんだか、そんなレベルの気分がする。
韓国の国会議長?なんだろうか?本当に?「程度」っていうものがわかっていない。「それをやったら、解決する」とか言ってるが、確かにそれだけの額を受け取って、新車が買えるくらいの補償をされれば、受け取った側は、「とりあえずは納得した」とか言うだろうが、そんな額を請求された側がホイホイと応じる、とでも思っているんだろうか?
そういえば、日本にもそう言う人たちがいる。道を歩いていて、肩が触れたら(というよりも、向こうからぶつかって来て)お前が悪い、謝れ、財布を出せ、金さえ出したら許してやる。そういう人に関わっちゃったら、もう、どうしましょ、だよなぁ。
そういう相手だという前提で、今後は付き合うしかないんじゃないだろうか。もはや、友好国ではないし、修復不能だろうと言う気がする。

そもそも、100歩譲って、と言うか、あり得ないとは思うけれども一万歩くらい譲って、陛下の謝罪があったとしたって、彼らの方は、ほんの三歩歩いたあたりで「謝罪が不十分だ、新天皇も謝罪しろ」とか言い出すか、何をしたって収束なんかしそうにない。この要求が、どれほど異常なレベルか、あの国会議長は理解できないとおっしゃる。

普通、国会議長なんて務めるくらいの政治家だったら、こうした交渉ごとのレベルとか、程度とか、さじ加減とか、見極めができないものなのか?自分たちに都合の悪い「事実認定」を一切せずに、一方的にエスカレートさせる。本当に目的が「沈静化」だとして、本気で理解できないとしたら、余程能力がないのか?そうでないとしたら、もう一つ可能性はあるような気がする。

私の仮説ですが、話題が持ち上がったタイミングは、ちょうど日本で「北朝鮮は素晴らしい国だ」と喧伝を始まった時期、のように思う。そもそもが「従軍慰安婦の強制連行」は、金日成が仕掛けた巧妙な対日工作で、見事に花を咲かせて、完全に韓日の分断には成功した、ように見える。
見た感じ、文大統領よりも金正恩氏の方が賢い。韓国の動きは、完全に北朝鮮の思惑に沿っていると思ってもいいのかも知れない。だとしたら、かつての韓国ではない、北朝鮮を相手にしていると考えて、透かしてみて、文字通りの「傀儡」を相手にしていると考えるべきじゃなかろうか。韓日関係を分断することが最重要であって、それ以外の選択肢には韓国政府は決定権を持てない、そういう相手だと思って付き合うしかないんじゃないだろうか。


最初は、タチの悪いジョークだと思っていた。
韓国の人は、黄河文明よりも1000年古い5000年前に韓国で文明が発祥し、それが中国にやインダス地方にも伝わった、と信じている、と。そんな遺跡があるなら、見てみたいけれども、根拠を示す必要がないのが韓国流。だと、言いたくなった。
韓国の人は、日本のものを、何でもかんでも、韓国がルーツだと言うよ、と誰かに聞いた時に、そんな中傷をするな、と思ったんだけれども、どうも実際にそうらしいと理解してきて、特に最近、僕自身も相当に嫌韓に傾いている。そう言う発言ばかりが、やたらと日本でも流れる。

日本で教科書問題(戦争をどう次の世代に教えるか、で、右と左で喧々囂々の議論)が起きた頃、それならば、中国や韓国はどんな歴史を教えているんだ、と言う話題を目にして、何だか、海外でもひどい教え方をしていると思ったこともある。アメリカですら、「歴史」は、「戦後軍事裁判の正当性」に誘導するために作られた世論に基づいていると感じる。

大学時代、学習塾でバイトをしていた頃、確か社会科を教えていた先生が、早稲田の政経の人で、国際政治学専攻だったと記憶している。その人と飲んだ時に、言われたことがある。政治では、「何が事実か」なんて、問題じゃない。相手にどう信じ込ませるか、世間をどう誘導するか、世間一般にどう受け入れさせるか、そちらが問題なんだ、そうだ。理系の自分は反論した。「事実に基づいていないなら、いつかはバレるんじゃないか。」「そういうところが、理系だよな」その時は、こちらも折れなかったけれども、今ならすぐに折れるかも知れない。
「学識がある」のが少数派で、ない方が多数派だとしたら、その多数派に、いかに「思い込ませて、誘導するか」が政治の根幹なのかも知れない。
これも昔何かで読んだ話題で、金日成は、愚鈍だったからソ連が傀儡にするのに都合がいいと思って、祀り上げた、と。ところが、結果だけから見たら、かなり優れた「政治家」だったのかも知れない。(いや、「政治屋」と呼ぶべきなのか?)
話が逸れた。

教科書問題に話題を戻すなら、相当に左寄りで政府に批判的な人も加えてもらって、その上で日本で「日本史」として通用している内容と、韓国の教科書の内容を比べる、なんてことを、一度やってもらったらいいのに、とも思うんだが、もうたぶん、遅いんだろう。
欧米ですら、第二次世界大戦後の「戦争裁判の正当性」を演出するために創作された「歴史」が、結構紛れ込んでいて、特に学習能力の高い有識者ほど、それを事実として信じている、そんな気もする。

文大統領が、韓国で教えられた内容が事実だと信じ切っていたとしても、それは仕方ないのかも知れない。
ただ、明らかに迷惑だ。自力で修正できないのならば、文大統領が大統領で居続ける限り、日本との関係修復は不可能だと思う。
日本も、悪いことを悪かったと謝ることはすべきだ。ただし、事実に基づかない話題に関して、なぜ謝る必要があるのか、その「事実認定」に遡った時点で、もはや、議論は成立しなくなる。もう、そう言う国だとしか言いようがない気がしている。いや、捕鯨問題の欧米だって、同じかも知れない。日本の言い分に耳を傾ける欧米人は、少数派だと思う。鯨が可哀想だ。それなら、牛や豚は可哀想じゃないのか。完全なる決めつけ、だと思う。

やり切れない話題を思い出した。僕がどうしても「心臓発作の予知」だけは、仕上げたくて、「科研費」の申請を出すために、コンプライアンス規定に法って、兼業届を出した。だって、「会社の経費」でパソコンなんかを買っていたから、かろうじて大学の仕事も続けられていたんで、会社を畳むつもりなんか毛頭なかった。研究開発だけは、今でも降りる気は無い。
ところが、その「兼業届」を却下されたその理由が、「自分で会社をやりながら、科研費を申請するなんて、絶対に悪いことをするに違いない。だから却下」だそうで、やり切れないと言うか、なんと言うか・・・あの時に気分に似ている。
言わせてもらえば、まだ俺は何も悪いことなんて、してないでしょうが。まだ何もしてない。なぜ、まだ何もしてないのに、悪いことをするなんて、決めつけるんだ。この一言に尽きるだろうな。
(あんまり、まだ、まだ、とか言うなよ。)

こういう、思い込み、とか、決めつけ、とか、多すぎる気がする。インターネット時代。フェイクニュースもそうだろうか。噂の拡散。事実認定よりも、「面白いかどうか」が問題。あるいは、見た目がそれっぽいから本物だと信じる。あるいは、売春婦だったおばあちゃんたちが可哀想。可哀想な人に同情したから、自分たちはいい人。みんなと一緒に騒いで、いい人になった気持ちを味わいたい。そういった群集心理はあると思う。いや、韓国の人を責めているんじゃない、一般論として日本だってこれは多いし、世界中で同じかも知れない。

蒸し返したくないけれども、あまりにしつこいから、繰り返せば、従軍慰安婦は売春婦であって、一回の行為にも、日本兵は相当な金を支払っていた。(情けないよなぁ、本当に男って。他人のことは全然言えないけど。)そういう「史料」はいくらだって、ある。男の情けなさを象徴するように。
決して、売春婦という職業を見下すつもりはない。親に売られた、他に金を稼ぐ手段が見当たらない、特に昔は事情は様々だったと思う。(いや、現代でもその事情に大差がないという話もある。)泥棒をするよりも、よほどまともだと思う。むしろ、プライドを切り売りしているんだから、正当な対価だと言えなくもない。ただ、洋の東西を問わず、そうした職業を見下す文化は少なくない。そちら側の感覚も、「常識」的にはわからなくもない。要するに、何が正しいとか、悪いとか、そういうことじゃなくて、ただ人間ていうのはそういう生き物なんだ、と、それだけじゃないか、という気もする。
話が逸れた。

ただひたすら、その場の雰囲気に流されて、事実関係を確かめもせずに、騒ぐのだけは自戒したい。特に、インターネット社会で、これは怖い。フェイクニュースのいくつかには、僕も騙された。騒ぎはしなかったけど。フィッシング詐欺も、会社のサーバにウイルスを仕掛けるためのメールも、まさしく思い込みで騙される人間の心理を突いている。
元々の李承晩政権が、将来を見通して、当時の「歴史教科書」を作ったとは思わないけれども、一方でそういうのを信じ切っている人たちとは、もはや会話が成立しないんじゃないだろうか。信じたのが詐欺ならば、自分に実害があるから、すぐに間違いだったと気づく。だけれども、間違っていたって、自分に実害がなければ、軌道修正は困難だ。

大元の事実を、証拠に基づいて確認する、たったそれだけで解決する問題も、相当に多いんじゃないか、っていう気がする。だけど、感情的になって、事実確認を迂回して騒いだら、もう、どうにもならない。

無題

本当にだらしない。情けなくなってくる。

学校に行く直前まで、パーツをいじくり、電車の中では別件の編集作業したり、レポート採点したり、で、学校では授業。複数の仕事をパラレルに時分割しているうちに、仕事のファイル、道具が机の上で混ざってくる。デスクトップに全然関係のない窓が散乱。書きかけのメモ。90日経過したからパスワードを変えろ、と。その時のメモが書きかけで開きっぱなし。ヤバいだろ、開きっぱなしでいたら。半田付けして、リード線の補強にペーストを塗って半田を流したら、ペーストが瞬時に蒸発して弾けた。飛んだ先に、自治会会計の通帳が剥き身で置いてあって、ニアミス。やべ。なんで片付けてない?Aの件での電話の応対で開いたファイル、得点がギリギリ足りない学生からのメール応対で開いたpythonのプログラムファイル。見積書を出す都合で引っ張り出した法人印も戻してない。それをスキャンしてPCに取り込んだUSBも、ハンダゴテから5cmくらいのところにあった。ヤバすぎるだろ。

ひどすぎる。のに、ふと、気づいてしまった。割り込み中に別の割り込み。一つも収束させないまま次の作業。ちょっと、片付けないと、と思いつつ、あれもこれも、納期、締め切りギリギリで・・・。電話やメールの後、その前にやってた作業に戻れてない、のが、まず過ぎる。今日は祝日。電話もメールもない。それで気付けたか。

俺、めちゃくちゃ変なことを書いたかも。レンタルサーバのSSLから半年間吐かれている接続エラーのログは、WEBから落としてバックアップ。レンタルサーバが「システムを更新」してから、SSH接続どころかtelnet接続もできなくなった。唯一、ftpだけで管理している。データベースのブラウズも作り直し・・・直しかけのまま8ヶ月中断。そのログと、Raspberry Pi接続で、ssh-agentに吐かせたログの所在は、全然別。あれもこれも、ごちゃごちゃにデスクトップに開きまくって、頭までおかしくなった。ヤバい。客先ごとの応対、変に混じってないよな?ってか、いい加減にログも掃除しないと、要らないのが多過ぎるだろ?何で見てすぐに気づかない?

とにかく明日、一件仮納入したら、まず、机を片付けよう。それと、どの仕事がどこで中断しているか、手が空いた時にどこから再開したらいいのか、メモを残してデスクトップの窓を全部閉じて、一旦Macをシャットダウンすべし。通帳、印鑑も定位置に戻すべし。えぇとですね、印鑑の保管場所は、トイレの便器洗いブラシの下です。嘘ですが。

もしかして、以前学生に(偉そうに)5Sが大事、整理、整頓、清潔、清掃、躾が製造業の基本だぞ、なんて・・・偉そうに・・・語ったかも。訳のわからんことを書いたのが、ブログだけで済んで良かった。ヒヤリ事故だ。偉そうに、よくもあれこれ書くよなぁ・・・メチャクチャ、メンタルがおかしい。血圧も高いけれど、テンションも異常で、頭の中で全部の仕事や、トラブルが混ざってる。いや、でも、今止まったら、止めたらもう後が無い。

so-netさん、ごめんなさい。完全に勘違いから来た八つ当たり。発端となったミスはso-netだけど、何の連絡もなく処理をしてくれないのはComodoの責任。その両社を選んだのは私の責任。

午後4時半かぁ。今日も当然走りには行けない。ヤベェ、何とかしなきゃ、と思って、不安心理でゾワゾワして、このページを書き始めた、その直前、俺、何の作業してたっけか?(あ、ハンダゴテのプラグ!)

Raspberry Pi

ようやっと、2台目の環境構築が終わった。納入機。結局わかったことは、microSDは、16GBと謳っていてもメーカーによって微妙に容量が異なる。運悪く、開発機の方が大きかったから、disk imageのサイズが噛み合わなくて、Raspbianのイメージ焼き付けからやり直しになった。ただ、結果的に余計なものを「入れてから消す」つもりだったのが、最初から「納入用の必要最小限の環境だけ」になったので、良かったんだろう、と思う。開発機のコピーからの消し忘れは、怖いですからね。

たぶん、ちょっとでも時間に余裕がある時「開発済みアプリ」のデモ用に、貸出用も作る。今の所、メインの開発マシンはMacBookAirだけれども、将来性は大きい。だって、たったの6千円で10年前の10万円のパソコンと同じ機能を実現できるんだから。

だから、学校教育はLINUXにして、MicrosoftじゃなくてOpenOffice(今だったらLibreOffice)にしろ、って言ってるのに。確かに、モニター+マウス+キーボードがないとどうしようもないから、一概に比較はできないけれども、コスパはこっちの方がはるかに上。パフォーマンスは、まだイマイチだけれど、人間の思考速度で、ワープロ、表計算、プレゼンテーションを扱うだけならもう遜色ない。操作性もそんなに違わない。操作画面のレイアウトが違うだけ。
それでも、ポケットに入れられるし、microSDだけ持ち運ぶなら1cm角ない大きさだから、腕時計の裏側にセロテープで貼り付けたって違和感がない大きさ。

伸び代が全然違う。なぜそう言い切れるか。取材する暇がないから根拠は示さないけれども、僕の主張の根拠を詳細に示したなら、たぶんそれだけで本が一冊書ける。暇がないから書かないだけ。

25年前くらいだと、LapTop PC(膝乗せPC)で仕事をするって言ったって、そもそも重さが違うから、江戸時代の石抱きの刑

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0e/Ishidaki.JPG
みたいな重さの「膝乗せパソコン」で仕事する感じだった。しかも、電車の中で使っていて、うちみたいに「池袋に出るのに1時間半」だと、片道分のバッテリーすらもたない。ところが、それが今はもう、ポケットに入るんだから。

以前、情報系の雑誌で「スーパーマーケットで、気軽にパソコンを買い物カゴに放り込む時代が来る」なんてことを書かれていた。15年くらい前だろうか。

早くもバッタモンが出てきた。橙パイね。詳細はご自由にググってください。某国の悪口にしかならないから、書かない。コアになる技術は圧倒的に日本が強いんだから、高品質でありながら、そこそこの低価格っていう路線で、ガラパゴス化を避けながら、まずは、日本の情報教育向けに試作してみたらいいのに。学校とかだって、人数分10万円のPCを揃えるよりも、モニターなどを込みで2万円程度に抑えられたら、情報教育のコストを下げられると思う。
ただ、日本ではMicrosoft教徒があまりにも多いから、どうせ聞く耳を持ってもらえないとも思うが。っていうより、どこなんだろうか、PanasonicとNECか?富士通も?そういう大企業と、経産省とか文科省あたりの癒着なんて、あるのかないのか。私立大学の判断は、性能ベースだと思うが、官公庁とか、教育機関となるとどうなのかな?なんとか商会とか、「政商」は多いですからね。(おっと、やっかみ!)

いいネーミングが必要かも。Pocket Computer(ポケコン)とか、Nail Size Memory(爪の大きさのメモリ)とか。とにかく、通勤、通学も楽になるのに。
最近、僕もようやっとスマホでの入力速度が、多少速くなった。Bluetoothでスマホと連動させてもいいかも知れない。

でも、僕の言うことを鵜呑みにすると、たぶん、大半の人にとって「怖い」ことになるかも。みんなが裸になる。

20年もしないうちに、「統計」がアンケートを取るのではなく、必要な情報が直接収集できるようになる、と思う。嘘をついたら、すぐにバレるようになる。検索エンジンが、よりインテリジェントになる。googleに匹敵するシステムが、インドや、東欧などでも作られるかも知れない。自分を飾らない、本当のことを正直に口にできる人なら、全然困らなくても、何かと誤魔化して、都合の悪いことはひた隠しにして生きているような人とか、そういう会社にとっては、生きにくい世の中になるかも。というよりも、死活問題だろうな。嘘や誤魔化しで世間を欺いて「業績」を上げて、高い給料、高い年金を手にしている人は、少なくないと思うし。そういうのを大事にするなら、時代遅れの技術にしがみつくのが賢明かも知れない。「脳みそを鍛えるために、パソコン禁止、社員はそろばんを覚えろ!」って、なったりなんかして。

裸になったって、気にすることないのに。みんな似たようなもんなんだから。誹謗中傷?子供がたくさん傷ついてる「学校裏サイト」?大丈夫。過渡期だから。嘘を拡散した人は、「あいつが嘘を拡散した」と逆に元を辿れるようになるから。きっと最後まで抵抗するのは、政府機関とか大企業だろうな。結果的に「情報化」にも乗り遅れて、何て言うんだろうか”Erosive Revolution”(浸蝕性革命?)とでもいうのか、そのResistance(抵抗勢力)とは「自分たちのやっていることを、世間に公表できない勢力」みたいな扱いで、見下されるようになるのかも。その丸裸化は、安倍にやらさずに、野田さんにやって欲しい。

Raspberry Piを手にして、果てしなく妄想が広がった私でした。寝る!

ハードウェア

寝て起きて、Raspberry Pi+AD変換カードを眺めた。
よくみると、結構美しいんだよなぁ。

ソフトウェアは、目に見える形がない。画面のコードだけ。触ることができない。それに比べて、ハードウェアは、触ることができる。
加えて、制御デバイスとか、形のある機械部品って、なんだか個性があって独特の雰囲気がある。

なんだか、ホッとした。こいつを動かす。命を吹き込む。

人が絡む制度は、自力じゃどうにもならないことが多い。迂回するしかなければ、迂回する決断が必要かも。淡々と決めたらいいだけだ。
だけど、ハードウェアもソフトウェアも、自分が間違っていなければきちんと動作する。作ってる人間が壊れてたら、どうにもならん。
ふんばんべ。
メンタル崩壊寸前。なんて言ってられん。

絶望的なサービス品質

僕の、というよりも弊社のこのサイト、実はSSLを立てている。ところが、「更新」手続きの際に、ちゃんとお金を払って、認証キーの再発行を申し込んだのに、レンタルサーバの会社(so-netです)が「古い認証キー」を送ってきた。それで海外の認証局にそのキーを送って、設定した後になってから、so-netは「実は間違ったキーを送りました」と連絡してきた。

その海外の認証局に、「更新されたキー」を登録したら、ところが、全く更新してもらえない。夏休みごろ、ちょうど仕事の納品が重なって、そちらのやり取りに手が出なかった。ここに来て、クレジットカード決済の関係で、国家試験の学習サイトの有償サービスのリンクのエラーがどうにもならなくて、SSLの会社(Comodoという会社です!)に設定を急ぐように依頼した。

散々、so-netとComodoとやり取りした挙句、会社の実在証明で、法務局の法人登記簿謄本のpdfを送ったら、「日本の代理店に送って確認する」とかなんとか返事が返ってきたものの、もう2週間以上、放置されていて、全く手続きが進まない。「クレーム」としてあげると、返事は返ってくるものの、手続きは全く進まない。

結局、1年契約のSSLの認証サービスなのに、もう半年以上、「正しい暗号キー」が設定されないまま、放置されている。

国家試験の学習システム。無償で使う人がほとんどで、実際には商売には全くなっていない。僕自身が教材に使うくらいかなぁ。だから実害が少ないといえば、少ない。だけれども、金を払って「認証局」に暗号キーの認証を依頼した以上、使えるようにして欲しい。

最近ちょっと、イライラがMAXなので、so-netとComodoの実名を出してボヤいてみた。so-netのレンタルサーバは、基幹サーバを全部海外に移転したらしく、IPで辿ったらトルコの住所が出てきた。データベースも、リスポンスが極めて悪い。確かに安い。だけれども、必要最小限のことしかできないし、してくれない。

以前使っていたレンタルサーバの会社、こっちの方が安いとか嫁が言い出して、勝手に一番安いso-netに切り替えてくれたもんで、使い勝手、リスポンス、サービス、最悪になった気分だ。ブチ切れないと、直接文句を言えない僕の性格が良くない。「口出しするな」となぜ言えなかったのか。これも、俺が悪いのか。

大学教員だった頃、サーバの設定に時間をかけることなど、思いもよらなかった。毎年、空きの出た科目の担当を任されて、毎年教材をゼロから作る作業で、臨床工学関連など、気づいて見たら、臨床医学以外は全部の科目を担当していた。流石に、臨床医学は医者でなきゃ無理だからか。暇なんてない。毎年ゼロからの教材作成。だから、30科目近く自分で教材を作った。(お陰様で、臨床医学も含めて、臨床工学の国家試験対策は、全科目担当できる。ありがたいことです。今だから言えるけれども。)それなのに、あの大学では、直属の上司からの「准教授推薦」を3回も蹴られた。こんな感じのブログを書いてましたからね。文句をいう奴は、徹底的に叩き潰す。それは、組織として当然と言えば当然か。黙らせる奴は黙らせる。黙らせられないと思ったら書類を書き換える。それが日本社会。
会社の仕事なんて、全然できなかった。あ、それもやめた理由だったな。大学が忙しすぎて、会社の経理を嫁に任せたら、子供のいない専業主婦なのに、300件程度の領収書の処理に半年以上かけて、しかも、税務署に法人決算の申告をするのに、書類作成に数年がかりで、申告書があまりにも出せないもので、青色申告を取り消された。その時点で、どんなに忙しくても、会社の経理は自分でやる、と決めるべきだったけれども、大学が忙しすぎた。

そもそも、大学の専任教員時代以来、給料の管理も全部嫁に任せていたら、何故か今はもう、実家のあれが壊れても、これが壊れても・・・やめよう。この続きは、適当にご想像を。

結局、現時点で、自分でサーバを立てるなど思いもよらず、レンタルサーバにしても、認証設定を自分でできるように、サーバの言語、RubyにしてもPythonにしても、Rails, Django、あれやこれや、自分で設定できる環境で設定できるような、たぶん、サクラインターネットなら出来るのかな?検索しても、ほとんどそんなところが出てこない。自分でアプリを立てるとしたら、海外のサーバに丸投げしているようなレンタルサーバは、少なくとも自分は、もう絶対に止めることに決めた。

そもそもが、日本の法務局なんて、相変わらずハンコ主義か。ハンコなんて簡単に偽造できるのに。まともな電子化対応ができていない。認証局を国内に探せばよかったんだろうけれども、海外の方が一桁安かった。だから海外の認証局に申し込んだんだけれども、法務局の法人登記簿書類を海外の認証局では扱えない、というのは、(まさか、法人登記簿を要求されて、もしかして、日本の法務局も、英文の登記簿謄本を発行してくれるのかも知れないけれども、)自分でも盲点だった。わかったよ。日本国内では通じる「法人の実在証明」も、海外では通用しない。クレームあげても、蕎麦屋の出前の返事と同じか。「今、日本の代理店に頼んで、登記簿を調べてもらってます。」3週間もかかるか!?いや、うちの嫁は、領収書がたかだか数百枚の法人の決算書類を作るのに、数年がかりだから、相当に忍耐強くはなってるけど。

なんやかやで、日本は本当に遅れているというか、情報系に関して言えば、大企業ほどサービスが悪い気がする。というか、何をすべきか、もしかしたら理解している人間がいないんじゃないのか?責任者ほど、技術をわかっていない。セキュリティなんて、海外任せでいいと思ってるんだろうな、日本の役人は。国内で探すしかないとしたら、国内の認証局は、やたらと値段が高いんだろうなぁ・・・で、海外で探すと、このザマだ。

女の子が親に殺された事件がらみで、国連に「日本の法的不備」を指摘されたらしい。基本的人権についての日本の法律の不備は、昔から言われているけれど、それだけじゃない、情報系に関して言えば、とにかく、仕事の壁は、官公庁じゃないか?目先、役所の窓口で何を言ったって、門前払いだもん。いや、わかるよ。あんた「役人」の仕事をしてたって、「役人」でしかない。その名前以外、一切の能力を持ってない。どうしたらいいか。海外を焚きつけて、大元の官庁をビビらせるしかないんじゃないか?

なんだかもう、絶望的な気分になって来た。稼いでいるつもりなのに、やたらと宅配で化粧品は届くのに、何が壊れても修理が出来ない。

俺、どんな悪いことしたんだろ。

なんで、こんなにブチキレてる?いや、SSHでRaspberry Piと繋ぐのに、トラブったのが発端だった。暗号通信のログを見たら、so-netがらみのゴミが大量に出て来て、それでレンタルサーバの手続きが何も進んでいないのを思い出して、やっぱ、金がないとどうにもならんかと、思った思い出したのが、発端か。だって、自家中毒みたいにゴミが多いと、外部侵入のログの見分けがつかなくなるでしょうが。要するに、ゴミしか吐き出さない信じようとした相手が悪かった、ってことか。ってな発想で、稼いでいるはずの金がどこに消えてるのか・・・俺のタバコとか酒とか?いや、自分の小遣いは法政の非常勤で全部賄ってる。なんでこんなに、頼んだ覚えのない宅配が、俺の名前で届く?

仕事してたら、「今年の法人の決算書」を送らなきゃならない場面があるのに、なぜ、領収書が数百枚程度の会社の決算書類の作成に年単位で時間がかかる?大学と、専門学校の非常勤の他に、会社で請負のソフトを書いて、金の出入りも決算も、全部自分で処理するしかないのか。冷凍食品のレンチンなら、俺だって出来る。朝食の食器が、夜中に母屋に戻ってもそのまま。学校に着ていくワイシャツは、一旦洗濯機の前に置くとタンスに戻るのは2週間後。ここから先、どこまで「やらなきゃならないこと」を増やさなきゃならないのか?いや、洗濯機から取り出して干すのも、食器洗いも、仕事にしたら数十分。学生一人を相手にするのと大差ない。
アレはもう、とっくに諦めて、千葉にいた頃から大人の映像作品頼み。(このページ唯一の下ネタ絡み、だけれども、オトコとして肉体を持っていたら、解決しなきゃならない切実な問題じゃありませんか?)

余計なものを切り捨てないと、仕事だけじゃなく、やらなきゃ生活できないことが増えるだけのような気がする。どのイライラを、どこに、どう、ぶつけていいのか、全くわからなくなった。家庭内?行政サービス?国内の情報サービス?あれやこれや、ループしていて、思考停止状態かも。

真面目に考えて、単身で、会社の拠点を海外に移すのが、生活再建の必須事項か、なんていう気がする。無難な選択って、これしか残っていないかなぁ。
今のゴタゴタは、全部自分の選択ミス!全部俺が悪い。だったら、どうする。思いつかない。悔しい。バカだ。老けた。

10倍速?

microSDのバックアップ作成に失敗。その経緯。まず、Etcherでデバイス指定したら、数100MByte、容量が足りない、と言われた。管理領域を食われたか?と勝手に思って、ddで試す。

sudo dd if=/Users/watashi/Documents/raspi-bup.img of=/dev/diskN

Ctrl-Tで経過観察。遅い。あまりにも遅い。で、Ctrl-Cしてググる。そしたらこれを見つけた。

デバイス名にrを付けて/dev/rdiskNにすると10倍速く焼けます
bs=1mオプションを付けると10倍速く焼けます

速い!絶叫もの。数分で16GByteのmicroSDが焼けた。ラッキー!

と思って、ブートを試したら、kernel panicで起動しない。コピーエラーか。ビット落ち?それとも、キャッシュの誤動作?他のサイトを見ると、bs=1mオプションはつけていたけれども、/dev/rdiskNは指定していない。違いはなんなんだろうか。ざっくりと、直感的に、16GBのフラッシュメモリ(E2PROM)への書き込みが数分で終わる、なんて、ちょっと信じられない。速すぎる。

8GByteで50分かかった、とか書かれていたけれども、そちらのやり方でやるしかないんだろうなぁ。やれやれ。

いや、待て。公称16GByteは、本当にメーカが変わっても完全に同じ16GByteなのか?Etcherの指摘は、デバイスの違いか?それとも、原則可能と信じて試すか?

煮詰まった。ついググって、YouTubeで爆風スランプの Runnerを聞いた。何やってんだか。ついつい・・・

でも、ありがたいんだけれども、いいんだろうか。著作権?ご本人がアップしたのかなぁ。今、本当に、どういう時代なんだろうか。

走る、走る、俺たち。流れる汗もそのままに。の次。

いつか、辿りついたら。

そうだよな、いつかは終わる。マシンに仕事してもらいながら、別の仕事しよ。rを外してダメだったら、Raspbianから入れ直す。長距離走だ!

と思って見たら、JessieがStretchにバージョンアップしていた。スルーしていいんだか、いけないんだか・・・もう、後戻り出来ない。そうだよなぁ・・・

Electron

Raspberry PiのmicroSDの複製を作成するのに、Etcherが便利、らしい。調べて、インストール。

そしたら、「Electronのプラットフォームで作成された」らしく、いや、待てと。Electronって、どこかで目にした。調べてみたら、GitHubの一味か?

https://electronjs.org/

ChromiumとNode.jsを使っており、HTML、CSS、JavaScriptのようなWeb技術で、macOS、Windows、Linuxに対応したデスクトップアプリケーションをつくることができる。(WikiPediaより)

いつ頃から?Version 0.1のリリースが2013年、ネットの記事は2015年頃から。火がついたのは昨年あたりから?そうか、まだそんなに「時代遅れ」でもないのか。
(追記:わかった。いや、十分既に「時代遅れ」です >> 自分)

Ruby on Railsや、Python on Djangoは、MacOSでもWindows, Linuxでも動作する。でも、これらは純粋なサーバアプリだから、用途によってはElectronがいいのかも。これは、回避できない。

さてと・・・

「いつ見ても疲れた顔してる」あ、そうでしょうか。実際、気分的に相当疲れてるかも。Moving Goalpostじゃなくて、Sprung Goalsだからなぁ。モグラ叩き。「使いこなせていない新技術」が、また一つ増えた。


その後、ネットサーフィンして追記:

Apps built on Electron

With Electron, creating a desktop application for your company or idea is easy. Initially developed for GitHub’s Atom editor, Electron has since been used to create applications by companies like Microsoft, Facebook, Slack, and Docker.

Electronで開発されたとされるアプリケーションのリスト:
Skype, GitHub Desktop, Figma, Flow, Beaker Browser, Hyper, Kap
Now Desktop, Insomnia, Svgsus, Simplenote, Collectie, GitKraken
Ghost, WebTorrent, 1Clipboard, Discord, WordPress.com, Caret
JIBO, Visual Studio Code, Kitematic, Slack, Atom

いや、このリスト自体、試しておかなきゃと思うのがあって、手が出ていないというのに・・・。こういう考え方って、良くないよなぁ。最先端のものにすぐに飛びつく。あんた、どーゆーミーハーなんだよ >> 自分

なんて思いつつ、「知ってるよね?」「はい、名前は聞いたことがあります。」「ってことは、使ったことはないんですね?」これは怖い。でも、振り回されると一つも身に付かない。優先順位が大事、なんだろうなぁ。

で、どこから手をつけます?
それはもう、確実にお金になる仕事から、でしょうが!何を悩んでるんだ >> 自分

でも、焦る

焦る、焦る、俺たち。流れる冷や汗もそのままに・・・

派生的な影響

日付が変わったのに、現在もお仕事中。正確に言えば、コマンドを叩いたのが遅すぎたから、時間のかかる処理の応答が返ってこなくて、加えて、マシンの応答が鈍くなりすぎて(わかってます、4つくらいタスクを立ち上げたから・・・)それを待つのに、することがなくて、駄文を書き始めた。

テキストエディタは、軽くていいね。オペレーティングシステムの授業をやってた頃に、学生に何度も行った。「EmacsかVimは、使いこなせるようになれよ。そういうコマンドは、最悪の場合、オペレーティングシステムが起動しなくても、起動用ファイルの修復に使える、不可欠のツールだから。システム復旧を担うような立場になるなら、絶対に覚えておけ」なんて言いつつ、実はVimではなくて、MacのMiで書いてるけど。

夕方、NHKのラジオで言っていた。「外国人労働者の受け入れに伴って、日本国内で、外国人の子供たちの不就学が増加している。国は、地方自治体に全部押し付け。」いや、性悪説には根ざさない。悪いことをして生きようとする子供なんて、生まれてくるはずがない。ただ、生き抜くために、どうしようもなくて悪いことをするようになる子供は、たくさんいる。そう思う。(Ass Holeの糞には、絶対に理解できない)海外のそうした現状を知らない役人が、目先の「外国人受け入れ」に走って、派生的な影響を考えない。日本の場合、犯罪に走らなくても、仕事はある。その結果、日本国内なのに、小学生の年齢の外国人の子供が、工場で働いて、月収十数万円、なんていう話をNHKで流していた。犯罪に走らない、走らせない、それだけ仕事があるのはいいことだとして、じゃぁ、小学生の年齢の子供が教育を受けずに、もしかしたら日本語も話せずに、製造業で仕事をするって、何なの?それでいいの?と思う。日本国憲法は、外国人の教育には言及していない。憲法の改正が必要なら、こっちが先じゃないか?それなのに、安倍総理は軍事ばかり。政権政党の政治家の「あるべき姿の希求」への、感覚の絶対的欠落が、嘆かわしい。

安倍総理の仕事は、業界団体の言いなりが基本。軍需がらみは、全部軍需産業の言い分を丸呑み。それで、武器輸出三原則をあっという間に閣議だけで潰して、日本を武器輸出国にした。アメリカがトランプになってからも、アメリカの軍需産業の言いなり。弱みを握られてますからね。貰うもの貰っちゃったから、仕方ない。金を握ったおかげで、弱みを握られた。本人は、キンタマ握られてる気分なんだろうなぁ。気持ちいいのかね?気持ち悪いのかね?ゴキブリ総理、もとい、5期ぶり総裁。モリカケ、統計不正、何にせよ、隠し事が多すぎる。「外国人労働者受け入れ」だって、日本人の労働者の労働環境すら本気で考えているとは見えない団体の言いなりだから、その子弟の生活だの、受け入れた外国人の待遇だの、本気で考えてるとはとても思えない。等閑、ただその一言。子供たちが可哀想だって、それ以前に、社会人でも孫請けレベルの僕らだって、十分に可哀想なクチだとは思うんだが。仕事の単価を上げたくたって、潤沢な資金のある中小以下の製造業なんて、どこにあるの?それでも、IoTだの情報化だのに対応するのに必死。僕には子供はいないから、単価はいくらだって下げられるけれども、だけど、一応はプロだから、もう少しリアクションのいいマシンで、せめて15万円くらいのハイスペックなコンピュータで仕事をしたい。
と、言いつつ、コンビニなんかで盛んに学生募集しているどこぞの大学では、専任講師の年間の研究費が10万円で、その中から、高校への営業訪問の交通費やら、その際の名刺代やら、全てを賄えってな感じだったから、自力で仕事の環境を構築できる自営に戻ったのは、たぶん正解だし、どうにもならないのは、僕の実力不足、自己管理力不足、なんだろうな。仕方ない、頑張ろう。体が壊れることも、もう怖くはない。後は、行けるところまで行くだけ。

「武器輸出三原則の廃止」にしても、(流石に「核兵器三原則」までは廃止していないけれども、)「外国人受け入れ」とか、あれや、これや、その結果どうなるという「派生効果」をあまりにも、考えていなさすぎる。というよりも、派生効果まで考える能力がない。目先、「支援団体」の言いなりになれば、政権は安定する。あの人は、日本の将来よりも自民党政権の持続、自民党所属政治家の「飯の種」しか考えていない。目先、業界団体の言い分を聞くことで、「このように、皆さんの言い分を聞いて、その通りにしました」と、それを成果に唄うばかりじゃないか、という気がする。
麻生元総理の失言なんて、わかりやすい気がする。あの人、「受け入れた外国人の子弟」がどうなろうが、日本の政治の管轄外だと思っている気がする。失言聞いてりゃ、よくわかる。そもそも、日本人の貧乏人の生活感覚なんて、「なんで俺が、そんなもん気に掛ける必要がある」ってな感じで、言葉の端々に、それしか現れていない。なんで、あんな政治家を選ぶんだろうか。利権主義だろうな。ぶら下がって、陳情すれば、横車を押してでも金儲けができる。地元の選挙民なんて、それしかないのか、という気がする。それが、安倍や麻生を選んだ選挙区民の人間性の限界か。(悔しい、キレのない毒舌。)

トランプを選んだアメリカ国民は、馬鹿だと思っていた。鉄鋼に関税をかければ、アメリカの自動車業界に致命傷を及ぼすくらい、普通に考えていたらわかりそうなもんなのに、「それがアメリカの自動車業界のため」とばかりに、実行しちゃうんだもの。このままトランプなら、いずれ、「アメリカブランドの自動車」を残すために、欧州や日本にアメリカの自動車業界が、ぶら下がるんじゃないか?
メキシコ国境に壁を作れば、不法移民を根絶できる?どういう発想だろうか。例えて言えば、床の上に一面、ゴキブリホイホイを敷き詰めれば、ゴキブリを根絶できる、ってな発想だろうか。ゴキブリに羽があるのを、絶対に理解できてない。ちょっと学習したら、上の方から出てきて、直接食い物に辿り着くと思う。ゴキブリの場合ですが。
あんなのを、大統領に選んじゃうんだから、とも思うが、日本の場合も大差ない。安倍総理の施策、波及効果を考えていないものが多すぎる。現場でそれを処理する官僚も、たぶん今は昔と違って、日本のことなんて考えてもいない。自分の退職後の年金とか、天下り後の、「2年いただけで、退職金数千万円」みたいな外郭団体の給料だとか、その程度の意識しかない人物が、大量に採用されているんだろうか。「官僚集団」という組織の自己防衛に最適な人物(=目先の金になるなら、国のことなんてどうでもいい、悪いことでも平気でします、的な人)に、つい目がいっちゃって、採用したりするのかも。自分はそうじゃない、と思うなら、どんどんと内部告発したらいいのに。もっと波風立てろ、と思う。大丈夫。馘首になって、退職金すらでなくたって、月額数万円で、100円ショップのおかげで、そこそこ「豊か」な生活をしている人は、いくらだっているから。政治のおかげで、そういう生き方を見つけた人は多い。
しかも、田舎に来たら、食うには困らない。「生きている実感」が欲しいなら、それだけは得られる気がする。

もう遅いんだろうな。消費税還元のポイント制度だとか、あれやこれや、武器輸出三原則と同じで、騒いだって、どうにもならないのか。安倍は、強引でしかないから。

ひどいのは、泉佐野市か?本来、別の自治体が「正当に」納付されるはずだった税金を、横取りする、それだけの施策だと思う。「還元」というのは耳障りはいいけれども、それだけ行政が使える「ネット(正味)」が減る、ということだと思う。そうした、ネットの目減りを覚悟してでも、財源に乏しい自治体が、自分たちの工夫次第では財政を整えられる、それを狙った制度なんじゃないか、と思うけれども、アマゾンなんて、あまりにもあざとい。制度の悪用としか思えない。自分さえ良ければ、それでいい、それでアマゾンを儲けさせてでも、かつ、日本国全体としての「税収」なんて知るか、泉佐野市さえ良ければそれでいい、でしょ?泉佐野市も含めて平均すれば、明らかに目減りする。トランプ並みに、「公共」という発想を欠いた施策だと思う。

もっと、もっと、「派生効果」とか、「マクロな視点」とかを、(もう、トランプとか、泉佐野市とか、いい歳して枯れかけて、理解力とか良心とかに期待できない人たちは別にして、)若い柔軟な、次世代の日本人には、「自分がこれをしたら、大きい視点で、こういうメリットがあり、一方で、(ここが大切だけれども、自分以外を含めたマクロでは、)こんなデメリットもある、」と、そういうことを、しっかりと学んで欲しい、という気がする。
教育こそ大事、なんて言いつつ、ぶっちゃけ僕自身も含めて、疲れたら手抜きするからなぁ。

って、なんだか十数分前に、(あの、スローなマシンが)処理を終えて、コマンドが入力待ちになってた。
あまりにも、あまりにも、やるせなくて、書きたいことがありすぎて・・・
もっと、視野を広げようよ・・・ってか、日本ではトランプみたいなのを、選挙で選ばない程度に、賢くなろうよ、なんて思う。

それはそうと、マシンに金をかけられないなら、体力と気力で仕事をする。やっと、応答するようになったもんね。他人はどうでもいい。頑張る。

3期目

やっと仕事が一区切り。これから僕はプログラマ。で、雑用を一気に整理。

どうやら、自治会の会計、3期目もやりそうだ。区長も腹を括ったらしい。皆さんねぇ、「あそこのあの人は?」「定年まであと○年」声をかけても、「悪いなぁ、仕事があるから」いや、それを言うなら、私だって、区長だって、仕事はあるんだけれども・・・

会計をやってると、嫌でも役場への申請書類だの、社会福祉協議会からの文書だの、目を通す。金の流れが把握できる。「会計が嫌なら、区長をやらない?」どうしてそうなるんだよ!「嫌です。まだ、会計の方がいい。」「はい、決まり。」ってな感じだったかなぁ・・・会計のバトンを渡したい人が、そもそもみんなまだ現役。だから、俺だって、現役なんだけど・・・

愚痴っても、仕方なかんべや。待てよ、あの人に3期ぶりに復活してもらう、とか、あの人に4期ぶりに復活してもらう、なんて方策もあるか、と見てみるけど、「もう、勘弁してくれ」だろうなぁ。もう一声、5期ぶりはどうだ?え?5期ぶり?

ふと、ピンときた。安倍→福田→麻生→谷垣→安倍ですよね?確か。安倍総理って、5期ぶりの復活総裁?5期ぶり総裁?あ、ゴキブリ総裁だ!なんてのに気づいてしまった。誰も何も言わないんだもの。でも、5期ぶり復活の際に、きっとマスコミなんかでこの表現出たんだろうなあ。なんだお前、今頃気づいたか、なんて言われそう。遅すぎた!でも、せっかく気づいたんだから、敬意を込めて、今後はゴキブリ総理と呼びたい。亥年ですしね。

それはそうと、3期ぶりのYさんや、5期ぶりのSさんに会計を頼んでも、ダメだろうなぁ。「Sさん、5期ぶり会計、ゴキブリ会計やりません?」喧嘩売ってるのか、って話ですね。新人発掘かぁ。地元の飲み屋に顔出ししても、リタイアした方とか10年も前に役員やったような方ばかり。目ぼしい方は、皆さんまだ現役。さて、どうする!

2期目のこの2年間、何も布石を打たなかった自分が悪いのか?今度こそ、少しは学習しよう。改めて、さて、どうする?

軽い気持ちで・・・

ようやっと、レポート採点の出口が見えた。

「締め切り」後も、レポート提出のフォルダは遮断しないよ、と公言していた。それどころか、大学の正規のレポート提出用のWebサイトを期日で遮断しても、メール提出でギリギリまで受け付けるよ、とも公言していた。確かにまだ、間に合う。

そういうのを言ってしまうと、締め切り後に出す学生が多数。昔は僕もその一人だったから、あまり偉そうなことは言えない。できれば落としたくないから、自分の点数がわかるようにハンドル名で成績を開示して、自分の点数を把握した上で、点数が足りなければ再提出してもらうように、フォルダを一旦閉じて数字を出してから、D評価とかE評価がついている学生には、とにかくレポートを出せ、あるいは出し直せと、促したくて、このやり方をしている。自分の成績にDとかEとかついているのに慌てた学生が、期限外に大量提出してきて、かれこれ400本くらいはプログラムを読んで、走らせて、スコアをつけただろうか。とにかく残り30くらいにはなった。

ところが、見覚えのある動作をするプログラムが、何組も・・・取り出して比べてみたら、ヘッダ部分の「番号と氏名」以外は、デッドコピーで、完全に同一のプログラムが何セットも出ている。僕らが学生だった頃も、そういうケースはあったと思う。三十数年前、まだ大学院生のTAとして採点をした時は、「手書きで書き写す際に、何が正しいか考えているはずだから、書かれている内容が正しければ、全く同じ文章でも、点を出せ」という感じの採点方法だった。だいたい、演算増幅器(オペレーショナル、アンプリファイアー、通称オペアンプ)の動作原理の説明なんて、似たような文章になることはあり得るし、教科書、参考書を読んで書けば、完全なる同一の説明も、出てくる。それはアリだった。ところが今は、読まずに、ファイル名を付け替えて、名前だけ書き直せば、簡単に他人書いたプログラムを自分のものとして提出できて、しかも、一切内容を「書き写す」ことすらせずに、「提出」ができる。これを容認するか、どうするか。自分が提出したファイルの中身を、本人がおそらく見てすらいない。それができてしまう時代になった。

数年前から、(過去の自分のことは棚に上げて)かなり厳しくするようにしている。理由は、世間であまりにも「ごまかし」がまかり通っていて、それが次から次へと表に出てきて、「偉い人」がテレビの中で頭を下げる景色を連日のように見ているから。僕と同世代もいる。きっと学生時代、「適当に書き写したレポート」で卒業単位をもらって、「世の中なんて、チョロいもんさ」とタカをくくって世渡りして来た人たちなんだろうか。だけれども、「社内ルール」を誤魔化して通しても、誤魔化したのがエアバッグのデータだったら、死者が何人も出た。ビルの杭打ちデータなら、大震災で倒壊して死者が出る危険性がある。新幹線のサスペンションの板厚の誤魔化しなら、脱線して数百人が死傷する危険がある。あれも、これも、日本の「安全神話」の根底を壊しにかかっている。「この程度の不正なら、許してあげようよ」は、通していけないんじゃないか、そんな気がして来て、シフトするようになった。

特に強く感じるのは、昔だったらとにかく手書きで、徹夜してでも必死で数十ページになっても「書き写し」てレポートを書き上げたのに、今は、数百行のプログラムをコピーして、名前だけ書き換えて出して来て、本人は読んですらいない、それは問題じゃないか、という点だった。中には、同じエラーを出すプログラムもある。走らせてすらいない。わかりやすいのは、「変数名」の綴りミス。ブロック崩しのブロックがbrockとか、テーブルがtabruになっていたり、これはもう決定的な証拠にさせてもらっている。レポートだったら、typoがあって、(僕のページも結構あると思うけれども、)「実際に試してたみら」なんて表現がそのまま、同じ場所にあったり。

僕ら教員が、「疲れた、面倒臭い」で、「ことを荒立てるのはやめよう」として、彼らの行為を看過したら、その中の何人かは「世の中なんて、チョロいもんさ」という事実を大学生としての経験で、学ぶに違いない。僕は、僕にできることをしたい。だとしたら、「ことを荒立てて」でも、その本人に「世の中そんなに甘くない」と、知らせるべきだとも思った。(思えば、それで公安に噛み付いて、以後の人生は訳がわからなくなった。)でも、誰かが「おかしいだろう」と気づいたら、もはや誤魔化しが効かない時代にシフトしつつある気もする。2チャンネル?WEB?WikiLeaks?あれや、これや、ほんのちょっとでも良心のある人が「これは変だ」と指摘したら、昔なら誤魔化しが通じたものが、根こそぎ表に出る、ある意味で「いい時代」になったとも思う。だからこそ、この程度の「ほんの出来心の」コピーレポート、コピープログラムの提出も、きっちりと、指摘はしておきたい。
いや、見落としがあるだろうことは、自分でもわかっている。僕が見落とした奴はラッキーで、成績がついた。見つかった奴は、アンラッキーで、この単位を落とした、あるいは、数ランク落ちた。そうだろうか。今、まだ学生で、大した実害もないうちに、単位を落とした程度で「学習」してくれたなら、そのほうがよほど、将来の損失を減らせると思う。どうか、指摘された学生の方に「ラッキー」だったと思ってほしい。気づいて、次からは誤魔化しをしない、少なくとも「技術者」としての責任を全うして、嘘はつかないで仕事をする、そうした感覚は持って欲しい。そう思う。

今は手作業でやっているけれども、「レポート」の一致度を測定するツールは、どこかの大学の先生が作ったみたい。多少の表現くらいは、自分なりの工夫で書き直せ、と思う。プログラムの一致度を測定するツールは、昔からある(瑕疵の検出目的のツール)。ちょっといじくって、数百通の提出レポートでも、すべての組み合わせを試して、一致度を測定してグループ分けするプログラム、くらいは、(今度、それを学生の課題に出そうかなぁ・・・)それほど難しくない。

偉そうなことを言うつもりはない。僕らだって学生の頃、先輩のレポートを必死で書き写した記憶はある。ただ、大学2年の頃(よくある、失恋だとか、目標喪失だとか、あれやこれやが重なって)万事にやる気をなくして、実験レポートをまとめなくなって、形だけ先輩のレポートを書き写して出すのが嫌になって、留年を決めたことはあった。(僕には子供がいないから、その辺の親の苦悩はわからないけど、金銭的には親父とお袋は、嘆いただろうなぁ・・・)納得いかなかったら、次に行きたくなかった。そんな妙なプライドはあった。で、留年した。そのお陰で、あのややこしいMaxwellの方程式を解く問題だって、今でも結構覚えている。僕は、それで留年を決めた。訳もわからずに、書き写しただけのレポートを出すのはやめた。自分がそうして来たから、ある意味で、こういうデッドコピーを出すなら、落とすぞと、本気で言える気がする。自分と照らし合わせても、ケンカの後ろめたさがない。

一旦、プログラムを読んで、レポートを読んで、ざっくりとは数字を出した。日付が変わってしまった。明日、もう一度、詳細の確認を取ってから、本人(たち)と、専任の先生に「不正」として連絡する。確か、運用ルールでは、1回目は「警告」で済ませるはずだと思う。2回目なら、今年1年間の全単位没収だっただろうか。

申し訳ない。僕には子供がいないから、子供の学費を払っている親御さんたちの「財布の痛み」は理解できない。だけれども、あなたの子供が「世の中なんて、ちょろいもんさ」と、平気で誤魔化しをして(いや、私もあなたも、時代として適当なチョロまかしなんて咎められない、甘い経験をして育ったかも知れないけれども、)あなたの子供たちは、はるかに厳しい時代を生きることになると思う。ネット社会である。僕らの時代の「セクハラ」の基準とか、「喫煙者への扱い」だとか、そういった、「そんな程度のちょっとしたこと」が、今どれほど厳しくなっているか、思い起こして欲しい。
だからこそ、仮にこれで「留年」が決まったとしても、遠慮なく落としたい。

ただ、これも追記すれば、過去の実績として、「黙って、成績を書き換える」なんてことは絶対にしなかったけれども、学生に背後霊のごとく張り付いて、点数を出せるだけの課題を消化させてから、合格単位を出したことは、昔専任をやってた大学でも、今の非常勤先でも、やったことはある。本人にその気があれば、ですけどね。

とにかくもう、言いたいことは一つだけ。誤魔化すな。ありのままを表に出せ。バグだらけでもいいから、「これが自分の実力です」と、そのままを提出しろ。なまじっか、他人の書いたプログラムを出すよりも、バグだらけの「自力で書いたプログラム」を提出した学生の方に、高い点数を出したい。その気持ちだけは、ずっとある。

一週間、ひたすら学生のプログラムを読み続けて、爆発したなぁ・・・日付が変わった。学生への「通告」は明日。ってか、まだあと30通くらいは、未採点が残ってた。終わる前に、我慢しきれなくて、ネットに書いちゃったけれども。

未来志向

日本戦犯企業からの製品購入 条例化で制限へ=韓国・ソウル市議会
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190129-00000062-yonh-kr

あ、いや、Yahooより、こっちにリンクを貼ろうかな。
http://blog.esuteru.com/archives/9260702.html

これが「未来志向」か?未来って言葉の意味をわかってるのかな?
っていうより、語るべき未来を持てないと、「未来志向」がこうなる、っていうサンプルか?

日本を「仮想敵」扱いして準備してきた韓国軍
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190130-00055339-jbpressz-int

そうか。納得した。そういうことか。
合点、合点、合点!

現在の日本人で、朝鮮半島に恨まれるようなことをした人間(責任者)が一体何人いる?責任のあった立場の人なんて、もうみんな死んでるし、その世代が補償金を払ったはずなのに、なぜこれほどまでに恨まれなきゃならんのか。

友好国ではなくて敵国なのなら、北朝鮮と同様に、武器に転用可能な電子機器一切、武器を製造可能な工作機械一切の禁輸措置を取るべきじゃないか?

すぐやれ!って思う。

最近、僕は、発言を聞いただけだと、北朝鮮と韓国の区別がつかない。
双子っていうか、さすが同一民族だなぁ。

最近驚いているのは、僕は自分なり、かなり左寄り、いわゆるリベラルだと思っていたんだが、こんなに右寄りにシフトした発言を、書かずにいられない自分を再発見したこと。

データの読み方

専門学校の3年の授業が終わった。今日が最終回。
みんな国家試験対策で本気になって、言い方は悪いけれども、ようやっと話を聞いてもらえるというか、これまでも試験対策に役立つ事をずっと話してきた、ということが通じてきた、というべきか・・・。どこの学校でも、学生のマジョリティは、「何のために勉強しているのか」という根本的なところで、答えを持っていない、そんな気がすごくして、今日もその思いが強かった。けれども、ようやく学生と同じ方向を向いて授業を出来たというか・・・

言い方は悪いんだけれども、どうしてもっと早く、「今日聞いた話は、今日吸収するんだ」ということに気付いてくれなかったのか、その「残念感」はあるものの、最後の最後に同じ方向を向けて良かったかな、なんてことは思う。本当に、試験が目の前にならないと、なかなか本気にならないんだよなぁ。

一度やってみたい授業は、「科目」とか「課題」に囚われず、「何を学ぶと何がわかるようになるのか」「何を勉強したらいいのか」「何をしたいなら何を学んだらいいのか」「何をできるようになるには、今何を学べばいいのか」そこのところを話してみたい、そんな気がする。僕の引き出し。青年海外協力隊の経験、自分で会社をやろうとしている経験(未だに「やろうとしている」という言い方しかできないのは、引っかかるが・・・)、医療機器メーカーでのサラリーマン経験、その前の「社会人一年生」経験、学位を取るために「研究」を志した経験、自営業での「開発」の経験、その他諸々、一度、とにかく「シラバスに則った授業」という形で学生に接する前に、「君らは何をやりたい?」「どうありたい?」「どうなりたい?」「どう生きたい?」そこから始めて「だったら今、学校という場所をどう活用したらいい?」「何を学んだらいい?」そこにつなげる授業をやってみたいと、今日すごく感じた。

2年生に喝を入れた。最近、「説教めいた話」もするようになった。一言で言えば、俺も老けた。でも、真剣に聞いてくれるから、話した。「そもそも、君らは、金を払って学校に来てるんでしょ?だったら、『先生の授業、わかりにくい』とか『先生の話し方、退屈だ』とか、言っていいんだよ、遠慮せずに。極論すれば、『金返せ』っていう資格があるんだよ。」なんてことも話した。ただ、その前に、金返せって言いたくなるほど、「何かを身に付けたい」と思って学校に来ているかどうか、そこに問題があったりする。黙って座れば、ピタリと当たる、じゃなかった、黙って座っていれば、ひとりでにスキルアップする、そんなことはあり得ない。能動的に、これを身に付けたい、今の3年生がいい例だけれども、絶対に国家試験には受かりたい、それでいい、何か強烈なモチベーションがなければ、あまりにも、受動的すぎて、日本の持っている教育制度も悲しくなってしまう。そのモチベーションを持ってもらうことこそが、全てに先行すべきなんじゃないか、そんな気がすごくした。

大学でも、「プログラムを書けるようになりたい」というモチベーションを持っている学生は、レポートを読んでいて伝わるものが何かある。一喜一憂して、感情移入しながら読むっていうのは、あまりいいことじゃないのかも知れない。淡々と、成績評価して点数をつけていく、そういう作業の仕方をしないと、身が持たない気もするし、その方が客観的に説明しやすい評価になる。だけれども、「プログラムを書けるようになりたい」と本気で課題に取り組んだ学生には、やはりそれなりに・・・甘くなったりしているかも知れない。うまく説明できない。微妙な言葉の使い回しで、そんな気がする、それだけなのだけれども。(でも、やっぱり、読んでいてい疲れる。)

テニスの大坂選手の一言に、すごいと思った。「感情のスイッチを切った。」なんていう一言をどこかの番組で耳にした。(耳にしたんだから、ラジオか。)それはそれで大事。だけどなぁ。この場合、どっちがいいんだか。

表題は、なんでしたっけ?
昨今統計問題でモメているけれども、教育で欠けているものに、「データの読み方」なんていうのがないかい?なんてことも感じている。数字やデータから何を取り出すか。どんな数字から何がわかるか。逆に言えば、何を知るためにどんな数字が必要か。大学の科目によってはそういう授業も展開されている気がするけれども、さらに抽象化した言い方をすれば、「情報をどう捌くか」という辺りが大切なんじゃないか、とも思う。

子供たちが日々接するネットの情報や、周囲の友人知人からの情報から、実はこんなことが抽出できる。裏サイトみたいなところで流れる情報も、読み方を変えれば、こんなことがわかる。そうした「情報に対する免疫」みたいな部分を、もっと教える必要があるんじゃないか、そんな気もしてならない。料理方法がわからなければ、勉強だって「意味のない暗記競争」になってしまう。何か、統計問題で世間が揉めているのを聞いていても、ふーん、っていう感じしか湧かないのは、「何か大変なことが起きた」という騒ぎの大きさと、具体的に「何がどう大変な事態なのか」という意味付けの希薄さと、その辺のギャップがあるから、なのかも知れない。情報にしても、データにしても、意味付けっていうのは大切。ただ、一人ひとりにとっての「意味」は、その人の価値観に根ざしたもので、漠然と流されて生きていたら、意味なんてない、ということは、データも情報も統計も、どれにも共通で、一定の「価値観」にかざさなければ、何も意味は出てこない、そんな気もする。

もう、何度も蒸し返している。週刊朝日だったかが「日本軍によるレイプ被害が、10万人以上」(確か、十数万人だったと思うけれども、正確な数字を思い出せない)なんていう記事を掲載した時、ニューギニア方面遺族会の田所会長に、すぐにFAXを流した。あまりにも、あり得ない数字だ。僕はニューギニアの州政府にいたから、日本軍の動線沿いの人口データを持っていたし、人口増加率などの数字の推移も把握していた。重ねてみると、人口増加率から遡って当時のラバウル、ポポンデッタから、MoMaSe(モロべ、マダン、セピック)地域の人口を逆算したら、概算で50万人から100万人。そのうち、日本軍の動線に重ならない地域を除外すると、総人口でも15万人から、多くても40万人の範囲、とか、ざっくりとそんな数字を試算した。(今は、細かい根拠の数字を思い出せない。)結論から言えば(極論すれば、かなり誇張して書くけれども、)人口30万人の地域で15万人がレイプされた、という報道が流れたら、どう判断するか。「え?日本軍て、そんなに残虐だったんだ!」というのが世界の反応か?あなたもそう思いますか、という疑問である。バカバカしくて、ここから先は書く気にならない。
ところが、そういう数字が流れても、「ほら、日本人はこんなに残忍だ」というのを、雑誌に書く記者がいる。あちこちで演説する人がいる。南京大虐殺の100万人という「書籍」から流れ出た数字で、世界は「やっぱり日本人は残忍だ」と信じたらしい。欧米でも。未だに、それを口にして記事を書いている人がいるみたいだし。
データの読み方の教育が必要なのは、日本だけじゃないのかも知れない。加えて言えば、フェイクニュースへの免疫も、(僕自身も含めて)あまりない。悔しいけれども、ローマ法王がトランプ大統領への支持を口にしたというニュースを、僕は信じてしまった。迂闊にも。バカだよなぁ–> 自分!「日本人のうち、生きていて面白くないと思っている人が2億人もいる」なんて誰かが書いたら、「そうか、日本人てのは、なんて不幸な民族なんだ」なんて結論を出したりするんだろうか。

データの読み方っていうか、情報の捌き方、っていうか、その辺のところが、今一番大切なんじゃないか、なんてことを、学生と接していて、すごく感じたりした。なんだか、もっと、そちらにシフトした授業をやってみたい、なんてことを、すごく思った。生体計測っていう科目の都合上、出そうと思えば数字満載の授業もできる。ただ、国試対策だと「暗記科目」ではある。その辺にギャップはあるけれど。
そう言えば、大学にいた頃、「フレッシュセミナー」なんていうホームルームみたいなコマがあって、結構そういう授業をやったことがあって、その時に担当した学年が、その時既に僕は大学教員を辞めていたのに、謝恩会に呼んでくれたりした。嬉しかったです。とっても。

ただまだ、漠然と、具体的にどういう展開で話が出来るか、なんて、そこまで具体的に見えている訳じゃないけれども、なんとなく、最初に学生に伝えるべきだったことは、こちらなんじゃないか、なんて、そんな気がすごくした。勉強内容を伝えきれたかどうか、以前に、もっとずっと早くから、どういう姿勢で授業に出てきてくれと、そちらで伝えることができたはずの事を、僕は伝えなかったのかも知れない、なんだかそちらの方が、妙に思い残された、そんな気がした最終回、だった気がする。

漠然としすぎていますが・・・

いずれにせよ、もう少しで3月までは会社の仕事に専念できる。プログラマ100%で仕事に集中できる。もう一踏ん張りで、頭を切り替えたい。
これも数字だけれども、年金が全然頼れない。だから生涯現役のつもりで会社中心に戻そうとしているんだから・・・現実を見据えて!

忖度

ニュース配信を見たけれども、不思議なくらい、レーダ照射だの哨戒機低空飛行だのの話題が止まった。一体何が起きたんだろう?よくわからんけど。

日本は、こういう事態での「情報発信能力が低い」とか、よく言われる。自分が思うに、根底にあるのは、やっぱり武士道っていうか(海外ウケを狙って書くなら、サムライ・マインドっていうか、)あれ、忖度だとか、惻隠の情だとか、敵の事情を慮って、トドメを刺しにいかないことを上策とする、というか、逆の言い方をすれば「詰めが甘い」ということになるんだろうか。サムライどうしならそれでもいいとして、相手がサムライ(同じ文化的ルーツを持つ相手)でなければ、それは通じない。その認識が欠けているのかも知れない。

思い出すのが、未だに問題がくすぶっている従軍慰安婦問題。
軍による強制連行は、現地で調べた結果として、「そんなことは、ここでは起きたと聞いていない」という証言があって、「起きた」事実を必死に探したのに見つからなかった、という報道があってすら、「起きた」ことが無条件に史実となって、拡散した。もはや、止める術がない。海外に濫立する慰安婦像は、自分の親に金で売られた気の毒な女の子たちの像だと自分には思える。日本でも同じ状況は江戸時代以来綿々と続いていた。ただ、海外に濫立している像の「金で我が子を打った親」は、少なくとも日本人じゃない。その事実を、アジアの文化を知らない海外の人たちには、伝えようがない。加えて、日本国内のイデオロギー対立が盲目的に、「事実検証」の過程をサボって「起きた」「起きた」と騒いだ結果が、今なのだろうと思える。
左系の記者には、歴史学者級の検証責任は求められていない。あ、そう言うことか。でも世間には、メディアの記者と歴史学者の見分けがつかない。

類似の事例は、南京大虐殺だと思う。最初は、「あぁ、日本はそんなにひどいことをした歴史を隠していたんだ」と、素直に信じていた。ただ、パプアニューギニアでの遺骨収集を手伝った後、ニューギニアでの「レイプ被害」の、朝日新聞系の雑誌の記事を読んで、数字に違和感を感じた。

二つの話題が重なるので、先にパプアニューギニアの話題を書くなら、僕が遺骨収集を手伝っていた頃、「日本兵による戦時中の被害を申し出る、申し込み用紙」なる紙切れがばら撒かれていて、「お前、これを預かってくれるか」という感じで現地の人に話しかけられた。その「申し込み用紙」を見たら、「肉親が殺された」「家財を焼かれた」「レイプされた」などのどれかにチェックを入れて、あとは、補償を受けたい人(またはその親族)の住所氏名を記入すれば、補償金を受け取れる、的な文章が書かれていて、その時は「なんじゃこれ」と思って、「悪いけど、俺には関係ないから」と突き返しただけだったのだけれど、帰国して、雑誌の記事を読んでから、あ、あれか、と思った。合算した数字を見たら、それこそ、赤ん坊からおばあちゃんまで、根こそぎレイプされていなければ成り立たないような数字が、日本の雑誌に掲載されていた。これが海外に逆流したのか、とも思った。
いや、ゼロとは言わない。実際に、母親が日本兵にレイプされたという知人がいる。彼の話をとことん聞いた。「夜な夜な、日本兵が家まで来て、母親を連れて行った。ある夜、母は股関節が外れた状態で、まともに歩けない状態で、日本兵に家に連れて戻された。」そうした話も聞いている。ゼロじゃないのは知っている。凄惨な現場だったのだろうと思う。ピジン語でよければ、当時の会話の一部は再生できる程度にまだ記憶している。いずれにせよ、数字は数字としておかしい。

話題が一つ前に戻るけれども、韓国の従軍慰安婦問題。「強制連行」があったとしている人の誰一人として、「現地踏査」の強制連行の現場を説明していない。慰安婦の方々を責めたくないから、あまり書きたくなかった。韓国では、「貞節」は大切なものとされ、一度でも「レイプ」などされたら社会から受け入れられなくなる、と聞いている。それは日本も同じだったから、理解できる。だから、かなり長い間慰安婦の方々は、売春を恥じて社会から距離を置いて生きてきた。その「売春」が親によって強制されたものだとしても、結果が全てだった。そこに、「強制連行」の話題が降って湧いた。(金日成の情報戦略だと思う。)故郷に帰りたい、もう一度社会に戻りたい、その一心で嘘をついて、(日本のWEBサイトでは、慰安婦の方々の証言の二転三転を取り上げているけれども、)もう一度生まれ故郷に戻って、もう親はいないにしても、少なくとも後ろ指を指されない状態で、社会に戻りたい、その一心で、必死で「報道」から流れてくる話題に話を合わせた。その慰安婦の方々の「証言」を切り捨てたくない。自分を自分として生きるために、必死の方々なのだから。だけれども、それを「日本」という国家に対する「敵対心」の根拠とされることには、自分としては抵抗したい。
あなた方、韓国の社会が、慰安婦のような人間を隣人として受け入れないから、日本を悪者にして彼女たちは嘘をつくことになったんでしょう?と言いたい。「強制連行」の事実があったのか、現地踏査で、もう一度徹底的に聞き込みを行なって、証言を集め、その上で今後の議論を進めて欲しいと思う。あれは、金日成氏の戦術が成功した事例だと、私は考える。加えて言えば、李承晩の教育施策で教えている内容が、どの程度歴史的事実と合致しているか、徹底検証して欲しいと、韓国には願う。
話を戻す。

そういう(パプアニューギニアでの経験での)「疑い」の目で、南京大虐殺の数字を見ると、100万人が殺されたという数字どころか、20万人だって、どう考えても多すぎる、と思った。
逆に、「殺す側」の立場で考えてみたらどうなるか。ヒロシマに原爆を落として14万人。東京大空襲では、東京が焼け野原になった。それで死者は10万人以上、とされている。正確な数はわからない。それほどに焼け尽くされた。(相手はアメリカ、ですけどね。)
カンボジアのポルポトが虐殺した数が、4年間に300万人以上。これは確かに多い。で、南京にいた日本兵の数が、約20師団で10万人、らしい。ざっくりと。この辺は(ネットでは)日本人が山ほど書いているけれども、10万人の兵力で20万人を殺す?仮にそれを「ノルマ」として課せられたとして、どうするか。いや、雑誌ベースなら、大した弾薬、経験もない10万人の兵隊が、100万人を虐殺?どの程度の期間で?どんなゲームの世界設定?と思える数字を、全米が信じた?
映画の宣伝で「全米が興奮」とかあるけれども、「全米」ってどんな単細胞なんだ?

当時の南京市民に「日本兵が虐殺を始めた」という噂は立たなかったのか?普通なら逃げると思う。局所的に数百人が殺されることはあったとして、そうした噂が広まったなら、誰もが必死に逃げようとして、20万人も殺される事態にはならないんじゃないか、と思えた。そもそも、20万人という人口が、10万人の日本兵に囲まれるように居住していたならまだ可能だと思うけれども、そんな都市の人口分布が、あの広大な面積のある中国の都市に存在するか?という疑問もある。で、そうなっていたとして、日本側の「行くぞ」で、一斉に南京市民が殺される事態になった?それがあり得たというのが中国とか、在外中国人の主張だと思うが、一度シミュレーションしてみたらどうなんだろうか、と自分は思う。山羊や羊だって逃げると思う。それを人間が逃げなかった?それなのに、100万人とかいう本が出版されると、欧米人はすぐにそういう数字を信じる。従軍慰安婦もそう。フェイクでもなんでも、叫んだもの勝ちなのか、とそんな気がする。

東條英機はポルポトとは違う。確かに「戦犯」には違いなく、日本が勝つと信じて戦ったのは間違いないとして、それでも虐殺のために戦争を継続したのではなく、ただ状況判断や、視野の広さが至らなかったのだろうと自分は思う。
視野の広さというならば、韓国の文大統領だって大差がないと思う。今回韓国の軍部に何を言わせたか、それを見たら、ほとんど違いが見えない。あれは、韓国の軍人が気の毒だ。私たちゃ、腰抜け集団です、ってのに匹敵する発言をテレビで流している。つまり、シビリアンコントロールで、大統領が逆らえない軍人に記者会見させた。
国家指導者なんて、誰もが一応は「国益」を必死に考えて動いている訳で、誰が「戦争犯罪人」か、なんて、結果だけの問題だという気がする。歴史の流れで、東條英機に全責任を押し付けられていたりするけれども、私にはトランプの方がよほど「国家反逆罪」の首謀者に思える。文大統領だって、大差がない。「戦争」しないから、「敗戦の将」にならないだけ、じゃないかな?

いわゆる「極東裁判」は、ほとんど「見直し」はされていない。今時、「和食」として納豆やゴボウを食ったことのある外国人も多いと思うが、その納豆やゴボウを「捕虜」に食わせた料理当番の当番兵は、極東裁判で(腐ったものや木の根を食わせた、として)「捕虜虐待」で死刑にされた、と聞いている。(細かいところは、調べて書いていない。)少なくとも、そうした話題が日本では語り継がれるほど、極東裁判は欧米に一方的に「善悪」を押し付けられ、一方的に「あれは犯罪」とされ、時には、欧米側を正当化するために、一方的に日本側の「悪行」を(裁判で)「認定」された。「南京大虐殺」の「発端」は、その裁判資料にある、と、自分は理解している。そこにつけ込んだ中国共産党が、話を膨らませて、「南京大虐殺」に仕上げて、「反日」で世論操作に使った。いい迷惑だ、と思う。全ては「敗戦国」になってしまったから、というのが発端にある。と自分は理解している。

せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回、韓国が全世界に(6ヶ国語で?8ヶ国語で?)日本による「挑発行為」を発信したけれども、どう見てもあれは、韓国軍による、北朝鮮への瀬取りの支援だったんじゃないか、と思う。それを、ああして「自分たちには非がない」的に情報発信して、哨戒機が写真撮影することを必死で妨害しようとした。
それを、頭ごなしには叩かない、その日本の「忖度」の感覚が、(そんな、冒頭にも書いたサムライ・マインドというか、惻隠の情というべきか、日本的な感覚が)海外には通じないという事実は、僕らは自覚すべきなのかもしれない。
通じていないならば、「なぜ反論しなかったか」を世界に知らしめるべきだと思う。

重ねて言えば、せっかく、韓国がチャンスを作ってくれた。
今回日本は、韓国の攻撃用ロック・オン・レーダの周波数も何もかも、詳細を(韓国メディアにどれほど叩かれても)公開しなかった。それが、韓国の国益を損なわないためだという日本側の論理は、おそらく、韓国のメディアには通じないのかもしれない。それでも、公開しなかった。それが、日本側の「倫理観」としては間違っていなかったと、その日本側の「サムライ」的な感覚に基づくことだけは、何としても、全世界に伝えるべきだと、自分は思う。
今回の「レーダ発射」では、日本は何もしていない、何かしていたのは、韓国軍で、それは北朝鮮への競取りの支援だ、と、それは事実を世界に伝えるべきだと、僕は思う。立場が悪くなったら、日本的な「忖度」などやめて、韓国軍の機密情報だろうが、全部世界に公表すべきだ。サムライ・マインドなんて、どこにも通じないと思う。

僕がニューギニアに行ったのは、青年海外協力隊員として。システム・エンジニア隊員として、州政府の教育局に就いた。いや、パソコンにデータを入れるだけですよ。任務は。日本では、VAX/11も使ったし、日立製作所の独自テープフォーマットを、バイナリレベルで読んで画像を取り出すみたいな、「力技」を余儀無くされる状況で卒論も書いた。それなのに、おそらくはCOBOLを使ったことがない、っていう理由だけで、データ入力だけすればいい任地に割り振られた。それはそれで、「運命」だったんだろうな。そんなところにも、僕の「鬱憤」の鬱々とした文句の源泉はあるけれども、それはさておき、パプアニューギニアでは、太平洋戦争での、数えきれないほどの「遺骨」とか、「全滅の現場」に立ち会った。彼らが「望郷」の思いだけを残したのか、「怨念」まで残したのかは、なんとも言えない。
だけれども、彼らが「人」として残した思いに感情移入すると、なんとも黙ってはいられない感情が吹き上げてくる。そして、(もしかしたら、千鳥ヶ淵墓苑にも、すでに大量に納骨されてしまったに違いない、)日本人ばかりではない、韓国人、北朝鮮人(当時は、どちらも日本兵だった、だから、大量に千鳥ヶ淵にいる、)そして、ニューギニア人、オーストラリア人、フィリピン人などなどの、どさくさ紛れのその遺骨達の、その主の思いを重ねるに、もう、「戦争」は言うまでもなく、トランプだとか、文だとか、あの辺の「対立」を煽るだけの国家元首は、どうにかしてくれと、その辺の思いが吹き出して、自分として曰く御し難い。感情が吹き出した。Out of Control.かな。

僕は日本人だ。だから、日本人としての立場で物事を考える。だけれども、日本的な感覚で物事を考えても、海外には通じない。それがとにかく悔しい。フェイクを叫び続けること自体が、悪だ、そんな感覚よりも、執拗にフェイクを「事実だ」と叫んで、世界がそれを信じれば、事実なんていかようにでも書き換えられる、そうした現状が、悔しい。従軍慰安婦、そして南京大虐殺。

書いていて、気づいた。今日は、相当に僕自身「壊れて」いる。もう、収取がつかない。書くのをやめる。アメリカンコミックみたいな状況を簡単に世界が信じることが、僕には信じられない。

要するに、「サムライ」なんて時代遅れだね。これが結論かな。「忖度できる」そんな日本文化は、要らないだけ、だと思った。

CMさま様

採点シーズン。疲れた。

飯食って、ぼーっとテレビを見てた。難しいのは嫌だ。バラエティ、かな?アフリカのヒョウの密漁。なんか、このまま尻に根が生えそうな感じ。え?原因は?対策は?ワクワク・・・って、いいところで CM

CMが1本、2本、3本・・・なんだかイライラしてくる。次もCMだったら、もう立って事務所に戻ろう。次もCM。いや、もしかしたら、次は続きをやるかも。で、やっぱりCM。なんだか、イライラしてきた。やることあるんだもん。で、そこで踏ん切りをつけて、事務所に戻った。ってな具合にはいかず、椅子から立ってトイレ行って戻ったら、続きをやってた。フェイクのヒョウ皮を儀式に使ってもらうことで、ヒョウの密漁の「需要」を絶ったらしい。めでたしめでたし。そしたら、次のトピクス?いや、つい見ちゃう。え?15歳の男の子の失踪?どうしたんだろう?ってなところでCM。

既に、椅子からは立ち上がってたので、そのまま事務所に戻った。あれ、CMがあんなに長くなかったら、ずっと続きを見てたかも。テレビの前にかじりつかないためには、CMって結構いいかも。

レポート採点の再開。そうしたら、こんな記述に出くわした。

課題の目的:ゲームの開発をマスターすることである。

ちが〜〜う!違う、違う!

いや、どうせなら楽しく学んでもらいましょう、ってな視点で、ブロック崩しだの、マインスイーパだの、ゲームを題材にしたプログラミング課題満載ではあるけれども(僕が構成したんじゃなくて、専任のS先生です!)、別にゲームの開発をマスターしてもらいたくて、ゲームを課題に掲げているんじゃない!

だからって、減点はしないけれども・・・最終レポートだから、「構想力」だとか、「物理モデルの設計」だとか、色々あるんだから・・・なんか、勘違いしてるよなぁ・・・

一喜一憂の採点作業。いいレポートを読むと、疲れが吹き飛ぶ。でも、逆もあるし。CMは流れないから、気分転換では、当然一服。コーヒー、紅茶、お茶でお腹がガボガボ。

なんか、こう、CMみたく、受動的なブレイクが欲しいね。
ついでに、CM見てあげるんだから、いくらかお金にならない?

経済制裁

早朝からNHKラジオ。
韓国の軍部が「新指針」。冷静になるようにと、日本側、とのニュース。

朝鮮半島周辺で今問題なのは、北朝鮮による「瀬取り」だと、韓国はわかっているのか?
【韓国レーダー照射】北朝鮮の瀬取り支援疑惑浮上…韓国、日本が金融制裁なら通貨危機に発展も
https://biz-journal.jp/2019/01/post_26230.html
これだ、と思う。

さらに言えば、ことの本質は北朝鮮経済の危機的状況、なんだろうとも思うが、駆け引きに明け暮れて実質的な進捗がなければ、経済制裁を解除するキッカケがない。そこに遡らずに、目先、北朝鮮の瀬取り支援という形で「経済支援」をしている韓国の現状を、証拠映像とともに国際社会に出すしか、現時点では方策がないような気がする。

引用した記事にあった

また、たとえば文大統領が「SDNリスト」(アメリカの経済制裁の対象となる人や国、法人のリスト)入りすれば、韓国内の文大統領の銀行口座などは凍結され、それに応じなければ韓国の銀行はドル決済ができなくなって経営危機に陥ることになる。

これは、あり得るシナリオじゃなかろうか。

僕は政治家でもなければ、評論家でもない。一個人として思うことは、拉致日本人の帰国だけ。次に、北朝鮮の人たちがこれ以上飢えることがないように、経済封鎖解除の口実を北朝鮮が作ること。望むとしたら、その程度だろうか。韓国が前者に興味を持たないのは仕方ないとして、後者について言えば、韓国の行動は、問題の本質的な解決から遠ざかる方向に向かっている気がする。

ストレスと恐怖と

夜9時には眠くて、テレビをつけたまま眠っちゃって、目が醒めてしまった午前4時。
これぞ、ジジイの証!

やることが多い。細かく分解したToDoが20項目を超える。今日中に、なんてつもりのがそのうち二つ。次に急ぐのは、定期試験の問題作成か。専門学校は、大学より一ヶ月遅い。
やり方のわかる仕事でも、規模が大きくなり数が増えると、面倒臭いと言うか大変と言うか、手をつけるのがシンドイと思うことがなくはない。だけれども、「面倒」だとか「大変」だとか思った瞬間に、「あ、負けてる」と思うようになった。気持ちで負けると、仕事は仕上がらない。
昨日、学生のプログラミング発表会があった。性格の明るい子、暗い子、色々で「プレゼンテーション」としては評価は分かれるけれども、コンテンツはどの子も素晴らしかった。「楽しい」と感じられるなら、面倒なプログラミングも苦にならない。それが仕事となってしまうと、同じことをやっていても、ハードルがものすごく高くなる。「仕事だ」から「やらなきゃならない」になり、それが「面倒臭い」となったら、それだけで勢いが止まる。
勢いだけで仕事をして、勢いだけで言葉を発している僕にとっては、もうこれは致命傷で、どんなに面倒臭いと思っても、コンスタントにアウトプットを出せるように自分を仕向けるのが、自己管理の第一歩だ、なんてことに気付いたのは、「ジジイ」にまで至らないまでも、もう「いい歳した大人」になってから、だったかも知れない。

これって、子供の頃、親に褒めてもらった経験があるとか、ないとか、そういうのも関係していて、人によってはもっと早いのかも知れないけれども、少なくとも僕自身は、自分自身で「面白い」と思えなくなると、いい歳した大人になっても、何もできない傾向は強かった。

スキーで言えば、急斜面に挑む、って言うか、なけなしの格闘経験で言えば、柔道で試合に臨むとか、そういう時にも、もしかしたら似たような気持ちがあるのかも知れない。
この場合には、「面白い」と思えるかどうか、よりも、「恐怖」とのちょっとした戦いもあるような気がする。未知の相手に挑む。不思議と、多少なりとも経験を積んでくると、相手が未知であっても、例えば、初めてのゲレンデであったり、初めて組む相手であったりしても、それほど恐怖は感じなくなったりして、自分はどうすべきか、冷静な判断っていうか、「ここは、あのコブを右から回る」とか、「この人は、押されると弱そうだ」とか、「冷静な判断」ができるようになってくる、ような気がする。

さてと、長すぎる前戯、もとい、長すぎる話の枕。(いかんなぁ、午前4時とかだと、ついこういう単語が・・・)ここからが本題。

日本には軍隊はない、と信じている。自衛隊は、言ってみれば「護身術」というか、身を守るためのものであって、攻めるための組織ではない。それは憲法で定め、ちょっとでも外に出ようとすると、鬱陶しいくらいの議論が国内で湧き上がる。それでいいと僕は思っている。あくまでも、Self Defence Forceであって、それを看板にしているのは日本だけだと思う。仮に、国連のPKOに参加するに障壁があったとしても、むしろ誇らしいことだと自分は考えている。個人の考えです。
PKOったって、戦闘やめさせるのに武力が必要っていう前に、武器の流通を止めろ、と。蛇口を全開のままで、水を汲み上げるポンプを世界中から集める、っていう発想が間違ってると思う。水商売の方々に議論が翻弄されているんだ。いかん、話を戻す。

自衛のためであっても、いざという場面に遭遇した際には、冷静に状況分析して次に何をすべきか判断し、あって欲しくはないけれども、いざとなったら命をかけてでも戦うという行為をしなければならない人たちだと思う。敬意を評したい。恐怖や、ストレスを感じる前に、やるべきことを冷静に判断し、戦わなければならない。

ところが、徒にやれ「恐怖を感じるほどの距離」だとか、「威嚇だ」とかいう感情的なリアクションをもし自衛隊が口にしたとしたら、「あんたら、自分たちの職業をわかっているのか」と言いたい気がする。「この腰抜け」と。

マスコミに出てきて「怖かった」とか「恐怖を感じた」とか、ごちゃごちゃ言う前に、なぜそうした状況になったのか、なぜ相手がそこにいたのか、それを冷静に分析すべき立場だろうと、自分は考える。そうした分析ができないのなら、そうした職業を名乗るな、と言いたい。それで給料をもらうな、と言いたい。
戦闘状況になるなどは、絶対に避けるべきだ。それを避けるために外交がある。いかにして、他国と友好関係を築くか、自国の感情のままに相手を翻弄する、それは外交ではなく、幼稚な自己主張だと自分は思う。

翻って、外交機関に「友好構築」という機能を委ねた上で、国防の最前線では、可能な限り抑制的に、ちょっとでも危険的な接触があっても、感情的になるのではなく冷静に、なぜ、その場でコンタクトが起きたのか、分析すべきなのだと思う。自国の民間人が相手国のEEZを犯していないか、原因は色々とあるはずで、その分析もせずに「恐怖した」とか「怖かった」とか、そんなことをマスコミで発表するような「腰抜け」とか「能無し(脳無し)」は、日本には要らないと思う。
日本の自衛隊の話です。念のため。外国の軍隊のことだったら、腰抜けとか脳無しの方が、ありがたい。

いずれにせよ、仕事として行うなら、相手の立場を尊重し、というよりも、歴史も事態の背景も、すべて正確に相手を理解して、友好関係を築くことを外交の主目的とすべきだ。どんな仕事でも似たようなことが言えるという気がする。そもそも、相手を正確に理解せずに戦うなど、目隠ししてコブ斜面に挑むに等しい。独裁者は平気でそれをやるから、やたらと自国民が死に難民が増える。

子供の頃はとにかく、相手の主張に耳を傾けることができなかった。自分は、どれほどジジイになってから、多少なりとも相手の立場を理解できるようになったのか、自分はとにかく遅かったけれども、やっぱりガキには難しいんだろうな。
それでも、職業としてその立場についたら、面倒なことでも「面倒」だと考えずに出来るようになるのが、大人、なんだろうな。なんてことを、自分に言い聞かせている。

ToDoが多すぎる。目がさめちゃった。(朝が早いのは、ジジイの証!)
今日の仕事、始めようか。
ほんと、「暇」がない。時間に余裕があったら、あのニュースを耳にした次の瞬間に、このページを書いていたんだけれども・・・

庇(かば)い手

高校2年の時、体育祭の行事で騎馬戦があった。僕は馬の上に乗って、相手と取っ組み合いする騎手っていうのかな?その役だった。
3年生の馬と組み合って、押し倒した際、地面に相手が後ろ向きに倒れる直前、相手の後頭部が地面に直撃しないように、とっさにかばい手というのか、相手の頭の下に手をついて、体重もそれで支えるような落ち方をした。(当時はまだ軽かったし、当時はまだ反射神経も良かった・・・)

ところが、それをみていた3年生の審判が、僕らの方が先に地面に落ちたから、負けだ、と主張した。だって、手を出さなければ、後頭部直撃でしょうが、と食い下がったけれども、ルールはルールだと、お前らの方が先に地面に触れた、と、押し切られて、負けた。
馬になった仲間に、ごめん、相手を頭から落としてやれば良かったんだと、何度も謝った。その時の、何とも釈然としない、モヤモヤした気分をまた思い出してしまった。昨日のことのように。

そもそも、今は、こんな「危険」な競技は、運動会ではやらない、みたいだけれど。

ニュース配信
韓国紙「日本が稚拙な世論戦」=レーダー電波音公開方針で
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019012100223

韓国は、遭難者を探索するためのレーダ照射だと主張する。
だったら、「音」に変調をかけたものではなく、日本側が受信したレーダの波長、パターンの全てを公開しても、韓国軍への実質的な迷惑は一切ないはずだと思う。下手な「加工」をせずに、そのまま出しても、韓国の主張に沿うならば、一切韓国軍の、つまりは同盟国の軍事情報を漏らしたことにはならないんじゃなかろうか。

今更、攻撃用の照準のレーダだと主張を変える可能性などないと思う。だったら、日本の選択肢は二つに一つ。黙って、相手の言い分を呑むか、そうでなければ、そのままの情報を出してしまったらいい。

こういうモヤモヤは、ずっと尾を引く。日本側が黙って終わったなら、このまま同盟関係を続けるなど、国民感情としてもう無理じゃなかろうか。無理して続けても、いざという場面でこういう過去の「事件」が必ず顔を出してくる。
それだったら、韓国の主張する通り、「遭難者の探索用レーダ」だとして、受信した周波数情報、パターン情報まで全て暴露しても、懸念材料などないだろうと思う。一切、韓国軍には迷惑をかけない。
そのパターンや周波数を見た他国の関係者が、それをどう判断するか。軍事用のレーダだとわかっても、きっと黙っているでしょうね。何も起きない。その上で、日本側の主張を続けたらいい。そうしたら、日本側も溜飲が下がるんじゃなかろうか。

余談ではあるけれども、こんな記事も目にした。
韓国艦のレーダー照射、本当に海自P-1哨戒機は「脅威」だったのか? 検証する
http://news.livedoor.com/article/detail/15843502/

直線距離で522m、豆粒大にしか見えないはず、らしい。P-1の長さは38m。対する韓国艦は135mらしい。やや誇張すると、ビルが大きく見える距離に自動車で近づいても、ビルから自動車はそれほど大きく見えない。4倍の大きさの差でも、似たようなことは言えるはず。522mに対する135mの視野角と、522mに対する38mの視野角の違い。それを韓国は「脅威を感じる距離」だと主張し、謝罪を求めている。さらに、その主張を何ヶ国語にも翻訳して世界に発信したらしい。

今後韓国の軍隊は、他国の船舶に対して、哨戒機などを500m以上に接近させることは一切ない、それをやった途端に、相手国から謝罪を要求されるべき「危険な行為(と自認する軍事行動)」を行なったことになる。
なぜ、そんな、自らの首を絞めるような強弁をしたんだろうか。しかも、全世界に発信してまで。

遭難者の探索用のレーダを照射しただけ、だったなら、「脅威を感じるほどの距離を飛行したから」などという主張は不要だったんじゃなかろうか。この主張があったなら、次に続く文章は、「だからレーダを照射した」のような気がする。「だから遭難者探索用のレーダを照射した」?それだけなら、「脅威を感じる距離」などという主張は不要なはずなのに、どういうことなんだろうか?

日本の選択肢は、二択。庇い手で「負け」を取るか、でなけりゃ、相手の後頭部を地面に叩きつけるか。
もう、後者でもいいんじゃないか、という気がする。ニュースを見ているだけで、ストレスが溜まる。そういう日本人は、僕だけ?

ホゲ、フガ、モゲ・・・

以前ベテランのSEさんから、こんな話を聞いた。
「プロジェクトで新人のプログラマを受け入れて、この部分をプログラムしてみろと、仕様書を渡して書かせて、コードレビューをして絶句した。hoge, fuga, mogeが満載・・・」

プログラマの皆さんにはお馴染み。
javaなどの「サンプルプログラム」では、「意味のある変数名に置き換えてね。」という意味を込めて(?)あえて全く意味のない「変数名」として、hoge(ホウグではなく、ホゲ)、moge(モゲ)、fuga(フガ)などを使って、ネットの記事を書いたりする。

だって、
hoge = moge + fuga;
「ホゲはモゲ足すフガ」なんて、読んでるだけで肩の力が抜けて、いいじゃないですか!?
亜流で、hogehoge(ホゲホゲ)とか、funga(フンガー)とか、色々、様々。そりゃ、アイディアというか「まとめ」記事をネットに書いてもらえるだけでありがたいから、変数名なんて、その方のお好きなように、っていう感じだろうか。
こんなサンプルプログラムに、credit.balance(貸方残高)なんてのを書かれた日には、サンプルプログラムを読んでるだけで血圧が上がる。いいの?なんて思ったりもする。

英語圏では、foo, bar, zotらしいんだが、本場(?)のstackoverflowでは、何の仕事を請けてるか一目でわかるような、生々しい変数名がそのまま「お悩み相談」に出ていたりして、なんか、直截的すぎる気がする。そういや、季節柄、ネットの「相談」サイトに、入試の問題がそのまま、しかも試験中に出ていたことがあったよなぁ。
仕事が止まるよりも、相談して前に進む方がいいんだろうけれど。話を戻して。

あのね、新人プログラマの皆さん、ホゲも、フガも、モゲも、SEやプログラマの皆さんが日々絶叫するセリフ、といういう以上の意味はなく、本番用のプログラムを書く時には、与えられたミッションの中で、ちゃんと仕様書に定義されている変数名を使いましょうね、なんていう一言は、例年の授業では、絶対に話していた。
Kさんという、あのベテランSEさんの「お話」(思い出)をシェアして、「あまり、年寄りをいじめないでね(余計な仕事を増やすんじゃねぇよ)」というお話を、授業でもしていた・・・それなのに・・・

ふと振り返ってみて、今年はこの話、一度も持ち出さなかったような気がする。
プチ「やっちまった」、半期分授業の反省?でした。

内包表記

Pythonだと、この書き方ができる。
>>> def is_valid(a):
>>> △△△△return True if (a % 3) else False
(↑未だに、WordPressでの空白挿入がわかってない… orz)

通常だと4行で、
1行目:もし、aが3で割り切れないなら
2行目:     Trueを返し、
3行目:そうでなければ、
4行目:     Falseを返す。
だろうか。(なぜかこっちは、空白が挿入できてるのに… orz)

C言語なら
return (a%3 ? true : false);

(追記:そもそもreturn (a%3)とかで十分、ってな議論は承知。if / elseを1行にまとめる話を持ち出したかっただけ。)

最初、「え? ( ? : )構文が使えないの?」と思っていたけれど、その悩みはすぐに解決。

いずれにせよ、1行か。この、Pythonの後置ifが、今一つしっくり来なかった。
なんだか、トークンの並びが(慣れてないせいか)不自然な気がした。

ところが、これにさらに内包表記を組み合わせると、こんな書き方ができる。
value = [v for v in range(10) if is_valid(v)]

なんだか、これも慣れるまでは変態的な書き方な気がして・・・
でも、慣れてしまうとすごく便利かも。内包表記を使わなければ、4行
1: value = []
2: for v in range(10):
3:     if is_valid(v):
4:         value.append(v)
プログラムがすごくコンパクトになる。と思っていたら、後置ifにelseが加わると、内包表記の語順が変わる。よく言えば「変幻自在」なんだろうが、ぶっちゃけ、失礼を承知で言わせてもらえば、Pythonは変態的だ!

>>> value = [v if v%3 else “hoge” for v in range(1,10)]
>>> print(value)
[1, 2, ‘hoge’, 4, 5, ‘hoge’, 7, 8, ‘hoge’]

でも、たった1行でこれだけの表現なら、やっぱりCの時代から比べたらスゴイことなんだろう、という気がする。時短ですね。でも、この変態的構文に慣れるまでが・・・「慣れ」なんだろうなぁ。

CやJavaなら、もう枯れているというか「新しい」ことがほとんどないから、一旦教材を作ればそのままずっと使える。ところが、Pythonは3.7から@dataclassが使えるようになり、今その辺がホットらしくて、ごっそりと教材の書き直しを余儀なくされた。

Railsなんてもう、毎年作り直すぐらいの勢いで教材を書き換えている。この辺の代謝の速さには、いささか辟易している。
ずいぶん前は、before_filterが使えなくなって、before_actionになり、しばらく前はFactory GirlがFactory Botへと名称変更になった。「推奨コード」も、どんどん変わる。ボーッとしていると、”XXXX” is now obsolete.”(あんたもう、時代遅れだよ!)なんてメッセージが出てくる。

そうなんですけどね、前述の例題。
「3の倍数の時は『hoge』、そうでない時は普通に1, 2, 4, 5とする」という例題。
これ、元ネタが何かと言えば、あの方。単なる例題としてみれば、課題としては「こうしろ」という指示を出すだけだから、別にどうってことない例題だけれど、元ネタが何か知っている人に言えば、同じ例題でも、ちょっとだけ楽しみながらプログラムを書いてもらえる。そんなつもりで例題設定した。

そうなんですけどね。とっても失礼な話題の持ち出し方だが、これって、落ち着いて考えてみると、「だから何?」「だから、それがどうした」みたいな話題な訳であって、「3の倍数だけ”hoge”にする、それはわかったけど、何か特別な意味でもあるの?」みたいに受け取られてしまうと、結局「例題のための例題」でしかなくなってしまう。

オペレーティングシステムで使うコマンドの、tarは、”Tape Archive”で「テープ」ってなんですか?ってな質問があったとしたら、「昔はね、磁気テープってのにデータを保存していたんだよ」ってなことになり、未だにコマンド名としてはTapeは生きている。新しそうで、意外と古臭いものが生き残っている世界。そんな中で、この「3の倍数」は、今どうなっちゃったのか・・・いつまで、この「例題」に「特別な意味」を嗅ぎ取ってもらえるのか、わからない。

もしかして、もう既に「3の倍数の時だけ・・・」って、何ですかそれ、って人、いたりして。

コンピュータがらみのこの業界も、新陳代謝が激しくて、しんどいな、とか思うけれども、もしかしたら、あの「3の倍数」の業界の方々も、大変なんだろうなぁ。そもそも、冷静に考えてみると、あれって、一体なにが面白かったんだろう、なんて気分にもなってくる。不思議。

で、既に賞味期限切れの話題を持ち出して教材に埋め込んで、あわよくば授業で笑いを取ろうとしているあんたは、何なんだと、言われてしまうと・・・

やっぱり、そこに来るよなぁ・・・

拉致問題

本当なら、すぐにでもプログラムを書きたい。ほとんど頭の中で組み上がってる。あとはプログラムとして吐き出すだけ。
なんだけど、2時間だけ、脱線する。いいよね、と自分に言い聞かせつつ。数日前にテレビで拉致家族の集会の映像が流れた。流れ的に、今なら書けることがあるかも知れないと思った。

ロシアのプーチン大統領が、北方領土問題で、「北方領土を返還したとして、米軍基地が置かれない保証がなければならない」と言った趣旨(正確な文脈は覚えてない)の発言をされていた。無理もない、ロシア、中国、あるいは北朝鮮から見たら、日本は「アメリカの要塞」なのだと思う。
沖縄問題では、プーチン氏はこんな言葉も口にしていた。「日本が本当に独立国なのならば」(正確な表現は覚えていないが、この意味の言葉だったと思う。)要するに、ロシアなどからみたら、日本が本当に独立国なのか、そうは見えないと言うことでもあろうか。

北朝鮮がしばしば国営放送で言葉にする「アメリカの傀儡」は、実体としてそれに近いものがロシアなどからは「見えている」と言うこともあるんだろうか。

かつて中曽根元総理が、「日本を不沈空母とする」という発言をして、物議を醸した。不沈空母。戦闘機・爆撃機が出撃可能な、前線基地機能のある空母が、沈まない状態でそこに存在している。日本のアメリカに対する立場を明確に表した言葉だったと思う。

田中角栄氏はなぜ失脚したか。言うまでもなく、あのロッキード事件。僕の高校時代だったのかな。「ピーナッツ、ピーシズ」と言う言葉が新聞に流れていた。なぜ、あのロッキード事件が表に出たか。
田中角栄氏は、日本を「アメリカから独立」させようとした。日本は、進駐軍による占領以来、再び独立を取り戻すまでは、ほぼアメリカの言いなりだった。そこから脱却しようとした、とも考えられるけれども、ロッキード事件の構図はなんだったのか。日本の、と言うよりも、自民党あるいは政府と、アメリカの軍需産業の癒着が根底にあり、日本がアメリカの要求を拒めば、いつでも「癒着」カードを切って、その政権を潰せる、という見せしめでもあり、また、田中角栄氏を失脚させなければ、アメリカによる日本のコントロールを失うという切迫感が背景にあって、強力なカードを一枚切られてしまった、ということなんだろうか。自分はそう理解する。

ということは、それ以後の日本の自民党政権でも全く同じ構図が続いている。ということは容易に想像できる。わかりやすいのは安倍総理で、なぜあれ程までにアメリカ追従の姿勢を示すか。トランプ大統領への「中間選挙の歴史的勝利、おめでとうございます」は、全世界でニュースになった。僕個人的には、あの「不沈空母」発言に匹敵する、あるいはそれ以上のニュアンスを感じた。ワンちゃんが後ろ足二本で立ち上がり、前足を体の前にぶら下げて、舌を出して、尻尾を振っている感じ。日本なだけに二本立ち、って、おやじギャクですけど。

いや、ある意味で恐怖もあるんだろう。田中角栄氏のようになる。アレをバラされたらどうしよう、コレはバレないよな。モリカケどころじゃない、その挙句が、垂直離着陸可能なのを42機?これか。

F35戦闘機 105機購入へ 「空母対応」は42機
これだけ長いこと自民党を支えているということは、キックバックはあの政党にも流れているんだろう。それが「口封じ」となって、結局支持基盤の強化にもつながっているようにも見える。

ジャパネットタカタの通販。かつてパソコンを売っている時のCMで、こんなのを目にした記憶が、あやふやだがある。「今回、ジャパネットタカタがお届けするのは、お年寄りの方にも安心なパソコンで、いざという時は、スタッフが遠隔操作で面倒なパソコンの設定を全部やってくれる、お任せパソコンです。」いや、嘘でしょと、思ったけれど。
Windowsパソコンに限らず、LINUXでもMacでも、リモート操作に切り替える機能は持っている。それは、例えば札幌支店や福岡支店に設置されたサーバを、東京にいるエンジニアが操作してメンテナンスしたりする、そういう場面には不可欠な機能で、どんなパソコンにもそれはある。それを最初からONにして出荷する?ってことは、接続先のアドレスがわかってさえいれば、簡単にいつでもどこからでも、そのパソコンを自由にできるってことですよ、それをわかって売ってますか?なんて思った。あれ、たぶん、やめさせられたんだろうな。こんな話題をおおっぴらに書いたり、口にしたりすると、ロクな結果にならない。「お前、やってるんだろう」なんて疑われるだけ。
ただ、パソコンがそういう設定になっている、というだけだったら、そう簡単に特定の誰かのアドレスがわかる訳でもなく、「常識」的な枠の中ならば、大した問題じゃなかったんだろう。

僕自身が盗聴、盗撮されていた頃の話。あの頃は、曰く言い難い(思い出したくもない)出来事が(偶然としか言いようがないことが)山ほど括りついていて、僕が言葉にした内容は、なぜか、国内よりも海外の方に多く流れていたように感じる。予知とか預言が出来るとか思われそうな、そういう「行きがかり」があった。(だから、僕は「チンドン屋」であって、主役は「師匠」だ、と何度も書いてる。僕の役目は、目立って、「師匠の言葉」を拡散させるのに、とにかく目立ち続けていること、だけ、だとその頃漠然と自覚はしていた気がする。話を戻す。)なぜ、国内よりも海外の方に、より多く流れたんだろうか。おそらく、海外の情報機関も関係していたんだろうか。状況から考えると、消去法で国内の通信事業者も、意図していたか、意図していなかったかは別にして、関与していたはずだ、としか思えなかった。

そう思っていたら、確信したかのように、小渕元総理が「通信傍受法」の成立を強行した。「成果を実証できた」から、なんだろうか。小渕さんには本気で怒りを感じた。その小渕さんがどういう辞め方をされたかは、忘れることにする。

HUAWEIの交換機の問題。HUAWEIが事業者として意図していたか、意図していなかったかにかかわらず、交換機のプログラムをバイナリであっても入手できたなら、それを逆アセンブルし、アセンブラでほんの10〜20行程度、バイナリに戻して数十〜100バイトになるかならないか程度のコードを埋め込んで、またバイナリのプログラムに戻し、交換機に書き戻せば、おそらく情報収集端末が出来上がると思う。いや、原理的には間違いなく出来る。それが出来なかったら、交換機として機能しない。そして、通信事業者に勤務する人間の全てが善人かと言えば、おそらくはそうではない。「いくらいくらあげるから、これをやって」と言われて、応じる人はいくらだっているんだろう。たぶん、HUAWEIに限った話じゃない。

そこから派生的に「リモート操作可能なパソコン」の情報に辿れば、世界中に一体どれだけの「目」があるか、ということになる。

それが、スノーデン。アメリカもやっていた。というよりも、それが簡単に出来ることなんて、もう30年も前からわかっていたことで、「そういうことが簡単に出来るのに、大丈夫なんかなぁ」なんてことを平気で口にしていたから、余計に「盗聴・盗撮して、全部をさらけ出しておかないと、危ない奴だ」と思われていたのかも知れない。
言うまでもなく、出来ると思ってやっていたのは、アメリカだけじゃないだろう。

結論に至る、一つ前。ロシアも、中国も、そしておそらく北朝鮮も、現在の日本が(と言うよりも、自民党、もしくは安倍総理が)「アメリカの言いなりにならざるを得ない」経緯を、ある程度把握しているに違いない。そうした情報を握っているから、プーチン大統領は余裕であの「日本が独立国であるのなら」的な発言をされたんだろうと、自分は感じた。スノーデン以前か、スノーデン以後かはわからないけれど。

アメリカの軍需産業にとって、一番迷惑なことはなんだろうか。おそらく、北の「核の脅威」がなくなること、だと思う。つまり、自民党は、一方で「朝鮮半島の非核化」を表に掲げつつ、裏では、その真逆の立場の存在に糸で操られている、という見方も出来る。そして、その真逆の立場、「核の脅威の存在は、アメリカの軍需産業にとって必要」が、いざとなったら安倍総理を潰せる情報を握っている、それも知られている、ということになるんだろう。

北朝鮮にとって、トランプ以前のアメリカは「歴然とした敵対国」だった。無論、例の口約束戦術で国際援助を引き出す、その交渉の相手国でもあったのかも知れない。アメリカという国家も、アメリカの軍需産業も、区別すべき状況ではなかった、と推測する。
そこから、トランプ大統領になり、昨年の「歴史的な首脳会談」に至った。如何せん、相手がトランプだから、今後の交渉の流れなんて、読みようがない。結果的に今、トランプは軍需産業からの要求を日本に丸投げして、安倍総理は前述の「防衛予算」で応じた。キックバック目当てというより、やはり田中角栄氏の「ロッキード」が怖かったのかも知れない。そして、応じたことで、さらに別のカードを相手に与えたのかも知れない。

現在の北朝鮮にとって、アメリカや、日本はどういう存在だろうか。おそらく、日本は相変わらず「アメリカの傀儡」としか見えていないようにも感じる。日本が拉致問題をいかに騒ごうが、いざという時の「不沈空母」であることには変わりはない。
韓国の場合、大統領が変わったら「国体が継続していない」と言ってもいいくらいの事態になるから、文大統領がどれほど北朝鮮に入れ込もうが、大統領が変わった後での北朝鮮の安全を保障することには、全く繋がらない。韓国が法的継続性のない国家である以上、北朝鮮を含めた周辺国が、それ相応の警戒心を持って接せざるを得ないことは、自明の理だと思う。

テレビで拉致家族の集会を目にして、書き始めたと言いながら、こういう結論を書くに、忸怩たるものがあるというか、あんた、人としてどうなのよ、的な流れだけれども、少なくとも日本の政治がアメリカの軍需産業と切れない限り、拉致被害者の「人質としての有用性」とか、「最後の切り札」的な位置付けは全く変わらないように考える。

表向き、「拉致問題を優先」と言いつつ、その問題解決を妨げる構造的な癒着が全く切れていない。いや、切れない。切ろうとした瞬間に、ロッキード以上のカードを切られる危険がつきまとう。それが沖縄の問題でもあり、安倍総理には出来ない「戦後政治の総決算」なのだろうと思う。

日本とアメリカの軍需産業との癒着が切れて、そうなった時に、対中国、対ロシアとどんな関係を構築できるか、その流れが確立されて、北朝鮮にとっても「もはや、人質は要らない」とならなければ、拉致被害者は解放されない。その「拉致日本人カード」を切る直前まで、「拉致問題など、存在しない」「拉致など、日本のでっち上げだ」という、日本人にとっては相当に苛つく発言が繰り返されることになるんだろうと思う。ここまで書いておいて、ただ一つ願うことは、大切な人質なんだから、万が一にも健康を害するような状況には置かず、一人でも多くの日本人が健康で存命する状況を作って欲しいと、そのことだけかも知れない。

そしてやっぱり、トランプを見ていて思うことは、アメリカは「力で押す」国だよなぁ、ということかも知れない。
切れないんだろうなぁ。スノーデン氏に頼らず、Wikileaksに頼らず、野党が独自に尻尾をつかむしか、ないんだろうか。

浪費したのは、1時間半、だけで済んだかな。今日もひたすらプログラミング。祝日は、自営のプログラマにとっては、貴重な稼ぎ時。30年前だったら、5000行書けるか、1万行書けるか、それとも2万行?なんて豪語したんだけれども・・・
悩みどころは、とりあえず3000行は書いて(生成させて)、その後、これ以上体が老け込まないように、走りに行こうか、それとも、机にしがみつくか、どっちが(体も、懐具合も)長持ちする?って、その辺に判断基準が来ていること、かなぁ。血圧もまた高くなって来たことだし。仕事もそうだけど、体のメンテも、って感じか。
時間的な制約があって、typo、誤植があっても修正しない。書いたことも忘れる、ことにする。

拉致ご家族の皆様、本当にごめんなさい。こんなページ書いて。

個人請求権

日立造船にも、戦時中の未払い賃金についての最高裁判決に相当するものが出たらしい。「個人請求権は消滅していない」らしい。

だとしたら、だけれども、日本人が朝鮮半島から引き上げた際に半島に残してきた資産についての権利、正当な手続きを踏んで韓国に引き渡したということではないらしく、普通に考えたら時効が成立していると思えるのだけれども、せっかく韓国の司法の最高機関が「請求権が消滅していない」という判決を出した訳だから、日本からも韓国に残してきた資産についての請求を出したらどうだろうか。韓国の司法判断を判例としてそっくり使えるんじゃないだろうか。強制執行が行われたのならば、それもそっくり日本側も行えると思う。資産価値に相当する金額を支払うか、そうでなければ、日本側に資産の引き渡しを求め、拒んだならば立ち退かせて資産を取り戻すなどの強制執行を行なったらいい。

注意深く判決を読んだなら、全く同じ論法を、日本人の多くの個人が韓国に残してきた資産についても当てはめる、そんな論理パスがあると思った。

大切なことは、相手の論理をそっくりそのまま使うこと、だと思う。

情報戦

1990年代前半、インターネットが成立する前、パソコン通信が「情報交流」の主流となっている時代があった。私はNifty Serveを使っていたけれど、他にも何社かあった。
興味のある分野の掲示板には、かなり専門性の高い方々の参加もあって、活発に活動する掲示板サイトもあった。文字中心の文化。そんな賑やかな掲示板(イタとか言ってたかな)には、決まって顔出ししてくるグループがあった。

北朝鮮の文化は素晴らしい。ユートピアが、そこには・・・的な書き込み。複数の掲示板に参加して、おそらくは組織的に、計画的に、同志を勧誘する目的があったのだろうと思う。金日成による「情報戦」だったのだろうと思う。
従軍慰安婦は、当時の共通認識は売春婦だったにも関わらず、済州島で強制連行があった、という出版があったのは、その少し前?だったのかな?時期的には重なっていたと認識している。僕の20代前半から後半にかけての時代だった。(もう少し前かな?)外に出て、人にあったりすると、中には朝鮮半島出身の方もいて、僕の電話帳にはそうした数名の名前もあった。韓国はまだ軍事政権で、北がユートピアだと信じている人たちもいたのかも知れない。部分的には、その「情報戦」は成功していたのかも知れない。オウム真理教に染まり、未だに麻原彰晃に心酔している人がいるように、その人は金日成様のために、伝えられたままに済州島で強制連行された人たちが従軍慰安婦になった、と、本に書いたのだろう。

後日、その本の内容を検証するために、本に書かれた場所で聞き込みをした人が書いていた。「そんな事件は起きていない。」もし、そんなこと(日本軍がトラックで来て、住民の若い女性を連れ去った、という事件)が起きていたら、誰もが知っているはずだけれども、そんな話は聞いたこともない。その検証記事が出てから、震源となった本を書いた人に疑いの目が向けられ、あの「強制連行」はでっち上げだ、とやっと「公式」にも認められるようになったにもかかわらず、まるで都市伝説のように、未だに強制連行という言葉がメディアには出てくる。そう信じてしまった人の疑いを解くことは、オウムの呪縛を解く以上に難しいのかも知れない。金日成の狙いが、日本に北朝鮮のシンパを作ることだったのか、日韓の分断だったのかはわからないけれども、後者だとしたら、今になってようやっと蒔いた種が巨木になろうとしている。

同じ時期、韓国の軍事政権は、韓日請求権協定の内容を公知する訳でもなく、ひたすら日本の「悪行」を教育で刷り込んだ。目的は、おそらく非難の矛先を軍事政権から逸らすためだろうと思う。憎悪があれば、共通の敵があれば、多少の困難は乗り切れる。中国政府がよくやる「反日運動」で、相当に話が盛られた「史実」が意図的に広められたりする。

ボスニア・ヘルツェゴビナの紛争の時は、民族浄化「Ethnic Cleansing」というキャッチコピーで、世界にその「蛮行」が伝わった。のちに、そのEthnic Cleansingという言葉は、広告代理店に依頼してキャンペーン(そもそも、このCampaignという言葉は、軍事行動を意味すると理解しているが)用に考え抜かれた言葉だったらしい。どちらがどちら、だったか思い出せないけれども、「相手国の蛮行」を全世界に訴えるために、この「民族浄化」という言葉が全世界を駆け巡った。終わってみれば、どっちもどっちじゃないか、と思う。
戦争なんて、始めること自体が野蛮でしかないが、特定の民族を劣ったものと決め付けたり、憎むべき敵だと決めつける行為は、いつ戦争が起きてもおかしくない土壌を醸し出す。

北朝鮮の日本での情報活動は、おそらく、いずれ来る南北決戦の際に、韓国の後方(日本)を撹乱し、あわよくば、日韓を分断することが目的だったのだろうと私は考える。

1988年5月、僕は、スピード違反で捕まった後、片側3車線の道路の速度規制が40km/hなのはおかしいと、公安委員会に噛み付いた。時を同じくして、警官が銃で打たれる事件があった。この時代背景で、僕の手帳には朝鮮系の人の名前が何人かあった。そして私は早稲田出身。公安にとって、マークするべき条件は整っていたんでしょうね。そして、あの盗聴・盗撮が始まった。私の私生活をリークして、何か、面白いことありましたか?どんなにパフォーマンスをしても、吉本興行には負けてると思うんだが・・・。多少つまらなくたって、僕は一円ももらってないんだから、いいじゃない。

南北が融和しようとしている今、ようやっと金日成の「情報戦」は花開いて、「偉大なる勝利」を獲得したのだろうと思う。そして、日韓が分断すれば、いや、分断しなくても、この状況で日本が、北朝鮮を支援しようとする韓国に対して、何らかのバックアップをする、ということは極めて困難になり、日韓を完全に切り離すことに成功した見返りとして、韓国を通じた北朝鮮への経済的なバックアップは全面的に不可能になった、ということなんだろうな。金日成氏も、その後の日本がこれほど経済的に発展するとは予測しなかったのかも知れない。

韓国の軍事政権が受け取った補償金は、労働者ばかりではなく、北に対する補償も含めたものだったと理解している。韓国の歴代政権は、この途轍もない「時限爆弾」を軍事政権から引き継いだことになるのだろう。原資なんてとっくに使っちゃった。さて、どうしよう。
唯一無二の解決策は、「そんな補償金はなかった」と思い込むこと。そして、日本にもそう思い込ませること。なのだろうな。自分でそう思い込んでいるから、だから、嘘をついているという自覚はかけらもない。「1年前に、確かにお前に100万円、貸したよな。」「気のせいでしょ」「この証文をよく見ろ。お前のサインだ。」「そんなのは、でっち上げだ。」こういう論争だと思う。そして、韓国は「強制連行:をでっち上げだとする日本が嘘をついていると、本気で信じている。金日成の高笑いが聞こえそうだ。

こういう「情報戦」は、ある意味で、日本が一番苦手な分野かも知れない。

同じ条件で!

ちょっとした待ち時間、ニュース配信を見ていたら、すごい論理があった。

「1965年に締結された日韓請求権協定は、当時の軍事政権が締結したものであり、韓国国民を代表したものではないから、無効だ」という論理。さすがに、マジョリティの見解ではなさそうだけれども・・・ただ、政権が代わるたびに前政権の国際的な取り決めを反故にするあたり、実質的にはこうした思考が韓国を支配しているのか、という気もする。

こんな論理がまかり通るのならば、そもそもが太平洋戦争は「大本営」が突っ走ったもので、当時の日本人を代表したものでないことはいうまでもなく、我々一般の日本人は誰一人として責任を負うべき立場にはない。従って、戦争に対する責任を負うべき日本人は一人もいない、という同じ論法、同じ立場での結論が出るはずなんだが・・・要するに、韓国の論理に基づけば、韓国にも中国にも、戦争責任を云々される義理は何もない、ということになる。

念のために書いておく。あくまでも、韓国のレトリックをそのまま日本に当てはめただけで、「詭弁を弄した」だけ。

平和を希求する基礎に戦争の時代を忘れてはならない、という自分の考えを翻すつもりなど毛頭ない。

同じ条件で議論すればこうなる、という話題を書いてみただけで、もし、論理的に考える能力があるなら、話題の趣旨は通じるとは思うんだけれども、韓国には何を言っても、言葉が通じる気がしない。このページを拾って、「日本に戦争責任はないと主張する日本人がいる」とかなんとか、書かれるのかも知れないなぁ。

前もって、「蕎麦に入れ歯」という話題を書いておいたんだけれども。

3年A組-卒業まであと10日・・・でしたっけ?

家に寝に戻った。テレビがついてた。「3年A組」やってた。

俺、広瀬すずと土屋太鳳の見分けがつかないんだよなぁ。って言ったら、どっちも出てない、「半分青い」が出てる、って、永野芽郁か・・・菅田将暉はすぐにわかったのに。情けね。

つくづく思う。学生名簿や答案の手書き文字から学生の顔を思い浮かべる方は、30人教室の専門学校ならほぼ完璧になんとかなってるけど、その人数でも、逆向き、顔を見て顔から名前を思い浮かべる方が、とにかく苦手。

エレベータの中なんかで、カップ麺ばっか食ってると、体壊すよ、とかなんとか、一対一で言葉を交わすと、かなり(しつこいくらい昔のことでも)覚えていたりするんだけれども・・・one of themで授業中に当てたくらいじゃ、どうしても顔から名前が出てこない。何かインパクトのあることしてくれたら、すぐに覚えるんだけど・・・(いや、おとなしくしていてくれた方が、授業としてはありがたいが・・・)名簿から顔は、かなり簡単なのに、顔から名前がどうにもならない。これが僕の記憶特性なのかなぁ。

で、なんか展開が気になって、寝室でテレビをつけた。最後まで見てた。連続ドラマなの?で、そうしたら・・・

撮影協力 – 埼玉県小川町
ってのが、一瞬見えた。え?本当?

さっそく、ネット検索。旧上野台中学校か。まだ新しいのにもったいないよなぁ、って、あそこ?(子供の数が減ってるからなぁ)

あるじゃん。小川町の観光資源!旧下里分校も、アニメの聖地らしい。いい町なんだけどね。もっと、この町の景色、楽しみ来て欲しいな。

走りに、歩きに来て欲しい。町にはぜひ、半径3kmに一ヶ所くらい、トイレやベンチのある公園を整備して、外から来た人が安心して町中を歩けるような、「設備投資」をして欲しいな。(いや、そうしてもらえると、ジョギングしていて、僕が助かる、って、それだけだけど。)

そういう公園に、屋根もあって、弁当も広げられるようなテーブルやベンチも整備して、ついでに、町内の飲食店から「出前」ができるようなメニューとかも置いたりして、町に歩きに、走りに来た人が、ちょっとばかり町にお金を落としてもらえるような仕掛け、なんかできないかなぁ、なんてことは、ちょっと考えてみた。

いや、100出して99がスカ、みたいな、そのスカの方のアイディアだとは思うけど。

よくある話

今日は朝から、大野勢太郎さん。ここのところ、ラジオを聴いてると集中できない系の仕事が多かったので、無音が多かった。土曜日なんだよなぁ。ラジオの番組で、時間や曜日を体感する学校のない長い休み。授業がない時は、プログラミングの稼ぎ時で、純粋にプログラミングの時は無音がいい、だから、逆にラジオが聴けない、という状況だけれども、今日はレポート採点を一気に片付ける!数分おきに別人格の書いている文章やプログラムを読む状況だから、ラジオから流れるヒトの声が邪魔にならない。むしろ捗るかも知れない。不思議な感じ。

会社にいた頃は、バグに悩んだ時は誰かに相談したらいい、という解決策があった。その誰かに、バグの潰し方を教えてもらうため、ではなくて、相談するために順を追って説明していくと、説明しているうちに自分でミスに気づく、っていうのが、割とよくある話だった。今は、そうやって相談する相手がいない、けれども、こうやってブログにアップするために順を追って「やってきたこと」を辿っていると、不思議と「あ、あそこで変なことやってた」的なことを思い出したりする。これも、ブログの効能だったりして。なんか、味をしめて来た。

大野さん、「老害となるキャラ」を自認しているらしい。三遊亭鬼丸さんもそうだけれども、結構攻めてるもんなぁ。公共放送でギリギリ、ってか、時々超えてるような気もするけど、そこがまぁ、売りなんでしょうね。結構、あちこちのブログで、突っ込まれてるみたいだけど。どっちも予定調和にならないとNack5のヘビーリスナーとしては、寂しい。寸止めして欲しいね。

ラジオは聴視率で広告収入も変わると思うけれども、私のブログは広告のリンクが一切ないし、弾けすぎると自分に返ってくるだけ。ただ、まぁ、何かしらこうやって、「世間との接点がある」的な刺激は、ラジオもそうだし、ブログもそうだし、あり、ということでいいかな。なんて思う。

さてと、今日は採点!

Java 1.6

どこで見たか思い出せなかった。インストールからやり直してたら、これを見つけた。

親玉: https://developer.android.com/studio/install?hl=ja

Mac で Android Studio を利用する際に JDK 1.8 を使用していると、安定性が低下することが知られています。これらの問題が解決されるまでは、古いバージョン(JDK 1.6 以前)の JDK をダウンロードすることで安定性を改善することができます。

こいつかぁ・・・ 大元が1.6を要求してるんだったら、もうどうしようもない?

Java 1.6 のruntimeをダウンロードすることはできたけど、SDKが入らなかった。それでもいいのかなぁ・・・ダメでしょ?たぶん。
と思っていたけど、Gradleの同期がうまくいった。解決されたの?

Android Studioのトラブルシューティングの「診断」機能が見事だった。ブーブー言われたメッセージを見ていたら、原因の一つは、ADTをたどるPathに空白があったこと、のようだ。空白のあったMac上のパス名をCamelStyleに変更して、インストールをやり直した。(snakeでも同じだろうけど。)今回はトラブルシューティングのリンクをクリックするたびに、状況がよくなる。最終的に、ビルドまで全部通った。
\^o^/  \^o^/

その代わり、Path名を変えちゃって、コケるツールがどこかに出てきそうな・・・

いいんです。こういう「借金」は、全部未来の自分に押し付けちゃえば!
コケたらコケた時にスクリプトを修正すりゃ、何とかなるでしょ!

出先でも仕事をしたかったので、MacBook AirにもAndroid環境を構築した。(なんせ、東武東上線では、一日2.5〜3時間は、改札の中にいますからねぇ・・・)僕がMacBook Airを手放せない理由の一つ。

もう何度も書いたけど、ってか、何度も話しているけど、総武線快速、八幡宿で電車に乗って、東京駅まで仕事をしたかったから、せっかくグリーン券を買って、座って、Windows PCを立ち上げた途端に、「更新」が始まっちゃって、ついに東京駅まで何もできないまま(教材が仕上がっていないまま)授業に臨んだことが、何回かあった。機嫌が悪いと、千葉駅で電源を入れたのに、操作できるようになった時には船橋駅に近づいていた、とか。錦糸町あたりでハーバーネーションをかけないと、東京駅までにPCをしまえない、とか、もう辟易していた。
ところが、MacBook Airは、Sleepではなくシャットダウンされた状態から立ち上げても、7秒で仕事が始められた。あの時の感激が忘れられなくて、以来、仕事は全部Macに移した。(最近だいぶ重くなったが。持ち主と一緒か。)

9月の半ばから手つかずのままフリーズしていた仕事が一件、ようやっと前に進む。あとは、TDM(時分割多重)のオーバヘッドをギリギリまで小さくして、私自身の分身の術を完成させるだけ!?単価を上げられないから、手数で攻めるしかないもんなぁ。

今年の「初泥沼」も、何とかなった。もう少し先に進めたら、次は、レポートの採点かなぁ。その次は、制御系Python。その次はRailsのWEB。仕事の気分転換に、別の仕事をする、という、理想的な状態!あはは!(意味不明なハイテンション)

ブログも貴重な息抜きです!

Gradle

Android Studioを使うなら、Gradleも、ってことか。

自己レス。

一つコケて、そこから原因を辿っていくと、最後の最後にとんでもない「そもそも、ここからやり直せ」ってのに辿り着いたりする。はいはい、わかりました。頑張ります。ボヤキつつも、自己完結しちゃった。


そもそも、っていうならば、なぜ「文書起こし」の仕事をわざわざお金を出して、発注して下さったのか。現行のシステムをメンテナンスするにしても、更新するにしても、コードの内容が把握できていなければ、出来ないから。だとしたら、目的は「メンテ」とか「システムの更新」とか、そっちでしょうね。だとしたら、新しい環境で再コンパイル出来なければ意味がない。新しい環境に、どんどんと追随させられなければ意味がない。だとしたら、Java 1.6を使えるようにする、なんていう選択肢は有り得ない。だとしたら、1.6を使わざるを得ないパーツそのものを更新して、新しくしなければ意味がない。だとしたら、そこのコードを書き換えればいい。

Gradleを使うのはアリだとして、「そもそも」っていうならば、古いツールを使っているコード部分を、ごっそりと書き直す、というのが「正解」なんだろうな、という結論にたどり着いた。

なんなんでしょ。木を追っかけているうちに、森を見失ってた感。だって、1.6だもんなぁ。こういう時間の無駄遣い、嫌だなぁ・・・もったいない。こっちの自己完結は、たぶん、正解だと信じたい。信じるしかない。

Javaはどこへ行った?

Javaがどこかに行っちゃった???

ジャカルタがあって、JKT48がいるのがジャワ島で、英語だとJavaなのにインドネシア語ではJawaで、動きようがないだろうって、そっちのJavaじゃない!
Suda pergi ke sana!

僕の記憶だと、確かMac OSXの
/System/Library/Frameworks/JavaVM.framework/Versions/
の下に、
1.6とか1.7とかがあって、Currentがここにあって、っていう感じだったのに
AとCurrentしかない?
いや、もしかしたら、/usr/localとか、/usr/libの下だったか?rubyやphpと勘違いしてる?ほら、もう、昔の話はどーでもいいから。今どうなの?ってことでしょ?

Qiitaのこれ
https://qiita.com/qoAop/items/d2c85183863970f93577
あっちこっちにJavaが・・・
/Library/Java/JavaVirtualMachines/の下、確かに入れた覚えのあるJavaVMがあったけど、中身はJava仮想マシンで、コマンドがない、って、名前からして仮想マシンか。当たり前だな。でも、仮想マシンとコマンドは、ワンセットじゃないのか?1.8のコマンドから1.6のVMを叩けるの?

実は、1.8よりさらに古い1.6で動作を試したい、ツールがなんか文句を言ってくるから仕方ない、1.6で付き合ってみたらどうなるか、確認したいんだけども・・・
javaって、こんなにも、コマンドと仮想マシンとが切り離されていたっけか?

ツールが古い?だけど、Android Studioの最新版から派生的に辿って入れたんだよな?
え?俺の勘違い?いや、確かにポップアップが「1.6じゃないから、動作保証しねーぞ」と、最初に言い訳して来たのを見た(気がする)んだが、どこをどう操作した時だったっけか?気に留めずにOKしたから、思い出せない。わからん・・・
この辺、bundlerってないの?
Android Studioは最新でも、APIレベルが古いから、AVD(仮想デバイス)の都合でこうなるの?そっちか?

そういえば、昔は必ずJAVA_HOMEを設定しなければならなかった。
ところが、最近はこの「JAVA_HOMEの設定をしましょう」という説明を見かけない。
ふとみたら、Macでも、Windowsでも、環境変数にJAVA_HOMEがない!なんてこった!いつの間に?
(—>嫌だねぇ、俺、いつの間にかJava原人になっちゃったか?)なくなった経緯を理解してない!Oracleが買収してからか?
と思っていたら、Macの場合コントロールパネルにJavaの項目があるらしい。確かに。
なんだか、景色が変わっているのに気づかなかった自分に、気づいてしまった。

/usr/libexec/java_home -v 1.6
などとコマンドを叩くと、古い環境に切り替えられるらしい。試したんだけれども、VMは残っているのにコマンド群がなくなってるから、リンクされない。
>> 勘違いなので、訂正:切り替えられない。パスが参照できるだけ。いや、リンク先がわかれば、スクリプト書けばいいだけだから、参照できれば切り替えられるってのは間違いじゃないけれども・・・
煮詰まった。again。 >>> 今年の「泥沼始め」ですね。

C言語もそうだけれども、javaなんかももう十分に「枯れて」いる言語だし、なんていうか、例えば、International Computer Language Federation(国際コンピュータ言語連盟)みたいな団体を作って、どこかの会社の利益ってことじゃなくて、業界団体の代表団体の管理下、みたいなところに置いて欲しいな、なんてことをふと思ったりする。あ、GNUやApacheがそうか!

CはGNUのおかげで公共財に近くなってる。C#は、Microsoftのもの、だけれども、gnu-Cは完全に公共の言語資産になっている気がする。どこかの組み込みチップの言語が、最終的にgnu-cに落ちているとホッとする。
あ、そうか、gnu-javaが出来ればいいんだ!誰か作って!と思って検索したら、あるじゃない。GCJか?で、2015年からメンテナンスモード?ってことは、この試みは失敗?
もしかしたら、Oracleは、囲い込みを試みているんじゃなくて、必死でメンテナンスしてくれてる?それだったら、古いバージョンへの切り替えも、rbenvとかpyenvみたいな、簡便な切り替え環境を提供して欲しい。java_homeコマンドは、インストール済みが前提なのに、Mac OSをバージョンアップした後、古いJava環境が探せなくなって、どうにもならない。(と思っているのは、私が勉強不足だから、かも知れないけど。どこをどう、調べたらいいのさ!)

どうでもいいんだが、MySQLがOracleに買収されて、(という言い方は正確じゃなくて、Sun MicroがOracleに買収されて)MySQLはフリー、Oracleは滅茶苦茶に高い、というイメージがどうしてもこびりついている。中小規模のデータベース開発は、なんとなく悲観的な気分が・・・。何も考えずに、PostgreSQLを第一選択にするようになった。僕の認識の間違いかなぁ・・・。もっと外に出て、ユーザ会とかにも参加してみないといかんなぁ、とは思うんだが。

いや、わからんでもないのは、JavaもMySQLも、無料の環境で、僕らはその恩恵をこうむっていた。それなのにSun Microには何らの貢献もしていない。Oracleはライセンス料が滅茶苦茶高い。貢献するも何も、大企業の新人プログラマの数十分の1以下のコード単価で仕事をしてる僕らのようなペーペーは、SunもOracleも、手の出しようがない。申し訳ないけど、無料のオープンソースに頼らざるを得ない。(うちは、安いですよ!ソフトウェアのコード単価が、そもそも大手より一桁安い。スピードと体力と気力だけで勝負してるから。)

いまだに、Javaを基幹に据えたシステム開発、多いもんなぁ。その割には、バージョン管理が遅れまくってる気がする。しばらく、rubyやpythonでコードを書いて、javaに戻ってみたら、この面倒臭さをまた思い出してしまった。Ruby on Railsが掲げるCoC(Convention over Configuration)の有り難さは、Java開発を経験しないとわからない。
Javaも、何とかならんのか。

いっそのこと、GoogleがGoogle-Javaを提供してくれたら、話が早いのに。

と思うと同時に、これまでの経験が役に立たないどころか、むしろ邪魔になる開発環境って、何なんだよ、とも思う。プンプン。

泥沼始め・・・ 気を取り直して、もう一度!
次は、どこから攻めようか。ってか、1.6なんていう言い訳は無視して、1.8で突っ走ろうか。(それで問題ないことを確認する、ってな攻め方もあるなぁ。)

そうそう、このページ書きながら、途中で一服して血圧測ったら、138/76mmHgでした。やや高めとは言え、喫煙直後だから、高血圧の問題は、どうにかなったみたいだ。問題は一つずつ潰せば、いいってか。

節電、お休み中

12月中旬から下旬にかけて、とんでもない高血圧にシフトしていた。
仕事中は175/90mmHgとか、煮詰まってくると200/120mmHgとか出て、なんじゃこりゃ!クラクラする訳だ。自分の血圧が200mmHgを超えたの、初めてみた。
夜間降圧もない。唯一風呂上がりに143/66mmHgとか、あ、まともだと思えるのはその1時間前後だけで、あとは全部、最低血圧が90mmHgを下回らなかった。

松尾くんと忘年会。「小林さん、鳥肌たってませんか?」と言われて、自分の肌をまじまじと見た。鳥肌じゃないんだけれども、皮膚が全体的に黒ずんできていて、ガサガサになってる。確かにまともじゃない。
末梢循環が、とんでもなく悪くなっている、気がした。気のせいか、皮膚感覚もちょっとおかしい。全身冷たくなってる実感もある。

と、気づいたのは、室温設定。エアコンの設定は22度。ただ、床から冷気が上がってくるので(扇風機でも回せばよかったのかな?)足元付近が13度とか15度で、ここ数週間、ずっと足がこわばるくらい、冷たい感じはしていた。(もっと気にすべきだったのか。)全身の体温も、結構低かったのかも知れない。風呂に入ろうとすると40度が熱湯に感じられるほど体が冷たくなってるのが、日常だった。しかも、ほとんどシャワーだけ。12月中で、どっぷり湯船に浸かったのはたぶん3〜4回。いや、寒いのも全然平気だと思っていたんだけど。

室温の設定を25度にしてみた。床のあたりも20度くらいになるように設定。あ、それと年末は3回ほど、10kmほどのジョギングに出た。(なかなか、気持ちの余裕がないと、走りにも出られない。)
そうしたら、今日、仕事中にちょっと休んで測っても153/78mmHgとか、昨夜横になって布団の中だと132/66mmHgとか、これなら、特に心配するほどじゃないかな、と一安心。皮膚も、心なしかツヤツヤして来た感じ。春になったらもっと下がるだろう。

良かった。一ヶ月で、なんとか回復。これなら、医者のお世話になる程じゃない。200/120mmHgなんかで医者にかかったら、間違いなく降圧剤を処方される。下手に薬を使われると、どんどんとバランスが崩れるかも知れない。
でも、こんなんで脳内出血なんか馬鹿らしいですからね。室温設定は、ちょっともったいないけど、25度に上げることにした。
なんか、とってもリッチな気分。差が出るって言ったって、月1000円は違わないだろうし。ケチるのやめた。

脳血管疾患は、日本人の死亡原因の第2位, 第3位だった。昔は、こんな感じで、頭の血管とかが切れたんだろうな、なんてことも思った。
とにかく、去年から体があちこち壊れまくって、注意力も散漫。それにしても、老けた。実感。今年は還暦。

蕎麦に入れ歯

情報は、タダじゃない。

有益な情報は、取得することにそれなりの努力を要する。その努力を回避して、簡便に情報を取得しようとするなら、当然その対価は支払うべきだと思う。
そうなのだけれども、無料でダウンロードできるソフトが多くて、「これって、一体どうやって、開発費を回収しているだろう」と思えてしまうソフトも、中にはある。万人をターゲットにするから、「有償」を選択する確率が低くても、ペイするんだろうか。「課金」する一部のユーザに頼っているのか。

マーケットの「ニッチ」なる、耳障りのいい言葉がある。要するに、市場規模が(今は)小さい、ターゲットに金銭的な余裕が少ない、求めているのが中小以下の製造業とか、病人、文科省が方針転換して見捨てた基礎研究部門だとか、そういうところを相手に仕事をしていたら、需要が多くても単価が上がらない。
結局は、いずれ供給が止まるのかも知れない。

安倍総理の「景気対策」は、頂点となる大企業に金を注げば、それが下まで流れていって、下請け孫請けまで潤うと、そういう構図を描いたんだろうけれども、結局は上の方で給与やボーナスが上がるだけで、下までは潤っては来ないのかも知れない。
そもそも、供給する側が必死でモノを作っている、だからモノが溢れているという認識があまりないのか。コンビニなどで売られているモノは、誰がどうやって「この値段」で作っているのかと思うと、気が遠くなる、ことがある。相当な数を作るから、一個あたりいくらの利益が乗って、ビジネスが回っているんだろうか。(今ごろになって、やっと気づいたのかよ、とも思うが。)

情報もそう。漫画村だっけか、タダで読めて当たり前?何もないところからモノを書く、「創造」するのにどれだけ消耗するか、想像できるんだろうか。「タダで読めるんだから、有料サイトなんか使わない」いずれ、新しいものは供給できなくなるんじゃなかろうか。「え?金とるの?」って、どういう認識?多いんだよなぁ、そういう人。

最近は、何でもない普通の会話だとか、何気ない発言の一部分を切り取って、それを「ニュース」として配信したりする。その極みがフェイクニュースなんだろうか。文脈で読まなければ真意は伝わらない、そういうものが多いのに、切り取った一部分だけを見て、「炎上」というんだろうか、大騒ぎになったりしているのを見ていると、もしかして、これも「コンビニ世代」の「お手軽さ」で、ニュースを受け取っているのかなぁ、とも思う。そうかと思っていたら、韓国はレーダー照射の証拠映像に対して「画像と会話しか写っていないから、証拠にならない」と言っていた。その部分だけを切り取れば、そういう主張ができるんだろうか。切り取ってしまったら、真意など伝わるはずがない。

そう言えば、師匠が講演会でおっしゃってた。創造主が、人間の住めるこの環境全てを創った。ところが、人類はそれが「ひとりでに出来上がった」と勝手に考えて、感謝を忘れている。そんな文脈だったと思うが、そもそも、コンビニで売られているものも、漠然と、誰かが作ったなんてことは考えて買ってない。漫画はタダで読めて当たり前。誰かが必死で考えてその作品を産み出した、なんてことは多分全く考えていない。
「そこにあるんだから、誰かが作ったなんてことはないと思う。」前にも引っかかったこの一言、コンビニ世代の当たり前の生活感覚、なんだろうか。納入したソフトを「タダにしろ」なんていう、あれとはまた別の感覚なのか。
断片的に切り取られた、目の前のモノにしか反応しない。上流工程も、下流工程も、一切気にせずに、目の前に何かモノが存在している、それだけを相手にしている。会話も映像も、流れを見ずに一部分だけを切り取って騒ぐ、あるいは、一部分だけを切り取って、意図的に相手の真意を切り捨てる。なんだか、どんどんそこにシフトしている気がする。嫌な世の中だ。

昔、僕らの世代のアイドルは、山口百恵さんとか、小柳ルミ子さんとか、アクネス・チャンさんとか、男性だと沢田研二さんとか、郷ひろみさんとかだった。山口百恵さんの歌に「青い果実」か、こんな歌があった。

あなたが望むなら 私何をされてもいいわ いけない娘だと 噂されてもいい

萩本欽一さんのテレビかラジオの番組(たぶんラジオ)で、歌詞のパロディを聴視者が投稿するのがあって、この歌の途中を切り取って、流していた。
「蕎麦に入れ歯 蕎麦に入れ歯」
この後、「誰も怖くない」と続く。知らない方は、是非最初から聞いてください。別に、年越し蕎麦に店主の入れ歯が入ってる訳じゃない。

切り取っちゃうと、こうなるんだよなぁ。なぜか印象に残っている。しかも今時は、それで炎上したり、逆に、切り取ることで前後の文脈を全部断ち切って、なかったことにしてしまう。
モノは、作った側のことも、使った後のことも何も考えない。超狭視野の繋がりの乏しい世の中にシフトしているような、そんな気がする。

問題解決! << wiringpi

動いた。良かった。丸2日で済んだ。

Raspberry Pi 3 / Raspbian / Python 2.7の環境

原因は、昨日の段階では、configでSPIをenableしなかったこと。これはすぐに分かった。ドキュメントをよく読まなかった。
それでも動かなかったのは、僕がPython3で走らそうとしていたこと。Python2でなければ、wiringpiのパッケージが正常動作しない、ということを確認した。
intとバス幅の関係か?深入りしないけど、たぶんその辺かも。不思議なことに、C言語のライブラリが全く正常動作しないのに、python2だと動いた。C言語のライブラリは、忘れることにする。

複数あったサンプルコードのうち、一つはwiringpiの戻り値の型が化けまくっている。ラッパーがおかしい。結局、PiPyADC-master.zipから展開したコードだけが、正常動作してくれた。いや、他のも、僕の使い方がおかしいだけなんだろうけれども。ソースが全部辿れるので、組み込み応用には、かなり助かる。

wiringpiのソースも読ませていただいた。C言語で書いたライブラリを、pythonから呼び出す、あるいはrubyから呼び出す。テクニック満載で、すごく勉強になった。また、PiPyADCのコードも、すごくプロフェッショナルで、こちらも大変勉強になりました。オープンソースにして下さった方々に、大感謝。PiPy漬けでした。

クラクラする。血圧測ったら、180/96mmHgだってさ。ヤバい。運動不足。タバコの吸い過ぎ。そろそろ日付が変わりそうだけれども、風呂入って寝る。少しは血圧が下がることを期待。
長生きしそうにないね。いや、もう十分に生きた気はするし、思い残すことも特にはないけど。

PyPI

PiPyでググったら、Google先生がPyPIで検索してくれた。
Python Package Indexらしい。何だかなぁ・・・

何で、こんな名前ばっかし?いや、日本人が主導権を取ってないからなんだろうけれど。日本語では、ちょっとね。

協力隊の訓練所にいた時、スワヒリ語の「熊本」の話があったが。言語が変われば、色々ですね。日本人にこんなに受けてる、なんて、開発者は思ってもいないだろうな。

疲れた頭では、当惑するばかり。こっちのPyPIも使い方を覚えなきゃならんのか?PiPyとかPyPIとかが、目の前でグルグル回る・・・

PiPy

泥沼モードに突入して、目下30時間経過。(無論、夜は寝てるが。)

Raspberry Piに12bitの高精度AD変換ボードを組み合わせた。
8,000円せずに、高精度のデータ採取環境が構築できる。
今回は、c言語ではなく、Pythonでアプリ全体を構築することにした。
ここまでは、判断として間違ってはいなかったと思うんだが・・・

提供されている制御ライブラリはC言語。ヘッダー、本体共に1400行くらい。移植するか?しまった。
しかも、cのサンプルを走らせたら、ADS1256のChip IDを取得できないエラーが発生。
ネットで検索したら、他にも同じ現象にハマった人がいるみたいだけれども、
(あぁ、マニュアルも、トラブルシューティングも全部英文だよ。有り難いね。勉強できて。)
どうやら、ネットで見つけた解決策は、私の場合には当てはまらない。問題が解消しない。

煮詰まって、検索を続けていたら、Pythonでのサンプル・プログラムがgithubに上がっていた。感謝、感謝、大感謝!
m(_ _)m
(-人-)

ちょっと、試してみよう。でも、原因がハードウェアにあるとしたら、言語環境だけ切り替えても問題解決にはならないはず。
それでも、ハンドシェークで悩むよりは、Pythonのライブラリがあるなら有り難い。

ですけどね。Raspberry Piで、Python
この辺のライブラリって、PiPyのニックネームか?
これ、なんて読むの?やっぱ、あれか?

イントネーションは、下げて読むと、もうアレにしかならないから、本庄みたいに
(Nack 5に流れてる本庄市のCM、聞いてますけど)
上げて読まないと、何だか口にしていて恥ずかしい。
ピッピーならいいんだけどな、それだとPiPpyに綴るはずだし。無理あるよなぁ。

Python関係のライブラリとか、環境とか、全部Pyで始まったりする。
グラフィカルなライブラリは、Pygame(パイゲーム)
専用のエディタは、PyCharm(パイチャーム)
この辺は、さすがに3年目、さらっと授業でも口にしているけれども、

よかった。授業でRaspberry Piを使うなんて話になってなくて。

たぶん、教壇に立ってこの単語(PiPy)を口にする勇気は、僕にはないです。
え?意識しすぎ?

だいぶ昔、ドップラー血流計測の授業で、血液中の赤血球の個数を口にした。
1μL中に、成人男子で500万個。ところが、教科書で念のための確認をしていて、一瞬500が200に見えた。
あれ?と思って、「成人男子で500」まで読んだところで、目を凝らした。そうだよな、500だよなと確認してからあとを続けた。「万個」
口にしてしまってから、一瞬で血の気が失せて、さらにその次の瞬間、顔面真っ赤。焦った。
100人以上入る教室で、マイク持って喋ってますからね。でも、セクハラじゃねぇぞ!
ふと、顔を上げた学生も何人かいた。けど、何人か、しかいなかった。
僕は、と言えば、何事もなかったかのように、次を続けたけれども・・・
そもそも、授業を聞いていてくれなければ、セーフなんだろうが、複雑な心境でもあった。

意識しすぎかもしれないけど、でも、嫌です。

さてと、格闘再開。

この壁を乗り越えたら、きっとPiPyが大好きになりそうな予感が・・・

人間原理

ニュース配信で流れてきた書評
宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)(Kindle) – 青木薫著

一言で言えば、あらゆる物理定数は、ほんのわずかでも異なる値を取ったならバランスが崩れて、我々人類は生存できない。と。ここまでは、普通に物理学で結論できるとして、問題はその先か。

だから、この宇宙は、我々人類が生存できるように創造された、と言えるかどうか。ここで議論が分かれている。でも、私自身の立場で言えば、いい傾向のように思う。昔だったら、「そんなことあり得ない」、「そんなの偶然だ」の一言で片付けられていた。創造主などいるはずがない、と。

ただ、ざっくりと「物理係数」と言ったって、ほぼ全てに「無限の桁数」があって、我々が測定可能なのは、せいぜい10桁とか20桁であり、その下の50桁下、60桁で、「わずかに数値が狂っただけで、我々は生存できない」状況は変わらないと、私は理解する。

わかりやすい反論で、こんなのがあった。

人間原理は面白いんだけど、私達が存在するのだから、存在できる物理定数になっているのはあたりまえで、存在できるようにする為に、物理定数が決まった訳ではないと思う。

つまり、偶然だと言いたいんだろうな。

この例え話は何度も持ち出しているけれども、0と1を乱数で生成させて、それを並べてコンピュータのプログラムに仕立てたとする。それが「会計ソフト」とか、「ドラクエ」とか、それなりに意味のあるプログラムになる確率は、どんな数字だと思うだろうか。
言い換えたなら、

「ドラクエ」というゲームが存在するのだから、意味のあるプログラムが出来上がっている事実がある訳で、誰かがプログラムを書いた結果としてそれが出来上がった訳じゃないと思う。

と言っているに等しいと、私は思う。この論法が通じたら、いいかも。
「あの人の財布が私のポケットにある」のは、「偶然飛び込んで来たから」で、私が取った訳じゃありません。とか、「あの人の答案と、私の答案が、綴りミスまで間違え方が一緒なのは偶然で」・・・
やめとこ。キリがない。それに、「いい例」が何一つとして思い浮かばない。

ちょっと検索してみたら、この「人間原理」は1990年頃に書籍が出版されていたらしく、現在に至ってはかなり真面目に取り上げられているようで、喜ばしい。
面白い表現も見つけた。「物理学はゴキブリと人を区別しない。」そうだよなぁ。「生命体」という意味で言うならば、おそらく創造主もゴキブリと人を区別してない、と思う。

ただ「生命体」ではなくて「ヒトという生命体」と言う表現にした時には、間違いなく、ヒトだけは別扱いになっていると、自分は理解する。その「別扱い」とは、「ヒトだけが可愛い」と言うよりも、「ヒトが創造主を理解しようとしないならば、存在させても意味がない、わざわざヒトとして創造した意味がない」と言う判断を下される、と言う理解に基づいての「別扱い」だと、自分は理解している。求められているものが違うから、それだけ厳しい扱いを受ける。自分はそう理解する。何としても、私自身が巻き添え(※1)を食わないために、絶対に万人に理解して欲しいのは、ただこの段落だけ。

神などいるはずがない、創造主などいるはずがない、人は偶然発生した。この宇宙の物理定数も偶然。確率を考えて欲しい気がするが、たったの一個体くらいは、どれほど確率が低くても「偶然出来る」可能性もゼロではない、と思うが、無性生殖から有性生殖に進化した後、その「種」が成立するためには、今度は近い場所でその「偶然」が2個体分起きなければならない、として、その確率はどの程度なんだろうか。

ランダムに0/1を生成させて、それがドラクエのプログラムになる確率を誰か計算してみませんか?初期のファミコンだとすると、メモリ容量も限られているから、ソースからコンパイルしたバイナリのサイズで、キャラクタのデータも含めてざっくりと300キロバイト程度、と仮定する。(たぶん、そんなもんじゃないかな。)ビットにすると2.4メガビット、と言うことは、2の2400000乗かな?ざっくりと、2の10乗を10の3乗で計算したら、10の720000乗の組合せ。つまり、10の後に0(ゼロ)を72万個並べたくらいの回数、ランダムに0/1を生成させて、それをプログラムにした時に、確かにそれがドラクエのプログラムになる、と言う確率はゼロではなく存在する。(計算、あってるかな?)1の後に0が72万個並ぶ回数、って、誰か想像できる?(言っときますが、72万回じゃなくて、1の後に0が72万個並ぶ回数、ですから。たかだか72万回だったら、生物学者や無神論者のあなたなら、簡単にやっちゃうでしょうけど。)想像できたとして、実際にそれを試す気になる?偶然、そんなことが起きると思う?

はっきり言って、生物学者も、無神論者も、こうした「偶然」を当たり前のように信じている。その感覚が、僕には信じられない。
とは思うが、こうしてまともな物理学が、こうした話題を取り上げてくれることが、嬉しい。
無論、学問分野であり、自然科学であるから、それが即、「創造主」の実在を証明することにはならない。
その先に進むには、たぶん「霊体」を実際に存在するものとして知覚できる人の存在は不可欠、なんだけれども、地縛霊とか浮遊霊とか悪霊とか、そんなのばかり知覚できても、あまり嬉しい結果にはならなくて、例えば、キュリー夫妻だとか、ボーアさんだとか、そう言った方々の「意識」をクリアに受け取れる人(相当に心に汚れがなくて、一切の欲がない、そういう人でないと無理だとは思うけれども)がいなければ、先へは進めないんだろうかな、なんてことは思う。
どなたかフォン・ノイマンさんの意識を受け取って、コンピュータ屋を唸らせるような霊媒さんって、いませんかね?そう、いないんだろうな。だから、「霊」なんて存在しない、っていう方向に行っちゃう。

あるいは、別の選択肢として、目の前で現実に起きたことをただ単純に信じるだけ、でもいいんだろうけれども、(私なんかは、そのクチだけれど、)それで信じることはできる、はず、なんだけれど・・・(私は、単細胞ですからね。)仮に、現在にモーゼが現れて、現実に海を割って見せても、どんなトリックだ?どんな集団催眠だ、って、たぶん、そっちに行っちゃう。素直に自分を信じられる人は、救われるべき存在なのかもしれない。
実際に、周囲の人と(あまり深入りしない程度に会話をしていて)神という単語を出した途端に、「あ、シューキョーだ」と拒絶反応を示されることが多い。「創造主」の存在を肯定することは、そんなにも忌むべきことなのかね?いや、日本の場合「国家神道」が「戦争邁進」の一つの要因になったことは否めないから、その拒否反応もわからなくもないけれども、(あ、最近ではオウム真理教、とか、か。今でもあるなぁ、新興宗教。)
そういう宗教関係者に勧誘されて、金を払えって言われたら、「あんた、神様みたいな存在なら、競馬でも宝くじでも当てて、自分で稼いだら」って突き放したらいいだけ、だと私は思うんだが。そういう新興宗教が、「創造主の存在の容認」の障害になっているんだろうか。

ヒトのDNAの塩基配列は、いくつ?で、類人猿のDNAの塩基配列は、いくつ?
ミッシング・リングなんていう話題もあったけれども、それでは、サルが偶然ヒトに進化するために、仮に50回に1回の割合で、放射線などによる偶然のDNAの書き換えが起きる、と仮定し、さてサルの個体数は何体必要で、出産は一体何回必要なのか、かつ、そうして生まれた「ヒト」が、同時に配偶者となる「ヒト」も、同じ群れの中で生成する、その確率は、どの程度なんだろうか。
確率的に意味のある、そのサルの群れの個体数が、例えば10万体であり、猿が一人の「ヒト」を偶然1回出産するための出産回数が「100万回」程度であるならば、まだ現実的に可能性として考えられる、と思う。
ただ、DNA塩基の書き換えで「意味のある書き換え」とならず、要するに、生まれた子供が奇形として死ぬのではなく、「偶然の進化」で、たった一つの形質だけでも「優れたもの」となる、そうした「書き換え」が起きて、なおかつ、それが、サルからヒトになるために必要な「特徴」すべての「書き換え」を網羅するためには、サルの群れの個体数が何体必要で、何回のセックスと出産が必要か、もしその個体数が数十億を超えたり、セックスや出産の回数が数兆回を超えたとしたなら、それだけで、ダーウィンの進化論は「否定」されるべき、だとは、思いませんか?

かなり、ざっくりとした議論ですが。


※1:脚注です。(脚注の方が、本文より長かったりして・・・)
巻き添え、って、上位の意識体は、下位の意識体の個体を個別に知覚するのは難しい、と、ある方(師匠とずっと書いている方)に聞いている。地球という意識体は、ヒトの一人一人を区別して知覚できない。それはちょうど、私たちが「癌の切除手術」を受ける際に、「癌細胞の塊」とする中に、十何%かの正常細胞があっても、それは「癌」でしかない、という扱いをするのと同じ、だと理解する。放射能に汚染された土壌を剥ぎ取る。実際には放射性物質などコンマ数%%(PPMの単位)でしかその土壌の体積中に含まれていない、としても、その一体すべての土壌を剥ぎ取る。鶏のインフルエンザに感染した数羽の鶏がいただけで、鶏舎を丸ごと「除染」する。それと同じことを、地球意識などの上位の意識体は行い、程度が軽ければ、アトランティス大陸を沈める、程度で済むところが、いざとなったら、というそういう話題。これが「巻き添え」と私が書いた意味です。

池袋の街頭で「神は万人を愛されています」なんて、拡声器で叫ばれている方々、偉いと思うよ。ただ、問題は、そんな言葉に耳を傾けようとも思わない、置き引きとか、スリとか、あるいは、「私はまともな社会人です」的な顔をして、宴会のために池袋を歩いている人の中でも、実は会社の金をチョロまかしてるような人は、いくらだっている。イエス様はともかく、その上位の「神」は、それらすべてを「汚れた意識体」として認識され、(人間的な言葉で言えば)我慢の限界を超えた時に、従来通りの軽い措置で済むなら、ボンペイのように、というか、局地的に「切除術」を施されるだけで済むのに、「全てを消してリセット」となるのが、怖いと私は思う。

アメリカの映画なんか見ていると、「神」が悪役になっていて、人類を平然と殺そうとして、それに立ち向かう「主役」が、実は(おそらく)神の視点では平気で「悪い」ことをする、だけども、「ほんのちょっとだけ」いいところもあって、共感を得るようなキャラで、映画としてはメデタシ、メデタシ、そんなのが多い。「人間は不完全な存在だ」と、その「容認」は悪いことじゃない。僕なんかだって、「悪いこと」は随分やってる。(当然、自覚しているから、落ちるところには落ちる。)だけど、だからと言って、「神」を「悪役」ってどうなのさ、って思う。癌化した細胞一個が、その持ち主であるヒトを悪役として描写しようとしている、そういう比喩に私は感じる。やめてくれ、と思う。頼むから、師匠、そういう映画は見ないで下さい、とも思う。

「あなたはー、かみをー、しんじますかー」なんて街頭で叫んでいる暇があるなら、たった一人でもいいから、自分の隣人が、「殺す」なんてのは稀だろうけれども、「奪う」とか、「貪る」とか、いいや、欲にまみれて欲しいものを買いまくる、なんてのは(私個人は)容認するとしても、他人に迷惑をかける行為だけは、力任せでも止めてみろ、と思う。
「信徒」をいくら増やしたって、イエス様は喜ばない。そうじゃない。信徒が増えて喜んでるのは、その金で生活している教会だけでしょ?違うか?奪わない、殺さない、貪らない、そういう人が一人でも増えれば、あの方(イエス様)は喜ばれる。街頭演説している暇があるなら、自分の家族でも知人でも友人でも、たったの一人でもいいから、そういう行動が間違っていると止めてみろ、と思う。その思いが同じなのは、イエス(アモール)様だけじゃなく、モーゼ(モーリア)様も、アッラー(アール・エル・ランティ)様も、どなたも同じかな、と思う。
わかってない人が多いんだから。金が欲しいから、「信者」を一人でも増やそうとして、連れ込んで、手篭めにして、じゃなかった、金を払わせて、自分だけはいい思いをする。最悪じゃん。欲にまみれているだけ。
そうじゃない、「神を信じて」何か行動しようとするなら、たった一人でもいいから、自分の周囲で、殺すとか、会社の金の横領だとか、「欲に竿した行動」を止めるように、自発的に動いてみたら、なんてことを、私は思っている。いや、考えている、というよりも、おそらくだけれども、「たったそれだけのことができないような奴の、願い事なんか、聞いてやるか」と思いながら、神社だか、お寺だか、教会だか、モスクだか、わからんけども、「駐在業務」をこなした経験は、あったかな、なんてことは結構感じてる。

あれね、霊体として宗教施設に「駐在」した経験を思い出せる人は少数派だと思うけれども(いや、これまで知り合った中でも、結構いるはずだけれども)、学校の先生として学生/生徒に教える経験をした人は、必ずしも少なくはないと思う。どうでしょうね、日常会話ではなく、成績とか評価に関する部分で、生徒/学生の嘘を真に受けたか、おかしいと感じられたか。
私ら下っ端の霊体だとしても、嘘は結構見抜けるものだと思う。嘘つくな、って。私ら下っ端は騙されたとしたって、上(の人格霊の方々)はかなり見抜いている。キリスト教で、「懺悔」したらすべて許される、って、それって、「交通安全のお札」と一緒。違反したって、切符は切られませんよ、って、そんなはず、あるかいな。全部バレとって、全部ツケを払わされるわな。って、なんだか関西弁にシフトしている。なんで?嘘とか、悪行とか、誤魔化しとか、そういうものに、「迂回ルート」なんて存在しない、っていうことを、是非、知っておいて欲しい。

霊体さんに現金を差し出したら、罪が許される、って、そういうのを普通に信じちゃう人が、少なくないんだよなぁ。だって、学者だって、1の後の数十万、数百万のゼロが連なる確率の現象が、簡単にホイホイ起きているって信じている、そういう、僕には理解プロセスが理解できない世界。殺すな、って言っても、無駄なのかも。安易な思い込みの強さ。厳しさの欠落。どうでもいい、何をどうやりたいように、誰が何をしようが文句は言わないけれども、とにかく、巻き添えは嫌だ。(ついしばらく前に見た、ハリウッド映画の設定のバカバカしさに、力が抜けた。これが「全米大ヒット」って、どんなバカが見てるのかと思うしかなかった。)

せめてクリスマスくらいは、人類(厳密には、人の意識体)が神によって「創造」された存在だと、知覚して欲しいな、と思う。ヒトも、肉体はね、物理現象に左右されるみたいだけれど。

KISS

ポイント不正
これ

https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000143348.html

来たなぁ、と思った。やたらとややこしい制度設計をして、そこに「例外」だとか「特例」だとか、ごちゃごちゃと付加したら、抜け道だらけの制度になる。実際に、そうやって日本経済は回っていたりする。

例えば、東日本の復興財源の配布先、おそらく役所側にも財源消化のノルマがあったりなんかして、「案件」を「人脈」で募って、およそどこが「東日本大震災の復興関連」なんだか、想像すら出来ないようなところに予算が落ちる。その繰り返し。で、その経緯は一切公開されない。

表題と中身の乖離を防ぐために、これですという画像をアップしておく。
Keep It Simple

ダイソーで買った。108円。なんて言う呼び名だろう。ペットボトルカバー?結構気に入っていて、法政大学でも、専門学校でも、学生に披露した。これって、大事なんだよ、というお話。
この写真のだけだと、とりあえずは、KISで、KISSじゃない。(僕のシャープのスマホ、なんだか思ったところにピントが合わない。勝手に手前のカップにピントがあってて・・・最近、試行錯誤を諦めた。)とりあえず、Keep It Simple.
(余談ながら、この写真に写っている僕の事務所の備品、それぞれ買ってから22年(2Lジャー)、29年(1Lのジャー)、7ヶ月(KIS)、24年(マグカップ)、14年(急須)です。よく覚えてるな!意味のないことを。)

しばらく前に、「物の移動と、その所有権の移動を切り離したら?」という話題を書いた。あれは、実は実際には難しいと思っていた。所有権を移転したら、それだけで消費税がかかる。課税当局は、何が何でも、どこにも「税の徴収」を持ち込む。A社がB社に売った。それをB社がA社に売って、いわゆる「買い戻し」を実施した。それだけで、往復で消費税がかかる。それが制度で、物流の最適化なんてことを掲げて、書いてはみたけれども、無理だね、とは実は思っていた。それは、「消費税を支払う」時の話。ところが、その消費に「還付金」となれば、これまで税務当局がやっていた論法、手法がそっくり、これまで税金を支払っていた側でも使える。その一つが、この複数による「買い回し」だろうか。

そもそも、消費税の免税事業者には、消費税の支払い義務はない。だったら、元々がそういう「上から目線」でまともな請求をさせてもらえない企業だったら、零細規模にまで分割してしまえば、こんな話は簡単だろうと思った。消費税はそのまま益税になるから、100万円の転売なら、8%を最初から引いておけば、美味しい「永久機関」だろうと思う。(え?でも、10回繰り返したら、それぞれに消費税がかかるから、売り上げが1000万を超えて、益税にはならないんじゃ?あ、そうか。寸止め。一切仕事をしていなくても、1000万円のギリギリで、年額50万円直前までは黙ってお金をもらえる、のかな?で、寸止めして、次に別の会社を作ったらいい。)恥も外聞もなく、会社を小規模な多数の会社に分割し、あるいは、大量のダミー会社を作って、それがダミーであっても例えば「個人経営」のように、公式な結びつきは一切ない「経済活動主体」であるならば、このテレ朝のやり方は、極めて合法的に、国から「還付金をもらえる」制度になるのかな、なんて思った。そうだ、全部合法だ!ところが、そこにさらに、「還付金詐欺」が絡んできて、話がゴチャゴチャになったりなんかして。(あなたも、消費税還付のポイント付加制度で、利益をあげませんか!なんてね。)
こうやって、必死で「制度の隙間を突いて、一円でもアブク銭を掠めたいと思っている人間が、少なくない」、なんてことを、かのAss Holeが知るはずもないだろうし、経産大臣どころか、現場の経産省役人だって、実感として感じることも不可能なんだろうな。一度、泥沼の生活をしてみたら?

僕なんか、そもそも「仕入れ」がほとんどなくて、自分が仕事した分だけの請求だから、自分の価値が安いと思えば、っていうか、安いと決めつけられたら、大した金は請求できない。医者に「タダにしろ」と言われたことだってある。(まだ覚えてる。鹿児島大学のあの医者。不当値引きは慶応大学のあの人。)その延長で言えば、今はもう制度上「消費税」なんて、価格の一部だと思ってる。だから、この件に関しては、まともな議論はできない。支払い義務が生じるレベルになれないですからね。ならせてもらえない、というべきか。

しばらく前に書いた、「所有対象物の移転」と「所有権情報の移転」を切り離したら、物流抑制につながって、「地球温暖化ガスの排出抑制」につながるんじゃないか、ってな話。その後考えた。
日産自動車のゴーンさんの主張。「未来に受け取る約束をしただけの報酬」にも、日本の国税当局は課税対象としている。だとしたら、「時限買い取り契約付きの、所有権移転優先権契約」なんかで、直接的な「所有権移転」を回避し、「消費税」負担がかかることを回避して、「物流のムダを省いて、温暖化ガスを低減する」なんていう方法を工夫しても、その中間プロセスすべてに消費税をかけられてしまって、実現可能性は極めて低くなる。
自分では、いいアイディアを出したつもりが、スカだったな、なんて思った。制度の詳細を理解しないと、なかなか「抜け道」は見つからない。

そうなんだけれども、今回の「消費税増税」に抱き合わせた、様々な「還付政策」は、かなり細かくて、例えば、ポイントの還付率にも段階があるらしい。いや、こういう「段差」があれば、そこから利益は出せるロジックが存在する、と感じた。どんどんと制度を複雑にしている。制度を複雑にすればするほど、システムは「穴」が大きくなる、というのはシステム屋の発想。複雑なシステムというのは、If/Elseの漏れが多くなりがちで、特にそのIf/Elseを組み合わせた際の「想定外の組み合わせ」に致命的な穴があきがちになる。単純に、10個のIf/Elseがあったら、1000通りの組み合わせが存在する。その1000通りを瞬時にイメージしきれなかったら、いいエンジニアにはなれないと思う。だから、結局、システム設計、制度設計は、「単純を持って旨とする」ような基本姿勢がなければ、安定なものは作れない。多分ここは、今の日本人の一番苦手なところだとも思う。その反例を絵に描いたような実例が、今回の「諸費増税+その緩和策」の組み合わせだと思う。

「そもそも論」が消し飛んでいる。「そもそも」は、福祉や医療、教育など財源確保を、かの安倍総理も掲げていたはずだと思うのに、今やそんな議論はない。大元の制度は一切手付かずで、目先金が欲しいから消費増税します、そして、さらに目先不満が多いだろうから、「還付対策」をします、なんてもう、文系の頭ではそういうのを「制度」というのかも知れないけれども、SE(システムエンジニア)の発想からいえば、システムじゃない。「体系」になっていない。

「ハウルの動く城」の外観みたいに(いや、絶対に著作権に引っかかるから、画像は引っ張ってこないけれども、)ツギハギだらけのカオスとしか思えない。福祉カオスに、医療税制カオスを上乗せし、それにツギハギで教育カオスを貼り合わせて出来上がった、消費増税カオスが、さらにまた、突き出し窓とか、煙突とか、わけの分からんものをゴチャゴチャと貼り合わせたみたいで、こういうのを「制度」と言うんだろうか。

我慢しきれなくなった。どこかのサイトのリンクを、勝手に貼ります。

このサイトからもらいました。
https://movie-bitari.com/haul-m5/

表題のKISSは、以前、血圧計メーカに勤務していた頃に、部下だったアメリカ人から教えてもらった。面白いと思ったのは、欧州からの留学生たちは、結構このKISSを知っているのに、日本人はメーカ勤務のそこそこベテランの人も、知らなかったりする。聞いたことがあります、という日本人のエンジニアを、僕は一人も知らない。それなのに、欧州の留学生は結構知っている。なぜなんだろうか。海外のエンジニアの常識を、日本のエンジニアはほとんど知らない、その典型がこのKISSかも知れない。
Keep It Simple and Stupid.
冒頭に画像で出した、Keep It Simpleに、さらにStupidがつけ加わる。このStupidとは、”Fool Proof”、直訳すると、防水ならぬ「防バカ」仕様だろうか、臨床工学の国家試験にも出る「設計思想」だけれども、「うっかり操作」をしようとしてもできない、そう言う「親切設計」だと理解していただけたら。(今日はもう6時間も学生相手に話し続けて疲れたので、Fool Proofは、それでネット検索してください。すぐに見つかる言葉だから、僕のサイトじゃ解説しません。)(カッコ内が長くなった、もう充分に疲れてる)その”Fool Proof”に近いコンセプトで、どんなアホでも、操作方法がすぐにわかるくらいに、単純だ、と言う意味だと、私は理解している。

分厚い取扱説明書を読まなきゃならないようなシステムは、ろくなシステムじゃない。画面を見て、直感で操作していけば、どんなアホでも使えるようなシステムが、理想的なシステムだ、と、そう言う発想だと理解している。それが、KISS(Keep It Simple and Stupid)だと、私は理解する。そして、不思議なことに、日本人のエンジニアは、結構ベテランみたいな人も知らないのに、欧州からの留学生は、結構な人数が、この言葉を知っている。日本の「穴」だよなぁと思う。そもそもが、日本人にはそう言う思想がなかったか、と言ったら、おそらく江戸時代の「工芸」は違っていた。ここに踏み込むと、話題が逸れまくるけれども、やたらと頭デッカチな官僚が安易にIf/Elseを設計するから、隙間だらけの「ハウルの城」が出来上がるんだろうとも思った。
江戸時代は、頭でっかちよりも現場の職人が優遇された、古き良き時代だったのか。(欧米は、最初から頭でっかちは優遇されない社会、なのかな?いや、違うよなとも思うけど。)

どこかの総理が、「骨太の方針」とかやたらと好き好んで発言される。骨太の方針っていうよりも、牛の大腿骨みたいに、骨の周りにほんの少し肉がついているだけみたいな、肉がほとんどない骨、みたいに、全然食っても食った実感がない骨つき肉のことを「骨太の方針」と称している、そんな気がする。食う側からしたら、骨はいらんよ。もっと肉を食わせてくれ、と思う。
で、実際には全然本質的なところを改善していない。福祉制度の根幹をいじらずにカオスにし、医療も、教育も、全然根幹をいじらずに「肉」がほとんどない制度を、力任せに通そうとしている、食うところが全然ないから、「骨太の方針」と呼んだ、みたいな気がした。

牛の大腿骨。こんな画像にたどり着いた。

このサイトからもらいました。
https://item.rakuten.co.jp/lovelybone/gyunama-genkotsu01/?scid=af_pc_etc&sc2id=af_113_0_10001868
これですね。このサイトの写真、犬のオヤツらしいけれども。人間には食うところがないなぁ。でも、「骨太」には間違いない気がする。

そうじゃなくてね、「骨太」って言ったら、「消費増税分は、全てを、福祉、医療、教育に回す。その支出先は、一円漏らさず全部ネットに公開する。皆さんの金をきちんと使ったことは、キッチリ公表する。だから文句を言うな。目先のバラマキはしない。一円たりとも、還付金とか、その場しのぎのバラマキなんかやらん。その代わり、根幹をきちんと考え直すから、一切文句を言うな」と、そういうのが「骨太」じゃないんですかね。僕はそれを期待していたんだけど、逆だね。
あたしゃ、そんな気がする。安倍さん?口にできる?できねぇだろうな。

日本人は、もっとKISSを、最低限知っておいて、それから、もっとKISSを実践したらいいのにね、なんてことを思ったりする。

えぇと、KISSについての他意はありません。本文に記した通りの意味、ということで。

静電気

ドアノブなんかで、バチバチくる季節になった。空中放電するから数万ボルトくらいにはなっているらしい。
ただ、臨床工学の医用機器安全管理学の「基本」で、マクロショックを起こすほどではない、最小感知電流よりは大きく、瞬間的には離脱限界を大きく超えるマイクロ秒程度の放電?たぶん数ミリアンペアから十数ミリアンペア程度の放電電流なんだろうなと推測する。
嫌ですね。事務所でも、椅子から立ち上がったりするたびに、金属部分に触れる前には、鍵束で放電させると、案の定バチっと鍵先で来ている。

トノメトリの開発をやっていた時に、ストレンゲージアレイのセンサーが不思議な動きをすることがあった。
不思議なドリフトを起こす。で、結局この問題を解決したのは、導電性の作業衣、だったか導電性の作業靴で、床に浮遊電荷を逃す、ということだった。確かセンサーグループのHさんが見つけたように記憶している。30年前かな。
冬場、乾燥してくると結構な勢いで電荷を体に溜め込んでいるようだ。会社の作業服が変わって、気のせいか静電気でバチっていうのが減った気がした。

この電荷、床に逃がせればそんなにバチバチ来ないと思うが、どうやら僕の事務所の床と、クロックスのエチレン酢酸ビニル樹脂の組み合わせはあまり放電の相性が良くないらしく、結構バチバチ来ている。

ふと思った。導電素材と絶縁素材を組み合わせて、この電荷を靴とかサンダルとかに溜めて、一日中事務所で作業したら、どの程度電荷が溜められるだろうか。繊維によっては静電気を発生させやすいし、一日普通に生活してどの程度の電荷を溜められるか、なんだか実験してみたくなった。けど、思っただけ。

昔、圧電素子で「発電床」が作れないかとか思ったことがあった。同じことをJRが試したみたい。JRの新宿駅だったかで「実証実験」をやっていたらしいが、実用化したという話は聞かないから、たぶんコストパフォーマンスは悪かった、か、大した発電量にならなかったんだろうと思う。ただ、現在の圧電素子はピエゾ効果のある結晶(が主流?)で、他にあまり種類は聞かない。圧電現象の研究も、暇と金があったら色々とやってみたい気がする。けど、思っただけ。
結晶、ということなら、例えば、有機系で、炭素ベースの結晶構造とか、ケイ素ベースの結晶構造なんかだと、素材は安いし、もし何か圧電現象が見つかれば、コストそのものを下げられたりして。

電気ナマズ、電気ウナギは、素足で踏みつけると感電死することもある、生息地では「危険な」生物だと聞いている。あの発電メカニズムは、直列接続したイオンポンプだと、あやふやに理解している。実際、有機系で瞬時に数百ボルト、数千ボルトの放電を起こせるって、どんなメカニズムなんだろうか。暇と金があったら、調べてみたい。けど、思っただけ。

なんだかね、仕事で事務所の中をうろちょろしているだけで、床だの、サンダルだのに電気が溜まって、もしその効率が良くなって、携帯電話の充電くらいできるくらいになったら、すごいのに、なんて思った。

思っただけです。抱えたままでいると、モヤモヤするから吐き出してみた。それだけ。

温めますか?

コンビニでタバコを買ったら、速攻で「温めますか?」と聞かれた。気がした。ホット・タバコ?

どうやら、隣のレジでした。当たり前ですね。音の聞こえる方向がわからない僕の欠陥。

いや、ちょいネタでしたけど、もうあんまり、意味のあることは書きたくない。仕事一色にしたい。もう、長い文章を書くことは卒業したい。

なんて、宣言しても、続いた試しのない私。
怖いもの見たさで、ついつい、ニュースサイトとか見ちゃうんだよなぁ・・・

ペテルギウスの最期?

アップされたのは2013年みたいだけれども、見てみたい気もする。そろそろ?なんて、星のそろそろは、何百年後だか、わからんからなぁ・・・
でも、僕ら人間の意識体の寿命は、星(の肉体)よりも長いらしい。そんなことも、ふと考えたりしている。
オリオン座の大星雲?いや、実は、誰かが(あなたが?)前いた場所だったりなんかして。その可能性も、学問的に扱って欲しいなぁ。

あ、そうそう。今日学生がTOKIOを、学校のすぐそばの「すき家」で見かけた、とか言ってた。TOKIOの国分さんとか、(あれ、長瀬さん、って言ってたっか?松岡さんって言ってたか?忘れた、どっちか)と、この距離で(その時の、僕と学生の距離は1mくらい)会ったんですよ!すごいと思いません!?僕も、授業ほったらかして、速攻で行ってみたかったりなんかして。ジャニーズ、かっこいいもんね。

なんて感じで、僕のブログも収束させたい。

人工知能考

今日僕は、手袋を失くした。
大人になってから使い続けていた、二つ目の手袋だった。

子供の頃、親に編んでもらった毛糸の手袋は、なんとなくデザインも覚えているけれども、いつ頃どうやって失くしたのか、あるいは、使わなくなって親がいつどうやって捨てたのか、思い出せないし、わからない。中学校時代は、軍手を手袋にしていた。大した防寒効果はなかった。高校時代は、親に買ってもらった黒い革の手袋を使っていた記憶がある。
確か、大学の1年か2年の時に、サークルの部室で同じサークルの仲間のK君が、アルバイト先に「友達に売ってくれ」とノルマで押し付けられたとかで、当時で800円くらいだったかな、手袋をいくつかテーブルの上に並べて、「買ってよ」とかいう感じで、せがまれた。わかったと、一つを買った。軍手とは比べものにならないくらい暖かかった。これが、僕の記憶にある、自分で買った最初の手袋だったと思う。

これをいつ頃、どんな風に失くしたのか、思い出せない。そして、次の手袋をいつ頃買ったのかも思い出せないけれども、社会人になってから、4年目(転職した後)には、2回目の手袋を買って使っていたと思う。それ以来だから、たぶん最低でも30年以上は使っていた手袋だったと思う。そいつを今日失くした。
冬しか使わないし、定期的には洗っていたから、見た目は全然古びていなかった。それを僕は今日、脇の下に挟んで歩いていて駅のホームで落としたか、トイレに置き忘れたか、とにかく、気付いた時には失くしていた。
今、結構、切ない思いが自分の中にある。
で、表題は「人工知能考」なのに、なんで手袋の話?って、まぁ、そう急かないでください。

このストーリーを、人工知能が理解できるか?いや、それもない訳じゃないけれども、全然本論には、擦りません。確かに、たったこれだけのストーリーから、「切なさ」を人工知能に理解させられるか、類似の事例をどれほど学習させても、たぶん、わかってはもらえないと思う。ヒトだったら、Ass Holeみたいな金持ちのボンボンは別にして、わかってくれる人も、人工知能よりは多いかな、ってな程度の期待感で、そんな程度の話の枕だから、今日の話題の本質ではないです。大切な伏線だけれども。(で、ほとんどの場合、話の枕を口にしたところで、黙れ、関係ない話をするな、とか、止められる。だから、WEBが好きなんですが。)

ここは明らかな脱線。たぶん、小学校高学年の頃か中学の頃、傘を置き忘れてどこかに失くしたことがあった。親父に激怒された。親父の学生時代の話をされた。親父が弁当箱を電車の中に置き忘れて帰ったら、おじいちゃんが親父に怒って、「そんなに、ものを大切にしない奴は、うちの子じゃない、なんちゃらかんちゃら。とにかく探してこい!」と駅に行かされて、(見つかったかどうかは覚えていないけれども、)散々な目に遭った、という話を聞かされた。その後すぐに親に買ってもらった新しい傘には、20m先からでも読めるほどの馬鹿でかい文字で、傘の(裏ではなく)表に僕の名前を書かれた。傘を広げると、何ポイントだろうか、一文字の一辺が楽に10cm位はあるでっかい文字で、僕の名前が書いてある。これはとにかく、雨が降った時に差して持ち歩くのが恥ずかしかった。拷問みたいな気もした。親父は、実は中身がAIだったのか、「どうだ、これなら絶対に失くさないだろう。安心だろう。」と、こっちの恥ずかしさなんて果たして理解していたんだか、なんだか。
これ以来、ほとんど公共の場での「忘れ物」はしなくなった。(かなりでっかいのも含めて、ない訳じゃないけど。)おかげさまで、手袋をなくしたのは、これが40年間で2回目。傘だって、25年目の傘をまだ現役で使ってる。ほとんどモノを失くさない分、ダメージが大きい。以上、脱線終わり。話を本題に戻す。

今日、法政大で内村先生にAIの話を振った。東洋経済のニュース配信で、「人事考課制度をAIに任せた失敗談
」的な記事が流れていて、Amazonでの話題を持ち出した。AIに任せたら、やたらと男性を登用するようなAIの判断が出てきたそうな。そりゃそうでしょ。「学習データ」を忠実に再現する訳だから。どこぞの会社では、やたらと保守的な人材ばかりを登用するような判断をして、リスクを冒して新規ビジネスに挑戦するような人材は、全くAIに拾われなくなった、みたいな感じの内容もあった。
内村先生に、今日の授業教材、学生のレポート(今日は発表会だったらしい)の、学生配布用のプレゼン資料のコピーをもらった。そうか。僕が4限目にPythonのプログラミング演習のコマを持つ前、3限目には同じ学生たちが内村先生の授業を受けていたのか。採点したばかりのレポートの名前を、幾つも見つけた。いや、AIのなんたるかをわかっていないな、なんていうレポートもあったけれども、考え方としては否定はしない。勉強中だもの、もっと勉強しようね、という感じだろうか。そんな中に、MicrosoftやFacebookでのAIの失敗事例を引用していた学生もいた。そうだね。あの話題なんか、結構笑えた。無理でしょ、と思っていたけれども。AIにヒトは理解できない。僕はそう思っている。
ヒトを理解できないまでも、何十年か先にはヒトに近い判断をさせることはできるかも知れないけれども、実用化するのに必要な「理想的な学習用データ」を用意できる場面なんて、ほとんどないだろうとも思う。だから、やたらと男性ばかりを登用したり、やたらと保守的な人間ばかりが昇進させられるような判断しかAIにはできない。
最低でも、きちんとした意味付けを提供された7層から10層程度の学習レイヤーを完璧にモデル化し、かつその完全な学習教材データを提示できなければ、(たぶん、物理空間の認識、意味、価値、価値を付与する主体の分析、効果、相手側主体の対象理解、そして感情などの)中間的具象認識の学習が、その業界ごとに定義させられなければ、実用化は無理だと僕は思う。そもそも、モデル化そのものが困難な具象ばかりだとも思う。それほどの期待値がないならば、そこそこの結果は出せるとは思うが。

話題が、かなり「表題」に近づいたけれども、これも本論じゃない。続ける。

だったら、アイボとか、ヒト型ロボットなどが「独居高齢者」なんかの「話し相手」として重宝されているのは、なぜなんでしょうね、という話題。ここからが本題。

僕は、30年近く愛用していた手袋を失くして、やはりなんというか、喪失感というか、自分の体の一部分を失くしたようなそんな感覚がある。「価値」って、そりゃ、僕のことだから、買った時の値段なんて、千円そこそこだったと思う。いや、バブル期だったから、2千円くらいのを買ったかも知れない。だけど、値段ではなくて、ずっと僕自身と一緒にいてくれた、そこに僕はたぶん、感情移入している。
自分の体の一部、って、そもそも、僕自身の肉体は、僕がこの世界で活動するための道具であって、それが僕自身っていう訳ではない、と理解している。(この部分は、相当に異論がありそうだけれども・・・)「人の実体は、意識体」それが、今僕がたどり着いた結論で、そうは言いつつ、この肉体がなければ「僕」という人格がこの世界に存在することができない、大切な道具だから、限界まで使いたい。自分自身の体に対する「思い」と、自分自身が使っていた道具に対する「思い」と、どれほど大きな差があるか、というならば、実は「延長線上」でしかない、そんな感覚も持った。

例えば、アイボを「愛犬」のように大切にする、その感覚はどこから来るんだろうか。少なくとも、仮にAIがヒトを理解できなくても、ヒトは「人工物」に対して感情移入して、それが生き物であるかのように、あるいは、自分自身の一部であるかのように認識し、そして扱うことができる。ヒト自身がそうした感覚を持つことによって、ヒトがAIに歩み寄ることはできても、AIの側がヒトに歩み寄ることはまずできないだろうという気がした。

AIが人の仕事を奪う?そうかなぁ。AIが「やらかしたチョンボ」を、人が尻拭いするために、かえって人手がかかる、まだまだ10年近くはそうした状況が続きそうな気がする。ヒトが、過度な期待を寄せて、なおかつ、AIに対して擬人化した感情移入をしているからこそ、AI元年なんていう表現が出てくる。「元年」って、僕らに言わせれば、第3波到来、だと思う。「僕ら」と書いた。今日内村先生ともお話させていただいたけれども、僕らは、かつて「鉄腕アトム」のようなロボットを、いつか作りたい、と思って、コンピュータに興味を持った。僕の場合には、それが、石森章太郎のサイボーグ009で、サイボーグ(生体工学)の方にシフトして来たけれども、人工知能への興味は「神経回路網」の頃から全く失っていない。そして、俯瞰していると、時々ブームが来ただけであり、「要素技術」に多少の進歩があったにせよ、本質的には何一つ学問的な進捗はないんじゃないの?というのが、個人的な見解である。ヒトが、勝手に、そうした錯覚をしているだけ。そう、ここが本論です。長ったらしい枕を読まさせて、どうもすみませんでした。

今年一年、随分と、老いを感じることがあった。こんな、長いこと使ってきたものを簡単に失くす、なんていうのもそうだし、そもそも、今年の2月、3月は、肺炎ぽい症状を起こして、5月くらいまで肺が荒れていた。そのあとは、不注意にも三脚から落ちて、頚椎を痛めて、ここに来てようやっと左足の痺れが取れかけて来た程度の回復の遅さ。自覚はしている。生きていること自体に、これまで感じて来た強烈な「義務感」が急速に薄れている、それははっきりと感じている。

盗聴だの盗撮だの、散々な目に遭った。国家権力だのマスコミだの、個人の人格権なんてほとんど気にしてなんていないひどい時代だった。リークされた私生活を見ているはずの「識者」も、「見られるような生き方をしている」私の方が悪いような扱いを受けていた(そういう描かれ方をした)気がした。そして、確かに僕は、そこに便乗して、ただひたすら書き続けて来たけれども、このページのバックナンバーにいくつか書いた、それを一人でも多くの人に読んでもらうことが、僕の生きて来た目標の一つだった、だからこそ、この状況に耐え切れたのかも知れないと思った。ようやっと、このページを書いた、あるいは、その前のいくつかの「渾身のページ」書いた、その時点で、頑張って生きなきゃ、というモチベーションが急速に衰えた。その挙句、肺炎になったり、注意力が散漫になったりした。やはり僕は、ここから先数年以内に「いつ死んでも構わない状態」にまで、身辺整理をして、学会も全部やめて、家の中の荷物を全部片付けて、綺麗サッパリと後を濁さずに、次に備えたい、そんなことも強く感じるようになった。
僕に「ハンドパワー」があるか?って?なんだか、そんな話があったような、なかったような。答えですが、もし僕が本気になったら、結構不思議なことが出来ることもあるし、出来ないこともある。それだけ。出来たとしたなら、それは、こうしたページを一人でも多くの人に読んでいただくために、「人目に付くことが必要」という状況に置かれたから、というだけだと思う。人間の実体は霊だ、と、それだけ多くの方にご理解いただいたなら、僕の役目はそれでもう十分過ぎるくらい果たした気がする。(が、目を通してもらっても理解してはもらえていない気もするから、書きっ放しで逃げるには、まだ早そうだ。)こういう「義務感」がない分、宗教屋は楽そうで、羨ましい。
IEEEも生体医工学会も含めて、学会をやめたり、身辺整理をすること自体はもうその流れに乗っているけれども、あとは身軽になって、残りは、どうしようか、それは書かないけれども、今は多少の生きるモチベーションは持ち直しています。老いるということはそういうことなのかも知れない。老いを意識する前、あるいは、意識してしまった後、その両方を含めて、こうした「生きる」ということへの感覚をAIが理解できるか。ここがそもそも、無理であって、だとしたら当然AIにヒトを理解することはできないと、僕は思っている。そもそも、たったの一言「生きる」という言葉の意味を、AIが「理解」出来るとは思えない。それで会話が成立すると思っていたAI研究者が、浅はかなんだろうと僕は思う。

「ヒトの実体」は「意識を持ったエネルギー体」という、ようやっと伝えるべきたった一言の「核心部分」に辿り着いて、それを言葉にして、なおかつ、その「知識」に基づいて書くならば、AIはそもそも、自分自身の「肉体」すらも「意識」できていないし、さらに、「ヒト」が機械に入り込むこともできないと理解する。「ヒト」がAIを「人型ロボット」としてあたかもヒトであるかのように錯覚することはできるとしても、AIの側がヒトになることはあり得ない。ということは、「ヒトの側が錯覚しさえすれば済む程度の役割」は果たせても、本質的にヒトの機能を置き換えるまでに進化することはない、と私は考える。いや、「補佐」はできると思うけれども、それは「コンピュータ」がやっている仕事の延長に過ぎないと、私は考える。学生のレポートを読んでいて思った。「手続き型プログラム」による「コンピュータ」の仕事と、「人工知能」の違いを、さすがに学部の1年生には理解できないかな。その同じ誤解を、新聞記者なども結構やっている気がする。ヒトが普通に行なっている「認知」処理を、いわゆる「AIの開発者」が「ヒト」における重要な要素だと認識していない以上、AIが、一昔前にブームになった「ファジー推論マシン」の延長を抜け出すことはない、と私は考えた。
私のは単なるブログだけれども、多少は「かつては学術分野に足を置いた」程度の書き方をするならば、ここが本題、ということになるだろうか。

話の枕の延長。今日僕は、手袋を失くして、2時間も経たないうちに、なんとなく寂しくなって、駅前のコンビニで「大人になって3回目の手袋の買い物」をした。千円しなかったけれども、いつまで失くさずに使えるか。死ぬまでか、それとも案外、年内とか、どちらかはわからないけれども、失くした喪失感を捨てるべく、新しいのを手に入れて、頭を切り替えることにした。

もしかしたら、「あ、失くした」と気づいた時点で、最終的には大学まで、帰り道を逆に辿って、駅のホームやトイレ、道路などを探せば、あの30年来使って来た手袋にまた会えたかも知れない。だけど、ちょっと考えて、「いいや、次に行こう」と思った。確かに、僕自身の皮膚の一部みたいに使って来た手袋だったけれども、逆に言えば、僕の体だって、時間の問題で「消費期限」が過ぎる。そうなった時に、執着せずに捨てる感覚の「慣れ」は、そろそろ必要かな、とも思った。常に「次」を考えたい。だから、あえて、「ごめん、さようなら、これまでありがとう」と、ひたすらその手袋にお別れの思いを念じた。でも、そう遠くないうちに、同じ思いを僕自身の肉体に伝えることになる、そういうこともあるんだろう。意識を切り替えて、「次にどうするか」考えて、モノへの執着は捨てようと、あえてその「学習課題」だと考えることにした。

でもなぁ。あの手袋くん。今頃、道路ぎわのどこかで、冷たくて寒い思いをしているとしたら、ごめんね、手袋くん、なんてことも、やっぱりちょっと、思ったりなんかしている。

こんな感覚、理解できるAIなんて、ないだろうな。

CoffeeScript vs JavaScript

明日の院生の授業教材、今年はClient Sideの画面制御などに興味がある学生が何人かいて、日本人の学生もその辺はあまり経験がない人が多いみたいなので、終盤に向けて動きのある画面の作り方を導入することにした。毎年少しずつ教材を書き換えるのが、自分にとっても勉強になる。

それはいいとして、Railsだと何だか今はCoffeeが主流。世間ではやはりJavaScriptがメジャーだと思うんだが、後々「役に立つ」方にするのか、授業ででも扱わないと、もしかしたらその後知る機会のないかも知れない方(CoffeeScript党の皆様、ごめんなさい)にするか、しばらく迷った。(いえ、私はCoffeeScriptぼちぼち、実戦投入で使い始めています。)
結局、Coffeeで行こうと決めた。両方対比して説明する?実はそこに問題があって・・・

言葉を覚えるって言ったって、最初は子供のオーム返しと同じで、とにかく表現を使って何が起きるか試してみる。ようやっとコンピュータ君が言うことを聞いてくれるようになってから、文法の細かいところを覚える。と言うのが自分流だろうか。そうして、最近ようやっと、Ruby on Rails, Pythonで学生の出すバグのトラブルシューティングが出来るようになった程度で、CoffeeScriptの場合には、まだトラブルシューティングにかなり時間がかかる。でも、前に進むしかないんだろうなぁ・・・「完璧を期して」いたら、何年先になることやら。

実戦投入している、とは言え、まだ理解が完璧じゃない。スコープ、演算子の優先順位、スタックの使い方などなど、本当なら「超入門」から始めて、じっくりと文法書を読み込まないといけないはず、なんだが。そこから始めていると、8割、9割方は「わかってるよ、そんなこと」なんだけれども、問題が起きるとしたら残りの1〜2割、「え?そうだったの?」の方だ。相当量のコードを書いちゃってから、構造をごっそり作り変えるリスクは抱えたままの見切り発車。

どこかで仕事を止めて、「超入門」からじっくりと時間をかけて細かいところまで頭に入れる。明らかにどこかでいつか必要なプロセスなんだけれども。結局時間が押していて、焦ってネットに頼って、僕は今ショートカットしようとしているんだろうか。大丈夫かなぁ。

壁にぶつかって、ネットで検索しまくっていると、「猿でもわかる××超入門」なんてのを見かけて、時々「俺は、猿以下か」なんてぼやきたくなる。

猿だけじゃなくて、豚でも、タヌキでも、理解できるように説明してくれ、なんて思ったりもする。
最近なぁ、脳みそがミジンコ並みになってる気もするし。

学問分野によっては、教材を10年以上書き直さなくても通じる、なんてこともあるらしいのに、なんか不公平な気もするが、自分で選んだ商売だから、愚痴っても仕方ありませんね。

猿は無理でも、ミジンコから、せめてタヌキか、豚くらいには進化したい私でした。

善処

英語にしたら、最も誤解を招く表現が「可及的速やかに善処します」らしい。
日本語の解釈は、「ちょっと、考えては見ますが、具体的な行動は何もしません」ってな意味らしい。そりゃ、通じないよな。

移民法、僕の商売の感覚から言ったら、「実装」Installationなんだけれど、「具体化」の段階はまだ先みたいで、官房長官とかのコメントが真摯なものであるならば、信じたい。信じるしかない。

だいたい僕は、他人の「言葉」を無条件に受け入れるところがあって、バブル崩壊で「社長命令」で加入した「従業員持株会」の株式が借入金を大幅に下回った挙句に、「絶対にすぐに値上がりします」ってな口車に乗って、商品先物取引に引き摺り込まれて、一時期年収350万で、持株会がらみの借金が350万、サラ金の借金残高300万円だった、あの頃は地獄だった。2年でなんとか出来たけれども、本当にいい経験をしたとは思うが、未だに、他人の口車にすぐに乗っちゃう癖は、改まっていない。
昔いた大学の2期生の女の子に言われた。「私、コールセンターのアルバイトしているんでるけど、先生って、すぐに騙せるタイプに見えて」と、おぉ!その通り、鋭い観察眼だね、なんて思ってしまった。師匠の講演会であれこれ勉強させてもらって、最近、ようやっと「真意は何か」を探る習慣が出来ましたけどね。いや、時々はやってたけれども、とにかく「相手の発する言葉は、相手の真意だ」みたいな、すぐに騙される根っこは、そう簡単には消え去っていないかも知れない。騙せるもんなら、騙してみろ、なんて言えない自分が悲しい。
騙されてっから吠えるくらいなら、最初から回避しろ、と思うんだが。

とにかく、信じるとして、移民法関連で、日本人がその仕事に就く際の待遇も改善されるなら、嬉しい。なんとかして欲しい。
行政が総じて無視するのは、やめて欲しい。日本人が従事している仕事だって、悲惨な環境は山ほどあるんだから。Ass Holeなんて、偉そう発言する前に、現場を経験しろと言いたい。

話が変わって、ノーベル平和賞。僕はつい、ザイールと書いてしまったけれども、あの意味不明な夢はコンゴのことだったか。合点がいった。よかった。ポジティブな話題なのか、ネガティブな話題なのかもわからなかったけれども、あの被害者の女性たちが、いずれ国を立て直す原動力になるとしたなら、よかった。そういう夢だったのかと、安心した。何の話?少し前に、夢の話を書いた。それです。解説しません。

そして、僕自身の話。今いくつ「納期」を抱えている?二つ、割れた。一つは、「善後策」の検討中。もう一つは、ごめんなさい、東京電子さんから頂いた「既存システムの文書起こし」の仕事で、これは遅れまくっている。いや、東京電子専門学校さんの学生が、「全員合格」できるようにする方が最優先だと思うから、授業がある時期はそちらが本気で、泣きついて頂いた仕事なのに、本業がどうにも、副業の「非常勤講師」に食われてしまって、納期が割れに割れている。いや、一人でも多く、学生が合格するようには頑張りますけど、本業のシステム屋の仕事の方は、どうにも・・・

実家では、あれが壊れて、これも壊れて、すごいことになっていて、現状維持に結構な金がかかる。(ニューギニアの、すぐに壊れてもすぐに作れる家で生活していた人たちに、憧れる。帰ろかな。)金に棹して、仕事をあれこれと請けさせていただきました。結構な仕事密度で・・・。ありがたいことで。自営だからな。信じられるのは自分しかいない。誰一人として支えてなんてくれない。とにかく、踏ん張って、頑張るしかない。

善処します。頑張っているので、どうか、納期については、すべての約束を守れ切れない部分、ご容赦願いたく、平にお願い申し上げます。

交戦権

引用元の記事を誤っているかも知れない。

「元徴用工判決」への誤解を正す ICJ提訴は必ずしも有利にならない
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/12/icj_4.php

僕が読んだ記事の概要は、韓国大法院の「元徴用工判決」の趣旨は、日韓請求権協定の有効性は認めつつも、個人慰謝料の請求権までは消滅していない、と言う趣旨だ、と言う記事だった。その記事によれば、明らかに、韓国大法院は「日韓請求権協定によって、個人賠償権は消滅している」ことを認めつつも、戦争、植民地化という「不法状態」によって発生した諸被害による「慰謝料」の請求権までは、消滅していない、という趣旨だったと理解している。

つまり、「植民地化」が非合法的なプロセスによって行われて、特に軍事力の行使による、すなわち戦争行為によって韓国を植民地化し、その結果として「徴用」行為が行われて、韓国国民が不当な労働行為に従事させられ、様々な苦痛を受けた、とするのが韓国大法院の主張だと、自分は理解する。(当時の、韓国併合のプロセスは、一般的な韓国人の理解とはかなり異なる経緯を経ている、という日本側の主張は、この際伏せる。)「植民地化」単体による慰謝料請求?欧米はどんなのさ?

戦争行為そのものが「不法行為」であるとするならば、当然国家としての「交戦権」は「不法行為」だとするべき根拠が必要だと思われるが、日本の場合には、憲法で「交戦権を持たない」ことを明言している。無論、当時の大日本帝国憲法は、そんなことは書いていないが現在の日本は、少なくとも、交戦権は否定している。
それでは、韓国は、交戦権を否定しているのか。韓国では、否定していない、と理解している。したがって、当然のことながら、「韓国軍」の存在は「合法」であり、韓国という国家が他国と戦争状態に突入することを「非合法」とは認めていない。従って、韓国の基本的な法制度で「合法」として認められている「戦争」による付帯行為も、韓国においては「合法」であるはずなのに、なぜ、他国がその「合法」行為を行なった結果を「非合法」であると指摘できるのか、その、法的根拠を知りたいと、私は思った。すなわち、「支配下に置かれた、新規参入の国民」に対して、母国の国民に対して行われていたのと同等の「徴用」が適用されたことが、「非合法」なのか、どうなのか、という点である。

(すみません、ニュース配信は、片っぱしから目を通しているから、引用記事の元ネタが、このサイトだったかどうか、ピンポイントでは思い出せない。もし間違っていたなら、「韓国大法院の判決は、日韓請求権協定の有効性は認めているが、個人慰謝料の請求で、新日鉄住金に賠償請求をしているのに、日本のマスメディアの報道は、朝日も読売も、みんな、韓国大法院が日韓請求権協定を無視したかのように報道しているのは、マスコミのミスリードだ」という主張の記事で、多分、過去数日以内に、僕がSmart Newsで見出しをクリックして読んだ記事だと思う。引用元が不適切かもしれなくて、ごめんなさい。僕のこの書き込みを、本気で読んでくださるなら、すみませんが、元ネタを探してください。(中間試験の答案用紙が上がってきていて、加えて、レポートの採点があって、それ以前にプログラミングが最優先なのに、もう時間がない!))

もし、この記事の筆者の方(大学教授だったと思う)の指摘が正しいならば、そもそもが、「日韓請求権協定」を韓国は遵守していることになる。それならば、話はかなり楽にならないだろうか。次に、請求の根拠が「戦争という不法行為による云々」の部分が、もし、その韓国大法院の表現がその通りならば、そもそも「戦争が不法行為かどうか」を争点にできると思う。日本は、現時点において、「交戦権」を否定している。あらゆる「戦争行為」を「非合法なものである」としている、はずである。だから、日本国内では自衛隊が「合法か、非合法か」で、もめ続けている。「自衛のためにのみ、存続が許される」その主張には、僕は賛同する。国は国民を守るべきだ。ただ、自衛隊の銃火器は、他国民に向けられるべきではない。それが紛争の調停であったとしても、一歩国を出たならば、全ては弁論だけで日本の主張を通すべきで、銃火器を携行しての主義主張は、(仮にそれが、他国民の防衛であったとしても、)認められるべきではない、と私は思う。主権の侵害である、と考える。要請されたなら?「おい、お前、腕力強いんだから、あいつを殴ってくれ。」そういうのは、嫌いだ。(論理的でなくて、すみません。)話が逸れた。かなり。

ところが、韓国は「交戦権」は否定していない。無論、ムン大統領が大好きな北朝鮮を「仮想敵国」として創設された軍隊なんだろうけれども、その法改正には一切着手していない。ということは、今後も「交戦権」を否定する、という流れにはならないはずだ、と考える。戦闘行為が行われたなら、当然、国際法的な「戦闘状態のにおける相互の国民の取り扱い」つまり、捕虜協定だとか、あれや、これやが適用されると思うが、それでは、日本はロシアによる「シベリア抑留」に対して「慰謝料」とか「保障」を請求したか、というのが疑問だ。なぜ、日本は、ロシアに「戦争という不法行為に基づく、捕虜の扱いに関しての違法な取り扱い」に対して、慰謝料請求を行使してこなかったんだろうか?何か、国際的な法的な根拠があったのか?疑問が膨らむ。(いや、当時の認識では、「戦争」は「不法行為」ではなかったから、なんだろうな。)ここから先は、時間をかけて調べないと、答えが出なそうだ。だけど、そんな時間はないから、書きっぱなしで僕は終わるつもり。

ここまでは、韓国が「交戦権」を否定していない、かつ、日本は「戦争そのものを非合法化している」という前提に、基づく議論。

よくわからないのは、国際法的な「時効」の問題、というか、請求権対象の「被権利継承者」で、「政体」が変わった場合に、どこまで持続的に責任をおい続けなければならないか、という部分だろうか。
これを言っちゃったら、韓国なんて、「政体」が変わった途端にそれまでの条約だの、あらゆる「国際的な約束事」を「見直す」とか言って、全部ひっくり返している訳だから、ましてや日本の場合には「大日本帝国」と「日本国」とはそもそも国体も政体も違う。継承するべき義務がない。そこに「義務」を押し付ける根拠が、一体どこにあるんだろうか、と思う。しつこいようだが、韓国の場合には政権が変わった途端に、あらゆる国際的な約束事を破棄できる権限が認められているらしい。その基準を日本に当てはめるならば、「大日本帝国」の頃に起きたことなど、遠い過去の話であって、一切の義務を負わないように思えるのだが、この国際的な「慣習法」に基づく「一貫性の原則」は、どの部分にどう適用されるべきなんだろうか?僕は日本人だから、明らかに日本側のバイアスがかかっているけれども、韓国は数年前の約束事を勝手に破棄してもいいのに、日本は数十年前の事象を未だに破棄できない、その根拠がどうしても理解できない。
ムン大統領の主張には「法的拘束」とか「時効」という概念がない。自分たちは自分たちが破棄したいと思ったら破棄してもいいんだが、相手には時効がない、というのが、韓国民の総意らしい、そうとしか思えない。なぜ日本は70年も前の「大日本帝国」を破棄してはならないのか。その理由がそもそもわからない。

なんてことを、鬱々として考えていたけれども、冒頭の「韓国大法院判決」について、そもそもが、「日韓請求権協定」を無視しているのならば、国際司法に訴えるのが、一番手っ取り早いと思うし、以後、韓国とのあらゆる契約ごとは行わないのが得策だと思う。もし、冒頭に引用した記事のように、韓国大法院判決が、「日韓請求権協定」を遵守しながら、「戦争という不法行為」に基づく慰謝料を請求している、というのならば、「戦争」を「合法」としている(すなわち、国家の交戦権を容認して、韓国軍を保持している)韓国に、「戦争という不法行為」を主張する権利があるのか、そこを争点とする戦いもできるんじゃないか、と自分は考えた。

「戦争」なんて、すべて、「非合法」でしょう?国際法に則って、「宣戦布告」したなら、どんな殺し方をしても認められる、そんな馬鹿げたルールを誰が作った!?国家としての「交戦権」の否定は、僕は、日本人としての誇りだと思っていた。アベとか、自民党のバカが幅を利かせるまでは。

もういいじゃんか。「日本を戦争をできる国にする。」と、それが、あなたの政治家としての使命だと思うならば、そうして、韓国と泥沼の試合を展開したらいい。交戦権だけは、絶対に放棄し続けろ、と僕は思う。なぜ、日本がその先鞭をつけた国だと堂々と主張できないのか、それをアベ、とか、あのムーミン顔の元防衛大臣に言いたい。

切れた。つなぎます。すみません。本件、アベも、ムーミン顔も、関係はありません。
日本時間だと一昨日か?昨日か?何十年か前に日本は真珠湾に奇襲攻撃を仕掛けた。アメリカへの「宣戦布告」があったか、なかったか、歴史的には、「事務手続きの不手際」で、公式な「宣戦布告」が届かなかったことがある程度は検証されたらしい、けれども、「宣戦布告」が「合法的」に届いていたならば、その戦争は「合法」だったのか?

最後に言っておきたい。韓国では戦争は合法でしょ?日本では、非合法。合法としている国が、なぜ、日本の過去の「非合法」を取り沙汰できるのか?論理的な整合性を求めたい、そんな気がする。

現場実習

反対するなら、文句を言うなら、代案を出せ。
それは絶対に思う。それが出来ないなら、(せいぜい、ネットでボヤくだけに留めて)表立って発言するのはやめろ。それは確かに思う。ただ、ネットでボヤくだけだって、貴重な「少数意見」だったりする訳で、決して意味がない訳じゃないとは思うが・・・クソみたいなアイディアしか出なくても、それがベースで別のアイディアに繋がることは、いくらだってある。あらゆる感情、あらゆる思考を捨てたらいけないと、個人的には常に考えている。(実際、かなり馬鹿げたアイディアも、書き残してはいる。死ぬ前には、ってか、次に繋がったら、全部焼却するけど。)でもなぁ、「反対のための反対」みたいな国会運営は、見ていて情けないし、なんだかすごくモヤモヤする。もう見たくねぇ。

中国の方達にとっては「悪夢」みたいな時代だったかも知れないけれども、かつて、毛沢東による「文化大革命」の頃の中国では、大学に入学するためには、1年以上地方の共産党組織の下で、たぶん主には農村部などで農業実習とか「労働」を行なって、共産党地方組織の推薦がなければ大学入学資格が得られない、そうした制度があった、と、何かで読んだ気がする。正確な記憶じゃない。ただ、今生きている方々にも直接関係する程度に新しい中国の歴史で、そうした「時代」があったのは間違いないと記憶している。
この制度、ある意味で「有益」なんじゃないか、と言う気もしている。

国家公務員の卵、あるいは、卵から国家公務員になった人たちを、高校の同級生でも、本郷の居酒屋でも、結構な人数知っているけれども、会話をしていて現場の泥臭い話をどれくらい理解しているんだか、と、感じることは何度もあった。(でも、10回はない。)個別には全部はすぐには思い出せないけれど、その会話をした時の状況を思い出せれば、きっと会話の内容も全部出てくる気がするんだが、ダメですね。歳のせいか、記憶力が滅茶苦茶衰えてる。

毛沢東の地方組織推薦制度、結構、いいやり方なんじゃないか、とふと思った。日本の国家公務員でも、省内手続きとか、仕事の流れを理解し始めた「2年目」とか、あるいは、民間で言うところの「課長」クラスに昇進する要件として、とかで、例えば、厚生労働省ならば、「介護福祉」の仕事の現場で、下働きの研修を半年くらい行う。例えば、経済産業省の役人ならば、中堅以下の製造業で営業職か何かの業務を(無論、実習中であることをを伏せて)実習として行う。例えば、農林水産業の役人ならば、中規模程度の専業農家で、(繁忙期のスポットでもいいとは思うんだが、)2ヶ月程度実習するとか、文部科学省ならば、普通の小中学校に「臨時教員」として(身分を伏せて)勤務するとか、そうした「受け入れ先」は、地方公共団体とか地方の商工会とか、そうしたところの助言を得て、後々「癒着」の原因にならないように(これが一番、「制度」として反対が出そうな部分かなぁ)注意深く準備して、現場実習を受けさせる。
自治会の仕事をしていて、あちこちで挨拶して言葉を交わして感じたのは、「町役場」には県庁からの「出向」がいる。県庁には国家公務員の「出向」がいる。なるほど。既に、そうした発想はある訳だ。(常識でしたかね?研究・開発系だから、あまりこうしたことには縁がなかった。)だったら、役所に留まらず、もっと「下」まで降りて来てくれ、と思う。

現場を知らなかったら、まともな行政判断なんて出来ないでしょうが。書類を出されて、「面倒臭いなぁ、また仕事が増えた」なんて頭で判断されたら、現場はたまったもんじゃない。一旦、その書類を出す側の、あるいは陳情する側の立場に身を置いて、しっかり経験してから、どうしたらいいか考えてくれ、と思う。
どんなアイディアが出るかは分からないけれど、実際にそれを経験しなかったら、まともな行政は出来ないとも思う。

僕らの感覚で言えば、ハードウェアなら、実際に試作回路を組んでみて、動作を確認する、ソフトウェアなら、そのプラットフォームで簡単な試作アプリを組んでみて、開発性能とか使いやすさの感触を試す。とにかく実際に試してみなければ、何も分からない。ところが、現場のことを何も知らない人間が、机上の論理だけであれこれと決める。これは危険すぎる気がする。その「危険性」に振り回されないように、例えば、商工会議所だとか、経団連だとかが政府に圧力をかけて来たんだろうけれども、そんな生易しい、回りくどいやり方だと、「変化の激しい」時代には通用しないんじゃないか、と言う気がする。

若い人たちの「感性」に賭けるしかない、と思う。20代の入省間もない人たちを若いと言えるのは、「本郷時代」からそうだったけれども、「課長に昇進する」レベルの30代とか40代を指して「若い人たち」と感じるようになっちゃったのは、いかに自分がジジイになったか、ですね。でも、みんな馬鹿じゃない。そもそもが、国家公務員試験に合格した人たちだもの。足りないのは、現場の経験だけじゃないか、と思う。そして、足りないのは、ずっと本質的でディープな体験なんじゃないか、と、すごく感じた。

なんだか、モヤモヤする。ずいぶん前になるけれども、あれが武器輸出三原則を、閣議だけで廃棄した時は、かなり「来た」。その後ももう、平和とは何か、そんな議論をすっ飛ばして、自衛隊の海外派遣の「法整備」を進め、あれやら、これやら(中略)、いや、それなりに仕事も忙しいからニュースなんて「水面」に出たものしか見ていないけれども、あっという間に「移民法」が成立した。
たったの2ページ分だけれども、噛みついた以上は「具体案を出せ」ってなことになるんだろうと、自覚しているから、「頼むから、こうして欲しい」と言う自分なりの具体案を書いてみた。

役人でも政治家でもいいから、海外からの実習生を受け入れている現場に、現場の人間として仕事をしてみてから、制度の詳細を決めて欲しいと思う。

以上

全ての職業を魅力あるものに

こんなページを見つけた。

水道法・入管法改正、なぜ野党の批判には説得力がないのか
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2018/12/post-1051.php

本質的な部分は、いつだって議論されない。なんか、そんな気がする。
あれね、ご飯論争。
元ネタを見てはいないけれど、あれか?盛り蕎麦も、かけ蕎麦も食っちゃったけど、どっちも「ご飯」じゃないから、「あたしゃ、ご飯なんて食ってない」ってな感じか?いや、確認する気もないので、間違ってたらごめんなさい。

専任教員時代、大学のPRで、高校の進路指導担当の先生に入試案内を渡すために「営業」に行かされたことがあった。とある高校で、進路指導の先生がおっしゃっていた。卒業生には、介護福祉士の資格を取って、介護の仕事に就く人もいるけれども、私はあまり勧めたくない。卒業してから、「生活できない」という愚痴をこぼしにくる卒業生がいる、とか、そんな感じの世間話だったと記憶している。
高卒の介護福祉士の「給料」がいくらかは知らないけれども、かなりハードに働いても、月額10万円とかで、結局、結婚も出来ないし、将来への不安が拭えない、そんな感じの話もあったように記憶している。うろ覚えなので、数字も漠然としか覚えていないけれども・・・

言い訳ですが、訪問するのに自家用車の使用を禁止されていたから(万が一の交通事故の際に、大学が責任を取りたくないからなんだろうと理解するが、そんな感じの責任逃れのルールばかりが多い職場だった気もする。で、)最寄駅から結構な距離を歩いて、汗だくになりながら、ボーッとした頭で当たり障りのない世間話をして、入試のパンフを置いて、そんな状態での会話だったから、印象には残っているけれども、記憶はかなり危なっこしい。でも、確か、こんな感じの会話だった。

看護師さんも大変だという話はよく聞く。なんでなんでしょうね?行政機関にとっては、介護も福祉も看護も、大して大事な仕事だとは思っていないから、そういう行政になるんだろうか。根本的な「人手不足」の原因は、ここにあるとは思わないんだろうか?日本人にとって魅力のない仕事ならば、それは外国人にとっても同じでしょう?そこから改善する、という努力を怠ってきたから、今のような状態になったんじゃなかろうか。
で、安くこき使って、要らなくなったら帰国させる、なんてことをやっていたら、日本の評判を落とすんじゃないか?このインターネットの時代。すごいことになりそう。

中小企業では人手不足倒産もあると、今日もNHKラジオが何か解説を流していた。中小企業の場合には、いわゆる「下請けいじめ」で、足元を見られてギリギリまで価格を下げられる。当然、社員の待遇だって大してよくは出来ない。よほど「独自の技術」でもあれば別だと思うけれども、「世間一般」で見たら、そんな会社ばかりじゃなく、「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんていう殺し文句に泣く泣く「わかりました、それではいくらでやらせていただきます。」と答えざるを得ない会社が、どれほど多いか。誰だって、給料の高い会社で仕事をしたい。当然じゃなかろうか。
で、そういう会社の社長さんだの、人事関係者だのが、ストレスを抱えて、酒を飲んで体調を崩したりなんかすると、財務大臣なんかに、「なんで、そんな奴らの保険料を俺らが負担しなきゃならないんだ」とか言われる。何ていう財務大臣でしたっけか?確か、Ass Holeみたいな発音の人。

パワハラじゃありません?下請けいじめって。セクハラに関していえば、この間ラジオで言ってた。「チョコボール」がセクハラだって!?嘘でしょ、と思ったけど、(それで通じちゃう相手も相手だと思うんだが、)そこまでハラスメントに敏感に騒ぐなら、前出した「別に御社に発注しなくてもいいんですよ。」なんて、どうなのよ、と思う。力関係が歴然としたパワハラじゃないのか?

確かに、構造的な問題で、そう簡単にいかないのはよくわかる。労働関係法の問題ではなくて、個別契約は双方合意に基づく民法の領域だから、「契約した金額」について、殺し文句で脅されて泣く泣くだったとしても、「合意」したならそこには契約の履行義務が生じると思う。(あ、納期・・・自分のことは、棚に上げるとして・・・)とにかく、自民党だか公明党だか、どっちがどうなのかよくわからないけど、安くこき使う側ばかりが支持母体だから、もう強行採決なんて時間の問題でしょ?加えて、今回に関しては、冒頭のNewsweekの記事にもあったけれども、切迫した問題だから、現場ではむしろ歓迎されているらしい。だったら、いいんじゃないのか?強行採決。

ただし、と思う。
数日前かな、これも確かNHKでやっていたけれども、憲法で定める「教育を受ける権利」は「日本国民」に対してのものであって、外国人に対しては自治体の判断に委ねられる、らしい。国って、無責任ですね。

それならば、劣悪な労働環境から逃げ出しました。パスポートを提示したら有効なVisaがないのは歴然としているから、それ以後はまともな仕事に就けない。そういう人たちはどうするんだろうか。
あるいは、在留資格が切り替わったり、一定の期間仕事して永住権を手にしたりして、家族が来日しました。日本語はまともに話せません。子供も教育を受けられません。日本に住むことは出来るけれども、言葉がうまく話せないし、教育も受けていないから、出来る仕事が極めて限られて、結果として仕事がない若い外国人が増えたりしました。そういう人たちはどうするんだろうか。
食うに困った。金に困った。でも仕事は出来ない。さて、どうやって金を稼ぐか。いや、そういう人たちの「参入」を歓迎する「業界」もあったりして。そっちの方がスタンダードになっている国は、少なくない気がする。政治家とか役人って、そういうことは想定しないのか?
何よりも、行政機関がどこも「所在」を把握できない外国人が激増していく、そのリスクは覚悟すべきだろうなと思う。

そもそも、「人手不足」の業界が、魅力のあるものだったら、それほど深刻な「人手不足」にはならないはずで、本質的に解決すべきは、そちらじゃないのか、とは思うが、どちらかと言えば、いくら「問題視」して、いくら騒いでも、政治からは放置されてきた領域なんだろうと思う。その挙句の「外国人労働者」受け入れ。
忘れるんじゃねぇぞ、と思う。彼らだって、人間。高級官僚だの、政治家から見たら、泥臭い仕事をしている奴らは、「後回ししてもいい」という扱いで、そこに人が集まらないなら、「いつでも切り捨てられる労働力を、掻き集めたらいい」という発想なんだろうけれども、たぶん、日本の「人権」問題は、国際的なスタンダードから相当に問題視される状況になるような気がする。

なんて思いつつ、確かに今すぐ「受け入れ」が必要なら、そうするしかないんだろうな、ということも思う。
時間がかかる問題を放置した挙句の、その場しのぎ。
新しい技術を習得するのが面倒だから、ギャンブルで稼ぐ。あるいは、副業が出来ないか、副業なんてしんどいから、サラ金に手を出す。自分たちの待遇が悪くなるのは嫌だから、赤字国債の発行。全く一緒な気がする。

野党にも頑張って欲しいけれども、思わず投票したくなるような主張を展開してくれる政党がないんだもんなぁ。安倍総理がトランプに「歴史的な大勝利、おめでとうございます」とか持ち上げて、海外メディアで散々揶揄されていたらしい。その安倍さんは、「歴史的な在任日数」になりそうで、それは「日本人の選択」の結果だから、仕方ないんじゃないのかな?(私のワープロ、在任日数と打とうとしたら、「罪人日数」と変換しようとした。)

あれか。モリ蕎麦、カケ蕎麦と同じ。「省令に委ねる訳ですから、関係省庁の判断が適切ならば、ご指摘のような問題が起きないように、省令を定めればいいので、問題は起きないと言えます。」なんて答弁をしそうな気がする。(私のワープロ、省令と打とうとしたら、症例と変換しようとした。)治る見込みのないビョーキ。

場当たり的

ニュースに反応。(プログラムのテストコードを書くのに疲れた。検索疲れ。思い付いたことが、全滅状態。これを書いたら、また試行錯誤に戻る。いや、絶対に突破口は見つけるよ!見つけるけどさ、今は疲れた。)

安倍総理。あっけなく「武器輸出三原則」を放棄した。大した反対はなかったのかな?だけど、あの放棄は、100年スパンの長い目で見たら、決定的に日本の進路を誤らせていると僕は思う。もういい。書き疲れた。

かつて、初めて「赤字国債」を発行した時は、「景気が良くなったら、すぐに償還できる」なんていう議論が堂々とまかり通っていたのに、いざ、「赤字国債発行慣れ」しちゃったら、そもそも償還するなんていう発想がなくなって、各省庁、業界団体の言いなりで、何のポリシーもなく、健全性への「骨太さ」もなく、ズルズルと、赤字国債を発行し続けている。じゃなかった、名目を変えて建設国債とかにしたのか?あの「場当たり的」な最初の決断のために、健全な状態に戻るのに何年かかるんだろうか。借金は全部若い人たちに押し付けている。

いや、わかるよ。僕もサラ金の経験はある。一旦最初に「借りて」しまうと、その後は返して、借りて、という繰り返しに対する抵抗感がなくなる。「損切り」するまでにすごく時間がかかった。いい経験をしたと思う。手を出さないのが正解だと、手を出して初めて理解した。協力隊に参加する前だから、30代前半のことだった。
だから、偉そうなことは言えないけど、赤字国債に抵抗感を持たない官僚も政治家も、偉くはないんだろうな。

で、今度は「外国人実習生の受け入れ」か?

面倒臭いから、途中を省く。
いずれ、訴訟が起きた時に、「技術研修生であっても、実質的な業務が正社員などと差がないならば、正社員として扱うべき」という最高裁判決か何かが出て、過去に遡って、日本人並みの基本的人権に照らし合わせて、補償をすることになるんだろうと思う。年金はともかく、健康医療に関する会社負担も同様だろうと思う。これは、どこかの国との国際法的にも解決済みの問題と同様の次元ではなくて、これから起きる、全く「解決済みではない」話題だと思う。

政府は今回、製造業などからの圧力で成立を急いでいるんだろうと思うけれども、それ以前にも介護福祉要員を海外から受け入れる制度を作って来ていた。ぶっちゃけ、言葉を選ばずに書けば、Cheap Labor(=安い労働力)であって、3K(危険、汚い、キツイ)など日本人が嫌がる分野に人を欲しがったり、介護福祉士などのように、公に決められた賃金が安い割には仕事がキツイ領域に人を入れようとしているだけ、だと思う。
発想がおかしくないか、と思う。介護が必要な人が増えて、そこに人手が必要ならば、介護の基本的な賃金を増やせば人は集まるし、税金の投入先を見直すべきじゃないかと私は思う。オリンピックだなんだ、大規模な建築業界を潤すプロジェクトを誘致する以上に、足元を何故見ようとしないのか?看護師然り。公立学校の教員然り。(いや、公立学校の教員は、銀行の融資先では、年金などを考えたら二重丸らしいし、親父やお袋がそうだったから、文句を言っているんじゃないが、でも現役の頃は、当時ですら夜中近くまで仕事を持ち帰ってしていたことがあったし、僕もガキの頃、親父が私費で買った輪転機を回すのを手伝ったことがある。夜中まで、手を真っ黒にしてプリントを作るのを手伝ったことがあった。)
外国人を受け入れたら、公立学校も、医療関係も、それなりに仕事が増えないか?医者だってそうだと思う。医者だって勤務医の場合には、責任に伴うリスクと、勤務医としての給料を対比したら、もしかしたら大企業のサラリーマンの方が(医者ほどの責任が表に見えない分だけ)楽かも知れない。今回の法案を急かしている業界団体は、そうした関連分野への負担を一切考えていないし、政府与党にもそうした関連分野への波及効果を理解する能力がない。最初の赤字国債の発行の時と、全く一緒に見える。

結果的にどうなるか。来日した外国人労働者の基本的人権が、海外からも問題視される状況はあり得ると思う。日本人と同様に扱うことになったら、もはや、Cheap Laborとしての当初の思惑は成立しなくなる。結果として、「日本人にとっても、魅力のある職場にする」のと、「国際社会からの基準で要請される、受け入れの最低基準を満たす」のと、どちらがコストがかかるか、という議論になって、最終的には全体コストが膨らんで、かつ、そのコストを税金という形で回収するのに、日本人にとっても外国人にとっても、不満が膨らむような結果になるだけのような気がする。悲観的な考え方しかしなくて、すみませんね。日本政府には中国政府みたいなやり方はできっこないと思うから。細かい議論の途中は、長ったらしくなって、面倒臭いので省略しました。聞く耳持ってもらえるなら、頑張って、一万字くらいなら書けるかも知れないけど、時間がない。(プログラムの試行錯誤が、最優先だ!)

今、日本人の「国際結婚」の比率がどの程度か、統計をご存知かどうかは、知らない。僕は、青年海外協力隊のOBですから、右翼系の発想とは、悪いけれども一線を画していると、想定はしておいてください。元から住んでる日本人の負担が2割程度は増えても、外国人がどんどんと日本に永住するようになるのは、決して悪いことではないと思っている。もっと異文化を知るべきだ、とも思う。いずれ、「純血」の日本人が減って、海外からの「帰化人」への、受け入れコストが増える、そのことの覚悟が、政府与党にどの程度あるのか、知らないけれども、赤字国債の時と、全く一緒だな、と思った。

赤字国債も、年配者のタンス預金をうまい具合に巻き上げられれば、簡単に解消する、なんていう議論があるらしいから、そんなに心配する必要はないみたいだし、日本に混血が増えるのも、全然悪いことじゃないと思っているから、僕自身は気にしていないけれども、そうなった時に一番気にしそうな人たちが、今の段階では全然気にしていないのは、面白いな、と思った。そもそも俺、タンス預金すらも持ってないし。

武器輸出三原則は、あれをなくしたお陰で、「今度生まれるなら、絶対に日本」と考えていたかも知れない「有能な人材」が、日本を選ばなくなる、そんな気がする。いや、そんな議論、誰にも通じないと思うから、ただ単に私が思っているだけ。どうせもう、どうにもならないし。
だけど、今回の場当たり的な政府の判断は、政府与党にとっては裏目に出そうで、ちょっと楽しみに「結果」が出るのを待とうかと思う。その流れで、ね。いずれ、難民の受け入れ基準も下がると思うな。優秀な「難民」は、世界中にいくらでもいる。能力的にも優れた方々なのに、元いた国の馬鹿な政府のお陰で、母国に住めなくなった人たち。マクロに見て、そういう人たちを受け入れるのは日本のメリットになると思うし、それに付随して、「普通」の難民の人たちが日本に入ってきたって、もしかしたら、介護の現場とか、担ってくれるんじゃないの?なんてことも思う。

スワヒリ語とかタガログ語で「おじいちゃん、大丈夫?」なんて話しかけられても、体を固くするだけの、今の政治家の成れの果てを、見てみたい気がする。受け入れるならこっちだって、相手の言葉を覚えろってば。それをする気がないなら、教育に相当に金をかけるか、受け入れをやめるか、しっかりと考えて、場当たり的な政治はやめろ、と思う。

で、仕事に戻ろう。じきに日付が変わる。それまでに、チェック項目、あと三つ、片付ける!ジャスト30分の暴走でした。(じゃ、ねぇだろ!誤植を校正して、文章を読み直して修正かけていたら、1時間を経過した。あんた、デバッグの時間を見積もらないのは、本当に悪い癖だ。)

カジノ

今朝、車の中でちょこっとだけ聞いたNack 5。朝の番組。日本全国ひろし旅だったかな?大阪万博決定は、関西圏では結構盛り上がっているらしい。
関西圏は今は慢性的に宿泊施設不足で、ビジネスで出張する人もなかなか直近の宿が取れない状態が続いているらしい。海外からの観光客を受け入れるのに、民泊が活況だとか。
ぶっちゃけ、思った。これ以上、どうやって人を受け入れるんだろうか?

東洋経済のニュース配信だったかな?どこで読んだか忘れたけれども、日本に決定的に不足しているのは、「超高級ホテル」らしい。一泊数十万円、スイートだったら一泊100万円クラスの「超高級ホテル」が日本には、ない、って書いていたんだか、海外と比較して圧倒的に少ないって書いていたんだか。細かいところは忘れたけれども。

ビジネスで考えたなら、今あるホテルの何ヶ所かを、そういうホテルにグレードアップしたり、あるいは、新規に建設するホテルをそういうクラスにするとか、そういうのを勧めていた、そんな記事だったと思う。読んだのは1年くらい前か?カジノ法案が(あれ?成立したんだっけか?)話題になっていた頃、だった気がする。

いっそのこと、そういう形で海外から日本にお金を落としてもらう、っていうのは、アリかもと思った。いや、受け入れ数の「絶対数」は増えないけれども、雇用創出、需要創出には、決定的に効果があるな、とは思った。リスクは、原発事故とか、自然災害でのインフラ破壊などで、一旦観光客が激減したら、致命的なんだろうな。でも、ある意味でビジネスはギャンブルですからね。
そして、カジノも、そういうホテル内で、主には宿泊客中心、だったら、いいんじゃないか、なんてことも思った。今日本にないもの、らしいし。宿泊客以外がカジノに入場する際には、50万円くらいのデポジットを打ってもらったりして。それができるんなら、いいんじゃないかな?貧乏人は、そういうところに行っちゃ駄目だと思う。日本人で、どうしてもカジノを経験したいなら、マカオでもラスベガスでも「観光」に行ったらいい。国内では、海外から来た金持ち相手、だけにして欲しいな。
そして、彼らが「日本」を堪能して、豪華な旅行を経験したいなら、そういう選択肢も提供し、しっかりと日本にお金を落としてもらう。リスクはあっても、リターンは大きい選択肢かもしれない。ギャンブルそのものか。

発想の発端は、溝畑宏さんの番組だった。話題が逸れた。今日は一日中「防災訓練」で頭がいっぱいだった。唐突に、午前中のラジオの話題を思い出した。
関西圏でどうやってこれ以上の訪問者を受け入れるんだろう、なんてな疑問だった。住民を5%くらい追い出して、そこを宿泊施設として解放する、なんてどうかしら?なんて書きたかったんだけれども。
案外、関西圏よりも、沖縄とか、北陸とか、北海道とか、地方の方がメリットが大きいかも。

埼玉はなぁ・・・そんなん、作るったって、どこだんべ?秩父?

声掛け

自治会のDIG(災害想定の図上訓練)が終わった。町役場の防災課の方も、お二方同席していただいた。防災課の方の話によれば、自治会でDIGを実施したのは、うちの地区が最初らしい。

とにかくこれで、会計の仕事がやたらと多い体育祭、沼祭り、75才以上の高齢者食事会、防災訓練と、4連チャンが終わった。あとは来年2月の独居高齢者食事会と、引き継ぎの地区総会だけ。総会はともかく、独居高齢者の食事会はお店でやるから、僕の仕事は後は、決算報告と予算作成、総会の準備だけ、かな。もう4年やった。十分。来年度は絶対に、誰かに交代してもらう!

DIGでは、隣組長なども高齢の方が少なくはないけれども、どなたも積極的に、災害想定の意見を出したりされていた。
共助の「避難支援」の優先順位の決定では、4グループ全部が違う順位をつけたのは面白かった。現実問題として、それが必要になったら、(もし、火災が発生したら)たぶん1分を争うはずだから、意見調整をしている暇があるならすぐに動こう、ということになるんだろうか。
いずれにしても、参加者の方々はどなたも楽しんで参加して下さったみたいで、実施して良かったと思う。小学生でも参加できる「ゲーム」らしいから、ハードルも高くはない。

講師の方が仰っていた。お祭りのある地区は災害に強い、らしい。「共助」で、「普段からの心構え」として、地域での「あいさつ」だとか、お祭りなどで住民相互が言葉を交わす習慣が、いざという時にすごく役に立つ、というお話もあった。自治会の役員を4年もやってると、さすがに今日などはもう、参加された方と冗談を言える程度には親しくなってはいる、けれども・・・問題は、アパートの住人だ。

単身アパートとか、一括借り上げ方式のアパートなどでは、不動産屋さんや大家さんを経由して自治会費は支払っていただいているものの、一切交流のないアパートも少なくない。回覧板を回せないから、体育祭の選手を決めるとか、お祭りの案内すら回せない。当然、何人住んでいるか、どんな人かもわからない。今、地区内の人口の3割くらいは、自治会に「形式的」にしか加入していない(自治会費をいただいているだけの)方々、ということになる。災害時に潰れたアパートに閉じ込められていても、誰が何人いるのか全く情報がないから、完全に後回しだろうなと思う。自分でサバイバルしてください、という状況だ。

夜道ですれ違って、声を掛けるか、どうするか、迷う。ご近所の高齢の女性が、「私は知らない人でも挨拶しますよ」とおっしゃった。いや、自分もそうしたいけれども、相手が男性ならともかく、女性だったりすると、「怪しいおじさん」扱いされないか、そこが不安だ。女性の皆さんは、どう思われるか。夜道で知らない男に「こんばんは」などと声を掛けられたら、「地区の住民の、相互交流」だと考えていただけるかどうか。

さらに、帰宅途中の小学生に声をかけようものなら、「不審者に声をかけられた」と言われかねない。翌月のPTAの広報誌に「不審者に声を掛けられた子供がいるので、注意しましょう」なんてなってたりして。
声をかける側が女性ならまだ確率的に低いにしても、子供から見たら僕ら明らかに「変なジジイ」かも知れないし。
お祭りの時に、ビンゴ大会とか、ストラックアウトなんかに参加して、その場にいた大人の顔を覚えていてくれたら、まだいいんだけれども。「君は、どこそこさんちの子だね?」なんてところまで、こちらも覚えきれていない。どちらかと言えば、子供も子連れも、豚汁とか、焼き鳥、焼き餅、焼きそばに夢中だったりするし、大人はビールやら焼酎やらに夢中だったりするし・・・やっぱり、知ってる人とは会話をしても、初めての人と会話をする機会を作るのは、とにかく難しい。

カラオケ大会でも企画しますかねぇ、なんて思いつつ、いや、これ以上仕事を増やさんでくれ、とも思う。
確かに、何もしないよりは間違いなく、「顔を知っている人がすごく増えた」状況ではあるけれども、そこから先に広がらない。「継続は力」なんだろうか。
講師の方が仰っていた「お祭りのある地区は災害に強い」を、信じて、とにかく今の行事は続けていって欲しいと思う。

今年度の「初挑戦」は、隣組長と幹事さんが中心だった。来年度は、子供会と中学PTA、老人会にターゲットを絞り込んでDIGを実施するように、提案してみようか、いや、「実施してください」と引き継げるように、申し出ていようか、なんてことを考えたりしていた。(そうだった、来年度は僕はもう、会計ではない予定だから。)

子供会と大人の行事の接点を増やしたい。だって、不審者扱いされるのは、いやだもの。人相風体だけで判断して欲しくないし。って、当日参加して、顔を覚えてもらえないと意味ないか。僕はまだ、老人会には参加するつもりはないから・・・そうだった。僕は参加できないはずだから、子供会とかPTAと、無理して絡んでもらわなくてもいいかな。(自分本位)

「いきいき百歳体操」には、参加するように声を掛けられてはいるんだけれども、曜日が噛み合わないので参加できていない。あれって、結構いいみたいですね。でも、年配の方には、たぶん、「不審者」とは思われていないから、あとは僕の都合だけの問題。

僕も千葉にいた頃は、その土地の自治会行事には参加しなかった。いつかは、小川町に戻りたいとずっと思っていたから、というよりも、毎週末千葉から埼玉まで(講演会に参加したくて)「帰省」していたから、千葉では自治会に全く参加していなかった。自分がやってなかったことを、他人に求めるのは、変ですよね。だけど、講演会を休んでも自治会行事に参加する、という選択肢もあったんじゃないか、とも、思う。さらに過去に遡って、名古屋圏でアパートに住んでいた時にも、自治会に参加するなんて、考えてもみなかった。防災なんて、気にもしていなかったし、何も起こらないと思っていた。(それ以前に、他に神経をすり潰していた問題があったし。)

「声掛け」が、「安心」につながるのか、不審者として「不安」につながるのか、嫌な時代になった気もする。判断が難しい。
とにかく、大きな行事はこれですべて、つつがなく終わった。よかった。

傷口

何やってんだろ、俺、とは思う。でも、言葉が湧いてきたら、吐き出さないと仕事できない。だから書く。
「年内に仕上げます」なんて約束した仕事が、一つならずあって「年内」って、いつよ?まだまだ?
成長しねぇなぁ、ガキの頃、無限の長さがあると思えた夏休みの終わりと一緒。え?もう、12月?ってな感じで・・・

あれ、次バージョンのISが勃興しようとしているのは、ザイールかも知れない。わからない。今、エボラ出血熱が再び問題になっている地域か?
わからない、本当にわからないから、仮定の上に仮定を重ねてい書いている。師匠じゃないんだから、鮮明な知覚なんて、持ってない。仮に、「アレ」がザイール、もしくは、ボコハラムの支配権の中央アフリカだとして・・・

国境なき医師団は、撤退すべきだ、と個人的見解を書きたかった。地球意識は、今明らかに害とみなすべき意識体の存在が多ければ、容赦無く消し去る「手段」を講じる。地球意識は、その手段としてウイルスを創造することができる。かつては、ペストがそうだった。地球意識が「これで充分」と判断したなら、何も医療的な方策を取らなくても、いつの間にか消える。かつてそれは、モーゼの時にも起きた。正確に知覚する自信がないけれども、「スギコシ」と日本語に訳されている風習は、家々の扉に動物の血を塗って?災いを防いだ?もの?らしい。それは、ペストを媒介する野生生物を家の中に入れない方策を取ったものが、後の世に形を変えて伝わったものだ、と私は理解する。モーゼの意識に地球意識が反応して、ペストが産み出され、モーゼが封建的な政府に圧力を加えるのを手助けした。私はそう理解している。何が言いたいか。ある種のウイルスや細菌による病気は、地球意識が創り出して、ヒトに警告を与えるために、ヒトを正しい方向に導くために、創り出されたものだ、と理解する。

僕自身、一応はかつて「医用工学」に軸足を置こうと決めた。たったの一人でも、自分の技術で救える命があるならば、全力を尽くすべきだと信じた。その辺は、医者や、国境なき医師団に身を投じた方々と同じだと思う。ただ、どうやら、ある種の疾患は違うようだと、今は師匠から聞いて理解している。恐らくは、HIVもそうだと思うけれども、エボラ出血熱は、明らかに地球意識がヒトに警告するために創り出したものだと理解する。エボラに汚染された地域は、国境なき医師団の方々が身を投じて「一人でも命を救う」そのターゲットにすべき地域ではない、と自分は考える。自然災害とか、もっと不可避な状況で苦しんでいて、「今、生き延びれば、今回生まれて生きていることが、もっと他の人に役立つ」と信じて、生き延びた人(子供)がそうした経験をできる場所はもっと他にたくさんあると思う。その「他の場所」に移るべき。政府が腐敗している、それに反逆する側も、人の命、ヒトの尊厳などカケラも理解しない、そういう地域で蔓延する病気には、あるいは怪我にも「手を差し伸べる必要がない」のではないか、と私は考える。
大丈夫。今、その病気で、あるいは、怪我で死んだとしても、本人が死んだことを理解できさえすれば、魂はすぐにも次の経験を持てるようになる。何度でも、ヒトは、ヒトとして生まれ変わって、次の経験を積める。キリスト教的な思考に、そうした発想はないのか?

同情すべきなのは、テロリストや、あるいは、テロリストに便乗して安易に攻撃するアメリカ/NATOやロシアなど空爆に殺された方々じゃない。殺した側の方が、後が大変だと、この理解は、キリスト教徒やイスラム教徒などとも、共有できるだろうか。殺した側の方が、罪が重いケースが圧倒的に多い。この感覚って、果たして、キリスト教徒やイスラム教地に通じるだろうか。僕にとっては、別世界の方々だから、よくわからん。でも、殺した側の方が罪が重いというのは、実際にそうだと、是非、ご理解いただきたい。本当に、殺された側は大丈夫。きっちりと、殺された経験を血肉にして、次は「世界がどうあるべきか、自分はどう生きるべきだったか」その、考える題材として魂に刻み込んで、次に活かせることができると、私は断言します。

それでも、「目の前の死にかけている命を救うことに、どんな意味があるのか」は、ヒトとしての関係者各位の直感と、私の直感とは、たぶん、同じだと思う。「この子が、将来、どんな仕事をするか」それが思えれば、是。私も、医用工学関係だとしても、教育関係だとしても、この点は考える。それだけでいいじゃない。でも、やっぱり、エボラの汚染地域は、「危険を冒して、命を救うために頑張る」のではなく、「封鎖して見捨てる」のが正解、だと、私は考えます。

僕らからしたら、地球意識なんて、十分に「神の領域」だと思う。ヒトとして肉体を持ったモーゼも、イエスですら、十分に「神様」だもの。地球意識は、その上、なんだから、私にとっては、認めないわけにはいかない。。だから、「命を賭して、エボラの汚染地域でヒトの命を救う」ことは、状況に応じて、「見捨てても許される」という発想は持って欲しいと、強く願う。

海外の「医学常識」は知らない。ただ、日本では、日本褥瘡学会だったかが、「傷口は、乾燥させるべき」というかつての常識をひっくり返して、「湿潤環境を保った方が、傷口の治癒が速い」と発表してから、「常識」が逆転した。「世間の常識が変わったから、絶対この問題は、臨床工学技士の国家試験に出るぞ」と、予告して、外科学概論の出題予想をしたことがあったけど、何人まともに聞いていたか。出題予想が当たったのに。おい、K、お前寝てただろう。あの補講の時!

傷口から、血が流れ続ける。「乾かす」=「医療行為を施す」のではない、流し続けるテロリストがいるならば、その地域を封鎖して、血が流れ続けるまま、放置すべきだ。撤退してもいい、自分はそう考える。消毒なんかするよりも、長い目で見たら、その方が根本的な治癒につながる、そんな気がする。私たちだって、かつては「テロリスト」だったかも知れない。みんな、いったい今回が何回目だと知っているのか。初めて、だと思っている人が大多数。仕方ない。「アドリブ」の能力を鍛えるのに、「台本」を知っていたら、意味ないから。そして、「アドリブ」で問題解決できるのが、ヒトとしての真骨頂で、そのプロセスには、僕ら自身が殺人鬼になった経験だって、絶対にあるはずだし、かつ、殺された相手だって、「なぜ、殺されることになったのか」そのプロセスを考えて、次に活かす機会を、誰もが持たされている。ボコハラムとか、ISがらみの殺戮の現場は、私もネットで見てはいるけれども、大丈夫、きっとどちらも経験として役に立っている、と思った。

くどいね。これで終わる。

物流の仮想化

経済の仮想化、なんてことを考えていた。流れに乗り切れない個人事業者とかは、大変な時代だとも、思った。

東京のお店からXという商品を大阪のAさんがネットで買い、同じXという商品を東京のBさんが大阪の会社から買った、とすると、マクロには完全に無駄な物流が発生する。個人の購買情報のようなプライバシーを漏洩させずに、マクロにこの問題を解決するには、どうしたらいいんだろうかと考えていて、ふと思った。

物流も仮想化したらいい。そのためには、商品の「所有権」の移転を、「エンドユーザ」が購入するまでは「モノ」の移動を伴わせない形で行えばいいんじゃないか、と思った。

製造業のM社が、Xという商品を製造しているとする。付加価値を付けるかどうかは別にして、それを、商社である東京のP社と大阪のQ社が購入したとする。この時、M社は提携先の物流倉庫業のS社にXという商品を出荷し、P社やQ社は、そのXという商品のエンドユーザではないため、価格を支払い、M社に商品の保管を委託する、とする。
この時、Xという商品の所有権は、P社にN1個、Q社にN2個という「情報」が発生しただけの状態で、「どれがP社の所有」とか「Q社の所有はこれ」などと特定されない状態でS社に保管される、とする。そして、ネット経由で東京のAさんが大阪のQ社から、大阪のBさんが東京のP社から購入した際には、いずれもS社の倉庫から「エンドユーザ」であるAさんや、Bさんの元に出荷される、とする。ここで、S社が東京と大阪にそれぞれ倉庫を持っていて、どちらにも同じXという商品を適正数在庫していたとすると、「最も近い倉庫」から出荷する、とすることで、無駄な物流を省ける、と考えた。

従来の問屋に相当する中間的なバイヤーが購入する場合には、「所有権」の情報を購入した商品群に「個数分のタグ付け情報を発生させる」だけで、実際の物流を発生させず、エンドユーザが購入した際に初めて「モノの輸送」が起きるようにしていけば、マクロに見て、物流コストを抑えて、余分な二酸化炭素排出を抑えられるのではないか、と思った。

エンドユーザは、「価格.com」のようなサイトを見ながら、だいたい一番安いところから買う、ような気がする。他の人のことは知らないけど、私の場合には安いところを探して買っている。そうとなると、毎回似たようなお店になって来て、案外巨大な店舗を持っている名の通ったお店ではないところになったりする。その理由は、もしかしたら、店舗のコストが商品価格に上乗せされているから、かも知れない。だとしたら、アマゾンのように小売の店舗を持たない店が最も有利になる、ということなんだろうか。

アマゾンに太刀打ちしようとするなら、最終的な輸送コストまで含め、物流倉庫に特化した「製造元」/「販売元」と「エンドユーザ」を結び、全国に分散した拠点を持つ、前述のストーリーのS社のような存在が必要になってくるのではないか、と思った。

経済は「無駄」によって潤う、という話を以前聞いたことがある。無駄によって、お金がばら撒かれる。二酸化炭素を排出しても、全く同じものを、一方では東京から大阪に運び、他方では大阪から東京に運ぶ、そうすれば、その分の「無駄」は運送業者の収入になる。だから、この考え方が「最適解」ではないかも知れない。ただ、マクロに見て、これ以上の二酸化炭素の排出は、地球への環境負荷が看過できない状態である、そんな気もする。

個人商店でも、自分で何かを作っているところは、こうした「仮想化」にも乗りやすいと思う一方で、「シャッター商店街」のお店などは、「仕入れて売る」だけなので、アマゾンなどには相当に客を食われているんじゃないかと思えたし、結局この発想では、個人経営のような「小売業者」は救えない、ようにも思えたけれど。それに、私のところみたいに「カスタマイズと付加価値」で勝負している会社にも、全く関係ない話ではあったけれども。

荒削りな発想だけれども、とりあえず、考えるともなく考えちゃったから、書いてみた。こうして、吐き出して、スッキリして、別に考えたい話題に切り替えたいとも思っているので、書いてみただけ。

第2のIS

後藤健二さんの時と、同じような夢の見方(起き方)をした。
自分、何をやっているんだろうとも思うけれども、書くことをためらわないことにした。間違っていたとしても、覚悟する。すべては、読み手の方に委ねます。

400人くらいの犯罪集団が台頭しているかも知れない。これからまだ、勢力を大きくしそうな雰囲気があった。いや、これから規模が大きくなる。そう見えた。

中心人物は、まだ若い女性かも知れない。元々は犯罪被害者だったようだが、被害者なのに加害者をてなづけて、いつの間にかリーダー的な存在になった、ように見えた。

病院に向かう車に、4人ほど乗っていた。彼女はその4人を「病院の必要がない状態」にした。その中の一人からは、これを見ろと言わんばかりに、呼吸のチューブを引き抜いた。そう見えた。

夢の中で、僕にその夢を見せてくれた人に何かを聞かれた。思い出せない。その問いに僕は、この集団はいずれ国家を名乗るところまでいくと思います、と答えた。その人は、その答えで合っている、正解だよというように、私の答えに微笑んでくれた、そんな気がした。

自分が夢で見た光景は、そこまで。ここから先は、起きてから考えたこと。シリアの方なのか、と最初は考えた。いや、もしかしたら、中米、ホンジュラスとか、その辺なのか、とも思った。

夢の中で、この夢は特別だと思わせてくれるようなサインがあったけれども、それは書きません。ただ、とても気になった。不安を掻き立てられた。再び、俺にどうしろ、と?ほぼ、今日一日、どうしようか悩んだ。結局書くことにした。

空振りであることを、祈ります。ただもし、国境なき医師団とか、アメリカのCIAとかに、これに該当する情報が入っているのならば、警戒して欲しい、ISのようなことになる前に、未然に対処して欲しいと、強く願う。そうではない、単なる私の暴走であることを、それ以上に願う。

経済の仮想化

コンピュータサイエンスで「仮想化」を言う時、「実体(Entity;エンティティ)を伴わない」という意味と、もう一つ重要な意味があると思う。それは「抽象化(Abstraction)」であり、「実体と切り離した本質だけを抽出したもの」というニュアンスがある、と自分は理解している。

システムを設計する際、「個々のデータ」という「具体的事実」と、そのデータに共通する「性質」という「抽象化=仮想化現実」の二つを頻繁に行き来しながら、ロジックを組んでいく。私の場合には、ですが。
具象(自他が経験した事例)や、お客様の求める要求仕様を最初から最後まで一気に眺めて、部分と全体とを完全に一貫させて、矛盾を取り除いてから、抽象化した性質(Characteristics / Attributes)を抽出できないと、システムとしては成立しない。とは思うのだけれども、なかなか難しい。

インターネットの普及に伴って、今、様々な物事の「仮想化」が高速に進展しているように感じる。このページで題材にしたいのは、「キャッシュレス決済」とか「インターネットモール」など。

昔は、商店が土日休みとか、午後5時で閉店とかで、最悪金曜日の夕方必要になったものが、月曜日の朝にならないと手に入らないとか、そんなのは当たり前だった。
我が家では、親父が心配性で、あらゆるものの「ストック」があった。米や味噌、醤油などの食料は言うまでもなく、トイレットペーパー、電球、蛍光灯、電池、さらには雨漏りの補修剤、まるで、今時のホームセンターを小さくしたような「保管スペース」があった。(今でもある。)僕も親父のことは言えないが、ストックしたものがどこにあるのか忘れて、また買ってくる、と言うことがよくあったようで、家の中のモノを整理して分類して一箇所に寄せると、あちこちから電池のストックが出てきたりしている。古い乾電池がどうなるか、皆さんよくご存知だと思うが・・・
ところが、これは明らかに「昔のライフスタイル」で、今の日本ではもう「蓄える」必要がほとんどない。コンビニがある。それどころか、ネット通販があって、以前だったら「仕方ない、来週の月曜日は秋葉原に買い出しに行くか」なんて、覚悟を決めて、半日がかりで買い出しした部品が、今時は「ポチッ」だけで翌日には手に入ったりする。それが前提の生き方も、「あり」だろうと思う。ここで使われるのは、大半がクレジット決済などの「キャッシュレス決済」だから、若い人たちにとっては「キャッシュレス」も、さほど抵抗感がないと思う。

問題は「年配層」だ。政府が、消費税の値上げに合わせて、キャッシュレス決済に合わせて5%のポイント還元だとかを考えているらしい。狙いはわからんでもないが、町の小規模な商店さんなどが、クレジットカードとか、交通系マネーだとかを扱えるかどうか。

「買い物」だけに絞って言えば、「インターネットモール」だけでほとんど困らない。それならなぜ、各地に「大型のショッピングモール」が次々と出店しているんだろうか?生活必需品をインターネットで買う、と言う習慣がないから、と言うこともあるだろうけれども、「生活している実感」はどこから来るんだろうか?もし生活必需品を全てインターネット購入なんかしたら、もう、物流は大混乱だろうな。食料品などは、外出困難者でない限りスーパーマーケットが中心なんだろうと思うけれども、決済にはクレジットカードを使う人が随分増えているように見える。案外、じわじわと「キャッシュレス化」は進行しているように感じる。年配層は、お金を使う側も、支払いを受ける側も、取り残されつつある。そしてその「生活している実感」も、「それしかない、という思い込み」から来ているとしたら、何が実体(Entity)で、何が仮想(Virtual)なんだろうか?家の中に山ほどストックを残した親父の人生は、何だったんだろうか?

「経済」と言う言葉の定義を僕は知らない。知らないけれども、見た感じ「価値交換、価値創造」に関する学問だとするならば、「商店」と言う「価値交換の場所」がどんどんと「仮想化」されている流れは止め難いんだろうと思う。間の「流通」を省いてコストを下げることも可能になっている。ここでの「仮想化」は”Virtualization”(本質の抽出)に近い行為なんだろうと思う。
結果として、ザルの中に小銭を入れて管理する個人商店とか、サバイバルが難しい時代になりつつあるのかも知れない。余談ながら、僕の会社は(今、サーバトラブルでHTTPSが使えないでいるけれど、)決済代行を使ってクレジットカードでの支払いも受け付けている。地銀や信用金庫さん、農協さんなんかが中心になって、そうした地元密着の「決済代行」を格安で提供したりしてくれたりとか、できないものだろうか。電卓型の画面表示(画面って、液晶タッチパネルを使えば値段が跳ね上がる。普通の「電卓」インターフェースや、7セグメント数値表示LEDで十分か?)で、金額を入力し、カードをかざすと、あるいはカードを差し込んで暗証番号を入力すると、その金額の決済が完了する。そんな感じの、個人商店向けの決済端末を、7〜8千円程度で提供できないものなんだろうか。数万円は高すぎる気がする。部品単価から計算したら、そんなもんじゃないかと思うんだが、何がコストのネックになっているんだろうか?インターネット接続には月額やはり千円程度はかかるかも知れないけれども、こういうのは、(金融機関さんにとっては、スケールメリットが全くない話だから、)もしかしたら地元の商工会とかが中心になって「格安端末」の自主開発とかやらないと、どうしようもないのかな?この流れは、止められないような気がする。

もしかしたら、と思う。地域の個人商店などは、「価値交換の場所」としての意味を失ったとしても、「ショッピングモール」が存在できるような理由となる「人と人との触れ合う場所、生活の実感を提供する場所」としての意味があるのならば、生き残れるような気もする。ただ、それが出来るためには地域にある程度の人口密度が必要で、シャッター街が出来たような場所ではもう、淘汰寸前なのかも知れない。
それでも、一軒でも多くサバイバルして欲しいと考えるなら、低価格なキャッシュレス決済の端末の普及は、必須な気がする。本当に、サバイバルだよなぁ。

両極端があるのが寂しい。何十億の年俸をもらっていても不足に思っているらしい、カリスマがいたみたいだ。その一方で、100円の利益を出すのに、どれだけ売らないとならないか、悩んで、売上を実現できなくて、自殺する人もいる。どちらも、違うでしょ、と思う。人生なんて、今回が最後じゃないんだから。

ただ、「人は、何のために生きているか」と言う話題は持ち出さない。もう書かない。聞かれたら、答えは持っているし、過去随分書いてきたし、きっと話し始めたら止まらない。ただ、より「効率よく」多くの人が自己実現していくためには、「無駄を省く」ことは良いこと、なんだろうと考える。この過渡期、考えるべきこと、やるべきこと、できることは多いようにも感じる。

個人がインターネット経由で簡単に買い物をする、一見中間マージンを省いて「効率化」しているように見えながら、実はものすごい「非効率化」が進んでいる部分もあるような気がする。例えば、東京のAさんが、大阪のネット商店からXという商品を買った。その全く同じXを、大阪のBさんが東京のネット商店から買っていたら、そのXという商品は、同時に、一つは東京から大阪へ、もう一つは大阪から東京へ、と逆向きの物流に乗って移動する。相殺すれば物流コストを削れるのに、それぞれが個人購入だから、この「無駄」が見えてこない。と思う。
かつては、「問屋」などの「中間業者」があったために、ある程度この物流の最適化がなされていたのかも知れない。この問題を解決するためには、「個人の購買」の情報までどこかに寄せなければならず、明らかにプライバシーの侵害がある。何らかの施策を行わないと、二酸化炭素の排出量とかにも相当な悪影響を及ぼしそうな気がする。同じことが世界規模でも起きるんじゃなかろうか。

「箱物信仰」の行政トップの思考なのか、東京オリンピックの後は大阪万博が決まり、どちらも「経済効果」が謳われている。でも、潤うのは土建屋だけ?じゃないか、と言う気がする。確かに、納入する企業などの裾野では恩恵に被るところもあるだろうけれども、やはり、そう言う経済団体がバックアップしている政党が今「一強」状態だから、どうにも流れは止められないのかもしれない。

「経済が仮想化」する中で、仮想化できない領域は何だろうか、と考えてみると、例えば、医療、福祉、保育、教育など、「ヒト」に対するサービスを提供する経済活動じゃなかろうか。この領域は、「価値交換」の中間プロセスが最初からない。消費税など、当初はこれらの領域に税金をより多く投入できるように、というようなお話だった気がするが、何だか優先順位を一番最後に下げられて、大都市圏の箱物ばかりに資金投下されているように感じて、すごく「変な感じ」がする。なぜ消費税を上げなければならないか、の、議論の発端がどこかに置き忘れられている気がした。その消費税を上げるショックを緩和するために、キャッシュレス決済で5%の還元?どういう思考プロセスなんだろうか。部分最適化?

僕が一番苦手なのは、この「部分最適化」で、悪い癖で、一旦全体の流れを耳にすると、どうしてもその全体の中でしか部分が考えられない。だから結局、こういう議論の仕方をしてしまう。「この部分だけを切り取って、考えてください」という課題を持たされても、ダメだよなぁ、つい、全体との繋がりがくくり付いてしまって、部分の切り出しがどうしても出来ない。
そういう人間が書いている話題だから、もしかしたら、致命的な間違いがあるかも知れないが、その点はご容赦願いたい。

昨今のニュースを聞いていて感じた違和感を、言葉にしてみた。

仮想現実

2025年の大阪万博が決定したらしい。ラジオのニュースを聞き流していたら、「今時、そんな金をかけるなら、仮想現実で十分じゃないか」なんて声が流れていた。僕の意見は、これに一番近い。

実を言えば、僕は「万博」と称するイベントに一度も行ったことがない。大阪万博、沖縄海洋博の頃はまだガキで、連れて行ってもらえるなんて期待できる経済状況じゃなかったし、筑波の科学万博は、誘う相手がいなくて、一人で行ってもつまらないと思って行かなかった。そう言えば、名古屋でも何かあったっけ。行かなかった理由は、筑波と同じか。全然、後悔なんてないけど。

今時だと、展示って言ったって、単なる「置物」だと出展者がバカにされるだけだろうから、「参加型」とか言って、何らかのインタラクティブな仕掛けをするに違いない。そうすると、どのパビリオンに行ってもメディアラボ、あるいは、メディアラボの二番煎じ、三番煎じみたいな展示ばかりになってたりして。
じゃぁ、拡張現実(Augumented Reality)で、参加者全員がヘッドギアみたいなのを付けて、音と映像とで何らかの「展示」を「体感」する、なんて企画も当然あるんだろうけれども、ぶっちゃけ、2025年にそうした仮想現実用、拡張現実用の個人向けデバイスは、どの程度進歩、普及しているんだろうか、と考えるに、結構あちこちの自治体なんかが、観光開発で「拡張現実イベント」みたいなのを展開できる程度まで、デバイスや通信環境、アプリのプラットフォームが普及していそうな気がする。そうなってくると、今更「大阪万博に行ってみました、でも、何がそんなにすごいの?」みたいな程度に、各社が目一杯頑張って「展示」したものが、世間一般と比べてどれほど「すごい」のか、ほとんど見分けがつかないような「どこにでもある」展示ばかりになっていそうで、冒頭の「今時、そんな金をかけるなら・・・」の見解に落ち着く。何だか、想像しただけで、あ、この程度なら行かなくてもいいや、なんていう気分になってしまった。こうやって、過去の万博も全部スルーしてきた私。

視覚とか聴覚とかは、比較的騙しやすい気がする。特に、3Dゴーグルだのステレオ音響だので、かなりの臨場感は作れると思う。味覚は別にして、そこに嗅覚とか触覚刺激(風を吹かせる、温度を変える、霧を出す、など)を組み合わせると、結構臨場感は作れると思う。ただ、人間の感覚って、本当にその五感だけなの?と思った。結構大事な「感覚」を忘れている、と思う。
えぇと、決して、超感覚的知覚の話題を持ち出そうとしているのではありません。

体性感覚と、重力などの三半規管が感じる感覚。
例えば、遊園地の絶叫マシン。あれは、視覚的な刺激は無論あるけれども、加速度が直接三半規管を揺らす。それに、体を支えるために筋肉や骨格が感じる体性感覚とか、安全バーのような器具からの触覚が加わって、複合的に感覚刺激を与えていると思う。あの、三半規管が感じる重力やら加速度、重力とか体の動きから「内部的」に発生している体性感覚などは、五感のどこに含まれるんだろうか?特に、三半規管の感覚は、五感のどこにも含まれていない気がする。

そして、三半規管の刺激だけは、全身が加速度を感じないと刺激されない。

僕は、絶叫マシンは大好きだけれども、実を言えば、20代の終わり頃メニエル氏病になってから、三半規管が恐ろしく鈍くなっていることに気づいた。それに気づいたのは、絶叫マシンだったかも知れない。体はGを感じているのに、上下感覚がない。試しに目を閉じただけで、実は、どちらが上でどちらが下か、全く感じることができていないことに気づいて、かなり驚いたことがあった。それに気づいたのは、絶許マシンだった。そして、メニエルの発作、めまいの発作が結構頻発していた頃に、めまいの発作が唐突に起きると、突然、自分の体性感覚が狂って、例えば、倒れるにしても、自分がどちら向きに倒れているのか(視点が定まっていないから、視覚情報はそもそも頼れなくて)ほとんど受け身が取れない状況で棒が倒れるような倒れ方をする。それで、全身前のめりに棒状に倒れて、顔面を強打して、上の前歯を折った。逆に言えば、絶叫マシンに乗っていても、三半規管はほとんど反応していなくて、僕が実際に感じている「体の揺れ」は他の人とは全く違うんだろうな、という結論に至った。
学位論文を書いていた頃、だったかなぁ、カナダのモントリオールに、博士課程の学生のI君だったかなぁ、一緒に行った。時差ボケで、何だか体がシャキッとしない。じっとしていると眠くなる。どうしようか、なんていう話をしながら、モントリオールには結構規模の大きい遊園地があって、「どうせ学会会場に入っても、暗くなってじっとしていると眠っちゃうだけだから、遊園地で眠気覚ましをしようか」なんて話しながら、遊園地に行った、なんてことがあった。日本の遊園地では信じられないくらい空いていて、絶叫マシンに3回連続で乗った。ところが、I君は青ざめていて、僕は全然平気で、I君が「ちょっと休ませてください」なんて言っていた、そんなことがあった。
ところが、これはモントリオールじゃなかったかも知れないけれども、「絶叫マシンもどき」で、画像だけを目の前に大写しにして、座っている座席が若干前に傾いたり、左右に揺れたりする、かなり「もどき」なアトラクション(テレビの番組で、トロッコがちょっと揺れたり、前後左右に傾いたりするのと、映像が連動する、あのタイプの仕掛け)があって、その時一緒に遊びに行ったのが誰だったか思い出せないんだけれども、みんな、「こんなショボいの、全然面白くねぇじゃん」とか言ってるのに、実は僕だけは、かなり酔いかけて、気持ち悪くなりかけていた。痛感したのは、三半規管が機能していないから、体性感覚を把握するのに僕自身の脳は、大半を視覚情報に頼っているんだろう、ということだった。だから、視覚情報で、ああした上下左右に猛烈な勢いで(おそらく、現実の絶叫マシンでは実現できないほどの高速で)映像が切り替わる、しかもそれが目の前いっぱいに大写しで広がっているアトラクションでは、完全に脳が騙されて、猛烈な「酔い」を経験してしまう。
安上がりと言えば、安上がりなんだけれども、メニエルの発作の時のように三半規管がイかれているお陰で、受け身が全く取れない、なんていうのは、ちょっと怖い状況でもある。

私の場合には、体性感覚の一部が壊れているから、視覚情報だけでかなり騙されるかも知れないけれども、ただ、「臨場感」を完全に再現するためには、三半規管を揺さぶるような状況を作らないと、完璧に「臨場感」を演出することは困難、なんじゃないかなと、思った。

7年後、でしょ?だったら、多分、ARのプッシュ通信なんかで、WEBにアクセスすると「ジェットコースターもどき」の映像を体感できるシステムは、作れていると思うし、それこそ、ワンコインで(100円か500円かは、なんとも言えないけれども)ゲーセンで遊べる、なんて感じにはなってるような気がする。それどころか、ちょっとお金を出して、数万円?数千円出したら手に入るAR用のデバイスを中国あたりが売り出しそうで、家庭でも簡単にVRやARを経験できる、そういう時代になっていそうな気がする。7年後、ですよ?今の技術革新のペースから考えたら、「とてつもない未来」だと思う。
そんな時に、「これが未来だ」なんて、パビリオンでどんな展示をするのか、何だか、出展する企業の方々が、気の毒な気もする。というよりも、そこから先、メディアラボとかプロジェクションマッピングのさらに先をいくアイディアを、どうやって出すか、が大変なんだろうな、という気がする。

となると、私のように三半規管や蝸牛感が潰れていて、片耳だけで生活し、体性感覚を視覚に頼っている人間のように、他の皆さんも「一時的に、体性感覚を麻痺させたら?」なんてことを思いつく。ごく一過性で、体性感覚が一時的に麻痺するクスリ。これを服用してから「絶叫マシンもどき」のように、というか、陳腐なARやVRでも視覚的な揺さぶりをかけたら、みんなすごく「臨場感」を感じるんじゃないの?なんてことを思った。副作用として「体性感覚の麻痺」が起きるクスリは、確かいくつかあったような気がするけれども、何だか、だんだんアブナイ方向に話題が傾きつつある気がした。
ですからね、アイディアなんて、とにかく数を出すことが勝負なんですってば。さすがに、このアイディアは没だろうと、自分でも思う。(ですがね、没になったアイディアが、別のアイディアを誘発する、ってことはあり得るので、書いてる。)
一見関係なさそうな話題をどんどんとつなげて、点と点を線で結べる人でなければ、未来は見通せない。

ただなぁ、大阪万博のパビリオンで、一体どんな「展示」が繰り広げられるんだろうか。万博開催に突っ走った人たちって、「実際にどんな展示をするか」を考えてから、「やる」と言い出したんだろうか?疑問ですね。万博やりゃ、人が集まって経済効果がある、なんて、どういう根拠で考えているんだろうか。言った誰もが「つまらなかった」「あんな程度か」なんて言い出したら、逆効果じゃなかろうか。

万博に行った会場で、散々「仮想現実」だの「拡張現実」だのを見せられるだけなら、なんでわざわざ大阪まで行く必要があるの?という疑問は絶対に出ると思う。どこかの国の大統領が、地球温暖化のメカニズムを全く理解できないで、フェイクだフェイクだと叫んでいる。それと同じように、経済効果、経済効果と叫ぶだけの政治家は、極めて個人的な見解として、邪魔なだけだと思う。多少なりとも、時代を読んだらどうなの、という気がした。

いや、否定的な文章で終わったら、寂しいだけだから、あえて書くならば、メディアラボだの、プロジェクションマッピングだのが陳腐化するくらいの新しいアイディアを出して欲しい。ここでも、若い方々に期待します。人材発掘でしょうね。潰さないように。いや、突拍子もないような話題を持ち出すと、絶対に「わけのわからんことを発言するな」って言って、潰しにかかってくる人が、どこに行ってもいた。それで、数千万円の損失が出るのをただ黙ってみていたことがあった。日本の社会は保守的すぎる。

とにかく「技術の汎用化」の速度が半端ないから、万博ならではの新規性を打ち出そうとしたら、決して簡単な話ではない、という覚悟は必要だという気が、すごくしている。

低アルブミン血症

透析の患者で、肺に水が溜まる、などの症状を呈した場合には、低アルブミン血症を疑うのは、「アリ」ではないか、と私は思う。私は、医者じゃない。医学系の研究もできる立場ではないけれども、一応は医療機器開発を看板に掲げてこの分野にいて、一応は、臨床工学技士として透析を扱うことになる人たちに教える立場でもいる都合上、ある程度の自信を持って、これは感じた。

肺に水が溜まる。だから、ドライウェイトを下げればいい、というのは、あまりにも短絡的な処方ではないかと思われた。膠質浸透圧が低下している、のは明らかだと思う。だとしたら、どんな理由が考えられるのか。透析中に血圧が大きく変動する、としたら、それも膠質浸透圧の低下を示唆しているように、私には思える。医者じゃないけど。その原因を調べるための「血液検査」に、保険点数がつかない、のかどうかは知らない。直接的に保険点数がつかないなら、他に検査する口実なんてあるだろうに、ってな気もする。

じゃぁ、低アルブミンだとわかって、どうしたらいいか。
素人考えだけれども、たんぱく質の摂取量を増やすんだろうか。で、食事から摂るのが困難だとしたら、今だったら、ウィダープロテインだとか、簡単に飲めるのが結構あるような気がする。

筋肉オタクが好むプロテインは、実は腎臓を痛める、という話を何かで読んだことがある。学術論文でないのは確かだけれども、医者が何かを言ったのをメディアが膨らませたのかも知れない。でも、すでに腎臓を痛めて、透析をしている人に、今更腎臓を痛める心配をする必要があるんだろうか、なんてことも思う。アミノ酸サプリなんてのも、少なくない。それで改善する可能性は高い気がする。

ただ、それがいいと断言しきれないのは、私自身、アルブミンが体内で合成されるに至る代謝のメカニズムを理解していないからで、ただアミノ酸だのプロテインドリンクだのを摂れば、低アルブミン血症が解決される、とは言い切れない、と感じているから。でも、絶対量が不足している状態ならば、プロテインもアミノ酸サプリも、摂るに越したことはないような気もする。絶対量不足は、何としても解決すべき、だと考えるなら、筋肉オタクの真似は、これも「あり」だと思う。

さらに思うのは、何か補酵素とか酵素の不足とか、見つかっていないんだろうか。

最近、すごいなと思ったのは、100均のキャンドゥで、100円のサプリを何種類も売り出していること、だった。ビタミンミックス、だの、αリポ酸、アスタキサンチン、コンドロイチン、あれやこれや、何種類も揃っている。だいたい2週間分で100円。ラジオのCMを聞いていると、一ヶ月で数千円、とかの感じだったのが、一ヶ月200円で試せる、ってのは嬉しい。かつ、あれこれ試し始めて2ヶ月も経っていないのに、個人的に私は明らかに体調がいい。体が軽い。階段上りの1段飛ばし復活。
この話を、知人と話していたら、「でも、高いのと安いのとでは、純度が随分と違うみたいですよ。」なんて話も聞いた。

ここは私個人の感覚だけれども、できることなら必要な栄養素は食事から摂りたい。けれども、この歳になると、あちこち不調も出てくるから、だとしたらサプリもあるかな、多少補いたいかな、でも、体がサプリに慣れてしまうと、今度はそのサプリを摂らないと体調不良を起こす事態になる、なんてことは、容易に想像つくな。CMの「今では手放せません」なんてのは、ゾッとする。タバコだけで十分。だったらサプリはやめようか。ってな発想だった。
でも、2週間100円だったら依存症になっても構わないし(いや本当に、依存症はタバコだけで十分、)価格を考えたら依存症になったって、全然気にならない値段になった。むしろ、安いってことと、純度が低いかも知れない、ってな話題は、両方ともメリットのような気がした。
それで、結構あれこれ試し始めて、もう2ヶ月になるかな。絶好調というか、明らかに何か効果は出ていると思う。仕事の捗り方が違うんだもの。
いつか近い将来、忙しい時の食事は錠剤だけで十分、なんて時代も来るだろう。だとしたら、「食事依存症」なんてことは、あり得ませんものね。

100円のブルーベリーのサプリ。それと、300円の目薬を組み合わせていたら、老眼が解消されて、かなり近いところでもピントが合うようになった。一ヶ月500円かからずにこの効果。文句なし。今また裸眼で新聞も学術雑誌も楽勝になった。キャンドゥはすごいと思う。

話を戻して、低アルブミン血症でも、こうしたサプリのどれかが役にたつ、ってなことはないかと、すごく感じている。たぶん、何か補酵素とか酵素が足りていない。そんな気がする。その状況に置かれた方が、ご自身で試される以外に「どれか」ってのはわからない、とは思うけれど。

一応見かけ上健康体の私などが、こうしたサプリを摂る。漢方の考え方だと「未病」という概念で扱われて、西洋医学ではいわゆる「予防」に属するのかも知れない。ただ、医学ももっと視野を広げて、健康栄養の分野で使われている手法も、積極的に治療に導入したらどうなんだろうか、と、そんな気がした。ジェネリックよりも、さらに安いと思う。

文化摩擦

なんだか、ここのところ中国を巡っての雰囲気が良くない。
スェーデンでの一件の後の、テレビ放送。イタリアのブランドのTVコマーシャル。
そして、パキスタンでの中国総領事館襲撃。

かつては、パックスアメリカーナに対する世界的な反感が、確かに底流にあった。カナートというかワジのように、雨季になると川になるのに、普段は表面化しない。それが一気に表面化したのが9.11だったようにも見えた。世界中にマクドナルドのハンバーガーショップがあり、世界中で若者がジーンズを履く。世界にアメリカの文化があふれた反動は、おそらく底流にあった。
それが今、中国に置き換わろうとしているんだろうか。

https://www.asahi.com/articles/ASLBS56B7LBSUHBI02H.html

かつてのアメリカに近づいているような気もする。中国製品が溢れているのは、日本だけではないのかも知れない。そうした「製造力」に加えて、中華思想というか、世界中どこに行っても中国のスタイルを一切変えようとしない点が生活者の反感を買っているんだろうか。

それよりも気になるのが、パキスタンでの総領事館襲撃。元々気になっていたのは、新疆ウイグル自治区でのムスリムの強制収容所。イスラム圏の方々には、どう見られているんだろうか。

いわゆる「テロリスト」は、本質的にイスラム教とは無関係だと私は理解している。なんらかの大義名分を求めて、いわば「口実」としてイスラムを掲げているだけで、彼らをイスラム教徒だとして認識したなら、多くのムスリムは憤慨するようにも自分は感じている。
本質的に問題なのは、暴力で「支配」することで優越感を感じ、そうすることでしか自己実現出来ない人の心の方にある、とも思う。加えて、再三書いているが、世界中に銃火器の輸出をやめない国々があって、欧米ばかりではなく中国やロシアもその一端を担っているとも思う。皮肉なことに、そうした銃火器が輸出元に向けられたのが、今も続いているテロリズムの問題だとも、私は考える。銃火器を規制すべきなのだと思うが、きっと笑って相手にされない論理なんだろうな。だったら、自分たちはビジネスで儲けているんだから、自分たちがターゲットにされても文句を言うな、とも言いたい。
そして、そのターゲットに今度は中国が加わった、ということなんだろうかと、感じた。新疆ウイグル自治区の収容所は、「口実」としては理想的かも知れない。結構これから頻発するかもしれない。

だから何だ、と、そんなことを書くのはおこがましい。子供じゃないんだから、事実を何かの結果として理解したなら、普通はどうしたらいいか、自分で考えられると思う。だから書かない。

それよりも、私たち日本人は、海外で中国人と見間違えられることが少なくない、という点だけは、気にすべきだと思った。
明石家さんまさんみたいな「つけ歯」をして、眼鏡をかけ、カメラを首からぶら下げる、ってのは30年前の欧米からのステレオタイプ。

(URL: https://twitter.com/moon5_natsu/status/963027806132224001)

今、日本人をどうやって見分けているのかは、案外日本人自身にはわからないかも。(僕もわからない。)ただ、中国の方には申し訳ないけど、今、海外で中国人に間違えられたくない、そんな気がする。で、メガネにカメラ?古すぎるでしょ?

さて、もう、書くのをやめたんじゃなかったっけか?
うるさいなぁ・・・禁煙と一緒。

感謝状

師匠が、「酒を飲むと、魂が酔ってしまって上からの意識も受け取れない、いい気持ちになったとしても、魂の疲労回復(心のエネルギー充填)は酒じゃできない」ってなお話(じゃないな、警告だな)を何度となく話して下さっていて、飲んじゃいかんなぁ、なんてことを思いながらも、今日は家飲みしてます。最初に白状しておきます。
で、今、何となく、(上じゃないな、どこかの浮遊霊さんにつかまったのか・・・、言いたいことがあるみたいで、)書かなきゃいけないことがあるような気がして、酔っ払っておぼつかない手つきでキーボードを叩いている。

随分と昔、電車に乗った時の中吊り広告で、どこかの雑誌で、どこかの団体の偉い人が「外国のどこそこからの感謝状を受け取った」みたいなのが、頻繁に掲載されていたのを目にしたのを思い出している。あれ、ですけど、僕もお手伝いしたことがあります。途上国はどこだって、お金は欲しい。何をするにもお金は必要、だったりするから、そこにはフィクサーだっているし、足元を見られているのを承知で事務手続きをして、寄付を受け取る手間には慣れている役人だっている。僕も、お世話にはなった。以前、1回か2回言及したことがある気がする。関西のとある都市で、もう使わなくなった「消防自動車」を寄付したい、と。意図は理解していた。寄付の見返りに、「感謝状」を取り付けて、それを支持者にばらまく雑誌に掲載して、その雑誌を高値で売りつけて、(言い方は悪いけれども)雑誌を売りつけて、金にしよう、と。そういう商売の方。わかっちゃいたけど、日本兵の遺骨の帰還に結びつくならと思って、というか、ニューギニア方面遺族会の田所会長が、「手伝ってやってくれ」とおっしゃるから、手伝った。その顛末も、もう書いた気がする。(二つの流れを、二つに分けて書いた気がする。両方付き合わせれば、フルにストーリーが結びつくけど、別にそこは他人の理解は求めませんが、これでわかるような説明は済んだつもり。)

本題。海外への寄付、ってのは、JICAのODAもそうだけれども、今日本は経済的には「裕福」な部類で、日本から流れる金は、受け取れるなら受け取りたい国も、機関も、少なくないと思う。そうしたところへ、気前よく「この金額をあげます。その代り、お国の国家からの感謝状を下さい」なんてな交渉は、案外簡単に成立するんだな、というのをその経験で実感した。で、その「成果」を金儲けに使いたい方々もいる。このページでは、個人名は出しませんが。
振り返って、あの電車の中吊りに散々出ていた「ペケペケ総裁が、どこそこの国から感謝状」なんていう大見出し。あれって、かき集めたお金を横に流して、感謝状に変えただけじゃないの、と、思った。

肉体を抜けて、何か見て、気づいたんだか、まさか私の知り合いで、私がページを書いたその内容を(意識から)読んで、気づいたんだか、どうでもいいけど、思い当たること、あったでしょ?と言いたい。多少なりとも世間で仕事をした経験があったら、金がどう流れて、どういう働きをするか、わかってるだろうに、死んだ後いい思いをできるから金を出せ、って、じゃぁ、死んでしまったあなたが、今、「カネ」で何ができるか、実感できますか、と伝えたかったから、伝えた。伝わったかどうかは、わからん。私は師匠じゃない。会話はできない。
微妙に受け取って、ただ思うだけ。「いくらいくら、払え。払えば、あんたの来世がハッピーになる」なんて、どうして詐欺だと気づかない?オレオレ詐欺と一緒、っていうか、うちの田舎でも、月に4〜5回は防災無線で、警告が流れてる。知り合いによれば、防災無線を流した時は、実際に被害にあった人がいた時、らしくて、そんなに多いのかと思う。カネより子供、と思うなら、たまには自分の子供と話したいと思いましょうね、と私は思う。(説教しかしない親とは、私は話したいとは思わんが。)

全財産を貢いで、それで「成仏」できると思うんだったら、勝手にどうぞ、と思う。それで、納得しろ。あんたが納得できるなら、それが全てだから、後になってゴチャゴチャ言うな。この言い分は、あんたが金を払った相手も同じことを言うだろうし、後から愚痴を聞かされる側も、全く同文。後になって、霊体になって、あれこれ見て知って、改めて腹を立てたら、地縛霊になるだけだと私は思う。納得してやったことなら、最後まで納得し続けろ、と言いたい。見苦しい。っていうか、なんで、まだ「脳みそ」があるうちに、考えて気づかなかったんだ?とも思う。結局、魂に刷り込まれたのは、「成仏したい、っていう欲」だけだったのか。「欲」があったら、それが「成仏したい」っていう意識だけだとしても、もがきながら(浮遊霊のまま)さまよい続けるだけじゃないのか、と、私は理解している。師匠じゃないので、来し方、行く末はわかりませんが。お願いだから、勝手に納得してください。と言いたい。(こういう会話を、私は、黙ってすることもある。読者たるあなたの、お好きな解釈にお任せします。何かを理解して欲しいと思うから、書いてるだけ。)

民間人を巻き込むな、って思う。あの「ペケペケ総裁」の政党も、かの「Ass Holeみたいな名前の元首相」みたいな大金持ちだけを相手に金を巻き上げるだけにしてくれ、と、つくづく思う。仲良しでしょ?あの政党とは。犠牲者の代わりに、あんたが金を出せ、と言いたい。Ass Hole!
このページのきっかけになった霊体さんが、僕の知人でないことだけは、切に祈ります。嫌だなぁ。俺、全然感度ないから。
ごめん、俺、学生の顔と名前がなかなか覚えられない教師だし、不思議ですね。直接意識を受け取れない僕が書いたこの文章なのに、肉体を持ってる僕の知人の誰かがこれを読んで、その読んだ誰かと親しかった霊体さんが、その人の意識を読むと、間接的に、この文章がその相手に伝わるかも。という流れで、書いてる。

頼むから、「ペケペケ総裁に金を貢いだのは、善だった」と信じて、そのまま「成仏」してください。一度でも、信じたなら、それはあなたの責任でしょう?

痛覚誘発電位

また、書いてるよ。意志の弱い奴。

今週の授業では、薬理学の「薬の名前」の語呂合わせを扱った。
吸入麻酔薬の語呂合わせ:「ハローせぇ、イエメン」
ハロ(ハロタン)、せ(セボフルラン)、イ(イソフルラン)、エ(エンフルラン)、メン(メトキシフルラン):全部気化器を使う。
筋弛緩薬の語呂合わせ:「なるべくでっかいパンツ好きさ」
べく(ベクロニウム)、でっか(デカメトニウム)、パン(パンクロニウム)、ツ(ツボクラリン)、好き(スキサメトニウム)、さ(サクシニルコリン)
静脈麻酔薬の語呂合わせ;静香(入浴シーンで)プチ淫ら
静香(静脈麻酔)、プ:(プロポフォール)、チ(チオペンタール)、淫ら(ミダゾラム)

ドラえもんの静香ちゃん、何かと入浴シーンが出てくるのは何故なんでしょうかね?読者サービスって言ったって、主な読者層は小学生だろうに。
この「プチ淫ら」は、一部の女子学生に大受けしてた。

「ハローせぇ、イエメン」だけれども、もっといい語呂合わせがないか、考えたり、ネットで探したりしたけれども、結局これを選んだ記憶がある。ただなぁ・・・、イエメンに対して「ハローせぇ」って言いたくなる国際事情まで知らないと、あまり覚えやすくないかも知れない。間違って、「ハローせぇ、スーダン」になっちゃったら、どうするつもりなのか。ハロタン、セボフルラン、えぇと、ス、ス、スはスリザリンで、ダンはダンブルドア!なんてことになっちゃったら、全然役に立たないじゃない。

この話題で、麻酔事故の話を取り上げた。全身麻酔を使う際には、同時に筋弛緩薬も使う、と聞いている。医者にとっておそらく一番怖い麻酔事故は、麻酔から戻ってこないケース、だと理解している。手術は成功しました、ですが、一ヶ月経っても麻酔から覚めません。だから、なるべく浅めに麻酔をかける、とも聞いたことがある。その結果として、今度は逆に、筋弛緩は効いているのに、麻酔の方が先に醒めてしまう、という事故が、結構な頻度で起きている、とも聞いている。筋弛緩が効いているから、痛くても顔をしかめることもできない。手をバタバタさせたり、言葉で「先生、痛いです」とも言えない。お腹は焼火ばしで掻き回されているような痛みを感じているのに、表情も変わらない、身をよじることもできないで、丸太のようにじっとしている。ということが、あるらしい。
らしい、じゃなくて、川越の僕のいとこが、まさしくこの麻酔事故を経験したらしく、「もう、拷問みたいな感じでした」とおっしゃっていた。

麻酔深度を計測したい。この話は、もう30年も前から聞いている。心拍変動の揺らぎで、麻酔をモニターするという話題も、ジーエムエスの林さんのところで随分昔から扱っている。

ふと「誘発脳波」の話題を思い出した。聴覚誘発の聴性脳幹反応(Auditory Brainstem Response)とか、視覚誘発電位(Visual Evoked Potential)なんかは有名だけれども、痛覚刺激で誘発脳波を測定して、麻酔深度を測定する、とか、出来ないもんかとふと考えた。
触覚への刺激は、機械的に痛覚に針刺激を与える、なんてことも出来るだろうけれども、毎秒数10回とかの刺激で同期加算するとしたら、例えば、ペルチェ素子などで低温の温度刺激を与えるとか、実現できないか?(そんなにすぐに温度は変わらないか?)実現できたとして、脳のどの部位で脳波を測定して同期加算したらいいんだろうか、などなど、細かく考えている訳じゃないけれども、ふと思いついたので、書きたくなった。

そもそも、麻酔時の脳波がどうなっているか、記憶にある限り、よく知らないから、もしかしたら脳波測定だけでもそこそこ、麻酔深度を推定できるのかも知れないけれども、誘発脳波の潜時測定などを行ったら、もっとはっきりした指標が出そうな気がした。

で、非常に申し訳ないのは、私がこうして何かを思いついた時っていうのは、大抵、世間の何処かで同じことを考えている人がいる時、っていうことが、経験則としてすごく多くて、後で特許検索したりすると、ほぼ同じ時期に出願されていたりして、もしかして、私がこうしてネットに書いちゃったことで、どこかの誰かの研究とか製品開発を妨害したことになっちゃったりしたら、ごめんなさい、としか、言いようがない。

僕自身は、もう、試作して特許を出して、なんていうことが(特に、生体計測は医療機関とタッグを組まなければ無理だから、)できる立場にはない。トシもトシだし。誰かがやってくれたら、それでいい、ってな感じで、バルクのアイディアの段階で表に出しちゃっている。
順番が逆かも。30年も前、もしかしたらまだ「脂が乗り切っていた」頃は、特許出願とか、研究計画とか、色々と考えたりしても、つい、どういう通信経路で、誰に相談したら、盗聴やら盗撮やらを迂回して、実現の道筋をつけられるか、なんてことを考えた時点で、疲れて面倒くさくなって、思いついたまま放ったらかしにしたものも少なくなかった気がする。どっちにしたって、思いついたアイディアを自分の「研究成果」だとか「ビジネス」だとかに結びつける手段のところで、公安だのマスコミだのに掻き回されてしまっていた気もする。何がどうなっていたのか、わからんけど・・・また蒸し返しているよ、しつこい奴だなぁ。
もういい加減、納得して諦めろってば。(感謝行が足りない!ってな自覚は、一応あるけれども。)

今回、書いてしまった理由はただ一つ。もしまだ、こうした技術がなかったのなら、是非、どなたか実現してください。僕はもう、トシです。立場も、一介の自営業。ぼちぼち還暦。
実現できれば、きっと、麻酔事故を減らすのに役立つんじゃないか、と期待。

アイディアなんて、10出して1カスれば上等。かすったアイディアを10試して、1モノになれば御の字、っていう世界だと思う。でも、このアプローチでの亜流は10位出せる気がする。その程度のアイディアだとして、読んでいただければ、と思います。
そして、「既に存在する技術を、僕が知らなかっただけ」だとしたら、笑って読み飛ばして下さい。
さらに、もう一つ。もし、同時進行で、世界の何処かで、このアイディアを思いついた方がいらっしゃって、僕がそれを拾っちゃったんだとしたなら(結構、あったみたいで)、こうして書いてしまって、本当にごめんなさい。このケースだとしたなら、たぶん、きっと実用化すると思うので、是非進めて欲しいと切に願う。足を引っ張ってしまったなら、本当に申し訳ない。

以上

訂正→「心霊現象」のページ

おおむね、書き尽くしたと思っていた。師匠の講演会の基本的な部分は、「心霊現象」のページに一通り網羅したと思った。実際、そうなっていると思うけど、間違いを見つけてしまった。

師匠の講演CDを聞き返していたら、新潟県で悪霊の除霊をした話の地名を間違えた。僕は「小千谷市」と書いたけれど、「新発田市」の間違い。
本文も訂正しておきます。

師匠の講演会の場合、ほんの一言に、全体のヒントとか、全体の解釈を真逆にするような「鍵」が盛り込まれていることがあって、そうした意味では、師匠の講演は講演会で全体を聞いて初めて意味があることがある。断片的に取り出して、「全世界に発信」なんて、やっていいのか、いけないのか、少なくとも今は「答え」を持っていない。上に戻って、かつ、時間が経過してみないとわからない、かも知れない。ただ、たぶん「これをやる」と決めて来たと自分では思うし、それで30年以上も、もがいて来た。だから書いた。

整合性を見えやすくするために、意図的に「間違って」いる部分も、私自身気づいているし、講演会の他の会員の方も「あれ?」という部分が数カ所あると思う。私が参加した15年の間にも、師匠ご自身がどんどんスケールアップしているので、時系列的に記憶を辿ると、昔聞いた話題を新しい講演内容で置き換えないと「整合性」が取れなくなる部分がある。視野の広さによって見え方が変わる、という説明が、たぶん正しいのだけれども、私自身の理解が追いついていない。だから表現しきれなかった。
これらの部分については、自分なりに「後で責任を取る」ことになるんだろうと思う。(こうして生きて、肉体を持っている間に責任を取らされる方が、どれほど楽かもしれないけれど。)ただ、大きな間違いではない、と思っています。整合性が取れていないと「いい加減なことを言うな」と突っ込んでくる人たちに反論できない。コンピュータシステムを「安定動作」させるように、全体の「見た目の無矛盾性」を優先した。実際には矛盾ではなく「実は裏から見たらこう見えた」と言う部分が後から追加になっている感じ。各論がどんどん細かくなっているので、理解が追いついていない。

こうした「訂正」ページは、まだ書くかも知れない。ただ、「総論」としては、完結していると自分では考えるので、近いうちにブログは閉じます。(いや、生活再建優先というのが本音。)

「ちどり」50周年

本郷5丁目にある、スナック「ちどり」
この間50周年を迎えて、祝賀会が行われた。小さい店なので、メンバーを入れ替えて3日間に渡って行われた。
みなさんご祝儀を出していたのに、僕は、参加費のみでご祝儀はパス。慢性的超低空飛行。

最近突然に、なんとなくメンタル的に無風状態で、あえて形容すればひどく植物的なメンタルになっている。教壇に立てば普通に話せるけれども、これほどの低空飛行なのに、自分の中での焦りとかが全くない。(困ったものだ。もっと焦らなきゃならない状況なのに。)こんな感じの感覚は、たぶん2度目。
1度目は、専任の大学教員になって3年が過ぎた3月、臨床工学の1期生が卒業を迎えた時に「先生、ありがとうございました」と言ってもらえた時、たぶん生まれて初めて何か、自分にも存在価値があるのかな、というような、カサブタが剥がれたような、不思議な気持ちになった。まさかの「ありがとう」。女子学生だったのは覚えているんだけれども、誰だったかがどうしても出てこない。たったの一言で、得体の知れない、ずっと続いていた焦燥感が消えた。

今は何故なんだろう、と考えてみた。師匠の講演会の「総論」部分を、もしかしたら何とか書き尽くしたような気がして、これから先書き進めるとしたら、後は「各論」だけだろうと思った。各論となったら、別に全世界に向けて知ってもらいたいというよりも、僕自身が(あくまでも、私自身の問題として)上を目指して自分自身が変わるために、考えて行動する、そうした部分だけになる、と思った。誰が何を信じようが、基本的には僕には関係ない。本来は、そういう展開だけのはず、だったんじゃないか、とも思った。だったらもう、書くことはない。
あんな盗聴だとか盗撮だとかに散々悩まされて、生活そのものが何だか崩壊して、それでも、とにかく発信することだけは続けてきた。どんな意味があったんだと思うに、もしあれが、師匠の講演の「総論」を世界に向けて発信できることの伏線というか、代償なんだったとしたら、自分でも十分に納得できる。そして、たぶん、僕自身納得できたんだろうと思う。だから、焦りが消えた。
なんだか、すごく穏やかな気持ちで、すごく植物的になれている、そんな気がする。
自己満足なんだろうとは思うが、これで良かったと思う。僕の30年間に、やっと一区切りがついた、気がする。大きな節目だ。間違っているかも知れない、実は何も結果を出せていないのかも知れない、でも、出来ることは、もうやった気になれた。

再三書いているが、僕はWEBに書いた内容について、「著作権」を主張するつもりは全くない。たぶん、このページも、近いうちに消して、仮に継続しても、純粋に自分の仕事関係の話題だけに変える。このページは消すけれども、「当時」は僕が部屋の中で広告紙の裏にボールペンで書き殴った文章ですら表に出ていたのだから、どこかにコピーだの記録だのは残るんだろうと思う。それで十分。著作権主張する気がないから、パロディを書かれても、文句は言わない。そのままの形なら、完コピを転載されても構わない。ただ、僕には何も出来ないけれども、師匠をけなす内容は書かない方がいいと思う。僕を弄るのは(慣れてもいるし)全然構わないというか、オチョくられるのが僕ならば、たぶん、何も起きない。
とにかく、終わったんだ、という気持ちになれた。長かった。「書け、書き続けろ」というプレッシャーが何もない。ということは、おそらく、それほど間違ったことを書いた訳でもなく、完結してもいいんだろう、と感じている。終わった。

1996年頃だったか、1997年になっていたか、本郷5丁目にある大学で学位論文を書くために「研究生」の身分で足を運んでいた頃の話。最初は赤門前にあるお店でランチを食べるつもりが、電車がちょっと遅れて、ランチの時間には間に合わないことになった。ダメだなと思ったら、ふと「ランチ500円」の張り紙が目に入り、怪しい路地裏にある居酒屋にたどり着いた。
腹が減っていたので、店の佇まいは一切気にせずに、入って、ランチを食べた。どうみても居酒屋だから、たぶん夜もやってるんだろうと思いつつ、「このお店、夜も営業してますか」とマスターに聞いた。それが、スナック「ちどり」に通い始めるきっかけになった。もしかしたら、マスターとの最初の会話はこれだったかも知れない。

あの頃のメンタルは、かなり危なっこしくて、慢性的に切れそうな精神状況で、自分でも何故、何のために、こんな生活をしているのか、全くわからなかった。ところが、この「ちどり」の常連さんたち、会社の社長さんはいるし、大学の先生方もいるし、私のような自営業もいるし、自信を持って生きているような方々ばかりで、話がとにかく面白い。何かと口を突っ込みたい私は、話題に横からくちばしを挟むのだけれど、見事なくらいに切り返してくる。噛み合えば、卓球の高速ラリーみたいな会話が楽しめた。地理学とか、農業経済、日本文学、人類学、薬学もいたな、厚生省もいたっけ。近くに医療機器メーカーが多かったから、医療機器関係の開発の人もいた。随分と通った。あの時期、あのお店に通っていなかったら、もしかしたら、2001年だったか、2002年だったか、本気で壊れた後に元に戻れなかったかも知れない。
1998年、学位論文を書き上げて、審査も通った。「博士(工学)」の学位をいただけた。そんなこと出来るようなメンタルではなかったけれども、結構雰囲気とか勢いをもらったのは、間違いなく、あの店だった。だから、あの大学の学位論文なのに、謝辞には「スナックちどりの常連の皆様」という一言が入っている。無論、予備審査で突っ込まれたけれども、押し通した。そうしたら、マスターから後で文句を言われた。書くんだったら、「スナックちどりのマスター及び常連の皆様」じゃねぇのか?まぁ、確かに。どうも気付きませんですみません。だけど、国会図書館にもコピーが残るんだぞ、文句言うな、なんて会話を何回交わしたか。
ボロボロで大酒を飲んでいた頃だったけれども、50周年の時にどなたかがおっしゃった「思えば、酒を飲みに通うというよりも、マスターに会いに通っていたのかも知れない。」と、その感じは、確かにあったと思う。(いや、でもやっぱり、常連さんたちの方が・・・)
マスターのお母さんが始めた店から、昔の店は「終戦直後」の雰囲気だったのが、いつの間にか、綺麗なマンションの地下に入った。マスターが店を引き継いでから50年だから、大したものだと思う。よく潰れずに・・・。なんてことをしょっちゅう言っていたのだが、コアなファンは多い。

2003年に親父が亡くなり、「カタギの仕事に就け」との親父との約束で、2004年から学校の専任教員になった。その頃も、週に1日、千葉から東小金井に通う際に途中下車してよく寄っていた。
大学の専任教員を辞めてからは、かなり足が遠のいている。50周年で、1年ぶりか、2年ぶりの来店、だったけれども、帰り際にマスターに言われた。
「マスター、今日はご祝儀なしで、ごめんなさい。会費だけで。」そうしたら、「お、テメェ、いつかは必ず、ご祝儀持って来いよ。俺の店だって、みんなから、潰れる潰れるとか言われながら、今日は50周年だぞ。」
僕は、滅多なことじゃ泣きませんが、そしてやっぱり、泣きませんでしたが・・・でも、嬉しかった。その嬉しさが、今になってじわじわとこみ上げてきている。
余談ながら、僕が最後に、嬉しくて号泣したのは23年前、右翼系の「彼」の頼みごとを日本大使館の知人にお願いしたら、あっさりと「自分でやれ」と断られて、途方にくれたことがあった。その時に、隊員としての任務外の手伝いの仕事で接点のあったスリランカ人のB.D.さんという人を思い出し、FAXでHELPを流した。そうしたら、大丈夫だよ、パプアニューギニアの首相府に直接話を通すよ、と、すぐにFAXで返事をくれた。読んで涙が止まらなくなった。そして実際に日本大使館を一切通さずに、直接「彼」の寄付をニューギニア政府に行い、「首相名の感謝状」を出してくれた。僕は、それを頼んできた右翼系の「彼」に渡した。(それなのに、「彼」には、クソミソに悪口を書かれた雑誌をバラ撒かれたけど。)今回は無理かも知れないけど、来世か、いつかきっと、スリランカの方々に、出来ることをしたいと、強く思っている。上に持ち帰ります。たぶん。忘れなければ。
今回のマスターの一言も、B.D.さんの一言に匹敵するかも知れない。だって、「あの店」が50年も続いたんだぜ!

師匠の講演会で、「お酒は魂を酔わせるから、やめた方がいい」と言われている。定時になると飲みたくて仕方ないのは、「お憑きの方」にカモにされているらしく、「この人に憑依すれば、酒を飲んでいい気分になれる」という浮遊霊が、盛り場には大勢いるみたいで・・・
ちどりに通い始めた頃は、随分と荒っぽい飲み方もしていた。生き方もグシャグシャだった。特に、たぶん2001年か2002年、ある時に、メンタル的にも完全崩壊して、酒が抜けると不安とか苛立ちとかに押し潰されて、ひたすら飲み続けていた時期が1年は続いた。いいトシをしたオッサンが、東武東上線で地ベタリアンをやってた。「黒歴史」ですけどね、隠しません。ひどい話や情けない話は、もっとあるけど、さすがにこれだけに留めておく。親父やお袋にも、相当に心配をかけたんだろうと思う。僕自身の生活の立て直しも見届けずに、親父は死んだ。お袋もその2年後に死んだ。僕が師匠の講演会に通い始めたのは、その頃だった。

親父やお袋、僕が書いた内容とかを見て、今、安心してくれているかどうかは、わからないけれども、きっと自己満足なんだろうけれども、これだけは書いたよと、報告したい。一旦立て直した生活が、今はまた低空飛行だけれども、あとはマイペースでやります。

まず、生活というか仕事を立て直す。WEBへの書き込みは、もうなくなると思うけど、よくわからない。何か言いたくて仕方なくなったら、今後はWEBに書かずに、ちどりまでマスターに会いに、ターちゃんに会いに行くかも知れない。僕が言いたい放題で騒いでも迷惑にならないのは、たぶん、あの店だけ、のような気もするし。言いたいことを吐き出さないと、きっと僕はおかしくなる。そう言えば、非常勤の学校では、内村先生とかもいらっしゃるし・・・もうWEBに書いて吐き出さなくても、大丈夫かな。

もう「全世界に向けて何かを発信する」なんていう疲れることは、卒業する。今ならやめても「書きっぱなしで、言いたい放題言っておいて、逃げるな」なんてことを、思われてはいない、そんな気がすごくしている。
(なんて宣言しておきながら、また続きがあったりして。俺のことだから、有り得るかも。でも、疲れた。)

30年前に僕が書いた文章を知っている人は、限られているだろうな。でも、あの頃のは「単なる伏線」だから、本命はやはり師匠の講演会に参加して、やっと自分の中で「腑に落ちて」からの書き込みです。最近読んで下さるようになった方々も含めて、(こんな、やたらと一つ一つが長いページを)お読み下さって、本当に、ありがとうございました。ただ、「師匠の講演会」について僕が考え抜いて書いた部分は、知っておいても損はない状態になっていると思います。そうした意味では、決してご迷惑をお掛けしたとは、考えていません。これからの僕は、生涯現役のプログラマに専念して、ブロガーは卒業します。

消すタイミングは、サーバの更新が済んだ時、かな。ということは、当面この「残骸」は残ると思うけど。

読んで下さった方々の、ご健勝をお祈りします。

外国人受け容れ

なんだか、国会で揉めてるのか?法制化

うちの自治会、しばらく前にアパートに住む外国人とのトラブルで、「話し合いの機会を持ちましょう」という企画をさせていただいた。国籍は書きません。残念ながら僕は、その国の言葉の通訳はできない。受け入れ企業の担当者の方に、大家さんから連絡をつけてもらって、その企業の担当者の方に通訳を引き受けていただく前提で、「懇親会」という形式で話し合いの場を持てるように、設定した。
この辺は、僕自身が「外国人」として海外に居住した経験で、住みやすさがなんたるものかは、かなり理解しているつもり。参加者(相手側企業の方、大家さん、その外国人の住人)への手土産は、小川町だったら(僕個人の好みで)小松屋さんの和菓子かなぁ、とか、お忙しい中、一旦は参加に承諾してくれた企業の方への「お車代」はどうしましょうかと、区長や相談役に相談させていただいたり、なんとか「懇親会」ができれば、と思っていたけれども、外国人受け入れ企業の担当者の方のドタキャンで、そのまま「企画の自然消滅」になるのかなぁ・・・多分、このまま立ち消えるでしょうね。
ただ、住民側から申し入れ事項があることが、この地域に住んでいるその外国人の若者たちに伝ったならば、それで当初の目的の半分は達成したかな、と思う。それで十分。

トラブルというのは、夜中の騒音と、ゴミ出しのルールだった。グーグル先生のお陰もあって、その国の言葉の「ゴミ出しルール」の張り紙は作成した。角を立てないためのチャフとして、日本語、英語の張り紙も用意した上で、その国の言葉で張り紙を作った。実は、彼ら、英語はほとんど通じないらしい。一度だけ夜中にゴミ出ししていた彼らに、英語で話しかけてゴミ出しルールを説明したんだけれども、通じていなかったと思う。自治会費の徴収で、大家さんとお話しさせていただいたことがあったので、大家さんからどこの国の人かは聞いていたから、その国の言葉で張り紙を作ったけれども、一般論としては用意しきれない。だってもう、どこの国の人が来るのかわからないから、町に頼もうって言ったって、そんなにすぐに「担当者」は張り付けられないだろうし、自治会でやるしかないでしょうね。幸いなことに、大家さんがアパートのメンテで見えた際に、騒音を訴えていたこの地域の住民の方とお話しされたらしくて、なんらかの注意は伝わったんだろうと思う。今の所、波風は立っていなくて、とりあえず、良かったと思う。

今日、テレビで報道ステーションを見ていたら、この辺の話題を取り上げていた。このゴミ出しで揉めた時期に、ちょうどニュースで「幼女殺害」のニュースが流れていて、おそらく、PTAとかが若干ピリピリしていた時期だったんだろう、ということも重なって、住民不安が漠然と高まっていた気がする。
張り紙を出した直後、うちの近くのゴミ置場は、我が家のすぐ隣なので、ゴミ出しに来たご近所の奥様方の話し声が聞こえてきた。「怖いわよねぇ」と。言葉が通じない人が住んでいる、という不安は、今後もう、なくなることはないと思う。英語が話せれば意思疎通できる、というのも完全なる錯覚。
アジア系の言語は、古くから独自の文字を持っている言語が多い。独自の文字がある、ということは、教育に英語などの欧州系言語を導入する必要がない、ということを意味する。一般論として、アジア人は英語などが苦手な人が多い、と私は感じる。日本に来る人の場合には、英語よりもむしろ日本語の方が通じやすい傾向がある、とも思う。例えば、国連の公用語になっているのは、アジア系の言語では中国語とアラビア語だけ。6つある公用語の残りは、英語、フランス語、スペイン語、ロシア語。で、日本の教育では英語に重点を置いているけれども、残りのアジア系言語の中国語やアラビア語で、普通に意思疎通できる日本人が、どれほどいるか、ということになるんじゃなかろうか。多言語に日本人の側が対応しきれない、としたなら、結論として、日本に来る外国人の方は、とにかく日本語を習得して来て欲しい、ということになると思う。(こうして、WEBページを日本語で書いていても、これが外国語の翻訳される、というのは、Google先生のおかげかな。)

テレビを見ていて、感じた。外国人労働者への「使い捨て感」って、あるよなぁと、思った。トランプの白人至上主義は、アッケラカンと、明け透けに見えている。ところが、日本人の、日本にいる限りは日本人至上主義だぞ、というのは、かなり陰にこもっていて、目立たない。目立たないけれども、日本に来て仕事などで住んでいる外国人の多くが、感じ取っているんじゃないか、と思う。加えて、特に自民党政権の政府の考え方は、露骨に「日本人至上主義」がバックボーンに貫かれている。日本人の雇用を守りつつ、労働力不足を補うなら、使い捨ての外国人を受け入れるしかない。見え見えの政策だとも思う。
それを追求する野党。この「日本人至上主義」については、一切突っ込んでいない気がした。この発想については、同じ穴のムジナだと感じる。それは、「永住政策」だとか「移民受け入れ」だとか、さらに言えば「難民受け入れ」に関しても、与党も野党も、完全に「日本人至上主義」で一枚岩だと私は感じる。
そして、日本に住むことになった人に、いかに「人間の尊厳、法の下の平等、生命身体の安全」を確保するか、についても、全く考えていない気がする。おっと、与党が「人間の尊厳」なんて全く気にしていない点についてだけは、日本人に対しても同じか。それはさておき。

日本で受け入れた外国人に対する日本語教育、生活支援についての政策提言は、野党にとっては論戦の看板にできないか、と思う。期待したい。
なんだか、安倍総理の顔を見てると、つい「天上天下、唯我独尊」という言葉を思い浮かべてしまうんだわ。なんでだろう、なんでだろう、なんで、なんでだろう。

唐突に、ここで師匠の講演会の話題を差し込む。この「天上天下唯我独尊」は、大川隆法氏の前世、釈迦が発した言葉とされていて、実際にこの言葉をおっしゃったらしい。ただし、その意味は曲解されている、という話題は、前にも一度だけ書いたような気がする。一般的な解釈は、「この全宇宙の中で、尊いのはただ私だけだ」というものだけれども、この言葉を発された時の真意は、「この全宇宙の中で、ただ自分だけは何があっても尊びなさい」というニュアンスだった、と私は理解する。自分を大切にする、ということは、自分自身の魂を汚さないということ。すなわち、どんな状況でも、愛を以って、いや、仏教用語の場合には慈悲だったか、慈悲を以って相手に接しなさい、と、本来的にはそういう「教え」だった、と私は理解している。この釈迦の言葉も、今では原型を留めない形で伝わっているんだろうか。わからんけど。以上、師匠の講演会の受け売り、終わり。念のために書くならば、この段落以外は、すべて私自身の言葉です。もしかしたら、師匠は講演会で、僕の理解が間違っていたと伝えてくれるような内容を話されるかも知れない。その時は、その時で、また、このページを訂正するようなアップをする、と思います。

その、安倍総理の顔を見ていて「天上天下唯我独尊」から思い浮かべるのは、そもそもが、日本人に対してすら、個人の尊厳なんて対して重要だと考えてはいない、アメリカとか大企業とか、あるいは自身の古い友人とか、そういうところの顔色しか見ていない、そんな印象は受ける。当然のことながら、外国人なんて、「日本人至上主義」から考えたなら、「なんで、日本人の税金を使って、外国人の生活支援をしてやらにゃならんのだ」という心の声が、聞こえてくるような気すらする。企業の都合で、労働力補充のためにヒトを受け入れるのならば、最低限でも、日本人と同様の対応は、必要なんじゃなかろうか。
「うるさい、文句あるか、日本人に対してだって、この程度の尊厳しか認めていないんだから、この程度の扱いしかしなくたって、十分平等だろう」って、もしかしたら、言いたいかな?この間、国会のテレビ中継をチラッと見たときに、麻生さんの顔を見て、なんか、こんなセリフが思い浮かんだ。いや、ご本人、明示的にはこんな言葉を考えてはいらっしゃらないだろうけれども、深層心理には、このセリフお持ちじゃありませんか、なんて気がした。

与党に考え直してもらわないと、受け入れ側の自治体も、自治会も、大変だと思う。

タイ語は、高校時代の友人が何人もいる。東京学芸大学附属高校は、タイ国からの国家留学生を受け入れていた。かなり忘れかけているけれども、あのタイ文字の読み方も、簡単な日常会話も、2〜3週間おさらいしたら、思い出せる気がする。ビルマ語(ミャンマー語)は、かつて部下に一人いて、それなりに言葉を覚えようと試みて、その記憶の残骸がまだ残っている。インドネシア語は、パプアニューギニアにいた頃、国境と近かったお陰もあり、多少聞きかじった上で、任国外旅行で3週間ぶらついた時に、だいぶ覚えた。かなり忘れたけど。ただ、あの時は、道を歩いていて、インドネシア語で道を聞かれて、「ごめん、僕はこの土地の人間じゃないから」とインドネシア語で答えて、じゃぁね、と別れるまで、相手は僕をインドネシア人だと信じて疑わなかった気がする、そんな出来事もあった。もう、その会話でどんな表現をしたか、思い出せないけれども、呼び水があればたぶん、数週間で思い出せる気がする。ということは、今回自治会で受け入れた外国人は、その三カ国のいずれの国の人でもない、ということになりますね。余談ながら、タガログはピジン語とインドネシア語を知っていると似た表現が多いから、勉強には時間がかからないとも思うが、タガログでもない。こうして書いちゃうと、伏せてはいても、かなり絞り込めそうだ。こういうのは、データベースからデータを盗むためのテクニックを応用すると、結構簡単に足が付くかも。こうやって書いちゃったこと、って、個人情報漏洩に該当しちゃうのかな?すみませんけど、よく知らない人の個人情報なんて、国籍しか漏らしようがない。

僕にしても、松尾くんにしても、青年海外協力隊OBを舐めんなよ、っていうか、海外でソフト開発をする、なんて仕事を任せてもらえたら、どんな国に行ったって、それなりに成果を出せると思うのに、アピールが足りないのかなぁ。なんだか仕事が噛み合わない。実は、自分で思っているほど、世間からの評価に耐えるだけの能力がない、なんてのが、真実なんだろうか。もう、先はそんなに長くはなさそうだから、今更何をどうアピールしても、もう遅いんじゃないか、なんて気もするけど。いや、僕の場合最大の問題は、モチベーションの持続力なのかなぁ。何をどう頑張ったって、クソミソにけなされるばっかり、みたいなので、急速に萎える。ガキの頃から、全然成長できない。還暦間際だ、ってのに。
忘れてた。そんな外国語を覚えるよりも先に、Swift(Mac OSの新言語)を覚えて、マスターする方が、サバイバルには優先度大だったかも。もう、覚えることが多すぎて、追いつかない。

って、なんの話でしたっけ?主題がわからなくなった。ダメですね、こうやって、自慰行為のごとく、ひたすら書き続けるのって、なんだか虚しい。
そんな虚しさは脇にのけて、明日も非常勤の授業やら、自治会の手配やら、淡々と、黙々と、頑張ります。私の自慰行為みたいなページを読ませてしまったみなさま、本当にごめんなさい。
終わり。

思想・信教の自由

自治会の総会でも、ちょっと面倒な話題が出たことがある。
いわゆる氏神様。地元の神社が例大祭の資金を氏子(地区住民)に求めてくる。慣習として。
以前はそれを、隣組の組長が一軒・一軒を回って集めた。かなり面倒くさい。その手間を省くために、自治会費の中から「氏子拠出金」として予算を組んで支払えるように、自治会規約を改定して、隣組長が集金に一軒・一軒回らなくても済むようにした。(僕が会計になった時には、もう、そうなっていた。まさか、親父か?仕掛けたの。)

そうしたら、当然のことながら住民には、キリスト教徒もいるし、特に学校関係の方は「宗教」的な話題には敏感だから、「自治会が、あたかも地元住人が全員神道に帰依しているような、氏子負担金の拠出というのは、憲法に定める思想・信教の自由に反しませんかね?」という指摘を、自治会総会で、して来た。
それは、前自治会長(地区の区長)が織り込み済み。(さすが、と思った。)
「そういう、拠出には反対される方もいらっしゃるはずなので、全世帯の軒数ではなく、(正月に、初詣に神社に足を運んだり、隣組長が集金に回った際に、負担金を支払った軒数の過去の実績から)軒数を設定して、全世帯ということではなく、あくまでも、隣組長になった方の負担軽減という視点で、一定比率を掛けて、それで支払っています。」という、そういう応対だったかな。(厳密に言えば、この回答だけでは、突っ込みどころはあるけれども、あえて、突っ込める論点は書かない。)
突っ込まれた時のために、ちょっと考えた。いや、別に神社だけが特別扱いじゃないと思うから、もしキリスト教会とか、お寺が金払えって言ってきたら、その時は会計の僕が応対しますが、一円も払わないとは言わない。
計数工学的な対応というか、社会慣習に照らし合わせてというか、諸事情を勘案して、神社と同レベルの扱いで、だいたい地区全体で2000円から4000円の範囲でなら、規約上も会計の権限で対応可能だと思うから、区長とも相談して支出するので、その金を受け取ったら、二度とごちゃごちゃ言うな、という対応をするだろうな、というシミュレーションをしてみた。
すみませんね、乞食扱いして。いや、神社を乞食扱いしていないとは、言わないとも言えなくもないとは言い切れないと言うか、やはり言えなくもないのか、言えないのか、よくわからんけど。(僕の本音?あ、もう書いた。)

宗教って、本当に神の教えなの?というのが、師匠の講演会の別主題でもあるように自分は考える。そんな行きがかり上、どうも私は、既存の宗教に、喧嘩をふっかけてしまったような気もするが、読み返す限り、というか、書いた内容を記憶で反芻する限り、やっぱり喧嘩を売ってますね。どうも、ごめんなさい。越権行為、だろうな、と思います。

何をどう信じようが、それはその人の勝手。横から口を出す話題じゃない。ただ、もし、死んだ後の魂(磁場を伴う意識を持ったエネルギー体)が、多次元空間でどのような推移を辿るか、その現実に起きている事象と大きく食い違う内容が「教え」として多くの人に信じ込まれているならば、やはり、結果は見えている気がした。
最後は、何を信じるかに行き着くけれども、厳然として起きることは、すべてのヒトに共通に起きるだろうな、と思う。僕は、あらゆる宗教の信者に、「解剖学の知識」が当てはまると思っているし、今はまだ証明出来ていないだけで、これは自然科学の話題だと思っている。だから、そういう書き方をしている。
磁場って言ったって、そもそも心磁図や脳磁図のレベルがピコテスラのオーダーで、SQUID磁束計の検出限界ギリギリなんだから、霊体の発する磁場の証明なんて、今はやりようがないでしょ、と思う。動物の神経に直結できる有機磁性体の発見がなければ、無理だと思う。

宗教関係者の方々、そんなこと考えてないだろうな。「これをやっていれば、天国に行けます。」その「これ」のハードルがどんどんと下がっていって、懺悔すれば罪は消えます、とか、イエス(様)を信じているといえば、それだけで救われます、とか、メッカの方角に(やめておこう)・・・とか。「だから、お金を払ってね。」の方が本音?知らんけど。
キリスト教に関して言えば、聖書に書かれているのは、ほぼ全編が弟子の言葉じゃないのか、イエス(様)は絶対そんなこと言ってないはずだ、なんてのが満載。今回ばかりは、この部分に、あえて、師匠の講演内容の引用はしない。合理的に否定はできるけれども、証明ができないから。
それに、僕は、師匠と違って「検知能力」がゼロだから、これ以上は書きようがない。

聖書が編纂されたのは、4世紀くらいでしたっけか?その時点で既に、イエスが伝えたほとんどの言葉は、原型を留めなくなった。どういう生き方をすべきか、という部分が、どれほど原型のまま残っているのか。仏教やその亜種に喧嘩を売るのは、もうやめておく。釈迦=大川隆法氏が再誕してやるべきだったことが、どうなったんだか、集金組織を作って、何をするつもりだったんだか。結局、信じたければ、勝手にどうぞ、ということのような気がする。そんな生き方していたって、「進化」は出来ませんよ、と思う。同時に、何も信じずに、どんな生き方をしていても、大半の人がまた「天国」には戻れますよ、とも思う。おかしなことを信じこむよりも、何も信じない方が、まだマシなのか。信じて欲しいのは、ただ一つで、神は実在するということと、ヒトの実体は魂だ、という、ただそれだけだと、自分は考える。後は全部、各論。総論は、これだけ。(各論も、かなり大事だと思いますが。)

結局、「信教の自由」というよりも、「思想の自由」の方なんだろうな、と、自分は理解する。何を考えるか、神はすべてのヒトに「自由」を与えた。ただし、その結果はすべて本人が背負うことになる。こんな単純な話はない。だから、どんな「思想」を持とうが、それは本人の自由だ。その思想によって、結果も決まる。平等だ。そして僕は、そうした宗教には「その思想は、間違っていないか」と言いたいだけ。これは僕にも与えられた「思想の自由」だ、と主張しておく。

あらゆる「宗教」が、神の教えじゃなくて「思想」になってしまった。と、ある方がおっしゃった。「ある方」って、どなただよ、ってそんなのは、もう僕は散々書いたし、このページでも途中で書いてる。一応、理由があって、このページでは「どなた」の一言かは書かない。
喧嘩を売っているのは、僕ですから。矢面に立つ腹は、出来てます。僕を殺したければ、ご自由にどうぞ、と言いつつ、どうやら、そんな単純な話じゃなさそうだ。
改めて、落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。

なんだかなぁ・・・トランプに、滅茶苦茶、感化された気がする。書いたものを読み返したら、きっと、(この言葉遣いに)哀しくなる気がしてきた。

終わり。

本当に、嘘が多い。でも、インターネットの時代になって、会社なんかの「組織ぐるみ」は通じにくくなったのかな。いい傾向だと思いますけど。二択か。採用基準に「上司の命令なら平然と嘘をつける」というのを加えるか、そういう採用試験をしないなら、嘘のない仕事をさせるか。

昔のネタもありそう。「口封じ」なんてのやっちゃった当事者の遺品から、何かすごいのが出て来ちゃって、子供や孫が公表するケース。いや、公表は正解だと僕は思う。その人の名誉のために。っていうか、気がかりで自縛してたりするかも知れない。組織のトップが「嘘で固められる」と信じてたりなんかすると、下にいてたまったもんじゃない。そういうのは、公表してあげた方が、身内の「当事者」は、きっと安心できると思う。「墓場にまで持っていく」なんていう表現があるけれども、墓場の先を考えたことがないんだろうな。その「墓場の先」のためにも。

企業だけじゃない、あらゆる状況で、嘘がつきにくくなってるみたいで。盗聴・盗撮?僕はもう、免疫できてますけど、今時、小さいし、安いし、簡単だし、防御に金をかけるよりも、嘘をつかない方が楽、って思う。

そうは言いつつ、研究とか開発、新製品の企画、なんてのは、大変かも。こちらは僕も、免疫できてない。僕が仕事できなくなった理由の一つは、これ。目新しいことをやらないなら、全然関係ない、ってことは、もう俺には関係ないな。

「組織を守るために嘘をつく」って、嘘をついた時点で、全然守ったことになってないじゃんか。わかってないなぁ、って思う。加えて言えば、嘘に最も縁遠いと思われている組織・集団ほど、嘘が多い、みたい。

凹面鏡

アメリカが敵視している国が、ことごとく凹面鏡に化している、そんな気がする。
アメリカのノンバンクの住宅ローン、サブプライムローン?でしたっけか?きちんと見てないので用語を正確に使っているか自信がないけれども、かなり危険な水準に来ているらしい、と何かで見た。(たぶん、テレビだ。いつ見たか忘れた。)

アメリカは、肝心なことに気付いていない。関税の応酬とかで、物価が上昇したり、経済的なダメージが広がって来た時、国民が「貧乏慣れ」していない国はどちらなんだろうか。特に、共産主義だとか、宗教指導者が強力に指導している国、などでは「経済的な困窮」がそのまま政府批判にはつながりにくい、いや、政府批判が出たとしても、アメリカで失業者が急増した場合と比べて、どうなんだろうか。

イランや北朝鮮に「核の完全廃棄」を迫る一方で、ロシアとの中距離核弾頭削減の条約(だったかな)からも一方的な離脱。あれこれ、つなぎ合わせてみてみると、アメリカが単独で軍事力を突出させる覇権主義の復活、に見える。ここに経済戦争が絡みついてくるから、ロシア、中国の当惑ばかりでなく、日本以外のアメリカとの同盟国、EUとかオーストラリアとかにも、不安はないんだろうか?

アメリカは明らかにバランスを欠いている、と私も思う。一旦アメリカが破綻すると、かなりのダメージは広がるかも知れないが、そもそもがアメリカは「自国経済」を海外と切り離そうとしているのだから、むしろ、そこに便乗して、TPPとか日欧とか、アメリカに依存しない経済、TPPなどに軸足を移すべきじゃなかろうか。距離感が難しいかも知れないけれども、中国やロシアとも連携は不可欠かも知れない。
アメリカ頼り、中国頼りから切り離すとしたなら、経済のドグマを「規模」から「安定性」に切り替えるべきだ、と個人的には思う。TPPみたいな「自由貿易協定」に、上限規制みたいな安全装置は設けられないのかな?双方のために?

イギリスやブラジルが、やはり「自国第一主義」に振れて、イギリスはEUから離脱する。日本はアメリカの「覇権主義」とは距離は置いて、対北朝鮮関係も、中国やロシアに近づくというのも選択肢の一つじゃないか、という気がする。インドやタイ、ベトナム、オーストラリアなどと信頼関係をしっかりと固めて、注意深く中国やロシアと距離を詰め、いざアメリカが「軍事的覇権主義のコスト負担増加」を日本に求めて来た時に、もしその時にアメリカの現在の経済政策が破綻していたら、一気にそこで「超大国不在」の世界に、一気に世界を流動化させて(させて、というよりも、そうなってしまう気がするが、)核軍縮(そろそろ「核の傘」を抜け出した上で、北朝鮮やイランに「核の完全放棄」を主張すべき)や、アメリカだけに頼っている安全保障を転換する、という流れは作れないか、と思う。
もしかしたら、安倍総理は、トランプが「軍事コストを同盟国に大幅負担増させる」と言い出し、どれだけその「負担増」を上げて来ても、黙って応じて、頑なに「アメリカの傘の下」から出ようとしない、そんな気もする。そもそも、アメリカの傘の下にいる限り、沖縄の基地負担の軽減などあり得ない、そうわかっていて、アメリカべったりを続けている。やっていることと、「沖縄に寄り添う」などと言っていることが、真逆だと思う。

そう考えてくると、もしかしたら、今回のアメリカ中間選挙は、共和党の圧勝で、トランプにやりたい放題させて、とても心中する気にはなれない状態のアメリカになってもらう、というのが、中長期的な日本の将来を考える上では最適解じゃないか、という気がした。民主党にとっても、すべての責任を共和党に押し付けられるから、いいんじゃなかろうか。一度極端に振れないと、わからないんじゃないか、という気がする。
右傾化する世界をハーメルンの笛よろしく、トランプが引っ張っていってくれることに期待したい。

今、野党の誰に期待できるかって、野田さんは今無所属かぁ。野党連合の中心に必要なのは、スーパー実務型の官僚出身者、だったりするかも知れない。そうでないと、野党連合が野合にしかならない、気がする。

すごい時代になりましたね。ここに、南米とかアフリカが絡んで来て、国内の超高齢化とか待機児童とか絡んで来たら、もはや、イデオロギーを看板にする政党には何も期待できない、そんな気もする。これが、インターネット社会の到来、かな。自民党は、実務型が目立つため、ドグマが見えにくいだけ、の、ような気がする。だから怖い。

折衷案

黒田治さんだったかな、Nack 5の。
確か、新年号のニュースで、こんなことを言ってたのを、ふと、唐突に思い出した。「平成になった時のように、即位後に新年号を公表する案を推す委員の方もいた。」と。

あ、これ、いいかも、と思った。何故ならば、もし「事前に準備できる」となると、期限までに間に合わそうとして、「お前ら、間に合うように仕事しろ」とかなってSEとかプログラマとかが地獄を見る。必死の仕事に追いまくられて、中には本当に死ぬ人も出てくるかも。
だけれど、一斉に日本中が「新元号」を知るのが即位後ということになるならば、だってもう、みんなが「期限外」で「絶対的な期限」なんて存在しないから、どうせ間に合っていないんだし、できるペースでやろうよ、ってな感じになるかも。そうしたら、「適当に急いでね」みたいな感じで、死ぬ思いで「期限」に間に合わせるように追いまくられるような仕事とは、ちょっと雰囲気が違うんじゃないかと、思った。
だって、運転免許証の有効期限が「平成35年」だもの。5年くらいのうちに、なんとかシステム改修が終わればいいよ、なんて、なりませんかね?
さらに、「そう言えば」だけれども、バブル期の100年モーゲージの返済明細の写真、35年くらい前に、日経ビジネスか何かで見かけたのを思い出した。完済が「昭和 158 年」とか(細かい数字は忘れたけど)なってた。昭和 158 年、って、ちょっとあんた、って感じでしたけど、あの書類、一応平成になっても有効だったんだろうなぁ。それなら別に、システム改修しなくたっていいじゃんか・・・
とは、ならないか。

加えて言えば、「出来るだけ早く仕上げろ」とか、「うちの仕事を先に片付けてくれ」みたいに言われても「そうですねぇ、よそ様よりも先にお宅の仕事をやれ、っていうことなら、ちょっとばかし金額を・・・」みたいな感じになりませんかね?むしろ、システムを改修する側が主導権を握れたりなんかして。あれ、これって、もしかしたらいいじゃん、なんて思った。この、「即位後に新元号を公表」なんて話、もしかしたら、最適解かも知れない、なんて思った。

すみません、楽観的というか、能天気で。

Version Wrapper

Mac OSが、OS X Mojaveになった。Version 10.14

安定を望むなら、バージョンアップしないのが一番。だけれども、仕事の上で、最新環境でないと何かと困るので、Mojaveにアップした。そうしたら、案の定、MarkDownのエディタは突然落ちるし、今日、教材を書いていたらpygameが固まった。pygameのサイトで見たら、インストール方法が変わっていて、それに従ったらすんなり片付いたけれども。Mac OS, Python, pygame, 三つ巴のバージョン調整なのか。

Railsで自動合成されるコードで、継承元のスーパークラスにrailsのバージョン番号が入るようになっている。rails 5からかな。どのバージョンのクラスを使うかの明示宣言。もしこれで動作が保証されるなら、これは、かなりいいアイディアだと思った。

OSなどのシステムが更新された時に、以前だったらOSが変わるたびにアプリも再コンパイルし直さないと、動かなくなって、大騒ぎでライブラリを更新して、システムコールのパラメータの見直しをしなけりゃならない、とか、やってた。その反省からか、Windowsなんかは上位互換保証に相当に気を使ってくれていたんだろうけれども、上位互換が犠牲にしているのは、セキュリティホールなんだろうという気がする。

思うに、Mac OSでもAndroidでも開発キットの更新があるはずだけれども、システムコールの部分に、「現在開発しているバージョン」をパラメータとして増やして、あるいは、アプリ単位で一括指定できるようにして、システムコールにアプリ側のバージョン番号が伝わるようにできないか?不可避な場合を除いて、Argumentの個数とか順番とか、それが変わっても、例えば「過去5世代」については、「下位からの互換を保証します」的に、旧バージョンにも対応できるような、マルチバージョンのOSのWrapperは作れないものかな、と思った。

こういうのが出来てくれると、アプリ屋にとっては嬉しいと思う。カーネルのバージョン、OSのバージョンが変わるごとに作り変えをしなくて済む。例えば、過去5世代ならば、適応修正のサイクルが5倍に延びて、その「過去と向き合い、未来に対応する」だけのための開発時間の浪費が5分の一に減らせる。ユーザにとっても、しばらくの間はアプリが「落ちずに」動いてくれるので、そして、流石に5世代見ておけば、どこかのタイミングでアプリ側も上位互換対応する時間的な猶予が取れて、こうしたOSのバージョンアップを、アプリが落ちる心配をせずにできるので、とてもありがたい気がする。

Androidにそうした仕掛けがあるのかどうかは、調べていませんが、Mac OSに関して言えば、特にオープンソースの開発屋向けのツールが、結構あちこちで落ちた。有用なアイディアかどうかは、現役世代の若手のSEの皆さんに、託します。(あ、お金は要りません。笑)


全く関係ないが、「新元号」の公表が2ヶ月前だと、改めて発表されたらしい。だとしたなら、例えば戸籍なんかも含めた「公文書」も、コンピュータシステムを行政が利用している限り、「西暦だけでも構わない、あるいは、平成34年とかいう数字が表記されても、有効な公文書とする」、というような、行政側からの保証がなければ、システム屋が大騒ぎになる、と思った。速攻で成立させろ、と思う。

「修正は無理です」という現場からの主張を、上に届かせるメカニズムがなけりゃ、結構な数のSEやプログラマが、死んだりおかしくなったりすると思った。下手人は与党の政治家だ。SEやプログラマを雇っている会社の皆さん、損害賠償請求(避けられるリスクを、一切顧みずに、悲鳴を黙殺した、という趣旨の主張)をして、死んだSE/プログラマ一人当たりどんなに少なくとも1億円くらい、鬱になったSE/プログラマには最低でも3千万円くらいは、国から奪い取れるように、今から準備しておきましょうね。
大事なことは、今、「そんな直前の公表だと、システム改修の対応が追いつかないから、業界として大変な騒ぎになります。現場のSEやプログラマが死ぬかも知れません。それを承知の上で、新元号の公表時期を遅らせるんですね。」と、業界団体からの申し入れを、政府や与党に送りつけるか、直談判しておくこと、じゃないかな、と思う。こうした伏線を張っておけば、いざ、SEやプログラマが死んだ時に、国からの賠償金を取りやすい。僕は、そんな風に思います。

それがね、ワンマン経営の組織だと、そういう「まっとうな(つもりの)主張」をしただけで、反逆分子だと扱われたりして、とんでもない冷遇をされたりもするけれども。さすがに国が相手だったら、もう少しは、マトモじゃないかなぁ。
僕みたいに、直属の上司だった3人の方が、それぞれ何年かおきに定年で辞められる都度、准教授への推薦を出してくれていたのに、全部却下される、っていう(給料が年収500万で一切変わらないなら、肩書きなんてどうでも良かったけど)そういう対応をする組織も世間にはある。いや、肩書きもどうでも良かったけど、年収とか、肩書きだけで露骨に見下してくる人が山ほどいたからなぁ・・・。
悪口みたいになったので、一応擁護しておく。僕は「まだ」悪いことをしていなかっただけで、いつ悪いことをしてもおかしくないだけの人間だった。そういう意味では、とても「人を見る目」を持ったトップの揃った組織、だったんだろうなと理解します。だってね、教育機関のトップに「人を見る目」がなかったら、致命傷だもの。ましてや、政府機関が、正当な主張に聞く耳を持たない、主張の是非を判断できないって、なんなのよ、って、なんの話だっけ?

あ、そうでした。安倍総理のケツの穴の大きさ。全然見たくもないけど、あの人が平然と人を見殺しにするのかどうかは、結果を見ればわかると思うな。(すみません、私がブチ切れてるのは、Mac OSのせいです。)

以上、蛇足終わり。

訂正 >> 心霊現象

さっそく、リアクションが来たような気がする。この部分。

少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、そこを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、浄霊はできるはず、だと、私は理解している。

これは、僕の理解の誤り。詳細に霊と対話ができなければ、「実在界」(霊体さんたちの世界)の仕組みをきちんと理解して、説明できなければ、「浄霊」は出来ない、と講演でおっしゃっていた。
何か、指摘されたような気がして、そんな記憶を掘り起こした。前後の関係する部分に、全部修正をかけます。

この話題、書いてしまった後、何か思い荷物を下ろしたような気がして、ようやっと久々に、目の前の仕事に集中できる気がした。

それだけ、「誤り」があったら結果が重い気がする。特に師匠の講演会の根幹に関わる部分だけに、普段だったら「訂正」は出しても、本文は「原文」のままにしておくんだけれども、このページだけは、何回でも、何十回でも間違いがあった箇所は修正する。「心霊現象」として書いたページ単体で「誤りがない」状態にしておかないと、問題が大きすぎる。

いや、好き好んで落ちるつもりはないので。


余談ながら、これは本論と関係ないけれども、師匠は手を当ててのヒーリングにも、浄霊にも、一切お金は取らない。私の考えは、お金を取るのは「商売」だからで、見えない、知らない人の無知につけ込んでいるだけ、だと思う。
その師匠の言葉を伝えたい私のページにも、一切広告は貼り付けていない。そこは、お金のために生きているのか、目的があるから肉体を持っているのか、そこの違いだと、私は思っている。

心霊現象

ホラー映画の「死霊館」を見た。
というのは、現時点(草稿を書いた時点)では嘘。ただ、このページをアップする時点では本当になっているはず。つまり、今日レンタルして、近日中に見て、それからこのページをアップする。と、書いたのは日曜日の夜で、12000字の長文をこれから加筆修正して、アップする。(最終的には、15000字になっちゃった。)

なぜ、そんなややこしいことをしたか、と言えば、師匠の今日の講演会、前半はずっとホラー映画だとか、悪魔払いとか、そんな話題ばかりだった。右から左で「こんなお話を聞きました」と、それを他人に伝えるな、自分で経験してつかんだもの、自分で直接見聞きして確認し、考えたことならばセーフ、という約束事があるので。
ホラー映画から「何を学ぶか?」なんて、どうやって答えを出すんだ?とは思うが、とりあえず、簡単に答えが出るところから一つ、手を付けることにした。

実は、しばらく前にホラー映画だとか、テレビの心霊番組の虚実の話題を書いたのだけれども、文脈がつながらないのと、論点がボケるのとで、何段落かをまとめて消した、ということがあった。
僕らの日常生活とか、何を考えたかなんて、全部上に筒抜けで、当然そこから師匠も把握されている。あれも、これも。
監視されている、なんていう言い方も出来るけれども、逆に言えば僕らが交通事故に巻き込まれたとしても、瞬間に助けてもらえたり、最悪の状態を避けるように上に動いてもらえる、ということは、何人かの体験談を聞いている。僕が三脚から落ちた時の頚椎損傷、たぶん、相当に軽くなるように動いてもらえた気もする。そういう意味では、迷惑というより、ありがたいとも言える。当然、僕が一旦書いて消した「心霊話」の展開も、師匠はご存知だったんだろうか、と今日思った。
だとしたら、いいから書け、と言われたようにも感じた。間違っていたら?もういい。落ちるところまで落ちたとしても、行けるところまで行く。
気合いを入れて、「世間の多くの誤解、勘違い、無知」などなどに、「正しい情報」を流せるように。(もし、間違った部分があったら、後から訂正する。)

仏教で言うところの「成仏できない」タイプには、何種類かある、と理解している。
まず自殺。死ぬ直前の意識のまま固まるから、辛い意識を抱えたまま、電車に飛び込むなんて言う行為を延々と続ける。脳がなくなってしまうから、「これはおかしい」と気づくのは相当に難しいらしい。ある意味で自殺したことに対するペナルティかも知れない。
次に、「死んだらそれっきり」と思っている方々。肉体を抜けて数日したら、生きている時とほとんど差のない「意識」があるから、自分が死んだことがわからない。あるいは、死んだことがわかっても、どうしたらいいかわからないから、お墓に住み着いたり、あるいは聞きかじりで「恐山」のような場所に集まったり、そうして浮遊霊や地縛霊になる方々。この人数は相当に多いらしい。

多少話題が脱線するが、浮遊霊とか地縛霊にならないために、どうしたらいいか、講演会で教えていただいた。書いてもいいか、以前だったら悩んだけれども、もういい。書く。まず、「あ、俺死んだんだ」と自覚すること。そうしたら次に、「私は、どこに行ったらいいんだろうか。」と思う。意識する。これだけだと伺った。「どうしたらいいか?」ではない。「どこにいったらいいか?」らしい。
「ちゃんと、心でそう思えますかね?」言葉として記憶しても脳がなくなっちゃうんだから、「難しいよ、」と言うのが師匠の思いか。でも「どこに行ったらいい?」と思えたなら、「ここに行けばいい」という方角を意識で指し示してもらえる。らしい。あるいは、指導霊さんと言うか、守護霊さんと言うべきか、同じグループの仲間が迎えに来て、行く先を示してもらえる。
大丈夫、どなたももう、何千回も何万回も、経験済みだから。そのはずなのに、一旦肉体を持って、「死んだらそれっきり」という意識で上書きされたら、今回は迷うんだろうか。

以前「脚色」して書いたことがある。ニューヨークを舞台にした「ゴースト」と言う映画。「だいたい、あんな感じ、らしい」と言う書き方をしたが、今ほど「予備知識」をネットに書き込んでいない段階で書いたページだったので、大切なところをいくつも飛ばして書いた。
殺人犯が地獄に落ちるシーン、肉体を抜けて、すぐに意識体として動き、地獄に吸い込まれた。あれはさすがに、ちょっと違う、と理解している。善人も悪人も同じ。肉体を抜けました、すぐには「霊体」として覚醒しません、数日以内で覚醒しました、そこで自分が死んだことに気付かなければ、あるいは気付いたとしても行く先が分からなければ、浮遊霊になってしまう。そうではなく(if / elseのelseの方です)あ、俺、死んだんだけれども、どこに行ったらいい?と思えました、そうしたら、まず「元いた世界」(実在界=霊界)に戻ろうとします、戻りました、とする。中には、いきなり上に戻ろうとして、戻る人もいるらしい。

脱線した話題から、さらに脱線し、そこからさらに脱線。深さ3の脱線。
新潟だったかな、ある実業家の方がいらっしゃった。孤児の施設の子供たちをフレンチのフルコースに招待して、ふだん経験したことのない豪華な料理を振舞って、喜んでもらったらしい。結果として、その子供たちは、ふだん施設で出されていた当たり前の食事が、ひどくみすぼらしいものに思えて、自分たちを卑下するようになった。明らかに、子供たちの心に傷をつけた結果になったことに、その方は全く気付かなかった。むしろ、「自分は、こんなにも良いことをしている、偉いんだ」という自負・虚栄心の方が強く、「自分は、こんなにも良いことをして生きてきたんだから、上に戻って当然」と思って、いきなり上に戻ってきたらしい。

ところが、実在界に戻っても、周囲が誰一人として相手にしてくれない。肉体を持った時の「意識の汚れ」がビッシリとこびり付いている。その方以外でも、直接上に戻ると、あれが欲しい、これが欲しい、あの女(男)とヤリたい、俺は(私は)偉いんんだ、いいもの食いたい、あいつが憎い、俺はこんな勲章をもらった、etc. etc.で、そう言う物質世界にどっぷり染まった「意識」が、汚れを落として実在界に戻っている方々には、どうにも不快でやり切れないから無視される。居ても、居ないものとして扱われる。

結局、「ここは自分のいる場所じゃない」と遅かれ早かれ気付いたなら、改めて「どこに行ったらいい」と考えて、自分から「地獄(=自分の意識に合致した世界)」に向かう。

そうした「虚栄心に固まったりした人」以外の場合には、自分が死んだことに気づいて、どこに行ったらいいか、次の行く先を考えた時点で、自分のして来た行為に気づけた辺りで、「地獄」の周辺にたどり着く。

これも仏教の「閻魔様」の話題。「閻魔様というのは、自分だよ」と師匠はおっしゃった。天国に行くか、地獄に行くかを決めるのは、すべて自分。「天国」を選んでも、汚れたまま上に戻っても全く周囲に相手にされないから、結局「じゃぁ、どこに行ったらいいんだろうか」と考えて、最終的には全員が地獄に行く。行く、と言うんだろうか、夢の中のストーリー展開のようなものだと私は理解する。ここはどこだろうと思ったら、色々な世界が見えてくる。意識体どうしで引き付け合うんだろう。興味を持ったなら、その瞬間にその世界に足を踏み込む。興味を持ったその瞬間に、その世界の住人になる、と講演会で聞いている。これで、深さ3の脱線終わり。深さ2の脱線に戻る。

ある世界では、人を殺してでも金品を奪って、奪えた時に「達成感」(=充実感)を感じるような方々が集まっている。血まみれになりながら、それぞれが殺し合い、奪い合いを続ける。自殺した霊体さんと同じで、すでに死んでいるのに「死んだ」と思ってもしばらくするとまた意識が戻って、「生き返って」またその殺し合い、奪い合いに参加する。それが「餓鬼界」らしい。その亜流の、もうちょっとマニアックな方々が集まっているのが、仏教で言うところの「血の池地獄」だろうか。私はそう理解している。私が見た訳じゃなく、師匠の講演会の講演内容を、可能な限り私本人としては正確なつもりで再描写すると、こうなる、と言うのを書いている。ディテールが違っていたら、いずれまた訂正します。こればかりは「経験してから書け」と言われても、その世界に行くつもりはないので、伝聞にしかならない。このやり方に問題があったら、僕が別の世界に落ちるだけ。

美味しいものを食べて、着飾って、時には参加者どうしでセックスを楽しみ、そういう世界に興味を持ったなら、その世界にどっぷりとはまって、「ここが自分の居場所だ」とご本人は確信するんだろうか。この辺は天国と勘違いしている方も多そうだ。そのまま「これは何か変だ」と気づくまで、何百年でも、延々とそれをお続け下さい。ということだろうか。その「時間」の間に、他の方々は、上に戻って、次に肉体を持つ「計画」に着手する。楽しくないことも、少なくない、肉体を持つのは「辛い」経験でもあるけれども、経験値を積めば、魂として進化する。自分自身のエネルギー量が大きくなるから、出来ることの範囲がどんどんと広がる。だけれども、目先の「楽しい」にトラップされて、「こんなことをいつまでも続けていいのか」と気付かなければ、ずっとそのまま。私自身がこの世界に興味を持たないかどうか、わからんなぁ。

ある世界では、参加者が延々と「勤行」と称して、念仏を唱え続けている。それも、絶え間なく無限に、延々と。ご本人たちは「これこそが天国だ」と思っているから、そこから全く動こうとしない。その方々は、相当に手強いらしく、まだできて数十年も経っていない地獄らしいけれども、抜け出せない方はこれから一体何百年続けることになるのか。

最近できたと言う新しい世界。居心地の良さそうな「洞穴」のような場所に、一人一人が篭って、何をするともなくじっとしている。あるいは、ゲームでもしているかも知れない。「あぁ、なんて居心地のいい場所なんだろう」と思えば、ずっとその場所に居られる。それなら、さっさと死のうと思いますか?でも、自殺はダメだと思います。自殺したら、こうした種類の地獄にたどり着く前に、現世に地縛霊として留まって、まずは延々と自殺を繰り返す、と言う状況に陥ると思う。そうですね、何も食べずにゲームを続けて、部屋の中で餓死する、なんていうのがいいかも。そうしたら、比較的、この世界に行きやすいかも。(無責任に書いてます。)いや、経験したことないから、わかりませんが、師匠の講演内容を組み合わせて、「演繹」してみた。ここも「経験」してから書く、というのはやりたくない。というよりも、一旦抜け出して、上に戻ってから再び肉体を持ったなら、自分がかつてそこにいたことすら、忘れているんだろうな。そもそも、上にいたことを忘れている人が大半だし。ましてや、それ以前のことなんて。

どこもかしこも、ご本人はそこが「地獄」であることに気付かない。今、肉体を持って生きている「自分」の意識体としての、ありのままの姿のまま、一番「居心地がいい」場所に引き寄せられて、その世界を垣間見て、「あ、ここが一番居心地がいい」と思うなら、そこに居続ける。そして、長い人は何千年も、何万年も、そこに留まる。そうして「これはおかしい」「ここは自分の居場所じゃない」と、「意識体」として気づく、ということは、すでにその汚れを落とせていることになるので、やっと上に戻れる。

どこかで「俺は(私は)、何をやっているんだろう」と気付いて、「何かここは変だ」と(脳がないのに、意識体それ自身が)気付いたなら、ここは、師匠が何度も講演会で話されている表現のそのままだけれども、上から「光」が差し込んできて、上から差し込んだ光に吸い上げられて、実在界に帰れる。自分で気づくということが「汚れを落とす」ことにつながる、らしい。

上に戻った際に、どうにも周囲が「幼稚」に思えて、なんとなくここは意識が噛み合わない、と感じたなら、元いた世界よりも上の世界に上がる。エネルギーレベルが上がっていて、そこで時には「次元」が一つ上に上がれる。逆に、上に戻りました、元いた世界に戻りました、だけれど、なんだかみんな自分とは違う「偉く見える」人たちばかりで、どうにも居心地が悪い。もっと自分が自分らしく楽にいられる場所はないんだろうか、と思ったなら、そう言う意識体に引き寄せられて、居心地のいい場所に辿り着く。気付いてみたら、そこは元居た「次元」よりも下の世界だった、だけれども、自分にはこちらの方が居心地いい、と言うことになる。進化とか、退化とは、そうことだと私は理解している。微妙に自分自身の波長がズレてきて、最もクリアに交信できる相手が多くいる世界が、自分の所属する居場所、ということになる、らしい。ここまで書いて、深さ2の脱線終わり。

こうした「次元」は、せいぜい4〜8次元の(9次元は別格で、ヒトではあっても神が直接、すべての知識を予め持たせ、最初から9次元として創造されたbotと言うか、指導的な存在だから、僕らに4次元から始まったヒトにとっては8次元が一番上、だと聞いていますが、)5段階の次元だけ、だけれども、さらにそれぞれの「次元」の中が、何段階にも分かれていて、師匠は講演会の中で、「誰それさんは、7次元の中段」だとか、「あの方は、6次元の上段」だとか、そうした表現をされている。以前は、ザックリと100段階だと聞いていた。今後は、多少「簡略化」と言うか、一つの「段階」の幅を広げて、上でも意識交流ができるように、段階の数を減らされるらしい。(こんな話、書いてしまって、どんなペナルティがある?いえ、明日肉体を抜けさせられても、後悔はないけど。)ただ、師匠は以前おっしゃった。「いつか、学校で世の中の仕組みを習うように、学校でこうした霊界の仕組みをきちんと教えるようになったらいいのに。」他の講演内容から考えるに、おそらく遅くとも1000年後には、そうした時代が来ると思う。その時のために、今こうして、可能な限り正確に師匠の言葉を綴って、伏線を張りたい。

そうして、生き様次第で、自分自身の霊体としてのエネルギーを上げたり、下げたりしながら、地獄から上に戻ったなら、また次に肉体を持つ計画を立てて、自分より先に肉体を持つ方に「親になって下さい」とお願いしたり、次は「私と結婚して下さい」と、事前に約束を取り付けて、そうして全てを決めてから肉体を持つ。そうは言いつつも、結婚するべき相手と出会うとか、計画通りの親に想定外のことがあったり、色々あるらしいけれども、基本的には、親や結婚相手、性別、さらには「親友」なんて言う相手も決めてから肉体を持ち、次の「経験」を積む。前回はあの国に生まれたから、今回はここにしよう、と生まれる場所も決める。ただ、人気の高い国は、そこに生まれることができるとは限らないから、別の場所になることもある、ようだ。これを繰り返しているのが、ヒトのライフサイクルであるらしい。
霊体としては男なのに、女の肉体を持つとか、そう言うのも「経験」として自分で決めていることだから、いざ肉体を持ってしまってから「これは違う」と気付いても、昔だったら肉体のままの「性」で一生を押し通して、「男であっても、女としての生き方の経験」を持ってから上に戻ったりしていた。逆もそうらしい。だから、男なのに女の生活感覚が多少は理解できたり、その逆もあったりする。昨今の性的マイノリティへの対応で、医学の進歩が逆に魂の進化の妨げとなっている、と私は理解している。ただ、師匠も、創造主も「あまり、いいことじゃないな」とお感じになりながらも、ただ黙ってその経過を観察していらっしゃるような気がする。決めるのは最終的に本人次第だけれども、少なくとも、意識体としての自分と異なる性別の肉体を選ぶのは、その経験を積むため、だと聞いている。男女の差がなくなるのは、8次元まで進化してから。なぜ、意識体なのに男女の差を作ったか。理由は聞いているが、別の機会に。

そうして、いざ肉体に入る際には、受精卵に自分の意識体を押し込める。中絶したらどうなるか、などなど、その辺も細かく聞いているけれども、これも詳細を書くとこのページではあまりに話がそれまくるので、割愛。

話が、逸れまくった。地獄のところで、脱線しまくった。本題は、「心霊現象」だった。
成仏できないケースの、2番めまでは書いたっけ。最初は自殺、二番目は「死んだらそれっきり」と思っている人たち、とか、どこに行ったらいいか知らない方々。

三番目は、悪霊。肉体を抜ける直前に、強い憎悪の念を持っていたりすると、その方は悪霊になる。悪霊の場合には、人を殺すこともある。講演会で、これも様々な例を聞いている。これで深さ1の脱線終わり。

今日の講演会。
「死霊館」の映画を見た。
そう言えば昔、本を読む前に斜め読みだけで「読書感想文」を先に書いてしまって、書いて期限に間に合わせてから、慌てて丁寧に本を読んだ、なんてこともあったかも。あの時は、読み返してからの書き直しをしなかった、気がするけれども。今回は、完全な加筆修正。最初から見て書いたことにしておこう。

死霊館に出てきた霊体さんは、地縛霊で、悪霊じゃないよ、と師匠はおっしゃっていた。本物の「悪霊」だったら、「家族全員殺してやる」なんて言う前に、全員死んでいる、それくらい怖いらしい。何よりも「登場人物が一人も死んでいないでしょ?」と。「あの怖さ」でもいわゆる「悪霊」ではなくて「地縛霊」なのだから、悪霊の凄さを想像・・・したくありませんね。実は、途中から結構安心して見てしまっていた。もう一つ、おっしゃった気がする。死霊館の映画に出てきたオルゴール。実話の時は、少女ではなくて少年が「こっくりさん」をやって、それで霊体さんを引き込んでしまった、らしい。厳密には「こっくりさん」の欧米版、なんだろうけれども。(もしかして、別の映画の解説だったとしたら、この記述は「間違い」になるかもしれない。死霊館に結びつけずに読んでおいて下さい。)
これも師匠がよくおっしゃるけれども、脚色が過ぎると現実にはあり得ない心霊現象の描写になるから、かえって白けてただ単にグロテスクなだけの映画になる、ようだ。私自身もそんな気がするので書いたけれども、私はそんなにたくさんはホラー映画は見ていない。あまり興味がないので。師匠が「課題」に取り上げた時だけ。

魔の国道4号線。国道の東北道だろうか。白い自動車ばかりが電信柱に激突して、何人も亡くなっている場所が、かつてあった。知人に頼まれて、師匠が浄霊したらしい。その霊体さん、その国道で跳ねられた女性だった。跳ねられた後、まだ生きていて、すぐに病院に運んでもらえたなら助かったのに、跳ねた運転手は、一旦車に乗せた後、その現地のそばにその女性を放置して立ち去ったらしい。その結果、その女性は亡くなった。それで、「白い乗用車」に対する強い怨念が残って、側を通りかかった「白い車」を引き寄せて電柱に激突させ、運転手を殺す。そういう悪霊になり、現場付近が「魔の国道4号線」と呼ばれる場所になったらしい。師匠は、頼まれてその場所で浄霊したらしい。その際に、会話してこの経緯を聞いたらしい。
この話題の「教訓」は?これは簡単。「白い車に乗るのはやめましょう」ですね!(自信たっぷり!)

随分以前の講演会でも、何度もこの話題は取り上げられていた。ちょうど、テレビ東京のクルーが取材に来ていたそうで、取材させて欲しいと頼まれて快諾したところが、撮影したビデオテープの肝心な部分が全部真っ白になっていて、使い物にならなかったと、後から「お詫び」の電話がかかって来たらしい。そのテレビのクルーは、自分たちのミスだと思っていたようだと、聞いている。
この方は、地縛霊というよりも、「悪霊」なんだろうと自分は理解する。何人も人が亡くなっている。

師匠は、講演会活動を始められる前に、頼まれてあちこちで「浄霊」をされている。その中の一つが、新潟県新発田市。師匠の友人の親戚、らしいけれども、14基(だったか)とかのお墓があったらしい場所が造成されてしまい、「住宅地」として売りに出されて、その土地を買った。そこに越してきた翌日に、その家のおばあちゃんが亡くなられた。奥様もしばらくすると「原因不明」の病気にかかり、さらにもう一人家族が亡くなったらしい。さすがに二人も死んで、おかしいと思い、その後ツテをたどって師匠のところに話があって、行ってみたら、「地縛霊」と言うよりも「悪霊」が4体住んでいたらしい。浄霊の際に、噂を聞きつけて、ご近所の方が見に来ていた、そのご近所の方々の目の前で、家の扉を開いたら、いきなり包丁が空中に現れて飛んできて、師匠の目の前で直角に落ちた、らしい。ご近所の方々も、目撃されていて、震えていた、そうな。普通の人なら、そのまま包丁が刺さっている。結局、地縛霊なだけだった方々が、「自分の住処に、勝手に住み着いた他人」に対して腹を立てて、悪霊になった、ということのようで(この理解、違っているかも)、「ヒトは、死んだらこの世界にとどまらずに、上に帰るんだよ」と時間をかけて対話して、諭して、上に帰らせて、この件は解決したらしい。私は、聞いてそう理解している。
ちょっと話はそれるが、この新発田市の話でも、死霊館の実話の方にしても、「事故物件」の情報がないと、怖いとは思う。このプチ脱線は、終わり。

テレビでよくやる「除霊」で、気合を入れて気合いで追い払う、というやり方でも、確かにその場から除くことはできても、それだけでは、その霊体さんは他の場所に移動するだけ。「浄霊」をするならば、対話をして、相手がどういう経緯でそこに居着いたのか聞いてあげて、いつまでもここにとどまっていたらダメだよ、と諭して、上に帰らせてあげて、それができなければ「浄霊」にはならない。意味のわからない「念仏」とか「ラテン語」を唱えても、相手の意識体によっては言葉が通じない。これは、生きている人間に対する行為でも同じだろうと思う。
そして、もう一つ。気合いで追い払う「除霊」の場合、運よく相手のエネルギーレベルが自分より小さければ追い出せるけれども、自分よりエネルギーレベルが高い相手の場合には、殺されることもある。エクソシズムのように「追い払う」やり方では、力関係だけが問題になる、ように自分は理解する。

寂しくてたまらないから、他人の関心を引きたくて、友だちに乱暴な行動、あるいはイジメを繰り返す。そんな児童に「イジメは、他の人を傷つけ、なんちゃら」と説教しても、たぶん、通じない。話を聞いてあげて、その子供の「寂しくてたまらない」部分を理解してあげなければ、その子供の「イジメ行動」の根本原因は取り除けない。悪霊の「浄霊」でも、全くそれと同じプロセスが必要なんだろうと、自分は理解する。残念ながら死霊館で行ったのは「除霊」なんだろうか。憑依された方の除霊ならば、憑依された本人の意識で「悪霊と共鳴する部分」を取り除けば、簡単に(?)その悪霊も憑依できなくなる、はず、なんだけれども、心から「憎悪」とか「恐怖」を取り除く、なんて、そう簡単に出来ますかね?というのが、この「死霊館」の課題なんだろうか。心の中に「共通の意識」がなければ、憑依したくてもできないはず、だと理解する。

師匠は、講演会活動を始める前に、埼玉県の秩父周辺で、手を当てて病気を治す「ヒーラー」として数万人以上に手を当てられたらしいし、頼まれて「浄霊」を何件もこなしている。その一部は師匠の著書にも書かれている。この界隈では、師匠のお世話になった方も少なくないはず、なのだけれど。「悪霊」は、素人にはとても太刀打ち出来ないレベルの強さで、エクソシストでも手が出せないレベル、らしい。「魔の国道4号線」だけではなく、日本全国いたるところに、そうした場所があって、成仏できない霊体さんがいる、らしく、師匠は場所を教えてもらえたなら浄霊されるとおっしゃってましたので、書き添えておきます。ただし、あくまでも、僕ら会員に対して「場所を教えてもらえたなら」とお話になったので、世間一般の方へのお話ではない、という点だけは、申し添えておきます。

なに分にも、私を含めて不謹慎な会員が多く、会員の「真っ黒に汚れた意識」のせいで、師匠も相当に体調を崩されることが少なくない。申し訳ない限り。
僕らのような霊感のない人間でも、「あの人のそばにいるだけで、吐き気がしてくる」なんていうことは、ありませんか?悪意を剥き出しにしている人の側にいるだけで、痛みを感じたりしませんか?それがもし、師匠のようにその気があれば100%意識が読める状態で、そうした相手と接したらどうなるか。そんな訳で、会員相手ですら体調を崩される師匠だから、一般の方が師匠と直接お話しするのはやめて欲しい。そもそも、勉強会は「もっとヒトについて知りたい、という有志」が集まった団体で、師匠が「この人なら、いいよ」と認めてくれた場合に、正式な会員になれる。病気を治して欲しいとか、そういう参加は、あまり好ましくないよね、ということにはなっている。浄霊の場合には、「迷っている人たちが、可哀想だから」と師匠はおっしゃる。ここから先は、もう書きません。適切に演繹してください。師匠の「浄霊」の話題はこれで閉じる。

悪霊にまでは至らない、地縛霊や浮遊霊は、これももう、「肉体を持っている総人口の数パーセント」に相当するレベルが、あちこちにいる、らしい。「人間なんて、死んじまったらそれで終わり」と本気で思っている人の比率が、何パーセントか、どなたか統計を取られたことはありますか?坊主が読経を唱えたって、タイミングによってはまだ霊体として覚醒していないし、そもそも、念仏の梵語を聞いても理解できない。自分が死んだと思っていなければ、他人の葬儀だと思っていたりする。ここで気付ければ、ラッキー。気付けなければ、その大半は、地縛霊や浮遊霊になる。そして、その大半が人畜無害。ただ単に、居るだけ。「死んだらそれで終わり」と本気で思っていたり、あるいは、変な宗教にゴチャゴチャ言われて、訳も分からずにどうしていいかわからなくなって(脳が、ではなく、「意識」が、です)そのまま浮遊する。人畜無害だから、勝手にそうしてろ、とは、個人的に私は思う。その方が信じちゃった指導者だの占い師だのが、真実を何も知らなければ、そうなるだけ、なのだろう。どこに行ったらいいかわからないから、どこにも行けないし、「どこに行ったらいい」という疑問すら持てない。急増しているらしい。いわゆる「科学技術」とか「文明」の進歩に、比例しているのか。悪いのは、科学や文明?そうは思わないけれど。

家に住み着いたり、墓に住み着いたりする地縛霊は、映画の題材にもなるような「悪さ」をすることがある。別の映画の解説でおっしゃっていた。たかだか地縛霊の「悪さ」に「サタン」なんて出てこない。そもそもサタンは、地獄の最深部に幽閉されていて、その意識が地上にも漏れ出ているだけ。普通の地縛霊や浮遊霊が、肉体を持っている我々自身が陥りがちな「悪想念」と、その霊体さんも持っている「悪想念」の部分が共鳴して、磁石のように引き寄せられて、時には憑依され、時には攻撃される。(僕も、つい数日前にひどい「うつ」に近い状態になった。)
師匠はおっしゃる。「被害者」は、生きている人間の悪想念に引き寄せられてしまった浮遊霊の方だよ、と。
愛を持って接して、「どんな生き方をされたんですか?辛かったんでしょうね。でも、ここはもう、あなたの居場所ではありません。上にお帰りください。」という思いを、怖がりもせずに伝えることができれば、おそらく憑依はされない。ただ、会話できなければ、浄霊はできない、らしいけれど。実際に「心霊現象」に直面してしまうと、まずは怖がる人がとても多いらしい。
少なくとも、直接師匠の講演会を聞いている会員の皆さんは、霊体さんに出くわしても動じないことを目指してください、と、そういうことなんだろうか。師匠のように「会話」が出来なくて、浄霊ができなくても、相手の話す「意識」がクリアに受け取れなくても、こちらからの「想い」が届くとしたなら、「悪想念」ではなく、「辛かったでしょうね、でも、上にお帰りください。」という愛を注げば、憑依はされないはず、だと、私は理解している。

タネも仕掛けもわかっている「お化け屋敷」なんて、一切平常心を乱さずに通り抜けられるくらいの方なら、たぶん、本物の霊体が目の前に現れても、対応できるんだろうと思う。ところが、「あ、霊だ」と気付いた瞬間に、鳥肌が立ち、怖がって固まる。そうなったら、ますますその霊体さんに「恐怖」(=「相手を忌避して拒絶する想い」)で意識が通じ合う状況になる、かも知れない。いや、意識の相互性、こちらが相手を意識したら、その意識は相手に通じる。通じているんだから、怖がらずに、「どうか、上にお帰りください。」と念じ続ければ、まず、大方は大丈夫なのに、キャー、来ないでー、ってなったら、時には相手は、相談相手や「自分を感じてくれる相手」を探しているだけ、だったかも知れないのに、拒まれることで腹をたてる場合もある、と理解する。元はヒトです。私たちも、そうなり得る、同じ感覚。話し相手が欲しかったのに、拒まれたらどうなるか、ご想像にお任せします。というよりも、各論中の各論で、それぞれの個性次第で組み合わせは無限かも知れない。どうなるかなんて、わからないし、書けない。そういう性質のものだと理解する。
書くことが難しい。自分でも「間違い」に気付けない、そういう性質の話題を扱っている。間違えることが怖い、けれども、とにかく最後まで続ける。

肉体を持っていた時の「意識」がこびりついているから、「悪魔」とはこういうものだ、という想いがキリスト教のものならば、十字架を敵対視することもあるだろうし、日本の地縛霊は墓石に住み着いたりする。結局は、その人の生き様、死に方を理解することが必要になるんだろうか。私にはわからない。わかることは、ただ、恐怖を持たずに、ただ「上にお帰りください」と、その思いだけ持って普通に接すること、なんだろうかと、自分は考える。
学校の教員として、教師が私である場合と、別の先生である場合とでは、違うし、児童・生徒・学生がAくんの場合とBさんの場合とでも、対応方法が違うだろうと思う。「教育学概論」で各論は扱えない、と私は思う。相手が霊体さんでも、ヒト対ヒトの関係を崩さず、ただ誠実に対応するだけなのかな。
ただ、「悪霊」だけは別格、だと、私は理解している。師匠じゃあるまいし、見分けなんてつくわけがない。殺されちゃったら相手は悪霊で、殺されなければ悪霊じゃない。結論が出ましたね、めでたしめでたし、ってことなんだろうか。難しいですね。
霊体さん側の誤解が生じて、ねじれている例は、上記の新発田市での事例だろうか。他にも、色々と講演会で聞いているが、詳細略。思い出せたとしても、とても正確に伝える自信がない。

今の人類には、まず、こうした心霊現象が起き得るということを理解してもらうことが肝要なんだろうか。ニーチェの「神は死んだ」に始まり、「霊なんて全部人間の恐怖心が作り出した架空の存在」なんていうのもある。確かに「枯れ尾花」も少なくないだろうけれども、それだけではない、ということを知ってもらうことが重要なんだろうか。知らない人が多いから、迷う霊が増える。だったなら、仮に多少の「間違い」が含まれていたとしても、このページは伝える意味があるんだろうと、信じたい。

宗教も、最初に説かれてから長い年月を経て、原型を留めなくなっているものも多い。「死んだらお墓に住む。」そんなことを言われて、信じた方は、実際にお墓に居着く。十字架を持っていれば守られる、そんなのは仏教やイスラム教を信じて生きた地縛霊には通用しない。そうしたことも、肉体を持っている間は「脳」が機能しているから、せめて「知識」として知っておいてもらうことも、もしかしたら大切なのかも知れない。

確かに、何よりもまず既存の宗教が「誤った知識」の源泉となっている場合も少なくない、とは思うが、そちらは最初に宗教を説かれた方がいずれ次々と肉体を持たれて問題の解消を図られる、と聞いている。アメリカのトランプ支持の福音派協会の方々は、キリストの再誕を心待ちにしているらしいが、イエスが何のために肉体を持って再誕されるか、目的をご存知だろうか。トランプがらみは、別にどうでもいい話題だけれども、師匠が何をお考えかは別にして、私はこの話題に触れたくない。完全な「越権行為」になるはずなので、怖くてこれ以上は書けない。
ただ、師匠の講演内容を、できる限り正確に伝えて、伏線を張るところまでは、自分の判断でやる、ことにした。

昨今は、実際には知覚出来ていないのに知覚できているかのように、誤った知識を広める人もいらっしゃる。これも、ものすごく迷惑な行為で、何も知らない無垢な方々はその「誤った知識」を信じてしまう。この部分を、師匠はすごく気にされているように私は思う。オーラの色の話、だとか、「前世は蜘蛛」だとか、いい加減にしろとお感じのようだと、一応この話題は、私自身が言葉にしておく。特にテレビなどを通じた場合には、信じた方への影響力が大きすぎる。それを信じて迷った人がいたなら、その最後の一人が地獄から上に戻るまで、相手を迷わせたそのご本人自身が幽閉されることは、知っておいたほうがいい、と、私は考える。自分の意思で地獄に行くのではなく、幽閉されるから、上からの光が差さず、ずっとそこに留まることになる。落ちるところまで落ちる覚悟が出来ているなら、話は別ですが。

マスコミや、映画の「心霊現象」の描き方。これが問題だと、今日の講演会で私は理解した(この先の「今日」は日曜日)。
このWEBページも、師匠の講演内容を伝える「まとめ」的なページとして、もしかしたらかなり長期間参照されるページになる、そんな気もする。もし間違っていたなら、速攻で訂正しないと後が怖い。同時に、マスコミや、映画制作関係者の方にも、それだけの真剣さを持って、読んでいただけたらと思う。

エンターテインメントのための脚色が、一般の方の理解を歪めて、意味もなく恐怖させる原因となったり、「地縛霊」だの「浮遊霊」だのを増やす原因になったりしていたなら、それは「人を惑わす行為」として、創造主の「罰」の対象となることは、理解しておく必要があると思う。「罰の対象」になったら、どういうことになるか、と言えば、結果的に広まってしまった「誤った理解」が地上から消え去るまで、地獄に落ちた後、上からの救いの手が差し伸べられない、ただ単に、それだけのことではあるけれども。そして、その「地獄」も本人にとっては居心地のいい世界のはずだから、苦痛はないかも知れないけれども、あなたがその地獄に何百年と足踏みする間に、他の方は何回も肉体を持って、「進化」のチャンスに挑戦できる。

「エンターテインメントが認められないなら、世の中の面白みがなくなる」そうかも知れないが、そもそも、肉体を持つこの世界は、ある意味で「修行の場」そのものでもあった。それなりに楽しく生きる生き方の模索は「あり」だとは理解するが、そこに「他人を惑わす行為」があってはならないのだろうとも、私は理解する。

師匠が、「本物の悪霊が出演する映画を、撮ってみようかな」と、これまでも何度か講演会でおっしゃった。登場人物は、人間がただ一人で、悪霊が「友情出演」。ただ、本物の悪霊が映されている映画を放映したなら、見た人が恐怖を感じた時、その方が実際に亡くなったりする、ってことも、起きるだろうね、ともおっしゃっていた。現実問題として、こうしたホラー映画の撮影では、関係者が実際に亡くなっていたりしていませんか。「あの映画は、主演の二人以外で、スタッフの死者が何人・・・」なんていう話も、今日の講演内容であった。神が存在するのと同じように、本物の悪霊は実在する、映画の最後に字幕が出ていた。僕らは、悪霊にならないための心構え(死ぬ前に他人に憎悪や恨みの念を持たない)ことも大切だけれども、悪霊になってしまった方への愛情も忘れてはならない、と、今日のところは理解している。テーマが難しすぎて、答えを出すのに時間がかかりそうだ。
話を戻す。リアリティに近ければ近いほど、本物の霊体さんたちを巻き込む。そうも思う。

「自称霊能者」の、現実を無視した解説を視聴者が信じ込めば、見た人たちの魂を汚して、不要な恐怖心を植え付けて、あるいは、避けるべき悪霊を回避する機会を失わせて、意味もなく人を殺すことにつながる、と私は理解する。
「霊感がある」と思われることは、知名度を上げるのに貢献したり、あるいは周囲の関心を惹きつけるのに役立つかも知れない。実際にあるならば構わないけれども、ないのに適当なことを言って、怖がって見せたり、どうせわからないと思って適当なことを言えば、後が怖いと思う。実際に霊感があったとしても、自分が知覚して知っている以上の内容を創作したなら、結果的にやっていることは霊感がないのに適当なことを伝えたのと同じ、だと理解する。師匠は、丹波哲郎さんが「大霊界」という映画を作成された後、人を惑わすから、やめて欲しいと、事務所を通じて抗議されたらしい。丹波さんのお答えは、「色々な本を読んだり、調べたりして、あとは自分の想像で作りました」というお返事、だったらしいけれども、とても危険な行為だというご理解があったかどうかは、わからない。

「死霊館」の映画。「課題」としてみるならば、何が起きているかを客観的に観察しつつ、自分ならその「霊体」さんとどう接したらいいか、加えて、どんな映像を見せられても、一切平常心を乱さないような「心の状態」であり続けることが、できるようになりなさい、と、そこなんだろうか、と自分は理解する。
極めて個人的な見解。「死霊館」の若干の「脚色」はあったようだけれども、師匠はそこは、あまり気にされていなかったように感じた。むしろ、字幕に出た主題の方が大事。僕自身、突っ込むつもりで「脚色」部位を探そうとしたけれども、「誇張」の程度のような気がした。結果的に、講演会で「課題」として取り上げられたということは、そういう性質の映画なのかな、と思った。この段落、私の個人的な見解です。実際に、見える方が見ている世界が描写された映画なんだろうと、私は思う。(前にも書いたけれども、私には「見る」ことはできません。)

僕の指導霊さん、僕がまだ「無名」だった頃、何かと「こんなことが起きるかも」と意識を送ってくれて、僕はそれを周囲に口にしたりして、それが「予知能力」みたいになってしまい、その挙句の盗聴・盗撮の中で、部屋の中での独り言。仕掛けが済んだらもう、ほとんど「予知」みたいなことは受け取れなくなった。30年前の出来事だけれども、「今」の「影響力」の布石にはなったんだろうか。
今回のこの話題。師匠の存在や、師匠の言葉を全世界に伝える「チンドン屋」としての使命は、無事果たせたのかな?
後藤健二さんが殺された時は、叩き起こされた。「たった今、後藤さんが殺されました」と伝えられたけれども、だから何じゃ。俺は何をしたらいい。たったそれだけの情報が、何の役にたつ?(いや、長文を受け取れない私が悪いんだけれど。)結局、たったそれだけの素材を料理して、Facebookに二つの書き込みを書いた。当日と、二日後。だったと思う。詳細は僕のFacebook参照。

このページも、同様のインパクトは持つのかも知れない。うまく、師匠の伝えたいことがらが伝わればいいのだけれど。
とりあえず僕は、指導霊さんとは、そこそこ、「いい関係」は築けているんだろうか。霊体さんたちとも、なんとかうまくお付き合いさせていただいているんだろうか?

無事、(ミスなく)仕事を出来ましたかね?よくわからないけれど、これでページを閉じます。
以上。

国際司法へ、海外の理解を求めるべき

徴用工訴訟、新日鉄住金に賠償命令確定 韓国最高裁
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO3710236030102018000000/

Aさん(日本)とBさん(韓国)がいました。Aさん一家が、Bさん一家を支配した時期があった。
その後、AさんはBさんの死んだおじいちゃん(軍政)に、ご家族の皆様へのお詫びとして、一括して賠償金を支払った。
Bさんのおじいちゃんは、Aさんの家族は悪い奴らだ、悪い奴らだと、そればかりを息子や孫に伝えるものだから、Bさん一家の誰もがAさん一家は悪い奴らだと信じて疑わない。Aさん一家から賠償金を受け取ったことを内緒で、着服したことを黙ったまま、Bさんのおじいちゃんは亡くなった(軍政が終わりを告げた)とする。

Bさんの孫たちは、賠償金を支払え、一円も受け取っていないと騒ぐ。Aさんにしてみたら、不本意で、「あんたらのじいちゃんに、ちゃんと支払っただろうが」と、いくら言っても「いや、そんな話は聞いていない」と、それ一辺倒。聞いていないのは当然だろう。じいちゃんは使い込みを黙っていたし、「Aさん一家は悪い奴らだ」と、それしか聞いていない(そういう教育しか受けていない)んだから。

Bさんのじいちゃんの息子(政権についた政治家)は、じいちゃんの遺品を見て受け取ったことに薄々気付いていても、孫たちは騒ぐし、自分もこれまで孫を煽った行き掛かり上、もはや、じいちゃんが使い込んだことを孫に説得できない。

ざっと、こんな感じなんだろうか。日本は、条約だの協定だの、軍政の当時からどういう外交をして来たのか、その経緯を、Bさん(韓国)の孫(一般国民)ではなく、国際社会に資料を添えて、客観的な判断に耐えられるようにした上で、新日鉄住金なんかも、払わずにいるしかないんじゃなかろうか。
それが不満なら、韓国は国際司法に訴えたならいい、はずなのに、おそらく国際司法の場には持ち出さない。持ち出した途端に負けることがわかっているはずだから、国際司法に持ち出さずに、ただひたすら、国内向けに「日本が悪い」を繰り返すだけだろうと思う。

ただ、それでも、海外の理解を得られるならば、日本の外交的な立場は揺るがない、と思う。

ただ、こうなるともはや、日韓のあらゆる「条約」も「協定」も「覚え書」も、現在あるそうした書類は全て紙切れでしかなくなるし、今後の紛争を避けるためには、今後一切のそうした「相互に法的拘束のある合意を行わない、」という選択肢しか取れなくなるんだろうな、と思う。最悪ですね。

日韓関係の根幹を揺るがす元徴用工判決
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO37149270Q8A031C1EA1000/?n_cid=DSREA001

To love somebody – Bee Gees

手抜きページ ← 完コピ

There’s a light
A certain kind of light
That never shone on me
I want my life to be lived with you
Lived with you
There’s a way everybody say
To do each and every little thing
But what does it bring
If I ain’t got you, ain’t got?

You don’t know what it’s like, baby
You don’t know what it’s like

To love somebody
To love somebody
The way I love you

In my brain
I see your face again
I know my frame of mind
You ain’t got to be so blind
And I’m blind, so, so, so blind
I’m a man
Can’t you see what I am?
I live and I breathe for you
But what good does it do
If I ain’t got you, ain’t got?

You don’t know what it’s like, baby
You don’t …


抜粋したかったのは、ここだけ、でしたけど。

There’s a light
A certain kind of light

To love somebody
The way I love you

ちょっとひねろう。
I’m a man (私は人間だ、と訳したい。)
Can’t you see what He is?

新しい朝が来た! おしごと〜!


全くもって、朝っぱらから何か書け、書き続けろとせっつかれてるみたいで・・・寝起きは無防備だからなぁ・・・

押しかけてくる邪魔な人間どもは、軍隊を数千人出して、発砲してでも押し返せ、アメリカに侵入させるな、と、それがあの次元の方の生き方なんだろう、と、理解する。

心を閉ざすしかない、としても、それでも愛をもって他人に接することができるはずだ、と、それがたぶん、僕が目指している次元の方々の生き方、なんだろうと、朝っぱらから考えたんだか、感じたんだか・・・

今度こそ、おしごと〜!

フラッシュバックの教訓

せっかく、Nack5が30周年記念の特別番組編成、豪華キャストでやってるのに、ここのところの仕事は文章校正、文章の構成の見直しだったり、他人の書いたプログラムを読んだりで、ラジオがあると仕事にならない。残念です。とっても。大野さんと亀梨くんの対談を聴きながら、スイッチを切った。

さすがに「古傷」だから、かなり客観視は出来ているようで、比較的早めに抜け出せて良かった。なんだったんだろうと思いつつ、教訓を一つ見つけた。これが答え、ではないかも知れないけど。
意味のないことは、何も起きない。起きたことには全て意味がある、らしい。

30代までの僕は、とにかく強引で自己主張や承認欲求が強く、あまり他人のことは気にしなかったと思う。結婚できなくて当然。それが、盗聴やら盗撮あたりから、一転して(じゃなく、徐々に、か?)他人の顔色を読むようになった。相手の反応を見ながら、リアクションが遅れる。中にはあからさまに「愚鈍な奴だ」と決めつけて、見下してくる人も少なくなかった。たぶん、山の神もそうなんだろう。なんとなく馬鹿にしてかかって、見下されているのがわかっていても、引きこもりが長かった後だから、これは仕方ないんだろうか。
ただ、結果的にそれが積もり積もると、結構な破壊力を持ってくる。盗聴とか盗撮ばかりではなく、これも、結構フラッシュバックがキツイ。わかっていても、痛みを感じることがある。

先週の授業を思い出した。今、専門学校では(ちょっと強引に)自分の担当科目だけではなく、国家試験対策の要点整理で、全教科を授業で扱っている。今年は、ちょっとした危機感を感じているもので、古い教材を引っ張り出した。
専任教員時代、千葉キャンパス最後の1年間は、臨床工学を担当する専任教員が自分一人しかいなかった。国家試験対策も、僕が臨床医学まで含めた全教科を扱った。門前の小僧ではあるけれども、学生時代からの医用工学だから、医学系の専門書、教科書もそこそこは読んでいるし、仕事でも知識は補充してきた。一教科一コマでの学生の国家試験対策くらいなら、なんとかなる。僕一人だったけれども、合格率では池袋キャンパスに負けていなかったし。

ふと、気づいた。僕の担当科目、生体計測とか、電気工学、電子工学などの分野はとても苦手そうにしていて、授業中に当てても、不快そうに「わかりません」と答える学生が、別の教科では生き生きとしている。そうか、不得意なだけなんだと、あまりにも単純なことに気づいた。一応は教員だから、「見下す」ということはしないけれども、一歩間違えたら「出来の悪い学生」というラベリングはしかねない。学生だって不本意にそういうラベリングをされたなら、やはりなんらかのトラウマにはなるかも知れない。

「なんだ、このトロい奴は」というあからさまに見下しているような意識、っていうのは、ストレートに伝わって来ますからね。もしかしたら、自分がやっていたんじゃないかと、気付いた瞬間に、ドキっとした。やっちまってたかなぁ・・・

特に、盗聴・盗撮以後、電話やFAX、メールなどでも「お願いだから、そんな大事な話をしないでくれ」という意識と、その内容を盗聴・盗撮している(顔も正体もわからない)相手を意識しての表現、直接相手に返す言葉を全部構築したりしていると、どうにも反応が遅れたり、とてもチグハグな返事を返したり、ということも出てくる。端的に言って、第三者に聞かれていることを意識した人間と、そんなことを気にもしていない人とでは、会話が噛み合わない。最悪だったのは、学生救済で単位を出す話が出た時だっただろうか。その後、1年間くらい、激しく壊れていた。何をどうしたらいいのか、どうしたらよかったのか、わからなかった。(今でも、わからん。)あれが引きこもりの入り口。
結局、「馬鹿なやつ、トロい奴」と思われるのは仕方ないにしても、そういう応対をずっとされていると、結構なダメージは残る。そして、ついにダメだと思ったら意識のシャッターを降ろしちゃう。以後は、完璧に事務的な対応のみ。それはたぶん、中学生か、高校生くらいからの癖だと思う。親に対しても、たぶん、ずっとそうだった。
その上というのか、盗聴・盗撮以後は、人間関係なんて、もうグシャグシャ。こういうのは、二次災害っていうのか?

もしかしたら、あの盗聴やら盗撮やらは、僕自身が生まれる前に仕掛けをして来たのかも知れない。ニューギニアだのイギリスだのあたりまで伝わっていたのを知った時は、半分は驚いたけれども、残る意識の半分は「よし、やったぞ」だったかも知れない。今にして思えば、そのおかげで、師匠の存在を全世界にアピール出来ている。ただ、当時のメンタルは、もうギリギリだったかも知れない。
もし、結果的に「完全崩壊」せずに持ちこたえることを見越して計画を立てて来たとしたら、一体俺(今の自分、というよりも、肉体を持つ計画を立てた時点での、意識体の自分)は、どんだけ自信家なんだ、と、思いっきり皮肉を言いたい。自分に対して。

悔しいけれども、消化しきれるには、まだ時間はかかるのかも知れない。ただ、ささやかながら、「わかりきったこと」を見落としていた自分に気付いた点だけは、今回のフラッシュバック、良かったのかな、とも思う。みんな、得手不得手があるからね。

食後の腹ごなし。仕事に戻りま〜す。

トラウマ

フラッシュ・バックがきつい。
子供の頃からの、自分をわかってもらえない、何を言っても聞く耳を持ってもらえない、時にスルーされ、時に弾き返されて、鬱々とした記憶が一気に吹き出して、泥沼状態。
特にキツイのが、盗聴・盗撮に悩まされた30年前の記憶だろうか。
何を言っても弾き返されたりしているうちに、自分の中でシャッターが降りて、もうどうしても心を開くなんていうことが出来なくなる。無論、事務的な対応だけはきちんと出来るのだけれど。その全ての、弾き返された記憶が一気に吹き出している。
深追いせずに、早い段階で引き下がって諦めたような相手の方が、むしろ大丈夫なのに、大事だからと引き下がらなかった相手、自分の生活に直結する相手、ばかりに、選択的にシャッターが降りてる。全く心を開けない。そうなるまでのプロセスの、フラッシュバック。

こういう状態になる、ということは、要するに「感謝行」がきちんと出来ていないからだ、とはわかっているのだけれど。勉強会に十年以上も通っている人間の、陥っていい状況ではありませんね。

と、思いつつ、何故か、理由がわかった。実は、悪霊とか、心霊現象に関するページを一つ書いた。まだアップロードしていないのは、「条件」を満たしていないから。ある条件を満たしたらアップしようと思い、読み返し、ほとんど書き上げている。ただ、まだ「竜の目」を書き込んでいない。
これだ、と理解した。たぶん、どなたか、浮遊霊さんを引き込んでしまった。乗り気のしないページだったけれども、書くために必死で浮遊霊だとか、地縛霊だとか、地獄だとか、その世界をイメージし続けた。それで引き込んじゃったみたいで・・・未熟だ。

それはそれで、なんとか出来るとして、この、たぶん子供の頃からの「防衛方法」というか、特定の相手に対してシャッターを下ろしてしまう、という癖というか、習性というか、どうしたら解消できるのかが、僕の最大の課題かも知れない。
この「シャッター」が下りる前に、僕の言うことなどに聞く耳を持ってくれたなら良かったのにと思いつつ、既に十代前半の頃には「自分をわかって欲しい」一心で、相当に「鬱陶しい」自己表現をするようになっていたから、半分以上は僕自身の問題なんだろう。結局、最初のトラウマがその後のトラウマの原因になったんだろうか。さらに、そこから浮遊霊さんを引き込んだ。情けない。
泥沼だったけれども、1時間でなんとか気付いた。それだけは、多少は昔よりも、学習したか。

ディープ・ラーニング

疲れた。帰って来て、テレビのチャンネルをあちこち見ていたら、NHK教育でAIの自動運転技術の話をやってた。
学術的な根拠のある話題ではないけれども、直感的に、Hidden Layerの学習をブラックボックスにしてAIを学習させた場合、不適切な例えとは思いつつ、ハインリッヒの法則の「1:29:300」の「1」のケースが、とんでもない場面で発現して大事故につながる、ということは起きうる気がする。AIに任せてしまえば、確かに、経験則で何でもかんでも「学習」はしてくれると思うけれども、それは生物の持つ「知能」の発達プロセスとは全く異なる、という点だけは、理解、というよりも、覚悟しておく必要があると思う。
「機械学習」の「安易さ」に頼りすぎて、危険性を認知できる技術者がいないんじゃないか、とも思っている。

個体発生は系統発生を繰り返す。人間の脳も、顔だとか複雑な図形、道路への飛び出しの予測まで認識する過程で、単に明暗を認識するだけの原虫の脳、から、対象物を認識できる哺乳動物の脳に至るまで、それらの「学習」プロセスを、乳幼児の時期から一気に辿って、Hidden Layerというべき部分の学習を行い、そこに基づいて、図形認識、空間認識、行動認知を行なっている、と私は考える。ずいぶん昔、何かの本で読んだ。そんな研究があったはず、だと理解している。
人間の脳の「知的認識能力」も、極めて原始的な防衛本能から、高度に「人間らしい」相手を理解する能力に至るまで、成長のプロセスで積み上がっていくのではないかと思う。
つまり、人工知能に「人間らしい働き」をさせるためには、結局は「人間」が乳幼児期から学習するプロセスの、段階的理解を辿らせなければ、最終的に人間を置換する働きはさせられない。表面的にあたかも人間のような「判断」をさせられたとしても、中間プロセスの「判断」では、動物が長い年月をかけて脳に習得させて来た「認知能力」とは似ても似つかない経過を経ていて、それが、レアケースでとんでもない「大事故」を引き起こすリスクは持っていると思う。

先を急ぎすぎている。Deep LearningのDeepの部分、Hidden Layerのきちんとした意味づけを省いた場合には、人間の判断とは似ても似つかない「結論」をAIに突きつけられるリスクは、覚悟すべきだと思う。
なんてことを書いても、「産業界」は「結果優先」だから、事故が起きなきゃ見直しはしないんだろうなぁ。原発なんて、福島で未だに「居住制限」があるような事故が起きているのに、「想定外の事故は起きない」なんていう意味不明の説明がまかり通っている。「想定」できないから「想定外」なんだろうに。「想定外のことは想定していません。」そりゃ、当たり前だ。「知らない人は、誰一人として知らない。知っている人は、誰もが知っている。どうだ、参ったか!」みたいな議論で・・・はい、論理的には極めて正しいです。参りました。

実は今日、久々に法政の講師室で、サイエンスライターの内村先生と世間話をさせていただいた。今日は昼飯に、コンビニのペペロンチーノを買って講師室に持ち込んで、奥の部屋でこっそり食べたつもりが、なんとなく匂いが充満してしまって、ごめんなさいを連発しながら、内村先生に「くさやの干物弁当じゃないから、ご勘弁を」と、そんな話を口火に、シュールストレミングの話になり、内村先生曰く「イヌイットの食べ物に、シュールストレミング以上に臭いのがあるらしい。なんで俺、こんなに臭い食い物の話に詳しいんだろう」なんてお話から、京都の「なれずし」の話題になり、それからどんな経緯を経たか忘れたけれども、電総研の話題に飛んだ。
電総研では、イカの巨大神経で「神経回路」を調べていた。「そこでは、実験室に天ぷら用の鍋がおいてあったそうで、しかも、実験用のイカを飼育するために、イカの人工飼育のギネス記録を持たれていたそうですよね」なんて話題を振ったら、内村先生、全部ご存知で。
東大の数理だったかな、僕らがバイブルのようにしていた甘利先生の「神経回路網の数理」も、内村先生はご存知だった。というよりも、甘利先生のお弟子さん(?だったかな)の南雲先生、その南雲先生のお弟子さんが、内村先生の部活の後輩(だったかな)で、先生のよくご存知な方らしくて、神経回路網研究の話題に飛んだ。

今時、「AIのディープラーニングでなんちゃら」の話題に食いついてくる人は多いけれども、「神経回路網の数理」がらみで、ホジキン・ハックスレイの方程式がどうこう、なんていう話題が通じる人なんて、滅多にいない。嬉しかったし、もうちょっと、授業開始まで時間があったり、あるいは、これが居酒屋なんかだったら、いつまで話をしていたかわからないなぁ。数十分だったけれども、話題が飛びまくった。生物物理の領域なのか、ナトカリポンプを逆回しさせるとATPが合成される、なんて、僕は知らなかった。内村先生は、「日本が量子コンピュータを完成させた」報道に思いっきり懐疑的で、というか、あれは「素人を騙す」ようなお役所がらみのご都合の政府報道じゃないか、とお考えのようで、光の干渉を原理(?なの?実は、きちんと理解していない)とするのは、本来の量子コンピュータとは違うぞ(的な、すみません、伝える人間がきちんと理解していないから、これまで書かなかった)というようなお話は、数ヶ月前に再三聞かされていたのだけれど、今、理学部の研究者が、工学部でやるような分野に首を突っ込んでいて、みたいなお話も聞いた。その辺の話題は、井戸端会議、じゃないけれども、世間話としては十分楽しませていただいて、(こんな話題がかみ合う人は、滅多にいない)ここまで話の枕を書いて、このページの本題まで、もう少し。まだ本論じゃない。くどいね。

量子論の、不確定性原理。ハイゼンベルグの式は、位置のデルタと運動量のデルタの積が定数になる、だったと自分は理解している。つまり、端的に言って計測によって状態を確定すれば、状態が変化する、ということを言っていると理解する。量子コンピュータが量子論的に多値を持つことを利用する、なんてことが、本当にできるんですか?多値を持つことなんて、できるんですか?単に「計測」できない、「計測」したら状態が変わるから「わからない」だけで、それを「多値」と呼んでいるだけじゃないんですか?と、いう、極めてど素人っぽい質問をさせていただいた。
江崎玲於奈さんが発見された「トンネル効果」。量子エネルギーのポテンシャルの井戸。電子がすり抜けた先の「出現場所」の確率は、無限遠に近くてもゼロじゃない。ワープ、ですよね。そんなことが起き得るのに、そんな原理をコンピュータに使えるんですか?という話題の振り方。
念のために書くならば、私はこの分野のど素人ですから、本職から猛烈な迎撃を受けるのは覚悟の上で領空侵犯してます。

こんな話題をしていたら、内村先生が、ポロッとおっしゃった。不確定原理の発見に絡んだ、ジョセフソン博士、ジョセフソン効果とかジョセフソン素子を発明された方の興味が、晩年は「心霊現象」の方にいっちゃった・・・と。(やっと本題。)
内村先生には、僕がこんなWEBページを書いているという話を直接したことはない。というよりも、僕は誰一人として、このWEBページの存在を話題に取り上げて直接会話したことはない。「公然の秘密」みたいな、不思議な自己表現。そこに来たかぁ、と思った。その辺で、タイムアウト。「そろそろ授業が始まりますね。」と(実際にそういう時間だったので)それぞれ教室に向かう感じになった。さてと、ようやっとここからがこのページの本題。

万有引力の法則を発見されたアイザック・ニュートンは、カイトロンというお名前の9次元神霊だと、「師匠」が講演会でおっしゃっている。以前一度だけ、カイトロン(様)ご本人の意識を受け取って、講演されたことがあった。また、ニュートンがなされた仕事について、これも一度だけ、講演会で聞いた覚えがある。カイトロン(様)は、自然科学を「神の意識」に結びつける仕事をされるつもりでニュートンとして肉体を持たれたはず、だった、(と、自分は記憶している。師匠の講演会CDで、この日の話題を聞き返したなら、これと異なる表現をされていたかも知れないので、私の理解間違いがあるかも知れない。ただ、聞き返そうにも、もう600回を超えている講演会のCDのどの回だったかがわからないと、探しようがないので・・・確認できないまま、書き続ける。)
自然科学は、「心霊現象」と決して「相容れない」学問分野ではない、はずだと私は理解している。心霊を知覚できる人が少なすぎるだけ。プリンキピアでは、そこを埋めるはず、だったのに、自然科学に終始してしまった、と、師匠はその点に不満をおっしゃられたように、記憶している。(相当な記憶違いがあるかも知れない。)

ジョセフソン博士も、あれ程の業績をあげられた方なら、間違いなく6次元以上だろうと思う。そして、6次元以上の方が仕事をされる際は、「上」からの意識を受け取る場合も少なくない。手塚治虫氏は6次元の方で、上からの意識で書かれた作品も少なくないと聞いた。超能力を使う三つ目族は実在した。チャクラはその名残。詳細は、勉強会のメンバーにお聞きください。なぜ三つ目族が滅亡させられたかも講演会で聞いた。6次元の方の中には、神の実在を確信した上で、「上」からの意識をこの現象界に伝えようと覚悟して肉体を持たれる方も少なくないだろうと思う。だとしたなら、ジョセフソン博士が晩年、「心霊現象」の方にシフトされたとしても、何の不思議もないだろうと、私は思った。思ったけれども、なかなかこうした話題は、面と向かって自分の周囲の方とは会話できない。ごめんなさい、わたし、とってもシャイですから。
なかなかなぁ・・・師匠の講演会の話題を、日常的に周囲の方に伝えるには、結構ハードルが高いものがあるのも事実で・・・。もういいです。僕はこのスタイルで続ける。本当にもう、蚤の心臓の持ち主なもので・・・実を言えば、私はものすごい小心者ですし。

「脳」の機能や働きは、「意識」の振る舞いとは違う、と私は理解しているけれども、「意識体」の乗り物が「肉体」である以上、当然のように、ヒトとしての意識体を受け入れやすいように「人間の脳」も進化してきたに違いない、と私は考える。(ここは、師匠の講演内容からは、離れています。)
経験した内容は、脳ではなくて魂に刻まれる、とは、師匠はよく講演会でおっしゃる。だとしたら、真のバック・プロパゲーション、人間が行なっているディープラーニングとは、脳の神経回路ではなく、その脳とリンクしている意識体での学習なのかも知れない、と私は考える。

俗にいわゆる「霊」とか、できるだけ「霊」という言葉を使いたくない私は「意識体」と言いたいけれども、私自身は「だって、いるでしょ?」という立場を押し通します。その「意識」の階層性を考えた先に、「電子にも意識がある」なんていうことが「証明」できたらいいな、ということは考える。トンネル効果で、電子が一旦意識体に戻った後、数cm先に現れたとして、その「ワープ先」で、どこまで飛ぼうと思ったのか、それがそのたった一個の「電子」の意志によるとしたら、そこにあるのは「計測の客観性」ではなくて、「電子の主観」だと思う。これは、京大の先生が書かれていた。

そして、これは師匠の講演会の受け売りだけれども、「神」という単語は、地上のすべての言語に存在する。パプアニューギニアの部族語にも、少ない語彙の中に「神」があることは知っている。SIL(Summer Institute of Linguistics; キリスト教の聖書を全世界の言語に翻訳しようとしている団体、だと理解している)の方は、ニューギニアで何人とも行きあっているけれども、キリスト教の「神」を部族語の「神」に訳してもいいんでしょうか、なんていう質問をしたことって、あったかなぁ。改めてその疑問は持った。けれども「神」という単語が全世界にある、と師匠はおっしゃっていた。存在しないものが、それほどに普遍的に「言葉」で扱われることがありますか?という師匠からの問いかけでしたが、皆様方はどのようにお考えでしょうか。
加えて言えば、パプアニューギニアの部族語には「霊」という単語もあった。遺骨収集の際に、ピジン語でのやり取りだったけれども、現地の方の話された単語がピジン語のマサライになったり、英語のスピリットになったりした。「霊」の存在を扱わない「文化」や「風習」はあるんだろうか。文化人類学者に聞いてみないとわからないけれども、「原始宗教」が先か「霊の認知」が先か。知覚できる人は、絶対にいつの時代にもいたはずだと私は考える。

かの、アイザック・ニュートン氏がやりそびれた仕事。僕のごとき低次元にはできようはずもないけれども、でも、挑戦するのは自由。いや、違った。師匠が「神が現象界を作った時の設計理念」なんていう話題を時々講演会で話される(間違っても、師匠以外の口から他人に伝えるな、と釘を刺されている部分)から、僕はそれをこの話題に結びつけて考えているだけ。こうして師匠が肉体を持たれなかったなら、描写すること自体が困難な話題だったのかも知れない。だとしたら、僕は「挑戦」しているんじゃない。ただ淡々と、師匠が講演会で話された内容を、可能な限り忠実に、ただし、私自身が経験して、考え抜いた内容と重ね合わせて、他人に伝えようとしている。それだけだった。これは「挑戦」じゃない。そして、自分自身の経験、自分自身で考え抜いた内容を話すことならば、師匠も容認して下さっているはず。(間違いがあったなら、どこからか茶々が入るだろう。もし、とんでもない間違いがあったら、僕自身が「突然死」するだけ。「これ以上は、もう止めろ、」と。止めていただけるのならば、むしろ安心して続けられる。)

自然科学系の人間が、「心霊現象」の方にシフトしたら、いけないんですか?むしろ、自然な流れじゃないんですか、と言いたかったけれども、気の小さい私は言えなかった。意味もなくタブー視されている気がする。意味のない、先入観や偏見に基づくタブーなら、そんなタブーは要らない。

内村先生と交わしたみたいな会話を、誰とでもできる訳じゃない、ってことはよく理解している。いつか、今日書いたみたいな話題も普通に持ち出せるといいのだけれど、普通は浮いちゃうからなぁ・・・自分の気の小ささを自覚すること、しきり。
ただ、師匠の講演会の話題を持ち出せなかった部分はともかく、内村先生との会話は、とても楽しくて、時間経過の短い午後の數十分(十数分?)だった。
たまにこういうことがあると、また2〜3週間頑張れる気がする。自己確認みたいなもんですね。
一粒で300m

笑いの健康効果

NHKの朝ドラの後、いきなり大喜利の予告が始まった。

ラジオの「すっぴん」とテレビ「朝イチ」のコラボ?なんだか乗せられてしまった感があるけれども、乗った!笑いの健康効果。

思えば、僕は査読のある論文は一本も書いてない。「論文」的な書き方でまとめた、ほぼ「最後」かな。pdfファイルです。ファイル名に日本語が使われているので、環境によってはうまく開けるか・・・WORDにはめ込んだ「図」が一つ、壊れていた。オリジナルのWORD文書は・・・探せばどこかにあると思うけれども。

電気学会原稿060714-3

要点は二つ。心拍変動の周波数解析で、HFとLFの比を求めるやり方で、交感神経の働きと副交感神経の働きを指標化。笑い刺激の最中は「交感神経」が活発になり、その直後、リバウンドがかかるように副交感神経が活性化する。以上。データを使って長々と書いていますが・・・

日本ME学会(日本生体医工学会)のポスターセッションで発表した時は、「笑いが交感神経刺激ですか?笑える研究ですね。」などというコメントも頂いたけれども、だってデータがそうなってるんだから。笑いは基本的に気持ちを「攻撃的」にすると思う。ストレスや病気に対して。その反動で副交感が活性化する、と自分は考えている。

唯一の国際学会は、シカゴのIEEE。立ち見が出た。心臓発作の予知・監視・通報システムの研究。1998年だったかなぁ。
そうだった。初めてで唯一の国際学会発表で、笑いをとった。「転倒のデータはどうやってとったんですか?」「学生にヘルメットをかぶらせ、床にマットレスを敷いて、倒れてもらいました。嫌がってましたけど。」生活動作のモニターのうち、「転倒」くらい簡単なデータはない。受け身を取っても2Gとか3Gがかかる。振り切れるからすぐにわかる。心臓発作にしても、突発性の重篤な症状は負荷応答だと自分は考える。

ただ、僕はもうIEEEは退会しようと決めた。多分もう、学会発表をするような状況にはならない。AAAS(サイエンス誌)の会員も退会する。生活を立て直すのが精一杯。心臓発作の予知も、笑いの研究も、ITCの教育応用も、世間ではもう僕の先を行ってる気がするし、リタイアするのにはいい頃かな。日本生体医工学会も、次は更新しないと思う。

一番身近な人に何か相談をすると、1秒以内に「そんなの絶対ダメ」「何でそんなこと言うの?」「何言ってんの?」「無理無理無理」などなどの返事が返ってくる。その辺の押し問答をもう何十回と繰り返した今、ちょっと疲れたというか、研究なんてできる環境じゃないことは痛感した。大学ですら、科研費の申請を「悪いことをするに決まってる」とか言って兼業届の書類を「不受理」にして来たし。人生、切り捨てることも大事。心臓発作の予知、だけは、形にしたかったけれど。どなたかに託したい。

僕を、うまい具合に「乗せて」、マネージして、そこそこ金も儲けられるように使いこなしてくれる相棒が、この辺の研究分野でも欲しかった気がするけれども、難しいですね。株式会社のジーエムエスの林さん。まさしくそういう方だったのだけれども、当時の僕は、盗聴と盗撮でメンタル的にかなり潰れていた。
基本的に僕自身は、信頼できる人には、従順についていく「性格」も持っているつもりなんだけれども。大学でも、7年くらいだったかな、直属の上司だった江木先生には(きっと、使いにくい部下だったに違いないけれども)きっちり仕事はこなしたつもり、だった。人生って、パートナー探しはとても大事ですね。

いつかまた、医療分野にも戻りたいけれども、当面僕は製造業関連の仕事に特化して生活を立て直そうと今は思っている。30年以上、1984年から日本生体医工学会の会員だったけれども、ケジメをつける意味で、学会関係は全部やめようと決めた。

なんだか、遺言だ。「笑いの健康効果」は「笑える研究」だそうだけれども、一応データは出ているので、ご参考までに。

麻生発言

こんな発言があったんだ!?

不摂生な人の医療費負担「あほらしい」に麻生氏が同調

自分で飲み倒して、運動も全然しない人

色んな人が確かにいるけれども、運動したくても仕事に追いまくられて時間が取れない人だっている。それも、デスクワークでほとんど体を動かせない、指先しか動かせない状況だってあるし。
どんな仕事をやっていても、理不尽というか、どうにもやり切れない、逃げ出したくなることだって山ほどある。実際に、酒とかアレとかコレとか、逃げまくってる人だっているだろう。私なんてもう、日々逃げまくりww

「自分で飲み倒して」って言ったって、もし、仕事が面白くて仕方ない、家庭にいることが楽しくて仕方ない、そんな環境なら飲み倒すほど飲んだりはしない人だって少なくないという気がする。面白くない仕事をなぜするか。仕事しなけりゃ金にならないでしょう?居心地の良くない家庭、って言ったって、家庭環境なんてそうそう簡単には変えられない。必死に家族に合わせている人は世間には山ほどいると思う。(Nack5のゴゴモンズ参照。)ついでに言えば、金があれば多少の問題点があっても問題が表面化しない場合も少なくない気がする。
面白い仕事を自由に選べるような政治、家庭内の問題が表面化しない程度の金を誰もが持てるような政治をしてくれているなら、飲み倒すほどは飲まない人だって多くなると思うのに、現実にそういうハメを外す人も多い、ってのは政治にも責任がありませんかね?違いますか、なんて思ってしまう。新しい内閣の顔ぶれで、金持ちの御曹司が何人いる?下のものの気持ちなんて、わからんだろうなぁ。

こういう一言は、財閥の御曹司なんかで、やりたくないことを一切しなくて済む人には言われたくない。
そうは言いつつ、私自身もそこそこ親には遺してもらっているから、まだ、なんとかなってるけれども、麻生さんとは比較の対象外だろうなぁ・・・吹けば飛ぶような、ってか、吹かれなくても飛んでる気もするし。

麻生さんとは違って、飲み倒す余裕もないけれども、しゃぁねぇ、頑張るか。
こんなこと書いてないで。

言葉

悔しいけれども、仕事にならない。
今朝(日曜日、朝)、自治会の広場清掃をすっぽかしてしまった。すっかり予定を忘れていた。つまり、どういうことかと言えば、ここ数日ずっと、この状態が続いている。
一人でいると、固まっている。何もできない、ほとんど何も考えていない。(「考えていない」=「思っていない、感じていない」とは違いますので、念のため。)
結果として、予定とか優先順位とかが、もうまるで、きちんとできていない。しっかりしなきゃ。

で、不思議なことに、目の前に誰か人がいると、条件反射的に勝手に頭が働いてくれて、勝手に体が動いて、不思議なことに大学の授業すら(記憶を振り返って見て)それなりに「形」になる授業ができている。週9コマのノルマをもらって、手取りが少ないから非常勤も続けていて、週15コマ程拘束されていた時は、『先生、演習のコマ、課題だけ出して教壇でうつ伏して寝てましたよね』って、はい、覚えています。毎週20時間以上、授業して、それなりに意味のある言葉を発する生活の時は、さすがに充電が追いつかなかった。でも今は、体調がどうこうとかではなくて、何なんだろう、反応してスイッチが入れば、きちんと仕事はできるのに、ここ数日、無風状態になると、固まってしまって、動けない。

昨日だったかな、Nack5、Alfeeの坂崎さんの番組に、小室等さんがゲストで出てきて、何十年ぶりかにラジオで小室さんの声を聞いた。中学生だった頃か、高校だったか、深夜放送の「小室等の音楽夜話」を、ほぼ毎晩聞いていた。懐かしい。谷川俊太郎さんの詩集を手にしたのは、小室さんの番組がきっかけ。今日は、ついさっき、松山千春さんの番組。坂崎さんもそう、小室さん、松山さん、みんな「フォーク」(出身)か。言葉を伝えたい人たち。昼間は、由紀さおりさんの番組を聴いていた。由紀さんも、言葉を大切にする方みたい。固まりながら、一日中ラジオは聞いていた。

数値解析はできないけれども、「言葉を伝えたい人」の言葉には、何か、何なんだろう、「コトダマ」だろうか、宿っている気がする。オバマさんにはあって、トランプにないもの。歌でもそう。
学校の教員をやっている以上、学生を値踏みするつもりのないことは理解して欲しいけれども、やはり、その人の「次元」は言葉に現れる。霊格が低いから低く見る、なんてことはない、そこは勘違いして欲しくない。むしろ、「こいつ、できるな」と思ったら、「勝手に俺から盗め」と思う。盗みやすいように見せる。「『技や知識を盗め』は、無理だろ」と思ったら、こちらもスイッチが入って、比喩を駆使したりして、何とか伝えようと思う。
「次元」って何?すみません、師匠の受け売りなので、師匠の著書をお買い求めいたくか、私のバックナンバーに目を通してください。消してない分だけで、すでに300を超えてるけど。消した分を加算したら、Facebookなんかも合わせて、たぶん、2000ページを超えてるけど。すみません。私のページを探すより、師匠の著書の方が早いと思う。

師匠の講演会の受け売り、というよりも、師匠の著書に書いてあるので、この辺は平気で書ける。人類は、4次元から9次元まで。4次元は、肉体を持つこと自体が貴重な経験となる方々。5次元は、いわゆる「いい人」。6次元は、専門職。7次元はあらゆる分野の知識を網羅して、自分の知っている知識をひたすら伝えたいと思う人。8次元は、もはや「人間」という意識より「生命体」としての意識に近づいて、たった一人で「世界」を動かすだけのエネルギーを持つ方々。9次元は、最初から「神の思い」を持たされた状態で生命体として生まれた、最初から「人類を指導するべきヒト」として創造された存在。
7次元は、リンカーン、坂本龍馬、田中角栄、など。8次元は、谷口雅春、ゴルバチョフ、(イスラム教を伝えた)ムハンマド、マルチンルーテル、など。9次元は、大川栄策(でしたっけか?)、高橋信次、イエス、モーゼ、ニュートン、孔子など(以上、敬称略)。「上」の方々はどうでもいい。問題はとにかく、4次元、5次元の方々、だと思う。師匠の講演会の受け売り。「神の実在を確信できなければ、6次元には上がれない。」

そして、思う。「神は実在する」と、どれだけ書いたとしても、伝わらない相手には伝わらない。モーゼは海を割った。8次元でも空中に浮揚した方はいらっしゃるらしい。師匠のやられることは、はっきり言って(意図はわかるけれども)滅茶苦茶(気にしたくない)。伝えたいために「奇跡」を見せられた方々は、少なくない。だけれども、ほんの僅か時間が経ってしまうと、もう元に戻る。出エジプト記に書かれている。目の前で海を割られても、やがて元の「信じていない」状態に戻る。

「霊体」としての寿命は、「地球」とか「太陽系」の物質世界の寿命よりも、はるかに長い。ということは、居住に適した惑星に移住しながら肉体を持つという経験を積み重ねている。星系をまたいでの移住ができるのは6次元以上。だから最初は地球にも6次元以上の人しかいなかった。(なぜUFOを日常見かけないかは、別の話なのでここでは書かない。)
そこから「地球生まれ」の霊体(厳密には「移住組」から白紙の状態でコピーされた、まっさらの霊体さんたち)が生まれた。最初は4次元。そこから5次元(いわゆる、いい人)に上がった方たちも、少なくない。普通なら、数十億年かかるプロセスなのに、創造主が、今回の地球では「他人と自分を比較して、気にする」という「特性」を人類に持たせたらしい。他の星系では、他者を全く気にしないところもあるらしい。その結果、生まれてまだ1億年も経っていないのに、早くも6次元に上がった方もいらっしゃるらしい。けれども、誤った欲の使い方で、他人と持ち物を比べるなど「モノ」を比べる方に集中したりして、悪影響も出て、4次元や5次元に留まる方々が大半。このまま進化できなければ、6次元に上がれなければ、やがて、太陽系の寿命が尽きる時、時間の問題で太陽の寿命と運命を共にするのか。聞いたことがあるような、ないような・・・思い出せない。コンピュータの世界だったら、「ガベージ・コレクション」というのがあるけれども。

まとめます。(論点が漂流した。)

言葉を発する時も、聞く時も、最大限、気をつけなさい、と。言葉を発する時の誤りは、他人を巻き込む。それは、表面的な意味で。
言葉は、自分自身の「意識体」が構築する。「脳」で「考えて」出て来るものではない。「思いを口にする」時に出て来る言葉は「意識」が発する、という気がすごくした。ということは、発した言葉の誤りが「魂を落とす」ことにつながると思う。
AIが言葉を「記号」として処理して、人間の「脳」には簡単に勝てても、「意識」には太刀打ちできない、と自分は考える。

おそらく、6次元以上の方々には書く必要がないこと、だったのかも知れない。魂の中に「神の実在を信じる」ものが入っているはずだから、あとはそこに棹差すだけ。輪廻転生で毎回肉体を持つたびに、落ちることがないように気をつけるだけ。特に6次元の方々は「自分のスキル」を高めるために集中して、あまり周囲を気にしない性向がある、らしい。その分、周囲に流されることは少なくても、自分勝手になり周囲を見下したりして、肉体を持った本来の目的を見誤りやすい。

5次元の方々には、もしかしたら、私が媒介している師匠の言葉も、受け入れてもらえるような気がする。ただひたすら、自分の周囲の人間に気配りを持って愛情を注いで生きる。疲れる生き方かもしれないけれども、そうすることで自身のエネルギーレベルが上がって、いつか6次元にまで上がれる。6次元にまで上がれれば、いつか太陽系の寿命が尽きても、他の星系に移住できる。

問題は4次元の方だろうと思う。そもそも、私などが師匠の言葉をストレートに伝えても、自分の経験を被せてどんな表現をしたとしても、たぶん、その言葉は言葉としては伝わらない、そんな気がする。人間なんて、死んじまったらそれっきり。だから生きたいように生きる。奪おうが殺そうが自分の勝手。そんな意識が、心の中にある。4次元の方々には「言葉」では通じない気がする。
ただ、周囲にいる5次元以上の方々が、愛情を持って接するうちに「こういう生き方もあるのか」と知って、自分自身で生き方を変えていく。そのプロセスが必要なのかも知れない。日常的な思いやりや気配り、災害時の協力や倫理的な行動など、「あるべき姿を伝える言葉」を一番伝えやすい、説きやすい国が日本だったのかも知れない。だから、高橋信次氏も、大川隆法氏も、師匠も日本を選ばれた。
その一方で、言葉ではなく、行動で人を変える、4次元の方々にはそれしか方策がないのかも知れない、とそんな気がした。そのためには、行動を見せるしかない。出来ることならば、世界の中で、国対国という関係の中でも、日本にはそのように振舞って欲しいと、最初は思っていた。

とにかく、まず、眉唾でもいいから「神」の実在を信じてください。まずは、そこからか。輪廻転生で、何度でも人間として生まれ変わる。肉体の中に入っている時には、脳がまっさらの状態に戻るので過去の記憶を引き継げなくても、知識として脳に蓄えたものではなく、経験して魂に刻んだものは持ち帰れる。その蓄積で、人は進化する。
私たちが、どんな立ち居振る舞いをするか、だけではなく、心の中で何を思ったかまでもを、神だけではなく何十億、何百億の霊体さんたちは見ることが出来る。特に親しかった友人や両親などは、霊体になっても注目しているかもしれない。肉体を持ったこの世界で注目を浴びている方々は、霊体さんたちからも注目されているかもしれない。それを知っておくだけでも、生き方は変えられるかもしれない。(と、自分に言い聞かせている。)現象界で誤解されても、真実を知っている方はいらっしゃる。逆に見せかけだけ取り繕っても、上には全部知られている。

再び、この「言葉」も、5次元以上の方々には通じたとしても、4次元の方々には届かないかも知れない。

師匠が講演会で話されていた。でも、師匠が講演会で話される数年前に、僕はネットに書き込んだ(15年位前のバックナンバー参照)。「モーゼの十戒」殺すな、奪うな、以下省略。たったそれだけのことが、全くできていない。6次元でも落ちる人は激しく落ちる。4次元とか5次元には、「殺すな」「奪うな」なんて、「殺さない、奪わないのが当たり前」の感覚が、全く理解できなかったりする。伝わらない。「伝え方」がわからない。固まった。
そうか、「伝わらないんだ」と、ようやっと理解した。師匠が、「私が直接伝えて、それで何も変わらなかったら、創造主がどういう判断をすると思う?」とお話しされていた内容が、やっと理解できた気がする。

言葉の「大切さ」を考えると同時に、思ってしまう。「伝えたい思い」を何も持たない人間の発する「言葉」にどう対峙すべきなのか。そういう問題(トランプね)もあるけれども、伝えたい言葉が伝わらない時、どうしたらいいか。行動を見せることしかない。行動を見せることで、神を信じること、他人を信じること、他人に礼節を持って接することの大切さを、まだそうした生き方を知らない人たちに伝えていく。そこが大事なんだと、ここ数日間、固まり続けてやっと理解するに至った気がする。

財布を落としても現金を抜かれずに戻って来る。そんな夢のような場所が、この地球上のどこにあるんだ?そう思って生きている人は、世界には山ほどいる。
どこかにありませんでしたかね?もしあったとしたら、どうか変わらずにいて欲しい。そういう社会を構築できるという実例を見せつける社会であり続けて欲しい。その中で、いずれ全ての方に少なくとも6次元までは上がって欲しい。師匠の講演で私は、師匠のか、創造主のか、何とも言えないけれども、そんな思いを感じ取っている。

師匠は講演会で、こうもおっしゃった。「イエスが再誕する前の世界は、家族すら信じられないほどに人心が荒廃する。そんな中で、この勉強会の会員の皆さんには、周囲に惑わされることなく、人としてあるべき生き方を貫いて欲しい。」5次元に上がった、6次元に上がった、そうした進化した方々にとっても、周囲に引きずられて、平気で嘘をつく、平気で他人を傷つける言葉を口にする(あ、私!)、そうやって「落ちる」ことがないように生きることの難しさ。(やっちまった、と気付いたなら、反省と感謝。何もなくても反省と感謝。そのやり方は「各論」ですが、勉強会の会員までどうぞ。)

僕は一体、何を伝えたかったんだろうか。相変わらず、要領を得ない、意味もなく長い文章を書く奴だ、とは思うけれども、伝わるかどうかは別にして、書き尽くした気はした。
これで「固まる」モードを抜け出して、日常の仕事に戻りたい。

幕引き

固まってしまって、仕事にならない。
随分と凄惨な殺され方をした人が、どこかにいたみたいで・・・。恐らくは宗教の法の定めによる処刑が日常化し、血の海を見慣れている人たちなんだろうとは思うが、想像したくないニュースを読んでしまった。真実は知らない。口を突っ込みたくもない。ただ「公平性」だとか、「人間性」だとかとは程遠いところで、見せしめが慣習化している国もある、と聞くと、耳を塞ぎたくなる。

ただ、思うに、心を傷つける言葉というのが確かに存在していて、誰かの心をグサグサと刺すような表現(以前は僕も、普通に使っていたと思う)で、心を刺された人、もし心が傷ついているとしたら、同じように見えない血の海が広がっているのかも知れない。
最近自分には、どちらも同じに思えて来ている。偉そうなことを言う資格がないと思うのは、たぶん僕自身、特に10代・20代の頃、平然とこれをやっていた。「意図的に」と「無頓着に」とでは、落ちる先が違う気もするけれども、よくわからない。

「いじめ」などは、たぶんその典型で、いじめる側が言葉を発して、それが突き刺さるごとに心から出血する様は、もしその心象風景が見えたなら、どこかの領事館で展開された景色と似ている気がする。その血の海で苦しむ「同級生」とかを見て快感を感じている児童、生徒がいるようだ、とニュースなどで見聞きすると、「血の池地獄」を連想する。

今回のニュースが、何よりもやり切れないのは、なぜアメリカが出てくるのか分からないけれども、落とし所を見つけて「幕引き」するらしい点かも知れない。早々と「落とし所」がネットニュースに流れていた。どう見ても、人道的な問題よりもビジネス優先。そうした政治が容認される国では、「あの国の資源が欲しい。領有すればいい。それなら口実を作って開戦させて、戦争を起こして支配しよう」という発想も容認されるんだろうか。自国の経済優先なんだから、当然「正当化」される。近代の世界史には、それが多かったんだろうけれども、時代が逆行しているのか。もう、止めようがないのかも知れない。何よりも、対イランと判断基準が違いすぎないか?

いや、国内の「いじめ」報道なんかでは、例えば教育委員会とか学校なんかが、同じことをやっている、ような気もする。そうか、トランプもそれと同じか、と思うに至る。片や、選挙目当てで「ビッグビジネス」を成立させ、「経済政策は成功した」と主張したい。片や、自分の立場を優先して、見て見ぬ振りをする。私たちは何も悪くありません、と主張する。嫌だなぁ、と思っていたら、思考のカーソルがワープした。

大人の世界でのパワハラ、なんかでも、随分と乱暴な言葉で部下を追い込んだりする。あるいは、ラジオを聞いていたりすると、聞きようによっては相当なトゲのある言葉を応酬する大人もいる、みたいで、子供の社会は大人の社会の縮図、なんていう表現に妙に納得してしまう。それが「法を犯した犯罪」でないならば、「何をしてもいい」みたいな風潮は、逃げ出したいくらい痛い。再び、何もいう資格ないよな、と思うと、そのトゲが自分に戻ってくる。逃げ出したいなぁ。そうか、だから幕引きするのか。

心の「澱」を吐露し、頭を切り替えて仕事をする、には、重すぎる。自分もたぶん、かつてやってた。ただ単に攻撃するだけの毒舌癖。辛いね。

お月様

月のそばに火星が見えた。だから何?ってなこともあるけれども。

なんとなく、マザーグースを思い出した。そんなに沢山知ってる訳じゃないけど。
谷川俊太郎さんの訳詞、だったかな。微妙に間違ってるかもしれないけど、確かこんな感じ。

ぼくがつきをみると
つきもぼくをみる
かみさま つきをおまもりください
かみさま ぼくをおまもりください

意識の相互性、ですかね?師匠の講演会の受け売り。
意識体の世界(勉強会では、「実在界」と呼んでる。この物質世界は「現象界」)、そこでは「意識」がかみ合えば、瞬時に意思疎通ができる。
ただし、自分が相手に意識を向けても、相手が自分に意識を向けなければ、会話は成立しない。「私はあなたが好きです」なんていう意識を送っても、興味がなければ返事は返ってこない。上でも下でも、似たようなもんか。この辺はね、もう数えきれないほど経験したから、これ以上の経験は、もう間に合ってます。

現象界での経験は、実在界での経験とは桁違いに経験量が多い、らしい。実在界ではそもそも、意識レベルが近い方としか交信できないから、どんな会話を交わしても大した経験にはならない、らしい。肉体を持っている間の1時間は、人と接する仕事である限りは、実在界の数十年分、数百年分に匹敵するくらいの経験量があるらしい。だからこそ、積極的に人に接しなさい、とは、学んでいるけれども。

でも、疲れる。疲れるけれども、そりゃぁ、走り込みをすれば体が疲れるのと一緒。心も疲れることで鍛えられて、それが人間としての進化に不可欠な経験として蓄積される、って、そうなんだろうけれども。でも、やっぱり疲れる。

パプアニューギニアとか、南の島の海辺で寝そべりたい。でなければ、どこかの川辺にテントを張って、夜空を見ながら一晩中ぼんやりと寝そべっていたい。
そういう趣味を確認してから結婚すりゃ良かったんだろうけれども、当時は他に振り向いてくれる人なんて、一人もいなかったからな・・・。金のない引きこもりの、単なるデブ。今更、勝手なことは何も言えないんだろうな。拾ってもらえただけ、よしとするってな感じか。なんて考えていたら、余計に、寝袋に入って一晩中夜空を見ていたい気分になった。

だからなんだ、ってな話か。いいじゃない、別に。「だから何」って言ったら、月のそばに火星があるのだって、「だから何?」でしょ?

ジュマンジ

旧作のジュマンジは好きだった。
なんていうか、盗聴っていうか盗撮っていうか、それらから逃げまくって実家に逃げ込んだ頃見た映画。ちょっと元気をもらった。

それが、すごくリニューアルしたみたい。

作りは完全に変わっているのに、どんな人たちに何を伝えたいか、だけは、きっちり伝わってくる。それが、クリエイターの感性なのかな、と思った。時代に合わせて伝え方の手段を変幻自在に変えていかなければ、伝わらない。そういうシビアさに直面しているのは、きっと、広告関係の方々、かもね。伝える事が、ビジネスに直結してくる。

それに比べて、宗教指導者って、なんなんだか。「何を伝えたいか」が見えてこない。塩を巻かなきゃダメ、とか、豚肉食っちゃダメ、とか、意識体には全然関係ないところで縛りを効かせる。「祈りを捧げる」って言ったって、心の向け方を知らずに、体と口だけ動かしたって、意味ないでしょ?心の向けかたを知っていたら、普通の人が相手でも心は届く、はず。それができない人が、体と口だけ動かして祈ったって、全然意味がない。あれね、材料が流れていないのに、オートマシンの製造機械がひたすら動いている集団的な壮観。どうでもいいや、幸い、テレビでしか見た事がない。あっと、この間、親戚の葬儀で片鱗を見かけたけれども。

伝えたいものがないから、伝える必要がない。そうなっちゃうと、教卓で、ただひたすら教科書を棒読みする「教授」みたいになってしまう。(実は、実名を出したい人が二人ほどいる。)宗教がほとんど、それに見えてくる。あ、えぇと、喧嘩は売っていません。伝えたいものがなくたって、別にいいじゃないですか。暇つぶしが必要な人は、世間には山ほどいる。

どういう話の飛ばし方、なんだか。新作のジュマンジ、旧作同様に、今の時代に合わせて、伝えたいメッセージが表現を変えて伝わってきた気がした。

中身が分かっていれば、伝え方が変えられるのに、伝え方を変えられない、ってのは、中身が分かっていない証拠。

筒抜け

開き直って書いている、とは言え、とってもやりずらい。
学校の先生をやりながらだと、こうした「宗教めいた」話題は書きにくい。宗教じゃない、といくら主張しても、状況に応じて霊がどうした、神がどうだ、なんていう話題に触れてくれば、なかなか宗教じゃないとは説明しがたい。
結局、専任の教員は辞めたけれども、自営業とは言え、それでもやはりやりにくさは感じる。

ただ、これだけは思う。肉体を持っている自分を、今、上でご覧になっている諸霊の皆様がた、羨ましいだろうなぁ。チンドン屋とは言っても、こうして師匠のお話の内容を書いて、それをどうにかこうにか、世界に伝えている。伝わっている。一人でも気にしてくれる方がいて下さるなら、もうそれだけで十分。少しずつでも、絶対にいい方に変わると信じて・・・。これからもバカやります。チンドン屋は、目立ってナンボ。

正直な話、師匠の講演会をそのままインターネットで全世界に生中継したらどうなんだろうか、なんてことは考えたこともあった。けれども、それはやらないそうで。至極もっともな理由があって、なるほどと思った。
師匠は、講演会で、上位の意識体の方々、通常だったら我々が直接意識を受け取ったり、肉体を持つタイミングを合わせるって言ったって、何千年かに一度しか肉体を持たれないから、まず無理というような方々の意識を受け取って、講演会で話されている。そればかりか、地球の意識、さらに上の意識も話されることがある。信じないのはご自由に、と思うが、ものすごくレアなチャンスだということも、通じない方も少なくなかろうとは思う。

僕なんか、思う。肉体を抜けて、地獄で禊をしてから上に戻ったとして、どんな顔をされるんだろうか。直接師匠にあれこれ教えていただいているのに、「そんな程度ですか?」なんてね。「なぜ、あの話を世界に向けて書かなかった」なんてことも言われるかも知れない。無理です。自分で経験して掴み取った内容以外、「師匠がこうおっしゃってました」というそれだけでは、他の方に伝えるな、と釘を刺されている。だから、師匠の受け売りを書く場合でも、それなりに自分自身の経験を被せて書いている。幸いなことに、サラリーマン、通産省の通信規約策定への参加、大学教員、遺骨収集、パプアニューギニア、MIT、自営業、コンピュータ関係、医療機器、などなどの経験は積ませていただいたから、そこそこ引き出しは持たせていただいた気がするし、生まれてきた場所もかなりドンピシャに近かった。インターネットの爆発的な普及にも、うまい具合にタイミングが合った。
師匠が直接世界に向けてお話をされることがない、としたら(著書を買っていただいたらいいんだけれども、)僕ら勉強会の会員が伝え続けるしかない、とも思う。
腹をくくっては、いる。もし間違いがあって、落ちるところまで落ちたとしても、今このチャンスは逃せない。行けるところまで行く。師匠のお話を、可能な限りわかりやすく伝えたい。個人の意見ですら全世界に発信できる今、師匠の講演内容を世界に届けないのは、犯罪ですらある気がしている。

相変わらず、枕が長い。ここからが本題。
師匠は、地球の意識とか、創造主の意識だとかも話されているけれども、師匠が受け取っている、だけではなく、「会話」になっているらしい。つまり、今現在は、師匠の目や耳を通じて、地球とか、創造主とかも、我々人類の生き様、考え方などを筒抜け状態で把握できている、ということになると思う。

意識の階層性、なんていう話もあるけれども、例えば僕らは、同じ意識レベルの人間どうしとかの意思疎通しかできない。近いところでは犬とか猫とかとは、多少は意思疎通に近いことができたとしても、例えば僕自身の肉体の細胞とは、明確な形での意思疎通はできない。僕らの意識が「生命体としてあるべき姿」に近づけば、自ずと体の細胞も「上位意識」である我々の意識を受け取って「生命体」として正常に機能してくれる。もし僕らが、奪うことばかりを考えていたり、他人を従わせることばかりを考えていたら、肉体の細胞もそうした振る舞いをするようになる。そうして「原発性の疾患」が起きる、と、師匠の講演内容を私は理解している。要するに、自分の肉体の細胞の意識すら、僕らは受け取れない。地球も、通常の状態では「細胞」でもある我々の意識の細かいところまでは把握していないのではないかと、私は考えた。(師匠は、この辺は一切講演会では話されていないので、この直前の一文は、私の考えです。)地球意識は、「人型の意識」ではない。レベルが違うから、細胞の持つ意識、電子の持つ意識、地球の持つ意識などは、全部それぞれのエネルギーレベルに応じて形態も異なるんだろう。ところが、師匠は明らかに違う。結果から言えば、今現在は、師匠を通じて「地球」意識には、我々人類の立ち居振る舞いが筒抜けになっている、ということが言えるような気がする。

もし、師匠が直接インターネットで「講演会」の内容を全世界に配信したなら、人類は創造主の意識から、この銀河系宇宙で成り立っている物理法則まで、知ることも可能になるんだろうけれども、もし、創造主の意識を知った上で、なおかつ人類が「生き方」を変えなかったら、どういうことになるのか、なんていうお話は、実は講演会でもちょっとだけ触れられた。スマホやゲーム機などのゲームで遊んだことのある方、特にシミュレーションゲームなどで、予想外の展開になって、収拾がつかなくなったら、どうされますか?電源を切ったり、途中まで「育成」した「世界」を全部消して、最初からやり直そうとしませんか?そういうことです。
例えばね、師匠が講演会で「人類のあるべき姿」なんてのを話されたとして、トランプさんとか、プーチンさんとかが、生き方を変えると思います?そして、何も変わらなかったら、上はどういう判断を下されるか。

私とか、他の会員の方々が、あれこれ周囲に話を伝えたり、書いたりするだけなら、それは、伝え手たる、私とかその会員の方が「未熟」だ、というだけでことが済むけれども、師匠なんかが直接動くと、どうなのよ、ってな話だろうと思う。会社なんかでも、似たようなことはありませんか?社長どうしの直談判で事がまとまらないのと、事業部長レベルの実務レベルで調整がつかないのとでは、ことの深刻さが違う。国と国でも、似たような事があると私は理解している。それと同じ。

捨て駒は、百も承知。役不足で申し訳ないけれども、私は自分なりに必死で、書き続けようとは思う。すみませんね、こんな私で。師匠じゃなくて。でも、こういう事情で、お互いのために、この現状で我慢していただくしか、ないんだろうなと、思った。
時々、やりきれなくなる。昔から相も変わらず、グータラで、能天気な生き方をしていて、行きがかり上師匠の講演内容を書いているから、ミカ様とか、ガブリ様とか、ムハンマド様とか、僕なんか足元にも及ばない方々も上で僕の私生活を根こそぎ注目されていて、「なんだ、このバカ、この大事な時期にこんな生活をしていて」なんてのが、筒抜けになっていたりする、と思う。ものすごい美人がいて、思わず目線が釘付けになったりしていると、その僕の意識がやはり、全部筒抜けになっていて、いや、指導霊さんだけなら構わないけれども、ヤクシュ(薬師如来)様だとか、とても書き切れない偉い方々に筒抜けなのは、ちょっと、かなわない。いや、それを承知で、自分で計画を決めて今回肉体を持った、と、思っているけれども。読み手の皆様を巻き込んで申し訳ないけれども、下賤の民には下賤の民にしか通じさせられない書き方が、たぶんあるから、僕なんだろうとも思う。

なんだかなぁ。「一回休み」でもいいから、大企業とかにしがみついて、そこそこ自分に出来る仕事を消化して、大して注目もされない、安泰な生き方をしたかったよなぁ、なんてことも、ものすごく思う。で、上に戻ったら、思いっきり後悔するんかもしれないけれども。金の話は、もういいや。建物でも土地でも、とりあえず、売れるものは親父とお袋に残してもらった。まだ、なんとかなる。どうなんだろう。千年っていうスパンで見て、今、師匠の講演会の内容を書き続けることは、一応、意味があって、僕が楽して生きる以上に価値があること、ですよね?そうですよね?ね?ね!?

いや、僕の私生活の筒抜けは、どうでもいい話だった。人類の生き様が、地球とか、創造主に筒抜けになって、大丈夫なの?と、そちらが今日の話題のメインテーマ、だった。人類のように心が汚れていない動物たちや、植物たちは、地球の意識を受け取っているのかも知れない。心がきれいという意味でいえば、ミカ様とかガブリ様のレベルになると、ある程度は地球の意識体とも意思疎通が出来ている、ように、これまでの講演内容を総合して私は考えて。で、そう言えば、去年あたりから、「地球」も意識を持つ意識体で、なんていう話を書き始めた気がする。間接的に、僕自身も、目とか耳になっているのかも知れない、なんていう恐ろしいことを考えてしまった。師匠は、人類にとって、創造主に知られると都合の悪い事柄は、意識レベルでブロックされているそうだけれども、私にはそんな器用な真似はできない。地球さん、知っちゃったら、アクションを取られるんだろうなぁ・・・。まだまだ、エスカレートしそうな気が、しないでもない。あれね、原子力も、石油の採掘も、地球さんにはものすごいストレスだと、私は聞いて理解している。人類は誰も全然、気にしていないでしょ?

僕の場合には、大した次元じゃないから、筒抜けになったとしても、大した実害はない、はずだと思う。ただ、師匠の「目や耳」が、今現在は上の「目や耳」になっている、という点は、ご承知おき願いたい気がする。

僕が子供の頃は、秋の空はもっとずっと青かったと思う。

大気中の微粒子がどうこう、という問題じゃない。人類の意識は、通訳がいれば、そのまま上にも伝わる、と私自身は理解している。ということは、秋の空ですら、青くない、くすんだ鼠色のように見える。それは、人間の心が汚れているからだよ、と、以前師匠は、講演会で仰った事があった。

以上

お化けが怖い・・・

NHKの渋護寺(シブゴジ)に反応。
師匠がこの番組をご覧になっていたら、絶対何か、講演会の内容なんかで、コメントがあるだろうなと思いつつ、取り急ぎ弟子の私が反応。師匠の講演会内容で、再三、「注意喚起」というか、僕らの心構えを説かれていた内容で、私程度の記憶からでもかなり自信のある部分だけ、抜粋。

まず、いわゆる「お化け」(=妖怪)の類は、人類の恐怖心からの妄想で、「幽霊の正体見たり枯れ尾花」だと言えます。ゾンビ?貞子さん?あり得ない。恐怖心を煽るエンターテインメント。これらの映画製作が、「誤った神の教えを解く」だとか、「人の心を惑わす」に該当するかどうかは、私にはわからないけれども、「エンターテインメント」を看板に掲げているなら、信じる方が未熟だと個人的に私は思う。

ただし、悪霊は実在します。それは、何度となく言われている。実際に訪れた人を殺すような悪霊が居着いた場所は、世界中に何十箇所も存在していて、師匠が浄霊した場所などは限られている。強い憎悪を抱いたまま死ねば、その人は悪霊になって、地縛霊とでも言うべきか、訪れた人を殺す場合もあるし、(詳細は、師匠が実際の浄霊経験を著書に書かれているので、そちらを参照して欲しい。僕が強引に会の規約を無視して、師匠のお名前とか著書をネットに出しました。指摘されたので掲載したWEBページは消したけれども、インターネットだからどこかに残骸が検索できると思います。ルールの範囲なら「無知という名の泉」で、検索して拾えるかなぁ。この書籍名なら、書いても規約に反していない気がする。ルールを破る悪智慧だけには、自信がある。話を戻して、)「あの心霊スポットはヤバイ」と言う場所は、本物がいる場所だとしたら、訪ねるのは止めるのが無難だと思います。おそらく、海外でも、ベテランのエクソシストの方でも命を落とされた方がいらっしゃる。映画もフィクションではない、と私は理解しています。

それ以外にも、どこぞの宗教が、「墓が死後の住居」だとかなんだとか、教えているもんだから、それを信じ込んで、古くは室町とか、新しいところで江戸時代あたりから墓石に住み着いた霊体さん、なんかがいて、その墓が土石流だとか自然災害で流され、「なんとなく形のいい石」になって河原に転がる結果になった。その河原の石をこの石綺麗、とか思って、拾って帰った方が、その墓石に染み付いた霊体の意識に取り憑かれた顛末、なんて言うのも師匠が著書に書かれている。(NHKに便乗した宣伝になってしまった感があるけれども、師匠の著書を買う金を払いたくないなら、私の伝聞で我慢して下さい。)

人間は本来「無垢」だと思う。僕もそうだけれども、権威が「こうだ」と教えこめば、簡単にそれを信じてしまう。それを疑うことが難しい。信じた内容が間違っていれば、天に戻るどころか、地獄に落ちるし、地獄に落ちるそれ以前に、この物質世界に漂流して(日本の仏教の考え方で言えば、「成仏できない」だし、キリスト教の考え方は完全には理解していないけれども、地獄に至る前の「煉獄」なんだろうか、イスラム教は本は持ってるけど本質を理解してないから、スルーして、)とにかく、現世に止まって、生きている人間に悪さをする。いや、亡くなったご本人は、「生きているつもり」なんだろうし、自分のありのままなんだろうけれども、「あなたのありのままは、迷惑極まりない」なんて言う隣人は、ご存知ありませんか?それがそのまま、霊体になる。
現生に止まって、「自分と意識の近い人」に働きかける。僕なんかは、いいカモです。酔っ払いが死んで、自分が死んだことを自分で理解できないと、酒飲みに取り憑く。酒を飲んでいい気分になりたい。その意識だけは(執着って言うんかなぁ)しっかりしているから、酒を飲んで今を忘れたい生きてる人間に取り憑く。そう言う「霊体さん」が「常連」にしている人は、泥酔していても霊体さんが体を操って時にはタクシーの運転手に目的地を告げて、自宅まで連れ帰って、カモに「また、よろしく」なんていう意識を送っているから、翌日もまた無事出社して、そうして終業のチャイムが鳴ったら即酒を飲みに帰社する、なんてしていても、取り憑かれた本人は結構無事だったりする。酒飲みの場合はその程度、だけれども、それが憎悪ということになったら、どんなレベルなのか、私は理解したくない。肉体を操って、誰かを殺す、なんていうことは、普通に起きているようにも、ニュースを見ていると感じる。

大川隆法氏。あの方は、紛れもなく9次元が肉体を持たれた方で、「釈迦」です。師匠がそうおっしゃっていた、だけではなく、もしかしたら僕自身、誰の「チンドン屋」を務めるか、もしかしたら、大川隆法氏の下に仕えようとしていたかも知れない。だって、釈迦の直属の部下ですよ?でも、頼れたのは、自分の「違和感」だけだった。ただ、間違いなく、あの方が書かれた最初の一冊だけは、上の意識を受け取って書かれた本だったと、師匠がおっしゃっていた。「太陽の法」だったかな。(それ「だけ」ね!)
汚れた心は、汚れた霊を引き寄せる。それを避けたいなら、自分の心をきれいにしなさい。それだけ、なのだと思う。「渋護寺」に出られていた住職も、おっしゃっていた。「南無阿弥陀仏」を唱えただけでは、憑依霊は避けられない。具体的に、私自身を例にして言えば、酒が飲みたい一心でいれば、いくら「南無阿弥陀仏」を唱えたって、酒を飲みたい心が優って、そういう憑依霊は簡単に私に取り憑く。取り憑かれたら最後、あとはもう、失禁しようが、道路に寝ころがろうが、勢いで崖から落ちようが・・・これ以上は、ご想像にお任せしますが、誰に取り憑かれるかは、運次第、ってな感じだろうか。小中学校の担任が誰か、なんていうのに、似ている気がしますけれども・・・。それが嫌なら、「酒を飲みたくてたまらない」自分の心をどうにかするしかない。
ただ、霊体さんの意識を引き寄せる、引き寄せない、それは、ご本人の意識次第。

師匠は、悪霊には気をつけないと怖い、ともおっしゃっていた。その点は別にして、普通の、いわゆる(自殺なんかの)自縛霊、とか(墓こそ自分の住処、みたいな)地縛霊、とか、(「人間、死んじまったら何も残らねぇんだよ」なんて本気で思った挙句の)浮遊霊、とかの方々は、自分の意識が共鳴しなければ、全く影響を受けることはないから、安心していてもいいんじゃないかな、と個人的には思う。自分で気づくまで、放っときゃいい。人畜無害。本人が時間を損するだけ。ただ、憎悪を持って死んだ悪霊だけは、別格。

私自身は、(もう、数え切れないほど書き続けた、盗聴とか盗撮のおかげで、)自分を守ろうとか、自分を良く見せよう、なんていう意識は、カケラも無くなった。お陰様で。「思いたいように、言いたいように、お好きに私のことを語ってください」なんていう心境は、やはりあの、盗聴・盗撮のおかげかも知れない。私を殺す?お好きにどうぞ。ってな感じか。私の私生活では、適齢期に結婚し損ねたし、子供もつくりそびれた。今のヨメは?ノーコメント。いや、俺、思い残すこと、何もねぇから。仕上げたい仕事はあるけど、出来なくたって、僕が困る訳じゃない。殺したいならお好きにどうぞ。そんなところか。そもそも、「自分を守りたい」と思うから、「恐怖」が生まれる。守らなければ、いいじゃん。それだけ。「何かが怖い!」羨ましい。守りたい自分の生活がある、なんて、素敵じゃない!?失うのが怖いのなら、最初から、持たなきゃいいじゃんか。

「お化けが怖い!」ですか?いわゆる妖怪はいないけれども、「霊体さん」たちはものすごく、多数、この世界に「残留」しています。知らぬが仏。知らぬか放っとけ。死ぬから放っとけ。死ぬから仏。
その「残留意識」に同調するかどうかは、我々自身の心の在り方次第、だと私は理解しています。意図的に共振して、「テメェ、何だこのやろ」なんていう喧嘩を売れる自信がないなら、あるものをただありのまま受け入れて、殺されようがなんだろうが、なされるがまま為されて、できることは全力でやる、ただそういう生き方をされたらいいのかなと、私はそう思う。その意識があったら、霊体さんなんて、一体も怖くないと思います。
以上。

きのこ狩り

キノコ狩りで亡くなった方が、今年はやたら多いとか。
70才代とか年配の方が多い。らしい。他人のことは笑えない。

今年は、完熟の梅が見事なくらい、たわわに実った。木に登って取れるところだけで済ませればいいのに、手が届かない、体重をかけられる枝がない先端の取り残しを、残さず取ろうと、狭い場所に三脚を置いて、三脚の脚を広げきれない状態で、バランスを取りながら取ろうとして、落ちた。頚椎を痛めてる。
冷えてきたら、足のしびれが出るようになった。治すよ、自力で治すってば。ただ、この冬は結構キツイと思う。時間がかかるようになった。それ以前に、ほんのちょっとでも状況が違っていたら、死んでいてもおかしくなかったな、とは思う。
欲張り爺さん、首の骨を痛めるの巻。

ときがわ町の西平のあたりにある農協の直売所(だったかな)で、以前、キノコフェアみたいなの、やってた。珍しいキノコとかがたくさん。ただね、出遅れて10時くらいに着いたら、残っているのは種類を書いた値札ばかりで・・・。まぁいいや。スーパーのパックに入っていない「得体の知れない食い物」なんて、買って来た日には、やたらと面倒なことになる。シイタケとか、エノキダケ、マイタケ以外は、食い物ではないということで、納得することにして・・・。僕の人生は、こういうことになってしまった。首を痛めるよりは、多少はマシな話か。でもなぁ、キノコに目がくらんで転落する人の気持ち、今はとってもよくわかる。

師匠がいつもおっしゃる。人間の実体は、肉体じゃないよ、意識体だよ。心を汚したら、いくら着飾ったってなんの意味もない。上の方々は意識しか見ない。なんてな話で。
「あれ、美味しそう」なんていうのも「適度」ならなんの問題もない。人生をエンジョイする、っていう意味では、肉体を持っているからこその楽しみ方もある。キノコを味わうのも、完熟の梅の甘さを味わうのも、肉体を持っていてこそ。肉体を持っているなら、生きているなら、楽しまなきゃ、もったいない。その点については、師匠のお墨付き、だと思う。
ただ、それが「欲」になっちゃうと、結局心を汚す原因になる。「欲」になっちゃったらまずい。

以前、勉強会の会員の方が、こんな話をされていた。ある日、自動販売機の釣り銭受けに、何枚ものコインを見つけた。「これは、儲けた!」と、内心喜んだらしい。次から、自販機で買い物をする度に、釣り銭受けに手を入れると、「また、あった。儲け!」なんてことが、何度も続いた。5回だか、10回だか、それが連続するうちに、「なんか、変じゃないか」と思い始めたらしい。もしかしたら、俺は試されてるのか?と思って、「儲けた」と思って喜んでいた自分の気持ちを見直して、師匠に直接確認されたらしい。そうしたら、師匠が笑って「そうだよ。」とだけ、返事をされたとか、そんな話を聞いた。
ぶっちゃけ、似たような話は自分も経験があるし、いろいろなバリエーションで話は聞くけれども、はっきり言わせてもらえば、師匠も試し方が、かなりエゲツない。あ、と気付いた時に思いっきり赤面するような経験を、それも、普通はあり得ないような偶然を、平気で突きつけてくる。確かに、ありがたいっちゃ、ありがたいけれども・・・

ちなみに、師匠の「そうだよ」の後は、釣り銭受けに手を入れても、もう何もなくなって、むしろほっとしたらしい。実は、これが「地獄」の再現経験らしくて・・・。肉体を持っている時に、本人の意識が「執着」しているって言ったらいいのかな、ハマってしまって抜け出せない「思い」があると、そしてそれが「物欲」だったりすると、意識体だけに戻ると外界からの歯止めが効かないから、似たような意識体の方々が集まって、本人が「これはおかしい」と気付くまで、その状況が続く。前にも書いた、セックスもそうだし、飽食もそうだし、夢の中でそれを続けている状況を想像したらわかりやすいかも知れない。そういうのは、本人たちは「天国」だと思っているかも知れない。人を殺すことや、奪うこと、騙すことに快感を感じる人たちは、そういう人たちどうしで、殺し合いを延々と続ける。「血の池地獄は、実際にあるよ。行ってみる?」なんて話もあった。価値観の違いで、傍から見たら地獄でも、本人にとっては天国、ってなことはあるかも知れない。結局、脳がなくなった「意識体」の状態で、「自分で気付くことが、どれだけ難しいか」ということの、ある意味で「課題」なんだろうとも思う。
僕が何で赤面したかは、書きません。自分のセコさだけは、悔しいけど、自信がある。

梅の実取りで、三脚から落ちて、頚椎を痛めた。これから寒くなる。今年は、結構シビレとか麻痺にも、悩まされそうだ。自戒の念を持ち続ける程度に、後遺症を残していただいて、感謝すべき、なんでしょうね。あの時に死ななかったのは、まだ生きて、何か仕事しろ、ってなことなんだろうと、解釈しておくことにする。

それにしても、と思う。肉体を持っているからこそ楽しめること、ってのは、ものすごく多い。キノコの味覚もそうだし。だけど、それが「欲」にならない、「欲しい」っていう気持ちに棹さして、安全を軽んじてしまうってのは、全く他人のことを笑えない、と思ってしまったニュースだった。

ただね。もう、今回やるべきことはやり尽くした、もう、思い残すことはない、と思えたなら、なまじっか、胃瘻か何か作られて、チューブに繋がれて生き続けるよりは、こうした事故で、サッパリと「人生を終える」ってのも、ありかな、なんていうことを考えるようにもなった。逆に言えば、肉体を抜ける際に、何も悔いを残さないように、今回自分で「課題」に掲げた内容だけは、きっちりと仕上げてから帰りたい。

愛情一本

チオビタのキャッチコピー、使わせていただきました。
レンタルDVDで、「ひるなかの流星」途中まで見てた。深夜、寝落ちするまでのお楽しみ。もう、無作為、ランダムにレンタルしまくっていて、このタイミングで、このDVD。「担任を好きになるって、ベタすぎねぇ?」ってな、セリフ。「なるほどね。」

極めて個人的に、大学教員を始めて以来、「嫌いな相手」がいないことに何となく気付いた。こっちだって仕事だから、ネチネチと「なぜ、こうしない」とか、「どうしてここがわからない」みたいに、絡む場面は少なくないけれども、嫌いな学生なんて、一人もいなかったと思う。いざ仕事だと思えば、全員に平等に愛情を注ぐことはできていたかな、と思う。
目を見て話す、なんてのは、普通にやってたつもりだし。思わず視線が胸に釘付けになっちゃった、なんてことが、なかったとは言わないけれども、ただ単に視線が釘付けになっただけで、他意はないです。セクハラだと騒がれなかった点だけは、感謝します。(なんの話だ?)

親父も、お袋も、たぶんそうだった。「どうしてわかってくれないんだ」というイライラはあったにしても、児童や生徒を嫌いになったことはなかった、と思う。自分の知っていることは、知ってほしい。自分にできることは、できるようになって欲しい。その辺は、たぶん、親父やお袋とも同じだと、今になって思う。親父やお袋の仕事は、僕も結構好きだったのかも知れない。ただ、どこかの学校で「悪いことをするに決まってる」とか決めつけられて、会社兼業届けの書類の不受理、なんていう門前払いを食らってから、専任の教員は無理だと思った。他にやりたいことがあるなら、新しく作りたいものがあるなら、学校の教員は無理だ。そんな話はもう、どうでもいいけれども、これって、言い訳なんだろうか?苦手な仕事ではなかった気がする。っていうか、いまでも非常勤は続けているのに、過去形にするな、ってか?

以前、Shift-In/Shift-Outを文字って、「Kirai-In/Kirai-Out(嫌いイン/嫌いアウト)を使い分ければ、大抵のことはうまくいく」と書いた後、なんとなくだけれども、師匠の講演会で、「好き/嫌いがあるなんて、贅沢だよね」という一言があった時に、この話題のことかな、と思ってしまった。僕自身は、「苦手な人」はいても、「嫌いな人」はいない。ただ、「嫌い」な勉強とか科目に悩まされている子供たちに、伝えたくて書いただけだった。「苦手」と「嫌い」は違うはずなのに、苦手が嫌いになるのは、どうしてなんだろう。

師匠の講演会で思い出した。訂正が一つある。6次元の方たちが「専門職として、一つの道で頂点を極めたら、次に肉体を持った時には、別の専門職として頂点を極める」と書いた部分。師匠は、「頂点を」なんてことは、一言もおっしゃっていないのに、またしても私は話を盛ってしまった。可能な限り幅広く様々な専門職で、その道を極める、というニュアンスならば、たぶん正しいけれども、「頂点を」というのは私が話を盛った。その試行錯誤を卒業することには、人に対する「好き嫌い」が一切なくなってくる。それは間違いないと思うけれども、6次元の意識体の描写の部分で、僕は話を盛ってしまった。ここは訂正します。この段落は、前後の脈絡と無関係な単なる挿入。訂正でした。以上、訂正終わり。

好きとか嫌いとか、口にできるのは恵まれている方だ。実際、仕事となったら好きも嫌いもない、やるべきことはやらざるを得ない。そういう場面を避けて通れる人生が、もしあるとしたなら、経験値としては「一回休み」みたいなものだろうか。何万回と肉体を持つ過程で「一回休み」で、数百年に一度の肉体を持つ機会をムダ遣いする、そういう「回」があってもいいのかも知れないけれども、もったいないなぁ、なんてことを感じるように最近なった。
でも、他人の人生には口は出さない。他人を惑わしてはならない、という鉄則。傍から見ていて何か気づいていても、自分で気づくのを忍耐強く待つ。何万回でも、何億年かけても。それが、あるべき姿だと思う。ただ、そうして本人が気づくのをひたすら待ち続けるにしても、それでも他者と接する際に、愛情を持って接することを忘れてはならない、それも、あるべき姿、すなわち、創造主が当たり前のように、期待されている姿かも知れない、と、最近は考えるようになった。

師匠が講演会でおっしゃっていた。イエス様が説かれた愛。なんでわざわざ説く必要があるの?と。そもそも、創造主は全ての人間に「愛」を持たせている。少なくとも、イエス様が説かれた「愛」は、誰の中にも持たされている。自然にしていたら、愛が出てくるのは当然だと、そんなニュアンスのお話を聞いた記憶がある。ところが、その「愛」が化けまくっている。

私はあなたを愛しています。直訳したなら、本意は「だから、私を愛してください、私を大切に扱ってください、私を特別扱いしてください、私の肉欲を満たしてください」そこまで解釈できるケースが少なくない、と私自身感じる。本来的には、神が持たせてくれた愛は、与える愛の方で、奪う愛とか、求める愛は、ある意味での欲望に他ならない、と、私は理解している。

誰かを好きになる。生涯のパートナーとして、自分にふさわしい相手として、相手にふさわしい自分として、相手を見極めて、一生を通じて不快感を感じることもなく、自然に一緒にいられる相手を選ぶ、という意味では、「好き」もいいのかな、と思う。それ以上に別な自分の欲望(肉欲もそうだけれども、相手に便乗した名誉とか、経済的な物欲とか)を被せてくるなら、「愛」も、「好き」も、なんだか欲望の発露みたいで、あまり「美しい言葉」には思えなくなってくる。

One for All / All for Oneなんてのが、スポーツのキャッチにあったっけか。いいね、と思う。自分の存在を、相手のため、誰かのために使うことができる。おそらく、7次元のエネルギーを持つ意識体にまで上がれば、当たり前のようにそれができる。呼吸するように周囲に対してできることをして、好きとか嫌いとかいう意識はほとんど持たない。(白状すれば、「好き」は何度かあった、けど。)
6次元の方は、つい自分の興味を優先する場面が少なからずある。5次元の方がたは、「これしかできないけれども、今自分はこれをやる」と考えながら、「できないこと」の重さに直面して、次からはなんとかしたい、と考えながら、「専門職に没頭する」6次元に上がる糸口を掴もうとする。4次元の方がたは、時には”America First”とか何とか言いながら、ひたすら自分だけがいいように振る舞い、生きることに必死になりながら、「もしかしたら、他人の立場を尊重することで、自分にとってもメリットがあるかも」ということに気づくことが、その方にとっての「進化」であり、5次元のエネルギー体に進化するきっかけをつかむ、そんな風に自分は理解している。「好き」とか「愛」とかは、案外、その「意味」の解釈の仕方で、その人の次元がわかる話題かも知れない。会話の中で相手が使う「言葉」の意味、真意に気付いた時に、何気なく、この人は何次元だと確信する場面がある、ことに、最近気付いてきた。

師匠が講演会で、これまで何度もおっしゃったこと。「究極の愛とは、自分を大切にすることだよ」という一言。ここでいう「自分」とは、「私という意識体」のことで、肉体のことではないし、物質世界での満たされた生活のことでもなく、「自分という意識体を一切汚さないこと」だと、私は理解している。
どういうときに、自分を汚すのか。「なんだ、こいつバカだな」と、本気で思ったなら、それだけで心に薄墨をつけ、刷毛で塗ったように、心に汚れが付く。「こいつ、憎らしい」と思えば、真っ黒の墨汁をつけるように、べたっと汚れが魂にこびりつく。肉体を抜けた後は、その汚れを落とし切るまで、肉体を持つ前にいた世界には戻れない。その洗浄室が「地獄」で似たような意識体の方々が、磁石で吸いつけられるように集まって生活する。周囲が見た似たような人たちばかりだから、「何かおかしい」と気づくことが難しい。
例えば、「××ホテルで朝食をとって、持ち物はルイヴィトンのバッグに、何ちゃらかんちゃらみたいな生活しかしないのよ」、ってな方がたは、意識レベルが似たような方々で集まって滞在するから、ある意味で、そこが地獄だと気づかないほど居心地のいい空間、でもあるらしい。セックスが全てなら、肉体を持った時の感覚の残像を引きずったまま、しかも意識体は疲れなんか知らないから、延々とその世界に浸っていられる。行きたいと思います?天国みたいに本人たちは思っていても、実は地獄。憎悪の感情に囚われた方々の場合には、地獄に行く前に、現世に留まってしまう場合も少なくないみたいだから、死んだことを理解して地獄に行くところまでに、まず最初の壁がある。
余談ながら、これも師匠が講演会でよくおっしゃる言葉。「生まれてから一度も、バ〜カ、とか、あいつ憎い、とか、自分を守る嘘だとか、思ったり口にしたりしたことないっていう人いる?いないでしょ?だから、全員が地獄に行くんだよ。」そこで、「これはおかしい」と気付いたなら、そうした汚れを落として、元いた上の世界に戻れる。その人ごとに汚れ方は様々で、似たような方々が集まる地獄に留まって、汚れを落としきるまで上には戻れない。ただ、本人にとっては、地獄というよりも、天国かも知れない。
究極の愛とは、師匠の講演では、そういう世界に自分を落とさないようにすること、だと、自分は理解している。念のため、師匠がよく講演会でおっしゃるのは「究極の愛とは、自分を愛すること」という表現が一番多く、「自分を大切にすること」という表現もある。ただ、ここでいう自分とは、肉体とか世間体ではなく、「魂」を指している点だけは改めて強調したい。

人を愛する、誰かのために何かをする、自分が大切に思う相手とか、自分自身の子供のために、できる限りのことをしてあげたいと思う、それらも全て「愛」だとは思うけれども、そうした「愛」は、動物もある程度持っているし、人間も当然最初から持たされている。そうした「性質」だと、私は理解する。「誰かのために」と、常に意識して行動するとしたなら、それは確かに「愛」の形かも知れないけれども、「究極の愛」とは(魂を汚さないという)「自己愛」だと、何度となく師匠の講演会で聞いた。

例えば、仕事で接点のあるすべてのお客様に、あるいは、授業に出席しているすべての学生に、まんべんなく「できることをする」、愛情を持って接する、口にするのは簡単だけれども、実際にやってみると、とてつもなくメンタル的なエネルギーを要する作業だと、経験されたことのある方はご存知だろうと思う。だからこそ、そうした経験を蓄積することで、例えばスポーツで「走り込み」をして体力をつけるように、メンタル的なエネルギーが蓄えられていって、何万回かの「肉体を持つ」経験の後で、「進化」して上の次元に上がっていけるのかな、と、自分は理解している。

何万回、と書いたけれども、「地球生まれ、地球育ち」の霊体さんたちは、魂として生まれてきてまだ数千万年しか経っていない。それなのに「もう6次元に上がった方もいるよ。」と師匠はおっしゃっていた。今回、創造主が試された「地球ならではの工夫」が、有効に機能していることの証明かもしれない、と、お考えだと、聞いている。これまでの星系では、6次元に上がるためには何十億年もかかっていたのが短縮された、らしい。何よりもまず、我々はこの「魂の進化のため」に肉体を持っている、持たされている、ということを知っておくことが大切なのかもしれない。

以上、一応自分の経験に基づいて書いていますが、骨格は「師匠の受け売り」でした。今度こそ、当分は仕事一筋。

各論

臨床工学については、僕はアマチュアだったのかもしれない。
内山明彦教授の下で、臨床工学を専攻していたと言っても支障はないと思うけれども、文部省の届け出上は「電子工学専攻」だった。僕が卒業してから「臨床工学技士」の資格ができて、内山先生などが資格設立に関与されて、まだ「体系化」はされていなかったと思う。勉強したって言っても、随分と不完全だった。だから、最低限仕事をするのに必要な程度は「門前の小僧習わぬ経を読む」で、医学についてもそこそこ、いい加減な知識は持っていたけれども、医学だって無論基礎をきちんと学んだ訳じゃない。

逆説的だけれども、だからこそ、いざ「臨床工学」で教えることになった時、必死になって体系的に把握しようとして勉強し直して、その「学んだ」プロセスを学生に教えられる。点を見つけて、点と点をつなげて、線にする部分を教えられる。その線と線とで囲み込んで、面を作る。そうなると、この科目は完璧、みたいに思わせることもできる。この分野については、学生が本気である限りは、ある程度教えることには自信がある。

そして、プログラミングはどうか、と言うと、どちらかと言えば、気がつけばプログラムが仕上がっている、そんな感じでもう、40年近くプログラムを書いて来た。最初にFORTRANのプログラムを覚えたのは17才の時だったから、40年を過ぎたか。で、一番「何でも思い通りに動いた」頃、20才代の頃は、ほとんど考えずに、直感的にイメージしたものが、勝手に指が動いて入力されていて、一気に書き上げる感じで、場合によっては30時間とかで一気に1万行とか、訳のわからない書き方をしていた。(今はもう、当時の10分の1も、パフォーマンスが出せない。)仕事にするには、この分野がたぶん一番僕には向いていた。ただ、サラリーマンになってしまうと、「余計なこと」が多過ぎて、プログラムを書くことだけに専念できる訳でもなく、それだけでパフォーマンスはやはり10分の一以下には落ちたかもしれない。(いや、その「余計なこと」が「仕事」にはとても大切だ、と、後になってから痛感したけれども・・・)

ところが、いざ、情報科学部で教えるとなると、「理論的」な基礎はないし、苦しんでプログラミングしている訳じゃないから、「教える」こと自体が非常に苦手で、「わかった!」に辿り着くまでのプロセスをうまく説明しきれない。この壁、結構厚い。実はいま、「教科書」を書いていて、9割方書き上げているのだけれども、校正のところで、もんどりうってる。伝わるかどうか、全く自信がない。伝わらなくても、教科書にはなるんだろうけれども・・・そんな悩みを抱える、今日、この頃。

師匠の講演会。例え話が難し過ぎて、なかなか答えが出せないけれども、いざ種明かしを聞いてみると「各論」が非常に多い。すごく具体的。

正しく生きなさい、清く生きなさい、どの宗教でもそんな感じなんだろうけれども、師匠の「講演」は、何も知らずに参加したら、「雑談」にしか思えない。テーマによっては「この部分を、こう解くんだよ」と言う解説が後からあるから、なるほどと、理解できるけれども、「総論」と言うよりも「各論」。直接「答え」を教えずに「例え話」しか講演でされないのは、「自分で答えを出すプロセスを経験させるため」だと、今は理解している。答えだけ教えてもらったら、肉体を抜けたらもう、次には役立てられないだろうし。

この「各論」を自分に当てはめてみると、ケースバイケースで、結構自分を変えるための役には立っているんだろうと思う。(結果を出せていないから、何とも言えないけれども・・・)15年前の僕と、今の僕が、もし「変わった」と言って下さる方がいらっしゃるなら、それは一つの「結果」かも知れない。けれど。

他人をリスペクトしながら生きる。「総論」としてはわかりやすいけれども、いざ「各論」になると、なかなか簡単じゃない。その「各論」部分に具体的なヒントを出してもらえる「宗教」は、自分があちこち顔出しした限りでは、なかった。実は、トラディショナルな宗教にも、いわゆる新興宗教にも、結構顔出ししたことがあったけれども、3回以上足を運んだのは一つもなかった。具体名は書きません。なんだか「綺麗ごと」ばっかりで、具体性に乏しい。
なんて言うんだろうか。仕事でいえば、売り上げ目標だとか、スローガンだとか、そんなことは口にするけれども、実際に具体的にどうするかについては一言も説明がない、実務能力が皆無、みたいな上司というか、とても、ついていく気になれない、そんな宗教ばかりだった気がする。
いや、ね、私に実務能力があるかどうかは、あくまでも例え話だから、そこのところは忘れてください。

結構、大変な話だ。新興宗教なんかよりも、「実用書」の方が役に立つと思えることもあるけれども、ただ、基本的に「人の実体は霊体だ」というのが根っこのところにあって、その上で、相手の意識(霊体そのもの)にどうやって働きかけるか、平たく言えば、「心を動かす」っていうんだろうか。そのための「勉強会」っていうんだろうか。僕にとっては、師匠と出会ったのは、(もしかしたら、僕は、師匠のチンドン屋を買って出るつもりで肉体を持った、かもしれないというのは、別にして、)やはり、良かったという気がしている。

ふと、そんなことを考えては見たんだけれども・・・

今僕が直面する「各論」的な課題は、プログラミングで、「そうか、わかった!」という導入を、どうやるか、なんだろうか。
「このやり方を、真似してみなさい」そして「こういう考え方で、自分のやり方で作ってみなさい」なんていう、そればかりだ、というのが、どうにも釈然としない。共著者の先生、というか、シラバスの原型を作ってくださった先生には、「小林流でいいんじゃないか」なんて、おっしゃっていただいたんだけれども・・・

ゴール目前で、なぜ、二の足を踏む?この残尿感、なんとかならんものか、と思いながら、今日も残り3時間を切った。

結局、各論っていうのは、方向性だけ示してもらって、一人一人が自分で試して、その人自身の個性で掴み取るしか、方策はないのかも知れない。だから、例えば5次元から6次元に上がる、なんていうのに、何万回も肉体を持って、他者を尊重することが意識体として当然のこととなり、「神」の実在を確信できないと、上がれない、そういうことなんだろうと自分は理解する。この「意識体のエネルギーレベル」の話、なんていうのも、いわゆる「宗教」では、誰も説かれていない気がする。あの人と、この人とでは、明らかにエネルギーが違う、なんてことは、洋の東西を問わず、誰もが感じることだと思うのに、「人は皆同じ」っていうのが前提になってる。そこが、自分には、師匠の講演で初めて「腑に落ちた」部分だった。脳に蓄えた知識は、死んだら消える、ってのに、「試験」を課す宗教もあるらしい。肉体の中身、魂を相手にしていない宗教は、肉体を抜けたら役に立たない。
なんども試行錯誤を重ねて、「意識」の中に定着した時に、初めて人は進化できる。そう自分は理解している。ましてや、6次元から7次元に上がる、なんて言ったら、今回は野球選手で頂点を極めました、今回は医者で頂点を極めました、それを繰り返して「まんべんなく」意識の中に「経験」を刻み込んでから、なんていうことだと自分は理解しているから、大変な騒ぎだ。それで、せっかく一つの分野で頂点にたどり着いても、そこでパワハラなんかやらかして、一気に落ちて、また4次元あたりからやり直す、なんてこともあるんだろうな 。偉くなったとたんに器が小さくなる人、みたいな。
「各論」の蓄積、ってのが、実は、師匠の講演内容を、今は、直接自分の仕事に活用できる、状況なのかも知れない。

なんて、今僕は、どっちの話題を書いているんだろうか。教科書の話か?師匠の講演会の話か?

こうやって、両方が入り乱れてしまって、意識が分散してしまうのが、やはり今の僕の、最大の「難問」かも知れない。いいや、考えるのが面倒くさい。両方引きずったまま、前へ進む。

一つ屋根の下

体育祭が無事終わった。一日中、コンビニと小川小学校のグラウンドを往復したり、あちこちのお店に出向いたり、確かに60メートル競争は棄権したけれど、筋肉痛が限界。(相当に、なまってる。)そこへ、打ち上げの懇親会では飲み過ぎて、もうぐったり。一歩歩くのもしんどい。

終わりぎわ、どなたかが面白いことをおっしゃった。「みんな、一つ家のだから。」だったかな。
4年も会計をやってると、いつも参加される方たちとは顔見知り。ようやっと顔と名前がほとんど結びついてきて、ご近所は、ほとんどどこのお宅とも顔見知り。
家族の中でも、それなりに相手の立場を尊重するのが家庭内での「一家安泰」の秘訣だとするなら、それぞれのお宅はそれぞれのお宅の「個性」があるものとして、尊重し合えるのは、地域全体の安泰の秘訣かも知れない。そうなってくると、地域が全体で「一つの家」みたいになってくる。

家庭の中でも、誰かが身内を思い通りにしようとしたなら、たった一軒の家の中でも「安泰」とは言えない状況になる気がする。ところが、地域ですら相手の立場をそれぞれが尊重できれば、地域全体が「一つの家」のようになる。それが「能書き」だけではなくて、実際にできているのが、日本の田舎のいいところかも知れない。

かつては、「村」と「村」とで、資源を巡って殺し合いの戦争があった。ほんの数百年前の日本は、そうだった。案外、世界中どこでもそうだったんじゃなかろうか。それが、今は一部の地域を除けば、必ずしも「戦争」が「当たり前の状態」ではない、その「地域」全体が「一つの家」のようになっている、そんな気はする。国内で「殺し合い」が起きないという意味では、日本は、ほんの数百年ほど前からは大きく変わり、日本全体が一つの「地域」になろうとしている。すごいことだ。
いつか、この延長で、地球全体が「一つ屋根の下」ならぬ、「一つの星の上」という感じになってくれたら、どんなにか素晴らしいことなのに、なんてことは、ついつい、思ってしまった。酔っ払ってると、気が大きくなって、夢想する内容も「ハメ」が外れてくる。

ここから先は、師匠の受け売り。地球は「地球」という一つの意識体が「霊体」という形で存在していて、「地球という星」は地球意識の肉体、ということになる。私たちは、「地球意識」の肉体である「地球」を構成する、「体細胞」のようなものであって、文字通り私らは「一つ星の上」を構成する運命共同体、なんだろうと思う。

僕らは、「私」とか「自分」という意識がまずあって、少なくとも今現在、私のこのページを「読んで」くださる方は、どなたも肉体を持たれている。その私たちの「肉体」は、視神経だの、胃袋だの、筋肉細胞だの、それぞれが「任務」というか「役割」を黙々と果たしている「独立した意識体」の「肉体」でまずあって、それらが寄り集まって「私」という個人の「肉体」を構成しているんだろう、と、私は理解している。

これが、「私」という「意識」や「私の肉体」に、階層的に、私の「下位の意識」「下位の肉体」が存在している下との関係の状態でもあり、また「私の上位の意識」や「上位の肉体」もまた存在している、そんな状態なんだろう。

その「上位」を辿っていけば、銀河系を創造した「意識体」が存在し、その「肉体」が銀河系宇宙、ということになるんだろうし、師匠は、銀河系宇宙を肉体とする「意識体」が間違いなく存在する、とおっしゃっている。自分は、それを事実として受け入れるところから出発した。

つまり、どこにいようが、何をしていようが、いま目の前で見ている景色はそのまま上位意識体の肉体の一部であり、何よりも私という存在そのものが上位意識体の肉体の一部でもある、ということになるんだろうか。どこか特別な場所でなければ、上位の意識体と意思疎通できないと、どなたかがおっしゃるのならば、それは間違いだと私は考える。特別な場所も特定の行為も一切不要で、ただ今私が存在しているだけで、言ってみれば、私は神の一部であり続ける。
もしも、どこか特別な場所や、特別な行為が必要だとどなたかが説いて、「神に近づくために、お金を払って、その特別な場所や、特別な行為に参加しろ」という話があるならば、それは金銭目的でしかないと私は考える。死刑になった麻原彰晃氏との違いは、人殺しを示唆していない点だけだとも思う。

なんてことを意識しながら隣人と接したなら、全ての人が「同じ星の上」どころか、同じ神の肉体の一部、であり、他人との接し方を考える上で、大切な基本的知識の一部になるんじゃないか、と自分は思う。

この文章を読んでいただいたって、僕は一円も請求しない。何のためにこんなことを書いているか、と言えば、僕自身が「できることは全てやった」と納得したいだけ、だと思う。それ以上でも、それ以下でもない。

嫌だね、酔っ払いは・・・広げる風呂敷がでかすぎて・・・

逃げます。決めた!

明日の体育祭、やっぱり走るのはやめておきます。今日、準備作業の際に、自治会の他の皆様にお詫びしておこうかと・・・

8:40に出走か?(体育祭の際には「出走」とは言わない?じゃぁ出棺か?)体が全然作れていない。無理そうです。設営を手伝った方用の朝ごはんのオニギリを買い出しして、設営を手伝い、飲み物用意してると、毎年アップする時間がほとんどない。だんだんと毛も薄くなってきたことだし、毛がないのが一番。もとい、怪我がないのが一番。無事これ名馬か?

気持ちが負けてる。逃げることを決めた。でも、逃げるは恥だが役に立つ、ってか?

ちょっと気持ちが楽になった。教材書いていても、ずっと引っかかっていたんだもの。

焦りまくり・・・

仕事が順調に・・・捗ってたら、こんなページ書いてないだろうな。

日本語を書く仕事。最初は楽勝じゃん、なんて思ってた。

初めて読む人は「予備知識」がない。知っている前提で書いていたら、読み手には通じない。ところが、何度か読み返していると、「予備知識」がないと、もしかしたら意味が取れない、そんなところが見つかる。書き直す。あ、ここも。結構、泥沼かもしれない。

授業でも時々やってることに、最近気づいてきた。「ここ、もう習ってるよね。」一度習ったからって、覚えているとは限らない。そこに戻る必要がある。問題演習なら戻れる。だけど、カリキュラムがあるなら、砂の上に建物を建てているのを承知で「新しい話題」を展開しなけりゃ、範囲をカバーできない。「教え漏れ」を残したままで国家試験を受けさせるのは、やはりまずい。ジレンマだ。

教材執筆の話。同じような、行きつ戻りつを繰り返していると、なんだかジリジリしてくる。何度も読み返していると、もう、内容の展開から何から、訳が分からなくなってくる。
落ち着け→→俺!

体育祭、雨になってくれと祈ってたのに、今度の日曜日、曇りで実行しそうだな。50歳以上の60メートル走。会計の用事がてんこ盛りだから、時間帯として出られるのはそれくらい。ところが、全く走り込んでいない。土曜日ごとに、夕方とか走ろうとすると雨が降り出す。走れねぇ・・・。すみません、軽く流します、ってことになりそうだ。ちょっと本気になると、足首とか捻りそう。ごめんなさい、準備不足。

3月頃に肺を痛めた。しばらく走れなかった。一ヶ月近く熱っぽくもあって、そんな中で梅の実採集を強行して、三脚から落ちて、首を痛めた。30分とか走っていると、左足が痺れてくる。明らかに筋肉痛じゃない。日常生活には支障はないけれど、やっぱり後遺症、あるみたいだなぁ。しかも、3月から7月頃まで、体調の様子見で、運動量を思いっきり減らしていたから、リバウンドした。結構お腹の脂肪が邪魔。さらに、やはり肺がまだ、回復不十分か。ほんの5km位のジョギングで、何となく酸欠っぽくなってくる。息が上がる訳じゃないんだけれども、明らかに、ワンランク体力が落ちた気がする。

走りたい。でも仕事しなきゃ。あぁ、結果が出てないよぉ!で結局、タバコはやめられそうにないなぁ・・・タバコ、やめたらいいのにと、どなたもおっしゃるけど・・・
落ち着け→俺!

やめときゃいいのに、小川和紙マラソン、また10kmの部、エントリーしてしまった。走れるかなぁ・・・今年は、1時間を切るなんて、絶対無理。とにかく、完走だね。たかが10kmだけれども。どんな形でも、目標がないと同じ走るにしても、やはり違う気がする。
この歳になって、「体力を落とさない」というのがどんなに大変なことか、今年は痛感した。無理したり、強行したりは絶対ダメだよなぁ。

文書起こしにしても、教科書作成にしても、ナメてました。心して掛かります。深呼吸。

いただき物の、インスタントのミルクティーを飲んだ。
こうして言葉にしてみて、ちょっと自分でも頭の整理をしつつ、からの一服。やはり僕には貴重な切り替えの時間だ。

喫煙所撤去

月が変わった。タバコが値上がりした。僕が今吸ってる奴は、30円の値上げ。30円ならまぁね、よしとして。
問題なのは、豊島区の公園内の喫煙所撤去。

昼休みとか、喫煙場所周辺に、非喫煙者っぽい人なんて、誰もいないじゃない。集まってくるのは、他人のことは言えないけれども、疲れ切ったご同胞の方々。だだっ広い公園の隅っこに吸い殻入れがあって、何となく、つかの間の無重力感っていうか、文字通り一息ついていられたのに。撤去か。

24時間連続血圧計の、データ解析ソフトを作っていた頃、何度となく自分の体のデータで解析ソフトのメンテをした。30年前だけれども、僕の体は夜間降圧で午前4時とか午前5時には、最高血圧90mmHg、最低血圧50mmHg、HR45位にまで血圧低下する。一方で、日中喫煙室と往復しながらソフトを書いたりしていると、最高血圧は160、最低血圧は90位にまで上がる。いわゆる、普段のリズムっていう奴で。
それが、業務出張のニューヨーク直行便のフライトで、待合室から到着後まで13時間以上、喫煙できなかった時は、毛細血管が全開だったんだろうな、たぶん、夜間降圧よりも下がって80/40くらいまで血圧が下がっていたと思う。(計らなくても、だいたい体感でわかる。)吐き気もすごかったけれども、意識もぼんやり。頭がぼーっとする、ってな感じで。

毎週火曜日は、たぶん、昼休みも近所の公園は喫煙所撤去だし、周囲に喫煙できる場所がないから、特に昼食後の血圧上昇の反動が出た頃、血圧が下がりまくって、90mmHg/50mmHgとか、80mmHg/40mmHgも覚悟しないと、ってな感じだろうか。水をがぶ飲みしてしのぐか、ってな感じになりそうな気がする。興奮すれば血圧は上がるけれども・・・

ちなみに僕は、安静にして横になっているだけなら、最高血圧70mmHg, 最低血圧40mmHgでも意識は清明でなんの問題も感じない。そう簡単には、意識は落ちないけれども、ただ、これだけニコチンを抜いて、血圧低下で授業をやるってのが、どうなることやら、初体験で・・・ま、なるようになるか。
ニコチン依存症とか、メンタルだけだと思っているんだろうし、特に行政なんて、体の問題なんて全く考えていないんだろうけれども、僕なんかこれだけ長いことタバコを吸ってると、抜けてくると、血圧は特に激しく下がる。行政がそれを無理強いするなら、仕方ない、耐えるか。

なんなんだろう。このキレイキレイな世の中。僕みたいに、タバコは吸うわ、酒は飲むわ、ってな人間は、人間のクズだとでも思っているんだろうか。そういう決めつけをするあなた方が、どれだけ綺麗な心をしているのか、なんてことは言いたい。ほら、今あなたは、こう思ったでしょう、なんてことを、思ったそばから言葉にして突きつけて、ほら、あなたの心なんて、他人を見下して、不安だらけで、偉そうに誰かをいたぶることで快感を感じているだけでしょう、なんて、意識した言葉をそのまま突きつけて、本気の喧嘩を売りたい衝動に駆られる。いや、そんなことが、もしもできたらいいな、ってな話だけれども。できないことを妄想しても、仕方ないな。

特に苦しかったのが、盗聴だの盗撮だのに悩まされていた頃。訳も分からない、私生活を根こそぎ表に出された。メニエルで左耳は聞こえなくなった。あれ、仕掛けたのは行政だろう?公安調査庁か?それとも、面白半分に根こそぎ表に流したマスコミか?絶対に、どっちか、あるいは両方だ。平気で悪いことするのは行政じゃないか?耐えたよ。普通に日常を暮らした。親友だと思っていた奴はクソみたいに常識的に人を見下してくるし、酒とタバコと、他に何が頼れたんだと、僕は今でも思う。

息苦しい世の中だ。ますます、東京なんて、台風に吹き飛ばされてしまえ、地震で潰れてしまえ、ってな気分になってくる。覚悟を決めて耐えるけど、最近、面倒臭くなってる。

ささやかな、くつろぎの場所が、なくなる。

もし僕が低血圧で倒れたなら、救急車は呼ばずに、タバコをその場で一服させてくれたら、30秒で復活すると思います。

脚色

間違えそうな予感がしていると思っていた。そうじゃなくて、どうやら既に間違っていたみたいで・・・
厳密に言えば、「厳密に正確な内容を書く」ことよりも、「伝わりやすさ」を優先した。そのために、「これを書くと、読んだ人が、『何言ってんだ、こいつ』と思いそうだ」と思った内容を、あえて、言い換えて書いていた。微妙にそれをやっていたつもりだった。ただ、改めて思い返してみると(読み返してはいなくて、記憶の断片を辿ってみて)もはや「微妙」の域を超えていた、ような気がするので、一気に、脚色した部分を訂正したい。

大河ドラマなんかでは、脚色はよくやっていると思う。ただ、あれは、エンターテインメントだから許される。相当に脚色があっても「これはフィクションです」の一言は出てこない。つい、そのノリでやっていたけれども、師匠の言葉については、それはたぶん許されないと思い返した。

まず、「南無」の意味について書いたくだり。微妙に、「嘘」にならない程度に書いたつもりだけれども、「南無」が、「私は〜に従います」の意味を持つ古代サンスクリット語だというのは、師匠の講演会で聞いた内容で、そんな予備知識は私には一切ない。(勉強会の他の会員の方が、さりげなく、チクっと伝えてくれたけれども、私は意図して微妙に100%師匠の講演会の内容だということを伏せて書いた。)事実として、私はOxfordのDictionary of World Religionを持っています。1998年ごろ買った。「なんでこんな本を、俺は買うんだろう」と思いながら、結構な金額の本を買って手元に持っている。何の為に?20年後の今は、使い道がわかったけれども、誰にそそのかされて「書いたい衝動に駆られた」のかは、自分でもわからない。ただ、古代語に関する知識は、全て師匠の講演会からきています。白状しておきます。結果的に、師匠が講演会で話されている「過去の宗教」に関する「知識」は、Oxfordの研究成果と矛盾しないで、かつ、それ以上に詳しいと私は思う。けれども、勝手に脚色したことは認めます。オリジナルは、師匠の講演会です。

次、6次元。僕自身は、「6次元はプロフェッショナル」だと書いた。ただ、師匠が講演会で伝えた内容は「6次元は、医者とか弁護士、あるいは大学教授だとかの専門職」という表現だった。これは、師匠の著書にも書かれている。私が講演会で聞いて理解している内容は、「6次元の人たちは、ただひたすら、自分自身の『高度な専門性』を追求することを目的として肉体を持っていて、いわゆる専門職に就く」だろうか。「プロフェッショナル」という言い方をすると、例えば、ビル清掃でも、食品製造でも「やり方」次第ではプロフェッショナルには違いがある、と私は理解している。微妙に、そうした方々が含まれてもいいように、表現を変えてしまった、けれども、やはり「専門職」と「プロフェッショナル」では指し示す範囲が大きく異なる。ということは、私は、師匠の言葉を誤って伝えたことになる。これは、もはや「脚色」ではなく、「明らかな間違い」になると思う。
こういう意図的な「脚色」とか、無意識のミスが蓄積されて、「経典」の解釈だとか、あるいは、イエスや釈迦の直近にいた方々の言葉など、伝言ゲームで、ほとんど原型を止めなくなった。その「原型をとどめなさ具合」も、講演会では何度か聞いている。間違いなくこれは、僕の「やっちまった」だと思う。

その次。これはたぶん、僕の指導霊さんが僕に意識を送ってくれたのかも知れない。間違ってるよ、と言われた部分。「今は、指導霊とか、守護霊とかが、間違った思いを持っても、止めるように、あえて静止しない」と、書いてしまった部分。言い訳を順にすれば、正しくは、「今現在は、指導霊とか守護霊とか、上での仲間がそばについている人は、2割程度まで減っていて、7〜8割はもう、守護霊も指導霊も、ついていない」というのが、師匠の講演会で、何度となく伝えられている内容。それを僕は、「ついていても、誤った行為を指摘しない」と読める書き方をした。
これは、意図的に「脚色」しました。

なぜか。
なぜ、かつては、ほとんどの人に指導霊や守護霊がついていたのに、今は7〜8割も指導霊や守護霊が「離れる」ことになったのか、というその「経緯」を書かなければならなくて、その「経緯」を書けば、「何言ってんだコイツ」と思われるかも知れない、それが怖かったから、脚色した。冒頭にも書いた「伝わること」を最優先したかった。

地球系霊団では、同じ意識レベルに属する8体の「霊体」(=ヒト)がグループを作っていて、ローテーションで順番に肉体を持っていた。

中には平気で僕みたいに掟破りして、肉体の意識を残したまま次の肉体に割り込んだ霊体さんもいるみたいだけれども。過去世の記憶を持って生まれた子供。それはそれとして、意味あるものとして拾い上げたい。「意識体の世界が実在していることの証明」として。それは別にして・・・

もし、グループの誰かが肉体を抜けた後地獄に落ちて、いつまで経っても上がって(戻って)これなかったなら、他のグループのメンバーが困る。ただ待つだけで、肉体を持てない。だから、自分の仲間が、できることなら地獄の深いところには落ちないように、そばに付いていた。ただ、ここに来て、そのルールが変わった。誰かが地獄に長居して、いつまで経っても上に戻ってこなかったとしても、どんどんと、次が降りても構わない、ということになった。そうならば、肉体を持っている「仲間」のそばに付いていて、「それはやめなさい」とか「じきに、こういうことが起きるよ」と、肉体を持っている人にそうした意識を送る必要はなくて、仲間であっても「落ちるなら落ちろ」と、ある意味で見捨てて、次に「自分自身が肉体を持つことの準備」に専念したらいい、ということになった。
通常なら、肉体を持つサイクルは、数百年になる。数百年も経ったなら、物質世界の状況は相当に変わっている。「今、『地上』はどうなっているんだろう」ということを知るために、言わば「下見」を兼ねて仲間に「指導霊」として付いていた、ということがあったらしい。そして、今でも「下見」はしているにしても、グループのメンバーが、「地獄に長居」するようなことをしでかそうとしても、自分たちはもう待つ必要がなくなったから、指導霊とか、守護霊とかして、ずっとついていて「見守る」必要がなくなった、ということだと、聞いている。これが私自身が理解した「守護霊や、指導霊がついていない人が、今はもう8割」の理由だった。そこを、僕は「イエスの再誕が近いからか」なんて感じで、脚色した。

なぜ「グループのメンバーが地獄から上がってくるまで待たなくても良い」なんてことになったんだろうか。理由は、「責任ある誰かが、決めたから」だと聞いている。そのように「霊界」に改革があった。誰が改革したのか。ここを書きたくなかった。

師匠は、勉強会での内容では、10次元「地球意識」とも、その上の「太陽系の意識」とも、さらにその上ともコンタクトができている。「創造主」ともコンタクトができる。その結果として、物理世界の物理法則も講演会で聞いている。師匠は「創造主」に極めて近い方だと、こんなこと、書いても普通に万人に「そうか、そうか」なんて、絶対に伝わらないだろうとも思った。だから、脚色した。
伝わり方を優先した結果の、私の暴走。「そんな馬鹿げたことがあるはずは、そんな奴がいるはずがないだろう」と、思う人が多いだろうと、勝手に「伝わらないだろうな」と思ったから、脚色した、けれども、私が聞いて、納得して理解している内容は、その「実在界の改革を行った」のは、師匠だ、ということだった。ここを僕は伏せて書いていた。伝わらないと思ったから、脚色した。

要するに、師匠は、イエスや、モーゼ、釈迦、アッラーよりも上、創造主に近い方だ、と言っているのに等しい。だから、書きたくなかったけど、脚色が過ぎると、私自身がヤバイことになる。だから、このページを書いた。読み手のあなたが信じる、信じないは、ご自由にどうぞ。私は、私自身の近未来を守るために、このページを書いた。

理由の説明が違うだけで、守護霊や、指導霊が付いていない人が、今はもう8割。そこは、事実として知っておいた方が、ある意味で「自分の意識と、自分の身を守る」のに役立つのではないかと思って、最初に書いた。その時に、勇み足で脚色をしてしまった。
突然に「プッツン」して、とんでもないことをする人の数は、まだまだ増える。

じゃぁ、指導霊が守護霊が付いている残りの2割は何なのか、ということになる。これも聞いている。残りの2割は「使命を持って肉体を持っている方々」。使命を持って肉体を持っている方々が、「結果」を出せないと、地球の未来が変わってくる。あるいは、そうした「使命を持って肉体を持つ」方々の親、だとか、教師、だとか、周囲の方々も通常は関係してくるから、守護霊がついている可能性は高い、と私は理解している。
この部分、脚色をしてしまった。

「神の思いを、誤って伝えること」は、自殺と同程度に罪が重い。それを「やっちまった」としたなら、気付いた時点で、速攻で「訂正」をかけるしかない。
もし、この訂正が間に合わなかったら・・・私が落ちるところまで、落ちるだけ、でしょうね。
他の「宗教家」の方々への皮肉ではありません。悪いけどそんな人たちがどうなろうが、僕の知ったこっちゃない。上から聞いた内容を聴き伝えているだけの真面目な方々の罪は、それほど重くはないと思うけれども、問題は「自分のオリジナル」を創作しちゃった方々だろうな、と思った。その創作には、伝言ゲームにおける「記憶違いのミス」も含まれる。その怖さを知っておくべき。
僕は、ただ、自分の落ちる深さが、少しでも浅ければいいなと思って、このページを書いた。以上。

確率

ついこの間(先々週かな)専門の3年生相手に説教してしまった。こんな感じ。
僕ら、教員はつい、合格率とかの数字を気にする。合格率90%。おぉ、すごいじゃない。なんて言って、10人のうち9人には「合格」という100%の現実があっても、落ちちゃった一人には「不合格」という100%の現実がある。確率というのは「事前」の予測だけれども、合格率のような数字は「事後」で、どんなに合格率が高くても、落ちちゃったら本人には「落ちた」っていう100%の現実がある。そうならないために、今、なんちゃら、かんちゃら。

強盗殺人で殺される確率。低い。でも、偶然、万が一、その被害者になってしまったら、そこには100%の現実がある。その現実が悲惨であればある程、あらゆる手段を用いて可能性が0となるように回避できるものは回避し、回避できないものは対策すべきなのが、賢明な判断だと思う。その「悲惨さ」がわからないならば、仕方ない。でも知っていて何も手を打たない、回避できるリスクは完全に回避することを試みない、のは、理性の弛緩だと思う。それは、交通事故でもそうだし、飲酒運転なんかは「根絶」とかいうのが、社会のコンセンサスだろうか。

そうは言いつつ、広島に原爆が落とされても、まだ大本営は戦争継続を考えていたらしい。大本営に完全に戦意を喪失させるためには、長崎は、不可避だったんだろうか。悲しい現実。人間の愚かさ、なのか。

そして、福島原発。人は死んではいない、のかな?甲状腺癌や、避難先での生活環境不適応はどうなの?そして、生活基盤を失った人がどれほどいるのか。あれってのは、「悲惨な歴史」ではないのかな?福島原発だけでは、経験としては不足なんだろうな。広島の原爆のように。

伊方原発。再稼働を認めたらしい。裁判所の判決文、笑った。日本列島は、どこで直下型地震が起きても不思議じゃないからね。リスク管理の考え方で言えば、万が一のリスクが大きすぎる場合には、そうした選択肢を絶対的に排除すべき、なのだと、私は理解している。飲酒運転と同じ。裁判所は、人口密度が低ければ、飲酒運転してもいい、なんて感じの考え方らしい。だから笑った。

日本人の理解力には、長崎の犠牲が不可避だったんだろう。福島の次は、どこなんだろうか。愚かさが、哀しい。

Android Studio

どうでもいいけど、atomあたりに集約できないのかなぁ。

どちらも無料だから、Androud Studioはありがたい。ですけどね、IDEごとに操作が異なると、この歳になると、「指が勝手に動いてくれる」モードの切り替えにも、すごく手間取っちゃって・・・

若い人たちにお願いしたい。IDEの操作コマンド、ctrl-Fみたいなショートカットや、コメントアウトのショートカットなどなど、「標準規約」を作ってもらえないだろうか、なんて思う。

「コーディング規約」もなぁ。規約レベルでプラットフォームにimportできると、キータッチ数は減るし、出来上がりも見栄えがいいし、とってもありがたいんだけど。

わがままで、ごめんなさい。自分でやるには、歳を取りすぎた。

6次元

書きたいという衝動に駆られている。
間違うかも知れないとか、今(仕事もせずに)こんなことをしていていいのか、とか、多少は意識をよぎるけれども、今日は、衝動に流されることに決めた。
だって、そういう生き方をしたくて、大学をやめたんでしょ?と自分に言い聞かせつつ。

6次元というのは、師匠の講演会の一つの「キーワード」かも知れないと考えている。
これまた、「キワもの」扱いされそうな話題だけれども、いわゆるUFO(未確認飛行物体か?)で地球に移住して来た人類(現在も、意識体としてはほぼ全員がここで暮らしている)は、全員が6次元以上だった。理由は単純で、UFOには6次元以上でなければ乗れない。アメリカにはUFOの残骸があるらしいけれども、「地球上には存在しない物質」で出来ている、そうな。(実際に存在するのか、都市伝説なのかも、師匠の講演会で話題として取り上げられたことがある。あの人は、知らないことがない人だから。隠し事しても無駄だし・・・)

UFO自体は、6次元以上の人ならば、誰でもが「作り出すことのできる乗り物」だけれども、「霊道」が開いていなければ無理。つまり、自由に「意識体」の世界と意思疎通できる程度に、一切の「汚れ」がなく、我々が陥りがちな「我欲」などは一切持たず、肉体を持っていてもその状態を維持できる6次元以上の人、という、極めて「ハードルが高い」状態でなら、実現可能な乗り物、ということになる。
UFOに拉致された人、というのがテレビに出ていた。テレビを通じての言動を見る限り、私でも6次元ではないと感じた。師匠は断言されていた。6次元に届かない人がUFOに乗るなんて、絶対に無理。意識体そのもののエネルギーが足りないから、UFOが移動したなら、そのまま取り残される。今も、池袋なんかに出かけたなら、ごちゃごちゃといる(いわゆる「成仏」できない)「浮遊霊」さんたちが、肉体を持っている人をすり抜けてしまって、意識のコンタクトが出来ないから、肉体を持っている側も「浮遊霊」さんたちも、どちらも気づかない、それに近い「すり抜け」で、UFOが飛んでも4次元、5次元の方は、乗れない。

詳細は師匠の著書を見ていただきたいけれども、地球系霊団を指導されて来た9次元の方々(俗名:モーゼ、アッラー、イエス、釈迦、孔子、ゼウス、アルキメデス(=ニュートン)、ゾロアスター、マイトレーヤ(=クザーヌス)、と、僕が俗名をよく知らない、アケメーネ、敬称略)10名を中心に、地球での独自の「霊団」を造ろうという話になったんだそうな。その際に、地球に移住して来た6次元以上の「霊体」(=ヒト)を元にして、5体の分身を作られた。言い出しっぺはアッラー(アール・エル・ランティー様)だそうで、実現したのは、他の星系でも経験があったゼウス(セオリア様)だそうな。その際に、実は創造主も関与されていたらしい。

こうした経緯で、6次元以上をベースに、その5倍の人数の4次元の「ヒト」が地球生まれとして誕生した。通常ならば、まず「霊体」としての基本的な教養を叩き込まれてから肉体を持つはずだったのに、地球系霊団の創造という「先」を、焦るともなく、何も起きないだろうと考えてしまって、どんどんと肉体を持たせてしまった、という経緯があるらしい。その結果、「意識体の世界」が「実」であり、肉体の世界は「仮」だという認識が反転してしまい、物質世界だけが世界だという認識が広まった。

この辺は、エンジニアとして耳が痛い話で、原子力開発なんてその際たるものだと思う。肉体の表面に「イボ」を造ってしまった。それを人類は「地中深くに埋めたらいい」と考えて、表皮を掘って真皮のあたりに埋め込もうとした。何も起きないだろうという、安易な発想。もし、そんな「寄生虫」がいたとしたなら、僕らヒトはどうするだろうか。それが「地球」なら、地球という意識体はどうされるだろうか。大陸ごと沈めること、くらいしか手段を持たれない。発生源となった大陸を沈めると同時に、その時の津波で、関係する施設を持つあらゆる大都市を水没させる、その程度しか、出来ないけれども、もう、その流れには、完全に乗っていると思う。もう、以前書いちゃった。埼玉県で言えば、川越のあたりまで津波が来る。他の県は知らない。(肉体を持っている師匠は、埼玉県民ですので・・・)たぶん、極転移は、その後だろうな、という気がする。

ロンドン、パリ、シドニー、メルボルン、以下省略。海抜50m以下の大都市は、「その時」におそらく全滅する。オランダ?大洋州の国々?国ごと?ごめんなさい、僕は聞いた話を書いているだけです。ただ、一石二鳥なんだろうなぁ・・・、あんな高次元の方の意識は、私にはわかりません。もしかしたら、鳥とか魚とか虫とか、その辺の生き物は、地球の意識をある程度直接に受け取っているのかも知れないけど。(生物学者に聞いてください。)それは「天災」ではなく「人災」だと私は思う。ただ、いくつかの「文明」というか「文化」は消失しても、それを造った「ヒト」の意識体までは滅びない。それを「教訓」として、次に活かせ、ということだと思う。何も活かせなかったのが、アトランティス大陸、ムー大陸、ゴンダアナ大陸、などなどなんだろうか。せめて、北アメリカ大陸だけは、そこから「教訓」を導き出して、人類の未来を考えるべきだと僕は考える。
国連のどなたかが、「アメリカ抜きで世界の問題は解決できない」とか話されたらしい。(元情報は検索しない。)そうじゃない、アメリカ抜きで世界の問題を解決するように、というのが、トランプ(あれは、たぶん4次元)を大統領にしたアメリカに対する、せめてもの「世界」の賢明な対応策だと、僕は考える。できる、と思う。どこの国も、負担が大きくなるから逃げているだけだ、とも思う。
話が逸れまくった。

6次元の世界では、ひたすら「専門性」を追求する。プロフェッショナリズムというのが表現として妥当なんだろうか。師匠の著書では、「大学の教授」(の一部)だとか、大企業の社長(のごく一部)なんかには、6次元が多い、らしい。極めて個人的に、随分昔に「展示会」で手厳しいお言葉をいただいた、20年前の「緑十字(ミドリ安全?)」の社長さんなんかは、間違いなく6次元以上だろうと、記憶を再生しながら思った。イチロー選手?井深大さん?6次元以上の方は、お会いしたらすぐにわかる。(自分自身が6次元以上でないと、わからないのかな?)そして、落ちない条件も、なんとなくわかる。「自分のこの判断によって、自分のこの行動によって、他人にどんな迷惑が及ぶか」という部分に、ものすごく神経が行き届いていらっしゃる方々。それを自分に課している「厳しさ」が、時には周囲を巻き込む。もしかしたら、その部分こそ、この「物質世界」を想像された、(あまり使いたくない表現だけれども)「神」が意図された部分かも知れない。

そうして、6次元までの「ヒト」をカバーしたならば、2σ(シグマ:標準偏差)というんだろうか、おそらく世界人口の95%以上は、カバーできる。その方々に、師匠の言葉ではなく、僕自身の言葉として書くならば、「自分は、周囲の人間を幸せにできるか」を、常に自問自答して欲しいと、伝えたい。6次元の方々には、実力を伴ってそれを実現する力があるはずで、そこに「私欲」を紛れ込ませたなら、今世間に話題を振りまいているパワハラの象徴のような、スポーツ団体のトップだとか、官僚組織の上層部だとかの醜態が浮き上がる。あれらは、仮に人間の社会で制裁を受けなくても、ご自身の「エネルギーレベル」が落ちて、次からはおそらく、4次元、5次元からのやり直しになると、私は思う。4次元、他人への気配りなど思いもよらない、ただただ、自分自身が生きるために必死な方々。日本とか欧米のような国ではなく、生きることに必死になる環境でしか、生まれ直しはできない。5次元、他人への気配りなどはできるけれども、エネルギー量が足りなくて、専門性のある仕事には就けない。専門性のある仕事についてしまうと、周囲に迷惑を及ぼしたり、職種によっては誰かを死なせたりもする。そうして、結局さらに落ちる。その(この世界特有の)シビアさが、肉体を持っている社会での基本ルールだと思う。機会は万人に「平等」に与えられているのに、だいたいが「我欲」で落ちる。

師匠の講演会からの表現で言えば、「創造主は、空気を人類に与えた。殺人犯だって、空気を吸うことができる。これこそが、創造主の与えた平等だ」という表現。この言い回しは、伝え方を間違っていないと思う。この言葉は、何としても伝えたい。ところが、そこに「我欲」が加わる。「土地の権利書」って、人類には「土地」は創造できない。「浮島」?大地と、その恵みがあってことその「浮島」でしょう?と思う。いや、論点がボケてるのは、わかってる。「6次元」のキーワードを中心にして、ただただ、書きなぐりたいだけ。

少なくとも、6次元まで上がれれば、いずれ「地球」が、その「肉体」としての寿命を迎えても、他の若い星系に移住はできる。ヒトに「寿命」があるのと同じく、地球にも寿命があることは、ご存知なんだろうか。ご存知ない方も少なくないかも知れないけど。トランプとか。でも、あるんです。あの人、「そんなのはフェイクだ」とか、言い出しそうだけど。もういいや。遅いし。

まとまりがつかない。「物質的な充足」は、むしろ、自身の次元を落とす原因になる。どんな形でも、「周囲のヒト」との接点を大切にし、「自分には何ができるか」を常に考え続けることは、ヒトでも、その集合体の「国家」でも、大切なことなのかも知れないと、つくづく思う。

偉そうなことは書けないと、自覚はしている。師匠は、講演会でしばしば「アルコールが入ると、実在界(霊界)からの意識を受け取れなくなるし、酔っ払っていい気分になりたい浮遊霊を惹きつけるから、ろくなことにならない」というお話をされていた。それなのに僕は、書かなきゃという衝動と、書いたら怖いという恐怖心と両方があって、恐怖心を消したくて、ここまでに7%以上の濃度のアルコールを1.2Lは飲みました。白状しておきます。気が小さい私です。「神様」は怖いです。蚤の心臓。ガラスの心。小心者の私は、割とアルコールには頼って生きているかも知れない。一つ前のページの、「重力の定義」もそうだったけれども(実は、一つ前から、だけれど)この6次元の話題を言葉にするのにも、凄まじい葛藤があって、「もしおかしなことを書いたらどうしよう」を忘れるのに、かなりの量のアルコールを飲んだ。情けないよなぁ・・・でも、とりあえず、誰にも迷惑はかけてない。内容に間違いさえなければ、何もまだ、問題は起こしていない。まだね。

終わる。怖い。でも、たぶん、続ける。どうか、「神様」は「実在」だと、まず、知って欲しい。それだけは伝えたい。変な新興宗教じゃない。申込書に、住所氏名を書く必要はない。年会費をいくらだとか、(桁外れな)額を請求されることはない。というよりも、僕のこのブログを読むだけなら、タダだし。

以上。

キログラム原器

キログラム原器の質量がマイクログラム単位で変化しているらしい。

臨床工学の「生体計測装置学」の授業の定番、「7つの基本単位」で(標準テキスト最新の第3版だけれども、どれだったか「古い」定義が掲載されていたのを、調べていて見つけたけど、どれだったっけか?)、長さ(メートル)も、時間(秒)も、アンペアも、ケルビンも、モルも、カンデラも、全部物理現象から厳密に「定義」できているのに、キログラムだけは「キログラム原器」が基準になっている。

質量の変化は計測できるのに、その元となるキログラムの量を、物理学では「定義」できていない。ということは、要するに「力」も、「エネルギー」も、現在の物理学では厳密に定義できていない、ということになるんだろう。この点についての「異論」はないと思います。定義できないから、原器を使っている。

僕の大学の時の卒業論文は、「ポジトロンCTの画像解析」だった。東大の斎藤陽一先生から、僕の指導教授の内山明彦先生に、学生を一人つけてデータを処理したいと「論文テーマ」を分けていただいて、僕はそのテーマを最終的には選んだ。第一希望ではなかったけれども。思えば、最初の就職先も、派遣国のパプアニューギニアも、第一希望が通ったことは一度もない。でも、結果的には、これで良かったと思える経験を随分してきた。ということは、いかに僕自身の「判断」が未熟なのか、ということだろうな。遅すぎないうちに、適切な方向に「転んで」流されまくってきて、良かったと今では思うけれども。

ポジトロン(陽電子)は、電子と質量が同じで、プラスの電荷を持つ反物質である。と、そこから始まって、理解するまで随分と勉強した気がするが、本当に理解できているんだか、なんなんだか。そして今では「電子」には「意志」がある、という話が量子論から出てきている。無論、「ヒトの意識」などとは全く違う種類の「意識」からの「意志」だろうと思うが、そうなってくると、なぜ「電子」は存在できるんだろうか、という疑問が湧いてくる。

雷雲の中では、プラズマ放電で大量の「陽電子」が発生していることが「発見」されたらしい。ということは、何もない空間にエネルギーを加えることで、「電子」も「陽電子」もペアで発生しているんだろうか。興味は尽きない。そして、発生した電子の質量は、エネルギーを、光速の二乗で割れば出てくる。(m=E/c 2)。この電子の質量は、(ということは、電子の発生に必要なエネルギーも)、環境によって変化するんだろうか?疑問だ。もし変化しないのならば、電子の質量はキログラムの「定義」になっていてもおかしくない気がするんだが、そうでないということは、例えば、磁場や、光量、温度などが異なると電子の質量も変化するんだろうか。(勉強不足だ。違う分野を歩んじゃったから、結構物理学も基本のところがわかっていない私。)

ただ、そうして考えてくると、俄然、師匠の講演会の内容のうち、自然科学系「物質世界の成り立ち」について触れられていた部分が興味深くなる。全て、現在の「自然科学」の話題と矛盾しない。それどころか、極め付けは「重力は、引力ではないよ、圧力だよ」という部分。ナンジャラホイ、なんだけれども、畳み込まれた空間のエネルギーが3次元という物質世界に投影された時に、どうやって「物質化」しているのか、その部分で「力」がどのように「質量」に働いているのか、あるいは「物質」が「力の作用先」として「質量」という性質をなぜ持つんだろうか。きっと突き詰めれば、何種類もの「力」の統一理論なんかも、いつかはクリアになってくるんだろうか。なんてことを、私は個人的に考えている。
特に、「霊」については、師匠は「意識を持ったエネルギー体」と表現されている。「神」についても言及はされているけれども、「高次元の意識体」という表現もよく使われている。そもそもが、「神」だの「霊」だのという単語を使うから、話がいかがわしい方向に向かう。「神」におすがりしたって、何かお願いしたって、何も叶わないと思います。ただ、僕らの「指導霊」さんたちは仲間として、時々ヒントだとか、手助けだとかしてくれている気がするけれども。(ただただ感謝。)「霊」ではなく「意識を持ったエネルギー体」、「神」ではなく「高次元の、僕らヒトのはるか上位に位置する意識体」と言い換えると、時々師匠の講演会は「物理の授業」のように聞こえることもある。私と同じバックグラウンドを持っている方々にも、参加願いたいけれども、無理だろうなぁ。何かさらに「新しい発見」があった頃には、僕も師匠も、もう肉体は持っていない気がする。それから興味を持っていただいても、もう間に合わない。

師匠の講演会での話題。今現在、「指導霊」とか「守護霊」がついていない人が、激増している、らしい。昔だったら、指導霊さんが「そんなことはやめなさい」と意識を送り、微かながらそれを受け取って、冷静になって、激情にかられての暴挙は働かない、そうした時代もあったのに、今は、「止める」方がいない。ある意味で見放されているんだろうか。自分のやってしまった行動の結果を、本人が実際に経験して自覚しなければ、進化にも理解にも至らない。だからこそ、もう敢えて「止めない」ようになって来た。それすらも、イエスの再誕に向けての準備の「始まり」なんだろうか、と、私は理解している。(違っているかも知れない。私の言葉を差し引いて、師匠の言葉だけ残したいのが本音なんだが。やはり注釈は必要な気がするから、仕方なく自分の考えも書いている。)だから、今後益々、激情にかられて「あんな程度のこと」がきっかけとなって人を殺したり、そうした事件は増えていくのだろう。「今後、そうした事件は増えるよ」ということは、師匠も講演会の中でおっしゃっていた。「なぜなのか」を多くの方に考えていただくように、「伝える」ことは、チンドン屋の仕事の一部かも知れない。そう思って書いた。(間違った解釈が存在しないことを、ただただ祈るのみ。)

話を戻す。
なぜ、「物質」は存在するのか、そこからアプローチしなければ、もしかしたら質量は定義はできないのかも知れない。

そして、いかに僕らはこの「世界」についてモノを知らないか、思い知らされている話題だった。

ギャップ

師匠の講演会の受け売り。
ヒトの意識体は、(たぶん、物理的にもマッピングされた形で、)4次元から9次元まで、6つの次元に存在する。あの人は何次元、という言い方は、具体的な固有名詞も含めて何度も講演で聞いているし、そのうちの一部は師匠の著書にも書かれている。既に、このページのバックナンバーでも書いてしまった話題で言えば、田中角栄氏は7次元。そして、9次元は別格。イエスキリスト、釈迦、アッラー、モーゼなどなどの方々は、最初から人類を指導するために、直接創造主によって創造された意識体、だと聞いている。それ以外の、我々その他大勢は、全ての人が4次元として、意識体として「生まれ」て、何度も肉体を持つうちに、経験を積んで、「進化」を重ねていく。ただ、同時に「退化」もあって、次元が落ちることもある。

この段落は、師匠の受け売りではなくて、私の考え。
超ひも理論では、3次元から上の空間は11次元目まで「畳み込まれて」いると読んだ。もう僕のトシでは無理だと思ったし、数式を辿る元気も無いから、直感だけで読んだけれども、畳み込まれている次元、ということは、コンボリューションだろうか。多重積分の結果が、次元の落ちたベクトル量になる。そこで起きる現象は、システムエンジニアの発想で言えば、マッピングとか、キャスティング。日本語にしたなら「投影」であって、そこから英語に戻したなら、プロジェクション。つまり、3次元の物質世界は、より高次元のエネルギー空間からの「投影」によって構成されている、その結果として、4次元から8次元という次元の異なる「意識体」が相互に意思疎通し、言葉を交わして、一緒に生活できる。

直前の段落の「私の考え」を受けて、師匠の受け売りから「私が考えた結論」は、(師匠も講演会で、ほとんど同じ内容のことを話されているけれども、結論に至るプロセスに私の考えがあるので、こうした微妙な書き出しをしているけれど、)創造主は、全てのヒト(すなわち、創造主と同じように、「地球」の意識とも違う、「電子」の意識とも違う、自分たち中心の表現で申し訳ないけれども、創造主と同じ「人格霊」としての意識を持つ意識体)を、最初は4次元として創り出しておいたけれども、まず自力で8次元までは進化して欲しい、とそれを意図して、投影(プロジェクション)によるこの3次元世界を創造された。と私は理解している。

そして、この話題の本題。何を「きっかけ」にして、このページを書いたか。ツタヤのレンタルで「マディソン郡の橋」を借りて、今見ていて、クライマックスか?クリント・イーストウッドと、メリル・ストリーブの朝の会話を見ていて、ふと重なった。(僕が、どういう生き方をしてきたかは、書かないけど。)
メリル・ストリーブの演じるフランチェスカのモデルは、おそらくは4次元か、5次元。クリント・イーストウッドの演じるロバートは、たぶん6次元。
この会話の断片。「地球を家とする」とか、「人生を数日で生きる」とか、あれやこれや、DVDを見ていて思った。心から理解し合えるはずがない。違うのだから。ただ、6次元なら4次元や5次元の感覚に「共感」を持つことならできるはずだ、とそう感じた。

この段落は、師匠の受け売りがベースで、私流の解釈が加わる。
4次元は、まず「肉体を持つ」ということがどういうことか、その経験をするために肉体を持つことを課題とする次元。この1文は、私なりの見解で表現を私の流儀で書き加えるけれども、5次元はいわゆる「いい人」で、「自分がこうしたら、この人がこう困るだろうから、こうしてあげよう」という気配りが、完全に身についている人。5次元以上は、当たり前のようにそれができる。けれども、4次元から見たら「偽善者」だとか「上から目線だ」とか「鼻につく」とか、自分にはそうした感覚がないから、5次元以上が当たり前のように周囲に気配りすることが、不快でたまらない。ここに、「感覚」的に埋めることのできないギャップがある。極めて、個人的な経験の記憶から。
6次元は、一言で言えば「専門職」だと師匠から聞いている。どんな仕事でも「プロフェッショナル」を目指すレベルで、一つの仕事で「極める」ことを毎回課題とする次元。ところが、「一番、誤りやすいのは6次元」だと師匠は講演会でおっしゃる。(以下、私の解釈)まず、他人を見下すようになる。わかりやすい例が官僚だろうか。あの人たちは「社会運営のプロ」だと思っているらしく、自分たち以外を「指導されるべき下賤の民」だと思っているのかもしれない。

これも師匠の受け売り、からの、私の表現。(いちいち、面倒臭いから、皆さん、直接師匠の講演会を聴きに来てくれたら話が早いのに・・・)創造主から見て、最も良くない「欲」は、「他人を思い通りに動かしたい欲」らしい。いわゆるパワハラか。創造主は、6次元の人が4次元や5次元の人に対して、「先輩」として、あるべき姿を見せながら、指導することを期待されたのかもしれない。ところが、ほんのちょっと専門性を高めると、すぐに大上段から振りかぶって、押し付けて、思い通りに動かそうとして・・・ってな具合で、どうも、「振り出しに戻る」人も少なくないようで。個人的に考える。「気配り」すらできないなら、4次元からやり直せ、ということなんだろうか。あるいは、「気配り」ができない時点で、意識体のエネルギーレベルが落ちて、5次元にすら戻れないことになるのか。「あ、この人たぶん」ってなことは、最近時々感じる。大丈夫。落ちても、よほど欲にまみれていなければ、また肉体は持てるから。

7次元まで上がると、そう簡単には落ちない。全ての人を平等に見ている。極めて個人的に、私は天皇陛下ともお会いする機会があった(青年海外協力隊の隊員は、みんな謁見しているみたいです)し、ソニーの創業者の井深さん、MITの教授、あの人、この人、普通のサラリーマン、そして、あの人、この人(アゲイン)、路上生活者、ヤクザ、元ヤクザ、自称右翼、パプアニューギニアの元強盗、などなど、誰とあっても自分も変わらないし、自分からの相手への接し方も変わらない。それだけは自信を持って。だとしたら自分の次元は、ということも考えるけれども、そして、8次元のあり方を描写できない時点で、だいたい見当はついてる。

私は「チンドン屋」なので、師匠の講演内容を、少しでも多くの人に伝えたい。その手段は人(勉強会の会員)それぞれ。直接会いに行く人もいる。私は、WEBページを使っている。
他にも、盛り込みたい話題、派生的に言及したい師匠の講演内容(だって、もう600時間は聴いてる)もあるけれども、論点がボケるので、これで終わる。

ギャップは、あります。それは当然。そのギャップを埋めるために、僕ら全てのヒトは肉体を持ってる。この点は、伝えたいと思った。

「マディソン郡の橋」を見て、こんな感想文を書く奴、絶対に他にはいないだろうな、とも思ったけど。

以上。

続編は是非、安部さんに

安部総理が、引退後は映像制作に関わりたいといってると、ラジオで小耳に挟んだ。(この表現、正しいか?)
これか。

是非、「怒り」という映画の続編を、作ってもらいたいね。まず全部見てからね。キャストにも圧倒されたけど、監督の才能にも凄みを感じた。

ロケ地はやっぱり、沖縄だろうな。

パスワード忘れた

ウエルシアはよく使ってる。地元に3軒もある。ポイントサービスのついたレシート受け取ったので、アプリをインストールした。どうせなら、割引情報使いたい。

ログインして登録していったら、「ご登録のTカードIDは、別のYahoo IDに登録されています。」とか出て来た。

Yahoo IDは、昔使っていたのと、ゴミメールに辟易して作り変えたのと、二つ持ってる。昔のだ、と思って、昔のYahoo IDで入り直した。

「パスワードが違います。」

なんとか、メールアドレスでログインした。パスワード変更をかけようとした。そうしたら、「現在のパスワードを入力してください」よく使うパスワード、「控え」をみると20位を使い分けていて、片っ端から入れたのに、全部違う!何を使ってましたっけ?「秘密の質問」意味ないじゃん。お袋の旧姓なんてもちろん覚えているし、ログインだってしてる。パスワードを忘れたから変えたいのに、「現在のパスワードが違います。」

ウェルシアアプリ、使うの諦めました。削除しました。割引情報?いいです、要りません。正価で買います!

どうせ、バカですよ〜だ。

平成35年

早々と免許更新を済ませてきた。平成35年まで有効、となってた。

考えてみれば、平成年号の場合も突然だったから、人によっては昭和66年くらいまで有効の免許を持ってた人とか大勢いたはずで、世間に「こういうものだよ」という共通認識があれば全然問題にはならないんだろうな、と思った。

ダイソーで来年のカレンダーも買った。もはや和号は入っていない。こうしていずれ、和号も形骸化するのかもね。なんだかもう、要らなくない?

情報屋さんたち、大変だろうなぁ、と他人事のように・・・

願わくば、ライブラリとかプラットフォームが賢く変換してくれて、何も考えずに最新版をダウンロードして更新をかけたら、勝手に新年号が表示されるようになりました、と、なっていますように。

夏時間ほどではないにしても、2ヶ月前の発表?何考えてんだとは思うけれども、夏時間が震度8クラスだとして、和号の対応も震度6強くらいのインパクトはあるんだろうか。

平成35年だって、平成40年だって、いいじゃない。それくらいの寛容が欲しいな。まず、役所がそれでも書類を受け付けることが何より大事だと思う。帳票系はやたらと手間がかかる。

バカな政治のおかげで、現場のプログラマがバタバタと倒れる、なんてことがありませんように。
合掌( -人- )

スパン

一つ前のページ、一気に過不足なく書き上げようと思っていたけれども、なかなかうまくいかない。
無駄に長かったか、と思いつつ、やはり授業と同じで、伝わる書き方と伝わらない書き方はあると思う。枕が長すぎるかも知れないけれども、80点。ただ、明らかに「結」の部分は失速した。書き尽くせなかった。もう、書きたいと思った文章は出てこない。一発勝負でコケた。

要点は一つ。地球も意識体で、「地球規模」の現象は人間の「意識のあり方」によって起こされている、と、それを伝えたかった。

それだけ書けばいいだろ、と思いつつ、いきなり「公式」だけ板書して「これ覚えて」ってやったって、ダメでしょ、と、ただそれだけの理由。自己満足でなければいいんだが・・・

問題は、タイムスパンだ。地球規模の現象だと、200年先など「もうすぐ」の話だけれども、僕らの感覚では「もう自分は間違いなく、ここにはいない」未来の話で、無関係と思われたなら意味がない。地球のスピンが変わるというお話も、どのくらいのタイムスパンなのかがわからない。何も起きなければ、このページも、単なるアホだ。もう開き直っているけれど。最初は数百年以内、だと理解していたけれども、もしかしたら、もう始まっているのかも、と思ってしまった。間違っていたらどうしよう。

あれね。ラジオで誰かが言ってたなぁ。持ち物に「死後裁きにあう」とか書いてあったら、絶対に盗まれないって。(そんなことを持ち物に書く人だと、思われたくないから、だと私は解釈したんだが・・・)僕も「近づきたくない人」にはなりたくないんだが・・・。それがあるんで、必死で「自然科学的になんちゃら」の伏線を張って、一応は自然科学系の人から突っ込まれても、反論できるだけの内容を、と思ってはみても、それはそれで煙たいし・・・、どう書いたら説得力があるんだ?って、もういいや。もう書いちゃった。

師匠が再三話された内容を、私自身の言葉で書けば「人間が心を変えなければ、こうした過去に例を見ない自然災害は無くならない。」ということだろうか。逆に言えば、人類が心を改めれば、自然災害もスケールダウンする。私はそう理解している。

ところが、今日も、ラジオでゴゴモンズとか聞いていると、ジジイババアの悪行がすごいみたいで・・・年をとって、マナーなし、礼儀なし、やりたい放題の話題がザクザク。嫌だなぁ、そういうジジイにはなりたくないなぁ。そういうババアには絶対にならないけど。

日本人の悪行。野生生物の輸入なんかもそうだろうけれども、臓器目当てなのか、人身売買などもマスコミがあまり扱わないだけ、のようにも思う。あるいは買春ツアー。オレオレ詐欺のような詐欺行為。ブラックで、社会的な役割を放棄したような企業などなど、日本にだって、知ったら日本人でいることが嫌になるような話題が結構ある。まず知るべきだと思うんだが。

アメリカ?ノーコメント。

他人の存在を自らに利するためだけに認識するような、文明のあり方。ネット社会のダークサイド。「国益」には土地だの地下資源だのが絡む。世界的な右傾化傾向。「まず自国の利益を考える。」そのこと自体は間違いではないと思うが、相手の存在とか立場を考えなければ、共存はできない。みんなが国粋に走ったら、地球規模で何が起きるんだか。日本は、というよりも、安倍総理は武器輸出三原則を廃棄した。この流れも、もう元には戻せないと思う。稀有の、上から大切に思われる資質だったのに。もう、壊れてもいい普通の国だ。

インターネットがこれだけ世界的に普及して、いわば黎明期。今、師匠の言葉を伝えなければ、時期を逸すると思った。かなり焦ってはいるが、焦って間違ったら、取り返しがつかないから、慎重であれと、一応自重はしている。
でも、僕なんかより、インターネットの普及による「悪弊」の拡散の方が、明らかにパワーも大きい。今後トランプのような国家元首が、ゾロゾロと出てくるのかも知れない。イエスが再誕する頃(師匠の著書に、書いてあったかなぁ、講演会だけだったかなぁ・・・)どんな世の中になっているか、聞いている。あまり楽しい話ではない。

サバイバル。モラルが喪失した社会で、自分が正しいと思う行動を貫くことが難しい時代になる、と理解している。が、やはり、もしかしたらもう始まっているのかも知れない。サバイバルと聞いて、ナイフを振り回す方の発想に走ったなら、その時点で終わっている。
こうして「師匠の受け売り」を書き続けることは、言って見ればオプションで、自分自身が流されずに生きることがはるかに大事なのは、理解しているが・・・

あれやこれや、思い出すと、全く自信がないけれども。師匠に出会う前は、ひどいもんだった。偉そうなことは何も書けない。ただ、少なくとも今からは、なんとか頑張るしかなかんべ。

焦ってるかも知れない。だからこそ、しばらくこうした話題を書くのは自戒しようという気が、すごくした。ちょっと勢い余って間違えそうな、悪い予感。加えて、仕事が気になる分、意識が分散してる。

長々と書いたけれども、要点はたった一行で冒頭に書いた。以上。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。(2000倍くらいか?)実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。かくして、どうしていいかわからない借金を子孫に押し付ける行政がまかり通る。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える/理解している」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。その時に空を見ている人たちは、星が一斉に動いていった、という感じだったんだろうか。思うに。ってか、感じるに。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。ただ、師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認しようとも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。(え?それ以前?)

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。人類が意識を変えなければ、もっと悲惨なことが起きる。結論においては、トランプさんはその真逆を言いたいのだろうけれども。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。体表面の鑿を全部洗い流すよ。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?どっちも「人殺し」は容認していないでしょ?その程度で十分。
日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らがその上に生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があんたの土地に移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

スピン

かなりの長文になると予感します。

授業で、MRI(核磁気共鳴)の解説をするたびに、「原子核のスピン」を「実演」するために水筒かペットボトルを持って、摩訶不思議な手首の動きをしているんだけれども、なかなか笑いは取れない。
考えてみると、原子核のスピンを倒す、なんてことがそれなりの磁場をかけて、電磁波を照射してなんてやりながらも、人為的に出来るなんて、すごいことかもしれないとも、時々思いながら話している。

ポジトロンCTで使用するγ線は、電子と陽電子の結合による消滅エネルギー。電子と中性子や陽子とでは質量が桁違いに違う。実は、陽子線治療は、陽子の衝突のエネルギーなのか、陽子が衝突して核種が変わることによるエネルギーなのか理解していないけれども、陽子や中性子のレベルになると「消滅エネルギー」ではなく、核反応で核種が変わった際の差分を取り出すだけで、いわゆる「核分裂」「核融合」のエネルギーを取り出している。それだけ質量が大きい、ということだろうし、原子核一個を「消滅」して全部エネルギーに変えられたとしたなら、およそ、人類にコントロールできるようなエネルギーにはならないと思う。核分裂反応ですら、直接エネルギーを取り出すのではなくて、水を沸騰させる程度の使い方しかできていないのだから。

師匠の講演会の受け売り。もっと賢い方法は、1000年以内に人類も獲得する。ようやっと宇宙人が人類にコンタクトできる(宇宙人と聞くと戦争しか考えない思考回路が大幅に改善される)状態になって、外部の知識でそうした技術は地球にも伝わる。だから、処分方法が見つからない「原子力」に頼って核廃棄物を量産するのではなく、当面はそれ以外のsustainable energyに頼ったらいいのに、と思うんだが、根拠を証明できないから、聞く耳を持ってもらえないでしょうね。

話を戻す。「簡単には消滅させられないエネルギーレベルの物質」という文脈で書くならば、原子核の自転スピンを倒すのに、「こんな程度のエネルギーなの」という思いと、「数テスラというとんでもないエネルギーだな」という思いと、その両方がある。
ここまで、話の枕。以下が本題。

師匠の講演会の受け売り。ごく近い将来、地球の自転軸が傾く、と聞いている。このページの主題は、これです。似たようなことを書いているページは、世間にごまんとあるし、「あぁあ、また始まったよ」という方は、ここで読むのをおやめください。別に読んでくれなくてもいい。

師匠の受け売りがベースだし、その部分だけは絶対的に「正確」でなければならないと理解している。ただ、今日これを書こうと思ったのは、ふと、この話題を書かなきゃと思ったからで、自分自身の「理解」が相当に入り込んでいる。私の言葉を書くときは「私はこう考える」という書き方をする。その部分は、師匠の言葉と切り分けて欲しいと願う。師匠の言葉とは確度の桁が違う。(これも、話の枕か。)

地球物理学では、北極や南極の調査で、過去何度も地球の磁場の北極と南極が反転していることが確認されていると理解している。その反転の時期には、一時的に磁場や地球をカバーする電離層が弱くなる。
これは私の考えだけれども、地球内部のマントルの流れが変わるのだろうと思う。その結果として、磁場が反転する。まだ我々が知らない周期運動を地球はしているのかも知れない。

師匠によれば、かつて文献(聖書にもあったかな?講演内容を忘れた)に記されているような、「星が流れた」ように、夜空の星が「流れる」現象が起きて、地球のスピン、自転軸そのものが傾く。どういう動き方をするかは、私は理解していないけれども、日本は亜熱帯になる。現在、紛れもなく「文明」が非常に進んでいるあたりが、北極になる。(具体的な国名も聞いたけれども、それは書かない。)恐竜の絶滅の時にも、これに類した現象が起きた。隕石説は誤りだよ、と聞いている。(隕石の落下がなかった、などとは聞いていない。)あくまでも、因果関係の話。

で、私はそれは、まだまだ先の話だと思っていた。師匠の講演会ではなく、別の自然科学系の方から聞いた話。地磁気の磁気レベルが、近年異常な変化をしている、らしい。(データを見ていないから、知らない。)加えて言えば、「磁北」そのものの移動が激しくなっている、らしい。これも、根拠は確認していない。ごめんなさい、論文を書いている訳じゃないので、暇がない。昨今はほぼ積ん読になってる、IEEEとかAAASの学術雑誌を見たら、何か誰かの論文があるかも知れない。(もう、論文を書く立ち位置にはないのに、興味だけで学会会員を続けている。高い「趣味」のコストだ。あ、学会って言っても、例のナムミョーナンチャラじゃないです。)
それと、昨今の地震発生の頻度。明らかに、マントルの動きがおかしいよな、と思った。そこに、今日聞いてきた師匠の講演会の内容の一部が重なって、あ、これ、今日書こうと思った。
もしかしたら、地震発生とか、何か関連があるのかも知れない、と思った。

トランプ大統領が、「地球温暖化なんて、うそっぱちだ。温室効果ガスなんて、フェイクだ」とかなんとか言ってたらしい。自分に理解できないことと、自分に都合の悪いことは、全部「フェイク」にしちゃう人の言うことだから、聞き流して、ただただ、あの「迷惑」を低減するだけのために、全世界が協力すべき時、なんだろうけれども、ただ一点、トランプの言い分で「これは正しい」と思えた部分がある。

僕の師匠、たぶん、「ヒト」よりも上のレベルの意識体の意識やら、宇宙だの人類だのの「設計」レベルからの話題を、矛盾なく講演会で話されている。システムエンジニアの私が「矛盾なく」と必死で考え抜いて、10年がかりで結論しただけで、私がエンジニアとしてポンコツなら、信ずるに足りない話題だけれども。そう言う意味では、「×」と言ってもいい、と、漢字一つの単語を持ち出したい気分はあるけれども、この単語を持ち出した途端に、新興宗教だとか騒ぐ人たちがいるから、その単語は持ち出さない。取って喰いやしないから、直接話を聞いてくれたらすぐにわかるのに。そもそも、「私の病気を治してください」とか言って「おすがり」されても、「自分を救うのは自分しかいない」とか、突き放されるだけなので、宗教だと思って参加してくれたなら、お生憎様だろうか。

僕にとっては、そんな畏敬すべき方と、あのトランプで、主張に「共通点」がある、などと書くこと自体、不本意なんだが・・・

「温室効果ガスは、それほど現在の地球的規模の異常現象の原因ではない」と言う点が、その共通点。

トランプに根拠を聞いても、あの人は自分の発した言葉の「根拠」など一切提示できないヒトだから、今更確認証とも思いません。アメリカ人の皆様方、ごめんなさい。大変失礼させていただきます。

師匠の講演会から私が考える「根拠」は、「地球も意識体」だから、「ヒト」とは意識レベルが異なるけれども、「意識」を持って人類に対処しているよ、と言う部分。
せっかく、起承転結の「転」まで来たのに、ここで一旦話題がそれる。

これまで、「人間」の実態は「意識体」であって、肉体は「意識体」すなわち「霊」の乗り物だと書いて来た。過去のページで、随分、これを書いてます。意識体が肉体を抜けてしまうと、「肉体」からの刺激は受け取れない。

だとしたら、死んでまもない霊体さんたちとかが、肉親に合図を送ったり、あるいは、迷ってしまった霊体さんたちが、時には酔っ払いに、時には職場でブチ切れた人たちに、時には家の中で鬱々としてこもる人たちに、憑依したり、あるいは、死ぬ直前に憎悪の意識だけに固着して、ポルターガイスト現象を起こすほどの悪霊になってしまった人たちの存在を、どう説明するの、と言うのが、自然科学的に考えて、おかしいと思いませんか?自然科学的なアプローチ、「現象」に対する「説明」の「整合性」の問題です。疑問に思わないだろうか。

だって、「脳」がなくなったら、見ることも聞くこともできない。なぜ、この「物質」の世界で「モノ」を認識できるのだろうか。その答えは、やはり、師匠の講演会にあったと理解している。まず第一に、「意識体」は「意識」とは交信できる。「目」も「耳」も伴っていないから、いわゆる「見る」ことも「聞く」こともできないけれども、それを見ている人の意識は感知できる。僕自身が左耳はメニエール氏病で聞こえないから、状況によっては隣の人の話が全く聞こえていないこともあるけれども、分脈と表情から、ほぼ完全に何を言っているかわかるような経験は、何度もしている。それと同じだと思った。霊体さんたちは、生きている人の意識から、情報を得ている。

第二は、形ある「モノ」には全て「意識」がある、と言う講演内容だろうか。実証するには?前にも書いた。テレビ番組で、失踪したタクシーがどこにあるか、アメリカからの霊能力者が途中まで霊視した。その続きを師匠が講演会で話題にしていた。狭山湖に沈んでます。どうやって辿ったか。道路も、空間も、痕跡が残っている。人間は「嗅覚」と解釈しているけれども、警察犬は匂いだけではなく意識の痕跡も辿っている、とも、聞いた記憶がある。本当に狭山湖に、あの失踪したタクシー運転手とタクシーがあるかどうか、宝くじが当たったら、私が金を出すから、調べてください。机にも、椅子にも意識がある。無論、「人格霊」のような「意識」ではなく、どんな意識なのか私には想像できないけれども、「意識」として扱えるものがある。共通の説明でいうならば、「独立した自由なエネルギー体」の存在、だろうか。
話が収束しなくなるから、「独立」とか「自由」とかに突っ込まないでください。興味があるなら、師匠の講演会のCDをどうぞ。会員限定ですけど。お金さえもらえるなら、ってか、チーズケーキにコーヒー程度で、私が個人的に、師匠の講演内容を説明します。暇があれば。

超ひも理論では、宇宙は十三次元。縦横高さの三次元の上は、超ひもが絡み合った数フェムトメートル、数アトメートルあるいはそれ以下の近傍に次元そのものが畳み込まれている。人間としてのエネルギーレベルが上がると、「次元」が上がる。つまり、物質世界を説明する論理にマッピングされる形で、ヒトのエネルギーが説明できる。その「エネルギー体」の存在は普遍的であり、「ヒト」は創造主ご自身の「意識体」に近い「意識」として存在しているけれども、机も、椅子も、原子も、電子も、素粒子も、それぞれのレベルで「エネルギー体」にマッピングされる形で、それぞれの「意識」を持っている。これは京大の先生も推測されていた。上も同様で、地球は地球の「意識」を持っているし、その上の「銀河系」も銀河系レベルの「意識」を持たれている。銀河系宇宙が「肉体」を持とうと思って準備されて、始めたその瞬間にビッグバンが起こった、と私は理解している。僕らは、銀河系宇宙の意識に内包されている、と理解している。ビッグバン宇宙は、今現在合計で18個は存在している可能性があり、地球が帰属する「銀河」の外は、我々には計測することすらできない、と、私は理解している。この「師匠の受け売り」の部分は、突っ込まれたって、答えようがないけれども。

肉体を持っている世界で、僕らは全ての「モノ」を認識できる。ということは、電子や原子の「意識」を知覚することはできなくても、その「肉体」を知覚することはできる。だから、(話を戻すなら)霊体さんたちも、普通に「見て、聞いて」ということができているのだろう、と私は理解している。この説明、もう何年も考えて、師匠の講演会の断片をかき集めて、自分なりの答えを出した。
僕自身は、1000通り程度の組み合わせの if / then / elseの条件分岐の組み合わせなら、数分で「見落とし」とか「処理の自己矛盾」を指摘できます。職業病です。「お前、それは間違ってる、宗教だ」と騒ぐつもりがあるなら、顔と名前を出して、どこでも公開の論戦をやるから、お待ちしてます。(あ、いや、実際に論戦するとなると、仕事の都合もあるし、時間もないし、面倒臭いし、頼むから喧嘩を売ってくれるなと思いつつ、書いてみました。)

話を、「起承転結」の「転」に戻す。

地球は意識を持っている。人類がどんな考えで、どんな生き方をしようとしているのか、「結果において」ご自分の自身の肉体の上で生息している人類を育もうとする地球の意識が、現状をどう判断されるか、ということが大きいと思う。

この段落は、師匠の受け売り。暴風雨が地球上のどこかを襲う。汚れを全部吹き飛ばして、きれいに戻したいという地球意識が働いている。集中豪雨もそう。地表の汚れを洗い流したい。つまり、僕らの「生活のための手段」は、すべからく、地球意識から見たら「ゴミ」に見えているのかもしれない。

僕は、そう理解した。

だから、「なぜ今、こんなにも地球規模の災害が多いの」という答えは、「人類の意識が、汚れ切っているから」ということになる。と私は理解する。
だから、トランプ大統領の、「温暖化ガスの排出量は、関係ない」という主張は、結果において、必ずしも間違いじゃない。問題なのは、人類の意識の汚染だ、ということになる。

日本の、自民党の選挙戦。「国土を防錆するためには」で、自衛隊に関する議論がかしましい。「土地は誰のものか」ってな話題だろうか。地球上の土地のすべては、「地球意識」の肉体の一部であって、そこを、「ここは日本の領土だ!」って、どうなんだろうか、というのが私の考えの中にはある。

例えばね、私が「蚤」に僕の肉体を解放したとする。その「蚤」が、彼らなりの意識レベルで縄張り争いを始めて、「ここからここまでは、僕の領土だ」とか騒いで、僕に噛み付いたとする。まぁ、自分が居住を許した「蚤」だからなぁ。そりゃ、我慢するよ。ただ、「ここは俺の」「ここはうちの」ってな意識があまりにも伝わってきたら、どう思うか。「う・る・せ・ぇ、全部俺の肉体だ」と言いたい。当然でしょ?そう思いませんか?
いや、「間借りしてます、住まわせてください」ってな感じで、下手に出てくれたら、「そうか、わかった、使っていいよ」ってな感じになるかもしれないけど、縄張り争いやら、騒がしいのは、嫌だよなぁ。と、思いませんか?自分が蚤に肉体を貸す、とか、地球意識になったつもりで、なんてな比喩が、そもそも、イメージしきれないのはわかっているけど・・・他に伝えようがあるか?伝え方を教えてよ。

領土問題。争うな、とまず言いたい。パレスチナとイスラエル。「人間」が決めたルールを、住民個人が申請して、「どちらのルールに従うか」を登録させるだけで、共存できないのか?日本とロシア。「領土」にこだわって、何のいいことがある?だって、地球が寝返りをうったら、あるいは邪魔だと思ったら、北方領土そのものが根こそぎ海に沈むことだって、あると思うな。それは日本列島も同じ。中国大陸だって同じ。僕がこれを言葉にして、本当にそれが起きたら、パフォーマンスとしては面白いけれども、たぶんそんなことは起きない。(いや、師匠じゃないから・・・ってか、師匠は・・・以下省略。どうせ信じてはもらえない)僕らが生きている土地というのは、そういう性質のものだと、これだけ地震が続いても、なぜ理解できないのか。

たぶん、もうあと、180年から190年後の間に、どこかの大陸が沈む。地球意識も我慢ならないんだろうな。あれの登場は、決定打だと思った。(師匠じゃなく、私が、ね。)「不思議」なことに、カナダやメキシコの国境は、多少は巻き込まれても、そこそこ軽症で済む。そうした「偶然の不思議」に、「意識」の存在を感じることができないなら、もう、ダメだこりゃ、ってな話題かな。もう、黙ってるから、勝手にやりたいようにやって、って、僕は思う。
特に、アレのTwitter。どうでもいいや。僕の子孫があそこに移住することはない。だって、子孫がいないもの。
200年単位だから、数世代後には語り告げるでしょ?もしも、それが起きたなら、地球にも意識があるとか、人間の実体は「意識体」だ、とか、そうした話題を語り継いで欲しい。

ようやっと、「起承転結」の「結」だ。

地球規模の災害は、続くよ、という話題でした。
師匠は、何もおっしゃっていない。(引用は、かなりを占めているけど。)ただ、僕自身は、地球意識がかなり過激(過敏?)になっている気がした。それを、書いていいかどうか、一度は書こうと思って、3時間くらいかけて、これとは全く別の長文を書いてから消した。今回は、残せそうだ。特には、「やめろ」と言われていない気がする。その辺の感覚は、自分を信じるしかない。

もしかしたら、地球自身がスピンを傾けて、安定な方向に「定例行事」を行おうとしているのかも知れない、あるいは、原因と結果が別で、地表を思い切って掃除しようとして、スピンを傾けるのかも知れない。そんなことはわからない。これまでは、「まだまだ先の話だ」と思っていたけれども、また、地球意識にとって「すぐに」は数十年先かも知れないけれども、いまの「異常気象」は、温室効果ガス、地球温暖化による、言ってみれば、温泉饅頭の表の薄皮程度の(例えが悪かったら、ごめんなさい)ほんの表皮だけ、というレベルではなくて、もっと内在的に、内側からの大々的な変化が起きつつある、ということは、あり得る、と、僕は講演会で聞いたという話題を伝えたかった。

誤差?まぁなぁ・・・。自動機械で機械部品を加工するときの精度が、マイクロメートル単位。で、道路工事の「ユンボ」で地面を掘るときの精度は、数cm〜数十cm単位。ミサイルの着弾点。GPSを使ったって、数メートル単位。で、地球が寝返りをうつ、そのタイミング?誤差?どうやって、計算すんだよ。

僕は、ただ単に、書くだけ。読んだ方々は、どう考えて、自分のあり方をどう変えるか、そこは、お任せします。
長文でした。誤植はあるだろうな。ただ、チェックするために読み返していると、アップロードする勇気が削がれる。今回は、アップしてもいいみたいに言われている気がするので、読み返さずに、一気にアップする。

人は変わる

いや、師匠の講演会の受け売り。何度聞いたことか。
霊体さんたちは脳ミソがもうないから、どこかを向いたらそこしか考えない。生きている人間の意識も、感覚や刺激を遮断したらそうなる。そこは、精神神経科の専門家に確認してもらっても、間違いじゃないと言ってもらえると思う。(説明の順番が逆か?)ところが、日常生活を送っている人間の意識は、1秒前と今とで違う、頑張るぞ、って言っているのが2秒後にはしなびたり。

国家は人の集まりで、人が変わるってことは、国家だって変わるっていうことかなと、私は思う。
何もかもが変わり続けているのに、柔軟に対応できないのは、何か、寂しいものがあるかな。
何を言ったって、過去の残像しか蒸し返さない、そういう相手に辟易している割りには、自分たちがそうだって気づかない。過去の残層しか見ないなら、今更話すことなんて何もない、と思うんだが。

ただ、国家の数は限られていても、人の数はとても全員とは話をしきれないほどたくさんいるから、面白いっちゃ、面白いかも知れない。過去の自分なんて全然知らない人と、知り合う機会がいくらだってあるからね。いくらだって新しい自分になれる。昔のことを、蒸し返されたって、無視し返したらいいだけ。(一応、シャレのつもりなんだけど・・・)

なんて話題を、つい書きたくなって、書いてしまった。どこかの誰かへ。時事ネタならぬ、ジジイネタでした。